西日本新聞の記者の取材

2006.03.20

9日に長崎に伺った際、西日本新聞の記者の取材を受けました。その時の記事を送ってくれたのですが、驚くべき内容でした。 長崎市の外郭団体である長崎平和推進協会(運営費の約85%を長崎市が出資)が、被爆体験を伝える語り部たちが属する継承部会の臨時総会で「より良い『被爆体験講話』を行うために」と題する紙を配ったのだそうです。その紙には、「国民の間で意見が分かれている以下のような政治的問題についての発言は慎んでいただきたい」として、先の戦争に係る天皇の戦争責任、憲法(第九条等)の改正、イラクへの自衛隊派遣、有事法制、原子力発電、歴史教育・靖国神社、環境・人権等の他領域の問題、一般に不確定な内容の発言(例えば劣化ウラン弾の問題)の8項目を例示しているそうです。しかもこうした「政治的問題」の質問を受けた場合には、「国民全体で考えることなので国会などで論議して欲しい。皆さんも一緒に考えてみてください」などと回答例まで示しているのだそうです。

私が取材を受けたときにもこの問題を記者は取り上げ、私は半ば半信半疑の気持ちで、そういう話をするかどうかは語り部の皆さんが自主的に判断することであり、「発言を規制するのは言語道断。被爆者のアイデンティティを否定する行為だ」というコメントをし、その発言部分は記事にも載っていました。しかし、この記事を読んで、本当に「世の中、ここまで悪くなっているのか」と思わずにはいられませんでした。

私は今集中的に栗原貞子の時事評論の書籍を読んでいます(入手次第なので、『核時代に生きる ヒロシマ・死の中の生』(1982年 読了)、『ヒロシマの原風景を抱いて』(1975年 読んでいる最中)、『核・天皇・被爆者』(1978年 入手済み)と順番が後先になっています)が、栗原の執筆当時にもすでに原爆体験の風化とか、被爆体験の継承の難しさとかの問題が深刻に扱われていたことを学んでいます。しかし、以上のような長崎での状況を生前の栗原が知ったならば、絶句していたのではないかと思います。

この記事によれば、記者は広島についても取材しており、広島文化センター(長崎平和推進協会に相当する組織)ではそのような自主規制を求めることはしていないとも書いています。あまりにも当たり前のことですが、思わずホッとしている自分がおりました。