転出の住民に、一言メッセージを添えてはどうですか
(2009年8月9日 日曜日)
8月に入って1・3・5・7・9日と1日おきに大津へ通いました。引っ越しは今週なのですが、それまでに済ませておかなければならない用事が飛び石で入りました。新しいマンションの登記手続きのため、少し早目に大津市に転入しました。当然前日の4日には島本町に転出届を出しています。35年間住んだ島本町と、ブランクの4年間を含めると議員として20年間お世話になった島本町役場ともお別れです。
役場職員の多くの皆さんは、きっとセイセイされていることと思います(?)が、私はいつどんな時にもどのような立場の職員にも、変わることなく真摯に向き合ってきたと自負しています。良き仕事ぶりには褒め言葉を、ダメな時には厳しく改善を求めてきました。駆け引きなしの真剣勝負に応えてくれた職員も少なくありません。私にお世辞を言うような人はいませんでしたが、間違いを指摘してくれた職員は少ないながら存在していました。
議員は住民の皆さんのご支援で育ちますが、苦言を呈してくれる役場の職員によっても育てられることを、身をもってありがたく心に刻んだ長い年月でした。転出届と共にいろいろなことが頭の中を駆け巡り、少々センチメンタルな気持ちに陥りましたが、「ありがとう!」との感謝で一杯になりました。私は手続きを行った住民課窓口・国保の窓口ほかの職員には、「長い間お世話になりました」とお礼の挨拶をしました。
でも殆どの職員は、何のメッセージも返信しません。窓口対応は決してぞんざいではありませんでしたが、私が職員なら笑顔で「これからも、お元気でお過ごしくださいね」と激励の言葉を一言贈ると思います。正確で迅速な仕事に加えて、血の通った温かい言葉があると、接遇マナーは鬼に金棒ですよ。お金も労力も掛からない、それでいてお客様に喜んでいただける、チョットプラスのサービスを是非実行していただきたいと願います。島本町役場にはその土壌は育っていると思いますし、職員の皆さんの資質も備わっているはずです。
手続きを済ませると、民生部長と前民生部次長が揃って挨拶をしてくれました。お二人とも多分たまたま通りがかったと思いますが、少しの時間会話を交わし、最後にはうれしい激励をくださいました。また議会事務局の課長は、私が「また議会の傍聴には寄せてもらいます」というと、「是非どうぞ、お待ちしています」と返してくれました。最後に役場を出る際にフロァーパーソンの方にお別れの挨拶をすると、「南部議員にはよくお声をかけて頂いて、とても励みになりました」とお礼を言ってくださいました。私の胸の中はウルウルと、やさしい気持ちで満たされました。皆さん、こちらこそ本当にありがとうございました!
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議会の準備よりも手ごわいとは!・・・果てしない引っ越しの荷づくり
(2009年8月13日 木曜日)
段ボールに詰めても詰めても、湧いてくるこの荷物たち・・・。「一体、この品々はどこに隠れていたの?」と、愚痴りながら痛い腰をさすっています。は〜ぁっ!甘く考えておりました。日頃から整理整頓を心掛けてきたつもりですし、何よりも議員の時の資料を、退任後バッサリと大量(590kgありました!)処分したこともあって、荷づくりは1日〜1日半で楽勝と踏んでいました。
また、今まで経験してきた本会議や委員会の準備も、毎度“火事場の○○力”で他議員たちに負けることなく切り抜けてきたため、「私は土壇場に強い」と高を括っていたのが間違いでした。明日は早朝に引っ越し車がやってくるというのに、「大丈夫かぁ〜?」と本気で心配になってきました。これじゃ、今日からお盆休みで帰省する長男を当てにするしかなさそうです。
そうそう、世の中お盆なんですよね。町議会も少しまとまったお休みを取っているのかと思っていましたが、一昨日訪ねてくれた澤嶋議員は「まちづくり基本条例の議員研修を受けてきた帰りです」と言っていました。また昨日の伊集院議員のブログを見ていると「議会だより編集委員会で疲れました」とありましたから、皆さんしっかり議会活動していることがわかります。
さて、平野議員と戸田議員が改選後初めての議会活動報告を発行しました。紙面を通して市民派議員の活躍ぶりが確認できて、頼もしくうれしく感じています。澤嶋議員はこの暑さの中ちょっと体調不良ですが、間もなく議会報告のニュース発行やブログの再開も可能と期待しています。ところで、平野・澤嶋・戸田議員は会派「人びとの新しい歩み」を組んでいますが、3人合同の議会報告会を8月22日に行うとのお知らせがありました。
喜び勇んで駆けつけたいところですが、運の悪いことに当日は、私が大津市民として初傍聴したい会議が市役所で開かれるのです。朝の9時20分から夕方5時10分まで開催ですから、1日仕事(?)なのです。議会報告会は、私が自身の引退と引き換えに送り出した市民派議員たちが一同に顔を揃えるのですから、是非とも参加したいですし、私を応援してくださっていた皆さんともお会いできる、またとない機会だと思います。
しかし、傍聴の会議は「外部の視点で市の事業を点検!」をうたい文句とした「大津市事業仕分け」を行う内容なのです。会議では大津市が実施している様々な行政サービスについて、事業の必要性や仕事のやり方の是非を議論・評価し、整理・区分を行います。事業仕分けの結果は、今後の事業改善・見直しに活用されます。
島本町でも行政評価システムの一つとして事務事業評価を行っていますが、住民や有識者が係る“外部の視点”はありません。いわば役場の中だけで職員が事業評価を行っているため、甘い或いは曖昧な自己評価の域を出ていません。私が議員の時には、杜撰な評価時期の設定等について“内部告発”(私はそう確信しています)の手紙が来たほどです。私は幾度となく質問にも取り上げましたが、その後劇的に改善されたとは聞いていません。
従って今回の「大津市事業仕分け」の傍聴には、何というか使命感みたいなものを感じますし、正直言いますと市民派3議員の初報告会を上回るほどの興味があるのです(3議員さん方、ごめんなさい)。実際傍聴してみて「なぁ〜んだ」という内容かもしれませんが、それでも島本町の行政サービスの参考になると思います。また3議員に対しても、側面からの支援になると考えています。
大津市は人口33万人余の中核市です。10分の1の人口にも満たない島本町と比較しても、あまり意味がないかもしれません。しかし職員が行う仕事の中身は、そう大して差がないと思いますし、住民の要望等も基本的には変わらないはずです。しかしながら住民の満足度には、多分差が生じているはずです。大津市役所に行ったのはまだ2回ですが、ゴミ収集の問題や人権・平和事業への取り組みや届け出等の事務処理の流れについて、この間市職員と何度か話をしました。
島本町在住35年(うち議員在任16年)と、まだ引っ越してもいない大津市とを、私が比較するのは無理があるかもしれません。でも感じ(あくまでも感じ)から言うと「島本町役場って、そうまずくはないよね。エエとこも沢山あるやんか」と、素直に思えるようになりました。これは大津市が悪いと言っているのではなく、島本を離れることで客観的な評価ができるようになったからだと思います。
これから住まいする大津市は“終の棲家”となるわけですから、島本町と同様、あるいはそれ以上の住民満足度が得られなくては、わざわざ引っ越してきた価値がありません。住民サービスの満足度は、役所から与えてもらうものばかりではありません。むしろ市民として、求めていくことも大事だと思います。島本町にいた時のような情報入手や、要望苦情の発信はたぶん無理でしょうが、善良な市民としてつつましやかに、新しい“お役所”とは対峙していきたいと考えています。そのための第一歩として、市民派3議員の報告会より「事業仕分け」の傍聴を優先させることを、お許しいただきたいと思います。
さて、引っ越しで暫くの間パソコンができなくなります。引っ越しが落ち着いても、皆さんに興味を持っていただける日記がお送りできるかどうか、自信はありません。さて、継続なるか否か・・・もしもまだ関心を持ってくださっていれば、暫くしてからアクセスしてみてくださね。
このところ、大雨や地震による災害が頻繁に起こっています。被災された方々には、心からのお見舞いを申し上げます。災害を免れた私たちも、夏の疲れが出るころです。どうぞご自愛なさって、お元気でいらしてください。写真は大津市民となった8月5日の大津市役所の一場面です。
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久しぶりの日記を、大津からお届けします
(2009年8月27日 木曜日)
2週間もご無沙汰してしまいました。島本町を離れる前日(13日)の日記で「暫くは、お目にかかれません」と書き残したのですが、それでも毎日30人を超える方々が訪問してくださいました(転居先でパソコンが動き始めるまで、次男がアクセス数を記録してくれていました)。
そしてついに、一昨日は50人余のアクセスを頂きました。「もうそろそろ復活せよ」とのお達しかと受け止めました。島本町からは“消えゆく老兵”であるにも係らず、多くの人びとが変わらぬ温かい関心を寄せてくださっていたのですね。本当にありがたいことです。
さて、引っ越し先での生活もようやく軌道に乗り始めました。最初は随分ぎこちなく動き回っていましたが、段ボールの山は殆ど消え、家事の動線もずいぶんスムースになりました。でも部屋のしつらえは、まだまだしっくりとくる感じにはなっていません。カーテンも注文中ですし、食卓上の照明も気に入ったものが見つからず、リビングの灯りで代用しています。まあ、焦らずボチボチと行きましょう。
私たちが住むマンションは琵琶湖と国道161号線の間に立っています。残念ながら我が家のお財布事情では、ベランダから湖というロケーションはパスせざるを得ませんでしたが、それでも1〜2分で湖畔に降り立つことができます。そろそろ早起きの習慣をつけ、近江富士から登る朝日を浴びながら湖の周辺を散歩したいと思うのですが、宵っ張りが災いし未だ実現できません。写真は早起きの夫が撮影したものです。早朝から半身水没で、釣りを楽しむ若い女性の写真も併せて。どうぞ
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引っ越してから今日で2回目(いずれも朗読のボランティア活動のため)の島本町への“里帰り”ですが、この間の民生部2課による対照的な対応に喜びと悲しみを味わっています。うれしく感じたのは福祉保健課で、情けなく思ったのは高齢福祉課です。福祉保健課には、年長者福祉サービスにおいて障害者施策と関連する事業の説明を求めました。課員も課長も適格・迅速・親切な回答を返してくれました。そして最後には「いつでも、またどうぞ」の一言を添えてくれたのです。
高齢福祉課については、同課の所管に関する補正予算の内容にかかわる事項を訊きました。「南部に説明の必要はなし」と判断したのは民生部長を含めた庁議でしたから、正確にはつまり町長の意思ではねつけたということになります。すでに9月議会の議案書は公に閲覧可能となっているにもかかわらず、説明の求めを拒否する姿勢に正直驚きました。
今までにもこのような例は数限りなくあり、そのつど各原課は誠実に対応してきたのを私自身も経験してきましたし、他市町からの人びとにも同様に接しているのを見てきました。今回の問い合わせは、朗読ボランティアのテープ作成のために必要だったのです。テープのリスナーは島本町の方々です。「そのことを踏まえても、なお拒否をするのですか」と私は問いました。
高齢福祉課の課長は「そうです。町の住民でない人に説明はできません。民生部長にも出席中の庁議で確認しました」と答えました。転出したからと手のひらを返したような対応に、本当に悲しくなりました。「こんなんで、島本町大丈夫〜?」と不愉快さを通り越して、情けなくなってしまいました。島本町には感謝の気持ちと良い思い出をたくさん持って、サヨウナラをしたはずなのに・・・残念でなりません。
期待にたがわず、面白かった大津市の「事業仕分け」
(2009年8月29日 土曜日)
一週間前になりますが、8月22日は朝から夕方まで市役所で行われた「事業仕分け」を傍聴してきました。ちょうどこの日に島本では、会派「人びとの新しい歩み」を構成する平野・澤嶋・戸田議員による集会が開かれることになっていました。私が市民派議員のバトンを託した3議員の、初めての合同議会報告会です。何をおいても駆けつけたかった!日程が重なったことを、ホント悲しく思いました。
ただ、当日は澤嶋議員が体調不良で欠席だったとか。次の機会に、3議員が揃ったときの参加を楽しみにすることにしました。報告会は、さぞ盛況だったことでしょう。選挙戦で応援された仲間の皆さんも、誇らしい思いで出席されたと思います。当日の様子を知りたいと3議員のブログを心待ちしているのですが、まだどなたの記事にもアップされていません。9月議会が迫っているため、きっと多忙を極めているのでしょうね。
さて大津市の「事業仕分け」について、本日は前段の報告を少しいたします。13日の日記にも書きましたが、私は「事業仕分け」にとても興味を持っていました。引っ越してくる前は大津市が取り組んでいることは知らなかったのですが、初めて目にした市の広報紙に「事業仕分け」の見出しを見つけた時、「これは絶対傍聴に行かなくちゃ」とワクワクしました。
“役所の大掃除”とも評される「事業仕分け」は、行政改革推進法の基本理念の中でも導入の促進が表記されています。大津市では事務事業評価の二次評価として「事業仕分け」を実施していますが、正確に言うと「事業仕分け・地域事業組成活動」と称されています。
「地域事業組成」とは「要」または「不要」に分けた事業で、「要」事業については「国」「県」「市」「民間」に仕分けし、さらに「市」「民間」に仕分けた事業について、「地域団体」「NPO」「民間企業」のいずれが事業を担うに望ましいかを決めることです。「地域事業組成」を行うことで、単に行政から事業を切り離すだけでなく、行政に代わって“地域ぐるみ”でサービスを行う仕掛けづくりが可能になると言われています。
これらの作業を、外部の視点で行うことに意味があると思います。大津市が言う「外部」とは、関係団体からの充て職ではない住民と、滋賀大学の「事業仕分け研究会」と、「構想日本」(NPO?)を指します。ちなみに「構想日本」は「事業仕分」の提唱者であり、滋賀大学は大津市との包括協定を締結しています。島本町でも京都産業大学と協定を結び、確か「教育委員会の点検と評価報告」に協力してもらっているはずです。町長部局への協力も検討してみてはどうでしょうか?
9時20分から大会議室で開会式が行われ、今年度分25事業について「事業仕分け」の一日が始まりました。市長はあいさつの中で、法人市民税が18億円余も落ち込んだことを示し、自治体の“経営の視点”強化を図ると言いました。その基盤となる本日の「事業仕分け」の成果を期待する旨述べました。大津市の「事業仕分け」は今回で2回目ですが、昨年度の「事業仕分け」10事業のみで、3ヵ年の削減額は3億3千2百万円になるそうです。
開会式には副市長以下多くの職員と議員たちの参加がありました。また傍聴者は3百人を超え、全国各地からの来場も多数だと報告されました。でも転入1週間で傍聴にやってくる市民は、多分私だけだったでしょうね。開会式が終わると、会場は3つの会議室に別れ、傍聴者は興味のある会場を出入り自由でグルグル回ります。写真も録音もオッケーで、何とも開かれた運営だと感心しました(島本町とは大違い・・・?)。
では、少々長くなりましたので、本日の日記はこの辺で終わります。
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まあ、よかったんじゃないの!?衆院選挙結果
(2009年8月31日 月曜日)
本日は午前3時まで選挙開票関連のテレビを見ていたので、寝不足も甚だしい状況です。もっとも先ほど長めの昼寝をしてしまったので、睡眠時間の帳尻はあっていますが・・・。とにもかくにも、この夏の終わりは、民主党の“大爆発”(言いかえれば自民・公明党の大撃沈)で締めくくられたということです。しかし民主のあまりのフイバーぶりに「これでよかったのかしら?」と、戸惑った人たちは多かったと思います。
現に我が家の息子たちも、辻元さんの当選が決まるや否や、栃木県と三重県から相次いで電話をかけてきました。二人共「辻元さんよかったやん!」の次に出た言葉が、「それにしても民主党、こんなに勝ってええのんかな?猫も杓子も(すんません)当選したっていう感じやなぁ〜」でした。私も軽々に相槌を打つわけにはいきませんが、当たらずとも遠からずの感想を持ちました。
でも、これでよかったと思います。というか、これが改革の第一歩なら受け入れなくてはならないでしょう。やっと政権交代が実現したのです。民意によって、政治の枠組みを変えることができたのです。自公政権時代の諦めやしがらみに再び苦い思いを抱くことがないよう、今度こそ私たちが国民主権の中身を民主党等に知らしめて行かなくてはならないでしょう。
「長いものには巻かれろ!」と強要し権力に胡坐をかいていたツケが、自公政権に下された今回の選挙です。ただ、いつの世も“権力は腐敗する”わけで、民主党政権を正しく導く責任を、私たちは今負ったということです。さらには自公が本当に反省し出直すならば、グチグチ嘆いている間はありません。野党の責務をしっかりと果たす以外に、浮上の道はありません。しかしまあ与党初体験、野党初体験同士の国会がどのように展開していくのか、大いに興味が湧くところです。
さて大阪10区の辻元さんは、見事(?)自民党候補のケンタ氏に勝ちました。小選挙区で勝つのと比例で勝つのとは、重みが違います。例えば島本町の行事に来賓で出席しても、先ず名前を呼ばれるのは小選挙区の当選者です。私は大津市に引っ越しましたが、島本町で投票ができましたので「辻元清美」と書くことができてうれしかったです。
さらには辻元さんの獲得票数が、近畿での比例新人候補である服部良一さんの当選を可能にしましたから、これもまた大きな喜びでした(服部さんの前回の選挙では、微力ながらお手伝いしたものですから)。しかし、私は引越しの雑事に忙殺されていたこともあって(まっ、これは単なる言い訳に過ぎませんが)、今回の辻元・服部選挙には全くお手伝いができませんでした。正確に言うと「できなかった」のではなく、「しなかった」の方に近いでしょうか。
前段で「見事当選」に「(?)」を付けましたが、そういうことです。昨夜の辻元さんの勝利会見テレビでも感じましたが、民主党に“気兼ね”している様子がアリアリで、正直私は不完全燃焼の気持ちでした。辻元さんの真横には(つまりテレビに映るように?)大阪府議のO議員が、その巨体を揺らして大きな顔で笑っていました。本当なら“福っ子さん“(小沢福子府議会議員)が隣で、テレビに映るべきでしょうに。
さすがに島本町議の民主系議員たちは、テレビに映るほど辻元さんとの距離は近くなかったようですが、きっと「わしらの力で当選させた」と大きな顔をしていたと思います。それはそれで正しいのでしょうし、何よりも辻元さん自身と辻元選対が、戦略として取った今回の選択だということも十二分に分かっているつもりです。でも「私は野党統一候補」と言う辻元さんからは、いつも私が感じてきたキラキラしたオーラは出ていなかったように思いました。
「選挙は勝って、なんぼのもん」「当選後の活動を見て」等々といわれなくとも分かっていますが、「見事」の文字に「?」マークを付けた私の寂しさが、ちょっとわかっていただけたかなと、独りよがりで愚痴っています。でも辻元さんは今でも“稀有な政治家”であり、これからも益々大きく羽ばたいていき“世界の政治家”になっていく可能性を秘めています。今まで通り尊敬の気持ちは変わりなく、大津から期待を込めて応援し続けていきます。
辻元清美○○大臣の日も遠くないような…。
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