藤居平一『まどうてくれ』を読んで

2006.03.01

舟橋喜恵・広島大学名誉教授から教えていただいて読んでいた藤居平一『まどうてくれ』(注:「まどうてくれ」とは、広島の一定の地域における方言で、藤居氏の文中での説明によれば、「徹底的にやってくれ」というような意味だそうです)をやっと読み終えました。以下は、その中で紹介されている文章の抜き書きです。いろいろ思うところはあるのですが、これからじっくり消化したいと思っていますので、ここでは私が気になった箇所を紹介することにします。

−1957年1月12日付第1回日本原水爆被害者団体代表者会議討議資料

「今後の運動を進めてゆく上での問題点としては、

  1. 一般戦争犠牲者及び生活困窮者と原爆碑が遺書の相違点及び連携の問題
  2. とくに被害者の問題として親族遺族に対する具体的措置の問題
  3. 公務非公務の問題及び無準備無防備による国家の政治的社会的経済的責任の問題
  4. 援護法と根治療法の問題(根治療法の確立なしに援護の完成は期されない)
  5. 自立措置が講ぜられるような内容を含ませる問題(例えば生業資金、完全就業の機会、職業補導、奨学資金等の問題)

等の点から考えると障害者援護法として成立する可能性が現実の問題として日程にのぼってきたことは現在までの運動の一頂点を示す成果として大きく評価しなければなりませんが、基本方針を確認(注:被害者援護法として運動を推進する)して今後の運動を進めるためには単に障害者援護法の枠を拡大して被害者援護法ができるというように安易に考えるのではなく、社会保障制度の完全な確立を目指す運動の一環としてしかも被害者としての特殊性からの段階的な関連を根本的に掘り下げてみる必要があります。」

−1957年2月16日付援護法改正促進大会宣言案

「…旧国家総動員法又はもとの陸海軍の要請に基いて出勤させられた動員学徒、国民義勇隊、徴用工、女子挺身隊等は、旧軍人、軍属と全く同様な状況下において業務に従事中不幸原子爆弾によって倒れたにもかかわらずこれら犠牲者に対する処遇は旧軍人、軍属のそれに比してあまりにも不均衡と言わざるを得ない。この際法の改正を強く要望しその実現の速やかならんことを期する。」

−1957年4月15日付『原水爆禁止ニュース』所掲の藤居平一「被爆者救援と国際社会保障制度」

  • 五 社会保障制度は政治的社会的には、国内国際を通じての平和と安寧を保ち、経済的には、生産関係と直接結びつく問題として建設的に理解されるべきではなろうか。このゆえにこそ税金その他公金が使われる意義があるものと思われる。
  • 六 戦争のあと始末として、軍人恩給、戦傷病者、戦没者、遺家族等援護法の中には、戦犯の遺族まで含んでいるというのに原爆被害者(死没者、障害者、遺族)に対する保障が与えられないという筋は考えられない。
  • 七 (1) 原水爆の被害は過去のものだけでなくして、放射能障害として原水爆実験その他、原子力平和利用の中においても起き得る異質的なもので、根治療法のない、しかも後障害遺伝まであるとされる大量広範な、過去、現在、未来にわたる被害がある。従って医学、科学、政治、経済等のあらゆる分野にわたり、総合的かつ高度の保障を必要とする。…
    (2) 原爆被害は、国の責任において行われた戦争の犠牲でありながら、全く予測することのできなかったものであり(1927年の「ヘーグの不戦条約」の精神が完全に抹殺され、条約違反というも過言でない)今日までその被害を残している。
    (3) 原爆被害者の救援は当面第一に「いのち」の問題、第二に「いのち」につながる生活の問題で、親族援護の必要がある。引揚者の在外資産の保障と異って、失った財産等に対する補償を要求しているのでなく、戦争犠牲者のように、生活保障を要求しているのでもないささやかな要求である。
    (4) 原爆死没者、遺族の問題がある。
  • 八 このように、原爆被害者は現在の世界史における矛盾をその一身に集中的にうけているものであり原水爆禁止が出来なければやがては全人類の明日を示しているものである。この救済が世界史的意義を持つことも当然である。
  • 九 今後原水爆の使用は絶対に罪悪であると断言する。が若しも原爆という、ひどい兵器ではあっても、それの使用によって平和を招来したという一半の意義があったとすればこの犠牲者の救援は平和の恩恵にあづかったものが行う必要があるのではなかろうか。…」