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熱々の歴史文化資料館コンサート
(2008年7月13日 日曜日)

  やっと5月の日記を抜け出したのですが、はや7月の下旬に差し掛かっております(本日の本当の日付は22日です)。暦の上では本日は「大暑」、たしかに暑くて当たり前。しかしこのところの猛暑は、やっぱり変。年々ヒートアップする気温に、地球の“怒り”が飽和状態に達している恐ろしさを実感する日々です。6月の日記にコソコソと入り込む前に、せめてもの“新鮮記事”をお届けしようと思います。そこで一週間前から本日までを(7月13日〜22日)をちょっとふり返ってみました。

 資料館コンサート第三弾は、町内は勿論北摂でもその名を広く知られている「ザ・サウスパーキング」のバンド演奏です。広報紙では「結成23年、島本が誇るエンターティナーの歌と演奏」と紹介されていましたが、マンドリン・バイオリン・ベース・バンジョー・ギターの軽快な弦の響き(2曲は電子ピアノ伴奏も)と味のあるボーカルは、酷暑の昼下がりに集った聴衆を十分に楽しませてくれました。

おしゃべりも擬音による様々な表現も楽しかったです

 

 当日のお客さんは満員とまではいきませんでしたが、空調設備がない資料館の暑さに耐えて皆さん楽しんでおられたように思います。私もウチワをパタパタ、途中で大藪浄水場の「あしかりの水」を頂いたりしながらの参加でした。聴いてるだけでも暑いのにステージの演奏者は、それこそ滴る汗にまみれながら、まさにその字のごとくの“熱演”となりました(今後は、せめて出演者にはなんらかの対策が必要ですね)。

 ちなみに資料館の冷水は、館長がほぼ毎日2リッターのボトル6本分を汲んで冷水器(この冷水器も関係団体の好意で教育委員会に貸してくださっていると聞いています)に入れ、来館者に供しているということです。通勤途上で、この作業を毎日行うのもご苦労様なことだと思います。この季節、冷たくておいしい“島本の水”が資料館で飲めることを知らない人は多いです。私は夕方役場からの帰りに、一杯頂いて一息つくこともあります。本日のコンサート終了挨拶時でも、「お帰りの際には冷たい水をどうぞ」とひとこと宣伝されても良かったのにと、残念に思いました。

冷水器と水道部製作のパネル
コンサート当日、冷水器の傍にはフラワー
アレンジメントが添えられていて・・・素敵!

 

 日曜日にも係らず教育委員・資料館懇話会の委員方、町長・教育長・教育次長等勢ぞろいで来館していましたが、資料館本来の目的遂行のためにも、来館者に対しより一層のきめ細かいサービスと資料館で働く職員たちへの指導(心配りも含めて)を願いたいものだと思いました。

 


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教育委員会議傍聴と町営プールの見学
(2008年7月14日 月曜日)

 9時半から始まる教育委員会議を傍聴します。会場の教育センターでは、2009年度の小・中学校教科用図書採択(候補)本の展示期間中で、閲覧が可能でした。また子どもたちの楽しい作品(第二小学校1年生)も見ることができました。

閲覧用の教科書
子どもたちの作品

 

 本日の会議の主な案件は、前述の「教科用図書の採択について」でした。7月2日に選定委員会が開かれ、「H16年度の答申をもとに採択する」ことを決めました。理由は「この間、特に問題は生じていない」「当町の児童・生徒に特段の変化が生じていない」からだそうですが、文科省通知(採択手続きの一部を簡略化できる)に安易に乗っかったような気がするのは、私だけでしょうか?2、3の質問がありましたが小学校・中学校用教科書は共に可決しました。

 教育委員会議が早く終ったので、町営プールの様子を見に行きました。まだ夏休み前(しかも午前中)なので、お客さんはごく少数でした。長い年月大小の改修を重ねて、何とか持ちこたえている町営プールです。水無瀬神宮の木々の中にある素朴な昔のプールは、大抵のお客さんには物足りない感を抱かせることでしょうが、私はノスタルジックな“森のプール”をちょっと気に入っています。また付け加えていいますと、臨時職員の対応がとてもよかったです。キビキビと笑顔の職員は、帰り際にも「またいつでも、ごゆっくり見学にお越しください」と丁寧な言葉で送ってくれました。

 


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議会運営委員会で京丹後市を視察
(2008年7月15日 火曜日)

 島本町議会の議会運営委員会(以下「議運」と言います)において、今“表向き”は議会基本条例制定に向けての歩みを始めたような状況があります。今年の2月には伊賀市議会(全国の市で最初の条例制定)へ、そして今回は京丹後市(京都府内で最初の条例制定)へ調査研修に行きました。特に今回は議運の委員だけでなく全議員に呼びかけたこともあって、議会基本条例への認識を議員全員に広げる試みを行ったといえなくもありません。

京丹後市庁舎は元峰山町役場の庁舎です。
玄関ロビーは特産の丹後ちりめん(数本の白い布)をインテリアに使用。
住民へのソファも置かれ、柔らかな雰囲気です

 

 伊賀市での報告は、今年2月13日付の当日記で書いていますので参考にしてください。肝心なところをごく一部紹介しますが、伊賀市議会では「市民参加で白紙から作る条例」を目指すために、「議会のあり方検討委員会」を設置しました。委員会は市民意見交換会を開き、その回数は3ヶ月間で56回にも及びました。その後市民の意見をもとに「素案」を作成。素案はタウンミーティング・パブリックコメントを経て、更なる市民の意見を反映させました。以降紆余曲折もありましたが、市民の声を聴くことから始めて約2年後、伊賀市の議会基本条例は制定されました。

 今回視察の京丹後市議会基本条例の制定経緯を少しご紹介したいと思います。前段で伊賀市の報告を繰り返したのは、共に合併を経て生まれた新議会との共通項はありますが、市民への最初のアプローチが異なる形でスタートしたことが私の興味を引いたからです。伊賀市では市民との「意見交換会」が始まりでしたが、京丹後市では「議会改革特別委員会」(2006年9月設置)が行った「市民アンケート調査」が、議会基本条例制定への第一歩でした。つまり私が言いたいのは、手法は違えど議会基本条例への道は、いずれも市民の意見を聴くことから始まったということなのです。

 さて京丹後市の議会改革特別委員会は前年に設置された「行財政改革等調査特別委員会」における提言の中から生まれました。議会は市の行財政改革について行った提言の中で、議会を“聖域”に安住させることなく、自らの改革の必要性に触れたわけです。これらの経緯を聞くだけでも、昨今の島本町議会における会派室予算に係る“あわやの無駄遣い騒動”や議員定数・報酬への“現状維持はやばや結論”等と比較して、我が町議会のトホホ状態がいかに重症であるかを認識せずにはいられません。更には何故2会派の反対にも係らず自公民系議員の意思のもと、従前より設置されていた議会改革等検討委員会を今年度より廃止したのかも理解できません。

 話を戻しますが、前述した京丹後市の議会改革特別委員会は「議会改革の検討課題」8項目の中に「議会基本条例」への取り組みを挙げました。特別委員会が先ず行ったのが「市民アンケート調査」です。サンプル数2500人、回収数1263人(40.5%)の市民が出した回答は厳しいものでした。83%が「市議会に関心がある」と答えつつも、「市民の声が議会に反映していない」と思っている人は「反映している」人の2倍にも達していました。62%の市民が「議会改革が必要」と答えたのです。

 アンケートの後、特別委員会は「議会改革について意見を聴く会」(懇談会)を7回開催します。懇談会の後、議員定数・議員報酬に関する条例案を作成した特別委員会は、市民の意見聴取会・パブリックコメントを実施しています。定数・報酬の改正条例を制定した後、2007年7月より議会基本条例の本格検討が開始されました。12月議会への条例提案まで、特別委員会は市民等の意見聴取(市民グループ・パブコメや市行政にも)を精力的に行っています。委員会37回、作業部会20回(委員会のもとに若手議員で部会を別途構成)の計57回の特別委員会が開かれたことからも、その奮闘振りは推察されます。

 前回の伊賀市においても身にしみたことですが、京丹後市においても「なんと議員たちは良く働いていることか!」「なんと住民に良く意見を聴いていることか!」という現実です。我が島本町議会が私も含めて先ず学ばなければならないのは、この労を惜しまない意識と行動力なのだと、つくづく思い知りました。これらの努力をすることなく行われる議会改革も議会基本条例も、ありえないと思い知りました。

 我が町議会においては住民へのアンケート調査にも住民との話し合いにもそっぽを向き、なおかつ議会内での議論においても少数意見に聴く耳持たず議論を終息させようとする“大会派”プラス“ポチ会派”が、議会基本条例作成への道をこれからどのように歩んで行こうとしているのか、私は心配でなりません。本日記の日付けより後日談になりますが、私も出席している会派代表者会議で行われている議会改革検討事項中の議員定数・報酬について、某会派から出ている議員は「現行で問題ない。定数も報酬も議会が決めることだ。従って住民への意見聴取は必要なし」と発言し、まさに私の心配を的中させました。

 京丹後市の経緯と島本町議会の現状を対比すると果てしなく落ち込みますが、めげずに発言していかなければと決意を新たにしています。基本条例の中身については伊賀市も京丹後市も、またどこの議会も似たようなものです。似たような内容だからマズイというわけではありません。実際議会基本条例が施行されれば、前述の某会派議員の意見などは直ちに条例に抵触する代物です。議会・議員の説明責任も情報公開も今日の比ではなくなります。今のようなぬるま湯にどっぷりつかって、なおかつ住民にお尻を向けているような議会は自ら条例違反を犯すことになります。

 今回の調査研修において主に説明をしてくれたのは、大同 衛議長でした。大同議長はかつて議会改革特別委員会で委員長を務め、まさに議会基本条例制定に到る労苦を体験されてきただけに、そのお話は示唆に富み説得力のあるものでした。議長は「最初議員の中で議会基本条例のことを知っていたのは、僅か3人しかいませんでしたよ」と私たちを力づけて(?)くれましたが、それだけにリーダーシップをとってきた自負も大なるものがあると感じました。

向かって左端が大同議長、隣りは議会事務局長と課長

 

 4年前に6町が合併して誕生した京丹後市は人口約6万3千人です。市の面積は約502平方キロメートルで、島本町の約30倍もあります。議員数は24名ですから、議員の活動面積比もまた私たちの比ではありません。翻ってみると私たち島本町議会議員は、京丹後市よりうんと活動しやすい町域でありながら、議会基本条例制定への過程ひとつをとってみても十分なる働きをしているとは言い難いと、反省しきりの視察でした。頑張っている他議会から零れ落ちそうな(既に落ちている?)当町議会ですが、一念発起!踏ん張りを自覚した議員は、果たして本日参加者に何人いたでしょうか?

議会運営委員会委員ほか島本町の議員

 


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島本では“みどりのカーテン市民モニター”募集をしましたか?
(2008年7月16日 水曜日)

 鶴が池に面する役場庁舎の東壁面には、いまヘチマ・ニガウリ・ひょうたん・フウセンカズラの“みどりのカーテン”が上に上に勢いを伸ばしています。やっと教育委員会の窓に到達しましたが、まだまだカーテンのように窓全体を覆うまでには生育していません。“みどりのカーテン”は、庁舎以外では第三小学校のホタル育成小屋壁面で試みられています。これら2か所における植物の成長記録は町のホームページでも確認することは出来ますが、私が観察した記録写真も見てください。

窓に緑のつるがやっと届きました
(撮影日は7月23日)
小さいけれどゴーヤの実も生りました
(同日)

 これらの場所には“みどりのカーテン”作戦が地球温暖化防止対策の一つとして取り組まれていることや、省エネ効果等のデータがパネルで示されています。しかし庁舎では折角のパネルも住民からは全く見えないところにあるため、PR効果は殆どありません。また“みどりのカーテン”そのものにも気づく人は少ないと思います。結局手間隙掛けた割にはその効果を生かすことに消極的、というのが島本町役場の“気質”でしょうか。

 まあ今後の積極性を期待しますが、それよりも気になるのは「なぜ住民を“みどりのカーテン”作戦に参加させなかったのかしら?」という点です。お隣の高槻市では、4月下旬には早々と100人の市民モニターを確保しています(ちなみに公共施設も58箇所で実施)。役場だけで自己完結しておけば楽ですし、確かに仕事量も増加しません。でもこの試みは、役場が広く住民に呼びかけることに意味があるのではないかと思います。呼びかけに応えた住民一人ひとりの取り組みが、温暖化防止に効果をもたらすのではないでしょうか?

 


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辻元さん、小沢さんが語る政治はわかりやすくて面白い!
(2008年7月19日 土曜日)

 辻元清美衆議院議員の国会報告会“お宅へ出前版”が、私と同じメゾン水無瀬の友人宅で開かれました。1週間前にはふれあいセンターでも開催されましたが、私は30分しか出席できず(同じふれあいセンターで男女共同参画事業の最終講座に参加のため)、今日は楽しみに出かけました。20数名の参加者は、それこそ“かぶり付き”で国会議員の話を聴くのですが、相変わらず大阪弁全開で気さくに語る政治談議は、聴く人をぐいぐいと引き込むものでした。

 辻元さんは第169回国会がやっと終り、つかの間地元に帰ってきていますが、休むことなく高槻・島本で精力的に住民との対話集会を開いています。本日も夕方には、もう一カ所町内の集いが入っています。大阪府会議員の小沢福子議員は23日の府議会閉会まで超多忙とわかっていましたので、今日会えるとは思っていませんでした(それだけにとてもうれしかったです)。今議会橋下知事に鋭く切り込む一般質問を行った小沢さんは、そのパワーを集いの場でも再現してくれました。

 辻元さんは最初に、衆議院と参議院の議席表パネルを示しました。両院における各政党の占める議席数が、「ねじれ国会」を生じさせていることをパネルの図表は一目瞭然に表していました。衆議院で可決した法案が参議院で否決される、今までには見られなかった「ねじれ現象」こそが正常だと辻元さんは言います。

 今までの自民・公明による強行採決が私たちに何をもたらしてきたのかを、ふり返って欲しいと辻元さんは問いかけました。小泉政権下では後期高齢者医療制度の基礎になった医療制度改革法案が、安部政権下では年金関連法案・国民投票法案・新教育基本法等々17法案が強行採決されたことを省みれば、「ねじれ国会」が即「政治の停滞」とする論調には疑義がある、との辻元さんの訴えに皆さん頷いていました。

 辻元さん・小沢さん共にダイナミックパワー全開で、私たちに“喝!”を与えてくれました。みなさん「よう分かるわ」「面白い」「すっきりした」「考える糸口がみえた」「これから私も何かできるかも」と、晴れ晴れすっきりとした様子で会場を後にしていました。私も勿論、大いなる学びを頂きつつ帰りました。

辻元清美衆議院議員と小沢福子大阪府議会議員

 


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新聞好きの岩井少年が信じていた「大本営発表」
(2008年7月20日 日曜日)

 今年で20年を迎える「反核・平和・人権フェスティバル」の特別講演会に参加しました。講師は桜井で農業を営まれている岩井長信さんです。岩井さんは長年にわたり島本町の様々な関係機関や団体の要職を務めてこられ、いわば町の“名士”というべき方でしょうか。一方洗心流を指導される華道家でもあります。みなさんも水無瀬神宮大祭の華道展や、身近にはふれあいセンター1階ロビーや阪急水無瀬駅で岩井さんが生けた作品を目にされていることと思います。

 私は今任期の後半2年間は議会選出の農業委員として職を与えられていますが、岩井さんは長年にわたり農業委員会の会長職も務めておられます。委員会内外において、農業の「の」の字も分からない私のような者にも隔てなく接し、親切に教えてくださいます。

 数年前にJR新駅設置の計画が明らかになった際、私は駅西側に位置する桜井の田園風景を残すために、農空間の保全と創出をプランニングした冊子を発行しました。私たちなりに一生懸命考えましたが、「所詮は机上の構想」「ヒヨッコたちが余計なことを」と門前払いする人たちもいた中で、岩井さんは熱心に説明を聞いてくれました。

 さて本日の講演は、現在77歳の岩井さんが先の戦争中どのような暮らしをし何を考えていたかを語って頂き、あわせて60年前の島本町を思い起こしてみようというものであろうと、私はお人柄がにじみ出る岩井さんの話を楽しみに参加しました。

 昭和16年太平洋戦争開戦時、岩井少年は小学校3年生だったそうです。新聞を読むのが大好きだった少年は時の軍人の詳細を記億し、戦争が終るまで大本営発表の戦果を一途に信じていました。“時代の教育”が教える側のシステムや意識でどうにでもなることを知ったのは、戦争が終って岩井さんが子ども時代を脱した時でした。初めて教育の大切さ、反面恐ろしさが身にしみたそうです。

 昭和19年から20年に掛けては、伊勢湾に抜けるB29が島本町の上空を飛行するようになりました。B29は目に焼きついており「きれい」だと思ったそうです。国道171号線は当時田んぼの中を通っていましたが、機銃掃射を受けたトラックが転がっていたのを見ました。戦火が激しくなるに連れて、年齢や体の具合に関係なく徴兵されるようになりましたが、それでも「日本は勝つ」と、子ども心に信じていたそうです。20年3月の大阪大空襲の時は島本の上空も真っ暗で、朝が来ても夜が明けないような状況であったといいます。

 小学校(今の第一小学校)の校庭には、子どもたちの手で防空壕を掘りました。勉強しなくて済むので、一生懸命掘りました。穴の天井は孟宗竹を何層にも組みました。中学校(今の第一中学校)の所に青葉公園があって、一周300mのトラックは麦やサツマイモの畑になり、児童も耕作に借り出されました。

 当時農家は「増産せよ」の命令で「米の後は麦」「ダメなら芋を作れ」と、肥料も薬もない中苦労しました。結局収穫した作物は全て供出し、農家には何も残らない状況になりました。米がないので麦飯、麦がなくなるとサツマイモ、芋がなくなると大根飯というように、作物を作る身でありながら「欲しがりません、勝つまでは」の耐乏生活を送りました。

 岩井さんは最後に「戦争は二度とあって欲しくない」「知らされていることが間違っていることは、全て後から分かった」「軍国主義時代の教育を受けた者の反省に立って、子どもへの教育がもっとも大切だと思う」「子どもに手が差し伸べられる町、若い人たちが食べていけるような町、育っていけるような町、島本町であって欲しい」と述べました。そして「これからも百姓としてプライドを持ち、百姓らしく生きていきたい」と結ばれました。

 随分端折りましたが、岩井長信さんの講演は以上のような内容でした。お話をじっくり聴くことができて、本当にうれしく思いました。岩井さん、フェスティバル実行委員会のみなさん、ありがとうございました。

夏の定番、涼やか朝の顔です

 


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パリ国立オペラ座公演を鑑賞
(2008年7月21日 月曜日)

 猫に小判か?豚に真珠か?およそオペラとは縁のないような私ですが、本日はウン万円のチケットを握り締めて、兵庫県立芸術文化センター大ホールへ。待ち合わせの駅にポロシャツと綿パン(エ〜ッ!正装せよとはいいませんが、くだけ過ぎ)で現れた長男と、先ずは館内の「イグレックテアトル」で昼食。ここは神戸北野ホテルオーナーの山口浩氏がプロデユースしているレストランとして有名です。

幕間のロビー、シャンパンも用意されています
(1グラス1800円でした)
レストランがある広いホール

 

 オペラ座は今回が初来日公演です。「オペラ座」と聞くと、私は荘厳華麗なガルニエ宮をイメージした舞台を想像します。まっ、今回は前もって公演の内容を簡単に調べていましたから、豪華絢爛の舞台装置ではないことは分かっていました。しかし想像以上の斬新な視覚表現には驚きました。勿論経費の点でも大仕掛けな舞台装置は重荷なのだろうと思いますが、中世の寓話を最新の映像技術によって展開する演出は、印象深かったです(本音を言うと・・・難解でした)。

 「青ひげ公の城」はハンガーリー語、「消えた男の日記」はチェコ語で上演されたのですが(私には何語であっても解かりませんが)、舞台の両裾にはちゃんと日本語の字幕が用意されていました。これで歌詞の意味はクリア、迫力あるパリ国立オペラ管弦楽団の演奏とともに素晴らしい歌唱が十分に楽しめました。何もかも初めてづくしのオペラ鑑賞でしたが、非日常的な程よい緊張感が後を引きました。たまには、こういう機会もあってよろしいのでは・・・と思ったことでした。

 


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市民派議員の仲間を増やしたい
(2008年7月22日 火曜日)

 遅れ遅れの日記を追っかけ書いている身で来年のことを言うと、鬼どころか皆さんにも笑われてしまいますが、私は来年4月の選挙に向けて大きな夢を描いています。それは市民派議員の仲間を増やす夢です。今はもう夢というより、「計画」といっても良いくらい具体性をおびて歩み始めています。昨年末頃から“意中の人(たち?)”にアタック開始。清水の舞台から飛び降りる覚悟で議員を目指す決意を示してくれた、その勇気に応えるためにも私のできることは何でもする気持ちで一杯です。

 現在私はH議員と二人連れで“市民派街道”を歩んでいますが、さて大願成就の暁には役場の廊下を何人で風を切って進むことができるのでしょうね・・・楽しみです。「計画」の詳しい中身は“意中の人(たち?)”が誰かもを含めて、今はまだご披露できません。でも「南部が目指していることだから、きっといいことなんだ」と思ってくださる方は、是非応援してくださいね。

 ところで過日「島本の将来を考える議員の会」という議員集団のビラが配布されたようですが、「自公民団結してま〜す」のアピールなのでしょうか?はたまた当会から「町長候補を立てる」との予告なのでしょうか?私には全く解かりません。ちなみにこの日記の日付から数日後には、当会が開いた集会の報告をI議員がブログに書いています。しかし集会の中身は一切示されておらず、「司会をして大変だった」といった程度のものでした。

 いずれにしても、人さまの不透明さをアレコレ言っても仕方がありません。私は私の夢の実現に向かって、愚直な一歩を進めていくのみです。というわけで、本日の午前中もH議員を含め“意中の人(たち?)”と話し合いをしました。「自分のことでも手一杯なのに、人の世話を焼いている場合か」とお叱りの声も聞こえてきそうですが、政党にも組織や団体にも属していない“市民派議員”は、自らの手で仲間を増やしていくしかありません。これは私の使命であり、(僭越ながら)私しか出来ないことと信じつつ、来春の選挙を目指します・・・(ハァ〜、こんなにカッコつけちゃって大丈夫かぁ〜?)。

1ヶ月前、草ぼうぼうの公園(水無瀬二丁目)
今日はきれいになっていました。ありがとう!

 


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