〇私が皆さんにこの論文から学び取って欲しいこと:①佐久間象山という歴史的人物の歴史的出来事についての叙述(歴史的物語)として受け止めるのではなく、②過去(=現在より前の時点で起こったこと)に生きた佐久間という人物が、彼が生きた時代の中で、彼が直面した(彼にとっては優れて現代の)課題にどのように立ち向かい、取り組んだかを追体験することを通じて、③現在を未来に向かって生きようとしていく私たちが、現代に生きる私たちの問題意識を常に念頭に置きながら(彼なら、私たちの今直面している課題にどう立ち向かい、取り組むだろうか、ということを考えながら)、佐久間象山のケースを参考としつつ、今日の課題に取り組む姿勢、アプローチのあり方を学び取ること
(参考)
―実は過去に生きた人物だけが素材として有意であるとは限らない。今日的課題に立ち向かっているとあなた達が判断する人が、そういう課題に正面から立ち向かおうとしない自分と、何が原因で違いが生まれるのか、ということを考えることでもいい。
ただし丸山は、日本政治思想史を専門に研究した学者として、しかも「第2の開国」問題を日本人にとってどうしても正面から直視し、解決しなければならないという強い問題意識を一生抱き続けた1日本人として、佐久間象山という歴史上の人物の実践を私たちに追体験させることによって、「私たち(日本人)にはできっこない」という先入主を払拭することを意図したのだし、歴史上本当にそういう人物がいたことを確認することにより、私たちは「第3の開国」の課題に直面している私たち自身の可能性に確信を持つこともできるはずだ。
―もう一つ付け加えれば、過去を今日的問題意識から追体験するということは、なにも思想に限っていえることではなく、クラシック、絵画をはじめとした芸術が時代を超えた感動を私たちに与えるのはなぜか、という問題を考えるときにも、実は同じ問題に向かい合っていることに気づかないだろうか。
(1)丸山が問題あり、とする私たちによくありがちなアプローチ
(イ)「普遍的・超時代的思想」としての位置づけ
○佐久間象山が生きていた時代の具体的・客観的状況を捨象・無視して、①あらゆる人間にとっての永遠不変な課題に回答を与えようとしているとみなす観点、②人間誰もが当面する課題にどう対処し、答えようとしているかという観点から評価しようとする姿勢(cf.p.139)
(問題)
①は、時代の違いを無視して、佐久間象山をあらゆる問いかけに答える「スーパーマン」と見なしてしまう危険性を秘めている。そのことは、彼の出した答を絶対的なもの(批判の余地のないもの)として受け止める姿勢を生み出しかねず、現代に生きる私たちの創造性・想像力をしばってしまう可能性がある(一種の「権威信仰」)。
②は、「その思想家の問題意識=私たちの問題意識」と直結させてしまう危険性(cf.pp.139-40)。佐久間の肯定的側面も消極的側面も丸抱えで受け入れてしまう危険性がある(一種の「既成事実への屈服」)。
(ロ)「特殊的・歴史的思想」としての位置づけ
○佐久間象山が生きていた時代の歴史的条件をことさらに強調し、彼の思想が①その時代・社会に対してどういう意味を持ち、②どんな限界を持っていたかという観点からのみ評価しようとする姿勢(cf.p.139)
(問題)
①は、今日の私たちが「(その思想・思想家から)今日の問題意識に即して何を学ぶか」という観点が消えてしまう(「あの時代の条件の下ではすごかった。しかし…」という見方)。
②は、時代が違う以上「その思想家の問題意識≠私たちの問題意識」(「所詮彼は時代の子だった」という突き放してしまう見方)につながってしまう(p.140)。
いずれの場合も、今日までの思想的な蓄積、道徳的な基準、政治的な価値を当然の前提にして、せいぜい「あの時代としては偉かった」、裏返せば「今日から見たら限界があった(今日の問題を考える上では役に立たない・意味がない)」ということになってしまう(「普遍的意識の欠如」)(cf.p.141)。
(2)丸山が採用するアプローチ
(イ)「(思想家の生きた)歴史的状況を全く無視せずに、しかもその思想を今日の時代において生かすということ」(p.142)
○そういうアプローチを取ることで丸山が言いたいこと、いわば「心構え」として私たちにしっかりふまえておくことを求めているのは?
①「歴史的過去は、直接に現在化されるのではなくて、どこまでも過去を媒介として現在化される」(p.143)こと
(例)侵略戦争・植民地支配を犯した過去にどう向かい合うか?
―「私たちがやったのではないから、関係がない」という反応は、ある意味で、「過去は過去」と割り切り、従って「現在の私たちとの結びつき・つながりを否定する」ことに等しい。
―しかし、侵略戦争・植民地支配の残虐性を犯したことの根幹に、私たち日本人の「権威信仰」「権力の偏重」「既成事実への屈服」「ウチ・ソト意識」「普遍の意識の欠如」「歪んだ自由意識」が作用していたことを直視するのであれば、そういう過去を2度と繰り返してはならない、という意識・自覚を我がものとすることができるはず
②「思想家が当時の言葉と、当時の価値基準で語ったことを、彼が当面していた問題は何であったか、という観点から改めて捉えなおし、それを、当時の歴史的状況との関連において、今日の、あるいは明日の時代に読み替えることによって、我々は、その思想家の当面した問題を我々の問題として主体的に受け止めることができる」こと(pp.143-4)
(例)佐久間象山における「ナショナリズム」と呼ぶにふさわしい意識の形成(?2):「第1の開国」に際して、今日的用語で「ナショナリズム」と呼んで何ら違和感のない意識を我がものにした佐久間象山に対して、「第3の開国」を目の前にしている私たちは、「国家」「ナショナリズム」という概念を明確に承知していながら、しかし佐久間象山よりはるかに「国家」「ナショナリズム」について意識し、考えることが少ないのはなぜなのか? 「国家」「ナショナリズム」と無縁な今日の日本社会の状況をどう考えるべきなのか?
(ロ)マキャベリの場合:丸山が挙げている具体例(.pp.143-4)
〇マキャベリは、ローマ史における例えば以下の状況での様々な人間の政治行動を、上記(イ)①②の操作をすることで、彼の生きたルネッサンス期のイタリア都市国家における政治行動に生かした。
―「政治的リーダーシップのあり方という点に関心を持てば、小国が諸大国に囲まれて彼ら(大国)の野心を操縦しながら自分の国の保全と独立を図らなければならない(といういずれの時代・環境でも起こる)状況」
―「知識人(あるいは学生)が時代に愛想を尽かして社会的政治的関心を失い隠遁している(今日的には、無関心を決め込む)状況」
(ハ)2段階のステップの作業による歴史(歴史的思想)の理解・認識
〇丸山が暗示するところによれば、マキャベリ・象山(をはじめとする歴史上の偉大な思想家たち)は、2段階のステップをふまえた「頭の体操」によって、過去の歴史をそれぞれの時代の「現代」に生かし、それぞれの時代における「未来」への構想に生かした。
①「歴史的想像力を駆使した操作」(p.142):今日の視点・知識・言葉・価値基準を、扱おうとする過去に生きた思想家(及びその思想)に機械的に当てはめるのではなく、私たち自身がその思想家の生きていた時代、その思想家が生きていた状況・環境をなるべく誤りなく想像し、その中に自分自身を置いてみる。そうすれば、いま生きる私たちにとっては歴史的事実として承知していることも、その思想家にとっては「未知の混沌とした、様々な方向性が考えられる可能性の束」であったし、そういう可能性の束の中からどの可能性を選択すべきかを模索していたことが納得されるはず。これが丸山のいう、自分自身がその思想家であったとしたら、という「想像上の操作」をしてみるということ。つまり、今日的表現でいえば「過去の追体験」(p.142)。
(例)マキャベリにとってのローマ史?私たちにとっての象山の時代
*ただし、そこにだけ留まっているのであれば、その思想家の行動・思想が今日生きる私たちにとってどんな意味を持っているか、ということまで理解することにつながらない。そこで第2ステップ。
②「典型的な状況にまで抽象化する操作」(p.143):確かにその思想家の思想は彼が生きた時代・環境の制約の下での産物だけれども、その時代・環境の下だけのものとは言い切れない要素、つまり、今日という時代・環境にも通じる要素、さらにいえば、将来に向かっても人間の思想と行動に対して働きかけ続けることが考えられる要素、つまり「普遍性」を含んだ要素も含まれている可能性もある。それらの「普遍性」を含んだ要素を抜き出し、それらの要素との関わる部分について(マキャベリ、佐久間象山などの)思想部分を取り出せば(抽出・蒸留すれば)―丸山のいう「抽象化する」こと―、その部分は今日の私たちにとっても参考とする普遍的価値が含まれていることが分かるだろう。
(例)マキャベリは『君主論』にローマ史から学んだことをふんだんに反映させた?私たちは、象山から「第3の開国」に生かす「普遍性」「普遍的要素」を学び取ることができるか?
(1)象山における「ナショナリズム」とも名付けられる主張の現れ方
〇象山は、現代の国際社会に生きるもの(注:戦後の日本人はその点で極めて例外的存在―国際的常識からかけ離れた存在―であることは、いつもお話ししているとおり)にとっては常識的な「ナショナリズム」という概念を知らなかった。
〇しかし、欧州列強が「開国」を求めて押し寄せるようになった19世紀中頃(1842年の「海防八策」)、“外冦(=外敵)は国内の争乱(=内乱)と異なり、ことの次第によっては、皇室や徳川家だけの運命が危うくなるというだけでは済まず、この国自体の運命に関わることであるから、この国に生を受けたものは、貴賎を問わず、関心を持たずにはいられない”(注:pp.144-5の意訳)と言う彼の発言は、「外国勢力の圧力に対して国家の独立を保持する」という「紛れもなくナショナリズムの論理」を「当時の言葉と当時の価値基準」で言い表そうとしたもの。つまり、「国家の対外的独立ということは、一部識者あるいは一部支配層の問題ではないのだ、それは身分の上下を越えて国民全体の関心事なのだ」(p.145)と主張していることを理解する必要がある。
(2)象山のナショナリズムの主張の今日的意義(と限界)
(イ)意義
〇「世界と日本についての認識を国民化すること」(pp.147-8)。「観察とか実験とかいう科学的認識の面を養い(注:それは象山の時代の日本に決定的に欠けていたものだった)、そういう目で日本と世界を見ること、しかも…広く国民がそういう科学的な認識の眼を持つこと、これなしには日本の独立と発展はない」(p.148)という考え方・論理の進め方に、「象山の時代をぬきんでた大きな特色」(同)があった。
*「科学的な認識」「合理的な思考」という面での象山の功績・限界については、3.で改めて扱う。
○私流の表現を使えば、「第一の開国」「第二の開国」を経た日本国民のどれだけの人々が、象山のこの考え方・論理を我がものとしていると言えるか。言葉を換えれば、「第三の開国」を迎えつつある私たちは、象山の時代よりはるかに見やすい形で「外冦」が押し寄せてきていることを見ている。その私たちは、国際社会の本質・働き方(国家、BOP、外交、戦争、国際法等の制度の働き)、象山の知る由もなかった人権、民主、相互依存などについても知りうる立場にある。
○つまり、「天動説」の日本人を「地動説」の日本人に変えられないはずがないこと、欧米起源の概念は所詮理解できっこないというあきらめも通らないことは、「ナショナリズム」という概念自体を知らなかった象山が、その概念・言葉は知らなくても、その概念の本質的要素を伝統的な日本社会の中に生きてきながら、我がものにした実例によって生きた証明を得ている。
○日本の今日的課題に即していえば、「人権」(人間は人間として生まれたことにおいて互いに等しい価値を持ち、従ってそういうものとして扱われるべきである)、「民主」(人間同士に上下関係がないことを原則として認めるものである限り、ある者が他の者の上に立って支配することは許されることではなく、「一身独立して、国家も独立する」という福沢的表現に表される考え方)は「しょせん外国産のもので、日本の土壌にはなじまない」と考え、諦めることも「逃げ」にしかすぎないことが分かるはず。
(ロ)象山のナショナリズムの限界と制約
○丸山も指摘するとおり、身分的・階級的壁があるようでは国民が「国家の対外的独立の問題を自分自身の任務として考えることが困難になる」(p.146)という段階まで認識を進めた象山の弟子でもあった松陰(注:象山には、身分的・階級的壁という問題まで問題意識が発展しなかった)、「国家」というものは「自由独立の気風」(同)の確立で初めて全国民的なものとなるとした福沢(「自由独立の気風」は、象山はもちろん、松陰でもまだ思いが及ばなかった)に比べれば、象山のナショナリズムの思想に限界があることは、正確に掴む必要がある。
○しかし、だからといって、(イ)に述べた象山の思想的功績(今日の私たちでもなお我がものにしきれていない思想的内容)をすべて消し去ることが正しい物事の理解でないことは、1.から理解できるはずだ。
(1)象山の合理主義的思考・科学的認識重視の姿勢の出発点
○象山は、「世界を観察し、世界を認識する」(p.152)ことを説いてやまなかったが、その観察・認識の際の象山の「めがね」「物差し」(丸山の言う「概念装置」「価値尺度」「ものを認識し評価するときの知的道具」(p.153))は、西洋的な合理主義的思考・科学的認識だった。しかし丸山が明らかにしていることで私たちにとって重要な事実は、「ナショナリズム」と名付けられている概念を独自に思想化したのとは違い、「アヘン戦争の経過と結末が彼にもたらした衝撃」(p.153)という外からのショックをきっかけとした伝統的思想を駆使した苦悩の産物だったということ。
○すなわち、象山は元来儒学(宋学)者であり、本家本元の中国に敬意を持っていた。その中国が英国によって簡単に敗れたという「常識では考えられないこと」(同)にショックを受け、「我々の常識的な世界像そのものを検討しなければ(この常識では考えられないという)問題は解決できない…、しかもことはまさしく日本の独立に関わる」と考えを進めたのだ。先の表現を繰り返せば、これまでの象山の世界を見る「物差し」「めがね」「天動説」の正しさを根本から問い直し、欧州が中国に勝利を収めた真の原因として、「知識が関わるだけでは済まない問題」(追々述べるように、それが合理的思考・科学的認識であることを、象山は理解していく)があるに違いない、ということを「いち早く洞察した」(p.155)ところに象山の他をぬきんでた思想家としての素晴らしさがあった。
○前に紹介したように、日本の政治土壌の一つの特徴は、「我々は日常的に我々の属している集団と自分を心理的に同一化」(p.155)することにあるが、幕末の儒教的教養を身につけた象山という「おのれ」にとっては、中国(東洋)は当然のように同一化されていた。それが、アヘン戦争によって粉々にうち砕かれた。しかし象山は、月並みの儒学者ではなかった。象山にとって最も重要なことは「何が真理か」という基準のみであり、「問題は漢土の学か洋学か」ではなく、「漢学の中の何が真理か」「洋学の中の何が真理か」だけだった(p.159)。
○こういう発想に立つ象山からすれば、偏狭な儒学者の「攘夷説」などは取るに足りないものと映るし、ましてや中身のない国学者の主張に煩わされることははじめからなかった。こうして象山は、「個人にしても国家にしても、本当に自立的な確信に立つならば、未知なるもの、異質的なるものを恐れ遠ざけずに、かえってこれと積極的に接触することによって、栄養はくまなく吸収し、毒素は胎内の抵抗素に転化しうるはずだ」(p.159)となるし、「天地鬼神も動かし得ない宇宙の真理への帰依」(p.161)が「我が道を行く自信を支えていた」(同)。
(2)象山が合理的思考・科学的認識を我がものにしたことの持つ意義
○今日の私たちが以上の象山の成し遂げた「物差し」「めがね」の根本的・質的転換から学ぶべき最も重要なポイントは、私が紹介した「日本人の精神構造・土壌」なるものは、確かに私たちの思考を強烈に縛り付ける作用を今日でもなお及ぼしてはいるが、しかし決して「逃れられるすべのない縛り」だと受け止める必要はないことを、象山が身を以て示していることを正確に読みとることだ。
○次に象山から私たちが学ぶべき今ひとつの点は、象山が「宇宙の真理」の存在を信じていたということだ。「宇宙の真理への帰依」、つまり「真理」という考え方は、私自身も講義の中で繰り返しいったことではあるし、確かに現代日本(というより神道を中心とする日本の伝統社会)においても「はやらない」ことは丸山自身が繰り返し指摘していることでもある。
○しかし、象山の場合、「朱子学における『格物窮理(致知)』(事物の道理を極めて、天賦の明知を窮め尽くす。また、自分の意志を発動する事事物物を正しくして、天賦の良心を極め明らかにする)という考え方を、彼の時代状況の中で考え得る限り最大限に読み替えて、それを新しい状況の中に生かそうとした」(p.164)こと、つまり「どこまでも朱子学の精神に随って、それを媒介として欧州自然科学を勉強していく、まさにその過程が朱子学を含めた漢学の枠を突き破っていく過程だった」(p.165)ことを忘れるわけにはいかない(丸山の言う「伝統的な範疇や概念装置の読み替えによって逆に通念化した伝統の枠を越える行き方」(p.167))。
○この象山の姿勢は、「真理へのコミット」(p.173)というあくまで主体的な選択であり、すでにある伝統へのズルズルべったりではない点で、また、西洋的なものの安易な受け入れ(いわゆる「西洋かぶれ」)とも違う点で、今日に生きる私たちに大きな希望を与えるのではないだろうか。象山という実在の日本人思想家において、「真理」という普遍は確実に意識されていたという事実は、「普遍の欠如」という日本人の精神土壌が決して難攻不落のものではない可能性を示しているからだ。
(1)実践家としての象山
○象山は単に政治思想家だけであったわけではなく、彼自身が「不断に対象に働きかける強烈な能動的=自主的な主体」(p.160)であろうとして行動した。象山は、伝統的なカテゴリーを活用しつつ、国際政治・外交において、「名を正す(注:物の名と実とを一致させること)という伝統的なカテゴリーを…急転した国際状況の中であくまで生かしながら(注:欧米列強の二重基準外交を批判するのに用いる)、実質的に近代国家の外交原則と同じ」自主対等外交を主張した(p.168)。
(例)対ハリス日米通商条約締結交渉に際しての象山の主張(pp.169-71)
(2)象山における政治的リアリズム
○象山の政治的思考方法において、今日でも参考にする価値があることの一つは、「政治的な状況を好悪を離れて冷徹に認識し、またその中に含まれた矛盾した発展方向をつかまえる眼」(p.174)である。象山のリアリズム的思考の一端については、pp.175-6を参照。
○重要なポイントは、①「利益によって行動し、打算によって行動している限りは、ただ日本を恨んでいるから、日本を憎い国だから、といってやっつけにくるというものではない。しかし、まさに利益によって行動しているからこそ、日本に対して何ら恨みつらみはなくても、場合によっては日本に対して軍事力を行使するかも知れない」(p.176)ということ、つまり②「国家理性に基づく打算というものが近代外交の基礎だ。…利害の打算が行動の基準である」から、「同じ根拠から正反対の行動が生まれる可能性がある」(同)ということ、もっといえば、③象山が、「ナショナリズム」における場合と同じように、「国家理性」という概念の本質を的確に理解しているということだ。これはまた、④現実を「可能性の束」として捉える眼を象山がしっかりと我がものにしていることをも示している。⑤同じような政治的リアリズムの確かな眼を示す象山のすごいところは、「権力政治というものが決して物理的な力関係だけで左右されず、かえってそこでは…政治的知性が大きな役割を果たすことを洞察していた」(同)ことにある。象山は、国力というものを「軍事・経済・政治・民情といった総合的な力」(p.181)として捉えており、軍事力のみに頼る国家の末路を的確に予言すらしていた(同頁の引用部分参照)点にも知ることができる。
(1)政治思想史上に占める位置
○以上のように象山の思考方法を積極的に紹介してきたが、私たちは手放しで安心するわけにはいかない。なぜならば、確かに象山という政治思想家は実在したけれども、「象山の思考方法というのは、日本人の伝統的な考えからするとどうもなじみが薄いのではないか」(p.181)という厳しい歴史的事実を無視することはできないからだ。
(2)「第3の開国」を考える上での象山の位置づけ(pp.186-90)
〇「古の聖人が今の世に生まれたならばどう考えるか、あるいは17世紀の状況の中で取られた鎖国政策を、19世紀の世界と日本の状況の中で翻訳すればどうなるか―(象山は)いつもこういうように考えを進めていった。そこに彼の思考において着実政と弾力性とが結びついていた秘密がある。とすれば、私どもが今日象山から学ぶとすれば、やはリアの時点において象山が当面した問題に対する対処の仕方、ものの考え方というものを、今日の状況に読み替えたらどうなるか、というふうに考えてみることが大事ではないか」
〇「現代というのは、ちょうどあの幕末の時と同じように、我々の世界というものが…全く新しい問題に直面しております。と同時に、他方では、…(多くの途上地域が)にわかに世界史のドラマの新興に重大な役を演じ始めた時代であります。にもかかわらず、我々が世界を見る範疇、国家とか国際関係とかを見る範疇というものは、旧態依然としております。…」
〇「古い思考様式、世界を見るために古くから使い慣れてきた我々のめがねは、それ以外にはものを見る見方がないと思われるほど、我々の肉体の一部の中に深く食い込んでいる。今述べました世界各国共通に当面している問題だけでなく、その上に日本はまた日本なりの由来を負っています。『開国』という欧米諸国になかった特殊の問題に直面し、しかもそれが歴史的には世界への開国よりも、『欧米』への開国たらざるを得なかったという事情は、我々日本人のめがねをそれなりに規定せずにはおきませんでした。…我々の頭の中にある世界地図というものが本当に今日の状況にあっているかどうか。」
〇「口では同じアジアの仲間などといいますが、我々の世界像というものは、明治の時にできた欧米中心の世界像というものから、本当にどれほど解放されているか」
〇「近代日本がいわゆる欧米文明から汲々として学んだものが、…欧州文明に内在する普遍的な価値であるならば、結構の至りです。けれども(真似事にすぎないとしたら)地下の象山は果たしてなんというでしょうか。ちょうど象山があの時点において、世界を見る目を変えていかなければいけない、儒学者や国学者の認識用具をズルズルべったりに使って世界を見ていたのではだめなのだ、といったその問題というものを、我々は現在もう一度考えてみる必要があるのではないか」
〇「世界像をめぐる根本的な問題というものを、既成のめがねを外して我々はもう一度再検討する時期に今さしかかっているのではないでしょうか」