イスラエルの軍事行動
―ブッシュの「テロリズム」に対する「戦争」が生みだすもの―

2001.12.05

1.イスラエル政府の軍事行動とその主張

 

イスラエル政府は、12月3日に特別閣議を開催し、パレスチナ自治政府を「テロリズムを支持するもの」であり、「そういうものとして扱わなければならない」と決定しました。そして、(アラファト)議長の護衛隊である『フォース17』などの2組織を「テロリスト組織」と宣言しました。この閣議に先立ってシャロン首相は国民向けに演説を行い、「我々に対してテロ戦争という戦争が強制された」という認識を示したうえで、「アメリカが国際テロリズムに対してあらゆる力を使って戦争を行っているのと正に同じように、我々もまたそうする」と宣言しました。この演説の中でシャロン首相はさらに、「アラファトは、ここで起こるすべてのことについて責任がある。アラファトは、テロリズム戦略という戦略上の選択を行った」と断定し、「我々は、責任者、つまりテロリズムの実行者とその支持者を追跡する。我々は彼らを捕まえるまで追跡し、彼らは代償を支払う」と述べました。

 12月4日には、イスラエル空軍がピンポイント攻撃を行い、ガザにあったアラファト議長の2機のヘリコプターと議長のジェニン事務所を破壊しました。イスラエル紙によれば、この攻撃はアラファト個人を狙ったものではなく(イスラエル側は攻撃箇所にアラファトがいなかったことを承知していた)、「アラファトがテロリズムと戦うか、それともイスラエルがやむなくそうしなければならないのかについて、非常に明確なシグナルを(アラファトに)送ることを意図したもの」(イスラエル政府スポークスマン)だとされています。

2.問題を理解するための歴史的背景

イスラエルとパレスチナとの抗争は、長年にわたるいわゆる中東紛争のもっとも重要な問題の一つです。パレスチナの地にイスラエルが建国を強行した(1948年)ことに、住む地を追い出された人々(パレスチナ人)とイスラエルとの闘争の原因があります。イスラエル建国は、アメリカ以下の西側諸国が支持するもとで、アラブの反対を押し切って行われたのです。ここに、アラブの人々の不満、イスラエル及びその後ろにあるアメリカに対する敵意が生みだされた問題の本質があります。具体的には、イスラエルによる国家としての生存権の主張とパレスチナによる民族自決権の主張との真っ向からの衝突という形をとることになりました。

長い血みどろの闘いから双方が学び取ったのは、軍事的敵対によって問題は解決しないということでした。外交的努力もあって、1993年から98年にかけてはイスラエルがパレスチナに自治を認める動きが進みました。しかし双方の不信は根強く、とくに2000年9月に、当時野党リクードの党首だったシャロンがとった行動をきっかけにして起こった武力衝突以来、イスラエルの武力鎮圧に対してパレスチナ急進派が無差別殺人で報復するという悪循環に陥ってしまいました。そのシャロンが2001年2月に首相になってパレスチナに対する強硬姿勢を強めてから、事態は悪化の一途をたどってきたのです。

クリントン政権は、イスラエルとパレスチナとの対立を解決することに意欲を持ち、双方の仲介役として動きました。ところがアメリカ中心主義(ユニラテラリズム)の立場をあからさまにしたブッシュ政権は、この問題に対して関心を示さず、シャロン政権の強硬姿勢を事実上黙認してきました。しかし「9.11事件」が起こり、イスラム国家であるアフガニスタンに対する軍事行動に対するアラブ・イスラム諸国の支持取り付けの必要に迫られて、ようやく外交的な努力を行うことになったのです。ところが悪循環は止まるどころか、ますますエスカレートし、シャロン政権の12月3日の上記決定そして翌日の軍事行動となったわけです。

3.ブッシュ政権の「テロリズム」に対する「戦争」が生みだすもの

ブッシュは「9.11事件」について、単なるテロではなく戦争だ、と決めつけました。そして、事件の容疑者だけではなく、容疑者をかくまい、養うものも「テロリスト」だというおよそ許されてはならない断定をしたのです。ブッシュ政権は、そういう決めつけにたって、ビン・ラディンを「かくまった」タリバン政権を同罪とし、アフガニスタンに対する軍事行動を正当化したのです。犯罪と戦争を意識的に混同し、犯罪の範囲をアメリカが軍事行動をとることに都合のいいように拡大することによってのみ、アメリカの「正当化」は成り立っています。

このようなことはおよそ許されないということは、次のことを考えれば一目瞭然です。つまり、殺人犯をかくまい、養ったものも殺人犯だ、ということはありえないということです。ブッシュの「テロリズム」に関する定義(?)は、常識をはるかに越えた異常をきわめたものであることが分かるはずです。しかも、厳正に法に基づいて対処するのではなく、暴力で抹殺しようというのです。

ブッシュ政権がこういう行動をとったことは、これまで積み重ねられ、受け入れられてきた国際関係のルールを崩す深刻な危険をもっています。すでにいくつかの事例が出ています。インド政府は、カシミールの分離独立をめざす運動を「パキスタンに支持されるテロリストの活動」として、軍事弾圧する動きを強めています。スリランカ政府は、分離独立をめざすタミール人の闘いをやはり「テロリストの活動」として強調するようになっています。ネパールでも、フィリピンでも、同じような動きが現れています。ブッシュ政権の異常をきわめる主張と行動が、民族自決の主張との対立を話し合い・交渉で平和的に解決する道を閉ざし、これら諸国の政権によって武力弾圧で抹殺する「正当化」理由として利用される事態です。

そのことが行き着く恐ろしい帰結を示したのが、今回のイスラエル政府の決定であり、軍事行動だといわなければなりません。シャロン首相が言い放った「アメリカが国際テロリズムに対してあらゆる力を使って戦争を行っているのと正に同じように、我々もまたそうする」という言葉は、国際社会に対して、「アメリカがやっていることが許されるのであれば、イスラエルも当然許されなければならない」と挑発しているのと同じです。また、アラファトにテロリズムの責任があると決めつけたシャロンの発言は、ブッシュが「テロリストをかくまい、養うものはテロリストだ」というこじつけをふまえたものであることもまた、見やすいことでしょう。

重大なことは、ブッシュ政権のアメリカには、いまやそうしたシャロン政権の行動を抑えることもできなくなっているということです。それはそうです。アメリカがやっていることをそのままイスラエルがやるということなのですから。

正に「無理が通れば、道理が引っ込む」やくざの論理が国際関係を支配する動きを強めているのです。私たちは、身のまわりで暴力団がわが物顔にふるまうようになったらどうなるか、についてはよく分かっています。暴走族が身勝手なことをするとどんなに市民生活が脅かされるかについては、現実に多くの実例があります。

暴力団や暴走族にのさばらせないようにするためには、私たち市民が勇気を奮い起こして、敢然と立ち向かうことが必要です。国際社会についても同じです。今や国際的規模の暴力団とでもいうべきアメリカに、私たちが勇気をふるって立ち向かうことが求められています。アメリカの暴力がまかり通ることを私たちが許してしまうならば、これに見習う国が増えるようになることを抑えることもできなくなるのです。イスラエルの動きはすでにその危険が現実となっていることを明らかにしたものであることを、私たちは深刻に受けとめることが求められています。

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