「平和宣言」への期待

2007.08.13

*8月6日付の毎日新聞(広島版)に載った談話です(8月13日記)。

 「平和宣言」はこれまで、国民が共有する反核・反戦感情を土台にして、世界に核廃絶・戦争反対のメッセージを発信してきた。その国民感情が今や揺らいでいるのではないかと憂慮している。
「原爆投下はしょうがない」と発言した久間章生・前防衛相は辞任に追い込まれたが、これも参議院選挙への影響を考えたからで、昨年の北朝鮮の核実験の後、国民の反核感情に挑戦する発言をした有力政治家は居座り続けてきた。以前なら考えられないことで、国民感情の揺らぎがそれを可能にしているのではないか。
しかも続投を表明した安倍晋三首相は、改憲の旗を降ろしていない。国民投票法が制定され、改憲の歯車は回り始めた。
 より根本的には、戦後、占領下で被爆の実相が封印され、広島、長崎を国民共有の記憶とする貴重な機会が奪われた。独立の回復後は、非核三原則を唱えながらアメリカの核の傘に入るという矛盾が更に問題を複雑にした。原水禁運動は政治的な対立から分裂し、国民運動になり得ていない。こうして国民の反核・反戦感情は、複雑骨折に追い込まれてきた。
以上の事態に、広島、長崎の市長はどういう認識を示すのか。特に憲法9条へのスタンスが問われている。
平和宣言は、被爆地から国内外に発信するもっとも重要なメッセージだ。だからこそ、「ノーモア・ヒロシマ/ナガサキ」を「ノーモア・ウオー」と結びつける第9条の重要性を説くものであってほしい。