G-8下院議長サミット -ヒロシマで開く意義-

2008.09.01

*中国新聞とのインタビュー(8月31日朝刊掲載)で、9月2日に広島で開催されることになったG-8下院議長サミットの意義についてコメントを出しました。私が取材記者に発言した内容は、もっと直截的で明快だったはずですが、記者のバランス感覚が働いたのでしょう、穏やかな内容のものになりました。とはいえ、私の考え方から外れているわけではないし、私の(談)として出ていますので、以下に紹介しておきます。

河野洋平衆院議長が中心となって計画した広島開催には、日本で軍縮・平和を語るためには「被爆地広島をおいてほかにない」という認識が表れている。客観的に見れば、軍縮に向けた被爆地の潜在的な可能性を示唆している。
その評価に、応えるだけのヒロシマになっているかを考える契機にしたい。「主要国の議長が集う」ということだけで、浮かれていてはいけない。
まず、われわれ市民が、G8の枠組みや議長サミットの議論の内容を注視する必要がある。大国が国際関係で大きな指導力を果たすのは客観的な事実だが、新興国が加わっていないG8 が、必ずしも現在の国際情勢を反映しているとはいえない。
むしろ、核軍縮に関しては非同盟諸国がリーダーシップをとっている。広い視野で世界を見つめ、G8という枠組みの限界もわきまえた上で広島開催の重要性を認識し、「核兵器廃絶に向けた好機」と位置付けて取り組みを具現化する場にしなくてはならない。
「平和と軍縮」をテーマとしながらも、G8に加わる核保有国や米国の核の傘にいる日本が、核抑止論を肯定する立場でのみ議論を続けるのであればヒロシマとは立脚点が異なる。「平和」や「軍縮」の言葉が、単なる口先だけのものとなってしまう。
原爆による惨禍を体験したヒロシマ・ナガサキは、核兵器の非人道性とともに、「戦争は単に政治の延長ではない」というメッセージを発している。そして、そのメッセージは日本国憲法第9条に結実している。市民にとっての今回のサミットは正面から核兵器廃絶と平和の原点を踏み固めるための転換点だ。ヒロシマはまなじりを決して背筋を伸ばし、言うべきことは言おう。
世界では「核兵器のない世界」と題するアピールが反響を広げている。米国の核政策を推進してきたキッシンジャー元国務長官たち4人によるものだ。2000年の核拡散防止条約(NPT)再検討会議で合意された約束を守るよう求め、すべての核保有国の指導者に核兵器削減に集中して取り組もうと呼びかけている。
議長サミットを被爆地でやる以上、2010年のNPT再検討会議に向けて核兵器のない世界への共通認識を持ち、提言を出すくらいの心構えを期待したい。