被爆者の方と若者が集う集会に参加

2005.06.25

今日は、地元の新聞が主催する被爆者の方と若者が集う集会に参加しました。被爆者の方々の思いの一端と若い人たちの率直な意思表明を聞くことができました。私は、もう一人の方と一緒に、コーディネーター的な役割を担わされた(当初の気持ちとしては、被爆者の方や若者の気持ちを聞きたいという気持ちだったのでしたが、いつの間にかそんな役割を担わされていました)のですが、60人以上が参加した集まりなので、意見を集約するとか、方向性を出すとかいうことははじめから考えていませんでした。むしろ、被爆者の方たちの思いと若い人々の思いとを引き出し、双方の思いが重なる部分を見いだすことができれば、それだけで十分だという気持ちがありました。

そういう私の当初の気持ちからすれば、この集会は十分な結果を出したと思います。当初の不安をふっけすように、皆さんが積極的に発言してくれたからです。もちろん、時間の制約があり、発言した人、発言したい人に消化不良の気持ちを残したことは否めませんが。

集会の雰囲気や皆さんの発言内容については、いずれ地元新聞がまとめて報道してくれると思いますので、私がこのコラムで報告することではないでしょう。

私が、皆さんの発言を聞いて強く感じたことだけをまとめて記しておきます。

一番強く感じたことは、皆さんが広島という枠組みに限定して物事を考えている、ということでした。それは、まったく非難する意味で言っているのではありません。被爆者の方や若い人々にとっては当然のことです。

私が強く感じたことは、広島平和研究所や私自身の責任ということでした。つまり、被爆者の方の体感に基づく訴えや若者たちの素直な感性に立脚する感慨を、私たちが説得力を持って普遍化し、誰(広島以外の日本国内及び国際社会の人々)が聞いてもうなずかざるを得ない内容にまで高める責任を負っているということです。具体的には例えば、「核兵器は絶対悪」と言われる被爆者の発言を、私たちがどこまで普遍的説得力を持たせることができるか、という課題です。私は、自分自身及び広島平和研究所が正面からぶつかるべき課題の一つを認識させられる思いでした。

もう一つ強く感じたことは、広島にこだわりを持つ若い人々には希望が持てるということです。私自身は、広島の外から広島に移り住んだものとして、日本国内の被ばく体験の「風化」が深刻なまでに進行しているという危機感を持っています。しかし、今日この集会に参加した若い人たちの発言を聞く限り、まだまだ捨てたものではない、と力づけられる思いがしました。私は、コーディネーターの立場をわきまえず、今日の日本の憲法をめぐる危機的な状況を指摘し、憲法が改悪されでもしたら、広島の内外に向けた発信力、平和拠点としての広島の国際的認知力は失われるだろうと警告したのですが、何人かの若者が私の指摘に応える問題意識を表明してくれました。日本国内の被ばく体験の風化をチェックし、国民の共有財産とすることにすることを確固としたものにしない限り、日本国内でさえ浮き上がってしまうような広島の世界に向けた発信が説得力を持つはずがないという私の指摘は、少なくとも何人かの若者にとっては、「打てば響く」内容があったのではないかと思います。

帰りの広電では、集会に参加してくださった被爆者の方と横川駅までご一緒しました。その方のお話からも深く考えさせられることがありました。ひとりでも多くの被爆者の方とお話しする機会を得て、自分自身の広島認識を確実なものにしたい、と思いました。