歩いていこう熊野古道 その8

第8日目(2025年4月7日) 湯浅から鹿ヶ瀬(しかがせ)峠、御坊

コースは、以下を参考にしています。

熊野古道の湯浅~紀伊内原



熊野古道の紀伊内原~西御坊


つくづく思うのだが、春と秋が短く、冬と夏が長い。
去年の5月に歩いた後は、雨、雨、であっという間に暑い夏。
10月まで暑さが続き11月になって一転寒くなった。
寒くなったら出たくない。

桜も咲いて暖かくなったのでそろそろ動きましょうかと。

4月に入って天気予報を見てたら、7日の月曜から晴れるのを見ていくことを決めた。

段々とコースが家から遠くなるので、今回は一泊にした。

朝の4時半に起きて、納豆ご飯の朝飯を食べて昼飯のおにぎりを作って6時前に家を出た。
天王寺駅で6時43分発の紀州路快速は湯浅行きだから、乗れば寝ていても大丈夫。

8時半過ぎに湯浅駅に着いた。

街の中を歩いて鹿ヶ瀬(しかがせ)峠を目指す。
熊野古道の紀伊路の中では難コースらしい。

桜の季節なので所々に満開の桜


少し歩いて、久米崎王子に着いた。


街の中の細い道、そして津波避難タワーがあった。
この地域は、南海地震が起こったら、すぐに津波が来るんだろう。

広川沿いを上がっていくコース、河瀬王子跡でひとやすみ


河瀬王子から旅籠跡、立場跡と行く。

立場とは、駕籠はここまででこれより先は馬や牛を用いるのがおすすめ場所。



ここからは道が細くなっていく。
勾配が急になってきた。
後ろから音を立てて軽自動車がタイヤを思いきりスリップさせながら上がってきたのにびっくり。
かなり急な道に息があがってくる。
石畳みの道、端はコンクリートで固められているようで新しいと思うが、桜シーズンなので花びらが落ちている。



息を切らしてようやく鹿ヶ瀬峠(大峠)、標高364mでそれほど高くないのだけれど苦労した。

峠は開けた地形になっていて桜が満開になっている。


ここで昼飯と休憩。


峠の下りはゆるやかで、上がったり下ったりで小峠をへて下る。









小峠からは昔からの石畳みの道が続く、滑らないように注意だ。


開けた所に出たところに古道公園というのがある。

昔に整備したんだろうけど、「マムシ注意」の看板、

ちょっと休もうという気にはならない。





沓掛(くつかけ)王子に着く。
峠を下りてきた人が、自分の沓(くつ)や馬の沓を替えたのが由来らしい。

沓掛というと、「沓掛の時次郎」というフレーズが出てくる。
なんだろうとネットで調べてみたら、渡世人の映画だった。見た事ないけど。


次の王子は馬留(うまどめ)王子。

ここで馬にエサをやったり休ませたようだ。


舗装道路に出てきたら紀伊内原駅は近いが、今日の宿は西御坊にとっている。
ここからは平たんなルート。

歩く前は、今日のコースは35kmと計算してたが、どうも間違っていたようだ。
今の時刻が2時半くらいで紀伊内原駅の次は御坊駅で近そうだ。

御坊の宿は、ビジネスホテル「フォレスト イン 御坊」でグーグルマップで経路を見ると幸いにも熊野古道沿いに近い道になっている。

通る道すがらにあったのは善童寺王子。

ゆるやかに曲がる道をのんびりとあるく。
愛徳山(あいとくさん)王子。


人の庭ではと思うような道に入っているがこれも熊野古道みたい。



海士(あま)王子は祠がありました。

今日はこれまで早くホテルに着いてビール
と思ってたら、ホテルの横にありました。







ホテルにチェックインして、ビール、風呂、晩御飯に日本酒のひやを飲んでぐっすりと眠ることができました。
今日は28kmぐらい歩いたようです。



第9日目(2025年4月8日) 御坊から有間皇子ゆかりの岩代

このコースは以下を参考にしてください。

熊野古道 西御坊~切目


熊野古道 切目~南部


朝6時半の朝飯を食べる。私の歩きの旅のお約束は出発前にトイレをすませておくこと。
便利なことに普段から同じリズム。


幸いにもホテルの横に熊野古道がある。
すぐのところに標識があった、まずは塩屋王子。


ほんまにこの道であってるんやろか・・・
と思うが。

方向として間違っていなければいいと思ってグーグルマップへ見ながら歩く。

あちこち曲がったりうねったりしていたら塩屋王子。
















塩屋というのは、たぶんこの辺で塩を作っていたのではないかと思う。
さてここからは国道24号沿いになる。並行する市道に行くことにする。

清姫の草履塚というのがある。
清姫とは、あの娘道成寺の清姫。

僧の安珍を追いかけ、まだるっこしいと草履を脱いだらしい。

この辺の道は海に近い。


昼飯の調達を兼ねて、魚を売ってる店をのぞいた。
パンかおにぎりでもあるかと思えば・・・さつま揚げを買いました。

さらに歩いていると熊野古道とは関係ないが、広畑古墳の看板があった。
よってみよう。

中を覗いてみたら、狭い古墳だった。
入れることもできるようだが遠慮した。

道に戻ってコンビニがあったので、おにぎりとお茶を買いました。


和歌山高専の横を通って、上野王子。
ここには仏井戸がある。

井戸の中に仏像のレリーフがあるが、水の中に浸かっていて見ることができない。


日照りかなんかで井戸の水が枯れた時に、雨乞いを兼ねて彫ったんだろうか。











印南駅の手前のちょっとした高台に叶王子がある。
ここで昼飯にした。
コンビニおにぎりと「はし長」で買ったさつま揚げ。







印南の街に入って目に入ったのは「かつお節」発祥の地の看板。
固まりのかつお節を見なくなった。
削り器と一緒にあって削りたては美味しい。
最後に削れなくなって欠片を食べるが固い、そこで口の中でふやかすと段々と食べられるようになってくる。
よく考えれば、昔ってぜいたくなものを食べていたんだと思う。


国道沿いを歩けば斑鳩王子。


どうしてこんなに近いのか。
熊野古道は平安時代から江戸時代までの長い時代歩かれてきた。
その中で、地形の変化や時代の変遷で、場所が変わってきているせいだと思う。
同じ時代にあったわけではない。

国道から分かれてJR切目駅、熊野古道は続く。



切目中山王子は、中山王子神社となっている。
神社は「足の宮」のサブタイトルがあり、足になにかいい事があるかも。
疲れた足を休めよう。

次の岩代王子までは山の中を小さな峠越えがある。


峠を下りきって、海が見えて国道と並行する道を進む。

さてこの地は、有間皇子(ありまのみこ)の歌碑がある、岩代だ。

海南の藤白神社の時に、取り上げた有間皇子。

岩代(いわしろ)の浜松が枝を引き結びま幸(さき)くあらばまたかへりみむ

謀反の疑いをかけらけた皇子が、白浜に行ってる天皇の元に送られた時に詠まれた歌で「またここに帰ってきて、この岩代の松を見ることができるだろうか」という内容。
実際は、海南の藤白あたりで殺されたということだ。
有間皇子は大津皇子に比べたら、知られていないけれどもう少し知られてほしい。


ここから歩いてすぐにあるのが岩代王子。


次の千里王子には、かつては海岸沿いの砂浜を歩くらしいが、それは無理で国道をあるくが、それは次回。


ここからJR紀勢線の岩代駅から帰ることにします。

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