広島市の公的文書

2006.01.31

被団協の坪井直氏が私の事務所に立ち寄って、私が関心を持っていた問題についての結果を知らせてくださいました。その問題とは、前(2005年12月4日)にふれたことともかかわるのですが、広島市の公的文書に「究極的核廃絶」という文言を入れることはおかしいのではないか、ということです。

広島市は、原爆ドームを含む平和関連施設の今後のあり方について有識者(私も役職上入っているのです)からなる委員会を設置して2年弱議論してきたのですが、その最終的とりまとめの文書(案)に、原爆ドームを世界遺産に推薦する文化庁の文章が引用されていたのです。そこでは、原爆ドームを「究極的核廃絶…の記念碑」と位置づけていました。広島市の事務方が作成した案文では、文化庁の文章をそのまま引用する形で、「究極的核廃絶」という文言を採用していました。私は、「究極的核廃絶」という文言がアメリカの核政策を損なわない(つまり、核兵器の廃絶を無限の彼方に引き延ばすということ)という配慮から外務省が編み出したものであるという経緯を知っていたものですから、無条件で核廃絶を訴える広島市の基本的立場を損なうことにつながる文言を広島市の公的文書に盛り込むことには強く反対することを事務当局に申し入れていました。

私が他用で出席できなかった東京で開催された最後の委員会会合で、坪井氏は被爆者として「究極的核廃絶」という文言が盛り込まれることには強い抵抗があると強く主張されたそうです。その結果、この文言は最終文書には盛り込まないということで決着した、ということを坪井氏は私に知らせてくださったのでした。

「究極的」という文言に大変な意味が込められていることについて、広島においてハッキリした認識が共有されていないということは、それ自体深刻なことだと思います。被爆者・坪井氏の発言がなかったら、この文言がすんなり最終文書に盛り込まれていたかも知れないと思うと、本当にぞっとするとともに、広島1年生の私としても、というより広島1年生の私であればこそできること、しなければならないことがあるのだと気持ちが引き締まりました。