「広島県国民保護計画(案)」を読んで

2005.12.24

「広島県国民保護計画(案)」を読みました。とりあえず、次の点を指摘しておきたいと思います。

すでに完成している鳥取県及び福井県の国民保護計画との最大の違いは、後者が独自の構成を取っているのに対し、広島県のは消防庁国民保護室が作った「都道府県国民保護モデル計画」に忠実に依拠して作成されていることです(長崎県が県民に意見を求めるとして出した案も消防庁のモデル計画に依拠しています)。おそらくこれから次々と各都道府県で出される国民保護計画も消防庁のモデル計画に依拠することになるのでしょうか。年度末を控え、今年度中に計画を作ることを迫られている(?)都道府県の「間に合わせ」という性格を感じます。広島県の場合、長崎県のような段取りもとらないで成案を急いでいるという印象を否めません。
公正を期していいますと、広島県の案は、鳥取、福井の計画と比べ、高齢者、障害者、乳幼児などの社会的弱者に対する配慮は行き届いています。
しかしより根本的なこととして指摘せざるを得ないのは、被爆地・広島であるにもかかわらず(「ノーモアヒロシマ」を叫んできたにもかかわらず)、核攻撃に見舞われることを平然と前提とした対処計画を書き連ねていることです。一体どういう感覚なのでしょうか。しかも、そこで述べられている「対処」の具体的な内容とは、「応急措置の実施」として、「緊急通報を発令するとともに、退避を指示する」、「汚染の拡大を防止するため必要があると認めるときは、警戒区域の設定を行う」ということに過ぎず、当然のことながら、核攻撃があった場合には無力であることを認めるに等しい内容です。

核攻撃に対しては無力であることを認めるならば、そして被爆体験を持つ県である限り、なすべきことは核攻撃を前提とした国民保護計画を作成することではなく、核攻撃があることを前提とする国の危険な戦争政策を声を大にして批判することでなければなりません。私が「コラム」欄でしばしば書いてきましたように、日本に対する核攻撃の可能性は、アメリカが中国、北朝鮮に対して先制攻撃の戦争を仕掛ける戦争シナリオの下においてのみあり得ることなのです。アメリカの先制攻撃による戦争は不法なものであり、絶対に許してはならないことです。日本として、とりわけ被爆地・広島としてなすべきことは、アメリカをしてそういう不法かつ反人道を極める戦争をさせないことでなければなりません。そのことによってのみ、再び広島・長崎を繰り返さないことにつながるのです。国(自民党政治)が歯止めのきかない暴走にばく進しようとしている今、広島・長崎が果たすべき役割は、国(自民党政治)に追随することではなく、警鐘を乱打することであると確信します。その行動によってのみ、広島・長崎は「ノーモアヒロシマ」「ノーモアナガサキ」を日本国民すべてを代表するメッセージにすることができるのです。今ほど広島・長崎の存在理由が問われていることはないことを、広島・長崎の人々のすべてに訴えます。