『木の葉のように焼かれて』すいせんのことば

2007.07.15

*新日本婦人の会広島県本部が1960年以来毎年刊行している証言集『木の葉のように焼かれて』に「すいせんのことば」を書きました。2007年に入って以来、このコラムへの書き込みが極端に減っていますが、その理由の一端は、この「すいせんのことば」で記しているような、広島の現実に関する私の問題意識の深まりにあります。広島に移り住むまでの私の広島に関するイメージは、大江健三郎『ヒロシマ・ノート』の域を出るものではありませんでした。しかし、この本は1965年に出版されたもので、その後40余年を経た広島の現実は、この本から私たちが思い描くイメージからはずいぶん遠いものになっています。機会を見つけて、私の問題意識をまとめてみたいと思っていますが、とりあえず、以下の文章を読んでいただきたいと思います。

 私は、広島の住民となって2年あまりになります。「もう2年が過ぎたか」と思うときもあれば、「まだ2年か」と思うこともあります。私の上さん(妻)の母親は広島出身であり、彼女の身内には、白島で被爆された方が何人かおられます。私が直接お話を伺う機会はないのですが、上さんがよくお会いしている2人の叔母たちは、いろいろ健康不安を抱えておられることを上さんづてにお聞きしており、高齢化が進む被爆者の方たちのさまざまなご不安について、身がつまされる思いをしています。

 そういう中、新日本婦人の会広島支部が1964年に被爆者の手記をまとめた「木の葉のように焼かれて」の第1集を出され、それから今日に至るまで、被爆の実相を伝えるために発行を積み重ねられていることを学び知ることができました。この40年以上の一貫したご努力そのものが、被爆体験の「風化」が指摘され、「継承」の難しさが深刻に認識される中で、きわめて貴重な成果であると考えます。今後とも毎年発行を継続してくださるよう、心から期待しております。

 私の広島生活は2年あまりであり、広島に関する知識はごくごく限られたものであることは自分自身がよく承知しております。しかし、いろいろと疑問に感じていることもありますので、そのことを書かせていただき、「木の葉のように焼かれて」の筆者の方々、読者の方々からご感想、ご意見、ご叱責をいただけたら幸せ、と思います。

 私が何よりも広島について疑問に感じていることは、「ノーモア・ヒロシマ ノーモア・ウオー」が広島の原点であるにもかかわらず、「ノーモア・ヒロシマ」は辛うじてあるけれども、「ノーモア・ウオー」がほとんどまったく、と言っていいほど顧みられなくなっている現実があることです。そのことは、「ノーモア・ウオー」そのものである憲法第9条が今や最大の危機を迎えているのに、広島では恐ろしいほどの無関心が支配していることに端的に表れています。

 「ノーモア・ウオー」が顧みられていなくなっていることは、岩国基地にかかわる米軍再編問題(空母艦載機移転)に、広島が、市から市民に至るまで、まったく無反応を決め込んでいる事実にも示されます。

 この二つは代表的な例です。現代の戦争は、核兵器の使用と切り離せません。そうであるからこそ、もはやいかなることがあっても戦争は許してはならない、という「核時代」の認識に立った戦争観が、「ノーモア・ヒロシマ ノーモア・ウオー」という訴えとなって凝縮されています。そのことをしっかり認識するものであるならば、憲法第9条「改正」や岩国基地問題に無関心を決め込むことなど、およそ広島に住むものとしてはあり得ないことではないか、と私は強く思うのです。

 もう一つ、私は広島について強く疑問に思うことがあります。それは、最初の問題にも根っこでかかわるのですが、広島の歴史認識のあり方という問題です。ここでも二つのことを紹介します。

 私は、1947年に昭和天皇が広島に巡幸した際、人々の熱狂的な歓迎を受けた、という事実を知って大きなショックを受けました。ここでは詳しいことは省きますが、昭和天皇は広島(及び長崎)への原爆投下に対してきわめて重い責任があるはずです。しかし、熱烈な歓迎はその問題をかき消してしまい、以後問われることはないのです。

 広島が軍都として、アジア侵略戦争と深いかかわりがあったことも、人々の間でほとんど意識されていないように感じます。つまり、アジア侵略を担ったという加害があったからこそ、原爆投下という途方もない被害を強いられたという因果関係について、広島が重く受けとめているとは感じられないのです。だから、呉の大和ミュージアムや「鉄の鯨」の展示に対しても、歴史認識に結びついた問題意識が提起されることもほとんど見られません。

広島が正しい歴史認識を欠いていることは、「ノーモア・ウオー」に対する無関心を生む土壌になっていると思います。広島がもう一度原点に戻り、「ノーモア・ヒロシマ ノーモア・ウオー」の訴えに魂を込めてほしい、と私は熱望して止みません。