それにしても遅くない?「ふるさと島本応援寄付金」寄付者への絵ハガキ発送
(2009年6月3日 水曜日)
2・3日の間、日記の更新が滞っていました。連日70〜80人の方々に無駄なクリックをさせてしまいました。申し訳ありません。そして、ちょっとウロウロしている間に、早6月に突入しておりました。このところ3日間は、大津市・草津市・宇治市・明石市・堺市・枚方市と駆け回っていました。疲れたぁ〜!もちろん目的があって出かけているのですが、今はまだお伝えすることではありませんので、ナイショです。
さてさて自分の日記はズル休みでも、その代わりと言ってはなんですが、市民派3議員(平野・澤嶋・戸田議員)のブログを毎日楽しみに拝見しています。もちろん伊集院議員のブログも読んでいますが、過日のめちゃくちゃ勘違いをされたコメントが、いつまでたっても訂正されないので「折角のブログが、ちょっと信用を欠くものになりませんか」と私は他人事ながら心配しています。
ところで標題の中身については、まあ書いてある通りということなのですが、5月の22日に寄付を行った時、「お礼に町の絵葉書送ります」と職員さんが言ったのです。それからもう10日以上たっていますが・・・きませんね。「なんかすること遅くない?」と愚痴りたくもなります。前にも日記に書きましたが、絵ハガキ欲しくて言っているのではありません。住民の志に応える町の姿勢がこんなでは、困ったものだと私は憂いているのです。
絵ハガキはもうちょっと待つとして、町ホームページでの寄付状況は掲載されているかしら?と確かめてみました。結論を言うと、H20年度及び21年度の公表がされていました。前年度は16件で61万円、退職した今津収入役も寄付されていました。今年度分は(5月25日現在)5件で1,130,154円です。寄付者のところに私の名前と寄付金額がありました。
しかし上記の情報にたどり着くまでが、なかなか分かりにくいのです。先ずは町のホームページのトップで「政策・まちづくり」をクリック→「ふるさと島本応援寄付金(ふるさと納税制度)」→「寄付状況」でたどり着きます。「クリックは、わずか3回だけです」と反論されそうですが、先ずは「寄付金」が「政策・町づくり」をクリックすれば出てくると、何人の人が分っているでしょうか?
それに町長は「ふるさと島本応援寄付金に協力してね」とお願いしているのに、ホームのメニューからも消えています。まっ正直言って寄付金を募る気は、庁舎内にあんまりないですね。どうせ寄付されても町のお金、集まろうが集まらなかろうが、「関係ないわ」と人ごとなのでしょう。これでは残念です。やっぱり、繰り返し丁寧に親切な情報提供を行い、報告も同様に迅速に公開していく基本姿勢が必要です。
おしまいは少し褒めて差し上げましょうか。同じく町のホームページで、最近アップされた「先輩職員の声」は初めての試みですが、とてもよい記事です。数人の若い職員が「仕事について」と「受験生の皆さんへ」の2つのテーマで、メッセージを送ってくれているのです。仕事中の様子が分かるような写真も2枚づつ入っていて、すごく親しみがわきます。
ただ残念なことは、この記事へのアプローチもまた、先ず「町職員の採用について」をクリックしなければならないことです。町職員の採用試験を受ける人を対象に情宣するのが、目的なのは分かります。でも当該記事は受験生のみならず、住民の皆さんへも広く見て頂くに十分な内容です。ホームのメニューにぜひ加えてくださるようお願いいたします。そして採用時期のみならず常時、職員のメッセージが発信されている開かれた役場にしていってほしいと思います。
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議事運営を誤った菅議長は、公の場所できちんと謝罪しなさい
(2009年6月4日 木曜日)
先の臨時議会で菅議長は、戸田議員の発言をさせないで、採決に際して行う「討論」を閉じてしまいました。この事態については、平野・澤嶋・戸田議員が各々ブログで詳しく報告しています。当日傍聴をしていた私も、怒りの気持ちを後日の日記で書きました。しかし議長が「戸田議員」と指名していたという、その声は傍聴席には聞こえませんでした。指名をしたのに、発言をさせなかったというのなら大問題です。
やっぱりどんなにドジバっても、会期中(臨時会は1日限りでしたが)に休憩をとらせ、テープの聴き直しをすべきでした。ピンポイント部分の確認ですから、時間はかからなかったはずです。そのことをさせていれば、戸田議員の討論は実現していたはずです。後日3議員が録音テープを確認して、やはり議長に非があることが判ったのですが、会議を閉じた後ではもうどうしようもありません。
議員の発言権は何にもまして尊重・保障されなければならないことを一番よく分かっていなければならない議長が、初っ端から大きな過ちを犯しました。本当に由々しきことです。「言論の府」である議会で、発言を制限した菅議長の今後が思いやられます。また例え菅議長が反省し(現に3議員が議会事務局職員立会いのもと議長にテープを聴かせたところ、議長は非を認めたようです)、「今後の議事進行を正しく行っていく」と3議員に示したとしても、そのことを担保するものは何もありません。
私から見れば平気で横車を押し通し、事務局は言うに及ばず議長をも“支配下”に置いているのではないかしらと思われる“声の大きい”議員たちが真の反省を行わない限り、このような事態はなくなりません。町長が肝っ玉を抜かれ、部長たちがお追従しているような議員たちが跋扈する状況が、急に改善されるとも思われません。これら議員は、これからも市民派議員たちが提唱する“正論”なんぞ蹴ちらせて存在し続けていくことでしょう。
今期、市民派議員は数を増やしましたが、この一例を取って見てもまだまだ“茨の道”は続いていくことでしょう。彼ら(彼女もいるよ!)に「市民派議員が、またなんか言うとるわ」と軽くいなされないように、これからは市民派議員もメリハリのある緩急つけた追及が必要となってくるでしょう。“押してもだめなら引いてみな”も必要ですし、また時には素知らぬ顔でやり過ごしつつ、“証拠固め”はバッチリ積み重ねておく・・・等々。
「ウチらいっつも被害者やんか」の悲壮感を漂わすことなく、市民派の掌で彼らを転がすくらいの余裕で参りたいものですね。いつもダラダラ牛のよだれの如く異議申し立てをしていれば、ただでさえ馬耳東風の彼らが聴く耳持つわけがありません。また異議申し立てをしたからには、ちゃんと“おとしまえ”をつけなければなりません。今回の法令に触れる発言阻止について、議長は直近の議会運営委員会でことの経緯を説明し、判断誤りに対する謝罪を行うべきです。法制化された議運はそれなりの位置づけをもち、会議録に記されます。議運の次に議長は6月議会開会時にもう一度説明責任を果たし、謝罪を行うべきです。
市民派議員のお三人もここまでくらいは、眦を決することなくニッコリと進めていってほしいですね。まっ「言うは易し行いは難し」なのは、私が一番よく知っています。議会を離れた私は、3議員に具体的なアドバイスを求められることもありませんし、私も口出しをすることは厳に慎んでいます。これからはどんなことがあっても、市民派の3議員が力を合わせて乗り越えていかなければなりません。住民は議員を応援したり、時には苦言を呈することができても、傍聴席の腰板を乗り越えて議場に行く訳にはいかないのですから。
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ささやかな終の棲家でも、いざ探すとなると・・・大変!です
(2009年6月7日 日曜日)
ここ数日は家探しでくたびれました。インターネット上では星の数ほどある住宅も、希望に沿う“ぴったしカンカン”の物件はなかなか見つかりません。不動産屋さんが頭を捻って持ってくる手持ちの物件も、こっちの条件を優先すればあっちの条件が叶わずで、「悪いなぁ〜」と思うくらい「没!」を出しています。先ずは私たち夫婦の“老い”の暮らしをどう創っていくのかを何度も話し合い、息子たちの意見を聞き、そして勿論それぞれが自問自答を繰り返しました。
今までは「議員の仕事」という大義名分にかまけ、私人としては随分雑に過ごしてきたのではないかしらと忸怩たる思いが、時として私をひどく落ち込ませていました。私たちは夫婦ともに特化した目標もありませんが、これからは些細な日常の暮らしから世の中の動きを見つめること、毎日を精一杯心豊かに暮らしていくことで、自分らしい丁寧な人生を送っていきたい・・・そのためには私たち夫婦を、そして私を知らない人びととの係りが必要だと思いました。
議員を辞めれば“ただの人”なんです。でも35年間暮らしてきて、うち20年間議会に係っていた私を、口はばったい言い方ですが、皆さんはなかなか“ただの人”と思ってはくれません。当たり前のことですが、皆さんも時と場合により上手に使い分けされていることもあります。いえいえ、しかしながらそのことが、大好きな島本町を離れる突出した理由ではありません。
胸に手を置いてみるまでもなく、つまるところは皆さんじゃなくて、私自身が“ただの人”として吹っ切れないのだと思います。我ながら自意識過剰だと笑ってしまいますが、これは理屈じゃない感覚、生理的な感覚として刷り込まれてしまっていました。迂闊なことに、この感覚は議員を辞めるまでは気付かなかったのです。そしてかなり悩ましく私を惑わせました。しかしながら、夫が拍子抜けするくらいすんなりと、“新天地”を求める同志と化してしまいました。
息子たちは「僕ら島本で生まれて育った」「学校の友達はここしかいない」「帰ってきたらホッとする、ええ町や。遠くにいるとよう解る」と、初めのうちは難色を示していました。まあ、なるべく帰ってきやすい場所を条件に探しましたが、それは絶対的な条件ではありません。子どもは子ども、自分たちの生活を大事にすべきです。
とまあ、いろいろありましたが、思いのほか短期間で“終の棲家”(といったってマンションですが)が見つかりました。幸い一緒に見に来た長男も気に入ったようです。やれやれ一安心ですが、でもこれからがもっと大変。今居住の住宅を売却しなければならないし、なによりも我が家のお財布の悲鳴を無視することはできませんし。そして、この溢れる物、物・・・2軒分の大整理が待っています。暑い時期なので、ダイエットを兼ねて頑張ります!
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「ふるさと島本応援寄付金」の記念ハガキをもらってガッカリ
(2009年6月8日 月曜日)
先週末に、やっと寄付行為に対する感謝状とお礼のハガキが郵送されてきました。私は「寄付をしたのだから、その見返りをよこせ」と言っているつもりは、サラサラありません。“お礼”に係る制度があるのなら、遅滞なく事務手続きをしなけりゃならないでしょと心配していたのです。感謝状は賞状によく描かれている模様の用紙に、パソコンの毛筆文字をプリントしたものです。当節手書きの筆耕文字を求めるつもりはありませんし、そもそも感謝状なんていらないのじゃないかしらと思います。
寄付の証は役場の領収書がありますし、先に述べたように頂いても保存しておきたいような賞状ではありません。それでは“期待”の絵ハガキは、もらってうれしい“お礼の品”といえたでしょうか?全然うれしくありませんでした。私は大層がっかりしました。このハガキを使って誇らしく大威張りで、お便りしたいと思う人がいるのかしら?私は誰もハガキを大事にしてくれないんじゃないかと、悲しく思っています。
ハガキは5枚で、三川合流・乙女の滝と水無瀬の滝・水無瀬神宮拝殿・離宮の水・若山神社の写真が使われています。第一印象は写真がクリアでないと感じました。すべて自然の中で撮影したものであるにも拘らず、何というか空気の流れや光の輝きが感じられず、写真はみなボタッとした印象です。これは撮影の生データを、そのままプリントしたものではないように思いました。ストックしている町のデータを、どこかから引っ張り出して印刷したのではないでしょうか。
気になったので、政策推進課に訊いてみました。写真は過去に職員が撮影し、データ化した写真の中からチョイスしたそうです。まあそれならそれでいいわけですが、私には何かの冊子や資料の写真を、再び撮影したかのような気がしたのです。要するに被写体は“生(なま)”ではないと思ったのです。つまり手抜きじゃないかと・・・思わせるほど、“美しく”ない写真です。折角の町の自慢が台無しにされちゃったのです。これって、悔しいですよね。
ちなみに今回の写真は、100セット(19,530円)を印刷業者に依頼しました。ハガキ1セットに195円掛ったということですが、何とももったいない公金の使い方です。だって誰もが競って使いたくなるようなハガキじゃないですもの。在庫がなくなるまでには時間がかかりますが、私はできれば作り変えて頂きたいと思います。
一例として町内在住の画伯にご協力いただいて、ポストカードとして飾っておきたくなるような絵ハガキなど実現したら素敵だなと想像しています。また文化祭でもお見かけしたことのある水彩絵ですが、町の風景の軽やかなスケッチ画を使わせていただくのはどうでしょうか。もちろん作家さんにはご協力をいただくことが先決です。たとえご了承が得られなくても、職員が発想したアイディアに向かって努力することが大事なのです。パソコンのデータを使って済むのなら、これほど楽チンな仕事はありませんね。
さて、私は明日から1週間山形へ行って、サクランボを思いっきり食べてきます。もちろん米沢牛もいっちゃいますよ!またまた日記をお休みいたしますが、うまくいけば“産地直送”の日記をお届けできるかも・・・?当てにしないで待っていて下さい。
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念願のサクランボを思いっきり愛(め)で、一生懸命おなかに収めました
(2009年6月10日 水曜日)
今週初めから夫と二人で、1週間の山形旅行を楽しんでいます。旅の前後は、小山市(栃木県)で働いている次男宅に立ち寄りました。また新幹線を乗り換える東京では、往きは銀ブラ・帰りは上野の美術館を訪れ、思い通りに盛りだくさんの楽しみを味わうことができる計画にしました。ちなみに国立西洋美術館ではルーブル展が開かれていましたが、長蛇の列で諦めました。代わりに私たちは東京藝術大学大学美術館で「皇女たちの信仰と御所文化 尼門跡寺院の世界」を鑑賞しました。
さて銀座といえば、ホワイトディーに“薔薇の君”から送られた真白いクッキー「ポロン」を求めに「銀座ウエスト」に行かなくちゃ。ついでに“昭和の喫茶店”のつつましやかな雰囲気を漂わせている店内で、お茶をいただきました。お客さんはひっきりなしで大繁盛です。清潔感は漂いますが、広くもなく特別のインテリアも施されず、むしろ質素なカフェが銀座で愛され続けている秘密がきっとあるのでしょうね。ポロンとリーフパイは、次男への良きお土産になりました。
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今回の旅の途中で何度も思ったのは、「もう帰ってからの仕事を心配しなくてもよい」という、何とも言えない解放感でした。いままでも年末年始は10日間程度の旅行をしてきました。口では「のんびりと過ごしました」と言いながらも、実は旅の日々で議員活動のあれこれが頭の隅から離れたことはありませんでした。また遊んだ空白を取り戻すことも、なかなか大変なことでした。
さて山形を訪れる一番の目的は、大好きなサクランボが実っている風景を見たい、そして思いっきり食べてみたいという他愛無いものです。しかし、この他愛無い願いを実現させたことで、実は「ホンマに議員にも島本町にもサヨナラするよ」と自分自身に“引導”を渡す結果につながりました。何日か前の日記に、転居を予定している湖畔の写真を掲載したことで、いろんな人が様々なことを言ってこられます。もちろん喜んでくださる声もありますが、反面「島本を見捨てるのか」というような厳しいお声も聞こえます。
安心して私のバトンを渡すことができた3人の市民派議員(平野・澤嶋・戸田議員)と、長年住まいした大好きな島本町を大切に思い続けながらも、「サヨナラ」する決心をしたのです。何度も、しんしんと深い闇の中で己と向き合って引き出した結論であったにも拘らず、少なくない方々のお声に揺らぎそうな自分がいたことも事実です。でも、この旅でやっぱり私の選択は間違っていなかったと確認できました。そういう意味合いからは他愛無いどころか、人生の次のステップに向かって大きく後押しをしてくれた大事な旅であったと思います。
旅の2日目は山形入りです。次男が休暇を取ってレンタカーで移動してくれたので、好きな時に好きな所へ行くことができました。“孝行息子”に感謝です。さてさて、その名もJR「さくらんぼ東根駅」に到着。駅前でサクランボ園を紹介してくれます。路地ものはまだ開園して日が浅く、指定された園に行くようになっていました。20日過ぎに収穫したものが、美味しいサクランボだと聞きました。従って宅配便のサクランボは、私たちが帰宅してから1週間後に届きます(お土産を約束した方、もう少しお待ちくださいね)。
さっ、いざサクランボとご対面です。一面に広がるサクランボの木々に、ほら!点々と赤い実が見えます。それにしても枝一杯に実をつけた宝石のようなサクランボは、食べるのが惜しいほど可愛らしい!でも1時間1500円なり、「元はとりたいよね」と木から木へと渡り歩いて、もいでは口に入れ、もいでは口に入れ、種はプップッと地面に吹き飛ばしながら(これが正しい食べ方だそうです)歩き回ります。脚立を使って、よく日が当たる上の枝の実をもぎ取るのも次男が大活躍してくれました(ホンマにいい子や)。
私たちが訪れた園は路地もののみを開放していましたが、温室だと30分で、なんと3千円です。写真でも分かるように、実の付き方がぜんぜん違いますよね。温室ものは恐ろしいほどびっしりとついているので、収穫効率は抜群に高いです。多分お味もそこそこ均一で、当たりはずれがないのでしょう。でも私は風にそよぐ緑の桜葉の陰で、揺れているサクランボをもいでこそ“サクランボ狩り”の醍醐味だと思います。それに3千円分のサクランボは、いくら私でもちょっと元が取れそうにもありません。
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と、スタートは上々の旅の始まりでした。このあとも山形市内の近代建築物を見学したり、紅花染めの織り元を訪ねたり、酒蔵で超お高いお酒を頂いたり、蕎麦街道のお店をはしごしたり、少々張り込んで米沢牛もたっぷりと頂きました。もちろん蔵王のお釜も見事なエメラルドグリーンを見せてくれました。米沢では上杉家ゆかりの宝物も見ることができました。次男は日本の歴史が好きで、いろんな出来事を実によく知っています。詳しい解説をしてくれるのですが、私も夫もついてはいけませんでした。
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さあっ!旅から帰れば、新しい生活に向かってすることが山のようにあります。気分もすっかり吹っ切れましたから、忙しい日々も元気に過ごしていけると思います。ところが一つ些細なことなのですが、議会がらみのことで私にクレームがついていることが、旅行中にかかってきた戸田議員の電話で分かりました。「私は旅行中です。帰宅してから返事をします」と議会事務局に返してはおきましたが・・・。
さてその内容といえば「なんなのよ」と言いたくなるほどのショウムナイことなのです。3月議会の一般質問を議会だよりに掲載するため、質問者は各自原稿を送っていましたが、私が書いた文中の表現に対して、議会だより編集委員から修正を求める意見が出たというのです。水無瀬1丁目に建設が計画されている「健康モールビル」の事業主を、議場では「誠意を見せないと受け取らざるを得ない事業主」と私は発言したのですが、字数の制約からも議会だよりの原稿には「誠意がない事業主」と書いたことで、事業主を擁護する意見が出たらしいです。
まっ、この続きは後日の日記で。実は文言の問題もさることながら、私が疑問に感じたことも別にありますので、後編を書きたいと思います。
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役場の職員さんたち、“お客さん”(住民)に挨拶していますか
(2009年6月15日 月曜日)
1週間の旅行から帰って、久しぶりに役場に行きました。私は8月には65歳になりますから、国民年金の受給申請に必要な住民票を取りました。次に今年度の町民税・府民税の支払いをしました。全期前納で夫と2人分36万円です。私は前年度は議員でしたから、税額はもちろん前年度所得に掛る金額です。今は無収入ですから、支払いは正直「トホホ!」の思いです。
文化情報コーナーへ行く途中で、4月に定年退職し再任用で勤務している某職員に声をかけられました。「お久しぶりです。お元気でお仕事されていますか」と私も応じました。彼は「国民健康保険の滞納者宅を訪問し、督促を行う仕事をしていて、戻ってきたところです」と汗だくで話しました。移動はもちろん自転車ですから、これからの時期はさぞ暑いことでしょう。
今までは役職上、絶えず上から目線で物申し、また暑い思いなんぞしたこともない毎日だったでしょうから、相当キツイ仕事と思います。でも再任用職員の採用も希望者全員が叶えられたわけではなさそうですから、しっかりと働いてもらいたいと思います。そのために私も夫も納税義務を果たすのは当然とは承知しつつ、先ほども住民税を納めたのです。
彼は「南部さんのホームページで町を出られるようなことが書いてありましたが、ホンマですか。あれだけ『島本町をようせなあかん』と言うてきはったのに、転出してしもたら何もできませんで。あきませんやん」と彼は言いました。私は反論も説明もしようと思いましたが、ただ一言次のような言葉を彼に伝えました。
「ホンマに大したお役に立ちませんでしたね。でも、市民派を増やし私のバトンを受け継いでもらう基礎づくりだけは、誰にも負けずに成し遂げたと思っています。住民の皆さんが彼女たち(平野・澤嶋・戸田議員)に希望を繋いで頂けることもまた、立派な“まちづくり”の一つのあり様ではありませんか?」と返しました。続けて率直に物申してくれたことに対し、「うれしく思います」と感謝を伝えました。
実は彼のような職員は稀です。議員を辞め日を重ねるごとに、役場の職員が私を見る目は変化してきています。変化というより“スルー”(無視)しています。これって当たり前のことなのかなぁ〜。でも庁舎内ですれ違った時とかの挨拶や会釈程度は、議員であったとかなかったとか関係なく、役場を訪れている人に対する町職員としての最低の礼儀でしょう。
中でも議会事務局のトップはだめですねぇ〜。狭い事務室で私が他の議会事務局職員と話していても、顔を上げようともしませんでした。まあ、“うるさいの”がいなくなって、セイセイしている気持ちも分からないでもありませんが、ちょっと顔を上げて、「こんにちは」くらいは返しても減るもんじゃなし・・・と思いませんか?せめて、若い職員が挨拶もできないような人間になっていくことだけは回避できるよう、上司として人生の先輩として導いてほしいと願わずにはいられません。
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びっくりしたなぁ〜!辞めても追っかけてくる程の“おおごと”ですか?
(2009年6月16日 火曜日)
旅行中の私に戸田議員から「緊急で大事な要件です。議会だよりに掲載する一般質問(3月議会)の記事で、南部さんの原稿にかかわり修正を求められています」と電話が入ったことは、前回の日記で書きました。戸田議員は会派「人びとの新しい歩み」から、議会だより編集委員として出ています。私は現在、議会にはもう何の関係もない一住民です。従って「今更原稿を修正せよと言われてもねぇ〜」と正直思いました。
でもまあ確かに私が書いた原稿ですから、誤字脱字等の明らかな誤りがあるのなら修正しなくてはならないでしょう。しかし一方では、戸田議員に“使い走り”をさせるようじゃ、編集委員長はいささか礼を欠くのではありませんかと、私は少し気分を害しました。確かに戸田議員は、2か月前まで私が構成メンバーだった同じ会派に入ってはいますし、また自発的に連絡役を申し出たかもわかりません。としても、議会を代表して住民に“お願い”をするのなら、やはり委員長の出番でしょう。
もし私が委員長なら「いえいえ、議会の人でなくなった住民の方に修正をお願いするのですから、お帰りを待って先ずは私が連絡いたします」と言ってもよかったのではないでしょうか。別に固いことを殊更言うつもりもありませんし、その後何度か委員長と電話のやり取りをしましたが、礼を欠く応対ではありませんでした。むしろ大変丁寧で感心したくらいです。それだけに最初の一歩を人任せにしたのは、惜しかったでしたね。私の心はちょっぴり頑なになりましたから。
さて肝心の原稿ですが、旅行から帰って何度も読み返してみましたが、やっぱり修正する必要はないと私は思いました。私が3月議会で一般質問した「健康モールビル建設の現況を問う」の発言中、「〜誠意を見せないと受け取らざるを得ない事業主〜」という部分を、議会だよりの原稿では「誠意のない事業主」と書いたことにクレームがついたのです。某編集委員から「事業主に配慮を欠く」と指摘があったらしいです。
議事録を何百分の一に縮めなければならない議会だよりの原稿は、その内容に逸脱がなければ問題はないとされています。ふ〜ん、近隣住民の生活環境の悪化を招く当建設の事業主を、明らかに擁護している議員たちがいるってことが、これで明らかになったと思いました。しかしながら、私は何とか折り合いをつけようと努力し、より柔らかい表現の「誠意がないと感じる事業主」と修正しました。
ところが、またもや修正を言ってきました。はぁ〜っ、今度はなに?「感じる」という文言が実際の発言にはないというのです。そして、ついには2つの修正案を示して「どちらかにせよ」と迫りました。その一つが「誠意を見せない事業主」です。はぁ〜?「誠意がないと感じる」より「誠意を見せない」と言い切る方が、はるかにキツイ表現ですが・・・それでええのん?と。まっ、私としては“作戦”通りで、一件落着しましたが。
それにしても、ショウムないことを延々と仕掛けてくるなぁと思いました。編集委員会として今回のことを俎上に乗せるなら、根本的な対策を取ることこそ議論の中身にすべきだと、つくづく思ったことでした。戸田議員からの後日の情報によれば、戸田・冨永議員の2人(委員長を除けば委員会の半数にあたります)が、「本件についても議会だよりに発言者名を掲載することで、原稿の責任の所在が明確になる。かねてより提言しているように実施に踏み切るべきだ」というような発言をしたと聞いています。
残念ながら、委員長の“却下”の判断で、またもや“お蔵入り”になってしまったようです。議会改革を口にし、議会基本条例の制定に向けて歩もうとする島本町議会ではありませんか!議会だより編集委員会は議会だよりの発行に携わることで、住民と一番近い距離にある委員会です。議会の広報を担う誇りと改革の志を、どうか住民の視点でとらえて頂きたいと願うものです。
今期は幸いなことに、若くて情熱あふれる委員長が就任されたのです。いろいろと目配り気配りもあろうかと察しますが、一住民にイチャモンをつける間があったら、住民が望んでいる議会だよりの刷新に向けて努力していただきたいものです。もしも今、住民にアンケートを取ったなら「発言者名記載」の賛成が殆どだと思いますけど・・・。「いや違う」というのなら、一度調査を実施して、その上で“却下”すべきだと思うのですが・・・どうですか?
そうそう、もう一つ気になることがありました。私が最初に「修正に応じない場合は、どうなりますか?」と、これは議会事務局の課長とのやり取りの中で訊いたことですが、議長と言ったか編集委員長と言ったか、再確認はしていませんが、課長曰く「○○の権限で、こちらで修正します」と答えました。エ〜ッ、びっくりした〜!議会の人間でもない、一住民が書いた原稿を、議会が勝手に好きに変えられるって・・・ホンマですか?そのことを担保する決まりは、どこにどう記されているのかしら。この発言は、これはこれで大問題やね。また編集委員会で確認してもらうよう、この日記を読んだ議員さん、よろしくお願いいたします。
いやぁ〜、「議会だより」も奥が深い!
さて、本日の写真は、山形旅行の続きです。とても印象に残った銀山温泉の景観です。残念ながら宿泊予約ができなかったので、日帰りとなりました。尾花沢銀山温泉は5百年の歴史があります。旅館の大半は大正時代に建てられた木造3階〜4階建で、趣のある建物が銀山川の両岸に並んでいます。「家並み保存条例」を制定し守られた堂々の旅館群は、壁に施された鏝絵(こてえ、左官職人が漆喰で描いた彫刻を伴った絵)をはじめ、その意匠は興味深いものでした。自動車も入れない清流沿いの散策は、まるでタイムスリップしたかのような不思議な懐かしさを覚えました。
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文化情報コーナーで「施政方針」の閲覧は可能なのに、なぜ町のホームページには載せられないの?
(2009年6月17日 水曜日)
15日付の日記で、役場に行ったことを書きました。折角なので、ついでに6月議会に町長が示す「施政方針」及び補正予算等の議案を見ていこうと、文化情報コーナーに立ち寄りました。すでに11日に議会運営委員会が開かれていますし、12日には議案の発送が行われています。つまり議案書の告示があったということですから、住民にその内容が知らされていて当然です。
議案書が文化情報コーナーにあることを確認してから、「もちろん施政方針は同時にホームページにアップされていますよね」と自治・防災の課長に確認しました。「さあ〜?担当は別の課なので・・・」と応えるので、「はぁ〜?未だにこんな返事しかできないのかしら」と心の中でつぶやきつつ、私は明るく「じゃ、すみませんけど確かめてください」と返しました。
課長は多分総務課に確認の電話を入れたようですが、「施政方針は本会議当日の23日にホームページに載せると言っています」と答えました。文化情報コーナーで閲覧に供することとホームページに掲載することと、同じ町の情報提供でありながら、情報入手可能と不可能の差が10日間もつく、その訳が分かりません。「おかしいですね」と言いながらも、一住民の私がお節介を焼いても得なことはないので、黙ってさっさとコピーを取って帰りました。
異議を申し立てると、折角文化情報コーナーに置かれた施政方針ほか議案書まで、引き上げられかねないのが今の役場のレベルですから、知らん顔をせざるを得ませんでした。これって本当は良くないことです。議員であったなら、情報提供の早い方に合わせるようにと、強く要求し是正させたと思います。でも今、私がそんなことを言っても、職員の中で聴く耳持っている人がどれだけいるでしょうか?残念ながら、おそらく皆無でしょう。
さて施政方針の中身について簡単に感想めいたことを言いますと、いみじくも与党(だと思います)のI議員さえもがブログでも述べていたように、予算付けも含めて「これだけ!?」というお粗末な中身です。別に「あれします。これします」と打ち出しなさいと求めているわけではありません。何というか、選挙を勝ち抜いて再選された川口町長の覇気が感じられない施政方針なのです。
再び町行政のトップに立つ気迫や情熱が全く伝わってきません。また緊縮財政状況下の厳しい予算を組んだというふうでもありません。そんな中でやたら力が入っているのは近い将来、大型公共工事に繋がるであろう数件の事業計画です。尺代の緊急避難道路計画・高浜地区淀川堤防上のバイパス道路計画はもとより、尺代桐が原の開発や旧町営鶴ヶ池住宅跡地開発、JR駅西側農地の開発までも計画の視野に入っていると思わざるを得ません。
いずれにしても副町長の人事案件をも出すことができずに、川口町政4年間の順調なスタートが切れるのか、大変不安です。さらには従前よりの懸案事業である駅前行政サービスコーナー設置も、ふれあいバスの乗車対象者の拡大も、第二保育所の民営化・第一幼稚園の幼保一元化等も、その是非を含めて今だに本施政方針においても全て棚上げ状態です。
さて、この日記を書いている本当の日付は6月23日です。いよいよ本日から6月議会が始まります。従って私が前述したような事柄を含めて、議場や委員会で詳細な審議が行われるはずです。町長の施政方針に対しては各会派代表による大綱質疑もあります。町長の答弁で私の疑問が解決するのか、いや益々深まるのか、今日明日の質疑答弁で大まかなことは分かるでしょう。
質疑に立たれる議員方の健闘を期待したいと思います。どの会派がどんな要求を出しているのか、行政をヨイショしている会派はどこなのか、よく見極めたいと思います(注:今期は会派に属さない議員もいますが、当然大綱質疑の権利はあります)。私がバトンを渡した会派「人びとの新しい歩み」は新人の戸田議員が質問に立ちます。臆することなく新生「人びと〜」の力を、存分に発揮してくれると期待しています。私も楽しみに(少しドキドキしながら)傍聴に行くつもりです。
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エコですねぇ〜大津市役所
(2009年6月19日 金曜日)
転居を予定している地の役所を訪ねました。大津市役所です。新住居からは京阪電車で一駅ですが、今のように徒歩で役場に行くようなわけにはいかないです。入居するマンションは目の前が琵琶湖、しかもさえぎる物のない砂浜が広がっている絶好のロケーションです。しかしその風景を丸ごと満喫するのは、私たちより1千万円以上たくさんのお金を払った人たちとなります。従って正確には我が家のベランダからは、“目の横”が琵琶湖ということになりますね。
でも地上に降り立てば、砂浜も湖もみんなに平等です。これからは渚沿いのウオーキングで足腰を鍛えながら、老化現象に歯止めをかけていかなくてはなりません。ところでマンションの敷地横は都市計画公園の決定がされていると、住宅会社のパンフレットには書かれています。前置きが長くなりましたが、市役所にはこの公園のことを確認に行ったのです。
先ずは本当に都市公園の計画があるのか。あるとすれば着工はいつからか。計画の中身は具体的に決まっているのか。最初は都市計画課に行きました。最初に大きな図面で場所を確認しました。図面には確かに「都市公園5.5.3」と決定が打たれていました。都市計画課の職員さんは、私の質問内容を聞いて「それなら公園課のほうが良いでしょう」と案内してくれました。
私は町議の時は都市計画審議会で委員をしていたこともありますから、職員とは割とツーカーで話が通じました。「本計画決定を打ったのは大津市ですか、滋賀県ですか」ときいたところ、「確か県ですね」と職員は答えました。「?」と思ってやり取りする間に、「すみません、市の都市計画決定でした」と職員が訂正する羽目になりました。まあ、島本での“お仕事”も役に立つことが分かってちょっぴり嬉しくなりました。
公園課でお昼になってしまいました。担当職員も外出中で、「すでに公園予定地には測量が入っている」ことを確認しただけで、この日は帰りました。庁舎を出る前に戸籍住民課に寄りました。1カ月か2カ月先には転居届の手続きに来るわけですが、その前に私たちが暮らすことになる自治体の様子を知っておきたいと思いました。「もうすぐ引っ越してくる予定ですが、転入者に渡される大津市の案内書みたいなものを、今いただけますか」と告げると、ド〜ンと一式渡してくれました。
封筒の中には役に立つ情報がいろいろ入っていましたが、私の興味を引いたのは封筒です。「リサイクル封筒」の文字が印刷された紙が、封筒の下部に糊づけされています。試しに貼り付けた紙を破いてみましたら、民間の「○○会社」名が印刷してありました。封筒を再利用しているのです。もちろん破いた紙は、裏が印刷された反古紙の再利用でした。大津市はなかなか見上げたエコ精神だと、少しうれしくなりました。
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6月議会(前半)の傍聴で思ったこと
(2009年6月23日 火曜日)
6月議会が始まりました。4月の選挙後すでに2回の臨時議会を経ましたので、新人議員方も緊張感は随分和らいだと思います。しかし6月議会は、再選された町長の施政方針及び施策予算に対する“真っ向勝負”の本会議ですから、議員たちも新たな決意を胸に出席しているに違いないと、私も少々緊張して傍聴席に座りました。傍聴者は10名ほどになった時もありましたが、それでも16名の議員の働きぶりをチェックしてやろうという住民は「やっぱり、まだ少ないなぁ〜」と残念に思いました。
前半議会の第一日目は、施政方針関連以外の議案が審議されました。先ず提出されている「請願」を、建設水道常任委員会に付託することが決まりました(7月2日午前10時〜の冒頭に審査します)。請願項目の内容は、駐輪場が有料化され住民の負担が大きいので「料金の大幅な値下げ」を、また山崎ポンプ場敷地内の駐輪場ほか閉鎖してしまった「無料駐輪場の再開」を求めるものです。
建水委員会における審査内容を聞いてみないと分かりませんが、私は駐輪場の有料化はしょうがないと容認しています。しかし150円の駐輪料金は、100円くらいに値下げしてもよいと思います。ただし無料駐輪場の復活は、困難であると考えています。誰でも有料より無料が良いに決まっています。人びとが無料駐輪場に殺到すると、駐輪場の維持管理は大変な作業量となるに違いありません。「人びとの新しい歩み」の澤嶋議員が、委員会でどのような判断を示すのか注目したいと思います。
さて本日のメイン議案(というよりこれだけ)は「動産の買い入れ」でした。水槽付き消防ポンプ自動車を、大阪日野自動車より1018万5千円で購入する内容です。議員たちの質疑を大きく分けると、(1)ノックス規制により走行不可となるまでは、まだ1年以上もある。ゆえに更新は“不用ではないが不急”である。(2)入札に係る指名業者の設定に疑義がある。5社のうち2社が応札を辞退し、残る3社は大手メーカの日野自動車と格違いの町内業者(代理店)2社である(これは私から見ても本命は日野で、あとはダミーでしょう?と思わざるを得ません)。
また(3)入札予定価格の積算が明確ではない。価格設定は2社の見積り金額の平均値から15パーセントを差し引いた金額としているが、根拠が曖昧である。(4)搭載水槽の容量は2トンであるが、過大ではないか。1.5トンで可能である。などの質疑がありました。まあ、質問の中身は想定内の内容でしたが、新人の外村議員が割合しっかりと発言していたのが印象に残りました。答弁に対する追求はまだまだ甘いですが、大きな声で簡潔明瞭な質疑は分かりやすいと感じました。
採決に際し行う「討論」は高山・平野・澤嶋議員が反対討論、伊集院・川嶋・藤原・戸田議員が賛成の討論を行いました(平野・澤嶋・戸田議員以外は皆会派を代表しての討論)。ここでちょっと注目は、公明党の新人議員である川嶋さんが初めて口を開いたことです。討論原稿を棒読みしただけですが、実質デビューを果たしました。関係のない私までもなぜかホットしました。反面、未だにダンマリの東田議員が一層気にかかります。ちなみに6月前半の本会議で2日間(23・24日)ともに沈黙していたのは、清水・山口・東田議員の3人でした。
採決の結果は賛成多数で可決されましたが、もう一つ注目したことがあります。会派「人びとの新しい歩み」は、前述の通り表決がわかれました。3人(平野・澤嶋・戸田議員)のうち新人の戸田議員のみが賛成しました。重ねて言うと次の議案の税条例の改正に関する表決もわかれました。同じく戸田議員のみが賛成、平野・澤嶋議員は反対しました。私は従来からも言っていますように、採決に臨む姿勢は個々の議員の判断でなされるべきと思っています。
従って戸田議員の表決に何の違和感もありません。むしろ先輩議員の平野・澤嶋議員と異なる結論を表明するのは、新人ながら勇気のいることだと評価もしています。しかしもし意識せずしてであっても、執行機関におもねる気持ちが僅かでもあるとすれば、これは“市民派”議員として憂慮すべき大きな問題点であると、老婆心とわかりつつも心配の気持ちがほんの一瞬湧いたのは事実です。
もちろん無駄な喧嘩をする必要はサラサラありません。でも議場における“和をもって貴しとなす”は、時として視点を曇らせる恐れがあります。市民派議員が“和”をテクニックとして使いこなすには、私の経験上から考えても「まっ、20年はかけてください」としか言いようがありません。自身が被るであろう摩擦や非難や“痛み”を回避しないで、先ずは議案と愚直にまっすぐ向き合いましょう。議案の向こうには、きっと住民の皆さんの顔が見えるはずです。
新人議員は頭を打ちながら、角という角にぶち当たりながら成長していくのです。密やかに滂沱の涙を流しながら、それでも自分らしく颯爽と活動を続けるに違いない議員に、私はバトンを渡したのです。いろんな思いが交差した6月議会の始まりでした。そして市民派の新人議員戸田さんはもちろんのこと、他の議員にも限りないエールを込めて傍聴した2日間でした。
本日の写真は、サクランボとトマトです。旅行から帰って1週間たちました。食べごろになったサクランボが届きました。約束したお友達に、遅まきながらのお土産をお届けしました。皆さん「可愛らしい、甘い!」と喜んでくださり、私もうれしかったです。もちろん自分に送ったサクランボも、赤い縁取りのガラス器に移して、再びの幸せを味わいました。一方トマトは、少々歩が悪そうです。枝付きの完熟トマトも珍しく、サクランボの登場がなければ確実に夕食の“華”でしたが、運が悪かったです。同じ器に盛りましたが、女王の座はキュートな遠来の果実に奪われてしまいました。
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戸田議員の大綱質疑、立派なデビューでした
(2009年6月24日 水曜日)
前日に引き続き本会議の2日目です。本日は冒頭から会派代表による大綱質疑が行われました。昨日川口町長は2期目に臨む施政方針を述べ、施策予算を上程しました。これらの内容は目の覚めるようなヒットもなければ、従前からの懸案事項に対する解決の意欲も見えない、はたまた地味でもよいから徹底したセーフティーネットに力を注いだ努力の跡もみられません。
かといって、行政機構の引き締めを図る要の副町長人事も出すことができない・・・ホンマにこの有様で大丈夫かしらと、大いに不安になりました。一体町長はどこに、誰に遠慮をしているのでしょうか?質すべき俎上の施政方針の貧弱さ覇気のなさに影響されてか、大綱質疑も押し並べて迫力を欠く中身になりました。
大綱質疑の順番は、「自由民主党クラブ」の伊集院議員・「人びとの新しい歩み」の戸田議員・「山吹民主クラブ」の藤原議員・「日本共産党」の高山議員・「公明党」の岡田議員、そして会派に属していない外村議員の順で行われました。質問者のうち新人は戸田・外村議員の二人です。他会派も新人の東田議員(山吹民主クラブ)と川嶋議員(公明党)を質問者に立てれば、新人議員の競い合いが実現して一層興味深かったのにと残念に思いました。
私は4月の選挙が終わってすぐに「6月議会の大綱質疑は、新人の戸田さんが行ってほしい」と会派の3議員には伝えていました。平野・澤嶋議員が快く了解し、サポートもしてくれたおかげで、戸田議員のデビューは合格だったと思います。ただ小さなことですが、気になった点が2つありました。登壇し原稿を読み上げているにもかかわらず、文章のつなぎ目に「え〜」が入るのが耳ざわりだったこと、また再質問・再々質問も用意した文章に頼っていたことは今後の課題です。
あとは私だけの杞憂に過ぎないものと思いますが、言っちゃいましょう。美しく豊かな文章の完成度に力を注ぐことも大切なのですが、議員の質問はなんたって!調査力が反映されているかどうかが評価の分かれ目です。確かに新人で、しかも大綱質疑においては調査の結果を生かしにくいです。まっ、このあたりは6月議会後半(7月14〜15日)に行われる一般質問に期待したいと思います。
要するに一つの文言にも事実の裏付けがあるのとないのとでは、質す力が雲泥の差だということです。頭の中で紡いでいるだけの言葉は、いかに磨かれていても議場では力になりません。このことがいつも私にできていたとはいえませんが、少なくとも事実を探り“力のある言葉”を生み出す努力を続け、苦闘してきたことは確かです。議員生活16年間とブランクの4年間を合わせて20年間、私は「楽して得るものなど何もない」を実感し続けてきました。
あらら、すみません。またまた押しつけがましいことを言ってしまいました。住民活動の経験と自信は十二分に持っている戸田さんですが、初めての定例議会で初めての会派代表質疑でした。質問の準備も本番もさぞ大変だったと思います。本当にお疲れ様でした。これからも戸田さんのやり方で、戸田さんらしく進んでいってください。ただし“事実”を掴み取る努力だけは忘れずに・・・期待していま〜す。
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赤ちゃん連れの傍聴者に「出てください」。じゃ、その後のフォローを議長と事務局はどうしたの?
(2009年6月25日 木曜日)
昨日(6月24日)の議会傍聴時に、「ひどいなぁ〜」と感じたことがありました。午前中の本会議中に、赤ちゃんを連れたお母さんが傍聴席に座りました。赤ちゃんは泣いたりむずかったりはしていませんでしたが、赤ちゃん特有の軟語(なん語?・・・バブバブというような声)は、隣席の私にかすかに聞こえました。しかし、ほとんどの議員が赤ちゃんの存在に気付かなかったわけですから、その声は議事進行の妨げになるようなものでは決してありませんでした。
ただ議長と議会事務局職員は、理事者席と同様に傍聴者と向き合った位置にいますから、赤ちゃんが傍聴席に入ったのを見たのです。議長と事務局長が言葉を交わし、そのあと間髪をおかず議会事務局の課長が傍聴席に入ってきました。課長は傍聴席と議場を隔てる腰板に貼られた傍聴規則を指差し、丁寧に説明をしていました。結局、お母さんと赤ちゃんは傍聴席に座って2〜3分を経ないまま、連れの女性と共に出ていきました。
今日、私は気になったので、その後の親子のことと傍聴規則の運用について課長に尋ねました。親子は議場外のロビーで傍聴をしたようです。ただしこの時のロビーは待機をしている職員で満席、椅子を他所から用意しなければならなかったほどでした。傍聴席から出されて、大勢の職員に囲まれ音声しか聞こえない“傍聴”は、さぞ不本意で居心地が悪かったであろうと気の毒に思いました。
島本町議会の傍聴規則第5条第4項には「児童及び乳児は、傍聴席に入ることができない。ただし、議長の許可を得た場合は、この限りでない」と書かれています。「入ることができない」のに入った(実際は何のとがめもなく、入れたから入った)のですから、当規則に従えば一旦は傍聴席から出されても仕方がありません。しかし、そのあとが問題です。議会事務局はロビーに椅子の用意をしましたが、規則の後段に書かれた肝心なことを行いませんでした。
事務局の職員は「議長の許可を得る」ために、直ちに議長へのアプローチを行わなければならなかったのです。また議長も傍聴規則を熟知しているはずですから、改めて許可するかしないかの判断を行うべきでした。赤ちゃんを連れて傍聴に来るのは、余程のことです。困難がありながら「傍聴しよう」という住民の意思は、議会にとって「ありがたい」と思わなければなりません。ちなみに堺市や茨木市のように“親子室”を設けている市議会もありますが、当町議会で実現を図るにはハードルはかなり高いでしょう。
ですからやはり、傍聴規則の条項文言の見直しと規則の運用を見直す必要があると思います。取りあえず、北摂の各議会傍聴規則をネットで検索してみました。島本町議会が定める「児童及び乳児は、傍聴席に入ることができない。ただし議長の許可を得た場合は、この限りでない」という条項をそっくりそのまま存在させているのは、能勢・豊能町議会と箕面市議会でした(ただし、箕面市は対象者を「小学生以下の者」と表現しています)。高槻・茨木・摂津・吹田・豊中市議会においては、同条項を設けてはいませんでした。
つまり後段の各市議会においては「手続きを経れば、誰でも傍聴可能」というわけです。当然だと思います。ただし、別の条項で議事進行を妨げるような行為は禁じられています。一方、乳幼児や児童の「傍聴不可」を条項文に示し、“シャットアウトありき”を先行しているとみられる箕面市・豊能町・能勢町議会は、同条項を実際にどのように運用しているのでしょうか。
これら3議会については電話で訊いてみました。豊能・能勢町議会では次のような流れになります。先ずは議場に入る前に、議会事務局の窓口に申し出をしてもらいます。次に事務局に待機している職員が議場の議長に伝えに行きます。議長が判断するのは議事の進行状況によるため、場合によっては次の休憩まで待ってもらうこともあるということです。
では箕面市議会はどうでしょうか。子ども連れの傍聴人が事務局の窓口で申し出ることと、職員が議長に伝えに行くまでは前述の2町議会と同様です。ここから先は箕面市議会のほうが”親切“です。次の休憩を待つことなく、議長は即座に判断を行い、大抵は傍聴が許可されるようです。つまり豊能・能勢町も箕面市議会も当町と同じ条項文ですが、その運用においては当町議会より開かれた対応をしています。
赤ちゃんが泣けば幼児が騒げば、必ず保護者は自発的に退出して行きます。それだけ気を使い遠慮しているのです。「それでも傍聴したい」、その意思を議会は拒否することがあってはなりません。議場入室はどうしてもまかりならんというのなら、すでに会派要望としても出ている画像(音声は当然)を伴う議場中継に着手すべきではないでしょうか。まあ、これとて予算を伴うわけですから実現までは、やはり議長の柔軟な傍聴許可が求められます。
この問題は、当町議会の硬直度を如実に表した“氷山の一角”ともいえる事象だと思います。先に殆どの議員が、赤ちゃんの入場に気づかなかったと述べました。従って議会運営委員会においても問題提起はされずに終わりましたが、ぜひ検証し住民に開かれた議会の改革に繋げていってほしいと思います。この件については、幸いにも戸田議員がブログ(6月27日分)で少し触れています。戸田議員一人の”思い”に留めず、会派「人びとの新しい歩み」の3議員(平野・澤嶋・戸田議員)が協力し合うことが大切です。
議長ほか他議員や議会事務局職員の姿勢を正しつつ、市民派議員の良識を形あるものに示してくれることを期待しています。百歩譲っても、現行条項の中身が「児童」にいたるまでを対象としていること自体おかしいですね。小学生ともなれば、議場で騒いではいけないことくらいは解かっているはずです。まあ、よく読んでみるまでもなく議会傍聴規則は、今や時代錯誤も甚だしい文言が山盛りです。例え今回のことがなくても、見直しへ早急に着手した方が良いと思います。
写真は記事と何の関係もありません。蒸し暑いこの季節、夏野菜をメインにしたミニパーティーを開きました。野菜は栃木県で働いている次男が懇意にしている農家の方から頂いたもので、一人暮らしの次男はその大半を私のもとへ送ってくれました。お客様は、この春に遠方へ引っ越しをされたMさんです。7月4日の来町時に、私を訪ねてくださいました。
Mさんには「修学前の子どもの教育と保育環境の整備について=基本方針」に係り、実に多くのお教えを頂きました。私とは親子ほど年が違いますが、非常に優秀な方です。Mさんの確かな視点と鮮やかな情報処理能力には学ぶべき点が多く、私はいつも圧倒されていました。そのご恩返しに野菜料理とは、ちょっと申し訳ないかしらと思いましたが、腕によりをかけた?というよりは、大地の恵みでいっぱいのランチメニューは気に入っていただけたようです。
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捨てた資料600キロと、拾った軽〜い噂
(2009年6月26日 金曜日)
本日の本当の日付は7月10日です。日記の更新がここ数日できていません。毎日70人くらいの方が、「今日こそは新しい記事が」と期待してクリックしてくださっているのに・・・大変申し訳ないことです。実はメゾン水無瀬1号棟の自宅が予想外に早く売れました。買主さんの入居も迫っていることから、ひとまず4号棟(私の事務所に使っていました)へ引っ越しをすることになりました。大津京のマンションがまだ入居開始に至っていないため、結局2回引っ越しをすることになります。
1号棟の荷物を納めるためには、4号棟に空きスペースを作り出さなくてはなりません。とにかく16年間の議員活動でたまりにたまった資料の処分が先決です。廃品回収に出せるものと出せないものがありますが、大半は清掃工場へ持ち込みました。2回運びましたが、なんと総量590kgありました。工場へは夫と帰省中の次男が行ってくれたのですが、帰ってきた夫がこんなことを私に伝えました。「南部議員が辞めたのは、辻元清美衆議院議員とケンカしたからと聞いてますけど」と清掃工場の職員が言ったというのです。
はぁ〜?全く!一体どこからそんな噂が出るのでしょう?そのようなことは絶対にありません。私は辻元さんを、素晴らしい政治家だとずっと尊敬しています。また私が応援している島本町の市民派3議員(平野・澤嶋・戸田議員)の選挙に際しても、彼女たちの辻元さんに対する温度差はありますが、大きな視点で3議員を見守ってくれるようにお願いもしてきた経緯があります。何よりも私は、他者(それがたとえ辻元さんであっても)の影響を受けて議員を辞めるような、やわな人間ではありません。
職員がどこから誰から聞いたのかはわかりませんが、まっ、ことほど左様に根も葉もない噂で“南部の引退”を揶揄している人たちがいるってことは確かです。また見方を変えれば、迫る衆議院選挙で辻元さんにケチを付ける一つの戦法かも知れません。取るに足らない軽〜い噂ですが、町職員の口から出た言葉という点に、少々の引っかかりを感じてしまいます。選挙にこんなガセネタは付き物かもしれませんが、なんとも肝っ玉の小さな人たちが考える話だと、笑うしかありませんね。
日記の日付の6月26日は、総務文教常任委員会が開かれた日です。私も傍聴しましたが、詳細な報告は市民派3議員のどなたかにお願いするとしましょう。一つだけ新人委員方の印象を書いておきます。当委員会には川嶋・東田・戸田議員の初当選された議員が所属しています。戸田議員はすでに本会議場における会派大綱質疑も行い、十分なデビューを果たしました。一方議場でほとんど発言のなかった川嶋・東田議員でしたが、さすがに委員会までダンマリを決め込むことはできないだろうと、私は彼らが質問をするのを待っていました。
2議員とも活発な質疑を行い、私はホッとしました。川嶋議員からは、4月の選挙においての疑義がでました。選挙事務に携わっている職員が「高齢者に特定の候補者を促すような行為を行った」との“爆弾発言”です。委員会には緊張が走りました。もし事実なら大変なことです。選挙管理委員会を所管している課長は最後まで否定しましたが、川嶋議員も譲りませんでした。
ただ、そのような事象を裏付ける情報を一切示さずに「いや確かにあったはず」との主張なので、結局は平行線で終わりました。まあ、爆弾発言は“聞いた話”で終始するなら、やらないほうがマシと私は思いますが・・・。いずれにしても選管はしっかりと調査をし、不正を払拭する結果を出さなくてはなりません。
さて東田議員ですが、議員の中では一番若い年齢です。しかし、元気だけは誰にも負けないといった勢いが全く感じられずに当委員会まできました。しかし、やっとしっかりとした発言を聴くことができました。予め書いたとおりに質疑を進めていっている印象を受けましたが、重ねる質問もなかなか的を得ていました。何よりも大きな声で、必要なことしか言わないはっきりとした質疑は聴きやすかったです。
これでやっと全議員の実質デビューが確認できました。主義主張は違えども、先ずは発言してこその議会活動です。取りあえずは安堵しました。しかし、今後はひたすら発言の中身が勝負となります。期待と不安(?)の傍聴はこれからも続けたいと思いますが、大津に引っ越しちゃうと正直シンドイなぁ〜。ちなみに4号棟への引っ越しは7月19日で、目の前に迫っています。大津京へは8月の10日過ぎになりそうです。あ〜ぁ、島本町にいるのもあと1ヶ月になってしまいました・・・。
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町立保育所の“誇り”、待機児ゼロが危うい
(2009年6月30日 火曜日)
本日の本当の日付は7月13日です。梅雨明け宣言はまだなのに、この猛暑!尾鷲市では38度にまでなったそうです。私もボタボタ汗を流しながら、迫る引っ越しに備えてゴミの山と格闘しています。モノには割合執着しない私だと思ってきましたが、トンデモナイ!いろんな物に貴重なスペースを占領させていたことに気づき、今更ながら愕然としています。これからは形あるモノではなく、健康や心の豊かさこそをシッカリとため込んでいこうと心に誓いました。
さて7月14日(火)・15日(水)は、6月議会後半の本会議が開かれます。議案の内容は、市民派の3議員(平野・澤嶋・戸田議員)が詳しく予告していますので、ご覧ください。3議員は勿論、一般質問も行います。7名の質問者と質問項目も彼女たちのブログに掲載されています。ちなみに一般質問の内容は7月6日に通告書が提出されていますが、澤嶋議員のみが当日に通告書を渡してくれました。平野・戸田議員の質問内容は、15日(多分?)の楽しみにしたいと思います。
前置きはこのくらいにして、日記の標題に戻りましょう。遅れに遅れて、2週間前の民生消防常任委員会の様子を書くのは、気が引けますし大変申し訳ないと思っています。しかも審査内容は断片的にメモしているだけですから、ここで書いているのは、私が気になった質疑応答の概要一部分のみにすぎないこともお断りしておきます。私は河野議員が行った質疑の一つに注目しました。
河野議員は町立保育所の待機児発生に係る重要な指摘を行いました。しかし答弁を行った子ども支援課課長と町長は、なんとも無責任な回答に終始し、私はあきれてしまいました。9月1日以降の入所が予定されているゼロ歳児は14人もいます。当然臨時保育士の手当てが必要ですが、「現時点でその確保ができていない」と言うのです。さらには「臨時保育士の登録者は現在ゼロ人」とも答弁しました。
「保育所の施設定員からは入所が可能なのに、このままでは保育士の雇用がないため待機児が発生する。町長、どうするのか」と河野議員は鋭く迫りました。町長は「最大限の努力をする」とのみ答えました。近々に14人の入所が迫っているという現実を直視せず、このように曖昧な逃げの答弁には呆れてしまいました。「努力」しようとするその中身を示さないと、トップの責任ある答弁とは言えません。川口町長も2期目なんですから、もう少ししっかりしてもらいたいものです。
河野議員は「このままでは2009年度を境にして、待機児が発生する。(発生を隠すために・・・注:南部)入所希望者の選別が行われるのではないか。また入所申し込み受付を、役場窓口で断ってはならない。受付数はすべてカウントすると約束せよ」と最後に念を押しました。河野議員の発言はいつ聴いても力強く歯切れがよく、また質疑の内容も解りやすく説得力があります。議員の時の私とは主義主張が異なる点もありましたが、“優秀な議員”だと何時も頼もしく感じていました。
委員会ではこのほかにも、「第二保育所の民営化」という大きな課題に対して複数の議員から質疑がありました。ここでは山口議員の質疑と、その答弁を簡単に書いておきます。山口議員は、前半議会で山吹民主クラブ(藤原議員)が行った会派代表大綱質疑に対する答弁を踏まえて質しました。
山口議員は「大綱質疑では『第二保育所民営化等についても円滑な事業執行に努めていく』との答弁があったが、その内容を示されたい」、また「平成20年度の施政方針では民営化に対して断定的に述べているが、今施政方針には民営化への意思が見られない」と問いました。町長は「民営化に対するトーンダウンはしていない。『民営化不可避』である認識は変わっていない」と強気の答弁を行いました。
「それなら、スケジュールを示せ」と迫った質疑には、民生部長が「現在示すものはない」と答えました。アララ!この答弁もまた無責任極まりないですね。目標時期を明確にしないで「円滑な事業執行」は到底無理でしょう?山口議員は「スケジュールを早く示し、十分な話し合いをすべきだ。多くの人が納得すれば、民営化をせざるを得ない」と発言を終わりました。
当発言の後段部分は山吹民主クラブの意思、いや山口議員の主張と見るべきですが、私にはよく理解できません。「多くの人」って一体誰のこと?前述の河野議員が「総合計画のアンケート調査中、自由記述には民営化を望む意見は一人もいなかった」と言っていることからも分かるように、“多くの人”は民営化に“納得”していません。当事者である保育所保護者もしかりです。
町長はきっぱりと「民営化不可避」と言うなら、せめて「まちづくり基本条例の制定を急ぎます。保育所の民営化については、当条例中の住民投票で信を問います」くらいは答弁できないのかしら。それにしても、町づくり基本条例は6月議会上程云々といわれてきたのに、未だに影も形も見えません。また町の重要な施策転換である保育所の民営化に対し、実質的な采配を振るう副町長の人事案件も、6月後半議会に至りましたが上程できていません。
どんな無理難題でも、議会の自公民系議員が「うん」といえば、それで通ると町長は踏んでいるのでしょうか。あ〜ぁ、それじゃ島本町の未来は暗いです。
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