理性を失ったアメリカの危険性

2001.12.01

犯罪を戦争とみなし(診断の誤り)、報復戦争で問題を解決することしか考えない(処方箋の致命的な誤り)アメリカのブッシュ政権は、ますます危険なことを考え、実行しようとするに至っています。それは喩えていうならば、頭に血が上って理性を失ったドライバー(ブッシュ)が、交通規則(国際法・ルール)を無視し、超大型トラック(アメリカ)を運転して好き勝手に道路を暴走しているということです。なんとかして1刻も早くドライバーを正気に戻さないと、大惨事が待ち受けています。アメリカはどんな好き勝手な暴走をしようとしているのでしょうか。その結果としての大惨事とはどういう事態でしょうか。私は本当に背筋が寒くなっています。慄然としています。

 アメリカが好き勝手なことを考えていることとしては、アル・カイダをやっつけるためには「いかなる手段でも使う」(ブッシュ)としていること、アル・カイダやタリバン政権の指導者については、その人権を認めず、非公開の軍事法廷で裁判にかけ、速やかに処分する(死刑を含む)としていることなどがあります。「いかなる手段」もという中には核兵器も含まれます。核兵器の使用は絶対に許してはならないことです。しかもアメリカが実戦で核兵器を使用するとなってしまったら、その後遺症ははかりしれません。また、憎悪のあまり、容疑者の人権など顧みなくても良いのだ、などとする考えが支配するアメリカ(米紙・ワシントンポストによる世論調査では、アメリカ国民の60%がブッシュ政権のこの方針を支持しているという結果が出ています)は、ほんとうに深刻な症状を呈しているといわざるを得ません。これが人権・民主主義という価値観を根底にすえる国なのか、という思いに襲われます。

理性を失ったアメリカの危険性は、対テロ戦争と称して、軍事行動をアフガニスタン以外にもひろげることを本気で考えていることが、ブッシュ自身の口から公言されることによって、さらに深まってきました。以下に述べることをふまえるとき、アメリカに従って動くことしか考えない小泉政治(保守政治)がいかに国を誤り、国際の平和と安全に背を向ける、私たちとして絶対に許してはならないものであるかが分かると思います。

11月26日にブッシュは、記者の質問に答え、つぎの発言を行いました。「テロリストをかくまうものはテロリストだ。テロリストを養うものはテロリストだ。世界をテロの恐怖にさらす大量破壊兵器を開発するものは、その責任をとらなければならない。」

この発言は、大量破壊兵器の開発者をテロリストと関連させた点で重大な意味を持つものです。大量破壊兵器とテロリストを関連づける発言は、ブッシュが議会に対して行った演説(9月20日)では含まれていませんでした。そしてブッシュはその関連で、イラクと北朝鮮の2カ国を名指しにしたのです。国務省の担当者は、この2カ国のほかに、イラン、シリア、リビア、スーダンをも要注意国としています(アル・カイダ殲滅作戦とのかかわりでは、ソマリア、イエメンの名もあげられています)。

この発言に関して、R.ケーガンという研究者がつぎのような分析を行っています。私は、この分析内容に同意します。ケーガンの分析はイラクだけを対象にしていますが、北朝鮮にもそのまま当てはまります。だからこそブッシュは、記者会見のさいに北朝鮮をも名指しにしたのです。

ケーガンは、①ブッシュ政権の安全保障担当のライス補佐官が、サダム・フセインについて、「大量破壊兵器をもつ決意をしているので、アメリカの脅威だ」としたこと(北朝鮮についても、そのまま当てはめる考えでしょう)、②ラムズフェルド国防長官は、アル・カイダと「イラクの連中」の間に「関連」があることは「疑いない」と言ったこと(北朝鮮とアル・カイダとの間に関係があるとは、さすがにアメリカもいっていませんが、北朝鮮を「テロリスト国家」とレッテルを貼っています)、③ブッシュは、アフガニスタンは「始まりにすぎない」と宣言し、アメリカとしては「テロリストがふたたびアメリカを攻撃しようとする」のを待つ必要はない、と述べたこと(この点でも北朝鮮を特別扱いするつもりはないでしょう)を紹介し、これはイラクに対する開戦理由(軍事行動をとる正当化理由)を確立する動きだと指摘します。ケーガンも指摘するように、イラク(及び北朝鮮など)が9月11日の事件と接点があるかどうかは関係なく、ブッシュ政権が軍事行動を考えているということが重要な点です。

北朝鮮について少し補足しておきます。記者会見におけるブッシュの発言を見る限り、ブッシュの当面の重点は明らかにイラクにおかれています。北朝鮮については、イラクに対するブッシュ政権の認識・政策を延長していけば、北朝鮮についても当然適用されるということで言及されたものでした。とはいえ、日本国内とくに保守政治層における北朝鮮認識をふまえるならば、ブッシュの発言が「北朝鮮脅威」論を高めることに利用される危険は十分にあります。防衛庁の中谷長官が、アメリカがイラクに対して軍事行動をとる場合に協力する姿勢をのぞかせていることを考えるならば、北朝鮮についてはさらに危険な方向を追求する可能性は大きいと見ておかなければならないでしょう。

本論に戻ります。ケーガンは以上のいくつかの発言に基づいて、ブッシュ政権がイラクに対して軍事行動をとる場合の理屈を次のように整理します。

①サダム・フセインは大量破壊兵器を作ろうとしている。

②ビン・ラディンのようなテロリストは、西側に対して使うべく、大量破壊兵器を手に入れようとしている。

③サダム・フセイン政権はテロリストと協力した歴史がある。したがって

④サダム政権はアメリカにとって直接の脅威である。だから

⑤アメリカは予防的行動(イラクが何もしないのに、アメリカから戦争を仕掛けること)をとる権利を持っている。

以上の理屈におけるくせものは、③から④への「したがって」と、④から⑤への「だから」にあることはすぐ分かるでしょう。協力した歴史がかりにあったとしても、「したがって、これからも協力する」ということにはなりません。ましてや、「脅威だから予防的行動をとることができる」などということが認められるはずはありません(イスラエルが過去において他の国に対する侵略を「予防的自衛」として正当化しようとしたケースはいくつかありますが、アメリカもおおやけに支持したことはありませんし、国際的には厳しく非難されました)。

どうしてブッシュ政権は、このように乱暴な理屈をひねり出そうとするのでしょうか。それは、結論先にありき、なのです。つまり、何がなんでもいいから、とにかくサダム・フセインをたたきつぶしたい、ということなのです(どうしてこれまでイラクを敵視するのかについて不思議に感じる向きもあると思いますが、この問題を正面からとりあげると長くなりますので、ここでは深く立ち入りません)。そのための理屈探しだ、といっても過言ではありません。

ケーガンも指摘するように、これまでの一般的な考え方は、たとえイラクが大量破壊兵器をもつとしても、それを使えば、アメリカによって破壊されることになるから、正気なサダム・フセインは使用を控える、というものでした。この考え方に従えば、アメリカがイラクに対して予防的行動をとることを正当化する理屈は出てきません。

ところがブッシュ政権は、9月11日の事件によって以上の議論の前提が変わったとするのです。つまり、正気であるイラクは、自分で手出しをするのではなく、テロリストに大量破壊兵器やそのノウハウを与える形をとるだろう。したがって、そうさせないためには予防的行動が必要になる、という主張です。

9月11日の事件にヒントを得て、イラクが大量破壊兵器をテロリストに使わせる考えをもつだろう、とするブッシュ政権は、まさに頭に血が上って、冷静な思考能力を失っていることをまざまざと示しています(アメリカがそう考えることが分かっただけで、イラクは、アメリカによって破壊されないために、そういう行動を慎むと考えるのが筋でしょう。だから、事件によっても、これまでの一般的な考え方は少しも説得力を失わないのです)。そのブッシュ政権は、すでに述べたように、自らは核兵器を使う可能性すら排除していないのです。自らがすることは正義、気にくわないものがすることは邪悪、というやくざの論理とどこが違うというのでしょうか(このアメリカの独善的な思考がじつは今回の事件に逆上した結果として出てきたものではなく、深い根があることについて理解するうえでは、11月28日付の朝日新聞にのったアリエル・ドーフマンという人の発言「米国はなぜ嫌われるのか」が非常に参考になることを付け加えます)。

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