議会の日程が1日延びました&新型インフルエンザ感染者が、再び町内で発生しました
(2009年7月16日 木曜日)
前回の日記で、やっとこさ6月を抜け出ました。6月は14回分の日記をお届けしたことになりますので、まあまあ合格点は頂けるかも?戸田議員のブログには1日分及ばないながらも、平野・澤嶋議員には余裕の差を付けましたよ。戸田さんは新人議員ながら更新を重ね、先輩の2議員を大きく引き離しました。立派です。
たかが日記されど日記です。議員だからといって書かなくてはならないものではありませんが、住民にとっては貴重な情報源となっています。議員を退いた私にとっても、特に市民派3議員のブログからは多くの情報を得ています。勿論伊集院議員のブログも欠かさず、興味深く拝見しています。伊集院議員の日記には、たまに私の理解が及ばない文体が出現します。でも鮮度の高い情報を、こまめにアップされていることを評価しています。
議員を辞めると、入ってくる情報は激減します。だから今、本音を言うと日記を書くのは一苦労です。行政や議会に係る情報に疎くなり、いわゆる“ネタがない”状況は、予想をしていたとはいえ現実のものとなると、少々ショックです。これは見方を変えれば、議員はいかに多くの情報を手中に収めているかということです。
従って、“戦略的”に自分だけのマル秘情報として保持しているものは別として、議員は住民への情報提供をもっと積極的にやるべきだと思います。このことは、私が市民派議員のバトンを託した3議員も十二分に承知されていることでしょう。たとえば前の日記でも少し書きましたが、平野議員と戸田議員は澤嶋議員にならって、一般質問の通告書と質問に対する答弁書を(たとえ本番当日の今日であったとしても)私に情報提供してくれるか否かを見てみたいと思います。
ということで、本日16日は日程が一日延びた6月議会の最終日です。一般質問の続きが行われます。昨日は高山・澤嶋議員そして外村議員の質問がありました。今日は藤原・平野・河野・戸田議員の順で質問があります。15日の一般質問では澤嶋議員が持ち時間の配分を誤り、理事者の最初の答弁の出だしで終了のブザーが鳴ってしまうという、カッコ悪くて残念な結果に終わってしまいました。
第一陣の引っ越し(とりあえずメゾンの1号棟から4号棟へ)が日曜日に迫っているので辛いのですが、平野・戸田議員へのエールを込めて、今から傍聴に出かけます。平野さんは3期目ですから安心ですが、戸田さんは初めての一般質問です。議員経験がある澤嶋さんですら、ミスしたのですから少し心配です。質問の中身は一切知らされていませんから、今私がアレコレ言及はできません。ただ兎にも角にも、持ち時間の20分(答弁込みで50分)を存分に有効活用して質問を終えてほしいと願っています。
出がけに澤嶋議員からファックスが入りました。昨日町のホームページでも情報がアップされていましたが、新型インフルエンザの患者発生の情報です。5月29日以降は町内の感染は確認されていませんでしたが、昨日大阪府より感染者の発表がありました。22歳の女性・病院の職員です。13日には39度の発熱で倦怠感あり、14日は37.5度で医療機関を受診しタミフルを服用しています。大事な情報をリアルタイムで流してくれる澤嶋議員に感謝です。
6月議会後半3日間の番外編
(2009年7月17日 金曜日)
昨日の日記から7月に入っていますが、いきなり16日分をアップしました。これからしばらくの間は、行ったり来たりジグザグと日にちを無視して書くことになりそうです。ややこしいことで申し訳ありません。ところで、本日の日記を“番外編”としていますのは、本会議における議事の中身には関係のない、雑感アレコレというような意味です。主な内容は、昨日(16日)の文章に少し訂正と説明を加えた点です。
前回の日記で、澤嶋議員が「一般質問の時間配分を間違えてしまい、カッコ悪いことになりました」との一文を書きました。その中の「理事者の答弁が始まって、すぐに終結のブザーが鳴ってしまった」という部分は、正しくは2番目の質問に対する民生部長の最初の答弁が、冒頭の一部分で終わってしまったことを指しています。
澤嶋さんは1番目の質問「島本健康モールビル」に係っては、かなり厳しく行政を追求できたのです。しかしながら「モールビル」の質問に殆どの時間を費やしたので、時間が足りなくなってしまいました。その結果、2番目の質問「保育所・幼稚園における危機管理は万全ですか」は、実質答弁なしの状態で終わってしまったのです。
特に幼稚園を所管する教育次長は一言も発言することなく、用意した答弁書は全く“日の目”を見ませんでした。この様な事態は理事者に対してもかなり失礼なことでもありますが、何よりも質問に立った議員の力量以前の問題として評価をされるため、暫くは厳しい批判の目にさらされます(誰も面と向かっては言いませんが)。
私は澤嶋議員から前もって、質問通告書と理事者の答弁書をもらっていました。「危機管理」の質問も、なかなか着眼点の鋭い内容でしたし、答弁は2問目以降の反論も遣り甲斐がありそうで、楽しみにしていたのです。澤嶋議員は議場の時計で、自分の持ち残時間も全体の残り時間も分かっていたはずなのに、なぜ一問目をもう少し早く切り上げられなかったのか不思議でなりません。傍聴席にいる私を含めて、議場の全員が時間を気にしていました。議長も次の質問に入るように、何度か促してくれていました。
質問者席の真後ろの議席にいる平野議員は、澤嶋さんに何か合図を送れなかったのでしょうか。不規則発言であったとしても、議員なら1回は許されるでしょう。この時だけは、「時間がありませんよ!」と大きな声で叫んでくれたらなぁ〜と、私は傍聴席でヤキモキしながら身を乗り出していました。まあ、当人が一番悔しいとは思いますが、それにしてもねぇ・・・。次回9月議会は、絶対に同じ過ちを繰り返さないでくださいね!みんなで期待していま〜す。
さて本日の写真ですが、写したのは議場の入り口に貼られた案内文です。今までなかった貼り紙です。私は過日の日記で、赤ちゃんを連れたお母さんの傍聴ができなかったことについて書きました。日記の中では「議長の許可を得れば、乳幼児も児童も傍聴できます。頭から拒否をするのは、傍聴規則に反していますよ」と訴えました。そのことの改善の一歩が、早速張り紙に書かれていました。
張り紙には、他の2つの項目と共に「児童及び乳幼児の傍聴は、議長の許可が必要です。議会事務局までお申し出でください」との一項が示されていました。このような案内文を掲示しなければならなくなったのは「南部の要求があったから」とは、議長も議会事務局も認めたくないでしょうね。私も別に誰が異議を申し立てたとか、そんなこと言うつもりはありません。要するに議会の姿勢が、少しでも正しい方向に改善されればそれでよいのです。
実際、後半議会3日目には赤ちゃんを連れたお母さんが、議長の許可を得て傍聴席に座られました。ただ残念なことに、今回は赤ちゃんがむずかって大きな声を発したため、お母さんはすぐに席を立って退場してしまいました。またどうぞ傍聴にお越しくださいね。そして他の親子の皆さんも、ぜひ議場を覗いてみてください。
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次の写真は、カーテンがつりさげ金具から外れて見苦しい住民ホール内のサロン(会議室)です。私は議会傍聴時のお昼御飯をここで食べています。以前傍聴者の昼食は、3階の議会スペースにあるロビーで頂くことができました。私と平野さんが議員の時は、澤嶋さんが必ず傍聴に来てくれていました。お昼御飯はいつも3人でロビーを使っていました。和気あいあいのお昼御飯は楽しかったです。
南部たち3人だから目障りだと思ったのでしょうか、なぜか急に「ロビーでの食事はまかりならん。議員は議員控え室で食べること、傍聴者は職員の休憩室を使うべし」と決められてしまいました。お昼御飯まで食べて午後からの傍聴も行う、その心意気を議会はありがたいと思って当然なのです。それなのに排除の論のみ振りかざす議会と、一部の議員に唯々諾々と従っている総務部長は、全く何考えてんだか・・・。
まあ、もうだいぶ前の話なので私も慣れてしまいました。しかし多分ほかの住民の方なら、職員の間に入って昼食を食べるのは居心地良くないと思います。職員だって住民と食事の場を共にしていては、貴重な休憩時間を削がれるような気持ではないでしょうか。そのことが影響あるのかないのかは分かりませんが、確かに雰囲気はあまりよろしくありません。おまけに現在臨時に使用している住民ホールの部屋は、この写真のようなありさまですし・・・。
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メゾン1号棟の皆さん、お世話になりました
(2009年7月19日 日曜日)
今日、1号棟から4号棟へのドッキング引っ越しは無事終わりました。1号棟はメゾン水無瀬ができてから直ぐに入居しましたから、最初のご近所さんとは35年間のお付き合いと思い出があります。もちろん転居や転入もありますから、居住者は当初と随分入れ替わっています。また共に子育てを通して親しくなった方々も、肝心の子どもたちが既に家庭を築いて他所に移っています。ご挨拶に伺った皆さんとは、幼・小・中学校と子育て時代を共有しましたから、懐かしさが溢れ、ついつい語り合ってしまいました。
1号棟の住居を4号棟に統合することは、皆さん「議員を辞めはったのはおしいけれど、まあ2つの住居はもったいないよね」と理解を示して下さったのです。でも続けて私が言った言葉「もう暫くすると、今度は4号棟から大津へ引っ越します」には「え〜っ?ほんまぁ〜っ!」と驚き、そして別れを惜しんでくださいました。
私は議員としてご近所の皆さんに直接お役に立ったことは、あまりないと思います。メゾン水無瀬の管理組合がしっかりと運営されていることもあって、議員が口出しすべきことは極力控えてきました。にも関わらず私の議員活動を理解し、変わらず温かく見守ってくださっていた方々の多くは、ご近所の皆さんでした。今日ご挨拶に伺って議員活動への労いを頂き、皆さんの長きに渡るご支援がしみじみとありがたく身に沁みました。
引っ越しの準備もさることながら、1号棟の売却と大津の物件購入に係る手続きとが同時に進行したため、アチコチに行ったり来たりで疲れました。(もちろん不動産屋さんは同行してくれますが)。また世間様から見れば僅かな金額でも、我が家にとってはめったに動かさない全財産の相当分を振り込んだりして、随分緊張しました。
第一陣の引っ越しが終わって、さすがに体のあちこちが痛いです。どっと疲れが出ましたが、皆さんからのメールやお手紙や労いの言葉に元気を頂いています。さらにはキンキンに冷えたビールや高そう〜なメロンやモモやブドウや、花より団子の私の習性も見抜いた差し入れも頂戴しました。夫と手伝いに帰省した長男はビールにニッコリ、私は果物にジュルと舌舐めずりしました。ありがとうございましたぁ〜っ!
さて本番の引っ越しは、こんなどころでは済まないでしょう。捨てに捨てたといっても、2軒分の荷物が4号棟にギュウギュウに詰まっています。もちろん当日は引越し屋さん任せですが、準備の荷造りを考えるとため息が出ます。4号棟で暮らすのもあと僅か20日間ほどですが、段ボール箱に囲まれた暮らしは極力避けたいので、増えた家具の配置に頭を悩ましています。夫には笑われていますが、引っ越しの当日まで、朝の食卓には一輪の花を飾っていたいと思っています。私のささやかな“美学”・・・かな?
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新しい住居のカギをもらいました
(2009年7月23日 木曜日)
昨日の皆既日食が「今日だったらよかったのに」と思うほどの快晴になりました。しかしその分、暑い!しかも最も酷暑の時間帯、お昼に大津へ出かけます。夫と二人持てるだけの掃除用具を詰め込んで出発です。こんな日は、メゾン水無瀬から近いJR島本駅で乗車できるのがうれしいです。京都駅からは2駅で(時間帯によっては直通もあります)、山科→大津京と、あっという間に到着です。
本日はいよいよ新居のカギを受領します。セキュリティー会社からの説明もありましたが、フリーなメゾンで長年住み慣れた身にとっては、なんだかやたらややこしい。私が結構質問攻めにするので、担当の人はシドロモドロになりました。上司を呼びに走ったりして気の毒なので、「まっ、私たちも習うより慣れろですわね」と助け舟を出しました。ホッとした担当者さんは「おっしゃる通りでございます」とニッコリしてくれました。
今日から大津京駅前とマンション間を、専用のシャトルバスが運行を開始しているので、楽々新居に到着しました(歩けば13分、バスなら5分です)。訪れたのは今回でまだ2回目です。海水浴シーズン到来で、目の前の砂浜ではボランティア団体の方々が、藻を引き上げる清掃作業をしていました。島本町では体験できない琵琶湖が、これからどのような四季折々の顔を見せてくれるか、とても楽しみです。
本日の目的は家具を配置するために部屋の凸凹を含めて採寸することと、新築にして早くも改造をするため、工務店さんと打ち合わせすることです。リビング・ダイニングはキッチン抜きで20畳近くは欲しいため、リビングと洋室の壁を抜くことにしたのです。私たちが手の届く住居ですから、このマンションもごく普通の集合住宅です。だからこそ住居の中は、こだわって自分らしく設えたいと思っています。そのためには居間の広さが、なにより優先!です。
改造日数を考えると、引っ越しはお盆前あたりになるでしょうか。それまでには内装を整えるためのカーテンや照明器具・家電類の購入など、やっておかなくてはならないことが一杯です。引っ越し間近になれば、もちろん荷造り作業がありますし、今度はメゾンの4号棟の売却に着手しなければなりません。なんだか、議員の時よりカレンダーが埋まっているような状況になってきました。
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JR島本駅の自由通路にベンチ設置は大丈夫でしょう?
(2009年7月24日 金曜日)
今日は久しぶりに役場へ行きました。情報公開請求した資料の閲覧をしました。ついでに先日の日記でクレームをつけた、住民ホール内サロン(職員の臨時昼食・休憩場所)のカーテンを再チェックしました。やっぱり日記に書いた限りは、ショウムないことでもチャンと見届けておかなくちゃと思ったからです。しかし、窓の外からなのでよく判らなかったです。ちょっとマシになったような印象を受けましたが、どうなんでしょう?まあ、南部の言うことなんか無視かもしれませんね。
帰り道は遠回りですが、島本駅を通ってみました。自由通路の壁面には大きな夏祭りの横断幕がかかっていました。そういえば先の議会において、「自由通路に有料広告スペースを作り、財源確保を求める」という高山議員の一般質問があったことを思い出しました。高山議員は自由通路に広告を掲示した椅子の設置を提案していました。答弁は「自由通路は町道であり、ベンチの設置は可能である。しかし既設の視覚障がい者用の点字ブロックの妨げになるため無理」との内容でした。
え〜っ?でもよく見るまでもなく、点字ブロックは通路上の大阪寄りに設置されています。京都寄りで邪魔にならない、しかもベンチの設置にぴったりの窓の下のくぼみ空間があるではありませんか(それも2ヵ所)。担当職員は当該箇所には言及せずに、あたかも自由通路にはくまなく点字ブロックが設置されているような答弁をしました。高山議員ももうちょっと押してくれればよかったのですが・・・。
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いずれにしても7億円もかけた“お高い”自由通路です。待ち合わせやちょっと一息のささやかなニーズにも応えられないなんて、おかしいと思います。広告収入もないよりある方が良いに決まっていますが、それよりもなんというか、やさしさが感じられる駅を目指してほしいと思うのです。人びとがベンチに腰を下ろすことで、町政に温かさを感じてくれるなら万々歳ではありませんか。
壁面の殺風景さ解消と共に(私は当駅自由通路の壁面の寂しさはピカ一だと、残念に思っています・・・これは以前、確か某議員の質問でもあったように思いますが)、役場はベンチの設置をもう一度検討してみてください。住民の税金をたくさん使って作った駅です。皆さんに少しでも喜んでもらえる工夫をするのは、当たり前のことです。自由通路の活気ある楽しい利用を是非実行すべきと言いたいです。
さて写真をご覧いただくとお分かりのように、駅東広場の隅っこの空き地(公衆トイレ横)が素敵な花壇に生まれ変わっています。町が「緑と花いっぱいの会」の皆さんにお世話を託しています。ベンチと花壇は違いますが、私は自由通路にもこの花壇のような温かい心が欲しいと思うのです。同じ都市環境部の職員たちが、花壇では住民に喜んでもらおうと発奮したのに、今回のベンチ設置では素っ気ない対応しかできないのは何故なのでしょう?
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JR島本駅西側農地の地権者アンケート結果は、公表が遅いのではないでしょうか
(2009年7月25日 土曜日)
6月定例議会前半の会派代表大綱質疑に対する答弁の中で、駅西側農地利用に関する地権者へのアンケートを取ったことが分かりました。町は当該農地については常々「地権者の意向が第一義」との答弁を繰り返しています。私は「そう言うなら、早く意見を聴く調査をしなさい」と、議員の間ずっと求めていました。今回やっと調査を行ったわけですから「良し」としたいところですが、べつに私が言い続けてきたことに呼応したわけではありません。
町は現在第四次総合計画の策定を進めていますが、当計画における土地利用のあり方を検討するために調査を行ったのです。調査の対象はJR島本駅西側、市街化調整区域内に農地を有する地権者46人です。私は6月24日に当アンケート調査に係る情報公開請求をしましたが、通常の公開期限15日間の倍の延長をかけられてしまいました。従って当初7月8日に公開されるはずが、7月23日まで待たなくてはなりませんでした。
町は「アンケート集計中のため」と延長の理由を述べていますが、私は議会での一般質問に答えたくなかったのではないかと思っています。現に7月16日の一般質問で、平野議員が「アンケート結果を示せ」と問いましたが、「詳細は言えない。自由意見は未だ集約中」と答えています。しかし調査の報告書は、7月13日に町長決裁を得るため起案しているのですから、その内容は16日の答弁では当然明らかにされるべきものでした。このように議員を軽視した、いい加減な答弁は大きな問題です。
さて、アンケートの報告書は住民に公表される(文化・情報コーナー、町のホームページ等)ことになっています。したがって私が一足お先に結果を日記に書いても、何の効果もないかもしれません。しかし今日に至ってもまだ未公表ですから、私の日記で調査結果をお知らせしておきたいと思います。
調査は6月10日から30日の間に行われました。調査対象者は46人で、回答者は36人、回収率は78.3%でした。回答者の年代は60歳代が13人(36.1%)で最多です。続いて70歳代の10人(27.8%)、50歳代7人(19.4%)、80歳代3人(8.3%)です。40歳代・20歳代・無回答はそれぞれ1人(2.8%)となっています。
回答者の職業は農業の兼業が13%でトップ、農業の専業は9人(25%)で2番目、3番目は無職で8人(22.2%)、続いて自営業の4人(11.1%)、あとは会社員・公務員とその他が1人(2.8%)ずつです。ここまでは回答者の属性を表しています。次は「営農」への意識と「所有農地」についての結果です。
「西側農地で将来も農業を続けようと思いますか」の問いに対して、「はい」と回答した人は17人(47.2%)います。その理由は「農業に魅力があるから」と「土地を売却したくないから」が同数の10人ずつ(58.8%)で過半数を超えています。「後継者いるから」は6人(35.3%)、「その他」は3人(17.6%)となっています。注目すべきは「農業収入が見込めるから」と答えた人がゼロ人だったことでしょうか。なお「その他」の回答内容は「現風景を守りたい」「現状の生活を変えたくない」「農業が趣味」となっています。
一方「農業を続けたくない」と回答した人は16人(44.4%)います。その理由は「後継者がいないから」が最も多く、9人(56.3%)です。2番目が「農業収入が見込めないから」で5人(31.3%)、「農業に魅力がないから」と「土地を売却したいから」及び「その他」が、それぞれ3人(18.8%)となっています。なお「その他」は「土地活用のため」「開発を優先する」「老齢だから」が回答内容です。
次の質問では「所有している西側農地(設問では対象地区と書かれています)について、今後おおむね10年以内の土地利用の意向」を訊いています。1番は「農地として活用したい」で、15人(41.7%)です。2番目は「わからない・未定」で8人(22.2%)、続いて「農地は残すが一部は他の利用を考えたい」が7人(19.4%)です。「宅地などに利用転換したい」は4人(11.1%)、あと「耕作委託・他人に貸してでも農地として守りたい」と「誰かに貸したい(農地以外)」と「売却したい」がそれぞれ2人(5.6%)となっています。
次に問うているのは、10年後の西側農地の望ましい姿です。「農地と住宅の調和した地区」が15人(41.7%)でトップです。続いて「現状のまま」が14人(38.9%)、3番目は「商業地と住宅地」で4人(11.1%)です。あとは「無回答」が2人(5.6%)、「その他」は1人(2.8%)となっています。なお「その他」の内容は「農地と住宅の調和した地区を選択した場合は、税金面などで農業者が苦しくなることが問題」となっています。
さてアンケート項目の最後です。「将来の市街化区域を希望しているかどうか」の設問です。「望まない」が過半数を超えて20人(55.6%)います。「望む」は12人(33.3%)、「わからない」は3人(8.3%)、「無回答」1人(2.8%)でした。この回答を見る限りは、JR島本駅西側農地の土地利用は市街化調整区域のままで激変させないことが、地権者の意向に沿うということになります。
地権者である農業従事者のうち、開発を望まない人が過半数に達する結果は町も総合計画審議会も尊重すべきだと思います。しかし、農業者の不安や悩みが大きいことを置き去りにして、現状維持とするならば何の解決にもなりません。西側農地に係る土地利用アンケートの本当の目的は、町の農業政策を今後どのように豊かにしていくかを探るものでなければならないはずです。アンケート結果を踏まえた町長のリーダーシップと議会の検証・意思決定が求められます。
しかし、先の平野議員の一般質問への答弁では「アンケート調査については、農林業担当部局とは協議していない」と総合政策部長はあきれた答弁をしています。当該部局は言うに及ばず、全庁的に協議しなくてどうする!片や農林業担当部局の長である都市環境部長は「農地の保全は現調整区域を残しておくことが、最も可能性がある」とは答えつつも、「農業を継続していただくためには、農業施設の整備に行政としては力を注いでいきたい」と、非常に視野の狭い答弁をしています。
農業施設である水路整備等に予算を付けることが不必要だとは言いません。しかし町の農業施策はもっと深い所で存在していなくてはなりません。アンケート結果の一端からでも、林業を含めた農林業問題は当事者のみならず消費者である全住民の問題であり、未来を担う子どもの育ちにも係る大きな町政の柱であることが解ります。
先ずはアンケートに表れた農業者の苦悩をしっかりと読み取り、正しい解析を行うべきです。先の両部長の答弁についても、縦割り行政丸出しをそのままにせず、町の農業施策の方向性を示す町長の補てん答弁があってしかるべきでした(まあ、毎度のことですが望むべくもありません)。
さて、アンケートの最後には「自由意見」欄があります。36人の回答者のうち10人の方が記述していますが、農業者の真摯な意見が述べられています。今日の日記が長くなりましたので、自由意見の掲載は次回としましょう。でもその時には、町のホームページには掲載されているかもしれませんね(ホンマはそれで当たり前)。
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私の日記に追い立てられたかしら?「農地利用アンケート」結果が町のホームページにアップされました
(2009年7月27日 月曜日)
前回(7月25日)私の日記で、「JR島本駅西側農地に関するアンケート」結果を報告しました。標題と末尾に「町のお知らせが遅い」とクレームをつけたところ、たまたまかもしれませんが、早速今朝一番の町ホームページに掲載されていました。もちろん「自由意見」も全文載っていました。私は「自由意見」を残して報告していたので、パソコンに打ち込む労力が省かれて助かりました。
町のホームページには、「自由意見」を書かれた10人全員の全文が載っています。すべてのご意見に頷くことはできませんが、それぞれの立場で精一杯の意思表明をされていることはわかります。皆さんも是非じっくり読んで頂きたいと思います。意見の中で、特に対照的な方向性を示す2つの記述が目を引きました。どちらも長文なのですが、大事な内容ですので以下に引用します。仮に、開発を望まれる意見を「A」とし、「保全」を望まれる意見を「B」と表記します。
「A」 |
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「B」 |
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同じ地域で同じように農業を営む(農家かどうか、文面から確証は得られませんが)お二人が出された、対照的であり象徴的でもある2つのご意見です。多様な他のご意見も含めて、このように相反する意見を頂けたことが、先ず何よりも良かったと思います。できうれば全ての地権者が「自由意見」を書いてくだされば、より多面的な検討が可能でしょう。今回その点は少々残念です。書くのは気が重い人もいるはずです。町は聴き取り等、ぜひ違う方法も試みてほしいと思います。
さぁ!遅まきながらも今からがスタートです。議会も住民ひとり一人も西側農地問題に関心を寄せ、地権者の皆さんの知恵と力の発揮をサポートしていくことができるか、この軌道を敷くのが行政の役目だと思います。誤りなき“まちの未来”のためには、“大きな声”の力に立ち向かうことも必要です。つまり町長の肝っ玉が、どれだけしっかりと座っているかが成功のカギです。
地権者の皆さんに少しずつ譲り合って頂きながらも、お互い納得できる計画を町が打ち出すことができるかが問われます。この計画はコンサルに丸投げするわけにはいきません。地権者の意思統一のためには、難航が予想され困難な協議や作業を伴うでしょう。急ぐことはありません。したがって新総合計画では、市街化調整区域のまま残しておくことです。都市計画マスタープランの見直しも、当然総合計画に準じます。
駅西側農地は町に残る貴重な農空間です。他に例を見ない駅前風景の価値を、みんなできちんと検証しましょう。その上で手を加えられるのは最大どこまで可能か?共通認識が必要です。ちなみに私は前段で掲載した「B」の意見に賛意を持っていますが、さりとて「一木一草たりとも変えてはまかりならぬ」とも思っていません。保全であれ開発であれ、いずれも大きな幅をもっているのです。
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工事協定書の締結もないまま、「健康モールビル」の建設が進んでいくのは許せません
(2009年7月29日 水曜日)
日記をアップする日付がジグザグして申し訳ありませんが、前回7月31日付の日記では、フジ住宅が行っている旧町営住宅跡地開発事業に係り、隣接する山崎4丁目の既存住民数名が異議を申し立てていることを書きました。事業主も町行政も、結果的には住民の意思を掬い取る努力をしていないのではないかと、私は苦言を呈しました。
残念なことに、このようなトラブルはフジ住宅の開発のみにとどまりません。議員在任中は議会で質問を繰り返し、私の日記でも幾度となく書いてきた大美自治会(水無瀬1丁目)の住民も同じ様な目にあっているのです。6月議会では私の意思を引き継いだ形で、澤嶋議員が「島本健康モールビル」建設について一般質問を行いました。
本会議の議事録原稿(未校正原稿ですが)を入手していますので、少し質疑答弁の中身に触れたいと思います。ただし会議録の文言をそのまま再現するものではありません。なお「島本健康モールビル」(以下「モールビルと称します」の建設進捗状況は、以下の写真(7月30日撮影)の通りです。基礎工事を含め現在まで、工事協定書が締結されていないにもかかわらず、既に鉄骨がここまで組まれています。ビルの完成は12月を目途にしているようです。
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民家数軒がモールビルと高層マンション(シャリエ水無瀬)に挟まれている様子は、写真でもお分かり頂けると思います。今後生涯に渡り重大な住環境の悪化をもたらす当ビル建設について、被害住民の苦痛の代弁は勿論、広く町全体のまちづくりの観点からも、議場で質されるべきは当然です。この状況を「しようがない」と容認するわけには、決していかないと思います。
町行政は1年余に渡り大美自治会と事業主(名義上、アイワ薬品としていますが、実態は地元のABC薬局=上牧薬局です)の斡旋を行ってきたと主張しています。斡旋は都市環境部長自らが行っていますが、「斡旋の内容を示せ」との質問に対しては、「説明は差し控える」と答えるのみでした。これは最初に述べた旧町営住宅開発事業に係る協議内容を、町が文書化していないこととも共通している答弁です。
つまり町は都合の悪いことについては、「答えない」「記録に残さない」と受け取らざるをえません。行政の果たすべき説明責任を、どのように考えているのか理解に苦しみます。部長はまた、「自治会側と事業主側の協定内容等についての意見が一部対立し、協定が締結されないまま物別れの状態になっている」とも答弁しました。町の斡旋の現状は、結局のところ上手くいっていないという訳です。
斡旋に関しては、確かに様々な努力もし苦労もあると思います。しかしだからといって、協定書を締結しないまま建設を強行する事業主を見過ごしていて良いものでしょうか。今後民間の開発事業に係り、モールビル建設の悪しき事例、つまり工事協定書を結ばないことがまかり通っていくのではないかと、大変心配です。
さて、澤嶋議員はこのほかにも盛りだくさんの質問を行いました。当然理事者は答弁を返しているわけですが、全てを紹介するわけにはいきません。私が気になった2点のみを書いて、日記を終わりたいと思います。一つは当ビルの建築用途が、この期に及んでも不明瞭である点です。質問は「建築確認申請の段階で、当初医療ビルとして公にアピールしてきていたものが、事務所という形に変わっている。しかも店舗・物販ということなので、医療テナントは含まれないのではないか」との内容でした。
都市環境部長は「申請は事務所と出されている。町へは医療・福祉・介護関係のものを入れるとの説明があった。しかし例えばカラオケとか、そういうものが絶対に入らないという保証は確かにない。ただそういう状況になった段階で、府の指導とか許可になるため、府とも相談してそれなりの対処はしたいと考えている」と答弁しました。
エ〜ッ!これって大きな問題ですよ。当該地は用途地域の変更によって、近隣商業地域になったわけですから、カラオケもオッケーの地域です。従っていとも簡単に、医療機関及び類似の施設を娯楽施設に変更することは可能です。カラオケが例え法令には違反していなくても、それならそれで最初から近隣住民との協議が必要です。
当ビルが、ただでさえ隣接民家に悪影響を及ぼす建築物であるため、一般的にはまだしも理解が得られそうな医療ビルとし、“後出しジャンケン”で例えばカラオケをテナントに入れる・・・。答弁を聞いて、そんな事業主のシナリオも無きにしも非ずだと、心配が膨らみます。私だけの杞憂にすぎないのであれば良いのですが・・・。
はてさて、建築用途のようなビル建設の目的の根幹に係る問題が揺らいでいては、お話になりません。やはりどうしても、事業主と住民は面談して協議することが必要ではないかと思います。しかしながら、6月12日に行われた自治会役員と町との話し合いの中で、事業主の意思を示すメモの内容が、質問により明らかになりました。
職員のメモには「自治会がビラまきや看板などの行動を辞め、これらの行動について詫びを入れるなら、協定書を結んでもよい」と書かれていたと言います。これってなんなんですか?“脅し”のようにも読めますよね。協定書を「結んでもよい」のではなくて「結ばせて頂きたい」というのが、近隣に多大の迷惑を掛ける事業主の当たり前の姿勢ではないでしょうか。従ってメモの前段の「詫びを入れろ」なんて言うのは、言語道断だと思います。
メモの内容が事実かどうかは、部長の「コメントは差し控える」という答弁で、明らかにはなりませんでした。答弁をしたくない、或いは出来ないというのは、メモを認めたことになります。事業主のこのような理不尽な意思を、町が踏まえたうえで斡旋を行ってきたのなら、許せない思いです。結局、町はビルの谷間に陥った住民に思いを馳せることはできないのかと、私は悔しくてなりません。
Yさん、長い間ありがとうございました
(2009年7月30日 木曜日)
今日は東大寺にお住まいのYさんからお招きを受けて、お昼御飯を御馳走になりました。Yさんお得意の鶏茶漬けと、一日3回は糠床をかき混ぜるという自慢のお漬け物、そして貸農園で栽培しているシソがたっぷり入ったサラダ、どれもとてもヘルシーで美味しかったです。お土産には水ナスの浅漬けと、農園のジャガイモも頂きました。
Yさんとは、私が議員になる前からの長いおつきあいです。30年近く前になるでしょうか、町の教育委員会では社会教育事業の一環として「婦人学級」(確かこの様な名称だったと思います)と称した学習会を開いていました。次男が幼稚園に行き始め、子育てが少し楽になった私は、たまたまその学習会に参加をしたのです。Yさんは講座の世話役の一人でした。
学習会は教育委員会が主催しているのですが、1年間の企画と運営はYさんたち数人が行っていました。多分当時、初めての“自主運営”を彼女たちが実現していたと思います。引っ込み思案でボ〜ッとしていた私(ホンマです)にとって、Yさんたちの言動は非常に刺激的で目から鱗の連続でした。共感も反論もしっかりとした自分の言葉で語る彼女たちを、私はとても魅力的だと感じました。
感激と感謝の気持ちを伝えたくて、当時お菓子作りがちょっぴり得意だった私は、連続講座の最終回にシュークリームを持っていきました。それが功を奏したとは思いませんが、婦人学級以外で彼女たちが活動している朗読グループへのお誘いを受けました。ちなみに私が今まで続けている朗読ボランティアは、この時が始まりとなりました。
確か当時は住民自治課(課名を間違っているかもしれません)が、広報紙を担当していました。現在は社会福祉協議会のVグループが吹き込んでいる「広報しまもと」を、Yさんたちが直接住民自治課の依頼を受けて行っていました。その活動に私も参加することになったわけですが、先輩達の指導はとても厳しかったです。朗読の技術的なことよりも、時間を守る等当たり前のことや記事の読みこみ不足を指摘されました。
キラキラ輝いている皆さんの中から、議員を目指す人がいても全く不思議はなかったのですが、10年後になぜか私が議員になっていました。Yさんは私の初立候補の時から、任期の最後まで私を応援してくださいました。毎回の選挙戦で訴える力強く明晰なYさんの応援演説は、抜群の効果がありました。私が多少とも上手く喋ることができるようになったのは、Yさんの言葉の力に学んだからです。どれほどありがたく感謝してきたか、口には尽くせません。
そのYさんが、私の引退を聞いて「よう頑張ったね、よかったね」と祝福してくれました。私自身固い決意の引退でしたが、揺らぐ気持ちもないと言えば嘘になります。しかしYさんの「よかったね」との言葉をもらって、改めて「あぁ、私の選択は間違っていなかった」と自覚できました。私はYさんから頂いてばかりの30年間でした。若かった私たちのあの頃を振り返りながら、人との出会いの不思議さ、うれしさを噛みしめています。
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異議を申し立てる住民の苦しみを掬い取る努力を、開発事業者や行政に求めたい
(2009年7月31日 金曜日)
昨日の日記で、旧町営住宅跡地(東大寺・山崎)の開発が進行している様子を、一部写真でお届けしました。開発業者はフジ住宅株式会社ですが、先日も何度目かの当該住宅地売り出し広告チラシが新聞折り込みで入っていました。チラシでは「アクアフローラシティ山崎 光の街」とネーミングされた115区画(2千万円〜3千万円台)が、バラ色のキャッチコピーで売り出されています。
交通環境の良さ=JRと阪急の2WAYアクセス、住環境の良さ=自然と歴史と水、教育環境の良さ=英語特区・子どもを守る安全ボランティア等の宣伝内容に希望を託して、当地を選択される方々は多いと思います。島本町を選んでくださることはとてもうれしいことですし、町の活性化にも繋がることですから、ありがたいと思わなければならないでしょう。
しかし“幸せの光の街”の出現により光を奪われる既存住民のことを、町行政もフジ住宅も忘れてはなりません。ましてや蔑ろにすることなど決してあってはならないはずです。当初山崎地区の造成計画では、住宅南側わずか80cmの目と鼻の先に、高さ5mのコンクリート擁壁がそそり立つ事態が明らかになりました。その後、擁壁はわずかに離隔の幅を広げはしましたが、隣接する住宅の1階部分は殆ど陽が当たらないという、生活環境の悪化を食い止めるには程遠い解決策でした。
住民の方々は何度も何度も町行政を通してフジ住宅に訴えてきましたが、造成工事はどんどん進行し、現状を受忍せざるを得ない結果となりました。従って、せめて擁壁後退部分の使用を認めてほしいとの住民の声は当然の要求であったと思います。しかし6月議会の一般質問(H議員)では、フジ住宅は4名の住民に対して「擁壁後退部分の使用に係る覚書の締結予定はない」と町に伝えていることがわかりました。
H議員は「フジ住宅は当該スペースを使わせないように、境界にフェンスを設置するという図面を持参したということだ。これは明らかに、お宅らには使わせないぞということのように、住民の皆さんには脅しじゃないかというふうに受け取られた」と質しました。担当部長は「いやいや、4名の住民が覚書の締結に向けての文書を受け取り拒否したからであって、フジ住宅は『当社の計画についてご理解とご協力が頂けるのであれば、皆様方が望んでおられる内容での覚書の締結に向けて、前向きに検討させていただきます』と回答しています」と答弁しました。
前段で書いているやり取りは、議事録(未校正原稿)から抜粋していますが、ごく一部分であるため詳細なニュアンスは伝えきれません。従って「 」で書いてはいますが、議員及び理事者を特定しないでおきます。いずれにしても異議を申し立てる住民に対しては、フジ住宅も町行政も明らかに「疎ましい」という態度を取っていると、私は怒りを感じています。開発業者のこの様な態度を、町は諌めるどころか追随しているのが、また情けないし許し難いです。
最後に当開発事業について少し振り返りますと、町は町営住宅跡地を売却するために民間の開発業者をコンペ方式で募集しました。選定委員会(だったかな?)は開発プラン(確かフジ住宅は4番目の評価だったと思います)と買い取り価格(価格はダントツの27億円で1位)の双方を総合的に評価し、結果フジ住宅に決定しました。そして議会は、町とフジ住宅が締結する27億円の土地売買契約を全員で賛成しています。
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