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午前中は県議会の傍聴、沢田議員の質問がお目当てでした

(2010年3月1日 月曜日)

 3回目の県議会傍聴です。2回続けてマメに注意をしてきた守衛さんも、さすがに今日はネタ切れでしょうか、私にかまわなくなりました。ヤレヤレです。本日はお目当ての沢田享子議員(「対話の会・びわこねっと」)が朝一番に一般質問を行うので、遅れないように県庁に急ぎました。今日は(も)雨なので、徒歩は諦めて京阪電車で行きました。

 以前の日記に「滋賀県議会で私が知っている議員は沢田さんだけ」と書きました。しかしそれは私が一方的に知っているだけで、一度しか会っていない沢田議員は私のことなど全く忘れていると思います。お会いしたのは8年前、近江八幡市の市民グループの招きで私がパネラーとして参加した時でした。

 当時私は町長選挙に破れはしましたが、新たに2人(平野・澤嶋議員)の市民派議員を送り出しました。結果、島本町は全国一女性議員の比率が高い議会となり、全国の注目を集めました。女性議員の数を増やしたいと模索を続ける多くの団体から、私たち3人(平野・澤嶋議員と私)は、その頃頻繁に学習会に招かれました。

 沢田議員は大津市域を選挙区とする3期目の県会議員でしたが、さっぱりとした飾り気のない口調で議会の様子を語る姿に共感しました。そして、今日議場で見る沢田議員は既に5期目のベテラン議員です。でも、あの頃と少しも変わっていませんでした。沢田議員の一般質問は「ゼロ予算事業の取組について」と「国民読書年について」の2項目でした。

 沢田議員の質問は関西弁のイントネーションを交えた口調で、聴く意欲を起こさせる力強さを持っていました(例に出して恐縮ですが、国交省副大臣の辻元清美衆議院議員にも同じように感じます)。質問の内容は県政を“グリグリと暴く”類のものではありませんし、沢田議員は嘉田知事を誕生させた与党議員ですから、波風立たず平々凡々(失礼!)に終わったのが少し残念でした。

 午前中の質問は沢田議員のあと公明党の粉川清美議員が行い、女性議員の一般質問が続きました。ちなみに、粉川議員の質問もなかなか良い出来栄えだったと思います。お昼ごはんは定番の職員食堂で、たぬき蕎麦とほうれん草と揚げだし豆腐(計450円)を頂きました。

 急いで食事を済ませて、県庁近くのJR大津駅から島本駅に向います。午後からは町議会の傍聴です。戸田議員と平野議員の一般質問を聴くためです。ただし、平野さんの質問時間は湖西線のラッシュ時にあたるため、結局は聴かずに帰りました。平野さん、ごめんなさい。まっ、ベテランの平野委員ですから心配は一切ありませんので、安心して帰宅の途に就きました。

 大津京駅到着後そのまま大津市議会に向かうかどうか迷いましたが、事前の時間割では既に終了している時刻だったため諦めました。ところが聴きたかった宮尾孝三郎議員の一般質問開始時刻は、大きくずれ込んで始まったことを後で知りました。議会は何が起こるかわからない、そのことを身を持って体験してきた私が一瞬の確認(駅から議会事務局に電話を掛ければ済む話でした)を怠った結果、宮尾議員の質問を聴き逃がしてしまいました。反省です。そして宮尾議員、ごめんなさい!

JR島本駅東側広場に隣接する
「史跡・桜井駅跡」の緑、
雨上がりの樹木がきれいです
駅東広場隅の花壇が春の訪れを告げていました。
「緑と花いっぱい連絡会」のお世話に感謝です

 


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島本町議会、澤嶋議員の一般質問を傍聴しました

(2010年3月2日 火曜日)

 本日の本当の日付は3月11日です。3月に入って日記を書いたのは1日のみですから、10日間も怠けてしまいました。しかし、毎日の訪問数は60〜70件を超えており、多くの皆さんに無駄なアクセスをさせてしまいました。本当に申し訳ありません。

 この間は、殆ど連日どこかの議会(大津市・滋賀県・島本町議会のいずれか)を傍聴していましたが、これが結構疲れます。特に島本町議会の場合は長い付き合い(?)で審議の内容もある程度は分かるだけに、傍聴とはいえ共感したり反発したりでノンビリ聴いていられないことが多いです(従ってかなり消耗します)。

 自宅と町の往復の2時間も重なって、夜になるとパソコンを開くのがついつい億劫になっていたのです。おまけにここ3日間は、何故か左目が充血しうっとうしくてなりません。まっ、言い訳していても仕方がありませんので、日記の中身を大幅に省略しつつ“日数稼ぎ”のため走ります。

 さて3月2日の出来事です。昨日に続き、島本町議会の傍聴です。10時45分に入場しましたが、澤嶋議員の一般質問に間に合ってよかったです。質問は「消防職員の懲戒処分について」と「景観条例の制定を」の2項目でした。今議会から一般質問が議事日程の最初になったため(今までは最終の日程で行われていました)、質問準備の時間がずい分短くなりました。

 特に体調万全ではない澤嶋さんにとって、今議会の準備はきつかったと思います。一般質問の機会を見送ることなく挑戦したことを、友人として先ずは評価してあげたいです。澤嶋さんは何時もの悪い癖で1項目目の質問に熱くなりすぎて、2つ目の質問が時間切れになりそうでした。私は思わず大きな声で「次、2問目をお願いします!」と叫んでしまいました。

 澤嶋議員が最初の質問項目で重ねて問うたのは、次の内容だったと思います。

1 痴漢行為を行なった消防職員の「停職3ヶ月」の処分は果たして妥当なものであるのか
2 懲戒処分の指針を見直す必要はないか
3 処分内容を新聞報道に託すのではなく町のホームページ等で住民に公表せよ
4 議会に対する説明の機会がありながら、行わなかったのは何故なのか

 ここで実のある答弁と言えば「懲戒処分指針は、必要に応じて今後も見直していく」との発言くらいだったと思います。

 続いて2番目の質問「景観条例の制定」に対する答弁は可もなく不可もなくの内容でしたが、少し具体の方向性を示すと思われる次のような発言もありました。「乱開発や農空間を守るためには、先ず当町の基本的な考え方を示す『指針』の策定を行っていきたい」と総合政策部長は答えています。

 「指針」に盛り込む内容や策定手法等は示されなかったですが、取りあえず「何もしない」という訳ではないということが分かりました。今後同様の質問を継続して行う際の手掛りになる答弁だと思います。さて、澤嶋議員の次は最後の質問者である清水議員が登場しますが、次回の日記に回します。

皇子が丘公園の白梅
皇子が丘公園の紅梅

 


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S議員って、一体“どんだけぇ〜”の議員?

(2010年3月3日 水曜日)

 本日の本当の日付は3月12日です。昨日は大津市議会の施設常任委員会の傍聴をしました。新年度の予算審査を行う4常任委員会中最後の委員会でした。この間島本町議会と重なる日程が多く、3つの委員会はパスせざるを得ませんでしたが、やっとラストの委員会に間に合ってホッとしました。私が応援している会派「清正会・杣」からは、谷祐治議員が委員会に所属しています。

 お昼休みには市役所の近くにある歴史博物館で、「延暦寺中興の祖〜元三大師良源」展を観ました。午後からの委員会は2時に終了し、大津市議会における予算審査の短さに驚きました。ちなみに島本町議会の3常任委員会では、朝10時から夕方5時までで2日間の審査を見込んだ日程です。“所変われば”で議会もいろいろなのだと気付きましたが、それにしても僅か3時間の予算審査で、市民の理解は得られているのでしょうか?

 さて3月2日に行われた島本町議会S議員の一般質問です。標題の「どんだけぇ〜」は、タレントが流行らせた少し前のギャグです。S議員に付ける“枕詞”として、ふさわしいと私は思っています。一例を挙げるなら「どんだけぇ〜、実力者なの?S議員って」とか「どんだけぇ〜、合併したいの?S議員って」といった表現になります。「どんだけぇ〜、町長を尻に敷いているの?S議員って」というのもありですね。

 そんなS議員が12月議会に続いて、「広域行政に係る課題について」と題した一般質問を行いました。し尿処理・ごみ処理等の広域行政を強く迫る発言の本旨は、「合併は避けて通れない」「合併する方が良いとなれば、行えば良い」という言葉に見られるごとく、合併の推進を求めるものであると言ってよいと思います。

 私はS議員の合併に対する見解や熱意について到底容認することはできません。しかしだからと言って、S議員が意見を主張する権利を削ぐことはできません。ただS議員に欠落している視点を指摘することはできます。一つは住民や議会に対する町の説明責任が不十分なことを質さないこと、もう一つは広域行政と合併の関連性(だって避けて通れないと言っているのですから)について住民の意見を訊くよう町に求めていないことです。

 これらの視点を欠く合併議論は、住民不在と言うほかなく“危険”だと思います。S議員も町も「合併ありきではない」「議論する材料を『高槻市・島本町広域行政勉強会』で見つけていく」「(合併)シミュレーションの資料が作られた段階で、住民に問う」と発言していますが、これはこれで後々やればいいです。ただしこの前に先ず素朴な住民意見を貰わなくてはならないと言っているのです。

 それとも「広域行政勉強会」で検討した結果、「合併しないで、し尿もごみ処理も広域でやれます」という結論が出る可能性があるのですか?無いから「合併(議論)は避けて通れない」と言っているのでしょう?それなら合併を誘導する条件設定を住民に示す前に、人びとのまっさらな気持を聞かせてもらわなくてはなりません。S議員、町長、そうは思いませんか?

雛菓子で春到来
良源展のポスター、
角大師(鬼の絵)は魔よけの
護符に刷られていました

 


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大津市議会の一般質問を傍聴しました

(2010年3月4日 木曜日)

 本日の本当の日付は3月13日です。今日から「びわ湖開き」です。午前中は湖上の遊覧船から、湖の扉を開く大きな鍵を投げ入れるセレモニーが行われます。夜は湖西・湖南の3キロメートルに渡り、ヨシのたいまつ5百本が一斉に点火されます。たいまつは「市民ヨシ刈り」で刈り取ったものです。私は夫と、一番近い膳所のサンシャインビーチに行って見てこようと思っています。いよいよ春到来ですね!

 さて今日(3月4日)も島本町と大津市の両議会が開かれていますが、大津市議会の小松明美議員と山本哲平議員(共に会派「清正会・杣」)の一般質問を聴くことに決めました。小松議員は朝一番の登場なので、傍聴に遅れないよう大津市議会に急ぎました。小松議員の一般質問は「大津市土砂等による土地の埋立て等の規制に関する条例の改正について」と題して行われました。

 環境問題に対して厳しい姿勢で臨む小松議員の質問は、住民の不安をきちんと問い質してくれる良き内容でした。また質問の形式も一問一答で行われたため、とても判りやすかったです。尚、質問の概要は小松議員が詳しくブログで報告されています。条例改正の経緯や運用の詳細については、私の情報は未成熟でもあり改めて述べることはしません。ただ以下の点は、質問のバックボーンでもあるため少し触れておきたいと思います。

 小松議員は何度も繰り返し発言していました。それは「なぜ従来の埋め立て許可面積5百平方メートルを3千平方メートルに緩和するのか」という疑問です。私も全く同感です。小松議員は「琵琶湖を有し中核市でもある大津市は、より強い規制が必要ではないのか」「3千平方メートル以下の埋め立てをどのように規制強化していけるかだが、届出制にすればどうか」等々の再質問を重ね、終わりに「(この改正内容では)住民の不安は解決できない・・・これだけは最後に言っておきたい」と締め括りました。

 小松議員のあとは八木修議員・岸本典子議員、そしてもう一人の“お目当て議員”である山本哲平議員と一般質問は続きました。岸本議員の質問項目にも、小松議員と同様の内容が含まれていました。複数の議員が取り上げ疑問を呈した条例改正は、やはり環境保全の観点からは不備があると言っても過言ではないと思います。

 本日の傍聴は山本議員の質問途中(ただし動議による休憩の間)に退出しました(午後4時30分)。長時間の休憩は、翌朝の新聞報道や山本議員自身のブログ及び同会派の宮尾議員の日記でも報告されています。私も遅ればせながら、次回の日記でお知らせいたしましょう。

びわ湖大津館
前庭の花壇も春本番まであと一息です
館のテラスからはイングリッシュガーデンと
びわ湖が一望できます

 


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山本議員の発言は謝罪するほどの内容とは思わない、それよりも議長は市議会の空転を説明しなさい・・・

(2010年3月5日 金曜日)

 今朝の新聞は、昨日(4日)の大津市議会における山本哲平議員の発言を巡って、“異例の事態”が発生したことを報じていました。私は丁度その場面を傍聴していましたが、山本議員の発言が「そんなに問題になるような内容かしら?」と不思議な感じがしました。理事者に対して「あんた」と発言したことは、確かに聞き苦しいし拙い表現だったと思います。でもそれ以外は、どうってことありません。

 山本議員の発言が2時間半も休憩を取りスッタモンダした挙句、謝罪をしなければならなかった内容とはとても思えません。まあ山本議員が単純に謝りたいと思ったのか、或いはもっと高度な判断で謝罪を選んだのか、私には全くわかりません。新聞は山本議員の「熱くなりすぎた」「しかし答弁には納得できない」との弁を伝えています。山本議員が今後も追及の手を緩めないことが伺えて、大いに安心しました。

 そうそう、山本議員が一般質問で何を追及していたかですが、質問の標題は「企業局(水道・ガス事業)における公金の無駄遣いについて」でした。山本議員は「市長部局の平均落札率(81.7%)に比べて、企業局は高い落札率(93〜94%)である」とし、談合事件の判例等を示しながら企業局の入札に疑問を呈したのです。これらの質疑に対して、答弁は「入札は厳正に執行しており適正である」と繰り返すのみでした。

 さて新聞記事を参考に、簡単に一連の流れを時系列で振り返ってみました(ただし山本議員の発言は、問題視されたと思われる部分のみを引用しています)。

「あんた」「質問これで終わりと思わんといてくださいよ。まだまだ今後も続きますよ」「仕事してください、ちゃんと」
↓・・・議長の注意が入る
「(水道・ガス事業)管理者、談合についてぜんぜん認識が無いので、答弁期待できませんけど、一応質問させていただきます」
↓・・・保守系議員から緊急動議出る
↓・・・動議可決し、休憩に入る
↓・・・時間延長のため再開するが、直ぐに再び休憩に入る

 ここで私は、傍聴席から議場の議会事務局職員に向って大声で(離れているので仕方がありません)抗議を申立てました。私は「傍聴者は何も訳がわからず、2時間以上も待たされています。再開の前に議長或いは議会事務局長から、一言経過説明を行うべきではありませんか」と叫びました。職員は無視こそしませんでしたが、残念ながら捨て置かれました(まあ正式に抗議したわけではありませんから、仕方がありませんけれど)。

 ちなみに島本町議会では、議長からの「お待たせしました」という文言の有無は兎も角としても、必ず休憩の間に何をしていたかの説明があります。今回のような場合なら、先ずは正確な発言内容を確認するためにテープ起こしや速記の反訳を行ったこと。そして起こした原稿を基に、しかるべき機関(会派代表者会議や議会運営委員会)で検討したこと。場合によっては、議長の斡旋等も行ったこと。島本町議会では、これらの経緯と結論を議場の全ての人びとに説明することが行われています。

 島本町議会に出来て、大津市議会に出来ないってことはありません。開かれた議会を目指し説明責任を果そうと努力するのが、今どき当り前の議会ですよ。住民に対して“しらしむべからずよらしむべし”の姿勢を旧態然と続けていってよいわけはありません。傍聴は市民の政治参画の顕れです。

 今の大津市議会に、傍聴を「ありがたい」と思ってくださいとは言いません。でも迷惑に思っていないなら、せめて一言説明があって然るべきですよね。これは議会の中でそういった声が上がってこなくては、なかなか実現しません。島本町議会で初めての“市民派議員”であった私が果たして来た役割を、いま大津の議会で再確認する日々です。

柳が崎湖畔公園の整備工事は、
3月26日の完成を目指して進んでいます
我がマンションに沿って湖畔の散策道が完成、
車イスや乳母車で砂浜を楽しめます

 


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平野議員の会派代表大綱質疑は、クリーンヒットでしたね

(2010年3月6日 土曜日)

 昨日(5日)は、島本町議会の傍聴に行きました。朝一番より2010年度の施政方針に対する各会派の代表質問が始まっていました。会派「人びとの新しい歩み」は5番目なので、私は午後から傍聴しました。「山吹民主クラブ」の東田議員と「公明党」の川嶋議員の質問を続けて聴きました。2議員共に新人ながら、分かりやすく良い出来だと思いました。

 川嶋議員の次は、いよいよ平野議員(「人びとの新しい歩み」)の大綱質疑です。質問の内容はいずれ平野さんのブログにも掲載されると思うので、ここでは詳しく紹介はしません。平野議員の質問はいつもながら地道な調査に基づいた発言で、安心して聴くことが出来ました。そして更に今回は、平野さんの情報収集の成果が生きた注目の質問項目もありました。

 その質問項目は、「川口町長は合併の意思を持っているのですか」と題したものです。施政方針に示された「『高槻市・島本町広域行政勉強会』において基礎自治体のあり方など、合併の議論も含めた調査・研究を行っていく」との文言を引き合いに出して、平野議員は町長に合併の意思を問い質しました。

川口町長は「決して合併を求めて『勉強会』を要請したものでない」「合併あり気で進めることは一切無い」と答弁しました。平野議員はこの答弁に対して、「いやそうじゃないでしょ」と、情報公開請求で入手した文書を示して追求しました。市民派の質問はこうでなくちゃね!平野さん、クリーンヒットです。

この文書から、町長が高槻市長に対して“平身低頭”の様相で「高槻市・島本町における一体的なまちづくりの実現を強く願うものであります」と訴えていることが分かります。更には「『勉強会』の再開をお願いし、両市町における広域行政のあり方等合併の議論を含め協議・検討をさせていただきたく存じます」と続けられています。

町長や自公民議員たちは「この文書のどこに『合併する』と書いてあるのか」と反発するでしょう。確かに文字としては書かれていないけれど、町長の意思は明らかに「お願いですから合併させてください」と高槻市に訴えていると、私は認識しています。そうでなければ、当該文書を昨年の12月11日に高槻市に持参したことを、少なくとも議会には明らかにすべきではありませんか。

ホンマに要注意です。今後もこのような形で、合併問題が進んでいく可能性は大です。市民派3議員(平野・澤嶋・戸田議員)はそれぞれ精一杯頑張っていますが、合併是非への意思統一と連携は十分取れているでしょうか?会派内での活発な議論と幅広い調査活動、そして何よりも重要な住民の皆さんへの情報提供に励んで欲しいと願っています。

厳しい“比叡おろし”の寒さを
乗り切ったベランダの草花
メゾン水無瀬の花壇とは比べようもありませんが、
小さな植木鉢でも頑張って咲いてくれるとうれしい!

 


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雨のびわ湖マラソン、応援しました

(2010年3月7日 日曜日)

 今日は、アジア大会の出場選手選考を兼ねたびわ湖毎日マラソン大会の日です。我家のマンションのすぐ近くの交差点が、今回から新しいコースとなりました。ラッキー!です。お昼過ぎから交差点付近は、交通規制のための警察関係者や大会関係者が大勢出ています。雨の中、私もワクワクしながら待ちました。

 それにしてもここ大津の地は、いろいろ楽しませてくれます。琵琶湖の風景を始め、近辺に点在する歴史的な建造物や遺跡、お米や野菜や牛肉等の美味しい食べ物、そして今日のようなスポーツイベントや四季折々のお祭。マメに参加すると休む暇が無いほどですが、私たちは気の向くままゆっくりと一つひとつ楽しんでいます。仕事にせよ余暇にせよ、今までバタバタと時を過してきたとの反省を込めながら・・・。

 マラソンのゴールは、家から徒歩20分くらいの皇子山総合グランドです。走る選手たちを応援しながら、グランドに向いました。選手たちは往路では集団で走っていますが、時間を経た復路ではそれぞれ一人で走っている状況になってきます。当然のことながら、力の差が現れてくるわけです。

 限界に挑む選手たちの姿を目の当たりにすると、思わず「ガンバレッ!」と応援の声に力が入ります。今まではテレビでしか、マラソンを観たことがありませんでした。ひとり一人の選手を、しっかりと見ることができて良かったです。私は“なま”で見るランナーの筋肉(足)の美しさに感動しました。ああ、ごめんなさい!本当は選手の精神力に感動すべきでしたね。

スタート直後の選手集団を先導する白バイ
2位(日本人1位)の佐藤智之選手。頑張りました!

  


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3つの議会(島本町・大津市・滋賀県)を傍聴して思うこと

(2010年3月8日 月曜日)

 本日の本当の日付は3月19日です。日記がなかなか追いつかなくて、未だに10日以上も前の出来事をお知らせしているのは、何とも恥ずかしい限りです。まっ、タラタラ日記でも下手な文章をアレコレ考えることで、私の脳みその老化防止(これ以上の)に少しは役立っているかもと、お許しいただきたいと思います。

 3月は18日までの10日間を、島本町・大津市・滋賀県の各議会傍聴に費やしました。1日に2つの議会をハシゴしたこともありました。今はまだ島本町での議会経験が記憶に残っているため、ついつい市議会や県議会を町議会と比べてしまいます。大雑把な感想ですが、島本町議会は住民にとってマアマア悪くない議会だということを初めて実感しています。因みに「マアマア評価する」は、議員に対するものではありませんから、念のため・・・。

 勿論、市・県の両議会に比べての話ですから、島本町議会が「これで良い」というわけではありません。町議会は今後も開かれた議会を目指して、益々の努力が必要なことは当然です。手前味噌のようで恐縮ですが、島本町議会を開いて(こじ開けて)いったのは、ヤッパリ私が投げかけ続けた“議会の常識”ではなく“住民の常識”を大切にしていく意志と行動であったと思います。

 県議会でも市議会でも当り前と思い行っていることで、私が「え〜っ!」と驚くことはこの間結構あります。町議会では私がバトンを渡した「人びとの新しい歩み」の3議員(平野・澤嶋・戸田議員)が、引き続き開かれた議会へと力を尽くしてくれていますから安心です。私はこれからは大津市民、また滋賀県民として議会との係りを深めていくよう努めたいと思います。

 本日(8日)は、大津市の予算常任委員会(総務常任委員会)が開かれています。午前中は用事があったので、午後から傍聴に行きました。ところが、なんと!午前中で終了していました。4つの常任委員会でそれぞれ所管の審査を行うのですが、新年度予算の審査なのに、何故午前中で終わることが出来るのか理解できませんでした。しかも委員会主義(議案の審査を主として委員会で行うこと。島本は本会議主義)。これも「へぇ〜」の一つです。

若宮八幡神社の表門(重要文化財)、
膳所城の犬走り門を移築したもの
膳所焼の窯元、市議会委員会傍聴の
アテがはずれたため、少し足を
延ばして焼物を鑑賞しました

 


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島本町議会総務文教常任委員会を傍聴

(2010年3月9日 火曜日)

 本日の本当の日付は3月20日です。とても暖かい“お彼岸の入り”です。午後から「手づくりマーケット」を覗いてみました。マーケットが開かれる「びわ湖大津館」は我家の直ぐ近くにあり、桜並木の続く道を通って行きます。桜のつぼみは今日の気温で一気に膨らみましたが、開花まではあと数日かかりそうです。この道と同様、近場のお花見には事欠かない“大津の春”が楽しみです。

 「手づくりマーケット」では欲しいものが一杯で、いろいろ買ってしまいました。どれも力作の割にはお値段が控えめで、オマケもしてもらってうれしかったです。びわ湖館に隣接する「イングリッシュ・ガーデン」も、冬期の休みが明けて今日から入場可能です。周辺の湖面では、大学のヨット部が本格的に活動を開始しました。そして目の前に広がる砂浜は、数日後の完成を目前にして美しい湖畔公園の姿を現しました。

 さて遅ればせながら、3月9日の日記です。今日から町議会の3つの常任委員会で、2010年度の予算審査が行われます。総務文教常任委員会は、合併問題や財政状況について質すことができる委員会です。従ってその審査内容には、私も大いに興味がありました。ところが朝一番(10時開会)の傍聴が叶わず、委員会室に入ったのは結局11時を過ぎてしまいました。

 財政問題は最初の歳入全般を審査する時に質疑が行われます。今般やっと財政の収支見通し(ただし普通会計分のH27年度までの見通し)が出されたようなので、当局の説明と議員の質疑を期待していました。しかし多くの議員が質問時間を割いたのは、ふれあいセンター使用料の減免見直しによる住民団体への影響を問うものでした(勿論、これはこれで大事な内容ですが)。

 現在使用料を全額免除されている328団体は、29の町関係団体を除き料金の半額を自己負担することになります。これにより町は年間約400万円の歳入を得ることになり、ふれあいセンターの維持管理費(ごく一部にしか過ぎませんが)に充当されます。他市に住む私が意見を言うことでもありませんが、殆どの団体が申請さえすれば使用料がタダになっていたことは、もう見直さなければならないと思います。

 私も町民であった時はふれあいセンターをよく利用していましたが、随分前から減免申請をせず全額支払って活動していました。ボランティア活動も必要経費の負担は当り前だと思います。ちなみに町の関係団体も町から補助金を貰っているのですから、重ねて使用料の減免をする必要性は無いと思うのですが・・・。

 住民の皆さんも「なんでもタダでなきゃ駄目」「出すのは舌を出すのもいや」という姿勢を改めましょう。議員も迎合するのではなく、皆さんに根拠を示しよく説明しなければなりません。ただしそのためには町当局の説得力のあるデータが必要不可欠ですが、今回の使用料改定を裏づける情報提供は万全ではなかったようです。

 歳入に係っては「雑入」の中で、一つ気になっていたものがあります。それは「施設電気使用料」の2万3千円です。金額も小額ですから、誰も注意を払わなかったと思います。でも私には、こだわりのある歳入です。この日記でも何度か書いてきましたが、体育館と消防庁舎に設置されている飲料水等の自動販売機を稼動させる電気料金です。

 自販機の電気使用料は設置を許可された某福祉会が、使用料を立て替えていた教育委員会と消防本部に支払うべきお金でした。しかし長い間不適切な状況が是正されませんでした。今回やっと予算に計上されホッとしましたが、私が日記や面談でヤイヤイ言わなければ、相も変わらずそのままだったと思います。

 役場の会計においては、1円のお金も有耶無耶にしてはいけません。正しい事務のあり方に目を瞑れば、その悪影響は全体に波及します。たかが2万3千円の話ではないのです。そのように受け止めてくれる議員がいたなら、誰か一言発言して欲しかったなと思いました。歳入の審査は割合長く掛かり、午後2時過ぎまで行われました。続いて歳出に入り、明日(10日)も審査が行われます。私も傍聴の予定です。

「手づくりマーケット」が行われた
びわ湖大津館(「湖国の迎賓館」と
称された旧琵琶湖ホテル)のホール階段
ホテル時代のフロント。
昭和天皇やヘレン・ケラー、
ジョン・ウェインらも宿泊したそうです

 


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戸田議員の表決「賛成」(総務文教常任委員会)には、ビックリしたなぁ〜

(2010年3月10日 水曜日)

 本日の本当の日付は3月22日です。昨日久しぶりに帰宅した長男の車は、黄砂のせいでまるで“きなこ餅”のようになっていました。三連休最終日の今日はベランダでコンテナガーデニングをしました。ポット苗を植木鉢に植えつけるだけのことなのですが、長時間中腰の姿勢で腰痛の一歩手前になってしまいました。

 夜は大津と島本の議員方のブログを訪問しました。大津市の宮尾・谷・山本議員は毎日更新しています。議会が閉会したので、本日(22日)のブログはお仕事から離れた内容になっていました。ホッと肩の力を抜いて書かれた日記もまた、興味深く親しみが湧きます。

 宮尾議員は鹿肉に関わる話を、美味しそうに料理したジビエの写真と共に掲載しています。しかし単なるグルメ日記ではありません。宮尾家のお腹に納まったニホンジカは、鳥獣害対策・固体数調整事業で課せられた狩猟の成果品であることがきちんと説明されています。

 谷議員のブログは、事務所近隣で咲く梅の花や間もなく訪れる鶯に春の訪れを確かめている内容です。何時も詳細な議会活動を冷静に報告している谷議員ですが、今回の日記は最後の行に「タケノコご飯」への願望が述べられていて、微笑ましく感じました。

 山本議員は家族旅行のブログです。1歳3ヶ月の娘さんは、山本さんの日記によく登場します。我が子に寄せる若いお父さんの愛情が、何時も文章の中で弾けています。幸せの内容は、ブログの訪問者を元気に明るくしてくれますね

 私が大津市議会で関心を持っている会派「清正会・杣」には、上記の3議員と小松議員(女性)で構成されています。小松議員は毎日の更新ではありませんが、議案の丁寧な解説や審査過程の報告等をブログで報告してくれています。

 さて、島本町で私が応援する会派「人びとの新しい歩み」の3議員(平野・澤嶋・戸田議員)は、残念ながら大津市議のブログ更新とは比較になりません。まっ、今回は大津市議会は閉会したけれど、島本町議会にはまだ25日の最終会議が残っています。従って、今はその準備で忙しいのだと思います。今年度の有終の美を飾るためにも、本会議優先は当り前。私たちも、もう少し我慢ガマン・・・!

 さて10日の日記に移りますが、前置きが長くなってしまったので、中身は明日に回します。結論だけ言うと、島本町議会の総務文教常任委員会(2日目)では2010年度の予算を審査していましたが、賛否を示す採決における戸田議員の表決結果「賛成」に驚いたことを書きたいと思っています。

大津京駅に近い菓子店「パレット」
2階の喫茶スペース
プチケーキ3種が選べます。
飲み物はおかわり自由です

 


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島本町議会の総務文教常任委員会は新年度予算(所管分)を可決しました

(2010年3月11日 木曜日)

 二日目の委員会も大幅に遅刻し、午後1時からの傍聴となりました。総務費は午前中に終わり、すでに教育費の質疑が行われていました。所管に係る全質疑が終結したのは午後2時40分くらいでしたから、委員会は随分早く終ったことになります。複数議員が大幅に持ち時間を余らせたようで、何ともモッタイナイ話です。

 1分1秒でも無駄にせず、トコトン質問するのが当り前。特に新人議員は“物分り良い議員”などになる必要は全くありません。例え町長与党であっても、新人ならガンガン迫らなくちゃ!と私は思いますが・・・皆さん大人しいですね。ちなみに総務文教常任委員会に所属しているのは、山口(委員長、山吹民主クラブ)・冨永(副〃)・川嶋・伊集院・東田・平野・戸田議員です。うち一期目(新人)の議員は、川嶋・東田・戸田議員です。

 さて昨日の日記の標題に、「戸田議員が賛成の表決をしたことに驚いた」と書きました。戸田さんは賛成討論で評価・充実すべき施策・事業として、英語教育・町立プール・町制70周年記念品(水無瀬駒の携帯ストラップ)を挙げました。一方評価できないものは、退職手当債(H26年度まで7億4千1百万円、利息分は別途1億円必要)の発行・ふれあいセンター使用料の減免制度の変更等を挙げました(これらはあくまでも私のメモ書きを引用したので、脱落があるかもしれません)。

 討論の中身については委員会審査でもあり、全ての施策・事業について言及できるものではありません。また何に重点を置いて採決の判断とするのかも、個々の議員により異なって当然です。さらには議員の表決はとても重要ですから、“外野”の人間がとやかく言う類のものでもありません。今回の「賛成」表決は、聡明で慎重な戸田さんが多分、大いに悩んで出したであろう結論だと思います。

 従って、戸田議員の意思を十二分に尊重すべきことを重々承知しつつ、それでも尚且つ私は「驚いた」と書かざるを得ません。何故かと言うと“合併問題”は、今の段階では総務文教常任委員会の所管事項だからです。つまり当委員会への付託案件である2010年度予算に賛成したということは(勿論、即「合併賛成」ではありませんが)、戸田議員が「高槻市・島本町広域行政勉強会」に異議を感じていないと捉えられても仕方がありません。

 現段階で言えば、「『勉強会』で合併議論に至ることは必至」との答弁を認めるということです。「合併と広域行政は全く別物」との答弁と「広域行政の究極の形が合併だ」と言う答弁は矛盾していると思いますが、「賛成」表決は「矛盾していない」と表明したことになるのではありませんか。

 “合併問題”は住民にとっても行政・議会にとっても、まさに最重要課題です。今回の新年度予算に「勉強会」に係る予算措置が無いとしても、私なら「賛成」の表決はとても決心できないなぁ〜と思ったのです。戸田議員の表決が良いとか悪いとかの問題では、決してありません。私のゴチャゴチャした“拘り”を、サラリと飛び越えていける戸田さんに「驚いた!」という、ただそれだけのことです。

 ちなみに採決における賛成議員は川嶋(公明党)・伊集院(自由民主クラブ)・東田(山吹民主クラブ)・戸田議員(人びとの新しい歩み)で、反対議員は冨永(共産党)・平野議員(人びとの新しい歩み)でした。市民派の会派「人びとの新しい歩み」は、大事な採決で、あ〜ぁ割れちゃいましたね。

長等山にある弘文天皇陵(大友皇子のこと)、
在位は僅か1年未満(671〜672年)
あったため、明治3年に
歴代天皇に加えられたそうです
三井寺にある新羅善神堂(国宝)、
足利尊氏が1339年に再建。
過日市役所に行った折、
近くなので写真の2ヶ所を訪れました

 


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昨日は大津市議会の施設常任委員会を傍聴しました

(2010年3月12日 金曜日)

 大津市議会には4つの常任委員会があります。2010年度予算は、これらの委員会に付託され審査が進んでいます。昨日(11日)は予算審査最後の日程となった施設常任委員会を傍聴しました。会派「清正会・杣」からは、谷祐治議員が出ています。党委員会の所管は、都市計画部・建設部・企業局(ガス・水道・下水道事業)です。

 私は5分遅刻しましたが、午後の審査終了まで傍聴しました。質疑の初っ端に出たのが、柳が崎湖畔公園(我がマンションの目の前の湖岸一帯)の整備に関わるものでした。担当職員は、大きく描かれた整備完成図を数枚掲示して説明をしました。おぉ、なんとグッドタイミングなこと!当公園整備は、私が引越してきてからずっと関心を寄せている事業だからです。

 3年計画で進めている整備ですが、2010年度はびわ湖大津館と当公園を回遊できる護岸の延長工事が、7千8百万円で予算化されています。そしてまだ先の話ですが、2011年度にはマンション南側の空地をエントランス公園に整備する計画も当委員会で明言されました。これでひとまず、安心です。途中でお金がないからと、当初計画を覆して放置されてしまう事がないよう願っていましたから。

 谷議員はこの後も活発でメリハリの効いた質疑を続け、討論も一番多く行い大活躍でした。勿論他の議員も質疑はしましたが、発声が弱々しくて聴き取れないことが間々ありました(共産党の女性議員二人、公明党の男性議員は折角の質問が良くわかりませんでした)。ちなみに理事者側の発言は大体聴き取れました(答弁を聴いていて、都市計画部長はなかなか優秀な職員だと思いました)。

近江大橋近くのビーチにある
ドイツレストラン「ヴュルツブルクハウス」、
ハウスの建築資材は全てドイツから運ばれました
ヴュルツブルクは大津市の姉妹都市、
店内もフランケン地方の民家の
雰囲気を伝えています

 


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春を告げるヨシたいまつの炎、びわ湖畔に光の帯輝く

(2010年3月13日 土曜日)

 本日の本当の日付は3月27日です。あ〜ぁ、いつまでたってもカレンダーの日付と日記の日にちとの差が縮まりません。そこで何時もの通り最新情報のホンの一部をお伝えして、罪滅ぼしのお茶を濁すことに致します。詳しくは、またカレンダーの日付に到達した折に書きたいと思います。ということで以下の文章は、一昨日(25日)の島本町議会3月議会の最終日を傍聴した感想です。

 私は午後から傍聴席に座りましたが、退席したのは9時半を過ぎていました。今日は少々遅くなっても、最後まで傍聴しようと決めていました。それは、私が見守り続けてきた市民派3議員(平野・澤嶋・戸田議員)の任期1年目の最終議会だったからです。中でも、体調不良を押して公務に励む澤嶋議員にエールを伝えたかったのです。さらには議会を閉じた後に行われる、退職理事者の挨拶を聞かなくてはならないと思ってもいました。

 去年の今頃は彼女たちに付き添い、朝に夕に街頭演説を行っていたことを思い出します。そして4月の選挙では、無事市民派議員の増員が実現しました。私は、3議員にバトンを渡す大事な役目を果たすことができました。それから早や、1年が過ぎようとしています。3期目の平野議員が澤嶋・戸田議員を十二分にサポートしてくれると安心はしていましたが、私もせめて1年間は傍聴席からの応援をすべきだと決心していました。

 ところが昨夏大津に移転してからは、全ての日程を傍聴することが困難になりました。しかし時折3議員からの情報提供等もあり、島本町議会の1年間の流れはほぼ知ることが出来ました。そして市民派3議員の頑張りをこの目できちんと確認することも出来ました。これで、安心しました。

 今、合併問題を初めとして島本町の課題は山積しています。「島本はこれからどうなるのかしら?」と、町外の私ですら不安を感ぜずにはいられません。市民派3議員が連携して、困難にしっかりと立ち向かっていってくれることを信じつつ、私の議会傍聴もそろそろ終わらなければならないと思っています。これからは何か“こと”が起こりそうな時に、市民派議員からの“呼び出し”があれば駆けつけようと考えています。

 さてさて肝心の議会審議の中身ですが、前置きが長くなりましたので次の機会に回します。また昨日は議会を閉じたあとで、3人の理事者が退職の挨拶を行いました。なかなか良き内容でしたので、これもまたいつか紹介したいと思います。傍聴席で拍手してもよいものかどうか一瞬迷いました。でもまあ閉会後でしたし、退職者との関わりは居並ぶ議員の大半より私のほうが長かったのですから、歓送の意は示させてもらいました。

 さて、やっと標題の「ヨシたいまつ」のことですが、これは私の感想よりも写真が語ってくれると思います。毎年「びわ湖開き」の当夜、湖畔7地点にヨシのたいまつ500本を立て(延べ3キロメートル)一斉に点火します。たいまつは「市民ヨシ刈り」で刈り取られたヨシを束ねて作られています。

 ヨシはかなりの丈がありますから、燃え出すととても迫力があります。私と夫が見物に行った膳所のサンシャインビーチには、そのたいまつがなんと100本!立てられました。炎の帯が湖面を赤々と照らす様は、実に勇壮です。ちなみに当行事の趣旨は「びわ湖の水質浄化とヨシ帯の保全を願い、びわ湖の恵に感謝する」とされています。

 行事の運営は学区(ここでは膳所小学校区)の人びとの協力で進められ、私たちも具沢山の汁物(陪膳なべ=おものなべ)を頂きました。仮設の舞台では石鹿(せきろく)太鼓の演奏があり、湖畔の散策道には膳所小学校の児童が絵付けをした行灯が光の道を作っていました。行事のあとは、前回の日記に掲載した「ヴェルツブルクハウス」でドイツ料理を楽しみました。

燃え盛るヨシたいまつの帯
膳所小学校の子どもたちが絵付けをした行灯

 


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大津のソメイヨシノは、本長寺が一番咲き?

(2010年3月14日 日曜日)

 本日の本当の日付は3月29日です。もうあと2日で4月、新しい年度を迎えます。春本番の到来なのですが、このところ雨が多くて寒いです。一昨日は比叡おろしが吹き荒れて、寒くて寒くて身が縮みました。びわ湖大津館沿いの桜並木も、枝全体がボ〜ッと薄紅色になってはきましたが、開花にまでは至りません。

 昨日は久方ぶりに、平野議員のブログが更新されていてうれしかったです。戸田議員のブログは毎日ではありませんが、コンスタントに書かれています。2議員共に最新ブログは3月議会が終了したことを報告していますが、記事として選択する題材や表現テクニックはそれぞれ随分異なります。

 これは市民派議員の多様性を示す一例であって、とても興味深いことだと思います。私の狙い、いや願い通りだと大いに歓迎しています。今後は早く澤嶋議員のブログが復活して、三人三様の議員活動の様子や思いを私たちに届けて欲しいなぁと思います。でもまあ今は、長かった3月議会での健闘を称えたいと思います。本当にお疲れ様でした!

 さて日記の日付の14日の出来事ですが、日曜日(私は毎日が日曜日のようなものですが)でもあり、書くことがホンマにありません。午後から浜大津へ出かけましたが、近隣をブラブラと散歩していると本長寺がありました。境内では、オ〜ッ!早くもソメイヨシノが満開です。引越して来て、最初に見た桜(寒桜を除き)です。これからは“大津の春”に出会う毎日が始まります。とてもワクワクしてきます。

 本長寺は大津市内の中心市街地(昔の大津宿)にあります。周辺は北国街道の起点(東海道との分岐点)である「札の辻」が地名となった所です。寺は日蓮宗で、1562年の創建です。江戸時代に大津代官として数代にわたり、それぞれ活躍した小野氏や石原氏の菩提寺でもあります。

 と、まあこの程度の内容は寺の案内板に書いてありますが、私は帰ると必ず「図説 大津の歴史」という資料集で確認をしておきます。資料集の解説はすぐに右から左へと抜けていくのですが、興味深く読んでいます。資料集は5千円もしたのですから、良く活用しなくてはモッタイナイです。

本長寺本堂
他所の桜はまだまだ固い蕾なのに、境内の桜は満開

 


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市議会の生活産業常任委員会を傍聴しようと思いました

(2010年3月15日 月曜日)

 本日の本当の日付は3月29日です。日・月曜日と帰宅している長男の運転で(夫と3人)、近江八幡までドライブしました。近江八幡は正月2日に次男と訪れてから、ほぼ3ヶ月ぶりです。目的は「クラブ・ハリエ」のバームクーヘンを買い、同カフェでお茶をし、「日牟禮茶屋(たねや)」でせいろ蒸し膳をいただく“おいしんぼ・満腹コース”の達成です。

 お正月にはせいろ蒸しを諦めたので(恐ろしい程の待ち時間だったため)、本日は是非とも叶えたいと思いました。そして、もし暖かければ屋形船で水郷めぐりの予定もしていましたが、時折雪やあられが舞う寒さで断念しました。趣のある掘割にかかる桜も蕾は固く、お花見もまだ少し先のようです。

 ぶらぶらと街中を散策し、骨董屋さんで普段使いの小皿を3枚求めました。長男に草津まで送ってもらい、私たちはJRで彼は信楽を越えて名張の勤務地へと帰りました。帰宅後も夕方には一時激しく吹雪いて、比叡の山並みはうっすらと白いベールを被りました。でも所詮は春の雪,淡々と消えていきました。明日からは暖かくなるのでしょうか?

 標題の日記に入る前に、訂正が一つあります。前回の日記に掲載した桜の写真ですが、ソメイヨシノではなくてサクランボがなる桜の木でした。お詫びしつつ、サクランボ大好きの私はニンマリです。あっ、実がなっているのを鑑賞するのも好きという意味ですよ・・・念のため。

 さて、3月15日の日記です。大津市議会の4つの常任委員会は、本日同時に開催されます。私はどの委員会を傍聴しようかと迷っていましたが、宮尾孝三郎議員のブログに「生活産業常任委員会がおもしろそう」と書かれていました。そこで、小松明美議員が所属する当委員会に決めました。本日の各委員会では新年度予算以外の案件、補正予算・条例改正・請願等の所管分の議案を審査します。

 市役所に着いたのは10時30分くらいでした。慌てて、今まで議場以外での傍聴をしてきた新館7階に飛んでいきました。ところがシ〜ンとして、会議が開かれているような様子ではありません。通りかかった職員さんに「委員会の傍聴をしたいのですが、場所がわかりません」と訊ねると、「エ〜ッ、私もちょっと・・・」と迷惑そうな素振りです。

 私は「あなたが分からないのなら、議会事務局に電話をして訊いてくれませんか」と頼みました。言われなくても「ハイ、問い合わせてみます」と返してくれるのが、当り前と思う私は厚かましいでしょうか?お役所の「分かりません」に素直に従う必要はないというのが、私の長年の経験から得た結論です。

 「分からなければ、調べて教えてね」が次の一手です。駄目で元々、職員さんのサービス精神をかき立てる投げかけを、私たち住民もマメに上手にやっていきましょう。悪気が無くて“スルーしている”職員は、割合多いのです。そして一皮剥けば(?)、意外に皆さん親切なのですよ。後はお礼をたっぷり伝えて、更なる住民サービスの向上に繋がるよう努力してもらいましょう。役所の職員は私たちが“雇い主”、感謝の心でしっかり使いましょう。

 アララ、またまた脱線しちゃいました。本題に入ると長くなりそうなので、委員会の報告は次回に持ち越すことにします。審査の内容については、小松議員がご自身のブログ(3月16日)で詳しく報告していますから、先ずはそちらをご覧ください。そうそう、委員会が開かれていたのは本館4階でした。4つの常任委員会は同時開催ですが、これでは傍聴人は困ります。開催日程をずらすとか、同日ならせめて2委員会ずつにして欲しいと思います。議員の皆さん、いかがでしょう?

クラブ・ハリエのバームクーヘン工房、
出来立てホヤホヤをカフェで頂きます
華やかでなく、穏やかで落ち着きのある
カフェのガーデン
桜が咲くともっと風情があるでしょうね。
4月からは手漕ぎの屋形船になります

 


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市議会の生活産業常任委員会、エキサイティングに進行しました

(2010年3月16日 火曜日)

 本日の本当の日付は3月31日です。あ〜ぁ、3月も今日で終わりますね。それなのに、日記はやっと半分埋まっているだけです。現実の日付には、まだまだ追いつけそうもありません。こんなに怠け者のゆる〜い日記ですが、今も毎回60人を越える訪問をいただいています。本当にありがたいことです

 ところで、アクセス数を示すホームのカウンターが、あと90くらいで「77777」となります。明日か明後日(4月1日か2日)あたり、気が向けばちょっと気をつけていてくださいね。ラッキーセブンが5つ連なる、その瞬間の訪問者はどなたでしょう?もしもご親切な方がいらして、お知らせくださればうれしいです(写真があれば尚更結構)。ご迷惑でなければ、お礼に心ばかりの大津のお菓子なぞお送りいたします(お一人のみ)。

 私のメールアドレスは・・・Topon7230@yahoo.co.jp

 さて、標題の大津市議会の生活産業常任委員会を傍聴した内容です。先の日記にも書きましたが、「大津市土砂等による土地の埋立て等の規制に関する条例」の一部改正については活発な質疑がありました。当条例改正については、すでに過日の議会で2議員が一般質問を行っています。一般質問をした小松明美議員は当委員会に所属していますが、本日の委員会でも鋭い質疑を重ねていました。

 条例改正による最も心配な点は、小松議員が本会議場で何度も繰り返したように「土砂の埋め立て規制については、条例改正により旧志賀町への適応のみから大津市全域に拡大されることになる。これについては望ましいと思われる。しかし許可面積を500平方メートルから3,000平方メートルに緩和するのは不安であり、住民は到底納得できない」という点です。

 小松議員は上記の争点を踏まえ、今委員会では細部にわたる質疑を行いました。環境問題を議員活動の大きな柱にしている小松議員の踏ん張りが伝わる質疑は、とても聴き応えがありました.小松議員の活躍は、結果的に他議員の質疑等を引き出すことにも繋がりました。そして更には審査の過程で様々な“手段”が次々と繰り出されるという、誠にエキサイティングな展開になったものと思われます。

 私が慣れていた島本町議会の議論に比べ、どちらかというとアッサリ系の大津市議会だと思っていました。ところがいやいや、本日の条例審査は実に面白かったです。質疑が収束し、小松議員は直ちに「閉会中の継続審査」の動議を出しました。賛同者がいると動議は議案となり、賛否が問われます。賛成3名で動議は否決、継続審査はなりませんでした。

 続いて今度は共産党の佐々木委員が「修正案」を提出しました。ここで小松議員は「休憩の動議」を出しますが、動議は成立しませんでした。次に動議に対する質疑が行われ、小松議員は「修正案は3,000平方メートルを500平方メートルに戻す内容だが、規制面積のみが問題ではない。問題点は多々ある。条例の実効性はどのように高まるのか」と質しました。

 佐々木議員は「最も重要なのは面積である。面積を除けば、原案も後退の改正ではない」と答えました。討論は修正案と原案とを一括して行われました。採決は修正案否決(賛成は小松・佐々木議員の2名)、原案は6名の賛成で可決しました。まあ残念だけれど,これで条例改正議案は終わったと思いました。

 ところが、またまた出ました!今度は湖誠会(自民党系と思います)の堀井議員が、可決した原案に「付帯決議案」を付ける文書を提出しました。その内容を簡単に言うと、「条例施行までのきめ細かい周知」「規制効果の検証と、検証結果による面積規定の見直し」となっています。決議案は議題となり、小松議員は執行部に対して参考意見を求める質疑を行いました。採決の結果は小松議員のみが反対、他の7議員は賛成で可決しました。

 午前中は殆ど条例改正の審査に費やされました。他にも補正予算等の案件が多々あり、委員会が閉会したのは午後3時前でした。本日の傍聴者は勿論(?)私一人でした。他の3つの常任委員会も同時に開かれているため、議員の傍聴もありません。それ故、狭い委員会室(職員の人数が多いため)では、どうしても目立ってしまいます。

 傍聴者なのに、更に目立つような行動は嫌だったのですが、仕方がありません。議会事務局は修正案も付帯決議案も、私には何も配布しなかったのです。私はつかつかと事務局が座っている場所まで行きました。皆が見ています。「全ての資料がありません」と言うと、慌てて手元のコピーをくれました。言わなきゃ出さないなんて、議会事務局ダメですよ!

 長々と書きましたが、島本町の人たちは興味が無かったかもしれません。一方大津市で、この日記を読んでくれている人は5人もいないでしょう。ちょっと残念な気がしますが、その方が気楽かも・・・。お昼休みに職員休憩スペース(一般も可)で、谷祐治議員とばったり出会いました。谷議員は「いつもブログを拝見しています。良い写真を掲載されていますね」と言ってくれました。

ハリエ・カフェの鉢植え、
レンガのベランダに似合っています

 


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町議会建設水道常任委員会を傍聴しました

(2010年3月17日 水曜日)

 本日の本当の日付は4月3日です。新年度がスタートしましたが、仕事をしていた時に比べると余り(というか全く)関係ありません。島本町や大津市の議員方のブログを見て、「新しい年度が始まったのね」と実感できたくらいです。大津市議の皆さんは今任期最後の1年だそうですし、島本町議の皆さんは高槻市との合併問題に対してどのような姿勢で臨むのかが問われる1年になります。

 両市町の議員共に“正念場”の1年となることは間違いありません(まっ、議員はちゃんと仕事をしていれば何時だって正念場なんですが)。すでに町議会を去った私ですし、かといって市議会の様子もまだまだ分からない“新住民”ですが、「大事なことは議会で決まる」、この大義名分がいかに“正常に機能”するのかを見ていたいとの気持はあります。くれぐれも「大事なことは議会の“水面下”で決まる」なんてことにならないように、私が応援する議員方には頑張ってもらわなければなりません。

 先日、島本町議会の傍聴は省力化していくと日記に書きました。とはいうものの、島本町の存亡に係る諸問題は気にかかります。また町議会改革の“言いだしっぺ”としては、新しく設置され全議員が所属する議会改革特別委員会の議論も聴いてみたい気持があります。従って特別委員会の開催通知は、今まで通り市民派議員(平野・澤嶋・戸田議員のいずれか)から知らせてもらうようお願いをしています(お手数おかけします!)。

 一方、不充分ながらも1年間通った島本町の定例議会・常任委員会の傍聴は新年度を迎えて終えたいと思っています(別にご大層に断る必要もないですが)。従って、まっ、私なりの“締め括り”というわけでもありませんが、3月末で退職される職員方(議場に出席する職員はそのごく一部ですが)への敬意を3月後半の議会で示させていただきました。

 そしてホンの気持ですが、元議員としては最もお世話になった議会事務局長と今もって少ない女性管理職の民生部長には敬意を表して、小さな花束(ミニミニブーケです)等を「長い間お疲れさまでした」の言葉と共に贈りました。

 ところで後日談ですが、私の“小さなプレゼント“が思わぬ形でブーメランしてきました。戸田議員が電話をかけてきました。「南部さんが退職者にプレゼントを配りまわっていた(!)との話は本当ですか?私も同じようにした方がよいでしょうか?」といった内容だったと思います。「はぁ〜?」と思わず笑ってしまいました(戸田さん、ごめん!)。

 私は「確かにお二人の理事者には、退職職員の“代表”として心ばかりのプレゼントをしました。これは20年間丁々発止と対峙してきた、その経緯があったからこそ湧いてくる行為といえましょうか・・・。まあ、それに私はもう島本町の住民ではありませんし。従って、現職議員の戸田さんには必要ない行為です。というよりは、してはいけないと思います。労いの言葉を贈ることで十二分ではないでしょうか」と返しました。

 戸田さんは「分かりました、そうします」と電話を切りました。ヤレヤレ!戸田さんも20年を経れば、私の小さなプレゼントの意味がきっと分かると思います。後日平野さんや戸田さんのブログを見ると、退職者への挨拶をしたことが書かれていました(多分、澤嶋さんも一緒だったと思います)。よかったです。

 カレンダーの日付に沿って長い前置きを書いてしまいました。日記の日付の3月17日に移りますが、実を言うと余り書くことがありません。建設水道常任委員会の1日目を傍聴しましたが、委員会室に入ったのは午後1時からでした。午前中は条例3件の審査が予定されていたようですが、「廃棄物の減量化及び適正処理等の推進に関する条例」の一部改正の審査のみが行われました。

 使用料の値上げを行う「下水道条例」とその分値下げを行う「水道事業給水条例」の一部改正は、資料の不備等により清水議員から「継続審査」の動議が出されました。全委員賛成で動議は可決、従って2つの条例は先に送られ閉会中の審査となります。ちなみに私の現職時にも下水道料金の値上げ云々はありました。

 記憶が定かではありませんが、その時は委員会独自で2回の勉強会と高槻の処理場(町の終末処理を行っている)見学や他自治体への委員会視察等(全て職員同席)を行ったと思います。どちらかと言うと私は水道や下水道問題は苦手でしたが、勉強会に際しては一生懸命に調査・学習をしたことを思い出します。現委員会もそのような機会を設けることを予定していると思いますが、委員一丸で頑張って欲しいと思います。

 1日目の委員会において私が傍聴した中での注目点は、総合政策部長が「し尿処理については、平成21年度中に町としての一定の方向性を出す」との答弁を行い、それに対して高山議員が「年度末まで残期間は僅かである。ごみもし尿も大きな問題であるが、特にし尿については高槻市に受け入れの意思があるのか。市と町は合意があるのか」と質したことです。部長は「市長は課題を整理し、前向きに検討したいと述べている」と返しました。

 あのですね、昨年高槻市長の元へ“超へりくだり”のお願い文書を持参した折には「島本町のし尿だけ引き受けるわけにはいかない。合併を考えてや」というようなことを言われたのでしょう(新聞報道によれば)?それなら“前向きに検討”は“合併について前向き”にと捉えるのが、悔しいけれど当り前でしょう。ということは、島本町がいくら「し尿の独自処理」を決めても「高槻市島本町広域行政勉強会」が「合併」への舵を切れば、当町の独自案なんて実効性は無いでしょう。それとも島本町を手中に納める以外、高槻市にとってメリットのある町のサービスなんてありますか?だからごみ・し尿問題と合併議論を同じところ=「勉強会」で行なうことは危険!ですし、異議ありなのです。

 ところで、本当の日付は4月の3日ですが、総合政策部長の委員会答弁によると「し尿処理の一定の方向性」については、既に町の答えは出されているはずです。議会は週明けにでも全員協議会を開き、その答えを示させなければならないと思いますが、どうなのでしょう?まあ、私が言うことでもないですね。ただ、全協は傍聴可なので、都合が着けば私も聴いてみたいと思っています。何故なら“し尿処理問題”と“合併問題”は、リンクすべきではないと私はずっとそう思っているものですから。

琵琶湖疎水の桜、まだ5分咲きくらい
三井寺(鬼子母神護法善神堂)、ほぼ満開
皇子山総合運動公園のしだれ桜、見事に満開

 


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町議会建設水道常任委員会を傍聴しました

(2010年3月18日 木曜日)

 本日の本当の日付は4月5日です。昨日からは一気に暖かくなって、近所の桜並木もきれいに咲きそろいました。工事が続いていた湖畔も第一期の整備が完了し、4月の初めから「柳が崎湖畔公園」として再スタートしました(今までも公園として位置づけられていたのですが、荒れていてとても公園とは言い難い有様でした)。

 我がマンションの目の前の砂浜と湖に注ぐ柳川もきれいになると期待していましたから、待ち遠しく完成はうれしかったです。計画が分かってからは市役所の公園緑地課を何度も訪ねました。また、初めて市の情報公開制度を使って整備計画の正確な内容も入手しました。工事が終了してからは1日に何度も湖畔に出ていますが、残念なことに早くもガッカリといった状況も生まれています。

 荒れて硬くなった砂浜を掘り返し、ストーンピッカーでふるいにかけた砂を浜に戻したはずなのですが、砂はまだまだ硬くて石・瀬戸物やガラスの欠片も結構混じっています。これでは整備の目標とした「はだしで歩ける砂浜」とは、ちょっと言い難いと思います。また柳川は「鮎が上ってくるようなきれいで、子どもたちが水に親しむことが出来る川」になるはずでしたが、拡幅工事のせいか(今のところは)流れが停滞し川床はよどんで汚いです。

 さらには柳川の北側土手は今回の整備対象とはならず、ごみが散乱していて見苦しい光景です。市に清掃を依頼すると、「柳川は県の管轄なので・・・」と言います。私は「市民は所管がどこなのかは関係ありません。柳川を含めた全整備の成果で事業の良否を判断します。市でごみを回収できないなら、市から県に依頼をしてください」と、公園緑地課に要望しました。

 これらの改善に着手するかどうか、いずれにしても暫く待たなくてはならないと思います。まあ、お役所に求めるばかりではなく、私自身が公園とどう関わるのか考えなくてはなりません。というわけで、一日のうち2時間程度、砂浜の掃除をやり始めました。風が強いと湖の波も結構いろんな物を、しかも大量に運んできます。

 エンドレスの作業なので達成感が得にくいですが、まあ気楽に取り組んでいます(でも体はしんど〜い!特に腰にきます)。市の担当課は“柳が崎・おそうじボランティア”の団体ができることを期待しているようですし、宮尾市議のブログでも「公園愛護会」への参加を提言してくれていました。でもまあ、暫くは細々・ボチボチやっていこうと思います。そのうちきっと“お仲間”が生まれてくるでしょう。

 今回も前置きが長くなりました。これならいっそ4月の日記に移っておいた方がよかったかもしれませんね。でも2009年度最後の月、せめて3月くらいは1ヶ月全部埋めたいと思うのです。もう暫く、遅れ遅れの日記にお付き合いくださるとうれしいです。

 さて、3月18日の日記です。今日は建設水道常任委員会の2日目です。少し遅刻しましたが、10時半には傍聴席に座ることが出来ました。私が入室時に傍聴していた議員は議長・平野議員・外村議員の僅か3人でした。多分卒業式(卒園式かも)と重なったのでしょうか?

 議員は式典には来賓として招待されますが、どちらに出席するか選択するなら、ヤッパリそれは委員会の傍聴ではないかしらと思います。私は一貫して“議員でござい”をアピールする場は極力避けていました。平野さんも私に倣って同じ行動を取ってきましたので、戸田さんの姿が見えないことに少々違和感がありました。

 しかし11時には戸田さんが傍聴に来たので、ホッとしました。こんなことは議員個々人の判断に任されることだと理屈では分かっているのですが・・・。勿論時間を経るに従って議員の傍聴は増えてきましたから、まあ良しとしましょうか。スミマセン、肝心の審査の内容ですが、長くなってしまいそうなので次回に送ります。

 本日は一般会計予算と下水道・水道会計予算の審査も行われたのですが、アララ!澤嶋議員は一般会計で持ち時間を全て使い果たしてしまいました。従って下水道・水道の予算は勿論、最後に行う各会計予算の討論も一切発言が出来ない状況に陥ってしまいました。このことは残念でしたし、とても拙いことといわざるを得ません。

湖畔に流れ着いた流木やごみを、
見苦しくない程度に取り除く掃除を
しています
(やってみると、これがなかなか大変な作業!)
びっくりしたぁ〜!大きな亀
(体長20センチくらい)が
激励?に現れました

 


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澤嶋議員の“反撃“に拍手です

(2010年3月19日 金曜日)

 本日の本当の日付は4月7日です。一昨日と昨日は、久しぶりに(1年くらい会っていないかも)家族4人が顔を揃えました。息子たちの休暇が一致することは少なく、お正月休みも次男は千葉から帰省しましたが、長男は海外で過していました。ところが今回は珍しく兄弟の意思が一致して、休暇の日程を調整したようです。

 何のために休んだのかは、彼等のプライバシーに関わることですからナイショです。ただ私と夫からみれば「はぁ〜、そんなことで休暇をとるの?」という感じで、価値観の差異に少々の驚きはあります。三重に住む長男は兎も角として、千葉の次男はわざわざ休みを取り、新幹線代で懐を痛めてでも果したい“大事なこと”なのかしらと、半ば呆れています。

 しかしまあ、そのおかげで“全員集合”が実現したのですから良しとしましょうか。おまけに私が始めたばかりの湖畔清掃も手伝ってもらえたので、ラッキーでした。集めた大きな流木は重くて運べず、浜に積んだままにしていたのですが一挙に片付きました。京都の円山公園、大津は坂本や三井寺の桜を愛で、短い家族団らんはあっという間に終わりました。さぁ〜て、今度みんなの顔が揃うのは何時になるのかしら?

円山公園のしだれ桜、お花見客が
多くて桜も少々疲れた様子
(夜のほうが美しいかも)
坂本、穴太(あのう)積の
石垣に映える桜
満開の桜で覆われる
三井寺の山と琵琶湖疎水

 

 さて、3月19の日記です。前回の日記に続き、島本町議会建設水道常任委員会の二日目(18日)の傍聴から、ごく一部を抜粋してお届けします。澤嶋議員の迫力ある反撃が興味深かったです。

 澤嶋議員は「し尿処理と引替えに合併するのか」と、単刀直入に質しました。続けて新聞報道(12月17日付け、朝日新聞)を引き合いに出し、記事にある高槻市長の談話を元に迫りました。高槻市長は取材に対して、次のように述べています。「し尿処理施設だけこっちに、という話には乗れない。(略)町側が合併した方がいいという話になれば、市民の意向や財政の問題などを踏まえて真摯に検討していく」。

 記事をどのように読んでも、高槻市長の見解は詰まるところ「し尿処理と合併は引替えだ」と言っているに等しいわけです。ところが、総合政策部長はあくまでも「高槻市島本町広域行政勉強会で、し尿処理の広域化が駄目なら町で自己処理を行う」と答弁を繰り返します。し尿の自己処理に可能性があることを示し、町が「合併ありき」の姿勢ではないと印象付けているように思えてなりません。

 答弁を受けた澤嶋議員は「自己処理の可能性があると言うなら、町として具体性のある道を探っておく必要があるのではないか」と問いました。都市環境部長は「し尿もごみも結構デリケートな問題だ。かつてし尿処理の中間処理施設案を山崎地区で提案したが、うまくいかなかった。高槻市に嫌悪(迷惑)施設をお願いする場合、一方で町独自の道を探れば市に失礼であり、町として真剣さを欠く姿勢となる」と答弁しました。

 この答弁に澤嶋議員は“噛みつき”ました。「現し尿処理施設が高槻市(市民)に対しご迷惑をおかけしていると繰り返しているが、町は法をクリアして操業しているではないか。施設の周りの住宅は、あとから建ったものだ。町の余りのへりくだりはおかしいのではないか。また自己処理に係りあらゆる手段を探るのは、高槻市に対して何ら失礼には当たらない」。私も全くその通りだと思いました。

 澤嶋議員の厳しい質疑に対して、町長は「最善、最悪のケースを想定しているのは行政として当然のことである。今やっと協議できる段階になった。ご理解いただきたい」との短い答弁を返しました。この答弁は、私にはよく理解できませんでした。澤嶋議員は理解ができたのかしら?

 「最善のケース」「最悪のケース」とは、それぞれ具体にどのような状況を指すのか?「今やっと協議できる段階になった」ということがし尿処理の広域化を指しているのなら、町長は高槻市長が言った「し尿処理だけ、こっちという話には乗れない」をどのように解釈しているのか?私は、澤嶋議員にもう“ひと噛み”して欲しいと思いましたが、ここまでで終わりました。でもまあ、なかなか聴き応えのある質疑であったと思いました。


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合併(問題)への歯止めになって欲しい市民派議員の学習会

(2010年3月20日 土曜日)

 本日の本当の日付は4月11日(日曜日)です。島本町では昨日から、水上隣保館のさくら祭が賑いを見せていることでしょう。昨年の今日は、町長・町議会議員選挙の最終日でした。汗ばむ陽気の中で候補者の多くが、さくら祭りを楽しみにやって来た住民の皆さんに最後の訴えを行っていました。1年前の日記を読み返してみると、私が引退することで市民派の増員を目指す、まさに“勝負”を賭けた選挙戦が昨日のことのように鮮やかによみがえってきます。

 あれから早1年、市民派3議員(平野・澤嶋・戸田議員)は公私共に苦労を乗り越えつつ、それぞれの個性を打ち出しながら頑張っています。選挙戦では合併の「が」の字も言わなかった川口町長と自公民の議員たちは、今や「合併議論を行うべし」と大合唱です。町制70周年に際した住民への“贈り物”は、まさか「合併します」の提起ではないでしょうね?

 住民不在で進むかもしれない町の将来に、転出した我が身ではありますが不安で一杯です。島本町の何が変わって何が変わっていないのか?役場や議会で変えてはいけないことは何なのか?変わらなければならないことは何なのか?私もずっと心の中で問うています。市民派議員は現在、このたびの合併問題の要因とされている衛生行政(ごみ・し尿処理施設問題)について、精力的に学習会を行なっていると聞いています。

 以前、島本町が「平成の大合併」を実現させようとした理由は、町財政の困窮化とされていました。私は当時町長選挙に敗れて介護ヘルパーをしていましたが、2か月分の給料(薄給でしたが)をつぎ込み、10数回に亘る学習会を行ないました。当時議員であった平野さんと澤嶋さんも参加してくれました。財政分析を冊子にまとめ、「合併しても財政状況は好転しない」結論を公表しました(冊子は町長初め職員にも配布しました)。

 私たちの報告書がどれだけの効力をもたらしたのかは不明ですが、アンケートに示された「合併ノー」の住民意思が、学習会の結論と全く同じ方向性を示したことに安堵と誇りを感じました。現市民派3議員が進めている学習会の結果が、“合併問題”推進派の論点を打ち破る内容であることを願いますし、結果公表のタイミングを逸しないことを合わせて祈りたいと思います。

びわ湖大津館に向う桜並木
(ベランダからもお花見してます)
桜並木から我がマンションを臨む
(写真は4月8日撮影)

 


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年金証書が届いたけれど、記載様式に納得できません

(2010年3月21日 日曜日)

 本日の本当の日付は4月12日(月)です。“なぎさのお掃除“は順調に進んでいますが、今のところ少々重労働です。過日の強風がもたらした漂着物は”大物“(例えば丸太とか)が多く、その量もまた半端ではないからです。砂浜の掃除を始める前に、自分に言い聞かせたのは次のようなことです。

 長く続けるためには・・・気が向いたときにマイペースで・作業は2時間まで(ごみ袋2つ分ぶんくらい)・お掃除の仲間を増やす等の気楽な目標を設定しました。数日間は湖岸でひとり、孤独なごみ拾いでした。ところが、いつの間にかごみ置場に袋が増えているのです。お〜っ!うれしいことに“なぎさのお掃除”仲間が、私以外に複数人いることが判りました。

 昨日の夕方、浜で出会った2人(女性)の方が私に言いました。「あなたが掃除をしている姿を見て、私たちもやろうと決めたんですよ」と。うれしいことです。いつかもっとお掃除仲間が増えて、緩やかなグループ活動に繋がればいいなと思います。広々ときれいな弧を描く砂浜は公共の公園ですが、私たちマンションの住人にとってはまるでプライベートビーチのように身近な浜です。大切に係っていきたいと思います。

 さて日記の日付に戻ります。標題の通り、待ちかねた年金証書が届きました。証書が発行されて、初めて正式に受給資格の証しを得たことになります。事前に大津年金事務所や滋賀年金事務センターで相談及び申請や確認等行ってきましたから、証書の内容については解っているつもりでした。

 ところが開けてビックリ!老齢厚生年金の年金決定通知は時効分も溯って年金額が計上されていますが、老齢基礎年金の該当欄は空白になっています。今年の3月11日に発行された証書に基礎年金額が示されていないのは、なんで!?私は昨年の8月に65歳となっていますし、国民年金保険料の支払い期間は受給資格を満たしています。また年金事務所では年金額も試算してもらっています。

 多分、今後基礎年金分をドッキングした老齢基礎・老齢厚生年金の新たな証書が送られてくるのだろうと思いました。念のために年金事務センターに問合せたところ、「年金証書は今後も一生変更しません」と答えました。エ〜ッ、それでは私が老齢基礎年金をもらえる証しが無いではありませんか!事務センターの職員は「ああ、それは心配ありません。追って支給額の変更通知書が届きます。そこには証書の空欄部分が記載されていますので」と言いました。

 私は「分かりました。そういう事務様式になっているのでしょう。しかし私はとても不安になりました。最初の年金証書を送る時に、変更通知書の件を示した文書を付記すべきだと思います。この件について、一度年金機構で検討してもらえないでしょうか」と依頼しました。職員は「検討して、文書で回答いたします」と丁寧に答えてくれました。2週間後催促の問い合せをしましたが、まだ検討中とのことでした。1ヶ月は待ちますが、それ以上は駄目ですよ。

整備された我家のマンション前の砂浜
大きく弧を描く湖畔

 


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県の「議会の概要」冊子は、情報室を通せば入手可能でした(と題をつけましたが、日記の中身は県土木事務所の訪問記です)

(2010年3月22日 月曜日)

 本日の本当の日付は4月13日(火曜日)です。一日降り続いた昨日の雨で、桜は殆ど散ってしまいました。今春は自宅に近い数ヶ所しか訪れることができませんでしたが、それでも初めての大津の桜を十分に堪能しました。来年は県下の桜の名所も訪れたいと、今から楽しみにしています。

 さて、昨日は県の大津土木事務所に行きました。我がマンションに接する湖畔の整備(第一期工事)は終わりましたが、私は砂浜と併せて改修された柳川のことがとても気になっています。柳川は子どもたちが水に親しみ、時には鮎が上ってくるようなきれいな川を目指して整備を行ったはずです。しかし以前の日記にも書きましたが、水の流れは河口で停滞し澱んでいます(これなら、改修前のサラサラ流れる柳川の方が良かったです)。

 私はこの状況を何度か大津市の公園緑地課に訴えていましたが、「1級河川の柳川は滋賀県の管轄。大津土木事務所で話してください」と言われてきました。市は柳川を含む公園整備工事に際して県と十分調整を行ったはずなのに、答えないのはケシカランと思いました。でも、住民の声を直接県の土木事務所に届けることも必要だと気付いたのです。だから昨日、雨の中出向きました。

 大津土木事務所は、県庁から少し離れた合同庁舎の中にあります。担当は管理調整課です。職員に伝えたのは、川の澱みについて先ずは現地確認を行うこと、また市担当課との協議、川の経過観察、及び北側護岸のごみ撤去をするよう等数点です。様子を見てその後、柳川の改善に向けて更なる浚渫等が必要と判断されれば、直ちに工事に着手して欲しいと要望しておきました。

 ごみの撤去を除けば、いずれも関係機関との協議や予算化が必要なため時間を要することは解っているので、本日は要望を伝えることのみにしました。このあたり「すぐやれ、もっとやれ」と住民“エゴ”を撒き散らさずにいられるのは、よしあしは兎も角として長年行政と渡り合ってきた経験が生きています。

 最後に念押しをしつつ、私は敢えて“お願い”をしました。「今般の柳川を含む湖畔の整備を、私たち近隣住民はどれほどうれしく思っていることか・・・県にも市にも本当に感謝しています。ただ本日お願いをした中で、護岸のごみ撤去に係ってはご担当の判断で実行が可能ではないでしょうか。いかがでしょう?」と。

 タイミングが良かったでした。職員は丁度午前中に、柳川の中流に捨てられたバイクを回収していました。委託などの手続を経ずに実行できたものですから、即答が可能だったのでしょう。なんと!直ちに実現。「2,3日中に職員の手でゴミの撤去を行います」と答えてくれました。良かったです。ヤッパリ直接会って話すことの大切さ、行政と住民間の理解の原点は此処にあると、改めて確認しました。

 さて前置きが長くなり過ぎて、日記の日付(3月22日)に戻る気力がなくなってしまいました。毎度のことながら、本日は標題のみにてお許しください。次回の日記で、県の議会事務局で入手を断られた情報を、県庁情報室からゲットした話を書きたいと思います(別にそう大した話でもありませんが・・・)。

大津土木事務所が入っている合同庁舎、7階建で立派な建物です
事務所内の撮影をお願いすると、奥から管理職が出てきて
「一般のお客さんもいるので、遠慮して欲しい」
と言いました。
この時、お客なんて誰もいませんでした。
私は「公の施設ですから、執務に支障ない撮影は可能では?
どこの役所でもオッケーですよ。
配慮して写しますから」と言いました。
管理職は「まあ、どうぞ」
と言って自席に戻っていきました。

 


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お役所の情報室は役に立ちました

(2010年3月23日 火曜日)

 本日の本当の日付は4月14日です。とても風が強くて、肌寒い1日でした。琵琶湖の波も結構高くて、湖岸に居ると海辺に来ているような感じがしました。強風でビーチの清掃も効率が上がらず、早々に切り上げました。午後からは琵琶湖環境科学研究センターを訪れ、「琵琶湖・湖辺域の外来植物と貴重植物」という冊子を貰いました。

 この冊子は、県のホームページで「進呈します」との案内が出ていました。文庫本のサイズで50ページ足らずの小さな冊子ですが、カラーの写真も多く掲載され中身の濃い内容だと思いました。発行は研究センターですが、複数のNPOとの共同研究の成果をまとめたものです。

 ざっと目を通してみましたが、私が知っている植物の名前は、「ホテイアオイ」(要注意外来生物)くらいでした。整備が終わった砂浜や柳川の護岸にも、様々な植物が再び姿を現すはずです。湖岸掃除の時に、この冊子が少しは役に立つかもしれないと思っています。

 冊子の「はじめに」では次のように述べられています(本文から一部抜粋し、加工しています)。「〜琵琶湖(南湖)の湖岸は70パーセントが人工的に改変されている。従って湖辺域でしか暮らせない在来種の多くが、種存続の危機に直面している。さらには侵略的外来種が、在来種の生存を脅かしている〜」「長い歴史と進化の産物である琵琶湖の生物多様性は、一度失ってしまえば二度と取り戻すことは出来ない。逃げ場の無い生き物たちのために、共存への道を一緒に考えよう」と書かれています。

 過日、完工検査を控えて浜に来ていた工事関係者が「掘り返した砂には、今までの植物の種子が混入している。また種は風や波によっても浜に運ばれ、これからもドンドン植物が繁茂してくる」と言っていました。砂浜の清掃時に残さなければならない植物の見分けがつくかしら、或いは外来植物の除去方法を誤ると繁茂の強化や拡大に繋がりかねないかも?と不安になります。

 今はまだ、殆どの植物を「水草」とか「雑草」とかしか呼べない私ですが、冊子に書かれた文章の意図は良く分かりました。特に「逃げ場の無い生き物たちのため」という表現を目にして、「ちょっとは勉強しなければいけないなぁ」と心を動かされました。そしてこの気持は個々人に留まるものでなく、「柳が崎湖畔公園」の清掃に関わる全ての人の意識に繋がらなければならないことも良く解りました。“なぎさのお掃除”も奥が深いことを、先ずは認識したしだいです。

 さて、今回も前置き(ここ暫くはあまりの日記の遅れが申し訳なくて、暦に沿った4月分の日記を前文として書いています)が長くなりましたが、標題に示す3月23日の日記に移ります。別にクドクド言うことでもない内容なのですが、以前県庁に行った時、議会の概要を記した冊子を議会事務局に求めたことがありました。

 結論は断られました。理由は「作成はしているが、環境問題からも紙ベースの情報作成は削減の方向できている。従って不特定多数の請求には応じられない。議会の概要は、県庁のホームページで内容を網羅している」と言うものでした。まあ、一応理屈は通っていますので、その時は引き下がりました。

 ただし言わせて貰えば、ホームページには情報の欠落があります。例えば議会のホームページのどこを探しても、議員報酬や費用弁償、さらには政務調査費がいくら支払われているのか一切分かりません。滋賀県内の市町村で、議員の支給額を知らせている所は数多くありますし、守山市ではホームページ上で使途の内容までも公開しています。

 勿論議会に関する例規集から、各々の条例を検索すれば分かります。しかし条例の検索を示唆する具体の手法も、ホームページ上には示されていません。議員は県民の税金からお金をもらっているにも拘らず、その中身が県民に分からないというのは腑に落ちません。そこでホームページには記載されていなくても、「議会の概要」冊子には掲載されているだろうと思ったからこそ請求をしたわけです。私もむやみに、何でも「くれくれ頂戴」と言っているわけではありません。

 2度目に県庁を訪れた折に思いついて、県庁情報室を訪ねてみました。当然のことですが閲覧用の冊子はありました。議員報酬・費用弁償は載っていましたが、政務調査費はどこにも見当りません。ヤッパリ、情報室で確認しておいて良かったです。つまり県議会の政務調査費に関わる情報は、ホームページにも「議会の概要」冊子にも掲載されず、うがった見方をすれば、できることなら県民に知らせない情報とされていたという訳です。

 会派を構成している県会議員は、一議員1ヶ月30万円(会派分として使用する政務調査費を含む)、会派に属さない議員は同じく20万円が政務調査費として支払われています(ちなみに大津市議会議員は1ヶ月7万円です)。なお、県議の報酬月額は84万円です(議長は104万円・副議長は90万円)。ただし今年度末までの2年間は、議員7・副議長9・議長10パーセントの減額がされています。う〜ん、それにしても大した金額です。

 話が政務調査費にそれてしまいました。私は「議会の概要」冊子を、隅々まで読みたいと思いました。情報室で冊子をコピーすればよいわけですが、“だめもとで”職員に頼んでみました。「議会事務局には、確か在庫があるはずです。情報室のご担当から求めていただけないでしょうか」。「わかりました」と答えた職員は、「お客様が『議会の概要』を求めておられますが」と電話をしてくれました。

 直ぐに議会事務局の職員が冊子を手にやって来ました。ハイ!これで一件落着です。しかし物事の本質は、未解決のまま日が過ぎ去っています。私は情報提供の両媒体に「議員へ支給されるお金の内容を載せてください」と議会事務局を通じて求めましたが、無視されています。心ある県会議員方が、早く気付いてくれないかしらと切に願っています。

県庁情報室の受付
さすが県庁、情報がギッシリ詰まった書架の列

 


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大津市のほうが“きめ細かい”?退職者挨拶

(2010年3月24日 水曜日)

 本日の本当の日付は、4月16日です。朝から夜まで雨が降り続き、肌寒い一日でした。関東地方では桜の上に雪が積もり、「花見ならぬ雪見だ」と住民が嘆息する姿が放映されていました。中国での地震やアイスランドの火山噴火等大きな被害をもたらしている災害もあわせ考えると、不安定な地球環境の一端を垣間見ているようで、何だか怖いです。

 今日(16日)は、島本町議会の議員全員協議会(全協)が開かれました。澤嶋さんから案内のファックスを貰っていました。案件には「高槻市島本町広域行政勉強会」(以下「勉強会」)の報告が含まれていましたので傍聴に出かけるつもりでした。しかし結局、サボタージュしてしまいました。ごめんなさい!

 「勉強会」の設置要綱では合併の議論を行なうことが明記されていますから、本日の報告内容も気になっていました。夜に澤嶋さんから、メモ書きのファックスが送られてきました。もう殆ど何の役にも立たない私ですが、こうして丁寧な連絡をもらえることは本当にありがたいことだと感謝しています。

 澤嶋さんのメモによると、3月23日に「勉強会」内のワーキンググループ(4グループのうちの行財政調査・検討に係るグループ)が開かれたということです。全協では23日の資料を初め会議の報告書等も配布されず、報告も簡単な内容に止まったようです。なお、当ワーキンググループでは「両市町の財政状況の現状」「〃将来の収支見通し」「広域連携または合併、それぞれの場合の財政効果シミュレーション」の項目について調査・検討することになります。

 共産党や市民派議員たちから質問があったようですが、詳しくは分りません。後日、市民派3議員のどなたかが報告してくれることでしょう。それにしても町が声を大にして言ってきた喫緊の課題である「し尿処理の広域化」は、いつワーキンググループの俎上に上がるのでしょう?

 し尿処理については「3月末までに広域か自己処理か、庁内の意思決定を行う」と、過日の建設常任委員会で答弁がありました。委員会を傍聴していた私も、その発言を聞きました。だからこそ私は日記に、「早く全協を開いて、どのような意思決定をしたのかを議会に報告すべき」と書いたのです。本日の全協では、意思決定の内容は当然報告されたと思いますが・・・どうだったのでしょうね。

 さて、日記の日付(3月24日)に戻ります。今日はホントに何も書くことがありませんので、少し前に傍聴した大津市議会の生活産業常任委員会での“番外編”を少しお届けします。当日は全ての常任委員会が同時に開かれていましたが、多分どこの委員会でも見られた光景であったと思います。

 3月議会では、あと数日で定年を迎え退職をする職員がどの会議にも何名かいます。生活産業常任委員会でも所管の部局に係る審査が終わるごとに、退職職員を各部長が紹介しました。課長級以上の職員は委員会の議員たちに挨拶を述べ、委員長はねぎらいの言葉を返します。

 島本町では議場で部長・次長級の職員は挨拶を行ないますが、委員会ではありません。ちなみに大津市では議場で退職の挨拶を行うのは、議場説明者たち(部長級職員のほか各行政委員会の長も行なう)です。どの形が良いのか分かりませんが、島本の委員会でも課長たちの挨拶はあってもいいかしらと思いました。

 生活産業常任委員会で印象に残った挨拶がありました。2001年に当課長(当時の役職は聞き漏らしました)は、市民50人を引率してアメリカでの交流事業を実施する一人でした。2001年9月11日、ニューヨークに滞在していました。同時多発テロの直接的な被害は受けませんでしたが、大変なショックと心労が重なった忘れられない仕事であったと言いました。私は傍聴席で、思わず「すごい!」と発してしまいました。

大津京駅前の小さなアドプト公園、近隣住民の努力が“花開き”ました

 


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3月後半議会を傍聴しました

(2010年3月25日 木曜日)

 本日の本当の日付は、4月19日です。昨日は義兄の一周忌で、大阪に出ました。帰り道、久しぶりの梅田界隈で買い物をと思いました。でも余りの人の多さに圧倒されて、大阪駅からそのまま帰ってきてしまいました。大津京は勿論、浜大津でも梅田のような人の波に出会うことはありません(年に一度、8月の花火大会の時くらいでしょうか)。“大都会は遠くなりにけり”を実感して、チョッピリほろ苦気分になりました。

 さて、標題の日記です。今日(3月25日)は、1日から始まった3月議会の最終日です。今議会から一般質問が前半議会の最初に行われるようになったため、後半議会の日程は本日のみです。私の傍聴は午後からになってしまいましたので、全議案に係る詳細は採決結果も含めて、町議の方々の報告に任せしましょう。私からは少し面白いと思ったことと、意外だと感じたことについて書きたいと思います。

 補正予算に「地域活性化・きめ細かな臨時交付金」と銘打った国の補助金が計上されました。経済浮揚対策の一環で考えられた交付金ですが、「きめ細かな」という表現は今までに無く何だか違和感があります。「誰に対しきめ細かいのかしら?」と思ってしまいますが、国が「当交付金を使いなさい」と対象にしているのは中小・零細企業です。要するに町内土木・建設業者にとっては、“きめ細かな”公共事業が役場から“棚ぼた”でやって来るわけです。

 こういった突発的な予算を使う場合、危惧される様々な要因が考えられます。つまり、役場に対して“声の大きな”人や団体からの要望・要求を叶えることに片寄っていないかが懸念されます。今補正では予算の多くが農業用水路や道路改修に充てられていますが、このことを問うた戸田議員に対し、農業に従事している議員ほかから野次が飛びました。

 本来は野次など無視するか、議長に訴えるか(市民派議員の訴えには聴く耳持たないことが多い)、或いは一喝(これは新人議員には無理かも)するかなのですが、自席のすぐ前からの野次であったため戸田議員はうろたえてしまいました。戸田議員は「何を言おうとしていたか、分からなくなってしまいました」とか弱く発言しました。野次によって混乱した気持が素直に出た言葉でした。とても自然で微笑ましく、私は好印象を持ちました。たまには、ポロリと本音もいいものですよ・・・戸田さん。

 以上が「少し面白いと思ったこと」です。あと「意外だと感じたこと」は、次回の日記に回します。

桜の横の石碑は「堅田十六夜の弁」碑。
芭蕉が堅田で十六夜の月を観賞した折に詠んだ句
「鎖明けて月さし入れよ浮御堂」
「やすやすと出でていざよふ月の雲」
が刻まれています
堅田漁港

 


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町議会(3月議会後半)で「意外だ」と感じたこと

(2010年3月26日 金曜日)

 本日の本当の日付は4月20日です。今日、平野議員から「議会リポート」が送られてきました。わざわざの郵送、本当にありがたいことです。定例議会後の通信は、(市民派3議員の中で)いつも平野さんが一番早く作成しています。平野さんの議員活動は、決して華々しく目立ったものではありません。しかし地道な努力を確実に実らせていく平野さんの行動力は、住民の皆さんに大きな信頼感を与えているのではないでしょうか。さあ!後輩の2議員、追いつき追い越せで頑張りましょう。澤嶋・戸田議員の奮起を期待しています。

 さて前回の日記では3月25日の議会(3月議会後半)で、「面白いと思ったこと」について書きました。続きの今回は、「意外だと感じたこと」について書きます。

 本日午前中に、2010年度一般会計予算の採決が行われています。会派「人びとの新しい歩み」(平野・澤嶋・戸田議員)は、平野議員が会派を代表して討論を行い「反対」の表決をしました。以前私の日記(3月11日付)でも書きましたが、総務文教常任委員会では、戸田議員が「賛成」の表決を行ったことをお知らせしました。平野議員は「反対」しましたから、委員会では会派内の結論が分かれたことについても言及しました。

 ところが本日の最終表決では、戸田議員はなんと「反対」の態度を示しました。勿論、委員会審査で出した結論と、本会議で出した最終結論とが同じでないといけない決まりなどありません。所管外の常任委員会審査の内容に影響されることもあるでしょうし、会派内での意見のすり合わせで意思が変化することもあります。

 しかし、こと“合併”に係る意思表示は、今後揺らいでもらっては困ります。2010年度において、市民派議員が見据えるべき最大の焦点は“合併問題”です。市民派議員が率先して住民の皆さんと話し合い、説明をしなければならない日々が待ち受けています。先ずは確たる自身の結論を据えなければ、住民の理解など到底得ることはできません。

 まっ、ということで戸田議員の2つの表決(総務文教常任委員会と本会議で出した採決結果)が相反していたことが、「意外」だったという訳です。でも結果的には、戸田議員の変化に「ヤレヤレ、よかった」と胸をなでおろしています。

ベランダで純白の鉄線が咲きました
大津京駅前公園の八重の山吹、
島本の町花である一重の山吹を思い出します

 


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退職を迎えた職員3人が、閉会後の議場で挨拶を行いました

(2010年3月27日 土曜日)

 本日の本当の日付は4月21日です。このところ天候が安定しませんでしたが、今日は本当に気持ちの良い天気です。湖畔公園の整備時に植栽された柳も芝生も芽吹き、柔らかな緑色と青々とした湖水の対比が美しいです。琵琶湖に注ぐ柳川の流れは相変わらず緩慢ですが、澱みは幾分マシになってきたようです。でも水中に足を浸けてみようかなという気分にはなりません。ましてや子どもの水遊びなんて、この川床ではトンデモナイと言わざるを得ません。

 柳川の土手に捨てられているゴミの状況も再点検しました。過日大津土木事務所に行って撤去を要望したところ「早期に実行する」と約束してくれたはずなのに、すっきりときれいにはなっていません。土木事務所に確認の電話を入れると、「要望の翌日にゴミは撤去しました」との答えが返ってきました。一応お礼を伝えましたが、何だか釈然としません。残っているタイヤやバイクの部品などは写真に撮っておきましたが、もう一度お願いに行かなくてはならないかもしれません。

 さて3月27日付けの日記ですが、3月議会が閉会した25日のことを書いています。役場の退職職員については平野議員や戸田議員がブログで既に述べていますので、私は同性である民生部長に敬意を表して書きたいと思います。ちなみに議場で挨拶を行ったのは、民生部長・議会事務局長・会計管理者でした(議会事務局長と会計管理者のお二方には、ごめんなさい!)。

 女性職員で初の民生部長は、1986年に保健士として採用され、以降一貫して福祉・保健のエキスパートとして働きました。ここ数年間は管理職であったわけですが、どちらかというとグイグイと部下を引っ張っていくタイプの人ではないように思います。周りの人の力を借りながら穏やかに調和を図り、仕事を進めてきたのではないかしら?と私は思っています。

 議員現職時の私から見て、答弁等は正直少々物足りなく感じる時もありました(えらそうなことを言ってスミマセン)。しかし専門職であり途中採用、しかも女性でありながら管理職のトップに就くというのは容易なことではありません。きっと人一倍“努力の人”なのでしょう。心からの拍手と、「お疲れ様でした」を伝えたいと思います。ちなみに民生部長は再任用の職には就かず、4月からは新たな専門職として学びの道を歩むようです。

 最後に民生部長の挨拶の一部を引用して、本日の日記を終わります。議場での挨拶をメモしたのですが、全てを書ききれていません。

 「昭和61年に保健士として採用されました。24年間で印象に残ったことは、寝たきり老人への訪問指導や入浴サービスを開始したことです。入浴されたお年寄りの『ありがとう』の言葉が、心の支えになりました。“命を預る”職場でしたから、しんどい時ほど明るく仕事に励む姿勢でやってきました。(以下略)」。民生部長が島本町の高齢化、超高齢化時代を支える第一線での役割を果たしてきたことを、改めて認識できた挨拶でした。

「近江八景」の今と昔を、コンピュターグラフィック
より作成した陶板。大津市のメインストリート
(大津草津線)、中央郵便局の横に設置されています
「八景」中の「粟津の晴嵐」、
上が昔で下が今の風景。
制作は成安造形大学イラストレーションクラス

 


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年金についての改善を申し入れ、なんと!実現しちゃいました

(2010年3月28日 日曜日)

 本日の本当の日付は4月22日です。昨日の好天気とは打って変わって、今日は雨も風も強い一日でした。私は落着いた気持になれる雨の日を嫌いではありません。でも散歩に出ないと、腰に付けた万歩計がいつもの3分の1しかカウントしません。1日1万歩以上のノルマが果せず、ちょっと残念な気持です。

 さて、標題の年金の話です。このところ自身の年金給付を受けるにあたって、様々な疑問に遭遇してきました。大津年金事務所や滋賀事務センターに何度も確認を行い、口頭では解りづらい回答を文書でもらうことになっていました。1ヶ月足らずを経て、やっと回答書が郵送されてきました。

 年金証書に係り、確認を要する疑問点が2点ありました。1つは「時効特例」に関して該当しているにも拘らず、証書には「年時効特例法に該当する場合を除き、○○年(私の場合なら平成16年11月)以前の年金は、時効消滅によりお支払はありません」と、わざわざ注釈の文章が印刷されていた点です。

 私は時効消滅している年金でも特例法により支払われると思っていましたし、年金事務所でも「その通り」と答えてもらっていましたから、「お支払はありません」との文言にびっくりしました。そして何故、受給者に不安を抱かせるような文言をわざわざ印字するのかと、怒りがこみ上げてきました。

 私は滋賀事務センターに「紛らわしいこの文言を削除するか、もっと解りやすく親切な説明文を添付するか、いずれかに改善しないといけないのではありませんか?これ以上、私たちを不安に陥れないで下さい」と申し入れました。

 回答書によると、今後滋賀事務センターが年金証書を郵送する時には「時効特例給付のお支払いについて(お知らせ)」という説明文書を、特例に該当する人全てに添付すると書かれていました。これって自己満足かもしれませんが、年金機構の説明責任を向上させたことになります。割合凄いことだと思いませんか?

 添付文の中には「〜時効消滅によりお支払はありません」という文章が、「あなた様の場合は、年金時効特例法に該当しておりますので、○年○月以前の年金額の差額については、時効特例給付としてお支払いすることとしております」と、ゴチックの大文字で変更されていました。ヤレヤレ、これでやっと安心です。

 もう一つの疑問点は(過日の日記にも書きましたが)、年金証書の表示に係るものです。私の場合は厚生年金保険の年金通知欄のみに記載があり、国民年金の年金決定通知欄は空白でした。これでは国民年金保険の年金が受けられないように思ってしまいます。

 年金証書は一生変わらないとされているため、不安が募って仕方がありません。勿論、今後発行される「年金決定通知書・支給額変更通知書」で、実際の受給額に変更記載されていくのですが、やはり丁寧な分かりやすい説明を添えるとか、何らかの改善が図られるべきだと思います。

 しかしこの点については、残念なことに「年金証書の表示は全国統一の取り扱いなので、滋賀事務センター独自の通知はできない。現行システムでは、年金機構本部からの支給額変更通知書で知らせることになっている」との回答でした。このあと直ぐに変更通知書が届いて、やっと不安は消え去りました。

 今回、日本年金機構に対して私の意志を伝え、疑問を呈し、満足とはいえないまでも改善の回答を得ることができました。“お役所的”な事務の流れが少しは分かっている私でも、要望が叶えられるように進めていくのはなかなか大変でした。大きな混乱を生じさせた“年金問題”で、社会保険庁は日本年金機構に看板を替えました。

 “変身”の結果、「へ〜っ、こんなに接客態度が良くなったの!」と感心したり、変わらぬ形式的な事務のあり方にガッカリしたり、良い勉強になりました。折角の機会なので、私の要望がどのように検討されたのかを情報公開請求することにしました。これもまたスッタモンダで、なかなか得難い体験でした。機会があれば、日記に書きたいと思います。

なぎさの芝桜(におの浜、プリンスホテル近辺)、

4月23日撮影

 


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3月29日の日記ですが、中身は4月22日の“三首長の合併会談”です

(2010年3月29日 月曜日)

 本日の本当の日付は4月23日です。昨日(22日)の夕方(4時5分〜4時30分)、大阪府庁の知事室で大変重大な話し合いが行われていました。島本町川口町長(総合政策部長が同行)と高槻市奥本市長(政策統括監兼市長公室長が同行)が橋下知事(総務部長・市町村課長が同席)を訪問していたのです。

 訪問の主旨は「平成22年2月に『高槻市・島本町広域行政勉強会』を再開」のことで、「勉強会に対する大阪府の参画と支援を要請したい」というものです。会談の概要については、両市町の議員たちには22日の夜遅くにファックスが送信され、住民は22日(夕刊、何故か産経新聞がスクープ)または23日朝刊の新聞報道で知ることになりました。

 橋下知事の「合併しかない」という“煽り”に右往左往するのか、或いは(自公民議員たちにとっては)水面下で着々と進めてきた合併話を、やっと世間に知らしめることになったのか、島本の市民派議員や私には全く判断のつけようもありません。いずれにしてもこれではっきりしました。「勉強会」には、合併への道を進む以外の目的はありません。

 従って島本町は「勉強会」を、暫く休まなければなりません。何故ならこのまま続けていたら、町民の声を聴くことなく合併することになります。いろんな調査や財政分析などは、元々自前で行っていて当然のものでしょう。それらのことをやりながら(町職員の当然の仕事です)、町長は町内を隈なく回って住民の想いや願いを聴き出すべきです。

 そして、何故か遅れ遅れの「まちづくり基本条例」を早く議案に上げることです。条例中の「住民投票制度」が即効力を発揮できるように(とは言うものの、別途個別の条例制定が必要です)、住民の意思確認の手段を整えておく必要があるからです。

 また議会内でも当然、調査・研究が求められます。合併の賛否に拘らず、結果のいかんに拘らず、全議員の総力をあげた議論が求められます。並行して議会も街に出ましょう。知事がお尻を叩き出したのですから、じっくりとかゆっくりとかの言葉は通用しないと思ったほうが良いでしょう。

 ところで川口町長は、三者会談では戸惑いの反応を示したらしいです。「まさか(知事に)そこまで言われるとは・・・」と呟いたかどうかは知りませんが、「時間を下さい」とは言ったようです。橋下知事の機関銃のように連発される合併強制(?!)論に、たじろぐなら「三者会談などに行くな」と言いたいです。

 ちなみに、橋下知事が“関西州”実現のために、府内自治体を30万の人口規模に編成する構想「大阪発地方分権改革ビジョン」を持ち、そのための合併推進を打ち出していることは周知の事実です。僅か25分の短い会談で知事の放った言葉は、以下のごとく多数で尚且つ挑戦的です。

 「合併をするべきだ」「私の結論は合併しかない」「し尿処理施設だけの連携は、高槻市長同様認められない」「今しかチャンスは無い」「府は合併を前提にしない限りは、全面的なバックアップはできない」「奥本市長が代わってしまったら、この話は潰れるので、今しかない」「あとは川口町長と町議会の政治家としての判断だけ」等々が知事の発した言葉です。こんなのに、決してビビるなよ!町長も議員も、そして住民の皆さんもね。

 さて今般の会談については、議員たちも早々と報告してくれています。平野かおる議員・澤嶋真紀子議員(ようやくブログが復活しました。よかった!)・戸田靖子議員・高槻の二木洋子議員(おおっ、ここまでは全て市民派議員です)と、伊集院春美議員(自由民主党クラブ)のブログを見ました。

 中でも伊集院議員の報告は、私もこの日記に殆どを引用したほど“内容充実”です。まるで三者会談の場にいたかのような、臨場感溢れる詳細な報告です。まっ、「なんで?」と思わないでもありませんが、今回文章も日本語として成立していますし(?!)分かりやすくおもしろかったです。ちなみに伊集院議員は冒頭に次のような断りを入れています。「これは私の情報要約にて一字一句の正確さはありません」ですって・・・分かりました。

 日記の日付は3月29日ですから、何か書かなくてはならないのですが、疲れてしまいました。29日の日記は白紙ということでお許しください。尚、昨日の日記(3月28日分)もアップしていますので、ページを1日溯って読んでみてくださいね。

「湖族の郷資料館」(本堅田)、湖族とは堅田衆のこと

「出島(でけじま)の灯台」(今堅田)
3月に大津市景観重要建造物に指定されました
(木製の灯台です)

 


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年金機構の電話交換手にはびっくりしたなぁ〜

(2010年3月30日 火曜日)

 本日の本当の日付は4月26日です。昨日は、ヘルパーとして共に働いていた友人たち(3人)が遊びにきてくれました。とてもよいお天気で、イングリッシュガーデンも湖畔の風景も美しく、皆さん喜んでくれました。友人たちがマンション前の砂浜で「わぁ〜!まるでリゾート(地)やんか〜」と、声を揃えて言ったのは可笑しかったです。

 食べて喋って、あっという間に夕方になってしまいました。「秋には3泊4日で、マカオの世界遺産散策の旅に行きましょう」と約束して、楽しいひと時は終わりました。皆が帰ってから、お土産に頂いたワインを手に取りました。ボトルには私へのメッセージがサンドブラストでエッチングされています。とてもきれいで、心温まるプレゼントに感動しました。

 さて、標題の日記です。最近年金の件でいろいろと問い合せしていますが、大津年金事務所のみならず東京の日本金機構(本部)にも電話をしなければならないことが出てきました。今日(3月30日)は交換を通して情報管理グループのUさんに繋いでもらったのですが、話中らしく「あとでおかけ直しください」と交換手は言いました。

 私が「スミマセンが、Uさんのほうから掛けてくださいますか」と依頼し、交換手に「念のために、あなたのお名前をお聞かせください」と伝えました。交換手のHさんは「名乗れません」と、そっけなく断りました。私はびっくりして「通常の交換業務で、交換の人の名前を尋ねることはありません。しかし、私の伝言をちゃんと届けてもらうためにお名前を尋ねたのです」と説明しました。

 交換手のSさんは「名前を明らかにしないようにと、規則で定めています」と言いました。私は思わず絶句しましたが、「そのような規則があるとは考えられません。それはなんと言う規則ですか」と尋ねました。Sさんは「名称は分からないけれど、規則は規則です」の一点張りです。私はかなり頭にきていましたが、電話を「お客様相談室」に回してもらいました。

 相談室の担当者は「そのような規則はないはずです。しかし電話交換業務は委託しているため、業者への指導等は総務を通してしかできません」と丁寧に答えました。「では、総務に電話を回してください」と私は“タライ回し”状態にうんざりしながら、総務のA職員(女性)に、この間の説明を行いました。

 私は最後に「交換手の対応は、理解に苦しみます。規則の有無の調査と、委託業者への指導を行って下さい。その上で、結果を文書で頂きたいと思います」お願いしました。勿論後日、説明とお詫びを記した文書が届いたことは言うまでもありません。果たして肝心の交換手、Hさんは分かってくれたでしょうか?

手前の白い花の木はリンゴです
溢れんばかりのワゴンの寄せ植え
お土産のワイン、
ル.ムーラン(仏)のルージュ赤

 


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明日から新年度スタート、職員人事も大幅に一新されます

(2010年3月31日 水曜日)

 本日の本当の日付は4月29日です。ゴールデンウイークの始まりですが、働いていない私と夫にとっては特別な変化もない平凡な日々になるでしょう。寧ろ連休中は、どこへ出かけても人がいっぱいで疲れます。渚の小さなレストランでの食事や新緑を愛でる散歩等、近場で楽しみたいと思います。ここ大津は大阪や京都が持つ大都会の華やかさには何歩も劣りますが、私たちにとってはこれからも益々興味が尽きぬ地になっていきそうです。

 そうそう、連休中には湖岸の掃除も忘れずに予定に入れなくてはなりません。水際には昨日や今朝の強い風雨で、またまた大量のごみが流れ着いています。ところで先日のマンション理事会で、管理組合で浜辺の掃除用具を購入してくれることになりました。今、柳が崎湖畔の“お掃除人”が何人くらいいるのか判りませんが、管理組合からのサポートも望めそうですし、そろそろゆるやかに繋がっても良い頃かしらと思っています。

 さて、合併の話題が取りざたされている中、島本町議会の市民派議員方(平野・澤嶋・戸田議員)は久しぶりの連休もノンビリと過すわけには行かなくなりましたね。勿論特別の課題がなくても日々の研鑽こそ“勝負”の議員ですから、年中気を抜くことはできませんが、それでも3月議会と6月議会の間は少しホッとして息抜きが出来る時期なのです。

 しかし大阪府や高槻市との接触状況が次々と明らかになるにつれ、“蚊帳の外”の市民派議員には疑問や怒りが止まぬ状況であろうと推察します。新聞報道や大阪府橋下知事の発言や高槻市「地方分権推進特別委員会」における市長発言を聞くと(私は傍聴者からの発信で知りました)、ぼんやり“ノー天気”なのは、最も渦中にある(だって町の存亡が懸かっているのですから)島本町(町長)であることが良く分かります。

 川口町長は新聞記事(「合併ありか?」)や知事発言(「合併しかない」)が「先走りだ」と言うのなら、断固たる姿勢で抗議し早急に住民への説明責任を果すべきではないでしょうか。町のホームページ「町長の部屋」においても住民への説明は一切行わず(高槻市長は掲載していますよ)、町長自身のホームページの「町長席から」および「町長の気まぐれ日記」コーナーにも何の記述もされていません。あろうことか両コーナー共に、“その日”を空白にしている意気地のなさです。

 さらには直近で説明が出来たはずの「ことしの予算」(例年ゴールデンウイーク前に開催している)も開かないありさまでは、逃げ腰の不甲斐ない町長と呼ばれても仕方がないでしょうね。ちなみに町のホームページ「町長の部屋」で、川口町長はこう述べています。「〜(略)住民のみなさんと協働し、小さな自治体のよさを生かしたまちづくりに全力を傾注してまいります。〜(略)今後ともこのホームッページを通して積極的に情報の提供に努めると共に〜(略)」。これ、実態とは随分違っていませんか?

 まあ橋下知事のイケイケテンションも侮れませんが、“お相手”の高槻市(市長)の意見もこのまま“承っている”だけでよいのでしょうか。「高槻市・島本町広域行政勉強会」は、合併への単なる“隠れ蓑”ではありませんか?前述の「地方分権推進等別委員会」で高槻市長は「島本町議の皆さんが、合併してもらった方がありがたい」と言ったと、公の発言をしたのです(市長が議会の特別委員会で虚偽の発言を行うわけはないでしょう)。

 まっ、自公民会派(多分)の議員方が「合併したい」という意思を持っていることに、文句をつけることはできないと思います。それは彼ら彼女らの主義主張だからです。しかし首長である川口町長が、自公民議員の意見をそのまま“島本町の意思”にしようとしている所に大きな問題があります。

 ところで、共産党島本町議団(河野・冨永・高山議員)は、どのような行動をしているのでしょう。ホームページが更新されていないので、議員団のニュース「民主しまもと」(多分毎週発行している)の最新内容も私には分かりませんが、気になるところです。政党に属さない市民派議員たちは、組織力においては自公民や共産党に比べ正直弱いです。でも今後の動向によっては、住民の皆さんに直接訴える運動が必要になってくることでしょう。

 市民派議員は座して待つのではなく、町長リコールや議会リコールの直接請求も視野に入れる必要もあるでしょう。平野議員は現在3期目、経験も能力もある議員です(やさしくて静かな印象がありますから、少々インパクトには欠けますが)。私が果せなかった首長を目指す心意気で、澤嶋・戸田議員と共に“合併問題”に対しては地を這う努力をお願いしたいと念じるばかりです。

 さてさて長い前置き(4月分の日記)でしたので、肝心の3月最終日記はあっさりと終わりたいと思います。

 明日4月1日から新年度が始まりますが、島本町の人事発令が発表されています。退職の職員方には「本当に長い間お疲れ様でした」の言葉を、新採用の職員には「島本町住民のために頑張ってくださいね」を贈りたいと思います。町を離れた私からの激励など、ありがた迷惑かもしれません。でも島本は私たち家族が35年間暮らし、内20年間は議会に係った私のアイディンティティを育んだ町なのです。

 忘れられない大切な街です。その大切な島本町で、職員方とは共に町を良くし住民サービスに勤しむ、“同士”のような関係で過してきました。まあ「南部に同士と言われてもなぁ〜困るわ」と正直な声も聞こえてきそうですが、私はどの職員にも公正に公平に叱咤と激励を行ってきたつもりですし、解らないことは素直に教えを乞うてきました。

 今回定年を迎え退職する人、昇進した人、異動した人など様々です。新採用の人以外は、私が全て知っている職員と言っても過言ではありません。未熟な私を助けてくれた職員がいた反面、理不尽な対応を示した職員もいました。議員の職を辞し島本を離れた今「物言えば唇寒し」の状況ですが、それでも個々の職員が過してきた役場での日々を多少なりとも共有してきた私にとって、人事発令の公表には関心を抱かずにいられませんでした。

我家の近く、びわ湖大津館の
イングリッシュガーデンで
咲き誇る深紅の牡丹
ピンクの牡丹、ガーデンでは
5月中旬のバラが自慢です。
私は回数券を買って、
時々フラッと覗いています

 


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