「沖縄・ヒロシマ・岩国 改憲と米軍再編をめぐって」をテーマとするシンポジウム

2006.07.09

8日に広島マスコミ9条の会主催で「沖縄・ヒロシマ・岩国 改憲と米軍再編をめぐって」をテーマとするシンポジウムにパネラーとして出席しました。その時行った冒頭発言を紹介します。

日本社会は戦後最大の危機を迎えており、主権者である国民の一大覚醒が早急に実現しない限り、日本は対外的に歴史の過ちを再び繰り返す危険性が大きく、また、弱者を狙い打ちにした小泉「改革」によって、国内の人権・民主主義も最大の危機に直面していると、私は判断しています。そういう事態をもたらしたのは、①アメリカとの政治的・経済的・軍事的一体化を推し進めてきた小泉政権の政策の所産であり、②小泉政治を持ち上げ続けてきた日本のメディアであり、③それによって踊らされてきた国民の成熟した政治的批判力・判断力の乏しさであった、と考えます。メディアを含む国民の多くが小泉政治の本質を見極め、日本政治を抜本的に転換させることに全力を尽くさなければ、私たちは、取り返しのつかない状況に自らを追い込むことになると思います。

 明治憲法の時代の私たちは天皇の臣民でしたから、国が道を誤ることに対して責任を負う立場にはありませんでした。しかし、今の日本は曲がりなりにも主権在民の国家ですから、日本が再び道を誤る場合、主権者の私たちはその責任を自ら負わなければならなくなります。そのことを考えるとき、私は、主権者・国民に的確な判断を行うために必要な判断材料を提供するメディアの責任は、非常に大きなものがあると考えます。また、国民が、戦後60年を経た今日になってもなお、主権者としての自覚・責任感を未だ我がものにしていないことについても、強い苛立ちを感じています。

今の日本はどういう状況にあるのでしょうか。

9.11事件以後アメリカが強行してきた対テロ戦争・対「ならず者国家」戦争(対アフガニスタン戦争と対イラク戦争)は、アメリカの強い圧力に応えた日本の憲法違反の海外派兵を現実のものにする一方、憲法第9条による「制約」下にある日本の自衛隊の軍隊としての体をなさないその実態に対するアメリカの不満を強め、アメリカが本気で第9条改憲を迫る結果をもたらしました。

また、テロ・「ならず者国家」・「不安定の弧」に対する先制攻撃の戦争を全世界規模で展開するために2003年から始動した米軍の地球規模の再編は、「不安定の孤」の東端に位置する日本が、在日米軍再編に全面的に協力するかどうかが成否の鍵を握っていると言っても過言ではありません。そのためには、日米軍事同盟の変質強化が不可欠になります。日米軍事同盟については、既にクリントン政権の時代からその変質強化への動きが始まっていましたが、ブッシュ・小泉時代になった2001年以来、急速に具体化が進んでいます。法的に言えば、日米安保条約に基づく日米同盟から日米安保条約の法的枠組みを乗りこえる日米同盟への転換であり、その本質は①日本防衛型から対外侵略型へ、②アメリカ単独型から日米一体型へ、③限定基地型から全土基地型へ、④国際法留意型から国際法無視型へ、の切り替わりです。

小泉政権が民主主義に忠実であるならば、日米安保条約の改定を行い、国会で条約承認を求めるという手続きを踏むべきです。もちろん、対外侵略を本質とする日米軍事同盟の根拠を作ろうとするいかなる条約も、憲法違反として成立するはずがありません。だからこそ小泉政権は、条約改定という方法を回避し、もっぱら国内的措置でアメリカの対日要求を満足させるという手法に訴えてきたのです。周辺事態法に続く武力攻撃事態対処法、武力攻撃事態等におけるアメリカ合衆国の軍隊の行動に伴い我が国が実施する措置に関する法律、国民保護法等の有事法制、国民保護計画、そして「2+2」の「政策文書」の積み重ねとそれを実施するための日本側による国内的措置などがそれです。

しかし、これらの手法によっても、日本を「戦争する国」に完全に生まれ変わらせることはできません。そこには、平和憲法の下で有事法制をでっち上げるという根本的無理があります。その根本的無理を解消するためには、第9条だけでなく、国民の基本的人権を国益・国家の安全に従属せしめ、地方自治体を国家の執行機関にするための全面的改憲が必要となるのです。自民党の新憲法草案は、そういう方向性を明確にしています。

例えば、現在の有事法制を熟読された方はお気づきだと思いますが、国民保護法、国民保護計画では、米軍や自衛隊の必要のためには、個人の家屋、土地などを強制的に取り上げることは既にできることになっていますが、国民を戦争に強制的に動員することはできません。もっぱら国民の「自発的協力に期待する」形になっていますし、国民の権利を制限するときも「必要最小限」の縛りをかけざるを得ません。

これではとても、日本を戦場にした戦争などできません。思うままに国民を動員するためには、基本的人権を「国益」「国家の安全」に従属させ、「国家を個人の上に置く」国家観を復活させる必要があるのです。自民党の新憲法草案は、第9条改憲とともに、こういうことも狙っています。ですから、小泉「改革」のもとで既に開始されている基本的人権に対する収奪・締め付けは、自民党の思惑どおりの憲法成立の暁には、もっともっとおおっぴらに激しく行われることになってしまうでしょう。

教育基本法の「改正」問題について若干触れておきますと、ここには新自由主義の市場・競争原理を教育の場に持ち込む狙いがあるという重大な問題点があります。いわゆる愛国心論争に絞って言えば、その根幹にある問題は、国家に従順な金太郎飴の国民を再び大量に作り出すという狙いがあることは間違いありません。「戦争する国」に向けた教育分野における一大攻勢ということが、問題の核心にあります。

小泉首相の靖国参拝に代表されるアジア外交軽視については、多角的な検証が必要ですが、ここでは、以上に述べた諸問題とも大いに関係がある一面に絞って指摘しておきたいと思います。つまり、アメリカの在日米軍再編計画は、全世界規模のものであると同時に、朝鮮半島有事、台湾海峡有事を睨んだものでもあります。そのようなことは、日本軍国主義の過去を反省する歴史認識を持つものである限り、決して許してはならないものです。しかし、そうした歴史認識を鼻であしらう小泉首相にとって、靖国参拝は「他国にとやかく言われることではない」し、軍事優先の発想からはアジア外交を重視する姿勢が欠落するのは、いわば必然であるといわなければならないと思います。ここでも私たちは、物事の本質を見極める視点を持つことが必要です。

私はいま、日刊紙としては、中国新聞、朝日新聞(大阪本社版)、沖縄タイムス、琉球新報、長崎新聞、神奈川新聞、赤旗の7紙を定期購読しています。在日米軍再編をめぐる沖縄2紙、神奈川新聞の報道は、米軍基地が密集する両県の状況を理解する上で、学ぶことが多々あります。沖縄戦を体験し、戦後一貫して本土に差別されてきた沖縄の2紙は、憲法問題、日米軍事同盟問題についても、明確な平和憲法支持、日米軍事同盟の危険な変質強化について警鐘を鳴らす姿勢、という点で、私は高く評価しています。また、沖縄県民の政治意識が本土の人々に比べてかなり高いのは、沖縄2紙の健筆に負っている面が少なくないと思います。逆に言えば、メディアが沖縄2紙のような、平和憲法を支持し、日米軍事同盟の危険な変質強化について警鐘を鳴らす、明確な報道姿勢を堅持すれば、国民の政治意識に少なからぬ影響を及ぼすことができることの証左にもなっていると思います。

他方、私が読んでいる他の地方3紙について共通することとして、共同通信配信記事に多くを頼っていることによるやむを得ない制約もありますが、国民的視点に立った問題分析・主張が非常に限られているという強い印象を受けています。時折社説において全国的視点を心がけた論調を見かけはしますが、総じて言えば、共同配信記事が優れた内容になっているか否かによって紙面の出来具合が決まってしまうという点に、消化不良感を味わうことがしばしばであることを指摘しないわけにはいきません。私が以上に指摘したさまざまな問題点について、率直に言って、地方3紙は、「これらの問題点に立ち向かう上で必要な、主権者としての判断基準・視点を読者に提供する」というメディアが備えるべき基本的姿勢を持って紙面をつくろうとしているとは思われません。

中国新聞について申し上げれば、核問題・原爆報道に関するこだわりは一貫したものがあり、さすがと感じる内容を持っています。その点を高く評価した上であえて申し上げるのですが、岩国基地問題を含む米軍再編、憲法、教育基本法、靖国、アジア外交といった問題については、ほぼ共同配信記事に頼っており、国際平和都市を標榜している広島の新聞であるにもかかわらず、無関心という空気が支配していると思うのです。特に岩国基地問題は、在日米軍再編計画においても重要な地位を占める全国的な問題であり、騒音問題や基地経済問題のみに矮小化することは到底許されない問題です。

なにより、「ノー・モア・ヒロシマ」と「ノ・モア・ウォー」は切り離すことができません。中国新聞が「ノー・モア・ヒロシマ」だけに安住するのではなく、「ノー・モア・ヒロシマ」と「ノ・モア・ウォー」とを結びつけた鋭い視点を提起することによって、国際平和都市・広島の存在理由を読者がしっかり認識し、そのことを通じて広島が、核問題だけに自らの役割を限定するのではなく、広く国際平和に関わる問題について全国に向けて積極的に発信するように、大きな役割を担ってくれることを心から願っています。

最後に付け加えておきたいことですが、共同配信の解説記事の水準は、総じて言えば、朝日新聞のそれを上回っていることは確かだと思います。私は、全国紙・朝日新聞の報道姿勢、報道内容については、ますます失望感を深めており、その先行きに強い懸念と警戒を感じています。私が取り上げた米軍再編問題、改憲問題、教育基本法「改正」問題のいずれをとっても、朝日新聞の腰の据わらない、メディアとしての責任感を放棄していると言っても過言ではない報道姿勢に、朝日新聞は良識的という国民一般のイメージが今なお強いだけに、私は強い不満を感じています。