2月は雪化粧をしてやって来ました
(2010年2月1日 月曜日)
島本に比べると、やっぱり大津は寒いです。比叡おろしがビュービュー鳴ると、体温も急に下がるような気がして、重ね着の枚数が増えていきます。ところで今朝は風もない穏やかな朝だと思いきや、あらっ!一面の雪化粧、平地では今年初めての積雪です。比叡の山並みも街並みも真っ白で本当にきれい!
しかし雪景色に「きれい」と感嘆の声を上げたのは、家の中から見ていただけだったと、午後に外出をして思い知りました。友人のお見舞に京都へ出かけた帰り道、大津京の駅を降りると雨まじりの雪で道路はグチュグチュになっていました。マンションのバスが出た後だったので、歩いたのが間違いでした。ぬかるみと凍結の道をへっぴり腰で、おまけにス−パーの買い物袋を手に傘もさして、散々の帰路でした。
ところで友人とは澤嶋さんのことです。一昨日、頑張って大きな難関を越えました。私は、心底ホッとしました。でも日常の生活や議員活動に戻るには、もう少しの時間が必要だと思います。まっ、これ以上のことはご本人からの発信がありませんから、私も口を慎まなければなりません。3月議会には澤嶋議員の元気な顔が見られると、期待して待っていましょう。
ちなみに3月議会は1日から始まります。また、今回から一般質問が最初に行われるようになったとも聞いています。一般質問の準備は大変ですから、苦労の波は議会開会の初っ端に押し寄せることになります。特に澤嶋議員には、今までよりもキツイ日程となるでしょう。市民派3議員が助け合って、任期の1年目を無事終えてもらいたいと願っています。
|
|
|
|
消防設備の点検がありました
(2010年2月2日 火曜日)
個人住宅における火災で就寝中の死傷者が増加したため、数年前に消防法が改正されました。新築住宅では平成18年6月1日より、既存住宅では20年6月1日から23年6月1日までに、住宅用火災警報器の設置が義務付けられました。当然我がマンションにも感知器が各部屋の天井に付いています。
今日は管理会社から委託を受けた業者が点検に訪れました。熱を発生する計器を装着した棒状の機器を近づけて、感知器が正常かどうかを確認します。感知すれば、同時にリビングに取り付けてあるコントロールパネルが作動します。パネルの警報機能により、警告音と人の声で火災発生を知らせます。
作動させて始めて分かったのですが、感知器は熱感知よりも煙感知の方が良いのではないかしらと思いました(火よりも先ず煙にまかれて、意識を失ってしまうと聞いているので)。またドアを締め切った寝室で熟睡していれば、離れたリビングからの警報が聞こえるかどうかも心配になりました。
警報器の次はベランダの避難口の点検です。一度開けてみなくてはと思っていましたが、未だに確認することなく日が経ちました。ステンレス製の蓋を開けると、折りたたまれた避難梯子が収まっていました。下の階への脱出時に使用するのですが、操作は簡単そうに見えても緊急時に果たして可能かどうか、一度説明を聞いたくらいでは自信はありません(勿論お隣との境界壁を蹴破って避難する方法もあります)。
いずれにしても、先ずは火を出さないことを肝に銘じなければならないと思いました。新しい住宅ですから住民同士のコミュニケーションも育っておらず、火災の避難訓練等もいつ取り組めるのかどうかも分かりません。防火管理者は選任されていますが、今のところは特段の情報発信もありません。入居が始まって既に半年が過ぎましたが、暮らしの安全安心への取り組みは、まだまだだなぁ〜と改めて実感しました。
![]() |
![]() |
澤嶋さんと二人でケーキを食べました
(2010年2月4日 木曜日)
昨日は節分でした。市販の海苔巻きを丸かぶりし、買い物のおまけで貰った豆をベランダと室内にパラパラ撒いて春を呼び、福を呼び込む真似事をしました。招き寄せた春の効果(?)で今日は寒さも和らいだため、午後から澤嶋さんのお見舞に出かけました。一昨日会ったばかりなのですが、何だかずっと気に掛かっています。
「今度は口当たりの良いゼリーを持ってくるわね」と約束したものの、JRの八条口から地下鉄に乗りかえるため、ゼリーを売っているようなお菓子屋さんがありません(伊勢丹は随分と離れているし)。仕方がないのでケーキ屋さんで、パイナップルをくり抜いた器にフルーツをたくさん乗っけたケーキを買いました。
店員さんに「板チョコにメッセージを書いて、ケーキに飾りましょうか」と訊ねられ、私はとっさに「元気になって、ハワイに行こう!」にしてくださいと言いました。後で考えてみると「トリスを飲んで、ハワイに行こう!」という、昔はやったウイスキーのキャッチコピーをもじっていたのでした。格好が悪くて、一人で笑ってしまいました。
澤嶋さんは、グ〜ンと元気になっていました。早速二人でケーキを食べました。少し話をして30分くらいで帰りました。この前は15分でしたから、今日は少し長居をしてしまい反省しています。お見舞に来た者が、病人を疲れさせることは慎まなければなりません。澤嶋さんは「2時間くらい喋っていく人もいるよ」と引き止めてくれますが、家族や親戚でもない私は、やはりマナーを守らなくては。
帰りは伊勢丹に寄って、バレンタインデーのチョコレートを見てきました。美しくキュートなチョコは恐ろしく高いお値段で、義理チョコオンリーの私にはとても手が出ませんでした。「景気は回復しつつある」とマスコミは言うものの、高価なチョコレートが飛ぶように売れるさまは異常です。個人の“お財布実感”にかけ離れたチョコを送って、本当に人の心をキャッチすることが出来るのか・・・なんだか変な習慣です。
|
|
近くに大津宮遺跡がありました
(2010年2月6日 土曜日)
近江神宮から少し離れた道路沿いに、小さな公園のような空き地が何ヶ所かあります。いつも気になっていたのですが、階段を数段上がらなくてはならないのでそのまま通り過ぎていました。昨日散歩のついでに、1ヵ所ずつ確かめてみました。
これらの空き地は千三百余年前に中大兄皇子(天智天皇)が都を置いた宮殿の跡で、史跡(国指定)近江大津宮錦織遺跡(おうみ おおつのみや にしごおり いせき)として今に伝えられています。大津宮は日本書紀に記載されてはいますが、近江のどこに置かれたのかは書かれておらず、長い間謎に包まれていました。
しかし1974年に錦織地区の発掘調査で宮殿等の遺構が次々と発見され、当地が大津宮と判断されました。朝堂院・内裏門・内裏正殿・倉・塀等の建築物のほか、仏殿や学校も設けられ、「漏刻」(水時計)で時刻を計り鐘や鼓で時を知らせていたようです。ところでこのように大規模な宮殿を築いたものの、大津宮は僅か5年5ヶ月の短命に終わりました(天智天皇没後、実弟(大海人皇子)と実子(大友皇子)が闘った壬申の乱が原因です)。
さて私が見た数ヶ所の“公園”には、丸太を切り取ったような椅子がたくさん、尚且つ整然と置かれていました。公園が遺跡と分かって、丸太の椅子は掘立柱の穴跡に柱を模して並べられたものと気付きました。各所には説明板を始め、天智天皇や柿本人麻呂が詠んだ歌の碑も設置されています。また当遺跡のパンフレット(1枚もの両面でカラー)が箱の中に入っており、「ご自由におとりください」とうれしいサービスにも出会いました。
大津宮の発掘も既存の住宅が密集しているところは未だ手付かずで、三十数年来の発掘調査も宮全体の構造が明らかになるのは、まだまだ先のことになるようです。しかし例え一部分であっても遺跡として整備し、住民に開放しているのは良いことだと思いました。私は大津宮の遺跡を見ながら、つい先日見た島本町の「広瀬遺跡」のことを思い出していました。
今回大きな話題を提供した島本の「水無瀬離宮跡推定地」を含む広瀬遺跡が、後世にどのような形で残されるのかを心配しています。教育委員会の職員は「住宅開発業者は早く埋め戻して、住宅建設を行いたいらしい」と言っていました。従って錦織遺跡のように、一部分だけでも残すことすら叶わないかもしれません。それなら発掘された遺構の様子が現地でも分かるような、碑や説明板を設けて欲しいなと思います。町教委の努力を切に願いたいものです。
|
|
|
|
|
|
|
|
大きなお店と小さなお店
(2010年2月7日 日曜日)
夫のパソコンが急に動かなくなりました。土曜日に帰宅していた長男がアチコチ触ってみましたが、復活しそうにもありません。購入後10年にはなりませんが、そろそろ寿命だと諦めるしかないだろうと思いました。とは言うものの、他の家電製品に比べてパソコンの耐用年数はとても短いような気がしてなりません。買い替えを促進させるメーカーの“戦略”かもと、悔し紛れに腹立たしく思ってしまいます。
実は私のパソコンも調子が悪くて、騙し騙し使っている状況です。急にブチッと切れてしまうのです。メールを打っている時など、突然全部消えてしまうので溜息が出ます。買い換えて3年余りですから、ホンマに腹立たしいです。で、私のパソコンを修理に出すためにも、夫用を早急に買うことにしました。長男の意見も参考にしたいので、今日瀬田のパソコンショップへ出かけることにしました。
瀬田の前に少し遠出ですが、吹田の家具屋さんへ行ってもらうことにしました。“家具屋行き”単独では夫も息子も渋るのですが、パソコンを買うチャンスなので仕方がないと思ったようです。家具(ソファ)は条件に合うものがなく、誂えの注文をするには思い切れなくて、結局名神のドライブは無駄になってしまいました。勿論帰りには約束どおり、大型スーパー内の店舗で夫のパソコンを買いました。
今日は大型スーパーマーケット内のパソコン店と、小さくはありませんが大きくもない家具店の、二つの異なる規模の店舗を訪れました。パソコンは量販店で大賑いです。店の個性は何もありませんが、値札で勝負というお店です。かたや家具店は北欧家具や、北海道の材で注文を受けて作る家具を取り扱っています。ここは私の好きなお店なのですが、なんだか以前の活気がなくなってきているように感じました。
このような現象は大なり小なり、巷で顕著化しています。パソコンや家具といった類でなくとも、食料品や日用品については既に大型店への流れは止めようもありません。家具店主の専門的なアドバイスや、自分自身で木材や皮革・布地を選択する過程には、大切に使い込んでいく家具への愛着の第一歩が存在しているはずです。
私(お客)の想いやこだわりを共有してくれる姿勢を持ちながらも、経営が行き詰まり店がだんだん元気をなくしていく。そしてやがては姿を消してしまう・・・そんな社会のあり様は決して健全ではないと思います。しかしながら(忸怩たる想いを抱きつつ)私たちは量販店でパソコンを求め、更には“大”スーパーマーケットで夕食の食材を買い込んでいたのが現実です。反省すべきか?開き直ってよいのか?・・・よくわからないです。
|
|
|
|
澤嶋さん、無事お家に戻りました
(2010年2月8日 月曜日)
先週、澤嶋さんは大きな“試練”を乗り越えました。これで体調不良が一気に好転するというわけではありませんが、これからは日にち薬で徐々に元気印の澤嶋さんに戻っていくことでしょう。何も手助け出来なかった私ですが、心から「良かったね」「頑張ったね」の言葉を贈りたいと思います。
それにしても凄く短期間で家に戻ることが出来てうれしいやら驚くやら・・・ホンマにビックリしました。医術の進歩もあるでしょうが、きっと良好な経過が確認できたからなのでしょうね。私はノンビリと「今日の午後からまた会いに行こうかなぁ」と思っていた矢先に、帰宅の連絡を貰いました。
島本に戻った澤嶋さんは、どうしても議会の仕事が気になると思います。今までの澤嶋さんにブランクがないといえば嘘になりますし、正直焦る気持もあると思います。でも暫くの間は、何よりも体調優先で歩んで行って欲しいと祈る気持です。この度の“試練”は、澤嶋さんに様々な力を与えてくれたはずです。その力を発揮する時はきっと来ます。澤嶋さん本人は勿論、私たちも待っていたいと思います。
|
|
近くには古墳もありました
(2010年2月9日 火曜日)
歴史も考古学もお手上げの私ですが、「↑皇子山古墳」の標識を見つけて好奇心が湧きました。先日「大津宮遺跡」のことを日記に書きましたが、その直ぐ近くに古墳があるのです。近くと言っても、住宅が段々に建て込んでいる小高い山(というより丘)を登っていきます。西大津バイパスに突き当たる一帯に皇子山古墳(1・2号墳)があります。
皇子山古墳は4世紀中〜後期に造られた近江最古級の墳墓です。1号墳は前方後方墳(前も後も方形、つまり前後が大きさの違う四角形で構成されている)、少し離れて存在する2号墳は円形の墓です。1号墳は60メートルの長さがある大規模なものですから、力のある豪族を葬った墓なのでしょう。
本日の“探索”は古墳公園(周辺は公園として整備されています)の入口で止めましたが、振り返ると琵琶湖が一望できました。多分墳墓造成に携わった古代の人々も、眼下の湖に心を寄せながら働いていたのでしょうね。そしてその三百年後には遷都した大津宮で暮らす人々は、丘陵地に造られた広大な墳墓を見ながら生活していたのです。
なんだか千5、6百年の時をタイムスリップしている感がしないでもありません。琵琶湖を眺めながら、いろいろ想像して面白いひとときを過しました。終わりに、ちょっとうれしくて面白かったことを書いておきましょう。古墳への道が分かりにくくて、学校帰りの男の子に「皇子山古墳はどう行けばいいの?」と訊ねたのです。
小学3年生くらいのその子は、「古墳公園のことですか?」と聞き返しました。私は「そうそう、そこだと思うわ」と、次の答えを待ちました。ところが男の子は考えながら、「え〜っと、あの〜」とモジモジしています。あれ?この子は場所を分かっているはずなのに・・・と不思議に思いました(多分、知らない人と話さないという約束をしているのでしょうね)。
男の子は暫くしてペコリと頭を下げ、「ヤッパリ、ボクわかりません。すみません」と言いました。「分かれへん」とか「知らんわ」という言葉でなく、とても丁寧な謝罪の言葉に私はビックリしました。「ありがとう。一生懸命考えてくれて、とてもうれしかったです」と、私も「です」を付けて返しました。いい子だなぁと微笑ましくて、後々まで気持が和みました。
|
|
歯医者さんで思ったこと・・・思っただけではなく言っちゃいましたが
(2010年2月10日 水曜日)
昨秋から歯の治療に通っています。大津京駅前でとても“繁盛”している医院です。院長は40〜50歳代ですが、大阪大学で博士号を取り外国の大学にも留学していたようです。待合室の額に掛けられた沢山の賞状からも、優秀な医師だと言うことが分かります。医師は2人いますが、私は虫歯の治療だからか、院長先生の治療は受けていません。私を担当してくれているのは女性のA医師です。
A先生はよく質問をする私に対してしっかりと説明責任を果たしてくれますし、治療の技術も全く問題ありません。治療の最初の日に、ひと通りの説明を行ったあと「南部さん、それではお口を開いてください」と促したA先生に対して、私はこう言いました。「先生にはこれからお世話になりますが、私はまだ先生のお名前を聞かせていただいていません」。
A先生は多分パンチとまではいかないまでも、軽くジャブを打たれたように感じたのではないかと思います。でも気を悪くするふうでもなく「あっ、そうでしたね。Aです」と素直に応じてくれました。お医者さんと患者の関係って「変だなぁ」と、私はいつも思っていました。患者はいってみれば“お客さん”なのに、圧倒的に医師のほうが威張っていませんか。
本来“お客”は「ありがとうございました」と言われる立場なのに、間断なくお礼の言葉を述べているのは患者の方です。勿論「治せ」「治してやる」の荒っぽい関係ではありませんが、医師と患者の関係はもう少し対等でなければならないと私は思っています。A先生に名前を聞いたのは、その第一歩にほかなりません。
さて本日の治療に係ってはA先生のことではなく、助手さん(この言葉が正しいかどうか自信ありませんが)とのやり取りです。今日は歯にかぶせる型を取りました。温かい治療剤と冷たい治療剤を注入し、固めた型を取り外します。助手さんは一つひとつの工程のたびに、「温かいのを入れます」「冷たいのを入れます」「固まるまでお待ちください」とか言ってくれます。
ところが折角取った型に不具合があった様で、A先生のオッケーが出ず取り直しです。このあと助手さんが私に伝えた言葉は、「もう一度取り直します」だけでした。歯にかぶせる型はピッタリと合っていないといけませんから、型を取り直すのは何度やり直しても結構だと私は思っているのです。
でも何だかおかしいです。助手さんはあれだけ丁寧に工程ごとの説明を行ったにも拘らず、やり直しで再度患者に負担を強いるのに「すみません、正確に型を取ることができませんでした。」の一言が出ないのです。何故かしら?想像するに、工程ごとの説明はマニュアル通りで、そのマニュアルに予想外の取り直しは含まれていないということなのでしょう。
型取りが終わって治療台から下りる時に、私は小声で助手さんに言いました。「とても丁寧に説明をしながら型を取ってくださったのに、やり直しの時には何故やり直すかの説明がありませんでした。私が一番欲しい言葉が抜けていましたね」と。助手さんは、私のクレームを直ぐにA先生に伝えたようです(これはなかなか上出来でした)。
私がお金を支払っている受付に、A先生が診療室から飛んできました。私は別に気分を害していたわけではありませんが、A先生の謝罪があってお互い納得して終わりました。こんな小さなことでも積み重ねて生かされていけば、A先生も助手さんも今より以上に患者さんとの素晴しい交流ができるのではないでしょうか。今日は時間が余計にかかりましたが、良かったな!と思いました。
|
|
市役所は一杯、年金事務所はガラガラ
(2010年2月12日 金曜日)
住民票を取りに行った大津市役所は、前後の日が休日ということもあって大勢の人で混雑していました。戸籍住民課は、昨年転入の際に諸々の手続を行った所です。その折にとても長く待たされたので、夫と2人で改善を要望する申し入れを課長さんに行ったことを思い出しました。
今日も長い列ができていましたが、通常の窓口担当に加えて“奥”で事務を取っている職員が次々出てきて受付をしてくれました。転入時には、欠伸をしていても自分の仕事以外はそ知らぬ顔でしたから、それに比べて随分臨機応変な対応がとられていると感じました。私たちのクレームが功を奏したとは思われませんが、いずれにしても市役所として当然あるべき姿であり、結構なことだと思いました。
交付された住民票を持って、今度は京阪電車に乗り大津年金事務所に行きました。狙い通りに所内は閑散としています。前もって何時が空いているか問合せた甲斐がありました。相談員さんは「金曜日の朝一番がお勧め」と言ったのですが、私は閉庁ギリギリ前の「夕方」の方が良いと判断しました。当り!でした。待ち時間はゼロで、相談ブースへ直行です。
「お客様相談室・年金相談担当」のYさんは、親切に適切なアドバイスをくれました。おかげでスムースに懸案の手続が終了しました。やたら細かい、それゆえ解りにくい説明書と自宅でにらめっこしているより、必要書類を揃えて持参すれば、相談員さんが懇切丁寧に指示してくれます。「印」と指定されているところなども、1ページめに押印すれば「あとは必要ないですよ」という具合です。記入の省略も含めて楽々の手続でした。
本日年金事務所を訪れるに当たって、私は日本年金機構が大々的に出した「私たちは変わります」との新聞広告を切り抜いて持参していました。広告には「社会保険庁が年金機構に変わったこと」「年金記録問題の解決に全力で取り組むこと」、そして「分かりやすい親切な対応でお客様に接すること」等が書かれていました。
もしも社会保険庁時代のサービス欠如体制が残っていたなら、私はこの広告を「これが目に入らぬか!」と黄門様の印籠のごとくかざそうかと思っていたのです。でも前述の通りで、“印籠”は全く必要ありませんでした。まっ、そうなっていなければスッタモンダのあの騒ぎは何だったのかということですし、真っ当な改革実現への前進がなくては、国民の怒りを到底鎮めることもできませんものね。
さて年金事務所での最大の出来事ですが、以前に問合せたもののナシのツブテで諦めていた厚生年金の古い記録が、なんと!コンピュターの画面上にズラズラと現れたのです。結婚前に勤務した夫々短い加入期間でしたが、(雀の涙ほどですが)晴れて国民年金に合算されることになりました。「あ〜ぁ、これが以前の社会保険庁の体質だったのか」と、回答を寄こさなかった実態を今さらながら“我がこと”として認識しました。
でも本日で全て解決、スッキリしたぁ〜っ!気分が良くなったので、帰りは自宅までの4駅分を歩いて帰りました。浜大津界隈は、昨日から始まった「春待ち灯り・2010」のイルミネーションや、ガス燈、手づくりの灯りが夕闇に輝いていました。途中でびわ湖ホールの会員申し込みもして、湖畔をひたすらウオーキングです。さすがに風は冷たく、帰り着くと頬が真っ赤、まるで“おてもやん”と化していました。
|
|
|
|
なんと言うこともない日曜日でした
(2010年2月14日 日曜日)
2月は28日までしかありませんから、早くも月の半分が過ぎたことになります。私の日記は相変わらず特段面白い記事を提供しているわけでもなく、そこそこ続けてお届けできていることが及第点といえましょうか(と甘〜い自己採点をしています)。先ほど見ていたテレビで、認知症予防の一つに「日記を書くこと」が入っていました。皆さんに私の痴呆防止対策を押しつけているような気がしないでもありませんが、これからもお付き合いくださるとうれしいです。
ところでここ数日、島本の議員方のブログが更新されないので寂しく思っています。私のように“ネタ切れ”で四苦八苦しながら何とか日記を書いている状況ではなく、議会や行政の諸々に加え個々の議員活動の中でも取捨選択に困るほどの記事があるはずです。多分課題山積で忙し過ぎ、ブログを更新する時間すら取れないのだろうと解釈していますが、どうでしょうか?
島本町議の中でも市民派の平野・戸田議員が書いているブログは、町の動きや議会の様子等が良く分かり読み応えがあります。町外の住民になった私が催促するのも気が引けますが、早々の更新を楽しみに待っていま〜す。また同じく市民派の澤嶋議員は現在静養中ですが、無理のない程度の短い便りをボチボチどうでしょうか。携帯電話でのメール打ちが可能なら、十分に大丈夫だと思います。体と相談しながら、復帰の予行演習のつもりでいかがでしょう?
というのも、引き合いに出して申し訳ないのですが、ここ大津市の議員方(私が関心を寄せている会派「清正会・杣」の4議員)はコンスタントに更新をされています。中でもM議員やT議員は、毎日アップ(1日に2回の更新もあったりして)で感心しています。3月議会が近づいていますが、大津も島本も3月議会は1日から始まります。いずれも準備に係る忙しさは変わらないと思いますので、島本の市民派議員の奮起を願いたいところです。
さて、本日は日曜日。週末パラサイトの長男も仕事で帰宅せず、食料調達も調理も気合を入れないで済みました。また一昨日に念願の年金空白期間が埋まって、ホッとした気分を未だ引きずっていたためか、ダラダラして一日が過ぎました。まっ、その分日課のウオーキングは少々頑張りました(が、目的地には行き着けず挫折してしまいました)。
いつもの散歩コースである近江神宮の脇道に、「これより宇佐八幡宮」との石碑が建っています。今日はこの八幡さんを目指そうと登っていきました。ところが恐ろしく急な坂で、今のところ大人しくしている膝が悲鳴をあげそうになりました(下りの方がもっと大変だ!)。それに人っ子一人いない夕方の寂しい坂道です。転がっても誰も助けに来てくれそうもありません。心細くなって途中で引き返しました。また今度挑戦したいと思います。
ちなみに宇佐八幡宮の「宇佐」は、九州の有名な宇佐神宮から分霊されたため付けられました。およそ950年前に源頼義が創建しています。山腹に残る石垣は、織田信長が築城した宇佐山城の跡です。長い間住んでいた島本町は「歴史・文化のまち」として誇りに思っていましたが、ここ大津の多様でスケールの大きい歴史・文化もまた凄い!兎に角、アッチ向いてもコッチ向いても“歴史だらけ”です。大津市全域や滋賀県内となると、推し量ることすら(私の知識では)許容範囲を超えています。
|
|
|
|
島本町議会の議会運営委員会を傍聴しました
(2010年2月15日 月曜日)
3月1日から始まる町議会の議事日程(前半議会分)を決める議会運営委員会(以下「議運」)を傍聴しました。今日は朝から雨が降っていましたし、特別注目すべき議案もなさそうなので、出掛けるのは止めようかなぁと迷っていました。しかし、もしかして議運の委員である澤嶋さんが、出席するかもしれないと思い直して島本へ向いました。
澤嶋さんは今自宅で静養中ですが、議運の委員は代理出席がきかないこともあって、無理をして出て来るかもしれません。体のしんどさも議員の仕事も、私が澤嶋さんに代わってあげることは出来ません。それならせめてものサポートとして、傍聴席から見守ろうと決めました。
また傍聴とは別に澤嶋さんのご家族(夫さんと息子さん)へ、1日遅れですが用意していたバレンタインのチョコレートを贈りたいと思っていたのです。このたびの澤嶋さんの“試練”を支えたご家族の苦労は、大変なものであったろうと察します。夫さんとも息子さんとも、長いお付き合いの仲です。チョコぐらいではとても労いきれるものではありませんが、今日はささやかな私の気持を届ける目的もありました。
10時からの議運はすでに始まっていて、丁度澤嶋さんが発言しているところでした。しっかりとした声でしたから、予後は順調だと大いに安心しました。個々の議案内容については、島本町から離れて半年が経ちましたし良く分かりません。議案の解説については、おいおい市民派議員のブログで知らせてくれると思いますから、それを待ちましょう。
3月議会で最も注目したいのは、やはり一般質問と町長の施政方針に対する会派代表質問でしょう。特に高槻・島本広域行政勉強会において合併のレールを敷こうとする動き(勉強会設置要綱を改正し、新たに「合併」項目を盛り込んだと聞いています)に対しては、合併への賛否に係らず質問が集中するものと思われます。
「合併」は住民の知らないところで、国や大阪府からの焚きつけ先導により、すでにお尻に火がつき始めているかもしれません。今回勉強会の座長になった高槻市政策統括監兼市長公室長の渡邉氏は、前職が総務省の課長補佐であり、また橋下知事より大阪府の特別参与を委嘱されている人です。
ちなみに今年の初めに就任した島本町の副町長もまた、大阪府から来た職員というわけです。勉強会の情報は2月12日の朝日新聞を元に、平野議員が2月15日付のブログで詳しく書いてくれています(平野議員のブログが2週間ぶりに復活して、よかったです!)。
う〜ん、ホンマに要注意ですね!特に島本町の住民は今後の町行政・町議会の動きに関心を持たなければ、合併へまっしぐらの流れに飲み込まれかねません。「こんな筈ではなかった」と後悔しないためにも、「合併したい議員たち」や「合併したい職員たち」と闘う市民派議員とスクラムを組む必要があります。まっ、そのためにも市民派議員たちの更なるパワーアップが求められることはいうまでもありません。
議運が終わって、市民派3議員の招きで議員控室にお邪魔をしました。改めて澤嶋議員の顔を、近くでしっかりと見て安心しました。平野議員からは、過日の会派代表者会議の結果を聞きました。また戸田議員からは、議会報告「いまここ*島本」の第2号をお手紙付きで頂きました。澤嶋さんには本日の議運の資料をコピーしてもらって、おまけに戸田さんが入れてくれたコーヒーまでご馳走になりました。
あとは皆さんの仕事の邪魔にならないように、早々に帰りました。あぁ、一つ言い忘れていました。議会開会冒頭の行政報告で町長は、過日の消防職員が起こした痴漢事件の処分を報告します。分限懲戒審査会が出した結論は、停職3ヶ月の懲戒処分です。事情は個々に異なるとは思いますが、ちなみに大津市の教職員が元教え子にわいせつ行為を行った処分は、懲戒免職(くび!です)と発表されました。
議員全員協議会を傍聴、チョ〜ヤバイ!住民不在の“合併”へ進んでいきそう
(2010年2月16日 火曜日)
昨日に続き島本町に出向きました。午後3時半から開かれる議員全員協議会(以下「全協」)を傍聴するためです。昨日の日記でもお知らせしましたが、本日の案件に合併問題に大きく関与する「高槻市・島本町広域行政勉強会」(以下「勉強会」)についての報告が行われるからです。他市へ転居はしましたが、元町民の私にとっても合併問題は、自己のアイデンティティに係りのある“捨て置けない関心事”なのです。
ところで本日の議員への報告ですが、新聞報道の5日後に行うのですから、議会もなめられたものです。オマケに勉強会の設置要綱第一条を改正して「合併の議論も含め調査・研究する」という文言を付け加えたにも拘らず、これもまた本日まで議会への報告を行っていません。「合併の議論を始める」ことは、議会にとっても住民にとっても最重要事項であるはずなのです。
私が推測するに、本日の報告内容は自公民会派の議員にはすでに報告済みのはずです。まっ、報告を受けるまでもなく、彼らこそが合併推進へ行政のお尻を叩いているのではないか?と私は見ています。従って、理事者になめられているのは「人びとの新しい歩み」「共産党」及び「会派に属していない議員」だと言えるでしょう。
このようなことは私もいやと言うほど体験してきましたが、ことは合併にかかわる大問題なのです。まったく!なめられてたまるか!って思いが、町民ではない私にも湧き上がってきます。合併では島本町の存亡が問われるのです。住民の生活の基盤・精神の拠りどころを左右するほどの影響力をもつのです。“なめられ派議員”たちの本日の怒りが迫力不足であったのは残念です。
まあ、いくら追求しても町長は頼りないし、副町長は一言二言答えただけだし、総合政策部長は“暖簾に腕押し”の答弁だし、議長は「勉強会は行政の諸課題を進めているということで・・・」と会議を閉じようとするし、自公民議員の野次は飛ばし放題だし、攻めようがない本日の全協であったことは否めません。
だから、これからは実際の行動で反撃しましょう。会派ごとでも良いし議員の有志が集まっても良いし、議会の中で先ず「勉強会」を立ち上げましょう。そして「高槻市・島本町広域行政勉強会」なんかに負けない調査・研究をしましょう。更になによりも大事なことは、地域に出向いて住民の皆さんの声を聴きましょう。ぜひ実行して欲しいと思います。市民派三議員(平野・澤嶋・戸田議員)の頑張りを期待しています。
肝心の全協の議論内容をお届けしないまま、本日の日記は終わります。続きは次回に送ります。写真は役場に続く花壇です。春の花苗がきれいに植えられています。花盛りが待ち遠しいですが、いつも見られないのは残念です。次に島本へ来るのは、3月1日から始まる町議会の日程のうち数日になると思います。その時には、議会の「勉強会」ができていればよいなと切に願っています。
|
|
“合併問題“の続きです
(2010年2月17日 水曜日)
合併の議論を含めた調査・研究を行う「高槻市・島本町広域行政勉強会」が目指す、究極の目標(つまり合併実現)に係って、私は昨日の日記で以下のことを求めました。
- 1 町行政の議会に対する情報提供が後手過ぎることに対して、改善をすること
- 2 情報提供において、行政側は意図的に議員間の差異を付けていると思われるので、情報伝達は公平に行うこと
- 3 議員有志でも良いから早急に議会の「勉強会」を立ち上げ、住民の意見を聴取し調査・研究を行うこと
取り敢えず以上の3点を、「なめたらいかんぜよ!」と驚きと怒りの中で辛うじて提起しました。“合併”は通常の行政課題ではないのです。従って勉強会の設置要綱に「合併の議論も含めた調査・研究」の文言を追記する前に、議会の意見や住民の声を反映する努力をしておかなくてはなりません。
何も今、大々的に住民アンケートを取らなければならないと言っている訳ではありません。「勉強会を再開するにあたって合併議論も行いますが、ご意見があればどうぞ」の一言を広報紙やホームページ、地域の広報板に載せ、議会にも提起すれば済む話ではなかったですか?合併問題に係っては、それくらいのことをして当然でしょう。
私は島本町が高槻市に吸収合併される必要性はないと考えています。しかし、広域行政においては必要かつ十分な連携を図るべきだと望んでいますから、行政サイドで勉強会を行なうことは否定するものではありません。勉強会に設けられるワーキンググループの検討項目も、しっかり行えばよいと思います。何度も繰り返しますが、課題項目を検討する前に合併をチラつかせる必要は全く無いと言うことです。
ちなみにワーキンググループの検討項目は以下の内容です。
- 1 両市町の行財政の現状と課題
- 2 共同実施で相乗効果が見込まれる事業の調査
- 3 島本町のし尿処理問題の課題
- 4 府から市町村への権限移譲についての調査
島本町は、3のし尿処理問題が喫緊の課題だと言い続けています。高槻市域にある町の処理場に対して、近隣自治会は長年に渡り立ち退きを要求しています。うろ覚えですが、町長の最終回答に期限が切られていたように思います。でも、処理場のことだけで即合併とは、いくらなんでも短絡過ぎませんか。
町内の中間処理場建設も含めて、努力をすべき選択肢は他にもあるのではないですか?高槻市長の「し尿処理だけを引き受けるわけにはいかない」に対しても、「ホンナラ、合併でセットではどうですやろ」と住民合意もなく町が提起しているのだとすれば、これは大変なことです。考えたくなくても、このような憶測を呼びかねない昨日の報告内容でした。
痛くもない腹を探られていると言うのなら、「高槻市・島本町広域行政勉強会」の会議公開をして欲しいものです。公開により住民が納得できる情報を自ら得ることで、「合併やむなし」或いは積極的な「合併賛成」の合意が得られるかもしれません。“知らしむべからず寄らしむべし”の現状で、“合併議論”に踏み込むなんてトンデモナイことです。議会でしっかりと、公開を求めてくれる議員はいないのでしょうか?
|
|
私がメモした議員全員協議会の要点録
(2010年2月18日 木曜日)
16日に島本町議会の議員全員協議会(以下「全協」)を傍聴したことについて、日記に書きました。全協では「高槻市・島本町広域行政勉強会」(以下「勉強会」)の内容が、理事者から報告されました。今後の勉強会においては両市町の合併議論を行う旨が示されたため、多くの議員から質問が出ました。
傍聴の私も必死にメモしましたので、質疑応答の内容を記載することにします。正式の会議録は議会事務局が作成しますが、“合併”に関する議員の意見は皆さんも興味をもたれると思いました。メモは一言一句すべて正確ではありませんが、少しでも早くお届けしたいと思いました。一部聴き取れなかったところについては字句の補充等、私の判断で行っていることをご了承ください。
|
1 |
|
2 |
|
|
3 |
|
|
4 |
|
|
総合政策部長 | 1 |
|
2 |
|
|
3 |
|
|
4 |
|
|
高山議員 | 1 |
|
4 |
|
|
※ |
|
|
総合政策部長 | 4 |
|
※ |
|
|
平野議員 | 1 |
|
2 |
|
|
3 |
|
|
4 |
|
|
総合政策部長 | 1 |
|
2 |
|
|
3 |
|
|
4 |
|
|
平野議員 | 1 |
|
4 |
|
|
総合政策部長 | ※ |
|
藤原議員 | 1 |
|
2 |
|
|
3 |
|
藤原議員の発言は質問ではなく自身の意見を述べたものであったため、部長が返した発言の内容をメモしそこないました。このあとも同じような質問が続きますが、読んでみてくださいね。
河野議員 | 1 |
|
2 |
|
|
3 |
|
|
4 |
|
|
町長 | 1 |
|
副町長 | 4 |
|
戸田議員 | 1 |
|
2 |
|
|
3 |
|
|
総合政策部長 | 1 |
|
2 |
|
|
3 |
|
|
清水議員 | 1 |
|
答弁のメモ書きが見当りません。多分清水議員の求めた通りに、答弁を行ったと思います。
外村議員 | 1 |
|
2 |
|
|
3 |
|
|
総合政策部長 | 1 |
|
2 |
|
|
河野議員 | 1 |
|
澤嶋議員 | 1 |
|
2 |
|
|
3 |
|
|
町長 | 3 |
|
スミマセン。町長の「先行〜」の意味が良く分かりません。多分、澤嶋議員の質問に対して、町長は「先走りしすぎている」と返したのだと思いますが・・・。
総合政策部長 | 1 | 12月議会の質問が無ければ、適宜報告をする予定であった。また勉強会は継続しているものである。 |
このあと、議長がやや強引に次の案件に移りました。長いメモを読んでくださり、ありがとうございました。発言の前についている数字(1・2・3・4)は、質問者の質問を分かりやすくするために箇条書きにしました。一方理事者の発言の前についている数字は、質問項目の番号に合致する答弁を分かり易くするためにつけています。
滋賀県議会の情報提供には不備があります
(2010年2月19日 金曜日)
16日から県議会が開会しています。初日に嘉田知事が施政方針を示した後は休会し、24日の一般質問から実質的な議論に入る日程となっています。一般質問は予備日を含め4日間連続して行われるため、その内の1日くらいは県議会の初傍聴をしたいと思っています。そこで議会のホームページを開き、どの議員がどんな質問を行うのか調べてみました。
ところが私の知りたい情報は掲載されていないので、議会事務局に電話をしました。「一般質問の通告締め切りは22日ですから、まだわかりません」との答えが返ってきました。私は「そうですね、それでは22日の午後か23日に再度ホームページを見てみてみます」と伝えました。議会事務局の職員は慌てて「あっ、いや、質問者名と質問項目は掲載しませんので、見ていただいても・・・」と言いました。
ここで私の「?!」スイッチがカチッと入りました。「はぁ〜?今どきどこの議会でも知らせているのではありませんか。知らせない理由はなんですか?」と驚いた私に、職員は「理由は別にありませんが、今まで行ってきていませんので」と言いました。さらに続けて「一般質問が始まる24日の議会運営委員会終了後、傍聴者にはお知らせします。つまり、当日には判りますから」。私のスイッチはカチカチとボルテージを上げていきます。
「あの〜、傍聴に来て判るのは当り前の話でしょ。広い滋賀県全域からの傍聴者を想定すれば、一日掛かりで県議会に来る住民もいるはずです。折角来たのに傍聴したい質問が終わっていたとか、お目当ての議員は今日ではなくて明日登壇するとか、徒労に終わる場合もあるはずです。いずれにしても、住民の状況がどうであろうと、事前の情報提供は当然ではありませんか。それとも県議会は、住民が傍聴に来ないほうが良いと思っているのですか」と、私は怒りを抑えて尋ねました。
この間、事務局の職員3人が電話を替わっていきました。最後に出た職員はやっとこう言いました。「おっしゃることはご尤もです。私も個人的には、事前にお知らせすべきだと思います。22日の通告締切後にクジで質問の順番を決めますが、それ以降ならお問い合せにお答えいたします。一般質問の2日前になり申しわけありませんが、よろしくお願いいたします」と、初めてまともな答えを聞くことができました。
まっ、慣例を変えるためには議会のしかるべき機関の了承も必要でしょう。そこで、ちょっとは話が解るその職員にお願いをしておきました。「私が電話を切ったら、それで一件落着にはしないでください。住民の声として、この件は是非とも議会にお伝えくださるようお願いいたします」。「わかりました」との返事は貰いましたが、確かめようはありませんね。
さて22日には、言われた通り電話で問い合せをします。議会事務局は多分、質問議員名と質問項目を読み上げるでしょう。その時には「折り返しファックスかメールで送信してください」と私は言うことにしています。そのことが今後、情報提供の改善に繋がる一歩となると思うからです。最初の職員が答えたように、現状では一般質問当日しか傍聴者には知らされないのです。
しかし今日の電話では「2日前には問合せに応じます」と約束したのです。この約束が果されたことを記録に残る形にして、既成事実をつくっておかなければなりません。なんせ議会は(特に滋賀県議会は)、“前例”が物言う所のようですから。それにしても驚いた!県議会議員たちが、今まで何も疑問に思わずにいたとは・・・。
![]() |
少し春めいてきたヨットハーバーの夕方
|
琵琶湖環境科学研究センターを覗いてみました
(2010年2月20日 土曜日)
我家のマンションの直ぐ側に「滋賀県琵琶湖環境科学研究センター」(以下「センター」)があります。湖面側がガラス張りの大きくて立派な建物は、一体何なんだろうと興味を持っていました。昨日散歩のついでに、思い切って建物の中に入ってみました。事務室には数人の人たち(県立ですから県の職員ですかしら)が居ました。
私が受付けの窓口に立っても、誰も関心を払いません。研究施設ですから「いらっしゃいませ」の挨拶は期待しませんが、「こんにちは、ご用件は?」くらいは言っても良さそうなものですが・・・。“県民”の私が県の施設を訪れるのに何の遠慮がいるのかしらと、 「こんにちは、私は近隣の住民です。立派な建物ですが、何の研究をしておられるのか教えてもらえますか。また施設内を見学してもいいですか 」と大きな声で訊ねました。
まあ、一般のお客さんは殆ど来館しませんから、慣れていないのでしょうね。3人の職員が寄ってきたのですが、応対には及び腰の姿勢がアリアリです。「研究の説明といっても・・・」と渋ったので、私も面倒になり「じゃ、今日はここの資料を頂いて帰り、勉強してからまた来ます」と返しました。職員は続けて「施設内は実験等様々行っていますので、一般の方の見学は受けていません」とも言いました。
私は「分かりました。でも地域住民としては、少し開かれた施設になって欲しいですね」と、ちょっと皮肉っぽく言いました。すると、アララ!通じたのでしょうか?「ここのホワイエは自由に入ってもらって結構です。また図書室の使用も可能です」と返ってきたではありませんか。ホワイエは4階までの吹き抜けで、広い空間に居心地の良さそうな椅子とテーブルがたくさんセッティングされています。
別にここでベッタリ長居するつもりはありませんが、良いことを聞きました。図書室は時間的に閉室されていましたので覗くことができませんでしたが、きっと琵琶湖に関するいろんなデータが揃っているのでしょうね。私には“猫に小判”の資料でしょうが、いつか図書室を訪れてみたいと思いました。きれいなトイレもありますし、ベランダに出ると琵琶湖が一望の良い景色です。お隣の「びわ湖大津館」で、コーヒータイムを楽しむのをセットにしてもグッドですね。
お礼を言って帰る際に、駄目もとで「琵琶湖の水位が毎日新聞で報道されていますが、夏と冬で20センチ以上もの差がありますが何故ですか。初夏から秋口に掛けて、マンション前の湖岸に水草がたくさん打ち揚げられるのですが、臭気が酷くて困っています。水草の発生を抑えることはできませんか」と訊ねてみました。
答えは「水位のことは国の方で管理しています。琵琶湖は河川法上では一級河川ですから。水草の件は、草津の県立琵琶湖博物館になります」という簡単なものでした。「こんなことぐらい、所管じゃなくても答えられんのかね」と内心思いましたが、でもまあ・・・気になっていた施設の戸を叩いてみましたし、追い出されもしなかったわけですから、成果アリと思うことにしました。
|
|
|
|
澤嶋さんが一般質問の内容を知らせてくれました
(2010年2月21日 日曜日)
澤嶋さんからファックスが送信されてきました。3月議会で行う一般質問の通告書です。質問項目は「消防職員の懲戒処分について」と「景観条例の制定を」の2つです。夫々の質問細目で大体主張すべきことが解ります。「ウ〜ン、ここはどう攻めるのかしら?」と思うような箇所があったとしても、私からは事前に一切口を出すことはありません。
議員にとって一般質問は、最大の真剣勝負です。何にも惑わされること無く自分を信じて、パワーを全開し質さなければなりません。かつての私もそうでしたが、“外野”からゴチャゴチャ言われたくないのが本音です。それでも「ご意見ください」とメモ書きして、毎議会ごと律儀に通告書を送ってくれるのは、澤嶋議員ただ一人です。ですから、ありがたくうれしく読ませてもらっています。
平野・戸田議員は自身のブログで質問内容を知らせてくれる場合が多いので、毎日検索しています。今のところ未だアップされていませんが、楽しみに待ちたいと思います。ところで先日来、この日記でも3日連続で取り上げた「高槻市との合併議論を含む広域行政勉強会」問題については、市民派議員では戸田さんが一般質問に取り上げています。他は藤原・外村・清水議員で、4議員が質問を行います。どの議員がどんなことを言うのか、よく聴いておきたいと思います。
3月を目の前にして、どこの議会も新年度予算審査を含む審議に入ります。島本町議会は3月1日から、大津市議会は2月23日、滋賀県議会は2月16日から既に議会が開催されています。今回は初めての県議会も含めて、私も“傍聴三昧”の日が続きそうです。いずれも全日程はとても無理ですが、できるだけ行ってみようと思っています。
![]() |
|
2月なのにポカポカ陽気!
(2010年2月22日 月曜日)
さすように冷たい比叡おろしもいつの間にか遠のいて、春の気配を一つ二つと感じる日々です。ところがここ数日はすっかり春本番の暖かさに包まれています。散歩や買い物に出るのも、随分楽になりました。きっとまたガクンと寒くなると思いますが、春までのジグザグ道は何とか乗り越えられそうです。
寒い季節にはよく風邪をひいていた私ですが、大津へ来てからは未だ一度も病気にかかっていません。昨秋痛かった膝の調子も、今は問題なく行動に制約はありません。“老夫婦”二人暮らしの平々凡々な毎日ですが、琵琶湖の風景や豊かな歴史に接しつつ、元気でいられることに感謝と喜びを感じています。
さて先週には確定申告も無事申請が完了し、頭を悩ます懸案の用件が一つ済みました。昨年はメゾン水無瀬の2戸を売却し、大津のマンションを購入したため複雑な申告となりました。夫が頑張って、私の分の書類も完成してくれました。私は寄付金(島本町へのふるさと応援寄付金と辻元清美議員への寄付)もあったため、控除金額は大きくなりました。夫にも私にも還付金が生じ、ホッとしました。
午後からは陽気につられて少し足を延ばし、「逢坂の関」跡と「蝉丸神社」(上社、下社と分社があります)を訪ねました。「逢坂関」は平安京の東の要衝(東山・東海・北陸の三道が分岐する要点)として長い間存在した関です。「蝉丸」が「これやこの行くも帰るも分かれつゝ知るも知らぬもあふさか(逢坂)の関」と詠んだ歌で有名です。
子どもの頃遊んでいた百人一首の“坊主めくり”でも、この歌と蝉丸を描いた絵札のことは何故かよく憶えていました。私にはこの程度の知識しかありませんでしたが、今日説明の立札を読んだり関越えのための「車石」等を触ったりして、暫しの間昔々の旅に思いを馳せることができました。ちなみに車石とは、京都と大津を結ぶ逢坂越えで米を運ぶ牛車が円滑に運行できるよう敷かれた石だそうです。
|
|
|
|
|
|
|
|
行政サービスの「値札」表示
(2010年2月23日 火曜日)
滋賀県の環境白書(平成21年度版)概要版を見ていて、目次の下に小さく書かれた数行の文章が目に留まりました。「この冊子は1万部発行しており、そのコストは総経費2百30万2千円で、1冊当たり230円です。県では、こうした行政サービスの『値札』表示の取組を行っており、県ホームページで詳しく紹介しています」。
行政サービスの「値札」表示は、財源がどのような事業にどのように使われているのかを知らせることにより、県政の“見える化”を推進することを目的としています。平成20年度から施行し、21年度は111事業に「値札」が付けられました。事業等の行政サービスに係るコストを算出することは、当然のことながらどこでもやっているわけですが、その活用は行政内部のみにとどまっている所が多いです。
まあ、滋賀県だけが実践していることでもないと思いますが、住民に対し事業コストを分かりやすく積極的に提供する、その姿勢は「なかなか宜しい」と思いました。県のホームページには111事業全ての値札が公開されています。ざっと目を通した中で、単価の安いものと高いものを1事業ずつ抜き出してみました。2つの事業の性格は異なりますし、事業そのものに対する評価を私が下せるわけもありませんので、「へ〜っ」と思っていただく程度で見てください。
1 びわ湖大花火大会 参加者35万人 総経費2,298万4千円 値札は「一人当たり 66円」と付けられました。ウ〜ン、あれだけ楽しめて66円とは、安い!
2 大宮川広域河川改修事業 改修延長1,680m 72億2,220万円値札は「1m当たり 429万8,929円」と付けられました。ウ〜ン、高い?
面白いのは「値札」付けに係る事務事業に付けられた「値札」です。111件で715万9千円 1件当たり6万4,495円かかりました。殆どが職員の人件費です。一見すると高いようですが、値付けを行うことにより住民への説明責任が果たせます。また事業の見直し等に繋がれば、コスト削減への道が開かれるでしょう。ということで“将来性”を見込んだ先行投資としておきましょうか。
ところで冒頭の「環境白書」を何のために見たかということですが、琵琶湖に流れ込む我がマンション前の河川(柳川)の環境基準を確認したかったからです。BOD(生物化学的酸素要求量)・PH・SS(浮遊物質量)・DO(溶存酸素)・大腸菌等の生活環境項目に係る環境基準は全て達成していました。
現在行われている柳川の整備が完了すれば、親水河川として子どもたちへの開放が始まります。従って湖岸を流れる柳川は、きれいで安全でなければなりません。絶えずチェックが必要だと思います。で、先ずは現状の環境基準を確認しておこうと「環境白書」を見たわけです。
写真は膳所城址公園です。本日もポカポカ陽気で散歩日和、ちょっと足を延ばしました。
|
|
|
|
滋賀県議会を初めて傍聴しました
(2010年2月24日 水曜日)
県議会はすでに2月16日より開会していますが、本日より一般質問が始まります。先日の日記にも書きましたが、一般質問の順番及び質問項目は“事前には分からない”、というより“知らせない”悪しき慣例が続けられています。
議会事務局の職員は「当日わかります」とは言いましたが、議場の外に置かれていたのは「議席表」と傍聴者への「お願い」(傍聴規則)のみでした。「はぁ〜?当日でも、わかれへんやん」と、私はブツブツ言いながら傍聴席に座りました。
ちなみに、本日以降も議会のホームページ等にも一切掲載されることも無く、滋賀県議会の情報提供は非常に不親切であることが明確になりました。ところで私は本日の2日前に、議会事務局が「不確定です」と断り書きをした質問一覧のファックスを送信してもらいました。
それは“悪しき慣例”よりも、私の要求の方に整合性があると判断してくれた事務局の“英断”のおかげです(こんなの当り前のサービスなんだけどなぁ〜)。質問一覧によると、22人の県議が一般質問を行います。議長を除く46人の内、質問者の22人が多いのか少ないのか、私には分かりません。
ただ今議会は7月に控えている知事選挙との絡みで、2期目の出馬を表明した嘉田知事に対し、従前の質問より以上に一期4年間の総括と次期への将来展望を質す議員が増えても当然なことでしょう。いずれにしても都道府県議会の役割が益々混沌としつつある今、議場での発言が活性化するのは望ましいことです。
ところで県議会(県庁舎の中に在ります)の場所ですが、京阪電車の「島ノ関」駅(JRなら大津駅)から徒歩5〜6分の所にあります。「島ノ関」は私が乗車をする「皇子山」から4つ目の駅です。島本町から大阪府庁に行くよりは格段に近い距離にありますから、これからは“気軽”に県庁を訪れることができそうです。
県庁周辺は所謂官庁街ですが、何だか随分と静か(寂れているよう)な感じがしました。中心市街地の空洞化現象は日本全国でもはや珍しいことではありませんが、商いや日々の暮らしの歴史までも消し去られていくようで、何ともやるせない気がします。県庁に通う職員や議員たちが肌で感じているはずの街の衰退を、何とも感じていない或いは手をこまねいているだけであったのなら、その罪は大きいです。
さて議会の傍聴は4階に上がるのですが、その前に県庁の職員食堂をチェックします。これが大事!楽しいとは言い難い議会傍聴には、何か付加価値が無いとつまらないからです。昼食時を過ぎていましたが、このために空腹を我慢していたのです。ここは惣菜の一皿ものや小鉢類が多数あり、好きな組み合わせが可能です。大津市役所より小さい規模の食堂ですが、内容はなかなかよろしい!白身魚のソティー・揚げだし豆腐・ごはん・漬物で5百円余、合格です!
さぁ、いよいよ傍聴席の扉を開きます。議場は4階の傍聴席三方から見下ろす形になっています。傍聴席は160余あるので、アルプス席はかなり急です。正面の議長席や理事者席は良く見えるのですが、直下や後方の議員席は見渡すことができません。議場は市議会より狭いくらいですが、真紅の絨毯が敷き詰められクラッシックな照明器具や重厚な壇上の設え等で“県議会らしい”雰囲気が漂っていました。
私はこの日行われた6議員中、3議員の一般質問を傍聴しました。滋賀県議会で私が知っている議員は沢田享子議員(「対話の会・びわこねっと」)ただ一人ですが、沢田議員は3月1日に質問します。本日の成田議員(「民主党・県民ネットワーク」)・節木議員(「共産党」=略称)・佐野高典議員(「自由民主党・真政会」)の質問は、夫々の政党色や知事への温度差が如実に表れた内容でしたが、それはそれで興味深く聴きました。
嘉田知事は落ち着いた静かな声で答弁を返していました。人柄なのか戦法なのかは分かりませんが、勇んで或いはいきり立ってぶつけられた質問でも“嘉田マジック”(?)で、上手くフェイントを掛けているような気がします。動じない独自のスタイルは、実はなかなか手ごわいと“知事野党”からの評価があるようです。
そのことを証するかのように、佐野議員の質問冒頭に次のような発言がありました。「嘉田知事は『もったいない』ではなく、実は『もたない』のではないかと心配した。ところが持ち前の『したたかさ』と『粘り強さ』で任期を7月に終えようとしている〜」。私は佐野議員の「心配した」は皮肉だとしても、後の言葉は多分議員の多くが実感していることではないかと思いました。
嘉田知事のスタイル、それでいいんじゃないですか。結構だと思います。これでクダクダと長い日記を終わりますが、市議会以上に県議会のことは分からないので、各議員の発言について感想等を述べることは控えます。今日は初めての県庁訪問と初めての議会傍聴が実現したということで、まあ県民の義務は多少なりとも果せたかしらとの気持ちです。
|
|
|
|
|
|
|
|
県の年金事務センターも親切でした
(2010年2月25日 木曜日)
本日の本当の日付は3月3日です。2月分の日記が最後に煮詰まってしまい、なかなか新しい月に進めません。アクセスいただいた皆さんに更新した日記を読んでいただけず、大変申し訳なくお詫びいたします。現在、滋賀県・大津市・島本町の議会が開かれているため、これから暫くは大津と島本を行き来しながら傍聴を重ねる日が続きそうです。
ここで一つ訂正をしておかなくてはなりません。前回の日記で滋賀県議会の傍聴時に、一般質問の一覧表(質問議員名・順番・質問項目)が無かったことについてクレームをつけました。24日の傍聴で私が入手できなかったのは事実ですが、提供されていなかったのではなく、単に用意された部数が少なかったためではないかと思われます。まあ、補充しておかなかった議会事務局の怠慢ではありますが、「置いていない」との決め付けは良くなかったかもしれません。ごめんなさい!
さて標題の日記に戻ります。過日大津市の年金事務所で、結婚前の厚生年金加入が何件か判明したことを日記に書きました。これらの老齢厚生年金は当然ながらこれから受給する老齢基礎年金と合算されること、及び5年間(厚生年金は60歳から支給)の遡及分も一括支給されることの説明を受けました。
ホッと安堵しましたが、家に帰ってもらったデータを眺めていると、またぞろ解らない点が出てきます。市の年金事務所に問い合わせの電話を掛けましたが、ずっと話し中で全く繋がりません。仕方が無いので、県の事務センターに電話しました。「大津事務所の話し中はなんとかなりませんか」と訴えたところ、「電話が繋がらないようでしたら、市の年金事務所でなくてもこちらでお受けいたします」と言ってくれました。
よかったです。ひと通り疑問点を問うたあと、「電話ではよく理解できない点もありますので、お手数ですが国民年金と厚生年金の「年金見込額照会回答票」と「年金時効特例法」で私が該当する条項文を送ってください」と依頼しました。電話に出た女性職員は大変丁寧に対応してくれ、数日後には封書が届きました。
感心したのは送られてきた資料にわかりやすく赤ペンで印をつけたり、説明を書いた付箋を貼り付けてあったことです。例えば特例法のコピーには、「こちらの資料が一番わかりやすいと思いますので送付します。遅くなって申し訳ございません」、また「南部様はこちらに該当します→」と書いた付箋で条文を特定し貼り付けてありました。言われたから送るだけではなく、どうすれば解ってもらえるかに、心を砕いている様子がよく伝わってきました。やれやれ!これで後は、年金証書と払い込み通知書が贈られてくるのを待つばかりになりました。
|
|
|
|
席に座っていられない県議会議員が多すぎませんか?
(2010年2月26日 金曜日)
2回目の県議会傍聴です。10時15分から3時まで、木沢議員(無所属)・西川議員(共産党)・清水議員(対話の会・びわこねっと)・江畑議員(民主党・県民ネット)の一般質問を傍聴しました。傍聴者は10人くらいいましたが、視察らしき人々を除くと県民は数名程度でしょうか。滋賀県の人口(140万人)からすると、決して多い傍聴者数とはいえません。
基礎自治体の市町村議会に比べ、県議会での議論は押しなべて“大味”だと感じました。県政に係る大きな課題に対して、大所高所からの質疑応答が交わされていると見ればよいのでしょうが、何だか議員にも理事者にもお互い鋭さが希薄なように感じました。ともすれば議場が緊張感に欠けた状況に落ち入る中で、本日のように10人を越える議員たちが、例え一時であっても議席を離れている実態が生まれてくるのではないでしょうか。
一般質問は一問一答方式や分割質問形式で行われています。しかしながら殆どの議員は、理事者が予期しないような“攻め”の質問を次々と繰り出すことはしていません。追求すべき質疑の中身すらも予め用意した原稿を読み上げ、答弁もまた“作文”を朗読しているわけです。これでは、丁々発止の白熱した議論が展開することはありません。ここにも議席に座っていられない議員たちを生み出す要因がありそうです。
席を立つ議員が数多くいることは午前中にも気付いていましたが、午後の再開時にはなんと!10以上の空席が生じていました。運悪く体の調子が悪くなったり、緊急の用事が起こったのかもしれません。でもそれなら議長や議会事務局に連絡しているはずです。私は事務局の職員に、「席についていない議員が多かったと思いますが、なぜでしょうか?」と訊ねてみました。職員は「わかりません」と答えるのみでした。
議席を見下ろす傍聴席は、議員の様子が良くわかります(ただし見えない議席もありますが)。居眠りや離席は勿論、携帯電話を見ている議員・週刊紙らしき冊子を1時間も見ている議員・鼻毛を抜いている議員・・・いろいろです。これらの議席の議員名は分かりますが、今日のところは言わないでおきましょう。
ただし次の3議員については、ちょっとどころか大いに疑問に思います。議席番号「2」・「36」「38」の議員は、少なくとも私が傍聴していた午後1時〜3時までの2時間、全く議席についていませんでした。再度事務局職員にこれら議員の出席を確認してから尋ねましたが、職員は「議席を離れる理由は訊いていません」と答えました。う〜ん、議員も事務局もこれでよいと思っているとしても、県民の理解は到底得られないでしょうね。今日は“後味悪く”議場をあとにしました。
|
|
|
|
県議会の「首に物を捲いたまま、傍聴はできません」って何故なんでしょう?
(2010年2月27日 土曜日)
2月24日と26日の2日間、県議会を傍聴したことを日記に書きました。県議会は初めてでしたから、初回の24日は少々緊張して傍聴席に座っておりました。ところが守衛さんが席までやってきて、私が首に捲いていたスカーフを取るようにと注意をしました。入口に「傍聴される皆さんへ(お願い)」という紙が置いてありましたが、その中には「帽子・コート・マフラーなどを着用しないこと」という一文が書かれていたことは勿論知っていました。
この「お願い」文の内容は「傍聴規則」に則って書かれているのですが、当の傍聴規則自体が古色蒼然とした中身で、“今どきねぇ〜”という代物が殆どの議会でまかり通っています。守衛さんのせいではありませんが、すんなり「すみません」とスカーフを取る気にはなれませんでした。「これは注意書きにあるマフラーではなく、スカーフなのです。今日の服装の一部、つまりアクセサリーに類するものなのですが・・・」と私は反論しました。
実際、春らしい軽やかなシフォンのスカーフを注意して選んできたのです(だから断じてマフラーなんかじゃないです!)。「小さく結び直しますが・・・」と言うと、守衛さんは「いえ、首に捲いているものは駄目なのです」と強気です。思わず「そんなら、ネクタイはどうなん?」と言いそうになりましたが、言葉は飲み込みました。ファッションの議論を守衛さんに吹っかけても仕方がありませんものね。
何よりも「お願い」文中に示された「マフラー」の文言が生きている限りは、しょうがありません。プチ抵抗もここまでですね。「ハイ、分かりました」と従いました。ここでちょっとショウム無いことを考えてしまいました。例えば本日のスカーフを上着の襟元に縫いつけてきた場合、衣類の一部になった物をハサミで切ってまで「取れ」というでしょうか。それは無いでしょう?ということは、「首に巻くこと」が禁止の理由ではないはずです。
「首」に拘るなら先のネクタイもそうですし、長い鎖を何連にも捲いたネックレスなんかも駄目ですね。もしかして捲く行為ではなくて、首に捲くような長さの布(つまりマフラー状の布)に問題があると、「傍聴規則」では言っているのでしょうか。昔々の議会では、傍聴者がマフラーのような布で誰かの首を絞める(?!)可能性があると判断し、従ってその着用を禁止したのでしょうか?
いやいや、それなら「帽子・コート・マフラー」と並列に扱っていることはどう解釈すれば良いのでしょう?コートはともかく、帽子は凶器にはなりませんよね。となると「帽子・コート・マフラー」の3点セットは、やはり戸外で着用する服装を指していることになります。ごくごく当り前のことながら、傍聴席といえども議場内に入室する場合は“外着”は取らなくてはいけないとの理由に落着きます。
さて、そこでスカーフの登場です。薄くてフワフワのスカーフはコートの中に着ている衣類に付随する物として解釈している私と、首に捲いている布は一律にマフラー(つまり外着であるコートに付随している物)だと信じ込んでいる守衛さんと・・・あぁ、一体どっちが正しいのでしょうか?誰か正解を教えてくださ〜い。
いやいや私はともかく守衛さんには、これからも傍聴者に対して“首に捲くものは取るべし”の正しい根拠を示してもらう必要があります。いずれにしても、傍聴規則全体の見直しをする必要があります。議場の中(議席)と外(傍聴席)を、同じくらいの密度で体験してきた私が提言しているのですから、その必要性はかなり大きいと思います。ちなみに島本町・大津市の議会では、「首の捲き物は取りなさい」と注意されたことはありませんが・・・。
|
|
|
|
「傍聴席で足を組んではいけない」だって!思わず笑ってしまった守衛さんの注意
(2010年2月28日 日曜日)
滋賀県議会の傍聴2回目(26日)の“珍事”です。前回の日記では、スカーフを取り外すよう注意があったことを書きました。続いて同じようなことをお伝えするのも「どうかな?」と思いました。しかしながら今回の出来事は、理屈抜きに馬鹿げていて“スカーフ事象”の比ではありません。
はぁ〜ぁ、県議会事務局は警備会社とどのような内容で委託契約を交わしているのでしょうか?まさか「傍聴者が足を組んだら注意しなさい」とは指示していないでしょうから、今回は仕事熱心な守衛さんの“勇み足”だったとは思いますが、2度も重なると気分の悪さを通り越して笑っちゃうしかありませんでした。
まあ、どこの議会でも議会の品位とか権威とやらを盾に、やたら住民に対しては“上から目線”で態度がデカイです。県議会は傍聴規則(改善点は多々ありますが)に依拠しない行為でも注意をするのなら、先ずは身内(議員たち)のお行儀を正す方が先ではないですか・・・と言いたくもなります。
さて傍聴当日、私が座っていた席の上段で2人の女性が傍聴していました。途中からお一人が、体を斜めにして隣の座席の背もたれに腕を掛け、腕の上に頭を置いた姿勢で眠っていたようです。守衛さんが近づいてきた時、この女性に注意を促すのだろうと私は思いました。
「傍聴のお願い」には「傍聴人は眠ってはいけない」とは書いてありません。だから目を閉じているだけなら(眠っていようといまいと)、守衛さんは注意できなかったはずです。この時の女性の姿勢は、明らかに通常の座位ではありませんでした。従って、「注意を受けるのはしょうがないかも」と私は感じました。
守衛さんに促されて、彼女は姿勢を正しました。ところが次の瞬間、守衛さんは私の方に近寄って来て言いました。「足を組まないで下さい」と。「はぁ〜?足を組むなんて、ごく普通のことでしょ。何故いけないか、注意されること自体よく分かりません。理由を言ってください」と、多分このようなことを苦笑しながら返したと思います。
守衛さんは今まで注意をした誰もが、「すみません」と恐縮し従順に態度を改めるのに慣れているのか、私の返した言葉に大いに面食らった様子でした。「理由はありませんが、議長席から見て傍聴人の“見苦しい態度”は改めるよう注意しています」。「はい〜っ?見苦しいって?ごく普通に足を組む姿勢が見苦しいのですか。しかもここは最前列の傍聴席です。足を組んでも組まなくても、腰壁があるので下(議長席)からは見えません。それなのに議長から指示が出ているのですか?」。「いえ、そんなわけではありませんが・・・」と、言葉を濁した守衛さんは退散していきました。
勿論その後も、私は足を左右に変えながら組み続けました。アホらしいと言えばアホらしいのですが、一応休憩時間に議会事務局職員に事の次第を伝えておきました。私の話に共感するでもなく、また反論するでもなく職員は生返事を返すばかりでした。住民はどのような理不尽なことでも黙って注意を受けるだろうとの、県議会に根強く残るその意識、そこのところに気付いている人はいないのでしょうか・・・。
|
|
|
|