「9.11事件」:平和についての考え方

2001.12.20

ある集会に伺ったとき、3人の子供の母親と自己紹介された方から問題提起を受けました。全面的に私がその趣旨を受けとめたか自信がないですが、次の趣旨でした。

小6の子供は、「戦争はいけない」ということを直感的に分かっている。しかし現実には、アメリカによるアフガニスタンに対する戦争があり、日本政府はそのアメリカに協力する「戦争する国」に向かってまっしぐら、という状況がある。この状況をふまえてなおかつ、「戦争はいけないのだ」と子供が確信を持つことができるようになるためには、親として何ができるだろうか。

提起された問題は単純明快な回答などありようがない性質のものでした。問題提起をうかがったとき、私は「多くの日本人が抱いている問題意識を代弁されている」と感じました。私が考え、考えながら申し上げたことは、次のことについてお子さんと一緒に考えてほしいということでした。皆さんにも考えていただきたいと思います。

「戦争(=暴力)はいけない」と直感的に分かっているというけれども、本当に戦争(=暴力)について全面的に認識しているといえるか、ということ。たとえば、ヴェトナムを侵略したアメリカ、中国を侵略した日本は許されない。しかし抵抗戦争(=暴力)を行ったヴェトナム、中国も許されないか。もっと卑近なことでいえば、イジメは悪い。しかし、イジメを受けた子が耐えかねて反撃(=暴力)したとき、それも許されないか。また、闇夜で暴漢に襲われた女性が抵抗(=暴力)することも許されないか、等々。こういう反論にも説得力ある議論ができなければ、「戦争(=暴力)はいけない」という認識を我がものにしたとはいえない、と私は思うのです。

私は「力による平和」の考え方に立ちませんが、多くの日本人がその考え方を受け入れる現実があるとき、ただ「戦争はいけない」という確信だけでは、こういう考え方に対して説得力ある議論を行うことはできないと思うこと。換言すれば、「力による平和」の考え方では真の平和を実現できないという結論にしかならないことを、その考え方に即した(つまり「力による平和」の考え方に立つ人たちの思考経路にたった)論理によって明らかにすることができなければ、「戦争はいけない」という主張が万人に受け入れられることにはならないのです。

子供たちがそういうことを考えてなお、「戦争はいけない」と自信を持っていえる世の中にしたいと思います。

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