平岡敬・前広島市長との対談

2010.01.09

*1月6日付の朝日新聞(広島版)に、年末(12月30日)に広島前市長の平岡敬氏と行った対談が掲載されました。広島の思想的現状に危機感を持つ平岡氏の考えに、私は非常に共鳴するものを感じています。対談は二時間半にも及び、私は多くのことを平岡氏から学んだのですが、紙面の都合で以下の簡単な内容しか紹介されなかったのは残念といえば残念でした。しかし、被爆65年という一つの「節目」の年、また、私自身にとっても広島での仕事生活が最終年度を迎える区切りの年の冒頭に、この対談の内容を「広島」のコラムで紹介できるのは素直に嬉しいことです(1月9日記)。

――広島の訴えが世界に届いていないと言われます。
平岡 広島に「平和思想」があるのか疑問だ。思想は、批判を受けることで鍛えられるものだが、広島には「体験絶対主義」があって、異論を差し挟むのがためらわれる空気がある。
 「(広島に)自己絶対化、独善性がひそんでいた」。1995年に米スミソニアン博物館での原爆展が中止になった時、故・松元寛(まつ・もと・ひろし)広島大名誉教授が著書に書いた。戦争責任の問題は棚上げしたまま、広島がただ被害者として平和を訴えたことが米国人の反発を招いたとの指摘だった。
――広島が浮き上がってしまっていると?
平岡 広島では何かあるたび「被爆者の感情」が持ち出される。一昨年、芸術家団体が空に「ピカ」の文字を描いて問題になった。表現の稚拙さは別として、若者の気持ちを受け止め、議論しようとする営みがなかった。「もっと広島を勉強しろ」という言い方で終わってしまった。
――田母神俊雄・元航空幕僚長が昨年8月6日に講演したのも論議を呼びました。
平岡 僕は彼の思想とまったく逆の立場だが、「被爆者の感情を傷つけるから」の名目で言論を圧殺するのは反対。一種のファッショだ。
――いつからこうなってきたのでしょうか。
浅井 被爆者の存在が初めて認知されたのは1955年の第1回原水爆禁止世界大会。記憶が鮮明で、思想化に最も肥沃(ひよく)な土壌があった10年間は復興が優先され、被爆者は顧みられなかった。ようやく被爆者が出てきた頃は、戦争や原爆投下の責任を問うことがすでにタブーだった。これらの事実が問題の根幹に横たわっている気がする。
平岡 日米安保体制の下で核の傘はどんどん強化されていたのに、広島はあまり意識せずに核兵器の非人道性を訴えた。冷戦まではそれでもよかった。核戦争の脅威が現にあり、人の心を打った。
 ただ冷戦が終わり、核の悲惨さを訴えても通じない状況が生まれてきた。広島は「核兵器以外なら人を殺してもいいのか」との命題を突き詰めて議論したことがない。だからイラク、アフガニスタンで多くの人が傷ついていても感情が共有できていない。
――沖縄戦や岩国基地の問題、各地の空襲被害者への関心も高いとはいえません。
平岡 僕自身、被爆者ではないが、数年前、ある集会で「あらゆる戦争体験が大切ですよ」という話をした。すると老齢の女性が「広島に来て初めて言われた」と涙を流した。原爆体験以外とりあってもらえなかったという。国内のすべての戦争被害者と感情を共有できなければ、世界の人々と共有できるわけがないと思うのだが。
浅井 日米安保の本質は「核同盟」。だから広島は、沖縄や岩国を自分自身の問題ととらえないとおかしい。一部の人しか動いていない現状は、厳しい言葉を使えば広島の今の「病根」を象徴していると思う。
――広島では「核なき世界」を掲げたオバマ米大統領への期待が高まっています。
平岡 オバマと広島の考え方はまったく違う。彼は「力による平和」を説き、核抑止力は有用とする。アフガン増派を譲らなかったし、沖縄の基地問題も譲らない。それで核兵器廃絶と言われても正直ぴんとこない。広島へ来てほしいという声があるが、もし来るなら「二度と使わない」と誓ってもらわないと。
浅井 オバマは学生時代から核廃絶に関心を持っていた。ただ、彼の現在の核政策の重点はテロリズム対策。中ロ両国が脅威になるとする発想を改めない限り、米国が率先して核廃絶へのステップをとることはありえない。
 ただプラハ演説が後世、「核廃絶の起点」と評価される可能性はある。唯一の被爆国である日本は、オバマ政権に核廃絶を政策の根本に据えるよう働きかけないと。広島、長崎はそのために声を振り絞る必要がある。
――米国との間では「核の傘」の問題が横たわります。
浅井 平岡さんが97年の平和宣言で核の傘からの脱却を説いた。ただ当時の橋本龍太郎首相は「できっこない」と切り捨て、それっきりで終わってしまった。
平岡 96年に国際司法裁判所が「核兵器の使用・威嚇は一般的に国際法に反する」との勧告的意見を出した。それを踏まえて問題提起し、議論したかったのだが。
浅井 米国は今、日本の核武装を恐れ、核攻撃以外にも核で対抗する拡大核抑止論を持ち出している。オバマが核廃絶を口にしているからといって広島が口をつぐめば核の傘も認めることになる。
――今年早々に、政府がいわゆる「核密約」の調査結果を公表する予定です。
浅井 非核三原則の「持ち込ませず」が長年死文化してきたことは明らか。警戒すべきは、民主党政権が密約内容に立ち入らずに「非核三原則を厳守する。日米同盟も堅持する」と逃げを打つこと。日米同盟は核同盟なのだから、過去の自民党政権の政策を実質的に継承するに等しい。佐藤栄作首相が「ナンセンス」と思いつつも、非核三原則を提唱せざるをえなかったのは、広島、長崎の体験で良い意味の核アレルギーが国民にあったからだ。だから広島、長崎は民主党政権に声を大にして言わなきゃ。非核三原則を空文にするなと。
――広島がこれから果たさなければならない役割は。
平岡 カザフスタンやネバダ、南太平洋の核実験場周辺、劣化ウラン弾の被害者など、世界中でヒバクシャがどんどん増えている。これが核時代だ。五輪招致にエネルギーを費やすより、救済のための国際基金創設を広島が国連に提唱してはどうか。本格的な原爆展を全国連加盟国で開くよう、日本政府に働きかけることもあっていい。
浅井 広島の陸軍船舶司令部で原爆に遭った政治学者の丸山真男は「原爆体験」という言葉を使った。被爆、つまり「やられた」という考え方にとどまる限り思想的な発展性は出てこないと思う。
 原爆による破壊が世界で最初に残酷な形で示されたのが広島、長崎だった。広島、長崎の思想の心髄は「人類は核と共存できない」ということ。21世紀を「脱・核の時代」にするために、力によらない平和観を前面に押し出し、力による平和観の米国に真っ向から向き合うことが重要。だから広島、長崎はなによりもまず日本の核政策を変えさせていくべきだ。