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新型インフルエンザ、成田も横浜も陰性でホッ・・・でも
(2009年5月1日 金曜日)

 新型インフルエンザ、成田も横浜も陰性でホッ・・・でも(2009年5月1日) 4月28日に、新型インフルエンザについて書きました。その後わずか2日の間に、日本中の人々が固唾をのんだ状況に発展しました。アメリカから帰国した女性が成田空港で、カナダから帰国し数日を経た男子高校生が横浜で、新型インフルエンザの遺伝子検査(PCR)を受ける事態になりました。程度の差はあれ、誰もが「とうとう日本にもきたか」と思ったことでしょう。

 幸い前述の2例はA香港型とAソ連型で、新インフルエンザのPCRは陰性でした。日本中が胸をなでおろしました。もし首都圏での感染が拡大すれば、その深刻さは想像を絶することになります。検査結果判明後、男子生徒が通う高校の校長先生はテレビで涙をぬぐっていましたが、分かるような気がします。

 ところがその後も同様の報告が続きます。アメリカから帰国のトヨタ社員がA香港型(PCRは陰性)。同じくアメリカから米軍横田基地に到着した4ヶ月の乳児が、A型インフルエンザの陽性反応を示しています(この子のPCR結果はまだ出ていません)。残念ながら今後は、このような事例が加速しながら増えていくのではないでしょうか。

 さて、島本町ではどのような「備え」をしているのでしょう。先日の日記では「島本町新型インフルエンザ対策行動計画」に沿って、町が対応することを書きました。「備え」と言っても多岐にわたりますが、当行動計画中の一文に「資機材及び備蓄品の確認を行う」と示されていることから、私は相談窓口である健康福祉事業室に問い合わせしてみました。事業室の室長は、保健所や他市との協議・連携の話し合いに超多忙の様子です。

 一昨日からは議員でなくなった私ですが、室長は備品の在庫状況を誠実に答えてくれました。矢印の左の数量は4月末現在、右は購入予定後の数量となります。在庫数は全て桁違いに増えることになります。物品はすでに発注済みですが、これで十分なのかどうかは分かりません。

(1) 防護服 97着→1957着

(2) 高性能マスク(N95) 114枚→2074枚

(3) 手袋 1757枚→10757枚

(4) ゴーグル 70個→130個

(5) サージカルマスク 506枚→6506枚

注:このマスクは細菌フイルターの効率が95%以上といわれています。

 なお、日記で私が指摘した「対策本部を設置したことを、ホームページで知らせるべき」は、直ちに対応されていました。当たり前のことを通すのにも時間がかかる役場の体質を知っているだけに、今回の素早い更新を評価したいと思います。

 選挙が済んでアッという間に、今日から5月がスタートしました。武者人形に替えて、幼い男児の人形を飾りました。作家は町内在住の創作人形作家「中桐 育代」さんです。中桐さんはカンヌ文化フェスティバルにも出展され、日本各地で作品展を開いています。数年前には町の文化祭で、島本の皆さんに広くお披露目をされました。童の衣装には古布が使われ、興じている木馬も中桐さんの手作りです。大事にしていきたい私のお宝です


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議員バッジに思うこと
(2009年5月2日 土曜日)

 昨日のお昼は、平野・澤嶋・戸田議員とランチをご一緒しました。3議員は午前中に開かれた議員総会に出席したのち、私と付き合ってくれました。最初に、3人で会派「人びとの新しい歩み」を継承していくことの報告がありました。3議員の意思は十分に分かっていましたが、会派届を提出したことで、正式に私の願いに応えてくれたことになります。本当にうれしく、安堵しました。

 澤嶋さんと戸田さんは4月30日には新人議員のミニ研修を終えていますので、議員総会の話と合わせて皆さんからの報告を聞きました。戸田さんのブログには、早速新人議員が遭遇した真っ当で“初々しい”疑問も書かれていますので、皆さんも読んでみてください。間もなく平野さんのブログも更新されるでしょうし、澤嶋さんはブログが遂に完成!素敵なレイアウトと、立派な内容でスタートです。これからは3議員からの情報発信が楽しみです。

 ところで、ちょっとだけ「アレッ?」と思ったことがありました。3人のうち、戸田さんだけが議員章(バッジ)を付けています。もちろん議員に貸与されたバッジですから「付けなさい」的な意味はありますし、私も在任中は他の議員たちから「なんで付けへんねん」と強要されたこともあります。3期目の平野さん、元職1期の澤嶋さんは最初から付けていません。もとより私は4期16年間、一度も付けていませんでした。

 私は自身の体験から、権力に叩かれ権威に脅されることを許さない思いで議員になりました。従って、たかがバッジ一つであっても、無意識にあるいは自らを曲げて、議会の権威を象徴するような議員章を我が身に付けることはできませんでした。得てしてよく働かない議員や、執行権者にすり寄る議員や、住民や職員や仲間の議員たちにも威張っているような議員が、バッジを誇示したがるように感じます(もちろん、そうではない議員もいます)。

 口を開けば“議会の権威”と言いつつ、自らは姿勢を正さない議員に何人も出会ってきました。でもだからといって、戸田さんがバッジを付けることを否定する気持ちは毛頭ありません。バッジの件は一つの例えになるかもしれませんが、私は戸田さんが市民派議員の多様性を切り開らき、膨らませていってくれることを期待しているのです。戸田さん自身も、南部が渡したバトンを「自分色に塗り替えて」と公言していますから、何の齟齬もありません。

 市民派議員の定義なんて有って無いようなものかもしれませんし、議員章を付けても誰に迷惑を掛けるわけでもありません(反対に付けなくても同様です)。権力や権威を笠に着ない、バッジに拠って立つことをしない、その揺るぎない自己確認さえあれば、それで問題は何もありません。戸田さんの襟元に付いたピカピカの議員章を見て、私にはどうしても飛び越えられなかった高いハードルを、ヒラリと軽やかにクリアーしていく新しい“市民派”の出現を実感しました。

向かって右が平野議員、左は戸田議員、
真ん中が澤嶋議員
こだわりのオーガニックレストラン
「まんま」(水無瀬2)でランチ。
デザートのオレンジ類が何ともさわやか!

 


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思いもかけなかった息子たちからのねぎらいに、ウルウルです
(2009年5月4日 月曜日)

 インフルエンザA(H1N1)に関し、前回の日記では横田基地の赤ちゃんの感染結果を心配しているところで終わっていました。その後続いて2件のAソ連型感染者が出ましたが、いずれもH1N1への感染は否定されました。従って“公式上”は、未だ日本国内での感染者は発生していないということになります。しかし世界の患者数はジワジワ拡大していますし、死者数も当然増加しています。依然として予断・油断は許されない状況下にあることは、間違いありません。

 また一昨日(5月2日)の新聞記事で、気がかりな報道がありました。治療薬であるタミフルは全都道府県が備蓄していますが、タミフルが効かない患者に対して効果が期待されているリレンザを保有しているのは、わずか3ヵ所(東京・島根・大分)でしかないということです。何かと“大口&強気”発言の橋本知事、こんな時こそ府民を守るために何とかしてくれるのでしょうね?

 さて昨日(3日)は憲法記念日でした。今年は3人の市民派議員が誕生しましたが、早速JR島本駅でアピールをされたと聞いています。配布のビラには澤嶋さんの計らいで、私も賛同人として名前だけは連ねることになりました。2006年の記念日には、たった一人で水無瀬駅でのアピールを行っていたこと(日記の月日を検索してくだされば、当日の記事が出てきます)を考えると、今年は3議員が力強い「平和憲法を守る」訴えをしてくれて、本当にうれしい限りです。

配布ビラの表面と裏面。
3議員に加えて南部も発信者の仲間です

 

 本日4日は、久しぶりに家族4人が顔を揃えました。次男は昨日栃木県の小山市から友人の結婚式に参列するため帰ってきました。長男は三重県名張市から夜勤明けで帰宅しました。京都でランチをと、お気に入りのビストロに出かけました。乾杯の後、長男が封筒を取り出しました。「長い間お疲れさん!これは誠(次男)と二人で、お母さんにささやかなプレゼント」と、渡してくれました。

 あらら、憎いではありませんか。私の選挙時のシンボルカラーであるオレンジ色の封筒とは・・・そして中身を見て驚きました。なんと!福沢諭吉さんが20人も封筒の中にいるではありませんか。薄給の子どもたちが、随分無理をしてくれたことは一目瞭然です。子どもたちは「議員を続けたら?」とか「辞めたら呆けるで」とか、私の決断にイチャモンを付けていましたが、一方では20年間の働きを認めてくれていたことが分かりました。ありがとう!その気持ちが何よりの贈り物と、ウルウル気分がどっと押し寄せました。

 食事のあと、子どもたちの気持ちをいつまでも持ち続けるために、宝飾店で記念のブレスレットを求めました。細いプラチナのチェーンですが、カットに手が込んでいてキラキラしています。とても気に入りました。しまい込んでおくのではなく、大切に毎日付けていたいと思います。なんかルンルン気分で、太っとい我が右手首を飽きずに眺めています。

20年間の活動を、家族に評価してもらえてうれしいです。
息子たちの気持ちを、ブレスレットに込めて大事にします

 


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連休が終わり、議会も本格始動です
(2009年5月7日 木曜日)

 丁度1か月前は、選挙の告示日でした。日々の流れの早さに、今更ながら驚いてしまいます。3人全員が見事当選した市民派議員(平野・澤嶋・戸田議員)も、いよいよ実質的な活動のスタートです。3議員は私がつくった会派「人びとの新しい歩み」を継承し、会派代表者(任期前半)は平野議員が務めます。ちなみに議会運営委員は澤嶋議員、議会だより編集委員は戸田議員と聞いています。

 本日(7日)は議員総会・会派代表者会議・役員選考委員会が開かれる予定です。議長ほかの役職及び所属する常任委員会を決める役員選考委員会には、平野議員が出ます。当委員会はモメにモメるのが毎回のことなので、やはりベテラン(3期目)の平野議員に頑張ってもらわなければなりません。「人びとの新しい歩み」は今期3人に増員できたのですから、その発言については今まで以上に重要視し認めてもらわなければなりません。

 一方、会派の所属議員を大幅に減らした自由民主党クラブと現状維持の公明党は、今までのような厚かましい(!?)役職確保が無理なことは明らかです。いずれにしても5月14日には臨時議会が予定されているので、議長・副議長は本会議場での選挙に持ち込まれると思われます。まあ選挙といっても形だけで、水面下での町長与党合意のもと行われるセレモニーに過ぎないと、私の経験上からは断言できますが・・・。

 なおこれらの会議への一般傍聴についてですが、議員総会は5月1に開かれた折、I議員のお父さんを含めて複数の傍聴者があったようです。従って今後も可能でしょう。会派代表者会議は従前より傍聴オッケーです。さて問題の役員選考委員会ですが、4年前に認められたことがありましたが、今回はどうでしょうか?私だったら絶対「不可」でしょうが、“お父さん”が傍聴を申し出られたら、そりゃ分かりませんよ。

 正直言うと私も傍聴してみたいと思う気持ちもありますが、いえいえ3議員にしっかりとバトンを受け取ってもらったのだから、一切出る幕ではありません。ただ本会議や常任委員会は、せめて暫くの間は機会を見つけて傍聴したいと思っています。6月に入ると町長の施政方針と共に施策予算を審議する本会議・常任委員会が開かれます。みなさんもぜひ傍聴に来られ、支持された議員の晴れ姿を応援してあげてください。

一足早い母の日のカーネーション。
「長い間お疲れ様」と温かい言葉を添えて、
送り主は近所の八百屋さん

 


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役員選考委員会は意外にあっさり、一回で終了したみたい
(2009年5月8日 金曜日)

 昨日開かれた役員選考委員会では、結局のところ議長・副議長は本会議での選挙になるようです。おまけに農業委員会委員も選挙になるとか。また三役のうちの一つである監査委員は、11日に開かれる議員総会で選挙されます。結局昨日の選考委員会で決まったのは、農業委員を除く委員会や審議会の委員、及び3つの常任委員会への所属議員でした。

 議長をはじめ全役職の決定は、正式には14日の臨時議会を経た結果ということになります。従って、ここであれこれ書くわけにはいきません。ましてや私は議員でもありませんし、役員選考委員会を傍聴したわけでもありませんから、個々の議員名を出すことは慎むべきだと思っています。ただ常任委員会への複数所属については、経験上思うところを少し述べたいと思います。

 議員は必ず3つの常任委員会の何れか一つに所属しなければなりません。そのうえで、あと一つ他の委員会に属することが可能となり、一常任委員会で8人以内の定数が定められています。今回は5人会派の「山吹民主クラブ」からは2つの委員会に所属する議員が2人、3人会派の「人びとの新しい歩み」と「共産党」、及び2人会派の「自由民主党クラブ」と「公明党」からは複数所属議員を1人と決めたようです。

 当然要望した委員会が、会派内でかち合ってしまう事態が起こり得ます。その時に、どのような調整を行うかが問題です。私の場合は2人会派でお互い最後まで譲れなかったわけですが、事態を解決するためには、やはり経験を重ねている者が一歩引くことが必要だと思いました。後輩へ思いを託して道を譲るのも先輩議員としての務めであろうと、苦渋の決断をしたことを思い出しました。

 まあ、何が正しくて何が間違っているといった問題ではありません。その時々の状況はすべて異なるのですから、私が今更大きな口を叩くべきではありません。また会派内で了解が取れ諦めた議員が納得しているのであれば、部外者がとやかく言うことでもありません。それに何といっても、常任委員会を複数所属した議員は大変な努力を強いられます。ここはむしろ、諦めた議員側の粘りの弱さを嘆くべきかもしれませんね。

 今日は朗読グループ「みなせ」の打ち合わせがありました。小さなグループで、視覚障がいを持つ方へのテープ雑誌「そよかぜ」を年4回発行しています。メンバーの皆さんは20数年間、ずっと私の議員活動を温かく見守ってくれていました。私のほうこそ感謝すべき仲間たちから、ランチのあと思いがけないプレゼントを頂きました。写真の「ゴールド・カレンダー2009」と可愛い花束です。涙目に純金のキラキラが、一層眩しかったです。


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農業委員には、女性の参画を継続してほしかったなぁ〜
(2009年5月11日 月曜日)

 5月8日に開かれた議員総会では、監査委員と農業委員の選挙が行われたと聞いています。これら2つの委員選出は通常なら役員選考委員会で決まるのですが、各会派の意見がまとまらず選挙の形をとったようです。ただし監査委員は議長・副議長と並ぶ三役の一つですから、会派間・議員間の意向や思惑も入り組むため、過去においても選挙は珍しいことではありませんでした。

 一方農業委員の選出に関しては、すんなり行く時もそうではない時もありましたが、私の記憶では20年間は選挙を行ったことはなかったように思います。いずれにしても町長に推薦するために選出された各種審議会・委員会の委員は、もちろん農業委員を含めて、議会の高い理想と意志を行政や住民に示すわけです。従って議会内の“役職分捕り合戦”の結果や、“説得工作”だけで選ばれては困るわけです。

 私が残念に思っているのは、今回農業委員に男性議員2名を選んだ議会の見識です。女性農業委員の増員は、国や府の農業委員会においても大きな目標として掲げられています。昨年7月に行われた第20回農業委員統一選挙では、「一農業委員会当たり、複数の女性農業委員の選出」をスローガンにしたほどです。

 しかし町の農業委員会では、農業者の女性委員は未だ存在しません。従って例え微力であっても、かろうじて議会選出の女性農業委員が「女性の参画」に関しては、その実績に寄与し島本町としても胸を張ってこられたのです。また農業の実体験はなくとも、消費者の立場で地域住民と農家との架け橋になる存在意義は大きく、農業従事者の委員方も歓迎してくださっていたと思います。

 私は退任前まで2年間、農業委員を務めました。これは前任者の平野かおる議員に引き続いての女性農業委員ということになり、町農業委員会としても、やっと女性委員が定着し存在する実績を認識できる緒に就いたのです。しかし8日の議員総会における選挙では、会派「人びとの新しい歩み」よりS議員(しかも自薦)が存在していたにもかかわらず、女性農業委員の継続は成りませんでした。

 議会の判断には失望の念を禁じえません。議会を離れた部外者の私が言う“繰りごと”かもしれませんが、さらに言及するとすれば会派「人びとの新しい歩み」は全力を挙げて、同会派のS議員を押し通すべきではなかったでしょうか。たまたま今回はSさんですが、これは3人のうち誰であっても同じことなのです。

 ましてや他の2会派は男性議員を推挙していたのですから、当人を含めて会派「人びとの新しい歩み」の“踏んばり”は当然でありました。私のバトンを受け継いでくださった女性議員たちが、しょっぱなのこの大事な場面で“筋を通す姿勢”が揺らいだことに対して、私は残念で未だに信じられない思いです。

 ところで農業委員選挙の結果は次の通りです(名前はまだ伏せています)。共産党T議員が8票・山吹民主クラブH議員が7票・人びとの新しい歩みS議員が1票でした。従って当選者は、T議員並びにH議員となりました。ちなみに会派構成人数は、共産党が3人・山吹民主クラブが5人・人びとの新しい歩みが3人となっています。

 私はこの結果を、夫にも「どう思う」と訊いてみました。夫は「人びとの新しい歩みやけど、これはないわな。例えS議員が選ばれないことが分かっていても、3人会派なら3票が当たり前やろ。どんなことがあってもや。この結果は議会内にとどまらず、これから行政に対峙する時にも影響大きいで」と言いました。大抵のことには我れ関せずの夫が、珍しく怒っていました。

 38年間公務員として行政側から議会を見てきた夫と、20年間議員として議会を見、また行政を見てきた私の意見が一致したことは、喜ぶべきことではありません。会派「人びとの新しい歩み」自らが、イエローカードを出したようなものです。市民派は「お互いの意思を尊重しつつ、苦渋の選択であっても自己決定を最優先すべし」と、私も議案の採決に際してはそのように実行してきましたが、はぁ〜ぁっ!事によるやんか。今回は違うのよ!とにかく今後は、イエローカードの修復を図っていってください。ホント、お願いします。

暑くなると、淡い色の花が心地いいです
やっぱりバラは威張っています
早春から初夏まで、頑張ったビオラ

 


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島本町の「発熱外来」は高槻市の医療機関で実施します
(2009年5月12日 火曜日)

 町では第3回目の「新型インフルエンザ対策本部会議」を、本日(12日)開きました。会議の詳細は分かりません。しかし府立高校の教員・生徒たちが入国前とはいえ感染・発症したこと、さらにはついに国内感染者がでたこと等を踏まえると、決して人ごととは思えない不安が住民に生じても当然のことと思われます。

 むやみに恐れパニックに陥ることだけは避けなければなりませんが、個々人で努力すべきことと行政機関が法に基づいて対策を立てるべきことは、おのずと異なります。島本町の住民として、一番初めに頼りにするのは町の対策です。そして町の対策がしっかりと行われているのかを先ず確かめるためには、私たちは島本町のホームページを見ます。

 しかし町ホームページの更新は、残念ながら多くの場合は迅速に行われているとはいい難い状況です。新型インフルエンザに係る情報についても「発熱相談センター(茨木保健所)」から先、つまり感染者が発生した場合に治療を行う「発熱外来」(病院等医療機関)に関しては、今まで何も触れられてはいませんでした。ところが今(午後7時)ホームページを開いてみると、簡単ですが「新型インフルエンザ対策会議等状況」としてアップされていました。

 「発熱外来」の固有機関名は当然公表されませんが、「発熱外来」を島本町として特定できたということは、危機管理体制がより充実した証となります。本日の対策会議に至るまでに、町内の医療機関や町の施設等も含めて検討されていますが、結果的には高槻市内の医療機関(病院)に決定しました。その報告が今日の会議で行われたことは、大変大事なことなのです。

 5月1日付けの私の日記では、2回の対策本部会議が開かれたことや備蓄品を大幅に追加購入したことを書きました。加えて町に「迅速な情報提供を」求めました。私の要求を受けて、町もホームページに対策会議を開催したことを遅まきながら報告しました。そして今度は催促しなくても、3回目の対策会議について自発的に、なおかつ迅速に住民に知らせることを実行してくれたのです。

 町の担当者は情報提供の必要性を十分に認識しているようでしたから、今後もホームページの更新は速やかに行われることでしょう。また担当職員は、議会にも報告をすると言っていました。しかしせっかく情報をもらっても、情報の中身をどれだけの議員たちがリアルタイムで、住民に知らせてくれているでしょうか?新型インフルエンザに係る議員からの発信は、今のところ皆無と言っても等しいと思います。

 明後日の5月14日に開かれる臨時議会において、町長は新型インフルエンザに係る行政報告を行うべきです。この要求については、臨時議会の議事日程の確認を行った会派代表者会議においても、「人びとの新しい歩み」より意見が出されていると聞いています。各会派も当要求については、反対する理由はないはずです。まあ本来なら議会の要求がなくても、町長は自発的に行うのが当然です。

 ついでに言いますが、臨時議会の日程については町ホームページの「議会」で確認できます。しかし同じホームページの「町長の予定」を見ると、今朝に至っても「14日は予定なし」と書かれていました。議会が開かれるのに、「町長の予定がない」なんて考えられません。職員は誰もおかしいと思わなかったのでしょうか。議員も含めて、ちゃんとホームページを見ていないのでしょうか。私は余りにもアホらしいので黙っていましたが、やっぱり電話をしてしまいました。すぐに訂正が行われましたが、ちょっとねぇ・・・心配です。

選挙が終わって引退した私に、今でもお花をくださる方が。
カサブランカに白いベルギーチュールが似合っています

 


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「島本町接遇マニュアル」がやっと出来ました
(2009年5月13日 水曜日)

 3月11日の臨時議会において、私は定額給付金事務に係る接遇について質疑しました。総合政策部長は「接遇マニュアルを作って対応します」と答弁しました。それから1カ月以上を経て、確認したところ「まだ作っていません」と言いました。今更接遇マナーについて、私が取り立てて言わなければならないこと自体も悲しい現実ですが、ありゃりゃ!公言までを反故にするとは、あきれてものも言えませんでした。

 しかし議場で約束したことですから、守ってもらわなければなりません。それが未だに作成されていないなんて「どういうこと?」と、私はホームページの日記(4月25日)に書きました。そしたらナント!5月初めに議員のボックスに、マニュアル冊子が入っていたそうです。澤嶋議員が私の質疑を覚えてくれていて、「これは南部さんが行政に残していった宿題だったから」と1冊提供してくれました。

 冊子の表紙には「笑顔あふれる“しまもと”」とのタイトルが付き、ページを繰ると随所に、写真のようなヘタウマ(ごめん)イラストが出てきます。これらの絵も職員作と聞きましたが、決して上手ではありません。でもオモシロ〜イ、なんとも味のあるイラストです。ちなみにマニュアル冊子の中身は、「笑顔の接遇」から始まって「クレームの対応」まで触れられています。

接遇マニュアルの表紙
ヘタウマだけれど、味のあるイラスト

 

 今回の冊子はごくごく初級編ですから、今後は中級編・上級編も作成して欲しいと思います。職員には庁内ランで各自のパソコンに、マニュアルのデータを送信しています。もちろん紙ベースの資料を減らすことは大事ですが、全職員がちゃんと見て理解できるように活用するのかしら?パソコンの中で眠ったままにならないかしら?と心配です。従って配信して終わりではなく、フォローアップの研修等も行うことが大事です。

 最後に疑問点を一つ。冊子の最後には「平成21年3月発行」と記されています。部長の回答からすると、4月の25日にはまだ出来ていないはずなのに、なんで「3月発行」なの?またもしも3月に完成していたなら、議員への配布がなんで「5月」なの?正直に実際の発行日を書いても別にかまへんのにと、私は思いますけど・・・。


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さあ〜!皆さん、しっかり働いてくださいね
(2009年5月14日 木曜日)

 選挙後の初議会(臨時議会)が開かれました。主な案件は議長ほか議会の役職を決めることですが、専決処分を行った税条例の改正についても報告がありました。16の議席には、厳しい選挙戦を経て再び議場へ戻ってきた前議員たち、また本日初めての一歩を議場に踏み入れた新人議員たちが着席しています。さあ〜っ、皆さん4年間の始まりですよ!しっかり働いてくださいね。

 私は会派「人びとの新しい歩み」の3議員(平野・澤嶋・戸田議員)にエールを送るために、今日はどうしても傍聴に行きたいと思っていました。運悪く朗読ボランティアの吹き込み日と重なってしまったのですが、みんな協力して私が傍聴に行けるように計らってくれました。吹き込みの開始時間を遅らせ、私の担当ヵ所は最後に回すなど工夫してくれて、本当に感謝です。

 私は時間をやりくりし、傍聴に駆けつけました。初めての議会で傍聴席は満員かもと想像していましたが、はっ?傍聴人はたったの二人・・・。本格的な議案審議は6月議会になりますが、それでももう少し傍聴者がいても当たり前ではないでしょうか。議場に送り込んだら「あとは勝手にやってね」では、議員も気が緩みます。議席の背中に注がれるやさしい目も、厳しい目も議員の励みとなり成長の糧となるのです。

 さて議長・副議長等の役職および所属する常任委員会については、夕方には町のホームページ「町議会」のところにアップされていました。掲載が大層早くて感心しました。議長は菅 俊勝議員・副議長は伊集院 春美議員・監査委員は山口 博好議員に決まりました。あとの役職は町のホームページでご確認ください。

 議長・副議長は投票で決めました。議長選の結果は、菅議員9票・藤原議員3票・河野議員2票・高山議員2票でした。菅議員の9票は山吹民主クラブの5票と自由民主党クラブの2票および公明党の2票で、多分間違いありません。しかし、あとの票が読めません。菅議員は今回大幅に得票数を減らしたにもかかわらず、所属する会派「山吹民主クラブ」が5名を維持したこと、また議長未経験であったことが当選の理由でしょう。

 副議長選の結果は、伊集院議員9票・河野議員6票・高山議員1票でした。伊集院議員の9票は前述の内容と同じでしょう。あとの票の中身は分かりません。伊集院議員は今選挙では票を伸ばしましたが、所属会派の自由民主党クラブは現職3人が落選し、少数会派の2名となってしまいました。にも拘わらず副議長に選ばれたのは、よほど優秀?私なら首を縦にはとてもよう振りません、とだけ答えておきましょう。

 いずれにしても、議員数を増やしたにも拘らず「人びとの新しい歩み」も「共産党」も、見事に要職からは弾かれています。反面、山吹民主クラブは厚顔にも三役のうち議長と監査委員の二役をとり、会派議員数がガタ減りの自由民主党クラブは副議長をとっています。更には清水議員までもが議会運営委員会の委員長になりました。二人会派で二人とも要職に就くなんて、これもまた全く“厚かましい”の一言につきます。

 議会の体質は相も変わらず、与党議員たちの跋扈が続くのでしょう。まあ嘆いていても、決まってしまったことなのだから仕方がないです。議長・副議長・監査委員の三役の皆さんには、特別一生懸命やってもらいましょう(それなりのお手当も付くことですし)。最後に一つくらいは褒めてあげたいと思いますが、菅議員の議長就任挨拶はマアマアの出来でした。従来の紋切り型よりは、少し普通の言葉で語っていました。

 一方、川口町長も当然選挙戦で勝利を収め再登場したのですが、開会と閉会時の挨拶は短く相変わらず元気がありませんでした。再選された熱い思いや抱負は一言もありませんでした。町長の意志の弱さは、現在空席で数カ月を経ている副町長の人事案件を、今議会に上程できなかったところにも表れています。また新型インフルエンザに係る町の対策も、きちんと行政報告として述べるべきなのに、挨拶の中で触れるにとどまりました。

 ウ〜ン、どうやら議会にも行政にも変化(チェンジ!)は起こりそうもありません。せめて新人議員の物おじしないフレッシュな発言を期待していましたが、税条例の改正議案はとっつきが悪かったのでしょうね。誰も質疑はしませんでした。それどころか、新人のT議員(男性)は、休憩には入りましたが議場でこういったのです。「あ〜ぁ、全然勉強してないから解らんなぁ〜」と。「勉強しろよ!」と、私は喉まで出かかった言葉をかろうじて呑み込みました。

私は議会傍聴でブルーな気持ち

 


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島本町でも新型インフルエンザの感染者が出ました
(2009年5月18日 月曜日)

 昨日17日の夜、高槻市における感染者が2名判明した段階で、「島本町も遅かれ早かれ逃れられないかも」との予感はありました。しかし今朝の新聞で、「島本町」の文字を見つけ驚きました。事態の余りにも早い進行に、感染の脅威を改めて実感しました。感染の最終確認が判明するまでには時間を要します。私たちには全く知らされませんでしたが、町は当該患者に新型インフルエンザ感染の疑いがあることをすでに承知していたのです。

 町は新型インフルエンザ対策行動計画に基づき、対策本部会議を昨日17日と本日18日の各々午前中に開いています。二つの会議は全く異なった状況下で開かれました。もちろん17日の午前中には、まだ感染が確認されていませんでした。しかし疑いのある患者の情報を町は入手していたわけですから、当然感染確定を想定した協議はされていたはずです。

 私は町が感染を想定していたにもかかわらず、明らかになった本日(18日)朝の対応には、少なからず落胆しています。危機管理意識及び危機管理体制は万全ではなかったと感じているのです。顕著に表れているのが、幼・小・中学校、学童保育、保育所の閉鎖を速やかに行えなかったことに見て取れます。なおこれらの施設に加えてふれあいセンター(図書館含む)、教育センター、人権文化センター等公的施設も24日まで休館となります。

 17日の会議の内容はすでに町のホームページにもアップされていますし、澤嶋議員・戸田議員のブログでも報告されています。平野議員はインフルエンザ関連には触れず、臨時議会の報告をアップしています。ちなみに今回最新情報を公開しているのは澤嶋議員のブログです(18日朝の記事が掲載されています)。澤嶋さんはブログの更新が2週間なくて「どうしたのかしら」と心配していましたが、新型インフルエンザ情報に係っては今のところ先端をいっています。 

 参考までに市民派議員以外の町議の情報提供を調べてみましたが、皆無と言ってよい状況です。まあ、もともと即効性のある情報提供が可能なインターネットを活用している議員が少ないということもあります。その中で伊集院議員は17日の対策会議については少しふれていますが、18日から20日まで全国町村議長会主催の正副議長研修会出席を知らせています。

 副議長なら、議会としての対応が必要ないのかを考えなかったのでしょうか。議長に提案したけれど、結果的には東京へ行くことに決めたという片鱗でもブログに滲み出ていたら、まだしも理解できるのですが・・・。ウ〜ン、この時期に議長・副議長が3日間も町を離れるのは「なんだか解せないなぁ〜」と思っています。やっぱり議会のトップは住民のほうを向いていないのかしら?“おのぼりさん”でうわ付いている場合ですかしらね!

 感染者が確認された本日は、議会としてもただちに全員協議会(せめて会派代表者会議)を開くべきではなかったでしょうか。対策本部会議の詳細や、担当部局の具体的な対応をリアルタイムで議会に報告させるべきです。報告を受けた議会には、住民の視点でしっかりと町の対策をチェックし、足りないところは十二分にお尻を叩いてもらわなくてはなりません。

 今まさに緊急の事態が発生しているのです。住民の皆さんから選ばれた代表である議員たちが正しい情報を共有し、私たちに迅速に提供してくれることが今こそ求められています。議長・副議長が不在なら、総務文教・民生消防常任委員長は委員協議会を招集すべきでしょう(両委員会合同でもいいです)。しかし民生消防常任委員長である藤原議員のホームページに至っては、新年の挨拶から滞ったままです。ついでにいいますが、現在共産党のホームページにも見るべき情報はありません。

 それでは新型インフルエンザに係っては、議会内情報提供の先頭を切っている市民派議員の今後の活動はどうなのでしょうか。私なら、インターネットを使えない住民の皆さんをも視野に入れた情宣を行うと思います。選挙の前には毎日街頭に立っていたではありませんか。分かりやすいビラを作って駅頭で、スーパーで配布するのはどうですか。ビラをプリントアウトするプリンターは選挙前から澤嶋議員に貸しています。

 ビラを作っていると情報が古くなってしまうのなら、街頭演説を行うだけでも住民の皆さんには役に立ちます。私の大きなハンドマイクもまた、澤嶋議員にお貸したままです。また市民派議員の3人は、今朝開かれた教育委員会議を傍聴しているはずです。そこでは幼・小(学童保育室を含む)・中学校では、いつも通り登校したけれど、子どもたちへ事態の説明を行った後、休校となった経緯が説明されているはずです。それら説明で示された教育委員会の対応は、事態の緊急性・深刻性に則して十分な整合性があるものでしたか。

 私が教育委員会事務局次長にヒヤリングを行った内容を、簡単にお伝えいたします。事務局次長は17日の24時少し前に、大阪府の民生部より「感染が疑わしい町民を検査中」との連絡を受けています。18日の午前1時半には、橋下知事が「府内全域が患者や濃厚接触者が活動した地域等」に指定されたこと、あわせて「府内全地域の中・高の休校を要請する」と発表しました。

 幼稚園・小学校に関しては各自治体に任せられましたが、「感染者が確認された自治体は休校とする」としました。島本町はまさに「感染者が確認された自治体」となってしまったのです。そこで問題は当町患者の感染確定が、いつ町に知らされたかということです。5月18日午前2時半に、事務局次長は再び大阪府民生部より「新型インフルエンザは陽性であった」との電話を受けました。

 18日午前8時に教育委員会幹部たちは登庁し、「朝の登校はいつも通り行う。その後体制が取れ次第下校させる」ことを決めました。もちろん教育委員会事務局も幼稚園・学校現場も大変な努力のもとに行われた措置だとは思いますが、果たして本日朝から休校を行うことを、5〜6時間の間に周知・実行できなかったのかと疑問が生じます。事務局次長は「緊急連絡網」の使用も考えたが、「かえって混乱を招く」と判断したと言いました。

 過度に神経質になりパニックに陥ることは避けなければなりません。しかし集団で登校する小学生、また登園・登校後の集団の中で、子どもたちが感染の危険にさらされていないとの確証は何もありません。それなら、なんとしても本日は休校という判断をすべきではなかったでしょうか。

 いずれにしても休校・休園しても、それでやれやれというわけにはいきません。学童保育や保育所の保護者にとっては、働いている間の子どもを誰が見てくれるかが大問題です。職場の理解に頼っているだけでは無理があります。国が就労者の休業や給与補償を制度的に整備したうえで、個人の活動を制約するものでなければ、危機管理体制は万全にはなりません。これは一自治体の裁量を超えるものですが、町行政としても議会としても声を上げていかなければならないところだと思います。

 さて、長い文章になってしまいました。これを書き終えた頃には、すでに町のホームページで18日の対策会議の内容やその後の経過がアップされていると思います。また3人の市民派議員のブログにも、新しい情報が掲載されていることでしょう。一方新型インフルエンザの感染者数も各地で増大していると思われます。別に私がこの日記を書いたからと言って、何の役にも立たないと思います。けれど「どこかに問題はなかったのか」と検証することは、大事なことだと思います。また、読んでくださっている皆さんへの情報提供の一端にはなるのではないかと、勝手な思いこみも抱いています。

 日記を最後まで読んで頂いてありがとうございました。写真は昨日、介護ヘルパーの仲間が開いてくれた「お疲れさん会」で私に贈られたお花です。その時には、島本町で感染者が確定されるとは夢にも思っていませんでした。呑気においしいウナギのお昼をいただきながら、10月の済州島旅行を約束していた私です。

 


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新型インフルエンザ、島本町の感染者は増加しています
(2009年5月20日 水曜日)

 今朝7時前にパソコンを開けてみると、当町の感染者数が「3人」となっていてびっくりしました(5月19日 午後11時現在 産経新聞)。昨日の毎日新聞朝刊では「2人」と報道されていましたから、昨日のうちに感染確定者が増えたことになります。「一人増えた二人増えた」と興味本位で騒ぐことは厳に慎むべきですが、当町においても明らかに感染は“拡大”している状況下にあります。

 町のホームページには、この事実を掲載する必要があるのではないでしょうか。この間、町の情報提供の在り方を見てきましたが、どうやら私たちは役場からは最新の情報を入手できないということが分かってきました。島本町における最速の情報伝達手法は今のところ町のホームページなのですが、前述したようにマスコミ発表より随分遅れを生じている現実は否めません。

 大阪府と茨木保健所或いは医療機関の発熱外来より、情報が役場に届くまでは複数の機関を経ることから、タイムラグが生じても仕方がないかもしれません。しかし役場が情報を得た後は、一刻も早い住民への情報提供が行われるべきです。従って昨日の「感染者2人」は、ホームページの更新が可能な勤務時間帯に確認できた内容であることからも、速やかな掲載は可能であったはずです。

 さて新型インフルエンザの症状自体は、あくまでも予断は禁物ですが、各地の事例からも重篤な事態に至ってはいないと思われます。強毒性の感染症である鳥インフルエンザへの対策を定めた現行の「行動計画」が、弱毒性の新型インフルエンザに整合しない事態も生じ、住民生活を過度に圧迫しています。厚労省は「計画」の見直しを示唆していますが、行き過ぎた拘束等は改めるべきであり、早期の「新行動計画」が待たれます。

 いずれにしても私たちは、我が町島本町からの情報発信と対策を頼りにするしか仕方がありません。しかし冒頭に書いたように、役場の情報は現実的に遅れを生じています。それでは住民は、なすすべもなく現下の状況に甘んじていなければならないのかということです。いえいえ、私たちが頼りにできる人たちがいます。役場を監視し物申すことが仕事である町議会議員、住民の代表である彼らの働きが、今こそ問われています。

 議長・副議長が東京へ研修中(本日20日まで)という状況でもあり、私が先日提起した議会としての行動(例えば早急に議員全員協議会を開催せよ等)は実現していません。しかし個々にタイムリーな情報提供をしている議員は出てきました。市民派の3議員(平野・澤嶋・戸田議員)は精力的に情報収集を行い、各自のブログで報告してくれています。

 3議員には住民の方(たぶん私が現職の時にも、絶えずご意見を下さった方だと思います)の厳しくも適切な提言が功を奏しているようです。また私が日記で述べてきたような“お尻叩き”も、少しは役に立っているものと思われます。残念ながら市民派議員以外の他議員たちの情報発信に見るべきものがないため、市民派議員の今後益々の活動が期待されるところです。

 写真は昨日(19日)写したものです。(1)は前述の住民の方及び市民派議員の要求により、町広報板に掲示された「お知らせ文」です。まあ掲示しないよりはマシですが、煩いからとりあえず貼ったという事がミエミエですね。町長以下職員による駅頭ビラ配布は周知効果大だと思いますが、どうでしょうか?。(2)は役場の入り口に置かれた消毒液(トイレにも置かれていました)。(3)は住民と接することが多い1階フロアーの職員が、マスクを着用している姿です。

(1)
(2)
(3)

 


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町の新型インフルエンザ対策、もっと出来ることはありませんか
(2009年5月21日 木曜日)

 昨夜(20日)、とうとう首都圏での感染者が確認されました。また近畿圏でも滋賀県で発生しました。今後感染者数が益々増大していくことは間違いありません。新型インフルエンザ・ウイルスの感染力の脅威に愕然としますが、改めて治療・予防への対策が問われてきます。ただ私は国・府、或いは医療機関の対応に直接物申す立場にはありません。あくまでも島本町の一住民として、我が町の対策に“ごまめの歯ぎしり”さながら呟いているのが関の山というところです。

 一方、私が知り得たことぐらいは町のホームページでも公開して当然だと思っているのですが、住民にもたらされる情報量は相変わらず少ないと感じています。予防の効果を上げるためにも、役場はもっと積極的な情報提供が必要です。住民は先ずは情報を知って、そして状況を理解し納得して、初めて町が示す予防方策を受け入れるのです。

 感染者の個人情報の保護は何よりも優先されなければなりませんが、当町の感染者数が1名から3名に増加したことを公表しない町の姿勢は、到底理解ができません。明らかに感染が拡大している事態を、住民は知らされなくてよいのでしょうか。もし3名が30名になっても、役場は沈黙を守っているということでしょうか。

 ちなみに役場が入手する情報は、大阪府庁からの「カクカクシカジカの報道発表を行いました」と送信されてくるファックスによるものです。その情報を元に対策本部が、内容を検討・精査して町のホームページにアップしています。従って感染者の拡大を知らせないとの判断は、対策本部長である川口町長の意思にほかなりません。

 また感染者の背景も一切明らかにされていません。もちろん「どこの誰」と特定されることは絶対に避けなければなりません。しかし感染予防のためには、最小限の情報公開が必要です。報道機関では、他市へ通学している学校名まで特定しています。当然島本町は小さな町ですから、個人が特定されないための公開限度はあります。

 しかし、感染者が子どもなのか・学生なのか・勤労者なのか・お年寄りなのか、行動圏が町内のみか・町外に広がっているのか等々、これくらいのことも知らされないのはなぜでしょう。更には拡大した感染者たちの関係(家族?友人?等)も知らされないことにより、住民は「わからないこと」だらけの中に閉じ込められているのではないでしょうか。極端な情報削除は不安感をより増大させていることに繋がってはいないでしょうか。

 そこで、町のホームページが情報の内容不足・公開のスピード不足に陥っている今、もっとダイレクトな住民への周知方策がとられるべきだと、私はずっと訴えています。過日の澤嶋議員のブログでは、町の言い分として「民生委員や自治会に情報提供をしている」との表記がありました。でも「自治会」は「自治会長」であって、住民への情報は提供されなかったのです。また戸田議員がブログで要望していたように、自治会員への回覧文書を町が用意したわけではありませんでした。

 今朝、向日市の対策本部に確認しました。感染者がゼロである当市においてすら、全世帯に対して新聞折り込み(新聞未購読者には郵送で)の情報提供を行っています。向日市よりずっと人口規模が小さい島本町で、自治会回覧は言うに及ばず全世帯への直接的な訴えを実行すべきです。容易に行える対策であるにもかかわらず手をこまねいて、今後感染者のさらなる拡大や重篤な患者の発生が起こったとすれば、町長の責任は必至です。さらには町政をチェックする議会の認識も追求されるのは当然です。

 と、まあ私は毎日ヤキモキしているのですが、一つくらい安心の材料に繋がることをお伝えしておきましょう。特段褒めることでもなく当たり前のことですが、教育委員会では園児・小学生・中学生本人とその家族及び教職員の健康状態(発熱・咳)を毎日確認し始めました。少々遅きに失した感はありますが、5月19日から行われています。本日は19日と20日の健康状態が「異常なし」であったとの報告を、各園・学校より収集しています。

 新型インフルエンザをはじめとする感染症対策問題は、人の命・健康に係る重大な課題を全世界に突き付けました。当然基礎自治体である島本町は、住民の安全安心を守らなくてはなりません。「役場はあれこれ言い訳する前に、やれることやってね」と願っているのが、私たち住民の切なる気持ちです。

 やることやった上で、役場だけでは限界があり住民間のさらなる協力が欠かせないと言うのなら、行動計画にも示されている「地域対策会議」の設置も必要ではないでしょうか。住民ひとり一人が負うべき役割、地域が連携し合う工夫、行政が果たすべき責任、行政を導く議会・・・小さなわが町でお互いまだまだ努力・協力できる余地はあると思いませんか?

24日まで閉館している「ふれあいセンター」
使用停止の連絡に追われる「ふれあいセンター」
の指定管理者職員
臨時閉鎖中の「第四保育所」に掲示された
園庭開放中止のお知らせ

 


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新型インフルエンザ情報、日記の続き
(2009年5月21日 木曜日)

 先の日記を書き終えて午後一番、さて市民派3議員の情報を見てみましょうかと各々のブログを覗いてみました。澤嶋・戸田議員は本日の更新がまだでしたが、平野議員が新しい情報を書いてくれていました(本日、12時15分にアップされています)。この情報は町長から議長あてに来た文書を、各議員にファックスしたものらしいです。

 平野さんのブログによると、新型インフルエンザに感染した町内の3人の方は「15・48・16歳。いずれも軽症であり、茨木保健所の管理下で自宅療養中」と書かれています。私は再三にわたり「感染者が3名に拡大したこと、及び感染者の年齢等背景を、個人情報を保護しつつ明らかにすべきだ」と主張してきました。

 町が私の声に応じたとは考えにくいですが、それでも本日一部の情報を出しました。○○部次長に確認したところ、内容を認めた上で「今後も町のホームページには、感染拡大を記載しない。3人の年齢も大阪府より既に送られている情報の一部であるため、議会に報告をしたまでのこと。いずれも住民に知らせる必要はない」と答えました。むしろ「なんで知ってんのん?」と不快感をあらわにしていたように感じました。

 あらら、市民派3議員の情報提供に対する熱意を見くびらないでいただきたいわ!でも少し残念なのは3議員のうち誰一人として、当のファックスを転送するなどして、私にダイレクトの情報提供をしてくれなかったことです。新型インフルエンザについて私が連日書いていることを知っているのだから、気を利かせてくれてもよかったのになぁ〜。本日早い時間に知っていれば、先の日記で今更ながら私がクドクドと言うこともなかったでしょうに・・・。

 また次長には、午後から開かれた新型インフルエンザ対策本部会議の内容も問いましたが、「結果はホームページに記載しますから」という硬い返事に終始しました。案件は現状確認と学校や町施設の再開について検討したということです。○○部次長は優秀で温かいハートの持ち主だと思っていましたが、なんか窮屈な職員になっちゃいましたね。ガッカリです。

 さて、ついでに触れておきましょうか。私は3議員(平野・澤嶋・戸田議員)のブログと伊集院議員のブログは欠かさず“愛読”しています。5月19日付でアップされた伊集院議員の記事に対し、「監視人」のネーミングでコメントが寄せられています。伊集院議員はコメントに対して返信をしているのですが、どうも思い違いがあるように感じられます。伊集院議員は以下のような文章を含めて、激しく反論しています。

 「〜タイミング、文面、性格、データ等々分析で、先般まで議会にいらっしゃった方と推測させて頂いています。〜」、はぁ〜「先般まで議会にいらっしやった」議員というと、原野さん・千頭さん・実沢さん・野村さん・南部なのですが、私以外の4人の方が「監視人」さんのようなコメントを寄せるはずはありません。そこで伊集院議員は多分「南部」と思われて返答されているようなのですが、ブー、これ間違いです。

 「監視人」さんは、澤嶋・戸田議員のブログにもコメントを寄せていますし、平野さんへは、多分同様のメールが届いているのではないかと推測します。私がわざわざ市民派3議員にコメントを送ることは必要ありませんし、それに考えてもみてください。私が伊集院議員にコメントを寄せるなんて、百年たってもそんな気は起きません。

 伊集院議員、カリカリされてお気の毒だとは思いますが、私も現職の間は「監視人」とおぼしき方に、よく“ご教示”頂きました。まあ、因果はめぐるってことですが、議員の大切なお仕事の一つと思ってください。ああそれから推測誤認について、私への謝罪はお気づかいなさらなくてもよいですよ。副議長の要職、どうぞ頑張ってください。あらら、これってコメント?しちゃってるのかな!

尊敬する年下の男性!(まさに母と子の年齢差)から
「お疲れ様でした」と贈られた薔薇
(ホワイト・マザーズディ)の鉢植

 


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納得できない報酬等は、「ふるさと島本応援寄付金」へ寄付をしました
(2009年5月22日 金曜日)

 昨日は法務局(茨木にある北大阪支局)へ行って、供託されていた審議会委員等の報酬を払い戻してもらう手続きを行いました。任期中受け取りを拒否した報酬であっても、議員の間は町に返還することができませんでした。それは町に対する寄付行為となるからです。町が法務局に供託をしてくれていたのは、農業委員会委員と都市計画審議会委員の報酬255,719円です。

 後段の文書は、晴れて!町に寄付ができるようになった私が本日提出したものです。内訳を見て頂くと分かるのですが、前述の2つの委員会・審議会委員報酬のほかに、大きく割合を占めるのが期末手当(夏・冬のボーナス)の返還分です。期末手当は一旦全額を受領していましたが、今回任期を終えるに際し議会事務局に返還分を計算してもらいました。納得がいかない期末手当の加算分は、4年間で798,435円になりました。

 合計1,054,154円を本日(22日)「ふるさと島本応援寄付金」に寄付しました。寄付金の申込書には「使途の指定」欄があります。「自然環境」「福祉」「文化・芸術」「教育」「指定なし」から事業を選ぶことができます。私は「自然環境の保全・活用に関する事業」として、「桜井西側農地の保全等に係る調査費用の一助に」と書きました。

 もう一つ選んだ事業は「教育に関する事業」として、「町立図書館の図書購入の一助に」と書きました。私は8年前にも議員を辞したことがありますが(町長選に立候補したため)、その時は919,475円を全額「図書購入」に指定をしました。ちなみに「ふるさと島本応援寄付金」には、今回の私の寄付までに約60万円余が寄せられていると聞きました。

 寄付の手続きは、政策推進課の若い職員がお金を確認し、会計課からの領収書を私に渡して終わりです。手続きを終えた後で「確か寄付をした人には、島本の風景を描いた絵ハガキをくれる」ということを思い出しました。でも私、今もらわなかった…なんで?念のために文化情報コーナーに置いてある寄付金のパンフレットを見てみました。

 う〜ん、ハガキの件は書いてありません。もう一度政策推進課に問いました。「はい、後日寄付を頂いたことを記した賞状と絵ハガキセットをお送りします。パンフレットは絵ハガキの進呈を決める前に作成したものですから、記載はしていません」との答えが返ってきました。私は、別に絵ハガキが欲しいと言っているわけではなく、後日であっても正確な情報を、パンフレットに追記しておくべきだと思うのです。

 わざわざ問い合わせなければ言わないなんて、いかにも“お役所仕事”の感がしますし、それに失礼ではありませんか。このようなことは寄付を受けた時に、ちゃんと伝えておかなくてはならないことです。この一件からも推して知るべしで、「ふるさと島本応援寄付金」に対する町の熱意は、実は口先だけのものではないかと心配になりました。

2009年5月22日

島本町長

  川口 裕様

島本町水無瀬2−2−1−114

南 部  由美子

「ふるさと島本応援寄付金」への寄付内容について

 町長におかれましては二期目の町政運営に就かれ、誠にご苦労さまでございます。今後4年間も、より良いまちづくりのためにご尽力頂きますようお願いいたします。

 さて私は、去る4月29日をもって町議会議員を退きました。4期16年間の長きに渡り、本当にお世話になりました。改めてお礼申し上げます。

 引退にあたり、2005年より2009年間の最終任期中に頂きました報酬を精査いたしましたところ、下記の報酬については受領する正当な理由を見出すことができませんでした。

 農業委員会委員及び都市計画審議会委員につきましては、町議会議員として選出されていることから、両委員の報酬は議員報酬に含まれていると解します。 また期末手当の調整率分につきましては、職員の役職加算分を常勤とは言い難い議員へ安易に適用したものと考えます。

 なお、これらの報酬・手当につきましては、当然のことながら条例に整合した支給ではありますが、今後早急なる条例改正により是正を図っていくべきものであることは言うまでもありません。

 町議会議員は厳しい町財政の状況を目の当たりにする中で、少しでもより良い住民サービスの向上を求める立場にあります。

 従って、自らの身を削ることなくして、真の行財政改革の推進を提唱することはできません。 以上述べました理由により、1,054,154円を「ふるさと島本応援寄付金」に寄付を行う旨、お願いを致すものです。

1 農業委員会委員報酬

 (1) 2007年度報酬            110,333円

 (2) 2008年度報酬            125,136円

2 都市計画審議会委員報酬

 (1) 2005年7月 8日報酬          6,750円

 (2) 2006年2月 2日報酬          6,750円

 (3) 2008年1月18日報酬          6,750円

3 議員期末手当のうち調整率分(0.15の加算分)

 2005年6月〜2008年12月    798,435円

・・・別紙内訳添付

               合計       1,054,154円

以   上

 

前回の写真のバラは、この素敵なバラ園に案内されて「お好きなバラを」と告げられ、選びました。
なんともスマートなプレゼントに、うれしさも倍増でした

 


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やっと開きましたか、議員への新型インフルエンザ説明会

(2009年5月23日 土曜日)

 昨日(22日)新型インフルエンザに係る議員説明会が、やっと開かれました。前回の記事で書きましたように、私は「ふるさと島本応援寄付金」への寄付を行うために役場を訪れていましたので、寄付手続きのあと議会運営委員会を傍聴し、そのあとの説明会も聞かせてもらうのに丁度いいなと思っていました。しかし傍聴は不可でした。澤嶋さんが前日も当日も、総務部に傍聴を求めてくれたのですが駄目でした。

 これだけの社会不安を誘発し、しかも島本町では4人もの感染者が出ているのです。住民が関心を持って町の説明を聞きたいというのは、当たり前のことではないでしょうか。でもまあ「今日は議員への説明会」というのだから、仕方がありませんね。ありがたいことに、説明会の資料は澤嶋さんから直ぐにもらいましたし、彼女のブログでも概要は分かりました。

 また戸田さんもブログで報告をしていますし、自身の質問内容をきちんと書いてくれていました(行政側の回答も併せて書いてあれば、なおよかったですね)。平野さんは質問の挙手をしていたにも関わらず、説明会は強引に終了したようです。平野さんは21日付のブログで、福祉施設等の臨時閉鎖に係る問題提起をしていましたから、多分住民が被るサービスの補完等について質問があったのではないかと思います。

 さて私が貰った当日の資料は対策本部が作成したものです。すでに府や町のホームページで報告された内容が多いですが、感染者(町住民)情報については初めて目にしました。5月22日午前10時30分現在で、4人の感染者が確認されています(新聞報道でも人数は出ています)。町は感染者情報を議員に知らせたのだったら、その後は住民にも知らせるべきでしょう。

No.1 15歳 高校1年生 5月17日発熱、咳 (17日確定)
No.2 48歳 会社員 5月17日咳、全身倦怠
5月18日38度の熱
5月19日解熱し軽快(19日確定)
No.3 16歳 高校1年生 5月17日咳、寒気、関節痛
5月18日38度の熱(19日確定)
No.4 15歳 高校1年生 5月18日席、咽頭痛
5月19日38.7度の熱(20日確定)
                

 4人とも軽症で、茨木保健所の管理のもと自宅療養中

 以上、感染者情報については資料の通り書きました。次の情報「新型インフルエンザ相談受付件数」も、これまで町は公表してこなかったものです。こちらのデータは合計数のみお知らせします。5月17日から21日までの件数です。相談人数は延べ76人、相談内容で一番多いのは「医療等健康相談に関すること」で48人です。

 2番目に多いのが「その他」の21件です。内訳は「発生の事実確認」が10件、「感染の広がり」8件、あとは「発熱相談センターの存在確認」と「妊婦へのマスク配布」および「濃厚接触」についてが、各々1件となっています。3番目に多いのが「医療体制に関すること」で15人です。あとは「予防・治療に関すること」が5人です。「渡航に関すること」と「豚肉等に関すること」の相談はゼロでした。

 これらは議員説明会配布資料の一部抜粋内容です。このくらいの中身をなぜ住民に知らせないのか、全く理解に苦しみます。まっ、このことは別にしても、やっと25日(月)からは全ての施設が閉鎖を解かれます。この間、住民も役場も大変でしたね。誰もが新型インフルエンザの感染力の脅威を、初めて身近に感じました。情報提供の在り方等不満に思うところは多々ありましたが、皆が今後に生かしていかなければなりません。

森の中の小さな小屋?実は「ふれあいセンター」近くの道端です。
緑がきれいで、私が好きな風景です

 

追記: 24日付けの町ホームページに、新型インフルエンザ対策本部長名(川口町長)の「お知らせ」がアップされています。ホ〜ッ、この中で初めて感染者数が「4人」と明らかにされました。新型インフルエンザの感染力の脅威を今まで報道機関で明らかになっているにも拘らず、ガンとして私の意見を撥ねつけてきたのは何だったのよ!と言いたくなりますが、情報の提供が少しでも進むのは良いことです。


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「健康モールビル」建設問題に、市民派3議員の連携とパワーを示してほしい

(2009年5月24日 日曜日)

 24日は午後に行われた義兄の四十九日法要からトンボ返りで、午後7時からの大美自治会臨時総会を“傍聴”させてもらいました。大美自治会は第一中学校の西寄り、シャリエ水無瀬(9階建てマンション)をコの字型に取り囲む38世帯の自治会です。当該地は府道桜井駅跡線(楠公道路)と町道水無瀬鶴ヶ池線に近接してはいますが、自治会の皆さんは40年以上にわたり静かな住宅地で穏やかな生活を営んでこられました。

 2000年にシャリエ水無瀬が建設される時も、自治会の皆さんは大変な思いをされ苦渋の選択をされました。当時建設計画の第一報を私が知らせたことから、以降10年間の議員時代も皆さんと親しくさせていただきました。シャリエ水無瀬の建設問題では議場での質問はもとより、請願の紹介議員としても働きました。議会は全会一致で請願を採択し、当時もその後にわたっても議会が一定の良識を示した稀有な事例であったと思っています。

 そして10年後の今日、再び住民の皆さんを脅かす「健康モールビル」建設問題が起きています。当初は薬局や医療関係のテナントが入居する「健康と予防をコンセプトにした医療ビル」であると、1年前のパンフレットには書かれていました。しかし、その後の町及び大阪府に提出された法手続き等における「建設用途」記載内容に、自治会の皆さんは大きな疑義を持たれています。

 建築確認申請に係る建築計画概要書には、主要用途として「事務所、店舗(物販)」と書かれています。ちなみに建築確認申請は今年の3月31日に下りています。また町が事業主に出した開発行為等の事前協議申請に関する完了通知書(平成21年2月17日)には、建築物の用途は「事務所ビル」と記載されています。ところが工事を行う大昭工業が平成21年5月8日付で出している「ご挨拶」文には、用途を「医療福祉施設」としています。

 さらには5月23日現在、未締結の工事協定書においては、用途が「店舗・事務所・医院・その他医療関係施設等」と書かれ、それぞれの表現は微妙に異なっています。一体本当の用途は何なのでしょうか?建築構造物そのものに疑義がある上に、用途すらも明確でないとすれば、大美自治会住民の不安は益々募って当然です。

 当該地区の一部が住居専用地域から近隣商業地域に用途変更されていることからも、カラオケ店等は可能なのです。中学校が隣接しているため遊技場に対する一定の歯止めはあるものの、実際にどのような商業行為が行われるのかは(用途地域のいかんに係らず)当然明確でなければなりません。また最も問題なのは、すでに工事が始まっている現実です。協定書を結ばないで工事が強行開始されているとんでもない事態に対して、町の指導が行われているのかどうかも分かりません。

 自治会住民は最初から、「建物を建てるな」と言っているわけではないのです。これまでの間、悩んで苦しんで建築物による日照被害等を始め著しい生活環境の悪化に対しても、泣く泣く受任しようと決心されたのです。その上で、どうしても譲れない条件を3つだけ求めておられるのです。

 (1) 隣接地住民等との協議を継続すること

 (2) プライバシー保護の観点から、窓(引き違い戸)の高さを床上1.7m以上とすること

 (3) 風害発生時の誠意ある対応と補償について、大美自治会に念書を提出すること

 以上の3項目は大美自治会及び住民の要望として、平成21年2月17日に島本町が事業主の(有)アイワ薬品 代表取締役の芦田宏美氏に対し公式に伝えているものです。これは開発指導等の事前協議申請による協議が完了したと記した「完了通知書」に明記されています。

 (1)については、最も影響を受ける西側の住民は個別交渉の入り口に立ってはいますが、当該住民たちからすれば「お話にならない」状況だと思われます。(2)は部分的には進展しているようにも見えますが、事業主はプライバシー保護の根本対策には至っていません。(3)については、全く誠意なく退けています。

 臨時総会では経過説明をはじめ、今後の対応を決断するための様々な意見が出されました。私の日記が個別交渉をはじめ、住民の皆さんの利害に係る事柄に影響を及ぼすことは避けなければなりません。また自治会としては、大阪府への調査や町の斡旋にも望みを捨てておられるわけではありません。従って本日の日記で、皆さんにお知らせするのはここまでといたします。

 夜7時から10時半まで熱心な話し合いを傍聴させていただいて、皆さんの思いがヒシヒシと伝わり胸が熱くなりました。さらには前年度の自治会役員方をはじめ今年度の新役員、特に新・旧会長さんのご苦労には頭が下がりました。「このままでは倒れてしまう」と会長さんを気遣うお声も出ていました。事業主や事業主の代理人等(設計者・建設業者・弁護士)は、こんなに苦しんでいる住民の姿を全くわかってはいないでしょう。さらには「斡旋」を公言している島本町の姿勢もまた、その“及び腰”ゆえに残念でなりません。

 自治会の皆さんは、何とか議会でも取り上げて欲しいと願っておられます。私は1年間当建設問題に掛かり切り、4回の一般質問と会派代表の質疑も行いました。当該建設計画の前提条件でもあった用途地域の変更を審議する都市計画審議会でも、私はただ一人反対しました。頑張ってきたと思いますが、お役には立てていなかったのではないかと忸怩たる思いで一杯です。

 私が3月議会で最後の質問を行い、4月の選挙が終わってのち、5月の連休後間をおかずして工事がはじまりました。そして本日自治会の臨時総会に招かれたわけですが、まさか事態がこのように膠着、いえ後退しているとは思いもよりませんでした。お世話になり、私を議員として育てて下さった大美自治会の皆さんには、議員の職を退いて後も何か少しでもお力になれることがあればと思い続けてきました。

 私が再び議場で質問をすることは叶いませんが、今回の選挙で市民派議員を増やすことができました。これからは3議員(平野・澤嶋・戸田議員)が、きっと力になってくれると思います。本日の総会に3人の議員をお連れしたのは大きな意味があると同時に、市民派議員への私の期待がかかっているのです。個々人がパワーを発揮することはもちろんですが、市民派が連携し大きな力で住民の皆さんを支えてあげることも、とても大事なことです。

後方はシャリエ水無瀬、手前の民家が影響大です

 


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定額給付金も寄付しました

(2009年5月25日 月曜日)

 22日の日記に、4年間の議員報酬等の一部を「ふるさと島本応援寄付金」に寄付したことを書きました。その折にすっかり忘れていたのが、定額給付金も寄付をすることでした。ついこの間の議会で、私は「定額給付金は、総選挙目当てに政府が打ち出した究極のバラマキだ。断固反対する。今、雇用や子育てに苦労をしている人たち、また福祉制度の狭間で困っている人たちがたくさんいる。2兆円は、これらの人々に役立つ生きた施策に使うべき」と発言していました。

 従って定額給付金の請求はしましたが(請求をしておかないと、国庫に返されてしまいます)どうしても受け取るわけにはいきません。町はホームページで「定額給付金は町内で使ってください」、また「ふるさと島本応援寄付金に寄付をしてください」と訴えています。そこで町に寄付すれば、少しでも住民の皆さんに還元することになるのではないかと思いました。もっとも、私は最初から寄付を決めてはいましたが。

 月曜日(25日)を待ちかねて、役場に行きました。寄付の手続きは、前回同様すぐに済みました。これで私の「ふるさと島本応援寄付金」は1,066,154円となりました。ついでに担当職員に訊いてみました。「町は定額給付金の寄付を呼び掛けていますが、役場の職員は寄付しているのですか」。答えは「誰もしていません」でした。ウ〜ン、それじゃ説得力無いわね。ちなみに町内住民からは、7万6千円の寄付を頂いています。

 ただ定額給付金からの職員寄付金はゼロですが、「ふるさと島本応援寄付金」には職員から約50万円の寄付があったそうです(果たして何人の職員で50万円なのかは聞き洩らしましたが)。帰りに文化情報コーナーに寄って、ふるさと島本応援寄付金のパンフレットを再度確かめてみました。

 私は22日に、「寄付をされた方には後日絵ハガキを送ります」とパンフレットに記載しておきなさいと求めていました。しかし、まだ修正は行われていませんでした。このような些細な手直しを直ぐに出来ないという点が、私には信じられません。取りあえず数部のパンフに一行、手書きで書いてもいいです。また打ち出したシールを張り付けてもいいのです。まったく、やること遅いよ!

 さて、本日の写真(撮影は27日)は前回の日記の関連です。5枚の写真は、大美自治会の住民が苦慮している「健康モールビル」建設に係る写真です。(1)は健康モールビル建設の現場です。とんでもないことですが、工事協定書を締結せずして工事が始まっています。ウナギの寝床のような狭い幅の土地に、くい打ちクレーンが入っています。写真(2)で分かるように至近距離に建っている住宅では、家が揺れていると訴えておられます。また写真(3)(4)(5)は、自治会の広報板に貼られた怒りのアピールです。

(1)
(2)
(3)
(4)
(5)

 


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今も温かい心を寄せてくださる人がいる幸せ

(2009年5月26日 火曜日)

 きれいな花模様の一筆箋でお便りをいただきました。「新型インフルエンザに係る町の対応に頼りなさを感じていました」との書き出しで、「〜南部さんのホームページを頼りにしていました。議員を辞められても、町行政と議会の“見張り番”として、まだまだ引退できませんね。これからもよろしくお願いいたします。〜」との文章が達筆でしたためられていました。

 ありがたいと思うと共に、少々面映ゆい気持ちです。4月29日に議員の任期を終えてから、早くも一月(ひとつき)が立ちました。「○○しなくちゃいけない」と、いつも何かに追いかけられていた日々から解放されて、今はユルユルの毎日を思う存分満喫しています。しかしながら、悲しきかな議員の習性(?)も少しは健在で、役場に行くとついつい文化情報コーナーで行政文書を閲覧している私がいます。

 猿は木から落ちても猿ですが、議員は選挙に落ちればただの人と言われます。私は引退したのですから、選挙に落ちた訳ではありません。しかし“ただの人”になったことを十二分に認識しているつもりです。そして“ただの人”になったことを「よかったね、正解よ!南部ちゃん」と喜んでくださる方もいます。未だ私を頼りにしてくださる方もいれば、一方ではより安穏の日々に私をいざなってくださる方もいます。

 どちらも、私のことを心底気に掛けてくださっているのは間違いありません。ありがたい気持ちでいっぱいです。後者のお一人Kさんが今日の午後、「お疲れ様でした。南部ちゃん」と、両手に余るほどのプレゼントを持って訪ねてくれました。Kさんは、議員になるずっと前から私を見てくださっていて、30年近くも変らぬ支援を続けてくださいました。

 人びとの深くて温かい支えがあったから、厳しい議員の仕事も全うできたと改めてしみじみ感謝の気持ちが満ちてきます。写真はKさん手作りのマーマレードほか、たくさんのプレゼントとクレマチスの鉢植えです。お持たせのおいしいケーキを頂きながら、5月14日に傍聴した臨時議会での市民派3議員の様子を伝えました。

 Kさんが帰ってから、千頭前議員の夫さんのおまいりにうかがいました。お通夜も告別式も行けなかったので、生協から届いたばかりの西瓜(千頭さんも私もスイカが大好き)とお花を持参しました。

Kさんのお持たせ数々
ケーキに乗っかっているのはホオズキ。
食感よく美味しくて驚きました
立派なクレマチスの鉢植え
夕闇の中で、一層気品ある花

 


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「議会だより」を無くしちゃおう、なんてことにならないように

(2009年5月27日 水曜日)

 議員を辞めて1か月たった今頃、「議会だより」の原稿を書いてくださいと依頼がきました。3月議会に行った一般質問の概要を、答弁を含め質問者が書きます。選挙を経たため、この時期にずらせたわけです。私は選挙前に(つまり任期中の4月29日までに)原稿の提出はしておくべきだと主張していましたが、通りませんでした。

 発行日に変更が生じるということでもありませんから、そう目くじら立てることでもありません。しかし思い起こせば、編集委員会で私の意見が通ることは滅多になかったように思います。その最たるものは「議会だよりに質問議員名を掲載すべし」との主張でした。16年間の間に何度か「議会だより」編集委員をしましたので言い続けてきましたが、結局議員名掲載は果たすことができませんでした。

 あまり利害が対立しそうもない編集委員会ですら、「自公民」会派に比べて「人びとの新しい歩み」と「共産党」両会派の意見は通りにくかったと感じています。「議会だより」は改選後の新しい編集委員方に委ねられました。議員名の記載をはじめ、ぜひ改革の一歩を踏み出していただきたいと願っています。住民にとって、より開かれた情報源となるための紙面づくりをお願いします。

 「人びとの新しい歩み」から委員に出ている戸田議員は、自身のブログで「議員名記載」を訴えています。ぜひ頑張って実現してほしいと思います。ただ一方では、大きな心配もあります。議員名云々どころか、「議会だより」の存在そのものが危惧される事態になるやもしれません。現編集委員長であるI議員は、かつて「議会だより」を自治体が発行する広報紙の一部(微々たる紙面)に吸収してしまう考えを表明していたからです。

 一昨年、当議員のたっての希望で、編集委員会は岬町への調査・研修を行いました。私は「議会だより」の弱体化、或いは存続すら危ぶまれる事態に繋がりかねない調査には難色を示しました。「岬町にどうしても行きたいのなら、次年度には充実度の高い広報紙を作成している議会を訪れることを前提にすべし」と私は訴えました。

 このことを踏まえて今年の2月、私たちは豊能町議会への調査を行いました。ところが、肝心のI議員は参加しなかった(できなかった?)のです。ここのところを新しい編集委員さんたちは、心に留めておいてください。I議員がまたぞろ自論を出してきた場合、少なくとも比較検討の調査結果を踏まえて選択されたものではないということになるのですから。

小さくて地味ですが、心惹かれる野の花

 


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町職員のボーナスカットは、仕方がないんじゃありませんか

(2009年5月28日 木曜日)

 5月28日は臨時議会が開かれました。選挙後初めての臨時議会が14日に開かれて、そのわずか2週間後に再びの議会は正直しんどいと思います。特に新しく議員になった人たちは慣れないし、よくわからない間にスケジュールが進んでいくので大変です。もっとも議席に座っているだけで一言も発言しないのなら、新人であれ“旧人”であれ、過密日程でも議案内容がなんであっても関係なく、楽チンなものなのでしょう。

 でもそれでは困るのです。議会は言論の府、先ずは発言しなきゃ議員の存在価値はありません。今議会で質疑及び討論の発言を行わなかったのは、平井・山口・東田・伊集院・川嶋議員でした。伊集院議員は議員提案の議案説明をしたにすぎませんから、これは口を開いたというだけで自身の発意に基づく発言とは言えないでしょう。

 さて議案は一般職員と特別職の町長・教育長(特別職に準じます)、及び議員の夏の期末手当(ボーナス)を夫々0.2か月分削減(一応「凍結」とは言っていますが)するための条例改正です。議案上程の経緯等、特に議員提案である議会議員の期末手当削減分については、市民派の3議員が自身のブログで分かりやすく述べていますから省略します。というより議会の外にいる私には、よく分からないのが正直なところです。

 議案の中身についてですが、私は特別職と議員分の削減は当然だと思います。また一般職員についても民間企業と比較すれば乱暴な言い方になりますが、押し並べて公務員は“まだマシ”な方じゃないかしらと思っています。余談ですが、先日義兄の葬儀で集まった中でも、30代・40代の働き盛りの甥たち2人が職を失っていました。今までも給与カットを重ねられて、行きついた先が解雇(形は退職であったとしても)です。勿論ボーナスなど望むべくもありません。

 親族の卑近な例をデータとしてはいけないかもしれませんが、公のデータである経済成長率や失業者率すらも、公務員にとってはまだまだ他人事なのではありませんか。反対した議員は、人事院勧告そのものが不確定要因に満ちているため容認できないことと、町職員組合の2つが共に交渉妥結をみていないことを挙げています。これらは当然反対の大きな動機づけにはなります。私も現職であれば大いに頷ける理由です。

 言うまでもなく、調査も分析も議員が力を注ぐべき大事な仕事です。感覚や恐れで判断をしてはならないと、私も自ら言い聞かせて議員活動をしてきました。従って、今回の人事院勧告が信用ならぬというなら、せめて「町長は町内事業所の給与状況調査を行い、その結果を踏まえたのか」、また組合が削減を呑めないというのなら「2つの組合は独自調査を行ったのか」くらいは問い質し、主張の正当性を担保すべきだったと残念に思います。

 また連合系と共産党系の組合が、双方ともに交渉決裂のまま議案上程に至ったということですが、今までのパターンなら共産党系の組合は妥結拒否で捨ておかれ、連合系のみの妥結で議案上程は「ゴー」でした。もちろん組織内候補者である議員が、その辺りの話をつけてきたのでしょう(だってそのために、組合として町会議員を擁立しているのです)。ところが、今回はどうなっちゃったんでしょうね?組合は「ノー」なのに、組合に支えられた議員は「イエス」と表決し、議案を通してしまったのですから。

 まあ、いろいろ不可思議なこともありますが、3議案は全て可決しました。表決の内訳は次の通りです。一般職員分は賛成11名(澤嶋・戸田・平井・藤原・山口・東田・清水・伊集院・岡田・川嶋・外村議員)、反対は4名(平野・高山・河野・冨永)でした。採決に際しての討論では、反対討論を冨永・平野議員が行い、賛成討論は戸田(初めての発言です)・岡田・澤嶋・藤原議員が行いました。

 特別職分と議員分は全員賛成でした。特別職に関しては、澤嶋議員が賛成討論を行ったのみでした。また議員分では、“結果的”には討論は行われませんでした。「結果的に」というのは、戸田議員が討論の発言を行うべく挙手をしたのですが、それを菅議長が見逃してしまったのです。確かに発言を求める「議長!」の発語は聞こえませんでした。しかし複数の議員が発言者の存在を知らせたのです。

 議長がそれらの声に気づいた時は、まだ討論終結を告げる議長の発言は途中であったのです。従って、戸田議員の討論は確実にまだ間に合うタイミングでした。議長も自公民系議員も、「声を出さないアンタ(アンタとは言っていませんが、そんなニュアンス)が悪い」と終結をゴリ押ししてしまいましたが、これは絶対「菅議長、アンタが悪い」のです。そして公平なサポートに徹しない議会事務局長も悪いです。

 何よりも議場をよく見ていなかった議長のミスです。議長は何のために一段も二段も高い所に座っているのサ!議事進行に当たって、議長は万全を尽くすべきでしょう?新議長はのっけから汚点を残してしまいましたね。それで「よしよし」してもらえる議会の構図になっているのでしょう。しかし私は菅議員が自公民議員の中では、まだしも公平な議員だと思っていましたから、心底意外でがっかりしました。

 想像を逞しくすれば、菅議員は今春の選挙で大幅に得票数を減らしたにもかかわらず、議長の座を手に入れたわけです。菅さんらしくない“強権発動”を目の当たりにして、傍聴席の私は苦い思いと共に、権力を手中にするために失うものを比べると、なんだか哀れさも感じました。まっ、人間「哀れ」って思われることほど、ア・ワ・レなことはありません。次期議会では是非とも「さすが!菅議長」と、住民にも納得してもらえる名誉挽回を期待しています。

 次に言及しておきたいのは一般職の期末手当削減についての「人びとの新しい歩み」の表決姿勢です。澤嶋・戸田議員は賛成討論、平野議員は反対討論と会派内で表決が分かれました。「人びとの新しい歩み」は議案の採決に際しては、お互い自己の意思を尊重します。それでよいのです。3議員はそれぞれが討論を行いましたが、賛成討論を同じ会派の2議員が行ったことに対し議場内でブーイングが起こりました。

 しかし澤嶋・戸田議員は共に必要があるから各々討論したのであって、一議員が発言権の保証をされている法令に照らせば何の問題もありません。ただし野次を飛ばす議員たちに聴く耳を持たせるためには、それなりの“工夫”というかテクニックは必要です。2人の討論の観点をきちんとすみ分けすること、文言を精査しクダクダ長い討論は避けること等です。

 討論が目の覚めるようなクリーンヒットなら、ヤジも飛ばせなくなります。「そういう南部の討論も、時にはクダクダやったやん」といわれそうですが、議席では気づかないけれど傍聴席に座って改めて「なるほど」と感じることって多いと気づきました。だから一人でも多くの人に傍聴をしてもらうのは、とても大事なことだと思います。

 しかし今臨時会の傍聴者も少なかったですね。常時傍聴席にいたのは私と、私より少し年配の男性1人だけでした。男性は前回14日の臨時会にも終日傍聴をされていたので、私はお声をかけてみました。「どなたか特定の議員をご支援ですか?」男性は「いいえ応援する議員がいるというわけではありません。議会の様子を知りたくて来ています」と答られました。頭が下がる思いと共に、これからも足を運んでいただけるような実のある議論と、正しく平等な議会運営を切に願ったことでした。

 さて、今回の写真は5月30日(土)に撮影したものです。当日は、とても素敵な集いにお招きを受けました。平野さん・澤嶋さん・戸田さんがお世話人となり「なんぶさ〜ん、ありがとう! 〜人びとの新しい歩みをともに〜」と題して開いてくださいました。もちろん皆さん平等に会費を支払い、費用は割り勘で賄いました。会場は水無瀬2丁目にある「アンジェラ」(フリースペースの貸し切りが可能)をお借りました。

 写真の見事な薔薇の花は、当日皆さんから「20年間お疲れ様でした」と贈られました。私が大好きなオレンジ色は、町長選挙と4回目の町議選挙時にもシンボルカラーとして使用しました。もう1枚の写真は、新進気鋭のガラス作家「新田佳子さん」の小さな花器です。私より20歳くらいお若い男性(!)のMさんがメッセージカードを添えて、そっと手渡してくださいました。水滴模様が一粒二粒・・・と。何ともいえず清冽な作品に、Mさんの清々しさが重なりました。

 過日の日記でも贈り物の白い薔薇の写真を掲載しましたが、その“薔薇の君”といい、今日の“ガラスの精”といい、ホント!私には不釣り合いな素敵な男性たちが、こんなに引退を惜しんでくださるとは思いもよらぬ幸せです。ホワ〜ンとジ〜ンとが私を包んだひとときを、これからも忘れないでいたいと思います。

 20年間のお礼を申し上げなければならないのは、実は私の方なのです。皆さん全員からの一言メッセージをお聴きしながら、苦しい時もつらい時も変わらず支えて下さったことを思い出して、私は思わず涙ぐんでしまいました。皆さんには長い間よくしていただいて、本当にありがとうございました。

 


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