秋葉市政評価の視点
-「木を見て森を見ず」と「森を見て木を見ず」-

2011.02.20

*2月16日に、県被団協の金子一士理事長と原爆症集団認定訴訟で事務局長として中心的役割を果たされた渡辺力人先生が、私の広島での6年間をねぎらいたいとして、わざわざ夕食会を催してくださいました。私は、外務省を辞めるときもそうでしたが、日本大学、明治学院大学を辞めるときも、皆さんに賑やかに送り出してもらったことがなく、したがって広島を去るに当たっても、私のために送別会をしてやろうというお声かけをしていただいても、そのお気持ちだけをありがたくちょうだいして、実際にそういう催しをすることについてはお断りしています。しかし、広島に来てからまもなく知り合った加藤さんとは、美味しいラーメン屋に連れて行ってもらったりして、奥さんとも親しくしていただいたこともあって、彼の自宅で送別会をやりたいと言われたときには素直にお気持ちをいただいて、12日にご自宅に伺ったのでした。金子先生と渡辺先生の場合も、お世話になったのはこちらの方で、本来ならば私がお二人にお礼の意味で一席を設けるべきなのですが、お二人のお気持ちは素直にとてもありがたく、また、私の6年の広島での仕事ぶりを評価してくださった上でのことということは本当に光栄なことと感謝の気持ちでいっぱいになりましたので、お言葉に甘えてご招待をお受けしたのでした。宴席では、釣りがお好きなお二人の釣果に関するお話しなどもおもしろく聞かせていただいたのですが、やはり何といっても、広島のありように関するお二人の問題意識に充ち満ちたお話しに引き込まれたのでした。お二人の広島の現状に対する問題意識は厳しいもので、私としても同感する部分が多かったのですが、渡辺先生が冗談めかしに、「あんたはええのう。広島を去ったらケ・セラ・セラじゃもんのう」と言われたときには、思わず、「私も障害のある孫娘のことを考えないのであれば、磨けば光る「原石」がごろごろしている広島にずっと居たい気持ちなんです」と反応していました。  それはともかく、会話の中で渡辺先生が12年間の秋葉市政の評価を行うについて、「木を見て森を見ず」もいけんが、「森を見て木を見ず」もいけん、ということを言われたことがとても印象深く、「木を見て森を見ず」の立場で秋葉市政を高く評価する傾向に対して厳しい批判をしてきた私としては、深く考えさせられることがありましたので、ここで記しておきたいと思います(2月19日記)。

 渡辺先生は、原爆症集団認定訴訟に関する判決に対して秋葉市長が控訴しないことを決断したことを筆頭に、総じて被爆者援護に関する秋葉市政を高く評価する立場から、共産党の市議団の人達に対して、秋葉市政に対しては「被爆者援護に対する秋葉市政という木の部分もしっかり見て、秋葉市政に対する評価は注意深くせにゃならん」と戒めておられるのだそうです。そのことを、「木を見て森を見ず」だけでもいけんが、「森を見て木を見ず」でもいけん、という言葉で言い表しておられたのでした。
 私は、渡辺先生の言葉によって自分自身の秋葉市政に対する評価について改めて思い返す気持ちにさせられました。なんといっても、第二次世界大戦敗戦直後から広島で党活動に専念されてきたいわば筋金入りの渡辺先生ですから、私のようなヤワな人間とはわけが違います。しかも渡辺先生は、自らは被爆者でないことを深く自覚しながら、献身的に被爆者の身の上について相談に乗ってこられた十数年の体験に基づいて発言されているのですから、私としても軽はずみな発言はできるはずはありませんでした。
 しかし、結局私は渡辺先生に向かって次のように発言しました。
確かに秋葉市政でなかったら、被爆者援護問題にしろ、広島市内の平和教育にしろ、とても今のような状態ではなく、もっともっとひどい事態になっていたであろうことは私も認める。平和教育といっても、秋葉市長がいるから市教委が県教委にすり寄る幅を制限し、そのことが平和教育に理解がある校長がいる学校では、志のある教師たちが総合教育で平和教育を行うことを可能にしている程度のもので、実は決して褒められる状況からはほど遠い、大変な危機的状況にあるのだが、しかし、秋葉さんがいなかったならばもっとひどい状況になっていたであろうことはまちがいないと思う。したがって、そういう点をまったく評価しないというのは確かに間違っていると思うし、そういう点を無視していた私の厳しい秋葉市政評価には問題があったことも認める。
しかし、そのことを認めた上でなお、私はやはり秋葉氏が日本政府の矛盾を極める核政策に正面から異議を唱えず、広島・長崎に対する原爆投下について非を認めず、将来的に核兵器を使用する可能性を排除しない核政策をとっているオバマ大統領を全面肯定するに等しい「オバマジョリティ」をあくまで守ろうとするところが秋葉市政の最重要部分であり、この根幹である森の部分を、被爆者行政や平和教育に関する評価すべき部分の存在によって覆い隠すのはやはり重大な問題があると思う。そして、2020年の核兵器廃絶というような、何らの具体的ステップの裏付けもないアイデアを振り回して「2020」を一人歩きさせ、あまつさえその「2020」に引っかけてオリンピック開催まで言い出すというその市政に対しては極めて厳しい評価を下すことが、これからの広島を良い方向に持っていくためにも必要なのではないか。
私の以上の生意気な発言に対して、渡辺先生はそれ以上は何も述べられませんでした。それは、私の言ったことを認めたからではなく、私を送別する席だから、という配慮からであることは、私にも明らかでした。