皆さんお元気で新しき年をお迎えになりましたか。「おめでとう」とは素直に言えない課題山積の年明けですね。働きたくても働けない人たちが溢れるように出現している現実を、少し前まで誰が想像できたでしょうか。働き盛りの40歳代男性がテレビで語っていました。今までも郷里に残してきた家族に12,3万円を送金するため、自らの生活費をわずか3万円に抑えてきたと言います。しかし“派遣切り”に遭い、送金も生活費の目途も立たない現実に苦悩している姿を見ていると胸が熱くなりました。
年末年始を恒例のタイランドで迎えた私たち家族は、上記のようなニュースを海外ネットで見ていました。なんというか海外に遊びに来ているという申し訳なさと、息子たちが仕事に就いていられる安堵感とが入り混じった複雑な気持ちでした。タイでの9日間は、何をするということもなくノンビリと過ごしました。私たちの当初の計画では数日をカンボジア滞在に充てるつもりでしたが、12月の空港占拠事件のこともあり遠出は控えました。
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さて、役場は今日から業務開始です。午後からは新年交礼会が開かれました。今年は選挙の年でもあるからかケリヤホールも一杯で、町長・町議会議長の挨拶も普段よりは熱を帯びていたように感じました。ただし読み上げている文面は、1月1日号の広報「しまもと」に書かれている内容と変わりませんでした(こういう挨拶の時には、書いたものに頼らない力をつけてほしいと思います)。私は懇親会(アルコール以外の飲み物と少々の料理が出ます)に移る前に退席し役場に戻りました。交礼会には出席しない課長以下の各課職員たちに、新年の挨拶をしました。
また年末にメールを頂いていた住民の方の苦情について、原課へのヒアリングを行いました。仕事始めが「苦情」というのは私も職員もちょっとつらいのですが、住民の方は相当怒っておられるようで具体に謝罪文の提出も求められています。早く解決しなければなりませんが、先ずは事実の確認から行わなければなりません。
私から苦情の概要を聞いた○○課の課長(部の次長でもあります)は「こんなことがあったとは、ショックです」と顔を曇らせました。あらら!私のほうこそ部下が起こしたトラブルの報告を管理職が受けていない、そのことにショックを受けました。苦情のメールは調査を拒否した住民に対し調査員である職員が失礼な対応をしたこと、さらには求めた事後処置にも応じていないことを訴えられています。本件については課内の調査結果を確認したうえ、後日の日記にて報告にすることにいたします。
午後2時半からは教育委員会議を傍聴しました。新年度予算のうち経常予算の審議が行われ、割合活発な質疑がありました。ありましたが、欲を言えばもう少し質問内容を深く掘り下げていただきたいと感じました。また会議録の資料要求も結構ですが、時々は文化情報コーナーで教育委員会関係の各会議の会議録を閲覧されてはいかがでしょうかと、思わずつぶやいてしまいました。なお施策予算は4月の選挙後、選ばれた町長が提出します。予算関係については情報公開請求で入手した予算要求書と照らし合わせて、また後日に報告したいと思います。
予算のほかは町立幼稚園の園児応募数に関する報告事項でした。第一・第二幼稚園ともに、今年度よりさらに応募数が減少しました。定員に対する充足率は従来60パーセント台でしたが、ついに50パーセント台になってしまいました。就労支援型幼稚園(第一)の実現が基本方針のほったらかしで宙に浮いていますが、その功罪を踏まえた応募数減などを質してほしかったな〜と思いましたが・・・。
住民福祉審議会の部会において、地域福祉計画の策定に向けて審議が始まっています。本日の会議には「島本町地域福祉に関するアンケート調査」の結果(単純集計版)が資料提出されていました。アンケートの調査対象者は1000人で、回収数は503人でした。うち134人の方が自由意見を記載されています。
後日私は自由意見をじっくり読ませてもらいましたが、示唆に富む“辛口”の記述に頷くことしきりでした。意見を大別すると、次のような項目になります(事務局のまとめより)。
- 各種検診の充実
- 阪急水無瀬駅のバリアフリー化
- 交通マナーの改善(西国街道の自動車走行・自転車通行)
- 高齢者施設の増設
- 医療機関の拡充
- 相談窓口の充実
- 福祉バスの運行(現行年長者のみの対象を拡充)
- 情報提供の体制強化
- 自治体間格差の解消
自由意見の中には「議員は仕事をしているのか?議員報酬を削減すれば、無駄な金の一部がなくなり住民としても助かる」と言及した内容もありました。私自身は反論が無きにしも非ずですが、おしなべて議会がそう見られていることには大いなる反省をしなければならないと感じました。
さて審議の冒頭にM委員からアンケートの見方に係り、“目から鱗”の意見が出されました。発言の趣旨は「当部会は、各設問に対する否定的な回答にこそ注目しなければならない」というものです。肯定的な回答を見ると確かに「わが町に対する愛着」は約88.7%、「地域の住みやすさ」も90.4%で町の全体像としては大いなる支持を得ていることが解ります。
M委員は「圧倒的多数の肯定意見の陰で、『わが町に愛着を感じていない』人が7.4%いること『地域で住みにくいと感じている』人が6%いる現実に注視すべきである。これらの人々が示す不満足の解析が必要であり、その解消につながる福祉施策に焦点を当てた地域福祉計画策定を行うべきだ」との内容を述べました(私のメモから引用しています)。私もまったく同感で、とても良い意見だと思いました。
これらの意見に加えて部会長の具体的な補足意見もあり、その後の議論もより深まったと私は感じました。部会長は「『大変住みにくい』と回答した人で、その理由が『買い物に不便』というものであれば、アクセスが容易になる施策を立てれば解決できる。また『地域のボランティアに参加していない』人の理由が『どこで何をしているのかわからない』といった広報活動の不足だと分かれば、官民が連携したインフォメーションの充実に向けた対策が必要となる。」と述べました(これもメモ引用です)。
ややもすれば“絵にかいたモチ”的になりがちな各種の「計画」ですが、当部会はシャンシャンと終わりそうにない深い議論が交わされる予感がしています。部会長の会議進行も巧みですし、委員がたも活発な意見を出しています。そして本日は会議の終わりに、部会長から事務局担当職員にも委員方にも宿題が出されました。
次回の会議(1月26日 月曜日14時〜 役場3階委員会室)ではアンケート調査のクロス集計結果が示される予定です。クロスすることによって、例えば一人暮らしの人の背景にある具体の課題が明らかになったり、課題の中でも生活課題と地域課題の関連性が浮かび上がってきたりすると思われます。残念ながら私は議会の公務が入っており傍聴はかないませんが、皆さん覗いてみてはいかがですか?
写真は1月11日に行われた消防出初式の様子です。
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昭和63年から平成元年生まれの新成人数は317人です。ついに平成生まれの新成人が登場するようになりました。私は「そうそう、この人たちは私が初めて議員になった年に生まれたんだ」と呟きながら、会場の住民ホールに入りました。式の進行は長年にわたり、新成人による運営委員会で行われています。とてもよいことだと思います。
運営委員会方式になってからは数多くの来賓紹介を延々と行うことがなくなりました。式次第(プログラム)に「来賓予定者名簿」として印刷し、紹介をカットしたのは大英断でした。それなのに今回、某衆議院議員の妻を1度ならまだしも、2度も紹介したのはなぜなのでしょう?
「内閣府政務次官△△議員の奥様がただいま駆けつけてくださいました」なんていう紹介を、新成人の司会者が即興で行うとは考えにくいです。「多分誰かに言わされているのね」と感じた私の勘は当たっていると思います。でも代理で、しかもくどい紹介なら逆効果ですね。まっどうでもいいことですが・・・。
成人祭で楽しみなのは、二十歳を迎え輝いている若者たちに会えることもさることながら、特別ゲストとして招かれた小・中学校の卒業時の先生たちのお話が聴けることです。名前が呼ばれただけで「ワァ〜」とか「キャ〜」とかの歓声が上がる先生は、子どもたちにとても慕われていたのだろうなとわかります。一方静かに迎えられた先生でも話し出すとジ〜ンと胸を打つ内容で、新成人たちの大きな拍手を得ていました。今年の特別ゲスト皆さんが、教え子たちにとって本当に良き先生であったことを、私も確認できてうれしかったです。
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数日間日記の更新をサボっていましたが、今日は62人もの方がアクセスしてくださっていました。連日“空振り”をさせて、本当にごめんなさい。おまけに年が新しくなっても12月分の日記を書いていましたので、余計に申し訳ない気持ちでいっぱいです。そこで今日の日記には今日の出来事を書くという、当たり前の姿にたった1日分だけですが、お詫び方戻りたいと思います。本日の本当の日付は1月14日です。
午前10時に私・平野さん・澤嶋さん・戸田さんの4人で、○○さん宅を訪問します。○○さんとは30余年のお付き合いがあり、20年前に私が初めて町議選に立候補した時から、ずっと変わらず力強い支援をしてくださっています。私たちが揃ってご挨拶に伺ったのは、今年4月の町議選に臨み「市民派議員のパワーアップを図る」、その思いと決意を○○さんにお伝えすることが大きな目的でした。笑顔の激励をいただいて、私はホッとし元気が出ました。
○○さん宅を辞し、近くで行われている町営住宅跡地開発の現況を見ました。東大寺地域では区画ごとの宅地造成が出来つつあり、開発業者のフジ住宅が“うり”にしている公園も遊具の設置など工事が進んでいました。ちょうど当地域の自治会長さんと出会って、いろいろ話をしてもらえました。次に同じく開発が進む山崎地域を見て回ります。ここでは既存住宅の目の前に擁壁がそそり立ち、多大な住環境の悪化を招いている状況がここかしこで発生していました。当該住宅の皆さんの心中を察すれば、言うべき言葉もありません。
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宅地開発の状況を見たあと、私と澤嶋さんはJRで山崎から島本駅まで移動し、午後1時から桜井西側の田んぼで行われる「どんど焼き」の見物に向かいました。点火までに少し時間があるので、「島本郷土かるた」をお目当てに歴史文化資料館を訪ねました。資料館にはたまたま歴史文化資料館懇話会の委員さんが来ておられ、示唆に富むお話を聞くことができました。
「郷土かるた」は我が家にもずいぶん前からあります。私が朗読ボランティア活動をしている「テープ雑誌」にも、全てのカルタを解説も併せて吹き込んだことが思い出されます。絵札の切絵原画は、どれも大層美しく見ごたえがありました。資料館職員の説明では、今後毎年数枚づつの展示を考えているということです。良い企画だと思いました。
どんど焼きは今年も大勢の人びとが見物に来ていました。私は毎年欠かさず来ています。強い風に煽られて勢いよく飛んできた火の粉と、竹のポンポンとはじける音に歓声が上がりました。藁と竹で組まれたどんどは空高く炎を上げて、あっという間に燃え尽きました。この後焼けたどんどの余熱で、竹の先に刺したお餅をあぶって頂くのですが、残念!次の農業委員会が迫っています。
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1時半からの農業委員会に出席します。案件は「農業委員の選挙人名簿について」と「市街化区域内の農地転用届出に関する事務処理規程」についてでした。後者については、市街化区域内の農地転用の届け出事務を迅速化することが目的です。従来の農地転用に関しては農業委員会の審議を経ることとなっていますが、法改正や近隣市町の状況に照らして当町も簡素化をということでしょう。
私は事務の簡素化・迅速化を否定するものではありません。しかし転用届の当該地区農業委員と会長及び役場(事務局)のみで専決処分をしてしまうのは、良い方法とは思いません。現実に過去の転用届の中で、他地区の農業委員さんたちから意見が出て調査が行われ、継続となった事案もあります。次々と申請が殺到するような町の規模でもありませんから、従来通り農業委員会全体の審議が望ましいのではないかと発言しました。
また他自治体のように農地部会と農政部会に分かれて、転用届のような事務取り扱いを行うところと農業の未来や農地の保全等、大きくまちづくりに係る議論ができるところがそれぞれ機能していれば、転用事務の簡素化も図れると思います。しかし当町のように全て現行の農業委員会の中で議論している現状からすれば、委員会開催の減少がそのまま農政について語り合う場の減少につながりかねないとも危惧したからです。結局本件については、2度目の継続審議となりました。
農業委員会のあと、情報公開請求していた来年度予算の予算見積書を閲覧・コピーしました。これで一部の特別会計を除いて、ほぼすべての見積書が揃いました。全部で高さ13センチもあります。私は3月議会で新年度予算に対する今期最後の会派代表質疑を行います。これらの資料を全部見切れるかどうかわかりませんが、骨格予算とはいえできる限りの準備をするつもりです。私たちの任期は4月29日まであります。選挙が目の前に迫っていても、本来の議員の仕事を全うすることは言うまでもありません。
帰宅後夕方5時半から1時間、水無瀬駅で戸田靖子さんと街宣を行いました。久しぶりなのと寒いのとで活舌滑らかとは言い難い状況でしたが、まあ喋り出せば何とかなりました。平野さんと澤嶋さんは、同じ時間帯でJR島本駅でのビラ配布を行いました。そう遠くない日で、4人が揃って皆さんにご挨拶する日がやってきます。その折には「市民派議員の数が増えて頼もしいな」と感じていただけるのではないかしらと思っています。
街宣の後は夕飯の食材の買い物をして帰りました。やれやれ、本日の活動が終わりました。写真は本日夕方、新しい挑戦に際して抱負を述べる戸田靖子さんと、元職として再チャレンジをする澤嶋真紀子さんです(1月12日に開かれた選対の前段集会で挨拶する澤嶋さん)。もちろん現職の平野かおるさんも私たち市民派の大事な仲間であることはいうまでもありません。(平野さんの写真は次の機会に)。
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町はごみ焼却処理施設に係る運営委託の検討と支援業務に係り、12月議会の補正予算(次年度に継続する事業のため債務負担行為を組み、830万円を計上)を議案書に記載したにもかかわらず、急きょ何の説明もなく取り下げました。この件については、私の日記(11月29日付「何ということでしょう!議案が消えちゃった」及び12月27日付「ここまで開き直って恥ずかしくないのか!」)でもお知らせしてきたところです。
27日の日記には事務手続きの不可解さについて私が出した質問書と、質問に対する町からの回答書の概要を書いています。質問書には回答を求めるとともに面談も要求していました。回答は最大15日くらいを要するのですが、今回は私の要求通り1週間で返ってきました。これは大いに評価します。ただし27日付けの日記にも書きましたように、全く説明責任を果たす回答内容になってはいませんでした。
そこで1月16日、町長・総合政策部長・都市整備部長と面談をしました。私は同じ会派の平野議員と住民の方(澤嶋さん)にも同席をお願いしておきました。町長は最初に「申し訳ない。今後はこういうことのないようにしたい」と詫びました。確かに詫びはしましたが、しかし肝心のなぜこういう事態になったのかという説明を町長も両部長も一切しませんでした。
「頭にきたぁ〜っ!」と叫びたいのを我慢して一つ一つ確認していった中で判ったことですが、予算計上取り下げの最終判断は12月11日の議員全員協議会終了後(この場では議員からも行政側からも、当該議案に対することは全く出ませんでした)から、議案差し替え迄の2〜3時間の中で行われたということです。
「では、その2〜3時間で何があったのか?」と問うと、「通常を超える検討・調整が必要となったため」と答えました。私は重ねて「通常を超えるものとは何なのか?」と訊きましたが、答えはありませんでした。ちゃんと説明をしなければ、私たちの想像は膨らみ広がっていくのです。「通常じゃない」事態って何なのでしょうか?
たとえば、誰か(議員?業者?)が横車を押しとおしたのか?或いは清掃工場のプラントに係り、補修も含めて当初から一手に引き受けている○○(企業名)絡みのストップがかかったのか、はたまた随意契約または入札を予定している業者に指名停止が発生していることが判明したのか等々、普通考え付くだけでも種々あるのです。これらが間違っているというなら、行政は正しい答えを示し反論すればよいのです。できないのは、何か後ろ暗い所があると認めていることにほかなりません。
また取り下げの判断を、短時間の中で誰がどのように行ったのかということです。議案書にまで記載した事業の予算を削除する判断は、最終的には当然町長が行います。しかしそのことを町長に進言するのは部長級の職員です。しかし町長・部長級職員で構成する庁議には掛けられてはいません。ましてや業務に直接携わっている次長級以下が全く預かり知らぬということを、本日出席した3人は面談の席でも認めました。
1時間の面談は終わりました。しかしまあ、「は〜っ?」と思うような失礼な所管部長の発言もありましたが、怒っても仕方がないです。意図的だとしたら乗せられてはなりません。総合政策部長の「これで終わります」的な発言のあと、私たちが「お時間取っていただいて感謝します」と口にするかしないかの間に、さっさと3人が退席していったのには驚きました。別に見送れとは言いませんが、自分たちが招き入れた部屋でしょう。“客”を残して先に出て行く行儀のなさに、私たちはまたひとつ大きなため息をつきました。
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大震災から14年目の今日、私は神戸市中央区で行われた「1.17のつどい」に参加しました。島本から三宮までは僅か1時間で行けるのに、早朝に現地に到着できる電車がないとか公務が入っているとかの理由で、10年間訪れることなく過ぎました。今年は「つどい」当日が土曜日であることから、前日当地に宿泊することで参加を決心しました。
午前5時まだ明けぬ暗闇の中、神戸市中央区東遊園地(公園)に至るフラワー通りには会場へ向かう大勢の人たちがいました。公園の中央では、「1.17」の文字に組まれた竹灯ろうの点灯が始まっていました。私も竹筒の水に浮かぶろうそくに、鎮魂の祈りを込めて灯をともしました。竹灯ろうの数は、震災死として認定された6434人たちをあらわしていると言われています(勿論震災を遠因として亡くなられた多くの方々をも忘れてはなりません)。
午前5時46分少し前に、「1.17希望の灯り」の碑文が読み上げられました。
1995年1月17日午前5時46分 阪神淡路大震災 震災が奪ったもの 命 仕事 団欒 街並み 思い出 ・・・たった一秒先が予知できない人間の限界・・・ 震災が残してくれたもの やさしさ 思いやり 絆 仲間 この灯りは 奪われた すべてのいのちと 生き残った わたしたちの思い むすびつなぐ
そして5時46分、深い深い黙祷のときを迎えました。あの日、あの時、あれからの日々・・・祈る人々の上空で夜明けが始まろうとしていました。
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6時からは「神戸市震災14年追悼の集い」が行われ、市長のあいさつや被災者の体験が語られました。また温かい炊き出しのサービスも始まりました。私は「紀州梅の郷救助隊」が供してくれた茶粥と大粒の梅干し、スターバックスのコーヒーを頂きました。美味しくて温まりました、ありがとう!会場のあちこちでごみ袋を持って立つ若い人たちにもありがとう。数千人の参加がありながら、ごみ一つ落ちていない会場はあなた方のおかげです。また絶えず竹灯ろうの灯りを点検してくれていた「神戸・市民交流会」の皆さんにも感謝です。
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今回やっと大震災被災者を追悼する「つどい」の参加が実現したわけですが、私には悼む気持ちと共にもう一つの参加目的がありました。それは町内のボランティア団体「竹工房」の皆さんが作った竹灯ろうを見るためです。竹工房は2007年以降毎年「1.17のつどい」に、100基以上の竹灯ろうを贈られています。
「竹燈篭 1.17つどい」を担当する「神戸・市民交流会」には多くのボランティア団体・個人が協力していますが、大阪からはわずか数団体の参加です。私は竹工房がその中の一員であることを、同じ島本町の住民としてとてもうれしく誇らしく思っています。従って竹工房の竹灯ろうを、この目でしっかりと確認したかったのです。ありました!「1.17」の点の所に協力者の名を書いた竹灯ろうが丸く置かれていますが、その中でしっかりと役目を果たしていました。
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帰路に就く前にもう一度会場を訪れました。今朝がたは大混雑で入れなかった「慰霊と復興のモニュメント」を訪れ、記帳と献花を行いました。モニュメントの地下には、震災で亡くなった方々の氏名がプレートに刻まれています。家族の名前を指でなぞる人、長い間立ち尽くす人たちの姿がありました。物言わぬ震災の証人たちが訴える、「忘れないで」のささやきを胸に込め神戸を後にしました。
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1月16日の日記に関連しますが、11月29日付(本当は12月11日に書いています)の日記「何ということでしょう!議案が消えちゃった」を一部訂正します。当該日記は「ごみ焼却処理施設運営委託検討支援」の補正予算取り下げに際して、説明が行われていないことに対する私の戸惑いや怒りを書いたものです。
私は日記に次のような一文を書きました。「上が判断したことですから、従わざるを得ません。ただ補正予算計上については、担当としてそれなりに自信を持って提出したつもりです」。これは議案の取り下げに驚いた私が○○次長に事実確認に行った際、次長の発言として掲載したものです。
ところが後日、次長は「上が判断したことですから、従わざるを得ません」の部分について「こんなことは言っていない。こんなことを書かれるなら、あなたとは話をしない」とすごい剣幕で怒り、カウンターのところに私を置いてきぼりにしたまま自席へ戻ってしまったのです。アレアレ!子どもじゃあるまいしと、私は呆れてため息をつきました(このことも12月27日付の日記に書いています)。
多分察するところ、“上”から叱られたのでしょうね。しかし私と○○次長の会話は録音やメモを取っているわけでもなく、言った言わないの話になるとどちらが本当だったのかはわかりません。昨日の日記にも書きましたが、町長が認めたように、状況は明らかに“上”が判断したのです。そして結果的に次長は上の判断に従わざるを得なかったのです。つまり私が書いている日記のほうが理屈は通っているということです。
しかし私の説明にも耳を傾けることができず、キレて席を立った失礼千万な職員であっても、議員としてここはぐっと我慢してフォローしてやらなければなりません。もしも私が一住民の立場であったなら、こんな職員の態度は絶対に許さないし、即町長に訴えることになったと思います。しかし大勢の部下が次長の態度を見ているのです。若い職員に与える悪影響は計り知れません。
私は△△参事をカウンターに呼び「相手がだれであってもどのような話の内容であっても、面談の途中で席を立ってしまうことはよろしくありません。話を続けなければならないので、私は待っています。参事からここに戻るように伝えてください」と言いました。参事もこの場の展開をまずいと感じたのでしょうか、次長に私の言葉を伝えました。
戻ってきた次長に私は「状況は私が書いたとおりだと思います。しかし次長が言っていないというなら、それは尊重いたしましょう。私は日記の訂正を行いますので、行き違いのないように訂正すべき文言の確認を行いましょう」と言いました。次長は「上が判断したことですから、従わざるを得ません」を「内部で検討・調整した結果、議案を取り下げることに決まりました」と訂正するよう求めました。私はその言葉を書き取り、復唱して次長に確認しました。
さて、この日から1か月を経た今になって訂正をするのですが、多分次長は私の訂正が即座になされていないことにイライラの日々を送ってきたと思います。私も早く訂正をしてあげたかったのですが、町長への質問書に対する回答と回答書を踏まえた面談の結果を見て、私が間違っていないことを確認しておく必要があったのです。
しかしそれもさることながら、訂正文言を確認し合ったあの場で、次長!あなたは訂正時期の確認を怠りましたね。私があなたなら「次の日記で」とか「一週間以内に訂正」とかの期日確認を当然交わしたと思いますよ。まあ、キレちゃっていた次長には、そこまでの確認は無理だったかも・・・と思いますが。
ああ、それと最後に一つ言っておきましょう。好むと好まざるにかかわらず“お客さん”(議員であってもね)には、先ず椅子を進めましょう。○○次長はカウンターの中にいながら、外にいる私をずっと立たせたまま怒っていたのです。ちなみにこの部局のもう一人の次長も、それから部下の多くの職員たちもカウンターの中から出てきて、「どうぞお掛けください」と声をかけていますよ。
写真は以前に作った街宣用のノボリです。4年前の今頃もこれを持って、鼻水を垂らしながら一人議会活動報告をしていたことを思い出します。今はまだこのノボリを活用していませんが、もったいないから使いたいなと思っています。でも念のため、先日現物持参で町の選挙管理委員会事務局に確認をしに行きました。回答は週明けになりそうです。
ちなみに前回の日記に掲載しました写真からも分かるように、民主党公認の人たちと公認も推薦もない現職議員のノボリが立っていましたから、私もオッケーなのかしらと思っています。それとももしかして、彼らのほうが知らずにマズイことをしているのかも・・・?いずれにしても選管の判断待ちです。
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議会運営委員会(以下「議運」と言います)が開かれました。本日の案件は(1)「議決事件の拡充」と(2)「議会のホームページの充実」および(3)「議場の国旗・町旗の掲揚」についての3件です。議会運営に係る改善・改革事項については、今任期の前半2年間は議会運営等検討委員会で議論してきました。ところが役員改選後の後半は検討委員会を設置せず、未検討の事項は議運や会派代表者会議や議会だより編集委員会にそれぞれ割り振られ議論を行うことになりました。
まず(1)の「議決事件の拡充」についてです。“事件”とは奇異な感じもしますが、わかりやすく言うと「賛成か反対か議会の意思を示す議案の範囲を広げる」といったことになるでしょうか。地方自治法第96条1項には議会が議決しなければならない16項目が定められていますが、同条2項では16項目以外の事柄についても独自に定めることができるとなっています。
この条文を根拠にして、新たに総合計画における基本計画(基本構想はすでに議決事項となっています)や都市計画マスタープラン・住宅マスタープラン・福祉保健分野の各計画(地域福祉計画・子育て支援プラン等)、また協定の締結、一定金額以上の計画策定についても議会の議決を経ることを条例に加えるという提起です。
「議決事件の拡充」には全ての委員が前向きな姿勢を示しました。私は総合計画基本計画については特定できる事項であること、また基本計画のもとになる基本構想がすでに総合計画審議会において検討のスタートを切っていることからも、先行して議決事項に加えるべきと主張しました。
他についてももちろん拡充を図るべきと思っています。しかし、マスタープラン等については各々固有の名称を上げなければなりませんし、一定金額以上の計画策定においては具体の金額を示さなければなりません。従ってまだまだ議論が必要だと思います。ただ4月の改選後、現任期中の私たちの検討が無に帰することのないよう、3月議会において議運の検討状況の中間報告を行い、次期に申し送るべきだと思います。
2点目の「議会ホームページの充実」については、ホームページに上程予定の議案や一般質問の通告内容を掲載すべしとの内容です。私から言うとこんな程度の情報提供は当たり前のことで、やっていないほうがおかしいと思っています。当町議会では個人のホームページ等の広報媒体には、他議員の通告内容(内容といっても通告項目にすぎないもの)を掲載することの自粛を求められるほど、閉鎖的というか遅れているというか呆れるばかりです。もっとも私は意に介さず、公開していますが・・・。
上記の件は私とK議員が「すぐやるべき」の意見を述べ、自民・民主・公明党の3議員は「慎重な検討が必要」との意見でした。中でもS議員の発言には、“本音”がポロリと出ていました。それは「〜質問しない議員に対する評価も出てくる。〜」の部分です。そういうことです!住民の方々は質問の項目を知りたい気持ちもさることながら、“質問を行いよく働いている議員か、そうでない議員か”を先ずは見極めたいと思っているのです。
3点目の「議場の国旗・町旗の掲揚」については、後日に回します。写真は両スナップとも、1月23日に写したものです。大阪府町村議長会主催の議員研修の講演テーマは「地域活性化へ向けて〜地域訴求力の再検討」でした。「訴求力」とは広報・宣伝の巧みさを意味します。JR新駅開業とともにわが町の訴求力は大幅にアップするはずでしたが、どうもひ弱い感じがしてなりません。「金がない」「職員も回せない」、だから「あれもできない」「これもできない」となっていませんか?「住民を巻き込み、メディアを上手に活用すべし」との神戸新聞社メディア局企画部 前田 裕昭さんの話は大いに参考になりました。
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12月の日記に戻れなくて、引き続き1月の出来事を書いています。前回(1月17日付)「阪神淡路大震災 1.17の集い」のアクセス数は70数件に上りました。日記を読んで下さった多くの方々が、ご自身の“大震災体験”を思い出して下さったのかしらと、出かけていったかいがあったとうれしく思っています。
うれしいことがもう一つあります。ホームページのアクセス数が、つい先ほど(日記を書いている日付は20日の午後5時です)5万件を超えました。ホームページの開設は2004年12月でしたから、4年と1か月を経ています。49ヶ月で5万件ということは、1か月1020件のアクセス数です。島本町議会内の他議員と比較できるデータがないので、失礼ながら川口町長と比較してみました。
町長は議員時代にいち早くホームページを開設していますが、町長になってからは当然ながら訪問数はグ〜ンと増えました。町長の開設年は1998年7月ですから、10年6か月(126ヶ月)を経ています。ただいまのアクセス数は141891件ですから、1ヵ月1126件となります。相手が町長ですから、本来なら私なんぞ勝負にはならないはずです。しかし、その差は僅か1日4件です。私も結構イイ線いっているのかなぁ〜と思ってしまいました。
しかしまあ、町内限定ですから自慢することでもありません。他市町の議会にはすごい方々が一杯います。また私の日記は櫛の歯が欠けたような飛び飛び状態ですが、町長は短文(文というより一言コメントですね)ながらほぼ毎日更新しています。まっ、町長は2期目を目指すようですから、これからもお互い頑張って日記のアップに励みましょう。
開設当初の日記を振り返って見てみましたが、2005年1月17日の日記が目にとまりました。大震災から10年が経過している“あの日”のことを少し書いています。
何事も無く一日が終わる幸せ(2005年1月17日 月曜日 曇)
1995年1月17日の阪神淡路大震災から10年を経ました。当時、刻々と震災の被害状況を伝えるテレビの前で、私は何日間も泣きました。テレビのニュースキャスターも滂沱の涙を流していました。しばらくすると、大災害の映像を見ているだけでなすすべもない非力な自分が腹立たしくなって、また泣きました。
二週間後、私は被災地を訪れました。しかし水を運ぶ力もない、役立つ専門の職も持たない、長期にわたって滞在もできない私のような者は、まだまだ訪れてはいけないと深く反省しました。役に立つどころか、反対に迷惑になることが分りました。
私は自分の仕事(当時は2期目の議員を勤めていました)をしっかり果たして、仕事で頂いたお金を被災地に送ることを決めました。それが私の出来る最良の支援だと思いました。1年間は毎月、議員報酬のすべて(手取り金額分、ただし期末手当だけは活動経費として手元に残しました)を送りました。2006年からは月額報酬30万円の1割を6年間、議員を辞するまで続けました。私の行為はささやかな自己満足に過ぎなかったかもしれませんが、被災地と私を結ぶ一本の糸にはなったような気がします。
夜次男が帰ってきて、また当時の話になりました。息子は自転車に詳しいので、芦屋の教会横で修理のボランティァをしました。多くの人びとに喜んでもらったことは忘れられないと言いました。温かいご飯を食べながら会話を楽しむことが出来る、そんな何事も無く過ぎる時の大切さを今夜はかみしめています。
阪神淡路大震災当時、延べ130万人余ボランティアや地域住民が活動を行い、その重要性が認識されました。このことが1月17日を「防災とボランティアの日」と定めることにつながりました。以降全国の自治体で、災害への備えと訓練を住民参加で行う取り組みが始まりました。大震災は多くの人の命と人生を損ねた未曾有の災害でした。しかし一方“ボランティア元年”と称されたように、一人ひとりの住民が自発的に防災活動への係りを始める契機となり、後年の災害発生に際しても引き継がれていきました。
島本町においても1月18日(会場は第一中学校)、たくさんのボランティアと地域住民が参加して「防災とボランティア訓練」を行いました。訓練のごく一部ですが、写真で紹介いたします。
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1月19日に選挙管理員会が開かれ、島本町長・町議会議員選挙の日程が決まりました。4月7日(火)告示、12日(日)が投票日です。本日より約1ヶ月後には、早くも立候補予定者に対する説明会(2月23日)が開かれます。様々な情報が飛んでいますが、かつてない立候補者数が予想され、厳しい町議選挙となることは必至です(町長選はどうなのかしら?)。
私が今度の選挙で最も期待しているのは、「市民派議員を増やす」ことです。そのためには、今はまだ自分のことにのみ熱意を注ぐことはできません。複数の新しい仲間を議会に迎えるためには当人たちの努力が第一義ですが、連絡・調整役(激励を込めたお尻叩き役も)がいなければ、皆の望みをかなえることは不可能です。この役目は先輩議員として当然私が負うべきですし、口はばったいですが私にしかできないと自負もしています。
政党や組織に縛られない市民派議員は、良くも悪くも“一匹狼”です。目指す思いは同じでも、本番になればその選挙スタイルは千差万別であり、お互い(良き)ライバルとして戦います。しかし選挙準備期間におけるアピールは“市民派”の固い連携を示すことで、住民の皆さんに“市民派”の存在を認知していただくことができます。また期待もしていただくことが大事だと考えています。
そこで1月中旬から土日を除く毎日、街頭宣伝の予定を入れました。とにかく私たちを住民の皆さんに知ってもらわなくては始まりません。街宣には全員がそろう時もあれば、そうでない時もあります。今日などは私が集合場所を間違えていたのに気づかず、「おかしいな?」と思いながらも雨の中一人水無瀬駅前で街宣していました。まっ、一生懸命でもどこか抜けているほうが気楽でいいとしましょうか・・・。
写真は1月20日、JR島本駅で街宣を行った時の平野かおるさんです(現職2期目)。これで市民派仲間3人の写真を掲載することができました。
ところでこの日、駅前広場の喫煙場所に設置してある灰皿(大きなボックス型)の周りがとても汚かったです。街宣の合間に、散乱する吸殻や空き缶等のゴミを拾いました。ビニール袋を持っていなかったので、キオスクの方に「ゴミをいれるビニール袋をください」とお願いすると、とても快く渡してくれました。次からはゴミ袋を持って行くことにしましょう。
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2日間更新を怠っておりました。1日目は63人、2日目には48人の方に無駄なクリックをさせてしまいました。申し訳ありません。さて前回の続き、1月19日の議会運営委員会(以下議運と言います)のご報告です。
議運の検討事項として、いよいよと言うかやっぱりと言うか、またぞろ「議場に国旗を揚げろ」との要求が出てきました。自公民は自分たちが揚げたいのに、わざわざ“傍聴者の要求”と言い訳しているところが、なんだかカッコ悪いよね〜。もちろん住民要望もあったのでしょうが、それを受けて「私たち会派の主張はこうなのだ」と明確に示すべきです。
自由民主党のI議員曰く、「傍聴者の声があったので、提案したもの。会派の考えをこの場で述べるものではないと思っている」だって。いえいえこの場は議運なんです。会派代表で出てきているのだから、会派の考えを述べてもらわなきゃ困ります。その点公明党のS議員は冒頭、「公明党もこの件、趣旨に賛成していたと思う」と自党の意思を示しました。ただし「思う」がついているのは、なんか“言い訳”めいていますが。
しかしS議員はその後堰を切ったように発言し始めました。「旗はその国、自治体のルールの象徴であり、議場の権威を高めるために掲揚すべき」から始まって「国旗・国歌法が成立している中、公共機関で掲揚してはならないということはない」「国旗、町旗を掲揚し、諸施策を立案、決定、推進していく。掲揚は当然だ」「国旗を尊重するということ。国旗を希薄化するのは大きな問題だ」等の発言を行いました。
あの〜言わせてもらいますが、旗はルールの象徴ではありません。国のルールのルーツである、その象徴は憲法です。また自治体のルールといえば、わが町で言うなら町民憲章や条例等の決まりごとを指します。それから「議場の権威」って何なのでしょうね?私は議場が権威的であることはよろしくないと思っています。住民の皆さんの声を十二分に反映した活発な議論が展開され、公平公正な議事運営が行われることこそが議会の質を高め、敢えて「権威」という言葉を使うなら「議場の権威が高められる」と評されると言っていいでしょう。
S議員への反論を続けます。国旗・国歌法は確かに存在しますが、「公共施設で揚げよ」なんていうのも、一言も書いてありません。同法が定めるのは「国旗は日章旗(日の丸のことです 注:南部)とする」「国歌は君が代とする」の2条のみです。私は1999年7月21日衆議院内閣委員会を傍聴し、小渕首相・野中官房長官・有馬文部大臣他時の政府要人の発言を聴いてきましたが、「国旗・国歌を強制するものではない」「憲法で定める内心の自由に立ち入らない」との明確な答弁を行っています。
従って「掲揚は当然だ」「国旗を尊重しろ」「掲揚をしなきゃ、政策立案、決定、推進はできない」と言っているのと同じS議員の発言は、私から見れば自ら国旗・国歌法を大きく逸脱し、憲法にも反しているとの解釈も成り立ちます。ことほど左様に「日の丸・君が代」問題には相反する意見があるのです。議場への日の丸掲揚が、人の生き方の根源にかかわる「思想信条の自由」「内心の自由」を侵してまで行わなければならないことだとは、どう考えても無理があるのではないでしょうか。
さて民主党Y議員の発言です。公立学校の行事における国旗・国歌の掲揚を例に引き「議会にはなぜないのかということ。検討すべきだと思う。すぐに揚げるということではないが、必要なら揚げていけばよいし、反対なら意見を聴いて、どうするか決めていけばよい」とは言いつつ、「揚げてもかまわないと思う」と自公民連携をあらわにしています。優柔不断の感は免れませんが、それでもまあ「議論をして決めよう、急ぐことはない」と言っているので耳に留め置くことにします。ただし学校に日の丸が登場するのは卒業式と入学式の2つの行事のみなので、念のためY議員に伝えておきましょう。
共産党のK委員はほとんど私と同様の意見でした。K議員は12月議会での事態を例に出し「議場の権威と言われ、大切で守らなければならないとは思うが、国旗・国歌を揚げることではないと思っている。12月議会で住民が議場へ入ってこられた。また傍聴席から議場の運営に対して暴言があった。今いる議員がその場でそのことを正すこと、発言の自由や発言の内容について身の危険が及ぶようなことを許さないことが権威であると思っている」と発言しました。
本日の議運は委員長である自由民主党クラブのS議員が欠席で、代理を副委員長の山吹民主クラブF議員が務めました。従ってS議員の意見はもちろん、F議員も進行役に徹していたため意見を述べることはありませんでした。私は最後にS議員の発言を質す意味で、旗を掲揚している町議会の全国調査を行うべしと要望しました。事務局は渋りましたが、その件を含めてF副委員長の「本件は引き続き次回以降に継続して審議していただきたい」の言葉で次の案件に移りました。
さて本日の本当の日付けは2月5日です。私たち市民派の阪急水無瀬駅における朝街宣の日です。ところが私は昨夜からどうも調子が悪い。確実に○○炎です。たま〜に顔を出す何とも不愉快な症状です。体の冷えが引き金となる場合が多いので、本日は7時からの街宣を休みます。ハンドマイクは私がいつも持参しているので、今朝は澤嶋さんに取りに来てもらう連絡だけを入れました。
街宣終了後に澤嶋さんからの報告が入りました。川口町長が2〜3人の方と共にビラをまいていたというのです。再選を目指す町長が自ら早朝のビラまきとは見上げた心意気ですが、本音は自公民のいずれかの日とドッキング願いたいものだと思いました。だって町長選を支えてもらう議会勢力なのでしょう?
木曜日は市民派が先に始めていたとはいえ、公共の駅前広場で他者を締め出すわけにはいきません。共存は仕方がないことです。けれど何も分からない住民の方々から見れば、市民派と川口町長の共通の行動と取られる向きもあります。さて、得をするのはどっち?答えは言わずもがなですよね。う〜ん私たち、ちょっと困っています。
本日の本当の日付は2月8日です。立春も過ぎて、陽の光がずいぶん柔らかくなりました。南部・平野さん・澤嶋さん・戸田さんの“市民派”仲間で始めた朝夕の街頭宣伝(火・木・金=朝街宣、月・水=夕街宣)でも、新しい季節の目覚めを日々実感しています。しかし本格的な春の訪れまでには、再びの寒波もやってくることでしょう。そして何よりも春の選挙(4月12日が投票日です)に向かっては、ひと山もふた山も越えなければならない試練が待っているはずです。
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「アララ!今頃そんな悠長なことでどうすんの?お正月が来たら選挙(の準備)はもう済んでまっせ」と私たちを笑う人たちもいます。また選挙を目前にした3月議会は、多くの議員が心ここにあらずの様子も毎回見てきました。しかし私たち(市民派の南部と平野議員)は、任期最後の議会をしっかりと務めることが最優先だと気持ちを引き締めています。
明日(2月9日)は理事者からの議案説明が行われ、12日には3月議会の議事日程を確認する議会運営委員会が開かれます。私は2月26〜27日予定の前半議会で、新年度予算に対する会派代表の大綱質疑も行わなくてはなりません。予算審査の常任委員会を経て、後半議会(3月18日予定)には最後の一般質問もあります。なかなかどころか大変厳しい日々が待っていますが、体調に気をつけて頑張りたいと思っています。ちなみに数日来の○○炎は苦痛が増して、やっぱりお医者さんに頼らざるを得ませんでした。
さて標題の日記に入ります。1月5日付の日記にも少し書きましたが、住民の方(以降Aさんと書きます)からの訴えに係る経過のご報告です。日記への掲載は幾日かに分けて行います。報告内容はAさんと私がメール交信をした記録が殆どです。なぜこのような方法を取るかというと、先ず第一にAさんの苦情の原因となった事業を所管する役場の某課管理職に対し、私は時を経た今も疑問を感じているからです。
某課管理職は、私が本日掲載しているAさんのメール内容に沿って調査依頼したことを激しく咎めました。「疑われた職員はどうなるのだ」と言うのです。「疑うも疑わないも、調査はそれ以前の段階です。議員として、職員の姿勢を調査せよと求めるのは当たり前でしょう」という私の要求は、そんなに怒りを買うことでしょうか?
以下掲載しますメール文については、誤字脱字の修正等及び個人が特定される文言は加工しています。
2008年12月27日 Aさんから南部へのメール
島本町の一住民としてメールさせていただきます。
先日、ある調査が役場で実施されました。私が住んでいるマンションにも調査員である職員がきました。しかし、そこで某課の○○と名乗る・・・の職員(・・・・・・が特徴です。)の対応がひどかったのです。
【注:・・・・・・部分は当該職員の外見等を書いているため伏せています。】
職員は始めは丁寧に対応していただいたのですが、任意の調査でしたので調査の拒否をしたら突然態度がかわり、嫌そうな顔で対応されました。その場で、注意したところ「こっちも好きで調査しているわけではないので」と言い放ったのです(にらみながら!)。他にも心無い言葉がでました。
私は、とてもがっかりさせられました。これが私たちの税金で生活している者の対応なのか?これが私たちによりよい生活サービスを提供する者の対応なのか?と。
私は怒りをこらえながら前言撤回と謝罪文を持参するように言いました。謝罪はしたものの気持ちがこもってなかったのです。謝罪文には「なぜ怒られたのか」「今後の住民に対応する心構え」を書いて後日提出するようにいいました。
しかし、なんの連絡もないまま役場の休暇に入りました。がっかりです。島本町議員としてなんとか制裁を加えていただけないでしょうか?謝罪文を持参するなり、広報に載せるなり何らかの対応をしていただかないと我慢なりません。宜しくお願いします。
お返事お待ちしております。こんなずさんな職員を採用する見る目がない△△△△に来年は投票はいたしません。なんの期待も出来ませんから。
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2009年1月4日 南部からAさんへのメール
町議会議員の南部由美子です。
このたびは貴重なご意見をいただき、本当にありがとうございました。年末の27日にメールをいただいていたのですね。申し訳ありませんでした。27日から4日の今日、只今まで家族で旅行をしておりました。それゆえ、お返事が大変遅くなりましたこと、まずお詫びいたします。
お便りの趣旨はよくわかりました。お怒りはごもっともだと、文面からは私もそう思います。某課職員の無礼と事後処理の不完全さが、Aさんのおっしゃるとおりであるなら、まことに由々しきことだと思います。町で一番のサービス機関であらねばならない役場がこのようなことでは、住民の皆様の大事な税金は全くの無駄遣いと言わざるを得ません。
行政をチェックする立場の議員として、少しの間時間をいただきたいとお願いいたします。明日から正確な情報の確認をして行きたいと思います。その上で、Aさんが求めておられる謝罪文の提出をはじめとする某部局(某課は当部の一つの課です)の部長判断を求めたいと思います。
それまでには、○○職員・某課課長(部の次長を兼務しています)に聞き取りを行います。なおその折には、○○職員の特徴に関してご指摘いただいている点については伏せさせていただきます。
では、とりあえずメールを拝見しましたことをご連絡申しあげます。ありがとうございました。年末年始の日々を経たとはいえ、お返事の遅れをくれぐれもお許しください。
では、またご連絡いたします。
2009年1月4日 島本町議会議員 南部由美子
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前回の日記に引き続きお知らせします。
2009年1月8日 南部からAさんへのメール
町議会議員の南部です。
遅くなりましたが、過日(12月27日)に頂いたメールの件でお返事いたします。1月5日、仕事始めの日に某部次長(某課課長を兼ねています)にヒヤリングを行いました。
失礼ながら、私はAさんがおっしゃっていることを鵜呑みにして、はなから職員を断罪しに行ったわけではありません。先のメールでお返ししましたように、Aさんがおっしゃっていることが事実かどうか、まずは調査をしなさいと次長に伝えました。
4日後の本日、結果を聞くための電話をいたしました。次長が伝えたのは「課の全職員に確認したが、指摘されているような発言をしたことはない。また謝罪を求められたこともない」という内容でした。双方まったく相反する内容でしたので、私も驚いています。御腹立ちかもしれませんが、そのまま次長の言葉をお伝えいたしました。
と、ここまでが現時点での調査の内容です。この後次長と私との激しいやり取りがありました。次長が言うには「南部議員はメールの内容を相手に確認したのか。メールの主が嘘をついているなら、中傷を受けた職員はどうなるのだ」といったことを、延々と私に激しく問いました。
私は「訴えている方のメールアドレスは分かっていますが、誰かという個人の特定はできません。従って訴えておられることが本当かどうかは、確認のしようがありません。また事実なのかどうかも保証できません。しかし調査に訪れた職員の個人名や容姿の特徴まで明記し、職員が発した言葉まで再現されておられるのですから、それを見る限りは訴えておられる方に一定の信頼を置いています。また言いっぱなしではなく、私と互いに通信ができるようメールアドレスも表示されています。全くのウソをつくためだけなら、普通そのような対応はとりません。だからこそ、調査をするべきだと役場に求めたのです」と繰り返し伝えました。
議員とのやり取りとも思えないほど失礼千万な次長の発言が続きましたが、延々と続けても益はありませんし、何よりも不快感がつのるばかりなので私は電話を切りました。
そこで次の提案をいたします。役場が「全く事実無根だ。むしろこんなことを言われた職員はどうなるのか」と激しく反論していますので、ぜひ今一度Aさんから直接の訴えを役場に返してほしいのです。某次長もそのことを求めています。最初に私が頂いたメールの文章と同じもので結構です。一方ぜひ早期に私と面談をしてくださって、事実をお話ししていただけないでしょうか。
このことは何よりもあなたの名誉のためでもありますが、住民の方々の声を役場に届ける議員としての権能や信頼にもかかわる大きな問題をはらんでいると思うからです。この件が役場の都合の悪いことに対する隠ぺいの一端だとすれば、今後すべての匿名住民や私たちのような立場の議員を通じての要望・苦情等は、「そんなことはなかった」の一言で片付けられてしまう恐れがあります。
それどころか「住民の訴えが本当かどうか証拠を出せ」とか、私が問われたように「住民の言い分が正しいと保証できるのか」等、脅しと居直りの町政になってしまいます。
私は基本的には、住民の皆さんが勇気を振り絞って要望・苦情を訴えてきておられると思っています。従って一定の信憑性を感じることができたなら、役場への事実確認は当然だと思っています。調査の上お互い思い違いがあったり、事実誤認が確かめられるのです。
従って今回のような、調査依頼だけで激しい嫌悪感・拒否感を示す行政の対応は異常だと感じています。このような状況で町政が進んでいってよいわけがありません。
どうか今一度のお願いです。役場へあなたの訴えを直接届けてください(個人名がわからない形で結構です)。あわせて回答を求めてください(メールの回答が可能です)。もし役場への直接のアクセスに抵抗がおありなら、先にも述べましたが私との面談をまず可能にしてください。これはぜひお願いいたします。
以上が本日お伝えしたいことのすべてです。
思わぬ展開となりました。私は次長から発せられた言葉がどのようなものであっても耐えられますが、Aさんには大変心外な役場の反応であったとお察しいたします。「南部の力不足だ」とお叱りを受ける覚悟で、ありのままの状況を書かせていただきました。
では面談の件、くれぐれもよろしくお願いいたします。ご連絡をお待ちいたしております。
2009年1月9日
南部由美子(962−4148ファックスも同じです)
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2009年1月10日 Aさんから南部へのメール
ご報告有り難うございました。
ホームページを拝見し、新年から大きく取り上げてくださり有り難うございます。しかし、本心から信用されていなかったのはとても残念でした。では、私は誰を信用すればよいのでしょうか。会話のやり取りだけ傷ついた私の心はどうなるのでしょうか。物的証拠が無い、今、いくら問いかけても職員の皆さんは隠蔽するに決まっています。
私は思います。物的証拠が残るようなことより、言葉という目に見えないナイフで切り裂かれた傷のほうが苦しいと言うことを。
ところで、○○という職員はなんと答えているのでしょうか。また、課長の責任能力も、今回の南部議員とのやりとりでは無いように思います。
これから私はどうすればよいのでしょうか。私の訴えが通るように、役場に問いかける手段、今度の対応策等教えていただけますでしょうか。
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この間、役場職員の対応に苦情を訴えておられるAさんとのメールのやり取りを掲載しています。2日前の日記にも書きましたが、私がこのような手法で経緯を明らかにしているのは、少しでも住民の方にとって良い解決方法を見つけたいと思うからなのです。そのためにはAさん・役場、どちらの言い分もキチンと聴くことがなによりも大切です。
しかし今回の場合は、思いもかけない役場の反発で驚いています。議員として事実の確認を行うことすら「職員にダメージを与える」と声高に返されると、言うべき言葉を失ってしまいます。このような対応が役場のすべての部局に及んでいるとは思いたくありませんが、一部であれ役場の実態をAさんにはもちろん皆さんにも知っていただきたいと思いました(1月8日付のメールに書いています)。
一方役場にも、私がAさんに行っている働きかけを知ってもらわなければと思っています。先ずはAさんの思いを受け止めながらも、Aさんに対しては「あなたも苦情申立者の“役割”を果たしてください」と伝えている私の姿勢は間違っていないはずです。
私は住民の言い分のみを丸呑みし、調査もせず役場を攻撃する議員ではありません。お互いが事実を確認し合い問題解決に向かって行動する、その道筋をつける役割を担いたいと私は願っています。今回掲載するメールからは、Aさんに対し具体の提案を必死に呼びかけている私の気持ちを推察いただければと思います。
2009年1月17日 南部からAさんへのメール
お返事お待ちしておりました。心からありがとうございます。
いただいたメールからは、私も役場同様Aさんを疑っているように思われて、心を痛めておられる様子が手に取るようにわかります。まさに2重の痛みと感じられたことでしょう。大変申し訳ないこととお詫びいたします。
しかし私のメールをよくお読みいただければきっとわかっていただけることと思いますが、私はAさんのメール内容を信じ、これは重大な問題だと認識したがゆえに担当課長に調査を依頼したのです。
釈迦に説法で申し訳ありませんが、事実をより確実なものに立証するためには、片方の言い分をのみで判断してしまうことは得策ではありません。訴えの基盤が脆弱になります。ここはどうかこらえていただきたいと思います。冷静にきっちり詰めていかなければ、役場という組織に太刀打ちできません。
さて、ではこれから役場とどう対峙していくかです。
某部次長(某課課長を兼務)は「調査をしたが、そのような事実はなかった」と、Aさんの主張からすれば、公の立場で私に虚偽の返答をしたということになります。このことが事実なら、調査時における町職員○○氏の無礼な対応に加えて、“罪”はさらに重なったといえます。このままでは済まされないAさんのお気持ちもよくわかります。
Aさんのメールによりますと、あなたは役場側の隠ぺいを予測しておられ、私がお願いしていました役場への直接の訴えを逡巡されているように感じました。Aさんの現在の心境では無理からぬこととお察しします。
しかし、もう一つのお願いである私との面談はいかがでしょうか。Aさんのお怒りが少しでも和らぎ、今回のような職員対応を2度と起こさせないためには、是非とも直接お会いし先ずはお話をさせていただきたいのです。
Aさんとしては「訴えの事象内容はすでにメールで述べている通りで、南部と会っても同じことだ」と思われているかもしれません。またお仕事の都合上、そのような時間も取れない状況におありかもしれません。Aさんの「早く役場に謝罪をさせてほしい」というお気持ちは手に取るようにわかりますが、それでも先ずは相手(役場)に事実を認めさせなければなりません。
今回のメールの最後に、Aさんは「私の訴えが通るように、役場に問いかける手段、今後の対応策等教えていただけますでしょうか」と解決に向けての積極的な言葉を述べられています。私は大いに安心しましたし、頼もしくも感じています。
そこで新しい提案をさせていただきたいと思います。過激な表現ですが、ずばり言いますと「役場に乗りこみましょう」ということです。Aさんと私とで、直接町長に面談しましょう。その時に私への最初のメールを持参されれば事の次第は説明できます。
そして町長から某部部長・次長・○○氏を呼んでもらい、事実確認をさせましょう。これなら、Aさんが心配される事前の隠ぺい工作はできません。町長への面談は議員として求めれば、通常は支障なく受理されています。平日の夜間でも、土日の閉庁時でもご都合をつけていただければ、私がなんとかセッティングします。
面談が終了しても、そのあとで正式に抗議文を出し回答をさせることで、役場の公文書として残させることができます。面談では「言った」「言わない」で、記憶もあいまいですから(録音をとってもいいですが)、事後の文書処理は必要です。
公文書に位置づけられた内容は、効力を持って今後の役場の対応を正していくものとなるからです。もちろん議会においても当該文書を根拠にして質問が可能になります。議会での発言は、天下に公表するも同じですから、効果は大変大きいものです。
さて、私が上記にお示ししましたようにうまくいくかどうかは、ひたすらAさん、あなたの決断と行動にかかっています。南部と会うのもダメ、役場に匿名でメールを送るのもダメ、町長ほか職員と面談するのもダメ、南部にメールを送ることだけしかできないとおっしゃるのなら、Aさんの訴えが120パーセント真実でも、解決は困難と言わざるを得ません。
Aさんからすれば、一方的に痛みを受けている身なのに「なぜ私がそこまでしなければならないのか」とご納得はしづらいとはおもいますが、どうか南部の新しい提案をお受けくださいませんでしょうか。これが今考えられる最善の方策だと思います。いかがでしょうか?もちろんAさん自身のご提案も思つかれましたら、是非お聞かせいただきたいと思います。
では、早期のお返事をお待ちしております。
追伸:
○○氏へのダイレクトの接触は行っていません。なぜなら私が調査を依頼する相手は、某部次長であったからです。また調査依頼の段階では○○氏の氏名は伏せています。職務上行った行為は、○○氏個人が「ごめんなさい」と言っても有効ではありません。当該某課として、また某部として、さらには役場全体として「正しい行為ではなかった」と認識し謝罪してこそ有効となるからです。
2009年1月17日 島本町議会議員 南部由美子
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前回の私からのメールに対し、Aさんからの返事はありませんでした。私に思いをぶつけることでAさんの怒りが静まったのなら、それはそれで本件は終息したととらえることもできます。まあ、大抵のことは人に話してしまうと解消・・・なんてことはよくありますから。それとも私の叱咤激励「役場に乗り込んで町長に直談判しましょう」との誘いに、Aさんはいささかびびっちゃったのかもしれませんね。
しかしAさん自身が納得されたとしても、ことの本質に迫る解決には至っていないわけで、私は残念に思っています。今までも役場とのトラブルを、私に訴えてこられた事案は数々ありました。その中で事態の改善が図られたものは、当事者のすべてが私と面談し役場とも直接対峙しています。セクシャルハラスメント事件・保育所の入所に係る訴え・町職員間のパワーハラスメント事案等、いずれも当事者の勇気が解決への道を開いたといっても過言ではありません。
私はAさんにこのまま引き下がってほしくはありませんでした。Aさんが心から納得できるために、役に立ちたいとの思いを簡単に捨て去ることは胸が痛みます。また何よりも、住民に対する町職員の接遇改善と意識改革を促すための必要性を感じていました。そのためには、苦情申立ての当事者であるAさんと共に行動を起こしていかなければなりません。私は最後のアプローチをAさんに発信することにしました。
2009年1月25日 南部からAさんへのメール
その後いかがでいらっしやいますか?
私の提案に対しては逡巡されていると思っておりましたが、Aさんの怒りの強さから察して町長への面談はともかく、私との面談或いは少なくともメールのお返事くらいは頂けるものと期待していたところです。
私のほうではその後、某課○○氏への事実確認を行いました。○○氏によると「気分を害されたかもしれないが、住民の方(Aさんのことです)が言われているような言葉は断じて発していない」ということでした。残念なことですが、Aさんからの意思表示がない以上、私がこれ以上職員を糺すことはできなくなりました。
Aさんからは職員の意識改革を求めるためのまたとない機会を供していただいたとありがたく思っております。しかしながら今一歩の勇気を出してくださっておれば、事態は大きく前進し解決への道筋がついたかもしれません。
私はあなたから“聞いた話”でのみ行政を糺すことはできません。ただ“聞いた話”を「調査せよ」と求めることはいたしました。
その結果が「南部が捏造したのではないか」的な激しい反発を某課から受けているわけです。調査は議員としての仕事ではありますが、大変残念ですし憤懣やるかたない思いを私自身も持っています。
住民の方々の要望や苦情をお聞きするのは議員の大切な役割と心得ておりますし、Aさんのお便りからは単なる不満・愚痴のはけ口として私にお知らせくださった内容とは思えませんでした。
Aさんとは共に行政を糺していける方だと、私は認識しておりました。しかしこれで幕を引かれるとおっしゃるのであれば、いたし方がありません。ただ私といたしましても、いささかの名誉回復を図らなければなりません。
そこで折を見て、この間の経緯を私のホームページに掲載したいと考えております。もちろんAさんが特定されるような情報は明記いたしませんし(というよりお住まいのマンション名とハンドル<ネーム>しかわかっていませんが)、何の調査か役場のどこの所管かといった特定の情報も伏せなければなりません(真偽のほどが定かでない中、職員の名誉も守られなければなりません)。
いずれにいたしましても、あなたの小さな勇気を頂けなかったが故に、大きな不幸(この場合は町職員の資質及び住民サービス低下への重大な影響)につながるのではないかという私の心配が杞憂に過ぎないことを祈るばかりです。
今回の件では、私自身もいろいろな意味で勉強させていただいたと感じております。結果はAさんがお望みになった通りかどうかは知る由もありませんが、このような結末も仕方がありません。しかし議員の務めとしては、「今後もお困りのことがあれば、どうぞご遠慮なくお申し出ください」とのお伝えはさせていただいておきましょう。寒さ厳しき折どうぞご自愛くださいますよう、お祈り申し上げます。
2009年1月25日 島本町議会議員 南部由美子
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本日の本当の日付は2月12日です。現在に至るまでAさんからの返信はありません。写真は部屋の片隅でひっそりと自己主張しているモノたちです。日記の内容に沿ってはいませんが、この間の気分転換のために私の“お気に入り”を撮ってみました。
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総合計画は島本町のまちづくりを総合的、計画的に進めていくための基本指針として策定されるものです。総合計画には基本構想・基本計画・実施計画の各計画がありますが、本日1月28日の総合計画審議会に諮問された総合計画<基本構想>は、10年後の島本町の将来像を描いたまちづくりの基本目標を示すものであり、“まちづくりの憲法”といってもよい重要な計画です。
現在の第3次総合計画はH24年までの計画ですが、JR島本駅開業に伴い、新たなまちづくりや地域活性化の取り組みが必要だというわけです。そのためにH31年を目標年次とした第4次総合計画を、前倒しで新しく策定するというのです。「いうのです」と私が他人事のように表現しているのは、現総合計画の残期間があと3年残っているにもかかわらず、新駅開業のみを理由として総合計画を新しく作り直すことが、どうも理解できないからなのです。
これはJR島本駅周辺、特に現在は市街化調整区域である駅西側の田畑を市街化区域に線引きしなおし、大規模な住宅開発が可能な地域を作り出そうとする意図の表れではないかと、私は心配しています。もちろん当該地に農地を有している地権者の意思は第一義的に尊重されなければなりませんが、駅西側の田園風景は我が街の原風景である農空間を保っている数少ない景観を有しています。多くの住民が大切に継続し、守っていってほしいと願っています。
従って町は急いで新しい総合計画を策定し、新計画のメニューとしてこの農空間に市街化の網をかけてしまうのではなく、現総合計画の期間内にしっかりとした調査や、地権者の意向をはじめ住民の意識確認を行うことをしなければなりません。新総合計画策定に先立って、確かに住民へのアンケート調査は行われました。しかし調査項目の中に当該地の具体像を予見できるような内容は、一切示されていませんでした。
町長が1月28日の審議会に諮問した新総合計画の基本構想「案」は、わずか5回の総合計画策定委員会(役場の次長・課長級職員で構成)で出された意見を、委託を受けたコンサルタントがまとめ、様式を整えたものにすぎません。多くの住民が“我がこととして”意見を出し合い、議論を交わし、合意に至る努力をした、そのような“生の声”の下支えがあってこそ、総合計画基本構想が真の“まちづくりの憲法”となり得るのです。
総合計画審議会は3回開催(2009年2月12日現在で)されていますが、「案」作成の前に住民の声がどのように反映しているのかを問うてくださる委員は、残念ながらおられません。もちろん住民アンケート調査は“住民の声”の一部ではありますが、例えばアンケート中の「島本町に住み続けたい理由」の86.2%を占めた回答「自然環境に恵まれているから」や、「まちの将来像」についての回答「水や緑が豊かで、自然との調和がとれたまち」の36.9%が「通勤・通学や買い物に便利で生活しやすい、住環境の整ったまち」の11.3%を大きく引き離している結果をどう見るのかということです。
上記回答の高い数値が基本構想(案)中の「まちの基盤整備」に記載された次の文章で反映されているのか、またどのように整合をするのか疑問が残ります。基本構想が目指しているのは以下の内容なのです。
「JR島本駅の開業は、利便性の向上と共に新たな都市核の形成をもたらし、まちの構造や機能、住民の生活に大きな変化をもたらすことが考えられます」「今後は、土地利用などについて十分検討を加え、有効活用の推進に努めるとともに、開発の誘導などを通じ、防災上の向上も踏まえた良好な市街地形成を図ります」と述べられています。
これらの一文ひとつとっても総合計画基本構想(案)は、住民の意識と大いなる乖離が存在しているのではないかと言わざるを得ません。さらにはアンケート調査の自由意見が未だ示されていないことも問題です。個人情報に係らないか等記載内容については一定の整理が必要ですが、諮問に際して自由意見を含むアンケートの全結果を添付するのは当然だと思います。自由意見には回答を選択するのではない、貴重な“生の声”を書いてくださっているのですから。
本日の本当の日付は2月17日です。数日間日記の更新を怠っていました。一昨日は51人、昨日は71人もの訪問がありましたが、皆さん空振りで本当に申し訳ありません。本日書きました総合計画に係る内容はホンの一部で、まだまだ言いたいことは沢山あります。
しかしながら2月26日から始まる3月議会に向けて、毎度のことですが、自らが招いた“盆と正月”が一緒にやってきている忙しさです。今回は特に新年度予算に対する会派代表の大綱質疑を担当しますので、締め切りの18日(明日やんか!)午前11時に向けて、床いっぱいに広げた資料の上でのたうちまわっています。まっ、“下手な考え休むに似たり”なのもよく分かっているのですが・・・。
しかし日記もまた、多くの方々がアクセスしてくださっているのに1日分くらいはアップしなければ申し訳が立ちません。本日書きました総合計画の内容についてもごく一部分ですが、チョ〜窮地に陥っていますので本日はこのあたりでお許しください。
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