広島市立大学新聞部の学生の取材

2005.06.10

NPT再検討会議決裂を受けた広島(長崎についても本質的には同じことがいえると思いますが、ここでは、広島に限定して議論を進めます)の課題、ということで広島市立大学新聞部の学生の取材を受けました。私は、主に三つのポイントがあるのではないか、と次のようなことをお話ししました(文章化するに当たって、実際にお話しした以上に内容がふくらんでいます)。

1.国内に対する発信という課題

広島が「国際社会に向けての核廃絶・平和の発信拠点」として認められ続けるためには、国際社会が広島の声に耳を傾けるための大前提ともいうべき条件を作り出す必要があります。その大前提というのは、日本の矛盾を極める核政策さらにはその根底にある日米軍事同盟路線を根本的に改めさせるために、国内に対する働きかけに本気で取り組むことです。

今の日本は、この政策・路線を強化するために憲法「改正」をも行う方向に突き進もうとしています。日本が憲法を「改正」し、日米軍事同盟をますます強化し、アメリカの核政策にますます従順になるという状況が現実になれば、広島がいくら核廃絶を訴えても、国際社会は真剣に耳を傾けるはずがないと思います。

もっと端的かつ具体的にいえば、広島は、核問題そして日米軍事同盟問題について、対米核抑止依存政策の清算、非核三原則の遵守、日米軍事同盟の解消を明確に求め、平和憲法を守ることの重要性に関する広範な国民の認識を深めることに、不退転の決意をもって取り組まなければならないのではないでしょうか。加害(侵略戦争・植民地支配)→広島・長崎→ポツダム宣言受諾・敗戦→平和憲法という歴史を踏まえるならば、広島と平和憲法との間には切っても切れない関係があることが理解されるはずです。

それだけ明確な立場に立った場合にのみ、広島は、核廃絶運動の拠点として今後も国際的に公認されることになるのだと、私は思います。

国内に対する発信を強めるという課題を考える上では、広島が長崎、沖縄、神奈川をはじめとする核問題、基地問題などで共通の課題に直面している他県との協力関係を強めることも非常に重要であることを強調しておきたいと思います。これらの4県がしっかりとした協力関係を打ち立ててはじめて、日本国内に対する発信力を強めることができるからです。広島だけの発信では、もはや日本国内の劇的な変化を起こすことは至難であると考えなければなりません。

2.広島の主張の説得力を強めるという課題

これから、広島の核廃絶の立場をどのように内外に向けて発信していくかという課題は、広島の被爆体験をどのように継承していくかという喫緊の課題と大きく重なる問題だと思います。この問題について考える中で、私の頭の中では最近、「三つの普遍化」というテーマが次第に輪郭をとるようになっています。

被爆した広島は、一瞬にして大量の無辜の民が殺傷された大量虐殺という本質と、生き残った人々が放射能によって長きにわたって苦しめられ、死に追いやられてきたという本質とをあわせ持つ存在です。その広島は軍都として、一五年戦争に至る日本軍国主義の侵略戦争の一大出撃拠点として重大な役割を担い続け、アメリカの原爆投下の対象となったという歴史をも持っています。

大量虐殺は過去においても存在し、現在も不幸にして世界各地で繰り返されており、これからも起こらない保証はありません。被爆した広島は、世界各地の数多くの悲惨な事態との間で、大量虐殺という点において、人類が共有する負の遺産の重要な一部を構成するものとして普遍化される本質を持っていると思われます。また放射能に起因する被害(被ばく)という点では、被爆した広島は、チェルノブイリ、セミパラチンスク、マーシャル群島、劣化ウラン弾にかかわるイラク等々との間で、やはり人類が共有する負の遺産の重要な一部を構成するものとして普遍化する内容を持っていると思うのです。

かも、広島の被爆体験は、その根底において日本軍国主義による侵略戦争・植民地支配という歴史を抜きにしては考えることが困難です。被爆という被害は、侵略戦争・植民地支配に一翼を担わされた広島という加害と不可分に結びついています。被爆体験を加害と被害の両面性において把握することによって初めて、人類共有の負の遺産として普遍化する今ひとつのとらえ方ができるのではないか、と私は考えます。

以上の「三つの普遍化」というとらえ方を私たちが我がものにするとき、被爆体験の継承という課題を解決するに当たっての堅固な思想的な根拠をも我がものにすることができるのではないでしょうか。それはまた、広島の核廃絶の立場をどのように内外に向けて発信していくかという課題に対しても有力な回答を用意することをも意味する、と私は考えます。

3.国際的なリーダーシップを発揮していく上で取り組むべき課題

NPT再検討会議が何らの成果も上げられないままに終了したことは、広島に深刻な課題を突きつけています。1995年及び2000年の再検討会議がそれなりの成果を上げたことが、内外の核廃絶運動に力を与えたのは事実でありますし、今回の会議に対してもそれなりの期待が寄せられたことは否めない事実です。会議がなんの成果もなく終わった今、これから核廃絶運動はどのような具体的目標を設定して運動を進めていくべきか、という課題が広島にも突きつけられているのです。

広島がまず確認しておく必要があることは、次の2点であると思います。まず、会議がなんの成果も上げられなかったということは、過去2回の会議の成果が抹殺されるということを必ずしも意味しない、ということです。もう1点確認する必要があることは、NPT再検討会議はいろいろ問題を抱えていますが、今日の国際社会において核軍縮・廃絶に取り組む唯一の国際的枠組みであるということです。したがって、広島がこれからの取り組みのあり方を考える上では、以上の2点を前提に据えることが議論の出発点になると思います。

次に考える必要があるのは、なぜ今回の会議が失敗に終わったか、という原因の解明です(この点については、すでにほかの場所で述べたことがありますが、市立大学の新聞記者の学生に述べたこととして重複を厭わず記しておきます)。

核不拡散については、イスラエルの核保有を黙認するアメリカの二重基準を批判するなどの行動に出たエジプトが主に批判されました。核軍縮については、アメリカが実質審議に入ることすら拒んだことに批判が集中しました。核の平和利用については、平和利用の条約上の権利を主張するイランとこれを認めない仕組みを作ることにのみ関心があったアメリカとが正面から対決したことが、事態打開が不可能になった主たる原因だと指摘されました。

しかし、以上三つの分野に共通しているのは、要するにアメリカの身勝手を極める核政策がすべての問題の根幹にあったという事実です。ということは、アメリカの立場・政策を変更させることが可能であれば、事態打開の道筋も見えてくるということを意味します。

したがって、核廃絶を目指す上で、広島が重点的に取り組まなければならない第一の課題は、アメリカが核政策を含む1国主義の政策を変更することを求める国際世論を高めることです。確かにアメリカの国内世論は、国際世論に対して敏感に反応しない傾向があることは認めなければなりません。しかし、ブッシュ政権の内外政治が各方面で行き詰まりを深めていることは、ブッシュに対する支持率が確実に低下傾向にあることからも読み取ることができます。今後のイラク情勢の展開は予断を許しません。アメリカ経済も綱渡りの状態にあります。特にブッシュ政権が進める核政策については、共和党を含め、強い異論が出始めている状況があります。ブッシュ政治の苦境がアメリカ国民に明らかになればなるほど、ブッシュ政治に対する国民的批判は強まるでしょう。その際、国際世論におけるブッシュ批判の声が盛り上がっていれば、アメリカ国民の政治的行動の後押しをする効果は大いに期待できると思います。

アメリカでは1年後の2006年には議会の中間選挙があり、3年後の2008年には大統領選挙があります。アメリカの国内政治日程をもにらみつつ、核廃絶を求める国際世論の声を高めるべく積極的に行動することは、広島にとっての緊急課題です。

広島が考えなければならない第二の課題は、核廃絶を現実のものとするための地に足のついた取り組みを強めることであります。率直に言って、国家レベルでの核問題に対する関心の低さは、今回のNPT再検討会議において痛いほど露呈されました。もちろんだからといって、国家に対する働きかけを諦めるということではなりません。必要なことは、国家をして核廃絶問題に真剣に取り組まざるを得ないようにする環境作りに、広島が精力的に行動することではないでしょうか。その点では、対人地雷禁止条約の成立を可能にしたNGOの活動という前例が参考になります。

もちろん対人地雷と核兵器とを単純に比較することには無理があります。しかし、市民運動、NGOの活動が国家を突き動かして、対人地雷禁止条約の締結にこぎ着けたプロセスからは、広島としても学ぶことが多いのではないでしょうか。2.で述べた「三つの普遍化」に基礎をおくアプローチによって、核廃絶の説得力を格段に強め、核廃絶運動の裾野を拡大することは決して難しいことではありません。広島が核廃絶を含む世界平和の実現に対して果たしうる役割は極めて大きいと、私は確信しています。