被爆者団体協議会(被団協)の坪井直氏の祝辞

2005.11.10

11月8日に記した放射能影響研究所(放影研)の記念式で、被爆者団体協議会(被団協)の坪井直氏が行われた祝辞にも、私はショック・複雑骨折に似た感慨を味わい、その気持ちを今なお引きずっていることを記しておきたいと思います。

放影研の前身はABCCといってアメリカの機関であり、被爆者を対象とする研究調査はするけれどもその診療は行わないということで、被爆者の中にはその姿勢に疑問を持ち、協力を拒む方たちも少なくなかったということを聞き及んでいます。1975年に日米両政府の支援の下で財団法人として衣替えをして今日に至っているのですが、被爆者を対象とした調査研究機関としての性格は基本的に変わっていません。

そういう歴史的背景の下で坪井氏の祝辞が行われたと、私は認識しています。坪井氏は率直に、ABCC及び放影研に対して被爆者の中に存在していたわだかまりについて触れられました。その上で坪井氏は、そういうわだかまりが正しいものではなかったという趣旨のことを話され(私は何故か坪井氏の正確な発言を記憶していません。ショックが大きくて、頭がついていかなかったせいだと、今になって思います。坪井氏が行われたのは「わだかまり」という表現ではありませんでしたが、私にはそういう趣旨に感じられました)、放影研の業績を讃えられ、今後の研究にさらに期待する、という趣旨の結びで話を終えられました。

当日の放影研及び日米両政府の代表の挨拶・祝辞には、原爆投下に対する言及は一切ありませんでした。被爆者の協力に対する感謝の意は存分に述べられましたが。そのことに対して私の心の中で割り切れない思いがふくらんでいるときに、以上の坪井氏の発言があったのです。

私は、坪井氏の度量といいますか、すべてを許容する包容力といいますか、私の貧弱な物差しでは到底推し量れない奥深さに圧倒されました。加害者がその犯罪を認めようとしないのに、加害者のその後の行為が客観的に評価すべきものであれば、その行為をとるに当たっての加害者の主観的意図(放射線による人体への影響について、アメリカ側がものすごく神経質であり続けたことについては、ロバート・リフトン“Hiroshima in America”が克明に明らかにしています。核兵器による放射線被害の残酷性を認めれば、その反人道性・国際法違反性を認めなければならなくなるが故に、核兵器に固執するアメリカとしては絶対に認めたくないという意思が働いてきたのだということを、リフトンの本は客観的に明らかにしています)如何にかかわらず、その行為を評価する、ということなのです。

今の私には、坪井氏の胸中を推し量るなどという大それた気持ちはまったくありません。このショック・複雑骨折に似た気持ちをあわてずに消化し、広島についての私の思考の幅を広げることにつなげたいと思っています。