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4月、春本番は選挙本番です
(2009年4月2日 木曜日)

 2月・3月分の日記は、空白(のほうが多いですが)を埋める気で未練たらしく残していましたが、どんどん日が進んでいきます。3月分はそこそこ書くことができたので「まあ、良し」としても、2月は3分の1も埋まりませんでした。大変申し訳ありません。でも暦はすでに春本番、4月に突入しています。自分勝手に気分一新してしまいますが、本日から4月の日記に移ります。

 日記のアクセス数は、3月18日の最終本会議で“引退宣言“をした後も毎日70〜80人(時には90人台も)に上ります。勿論私は4月29日までは議員の職にありますが、“辞めていく南部”には皆さんの興味は無くなると思っていましたので、訪問者数が維持できていることにはありがたさと少々の驚きを感じています。

 アクセス数の多さは多分選挙が迫っているからでしょう。私が応援している市民派議員候補者たち(平野かおる議員・澤嶋真紀子さん・戸田靖子さん)の動向を、私の日記から少しでも知りたいと思っているのでしょうか?私が見たところ3人3様ですが、いずれの選対も懸命に選挙戦本番に向かって進んでいます。そして私もワクワクしながら、忙しい日々を過ごしています。

 しかしよく見てみると完璧に進行している選対もあれば、「は〜っ、今頃?・・・困った!」と悲鳴を上げてしまいそうな選対もあり、また厚いベールのかなたの選対とか、第三者的に眺めると各々が実に個性的で面白いです。今回の選挙に対する私の応援スタンスは、選挙の準備事務にはタッチしないことです。まだ現職であるメリットと16年間の経験を生かして、候補予定者と共に一回でも多く街頭に立つことを心掛けています。

 でもそう決めていても、やっぱり準備作業に困っている候補者予定者には、役に立つかどうかも顧みず、思わず口も手も出てしまいます。昨日からは、ついには夫まで手伝わせる羽目になったりして・・・。これってすごく珍しいことです。私自身が4期の選挙戦を、基本的にはごく少数の友人知人と共に“自己完結”でやってきましたから。

 夫は定年退職をした後の今期町議選は少し手伝ってくれましたが、それでもそんなに自発的なものではありませんでした。じゃ何故、今回夫が他人様の選挙に関心を示したのか?それは所謂“判官贔屓”の心理が働いたのだと思います。

 この心理は無視できないですよ。特に投票行動において“判官贔屓”がブレイクすると、形勢逆転は簡単に起こります。まあ、でもこれは意図的に起こそうと思って起きる現象ではありませんから・・・。結局は候補者本人の力量と魅力が大事ということになりますか。

 今朝は、久しぶりに4人(南部・平野議員・澤嶋さん・戸田さん)が水無瀬駅街宣に揃いました。うれしかったです。さあ!あと5日経てば、泣いても笑っても選挙ですよ〜。

生協前で街宣を行う「とだ やすこ」さん。
町花の山吹にちなみ、差し色の黄色が上手に使われています

 


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選挙が目の前に迫っています
(2009年4月5日 日曜日)

 今日は日曜日だからでしょうか、某町長候補の街宣が賑やかです。車も複数台走り回っていますし、ハンドマイクを肩に2人が徒歩で街宣して回る“ペア部隊”も一組だけではなさそう。出遅れ感を取り戻そうと必死なのでしょうが、大政党だから可能な動員なのでしょうね。でも町外の人が原稿を読んで回るだけの街宣って、私はあんまり共感できないなあ〜。

 一方現町長の「川口ひろし新聞」も郵便受けに入っていました。「4年間に『何をしたか』を書き出しました」というわけですが、こんなの全部を汗水垂らして町長がやったわけではありません。ところで町長のホームページ(4月4日付)に「町議選の候補者が23人に」と書いてありました。エ〜ッ、またまた増えているじゃありませんか!

 議員の定数は16人ですから、確実に7人が落選します(落ちるのは新人ばかりとは限りませんよ)。また現職は私を含めて3人引退するはずですから、なんと新人の立候補者は10人にのぼりました。凄いことになっています!候補者が多いのは悪いことではありませんが、こんなに多数だとみんな浮き足立ってしまうのではないかと心配です。本番前の今でも町の中はザワザワ、候補者にはソワソワ感が漂い、落ち着かない雰囲気が進行しているような気がします。

 私たち(といっても私は立候補者ではありませんが)“市民派”議員の選挙は、街宣でじっくり訴え支持を広げるのが本来の姿ですから、騒がしい選挙に惑わされないようにしなければなりません。というわけで3ヶ月間はひたすら街頭演説に力を注いできました。毎週定期的に街宣を行っている共産党の議員はやっぱり上手ですから、市民派候補も見劣り(いや、聴き劣り?)をしないように頑張らなくてはなりません。

 ということで土壇場感は漂いますが、「明日の月曜日はJR島本駅で朝街宣をやりましょう」と誘いをかけました。明朝は戸田さんが駅西口で、私と澤嶋さんは東口でと、別れて本番前最後の街宣を行います。そのあと二人は美容院へ行って髪を整えてもらうのだとか・・・良いことです。私は日曜日に続いて、選挙のハガキ書きを続行します。

 宛先がダブらないように、いくつかの名簿をチェックしながら書くのは結構しんどいです。私の氏名と応援の一言コメントも書き添えて、300枚にほぼ1日かかりました。そのハガキ書きの追加100枚が明日のスケジュールに入りました。すでにかなり肩が凝っていますが、頑張って書き上げなければ発送に間に合いません。また選挙本番中は、澤嶋さんと戸田さんの選対に交互に平等に係ります。候補者のメリットになるようなサポートができればと、私もこの選挙を精いっぱい戦います。

 さて、この日記の更新は選挙期間中お休みいたします。選挙告示日の4月7日より投票日(12日)の即日開票が終了するまで、暫くのお別れです。再開の日記では、「3人の市民派、全員当選!」を伝えることを確信しつつ…。

阪急水無瀬駅前で朝街宣をする平野さん
同じく澤嶋さん
戸田さん

 


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告示日前日の島本駅、街宣入り乱れて大賑わい
(2009年4月6日 月曜日)

 告示日前日の朝街宣を、7時からJR島本駅で行います。街宣を始める前に、私はいつも路上と喫煙ボックスからはみ出したゴミを拾います。さて選挙前の最後の街宣です。私と澤嶋さんは駅東広場で、戸田さんは駅西側に立ちます。澤嶋さんは友人手作りの可愛らしいピンクの新しいゼッケンを胸と背中に付けてきました。一方戸田さんも友人の力作、ノボリを持参です。テーマカラーの水色の地色に氏名と黄色い山吹の花がアップリケされています。いずれも見事な出来栄えで、不器用な私は感心することしきりです。

澤嶋さんの新ゼッケン、
背景は歴史文化資料館
駅西口に立つ戸田さん、
ノボリが見えずすみません

 

 街宣も終わりになって、史跡桜井跡公園から拍手と大きな声援が飛びました。知り合いのМさんです。住民の目でいつも厳しい行政チェックを行っているМさんのお眼鏡にかなうなら、まあまあ聴いてもらえる演説ということになるでしようか。これで本番になっても合格点は頂けると、自信が湧いてきました。ちなみに街頭演説でメモを読み上げるのは、いくら名文でもやめたほうが良いです。民主党のH候補は新人だから仕方がないかもしれませんが、やっぱり字面を追っていると言葉に熱がこもりません。

 今朝の島本駅には私たちのほかに、いろんな候補者が立ちました。山吹民主クラブの5候補予定者には大前府議が、自由民主党クラブの3候補には松浪衆議院議員がついています。当会派は「ケンタ通信」を配布しつつ、自由通路(駅舎内改札口付近)で拡声器を使用しているので正直うるさいです。まっ、私たちもマイクは使用しているので人のことは言えません。法的には問題ないものと思いますが、道路とはいえ屋内型通路ですから、私たちはやったことはありません。

 暫くして、先日急きょ立候補を表明したW候補予定者がやってきました。支援者の2人を伴っていますが、演説はしませんでした。これで今朝の島本駅は5地点でアピールが行われていることになります。立候補者が多数(22人とも23人とも)と聞いていますが、明日からの本番は大変うるさい街中になることでしょう。澤嶋さんも戸田さんも選挙カーを使用しますが、名前だけの連呼はしないで政策の柱を訴えていくつもりです。

 駅西口に立つ戸田さんの様子を見に行きました。桜井50号線が通行できるようになったからか、アクセス道を多数の人たちが駅に向かってやってきます。一本道なので街宣を避けることはできず、なかなか有効なスポットであると思いました。戸田さんしっかり目立っていましたし、演説も益々よい出来栄えになってきました。街宣終了後、記載済みの選挙葉書300枚を戸田さんに渡します。おまけの追加の葉書100枚を渡されて、トホホ状態です。でも私ができることは何でもします。無駄になっても一向にかまいません。選挙では四の五の言っている場合ではありません。

 10時前に役場へ行きます。人事異動があって、議会事務局に異動してきたIさんに挨拶をします。冗談で「Iさんが異動してくるんだったら、私は議員を辞なければよかったわ」と言うと、議会事務局長が「南部さん、明日までまだ立候補は間に合いまっせ」と返してくれました。当分の間は選挙で議員は誰も来ず、事務局は少々ほっとしている様子がありありです。

 文化情報コーナーで総合計画審議会(3月26日分)のコピーをとり、3月分のコピー代1万円(先月も千枚ものコピーを取ったのでした)を会計に支払った後は、さっさと帰ります。帰り道、JR線路沿いの桜の写真を撮ります。保育所の子どもたちが散歩に来ていて、桜の下で休憩している様子はのどかで本当に良い風景です。

JR線路沿い百山の桜、
保育所の子どもたちも気持ちよさそう

 

 午後は戸田さんの追加葉書を書きます。戸田さんの名簿に載っていない人を省き確認しつつなので疲れますが、なんとか間に合いそうです。夜に毎日新聞社から電話がありました。あれこれ聞いてくるので確認すると、まだ私を候補者と思っている様子です。明日告示日ですよ。大新聞社がどんな情報収集をしているのかが分かって呆れました。今夜は早めにお風呂に入ります。私は候補者ではありませんが、明日からはフル回転で2つの選挙応援に突入です。しっかりサポートしなければと覚悟を決めています。


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今日から選挙です。3人の市民派議員当選を目指して頑張ります
(2009年4月7日 火曜日)

 なんてよいお天気なのでしょう。告示日にふさわしい「やるぞ〜!」って気合いの入る快晴です。私は今回の選挙、澤嶋さんと戸田さんに平等にかかわり応援をします。体は一つなので2人でも大変なのですが、なんとか頑張ります。一方平野さんには申し訳ないのですが、3人はとても無理なのです。平野さんは現職でもあり、選挙のノウハウも支援の仲間も確立していると信じて、私の力は新人2人に集中させてもらいます。

立候補者22人のポスターが掲示されました

 

 出発式の先発は、8時30分の戸田さん選対です。自宅事務所に隣接した小さな公園に、ご家族・ご近所さん・お友達・議員(府議小沢さん・高槻市議野々上さん・南部)約20人が集まりました。手作りクラフトの山吹をかたどったバッジを、みな胸に付けます。選挙カーにも山吹の花のステッカーが散らしてあります。選挙カーには顔写真、看板照明設備もついています。すべて整っている様子がよくわかります。

戸田さんの選挙カー、手作り感がいっぱいの楽しい車
お里のダルマも応援

 

 事前の用意周到の割には、出発式の時間が大幅に遅れて開始。小沢議員・野々上議員・南部が激励エールを述べました。戸田さんは決意表明の挨拶をしたあと、ダルマの片方に目を入れました。夫さんが選管の届け出から帰り、ポスターの位置はど真ん中で皆喜びました。私は大急ぎで山崎駅からタクシーで帰り、メゾン水無瀬で澤嶋さんの選対に合流しました。

 居住地のメゾンで、澤嶋さんが街宣の第一声を発しました。満開の桜のもと友人やご家族に囲まれて、小さいけれど温かな出発式になりました。小沢府議も掛けもちで大変です。駆けつけ、二木洋子高槻市議と共に応援演説をしてくれました。メゾンには他候補も入ってきますが、自ら演説をしない候補が多いので、すぐ引上げていきます。

澤嶋さんの選挙カー
街宣しながらお花見ができた今回の選挙です

 

 下村町長候補が近づいてきて、澤嶋さんに握手を求めました。今期で辞める南部には握手なしです。私を無視して去るなど(私にはこれ幸いですが)、下村さん解ってないよな〜。まあ、どうでもよろしいことです。さていよいよ選挙カーで街中街宣に出発。澤嶋さんのテーマカラーはショッキングピンクです。グッズの一つ、手袋はHさんが自宅で染めてきてくれました。介護の仕事で毎日ヘトヘトなのに、Hさん偉いよ!

 私たち市民派の選挙は、スポット街宣を中心に据えて辻々で訴えるスタイルをとっています。澤嶋さんの演説は長くて、じっくり話すのは得意なのだけれど、反面メリハリがありません。「短く短く」「枝葉は簡略化して」のみんなのアドバイスになかなか沿うことができません。ダラ〜ッとした時は私の演説で、聴いている人にインパクトを感じてもらうようにしていますが、ハテサテうまくいっているかしら?

 夕方5時、私がセッティングした3人の共同街宣(生協前)を行います。最後の戸田さんの演説に入った冒頭時、目の前で事故が起きました。自転車の女の子と乗用車が接触しました。マイクを通して私の叫び声が響き渡りました。本当にびっくりしました。すぐに街宣を中止し、あとは親御さんと救急車と警察に任せて各陣営は退去しました。後刻子どもにけがはなかったようで、本当にホッとしました。ただ自転車は一部つぶれてしまったらしいです。

3候補と小沢府議、連帯感が示せて良かったのですが・・・

 

 夜7時、水無瀬駅で早くも生声(なまごえ)の“お帰りなさいコール”をしている候補者たちがいます。ハンドマイク持参の我々に、H候補が注意をします。「申し合わせで、マイクはなしやで」と言います。私と澤嶋さんは「申し合わせに参加もさせないで、そんな約束私たちは知りません」と、大国屋さん前でしっかり街宣を行いました。8時以降は澤嶋さんの選対で反省&ミーティングに参加します。9時に帰宅。読売新聞社記者より、女性議員半数の実現について電話取材が入ります。

 戸田さんは夜8時半から水無瀬駅で“お帰りなさい”の挨拶を行いました。10時過ぎ、水無瀬駅に行ってみると皆帰ってしまって、澤嶋さんひとりで立っています。私も共に立つことにします。「お帰りなさい」等の挨拶を一瞬のうちにはっきり、大きな声で伝える必要があります。私は恥ずかしさなんか全くありませんし、結構効果的に生声を出すことができますから、“お帰りなさい”挨拶は効果的だと感じています。


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厳しくいきましょう!選挙は“仲良しクラブ”ではありません
(2009年4月8日 水曜日)

 選挙戦2日目、本日も快晴です。30分間でも朝のご挨拶の応援をと思い、メゾン水無瀬の入り口に行きましたが、澤嶋候補の姿がありません。スケジュール表では、確か8時までやるとなっていたはずです。ケイタイで確認すると、選挙事務所の開錠で手違いが生じ、候補者本人がカギを開けに走った模様。仕方ないかもしれないけれど、私の朝も30分は大きいぞ!澤嶋選対は候補者本人が結構右往左往するので、時間のロスが多いです。

 さて気を取り直して、メゾンで8時から街宣開始です。ドライバーはHさんです。彼女は非常にすぐれた選挙運動員です。運転技術もさることながら、今何が必要かを察知できる力があります。そして歯に衣着せぬ言葉で問題点を指摘します。私がHさんを評価しているのは、相手に対してちゃんと言葉にして発することができるという、この点にあります。

選挙カーを運転中のHさん、シャイなので後ろ姿です

 

 選挙は“仲良しクラブ”ではないのです。気を使い合いながらウジウジ思いながらでは、元気で弾ける選挙はできません。候補者の力量も背景も様々です。でも全ての候補者に平等なのは時間なのです。4月11日午後8時、選挙運動が終了するまでに与えられた、この5日間の時間だけは動かしようのない現実です。従って時間を使いこなせないような候補者や選対は、絶対に損です(まっ、これは選挙だけに限ったことではありませんが)。

 ここのところが澤嶋さんには届きにくいところです。先のHさんも街宣に同行していてズバズバ指摘するのですが、澤嶋さんの演説は時間も内容も一向に改善されません。候補者を過度に落ち込ませることはできませんから、仕方がない!本日より候補者のスポット演説回数を少しでも増やすため、私の応援演説は回数を減らすことにしました。

 町内いたるところで桜が満開です。広瀬公園でも緑地公園住宅(町営住宅)でも桜吹雪の中、自らの信念や未来のまちづくりについて語ることができるなんて、こんな幸せはありません。その上ベランダからエールあり拍手ありで、うれしい限りです。さて、本日の街宣の目玉であるスーパー万代前へと向かいます。しかし他陣営が集中し入り込めず、断念するしかありませんでした。

藤の木公園も桜がきれいです

 

 昼食はさわしま選挙事務所でとります。お弁当代はチャンと600円を支払いましたよ。澤嶋さんは昼食もとらずに、選挙葉書提出のため選り分け作業をしています。これに時間を取られ、街宣の出発は少し遅くなってしまいました。選挙カーを運転していたHさん、今度はバイクで山崎郵便局に走ります。動くのは口だけじゃないよと言わんばかりに機動力のある人です。

 午後の街宣途中で町外のTさんより連絡が入ります。「街宣車に乗りたい」とのこと。わざわざ遠方から応援に来てくれる人を無下にはできない、との候補者の心理は当然働きます。Tさんが乗車することで、あおりを食ったのがHさんと私です。私は休憩時間が取れるのでありがたいと思うことにしましたが、Hさんはウグイスさん初出番で張り切っていたのに気の毒な事でした。

 夕方、生協前で街宣を行います。この時間帯のこの場所は、人も車も多く効果的です。私の演説も絶好調!「働かない議員に報酬を支払うのは、皆さんの税金をドブに捨てているようなものだ」と絶叫しちゃいました。だいぶ前に辞めた元議員のSさんが来て、私に挨拶しました。東田候補の応援に来たらしいです。久しぶりにお顔を拝見しました。良い人だったけれど、Sさんが来て力になるんかなぁ〜(ごめんなさい)。

 生協から島本駅へミニ桃太郎(歩きの街宣)で移動。私たちの後で順番を待っている藤原候補と応援の大前府議のために、少し早めに切り上げます。別に遠慮する必要はないのだけれど、ちょこちょこ貸しを作っておくのも他陣営とのスムースな潤滑油となります。次に島本駅から阪急水無瀬駅へ桃太郎です。夕方にもかかわらず駅前は奇跡的に誰もいません。ラッキーでホクホクの街宣を行います。

 駅前に事務所を構えている千頭候補のところに、松浪健太衆議院議員が応援に来ています。それにしても松浪議員よく来ていますね。町議の応援というより、近づく衆院選のためでしょうね。澤嶋さんはいつも通りの演説をしています。でもこういうときは、やっぱりケンタ氏に関連性のある演説にしなくちゃね。「よう聴いといて下さいよ」と前置きして、私は「ケンタ通信」に記載されたM候補の「町は合併やむなし」に触れ、当方の反撃をしっかりと伝えておきました。

 暗くなってきたので、流し街宣に切り替えます。街宣8時終了。事務所で反省会&ミーティングを行います。「暗くなってからの街宣は、本人でなくてもよいのではないか。候補者の声を最終日まで維持するためには、ウグイスさんがやるべき」との意見が出ました。「まあそうなんだけれど、本人がマイクを離さないで、代わってほしいと言わなければ、ウグイスが勝手にしゃべるわけにもいかないしね」と意見が割れました。結局は本人の好きなようにするってことしかないとの結論になりました。

 夜9時から“お帰りなさい”の挨拶を開始します。私は10時まで付き合います。本来なら候補者本人がただ一人、夜遅くまで健気に立っているというのが効果的なのですが、澤嶋さんのボソボソ挨拶では心もとなく私がサポートしていました。けれどもう一人でしっかりやってもらわないといけないので、残る1時間は澤嶋さん単独の挨拶を行うことを伝えて、私は帰ります。

 選挙戦2日目が終わりました。食事のあとはドッと疲れが出ます。7日に中断した3人の共同街宣の日程を調整していましたが、10日の5時半にJR島本駅で行うと決めました。3選対に文書で連絡を入れます。日付はすでに変わっていますが、就寝前に日記用のメモを打ちます。メモを残しておかないと、記憶が取り戻せなくなります。これだけはどんなに疲れていても、パソコンに向かっています。


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選挙も中盤、やっと戸田さんの選挙に係ります
(2009年4月9日 木曜日)

 選挙運動期間中の南部流“勝手日記”をお届けしていますが、前回の文中で訂正があります。「松浪健太衆議院議員」の「浪」の字を「波」という“月並み”な文字で変換してしまいました。お詫びして訂正いたします。

 選挙戦も中盤です。たった5日間の運動期間ですから、前も後も真中もありません。しかし選挙戦を今日からどう展開していくのかは、勝利への大変大事な要因となります。選対が立てた計画表、いわば机上の作戦を検証することが必要です。候補者と一体となった運動が展開され住民間にも盛り上がりが見られれば、そのまま計画は続行です。

 候補者がどんどん波に乗り自信と元気を増し、選対のムードも明るく開放的になってくる選挙はやっぱり勝ちます。選挙の事前準備はこなさなければならない事務的作業が多すぎて、どうしてもスケジュール管理に走りがちです。しかし本番に入れば計画が完璧かどうかよりも、候補者の魅力をどれだけ露出させることができるか、また選対自体がどれだけ弾けているかにかかってくると思います。

 私の選挙は選対らしい選対なんかなくて(もちろん親身にかかわりを持ってくださる個別の支援者はいてくれましたが)、自分で考え自分で盛り上げてきたので説得力がありませんが、要するに住民の皆さんが候補者に対して湧き上がる力、ほとばしる力つまりオーラ?みたいなものまで感じてくださると大成功なのです。そしてその事を最大限引き出す役目が、終盤に向かって選対に課せられた仕事です。

 まっ、しかし前述のような状況は政党の組織選挙などには当てはまりません。組織など何もない弱小の市民派候補が、勝ち残るための可能性を示しているにすぎません。さて戸田さんの選挙は、出発式に参加した後は本日が初めての街宣参加です。今日と明日と最終日の午前中は、支援者としてしっかりと係る覚悟でいます。

 ちなみに、私が前段でクドクドと述べましたのは理由があります。中盤から本格参加する私にとって、戸田候補と選対の“弾け”具合が解らなかったのです。戸田選対がMさんという誠に優秀な選対長(灯台下暗しでしたが、お隣さんにいらした)のもと準備を進めてきたことは、私も選対の末席にいましたのでよく分かっています。ただ計画の完全な遂行と選挙の“弾け”具合は、いつもうまく寄り添って進んでいくものとは限りません。そこで、その辺りの懸念をちょっと述べさせてもらったというわけです。他意はありません。

 今朝も抜けるような青空です。8時半、戸田さんの街宣車とメゾン水無瀬で待ち合わせをします。戸田候補・元高槻市議のMさん(運転手)・ウグイスはYさん(男性)と私です。まずメゾンで3か所の街宣を行います。以降街宣した数か所で「南部さんを応援していたのに、なんで出はれへんの?」と見ず知らずの人から言われ、戸田さんはだいぶ困っていました。

メゾン水無瀬で演説する戸田候補

 

 そこで私は「なぜ戸田さんに市民派議員のバトンを手渡すのか」を演説で訴えます。立ち止まって聴いて下さる方もあります。南部を支援してくださっていた方々が疑問に思われたことに、私が街宣で回答するわけです。「ああ、そうか!」と納得してくだされば、そこではじめて聴き手に理解が生まれるのです。「なぜ?」がなければ「そうかわかった!だから戸田さんなのか」までは行き着かないのです。

 昼過ぎまで街宣し、昼食は戸田事務所で取ります。事務所では、ご近所のお母さんたちが子連れで出迎えてくれました。夫さんや戸田さんのご両親もいらして、大層和気あいあいとした選対の雰囲気です。戸田事務所の弁当はボリーム満点です。Sセンターの惣菜屋さんのお弁当とか。Yさんの手前お金を支払うわけにもいかず、ただで頂くことにしますが、澤嶋選対同様に後日弁当代は支払うことにします。

事務所前のお花とご挨拶のボードが、やさしい雰囲気で迎えてくれます

 

 JRで自宅へ戻り、1時間と少しの間休憩します。3時半に生協前で、再び戸田さんの街宣車を待ちます。車は遅れて到着。今晩開かれる戸田さんの個人演説会案内を兼ねて、夕方まで流し街宣を行います。同乗者のBさんの声がとてもよいです。Bさんはご近所の若いお母さんですが、選対の大きな力となって活動しています。

 ちなみに戸田さんの選挙事務所は自宅ですが、場所は西国街道の関戸明神裏(東側)になります。「関戸裏住宅」と呼んでいますが、初めての今選挙はこの関戸裏住宅の小さなコミュニティが温かい結束を示されています。選対長のMさんを核に、政治に係る“ご近所の底力”が花開こうとしています。“政治ごと”或いは“選挙ごと”はご近所ほどタブーで難しいのが、今までの常識でした。しかし関戸裏住宅の若い世代は、いとも軽やかに“選挙”を自分たちのものにしています。私は「目から鱗」の感しきりでした。

 戸田さんが自転車隊で生声街宣を行っている間、選挙カーは流し街宣を行い、私は5時過ぎに役目を終了しました。個人演説会まで自宅で休息します。午後7時半からふれあいセンターケリヤホールで「とだやすこ個人演説会」が開かれました。ゲストは小沢府議と私です。参加者は多くありません。30人くらいです。ほぼすべてが選挙に係る人たちです。舞台の下で丸く輪になって話しました。

 戸田さんと選対は「少ない」と感じたかもしれません。でも、こんなもんです。動員かけて人集めをする政党・組織と、市民派が違うのは当たり前です。むしろ公設の会場を使う、しかもケリヤホールを使う、その心意気が大事なのです。私は選管に問い合わせましたが、戸田さん以外どこも個人演説会は行いません。新人の無所属市民派ですから、威張っても良いくらいです。私はその心意気を大いに評価しています。「よろしいっ!」

 個人演説会終了後は、21時から23時まで“お帰りなさい”の挨拶に立ちます。今夜は先客に平野候補と選対のОさんが水無瀬駅に来ていました。少しの間、平野さんの挨拶に加わりました。遅れて澤嶋さん登場、戸田さんはお休みでしょうか。ここからは、澤嶋さんの応援をします。皆さん“お帰りなさい”コールに迎えられて、あからさまにいやな顔をする人はいません。今夜も出会ったお菓子屋のおばちゃんにも、江川のWさんにも「なんで〜ぇ?」と残念がられました。

 結局澤嶋・平野さん2組ともに、11時まで一緒に挨拶を行いました。本日、候補者は何時間労働になるのでしょうか?本当にお疲れ様!帰宅後「ちょっと一休み」と横になったが運のつき、翌朝の6時20分台まで目が覚めませんでした。あ〜ぁ、畳の上で転がっていました。顔洗わず・歯磨きせずで、後悔の念しきりの起床となりました。

ずいぶん前に青森からリンゴと共に届いたリンゴの枝。選挙戦の間に固い蕾が開いて真っ白な花が咲きました

 


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ちょっとみんな疲れが溜まってきたかしら?
(2009年4月10日 金曜日)

 朝一番にパソコンを開くと、戸田選対長のMさんよりメールが入っていました。中身は深刻!候補者の疲れが溜まってきたのか、意思疎通が十分なミーティングにはなっていない様子です。大事な内容なので急いで返信文を打ち始めましたが、澤嶋さんの街宣車に乗る時間が来てしまいました。Mさんには不十分ながら送信します。

 わずか5日の選挙運動期間ですが、選挙は非日常的な“舞台”です。慣れないことや意に沿わないことを、それぞれが必死になってやっているわけです。そんな中では、小さなこだわりや我儘が思わぬ波紋を広げてしまうこともあります。選挙中は「何事もプラス思考で積極的に進む」をモットーとしなければなりませんから、実は“根暗”の私もなかなか辛いものがあります。

 だから街宣車が出発するときには、私は自分に号令をかけます。「さっ!今日も颯爽と街中を行きましょう」と。窓から腕をぐっと突き出し、真上に伸ばし、手のひらを思い切りパーの形に開きます。行きかう人たちや車から見て「元気やなぁ〜」と瞬時に思ってもらわなくてはなりません。でも「そんなのダサイ(この表現自体がダサイ?)」と反発する人もいて当然です。

 しかし、選挙は候補者側がどう思うのかが第一義ではありません。有権者の皆さんに、「どう見られているのか」「どうすればよく見てくれるのか」「どうすれば1票につながるか」を基本に据えなくてはなりません。“究極のセールス”といってもよいでしょう。「私は私の満足する選挙をしたのだから、落選してもよい」なんて誰も思わないでしょう?確かに市民派のジレンマはあります。だからこそ、勝つ選挙にどれだけ自分らしさを織り込めるかを工夫・苦労するのです。

 さて澤嶋さんの演説内容は努力の跡が見えないこともありませんが、やっぱり長いです。選挙に身近で係っている私たちに、先ずは聴きほれさせ熱くならせてこその候補者街宣です。スポットを行う場所は所々で桜が散り始め、桜吹雪がえもいわれぬ風情です。演説を聞き流しつつ、桜の花びらを目で追っている私自身を自覚し、おもわず「アカン、アカン!」と戒めたことでした。

青葉の住宅街ではお花見のセッティングが整っています
水面に散る花びらが美しい

 

 お昼休みになりました。「役場前で職員向け街宣をしますか?」と澤嶋さんに確認します。明日は土曜で閉庁日ですから、庁舎に職員がいる昼休みは今日のこの時間帯しかありません。澤嶋さんは乗り気ではないようです。戸田さんが前日に先行しているため、比較されるのが嫌みたいです。アララ、そんな消極的なことではいけません。

 役場前で街宣を行ったからといって、職員の町内在住者は半数にも足りません。市民派の、しかもその中の澤嶋さんに1票をという職員は、ハナからいないと思って当たり前です。一番やりにくい、やりたくない人たちに向かって街宣をすることに意味があるのです。「ここは踏んばらなくちゃ」という時があるじゃないですか。元職の意地を見せてくれと私は思いました。まあ、私の激烈フォローで何とか職員向け街宣は終了しました。

 お目当てのスーパー万代前に行きます。街宣を行っていたのは平野候補でした。後をやらせてもらうことが、スムースに運んで良かった!さて澤嶋さんの出番という段になって、街宣車を背景にしての演説よりハンドマイクを使いたいと澤嶋さんが言いだしました。先に街宣を行った平野さんは、街宣車を使わない自転車の“エコ選挙”をアピールのひとつにしています。

 当然ながら平野さんはハンドマイクで街宣を行ったわけです。一方澤嶋さんも「環境」を訴えている以上、街宣車での演説は気が引けると思ったのでしょうか。自らも「ハンドマイクを使用する」と主張し始めました。桃太郎街宣や細街路での街宣でハンドマイクしか使用できない場合はともかく、街宣車を使うと決めて選挙戦を戦っているわけですから、他候補との比較云々や遠慮をしている場合ではないはずです。

 澤嶋さん曰く「万代の警備員と選挙カーのトラブルがあったから」と言うのですが、私を始め運動員への不満の声も出しました。私は「澤嶋さん、この選挙勝ちたいの?それともカッコつけたいの?」と心の中でつぶやいていました。この期に及んで私たちに「?」を抱かせる候補者って・・・なんですか?全くこういうところが、澤嶋さんの優柔不断さを物語っていますね。結局は役場前スピーチも、マンダイも何の支障もなかったで〜す。

 ちょっと私も頭を冷やさなければならないと思いました。幸い戸田選対からの要請もないので、昼過ぎから夕方の共同街宣まで休息を取ります。気持ち良くうたた寝をした後は、体と気持ちがずいぶん軽くなりました。再度の3候補共同街宣にも、諸々にこだわりなく元気に望める気力が湧いてきました。

 さて夕方5時半、JR島本駅東広場に市民派の3候補者が集結しました。告示日初日におこなった街宣が中断したため、再度の共同街宣です。各選対の運動員や支援者、小沢府議・池淵議員(吹田)・二木議員(高槻)の夫さん・Kさん(高槻)たち町外の人びとも多数参加してくださいました。それぞれがライバル同士の3候補、厳しい選挙戦を戦っているのですが“島本の草の根市民派ここにあり”と連帯と結束を示してくれました。

市民派3候補の共同街宣です。
小沢府議の応援エールで終盤戦にゴー!
とだ選対は10数人の応援隊が参加、
お揃いのスカーフ・ワッペンはご近所さんの手作りです

 

 今回もまた小沢府議の力強いエールをもらいました。また私も司会をしながら「なぜ町議会に市民派が必要なのか、なぜ私が引退して数を増やすのか」を訴えることができました。共同街宣が終わって、本日あと2時間の街宣へ3選対は散っていきます。澤嶋・戸田選対も桃太郎街宣をするようですが、いずれも私を放ってサッサと行っちゃいました。

 あぶれた小沢さんと私は立話。小沢さん「○○さん危ないで」、私「そんなん、あり得ないです」、小沢さん「票割してへんかったら起こり得るで」、私「票割なんかしたくてもできひんし、私も3候補も全くその気はないです」と答えました。小沢さんはごく当たり前のこと、支持者たちも心配していることを指摘してくれたのです。

 私が今期頂いた1407票は3候補に1票の漏れもなく渡ってほしいと思いますが、800人の選挙ハガキの宛先を超える600人の方々は、私が名前も顔も知らない人たちなのです。従ってこちらからのアプローチは叶いませんし、票割なんてできません。結局のところは3候補者がそれぞれ訴える力で、南部の1407票をどれだけ自分のものにしてくれるかに尽きるでしょう。

 追っかければどちらかの桃太郎についていけたのですが、頼まれもせずついていくのもアホらしいので、そのまま帰宅しました。今夜はニュースの時間に間に合いましたが、小沢さんの「危ないで」が耳にこびりついて、テレビも上の空でした。危機感を一向に実感していない候補者にちょっと反抗して、今夜は“お帰りなさい”挨拶もボイコットします。明日で選挙戦も終わりです。私も気持ちを立て直して、弾けなくちゃね。そのためにはしっかり眠っておかなければなりません。


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泣いても笑っても、いよいよ選挙戦最終日
(2009年4月11日 土曜日)

 5日間の選挙運動期間は本日で終わりです。こんなに良いお天気が続いた選挙は初めてです。毎回花冷えの日が必ずあって、候補者の私も体調管理がうまくいかない場合が多かったように思います。ところが今回は晴天続きで、しかも暑いくらいの日々でした。市民派議員候補の平野さん・澤嶋さん・戸田さんは皆元気です。候補者自らが街頭演説を頻繁に行っているのは市民派が一番だと思いますが、3人とも声も枯れてはいません。さあ、今日は私もパワー全開で参ります。

 さて街宣のスタートは、8時半のメゾン水無瀬からです。メゾン内2ヵ所で、戸田さんと私は演説を行いました。街宣車は10時過ぎに、一旦選挙事務所へ帰ります。そこで戸田さん曰く「南部さん、桃太郎お願いできます?」「はい」と答えたものの「ありゃ〜、帽子も用意してきてへんから4月の強力な紫外線浴びまくりやなぁ〜。これじゃ、またまたシミが“増殖”しそうや。顔にシミがあるのと違って、シミの中に顔があるという状況になってしまいそうや。怖わ〜」とつぶやいていました。

 そして桃太郎の行きついた先が、大阪水上隣保館で開かれる桜バザー会場近くの西谷踏切そば。直射日光のもと、バザーに向かうお客さんへの“お立ち”挨拶を生声で開始します。選挙カーで街宣に出発していた戸田候補が“お立ち”に合流しました。さすがに今日はどこの選対も考えることは同じです。桜バザー目当ての候補者は、川口町長・菅・平野・村上・田口・戸田の各候補で、ズラリと並びました。

手前から川口町長候補・田口町議候補・同じく村上候補、
向かいは菅町議候補
颯爽と手を振る平野さん

  

 フムフム、町長のところは若者を揃えているな。町長の息子や中学校校長の息子もいます。ウ〜ン、田口候補は川口町長を支えるために立候補したと聞いていますが、どうなのでしょう?この間まで消防職員(3月末で定年退職)だったため、「お疲れ様でした」と一応挨拶に行きました。そこで聞いた田口候補の言葉にびっくりしました。

 田口候補はこういったのです。「消防職員は皆感謝しています。パワーハラスメント事件で南部議員がよく働いてくれたこと、特に若い職員たちは本当に救われたと言っています」と。私は心が震えました。町議候補者としては、いわば敵対する戸田さんを応援しているこの私に、感謝の言葉を伝えられるとは思いもよりませんでした。そして、このような場で聞いた言葉だからこそ真実だと思いました。うれしかった!議員冥利に尽きるとはこのようなことを指すのだと実感しました。

戸田さん
戸田さん応援隊

 

 お昼になって、食事を事務所でとすすめられましたが、戸田事務所には帰らずJRで島本駅へ。生協でおにぎりを買って澤嶋事務所へ走ります。午後からは澤嶋さんの選挙カーでウグイスです。夕方、奇跡的に生協前・島本駅・水無瀬駅で街宣ができました。水無瀬駅前の千頭事務所には松浪健太衆議院議員がいます。それにしてもケンタ氏よく来ています。さすが自民党、選挙応援は実にマメです。最後の駅前スポットは私も相当リキが入り、演説終了時には拍手をもらいました。

 午後7時半いよいよカウントダウンが迫ってきました。澤嶋さんの選挙カーは最後にメゾン内を回ります。選対にかかわった人々が公園前に集合しています。私はラストだからと絶叫調演説はやめました。選対の皆さんに感謝とお礼を述べ、この選挙を振り返る感想を述べました。最後の演説は候補者が地元メゾンの方々に熱く訴えをするべきだと思ったからです。残念ながら澤嶋さんの演説は聴けずに、戸田さんの選対へ急ぎます。

 山崎までタクシーを使えば終了の8時までに間に合うかと思ったのですが、駅前にいつもはたくさん駐車しているタクシーが全くいないし、戻ってもきません。タクシー乗り場がある川側ロータリーで、町長候補の下村さんがファイナル街宣を行っています。一番盛り上がらなければならない最終の演説が、何とも人を食ったノリです。

 決定的に「あかんわ」と思ったのは、「私も現職のお尻をかすめたくらいは頑張れたかな」との言葉でした。嘘でもいいから「肉薄した」、或いは「追い越した」と言わなくてはなりません。え〜っ!これじゃ共産党の支持者以外は投票しないぞ。現職の川口さんも実力がある町長とは言えないから、首長を奪い取るチャンスなのに「何考えてんのん!」と怒りがこみ上げてきました。

 戸田さんの選挙事務所に到着したのは8時を過ぎてしまいました。戸田さんの最終演説は終わっていましたが、皆さん公園前で生声の一言感想を述べていました。間に合ってよかったです。私は候補者と選対を称えながら、関戸裏のこじんまりした住宅地から生まれた地域パワーに希望を感じました。“ご近所”の絆が政治に結びついて、我らが候補者を送りだそうとするその力は、新しい選挙の形を示すものとして注目に値すると感想を述べました。

 選挙戦は終わりました。さて結果はどう出るでしょうか。3候補ともに落選は絶対ない!3期目の平野さんは上位に食い込めるか?澤嶋さんは以前次点だった票数にどれだけ積み上げることができるか?新人戸田さんの高い前評判を裏付ける票数はいかほどか?本当に厳しい選挙でした。

 9人の新人が立候補し、落選者は6人にのぼる、未だかつてない激しい選挙戦でした。私は今期で引退するわけですが、市民派候補全体に係り、中でも澤嶋さんと戸田さんには身を裂いての応援となりました。市民派議員を2人から3人に増員するための夢は必ず叶えられると信じて賭けた私の議席が、どうか無に帰することのないようにと、今夜は祈るばかりです。

 皆さん本当にお疲れ様でした。


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市民派候補三人揃って当選!皆さんありがとうございました
(2009年4月12日 日曜日)

 選挙運動が終了して一夜明けた今日も、変わらず快晴です。久しぶりに、ゆっくり眠ることができました。溜まっていた家事を片づけ、お昼ごろ投票に行きました。良いお天気過ぎて皆さん行楽に出かけちゃったかも、でも晴天は無党派層が支持してくれるであろう市民派に有利かも等々、あれこれ気をもみますが、今更しようがないですよね。一生懸命頑張ったんだから、胸を張って“その時”を迎えましょう。

澤嶋さん最終街宣時に、私にもくださったMさんの花束
(ご自宅で育てた草花をセンス良くブーケにして)

 

 夜8時に投票は終了しました。9時からは楽しみにしていた「レッドクリフ パート1」を見ようとテレビの前に座りましたが、画面を見ていても全く身が入りません。開票結果が気になって、気になって!開票場の体育館に急ぎました。自分の選挙(町議選4回・町長選1回)では開票を見に行くことはなかったので、20年間を通じて今回が初めてです。

 部長職以下職員総出の開票作業が進んでいました。ギャラリーも多数きています。高槻ケーブルテレビも中継に入っています。私は全く気づかなかったのですが、画面にウロチョロ出没していたそうで恥ずかしい限りです。皆さんテレビを見ていて、得票数が発表されるまでの間は私を見つけて笑っていたとかいなかったとか・・・。けれど開票場にいても結局のところ、何がどこまで進んでいるかはよくわからなかったです。

 町長選の結果が出ました。川口ひろし候補当選(8555票)下村真候補(6103票)で、現職川口町長2期目の当選です。有権者数23839人・投票率63.92%。私は下村候補の得票数にびっくりしました。前日の日記にも書きましたが、私が聴いた演説は感心できませんでした。あの演説でこれだけの票なら、軽いノリを止めて“まとも”に演説していたら、逆転していたかもしれません。

 選挙戦中に川口候補の演説を聴いたことがなかったので比較はできませんが、まあそれだけ現町長への期待が薄かったということかも知れません。共産党は候補者の選定を誤りましたね。町議候補の高山さんを町長に推して、むしろ町議に下村さんを選んだほうが、2人共勝ち目はあったかもしれません。まあ、よそのことですから私が言うことでもありませんが・・・。

 さて町議選の最終結果が出たのは、ずいぶん遅くなり日付が変わっていました。市民派の中で開票立会人のクジを引き当てたのは、平野・澤嶋両選対でした。票の点検が終盤に近づいて、澤嶋さんの夫さんが素早く両手を頭上に挙げて丸を作りました。ヤッター!澤嶋さん当選です。平野選対から出ているОさんを注視しますが、指の動きではよくわかりません。

 多分派手なジェスチュアーは禁じられているのだろうと思いましたが、はっきりしません。アッ、でも確かにОさんはピースのサインを出しています。やりました!平野さん当選です。じゃ、戸田さんはどうなのかしら?ヤキモキしますが分かりません。実はОさんは2本指のピースじゃなくて、3人当選を示す3本の指で合図をしてくれていたのですが、ギャラリーからは読み取ることができませんでした。

 やっと最終の開票結果が選挙管理委員会委員長の報告のあと、ギャラリーに掲示されました。町議選は有権者23839人・投票率63.94%で、結果は下記の表の通りです。投票率が町長選・町議選共に約4%アップし、60%台に復活したことはよかったと思います。戸田さんの当選を確認しました。市民派3候補全員当選です!あ〜本当に、本当に良かった。ホッとしました。なんか足が地につかない感じで帰路につきます。

町 長 選 挙
氏    名
党 派
得 票 数
川口 ひろし
無所属
8,555
下村 まこと
無所属
6,103
町議会議員選挙
氏      名
党   派
得 票 数
かわの  恵子
日本共産党
1,109
東田   正樹
民 主 党
981
かわしま 玲子
公 明 党
931
高山   佳昌
日本共産党
927
おかだ  初恵
公 明 党
912
伊集院  はるみ
自由民主党
862
平井   ひとし
民 主 党
860
ひらの  かおる
無 所 属
830
外村  としかず
無 所 属
768
10
すが   俊勝
無 所 属
762
11
清水  てるみつ
無 所 属
744
12
山口  ひろよし
民 主 党
645
13
さわしま 真紀子
無 所 属
592
14
冨永   ちひろ
日本共産党
585
15
とだ   やすこ
無 所 属
550
16
ふじわら 靖彦
民 主 党
485
17
村上   つよし
無 所 属
479
18
野村  みちなが
無 所 属
475
19
ちかみ  やえこ
無 所 属
400
20
みさわ  正夫
無 所 属
369
21
若林   さだお
無 所 属
278
22
田口  としはる
無 所 属
234

 途中、澤嶋選対事務所に寄ります。澤嶋さん「ありがとうっ」と抱きついてきました。私も「おめでとう!よく頑張ったよ」という声が涙声になります。先ずはM選対長さんにお礼を言います。Mさんは無理を承知のお願いを聞き届けてくださって、選対には途中から参加してくださいました。いきなり町外から引っ張ってこられて、さぞやりにくかったと思います。でも動じることなく、ソフトムードで選対を指導していただきました。

 澤嶋さんの夫さん・息子さん・応援の方々にもお礼を言いました。だってただ単に澤嶋さんが当選してめでたいだけではありません。私にとっては進路を断ってお願いした「市民派議員の数を増やす」、このことに見事応えてくれたのです。従って候補者を支えた皆さんには、いくらお礼を言っても言い尽くせません。当然ながら戸田さん・平野さんと其々の選対の皆さんにも深く深く感謝し、お礼をお伝えしなければなりません。

 「明日の朝は駅前に立って、ご挨拶を行ってくださいね」とだけ伝えて、事務所をすぐに辞しました。早くご家族だけにしてあげて、少しでも候補者を休ませてあげないといけないと思ったからです。家について、すぐに平野さんと戸田さんに電話を入れました。「平野さん、地道な活動が実りましたね。大きく得票数をアップしての当選です。本当におめでとう!」「戸田さんおめでとう!新人で、しかも2候補とは支持者が重なる中で、よく頑張られた立派な得票数です。地域の皆さんとのつながりが活きましたね。」

 こんなに遅い時間帯なのに、メールがどんどん入ってきます。返事を返していると、明け方の4時になってしまいました。歯磨きはしたけれど、もう顔を洗う元気が出ません。ベッドまで体ももっていけません。アララ!またパソコンの下で転がってしまいました。でも本日は幸せのゴロ寝、どうか許してください・・・zzz・・・

3人揃って当選証書を見せに来てきてくれました
(我が家の玄関先で)
その心づかいに、うれしくて涙です

 


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選挙結果で思ったこと
(2009年4月20日 月曜日)

 選挙戦が終了してから、運動期間中の日記を1日づつアップしました。その間の1週間はアッという間に過ぎ去ってしまいましたが、市民派3人の当選は、今もうれしい余韻となって残っています。また選挙の報告を書いていた期間は多くの方々がホームページを訪問下さり、14日は177人、15日は136人とアクセス数がいつもの2〜3倍に達しました。今も連日90人近くに上っていますが、ハテサテ任期が終了する29日以降の日記を継続するべきか終了するべきか、今迷っています。

 さて昨日19日は戸田さん当選のお祝い会があったのですが、残念ながら出席できませんでした。闘病中の義兄が亡くなってしまいました。お通夜は今夜なのですが、昨日からバタバタと大阪を行ったり来たりしています。うれしいことがあったり悲しいことがあったり、目まぐるしく時は流れていきます。選挙中の桜吹雪が瞬く間に新緑の芽吹きとなって、すっかり初夏への装いを整えています。

 ところで、少し選挙結果の話に戻りたいと思います。私自身は自らの選挙結果を分析したこともありませんでしたが、今回の選挙で顕著に表れたのが自由民主党クラブの勢力減少(衰退或いは凋落と言ってもよいでしょう)です。何せ議会内の最大会派(5議員)から、市民派及び共産党の3人会派にも劣る2人会派に減少してしまったのですから。因みに、山吹民主クラブは5人で変化なし、公明党も2人で現状維持となっています。

 自由民主党クラブは伊集院議員(前回より178票の増)と清水議員(前回より86票の減)のみが当選しましたが、あろうことか現職3議員が落選してしまいました。野村議員は前回662票でしたが、今回は475票でマイナス187票です。千頭議員は前回742票・今回400票でマイナス342票、実沢議員は前回601票・今回369票でマイナス232票です。

 結局4人(当選の清水議員を含めて)の現職で847票も減らしています。一人伊集院議員のみが票を増やしましたが(なんでか?私は分析不能)、会派全体では669票を失ったことになります。この原因は村上候補(479票で次点)・若林候補(278票)・田口候補(234票)の3候補に票が流れたと見るべきか、自らの個別要因で票を減らしたのか、よくわかりません。

 しかし戦略としてはまずかったですよね。国会議員のケンタ氏や府議会議員の吉田氏は、どういう結果を導き出したかったのでしょうか?確実に訪れる衆議院議員選挙に備えて、自民党の勢力アップを図ろうとしたのでしょうが、現職の働きぶりを過大評価していたのではないでしょうか。住民はよく見て選んだのですから、民意の情報収集不足と言ってもよろしいかと思います。

 かく言う市民派も、前回からは346票も減らしています。前回は南部が1407票、平野さん565票、澤嶋さん346票(次点)の計2318票でした。今回南部は引退し、平野さん830票(前回より265票の増)、澤嶋さん592票(前回より246票の増)、新人の戸田さん550票で計1972票です。従って3人当選は目出度いことは確かですが、随分市民派の票を減らしてしまったというのも現実です。

 自らの反省も踏まえつつ、自由民主党クラブさんへは失礼を省みず、誠に勝手な分析(ともいえないコメントですが)をしてしまいました。住民の皆さんはどのような事後評価をされているのでしょうか?

4月18日から、桜井西側のレンゲ畑が開園しました

 


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選挙結果で思ったこと、山吹民主クラブと外村さんの巻
(2009年4月21日 火曜日)

 昨日は市民派と自由民主党クラブの選挙結果について書きました。後の3会派についても、少しふれておきたいと思います。山吹民主クラブについては、構成人数5人は変わりません。原野議員が退任し、東田さんが新しくメンバーに入りました。

 東田さんは民主党公認候補であること、候補者の中で一番若いこと(それでも40歳直前)、団体の強い後押しがあること、お父さんが議員だったこと等々の影響か、なんと第2位の981票を獲得しました(ワタシ的には何故好成績なのか、よくわかりませんが)。

 継続組で前回より票を増やしたのは2人です。山口議員は206票増の645票、藤原議員は15票増で485票でした。一方票を減らしたのも2人で、平井議員は65票減で860票、菅議員は370票減で762票の得票数でした。菅議員の激減ぶりが目立ちますが、選挙前から自らがこぼしていた「出身企業の後ろ盾がなくなったからしんどい」が現実になったようです。

 ところで山口議員が大きく票を増やしたのは、なぜなのでしょう?議員仲間としての4年間は、まあ悪くはない質疑内容ですが、それが住民の方へのアピール材料となったとは考えにくいです。平井議員は票を減らしましたから、議長の肩書もあまり効果がなかったようですね。藤原議員も次点の村上さんとはわずか6票差で当選しました。前回より15票を増やせたのが、功を奏したといえます。こうなると1票が大事だとつくづく思い知らされます。

 まっ、山吹民主クラブは落選者が出なかったことにホッとしていると同時に、今後の議会運営では単独の“大会派”として、大きな顔を継続していくつもりでしょうね。4年前の川口町長誕生時当初は、山吹民主クラブもまだ町長に対する批判勢力として存在していたのですが、いつの間にか“イエスマン”になっちゃいました。新しい議会も、町長与党の山吹民主クラブ・自由民主党クラブ・公明党の9議員が牛耳っていく構図になるのでしょうか?

 市民派は是々非々で表決に臨みますが、町政を厳しくチェックする立場からは、やはり“野党”に位置するポジションにいます。共産党は町長選に対抗候補を出したのですから、当然野党です。しかし両会派合わせても6名ですから過半数には達しません。それでも事によっては、“与党”会派の思うがままにストップをかけられる可能性も出てきました。

 ところで、外村さんはどこかの会派に所属するのでしょうか。少なくとも市民派会派「人びとの新しい歩み」の3人とは、違う人です。どこかの会派に入るのでしょうか、それとも“一匹狼”で行くのでしょうか?得票数768は新人にしてはよく取った票です。もとより一議員の主義主張に立ち入ることはできませんし、外村さんの所属云々は私たちの市民派会派にとってあまり関係がないと言っても差支えがありません。

写真は3枚ともふれあいセンターの散策路に咲く桜です
センターの桜は少し遅れて咲くため、
町内で2度目のお花見ができます
撮影は選挙戦最中の4月9日ですから、
今はもう青葉に変身しています

 


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選挙結果で思ったこと、少々脱線の巻
(2009年4月22日 水曜日)

 当日記で3回にわたり、各会派別の選挙結果について私見を述べてきました(まだ共産党と公明党についてが残っています)。私が書いていることといえば、前選挙における得票数との単純な比較でしかないかもしれません。一方各政党では小さい島本町の選挙とはいえ、専門的な分析を行っているでしょうし、各会派においても反省点や次期への課題に向けて検討が始まっていることでしょう。つまり、2009年の選挙は完結したのですが、実は既に2013年選挙への第一歩が始まっているということなのです。

 ここのところが一般的に言うと市民派と称する議員たちにとっては、苦手でもあり意識が希薄になりがちな課題だといえます。市民派議員はお互い緩やかな連帯を保ちつつ歩んでいますが、大切にしているのは自分の意思及び自分の活動です。住民の皆さんと共に歩みながら、自己の議員活動を高めていくことこそが、市民派の“王道”であることは紛れもない真理です。もちろん私も16年間、誠実にその道を歩んできたと自負しています。

 しかし「それだけじゃ駄目よ」と自問自答する声は、年々大きくなってきました。既存政党の力がどうとか、会派の大小がどうとか、嘆きながら愚痴りながら「到底太刀打ちできないんだから」と言い訳をしてきたのは、実は市民派がその努力をしてこなかった結果ではないかと、その思いを打ち消すことができなくなりました(厳密に言うと私の2期目に当選され会派を組んだR議員は、私の誘いに応じて下さったわけですから、南部の成果といってもよいと思います)。

 つまるところ、仲間を増やす努力をしてきたの?本当は「自分だけが良ければそれでよい」と思っていたんじゃないの?そんなことじゃ愚痴っている間に、市民派なんて消滅してしまうよ。一人から一人へのバトンタッチじゃ永遠に市民派議員は増えていかないよと、私はずっと繰り返し考えてきました。そしてついに、2人の議員がゆうに当選することができる得票を頂いた2005年の選挙終了時、私は「議員を増やす次期へのチャンス」を確信しました。

 今も、街中で出会う人の多くが「なんで今回選挙に出なかったの?」と惜しんでくださいます。中には泣いて悔しがられる人もおられます。また私のやり方を「戦略的だ。市民派はもっと自然な流れで良い」と忠告してくださる方もいます。みんなみんな真剣に私のことを慮ってくださっていることがありがたく、感謝の気持ちでいっぱいになります。でも今回の私の決断で、市民派は2人から3人に増えました。喜んでいただきたいし、できれば私のことも少しは褒めてほしいなと思っています。

 平野さん・澤嶋さん・戸田さんのうち、今後の選挙で2人の議員を立候補させることができる得票を頂いた人は、私の決断を踏襲してくださると信じています。議員経験からも得票数からも、可能性が最も近いのは平野議員です。2013年の選挙、或いは2017年選挙に向かって、平野さん!さあ市民派の種を蒔く準備をしてくださいね。澤嶋さん・戸田さんもいつの日か後に続いて下さることを信じています。会派「人びとの新しい歩み」が最大会派になる日も視野に入ったような、ないような・・・うふっ!楽しみです。

元気いっぱいに泳ぐ鯉のぼり
(背景の建物は「ふれあいセンター」)
保育園からレンゲ畑に遊びに来たよ
JR島本駅西側には、こんな素敵な農空間が残っています
(左端の建物は駅西口)

  


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選挙結果で思ったこと、共産党と公明党の巻
(2009年4月23日 木曜日)

 共産党については何といっても、高山さんの8年ぶりの復活でしょうか。私から見れば、69歳の年齢に目をつぶったとしても失礼ながら「まだ出ます?また出ます?」という感じが無きにしも非ずです。しかし結果は927票で堂々の4位でした(高山ファンは健在でしたね)。その分冨永議員が前回より206票も減らして、お尻から3番目になってしまいました。一方河野さんは1109票で第1位、立派なものです。でも得票数は、前回より144票も減りました。

 共産党は前回の選挙では2人で2044票でしたが、今回は3人で2621票を得票して577票増やしています。しかし1人当たりの票数をみると、前回は1022票で今回は874票です。まあそれでも市民派同様、2人から3人になったのですからお目出度いことです。また高山さんは常時、河野議員や冨永議員と共に議案書の検討等もしていたようですから、勘はすぐに戻ることでしょう。 

 さて公明党については杉本議員に替わった川嶋さんが当選し、女性2人の会派となりました。川嶋さんは新人ながら931票で3位、岡田さんは912票で5位でした。公明党は前回1822票で今回は1843票、わずか21票ですが得票数を増やしました。1800票を連続して超えていることから、3人出しても当選するのにと思ってしまいます。しかし私たちは与党権力の増は望みませんから、今後も公明党にはゆったりと2人体制で行ってねと願っています。

 これですべての会派を振り返ってみましたが、現在の会派構成になるのかどうかはまだ分かりません。5月1日には初めて議員たちが一堂に会する議員協議会が開かれるようです。ここで会派の届け出様式や、議長ほか役員選考や所属常任委員会についての進め方について諮られます。いよいよ4月30日からは新しい議員で構成される議会がスタートすることになります。

今年も見事に咲いたモッコウバラ

 


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役場の職員と話すのも、あとわずかです
(2009年4月24日 金曜日)

 一昨日は久しぶりに役場へ行きました。議員年金の手続き書類等を貰いに議会事務局を訪れました。新年度に異動してきた職員は全く悪気なく、私を立たせたまま説明を始めました。「?」と思いましたが、そのまま聴いていました。さすがに課長と元からいる職員が気づき接客室へと促してくれましたが、こんな基本的なマナーが欠けているようじゃ情けないですね。

 千頭八重子議員が来ていました。落選されたので声もかけづらかったのですが、主義主張は違えども8年間は共に議会活動をしてきた人です。選挙戦の疲れも労いたかったし、何よりもなぜ自由民主党クラブの現職が3人も落選したのかを、単刀直入に聞きたいと思いました。千頭さんは議会事務局長と話していましたが(なんと!コーヒーが出ていたよ)、私は「局長との話が終わられたら、私に5分ほどお時間いただけますか」と申し入れました。

 5分どころか、いろいろと随分長く話をしました。千頭さんは「自分の力不足」と反省の弁を述べていましたが、正直落選するとは思っていなかったでしょうね。会派内の事情や松浪健太衆議院議員の係り等諸々あったようですが、ここで私が公開することではありません。でも驚いたのは、自民党支持の固い結束のもと運営されてきた「自由民主党クラブ」が、意外にもろい会派であったという事実です。

 私は正直なところ、実沢議員(75歳)も千頭議員(72歳)も引退されて十分な年齢ではないかと思っていました。でもそのことを説得できる人もいなかったのです。立候補した限りは誰でも当選を目指すのが当たり前ですから、現職5人のうち2人しか当選できなかった今回の結果はひどい状況ですし、落選者にとっては酷い現実であると言わざるを得ません。

 コピーカードを返却して、4月に使用したコピーの代金を支払いました。支払いは役場に入っている銀行で行います。610円の支払いに対して、私は千円札と百円玉と十円玉をそれぞれ1枚づつ出しました。銀行の人はこう言いました「ああ、500円玉が欲しいんか」。はぁ〜?「欲しいんか」ってお客に言う言葉ですか!私は驚くとともに、非常に気分が悪かったです。

 「500円玉が欲しいかどうか、確認する必要があるのですか。あなたは私が出したお金に対して、正確なお釣りを返せばよいだけのことではないですか」と返すと、彼は小さく「すんません」と言いました。冒頭の議会事務局職員の対応といい銀行員の言葉といい、接遇に係る基本的なことが全くできていなくてショックを受けました。

 議員最後の情報公開請求文書を閲覧した後は、定額給付金の申請に行きました。郵送してもよかったのですが、窓口対応はちゃんとできているか、作業の進捗状況はどうなのかを確認したいと思いました。現在給付金室では、町職員3人と臨時職員13名が働いています。窓口は若い女性の臨時職員でしたが、接客態度はよかったです。手続きが終わって、帰るときには起立して見送ってくれました。

 申請書は住民基本台帳に記載の世帯主1万2千通と外国人登録票の170通を郵送しましたが、4月22日現在で6千4百通の記入済申請書が返送されてきています。皆さん正確に手続きをされているようで、再郵送して補正をお願いするのは10%にも満たないと聞きました。早い世帯では4月の17日には給付金の振り込みを受けたということです。振り込み日の目安は、申請書受付の日付から約2週間後となります。

桜井の宝城庵に咲く牡丹
春風に花弁がふるふると悩ましげです

 


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○○部長の答弁は、有耶無耶のままでいいのかしら?
(2009年4月25日 土曜日)

 昨日は定額給付金に係る接遇マナーについて、現状は合格(ただし私の場合はでしたが)と書きました。でも「問題がないからええでしょ」というわけにはいかない行政の姿勢を指摘しておきます。3月11日の本会議で、私は定額給付金についての多岐にわたる質疑を行いました。そして最後に「職員の住民の皆さんに対する接遇マナーの徹底を、具体的に担保するものが必要ではないですか」と問いました。

 担当部長は次のような答弁をしました。「接遇の問題は定額給付金の事務のみに係らず、日頃からの十分な留意が必要でございますが、今回特にこういったこと(給付金事務のこと)もありますので、近々中に接遇マナーのマニュアルを作って、職員に周知してまいりたいと考えております」と発言したのです。

 私は部長が議場で行った公の発言は、当然実行されているものと思っていました。接遇マナーのマニュアルを作成したからこそ、すでに進行している給付金事務もスムースに進行しているものと、その成果を喜んでもいました。しかしつい数日前にマニュアルの確認をしたところ、当部長は「いや〜、まだ作っていません」と答えたのです。はぁ〜ぁ〜っ?

 じゃ、「作ります」と断言した議場での答弁は何だったの?単なる言い逃れですか?マニュアル作成も職員への周知も、べつに難しいことではありません。より良い住民サービスに寄与する接遇への姿勢は、本来マニュアルが有ろうが無かろうが、その質を向上させていかなくてはならないのです。でも私があえて議場で求めたのは、現状の接遇に対して不満を感じておられる住民の皆さんの声を聞いているからです。

 また私自身も、この日記で口を酸っぱくして言っているように、多くの場面に遭遇しているからです。「もう辞めてしまう南部の言っていたことなんぞ、聴き捨ておけ」という姿勢がアリアリと見えて、腹立たしいやらガッカリするやら・・・。川口町長が再選されたこともあり、安堵感と共に役場の“お気楽ムード”は根強く残っていくのではないかと心配です。市民派議員の益々の厳しいチェックが求められる所以です。3人になった市民派議員たちの活躍が、本当に待ち遠しいです。

松は雌雄同株です。茶色でたくさん付いているのが雄花、
すっと伸びているのが雌花(松ぼっくりになります)です

 


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農業委員会の皆さん、ありがとうございました
(2009年4月27日 月曜日)

 午後3時からの農業委員会に出席しました。議員としてはこれが最後の仕事となります。案件は「農地法第3条の規定による許可申請」が2件でした。農地所有者の高齢化や遠方居住に伴い、小作人(この用語には昔の農業のイメージがあるのですが、今も生きている言葉です)に農地を賃貸することに対して許可の表決をしました。

 私は、議会選出の農業委員として2年間務めました。冨永議員と私以外は全委員が農業者の方々です。長年農業に従事されてきた皆さんから見れば、私の存在なんぞ大人の中に駄々をこねる子どもが紛れ込んだようなものだったでしょう。暗黙の了解で平穏に済んできた諸々に対しても、いちいち理屈をこねるものですから、すでに刷り込み済みの“南部はうるさい議員”に輪をかけた印象を皆さんに与えていたと思います。

 2年の任期を終えようとする今、南部に対する評価が少しは変わったことを期待していますが、どうでしょうか。私?私はすごく農業委員が気に入っています。議員は辞めるけれど、農業委員だけは続けてやりたいなと思うほどです。一見おっかないおじさんたち(!?)ですが、皆さんとても親切でいろんなことを教えていただきました。特に農林業祭では、農業者の知恵と力を存分に垣間見ることができ、“目から鱗”が連続の2日間は貴重で楽しい経験でした。

 島本町では農業の規模もこれ以上大きくなることはないでしょう。しかし小さな町の小規模な農業でも、いや小規模だからこそ住民との身近な農業が成り立つのではないかと思います。そのためには行政の発想の転換も求められますが、何よりも大切なのは農業者を代表する農業委員会がリーダーシップを発揮することだと思います。

 私が農業委員会で提起し続けてきた提案があります。農業委員会が呼び掛けて、気楽なシンポジュウム(要するに話し合いです)を開催しませんかというものです。たとえば地産地消をもっと進めるにはどうしたらいい?駅前広場の朝市を開いてほしいな、おしゃれなファミリー農園を目指したい、いやいやもっと本格的な農園を目指したい、農園に農家の指導がもらえるようなシステムがあればいいな、等々。話し合いたい項目は挙げればいくらでもあります。

 そしてもちろんJR島本駅西側農地の大きな問題もあります。また農業者から訴えたい悩みや願いもあるでしょう。とにかくやってみる価値はあるはずです。2期目の当選を果たした川口町長は、新しく編成する施策予算にぜひ「農業シンポジュウム」開催の費用をつけてほしいと思います。会議終了後、農業委員会会長と担当職員に挨拶をしました。会長もシンポジュウム(名称はともかくとして)推進の姿勢を見せてくださって、私は嬉しく思いました。

 さて、新しい議会から農業委員に選出されるのはどの議員かわかりませんが、是非とも「農業シンポジュウム」が形あるものになるよう力を注いでください。期待しています。帰りに議会事務局を覗きました。伊集院議員がいたので挨拶しました。伊集院さんには時々この日記にも登場してもらいましたが、私は辛口の評をすることが多かったです。にも拘らず、伊集院議員は目を潤ませて「南部議員の背中で学ばせてもらいました」と礼を述べてくれました。最後は素直に、その言葉を頂くことにいたしましょう。

メゾン水無瀬公園のフジ、
この日は冷たい雨に濡れてかわいそうです
35年前からあるフジ棚ですが、
近年やっと花が咲くようになりました

 


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町は「新型インフルエンザ対策本部」を設置しました
(2009年4月28日 火曜日)

 明日の29日までは私もまだ議員なので、議長名のファックスが送信されてきました(早々と議員用のファックス機器は回収されてしまったため、自宅ファックスに送られてきました)。町長が議長に報告した文書は「新型インフルエンザに対する対応について」との標題でした。

 テレビや新聞が連日トップニュースで報じている「豚インフルエンザ」は、世界の少なからぬ国々で刻々と感染が拡大している状況です。現在日本国内では発生しておらず、過度の恐怖心は持つべきではないと思いますが、正直言うと怖いです。住民がパニックに陥ることなく冷静に対応するためには、我が町の備えと適切かつ迅速な情報提供が求められます。

 「鳥インフルエンザ」(今回豚に変わってしまったのも不気味です)に対応する法制定・法改正に基づき、全国の自治体では行動計画を策定しています。当町でも今年の2月に、「島本町新型インフルエンザ対策行動計画」を策定しました。本日のファックスでは、行動計画に基づき「新型インフルエンザ対策本部」を設置したこと、及び第1回の対策本部会議を開催したことが報告されています。

 念のために、町のホームページを見てみました。新型インフルエンザについては「安全安心情報」としてトップに掲載され、茨木保健所等の関係機関と町の相談窓口が分かるようになっていました。また「対策行動計画」の全内容もアップされていました。しかし28日に対策本部を設置し、会議を開催したことは書かれていませんでした。何故なのかしらと思います。

 町長が対策本部長として危機管理にあたることを知らせるのは、住民の安心感に繋がるものだと思います。従ってホームページに、より詳細な情報を積極的に掲載するのは当然ではないでしょうか。議会に報告されている内容を、住民の皆さんへも同じように知らせるべきです。ちなみに大阪府では、対策本部の立ち上げをホームページで知らせています。新型インフルエンザの広報内容について、少々疑問を呈しました。

 ところで、ついでと言ってはなんですが、広報のあり方について苦言の続きがあります。昨日の農業委員会の開催情報について、住民への「お知らせ」が一切ありませんでした。会議開催日程について通常行われる広報手段は、ホームページ・庁舎内の文化情報コーナ掲示板・庁舎出入り口付近の立て札です。私は委員会の終わりに、そのことを指摘しました。いつもなかなか謝らない部長があっさり謝罪しましたが、いつになったら当たり前のことができるのかと、辞める寸前までため息をついておりました。

役場からの帰り道、振り返って庁舎を写しました
(20年間通いました)
庁舎に接する鶴ヶ池を背に咲くアヤメ
(ドイツアイリスと思います)

 


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歴史文化資料館1周年の記念講演に参加しました
(2009年4月29日 水曜日)

 ゴールデンウイークの始まりです。ここ数日は肌寒い悪天候が続きましたが、今日は快晴で薫風が心地よい4月の末日です。2時から歴史文化資料館の開館1周年記念講演に出かけました。昨年4月12日に開館した資料館には、年間約1万5千人の来館者があったそうです。1日約50人の入館が多いか少ないかは、私にもよく分かりません。

 2年目のスタートをきる資料館には課題も多々あると思いますが、館のスペース開放に係る一般利用のありかたやボランティアの係り等、実施に向けて取り組んでほしいと思っています。さて本日の講師は、大阪人間科学大学(環境・建築デザイン学科)の植松清志教授です。植松さんの講演は、4年前に東大寺の古民家見学会でも聴いたことがあります。

 講演テーマは「昭和初期の和風建築」でした。本日の会場は、まさに昭和(16年建設ですから、初期とは言いづらいかもしれませんが)の和風建築物である元「麗天館」で行われているわけですから、講演のテーマと合致した話を期待しました。しかし植松さんは館については、案外さらっと触れるにとどまりました。少し物足りない気もしましたが、多分植松さんの配慮があったものと推察しています。

 それは麗天館の建設目的が、太平洋戦争ただ中の国威発揚・武運長久を促進させるためのものであったことに触れない配慮だと、私は思いました(違っているかしら?)。植松教授は資料館を「貴重な文化財だ」と言われました。建物の細部がスクリーンに映し出されましたが、寺院や書院の和風建築を取り入れつつ、自由な設計が行われていることがよく解りました。正面玄関の外側にも取り付けられた欄間や長押(なげし)、内部の子壁の大きさや折り上げ天井に“和の評価”が与えられています。

 植松教授の講演は奈良・平安前期の「和様建築」から始まり、室町・江戸・明治・大正・昭和と続きましたが、大変興味深いお話でした。1周年の記念講演にしては溢れるほどの参加者とまではいきませんでしたが、皆さん熱心に聴いておられました。私も毎回楽しみにしていますが、資料館の催しが実績を重ねていっていることを実感しました。

 教育委員会の職員は、休日にもかかわらず教育長をはじめ多数出てきていました。ご苦労様なことです。ちなみに職員の中で、私に16年間の労をねぎらう声をかけてくれたのは教育長一人だけでした。本日が私の議員任期の最終日ですから、最後に頂いたご挨拶として、ありがたく受け止めました。

 夕方からは、澤嶋真紀子さんの選挙反省会に参加しました。平野さん・戸田さんと共に市民派議員のバトンを私から受け継ぎ、見事当選した澤嶋さんは明日から厳しい4年間の議員活動が始まります。チャラチャラ議員やキャピキャピ議員にはならないでね。何事にも動じない毅然とした姿勢で、私たち住民への信頼を培っていってほしいと思います。

 ここでもMさんがカサブランカの花束を私にくださいました。暫くの間、我が家はユリの香りに満ちて、幸せの時が流れることでしょう。ありがとう!

講演会で質問する参加者
資料館の折れ天井(天井板が壁側面に
まで及んでいる)子壁(床に接して
らず、天井から途中で切れている壁)
館のマスコットキャラクター「かん太」
「れきちゃん」「ぶん太」の記念シール

 


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