日本政治を動かす要因

2002.02

*2002年2月11日に参加した集会で、有事法制に向けた動きは将来的に日本帝国主義の復活を目指すものではないか、日米軍事関係を強化し、戦争体制を作ろうとする動きは経済情勢を好転させるための一環として考えられているのではないか、もっと具体的には日本企業の多国籍的展開を軍事面から支えるための動きではないか、という問題提起が行われました。これらの問題提起は、私がおもに政治軍事的要素に力点をおいて小泉政治の危険性について報告したことに対するものであったと理解しています。

 有事法制、より基本的には「戦争する国」に向けた保守政治の動きの根本(動因)は、経済的要素が大きいのではないかという問題提起は、私が伺ったこれまでの集会でもしばしば接しています。この機会に、私の考えをまとめておきたいと思います。

日本の軍事大国化への動きを考える上で、経済的要因を重視する必要があることを強調する代表的論客は渡辺治さん(一橋大学教授)です。「日本の軍事大国化をめざす動きの背景には、日本企業のグローバル化がありました。…日本企業の海外展開とりわけアジア・太平洋地域への展開は、企業の活動の自由や安全、そして何より企業が持っている特権を擁護するための、国家による政治的・軍事的バックアップの要請をもたらしたのです。」(渡辺治『憲法「改正」は何をめざすか』p.13)

もちろん渡辺さんは、アメリカの対日軍事要求という要素を重視しています。しかし、改憲による軍事大国化への動きを「アメリカの圧力からだけ見るのは、事の一面のみを見ているにすぎません。…集団的自衛権による自衛隊の出動を求めていたのは、アメリカ側のみでなく、むしろ日本側だったからです。」(同、p.23)という指摘を、以上の指摘と重ね合わせて読みますと、現在進んでいる日本の軍事大国化に向けた動きの原動力として、大企業を中心とする日本の経済界の政治に対する要求・働きかけを渡辺さんが重視していることを読みとることができます。

私自身、90年代に入ってからの経済界の動きには注目してきました。いわゆる樋口レポート以来、従来は安全保障・防衛問題に慎重な姿勢で臨んできた経済界が、一転して積極的な発言を行うようになったことはまぎれもない事実です。

しかし、日本の軍事大国化への動きを考える上で経済的要素を最重視するかどうか(重視する必要があるという認識では違いはありません)という点で、渡辺さんと私との間に違いがあるとすれば、その違いは、そもそも保守政治の改憲志向をどう評価するかにおける二人の認識の差に起因するものであると考えられます。その点で渡辺さんの次の認識は、私にとって興味深いものでした。「周辺事態法が通過した途端、90年代初頭から推進されてきた改憲回避の軍事大国化路線は大きく転換しました。」(同、p.21)渡辺さんの認識に従うならば、それまでの自民党は全体として改憲を志向しているわけではなかった、ということになります。

しかし私は、自民党の改憲志向は戦後(1955年の保守合同以来)一貫している、という認識です。改憲志向はくり返し浮上し、その都度国民の反対にあって挫折してきました。ところが湾岸戦争以後、とくに軍事的「国際貢献」論を皮切りにして、改憲反対を封じ込め、改憲へとつなげるなし崩し的な既成事実の積み重ねが行われてきた、というのが90年代以後の事態ではないでしょうか。経済界の要求が強まったことを受けて自民党がはじめて改憲に向けて動きだした、ということではないのです。

私は、自民党を含む保守勢力が改憲に向けた布石を重ねる上で、アメリカの対日軍事要求がエスカレートしてきたことを進んで受け入れてきたという点を重視します。湾岸戦争に際しての戦費の拠出、戦争直後の掃海艇のペルシャ湾派遣、PKO法と自衛隊の海外派遣、北朝鮮「核疑惑」を受けた新ガイドラインと周辺事態法、アーミテージ報告及び9.11事件を踏まえたQDR(4年ごとの防衛見直し)を受けたいわゆるテロ対策特措法と本格的国内有事法制への動き。以上のいずれをとっても、まずはアメリカからの具体的な対日要求があり、それを受けた保守勢力による国内措置に向けた動きがある、という一貫したパターンがあります。

有事法制に向けた動きでも、そのパターンが繰り返されています。アメリカ・ブッシュ政権は、9.11事件を受けて、「顔の見えない恐怖」を「脅威」とする認識を打ち出し、これに全面的に対抗する戦略を推進する方針を、QDRで打ち出しました。小泉政権は、2002年1月に「有事法制の整備について」という見解を発表しました。有事法制整備の必要性としてこの見解は、「日米安保体制の信頼性を一層強化」することとともに、「なお、有事法制の整備にあたっては、冷戦終結後の我が国を取り巻く安全保障環境の変化を踏まえ、新たな事態への対応を図ることが重要」という認識を明らかにしています。この後の認識は、まさにQDRにおいて打ち出されたアメリカの脅威認識・戦略に呼応するものです。ここでも、アメリカからの具体的要求があり、それを受けた保守勢力による国内措置に向けた動きがあるという一貫したパターンの最新のあらわれがあるのです。

私が様々な集会などで、アメリカの対日要求に力点をおいてお話しするために、私がアメリカという要因を重視しすぎている、という批判があり得ることは承知しています。しかしそれは、国内の安全保障にかかわるこれまでの議論があまりにも国内的次元でのみ扱われてきたことに対する、私なりの反省があるからです。保守勢力が進める安全保障政策を正確に認識し、徹底的に批判し、真に国民的な安全保障政策を提起するためには、彼らが重視するアメリカの対日政策をもっと深く、もっと全面的に理解しなくてはならないし、さらにいえば、アメリカの世界戦略及びその中での日本の位置づけを正確に捉えなければならない、と確信するからなのです。

経済界については、日本経済の破産寸前の深刻な状況を踏まえるとき、少なくとも現在の経済危機打開のめどがつかない限り、日本の安全保障政策のあり方について、経済界全体として強力な推進役として動くだけの余力が残っているのか、かなり疑問があります。また、ブッシュ政権が「対テロ戦争」をフィリピンにまですでに押し広げ、イラク・イラン・北朝鮮を「悪の枢軸」呼ばわりして、軍事力偏重の政策をとる構えを示していることは、国際的な経済活動の安定した基盤を突き崩す危険性を高めています。「テロリストをかくまうものもテロリスト」とするブッシュ政権の乱暴を極めた主張は、イスラエルやインドの好戦的な政策を正当化する根拠として使われ、中東及び南アジアの動揺をもたらしています。国際経済環境が深刻に揺るがされる事態なのです。このような事態を前にして、日本の経済界がなお、ブッシュ政権と小泉政治に対する支持を続けるとしたら、私は彼らの見識を疑わずにはおられません。

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