最終更新日: 2009年07月10日

出雲國神仏霊場参り(第2弾) [2009/05/04-06]


2年ごとに山陰詣で

 一昨年の娘の「四才児お礼まいり」で暫くは松江・出雲方面の旅行はないはずでしたが、昨年息子が生まれ今年も「二才児まいり」に行く事になりました。 と云うことで、前回20箇所中12箇所参拝した「出雲國神仏霊場参り」の第二弾を兼ねて、再び松江・出雲方面に二泊三日で出かけました。

思った程には混雑なし

自宅[8:00] − → 岩国I.C. → 山陽、広島、中国自動車道 →三次IC[9:30]

 高速料金1000円均一の影響で、高速道路は混雑?との懸念もありましたが、流石に地方路線までの影響はあまり無く、思った程には混雑はありませんでした。 とは言うものの朝食の為に立ち寄った安佐パーキングエリアはそこそこ混雑しており、何とか空いた席を見つけて朝食を摂りました。

道の駅は大混雑

三次IC[9:50] − → R54, K39 → 須佐神社[11:35]

 三次ICで降りると国道54号線を北上するお決まりのコースです。 54号線沿いに4箇所の道の駅が有りますが、こちらはいずれも大混雑していました。
 途中54号線に別れを告げると、須佐神社に向かいます。 山の奥へ入って行く道で、また山道かと心配しましたが、流石、島根県、山の奥の道も非常に整備されており、快適なドライブです。 神社に着くと驚いた事に駐車場は車で一杯です。 宮司さん用の駐車場も解放されていましたが、こちらも満車状態でした。 娘と息子は寝てしまっていたので、路上に駐車し、後は家内に任せて、参拝に向かいました。
 落ち着いた感じの神社ですが、境内には多くの人がいます。 御朱印を頂きに社務所に行くと、こちらにも人が並んでいます。 購入されているものを見ると、一般的なお札の他に「お米」や「お箸」を買い求めている方が多くいました。 何か謂れがあるのでしょうか。 最初は、「出雲國神仏霊場参り」関連の参拝客かと思いましたが、そうでもなさそうです。

須佐神社
この国は小さいけれど良い国なり、我名を岩木にはつけず土地につける、と仰せられ大須佐田、小須佐田、を定めたので須佐と云う、と出雲風土記に記されており、須佐之男命の御終焉の地として御魂鎮めの霊地、又御名代としての霊跡地であり、大神奉祀の神社中 殊に深い縁を有する神社である。

やっぱりお寺は山の奥

須佐神社[11:50] − → K39, R54 → 峯寺[12:30]

 峯寺は三刀屋松江ICのそばにありました。 住宅地の中を抜けて行く道路を走っているといつの間にかすれ違い出来ないような細い道になり、しかも山登りです。 お寺がある場所は、やっぱり山の奥でした。 峯寺に到着すると、ここにも数台の車が止まっています。 高速料金の値下げ効果でしょうか。
 精進料理を食べる事が出来るとの事でしたが、果たして食べに来る方がいらっしゃるのか疑問に思えるような雰囲気でした。 御朱印を頂いている間に、家内達はお庭を見学して来たものの、今一つとの感想で、あまり特徴のあるお寺ではありませんでした。

峯寺
 

やっぱり荒木屋

峯寺[12:50] − → K26, R9, K28, R431 → 荒木屋[13:50]

 峯寺からは斐伊川沿いに出雲市内に向かいます。 土手の上を走る道路で、見晴らしも良く快適に走行出来ました。
 出雲市街に入るとやはり渋滞しています。 最初に引っかかったのが、「島根ワイナリー」でした。 駐車場に入る右折車輌に阻まれて、なかなか進めません。 次の関門が「出雲大社」の周辺です。 大駐車場は当然の如く満車で、離れた場所にある臨時駐車場も混雑し、それらに向かう車で出雲大社周辺は大渋滞となっていました。 昼食を摂っている間に少しは渋滞が緩和されると考え、脇道に入って先に荒木屋に向かいましたが、これが後になって仇となりました。

 さて、荒木屋の駐車場は比較的空いてはいたものの、店の前には順番待ちのお客さんが40〜50人程待っていました。そうは云っても「そば」なので、回転は速そうです。 40分程待った所で、2階に上がる事が出来ました。 一昨年の「八雲 東店」と比べると随分ゆったりしています。 荒木屋の割子そばは、以前は四段でも五段でも同じ割子だったと記憶していましたが、今回は八雲と同じように割子毎に種類が異なっています。 私と家内が五段を娘は三段を頼みました。 五段の内訳はとろろ、生卵、大根おろし+なめこ、揚げ玉、かけ です。 息子は半分程、娘は三段を軽々と平らげてしまいました。 一昨年は一段をやっとの思いで食べていたので、格段の成長です。 肝心のそばの味は、我々には「荒木屋」の方が口に合っていると思いました。

荒木屋
割子5段

出雲大社は工事中

荒木屋[15:15] − → R431 → 出雲大社[15:25]

 15時も過ぎ流石に駐車場の混雑も緩和され、いつもの大駐車場に車を止める事ができました。 出雲大社はちょうど式年遷宮のための工事中でした。 我々が旅行先で参拝する神社の内、一社は必ず工事中のような気がします。 参拝客も多く、参拝を済ませると早々に「古代出雲歴史博物館」に向かいました。

出雲大社
 縁結びの神・福の神として、全国の人々に親しまれている出雲大社は「大国主神」をおまつりし、本殿は国宝になっている。 また、日本で最も古い神社建築の形式をもったいわゆる『大社造り』で、伊勢神宮の『神明造り』とともに代表的な神社建築である。 正面の拝殿は、昭和三十四年に再建され、桧造りの美しい色艶と長さ8メートル、重さ1500キロの大しめなわが参拝客の目をひき、荘厳さに思わず気が引き締まりまる。 拝殿の奥が大国主神を祀る、国宝出雲大社本殿で、瑞垣・玉垣に囲まれており、瑞垣の門を八足門といい普通一般にはここから拝する。正月5日間はこの門が開かれ、楼門前で参拝出来る

博物館はどこだ

出雲大社[15:45] − → 古代出雲歴史博物館[16:00]

 博物館は出雲大社の横にあったはずとの曖昧な知識を元に、参道を南下して行きました。 出雲大社には何度か参拝に訪れていますが、この参道を歩くのは初めてです。 途中、ボタン園などに寄りながら大鳥居まで来てしまったものの、博物館への案内板が見つからずちょっと迷子状態です。 出雲大社に来る時に渋滞を避けずに真っ直ぐ道なりに来ていれば、この時大鳥居を左手に曲がると博物館がある事を認識していたはずですが、来る際は途中で脇道にそれてしまった為に、反対側の右手に曲がり、大駐車場の方を目指してしまいました。 途中、ようやく案内板を見つけ、やっぱり大社の東側との表示に従い歩いていって、やっと博物館にたどり着きました。

 博物館は4つの展示室に分かれていて、テーマ別展示室では古代の出雲大社の模型や荒神谷遺跡から出土した銅剣を、総合展示室では島根の人々の生活などが展示されていました。 特に荒神谷遺跡の銅剣は圧巻でした。
 最後に神話回廊に併設されているミニシアターで「スサノオとヤマタノオロチ」を上映するとの事でした。ちょうど息子は眠ってしまっていたので「大丈夫だろう」と考えシアターに入ったのはいいのですが上映が開始されると同時に大音響に驚いたらしく、目を覚ましてしまい、しかも周りが暗いものだから泣き出してしまいました。 慌てて、息子とベビーカーを抱えて外に出して頂き、家内と娘が見終わるのをロビーで待っていました。

 博物館を出たところで雨がパラつき始め、ずぶぬれになるのを覚悟していましたしたが、博物館沿いに出雲大社の東側に抜ける近道を見つけ、来るときの半分位の距離で戻る事が出来、思った程には濡れずに済みました。

古代出雲歴史博物館
宇豆柱
ミュージアムショップ

食事場所探しに一苦労

古代出雲歴史博物館[17:30] − → R431, K278 → 東横イン出雲市駅前[18:10]

 ホテル併設の立体駐車場の前が大渋滞です。 操作を理解していないお客様がもたもたしていた様で、ホテルに着いてからチェックインするまでに30分近くかかってしまいました。
 さて夕食ですが、出雲ではいつも苦労します。 前回は苦労して「うなぎ屋」まで娘を抱えながら歩いて行きましたので、今回は近場で済ますはずでした。 ところがホテルのそばにある焼き鳥屋は既に満員、出雲市駅には食事が出来る場所がなく、ホテルα-1併設の串焼き屋も満員で、1時間待ちとか。 結局、出雲市駅前をぐるぐると歩き回り、「すき屋」での牛丼に落ち着きました。 ホテルに来る途中で見かけた「出雲ドーム」のモスバーガーで買って来れば良かったと、大後悔です。
 食事場所探しでクタクタになり、今回も「らんぷの湯」という温泉設備には行かず仕舞いでした。
 翌朝、通常はホテルの無料朝食(おにぎり等)を頂くのですが、ロビーは満員でなかなか席が取れそうもありません。 今回の旅行のメインイベントの「二才児まつり」に間に合わなくなると困るので時間を優先し、昨晩の夕食場所探しで見つけていた駅前の「ドンク」でモーニングセットを頂きました。

二才児まつり

東横イン出雲市駅前[9:00] − → R9, K23, R431 → 一畑薬師[10:00]

 一昨年と同じコースで駐車場に向かったはずですが、駐車場に辿り着けません。 お寺の大駐車場を頭上に見ながら、右往左往しながらようやく駐車場に辿り着きました。 午前中の祈念が10時半からなので時間がありません。 息子をバギーに乗せると、小走りで参道を抜け、息を切らせながら石段を登り、なんとか受付を済ませました。 本堂には既に祈念を待つ方が入り始めていて、我々が入った時には8割方が埋まっていました。

 時間が来ると、まずは4人の舞姫による舞の奉納が有りました。 一昨年は6人居たように記憶しています。 また、全体的に舞が上手になっていました。 次にご祈祷です。 内陣への移動を指示され、運良く、正面の最前列に陣取る事が出来ました。 周りの子供達が長い時間のご祈祷に我慢出来なくなって騒いでいる中、息子は比較的おとなしくしていました。
 ご祈祷が終わり、焼香を済ませると今度は、「草踏み神事」です。 写真撮影の為に、息子を家内に任せて「草踏み神事」に参加して貰いました。 今回も、前から3〜4番目の好位置に着ける事が出来ました。 草踏み神事を終え、お坊様の講話を聞いた後、甥っ子の為に絵馬を奉納して、一畑薬師を後にしました。

一畑寺
 一畑寺(いちばたじ)は、出雲神話の国引きで名高い島根半島の中心部、標高300メートルの一畑山上にある。 「目のお薬師様」として、古くから全国的な信仰の広がりを持つこのお寺は、1300段余りの石段(参道)でも有名である。
創開は、平安時代寛平六年(894)、一畑山の麓、日本海の赤浦海中から漁師の与市が引き上げた薬師如来をご本尊としておまつりしたのが始まりで、与市の母親の目が開いたり、戦国の世に小さな幼児が助かったことから、「目のやくし」「子どもの無事成長の仏さま」はじめ、諸願に霊験あらたかなお薬師様として篤く信仰されいる。

草踏み神事
草踏み神事

人ごみに圧倒

一畑寺[11:40] − → R431 → 松江フォーゲルパーク[12:00]

 フォーゲルパークの駐車場も満車です。 運良く第一駐車場に入れることが出来ましたが、止められたのは駐車場の端っこの方です。 ここまで駐車場が広いとは知りませんでした。 着いたのは12時ちょうどなので、先ずは食事と思いましたが、「レストランフローラ」も混雑していましたので、先に園内を回る事にしました。
 流石に3度目の訪問となると新鮮味が有りませんでした。 また、人が多くてバギーを押しての見学はかなり厳しいものがあります。 娘はゆっくりと見たかった様ですが、それぞれの温室は早々に通過してしまいました。
 そんな中、娘が突然やりたがったのが「パラダイスホール(ふれあい温室)」鳥を腕に乗せる体験コーナーです。 前回は、家内がやったのですが、娘は怖がっていました。 2年経つと積極的になるものです。係りの方に餌代の100円を渡して、カップに入っている餌を受け取ると「オオハシ」の方から娘の腕に飛び乗って来ました。 その瞬間から娘は硬直してしまい、顔も強張っています。 「オオハシ」は無頓着に餌が無くなるまで食べ続けると、止まり木の方に戻ってしまいました。 それでも娘としては満足だったようでした。
 流石にお腹が空いてきたので、水鳥池のほとりにある「そば亭 不昧庵」を覗きましたが満席のようでしたし、メインは「そば」なのでパスしました。 その先に、軽食コーナーが有ったはずなのですが、中に入るとガランとしていて何も有りませんでした。 センターハウスに戻り、「レストランフローラ」で席を確保してバイキングを頂きました。 思ったよりも美味しく頂く事が出来、ちょっと食べ過ぎてしまいました。
 入口にあった土産物コーナーが大幅に縮小されてしまい、経営的に大丈夫かとちょっと心配しながら、フォーゲルパークを後にしました。

ラナーハヤブサ
球根ベゴニアの壁
シロフクロウ
ベンガルワシミミズク

落ち着く佐太神社

フォーゲルパーク[14:40] − → R431, K264 → 佐太神社[14:50]

 遅めの食事を終え、予定よりも早めに佐太神社へと移動しました。 国道431号線から佐太神社に向かう道路が綺麗に整備されていました。 佐太神社は相変わらず静かに佇んでいました。 美保神社もそうですが、山陰にある神社は何故かとっても落ち着きます。 社務所で宮司さんが参拝客の様子を観察されているようで、拝殿で拝礼すると太鼓を鳴らして下さいます。 とってもゆったりとした充実したひと時を過ごす事が出来ました。

佐太神社
出雲國風土記に「カンナビヤマの麓に座す」佐太大神社(さだおおかみのやしろ)或いは佐太御子社(さだみこのやしろ)と見え、延喜式(えんぎしき)には出雲國二ノ宮と称され、出雲國三大社の一つとして杵築(きずき=出雲大社)、熊野、鎌倉時代においても杵築、日御崎とともに「佐陀大社」と称えられた神社である。
 中世には伊弉冉尊(いざなみのみこと)の陵墓である比婆山(ひばやま)の神陵を遷し祀った社と伝え旧暦十月は母神である伊弉冉尊を偲んで八百万の神々が当社にお集まりになり、この祭りに関わる様々な神事が執り行われることから当社を「神在の社」(かみありのやしろ)とも云い広く信仰を集めています。盛時には神領7千貫・神職224人を有し、年間七十余度祭禮が行われていたと云いますが、太閤検地で領地を減じられ神職75人となったと云われています。

とんでもない山道で大失敗

佐太神社[15:10]− → K264, K21 → 加賀の潜戸[15:50]

 松江に入るには時間が早く佐太神社の御祭神である「猿田彦」の生誕の地「加賀の潜戸」を訪れることにしました。 カーナビに目標を設定して、出発です。 加賀の潜戸がある岬に入る辺りから道が細くなって来ました。 漁港の近くにY字路があり、左側は極めて細い山道です。 右側を選択し、先に進んだ所、漁港に入ってしまい行き止まりです。 Uターンして先程の極めて細い山道に分け入りました。 対向車とすれ違えないどころか、車の両サイドを草木で擦りながら進まざるを得ない程の道です。途中、降りてくる自動車に遭遇しましたが、ちょうど回避出来るスペースがあり事なきをえました。 更に進むと、道の真ん中から雑草が伸びていて車を腹を擦る音がします。 ここまで来ると引き返そうにもUターンする場所が有りません。こわごわと車を進めて行くと、漸く行き止まりまでたどり着く事が出来ました。 驚いた事に、車が10台弱止まっていますが、辺りに人影はありません。辺りを見回しても、下って行く道がある他は、岬の下の方に灯台が見えるだけでした。 「海苔の採取厳禁」との掲示板が立っていましたので、海岸へ降りる事が出来るのかも知れませんが、そこまで確認することはしませんでした。 そうこうする内に下のほうから、観光船の案内と思われる声が聞こえます。多分、この下が「加賀の潜戸」だと思われますが、上からでは確認のしようが有りませんでした。 ここに長居しても仕方有りませんので、対向車が来ないことを祈りつつ引き返す事にしました。

眼下の灯台

絶景は海上からに尽きる

加賀の潜戸[15:50] − → K37 → マリンプラザ[16:05]

 松江に向かう途中で、加賀漁港があり、もしかしたら観光船の乗り場かもしれないと立ち寄って見ました。 確認するとやはり加賀の潜戸への観光船乗り場でした。30分程でこの日の最終便が出港するとのことなので、寝ていた子供達を起して待合室で待っていました。 お客さんは他には居ないらしく、我々だけを乗せた船は潜戸を目指して出港したのでしたが、港を出るか出ないかの所で乗り場にUターンしてしまいました。 実はもう一組お客さんが居たらしいのですが、乗せ忘れて出港してしまったのでした。
 乗せ忘れた乗客を乗せて改めて出港した船は、まずは旧潜戸に向かいました。 年端もゆかぬのに、生命絶えた幼子の魂の集まる場所といわれている苔むした、小石積みし塔が、無数になる賽の磧、旧潜戸は「仏の潜戸」とも呼ばれていて近くで見ると女性器の様にも見えます。 旧潜戸のそばに船着場が設けられており、そこからトンネルを通って旧潜戸の中に入る事が出来るようになっています。 船着場には水子地蔵が祀られており、潜戸の中にも幼くして亡くなった子供達を弔うように玩具などが供えられていました。
 再び船に乗り更に外海に向かった所に新潜戸が有りました。 新潜戸は加賀港湾の突端に切り開いた高さ40m、長さ200mの海中の大洞窟で三方に通口があり、佐太神社の祭神、猿田彦命の御誕生地として伝えられています。 船は西の入口ギリギリに洞窟内に入り、東の入口に抜けて行きました。 洞窟内に入れると思っていなかったので、なかなかの体験が出来ました。
 洞窟を抜け、加賀漁港に戻る際に、先程上から眺めた灯台を見ることが出来、近くの岩場では多くの人が釣りを楽しんでいました。 車の持ち主は、これらの釣り人達だったようです。

マリンプラザしまね
第5なぎさ丸
旧潜戸(仏潜戸)
新潜戸(神の潜戸)
洞内からみる北口
下から見た灯台

硫化水素は大丈夫?

マリンプラザ[17:10] − → K37, K21, R431 → 東横イン松江駅前[18:10]

 遊覧船に乗った分遅くなってしまい、ホテルに着いたのは18時過ぎでした。 ホテルの立体駐車場は満車で最寄の一般駐車場に車を止めましたが、かえってこちらの方が便利かもしれません。 チェックインカウンターは混雑しており、インターネット予約の特典景品も貰えずじまいでした。
 ここ「東横イン 松江駅前」は建築資材を不法に地下に投棄し、硫化水素が発生して大騒ぎになったホテルですが、当然の事ながらそんな気配は全く有りませんでした。

焼き鳥リベンジ

 松江は食事処が沢山あり、選り取りみどりですが、前回のようにタクシーで食べに行く元気はなく、松江駅ビル内のイタリアンレストランに行くつもりでホテルを出た所、焼き鳥屋があり、娘に聞くと焼き鳥の方が良いとのことだったので、昨日のリベンジで焼き鳥屋に入りました。
久し振りの焼き鳥屋で、また、宿泊場所が歩いて数分の所という安心感も手伝って、心おきなく飲みながら焼き鳥を頂く事が出来ました。 食事としてたのんだ、つくねスープや卵かけご飯も美味しく、気持ちもお腹もとても満足して、ホテルに戻りました。

珍しく平坦地にあるお寺

東横イン松江駅前[9:30] − → R9 → 東出雲IC → 山陰道 → 安来IC → K9 → 雲樹寺[10:00]

 若干スタートが遅れて雲樹寺に向かいました。 松江から米子に向かう山陰道は有料区間と無料区間とが混在していて、非常に判り難い高速道路です。 一部有料区間を走り、安来インターで降りると、平坦な道のまま雲樹寺の駐車場に着きました。 お寺と云えば山の奥と相場が決まっていますが、珍しく平坦地に建立されているお寺です。 息子をバギーに乗せて本堂まで行けると考えましたが、なかなかそうは問屋が卸しません。 境内の玉砂利に車輪を取られてしまい、思うようには進めず、本堂直前には階段が有ってやっぱりバギーを抱えて移動せざるを得ない場面が出てきてしまいました。 本堂のお庭は非常に綺麗に整備されていました。@@@@

雲樹寺
 臨済宗妙心寺派の古刹で、後醍醐・後村上両朝の勅願寺である。狐峰禅師は南北朝時代の名僧で、応長元年(1311)唐に渡り天台山で学び、帰国後雲樹寺を創建した。 元弘の役で伯耆に行幸した後醍醐天皇は、船上山に師を招いて戒を受け、その後建武の新政以後国済国師の号と「天長雲樹興聖禅寺」の頼願を下賜した。 こうした名僧知識の法を嗣いだ雲樹寺は、次第に寺運も発展し、塔頭二十余院を含む大伽藍となったが、もとは千歳(せんざい)の沼を囲む鬱蒼とした森であった。開山様はこの沼を干拓し、参道の一部を造営した。この偉業は後世に伝えられ、今も地名に残っている。 天文年間から元禄にかけて伽藍の大修理が行われ、参道の松の植栽や枯山水庭園が整備された。文政三年不慮の天災で堂塔のほとんどが焼失したが、大門、山門、薬師堂、庭園は難を逃れた。江戸末期より仏殿、方丈、開山堂を再建し、往時の姿を取り戻している。

内陣で灌頂を受けて

雲樹寺[10:30] − → K257 → 清水寺[10:40]

 雲樹寺からは10分ほどで清水寺に着きました。 駐車場の先はすぐに階段が始まっていて、バギーが活用出来ません。 息子は家内が抱き、階段を登って行きましたが流石に途中から足が上がらなくなり、交替しました。
 このお寺でも精進料理が食べられるらしく、境内には立派なお店がありました。 更に階段を上がって行くと、ようやく@@@に着きました。 ここから更に階段を上がって行くと本堂です。 ちょうどGW期間中に@@@があり、今日が最終日にあたっていました。
 私が御朱印を頂いている間に、他の参拝客が笹の@@を持っているのを見ていた娘がやりたがり、家内と息子には外陣で待っていて貰い、娘と二人で@@@

清水寺
 用明天皇二年(587)尊隆上人によって開かれた。当時この山は一滴の水も出なかったが、一週間祈願したところ水が湧出し、しかもその水が雨期にも濁ることなく、乾期にも枯れることなく常に清い水を湛えたところから清い水の出る寺、清水寺と命名されたと伝えられる。
ご本尊には推古天皇が端夢に厄ばらいの霊験あらたかを感得されたと云われる十一面観音様をお祀りし、ご祈祷をする寺として、厄ばらいの観音様として祟められ、毎年厄年に当たる人たちを中心に信仰を集めている。
三重塔は山陰唯一であり、清水寺のシンボルとなっている。 また当寺の四季は素晴らしく、特に春の桜・新緑と秋の紅葉は絶景である。

応対の悪い宮司さん

清水寺[11:30] − → R9 → 大神山神社[11:50]

 出雲國神仏霊場第九番の大神山神社は、大山の山麓にある奥宮ですが、歩かない息子を息子を担いでの大山登山は無理があり、米子市内にある本社を訪れました。 例の如く、息子は寝てしまっているので車の中に置き去りです。
 やはり今の時期は奥宮がメインとなっているせいでしょうか、境内は閑散としていて社務所も閉まっています。@@@@

大神山神社
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満面の笑み

大神山神社[12:10] − → K24 → 大山トムソーヤ牧場[12:30]

 天気が良ければ大山へ、雨が降ったら「とっとり花回廊」との計画を昨日立てました。 天気予報では、朝から雨のはずでしたが、極めて良いお天気で、予定通り「大山トムソーヤ牧場」へと向かいました。
 然程お腹は空いておらず、先ずは牧場内で遊ぶことにしました。 駐車場は満車でしたが、中はそれ程でもありません。 最初は、ポニーへの乗馬にチャレンジ。 娘は意外と怖がらずに楽しそうにポニーに乗っています。 1周約5分位の乗馬でしたが、満足したのか満面の笑みを浮かべていました。
 次は「ひつじの毛刈り」です。 子供の手には余るような大きな毛刈り用のはさみに往生しながらも、手のひら大の羊の毛を刈る事が出来ました。 お土産として持ち帰っても良いとの事で、洗うと真っ白でふわふわの毛玉になる予定です。
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米子道で少しだけ渋滞

大山トムソーヤ牧場[14:40] − → K24 → 米子I.C. → 米子、中国、広島、山陽自動車道 → 大竹I.C. → 自宅[19:30]

 トムソーヤ牧場を早めに切り上げると、米子自動車道に乗って帰宅の途に着きました。 途中、蒜山PAに立ち寄りジャージィー牛のぬいぐるみを運良く手に入れると、後は自宅を目指してひたすら走ります。 途中、米子道が中国道へ合流する手前で2車線が1車線へと車線数が減少する区間があり、少しだけ渋滞しましたが、後はどちらかと云えば逆方向でスムースに流れていました。
 今回の旅行も無事に、また、予定を上回る場所を訪問する事が出来、満足した旅行でした。 出雲國神仏霊場巡りも6箇所(一箇所は?)にお参りする事が出来たので、残りは「須賀神社」と「大山寺」の2箇所です。 この分だと再来年には20箇所制覇が出来そうです。


訪問場所のご案内

名称
内容
住所
電話番号
備考
荒木屋 蕎麦屋 〒699-0701 島根県出雲市大社町杵築東409-2 0853-53-2352 紹介記事はこちら
古代出雲歴史博物館 美術館 〒690-0049 島根県出雲市大社町杵築東99-4 0853-53-8600 \600
東横イン 出雲市駅前 ホテル 〒693-0001 島根県出雲市今市町971-13 0853-25-1044
松江フォーゲルパーク 動植物園 〒690-0263 島根県松江市大垣町52 0852-88-9800 \1,500
マリンプラザしまね 遊覧船 〒       島根県松江市島根町加賀 0852-85-9111 \1,200
東横イン 松江駅前 ホテル 〒690-0003 島根県松江市朝日町498-10 0852-60-1045
大山トムソーヤ牧場 動植物園 〒689-3513 鳥取県米子市岡成622-2 0859-27-4707 \800



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