*「『現実』主義の陥穽」(1952年)
〇「講和論議の際も今度の再軍備問題のときも平和問題談話会のような考え方に対していちばん頻繁に向けられる非難は、“現実的でない”という言葉です。私はどうしてもこの際、私達日本人が通常に現実とか非現実とかいう場合の“現実”というのはどういう構造をもっているかということをよくつきとめて置く必要があると思うのです(1)。私の考えではそこにはほぼ三つの特徴が指摘出来るのではないかと思います。」
(1)丸山は、どうして「“現実”というのはどういう構造を持っているか」を突き止めておく必要があると感じたか?
「可能性を束として見る」という意味での“現実”のではなく、「目の前にあることをそのまま受け入れる」ことを“現実”として受け止める日本人特有の「現実観」は、非常にしばしば「既成事実への屈服」という結果をもたらすことで、日本社会の進歩を阻む働きを担っているという実感。
前期に扱ったように、そして今再び大規模に繰り広げられているように、丸山が指摘する日本人の“現実”観にはほとんど変化らしい変化の痕も見られない。丸山の指摘する3つのポイントに即して、「既成事実への屈服」が常時再生産される原因を突き止めたい。
〇「第一には、現実の所与性ということです。
現実とは本来一面において与えられたものであると同時に、他面で日々造られて行くものなのですが、普通“現実”というときはもっぱら前の契機だけが前面に出て現実のプラスティックな面は無視されます。いいかえれば現実とはこの国では端的に既成事実と等置されます。現実的たれということは、既成事実に屈服せよということにほかなりません。現実が所与性と過去性においてだけ捉えられるとき、それは容易に諦観に転化します。“現実だから仕方がない”というふうに、現実はいつも、“仕方のない”過去なのです。
私はかってこうした思考様式がいかに広く戦前戦時の指導者層に喰入り、それがいよいよ日本の“現実”をのっぴきならない泥沼に追い込んだかを分析したことがありますが(「軍国主義者の精神形態」)、他方においてファシズムに対する抵抗力を内側から崩していったのもまさにこうした“現実”観ではなかったでしょうか。“国体”という現実、軍部という現実、統帥権という現実、満州国という現実、国際連盟脱退という現実、日華事変という現実、日独伊軍事同盟という現実、大政翼賛会という現実ーーそうして最後には太平洋戦争という現実、それらが一つ一つ動きのとれない所与性として私達の観念にのしかかり、私達の自由なイマジネーションと行動を圧殺していったのはついこの間のことです。いな、そういえば戦後の民主化自体が“敗戦の現実”の上にのみやむなく肯定されたにすぎません。戦後まもなく『ニューズウィーク』に、日本人にとって民主主義とは“It can't be helped”democracyだという皮肉な記事が載っていたことを覚えています。“仕方なしデモクラシー”なればこそ、その仕方なくさせている圧力が減れば、いわば“自動”的に逆コースに向かうのでしょう。そうして仕方なし戦争放棄から今度は仕方なし再軍備へーーああ一体どこまで行ったら既成事実への屈服という私達の無窮動は終止符に来るのでしょうか。」
〇「日本人の“現実”観を構成する第二の特徴は現実の一次元性とでもいいましょうか。いうまでもなく社会的現実はきわめて錯綜し矛盾したさまざまの動向によって立体的に構成されていますが、そうした現実の多元的構造はいわゆる“現実を直視せよ”とか“現実的地盤に立てとかいって叱咤する場合にはたいてい簡単に無視されて、現実の一つの側面だけが強調されるのです。
再び前の例に戻れば、当時、自由主義や民主主義を唱え、英米との協調を説き、労働組合の産報化に反対し、反戦運動を起こす、等々の動向は一様に“非現実的”の烙印を押され、ついで反国家的と断ぜられました。いいかえればファッショ化に沿う方向だけが“現実的”と見られ、いやしくもそれに逆らう方向は非現実的と考えられたわけです。
しかしいうまでもなく当時の世界はいたるところにおいてファッショ化の方向と民主主義の動向とが相抗争していました。それは枢軸国対民主主義国といった国際関係についてだけでなく、各々の国内においても程度の差こそあれ、そうした矛盾した動向があったわけです。ファッショ化への動きだけが“現実”で、然らざるものは“非現実”という根拠はもないのであって、もしそうでなければ一九四五年の世界史的転換も、ある天気晴朗なる日に忽然“枢軸”的現実が消え去って“民主主義”的現実がポッカリ浮かび出たというふうな奇妙な説明に陥らざるをえません。…
戦後にしても、中共の勝利やマッカーサーの罷免など、いずれも私達日本国民にとっては寝耳に水だったわけですが、実はそうした事件に導く“現実”は前々から徐々に形成されていたのであって、ただ日本の新聞やラジオが故意か怠慢かでそれを十分に報道しなかっただけのことです。戦後、米ソの対立が日を追うて激化してきたことは、むろん子供にも分かる“現実”にちがいありませんが、同時に他の諸国はもとより米ソの責任ある当局者が何とかして破局を回避しようとさまざまな努力をしているのも“現実”ですし、更に世界の到るところで反戦平和の運動がーーその中にさまざまの動向を含みながらーーますます高まってきていることも否定できない“現実”ではありませんか。“現実的たれ”というのはこうした矛盾錯雑した現実のどれを指していうのでしょうか。
実はそういうとき、ひとはすでに現実のうちのある面を望ましいと考え、他の面を望ましくないと考える価値判断に立って“現実”の一面を選択しているのです。講和問題にしろ、再軍備問題にしろ、それは決して現実論と非現実論の争いではなく、実はそうした選択をめぐる争いにほかなりません。それにも拘わらず、片面講和論や向米一遍倒論や(公式非公式含めての)再軍備論の側からだけしきりに“現実論”が放送され、世間の人も、またうっかりすると反対論者までつりこまれて、“現実はその通りだが理想はあくまで云々”などと同じ考え方に退却してしまうのはどういうわけでしょうか。」
〇「そう考えてくると自ずから我が国民の“現実”観を形成する第三の契機に行き当たらざるをえません。すなわち、その時々の支配権力が選択する方向が、すぐれて“現実的”と考えられ、これに対する反対派の選択する方向は容易に“観念的”“非現実的”というレッテルを貼られがちだということです。
さきに挙げた戦前戦後の例をまた繰り返すまでもなくこのことは明らかでしょう。われわれの間に根強く巣くっている事大主義と権威主義がここに遺憾なく露呈されています。むろんこうした考え方も第二の場合と同様、それを成り立たせる実質的な地盤があるわけで、権力に対する民衆のコントロールの程度が弱ければ当然、権力者はその望む方向にーー少なくもある時点まではーーどんどん国家を引っ張って行けるので、実際問題としても支配者の選択が他の動向を圧倒して唯一の“現実”にまで自らを高めうる可能性が大きいといわねばなりません。古典的な民主政治の変質は世界的に政治権力に対する民衆の統制力を弱化する傾向を示しているので、上のような考え方もそれだけ普遍的となっているともいえますが、何といっても昔から長いものに巻かれてきた私達の国のような場合には、特に支配層的現実即ち現実一般と見なされやすい素地が多いといえましょう。この点も私達の判断をできるだけ綜合的にするために忘れてはならないことと思います。」
〇「だからといって私達はそれ(浅井注:「上からの動向」)を“現実”のすべてと勘違いすると何時の日か手ひどく現実自体によって復讐されるでしょう。民衆の間の動向は権力者の側ほど組織化されていず、また必ずしもマス・コミュニケーションの軌道に乗りませんから、いつでも表面的にはそれほど派手に見えませんが、少し長い目で見れば、むしろ現実を動かしている最終の力がそこにあることは歴史の常識です。ここでも問題は“太く短い”現実と“細く長い”現実といずれを相対的に重視するかという選択に帰着するわけです。」
〇「私達の言論界に横行している“現実”観も、ちょっと吟味して見ればこのようにきわめて特殊の意味と色彩をもったものであることが分かります。こうした現実観の構造が無批判的に維持されている限り、それは過去においてと同じく将来においても私達国民の自発的な思考と行動の前に立ちふさがり、それを押しつぶす契機としてしか作用しないでしょう。」
〇「私達は観念論という非難にたじろがず、なによりもこうした特殊の“現実”観に真っ向から挑戦しようではありませんか。そうして既成事実へのこれ以上の屈服を拒絶しようではありませんか。そうした“拒絶”がたとえ一つ一つはどんなにささやかでも、それだけ私達の選択する現実をヨリ推進し、ヨリ有力にするのです。これを信じない者は人間の歴史を信じない者です。」