広島と「核の傘」

2010.05.22

*5月にニューヨークで開かれているNPT再検討会議に出席した広島市長が帰国し、5月12日に記者会見をしました。その席上で記者から日本政府がアメリカの「核の傘」に入る政策をとっていることについての見解を問われた広島市長は、明確な反対の意思表示をしませんでした。私は、このニュースをテレビで見ていて真底愕然としました。ニュースでも紹介していたように、1997年の平和宣言では、日本がアメリカの核の傘から出る決然とした態度を取ることを求めていました。私は、それこそが広島の採るべき立場だと確信します。「ノーモア・ヒロシマ」「ノーモア・ヒバクシャ」の広島は、日本政府の二重基準の核政策に真っ向から異議申し立てを行う広島でなければならないはずです。私は、そのニュースの内容が文字になっていましたので、記録のためにここで再録しておきます(5月22日記)。

 NPT(核拡散防止条約)の再検討会議に合わせ、アメリカのニューヨークを訪れた広島市の秋葉市長が12日、帰国報告をしました。このなかで報道陣から 日本政府がアメリカの核の傘に頼ることの是非を問われたのに対し、言及を避けました。被爆地広島では過去に市長や被爆者団体が核の傘を批判してきた経緯があります。
 「核兵器廃絶のための国際的機運の醸成を図るという上ではかなりの成果があったんではないかと思います」(広島市 秋葉忠利市長)
 NPT再検討会議での自らの活動の成果を強調した秋葉市長―。それぞれの国が核兵器を持つことで平和が保たれるという核抑止論の考え方をこう批判しました。
 「子どもの火遊びを防止するために家の地下室にガソリンを満たしておく親というような例えを使って、核抑止論ってのはそれだけ危険なものだと―」(秋葉市長)
 しかし―。
 ― アメリカの核抑止力、核の傘に頼る日本政府の姿勢はどのようにごらんになりますか?
「先ほどガソリンをまいてって言ったのは核抑止っていうのはこういうもんですよっていうことを申し上げたんで一つ一つの国について何が当てはまるっていうことを申し上げたわけではありません」(秋葉市長)
 日本がアメリカの核の傘を頼ることの是非について秋葉市長は言及を避けました。
 「力を合わせれば、2020年までにすべての核兵器を廃絶できる。絶対にできる」(秋葉市長 ニューヨーク7日)
 秋葉市長も出席したNPT再検討会議のNGOセッション―。海外の出席者からは核廃絶を訴えながらアメリカの核の傘に頼る日本の二面性を批判する声が聞かれました。
 「広島・長崎への原爆投下と、被爆者はじめ市民社会の強い圧力は、日本政府を核軍縮へ向かわせた。同時に、日本はアメリカの核同盟の一部でもある」(イギリスの核問題研究者)
 「やっぱり日本政府の政策はおかしいと、世界でもおかしく見られてるということを声を高くして、そしてそこを批判してですね、日本の核政策を変えていくような力を作っていく必要があると思いますね」(広島市立大学広島平和研究所 田中利幸教授)
 「核の傘より平和の傘を!」と訴える被爆者たち―。アメリカの核の傘への批判は被爆地広島で戦後、一貫して存在しました。
 1997年には、当時の平岡市長が平和宣言で核の傘から脱け出すよう政府に訴えています。
 「広島は日本政府に対して核の傘に頼らない安全保障体制構築への努力を要求する」(広島市 平岡敬市長〔当時〕1997年)
 ― すみません、唯一の被爆国として核廃絶の先頭に立つと言っている日本政府がアメリカの核抑止力に頼ることを市長は支持されますか?
 「いや、ですから、そういう個別なことではなくて、核兵器を廃絶するということが大目標です。それで鳩山総理は国連に出席して、日本政府としては核兵器廃絶の先頭に立つということを明言されてるわけですから」(広島市 秋葉忠利市長)
 秋葉市長は核の傘の是非について再び言及を避け、鳩山総理を擁護しました。反核・平和運動に取り組む広島市の基本姿勢に関わる問題であるだけに、今後、 論議を呼びそうです。(5/12 19:29)