内外情勢にかかわる基本認識

2002.02

*2002年2月11日に行われた集会で発言した際、会場から、内外情勢に関するいくつかの重要な問題について、私の意見を求められました。時間が非常に限られていたので、詳しくはHPで、とお断りするしかありませんでした。ここで改めて私の考えを明らかにしておきたいと思います。大きくいいますと、内外情勢にかかわる基本認識、日本政治を動かす根本的動因は経済的要素か軍事的要素か、日本の軍国化への懸念、日本の軍国化を進める上で利用される北朝鮮に関する認識のあり方、日本のマスコミ報道への疑問、という5つの問題に分類することができました。ここではまず、最初の問題について考えたいと思います。内外情勢にかかわる基本認識に関しては、時間の制約があり、日本の情勢を考える際の前提・出発点である内外情勢の基本認識には立ち入る余裕がないことをお断りしたことについて、会場からその点について詳しく説明を求める声がありました。

今日の内外情勢を考える上でもっとも重要なポイントは、政治・軍事に関しては、ブッシュ政権のアメリカ中心主義(ユニラテラリズム。日本語訳としては「単独行動主義」に収斂しつつありますが、私はこの訳語は誤っていると思います)の危険性を正確に認識すること、そして経済に関しては、市場原理を前提とする発想を清算すること、の2点にあると考えます。なぜならば、両者は、人間の尊厳および民主主義という普遍的な価値を否定するものであるからです。前者についてはすでにこのコラムでも取り上げましたので、ここでは後者の点にそくして述べます。

ちなみに、私は経済にはまったくの素人です。しかし、経済は優れて人間社会の営みの一部である以上、人間の尊厳及び民主主義という座標軸・モノサシに基づいて判断する視点を基本に据えるべきであると確信します。

市場原理を前面に押し出す考え方は、アメリカ・レーガン政権、イギリス・サッチャー政権によって80年代前半から強力に推進されました。この考え方については、90年代以後は、「ソ連崩壊=社会主義の崩壊」という誤った受け止め方(注:ソ連の崩壊は、社会的公正、すなわち人間の尊厳と民主主義、を実現するための経済的条件を作り出すことを目指す社会主義の理念の崩壊とは無縁なことであり、その正当性を損なうものではないことが正しく認識されませんでした)が広がる中で、あたかも後戻りはあり得ないものとして受けとめる雰囲気が強まりました(注:クリントン政権は、人権、民主主義と並べて、市場経済を普遍的価値と位置づけたほどです)。その結果、‘経済のグローバル化’という主張が大手を振ってまかり通り、‘自由化’‘規制緩和’が各国に押しつけられることになりました。

しかし私は、「‘経済のグローバル化’とは、国際経済関係における客観的かつ必然的な歴史的な趨勢(従って後戻りさせることができないもの)」としてとらえる見方は根本的に誤りである、と判断します。そうではなく、‘経済のグローバル化’の本質は、「市場原理によって世界を単一市場にすることに最大の利益を見いだすアメリカが進める国際経済政策」なのです。各国の国民経済が互いに相互依存を深めること(経済的相互依存)は歴史的な趨勢ですが、このことを‘経済のグローバル化’と混同してはなりません。‘経済のグローバル化’はアメリカが推し進める政策である以上、その是非を問い、間違っているのであれば、正さなければなりません。

経済活動は、人間の尊厳を高め、民主主義を実現するためにあるべきです。OECDのジョンストン事務局長は、「貿易及び投資の自由化は、社会及び個人が変化に適応し、経済統合によって提供される機会を利用するための手段である。それ自体が目的であるということはあり得ない」と明言しています(2001年10月6/7日付インタナショナル・ヘラルド・トリビュン)。この発言は、9.11事件(日本では「同時多発テロ」といわれる)が起こった根本的土壌として市場原理を押しつける国際経済体制がある、という反省を込めた提言として行われたものです。経済及び投資の自由化とは市場原理の支配のことですから、ジョンストンの発言は、市場原理の実現を目的とする考え方、つまり経済のグローバル化を追求するアメリカの政策を批判する意味を持っているのです。

市場原理は、歴史的に破産しています。19世紀の欧州諸国では、人間の尊厳を認めさせ、民主主義の実現を要求する人々の戦いが勝利する中で、市場原理が支配することによって生み出された深刻な社会問題への関心が高まりました。そして、社会的公正を実現すること、そのためには市場に対して有効な規制を加える必要があることが認識され、受け入れられていったのです。

市場原理が破産したのは、それが人間の尊厳と民主主義という普遍的価値と根本的に矛盾しているからです。市場原理が支配するところでは、物事を決定する上での基準となるのは利潤を生むかどうかだけです。

「ソ連の崩壊=社会主義の崩壊=資本主義の勝利=市場原理の勝利」という短絡的な見方が広がってしまったことは、市場原理が破産したという歴史的教訓が真剣には受けとめられてはいなかったことを示します。しかし今日では、市場原理が暴走するとどんなことになるかについては、国際的に認識が深まりつつあります。

世界銀行のウォルフェンソン総裁は、9.11事件の背景に世界的な貧困問題があることを繰り返し指摘しています。世界的な貧困は、‘経済のグローバル化’が進められる中で深刻化してきたという認識です。

アメリカで起こったいわゆるエンロン問題は、巨大企業に対する規制を廃止し、市場原理に任せることが如何に深刻な問題を引き起こすかを教えるものでした。多くの識者が指摘しているように、エンロン問題は氷山の一角であると受けとめられています。保守的な新聞であるワシントン・ポストの社説でさえ「企業の腐敗文化」と形容する、市場原理のアメリカ経済が行き着く先がエンロン問題に象徴的に示されていると、私は判断します。

ところが日本では、‘経済のグローバル化’‘規制緩和’はあいかわらず議論の前提とされる安易な風潮がいっこうに正される気配がありません。その安易な風潮を利用してアメリカの対日要求に応えようとするのが小泉政権の「構造改革」政策です。その要諦は、人間の尊厳をあざ笑うかのような弱者切り捨てであり、徹底した議論をつくすことを鼻であしらうかのような民主主義に対する敵対姿勢です。小泉政権の構造改革の本質は、アメリカが押し進める‘経済のグローバル化’政策を全面的に受け入れ、日本市場を国際規模の市場原理に委ねることなのです。

アメリカが進める‘経済のグローバル化’政策及び小泉政権が進める「構造改革」政策は、根本的に間違っています。それこそが、私たちがもつべき内外情勢の基本的判断だと思います。この基本認識を我がものにすることこそが、今何よりも求められているのです。この認識に立ってはじめて、私たちは内外情勢に対する説得力ある政策を提起し、そのことを通じて多くの国民に対して強力な働きかけを行うことができる、と確信します。

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