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 今年もよろしくお願いいたします(2008年1月8日 火曜日)

 新年も一週間を経てのご挨拶で、申し訳ありません。昨年土壇場の(12月29日付)日記を書き終えると同時に、9日間のタイランド家族旅行へすっ飛んで行ったものですから、今頃なんとも気の抜けたご挨拶になってしまいました。また標題では「あけましておめでとうございます」という決まり文句もつけていませんが、年末年始にかけてお身内を亡くした友人たちがいます。したがって今年のお正月は「おめでとう!」を気軽に使えない気持ちでおります。

 さて早々にお年賀状を下さった皆様方、本当にありがとうございました。「体を大事にしてね」「しっかり働いてください」等の激励や、ご自身の抱負を伝えてくださる賀状、また自作写真の美しい賀状等々、いずれもうれしく拝見いたしました。議員は年賀状の送付を禁じられていますので、私からのご挨拶は出来ません。失礼をどうぞお許しくださいね。

 さて昨年最終の日記と同時にアップした「なんぶニュース107号」ですが、肝心の全戸配布は殆どが帰国後(昨日7日から)の開始となりました。本日を含め5日後(1月12日 土)には議会報告会「ボチボチサロン」を、また12日後(1月19日 土)には映画「終りよければすべてよし」の上映会が迫っています。これらのご案内をニュースでお知らせしているのですが、特に「ボチボチサロン」のご案内は配布が間に合わない可能性大となりました。せめてこの日記をごらんの皆様へ、以下の内容でご案内をいたします(既にアップ済みのニュースで承知くださっている方もあるとは思いますが)。

「ボチボチサロン」ご案内・・・ほっこり話し合いましょう!

* 1月12日(土) 12時〜14時

* ふれあいセンター(3階)調理実習室

* 資料代・豚汁代 500円

* お申し込み 電話またはファックスで(962−4148

町政の課題は山積しています。私たちの日々の暮らしにも問題はそこかしこにあります。どんな事でも出し合って、皆で考えてみませんか。怒りも愚痴も共有して、共感しあえば軽くなりますよ。温かい豚汁を輪になっていただきましょう。元気な良い知恵が浮かぶかも・・・。どうぞお気軽にご参加ください。

 ここ数日はニュース配布に専念したいと思いますが、昨日7日は私の仕事始め(既に役場は1月4日から開いていました)ですから、先ずは役場へ行き議会事務局職員に「今年もお世話になります」と挨拶をしました。議員は事務局のサポートなしには仕事は出来ませんから、私は心から「よろしくお願いいたします」との気持ちを込めました。

 私は議員と議会事務局職員はなれあわない、各々の立場でキチンとけじめをつけて仕事をする、これらを守って仕事をしているつもりです。従って「議員」を振りかざして(そもそも振りかざすほどのものでもないです)我儘や無理を言ったりすることはありません。しかし仮に事務局職員がやるべき仕事をちゃんとしないような場合は、しっかりと抗議しますし怒るつもりでいます。反面議員の方が理解不足であったり、間違っているときは遠慮なく指摘し導いて欲しいと願っています。

 議会事務局のあとは今年初めての情報公開閲覧をしました。内容は阪急水無瀬駅のエレベータ設置に係る国庫補助申請に関する情報でしたが、今回の情報は大した内容ではありませんでした。しかし島本町が4億円もの負担をする事業です。したがって今後も情報は的確につかんでいきたいと思います。次はふれあいセンターで映画会の最終打ち合わせの集まりを持ちました。1月19日の上映会までに、まだまだしなくてはならないことが山積しています。何よりも参加協力会員券(映画入場チケット)の事前購入をより積極的に進めなければならないことが明らかになりました。

 19日の週は私の委員会視察(16日〜17日 広島)や都市計画審議会(18日)出席の公務、また住民福祉審議会(15日・19日)の傍聴、更には各種行事(消防出初式・成人祭・桜井どんど焼き)の参加等と予定が目一杯入っています。多分ハードでつらい週になることでしょう。お手伝いくださる方が欲しいいなぁ〜と、ため息をつきつつ呟いている私です。役場から帰宅の道では、掲示板に映画会のポスターを貼っていきました。

 以上が私の2008年仕事始めの一日でした。相変わらずバタバタと過ぎましたが、今年もこのような調子でずっと続いていくのでしょうね。日記を訪問くださる皆さん、本年もどうぞよろしく懲りずにお付き合いください。

我が家で留守番の鏡餅
(みかんと比較して、お餅のミニなこと!)
カウントダウンを控えた大晦日バンコクの繁華街
(昨年の爆弾テロ事件再発を警戒し、集結する警察隊)

 


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 パワーハラスメントのアンケート調査が進んでいます(2008年1月10日 木曜日)

 私が○○所属の職員より突然の内部告発を受けてから、早くも1ヶ月余を経ました。「藁をもすがる思いで」送られてきたメールには、複数の職員が上司の暴言・暴力による被害にあっている状況(パワーハラスメントの実態)がこと細かく記されていました。告発者は勿論実名で、また加害者の実名も示されていました。告発の内容は数年に渡るパワーハラスメントによって、職員たちの働く意欲が日に日に薄れていっていることや、トップ職員たちも見て見ぬ振りで自浄能力のない職場が崩壊していく不安を訴えるものでした。そしてメールの最後には「南部さん、○○を救ってください」と結んでありました。

 当時私が返信した記録を読み返してみると、冒頭には「メールの内容を驚きで震える思いで、何度も読みました」と書いています。続いて「実名を出されての内部告発ですから、△△さんの言葉を真摯に重大に受け止めています。絶対にあなたの匿名は守ります。また氏名や職の身分に係る個人情報は、被害者たちと共に加害者においても徹底して保護します。これは私の全てをかけて守ります」と書いています。また「私は腹をくくって、本件パワーハラスメント事象と闘います。だから直接会って話を聞かせてください」と面談を求めています。会って話せないなら「信用できない」とまで言い切っています。

 勿論△△さんとは直ぐに面談が出来、告発の内容が真実であることを私は確信しました。その後も面談とメールを重ねましたが、解決への道を切り開くためには12月議会で一般質問を行い、パワーハラスメントの事実を公にすることを確認しあいました。議場での発言と同時に告発者の“犯人探し”が始まること、告発者が特定できなくても有形無形の圧力が掛かる恐れがあること等、私は様々なリスクを示しましたが、△△さんは一般質問による“公表”を決心してくれました。

 私が数年前に係った町職員によるセクシャルハラスメント事件(本件は裁判を起こし町に勝訴した、まさに“事件”でありました)においても同様でしたが、被害者が封じ込めていた告発を言葉にして外に向かい発する時、どれほどの不安や恐れと闘っているかということです。私がその心情を代弁することは出来ませんが、思いを馳せ共感することは可能です。告発を受けた私が「震えた」のは、その事実に驚いたばかりではなく“告発の勇気”に心が震えたのです。今回も例えハラスメント事象が解消したとしても、告発という行為に対する職員としての評価や昇進等への影響がないとはいえません(悔しいことですが、一般的に問題提起をされた“問題”の解決よりも、いまだに「誰がチクッたか」が“問題”にされるのが大半という現実です)。

 実際○○の全職員に対する事実確認アンケート調査実施前に、「告発者に名乗り出てもらえれば、解決への道も早い。南部議員の方から告発者へ伝えてもらえないか」との打診があったことは事実です。勿論私たちは拒否をしました。告発者がスケープゴートにされ、一件落着とされはしないかという恐れがあったからです。パワーハラスメントは水面下で1対1で解決するような問題ではありません。町長はじめ管理職は勿論、全職員の職務遂行のあり方と人権意識が問われているのです。“くさいものに蓋”や“モグラたたき”の処方は一時しのぎに過ぎず、返って問題の根を深く広くしてしまいます。

 様々な不安要因はありましたが、しつこく確認(12月29日の日記でも書いていますし、別途申し入れ書も出しています)を重ねる中、○○の全職員に対するアンケート調査に到り、1月9日には調査票の集計が行われました。当然ないとは信じていますが、私は回答の抜き取りや改ざんを恐れました。私の不安に対して町は、当該部局と人事課に加え人権推進課を調査の要員に参加させ対応すると示しました。

 当該部局は次長と課長、人事課は課長と主査、人権推進課は課長と係長の計6名が別室にこもってアンケート調査の集計を行いました。アンケートは○○の全職員が投函していました(このことには大いにホッとしました)。パワーハラスメントの具体的な内容は自由意見として述べられており、昨日の作業は主にこれらの意見をパソコンに入力する事だったと聞いています。

 このあと当該事象の原課である○○において報告書が作成されますが、内容によっては面談による事情聴取に進むと思われます。私が聴いているパワーハラスメントの内容では当然個別面談が必要ですし、被害者たちの要求でもあることを町は十二分に認識しておいて欲しいと思います。ここから先は私の予想ですが、先ずは関係する3部長(部長級職員)において報告書の検討が行われ、検討結果を町長以下全部長(部長級職員)に諮ったうえで、再発防止への検討開始が始まるのではないかと思います。またハラスメントの内容によっては加害者及びその上司に係る懲戒処分の検討が、当然別機関に諮られることになるでしょう。

 さて今のところ恐れていた被害者たちへの“報復”はなく、また露骨な告発者探しもありませんので、二次被害は生じていないと思います。私は告発職員に対して、気を緩めないで良く観察をし記録を取っていくようにお願いをしています。もしも町がパワーハラスメントの事実を認めなかったり、矮小化を謀った報告書が出された場合には更なる闘いが待っています。その時には被害者側の一方的なメモであっても、それらは記録として証拠採用も可能であるからです。告発者も私も勿論そのような事態に到ることは望むところではありませんし、そこまで町当局のそれこそ“自浄能力”が落ちているとは思いたくありません。トップ職員たちの全力を出し切った解決を待ち望んでいます。

 しかし解決に到るまでにはまだまだ道半ばのパワーハラスメント問題ですが、これまでのところ事務はかなり迅速にかつ慎重に進められていると感じています。前述のセクシャルハラスメント事件の場合は、先ず町の事実否定から始まったのですから、事情聴取にたどり着くまでが大変でした。私は当時町長選挙に破れ、介護ヘルパーとして働いていた一住民でした。被害者と共に行政と対峙しましたが、まあ“鼻であしらわれ”てきたのが実態でした(だからこそ訴訟に到ったのですが)。

 当時と比べ私の立つ位置は違いますが、それを割り引いても行政の意識は随分変わったと感じています。社会的な意識向上を踏まえてハラスメント事象に対する感度が高まっていること、特に若手管理職の意識が育ってきたように思います(ただし今のところはですが)。どうかこの期待を裏切らないで、透明・公正・慎重かつ迅速な解決への道を歩んで欲しいと願っています。

 ところで私が告発者の△△さんと始めて面談をした時に、開口一番訊いたのは「なぜ議会内で大きな勢力でもない私に相談したのですか?」ということです。即座に返事が返ってきました。「南部さんはセクシャルハラスメント事件に係られて、信頼できると思いました」。私はその言葉をありがたいと思いました。何よりのお褒めを頂いたと思いました。そして△△さんの言葉は、セクシャルハラスメントの告発者であったHさんにこそささげる賛辞であると実感しました。

 ひとつの“勇気”が数年を経て、今また新たな“勇気”を生み出したことに、私は泣きそうになるくらい感動しました。“勇気”の連鎖を実感できたのです。「間違いのない方向を歩んできた」と心の底から、新たな力が湧きあがりました。いつの日かどこかに△△さんの“勇気”も、きっと連鎖していくに違いありません。

 さて長い日記でしたので、気分転換をどうぞ!最後にタイランド旅行の写真を紹介させてください。6日間はおいしい食事を楽しみ、ショッピングをし、ブラブラ・ダラダラのバンコク市内から、今回はタイ北部で3日間を過ごしました。国境の町メーサイからビルマ(ミャンマー)へ数時間の“入国“、チェンセーンではタイ・ビルマ・ラオスの国境が接するかつての麻薬取引地帯“ゴールデン・トライアングル”を眺望しました。3国の国境であるメコン川をボートですっ飛ばし(壊れそうなボートなのですが、すごく爽快でした)、ラオスにも一応上陸しました。一応というのは、観光客用に限られた地域の開放がされているからです(勿論お金を支払って)。

橋の上が国境、手前がミャンマー後ろがタイのゲート ゴールデントライアングル、3ヶ国が接する地点
観光客を目当てのラオスの土産物店 店のはずれで数個のサツマイモを売るラオスの母子

 


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 消防出初式、訓練の披露がなくてつまらない(2008年1月13日 日曜日)

 昨日の雨も上がり薄日が差しているのにグランド(第二中学校)の状況が悪いとかで、今年の出初式は体育館で行われました。年の初めの消防行事を私はいつも楽しみに観に来ていましたが、今日はがっかりでした。結局「日の丸」が「君が代」と共に揚がったり下がったりしたのと、仰々しく白布が掛けられた来賓席に勢ぞろいした選挙区の国会議員・府会議員・町会議員の姿を拝見していたに過ぎない式典でした。おまけに豚汁もなかったしなぁ〜。

 会場には例年よりは少ないながらも、年長の方や子どもたちの姿もありました。住民には椅子の用意はなかったので、お年寄りの皆さんにはお気の毒なことでした。また表彰の様子なども全然見えず、みなさん「つまらんなぁ〜」といった顔で立っていました。天気をうらむわけにはいきませんが、体育館でも出来る訓練の一つや二つを考えられなかったのでしょうか?消火訓練は無理でも、例えばロープの結び方や救急活動等の訓練は披露できたのではないでしょうか。来年は晴れることを願っていますが、屋内出初式での訓練メニューを今から検討しておいて欲しいです。

後ろで立ち見の住民は、隊員の後姿しか分かりません。
立見席は来賓席の後がいいです
消防団7台の消防車両、ちなみに団員は129名

 


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 パワーハラスメント問題、超スピードの展開(2008年1月16日 水曜日)

 町職員間で起きていたパワーハラスメント事象については、昨年より日記に書いてきました。最近では1月10日付けの日記で、ハラスメントが発覚した○○の職場で行われたアンケート調査の終了をお知らせしました。私は日記の中で今後の推移を予測したのですが、一昨日(14日)驚きの展開がありました。アンケート調査の集計及び解析は1月9日に着手しましたが、そのわずか5日後にパワーハラスメントを行っていた職員が配置換えになりました。しかも“現場”から“事務職”への移動です(正式な辞令は本日16日と聞いています)。

 驚きました。私は12月議会で部局の名称を明らかにして、パワーハラスメントに関する一般質問を行いました。町長に調査の約束をさせましたが、こんなに早く当該職員を今までの勤務から外すとは思いもよりませんでした。速やかなる対応を評価すべきとは思いますが、迅速すぎて喜び半分疑い半分といったところです。まあ仕事の内容は今までと違えど、同じ○○にいるのですからハラスメントの被害者たちも完全に警戒を解いてはいませんが、これで直接的なハラスメントは出来なくなりました。上司に訴えても効果がなく数年に渡り苦しんできた被害者たちですが、今は安堵よりも驚きの方が先に立っています。

 当該職員の配置変えについては、他の職員たちへ上司より説明があったようです。説明の中ではっきりと述べられていたのが「アンケート調査の結果を踏まえると、このまま従前の仕事に付かせることは出来ないと判断した」といった意味合いの言葉です。アンケートに書かれた真実を訴える意見の数々が、事態を大きく動かしたのです。上司はさらに「今後の処分の内容も含めて随時、事態の状況を知らせていく」と続けています。これは今般のハラスメント事象に係る説明責任を果たすことを約束したと捉えると、すごいことなのです。

 都合の悪いことはひたすら隠すような体質が、ほんの少しなのか劇的なのかは私にも図りかねるところはありますが、職場の中からも開かれた町政へ一歩近づいていっていることは確かではないでしょうか。それもこれも全てはパワーハラスメントを許さないと告発をした、またそれを支えた職員たちの精神の高さがもたらした結果です。私も係りを持たせてもらった議員として、これからも注視を怠ることなくハラスメントを許さない決意でいます。

 「本日16日と明日の17日は、総務文教常任委員会の調査研修で広島県の熊野町と呉市を訪れます。翌日18日は都市計画審議会、19日はいよいよ映画会(夜は住民福祉審議会の傍聴も)開催で、今週はキツ〜イです。日記がまたまたまばらになりそうで、申し訳ないことです。」

 桜井西側のどんど焼き。私はヘルパー仲間の新年会へ出席で、写真は夫が撮りました

 
後方左が新駅
どんどの埋火で餅を焼く

 


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 行革“優等生?”の熊野町に委員会視察(2008年1月16日 水曜日)

 総務文教常任委員会の視察第一日目は広島県の熊野町を訪れました。熊野町は呉市と東広島市と広島市に囲まれた盆地状の町です。人口は島本町より約1500人少なく、反対に町域の面積は倍あります。高齢化率は20パーセントを超えています。町の基幹産業は全国シェア80%を超える筆の生産です。年商100億円を稼ぐ“筆の都”を町は積極的にPRしています。

 私たちも役場での研修の後は、逃れようもなく(?)公用車のバスで総工費20億円の立派な「筆の里工房」に送り込まれました。こんな機会でもないと見学は出来ないと思いますし、匠の技を披露する筆の製作実演は興味深いものでしたが、視察とセットで組み込む熊野町の商魂はなかなかのものです(これぞ!花も実もあるタウンセールスですね)。できるだけお土産を買わない主義の私でさえ、世界中のコスメチック界でも評判の化粧筆をと、やっぱりお財布を開けてしまいました。身分不相応の4000円の筆を買いました、というより買わなきゃ悪いかなと思ってしまったのです(だって役場の職員さんがショーケースを遠巻きにしてこちらを見ているようでしたから・・・)。

「筆の里工房」で筆作りを見学
 

 さて調査研修の報告は後日委員長に提出を義務付けられていますので、日記では前述のような“こぼれ話”を書きましたが、やっぱり少しは熊野町の行財政改革の話をしておきましょう。熊野町行政は先の“商魂”にもみられるように、かなりの根性(!?)で行革を推進しています。当町同様熊野町も合併をしない決断をした町ですが、もともと近隣市町との広域処理業務(し尿処理場・清掃工場・消防業務等)が進んでいました。消防の業務を広島市に委託しているのには興味を惹かれました。

 既設の広域化に加えて国が示す「地方公共団体における行政改革の推進のための新たな指針」(集中改革プラン)に則り、指定管理者制度の導入を積極的に図った民間委託を進めています。保育所(新設)をはじめ既に5施設に当制度を導入し、環境センターや郷土館を含む5施設が20年度導入を予定しています。ちなみに島本町では指定管理者制度の導入施設はやまぶき園のみとなっています。

 さらに熊野町では職員の厳しい定員管理が行われています。国の集中改革プランが示す総定員の4.6%の純減(5ヵ年で)を大きく上回る8.8%を目標としています。現在住民1000人あたりの職員数は5.44人で、類似団体平均の7.03人を大きく下回っています(島本町では8.75人)。この数値を言い換えれば熊野町職員一人当たりの住民数は160人で、島本町職員は114人だということです。数字上の比較だけで熊野町の方がベターだとは言い切れませんが、まだまだ我が町の努力は必要だということでしょうか。

 私は職員削減による住民サービスの低下や職員の多忙によるモチベーションの低下を問いましたが、「縦割りを見直し横断的なグループ編成で住民サービスにあたる体制をとっている」との答えがありました。「窓口サービスの住民満足度を高める「統合窓口」の設置や、職員が交代で受付・案内を務める、また課ごとに広報広聴担当者を配置し、庁内の広報広聴会議で住民のための開かれた町政の推進をチェックしている」と説明がありました。

 最後にやっぱりお金の話をしておかなくてはなりません。H17年度決算における熊野町の財政規模は歳入約67億円、歳出が64億円(島本町はそれぞれ89億と88億円)、税収は40億円で内普通交付税が14億円、経常収支比率は91.2%(当町は95.8%・・・ただし次の年の18年度決算では104.8%に悪化、以降も106から110%を推移します)、また熊野町の住民一人当たりの借金額(地方債の額)は約25万円(当町は49万円)、借金に比して貯金(基金積立金)の額は約28億円(当町は38億円)です。

 熊野町の第3次行政改革の成果はH15年度から19年度(見込み)分が出されています。5ヵ年で12億1900万円の経費節減がありました。H21年度までの集中改革プラン分を組み入れると、7ヵ年での財政効果額は25億258万円としています。

 熊野町の総務部長(なかなか優秀そう)は「島本町に比べ大規模な法人がないので」と嘆いていましたが、当町の財政状況より数字上は“健全”と見受けられました。広域行政化と消防行政の委託、指定管理者制度の導入、幼稚園はすべて私学といった点で当町とは経常経費の支出額が大いに違ってきますし、自治体それぞれのあるべき理想像も異なりますが、当町として参考にすべき課題を得た調査研修であったと思います。また副町長が挨拶に出席し副議長は最後まで付き添い、帰路は呉市までバス運行をしてくれる等、多方面に渡り丁寧な応対をしていただいたと感じました。

熊野町の行革について研修 建設費20億円!庁舎内の美しい議場
 

 呉市駅前の阪急ホテルが宿泊地でしたが、ビジネスホテルの域を超えたゆったりスペースでよかったです。ただし夕食をとったところは全くよろしくありませんでした。遠い・きれいでない・おいしくないで、心中はトホホ状態でした。旅行会社任せにするとたまにこんな状況になります(思い返せば前年の金沢市も同様でしたが)。夕食後はタクシーを呼んでもらって、ひとり真っ直ぐホテルに帰り明日の視察に備えました。

 


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 呉市の小中一貫教育について調査研修(2008年1月17日 木曜日)

 総務文教常任委員会の視察2日目は呉市です。昨夜はベッドサイドの目覚まし時計を5時46分にセットして眠りました。暗闇の中でベルの音と共に目覚めた私は、13年前の阪神淡路大震災を忘れてはいけないと、夜明け前の呉の街を見下ろしながら神戸の方向に向かって暫し黙祷しました。

 呉市議会に着いて驚いたのは、10人くらいの議会事務局職員が全員起立して笑顔で迎えてくれたことです(起立は私たちが退出する際にも行われました)。とても感じがよかったです。職員たちのマナーに比して呉市の議長は大変ザックバランな方で、入室後直ぐに市の地図を使って話し始めました。ご挨拶をしょうと待ち構えていた、わが議会の藤原委員長は、アリャリャ!出鼻をくじかれちゃいました。

呉市議長の迫力に驚いた!

 議長は市の地図を用いてとうとうと説明されましたが、私は最後にとても大きな違和感を覚えました。呉市が軍港として重要な地であったことは、戦艦大和を造り出す技術を有していたことからも分かります。その優秀な工業技術が今に引き継がれて、造船や化学(科学)産業として呉市の基幹産業になっていることを自治体・議会として誇りにされる気持ちは分かります。

 しかし私は先の大戦の反省なしに、軍需産業が戦後の重工業に移行したことを手放しに評価する気持ちは湧きません。別に呉市議会議長が文言として、私が危惧しているようなことを真正面から口に出されたわけではありません。多分、呉市を非常に愛しておられるが故の言葉だったのではないかと思いますが、お隣広島市の平和問題への取り組みに対して語気荒く否定されたことに対し、私は驚きと共に違和感を覚えてしまったのです。

 さて呉市の小中一貫教育については、教育改革推進室の職員と教育アドバイザー(元校長)の職員2名が説明に当たりました。自信に満ち的確な説明を行った推進室の職員はとても有能だと感じました。私は島本町の教育委員方(勿論教育委員会の職員も同行)が、今回と同様の研修内容で一昨年呉市の視察を行った資料を情報公開で得ていましたが、それほど飛びっきりの成果を報告書から読み取ったという印象は記憶にありません。

 呉市の小中一貫教育は文科省の研究開発校の指名を受け始まりましたが、既に8年の研究期間があります。その成果は昨年4月、「小中一貫教育校」が1校(2つの小学校と1つの中学校が統合され、1つの学園になりました)誕生し、一貫教育校は今後4つの中学校区で生まれる予定です。一貫校のほかの小中学校はすべて「小中一貫教育実践校」となります。一貫校と実践校の違いは簡単に言うと、一貫校は同じ敷地内や隣接する小・中学校が一つの学校として経営され(校長先生は一人)、子どもたちは1年生から9年生となり共に学校生活を送ります。実践校は小・中学校が地理的に離れていて、それぞれ別の学校として経営されます。勿論校長先生は各校に一人ずついます。小学校と中学校は計画的に交流を行い、教職員は各校に出向き授業の研修を行います。

 実践校は現在島本町の一中校区(一中・一小・四小)で行われている「小中連携教育」と似かよっていますが、実践校の方も教育課程においては9年間の一貫したカリキュラムを組むところが当町と違います。9年間は「4(前期)・3(中期)・2(後期)」に分けられます。9年生を小学校1〜4年生が「前期」、5年生から7年生を「中期」、8・9年生を「後期」と位置付けます。ただし実践校は1〜6年生を小学校、7〜9年生を中学校の在籍としています。

 なんかえらいややこしい仕組みだと思われますが、呉市において小中一貫教育はイジメや問題行動の減少、また学習意欲の向上、更には教員の指導力向上並びに児童生徒を理解する力が高まったと、良いこと尽くめの報告が出ています。「さて島本町ではどうする?」と12月議会でもある議員から小中一貫教育に関する一般質問がありました。答弁は「現在行われている連携の取り組みを、第二中校区にも広げていく」であったように思います。私は今のところはそれで十分だと思います。

 研修終了後は「呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)」に市のバスで送り込まれ(?)ました。言うまでもなく戦艦大和(10分の1の模型ですが、非常にでかい!)を始め、人間魚雷、ゼロ戦闘機等々戦争に係る展示品のオンパレードです。勿論戦時下の庶民の暮らしや子どもたちの様子、戦歌に背を向け童謡の詩作を続けていた教師等の姿も垣間見える展示ですが、やっぱり私には居心地よくない場所でした。

軍港呉を彷彿させるモニュメントが目立ちます
ミュージアム内のお土産店。
全てこのような包紙で、なんだか胸が痛いです

  


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 おかしいやん!住民の意見と異なる都計審の結論(2008年1月18日 金曜日)

 都市計画審議会(以下都計審と言います)が開かれました。十数名の委員のうち議会からは杉本・菅・河野議員と私が出席しました。千頭議員は欠席です。本日の議案は、「府道桜井駅跡線(楠公道路)沿道の用途地域等の見直しについて」です。JR新駅開業に伴い府道の沿道(道路端から25メートルづつを拡幅)と駅前広場の区域を、従来の住居系から商業系の用途地域へ都市計画の変更を行う内容です。現在の用途地域は第一種住居地域と第一種中高層住居専用地域ですが、それらを近隣商業地域へと変更するというものです。

 変更後は建ぺい率が60から80%に、容積率は200から300%に高度利用(と言うけれど過密な開発)が可能になります。用途変更は大阪府に決定権があるのですが、当然島本町の意思が尊重されます。そのため町は昨年7月に近隣自治会へ変更案を回覧板で知らせました。しかし一方的に概要を示した回覧板の内容をどれだけの人が理解できたでしょうか。しかも概要には過去にも町内で大きな問題になった、「パチンコ店建設が可能」の内容は一切示されていませんでした。

 続いて8月にはわずか2回ですが、ケリヤホールで町内全体を対象とした住民説明会が開かれました。つまり近隣地域ごとの説明会を行政は行っていません。その後10月には大阪府の公聴会で当町住民の意見が述べられました。これらの住民意見を踏まえて本日の都計審で、島本町としての最後の意見を府に回答します。従って今日の審議は大変大事です。住民の皆さんの意見がどれだけ反映されるか、私たち委員にかかっていると言えます。従って私は事前に担当課職員から説明を受け、資料もしっかりと読み込んできたつもりです。今までの住民の方々の意見では、今般の用途地域の変更については全くと言ってよいほど「賛成」の意見はありませんでした。

 私は8月の住民説明会で出た次のような意見を上げて、行政に問い都計審の委員方にも訴えました。

用途地域を変更しなければ、当町にとってデメリットがあるのか。

今の住環境を守って欲しい。

パチンコ店・カラオケ店・ボーリング場等が可能になるが、規制してほしい。

地区計画を変更と同時に行うべきである。

駅西側(桜井の田畑)の環境保全をどうするのか、併せて考えるべきである。

駅の開業後、交通の状況等を見てから変更を行ってはどうか。

 更には府公聴会での住民意見も、「わずか2回の説明会では住民への説明責任を果たしていない。新駅を核とした街づくりの方針を具体化した上で見直しをすべき。地区計画を策定し良好な住環境を守るべし」と反対の意思が公述されています。これらの意見からも明らかなように住民、特に近隣住民は用途地域変更を歓迎していません。百歩譲って変更の意思があったとしても、「今、急ぐことはない」と言っているのです。

 「地区計画を定めることで住民の意見が反映できるなら、そのことについて検討してみよう、それまで待ってください」というのがそんなにダメなことなのでしょうか。町自らも説明会において、次のように述べているのです。「もっと(住民の)多くの声をいただければ町としても再検討が必要なので、時期を変更することは可能です」。つまり「用途地域の変更を延ばしてもよい」と言っているにも拘らず、地区計画の検討も行わず今回の変更を強引に進める町の姿勢が理解できません。

 もしかして私たちには判からないだけで、既に近隣商業地域としての開発を事業者等から迫られているのかという想像も働きます。(「そんなことはない」と担当職員は答えましたが)。またいつもは強力な“パンチ”質問を繰り出すK議員が今日は早々と矛を収めてしまったため、私は孤軍奮闘!他の委員方に対し必死で訴えました。しかし結局は「地区計画の将来検討」と「駅前に交番の設置」を付帯意見とすることで、案件は通ってしまいました。しかも付帯文章は会長に一任されたため、どのように書かれるのかも後日しか確認できないことになりました。

 私は不思議でなりません。すでに近隣商業地域とされている阪急水無瀬駅周辺の商業振興状況を、町はどのように捉えているのでしょうか。島本センター内やモール街の空き店舗について手をこまねいているだけではないですか。加速度的に進行している“シャッター街”を商業者の意欲低下や消費者の購買嗜好のせいにして、「仕方がない」と行政は見て見ぬ振りではないですか。消費者動向の調査や商業振興のあり方について真剣に取り組んでいるにも拘らず、なおかつ現況を呈していると言うのですか。そうではないのに、今また新たに近隣商業地域を拡大し空洞化を招くことが、島本町の在るべき街の姿とは私にはとても思えません。

姿を現したJR新駅駅舎
拡幅工事が進む府道桜井駅跡線
(新駅から水無瀬駅方面を望む)

  


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 盛況でした、映画「終りよければすべてよし」(2008年1月19日 土曜日)

 いよいよ映画会の日がやってきました。とびっきり寒くもなく、お天気もまずまずでホッと一安心です。私が東京の岩波ホールへこの映画を観に行ったのは昨年の7月6日でした。「ぜひ島本での上映会を」と決心し「映画を観る会」を立ち上げてからは、「会」代表の倉田嘉子さんの人望と人脈と、華奢な体をいとわないフットワークによりたくさんの人びとが協力を申し出てくださいました。

スタッフ持参のお花が映画会のポスターによく似合っています
 

 裏方に徹してきた私でしたが、皆さんに支えられてアッという間の約半年間が過ぎました。この間、事前学習会を2回開きましたが、共に多数の参加者があり感動を共有した講演会でした。第一回目は倉田代表が「私の介護体験〜認知症の母と暮らした日々」と題し、20年間に渡るお母さん(既に見送られて5年が過ぎましたが)の介護を詳細な記録を資料に作成し話してくれました。

 第二回目は新阿武山病院元副院長・現在同病院「物忘れ外来」担当医師の柳川敏夫先生に講演いただきました。柳川先生もまた一昨年お父さんを看取られましたが、医師として家族として成し得た体験を「安心して最後を迎えるために〜在宅医療、看護、あきらめない認知症介護を」と題して話してくださいました。柳川先生の「その人が生きて来た物語を最期まで完成させてあげる、そのような看取りをしてください」との言葉に、皆さんの目から涙が溢れました。

 さて開演時間の午後一時を迎えました。お客さんはケリヤホールをほぼ埋めています。私は大きく安堵の息をつきました。受け付けと場内担当は人手が必要なため、人員の確保ができるかしらと心配でしたが、スタッフの友達が友達を呼び大丈夫!クリヤーできました。さらには上映時間が長いのと年長の方が多いと予想されたので、手引きやトイレの介助に専門のボランティアさんが複数協力してくださいました。

ケリヤホールはお客様で満席に

 座席には柳川先生のお顔も見えます。介助犬を連れた視覚障がいをもつ方も来てくれました。なんと遠方の阪南市や西宮市からも見えています。ありがたいことです。司会のTさんは柔らかい落ち着いた口調で完璧でした。倉田代表には、駆けつけた友人から花束贈呈のうれしい飛び入りもあり、柳川先生も一言メッセージをくださいました。舞台の機器操作担当のSさんが照明を落として、映画が始まりました。

代表の倉田さん(左の女性)に
花束のプレゼント
事前学習会講師の柳川先生がメッセージを

 映画「終りよければすべてよし」の監督はドキュメンタリー作品の巨匠 羽田澄子(はねだすみこ)さんです。羽田監督は「薄墨の桜」「早池峰の賦」等の名作以降も、「痴呆性老人の世界」「安心して老いるために」「住民が選択した町の福祉」「続・住民が選択した街の福祉〜問題はこれからです」等の特に高齢者福祉のあり方を問う映画を次々と作り続けています。私たちは2001年2月に「〜問題はこれからです」の上映会を行っています。

 羽田さんは現在80歳を超える高齢ですが、オーストラリア・スウェーデンの取材を始め、全く年齢を感じさせない制作意欲で映画「終りよければすべてよし」を完成させています。羽田さんが映画に託したメッセージの一部を映画のパンフレット等より抜粋してお届けします。

「今日本の社会で問題になってきていることの一つに、老後の最終段階となる終末期のケアの問題があります。すべての人にとって絶対に避けられないのが死です。しかし自分がどんな死を迎えるかは誰にも分かりません。理想的な死とは、自宅で親しい人に見守られ、安らかな最後を迎えることではないでしょうか。今日本では病院での死が80パーセントを超え、自宅での死は13パーセントに過ぎない状況です。ちなみにわずか50年前にはこの割合は逆転していたといわれています。2006年4月、在宅療養支援診療所制度が設けられましたが、現在この制度は普及率が低く、医療費等においても様々な問題点があります。この映画は医療サイドから捉えた作品ですが、在宅医療を支えるには、看護・介護の力の大きさです。これは生活し生きることを支える力です。ターミナルケアはこれらの力がなくては成り立ちません。患者の治療や緩和ケアは医師と看護師が訪問看護を行い、患者の生活のベースはヘルパーが支えるシステムを作らなければ「在宅での安らかな死」は難しいと痛感しています。」と羽田さんは述べています。

 また羽田さんは「政治の力は勿論、安心して老い安らかに終わるためのシステムを求める住民の力が何よりも必要だ」と、映画を通して私たちにメッセージを送っています。

 映画会には20歳代から90歳を超える人たちがこられました。映画終了後の感想文も約半数にあたる人たちが書かれていました。その中から少しご紹介したいと思います。

「自分自身の人生の終末を考える年齢になったから参加しました。映画のような医療・看護のケアが受けられたらよいと思います」

「親を介護しています。現在日本で行っている終末医療が本当に良いのか、疑問に思うところがあります」

「映画に出ていた人たちは恵まれています。ひとり暮らしの私はどうしたらよいのでしょうか」

「これまでの福祉とは、障害があるとか機能が劣った時の利用だと思われてきました。誰でも望むときがくれば利用できるような施設があればよいと思います」

「自分は元気で、意識しない問題でしたが、これから関心を持つことが出来たよい機会でした。日本社会では在宅看護はしんどいと思います。しっかりした施設が必要であると思います」

「良い映画でしたが、日本では住んでいるところで差が出てくるように思います」

「介護の現場にいて納得いく制度がないと常々思っていました。今の私の立場でどういう働きかけをしたらよいのか参考にするため映画を観に来ました。医療現場における医師の考え方の切り替えを、今後期待しています」

「日本の医療・福祉政策の貧しさを痛感しますが、その中でも在宅医療に取り組む医師たちがいることは希望が見えます」

「この映画を観て、最後まで自分らしく生きて死にたいと思いました。福祉施策はやはり働きかけも大きな力になると感じました」

「私の父も脳梗塞があるので、私が面倒を見ることになると思います。最後は食事も出来なくなるのだろうと思いながら映画を観ていました。家庭の事情で大変なこともあるでしょうが、悔いなくその日を迎えられたら、なんて思いました」

 終りよければすべてよし・・・人は皆精一杯生きた証として良き終末を迎えたいと思っています。一方日本の高齢化率は急速に上昇しており、2025年には30パーセントになると予測されています。終末期の医療は、まさに社会全体の緊急課題であるといえます。映画会を機にひとりでも多くの人びとが繋がりをつむいでいけたらいいなと思いました。

 正直言って議会の公務が詰まっていたりすると、講演会・映画会の準備はしんどいものでした。また多数の人の係りを調整するのも大変な面がありました。振り返れば準備不足で、まだまだ行き届かない点もたくさんありましたが、まあ事故なく無事終了しました。何よりもお客さんが一杯来てくださいました。今後この糧を生かしていかなくてはなりませんが、とにもかくにも今はホ〜ッと一息ついています。皆さんお疲れ様でした。そして本当にありがとうございました。

 


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 防災とボランティア訓練(2008年1月20日 日曜日)

 「1月17日の阪神淡路大震災を忘れない」と、毎年「防災とボランティア週間」(1月15日〜21日)に開かれている「防災とボランティア訓練」が第二小学校で行われました。私は少し遅れてしまったので体育館で始まっている開会式の冒頭に、震災の犠牲者を悼む黙祷が行われたかどうかが分かりませんでした。後で自治・防災課の職員に聞いてみると「やっていません」ということでした。また17日当日も庁舎内で、大震災の記憶を呼び起こすような庁内アナウンスなどは流していないと総務課長は答えました。

 私は残念に思いました。「皆当然分かっているよ」と言うのでしょうが、「忘れない」ためのきめ細かい働きかけは年を経るごとに必要ではないでしょうか?来年のメモリアルデー(17日は「防災とボランティアの日」)には役場での放送を、「防災とボランティア訓練」の開会にあたっては黙祷を是非行って欲しいと思います。

車椅子の年長者も参加 煙ハウスで体験に行列

 参加者はスタンプラリー形式で様々な体験が出来るよう工夫されていましたが、まあ言ってみれば“訓練”以前のミニ疑似体験です。でも体験しないよりは、したほうが良いに決まっています。家族で参加している方々は訓練の後きっと親子で地震の話をするでしょうし、自主防災組織の皆さんは地域にボランティアの精神を引き継いでいかれるでしょうし、炊き出し隊の皆さんは豚汁(具たくさんで本当においしかった!)作りのノウハウを極められたようですし、役場の職員にとっても日ごろのデスクワークとは異なる役割を果たす良い機会となったと思います。また消防職員は先頭に立って、その活動の一端を参加者に指導してくれていました。

消防職員のAED操作指導
炊き出しは具だくさんの豚汁とアルファ米の炊き込みご飯

 寒い中、参加された住民の方々と職員のみなさん「お疲れ様でした」。ちょっぴり残念だったのは、防災グッズを貰う行列に並んでいたところ、私の一人手前で「ハイすみません。品切れです」となったことです。

消防車はいつでも子どもの人気の的

 


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 パワーハラスメントは当該部局の職員半数以上が見聞きしていた(2008年1月21日 月曜日)

 1月15日に開かれた庁議(町長・副町長・収入役・教育長及び各部局長が出席して開かれる会議・・・大事なことはここで報告されたり決められたりする)において、○○(部局)で起きていたパワーハラスメントに関するアンケート調査の集計完了が報告されています。○○の長は「(当該部局の)全職員のうち、半数以上がパワーハラスメントを見たり聞いたりしたという結果であった」と発言しています。多分会議の中ではもっと詳細な報告がされているはずですが、庁議の要点録にはこれだけしか書かれていませんでした。

 パワーハラスメントに係っては、職員より内部告発を受けた私が12月議会において一般質問で取り上げ、「早々に調査に着手する」と約束した町長の答弁を得ました。議会終了後一週間後にはアンケート調査が行われ、集計作業には当該部局と人事課に加え人権推進課も携わりました。人権問題を所管する課を加えたことは、今回のパワーハラスメント事象が、明らかに人権を侵す重大な内容であると町が認識したからです。このことは一連の迅速な事務執行と共に、私は一定の評価をしています。

 さて調査の結果が「半数以上の職員が知っていた」というのは、私の予想を超えるものでした。数年に渡り継続されてきたパワーハラスメントを、多数の職員が認識していたにも拘らず表面化しなかった(「出来なかった」の方が正しいでしょう)ことに、問題の根の深さを感じます。ハラスメントを受けていた被害者たちの苦しみ、またハラスメントを見聞きしながらも手を差し伸べることが出来なかった職員たちの悔しさが、改めてひしひしと胸に迫ります。

 調査結果が出た時点で、私を初め○○の職員たちの予想だにしなかった事態が発生しました。なんと!パワーハラスメントを行っていた職員から、退職届が提出されたのです。退職届は部局内での異動辞令を交付した同じ日に提出されました(届けは一時預かりとなっていましたが、数日後に受理されています)。

 「辞めて済む話なのか」と、私は怒りとむなしさで一杯です。と同時に「職を捨てなければならない」ほど自らが追い込まれるような行為を、加害の職員はなぜ続けていたのか?また今回発覚しなければ、ずっとパワーハラスメントを続けていたのか?一方ハラスメントを知りながら加害者の上司たちは、なぜ見て見ぬ振りをしていたのか?加害者本人と共にトップ職員たちの責任もまた非常に重大であることを、改めて感ぜずにはいられませんでした。

 退職届を提出した職員は、その後は全く出勤していません。有給休暇を消化して、2月末日で退職ということでしょう。当該職員の退職により、ただでさえギリギリの職員でローテーションを組んでいた職場が、益々きつい勤務体制を強いられるようになっています。本件パワーハラスメントに係るさらなる調査や全庁的な教育・研修と共に、町長は○○(部局)における職員の労働状況についても、しっかりとした対策を行わなくてはならないと痛感しています。

 加害の職員は定年退職でもなく、勧奨による退職(いわゆる肩たたき)でもなく「一身上の都合」による普通退職です。前者に比べ職を退く対価は大変低いものになり、「つまり処分いかんに係らず、社会的制裁は受けるもの」と人事課は私に説明しています。今回の事象が分限・懲戒処分においてどのような結果になるのかも、「職員分限懲戒処分審査会」が未だに開かれていない状況では解かりませんが、ここは副町長を会長とする審査会の厳しい判断が示されるべきであると思います。

 先ずは○○(部局)の長は「職員分限懲戒審査会」に対して開催を要請し、審査会は急ぎ会議を開くべきです。退職してからでは、勿論処分は下せません。グズグズしていると「辞めればええやろ」、「辞めるんやから、やったことは水に流して」的な事態を容認してしまうことになります。また管理監督者が負わなければならない責任も曖昧になってしまいます。

 勇気を振り絞って告発を行った職員を初め全職員に対して、また住民や議会に対して、理屈の通る処分を早急に下すことが今こそ求められています。あらゆるハラスメント事象を許さない強い決意は、厳しくつらい事務を粛々と進めることに裏打ちされて、初めて生きるものではないでしょうか。

 なお、この日記に書いた事柄は私が○○の長及び人事課職員にヒヤリングを行い、また情報公開請求によって得た情報を基に記している内容です。あえてこのような断り書きをしたのは、私にパワーハラスメント事象の内部告発をしてくれた職員に、更なる負担が生じることを避けなければならないからです。事象発覚後、私は私の調査で意見を述べていることを、改めて皆さんにお伝えさせていただきたいと思います。

春を待つ庭の花(今日は大寒)

 


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 パワーハラスメントの調査に回答した職員へは結果を知らせるべき(2008年1月22日 火曜日)

 昨日の日記に引き続き、○○(部局)で起きていたパワーハラスメントについてお知らせします。「しつこいなぁ〜、ほかに書くことないのん?」と言われそうですが、私にはこの問題について、できる限り明らかにしていく責務があります。それは内部告発を受けた議員として、また町の職員を雇っている住民の立場として、解決への道筋が見えるまでは疎かにできないと心に決めています。それに私以外にはほかに誰も知らせる人がいないわけですから、まあ我慢して日記をご覧ください。

 本来なら町長自らが「ごめんなさい」と共に、住民の皆さんへ報告するのが筋だと思いますが、相変わらず都合の悪いことを隠したい体質は改まりません。1月15日には、パワーハラスメントが起きた職場の職員アンケートの結果が町長決裁を得ているにもかかわらず、議会(議長)にもまだ報告はされていません(どうやら2月14日の会派合同説明会で、議員には報告するらしいですが)。それにもまして驚いたのは、しんどい思いをしてアンケートに答えた職員たちにも一切報告をしていないことです。

 私の怒りの申し入れ「少なくとも当該職場の職員たちには、直ぐにアンケート結果を配布しなさい」に対して、担当課長は「検討します」とは答えましたが、どうするのでしょうか?何で当たり前のことが出来ないのか?不思議でなりません。アンケートをとったら終わりでは困るのです。○○(部局)の職員全員がパワーハラスメントの事実を認識し、書かれた意見を我がこととし、決して人権を侵さない、また侵されもしない職員のあり方や職場環境を整えていく、その礎にすべきが今回のアンケート結果なのです。

 ところが私に情報公開されたこのアンケート結果ですが、文章での回答部分は一切公開されていません。例えば「暴力行為を受けたこと又、見たことがありますか」と設問があり、「ある・ない」に丸をつける回答があります。続いて「ある場合は、どのような状況時に受けましたか又、見ましたか具体例を記入してください」と問い、文章回答を求めています。全質問がこのように文章で回答する形式になっています。

 本来なら職員個々の“生”回答書を請求しても良いのですが(多分非公開になる恐れが大なので)、公開するになんら問題のない“加工”回答一覧にとどめたのです。“加工”というのは、全ての“生”文章回答を、職員がパソコンに打ち込んだことを指して“加工”と表現しています。ところがところがこの“加工品”すら一切公開まかりならぬというので、今スッタモンダしています。決着が付くまで暫くは掛かりそうなので、とりあえず「ある」「ない」の回答だけでもお伝えいたします。

「○○におけるパワーハラスメント事案に係る職員アンケート結果」
(ただし文章回答部分は全て非公開になっています)
質問1「あなたの年齢は」
(回答は省略します。ただ「不明」とした職員は7人です。このあたり個人を特定されないようにバリヤを張っているのは、アッパレです)
質問2「毎日の訓練の中で、いじめがあると感じたことがあるか」
「あ る」・・・22人
「な い」・・・11人
「未回答」・・・ 2人
質問3「業務上でミスをしたとき大きな声で怒鳴られたことがあるか」
「あ る」・・・25人
「な い」・・・ 9人
「未回答」・・・ 1人
質問4「威圧的でいわれのない暴言をはかれたことがあるか」
「あ る」・・・18人
「な い」・・・16人
「未回答」・・・ 2人
質問5「暴力行為を受けたこと、又見たことがあるか」
「あ る」・・・18人
「な い」・・・16人
「未回答」・・・ 1人
質問6「業者、訓練参加や立ち入り検査時に暴言によるトラブルの発生を現認したことがあるか」
「あ る」・・・18人
「な い」・・・14人
「未回答」・・・ 3人
質問7「その他、パワーハラスメントであると感じたことがあるか」
「あ る」・・・23人
「な い」・・・ 9人
「未回答」・・・ 3人
質問8「○○(ここには部局名が書かれていますので伏せました。)の体制について、今後希望することなど意見があれば記入してください」

                                                                                                                                                                                    

 以上が情報公開された内容です。「ある」「ない」の回答だけでも、ひどい状況がわかります。ここに文章記述の部分が明らかになっていれば、もっと具体的な状況がさらされるのです。もう言い訳は通用しません。町長初めトップたちは膿を出し切る覚悟で、○○の職場の再生を行わなければなりません。パワーハラスメントによる、心身の疾患の発症また自殺に至るケースも少なくありません。

 せめて所管のトップ・副町長・町長は「休まず辞めず、よく働いていてくれた。よく死なないでいてくれた。今まで声なき声を救い上げることができず、本当に申し訳なかった。これからは絶対ハラスメント事象を起こさないと誓う」とこれくらいの謝罪は、○○の全職員に直接対面して行うべきではありませんか。また被害者たちや私が、他機関やマスコミ等に走らなかった意味を重く受け止めてもらわなければなりません。

 さてこの2日間はパワーハラスメント問題に絞ってお伝えしてきましたが、1月21日には議会運営委員会への出席、国民健康保険運営協議会の傍聴を行いました。22日本日は議会だより編集委員会に出席し、公務のほかにも相変わらずバタバタと日々を過ごしています。

 「議会だより」は、2月15日に町の広報紙と一緒にお手元に届きます。議会事務局の広報担当者は、前任者同様優秀です。若くて控えめですが、多種多様な編集委員の意見をしっかり吸い上げ整理して、紙面構成に生かしてくれています。本来なら編集委員が全てを仕上げなければならないのですが、現実は事務局に“おんぶに抱っこ”の状況です。感謝、感謝の編集委員であります。

 


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 JR新駅開業へ、急ピッチで進む工事(2008年1月23日 水曜日)

 昨年12月20日に、JR新駅「島本駅」の開業日が3月15日と発表されました。多くの年月と多額の事業費を費やした新駅が、いよいよ完成間近へとピッチを上げつつあります。また駅前東広場をはじめ自転車駐車場・府道桜井駅跡線と西京高槻線・歴史文化資料館・桜井駅跡公園・駅西側アクセス道路等付随する各工事も慌しさを増してきました。

 未だに「駅が欲しい」「いや駅は要らない」との賛否両論がありますが、島本町の意思としてJR西日本の新駅設置に共同の歩みが進められてきたわけですから、これからは掛けた費用を上回る新駅効果を、どのように街づくりの中で生かしていけるのか、みんなで考えていくことが必要です。又利便性と環境保全のバランスを上手にとってメリハリをつけた開発を行うことが大事で、いつまでも住み良いわが町であって欲しいと願っています。

 さて開業日の3月15日には様々な催しが予定されています。1月15日号広報「しまもと」にもその一部が示されましたが、もう少し詳しくお伝えしましょう。開業イベントについては役場の新駅開業実行委員会で、これから商工会・町内企業・関係団体等と共に具体的な計画を練っていく予定です。内外の注目を集める「新駅開業」は島本町のPRには二度とないチャンスであり、町は集客及び経済効果をねらったイベントの成功を願っています。私たち住民も大人から子どもまで安全で楽しめる催し物や、おいしい模擬店があり、またちょっとお得な買い物も出来る、そんな開業イベントを心待ちにしています。

 イベント会場は駅東側の駅前広場、及び隣接する歴史文化資料館の前庭が予定されています。ちなみに新駅開業と同時オープンを計画されていた資料館は残念ながら間に合わず、新年度(4月以降)に入ってからになるようです。駅前広場では先ずJR西日本と島本町の式典(おなじみのテープカット等)が行われます。

 また「島本鉄道写真展」や記念切符の販売も行われます。蒸気を吐いて走り子どもたちに人気のミニSLの試乗コーナー、ブラスバンドが駅や鉄道に関する曲を演奏する「トレイン・トレイン・コンサート」のほか各団体からの出展ブースも趣向を凝らして模擬店を出します。

 「屋台ブース」は商工会が担当し、たこ焼き・焼きそば・綿菓子・オープンカフェを開きます。尺代漁業組合のアマゴの塩焼き、農業団体の地場産野菜の即売は「物産のブース」で。「島本竹工房のブース」では竹細工の体験や竹炭・竹製品の販売をします。「水のブース」は島本町の上下水道部と名水百選の水を保存する「離宮の水保存会」が、参加者に「利き水」体験をしてもらいます。

 更には「協賛企業ブース」のサントリーでは試飲や原酒・樽材グッズの販売をします。同じく「企業ブース」のJR西日本では記念切符や鉄道グッズの販売を行います。最後に忘れてはならないのが「島本町の展示ブース」です。町の観光マップや各種パンフレットを配布、パネルで町の紹介も行います。

 さて開業イベントの合間に、島本駅から実際に電車に乗ってみましょうか。島本駅には平日279本、土曜休日は267本の普通電車が停車します。島本駅から京都駅までの所要時間は16分です。料金は290円で、阪急電車の水無瀬ー烏丸の260円より30円高くなります。島本駅から大阪駅までは、高槻で快速に乗り換えると所要時間は23分です。料金は450円で、阪急電車の水無瀬?梅田の310円より140円高くなります。京都も大阪方面も乗車賃が高くなるのは残念ですが(でも聞くところによると安く上げる裏技もあるような・・・)、島本?高槻間は160円で阪急電車の180円より20円安くなります。私たちもこれからは所要時間や目的地によって、上手に乗り分ける工夫が必要です

瓦葺き替え工事中の歴史文化資料館
ゲートも完成 駐輪場
駐輪場と駅をつなぐ遊歩道を工事中の史跡桜井駅跡(公園)

  

 ここから先の文章は、形式上は1月31日に終了した住民福祉審議会の会長報告の内容となります(本当は一週間後に作成され町長に報告されました)。また議員にはやっと2月12日に知らされました。私が未だに1月の日記をアップしきれていないため、大事な出来事をお知らせするために日付を無視して挟み込みました

 

平成20年1月31日

島本町長 川口 裕 様

島本町住民福祉審議会

会 長  妹尾 節子

「就学前の子どもの教育と保育環境の整備について」の基本方針について

 平成19年4月26日付け、島民子第85号で貴職より諮問のありました標記の件について、次のとおり報告します。

 「就学前の子どもの教育と保育環境の整備について」の基本方針については、12回の審議会を開催し、審議を進めましたが、「基本方針の最終ページまで審議を尽くすことができず、意見具申はできない」といった意見や「審議未了」といった意見、「基本方針の是非を判断できうる実質的な審議は尽くした」という意見の大きく3つの意見がありました。

 この他、賛否様々な意見や継続審議を望む意見もありましたが、ひとつにまとめることができませんでした。

 なお、これまでの審議経過につきましては、要点録のとおりです。

 以上、報告いたします。

 

 


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 新駅開業イベントで、自衛隊グッズの販売もありですか?(2008年1月24日 木曜日)

 昨日の日記でJR新駅オープニングイベントの内容をお知らせしました。ただし当内容は「今後実行委員会で検討していきます」と、お断りの文言も書きました。その後(2月14日、3月議会議案の全会派説明会の場で)、最新のオープニングイベント事業の概要が町より出されました。大きくは私の日記と変わりませんし、例え変更があったとしても取り立ててお伝えしなければならない内容でもありません。また住民の皆さんには、今後の町広報紙で詳細が伝えられると思います。

 ただ私はお知らせしていませんでしたが、ちょっと目を引いた事柄は次の通りです。

開業式典の中のアトラクションで、第一幼稚園園児の合唱が入ります。
当日の式典準備は早朝の5時から始まるようです。テントなど備品はリースですが、設営(撤収も)作業は町の職員と実行委員会のメンバーで担います(お疲れさま!)。
島本ライオンズクラブから町の案内板が寄贈され、その除幕式が式典の中に組み込まれています。
「しまもと鉄道写真展」は駅の自由通路で展示されますが、現在60点ほどの応募があるようです。
ミニSLは歴史文化資料館前広場で走りますが、忠岡町商工会が依頼を引き受けてくださったようです。乗車は無料ですよ。
舞台ブースのステージでは和太鼓教室の皆さん、一・二中学校、島本高校の吹奏楽、あとハンドベル(山崎幼稚園)や軽音楽、民謡等が披露されます。
テントブースでは各種団体から17屋台の出店が予定されています。「おいしそう!」な模擬店がズラリと、楽しみです。3月15日あたりはまだまだ寒いですから、温かいコーヒー・ラーメン・焼き芋・あまごの塩焼き・甘酒・豚汁等々は、きっと喜ばれると思います。地場産野菜・しいたけ・筍の瓶詰め・竹細工品やお団子・お餅・ケーキは他所からこられた参加者にも良いお土産になることでしょう(とにかくイベントには模擬店がつきもの!食べ物がないと楽しみは半減しますよね)。

 さて標題の「自衛隊グッズの販売」は、前述の7番目に属する模擬店です。私は出店を予定している団体がどのような基準で誰(どこ)が選んだのか(確か公募はなかったはず)解かりませんでしたが、グッズを販売する「自衛隊島本協力会」は他の団体と性格を異にする団体だと思いました。「協力会」の是非や自衛隊への好ましい感情・好ましくない感情は個々人の判断ですから、ここでなんら言及するものではありません。しかし「協力会」が賛意を表す「自衛隊」は、人びとの間で明らかに政治的な判断が大きく揺れる対象として存在しています。

 全会派説明会の場では「自衛隊のグッズだけ販売するのではない。たこ焼きもやる」(はぁ〜っ?たこ焼きがあるとかないとかの問題ではないんですが)とか「自衛隊は町の防災訓練にも参加している」等、複数議員から反論が出ました。オープニングイベントに係っての全権は町と実行委員会にあるわけですから、私は深追いはせず「町は次の実行委員会で本日の意見を紹介し、委員方に再考をお願いしていただきたい」とだけ述べました。

 私のほかにも2人の議員から同様の意見が出たことは、それだけ大きな問題であるということです。新駅開業の場面は、もうこの先島本町にはありません。最初で最後の大事なお祝いのオープニングイベントは、住民の皆さん全てが納得して楽しめる内容にしなくてはなりません。町はどこかに誰かに遠慮したりしないで、しっかりとした基本姿勢を見せて欲しいと願っています。

 


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 私って“KY”な農業委員かなぁ〜?(2008年1月25日 金曜日)

 暖冬転じて、今日も小雪がちらついています。昨日の朗読ボランティア活動時にも、テープ吹き込みに使用した音楽室がなかなか暖まらず困りました。寒さと緊張感とが相まって、原稿冒頭の朗読は滑らかとは言い難くテープの仕上がりが心配です。

 さて10時からの農業委員会出席のため役場へ出かけます。暫く休職していた担当職員が復帰し、委員会の開会前に挨拶がありました。当職員は農林業・商工業関係の仕事に係り、農業委員会を主担していましたから皆ホッとしました。勿論休職中は別の職員が兼務の形でサポートに入っていましたが、会議資料の準備不足や書類の記述ミス等もあったりして、私も苦言を呈したことが何度かありました。当町のように小さな自治体では平常の職員体制が崩れると大変ですが、そこは管理職が頑張ってもらわなければいたし方がないでしょう。ということで、この間大変だった課長が一番安堵したかもしれません。

 本日の委員会の議案内容は農業委員会委員選挙人名簿の承認についてです。農業委員は選挙によって選ばれるため、選挙管理委員会(選管)が選挙人名簿を管理しています(ただし私と冨永議員は議会より選出された委員です)。名簿は毎年選管に提出する前に、各地区の農業委員が選挙人及び被選挙人の資格を調査します。調査後の名簿は、農業委員会の承認を経て選管に渡ります。選管では名簿を縦覧に供し、一定期間中(今年は2月23日から3月8日までの間)誰でも見ることが出来ます。

 今日の案件は選挙人名簿の件のみですが、出席の委員全員で名簿のひとり一人をチェックするわけではないので会議は直ぐに終了しました。形式的といえば形式的な承認なのですが、事務局は本日承認を得るベき選挙人名簿本体を持参せず委員会に臨んでいました。これではあまりにも安易、私は「存在も示されないような名簿を、どうして承認できるのか。直ちに本委員会に提出しなさい」とダメ出しの発言をしました。

 事務局がすっ飛んで行って名簿を持ってきたのはいうまでもありませんが、各委員方は「また南部はめんどくさいこと言うて」と思われたか、「そら当たり前や」と思われたか・・・。さて、どちらでしょうね?私たち(議会選出の)二人を除いた委員方は全て農業従事者であり、農業委員も長年にわたって務めておられる方ばかりです。そんな中でひとり“KY(空気読めない)”の私がいるような気もしますが、まあそれもいいんじゃないでしょうか?知った振り・分かった振りをして座っているだけの委員なら、住民の皆さんから選ばれた議会選出の農業委員としては役目を果たしていることにはなりませんものね。

 私の農業委員任期はあと1年と少しです。この間に会議の案件をこなすだけの農業委員から、私自身少しでも進歩したいと願っています。隣の高槻市では農業委員会から立派な建議が提出され、市の回答も得られています。建議には到らなくても、島本町農業委員会独自の研修会が出来ればいいなぁ〜と思っています。「食の安全」や「食の教育(食育)」・「食の自給率」・「食の文化」等々「食」の根幹を成す農業を多角的に捉えるために、又農地に係る視点から見れば町の「まちづくり」にも大きく関与してくる内容が包含されていると思います(JR島本駅の開業に伴う駅西側農地の問題等が心配です)。先ずは気軽な座談風トーク会なんて、どうでしょうか?農業委員会で一度提案してみようかしら・・・。

 


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 「チャングム」から現代韓国へ繋がる女性の生き方(2008年1月26日 土曜日)

 昨日は農業委員会のあと、町の人権教養講座「“宮廷女官チャングムの誓い”に見る〜女性の生き方〜今・むかし」に参加しました。「チャングム」は2年ほど前にNHKが放映していた韓流ドラマの時代劇版でした。「冬のソナタ」のヨン様には全く興味がなかった私も、「チャングム」は毎週必ず観ていました。朝鮮国の歴史や風俗・中でも毎回物語の重要な背景である料理に対して興味がありました。勿論イ・ヨンエ扮するチャングムが、可憐で美しいだけでなく賢く強い意思を持つ女性として描かれていたことに、喜んだり悲しんだりしつつドラマにすっかりハマッテおりました。

 今回の講座は「チャングム」の監修をされた朝倉敏夫さん(国立民族博物館)が講師にこられるということで、私は楽しみに受講申し込みをしていました。しかし当日は農業委員会と重なったため随分遅刻をしての参加となりました。したがって「チャングム」関連のお話は終っていて残念!講座は現代韓国の女性の生き方に移っていました。500年前の儒教の影響は今もチャングムの生きた頃と変わらず、一般人の意識の中に残っているものがあると朝倉さんは指摘しました。

 例えば「八字」(と書いて「パルチャ」といいます)という言葉は、現代もよく使われるといいます。「運命・宿命・運勢」というような意味で、特に女性に対して使われます。「彼女のパルチャが良い、悪い」等と表現し、一人の女性がいくら個人としての意識向上や努力をしても関係なく、彼女の運命はすでに定めのあることで変えられないとする教えです。

 また「パルチャが強い」という場合は、当の女性の運命のせいで相手の運命をも変えてしまうとの意味があります。特に相手が不幸な目に会うと、それは彼女の「パルチャの力が強い」からと非難されることが今も残っているとか。女性にとっては撥ね返したい言葉、でも歴然と使われている儒教の言葉「パルチャ」が日常会話の中で使われなくなる時が来るのはいつなのか・・・。「八字が死語となった時、韓国女性の真の解放が実現されるでしょう」と朝倉さんは話されました。

 「チマ・パラグ」(「スカートが巻き起こす風とでも訳しましょうか」は現代韓国女性の現象を指している言葉で、「パルチャ」と対極にあるような意味合いがあります。教育ママの執心や財産(特に不動産)増大に奔走する女性たちのスカート(行動)が、それらの行動の是非はあったとしても「風や嵐を巻き起こして」いることを、未だ残る抑圧の中でたくましく生きる女性たちの側面として捉える人たちも少ないということです。朝倉さんはたくさんの文献を紹介されましたが、私は挙げられた書籍を一冊も読んでいないことに恥ずかしくなりました。自分の中の“近くて遠い国”を改めて実感し、大いに反省しています。

 会場の健康教育指導室は満員でした。私のように「チャングム」の名に釣られて参加した方は少ないと思いますが、人権推進課の担当職員はなかなか上手なキャッチコピーをつけたものだと感心しています。講座の主担は若い女性職員です。彼女は最後に島本町の男女共同参画推進施策の紹介を交えて挨拶を述べましたが、おざなりの閉会挨拶ではなく、かつての厚生労働大臣の発言「女性は産む機械」をしっかりと批判していました。これからも人権に対する鋭い感覚と強い意志を持ち続けて仕事をしていける職員だと、私は頼もしく思いました。

 


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 辻元さん“新春の集い”は大賑わい(2008年1月27日 日曜日)

 もうお正月気分でもありませんが、辻元清美衆議院議員の国会報告会「永田町航海記」&“新年会”に参加しました。会場は満席で盛況でした。今夜は山内徳信参議院議員・川田龍平参議院議員も出席し、国会報告や辻元さんとの対談を聴くことができました。小沢福子府議会議員や高槻市の議員に混じって、私も「島本町議」と紹介され壇上に上げられてしまいました。いつもは参加者の間に紛れて見つからないようにしていますのに・・・こういうのは苦手です。

中央「辻元さんと川田さん」

 

 挨拶された方の中には、昨年の参議院議員選挙で少しお手伝いをした服部良一さんの顔も見えました。服部さんは今、山内議員の秘書をしているそうです。「広い国会内で迷子になっています」と新米秘書ぶりを話していましたが、また頑張って選挙に出て欲しいと私は思いました。お客さんの中からはロックバンド「ソウル・フラワー・ユニオン」の中川 敬さん(島本町在住)も、辻元さんに引っ張り出されて紹介を受けていました。

私の右が「山内さん」左「服部さん」

 

 私たちのテーブルには、滋賀県内のとある町役場で収入役を最後に退職した男性が同席していました。私が議員と知って「議員の質問原稿をよく書かされましたわ」とか、いろいろと“裏話”をしてくれました。我が島本町議会でも、かつては自分が書いたはずの質問原稿の漢字が読めない議員がいたりして「?」と感じたこともありましたが、今はないでしょう・・・。

 もっとも今任期中(まもなく最後の1年を迎えようとしていますが)全く一般質問を行わない議員もいますから、あえて職員がゴーストライターになる必要性もないのかもしれません。質問作成の代行は論外ですが、話を聞きながら職員の議員を見る目は「こんなものか」と気分が滅入ったことも事実です。

 


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 新総合計画策定にこそ真の住民参画を実現してほしい(2008年1月28日 月曜日)

 昨年12月28日に第一回総合計画策定委員会(以下「策定委員会」といいます)が開かれています。策定委員会は全部局の次長と課長(所長)で構成されていますが、後日ここに2つの職員労働組合から2名の職員が加わり、総勢34名の大きな委員会となります。策定委員会には専門部会が置かれ、委員はそれぞれいずれかの部会に属します。部会は「人権・文化・教育部会」「民生部会」「都市環境部会」「行財政部会」の4部会です。

 現在の第三次総合計画は2003年3月に策定されました。目標年次は2012年(H24年)であと5年ありますが、「まもなくJR新駅が開業することで、まちづくりにも大きな影響があると考えられる」ことを理由に、「新たに第4次の計画として、10年計画を策定する」との説明を事務局長(総合政策部次長)が行っています。

 総合計画は基本構想・基本計画・実施計画で成り立っています。基本構想は概ね10年を見通した町のあり方と住民の暮らしを、あらゆる観点から検討を行い構築した内容が盛り込まれています。基本構想は島本町のバックボーンとして存在し、全ての施策のルーツは基本構想にあるといえます。従って大事な基本構想は議会で論議され、可決を得なければ策定することが出来ません。

 基本計画は基本構想に基づく諸計画を体系的に定めたものですが、議会の議決は今のところは必要ではありません(私は基本計画も議会で議決すべきだと考えていますが)。実施計画には具体の計画が、検討・実施年次を示して明らかにされています。実施計画は3年ごとに見直しを行い、修正を図ります。現在の実施計画はH18年度から20年度までの計画が示されています。

 私は総合計画の内容と現状との乖離が生じていることを否定はしませんし、例え目標年次の半分しか経過していなくても、必要に応じて見直すことがあってもいいとは思います。しかし今回は見直しではなく、新しく作り直すと言っているのです。町は「JR新駅開業」を“錦の御旗”にして新総合計画を策定しなければと言っていますが、どうも唐突な感じがしてなりません。

 もっとも昨今は、議会でも総合計画の見直しを促す質問が出ていますし(それも“声の大きそうな議員”から)、それに対する答弁も最初に書いた策定委員会の立ち上げを示す副町長発言がありますから、「唐突ではない」との反論も成り立たないことはないですが・・・。まあでも、12月議会での一般質問後わずかの日数を経て策定委員会が開かれているわけですから(これも答弁に含まれた内容でしたが)、“そういう話”が着々と進んでいるということです。

 しかし“そういう話”を役場が一部議員の求めに応じる形で、チャッチャッと進めてもらっては困るのです。町政の大動脈であり住民生活の基盤となる総合計画を作り直すというのなら、最初の一歩から住民が参画できる道が開かれていなくてはなりません。12月議会で副町長は次のような発言しています。

 「〜先ず基本構想のどこを見直すのか(ここでは第四次総合計画として新たに策定するとは言っていませんが)、見直しの処方箋を描いて(誰が描くの?)、そして庁内の職員で構成します総合計画策定委員会、ここで素案を協議し、それから学識経験者等で構成されます総合計画審議会に諮問していく〜」と答弁しているのです。副町長の答弁にも、また委員会で示された「策定スケジュール」にも「住民の参画」を示す内容は全く存在しません。

 スケジュール表では早くも3月には事務局(政策推進課)が基本構想の素案作成に着手します。翌4月には策定委員会が開かれ、以降わずか半年で総合計画審議会に諮問する日程となっています。審議会はH21年3月には答申を出します。そして4月の町長・町議選挙を経てH21年の6月議会に第四次総合計画基本構想案を議会に上げるという計画です。基本構想の下に定められる基本計画も、時間差はありますが同様に進められていきます(基本計画も審議会を経て、H21年12月の作成を目処としています)。

 あ〜ぁ、このスケジュールのどこを捜せば、H30年までの(第四次総合計画の目標年次)住民の意思が反映すると確信できるのでしょうか。おまけに今期議会選出の総合計画審議会委員(5名)を見てみれば、前述の質問議員を含めて住民参画を願う議員は果たして・・・「?」の状況といわざるを得ません。

 


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 本日の「パワーハラスメント防止研修」には多数の職員が出席(2008年1月29日 火曜日)

 私は昨年12月の初め、内部告発により○○部局の職員間でパワーハラスメントが起きていることを知りました。以降議会での質問を初め、少ししつこく頑張ってきたと思います。そのことが影響したかどうかはわかりませんが、町もパワーハラスメント問題を無視できなくなりました。そこで本日の研修が行われたと思いたいところですが、まあ研修会の企画は何ヶ月も前にあったのでしょう。しかし研修直前にパワーハラスメントの“ナマ事例”が発覚したものですから、職員は皆“我がこととして”学習し、効果はグ〜ンとアップしたに違いありません。

 研修の対象は係長級以上の管理監督職員ですが、町長・収入役・部長全員・次長90%・課長96%・係長80%の高い出席率です。まあ、さすがにこのタイミングでは、余ほどの理由がない限り欠席というわけにはいかないでしょう。しかも研修担当課は出席できない職員に、予め「不参加理由書」の提出を具体的な理由付きで提出させ、所属部長の決裁を必要としています。これは多分、今までの研修時には見られない厳しいチェックだと思います。

 特別職には受講の要請はなかったようですが、町長・収入役は自発的な参加ということです。同じ三役の副町長の不参加が気になるところですが、秘書への問い合わせでは同時刻に公務は入っていません。急な来客でもあったか・・・と、でもしておきましょうか。ちなみに私は研修の“傍聴”を願い出ていましたが、残念ながら叶いませんでした。今までも議員の研修に職員が参加することはありましたし、逆もありました(たしか情報公開制度がテーマだったような・・・)から不可能ではなかったはずですが。

 いずれにしても今回の研修は出席率87%、なおかつ(思いもかけずの事象発覚で)的を得た“ホット”な研修が行われたであろうと思います。講座後受講者が提出した「研修ふり返りシート」には、各項目について90〜80%が「よく解かった」と回答しています。ただハラスメント事案に係る「二次被害」への認識が60%台であったのは、今後の課題であると思います。

 さてこの研修に係って後日、新たな問題が発生しています。私は実効ある研修成果を確認するために研修会に係る情報公開請求をしていましたが、情報の中で全面非公開となった情報がありました。それは前述の「ふり返りシート」中の「自由筆記」に関する部分です。職員は勿論無記名で書いていますし、自筆であっても(80人の職員中)47人が提出しているわけですから、筆跡から個人の特定は不可能です。万が一内容から個人が特定されるのであれば、その部分を隠せばよいだけの話です。

 職員の自由な意見・感想を確認せずしてハラスメント事象に係る今後の方向性を定めることは無理であろうし、勤務時間帯に仕事の一環として行われた研修には住民の税金が使われているわけですし、従来研修に参加した職員の報告書には、自筆であろうとなかろうと本人の意見や感想を含めて公開されてきました。従って「自由筆記」の全面公開(百歩譲っても、一部公開)は当然です。

 さらにさらに「自由筆記」を公開しない理由が、「法人情報」だからと決定通知書には明記されています。テレビのコマーシャルではありませんが“これ間違いです!”。「自由筆記」を含む「ふり返りシート」は、確かに講座を受託したアトリエエム(株)が受講者に求めたものです。しかし後日、設問結果の集計と「自由筆記」分は町に送られてきています。当然でしょう!講座を委託したのは島本町なのですから。この時点で「自由筆記」は町が所有・保管する情報になっているのです。

 間違っている非公開理由を述べた決定通知書は、つまり誤った行政処分を行ったということです。私とのやり取りの仲で、職員は決定通知書の差し替えを提案しました。「冗談でもそんなええかげんなことを口にするのは、やめてください」と私は返しましたが、頭がクラクラするほどの驚きと怒りで一杯でした。「なんか変ですよ、島本町!」当然異議申し立てを行いますが、議会の合間を見つけて取り組むことにいたします。やれやれ、本来ならしなくてよい異議申し立てなのに・・・ほんまこんなことで仕事増やさないで欲しいです。

 


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 報酬審議会でキツ〜イ発言「今の町会議員は“安物買いの銭失い”」(2008年1月30日 水曜日)

 島本町特別職報酬等審議会が、1月24日に引き続き開かれました。3月議会に町長・副町長・収入役・教育長(教育長は特別職ではありませんが、収入役と同等の位置づけで)の給料を減額する議案が提案されます。提案前に審議会に諮り、答申を貰う必要があるため審議会が開かれました。

 町長の給料は現行80万円ですが、5%を減額して76万円にする案です。副町長は4.3%減の67万5千円(現行70万5千円)に、収入役(教育長も)は3.1%減の63万5千円(現行65万5千円)となります。いずれも減額理由は「本町の厳しい財政状況にかんがみ」と説明されています。

 財政が厳しいことは間違いありませんし、前議会では一般職員の給料削減にも係らず町長他の減額を実施しなかったわけですから、今回は当然であると思います。むしろ減額割合が低いのではないかとも思います。また地方自治法の改正により役目を終えたとされる収入役は、本来なら一般職の「会計管理者」を置くところです。しかし当町の場合は「任期半ばであるため、経過措置として在職する」とし、議会もまた「収入役の生活保障のため」とか何とか理由をつけて認めた経緯があります。

 私は収入役自らの勇退があってしかるべきであったと、今でもそう思っています。町財政の困窮云々を言うのなら、特別職だからこその決断が求められたのではと考えます。収入役は真面目で誠実な人柄だけに、役職に執着したと見られるのは悲しいことです。現に今報酬審議会では「当町と池田市のみが収入役を設置している」との指摘もありました。しかし結果的には特別職の減額は、原案通り審議会委員の認めるところとなりました。

 さて審議会への諮問には特別職のほかに、議会議員の報酬額についての諮問がありました。原案は「現行通りとする」内容です。現在議員の報酬は議長39万5千円・副議長35万円・議員33万円となっています(手取り額はここから約10万円弱を引かれた金額となります)。事務局(総務部人事課)は「過去2回の改選時において計4名の議員数削減を行った。これに伴う削減額は6年間で約9千万円になっている。また住民一人当たりに占める金額は3,114円で府内において2番目に少ない。従って現行金額は妥当である」と説明しました。

 これに対して委員方からは、標題のような厳しい発言が相次いで発せられました。

この10年間特別職は数回の引き下げを行っているにも拘らず、議員報酬は下げられていない。議員は地域の声を取りあげていない(例えば若山台のスーパーが閉店したままで、住民は困っているのに)。

議員の中でも一生懸命やっている人と、そうでない人もいる。報酬額は主婦のパート賃金と比しても、多いと感じている住民は多々いる。

議員の資質を向上すべし。

議員の資質向上のためには議員定数の削減を図り、少数精鋭でいけばよい(結果的には議員個々の報酬は増額となる)。今の状況は“安物買いの銭失い”である。

現在の報酬額は決して低額ではない。また増額しても優秀な人材が集まるとも限らない。結局は個人の志の問題だ。社会情勢や町の財政状況の変化を反映するのなら、期末手当の支給月数を減らせばよい。 

 私はこれらのご意見を身の縮む思いで、厳粛に受け止めました。ただ悔しいのは本当に聞いてほしい議員たちは、ここに来て傍聴をする気など全くないということです。答申は「原案を概ね妥当」とするが、「期末手当の支給月数への反映」を付記した内容にすることが確認されました。

 本日の本当の日付は3月1日です。春めいた日差しがまぶしいですが、私の日記は今日やっと厳寒の1月分が終わりました。2月分が丸々空白で、申しわけない限りです。3月4日からはいよいよ3月議会が始まります。またまた空白の日を重ねることになりそうですが、懲りずにお訪ねください。2月分は月末から遡って書いていこうと思っていますので、よろしくお願いいたします。

ひと足早く我が家に訪れた春(加國画伯の絵)

 


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 答申の案文もなく終ってしまった住民福祉審議会(2008年1月31日 木曜日)

 本来なら(遅ればせながらも)1月21日付の日記をお届けすべきところですが、本日開かれた住民福祉審議会の様子を、とにかく皆さんにお届けしなければと思い、前回の日記(20日)から一足飛びに31日の日付に移動します。審議会における発言を必死にメモしましたが、全てを書ききれていませんし、書いた文言も一言一句間違いがないとはいえません。しかし発言の内容が大きく変わることはないと思います。行政が作成する要点録は、本審議会の場合結構早く出来ていますので、後日正確な記録をご確認ください。

 会議は先ず資料確認から始まりました。委員へ配布されている資料から意図的(?)にはずしたと思われる傍聴者用の不備な資料に対し、私は配布を願う一声を発しました。しかし委員から「傍聴人はしゃべるな」的な意見があって、会長も取り上げてはくれませんでした。私の一声は不規則発言ではありません。会議の妨げになる発言ではなく、むしろ行政側の不手際を指摘してあげたつもりです。「同じ資料を配ってあげて」とフォローするのが委員としての当たり前の姿だと思うのですが・・・。どんな会議でも同様の指摘は受け入れられていますので、最後まで傍聴を歓迎しない委員の存在が明確になり、少々ショックでした。

 審議会は夜の6時50分から始まりました。審議会は諮問を受けた「就学前の子どもの教育と保育環境の整備について=基本方針」の審議を行っており、本日で第14回目です。昨年の11月15日に審議会に出席した町長は、「〜1月末までに答申をいただけない場合は、審議内容等も十分に踏まえ、行政の責任において適切に対応してまいる〜」と一方的に発言し、委員の撤回の申し入れにも耳を貸さずに退席してしまいました。従って今回で最終回となる可能性が大であったため、傍聴にはいつにも増して多数の人々が駆けつけました。議員も7名が来ていましたが、私は全員が傍聴し本日の異常な審議結果を各自の目でしっかりと確認すべきだと思いました。

 <第14回住民福祉審議会傍聴メモ> 

会長
答申は出さなければならない。これまでの審議内容を考え両論併記にしたい。本日はこの件について意見を頂き、まとめたい。
委員
両論併記とはどういう意味か。
会長
基本方針に対して、賛成か反対かの両方の意見を記す。
委員
まだ審議途中だ。従って賛否を示すことは出来ない。町長は「1月末までに答申をいただけない場合は、審議内容等も十分に踏まえ、行政の責任において適切に対応してまいる」と発言したが、我々はまだ質問を行っている段階で、基本方針そのものを完全に理解はしていない。この段階では「答申は出せない」という答申の形もあるが、最後まで審議すべきだ。保育所の民営化・幼稚園の幼保一元化は基本方針の一部に過ぎない。方針は就学前の子ども全体に係るものだ。従って両論併記は承知できない。
委員
肝心要の民営化も幼稚園も、一部審議に入った段階で終っている。私自身も言い残しているし、納得できる段階までいきたかった。核心に入っていないところで、「論」は示せない。合意形成は私自身できていない。
委員
答申として是非を問うのなら保育所の民営化、幼保一元化の核心に入っていないが。もっといろんな意見を検討しあう、十分話し合う場を設定することを、審議会の答申として盛り込むべきだともう一度提案したい。
委員
私自身は審議は尽くした。基本方針の最終ページまでいっていなくても、各自で調整すべきだ。1月14日に住民委員会で、堺市の認定子ども園を見てきた。委員なら自分なりに見て回って判断すべきだ。堺市は「民間委譲」と表現しているが、有無を言わさずやっていた。年長児が年少児をいたわる姿、和やかな姿を目にしてきた。委員は自分自身で勉強すべきだ。基本方針に対する是か非かの固定観念は、それぞれ変わらないと思う。従って両論併記の会長の提案を容認する。
委員
私は基本方針を是とするスタンスだ。是とする意見と非とする意見が存在するのだから、両方の意見を示すのが両論併記だ。審議未了と言う言葉が出てきているが、「審議未了」と答申するならば是とする意見も非とする意見も抹殺することになる。これは一種のファシズムだ。あまり狡猾、卑怯な意見を取るべきではない。
委員
今の発言は不適切な発言だ。審議未了に賛成だ。それが実態だからだ。保育所の民営化については言いたいことは山ほどある。民営化のデメリットも山ほどある。公立保育所のメリットも山ほどある。その点から(両論併記は・・・南部の注)アンフェアだ。また幼稚園の幼保一元化には少ししか触れていない。基本方針中の「10 子育て支援の将来像」「11 .民営化・就労支援型幼稚園実施後の職員状況」「12 基本方針の実現に向けて」は一切審議されていない。
委員
「一体審議会は何なのだ」ということを考える。各人で(結論?)が各々決まっているのなら、審議会は1回顔合わせをしたのみでよいことになる。各人がレポートを提出すれば済んだことだ。○○委員に聞くが、第二保育所を何回訪れられたのか。
委員
平日3回、防災関係で2回。第四保育所も幼稚園も訪れている。
委員
公立から民間に移管した他所の保育所の実態も調査する必要があった。まだこれからも必要だ。答申はそれからでも良いはずだ。
委員
話を聞いていても、方針は全部終っていないと思う。会長はどう思っているのか、終っていると考えているのか。
会長
本来はすべて終りたかった。時間の制約があり、消化不良は否めない。
委員
一年かかって全部終っていない。しかし1月31日までに答申を出すとしても、答申が必要、或いは不必要の我々の答えはまだ出ていない。実態を報告するということもあるのではないか。まだ答申に到るまでには到っていない。
委員
ここ3回は町立保育所の民営化に終始している。基本方針を全部終っていないことは確かだが、徹底して審議するというのならどこまでやるのか。審議の大部分も基本方針以外の資料や意見ばかりが出てきて、私には解からない。早く終ってほしいと思う。
委員
「審議会とは何ぞや」「審議委員とは何ぞや」と思う。諮問されたら、意見具申を行うのが役目。しかし審議は尽くせなかった。皆さん不満が残っている。求められている答申はすべきだが、ただし意見・条件を付ける。(1)基本方針は最後まで審議されていない、(2)時間的に制約があり、十分に意見を述べていない、(3)制約(期限のこと?)が設定されたことは、行政責任において残念(な点がある?)。これら今までの意見を十二分に反映すべきである。
委員
先にはなかなか進まないが、しかし確実に審議は進んでいっている。これは島本の民主主義だと思う。他の町では粛々と始まり粛々と終る。それに比して当町は民主的なのだ。我々の任期は3月まである。1月は3回の審議会を開催できた。2月3月とやれば完了できるはずだ。何故1月末なのか、改めて教えて欲しい。大まかな方向性、大雑把な意見で住民の皆さんは納得してくれるのか。
会長
審議は尽くせなかったが、各方面から教えを乞うた。審議は無駄ではなかったと思う。今回まで審議してきたことを要点録の中に盛り込んで、答申としたい。
委員
諮問されれば答申は当たり前だ。答申を出すとすれば「中間答申」で、「審議未了」とするならば私は了承する。
委員
11月15日町長は「答申をいただけない場合は、審議内容等も十分に踏まえ、行政の責任において適切に対応してまいる」と、そこまで述べている。途中までの審議で、我々が「是」とも「非」とも示していない中で、中身に触れるような答申を出すのなら、賛同は出来ない。「答申出来ない」という答申ならわかる。
委員
肝心要の部分を審議していない状態で、どういう意見具申が出せるのか、疑問だ。(基本方針が?)どういう根拠で「良い」のか。「悪い」のかと言えるのか。両論併記の「論」で何を言うのかがわからない。
会長
今までの審議分は要点録で拾らえる。期日を決められたことに対して、言い尽くせなった分も審議していない分もあるが、ここで審議していることのみではない(ここでの会長の発言は正確に記録できていません。多分会長は前段で出てきた自己学習の要素等も加味して、「審議会の審議のみではない」と言っているのかなぁ〜?、と長い南部の注釈です)。
委員
会長の言う通りでよい。「審議が尽くせなかった」と言うが、基本方針については賛成の意を持っている委員もいることも示して欲しい。
委員
今日は答申を出す内容を、いかにすべきかということを論議することになっている。今まで終えた分については、理事者が検討すべき点も多々ある。注釈をつければよい。14回までの結果を踏まえて、どうするのかに没頭して欲しい。
委員
本日判断を求められても、私には出来ない。基本方針は保育所・幼稚園の問題のみではない。福祉全般に係ることであり、民意に諮るべき問題だ。
委員
答申は一字一句変えられないと、答弁されてきたが承服できない表現がある。
委員
表現がどうのこうのと言うのは、今日の議題ではない。時間の無駄使いだ。
委員
理事はそのように答えていた。内容的に変えられないのなら、何のために審議するのかということを言っている。
民生部理事
基本方針については大きな方向性を示すものである。字句については多々意見も頂いている。字句の部分については個々人の思いもある。それを全て変えるとなると、大変な作業だ。そういう意味で「見直さない」と言った。大きく方針が間違っているということなら、(以下は記入漏れで、南部が想定した記述です)そういう答申が出されるだろう。
委員
本来なら「審議未了」は「廃案」になるということだ。今までこんな審議会はなかった。行政の不誠実な資料・答弁が全てを物語っている。どうしても答申をというのなら「中間答申」であり、「最終答申のために再諮問をすること」を町長に求める答申をするべきだ。
委員
皆さんの意見を尊重してやっていきたい。
委員
幼稚園の話は殆ど出ることもなくきている。基本方針の文章を読むと、すばらしいと思う方もいるかもしれない。しかし実際にやっていけるのかどうかも話は出来ていない。幼稚園については何も話し合っていないのに、結論を出すことは出来ない。
委員
「論」が出なくても、両論併記が出来るのか。本当に基本方針に沿ってやっていって大丈夫かどうかというのが、審議会の大方の意見だ。答申を出すとすれば「きわめて不十分であるため、改めて関係者を交えた検討委員会の設置を求める」という答申、これ以外の答申は認められない。伊賀市議会では「保育所のあり方検討委員会」が設置され、2010年に向けての長期に渡る検討を始めている。何故当町では検討委員会の設置を行わなかったのか。「手づくり感のある島本町をつくっていきたい」とは町長の言葉だ。民生部次長や子ども支援課係長らと共に作って生きたいと、私は心から呼びかけている。
委員
(検討委員会設置のことか?)大まかに賛成できる意見だ。答申は保護者代表が合意できる内容でなければならない。そうでなければ、審議会が行政の“隠れ蓑”ではないかという指摘と一致することになる。「凍結・差し戻し」の答申をすべきである。
委員
審議は先へ先へと行った感がある。何故基本方針に反対するのかというと、住民側から見れば町立保育所は他に取って代わることが出来ないものだ。他と比べるものではない。何故こんなに多くの住民が反対するのかというと、(町立保育所の存続は?)今後の若い世帯が移転してくることを進めることにもなるからだ。町立保育所は島本町の文化である。例えれば“尺代村の文化”といったものと同様である。町は民間保育所への補助金3千万円が財源として確保されるからというが、いずれは一般財源化される。このなくなる財源を町は民営化の第一根拠にしている。第二保育所の民営化後2、3年たって一般財源化されると、目も当てられないのではないか。
委員
「尺代村」と言われたが、委員は尺代地区の現状がどのような状況になっているかご存知なのか。人口減少で小学校に入学する子どもは今年、たった一人と聞いている。後はずっと新入生はゼロの状況が続く。保育所と尺代地区を一緒にするような発言は不穏当である。
委員
先の○○委員の意見に賛成だ。答申は臨時委員として参加している3名の意見を踏まえなければならない。簡単な形で答申を出すのは反対だ。「是」とも「非」とも態度を決められない。私は先ほどから引用している町長の発言の撤回を迫ってきたが・・・(「実現していない」と続ける発言だと思いますが?)
会長
前回の審議会が終って、私も全ての要点録や資料を読み返してみた。言い尽くせなかったことは一杯ある。当町の子どもたちをどうして行けばよいのかを審議される皆さんのエネルギーを、涙が出るほど強く感じた。言い尽くせなかったが、「私たち(審議会委員)の意見をもう一度考えて欲しい」と行政に伝えたい。
委員
審議会の続行以外あり得ない。行政側の都合により1月31日で切っている。本日が3月31日なら仕方がないと諦めることもできる。保護者説明会も打ち切られている。保護者はここでしか意見を述べられないし、他の意見も聞くことが出来ないのだ。とてもじゃないが納得できない。これでは帰ることが出来ない。
委員
民営化云々以前の問題として、手法が問題だ。対立的な構図を作り出してきたのは罪である。小さな町で住民を混乱させたり、対立させることは絶対反対だ。
委員
第二保育所を選んだと言うことは、法的に保障されている。「入所契約書」には入所日から小学校入学までとなっている。在園児がいるにも拘らず、途中から変わってよいのか。町立保育所を選んだのに民間保育所になってしまう。第四保育所も定員オーバーで移ることもできない。選択肢は全くないということだ。在園時134名が卒園するまで待つのが基本だ。このような肝心なことを話し合わずして、何の両論か。
委員
契約不履行とのことだが、やむ得ない事情で履行が出来ない場合は、その手立てを尽くせば法的にはオッケーだ。最高裁での賠償命令が出た事件も「子どもに不利益が生じたから」が理由であり、「民営化」が違法とされたわけではない。
委員
本質を理解されていない発言だ。争わざるを得ない状況を作り出したことこそが、問題なのだと言っているのだ。
委員
昨年4月に入所した保護者の意見は全く聞いていないことになる。当町にはそこまで急がなくてはならない、それ相当の理由があるのか。
委員
答申をまとめるなら、審議の中で何が明らかになったきたのかを確認しよう。一つは説明を尽くしたと言っているが、保護者は納得せず合意していない。一つは財政問題に対して、行政の示してきたことは全て覆されている。一つは「財政が大変だ」と騒ぎ立てる狼少年と一緒だ。財政困窮の論拠を示すべきで、(民営化を)前倒しで行う必要性があるのか。一つは基本方針は机上のプランだということだ。保育現場・保護者の意見、ニーズ調査もしていない。思いつきの方針ではないか。他にも一杯あるが、これらを踏まえた確認を行おう。
委員
早急に奨める理由、3月議会に挙げる理由を、本当に言ってほしい。理由がわからないまま、まとめられることに疑問を感じる。
委員
いろいろな意見が出た。「結論を出さない結論」もあるが、会長は答申を出したいと言っている。会長は「一人ひとりの意見を大切にしてほしい」とまとめてほしい。
会長
本日のご意見には、不満不振が現れている。これらを書き添えて、答申をまとめていきたい。
委員
答申をどうしてもまとめるというなら、先ほど述べたが審議会で明らかになったことに追加をしたい。一つは保育所・幼稚園共に公立でなければ出来ないこととして障害児保育や子育て支援等が出来ていること。新しい園はゼロからのスタートとなる。さらに一つは保育の質は低下しないと言うが、コスト論と矛盾はしていないか。民間と公立は明らかに違う。民間になると保育の質が低下するのは明らかである。又○○委員のまとめ方には異議がある。「審議が尽くされていない」というのが、最も皆さんが納得されるところだ。
委員
基本方針を判断するに足る審議は出来たという人もいる。「是」とすることについては私も発言し、訴えてきた。
委員
保護者への説明会を打ち切ってまで、審議会に移った。思う存分発言できないのは約束違反だ。両論併記の答申は反対だ。私たち保護者3人は、踊り子かピエロか。審議会は“隠れ蓑”だった。私たちは何のために出てきたのか。当審議会に諮られた同じ内容を何らかの形で継続する以外、私は認められない。私たちは保護者の代表、保護者の“口”だ。しかしガムテープで口はふさがれた。
委員
町長は「審議会の内容等を十分に踏まえて」と言っているが、28ページの基本方針のうち19ページまでしか進んでいない。審議は終了していないのに、どういう形でどういう内容で、「踏まえて」と言っているのか。どうして審議が尽くされていないものを、「十分」に踏まえることが出来るのか。やはりどこかで、住民に問うような場が必要だ
会長
適切に対応するとお答えしている。
委員
審議を尽くして合意を得て、答申すべきだ。
委員
継続審議と言われているが、基本方針に賛成なら協議していってもよいが、反対なら継続する必要はない。
委員
答申したら審議会は手を離れる。28ページのうち19ページまででは、これからだ。これで打ち切り、行政に任せてしまえという意見があるが、何のために我々は一年間やってきたのかと思う。会長にまとめてもらって、それを審議継続していけばよい。
会長
要点録に審議の経過は記録されている。それを一つにまとめることはできない。それら(要点録のこと?)を踏まえて、(行政が)適切に対応され、「真摯に受け止めて、対応すべき」と答申したい。
委員
先ほどから引用しているが、町長が発言した3行の文言が問題だ。基本方針の11ページに載っている肝心のところの審議がされていない(保育所運営経費のことか?)。要点録を提出しても。何を踏まえて何を十分に尽くせるのか、今後大きな問題を残すことになる。
委員
審議の継続を求める。どちらを望むか(基本方針の是非のことか?審議継続の有無のことか?わかりませんが・・・南部の注)。住民に問うて欲しい。
委員
今年の4月から実施をしないことは決まっている。まだ一年間検討する期間がある。こんな段階で、どんな形にしろ答申は「審議未了」しかない。
委員
条件をつけて答申することはどうか。大事な民営化のことは論議し尽くされていない。以前審議会で、町立の保育士から子育て支援の説明を頂いた。非常に感服した。しかし「財政」を出されると弱い。もう一度財政が、だめなのかを説明して欲しい。
委員 財政=民営化ということになるのなら、公立保育所を存続し保育料を上げるという形も考えられるのではないか。それもありとはいかないのか。

民生部理事
施政方針において方向性が定まれば、予算に反映する、しないことが明確になる。
(ここでふれあいセンター閉館の「ホタルの光」が流れました)
会長
一方の意見に偏ることはよくない。
委員
審議の責任は我々にある。多数の意見でもあり、我々保護者3人は審議を継続すべきと考えている。
委員
私としては答申は出せない。
委員
会長不信任を出されればよい。
委員
条件がある。保護者の代表が合意できる内容でまとめるということを確認すべきだ。
委員
今日は時間がない。審議会の継続を。
会長
もう後はない。
委員
期限は町長が一方的に述べていることだ。審議会が拘束されるものではない。
会長
審議がまだ残っていることを踏まえて、答申する(と言ったのかどうかは聞こえなかったが、会長の意思からするとこのように言い切って終了したのかなと思われます・・・南部の注です)

 やれやれ、メモ書きを打ち込みました。長い文章を読んでいただいて、ありがとうございました。審議会がこのような形で終了したことは、本当に異例です。会長も副会長も行政側のシナリオに乗らざるを得ないと決意したのかもわかりませんが、私は大変残念な思いでいます。お二方共に非常に優れた識見を有しておられるにも拘らず、ごくごく当たり前の意見を取り上げられなかったのは、何故なのでしょう?

 基本方針の是非を決する答申ではなく、継続審議を求める答申、或いは審議会よりもっと原点に立ち返って子どものことを考えようという「検討委員会」の設置を求める答申、これらを答申の中身にすべきだとした多数の委員の意見に、会長が耳を貸されなかったことは私も疑問に感じています。ましてや「未だ審議が尽くされていない」とは会長が繰り返し述べてこられた意見なのです。審議が尽くされていないのなら、むしろ会長自身が「皆さん審議を尽くして、住民福祉審議会の正しい姿を示しましょう」と、率先して委員方を誘導するのが当然です。

 町長が一方的に発言した1月末日までの期限に、審議会は拘束されるものではありません。審議の完了に努力はしたけれど間に合わないということもあり得ます。審議未了につき審議会の中から、継続を望む声が出てくるのは当たり前の話です。今回の答申は何も見切り発車をする必要性はなかったのですから。

 当事者である保護者代表の委員たちの意見に重きを置くことなく、来年度一年間は保育所も幼稚園も現状維持が決まっているにも拘らず、更にはたとえ保育所の民営化・就労支援型幼稚園を実施しても、当面の経済効果はむしろマイナス傾向になるにも拘らず、それでも審議会の答申を急いだのは何故なのでしょうか?

 それは3月議会において、基本方針の実施を決定付ける町長の意思を示す必要性があるからです。基本方針にもろ手を挙げ賛成し、早く民営化をと迫る議会の勢力に町長が呼応したのか、はたまた町長自らがリーダーシップを発揮しているのか、私にはよく分かりません。しかしいずれにしても大事な子どもたちと保護者たちの日々の生活と将来に視点を据えて、進めていることとは到底思われません。町長再選のために議員等のご機嫌を取るため、“子どもたちをダシにする”のなら、全く持って許せないと思います。これはひたすら私の思い過ごしであることを祈っていますが・・・。それにしても、なんとも不可解で後味の悪い審議会の終了でありました。

 


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