教育基本法の問題を調べている中で

2005.10.10

教育基本法の問題を調べている中で、広島県の教育が猛烈な反動攻勢を受けていることを思い知らされる文章にぶつかりました。そのすさまじさは、平和教育をも窒息させる勢いのようです。その文章によれば、以下のとおりです。

「1998年から始まった文科省の(広島県に対する)是正指導では、「日の丸・君が代」だけでなく、教育内容への全面的な介入を始めました。「人権学習の内容」「道徳の時間と内容」「授業時数の確保」等々。県教委は、まず全ての学校の授業時数について実態調査を行い、「授業時数確保」の名目で、教職員が自主的行っていた原爆資料館や被爆者と協力して実践してきた平和教育、人権教育に圧力をかけました。明確な指示ではなく、あくまで「授業時数の確保」のために事実上不可能に追い込みました。文書による指示・通達によらない新しい強制の形です。校長は、全ての担任教員に、週案の提出を義務づけ、授業内容のチェックを事細かに行っています。今では、平和都市・ヒロシマで平和公園、原爆資料館への社会見学が実施できなくなっています。これは、広島だけの問題ではありません。全国の反戦平和教育に対する攻撃です。」(太字は私が付けました)

私も最近、友人となった広島の人から、毎年8月6日に西広島の小学校の校庭で行われていた行事が、今年4月に着任した校長が学校として協力しないと決めたために、市民の手で規模を縮小してやっと行うことができた(校庭の使用まではさすがに拒否しなかったとのこと)という話を聞いていました。また、広島平和研究所主催の市民講座でも、出席した方から、平和教育に対する教育現場でのすさまじい締め付けの実態に関する報告に接していました。それらの話を聞いたときには、とんでもないことだな、とは思いましたが、上記の文章を読んで始めて、その深刻な本質が理解できました。

将来の平和を担う広島の子どもたちに対する教育現場でのこのような締め付けを許しておいたら、被爆都市であり、平和都市であり、日本の平和運動のシンボルともいうべき広島は一体どうなってしまうのでしょうか。憲法が改悪されたら、広島は陸の孤島になってしまうと考えてきましたが、権力は「陸の孤島」的存在すら許さない決意なのです。広島そのものが内部から崩壊の危機に直面しているのだと実感します。期待を込めて来た広島の実情は、私の予想をはるかに超えた厳しいものがあることを日々痛感するようになっています。