『あけぼの』という雑誌に寄稿

2005.05.24

『あけぼの』という雑誌に寄稿することになって、編集の方から、その雑誌の見本を送っていただきました。その1月号に作家の目取真俊(めどるま・しゅん)さんの「自らの生活の場からの運動を! 日本人一人ひとりの責任」という文章があり、引きつけられました。沖縄県出身の人ならではなの鋭い指摘に本当に迫力と私たちに対するこれ以上もない告発を感じました。次の文章です。少し長くなりますが、引用して紹介します。

なぜ「広島」のコラムに載せたかといえば、侵略戦争のとてつもないツケを支払わされたヒロシマから、こういう日本人に向けた鋭い指摘と告発が行われない(私の寡聞のせいかもしれませんが、その点はお許しください)のは何故なのか、という素朴な疑問が私の心の中にうごめいたからです。

そしてもう一点加えるならば、「国民保護法制」の下で作られたいわゆる「国民保護に関する基本指針」(案)なるものにおいて、ヒロシマ・ナガサキの原爆被害を念頭に置いた上で、再びそうしたとんでもない災難が起こることを平然と想定した次のような「対処方針」が堂々と政府の公式の文書に示されていることに、私はとてつもない怒りと違和感を覚えるからです。政府は、ヒロシマ・ナガサキの再来を前提として、国民を戦争への道に駆り立てようとしている。こんなことが許されるのだろうか。ヒロシマ・ナガサキはそんな政府の方針に黙々と従うのか。「ノー・モア・ヒロシマ」「ノー・モア・ナガサキ」は一体どうなるのか。私は、目取真俊さんの鋭い指摘と告発から、広島・長崎の人々が行動のあり方についての示唆を是非ともくみ取っていただきたいと願わずにはいられません(見当違いのことをいっているのでしたら、心から謝罪します)。

<基本指針の一節>

〇核兵器を用いた攻撃(以下「核攻撃」という。)による被害は、当初は主に核爆発に伴う熱線、爆風及び初期放射線によって、その後は放射性降下物や中性子誘導放射能(物質に中性子線が放射されることによって、その物質そのものが持つようになる放射能)による残留放射線によって生ずる。核爆発によって①熱線、爆風及び初期核放射線が発生し、物質の燃焼、建造物の破壊、放射能汚染の被害を短時間にもたらす。残留放射線は、②爆発時に生じた放射能を持った灰(放射性降下物)からの放射線と、③初期核放射線を吸収した建築物や土壌から発する放射線に区分される。このうち①及び③は、爆心地周辺において被害をもたらすが、②の灰(放射性降下物)は、爆心地付近から降下し始め、逐次風下方向に拡散、降下して被害範囲を拡大させる。このため、熱線による熱傷や放射線障害等、核兵器特有の傷病に対する医療が必要となる。

〇放射性降下物は、放射能をもった灰であり、爆発による上昇気流によって上空に吸い上げられ、拡散、降下するため、放射性降下物による被害は、一般的には熱線や爆風による被害よりも広範囲に拡大することが想定される。放射性降下物が皮膚に付着することによる外部被ばくにより、あるいはこれを吸飲することや放射性降下物によって汚染された飲料水や食物を摂取することによる内部被ばくにより、放射線障害が発生する。したがって、避難に当たっては、風下を避け、手袋、帽子、雨ガッパ等によって放射性降下物による外部被ばくを抑制するほか、口及び鼻を汚染されていないタオル等で保護することや汚染された疑いのある水や食物の摂取を避けるとともに、安定ヨウ素剤の服用等により内部被ばくの低減に努める必要がある。また、汚染地域への立入制限を確実に行い、避難の誘導や医療に当たる要員の被ばく管理を適切に行うことが重要である(太線は浅井)。

<目取真俊さんの文章>

「有事=戦争法が発動された今、政府がそれを発動しさえすれば、憲法はその瞬間に死を迎える。自衛隊という軍隊が国民を「保護」してくれるかのように思って、有事=戦争法を成立させた日本人のおろかさよ。沖縄県内においては反対が多数であっても、日本全体では沖縄の意見は圧倒的な少数でしかない。沖縄戦における日本軍による住民虐殺や食料強奪、壕追い出しなど、歴史の貴重な体験・証言は、日本の民衆全体に共有されることはついになかった。(中略)中国における自らの住民虐殺を証言した日本兵はいても、沖縄における自らの行為を証言し、謝罪した元日本兵を私は知らない。…

去る8月13日の沖縄国際大学への米軍ヘリ墜落事件においても、マスメディアをはじめとして、日本人全体の反応は実に冷ややかだった。(中略)見たいものだけを見て、見たくないものは見ない。そういう心理状態が当たり前となり、沖国大の事件が自分の生活とどうつながっているのかを考えようともしない。…米軍の墜落事故に対する対処の仕方は、イラクと何も違わない。市民に対して銃で武装し、メディアの取材までも規制しようとする。沖縄の警察も盾を向けるのは市民に対してであり、「保護」するのは「国民」ではなく、米軍であることを露骨に示した。これこそ、「国民保護法」が発動されるとき、全国各地で起こる状況だろう。

沖縄の基地問題は沖縄だけの問題ではない。沖縄に基地を置いているのは沖縄人の選択ではなく、日本人全体の意志なのだ。そこにおいて起こる事故や事件は、米軍や日本政府だけでなく、日本人一人ひとりに責任がある。(中略)

反安保なき憲法擁護運動とは、安保の負担を沖縄に押しつけ、それを見て見ぬ振りして自分たちだけは「平和」を享受しようという、ヤマトゥンチュー(日本人)の虫のいい発想でしかない。」(太線は浅井)