広島4年目を迎えるに当たって

2009.01.02

早いもので、2005年4月(正確には3月下旬)に広島に住むようになってから3年9カ月の日にちが過ぎました。広島に住むことにより、本当に多くのことを学ぶことができたと思っています。そのことについて感謝の気持ちでいっぱいです。私の広島平和研究所所長としての契約期間が69歳までということですので、2011年3月末日をもって広島生活を終えることになります。残りは後2年3カ月ということになります。せいぜい1日1日を大切にして広島生活を充実したいものだと考えております。この正月は上さんと二人きりの初めての時を過ごしておりますが、年賀状の整理、毎年恒例の箱根駅伝観戦というように、のんびりとした時間を過ごしております。

私が着任して驚いたのは、広島平和研究所の市民の間における認知度の低さということでした。その理由については私なりに認識しておりますが、私としては、何としてでも研究所の認知度を上げ、広島市民に認められる存在にすることに全力を挙げることが私の最も重要な仕事と認識し、この3年9カ月を過ごしてきました。自己満足にすぎませんが、2008年度秋の市民講座に毎回100人以上の方が出席してくださり(企画がタイムリーだったということももちろんありますが)、市民講座の常連である友人のKさんから「あなたの勲章だよ。自慢して良い」と言われましたことは、本当に嬉しいことでした。また、Aさんからは、「2011年まではご滞在と考えていてよろしいのでしょうか?その後、どうなるかは、時勢と、先生のご家庭の事情と、ヒロシマの要請と天の思し召しによるものと考え、よき時を共有したいと存じます」という温かい励ましの言葉をいただいたのも忘れられません。広島平和研究所が広島市民そして「平和」について真剣に考える人々にとってなくてはならない存在として受け止められるよう、また、研究所が所属する広島市立大学の重要な存在理由となることができるよう、私としては与えられた時間を最大限有効に活かしていきたいと念願しています。どうか温かいご支援と厳しいご叱正をお願いいたします。

2008年には、広島平和研究所所長としての私に対して、障害者自立支援法違憲集団訴訟を闘う会の代表世話人になってほしいと言われ、私にとってはもっとも苦手な役回りなのですが、人間の尊厳を奪いあげるこの法律に対する怒りと、障害を持つ孫娘・ミクを含む障害者・児に対する思いから、喜んで引き受けさせていただきました。この訴訟は、とても2011年3月末までに決着するような問題ではないと思うので、私の任務は途中でどなたかに引き継いでいただかなくてはならなくなると思いますが、代表世話人である限りは、公判の日は必ず裁判所に出向き、裁判の一部始終を見届けるつもりでいます。この訴訟の意義は、新自由主義の市場至上原理を社会保障・福祉、労働の分野にも押しつけることの許されない罪悪を明らかにすることにあり、この訴訟に勝利することは、新自由主義によってゆがめられてきた日本社会のあり方そのものを根本からただすことにつながります。是非とも、一人でも多くの広島市民そして日本中の人々がこの訴訟の重要な意義を認識してくださり、闘う会に加わったり、支援をくださったりすることをお願いしたいと思います。

年賀状では以上のこととともに次のことにも触れたのですが、是非とも広島市民を含む全国の方に関心を持っていただきたいことがあります。それは、韓国・ハプチョン(韓国の広島)で世界平和公園建設計画が具体化されつつあることです。韓国には地縁・血縁を頼るという習慣が強くあり、そのこと故に戦前の広島にはハプチョン出身者が集中し定住してきたという歴史があります。したがって、韓国・朝鮮人の被爆者の中でハプチョン出身者の割合が非常に高いという結果をもたらしたのです。そのハプチョンに広島の平和公園をも念頭に置いた平和公園を造成したいという機運が在韓被爆者の間に盛り上がり、韓国議会の多くの議員たちにも支持されて、公園造成のための特別法が韓国議会に上程されたということです。前回上程されて廃案になった特別法(案)では、造成に必要な費用は韓国政府の予算から400億ウオンが支出される予定になっていました。今回上程されたという法案では金額のことがどうなっているかは今のところ分かりません。しかし私としては、日本の植民地支配と原爆投下の二重の被害者である在韓被爆者にかかわる平和公園の造成に対して、私たち日本人が無関心を決め込むということは絶対に許されないことだと思っています。私たちは何らかの具体的行動によってこの公園造成計画に私たちの誠意を示すことが不可欠だと信じます。
 この点に関して、私の外務省時代の友人(在中国大使館では同僚として働いていた)である宮本雄二大使が不特定多数の友人に送っている年賀状メールの文章を引用させていただきます。彼には引用することについて断りを入れていないのですが、不快に思うことはないはずです。「何よりも四川大地震の救援に赴いた日本緊急援助隊の一枚の写真と映像が中国人の対日観、対日本人観を劇的に変えました。緊急援助隊員が二列に整列し、収納袋に丁寧に収められた母娘の遺体に黙祷をささげている姿でした。中国人はこの母娘を今回亡くなった多くの被災者の中で最も敬意を払われた遺体であったと認めたのです。映像や写真の持つ影響力のすごさを実感させられた瞬間でした。」(天童荒太『悼む人』にも連想が及ぶ文章でした。)
 私は何も朝鮮半島に人々の対日観、対日本人観を変えることを目的としてハプチョン平和公園造成計画に対して協力すべきだと考えているわけではありません。そうではなく、私たちが朝鮮半島の人々に対して強いた過酷な運命に対して、その運命を強いた日本という国家の一員として心からの反省の気持ちを持ち、二度と同じ過ちを繰り返さないことを誓う誠意を持っていることを伝えることが私たちのなすべき最低限の心のあり方だと思っているだけです。しかし、そういう私たちの反省の気持ちと誠意を何らかの具体的な形で伝える上で、ハプチョン平和公園造成計画に協力することが非常に重要な意味を持つことも間違いないことだと思うのです。
 私は、日本の協力は広島だけのものであってはならないと思います。しかし、広島が全国に向かって声を上げることは非常に重要だと考えます。あえて言うならば、声を上げるということは広島にしかできない役割だと思います。それは、「ノーモア・ヒロシマ」の具体化の一つのステップだと思うのです。広島は、具体的な行動によって日本全国に対して「ノーモア・ヒロシマ」とはどういうことなのかを伝える使命を担っていると確信します。「ノーモア・ヒロシマ」を言う広島は、平和憲法改悪「ノー」を全国に発信する広島でなければなりません。在日米軍再編強化の一環である岩国基地再編強化「ノー」を全国に伝える広島でなければならないのです。そして、ハプチョン平和公園造成計画に対しても日本全部が心から支持し、協力するように働きかける広島でなければならないと思います。

私は、これまで広島への外からの移住者として広島に対して発言することを遠慮する気持ちがありました(敗戦後の広島の復興が、被爆者を社会の片隅に追いやる形で非被爆者・外部からの移住者によって進められたという歴史を学び知ったこと(だから、「ノーモア・ヒロシマ」が全市民的なものとなっていないこと)も、私が積極的・具体的な行動をためらうことになってきた一因です)。しかし、広島に住む時間が限られてきたということを認識するこれからの広島における時間においては、私が考える広島のあるべき存在理由を明らかにするべく微力を尽くしたいと考えています。率直に私の考えをぶつけ、広島に対して働きかけを行うつもりです。よろしくお願いいたします。