お便りのご紹介

2005.11.14

10日に書いた文章に親しいTさんが率直な感想を寄せてくれました。とてもありがたく、すぐ返事のメールを出しました。以下に紹介させていただきます。

T様

ご丁寧な感想をお寄せ下さり、とてもありがたく、また、率直な感想をお聞かせいただいて深く考えさせられております。私が放影研について聞き及んでいた全体像は、坪井氏が発言されたことから私がショック・複雑骨折を受けた内容よりも、T様が率直に仰ってくださったことに近いものでした。被爆者を対象にしたABCC・放影研の研究体制(研究するが治療しない)が如何に客観的に世界的な「業績」を挙げてきたからといって、原爆投下についての犯罪性・反人道性を不問に付してしまうことの正当化理由にはなり得ないと、私は思ってきたのです。坪井氏の発言は、そんな私の「気持ちの狭量さ」をたしなめるかの如きでしたので、私としてはすぐには消化しきれなかったし、今もその消化不良の気持ちを引きずっています。

「坪井氏の発言は被爆60年の歳月の長さをいやが上にも感じさせます。放影研を評価するかしないかは別として、平和問題を深く洞察することが日常から遠ざかっている現状のあらわれではないでしょうか。おそらく、坪井氏の心の中も本当(「現状を肯定したくない」)は揺れ動いていたと思います。それとも、60年の歳月は、「既成事実の屈服」へむかわせたのでしょうか、、、。」というT様の感慨に、私も本当に複雑な気持ちを味わっております。坪井氏の発言を直接聞いていた私には、坪井氏の心情は明らかに「現状を肯定したくない」というところにあったのではないかと感じられます。そうでなければ、あの発言自体がなかったと思われるからです。

お忙しい坪井氏なので、直接お話を伺いに参上することははばかられますが、機会があったら、私の広島理解・認識を深めるため(決して自分の複雑骨折の気持ちを癒そうという下卑た気持ちではなく、広島から日本及び世界に対して正確な発信を行うための糧として、という意味です)、坪井氏のお話を伺いたいと思っています。

T様のお母様も被爆者であられることを始めて知りました。「被爆者二世」であるT様も本当に複雑なお気持ちで、広島知らずの私が書きました土足で人様の庭先に踏み込んだに等しい文章をお読み下さったのだと思いますと、本当に申し訳ない気持ちになります。お許し下さい。

浅井基文拝

> 浅井先生
>
> ごぶさたしております。
> 先生のホームページを久々に訪問したところ、
> 放影研の記念式で坪井氏の祝辞をお聞きになり
> 「ショック・複雑骨折」に似た感情におそわれたとの文章が眼にとまりました。
> わたしなりに思ったことを書いてみます。
>
> 放影研の存在は、前身のABCCが設立された経緯(戦後アメリカ側が継続して研究
> をしていく必要性
> をつよく持ったこと)や、その後のABCC・放影研の研究体制(研究するが治療し
> ない)、そして
> 検査などに協力を余儀なくされた当時の被爆者や遺族の感情を思えば、被爆者の
> 母をもつ私自身、
> やりきれぬ気持ちをいつも持っています。
>
> 現在、あまり聞かれなくなりましたが、以前、比治山という市内でも眺望のよい
> 一等地が
> 市民に開放されず、被爆者を実験台にする研究機関に占拠されていることに憤る
> 市民が多数いました。
>
> 詳細はよくわかりませんが、放影研が蓄積する被爆者のさまざまな検査データは、
> たとえば戦後の被ばく治療や原発の安全基準などに生かされていると聞きます。
>
> しかし、それも原爆被災という人類史上きわめて悲惨な結果のうえにあるのも事
> 実です。
> 悲惨な事実に顔をそむけ、ただひたすらに検査データを追い続けることは、
> 原爆投下の責任をあいまいにし、放影研の存在意義を危うくするばかりと思います。
>
>
> 放影研は核兵器が人類に与える医学的な影響を深く研究、これを啓蒙し、
> 核兵器の存在が人類の存亡にたいする脅威であることをもっと強調すべきなのです。
>
> 核兵器廃絶の医学的根拠を示し、廃絶運動を理論的にリードすべきなのです。
> そうすれば地球的規模で賛同がえられるはずですが、残念ながらそうした動きが
> ないのが現状です。
>
> 坪井氏の発言は被爆60年の歳月の長さをいやが上にも感じさせます。
> 放影研を評価するかしないかは別として、平和問題を深く洞察することが日常か
> ら遠ざかっている現状のあらわれ
> ではないでしょうか。おそらく、坪井氏の心の中も本当(「現状を肯定したくな
> い」)は揺れ動いていたと思います。
> それとも、60年の歳月は、「既成事実の屈服」へむかわせたのでしょうか、、、。
>
> 話しは変わって、
> 先週東京出張があり、靖国神社内の就遊館を見学しました。
> 本当は見学することに大きな抵抗がありましたが、
> 靖国がどんな展示をし、どのようなメッセージを送っているのか知らないでは反
> 論もできないと
> 思い、行ってきました。
>
> 展示内容は省きますが、一見、歴史的事実に沿った(と思われる)構成や説明は
> 客観的な展示をしているかのようです。
> しかし、詳細をみていくと、自国中心の歴史展示が長々と続いており、
> 結局、侵略された中国・朝鮮半島の人々の痛みも触れられず、
> 「戦争はやむをえなかった」「先人は慣れない戦地で苦労した」「今の平和は戦
> 争犠牲者のうえにある」
> といった戦争の本質をはぐらかすようなメッセーシだけ゛が強調されており、
> 戦争の美化につながる展示という印象をつよく持ちました。
>
> 展示室内は、老齢の夫婦・団体客、若いカップル、家族連れ、サラリーマンなど
> さまざまで、みんなどんな思いで見学しているのだろうかと思うと、複雑な気持
> ちになりました。
>
> やはり見学はやめとけばよかったと思いながら、展示室を後にしましたが、
> 最後に感想ノートが置いてありました。
> 中をみると、靖国の展示に否定的な意見も結構書かれており、
> 疲れ切った心を唯一救ってくれました。
>
> まだまだ日本人も捨てたもんじゃないと、考えを切り替えて館をあとにしました。
>
> でも、もう見たくないです。本当は。