2月分の日記を月末から遡ってお送りすることにし、前回は2月29日の日記をアップいたしました。しかし本当の日付は3月も半ばとなりました。桜の開花予想も聞かれる中で、厳寒の2月日記のみでは余りにも“季節はずれ“のかんが否めません。そこで時々3月分の最新版も織り込みながらお届けすることにいたします。日記はあっちこっち行ったり来たりしますが、春の訪れもまたジグザグ迷いながら進むことに免じて、まあお気になさらずに(?)チョコット覗いてみてください。
島本町立図書館は全国的にも高い評価をもらっています。人口2万から3万人規模の自治体は全国で80市町ありますが、その中で当町図書館の貸し出し数は第2位という高位置にあります。入館者数はピークのH17年度から約3万2千人も減少していますが、一人当たりの貸し出し数は変わらず、年間約14冊を保っています。
ところが図書資料(書籍や視聴覚資料)の購入費はここ数年百万円単位で減少し続け、H15年度と比較すると4百万円もの減になっています。資料の単価を百円落として、なおかつ購入冊数の1700冊減および視聴覚資料の230点減で積算した予算内容になっています。厳しい財政状況が背景にあるとはいえ、下降線をたどる図書費に寂しさと不安を感じる人びとは多いです。
少し日付を遡りますが、1月の31日に開かれた図書館懇話会を傍聴しました。当日はまだ新年度予算の詳しい中身は示されていませんでしたが、前述した状況が推察できる職員の発言がありました。「予算の削減はかなりの痛手。予約を頂くが希望に沿う購入が出来ない」「今までは5名の予約が付けば購入できたが、今は10名でも困難。さらに予算が削減されると予約には応えられなくなる」「視聴覚資料もビデオからDVDへの買い替えが出来ない」「臨時職員の賃金も百万円以上の削減を強いられている」との説明がありました。
町立図書館は“島本らしさ”を具現化するよいお手本だと、私は思うのです。小さな町の小さな図書館だけれど、多くの住民に活用され愛されて、職員の皆さんもおしみない努力で応えている。町のお財布は苦しいけれど、知的で温かい町の良さを我が町の図書館は表現してくれているのではないですか?図書館がさびれたり、とげとげしい雰囲気の運営しか出来なくなれば、住民の誇りやアイデンティティは著しく低下すると思います。
懇話会会長は「図書館に対する世論(街の声とでも言いましょうか)形成をしておかないと、予算のカットは今後益々進んでいく可能性があります」と述べられ、私もその通りだと思いました。私の出来ることは、図書館を訪れること・図書館が関係する教育委員会の会議を傍聴すること・議会で発言することくらいしかありませんが、図書館懇話会の皆さんには頑張って、住民の声を発信し続けて頂きたいと願っています。
一方教育委員会事務局の職員(特に“偉い人たち”)が懇話会をどのように位置づけ、委員方の意見をちゃんと掌握しているのかが気がかりです。本日の会議には、図書館職員のほかで管理職は生涯学習課長しか出席していませんでした。その課長も最後まで居ず、途中で退席してしまいました。こんなことじゃ懇話会にも失礼ですし、実ある施策にも繋がっていかないのではありませんか。課長が席を外すのなら、事務局次長も教育次長もいるのです。誰か寄越しなさい!
本日の本当の日付は4月12日です。5日から10日まで小旅行に出かけていましたので、日記をお届けすることができませんでした。「留守いたします」との予告にもかかわらず40人もの訪問を頂いた日もあって、うれしいやらありがたいやら、と同時に・・・申し訳ない気持ちで一杯です。これから再開する日記は、またまた1ヶ月、2ヶ月遡った日付に戻りますが、その前にちょこっと旅の独り言を・・・。
今回の旅の目的は埼玉県から栃木県小山市に転勤になった次男宅の訪問でしたが、桜前線を追っかけて日光と益子焼の里へも足を延ばしました。帰路は隅田川・浅草界隈をブラブラと、東京の春もちょっぴり楽しんだミニ旅行でした。ちなみに日光の東照宮は中学1年生の夏以来ですから、なんと!半世紀ぶりの再訪となりました。
まだ自分の未来も見えず、ただ無邪気に過ごしていた13歳の私が見上げた杉の巨木は今も変わりませんでした。私は一瞬タイムスリップをした気持ちに陥りましたが、あれからもう50年もたっているのです。今は世界遺産となった日光杉の木立は何百年と変わらずこの地で時を刻み、これからも変わらずに存在し続けることでしょう。自身の存在とは比較のしようもない対象なのに、なんだか「到底かなわへんなぁ〜」と私は畏敬の念を覚えました(こういう感慨は歳を重ねた証とか?)。
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日光東照宮 陽明門 |
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おなじみ左甚五郎作 三猿 |
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同じく 眠り猫 |
さて標題の日付3月10日は総務文教常任委員会が開かれた第一日目です。私は当委員会に所属していますので、次の日記には委員会審査からピックアップして書きたいと思います。
新年度予算を付託された3常任委員会のうち、私が所属する総務文教常任委員会が開かれました。当委員会では条例の新設・改正、及び一般会計の歳入全部と所管事項分の審査を行います。条例関係の“目玉”は過日の日記でも賛成討論を掲載しました「文化財保護条例」ですが、私は「特別職の職員の給与に関する条例の一部改正」の質疑についても時間を割きました。
町長・副町長・収入役の特別職と教育長(は別条例で改正)の給料引き下げは厳しい町財政状況の折、また一般職員の給与減の実態を考慮すれば賛成するものですが、私は府内類似団体との比較においても「もっと減額すべき」の主張をしました。また町長の自らの退職金を「2分の1に減らす」公約を副町長・収入役についても「検討範囲を広げるべし」、特に9月初めに退職を控えている収入役については「町長よりも前倒しで意思決定をすべきではないか」と問いました。
法的には本来なら廃止されている収入役を、議会多数派は「法の特例と収入役の生活保障」を根拠に存続させてきました(府内では池田市と当町のみが収入役を残しています)。任期が迫る収入役の退職金にあたって、今度こそ議会も町長も厳しい判断をしなければならないのは必至です。そのためにも町長の任期ぎりぎりに特別職の退職金条例の改正を行うのではなく、収入役の退職に間に合うよう(6月議会には)三役及び教育長に係る退職金減額の条例案上程をすべきだと迫りました。
更には三役・教育長のみに給与削減を強いるのではなく、何故議員報酬の引き下げを諮問しなかったのかを、私は報酬審議会での厳しい議員批判を引用して質しました。口を開けば「財政が厳しい」と言い、行財政改革の名のもと住民負担の増を振りかざしながら、我が既得権の削減はさせないという議員の姿勢は厳しく問われなければなりません。
ところがところが「そんなの関係ねぇ〜っ!」とばかり、議会に対する“大甘”の新しい予算(各会派室の設置と機器類等の設備費用)までもが計上されているのが現状です。“おねだりする”議員たちとそんな議員に“よいしょ”しつつ予算化する行政と、いずれに問題があり何故こんな予算が上げられてくるのか、私にはどう考えても納得できません。当予算450万円については2日目の一般会計歳出予算審査で質しましたので、次回の日記にてご報告いたします。
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旅行の写真の続き・・・ 小山城址の桜は満開でした |
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我が家のアンティーク箪笥にも似合う益子焼 |
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内側にも絵付けがされ、二度楽しい器です |
今日は総務文教常任委員会の2日目です。新年度予算に会派ごとの部屋を造る工事費と、パソコン等の備品を購入する予算として合計450万円が計上されています。私は当予算には全く賛成することが出来ません。具体的な予算審査を行う本日の委員会質疑に始まって、委員会での採決討論・本会議での450万円削除要求の動議・同じく本会議の最終採決討論において、強力な反対討論を行いました。
さらには議会終了後、町長への申し入れ書において「私の会派は会派室はいらない。従って予算を使うな。会派室を造っても使用しない」と宣言し“徹底抗戦”を行っています。「なんでぇ〜?造ってあげると言うてんねんから、言うこと聞いといたら?」と思われる方もいるかもしれません。しかし口を開けば「財政が苦しい」と繰り返し、「そやから保育所も民営化せな」と主張しているような議員たちが、どうして一円の無駄遣いも許されない税金を我がことのためだけに使うのか・・・私にはどうしても納得できません。
それにしても「くれくれちょうだい」議員の“おねだり”に対して、行政側のなんと弱腰で大甘なこと!議員への“ヨイショ”と引き換えるものは、一体何なのでしょうか?百歩譲って、私をはじめ今予算に反対している4人の議員が全員賛成、つまり議会の全会一致の要求があったとしても、当局は言うことを聞くべきではありません。厳しく「出を制す」べき町財政において、先ずは議員への辛抱・我慢を強いるのがあるべき行政の姿なのです。町長は議員を甘やかしてはなりません。
行政側は「会派室の要求は議長名で出されており、議員全員の要求と認識している」と言い張ります。しかし会派代表者会議の記録を見ても、私は一貫して会派室の必要性を認めていません。また共産党の議員は「会派室の必要性は認めるが、今実施すべきではない」と発言しています。5つの会派のうち2つの会派が反対しているのです。それでも予算を正当化するのは、よほど自由民主党クラブ・山吹民主クラブ・公明党の3会派に頭が上がらないのでしょう。全くねだる方も問題なら、受ける方も問題だとため息をつくばかりです。
さて“おねだり”派の言い分も、皆さんにお知らせしておかなくてはなりませんね。3月議会後半における一般会計予算の最終採決に際して行われたS議員の討論から一部を抜粋します(「一部じゃ正確性に欠ける」と言うなら、ご自分の広報媒体でお好きなだけ披露してくださいね)。「〜経費削減の適否、現在と将来にわたる住民福祉の維持向上の問題、行政サービスの円滑な推進について、志を同じくする会派議員が打ち合わせ、調査等を行う議員活動の日常的な根拠として会派室は是非とも必要」と発言し、次に具体的な理由を以下のように述べています。「会派ごとの控室は、(1) 会派議員による日常的な行政の調査研究、打ち合わせ等、合意形成の特定の場所である (2) 職員等を招致してのヒアリングの場所である ?住民相談を実施する、個人情報に配慮すべき特定の場所である (3) 議会、委員会開会時の案件、閉会中の継続調査の特定の場所である」と“おねだり”を正当化しています。
前述された議員活動については、私も否定するものではありません。しかしこれらの活動を会派室がないと行えないというのには、同意することはできません。私の会派は会派室がない現状でも、“おねだり”会派にそん色がない活動が出来ていると自負しています。
さらには庁舎3階の議会スペースに全く部屋がないわけではなく、使用可能な会議室は複数あります。譲り合って、工夫して限られたスペースを使いこなしていくのは、当節当たり前のことでしょう。さらに言わせて貰えば、会派室ができても“猫に小判”の議員たちもいるのではないですか?本会議をはじめ公務以外には、全くといっていいほど役場に姿を見せない議員もいるのですから。「会派室いらない」という私の会派と「会派室今はいらない」との共産党が、もっとも足繁く役場に来て活動しているのではないかしら?と思います。
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3月議会には2つの請願が提出されています。ひとつは私と澤島真紀子さんとで出したもの(「1号請願」といいます)、もうひとつは齋藤玉樹さんほか7人から出されたもの(「2号請願」といいます。ちなみに番号は提出した順番)です。いずれの請願も「第二保育所の民営化・就労支援型の第一幼稚園・在宅子育て支援」を3本柱とする「就学前の子どもの教育と保育環境の整備(基本方針)」について、「異議あり」と申し立てている内容です。なお1号請願の文章はそのままこの日記の末尾に載せていますのでご覧ください(長い文章ですが「なかなか解かりやすい」と、審査をした委員からも褒めてもらいました)。
さて、本日の民生消防常任委員会では2つの請願審査が行われました。私は1号請願の請願者であり、また紹介議員(請願の提出には最低1名の議員の紹介が必要です)でもありますから少々緊張して委員会に臨みました。様々な質疑を受けましたが、答弁の出来は「まあまあだったかな」と80点くらいの自己採点をしています。
ただ前日まで保育所保護者会等から頂いた膨大な資料や住民福祉審議会の会議録を再読することに時間を費やし過ぎて、答弁のシミュレーションが不備だったかなぁ〜と思っています。説得力のある答弁とは何をどれだけ知っているかといった知識のお披露目ではありません。聴く人の心に響かなければ、どんな答えも及第点を貰うことは出来ないことはよく解かっています。今回はそのあたり、ちょっと自分勝手に突っ走ってしまったかしらと反省しています。
審査の結果「1号請願」は不採択でした。賛成は平野・藤原・河野議員、反対は伊集院・岡田・野村議員で可否同数となり希望を抱いたのですが、委員長(菅議員)裁決により否決となってしまいました。委員の表決が拮抗しただけに残念でなりませんが、本音のところは予想できない結果でもありませんでした。しかし続く「2号請願」は、思いもかけない審査展開となりました。
「2号請願」審査の冒頭、委員長は紹介議員(冨永議員)の出席について賛否を問いました。えぇ〜っ!紹介議員の出席は当然なんじゃないの?紹介議員がいなければ質疑に対する答弁が出来ないではありませんか!結局「2号請願」は質疑なし・参考人招致なし・行政職員の出席なしで、いきなり討論を行ったうえ採決へと進みました。賛成は平野・河野議員、反対は伊集院・岡田・野村議員、そして保留が藤原議員で結果は否決です。勿論ここに至るまでには委員間での協議が重ねられてはきたとは思います。また法に触れるものでもないわけですが、当議会でごく当たり前に行われてきた紹介議員の出席が拒否されるなんて!考えても見ませんでした。
なによりも「2号請願」は多くの署名を添えて提出された請願です。紹介議員は請願者たちの代弁者なのですから、反対した委員たちは多数の住民の口封じをしたに等しいと言われても仕方がありません。本件に係らず私には今期の議会が、なりふり構わず強者の論理で運営されることが度々あるように感じています。民主主義を多数決のみの根拠づけとし、賛否両論様々な意見を聴くべき原点が忘れ去られているような気がしてなりません。今日もまた「ここまでやるか」と暗澹たる気持ちになりました。
では「第1号請願」を以下に記します。
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いよいよ今日からJR島本駅が開業します。長い間私はほぼ毎日、役場の行き帰りに新駅とその一帯の工事を見てきました。改正ダイヤに「島本駅」が載った限りは、何があっても15日に間に合わせなければなりません。ギリギリまで工事が続き「大丈夫かな」と心配しましたが、やっぱりちゃんと完成しましたね。「すごい!大したもんだ」とホッとし、とてもうれしかったです。
駅舎工事にあわせて駅前広場・自転車駐車場・歴史文化資料館(開館は4月12日です)・桜井駅跡公園・駅西側道路・府道等の関連整備工事が次々と完成(または一部完成)していく様は、“街が生きている”ことを日々実感させられる情景でした。さぁ〜て、とにもかくにも“器”は出来た!これからはこれらの器をどのように効果的に使っていくか、30億円近い莫大な費用を街づくりや住民一人ひとりへのメリットにどう還元していくかが問われます。駅の完成がゴールではなく、これからが本番。町にも私たち住民にとっても大きな課題が新駅と共にスタートしました。
開業前日の14日は1日中雨が降り続いていました。夕方役場からの帰り道に見た駅前広場では、若い職員たちが雨に打たれてイベントの準備に奮闘していました。本番の明日も早朝より出動とのことで、私は「本当にご苦労様です」とせめてもの一声をかけました。
さて15日を迎えました。昨日の雨も上がっています。新駅開業の式典は8時半より始まりました。早い時間にも拘らず、駅広場には住民の皆さんが大勢詰めかけています。いえいえ、もっともっと早く駅に来た人たちがいます。5時早々の始発電車に乗りたい人や記念切符を手に入れたい人たちです。またオープニングイベントを盛り上げる模擬店の皆さんも前日の仕込みから、引き続いての準備に追われていました。
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朝日に輝く新駅と拡幅なった府道桜井駅跡線 | 準備オッケー、東駅前広場のイベント会場 |
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朝7時のホーム |
式典の来賓には冬柴国土交通大臣や橋下大阪府知事、国会議員・府会議員、高槻市長・大山崎町長他多数の出席がありました。(皆さん代理ではなくて“ホンモノ”でしたよ)。クス玉割りもテープカットもお決まりのセレモニーメニューですが、なんと言っても花を添えたのは、新駅の真横にある第一幼稚園園児の元気な歌声でした。
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町長はじめ来賓のテープカットとくす球割り | 第一幼稚園園児の元気な合唱 |
式典終了後は新駅舎の自由通路に展示されている鉄道写真を見ました。どの写真もさすがの力作でしたが、人の多さに負けてしまって少々さびしい展示風景でした。優秀作品だけでなく120数点の参加作品すべてが壁面を飾ればどんなに迫力があり素敵だったかと思います。また応募の皆さんの熱意にも答えることになったのではないかと残念です。
エレベータ・エスカレータ・自由通路・トイレ・西側道路(残念ながら一部未完成)も全部見てまわりました。また桜井駅跡史跡公園では「ふるさと案内ボランティア」の皆さんに史跡のいわれを説明してもらいました(案内ボランティアの皆さんは開業後も毎日史跡公園で待機されています)。あとは模擬店で野菜・あまご・シフォンケーキを買って、おいしいコーヒーも頂いて“午前の部”は終了です。朝の冷たい空気が陽ざしと共にポカポカと暖かくなり、訪れる人の数も益々増えてオープニングイベントは大盛り上がりとなってきました。
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新駅を見て、イベントも楽しみました | 東西を結ぶ自由通路も人で一杯 |
午後からは、勤務先の三重の地で新駅のオープンを気にかけていた長男が帰宅しました。再び新駅に向かいステージで演奏のブラスバンドを聴いた後に、親子3人で島本駅から初乗りです。キオスクでお茶を買いましたが、イコカのカードでお金の出し入れもなく便利です。改札口を入って構内のトイレをチェックし、議会で議論があった列車接近警告音「夜が来た」(サントリーのコマーシャル)に耳を澄まし(テンポ良いアレンジがされていました)、京都駅へ。別に用事があったわけではなかったので、降りるのは山崎駅でも良かったのですが、まあ開業の“ご祝儀”ということで京都までの乗車賃で売り上げに協力?しました。
夜大阪に出かけた長男が帰ってきて話すには、昼間の賑わいが嘘のような島本駅の静けさだったそうです。そりゃそうでしょう。それが現実です。開業のお祭りは終わりました。これからが始まりです。借金の返済も施設の管理も駐輪対策も最初の第一歩を踏み出すのです。さらには総合計画の新たな策定に向けて“まちづくり”へのスタートが切られます。総合計画では新駅が“まちづくりの核”として重要なポイントになることは間違いありません。新駅周辺の開発か環境保全か、今後特に駅西側の田園地域に焦点が絞られてくるのは必至でしょう。
あるべき町(まち)の姿は人それぞれで違って当然ですが、今まで人びとが漠然と抱いている希望や理想に、新駅が出来たことによってこれからは容赦なく利害や権力が入り込んできそうな気がします。「新駅のせいで、島本町は良くなっていない」と住民の方々に感じさせることだけはしたくない・・・。議会も町行政もそれだけは肝に銘じて、改めて気を引き締めていかなければならないと思います。
3月議会後半の1日目です。本日は前半議会で常任委員会に付託された請願・条例及び予算案の最終採決を行う案件が十数件と、年度末ギリギリで出てきた補正予算等があります。採決の前には「討論」を行います。通常「討論」というと意見をたたかわすことですが、議会での「討論」は議案の表決に際し、どのような理由で賛成あるいは反対をするのかを述べることを指します(賛成でも反対でもなく、採決に加わらない「保留」という表決もあります)。
討論は皆原稿を読み上げますから、正直言って面白くありません。特に新年度予算に対する討論は、予算説明の中身を長々とそのまま引用する議員もいるので、良し悪しは別にしてタ・イ・ク・ツ。私も人のことをアレコレ言えるものでもありませんが、討論に限らず発言は出来るだけわかりやすく、自分がどう考えているのかを正直に出すようにしています。今回も自分らしさを出した討論の中で、ちょっと上手くいったかな?と思うのが文化財保護条例の賛成討論です。
島本町文化財保護条例の制定について賛成の討論をします。
2006年3月議会の一般質問で、私は大変悔しい思いで理事者の答弁を聞いていました。日本でも有数の郷土玩具コレクションが町内に存在しながら、当町を素通りして高槻市に寄贈されていたからです。
貴重な民俗文化財は万に上る数であり、高槻市は鑑定済みの資料だけでも3千万円、総額なら8千万円余の価値を手に入れたともいわれています。当時教育委員会は「コレクションを受け入れるには文化財保護条例もなく、保管等の基準もなかったため」と答えました。
また2006年8月の文化推進委員会では、築170年を経た古民家(東大寺一丁目)のことを心配した委員の発言がありました。この民家には珍しい七つ口のかまどが完全な形で残されていました。家屋の存続は所有者の意思に沿うしか仕方がないのですが、ここでも「文化財保護条例がありませんのでねぇ〜」と担当職員は嘆きました。
こんなふうに「人も金もおまけに方法もない」と嘆いている間にわが町の“お宝”は、町内のあちこちで随分消えていったのではないかと心配しています。
しかしこの間教育委員会では歴史文化資料館の開館に向けて準備を始め、文化推進計画が策定され、先に述べた古民家の住民見学会も開かれ200人が訪れる盛況振りでした。また時は遡りますが、新駅東広場の発掘調査説明会にも大勢の住民の方々が詰めかけました。私もこれらの見学会等に参加して、島本の人びとは我が町の歴史や文化に深い関心と温かい眼差しを示してくださっていると、本当にうれしく思いました。
また文化推進委員会や歴史文化資料館懇話会の傍聴で聞くことができた委員方の含蓄ある意見の数々は、楽しみでもあり勉強にもなりました。教育委員会が行った「あなたの“お宝”登録してください」のキャンペーンが議題になったある日の文化推進委員会では、次のような意見もありました。
椎尾神社の総代の方が「山崎の公民館で小さい仏さんが見つかってますねん。聖武天皇が西観音寺に納めた仏さんらしいけど、教育委員会の受け入れ態勢が乏しおまっしゃろ、そのままになってますけど、こうやって現に“お宝”は出てきてまっせ」と発言されました。こういった声も、今回の文化財保護条例制定で実効ある発言となって実っていきます。
長々と条例の内容とは直接関係のないような討論をしましたが、実は文化財保護条例は教育委員会の担当職員が孤軍奮闘して作ったものではないということを言いたいのです。住民の関心や関係団体の委員方や多くの住民が後押しをして生まれた条例だと思うのです。勿論議会でも多くの議員が策定を求める発言を行ってきました。
さて条例の中身は文化財保護法に則り、どこの自治体でも似たり寄ったりの内容です。したがって条例を生かすも殺すも、今後の運用次第というわけです。
条文を見ていると文化財の所有者や保持者に課せられる義務や制限があり、住民にとっては結構面倒な手続きや届出が定められています。罰則が科せられることもあるかもしれない等々、これでは「しんどい目をして町指定の文化財にしたくはない」とそっぽを向かれる恐れもあります。
また補助金の交付を受けることが出来る条項はありますが、その内容はいまだ示されていません。町財政困窮の折から、文化財所有者が期待できそうな金額にはならないと考えられます。
そこで、教育委員会や文化財保護審議会の姿勢が問われてきます。何よりも担当者自身に文化財への関心や探究心がなければなりません。また文化財所有者への深い理解も必要です。職員は今日まで努力されてきた中で、折に触れ感じてきたであろう住民の皆さんの文化財に接する喜びを我がこととすることが、先ずはスムースな制度運用の第一歩であると思います。
パブリックコメントに寄せられた「町には国・府の指定文化財のほかに重要な文化財があるのか」「町の文化財保護について、人・もの・金の負担増加の必要性は全くない」「条例化してまで歴史文化を守る必要性があるのか、疑問だ」の否定的な意見の提言者をも説得できるような条例運用が望まれます。
また今回は法改正により学術上価値の高い動植物にまで保護の域が広げられたことにより、ヒメボタル生息地の保護を願うパブリックコメントに対し、教育委員会は「生息地についての調査・研究を行う」と回答しています。喜ばしいことと歓迎するものです。
条例施行の7月1日までに効果的な周知を図り、ひとりでも多くの住民に文化財保護についての関心を持ってもらい、協力や応援をいただけることを願って賛成の討論とします。
結構長い討論でしたが、野次も飛ばなかったのでマアマアの出来だったかも。全員が賛成するような議案は、討論も同じ内容になりがちです。一言二言でも自身の体験を盛り込むことで“生きた討論”になると思いますが、私の勝手な“手前味噌”でしょうかしら?いずれにしても硬い言葉で延々と同じ様な討論が繰り返されると、傍聴者も理事者たちもあくびをかみ殺しているようですね。
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椎尾神社(4月6日) | 4月12日に開館する歴史文化資料館 |
2007年度末に退職する町の職員は22名です。この3月議会後半に至っても普通退職者が2名出て、退職手当のための補正予算が急遽4千万円余組まれました。退職者の増は当然団塊世代の退職が背景にあるのですが、定年を待たずして退職をする普通退職者がここ2・3年多いように感じています。若い職員も混じっていますから、島本町役場に魅力がなくなってきているのかと少々心配です。
「次の目標に向かうためには、残念ながら役場を辞めなくてはならない」との明確な意思があればまだしも、その前途を祝福する気持ちが湧きます。多分本人の意思が甘かったり弱かったりが退職の原因でしょうが、役場に“愛想を付かして”辞めていくのであれば、それは問題です。役場の体質改善の必要性が問われてきます。
3月議会の最終日である本日は町長が閉会の挨拶をした後に、議場に出席している3人の理事者の退職挨拶がありました。なかなか良い挨拶であったと私は感じました。民生部長は「楽しいことも、しんどいこともたくさんありました。これらを“心の玉手箱”にしまって退職します。4月になればその中から、いいことばかりを一つひとつ少しずつ開けていきたい。玉手箱は一度には開けません。いっぺんに浦島太郎になってしまいますから・・・」と、型にはまらないファンタスティックな挨拶をしました。部長は4月から再任用職員(ふれあいセンター)として、再び町で働いてくださいます。
大阪府よりの都市環境部理事は「2年間、議場での白熱した議論に参加ができ感謝しています。またJR島本駅開業の式典に係ったこともうれしく思います。これもタウンセールス・プロジェクトチームの若手職員の頑張りが大きかったからでしょう。新駅は始まりの一歩です。残念ながら駅西側道路は完成に至らず、もう一息というところです。しかしここまでこられたことで、地権者の意に沿い交渉する努力の大切さを思い知りました。ただ用地買収に係り、議場において土地鑑定価格等への厳しい質問を頂いた点は残念に思います」と、最後にちょっぴり苦言を呈しました。理事は大阪府に帰えられます。
最後の挨拶者、教育次長は第二小学校校長から教育委員会へ(大阪府の割愛職員)。「当初から2年間という約束でしたから、いってみれば“中継”と言うことでした。在職中は貢献どころか足引張りばかりではなかったかと、お詫びの気持ちで一杯です。実は20年前にも7年間、町教育委員会で働きました。その時の職員・住民の方々とのつながりがこの2年間で生きました。人と人との豊かな繋がり・人づくりのあり方を見ても、島本町は本当に良いところです。町の本当の宝は住民の方々だと思います。子どもたちの学力問題も、他市町村に先駆けて町独自の学力調査を実施していたおかげで、全国学力調査テストにおいて全国平均を大きく下回った大阪府の結果に沿うことなく良い結果が出ました。特に他市を大きく上回ったのが『自分が住んでいる町が好き』という回答であったことをうれしく思っています」と、先生らしさが戻った少し長めの挨拶でした。4月からは第四小学校の校長として現場に復帰されます。
議場でご挨拶を頂くのはほんの少人数です。退職される皆さん一人ひとりの思いを聞くことができればよいのになぁ〜と思います。皆さんそれぞれ30数年〜40年を超える間働いてこられました。私たち家族が見知らぬ島本町に引越しをして根を下ろし始めた、ちょうど時を同じくして役場で働き始められたのが今年度の退職者です。30年を超える年月を共に島本町で過ごしてきたと思うと、みなさんの退職に当たってはひとしお感慨深いものがあります。
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花をつけた我が家のサクランボ | 第三小学校のモクレン |
最後の一般質問に立ったS議員の質問は私たちが知らない内容でした。上下水道料金の誤った徴収が7年間にわたって行われていたというトンデモナイ業務を明るみにした質疑は、それなりにインパクトがありました。本会議の最終議事日程の一般質問、しかも“トリ”で爆弾質問を放つ、その効果をS議員は目一杯狙ったのでしょう。私は「へぇ〜っ!」と驚きながらも、でもなんとなく違和感がありました。
先ず思い出したのは、一般質問の通告日のことです。通告の締め切り時間は11時なのですが、通告書の提出を終えホッとしていた私の所に、議会事務局の職員が来て言いました。「締め切りまで余り時間がないのですが、H議員の通告がまだなのです。時間を勘違いされているのではないでしょうか」と。Hさんと同じ会派の私は慌てて電話をしましたが、やはりHさんは勘違いしていました。
息せき切って滑り込んだHさんが質問書を提出したのは、締め切りわずか2〜3分前でした。従ってトリのS議員はその後に提出したことになります。別に1分前だって1秒前だって通告はあり得ますから、S議員が意図的に最終質問者になろうとは思わなかったのかもしれません。まあ、例え思ったとしても非難されるものでもありませんし、質問効果を高める演出としてそういうやり方もあって当然です。
事務局が親切に確認してくれたことが妙に引っかかったのですが、私の考えすぎかもしれませんね。例え事務局がS議員の望む質問順位に協力をしたとしても、もしも職員の一言がなければ、そして私の連絡がなければHさんの通告は間に合わず、一般質問のチャンスは閉ざされてしまっていたのです。このことに関しては素直にありがたく思います。
しかし最初に感じた小さな違和感と、上下水道部の大きな業務ミスに係る内容は次の機会にお知らせいたしましょう。
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大藪浄水場に咲く「町の花」山吹(小さな苗木から職員が育てました) |
前回の日記では、3月議会におけるS議員の“特ダネ”一般質問があったことを書きました。その内容について少しお知らせします。町内の福祉施設において、上下水道部が検針対象とすべき量水器(水道メーター)を7年間も間違えていた事実が、メーターの取り替え時に明らかになりました。水道の親メーター(町が設置)を検針しなければならないのに、委託を受けた検針員が子メーター(施設が設置)を見て上下水道料金の請求を行っていました(下水道の使用料金は水道メーターが示す使用量の2分の1で計算されます)。
水道部の職員が検針すべき親メーターの位置や番号を検針員に正しく指示していたのか、或いは指示があっても検針員が勘違いをして子メーターを見ていたのか、今となっては双方共によく分からないようです。そもそも作業手順を確認するためのチェックリストや検針マニュアルもなく、甘い認識で業務を行っていた(委託していた)ことこそが問題の発端です。今回の事案は検針に係る初歩的なミスですが、そのミスから何と!約760万円の未収金を生じさせてしまいました。
760万円のうち半分の380万円が時効で徴収不能となります。ちなみに水道料金は2年間、下水道料金は5年間の遡及請求が出来ますが、それ以前の料金は時効となり法的には徴収できません。幸い時効以降の380万円は施設側が支払いに応じてくれ、3月末に一括収入できることとなりました。しかし時効分380万円はどうなるのでしょう?金額の大きさもさることながら、業務執行上の責任を問い再発を防止するためにも、この380万円に関しては町長以下職員の弁済が当然だと思います。
上下水道部においては過去にも下水道料金の未収事案により、決算が否決される事態を引き起こしています。この時は副町長をはじめ管理職が弁済し、関係者の処分も行われました。今議場においても質問者をはじめ他の議員からも、「けしからん!」との意識がアリアリと見て取れました。私も勿論怒りを禁じ得ませんでしたが、同時に感じたことは「何故今まで議会に知らせなったのかしら?」という疑問です。問題が発覚したのが昨年の11月で、施設に説明し遡及の支払いをお願いしたのが12月、今年の2月には施設側の支払い意思を確認しています。
これらの経緯からすると、3月議会の始まる前に議員への説明は十分可能でした。この間、議会運営委員会も議員全員協議会も全会派への予算説明会もありました。理事者は何故3月議会の一般質問まで黙っていたのでしょうか?私が想像するにはただ一つ、質問者のS議員に“花を持たせる”ことではなかったかと思うのです(この点が前回の日記で「違和感を持った」と書いた部分です)。みんなが既に知っていることを質問するのと、知らないことの“爆弾質問”をするのとは効果が全く違います。「凄い!よく調査している」との議員評価も高まります。
まっ、このように感じているのは私だけかもしれませんが、変に勘ぐられないためにも、理事者は実効ある反省を示すべきです。町長はじめ理事者の皆さんは、いつも「報告・連絡・相談(ほう・れん・そう)」の大切さを口にしているのですから、議会(全議員)に対してこそ新鮮な“ほうれん草”の情報提供を行い、財政の損失についてもキチンと補填をすべきは当たり前のことでしょう。
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日記の日付から1ヶ月後、我が家の自慢!のモッコウバラが満開です |
また新しい月が始まってしまいました。今日の本当の日付は4月1日です。2月と3月の日記を交互に書き始めて、まだ3日間分くらいしか進んでいないのに・・・。あぁ、それなのに本日はついに“あの映画”を観に行ってしまいました。「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)」、すごい映画でした。エンドロールが終っても、満席の観客は誰も直ぐには立ち上がらなかったです。上映中の3時間、私は彼らが犯した罪への反発と嫌悪感を最後まで拭い去ることは出来ませんでした。
しかしラスト近く、山荘に立てこもり追い詰められていく“兵士”たちのひとり、わずか16歳の加藤少年が「僕らは勇気がなかったんだ」と3度繰り返し慟哭する姿に、私の体中の力が抜けていきました。「総括」や「粛清」によって封じ込められていた“人間の言葉”が、初めてほとばしった場面でした。その瞬間私はなぜかヒクヒクと体が震えて、涙が止まらなくなりました。
家に帰ってもボーッとしていて、まだ後を引いています。あの時代、共に生きた皆に突き刺さったはずの“棘”の痛みが、弛んだか分厚くなったか分からない心と体に埋もれてしまっていたことを、この映画は真正面から気づかせてくれたと感じました。「だからどうなん?」「だからどうする?」への答えなんか出せなくても、私は“痛み”の存在を確認したことを感謝したいと思いました。そして事件を全く知らない若い人たちへこの映画を観てほしいと願いました。醜さや悲しみを乗り越えて時代は創られていくはずなのに、そうではない現実を見てほしいと思いました。
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庭の花でミニブーケ |