5月の日記に入る前に、2日間は6月議会の一般質問を紹介しました。2ヶ月遅れの日記に戻りますが、5月としては3日分(13・19・25日)を既にアップしています。せめて10日分くらいをアップして終わりたいと思っていますが、どうなりますやら・・・。もう7月が目の前ですのに、申し訳ないことです。
筍山の持ち主と幼稚園にお許しを得て、今年も子どもたちの筍堀りを見学しました。園の先生がたに加えて、保護者やボランティアの協力が子どもたちの行事を支えていることがよく分かりました。したがって私もただ見ているだけでは申し訳なくて、子どもたちと一緒にスコップを持って筍堀りに挑戦しました。
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頭をチョコットだけ見せている筍を掘り出すのは、土が意外に固くてなかなか困難な作業でした。そして筍の茎を切って、グググ〜ッと掘り起こすのはスコップでは全く歯が立ちません。アチコチで「おじさ〜ん」「園長先生〜っ」と助っ人を求める声が聞こえます。大きな大きな筍をやっと手にした園児たちの満足げな顔々、写真を何枚も撮りましたが掲載できないのが残念です(無断でお子さんの顔をホームページには掲載できませんものね)。
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「触っちゃいけないよ」と、最初に説明があった親竹を触る子どもは誰もいませんでした。「危ないよ」と注意を受けた段差がきつい傾斜地に近寄る子どももいませんでした。そして掘ったあとの穴ぼこもちゃんと埋め戻して終わりました。「島本の子どもは、こんな体験が出来て幸せです。ありがたいことです」と、第一・第二幼稚園ともに毎年おっしゃる園長先生の言葉です。私も本当にそう思います。
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一生懸命掘った筍はおいしく味付けして、明日のお弁当の時に食べるそうです。30年前には我が家の息子たちも、第二幼稚園できっと同じ体験をさせてもらったのでしょうが、よく覚えていないダメな母親です。でも次男の描いた画用紙一杯の筍の絵は額に入れ、リビングの一等場所に長い間飾っていたことを記憶しています。だからやっぱり筍堀りの体験はしていたのでしょうね。
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本件については「なんぶニュース108号」で以下の記事を掲載しました。
ゴルフ大会(準備)に勤務中の職員手伝い
私の追求に『今後は行わない』・・・当然です ゴルフには全く縁がない私ですが、5月3日に恒例の(36回目とか)民間クラブ主催のチャリティゴルフ大会が行われることは知っていました。たまたま職員間の会話を耳にしたのですが、大会前後の2日間勤務時間中に町職員が手伝いに狩り出されることがわかりました。5課14人(殆どが新採用者)に、総合政策部長・次長から各部局長経由で本人に伝えられていました。驚いて問い合わせた私に「チャリティゴルフで町も寄付をもらっているし」とか「慣例で」と平然としています。私が根拠法令他の情報公開請求を行って、急きょ手伝いは中止となりました。もとより根拠となるものはないわけで、当然の判断です。同時に学校のイス貸出しも取止めになりました。こんな経緯を知ってか知らぬか、当日は町長ほか多くの職員と議員たちも楽しんだのでしょうね。私費でのプレーに文句はつけられませんが...それにしても、こんなことが堂々と行われていたなんて! |
この記事を載せたニュースを配布した後、「町が寄付を受けているのは知っとんのか!」との怒鳴り込みの電話(男性)がありました。議員の中にも未だに、同じことを私に言う人(議長や監査の要職にある議員も)がいます。
しかし島本ライオンズクラブ主催のチャリティーゴルフ大会による寄付を例年頂いているからといって、職務規程に反するようなことを認めるわけにはいきません。今年も総合政策部長名で5月2日午後1時から5時半までは前日準備、7日も同様の時間帯で後片付け要員が“不法”に動員される予定になっていました(ただし時間帯は公用車の貸し出し時間です。第三小学校の椅子を運び入れる準備と撤収の後片付けに使用する車の時間ですが、職員の手伝いもほぼ同時間と思われます)。
さて今年のゴルフ大会における寄贈品は次のような内容となっています。
1 町立各小学校新入学児童へ交通安全帽子
1 社会福祉協議会へAED半自動除細動器
1 年長者グランドゴルフ大会への助成
1 年長者健康麻雀大会への助成
これらの寄贈品の中で直接町に関係がある寄付は、黄色い交通安全帽子くらいでしょうか。我が家の2人の息子たちも、小学校入学時に確かに頂いた帽子です。多分このことを指して「町も寄付を貰っているんだから、職員の手伝いくらいは当たり前、ガタガタ言うな」ということでしょうね。ちなみに、旧教育次長から新教育次長には「帽子の寄贈があるので、ゴルフ大会夕方の懇親会には出席しておくこと」等の引継ぎ事項も書かれていましたっけ。
町とすれば正々堂々とはできないが、それでも36年間“平穏無事”にゴルフ大会への関与を行ってきた。けれど今年(もこれからも)は、南部のクレームで一瞬にしてオジャンになってしまった。町にはあちこちから疑問や不満の声が寄せられたことだと思います。町もライオンズクラブもさぞケッタクソ悪い思いで一杯だったでしょう。でもまあ、改めるに遅きに失した感は否めませんが、これで軌道修正が出来たのですから、私を恨むのはお門違いというものですよ〜。
また住民の中では、今回私が行ったことは「当たり前」と捉えている人が少なからずおられることも分かりました。頂いたご意見の中で、お葉書の文面を一部ですがお知らせしたいと思います。
「なんぶニュース拝読しました。その中でゴルフ大会云々とありますが、議員も楽しんだとのこと。ニュースには”私費でのプレーには文句はつけられない“とありますが、このコンペは町長 ・議員の選挙目当てととっても過言ではないと思っています。議員の資質を疑わねばなりませんが、氏名がわかりません。知りたいと思っています。職員の手伝い中止は良いことだと思います。頑張ってください。」 ○○(住所は明記無し、姓名のみ明記)
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日記を書いている本日は7月6日ですから、委員会は2ヶ月前の内容になってしまいます。気の抜けたビールを通り越して、水になってしまった感もありますが、最高規範性を持つとされる「まちづくり基本条例」制定に向けてスタートを切るのですから、第一回目の委員会の報告は外せません。勇んで傍聴に出かけた顛末をお届けします。
委員会は5月8日・6月2日・6月30日と、現在まで3回開かれています。大事な条例に係る会議なのに、傍聴者は今まで1〜2名のみです。3回目で早くも条例の素案が一部提案されてきましたが、委員方の「まちづくり基本条例」(名称は「自治基本条例」としているところが多いです)に対する基本的な共通認識が十分に醸成されているのかも未確認のまま、12月議会に条例案上程という行政のスケジュールに急かされることになりはしないかと、私は大きな不安を感じました。
行政職員の出身ではない川口町長にとって、住民との協働を謳う「まちづくり基本条例」の制定は公約でもあり、来年の町長選に向けての大きなアピール材料ともなると考えているのでしょう。2006年度より庁内の「まちづくり基本条例推進会議」(副町長・収入役・教育長・各部局長で構成)で調査、研究を行ってきたというものの、事務局の政策推進課がまとめた内容をトコロテン式に委員会に押し出し、「まあこんなところで認めてよ」と安易で性急な心根が透けて見えるような気がしてなりません(私だけの杞憂であればよいのですが)。
町としては「いやいや策定委員会は9回を予定しており、パブリックコメントも貰うから大丈夫ですよ」ということでしょうが、柏原市の7回を除くと24回(岸和田市・大東市)や28回(吹田市)の検討を経ている自治体もあります。吹田市は「自治基本条例研究会」が28回、平行して開かれた「自治基本条例を考える市民会議」が21回、計49回の会議を行っています。ちなみに大阪府内で条例制定済み(4月24日現在)は箕面市・岸和田市・大東市・池田市・八尾市・吹田市・豊中市・柏原市・寝屋川市で、策定中は和泉市・阪南市・大阪狭山市となっています。
第一回目の委員会は町長の挨拶や委員の自己紹介、委員長・副委員長の選出が行われたようです。委員長(多分委員の中で一番若い、難波和子さんが就任・・・良いことです)は、先ず当委員会の公開に関する要綱及び傍聴要領を委員方に諮り承認を得たものと思われます(このあたりは傍聴者の入場は出来ませんので推測です)。さてここから傍聴者の入場が認められました。
傍聴者は私一人でしたが、席に着くと同時に委員長の“ご注意”がありました。かいつまんで言うと「議論が白熱する過程の会議内容を公表することは、控えていただくようお願いする。そのようなこと(公表)があれば、次回からの傍聴を断る可能性がある」との内容でした。「アララ、それは無いでしょ!(よりによってこの私に向かって、そんなことを言うのはまずいんじゃないの)」とビビビ〜ッときました。
私は立ち上がって、毅然と憮然をミックス(?)して発言しました(誰も止めないで聞いてくれました)。「発言をお許しください。ただ今のご注意についてですが、委員長からお願いされても私は分かりましたと言うわけにはいきません。当委員会での議論は意思形成過程の未成熟な情報として、私自身はその取り扱いについて注意したいと思いますが、それはあくまで私の判断に基づくものです。したがって、後段述べられた次回からの傍聴を認めないということを条件にした“お願い”でもって担保されるものではありません。次回からの傍聴の意思を抑制するような発言は非常に問題でありますし、もとより強制力を持つものは“お願い”ではありません」。
私は続けて言いました。「委員長はあくまでも傍聴要領に基づいてご判断されるべきではありませんか。要領には“傍聴を許可しない者”或いは“傍聴者の守るべき事項”が挙げられていますが、これらはすべて当日の会議傍聴に係るものです。次回以降の傍聴を制限するような内容ではありませんし、またそのようなことが可能なわけがありません。発言の撤回をお願いいたします」と、多分このようなことを丁寧にお伝えしたつもりです。
これらは全て議事録には残らない発言です。この通り私が言ったかどうかは確かめようがありませんが、委員長は理解された意思を示されたと、私は受け止めました。勿論委員からの反論もありませんでした。だって私は当たり前のことを伝えたに過ぎないのですから。このまま黙って聞いて済ましておれば、委員長の発言部分は議事録に残るわけですから、後で委員長は恥をかくことになります。だって委員長自ら、委員会が承認した傍聴要領に反する行いを認めることとなったのですから。まったく感謝してもらってもいいくらいですよねぇ〜。
私にとって本日の会議で見るべきものは冒頭のやり取りでありましたが、委員会の構成について少し言及しておきたいと思います。委員は12名で、うち女性は僅か4名です。「学識経験のあるもの」が2名、「町関係団体の代表者」が7名、そして公募された「住民」が3名です。年齢構成は分かりませんが、推測では若い方でも40歳は超えておられ、平均年齢は60数歳でしょう。まちづくりの条例を審議するのに若者は全く含まれず、働き盛りの年齢層も少ない、子育て中の人たちも含まれない、かといって後期高齢者に該当するような年長者もいない・・・まずい年齢分布ではないでしょうか。また関係団体の代表はそれぞれ豊富な経験をお持ちですが、「金太郎飴」との評が住民間では根強くあります。
私はこのような委員構成を行った町行政のあり方にも、冒頭に述べている不安を感じているのです。また傍聴に関して委員長が誤った発言を行った際にも全くフォローをせず、知らん振りをしていたこと等をあわせて考えると、なんとなく「まちづくり基本条例」で町が目指すものに信を置いても良いのかと揺らぐ気持ちが湧いてきます。ここは頑張ってもらって、委員方の健闘を願うしかありません。行政が答弁に窮するような鋭い審議をお願いしたいし、行政のお尻をどんどん叩いてくださるような行動力で調査等を進めていっていただくことを期待するしかありません。
私はずっと傍聴を続けていきますが、どうか期待を裏切らないで頂きたいと祈る気持ちです。
さてここからは余談ですが、この日記の前日(5月7日)に役場の3階踊り場で、モップ清掃跡の僅かな水気に新しい靴底がスリップしました。連休明けでおニューの靴を履いてきたのに・・・。見事に転んで、誰も見ていなかったので暫く転がっておりました。痛かった〜っ!後でみんなに「歳だね〜」と言われました。左ひじを打って、かなり長い間頬杖をつけなかったです。転んだ後、応急処置用にシップ貼り薬をくれた生涯学習課のNさん、ありがとうございました。生涯学習課なら手当ての薬剤を持っていると連絡してくれた議会事務局のSさんにも感謝です。
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議会だより編集委員会において、I議員が昨年度より出していた意見がありました。議会だよりと町広報紙の一元化を図っている岬町への視察希望です。私からみれば議会だよりの益々の充実を望めども、その存在自体をなくしてしまうなんて考えも出来ないことでした。それでもI議員は熱心に要望するため、「ハイ分かりました。では岬町のあとは必ず議会だよりの活性化を図っている他議会を視察することでバランスをとりましょう。それが条件です」と受け入れました。
岬町における議会広報紙廃止の経緯を簡単にまとめると、以下のようなことになります(視察報告書を手直しして日記にしました)。
岬町「議会だより」は1993年10月1日に創刊され、1997年9月には議会広報委員会を設置しました。以降、的確で詳細な議会の情報を提供すべく「議会だより」の発行を行ってきましたが、2005年5月1日発行の39号をもって廃刊しました。広報委員会・特別委員会および全員協議会では、行財政改革の一環として「議会だより」発行の廃止(広報委員会の存廃)が検討され、2005年5月の臨時会で賛成多数の結果、広報委員会の廃止が決まりました。
では広報委員会の廃止および町広報紙への一元化によってもたらされたものは何だったでしょう。岬町の説明からまとめると、次のような“効果“(なのでしょうか?)を生じたそうです。
委員会視察廃止により不必要となった経費(年間一人7万円)を政務調査費に振り替え(年間一人6万円を12万円に増額)ました。
「議会だより」印刷費年間約60万円が削減されました。
本会議・委員会のテレビ中継費用として、機材費用30万円を要しました。
A4冊子版、12ページだての「議会だより」が町広報紙中の1ページ(3分の2ページの場合もある)に集約されました。
「議会だより」に代わる情報提供としては、町広報紙「岬だより」に議会のスペースを設けること、議会のホームページへの掲載と庁舎内でのテレビ中継を行うこととしました。
私は調査報告書の最後には必ず「所感」を書いていますが、ここでちゃんと本音を出しておくようにしています。以下“本音”です。
私の結論を先に申し述べます。岬町議会が抱える個別の背景や真摯な検討の結果出された意思を否定すべきではないと思いますが、島本町議会における広報紙のあり方は岬町議会と同様であってはならないと考えます。つまり議会広報紙は、町広報紙に一元化(岬町の実態はあってなきが如しの大幅な縮小化)されるべきではないということです。その理由は次の通りです。
町広報紙と議会広報紙の果たす役割はそれぞれ異なります。議会は独自機関として存在し、その情報提供においても行政に組み込まれるものではありません。
行財政改革を大義名分とされていますが、議会費の削減効果は「議会だより」印刷費の60万円のみです。
議会のホームページにおいて、本会議および委員会の議事録を全文掲載することで「議会だより」の必要性はなくなるとのことですが、岬町住民の何人がインターネットを利用できるのかは全く不明です。
「議会だより」廃止の事前事後の調査もされていませんから、住民は一方的に情報を入手する手段を奪われたに等しいと考えられます。「議会だより」廃止後も苦情はないとのことで、住民の理解を得ているとするのは安易な判断です。むしろ元々議会に関心を持たない住民の存在が明らかになったと解釈すべきです。これら無関心な住民の視点を、いかに議会に向けてもらえるかは、議会側からのあくなきアプローチがまだまだ必要だということにほかなりません。その一手法として「議会だより」は有効な情報提供の媒体です。
政務調査費の増額により議員各人の情報提供が活発化されるため、「議会だより」は廃止しても良いとの考えには整合性がありません。もとより議員個人の活動報告と議会が公平中立の立場で情報提供を行う「議会だより」とは、全く性格が異なるものです。また議員個人の活動報告紙発行が政務調査費の使途の中で義務化されているわけでもなく、議会広報紙に替わる使命を課せられているものでもありません。
「議会だより」の廃止については行財政改革・広報紙の代替手法の整備(ホームページ掲載等)を根拠にされていますが、実は編集委員会である「広報委員会」の選任が困難になったということが原因ではないかと思われます。現在岬町議会の会派は公明党1会派であり他は無所属議員です。従って広報委員を会派から選出することが困難になり、また自ら広報委員に名乗りを上げる議員も少なくなってきたことが大きな廃止理由であろうと思われます(「これ以上多忙になるのは困る」というのが議員の本音とも)。島本町議会では5会派より各1名が編集委員として選出されており、広報活動においてなんら不都合は生じていません。従って岬町の状況を即、当てはめることにはなりません。
今回の研修には5人の元広報委員方が同席され、貴重な意見を拝聴することが出来ました。殆どの議員の発言から、「議会だより」の廃止が決して歓迎されるものではないとの心情をうかがうことが出来ました。以下にその意見を紹介します。
「広報委員は同じメンバーでマンネリ化は生じていたが、委員活動は楽しく決していやになったわけではない。ただ仕事量が増えることにはジレンマがあった」「議会だよりは手づくりで、委員として張り切って活動していた」「本音は議会便りを存続して欲しかった。住民の皆さんには申し訳なかった」「何とか議会だよりは出したほうが良いと、個人的には思う」「これ以上多忙になればどうなるのかと思うが、議会だよりはあったほうが良いに決まっている」
更には議会事務局職員からも次のような発言がありました。「年長者がインターネットをどれだけ行われているのかとの思いはある。また廃止に伴い、物申す住民はなかなかいないのではないか。やむ得ない状況で廃止の経過をたどった」「議会関係記事のスペースをより充実させるよう、町長の命が出ている。従って現在の1ページ、またはそれに満たないスペースの改善はされる予定である」
最後の議会事務局職員の発言(スペースの増)はわずかな救いですが、議会が独自機関として広報手段を取り戻す根本的な解決にはなりえません。
報告を終るに当たり、今回の研修席上で発言された当町議員の意見に対し、私が著しい疑義を覚えた発言を紹介しておきたいと思います。
岬町における議会だよりと町広報紙の一元化について「画期的。紙ベースも読む人は読むが、読まない人は読まない。興味のある人はホームページや傍聴に来る」がその内容です。
ここには住民のための開かれた議会のあり方、広報活動の理想は全く存在しません。住民に対する議会の姿勢は「知らしむべからず、よらしむべし」であってよいはずはありません。私たち議会だより編集委員会はこのような旧態然とした意識を戒め自らの脱却を図るために、長い間広報活動に努力をしてきたのではないでしょうか。「読みやすい、親しまれる」議会広報紙は、意識の根底に確たる住民サービスの精神を据えておかなければならないことはいうまでもありません。
以上、岬町への調査研修は前述のような認識を再確認できた、いわば“反面教師”的な効果は大であったと考えます。さて、言いだしっぺのI議員の認識は視察後どう変化したのか、少々興味がなくもありませんが・・・。
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美しくない譬え(たとえ)でごめんなさい。ニュースの作成に取り掛かって一週間くらいの間は、毎度のことながらモチャモチャと紙面を書いたり消したりの繰り返しです。大げさかもしれないのですが、小さな紙面のピラリ1枚がとてつもなく広いスペースに感じられて、最初の一文字を書き出す時いつも手が震えます(未だにというか、今だからこそ手書きにこだわってペンを握っています)。
とにかく分かりやすく親しみを感じてもらえるように、記事も出来るだけたくさん掲載するように心がけています。殆ど見出しで成り立っているような紙面ですが、本文の記事はとても短い文章ながら苦労をします。長い文章だと説明も丁寧で書き手の気持ちも十分に込められると思いますが、紙面を流し読みしている人(殆どの人たち)に、一つでも二つでも心に留めてもらえる記事を送りたい、そんなメッセージを込めて私はニュースを書いてきました。
そんな紙面づくりが良いか悪いか、好きか嫌いか人それぞれですから、お気に入らない方には「ごめんなさい」と言うほかありません。身内の批評なので、ちょっと信用のほどはどうかというところですが、息子たちは「お母さんのがおもしろい、他のは分かりにくくて読むのがしんどい」と言います(単に堪えしょうがないだけなのか・・・う〜ん、でもいい子たちだ!)。
まあいいです、どうでもいいです。取り合えず“便秘”は解消しました!正直、一文字一文字紙面を埋めるのは結構疲れるので、最後の方になると「とにかく出来上がってよ!」って気分になります。でも本当はこれからが本番なのです。皆さんへの配布が待っています。配布も一人でトロトロやっていますので、先ずはこのホームページにアップしたものをお目通しくださるほうが早いかもしれません(2、3日後になるでしょうか)。
出来立てホヤホヤのニュースは、真っ先に私が住むメゾン水無瀬と役場の人たちに配布します。今回は「ありがとうございます」とか「あっ、どうも」とか言ってくれる職員が少なからずいてうれしかったです。臨時職員さんに「待っていました」と声をかけられたときは、「長い間お待たせしました」と私はありがたい気持ちを込めて返しました。
教育委員会事務局の部屋で配布をしていて気が付いたのですが、教育次長席の間仕切りが外されていました。いいことです!前年度までの教育次長は校長先生でしたから、個室(校長室)のあるスペースが当然だったのでしょうが、私は事務局のトップに立つ教育次長は全ての職員を見ることが出来るように「間仕切りは撤去した方がいい」と求めていましたから。また民生部のカウンターに置いてある資料やチラシの類がすっきりと整頓されていました。お客さんが一番たくさん来られる所をきれいに保つのは大変ですが、本日はハナマルでしたね。庁舎内ニュースを配りながら、ちょっとウオッチン〜グゥ〜!
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記事には関係ありませんが、赤く色づいた我が家の“初夏の使者”さくらんぼ |
議会運営委員会(以下「議運」と言います)が開かれました。前回に引き続き、3月議会における○○議員の理事者に対する発言、「嘘をついているのではないか」について話し合いました。話し合いましたが、既に閉会した議会の発言は訂正も削除も叶わないため、いまさらどうしょうもありません。返す返すも、その場で議長の整理権が働かなかったことを残念に思います。そのことを強く求めなかった自分にも非があるような気がして・・・。そんなこんなの思いを引きずりながら、本日の議運の目的「議運が本会議中での議員の発言と理事者の発言の相違を調査する権限を有しているか」の検討に入りました。
あらかじめ調べてくれた議会事務局の見解は「議会運営委員会は委員の合意が得られれば調査が出来ないことは無いが、議運の性格上百条委員会等とは異なるため、消極的に解釈せざるを得ない。当事者たちへの調査は、あくまでも協力を求める形でしかない」という内容でした。私は「消極的な調査権限なら、調査は行わないほうが良い」と発言しました。
なぜなら調査を行えば議員か理事者か、いずれか一方の非を明らかにしてしまうことになるわけです。議運の消極的な権限でもって調査を行った結果が、著しい不名誉を一者に付すようであれば、それはもはや“消極的な権限”ではなく“強権”になってしまうと、私は考えました。議運の権限を、そこまで拡大解釈すべきではないと思ったのです。
一方傍聴していた当事者の○○議員からは「委員外議員」として発言の申し出がありましたが、受け入れられませんでした。委員外議員の発言は法令に定められた議員の権利ですから、これは「認めるべき」と私は主張しました。しかし「既に議運は調査を行わないと結論を出したのだから、一方の言い分だけ聞いても仕方が無い」といった意見が多数を占めてしまいました。
本件についての議運の議論は終結しました。結局は毎度繰り返される「本会議での発言は十分に注意して行うこと(理事者の答弁もしかり)」という曖昧な結論を委員長が述べるにとどまりました。しかし私は、正直今回だけはホッと胸をなでおろしました。
なぜなら徹底的に“白黒”つけようとした場合、○○議員は明らかに不利になったからです。なぜなら住民からの文書を「受け取っていない」と主張する理事者は、その存在が「ない」という証拠を示すことは出来ません。しかし○○議員は、「確かに渡した」という証拠である役場の受領印を押した文書の控えを示すことが出来たはずです。住民からの「渡した」という話を聞いたのみで、「受領していないとは、嘘をついているのではありませんか」と議場で繰り返した公的発言は、物的確証を得なかったという、その一点において問題なのです。
文書を渡したのか渡していないのか、受け取っているのかいないのか、本当のところは分かりません。双方共に、運悪く勘違いや手違いが生じた可能性もあります。ただ役場の事務手続きを追及する場合、悔しいけれど真実は事実を証明することによってしか成立しません。
日頃情報公開制度を駆使して議員活動を行っている○○議員が、肝心要のところでその労を惜しんだのは残念でなりません(だからといって○○議員への信頼度が失せるものでは決してありませんが)。常に公に求めた情報を武器に理事者と渡り合う私自身にとっても、今回の事案は今後大いに教訓とすべき出来事でした。
結局議場での“爆弾発言”(驚かせ注目を浴びる効力を発する発言)は、よほどの情報収集を行っていなければ成立しないということを、肝に銘じた今回の一件でした。
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5月14日に起案された総務課の文書があります。文書には「5月8日に年長者福祉センター事業の書道教室研修でマイクロバスを使用したが、バスが故障したため、修理代約24万2千円と代車の借り上げ料に約8万4千円の支出が生じます」と書かれています。故障の原因は「クラッチの磨耗によるもの」とされています(実際にこの文書を情報公開請求で入手したのは、もっと先になりますが)。
マイクロバスは購入後7年7ヶ月を経て、走行距離は5万6千キロになっています。したがって「経年劣化が原因」と記された文章中には、別に疑問を抱くような内容はありません。ただ4月4日に受けた3ヶ月点検時には、「整備業者の話によるとクラッチはこの先交換が必要」と、当日バスの運転手は乗車前の運転日誌に書いています。
単に修理費の補正予算を求めるこの文書が、1ヵ月足らず後に起こった事故との関連で大きな意味を持ってきます。6月4日、同じマイクロバスが同じ故障原因で事故を起こし、今度は乗客にけが人が出てしまったのです(6月4日の事故については後日の日記で書きます)。5月に生じた修理費24万余円もの支出は何だったのでしょうか?その時にオーバーホールを行ったはずのクラッチは1ヶ月も持たないもので、次の6月4日の事故に繋がったのでしょうか?
また二つの事故が偶然同一地域で起きたからだとは思いますが、マイクロバスの運転を受託しているD株式会社は、修理を現地の同じ修理工場に出しています。少なくとも2回目の事故については、直接車両のメーカーに出すべきだったと思います。いずれにしても車両の不具合は、大きな事故を引き起こしかねません。取り返しがつかないようなことになってからでは遅いのです。
町公用車の事故が増加の傾向にあります。職員が原課で使用する車両以外は運転・管理を全て委託しています。今回の事故で整備や修理もお金だけ町が負担して、後は全部委託先にお任せが実態と分かりました。連続する事故に“まさかの場合”の安全安心が、どんどん削がれていっていることを突きつけられた思いです。委託側(町)がしっかりとした態度で目を光らせなければ、受託側の甘い認識は増幅していくことは間違いありません。
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今、時刻は午前1時を少し過ぎたところです。5月も下旬に差しかかろうとしているのに、日記の方はやっと4月と5月分を同時並行でスタートし始めたばかりです。もはや日記というより“事後報告書”のようになってしまいました。フレッシュな記事をお待ちの皆様には、期待に沿えず大変申し訳なく思っています。そこで本日だけはリアルタイムの内容でお届けし、ちょっぴり罪滅ぼしを・・・。
と言いながら、またまた日記を2日間お休みしてしまいます(今までも予告無しに、もっと長い間サボっていたことも多々ありますが)。今日と明日の2日間、東京に行きます。市町村議員向けの研修会に出席するためです。研修会の費用は勿論自己負担です。参加費2万5千円、新幹線代、宿泊・食事代等を合わせるとなかなかの出費です。
1日目は午後から始まりますが(議員は全国からやってくるため)、2日目は9時〜4時までみっちり講義があります。全体会では、全国の市で最も早く議会基本条例を定めた伊賀市議会本村議長(本村議長は条例策定にいたる時の「議会のあり方検討委員会会長」の任にあった方です)の講演があります。伊賀市には我が町議会の議会運営委員の一員として、私も1月に調査研修に行きました。その折は議会事務局長からの話のみであったため、今回はまた違った角度からより身近な話しが聞けるのではないかと楽しみにしています。
2日目は4つのテーマから講義を選択するのですが、私は「自治体財政分析」を選びました。財政問題は、正直いつまでたっても身につきません。しかし地方財政健全化法の導入も今年度決算から適用を受けます。9月議会の決算審査に少しでも役立てたいと思います。また決算カードを使った財政分析の講義もあるので、島本町の決算カードをカバンに入れました。朝にはJR島本駅から出発です。通勤者のように毎日乗降するわけではありませんが、利用のたびに新駅がだんだん身近になってくるような気がします。
ところで少々体調不良と標題に書きましたが、数日間液体しか口に出来なかったのです。奥歯の虫歯のトゲトゲが舌にあたって潰瘍が出来てしまいました。通常はそんなことにはならないのですが、疲れや冷えから舌が膨張したためらしいです。お医者さんが言いました。「体が元気な時は舌もしゃっきり引き締まっていますから、変に奥歯に当たることはないのです。南部さんの今の舌は、ぼたぁ〜っとして元気がありませんね」と。調子がイマイチでも、夜はニュース配布に出かけて(昼間の暑さには、今の体は応えますので)その分夜更かし、自業自得で回復を遅らせています。でも固形物がだんだん食べられるようになって来ました。私は食いしん坊ですから、食べさえしていればすぐに元気回復です。ご安心ください。
昨日午前中は消費者祭りのフリーマーケットを冷やかし、午後は歴史文化資料館の開館記念コンサートに、夕方から3時間はニュース配りをしました。住宅開発のために切り土・盛り土が大規模に行われている山崎四丁目や東大寺二丁目の町営住宅跡地近隣を配布しながら、現状をしっかりと見ることが出来ました。ではそろそろ行ってきます。皆様にとって今週も良い日々でありますように・・・。
阪急大山崎駅前からシャトルバスに乗って、メイン会場の淀川河川公園背割堤会場へ。今朝の雨が上がったばかりで人出はまだ少なく、殆どが関係市町の行政職員や団体の方々でした。島本町からは総合政策部長をはじめ政策推進課の職員たちが休日出勤で頑張っていました。また島本竹工房の皆さんは、竹トンボ製作の指導や竹製魚の釣り堀で活躍されていました。竹や竹炭の手作りグッズを販売するブースは新しい作品もあって迷いましたが、私はミニ孫の手を選びました。また他市町の売店でも新茶・鉢植えのグリーン・お餅等を買いました。オープンカフェではおいしい入れたてのコーヒー(100円で安い!)で一息つき、次はお目当ての講演を聴くことにします。
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参加のバッジをもらってシャトルバスに乗車
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島本竹工房の“釣り堀”は、どこでも子どもたちに大人気
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講演は大山崎町歴史資料館職員の福島さんが、「三川合流の歴史物語」と題して行いました。講演の内容は私が知らないことばかりで、とても興味深く聴きました。前近代の三川(桂川・宇治川・木津川)合流地点は淀にあり、今の合流地点は明治の初めに木津川の付け替えから始まったこと、大正中期に背割堤が整備され洪水の恐れが軽減したこと等を知りました。平安時代から中世、山崎の合戦を経て、三十石船が行き交う淀川の有様を、福島さんは解かりやすいテンポの良い口調で語りました。わが町の歴史文化資料館の職員も福島さんのような講演ができるようになって欲しいなと、私は大山崎町が少しうらやましくなりました。
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テント張りの講演会場には、多くの人が参加しました
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帰りもシャトルバスに揺られて大山崎に到着。お昼ご飯は、阪急駅からJR駅の間にある「結風(ゆいかじ)」でいただきます。安全安心な食材の食事が700円のお値段です。野菜たっぷりの家庭料理が沖縄の器に良く似合って、一層おいしく感じます。ガイドマップにも紹介されて、ここのお店は良く繁盛しています。
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メインはタンドリーチキン、ナスの揚げ出し小鉢、いろいろ野菜のスープとご飯が本日のメニュー
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さてここからはスタンプラリーをしつつ、終点の島本町歴史文化資料館まで西国街道を歩きます。大山崎山荘美術館と大山崎町歴史資料館のポイントはパスして、関大明神(京都と大阪の国界)で最初のスタンプを押してもらいました。サントリー山崎蒸留所から水無瀬神宮へ向かいます。百山踏み切り付近で自転車に乗った川口町長に出会いました。町長は今から背割りのメイン会場へ行くとのことでした。水無瀬神宮では参拝をしてから、名水“離宮の水”をゴクゴクと頂きました。再び歩き出して、次は史跡桜井駅跡へ向かいます。駅跡の隣がゴールの資料館です。終点の資料館ではスタンプ2個以上で、お土産がもらえます。私は竹とんぼと絵葉書をいただきました。ついでに資料館も見学して、来館者数のカウントに協力してきました。
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関大明神でのボランティアのお二人
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雨上がり、霧が発生のサントリー蒸留所
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水無瀬神宮 |
桜井駅跡には数人のボランティアが待っていてくれました
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ゴールの歴史文化資料館
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「淀川三川ふれあい交流」は、国・2府と5市と3町・関係団体・交通機関等が係る大きなイベントですが、準備もお金も結構費やしている割には住民の参加状況はそれほどでもないと感じました(天候による影響を差し引いても)。でも私自身は久しぶりに健康的な半日を過ごすことが出来ましたし、「三川合流」の知識も少し深められたとうれしく思っています。実行委員会の皆さんをはじめスタンプラリーの指定地点で待っていてくださったボランティアの皆さん、ありがとうございました。楽しかったです。
4月1日に採用された職員のうち11人が、9日間の研修を終えて報告書を提出しています(消防職員はすでに消防学校に入校しているため、提出者には入っていません)。私は毎年情報公開制度を活用して報告書を見ています。皆さん昨年同様に、しっかりと研修成果を書いています。報告書は職員が作成した文書ですから、勿論氏名公開です。私は名前と顔を一致させながら、またそれぞれの仕事ぶりも垣間見ながら、出来るだけ早く新採職員の皆さんのことを知りたいと思い報告書を読んでいます。
私は新採職員と接する時には当分の間、面談でも電話でも必ず「“議会”の南部です」と名乗っています。議員は庁舎内をウロウロしていることが多いのですが、IDカードを身に着けていないので新しい職員には誰なのか分かりにくいと思うからです。また聞き取ってもらいやすいように、出来るだけゆっくり話すように心がけています。新人の皆さんに求めるばかりではなく、私たちが努力すべきこともたくさんあることを、いつも年度初め暫くの間は自分自身に言い聞かせています。
今年度は4月当初からいきなり配属課での実務を経験ということでしたから、新規採用職員皆さんの緊張感は大変なものであったと思われます。ぎこちなくても声が小さくても、まだそれで当たり前。お客様に一生懸命さが伝わっていれば合格です(この日記は随分遅れて書いていますから、今はもう堂々と業務をこなしているのではと思いますが)。
さて研修報告書ですが、全員の報告を紹介したいのですがそうもいきません。そこで印象に残った“力作”(文章のボリュームも一番多かった)から、ほんの一部を紹介したいと思います。ところで、これらの報告書は人事課長へ提出されるものであり、新規採用職員各々の所属部長・課長・係長には供覧されるものの、町長・副町長・他部局の部長たちは目を通していないと思います。また管理職ではありませんが、講師を務めた職員たちも読んでいないのではないでしょうか。いろいろと参考になり気づかされる記述があるのに、惜しいことです。
前述の報告者は、かなりの力量の持ち主であると感じました。少々自信過剰のところも微笑ましい“新人”ですが、先輩たちに対しても“ヨイショ”の感想のみでなく苦言を呈しているあたり、なかなかのモンです。先ず町長には「1時間もしゃべるのであれば、その内10分でも対話の時間を作れ」(実際はもっと丁寧に言っていますが)と残念がっています。
また人権問題について話した講師(職員)が「部落の起源が近世の身分制度の確立による近世政治起源説」を紹介したことに対して、彼は「学説として近年主流なのは中世起源説であり、さらには古代起源説もある」と反論しています。給与制度についての研修では、既に終えた事前研修時の回答と同じであるにも拘らず講師(職員)が答えを褒める、その褒っぷりが可笑しかったと笑っています(つまりは講師のほうが笑われているってこと?)。
そして最後には「情報公開制度について」の講義で示された先輩職員の本音を、逃さずキャッチしています。少し引用しますと「(注:情報公開制度については *注は私が付けています)実際それがいかに扱いが困難なものであるかということは、講師がけだるい表情で連発した『こんな話してもおもんないでしょ?(注:面白くないでしょ)』という言葉に如実に表れているように思える」とあります。
続いて新人の彼から先輩へのフォロー、「そのセリフの裏には、担当者としての苦労が大いに感じられた」の文言がすかさず入っていますが、新任1ヶ月余の後輩から気遣われる先輩って「どうなのよ?」って感じで・・・ちょっと複雑な思いです。このあとも続きがあって、「その後交代した課長からも同様のセリフが一度だけ出たので、やはり主管課にとっては気苦労がつきまとうものらしい」と書かれています。
新人の彼はここから以降、さらにすかさず管理職を含む先輩たちへの気遣いを見せて擁護に勤めています。曰く「ついでに講師の名誉のために申せば、講師は情報公開の仕事に真摯に取り組んでいるからこそ、先のセリフも出てくるものと言えよう〜」、また「その点『おもんないでしょ?』と吐きつつも仕事をこなしている講師は、大変強い精神の持ち主であり、敬服する」とも述べています。
あ〜あ!しかし条例に則った情報公開制度の活用を担当窓口の管理職までもが疎ましく思っていることに、私は由々しき事態に到っていることを改めて実感しています。“新人”さんたちには情報公開請求人の立場から、当制度の運用に対する疑問の数々を一度発信してみたいものだと、つくづく思いました。一方先輩職員(特に管理職にある者は)には、講師の立場で話すなら研修目的を認識し言葉は選ぶべきと、くれぐれも心してもらいたいと願います。
最後に管理職の皆さんや講師を務めた先輩職員の皆さんにお伝えしたいです。新規採用職員の研修報告書には、あなた方が見ないふりをしているうちに薄らいでしまったり忘れてしまったりした大切なシグナルが、現在進行形でキラキラと輝いていますよ。読んでみて“おもんない”ことはありませんよ!
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本日をもってやっと5月を抜け出します。今日の本当の日付は7月17日ですから、恥ずかしながら1ヵ月半の遅れを告白したことになります。五月雨も梅雨の季節も過ぎて、はや夏真っ盛りに突入しています。
5月の日記を何とか10日分はアップしたいと思っていましたので、とりあえず消極的ノルマ(本来なら“日記”なのですから、30日分が当たり前)は達成できました。さて、では最後の1日分は何の記事をお届けしようかと大いに迷いました。下手な写真ながら撮ったものも数件あるので捨てきれず、パラパラ早送りで数日分を絵日記ならぬ“写真日記”で駆け抜けようと思いました。
まっ、早い話が“手抜き日記”ということで・・・お許しください。
(1) 「5月16日(金)会派代表者会議が開かれました」
会派室の設置についてはこの日記でも度々書いていますが、本日の代表者会議でも焦点は、設置工事に係る経費についての議論でした。当初予算の450万円について、私の会派と共産党は「ノー」の結論を出しました。自公民会派はより経費削減の努力を行うとの約束もどこ吹く風で、今日の会議には私たち2会派分の経費を削ったのみの削減案を出してきました。
会派室の設置は議会のみに係る内容です。しかし庁舎整備の主管は総務課ということになり、正確に言うと2会派分を削除した計画を出したのは総務なのですが、自公民会派の言いなりに立てられた削減案であることはいうまでもありません。450万円が200万円に縮小したのは、単に2会派分をなくしただけで、自公民にかかる経費が縮小したわけではありません。
3会派は「この案よりも更なる経費削減を行うと言うてんねんから、ええやろ」と言うばかりで、実際にどのように計画縮小をするのかを示すことをしません。言外に「会派室をいらんと言うてんから、口を出すな」と言わんばかりです。私たちは努力の結果を会派代表者会議に再度示してから、整備工事を行うことを強く伝えておくしかありませんでした。
後日この続きがあるのですが、結論だけ言うと200万円が29万円に削減した結果となりました。つまり3会派室を整えるのではなく、既存の2つの会議室にインターネットの工事を施すだけの工事とパソコン・プリンターは3台を2台に減らして購入した費用を合わせて29万円というわけです。会派室は自公が共有で1室(パソコンも共有)、民主が1室となりました。
もし私たちが黙っていたら450万円、もしくは200万円を無駄使いされるところでした。29万円で済むのなら最初から、それでやればよいものを・・・ったく!3会派も“くれくれ頂戴”なら、ホイホイ応じた町(総務)はどうなのよ!と、後味の悪さが消えない決着になったことを、皆さんにご報告をさせて頂きます。
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7月8日引っ越し大作戦。会派室に明け渡すため、会議室の資料がドサッと議員控え室に運び込まれました |
引越しホヤホヤの、山吹民主クラブ会派室 |
(2) 「5月18日(日)ふれあいマーケットと歴史文化資料館のコンサート」
よいお天気を通り越したカンカン照りの中、役場前の駐車場で消費者懇談会・町が主催するふれあいマーケットが開かれました。何年か前までは私も友人と共に出店していましたが、今はもっぱらお客さんで楽しんでいます。暑さ対策についてはこの日記でも書いたことがありますが、全然改善策を講じてもらえません。今に熱中症の人が出るのではないかと、毎年気が気でなりません。
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午後からは歴史文化資料館の開館記念コンサートを聴きに行きました。「カルテット ヴォルフィ」の弦楽四重奏はとても素晴らしかったです。資料館は満員で、私も立ち見でした。またお昼からも気温はぐんぐん上昇し、館内は“蒸し風呂”状態に。演奏者も汗だくで、1600年代製という貴重な(億が付く価値とか)楽器に影響がないかしらと、素人ながら心配しました。
さて夕食の支度が迫ってきたので、5月最後の“写真日記”前編はここまでとします。後編は夜にでも、カチャカチャとキーを叩くことにいたしましょうか。
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(3) 「5月19日(月)〜20日(火)東京で議員研修会」
19日付けの日記に「東京で議会基本条例や財政分析を勉強してきます」と、出発前に書いた簡単な日記をアップしています。この研修会は自前で参加しましたが、財政の話は難しかったものの大変役に立つ(だろうと思う)講義でした。
2日目の東京は嵐が到来。風雨の中会場に向かいましたが、コンビニと駅の売店で買ったビニール傘があっと言う間に2本ともバラバラになってしまいました。ずぶ濡れになって到着した会場は、冷房ガンガンで体には最悪。もともと体調不良で出かけたものですから、帰りの新幹線では完全にダウンしておりました。
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(4) 「5月24日(土)リサイクルブックフェアとボチボチサロン」
町立図書館が開くリサイクルブックフェアを毎年楽しみにしています。少々古い年月の本ですが、除籍した書籍をもらえるチャンスです。今年は出かけるのが遅かったので、すでに人出のピークは過ぎていました。会場ではボランティアの皆さんが頑張っている姿が印象的でした。当然本の在庫も少なくなっていましたが、私は3冊頂きました。2冊はタイを紹介した本で、後の1冊は「ホスピスで迎える死」という本でした。この日の夜、一気に読んでしまったほど共感を覚えた内容でした。
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お昼からはブックフェアと同じ会場のふれあいセンターで、私の議会活動報告会「ボチボチサロン」を開きました。参加者は6人と多くはなかったのですが、新しく来てくださった方もいました。うれしいことです。「お昼ごはんにおむすびをどうぞ」と呼びかけていましたので(おむすび代は参加費で頂きました)、今朝はせっせとおにぎり作りに精を出しました。インスタントの卵スープとお漬物を添えた簡単ランチタイムを挟んで、私から昨今の町政・議会の様子等を説明したのち皆さんから頂いたご意見を元に話し合いました。
(5) 5月25日(日)〜31日(土)5月の最終週もバタバタと」
25日の淀川三川合流フェスタは先の日記で報告しています。26日月曜日は農業委員会に出席しました。農業委員会での案件は殆どが農地転用の届けに係る議案です。本日も3件の転用届けが諮られましたが、うち2件は山崎4丁目16番地の畑約2千平メートルを宅地開発(12戸を建設)するための農地転用です。
当該地は旧町営住宅跡地開発地域に隣接しているため、同地区の山崎柴田住宅では道路交通問題に係って住民の不安が生じている地域です。私は「新しい住宅開発によって、道路事情のさらなる悪化は生じないのか」等の質疑を行いました。また後日談になりますが、6月議会では当地がヒメボタルの生息地であることと開発の関係を問う質問がありました(町の答弁は「ホタルの生息地であることを認識していたとしても、現状変更を規制することは困難だ」というものでした)。
3件目の議案は継続審議となり、議決は次回に持ち越されました(珍しいことです)。桜井3丁目10番地(14番地にもかかっている)の既存共同住宅について、宅地の転用が行われていなかったことが判明したため届出が行われる内容です。稀にこういった“後出し”事例はあるのですが、ここの場合は当時市街化調整区域であったにも拘らず、共同住宅を建設した(2001年)こと自体が法に抵触するのではないかとの意見が多く出ました。
なお当議案については、後日6月17日の農業委員会で議決されました。調査は都市計画法に係る「既存宅地確認申請」手続き、及び建築基準法に係る「建築確認申請」手続きの確認について行われました。共に法的申請がされているため、委員会としても認めることとなりました。
本事案については、そもそも建築確認申請時において農地転用手続き完了をチェックする(しなくても問題なし)システムになっていない事務のあり方に、“落とし穴”がありました。町は「開発行為と農地転用に付いて担当部局間の連携を図り、今後の事務執行を行っていく」と委員会に対し文書で示しています。まさに“縦割り行政”の弊害を実証したかの様な事例でありました。
5月28日は10時から歴史文化資料館懇話会の傍聴をしました。新しい公募委員が入られて、今年度の懇話会がスタートしました。2名の新委員も積極的発言されていたので、頼もしく感じました。新委員の一人はボランティアとの係りを問い「資料館の関係者とボランティアの意見交換を願う」と提起、教育委員会は「行っていきたい」と前向きな姿勢を見せていました。
もう一人の委員は「前庭の活用を考えてはどうか。催しがある時に前庭でティータイムを設定すれば、ふれあい・コミュ二ケーションの場となるのではないか」との提案でした。私もティータイムは大賛成!季節の良い時期は屋外でのコンサート等もいいと思います。
しかし懇話会発足時からの委員からは、次のような心配も出されました。「資料館使用のあり方が、コンサート等の催し物で決まってしまうのではないか。基本的には文化財保護法に示された内容を実現していくための場が資料館ではないか。本来的な活動の充実を願う」との意見でした。当委員は続けて「住民も行政も資料館が町外から評価されることで、初めて館の良さを自覚できる。島本町のファンを拡大していくことが大事。力を出し合って“開発”していきましょう」と呼びかけていました。
私は歴史文化資料館懇話会発足当初から、ほぼ欠かさず傍聴してきました。会議のあり方が、様々な意見を出し合い自由に検討していける良い場に育ってきていることを実感し、うれしく思っています。
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2時からは水無瀬川緑地公園運営協議会の傍聴。続いて4時から6時まで、ボランティア情報センター設立準備委員会を傍聴しました。本日(5月28日)は傍聴3連続で少々疲れました。聴いているより、私はしゃべっているほうが楽かも・・・。
5月30日と31日は山崎4丁目の住民の皆さんから、旧町営住宅跡地開発に係る経緯や近隣住民の苦悩を聞きました。31日は行政との話し合いにも立ち合わせてもらいました。
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ふ〜っ!5月最終の1週間を駆け足で終えました。まだまだ現実の日付にはほど遠い日記の歩みですが、見放さずに訪問してくださる皆さんには、感謝の念で一杯です。本当にありがとうございます。