「"おばけ"を見た人たち」(中村尚樹氏)を読んで

2005.06.29

木村朗編『核の時代と東アジアの平和』(法律文化社)で、フリージャーナリストの中村尚樹氏が執筆している「“おばけ”を見た人たち」を読んでいて、深く考えさせられる箇所に目がとまりました。この文章は、主に在韓被爆者の問題を取り上げたものなのですが、在韓被爆者の日本での裁判闘争に、韓国の若い世代が支援する「原爆被害者と共にする市民会議」を結成して支援に立ち上がったことを指摘するとともに、その市民会議の設立趣旨として5項目が掲げられていることを紹介しています。目を見張る思いがしたのは、その5項目の内容でした。次のようなものです。

  1. 南北被爆者の交流と協力支援により、朝鮮半島の平和統一の基盤作りに寄与する。
  2. 南北および日本の被爆者の交流を促進し、東北アジアの非核化に寄与し、核兵器の開発および保有、使用に反対する活動を展開する。
  3. 戦争を起こし、朝鮮人を動員し、犠牲を与えた日本政府に対し、その賠償責任を追及する。
  4. 原爆投下で多くの民間人を虐殺したアメリカ政府の責任を追及する。
  5. 自国民の被爆に関して無責任な政府当局に、その責任と役割を果たすよう求める。

その後、中村氏は次のように指摘しています。少し長くなりますが、引用します。

「原爆投下と朝鮮半島の南北分断は、アメリカの世界戦略の結果であり、その両方の犠牲者である朝鮮人被爆者を思うことは、南北朝鮮の統一を願うこと、さらには、アジアの非核地帯化や、核兵器廃絶へと至る道筋の一つを示すことにもつながるだろう。

『原爆が韓国を解放したというのは観念的な考え方だ。被爆者問題こそ戦争の本質をはらんでいると思います。この問題は、人権など普遍的な視点から、人類共通の問題として解決してゆかねばなりません。』そう強調したのは、市民会議のキム・ドンニョル事務局長(34歳)だ。韓国の若い世代は国家の楔から解き放たれ、前世紀から積み残してきた課題に対し、これまでとは違う角度から切りこんでいこうとしている。

同じ観点から韓国では、戦争の被害者としてだけでなく、加害者としての責任を自ら追及しようという市民の動きも活発だ。韓国軍が朝鮮戦争やベトナム戦争で行った、民間人虐殺の真相を究明するための実態調査が進んでいる。かつては許されなかったアメリカ批判も、新たな事実関係を発掘しながら、冷静に行われている。そうした問題もふまえて、自国の教科書を見直そうという声も新聞などに出始めた。国家主義的方向から見直そうという日本とは逆の方向だ。彼らは一方的に、日本の戦争責任を問うているのではない。自らの足元を確認したうえで、国家を絶対視するのではなく、国家の役割を相対化しながら、市民が行動の主体になろうとしている。」

『原爆が韓国を解放したというのは観念的な考え方だ。被爆者問題こそ戦争の本質をはらんでいると思います。この問題は、人権など普遍的な視点から、人類共通の問題として解決してゆかねばなりません』

という発言が、韓国の若い世代から自然と出てくることには、本当にすごいことだと思いました。「普遍の意識の欠如」こそ、丸山真男氏が鋭く指摘した日本人の「病理」ですが、韓国の若い世代は「普遍の意識」を我がものにしているが故に、私たちが苦しんで向き合っている被ばく体験の「継承」という問題について、実に的を射た答えを出すことができるのだと思います。しかも、そういう彼らだからこそ、韓国自身の問題にも、アメリカの問題についてもタブーなしに向き合うことができるのだと思いました。「目からウロコ」とは正にこういうことを言うのでしょう。