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ありがとう!ボチボチサロンへいらしてくださって

(2007年7月1日 日曜日)

 辻元清美衆議院議員の国会報告会「永田町航海記」が、2時からふれあいセンターで開かれました。ゲストには小沢福子大阪府議会議員と、もう直ぐ選挙が始まる参議院大阪選挙区候補の服部良一候補が予定されていましたが、服部さんはどうしても抜けられない所用のため欠席でした。島本町の皆さんにとっては初めての服部候補ですから、参加者はちょっとがっかりの様子でした。

 しかし服部さんの欠席を補っても余りある、小沢さんと辻元さんの迫力あるお話でした。今一番国民が怒っているのは、「年金問題」だと誰もが思っています。みんな我が身に係ることですから必死です。掛けていたはずの年金が抜け落ちているなんて、誰が想像したでしょうか。国が行っている事務は完璧だと思っていたからこそ、掛け落しから生じる支給減に対して自らを責めつつも、我慢と諦めを自身に言い聞かせてきたのです。

 ところが社会保険庁の事務能力のなさと怠慢と隠蔽体質と無責任による“犯罪”行為が延々と続いていたが故の“事件”でありました。調査も修復も補償も当然行われるべきことです。これは選挙があろうがなかろうが、政府としてやらなければならない当り前の仕事です。ここで見逃してはならないのが「年金問題」に全てを置き換え、むしろ騒ぎをもっと大きくしておくように仕掛けられていないかということです。

 憲法改悪から国民の目をそらせる企みに乗せられているのではないか?また憲法問題のみならず、人が生きていけないような社会の仕組を作り出す「格差問題」にも視点を据えて、参議院選挙の争点を見据えなくてはなりません。結局はいつの時代にも誰にも保障され変わらぬ平和、基本的人権をどのように守り育てていくのかが問われなければならないと、辻元さんも小沢さんも訴えていたと私は受取りました。私もまったく同感の想いでいます。

 

 永田町航海記が終わり、大急ぎで家に帰ります。6時から私の議会活動報告「ボチボチサロン」を開くためです。6月に出した「なんぶニュース」の中で参加を呼びかけたのですが、実は事前の申し込みはたったのお二人でした。これではあまりにも寂しいので、今朝はお誘いの電話やファックスを送り続けていました。そのため掃除も食べ物も何にも用意できておらず、これから1時間半でお客さんを迎える準備を完了しなくてはなりません。

 掃除機はまぁ〜るくかけて、ダスキンモップでシャッシャッと埃を払って、さすがにトイレはちょっと気を入れて・・・ヤレヤレお掃除終了。お次は軽食の準備です。はぁ〜っ、何とか間に合いました。完了です!後は参加者を待つのみ。果たしてお二人だけとの集会になるのか・・・まあエエかと腹をくくったところで、「こんばんわ」の声が続々と。結局全部で9人の集会となり、大成功!ほんまにうれしかったです。ワインや手づくりの梅酒、梅干・ラッキョウ、豚の角煮のお持たせもあって話も食欲も活況を呈しました。

 足を痛めタクシーで来てくれた人には感謝感激。今回初めて参加の方は長く障がい児教育に携わっていた立場から、貴重な現場の声を聞かせてくれました。またPTAのOBとして、学校で地域文化の花を咲かせようと活動している人の話は、楽しくて元気が出る内容でした。精神に障がいをもつ人や引きこもりの若者たちをケアしている人、障がい者ガイドヘルパーの仕事からここへ直行してくれた人、障がい者のグループホームで食事作りをしている人、みんな(安い給料や報酬で)頑張って仕事に励んでいることが判りました。年長の男性からは戦争体験の話と医療費の疑問点が出ました。そして沢山の友人を持ちイキイキ活動している人は、様々な情報を提供してくれました。

 私からは阪急水無瀬駅のエレベータ設置についての考えを訊いてみました。皆さん「必要」と答えました。しかし「町の負担額4億円は高すぎる」「もっと別の方法があるのでは」と疑問を示しました。みなさん今後の調査の必要性と阪急電鉄からの詳細な計画提示を求めていました。私も全く同感で、町や阪急電鉄に要求していくことを約束しました。2時間の予定が3時間近くまで盛り上がりました。日曜日の団欒を犠牲にして「ボチボチサロン」に集まってくださった皆さん、本当にありがとうございました。

 


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町営緑地公園住宅の集会所使用を申し込みました

(2007年7月2日 月曜日)

 午後1時からの人権啓発施策審議会を傍聴します。島本町は大阪府内でも早い時期に「男女共同参画社会をめざす計画」を策定していましたが、昨年の男女共同参画条例制定を踏まえて、「計画」の見直しに取り掛かりました。町は審議会に「見直し計画案」を諮問し答申を受けましたが、同時にその内容を住民に示しパブリックコメントを求めました。

 パブコメを出されたのは4人でした。審議会の答申内容に対して住民が指摘した事項には、殆どが「意見として受け賜る」つまり「修正はしません」との見解を町は示しました。本日の審議会では、パブコメに対する町の見解を「良し」としたわけですが、寄せられたコメントは決して無駄にはならないと思います。審議会委員の意見が少なかったのは残念でしたが、審議会と担当部局がパブコメを割合丁寧に扱い審議を進めことは評価してもいいと思います。

 傍聴後はふれあいセンターで、町営緑地公園住宅集会所の使用申し込みをしました。当集会所の利用については議会が条例改正を一度否決した経緯もあって、7月1日の利用開始が迫っても間際までゴタゴタしていました。町営住宅を担当する産業建設課と申し込み業務を担当するふれあいセンターの間で、ずいぶんすれ違いがあったようです。

 産業建設課がなんでチャッチャッと事務を進められないのか、私は不思議でなりません。最初は4月1日から利用開始の予定であったのに、町は住民への十分な周知期間を取るためと7月1日に遅らせたのです。しかし事前に広報での「お知らせ」はありませんでした。施行日当日の7月1日に至っても、広報紙には「利用できます」のみの案内しか掲載されませんでした。詳しい案内はかろうじてホームページに滑り込ませましたが、周知方法としては不完全極まりないといわざるを得ません。

 まあ私の怒りなど、♪〜右から左〜っ♪へ聞き流されてしまっているのでしょう。そこで実際に集会所と厨房を借りてみて、問題点の有無を探ることにしました。勿論当日はまちづくりの学習会を行う予定です。ふれあいセンターの受付窓口では、まだパソコンに貸し出しのプログラムが入っていないため、利用許可書の作成に長い間待たされました。

 それにしても実際の受付事務を行う臨時職員の人たちが「町営緑地公園住宅集会所を、まだ見たことがない」と不安を訴えていたのには驚きでした。業務にあたる職員には、ちゃんとした事前の現地視察と説明を行う必要があります。これは窓口の職員のせいではなくて、管理職が彼女たちの勤務時間の中でこのことを保障してあげなくてはならないのです。窓口の職員たちは住民サービスの最前線にいます。自信ある接客をしてもらわなければ、困るのは住民なのです。

 今回の産業建設課と総務課(ふれあいセンター)のギクシャクした関係や、事務の遅滞が明らかに住民サービスの低下を招いていることに、町長たちトップは果たして気づいているのでしょうか?町営緑地公園住宅集会所の利用対象拡大を、遅まきながらでも図ったことは評価したいと思っています。しかし実施に向けての事務執行においては、町長の言う「住民に顔を向けた、スピーディーな行政」は残念ながら落第です。

 住民サービスの向上と今後の活発な集会所利用を願うが故の私の苦言ですが、やっぱり♪〜右から左〜っ♪なのでしょうかしら?

 
今年も水無瀬駅前に七夕飾り・・・夏本番ですね

 


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個人情報保護運営審議会への諮問、担当職員の説明は不明瞭でした

(2007年7月3日 火曜日)

 表題の審議会傍聴のため家を出ます。メゾン水無瀬内にある町水道施設の溝田取水場前に大きなタンクローリー車等4台が止まっていました。何か事故でもあったのかと訊ねると、「取水場内の原水槽を浚渫する定期的な作業です」と言う答えが返ってきました。

 メゾンが建った頃つまり30余年前の取水場では、鉄・マンガンの含有はあるものの、まだよい水質の原水が汲み上げられていたそうです。しかし「年々水質が悪化して、浚渫量も増えている」とは、後日の上下水道部職員の話でした。

 ちなみに浚渫は本日1日で終了し、工事費は約102万円でした。特殊な作業ですから1日百万が高いのか安いのかわかりませんが、安全でおいしい水道水を供給するためには、私たちの目に見えないところでもお金が使われていることを実感しました。

 さて本題の個人情報保護運営審議会(以下「審議会」と言います)です。本日審議会に意見を求めた担当課は高齢福祉課です。大阪府が行う「高齢者の生活実態及び介護サービス等に対する意識調査」において、府は島本町に調査対象者(要介護認定者25人と未認定者25人)の抽出と提供を求めてきました。

 町が保有している町住民の個人情報(住所・氏名)から、大阪府が求める条件に合致する対象者を抽出することは、町の個人情報保護条例の「個人情報の収集」にあたります。また今回の収集は「目的外利用」に該当します。さらにはその抽出された個人情報を町以外のもの(今回は大阪府)へ提供する場合は、審議会への諮問が必要と条例は定めています。

 審議会では活発な質問が相次ぎましたが、残念ながら所管課長の答弁内容が不備であったことにより、結論は出ず次回に持ち越されました。また個人情報保護に係る窓口の人権推進課も適切なフォローができず審議が長引き、何よりも責任ある判断ができる(高齢福祉課等を統括する)民生部次長も出席せず、全てにおいて準備不足の状態が露呈した諮問でした。

 これでは審議会委員から厳しい意見が出ても当然です。今回の諮問をそのまま通してしまうと、島本町住民の住所・氏名と調査内容が一体化されて大阪府が委託する調査会社に存在することになるのです。調査会社と直接的に契約を交わさない町が大阪府を経由する形は取るものの、町住民の個人情報を実質的には調査会社に渡してしまう、これは重大な問題でありやってはいけない事務執行です。

 後日の審議会ではほぼ完全に委員の疑問に応えた回答が文書で提出され、民生部次長の出席もありました。「やればできるやん、はじめからしっかりやってや!」と私は心の中でつぶやきました。委員方の貴重な時間と1回分で済んだかもしれない委員報酬金と職員の余分の労力と、ついでに傍聴人の時間の無駄も考えてもらうと、ずいぶんな損失だと思いますが・・・どうでしょうか?

 さらにさらに当審議会における会長の発言の中で、傍聴人としては聞き逃すことができない内容もあって、今回の個人情報保護運営審議会はなんだか“後を引く”事態となっております。審議会会長及び町長に対して文書申し入れをしていますので、詳しくは回答が出てから皆さんにお知らせしたいと思います。

 


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「幼稚園はどうなるの?」就労支援型幼稚園説明会が開かれました

(2007年7月4日 水曜日)

 前回の5月2日から2ヶ月を経て、やっと開かれた4回目の説明会です。この説明会は、言うまでもなく昨年12月に町が打ち出した「就学前の子供の教育と保育環境の整備について=基本方針」のなかで、第一幼稚園を就労支援型幼稚園とし幼保一元化を図ると示されている内容に基づき行われています。

 「基本方針」そのものは現在住民福祉審議会で、審議の緒に就いたばかりです。したがって第一幼稚園の幼保一元化についてもまだまだ審議を深めなければ、軽々に意思決定ができる状態ではありません。しかし私学幼稚園の来年度入園募集が10月に始まることから、保護者の関心は町立幼稚園の行方にも大きく向けられています。

 第二保育所が町立保育所から民立民営の保育所になる(つまり町の2つの保育所が、第四保育所1つになってしまう)という保育の転換とセットで出されてきた幼稚園教育の転換は、保育所保護者等多くの関係者と同様幼稚園保護者に大きな不安を生んでいます(いずれも現在通所・通園者のみならず新しく入所・入園を予定している対象者も同様に心配しています)。

 当日の走り書きのメモを元に、質問と答えの内容を書きます(言葉の繋がりを補足するために書き加えた所もあります。いずれ町の記録が出てくると思いますが、それまでの参考とお考えください)。当日の出席者は行政側が島田総合政策部長・近藤(同部)次長・池下民生部理事・北河(同部)次長と教育委員会からは藤内教育次長・岩井次長・井上係長及び岡部園長でした。一方保護者及び一般住民は30名くらいだったと思います。藤内教育次長の挨拶、島田部長の財政に係る説明、池下理事の「基本方針」中保育所関連の説明がありました。以下質疑応答について記します。

質問
本日の説明内容は、保育所関連が殆どで幼稚園の説明が少なかった。子ども一人当たりの歳入歳出に係る金額は保育所と幼稚園では、対象児の年齢が異なるため比較にはならないのではないか。さらには保育所の0〜3歳児は加配の職員がつけられている場合もある《のでなおさら比較できないと言うことだと思いますが》。保育所が町の負担を大きくしているとの数字を示されると、保護者や保育所職員はむなしい入所をさせているということになる。
大阪府からの助成金をもっともらえるようにしてほしい。
回答
教育委員会の立場で答えたい。今回の就労支援型幼稚園は保護者が働いていても幼稚園を利用できることを打ち出したもの。朝8時から夜6時までの長時間保育と3歳児の20名保育により、これで保育所の過密がどう解消できるかはわからないが、そのような説明をしてきた。保護者の不安については次のようにとらえている。第一幼稚園の4歳児(年少組)は、就労支援対象児が位置づけられることで入園できなくなるのではないか。従来なら第一幼稚園に入園・在園できたのが、第二幼稚園に替わらなくてはならないのではないか。その場合は通園バスに乗れるのか。いままでの保護者と就労している保護者の間で、役割分担がうまくいくのか。通常保育と長時間保育の子どもの状況は違うと思うが、うまくいくのか。7月2日の町長席では以上のような意見をお聞きした。われわれは今年度実施した高槻市への見学も行った。今後検討する中で「基本方針」の変更をしなければならないところもあると考えている。
質問
この説明会は何世帯が対象か。
未就園児は説明会の対象外なのか。H20年度に入園しようとする保護者への説明は閉ざされているのか。本日の出席率についてどのように捉えているのか。最大限の努力をした周知方法なのか。
本日(水曜日)第一幼稚園の保育は11時45分までで、第二幼稚園は11時30分までである。これでは十分な説明が受けられない。土・日の説明会も視野に入れるべきと訴えてきたが、改善されていない。今回の開催も誠実な対応とはとても思えない。速やかに改善されたい。
回答
本日の時間設定については、7月2日の町長席で訴えもあった。次回からは保護者の都合に合わせる。今後とも保護者との話し合いは必要と考えている。
たっぷりした説明会の時間を、われわれも考えている。
質問
H20年に下の子どもが入園を予定している。一時預かり(ニコニコキッズ)の子どもと就労支援型の子どもは、一緒に過ごすのか、別に過ごすのか。
回答
現在預かり保育は40名前後。預かり保育終了の16時30分までは一緒に過ごす。以降就労型は18時まで保育を行う。当然教室の手当ての問題もあるが、「実施計画」の中で場所等の検討をしていく。
質問
まだ決まっていないのか。H20年4月に実施なら、10月の私学募集までに全部決まっていなければならないのではないか。
回答
保育所の方向性、財政等総合的に検討する必要がある。
質問
来年度から2年保育を考えている。どの幼稚園を選択するのか迫られている。園長に直接訊くことができて、安心させてほしい。できるだけ早く決めてほしい。どうして先に進まないのか。早く進めてほしい。
回答
町立幼稚園の申し込みは12月だ。我々としても就労支援型決定については早く決定したい。
質問
高槻市は今年4月から実施しているが、昨年3月には決定されて、9月には住民に知らされている。当町のH20年4月の実施は困難ではないか。じっくり時間をかけて、計画を作ってほしい。
財政面の表はよくわからない。普通交付税の保育所分差額を幼稚園にまわせないか《ここのところの意味は私もよくわからないので、確認しておきます》。
幼稚園には保育所から保育士が3名来ると聞いているが、幼稚園として今後も先生の採用をしていくのか。
保育所の民営化がどうなのかというところに時間をかけるべきで、この点に最大の努力をすべきである。手遅れにならないように発言をしている。
今日始めて説明会に来たが、まったく知らなかった。広報紙ではよくわからない説明が、今日はよくわかった。出席者が少なく残念である。説明会を知らない人が多いのではないか。日程を広報紙で知らせるべきである。
回答
H20年4月実施は組織の目標としているものであり、延期について考えていない。「基本方針」を実施した場合は、しない場合より実質的にはお金は数年削減にならないで高くつく。
質問
園長に尋ねる。園からの説明会は開かれるのか。
回答
園としては来年1月に入園説明会を行う。しかし「実施計画」の中身が決まらないと、今の段階で園としての説明は不可能である。
質問
私立幼稚園を考えている人も多い。10月1日の町立幼稚園受付までにはっきりさせてほしい。
回答
住民福祉審議会の答申を待つ必要がある。タイムリミットが迫っているが、今は答えられない。7月中に審議会が開かれるので、それを目指して作業しているところだ。
質問
通常保育と就労型は異質のものだ。来年入園を予定している者にとっては、はっきりした内容を示してほしい。できるだけ早く説明会の案内を広報紙に載せるべき。一番聴かなくてはならない人たちが知らないでいる。
回答
基本的に第一幼稚園の通常保育は変わらない。
質問
就労で子どもを入園させた保護者が途中で職を辞めた時、子どもはどうなるのか。
「実施計画」の周知には1年はかかるのではないか。
回答
通常保育に空きがあれば編入してもらう。その場合は預かり保育を利用することが可能である。年齢枠の融通ができる4、5歳児の混合保育も一例であり、導入も視野に入れることができる。ただ当町ではまだ手がけたことがなく、人の配置・施設の問題においても異なるところもある。審議会が「実施」の答申を出せば、早急に「実施計画」を進めなければならないと考えている。
質問
高槻市への視察の結果を知りたい
《これについては次回に記録を提出するとの発言を確認していません》

 すでに1階の教室からは、お帰りの歌が聞こえてきました。説明会は必然的に閉会となるわけですが、私は「説明会の日程を広報紙等にのせなさい」と叫びました。「検討します」との答えが返ってきたようにも思いますが、どうなのでしょうかしら?

 教室には子どもたちが作った笹飾りにお願い事の短冊がたくさん下げられていましたが。本当に子どもたちのことを第一番に考えた時、「基本計画」を拙速に進めることだけはしないでほしいと改めて思いました。少なくとも1年待って、その間にしっかりとした話し合いをすれば、入園申し込みを目の前にしてあせる気持ちの幼稚園保護者(予定している保護者も)も安心できるのではないでしょうか。

 


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2万8千円と往復1000kmの映画鑑賞

(2007年7月5日 木曜日)

 映画「終わりよければすべてよし」を観るために、東京へ出かけました。新幹線代2万6千円、東京メトロの乗車賃320円、映画代が1500円(シルバー料金の証明のためにパスポート持参)、車中夕食のアナゴ弁当代(これは当たり、おいしかった!)、新幹線でのコーヒー代2杯で600円、阪急電車賃300円、締めて28,220円をかけた高い映画鑑賞となりました。

 「わざわざ東京までしんどいな」とは思いましたが、やっぱりこの映画観たい!それに今日なら上映後の勉強会で、羽田澄子監督と映画に出てくる辻彼南雄医師との対談があるのです。上映時間は2時間余、対談1時間、東京への往復5時間の計8時間、「つまらん映画やったら怒るで」と神保町の岩波ホールへ到着しましたが驚きました。ホールに到る階段には、次の上映を待つ長蛇の列ができていましたから。

 「終わりよければすべてよし」は長編ドキュメンタリー映画です。従ってドラマチックな“見せ場”は殆どありません。淡々とした画面が続きます。胸が詰まるシーンはありますが、涙が溢れるような演出は敢えて外しているように思えます。良くも悪くもドギツイ刺激は期待できません。これが羽田監督の美学と訴えの手法でしょう。

 しかしちょっと困りました。私がこの映画をわざわざ東京まで観に行ったのは、わが町でぜひ上映会をしたいと思っているからなのです。2時間退屈せずに観ていただけるか、少々自信が揺らぎました。これからボチボチと“この指とまれ”式に上映賛同者を募るつもりですが、果たして映画会開催にこぎつけることができるか、正直今はまだ自信はありません。でもダメモトでもいいから、やってみよう!と思う気持ちはだんだん膨らんできています。

 映画の中身はまたいずれかの機会に話したいと思いますが、私たちはすべての人にとって絶対避けられない死を、「終わりよければすべてよし」と受け入れることができる理想的な最期を望んでいます。そのための在宅医療のあり方を考えていくのはとても大事なことだと思います。この映画の上映活動を通して、終末期のケアについて、みんなで考えていけたらいいなと思っています。

 
東京駅(丸の内側)
岩波ホールの映画看板

 


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“声の大きな議員”の圧力に屈してはいないか

(2007年7月6日 金曜日)

 注釈つけるまでもなく“声が大きい議員”っていうのは“地声がでかい”との意味合いではありません。ことによっては手続きや理屈抜きでやりたいようにできる、そんな力を持った議員のことをさしているといいましょうか・・・。今回の6月議会では、まさに“声が大きい議員”からのイチャモンが尾を引いて、議長も理事者たちもその威力に「はい、はい」と従っちゃった情けない事態が生じています。

 具体的に言いますと、先の6月議会の一般質問において質問を始めた○○議員が突然議長に休憩を求めました。休憩の要求は間々あることですから、議長は許可しました。一般質問の席は私の議席のすぐ横ですが、ぐっと私の方に向きを変えた○○議員は「何でそんなもんを持ってるんや」(たぶんこんな内容でしたが)と、私にえらい剣幕で怒っています。

 指差され咎められた物とは、私が手にしている○○議員の一般質問通告書です。従来から私は○○議員のみならず全質問者の通告書のコピーを用意して、一般質問を聴いています。議員は自分が行う質問だけに力を注ぐだけではダメです。他議員の発言もよく理解しておかなくてはなりません。そのための資料として他議員の通告書は欠かせません。

 私はどの議員も私と同じ準備をして全員の一般質問に臨んでいると思っていましたから、鳩が豆鉄砲を食らったみたいに事態を飲み込めずポカ〜ンとしていました。ちなみに一般質問の通告書とは、質問を行う議員が定められた期限までに議長に提出したもので、1回目の質問内容が書かれています。

 私が通告書を入手した経過を言いますと次のような流れになります。議長から町長に送られた通告書は、(臨時)庁議において理事者側の答弁担当を分担し部局間の調整を行います。ここで通告書は庁議の会議「資料」として、広く住民に対し情報提供されます。具体的には庁議終了後直ちに、役場の1階にある文化情報コーナーの「庁議ファイル」に閉じられます。

 「私は住民に開かれている庁議のファイルを見て、通告書のコピーをしているに過ぎません。誰からも何も言われる筋合いはありません。むしろ入手していないほうが、議員として怠慢ではないですか。日ごろ情報を『出せ、出せ』と言いながら自らは全く情報コーナーにも寄り付かず、努力をしていないことを棚に上げて『なんで持ってるんや!』の怒号は、ちと恥ずかしいのんとちがいますか?」まあ会議の休憩中ですから、私もこれくらいのことは言わせてもらいたいと思いましたが、なんせ思いもかけず怒鳴りつけられたため、びっくりしたのが先に立ちました。

 それに理事者も傍聴者もいるのに、議員同士議場でやりあうのはみっともないとも思いました。議事進行に関わる諸々は、議会運営委員会で問題提起を行うのがお互い議員間のルールでしょう。従って当然私は後刻の議会運営委員会で提起をしました。その場の議運では、今後検討を要する事項として持ち越されました。

 ところがところが一足飛びに「今後一般質問通告書(大綱質問も同様)は議会が終了した後でなければ、文化情報コーナーには置かない」との庁議(6月29日開催)の意思が示されました。ちょっと待って〜!この件については議会の中でまだ何にも話し合われていませんよ〜。

 聞くところによると議長と○○議員は理事者を呼んでクレームをつけたようです。○○議員や議長が理事者に対してどれほどの影響力を持っているのかはわかりませんが、議会も町行政も情報の公開度を自ら貶めることはしてはなりません。

 百歩譲って合議の上と言うなら、議会はまだ全く検討を行っていない段階です。また庁議においても問題提起はされていますが、検討の経過は全く示されずに、いきなり前述の結論内容が記されています。現に自身のメモに「検討する」と書き、「結論は出ていない」と言う庁議のメンバーもいます。

 “声が大きい議員”の言うことならこんな簡単に言うことを聞く理事者たちと、“声が大きい同僚”の言うことならしかるべき議論の場を設定することもなく、情報の公開度を閉ざしてしまう議会議員たちって何なんでしょう?結局この人たちは“声の小さい人びと”の言葉に耳を傾けることができないってことなのでしょうか!こんな状態で後半任期を過ごすのかと思うと、ほんと気が重いです。

 


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映画「硫黄島からの手紙」は満員、しかし・・・

(2007年7月7日 土曜日)

 「人権と平和の集い」映画会の参加者は、719人でした。近年にない活況を呈した催しとなりました。住民ホールを埋めつくした観客の一人として、私も大いに喜んでいました。映画はスピーカーの調子がよくなかったものの、戦争の醜さやおろかさを十二分に伝えて観ごたえがありました。

 上映後のアンケートも453件あったそうで、実に63パーセントの高い回収率です。私も勿論しっかり書きました。担当の人権推進課はアンケートの集計を終え、人権啓発推進協議会の会報に掲載する予定と言っています。皆さんが映画を通して感じられたことは、きっと多岐にわたることでしょう。住民間でその思いを共有し広げていければ、それは大変異議のあることだと思います。町のホームページに掲載してもよいのではないかしらと思いますがどうでしょうか?

 しかし映画会はよいことばかりではありませんでした。当日の大盛況は一歩間違えば、大混乱や事故にも繋がりかねない危険性をはらんでいたのです。私は定員680人(座席数)を39人もオーバーした観客数に疑問を抱きました。私の問い合わせに対し、住民ホールを所管するふれあいセンター(総務部)は「消防法に抵触するが、やってきた住民に入場を断れない。非常口に関係者が立ち、誘導等を行うことで避難の大勢を整えたので大丈夫と判断した」と答えました。

 「ああそうですか」と納得しかかったのですが、私はしつこいのです(ここが嫌われるところかも、でもここが大切)。そこで消防に問い合わせをしました。ふれあいセンターの答えはマ・チ・ガ・イでした。消防法施行令及び規則に示される「立見席の算定」基準では、階段を除くスペースの0・2平方メートルに対し1名の加算が可能となっています。従って住民ホールでは最大800人が入場可能と言うことになるらしいです。従って消防法には抵触しません。

 まあ法に触れるかもしれないと思ったから、警備を慎重にしたという副産物は悪いことではありませんが、住民ホールやケリヤホールを所管する担当としては、もう少し消防と連携して学ぶ必要があると感じました。おまけでもうひとつふれあいセンターに苦言を呈しておきます。それは住民ホールのトイレの清掃についてです。

 映画会の6日後、傍聴する会議が住民ホール内のサロンで開かれました。トイレは勿論ホール内のトイレを使用します。女子トイレの状況に限りますが、トイレットペーパー等がたくさん散らばり大変汚い状況でした。担当職員は「ホールを使用する前と後は、清掃委託業者が入って点検・清掃を行っている」と答えました。しかし「清掃を行った記録は存在しない」と言います。私は業者への確認と、今後の対応を伝えておきました。

 さて最後にお伝えしたいのは、719人の観客は所管の人権推進課にとって想定内?あるいは想定外?どちらだったのでしょうか。勿論想定外だったと思います。誰もがこんなにたくさんの住民が来場されるとは考えなかったと思います。人権推進課がふれあいセンターにホール使用の際提出した予定参加者数は、なんと!たったの「100人」だったのです。

 私は思わず絶句しました。7.19倍の観客との差をどのように捉え反省しているのかを聞いてみました。返ってきた答えは「昨年の実績が100人だったから」です。アカデミー賞を受賞し、監督はクリント・イーストウッドですよ。しかも俳優も揃っている評判の映画で新しい作品です。この映画を観客100人と想定したのなら、世間の感覚と相当ずれています。

 たぶん単純に昨年の数字を踏襲したのでしょう。なんだかとっても“お役所”的です。何事もなく無事に終了したからいいようなものの、もし事故があればこれは大きな問題となります。過去の映画でも評判の作品は結構な観客があったはずです。担当はデータを確認していなかったのでしょうか。私は「人権と平和の集い」は欠かさず参加していますから、今回の作品上映で前もっての整理券発行を行わないのは、なぜなのだろうと不思議に思っていたくらいです。

 催し物は参加者が来すぎてもハラハラドキドキ、来なくてもハラハラドキドキで主催者は大変です。その努力は分りますし「本当にご苦労様です」と伝えたいですが、今回の上映会の総括は今後に生かしてもらわなければなりません。庁議や課長会議でも明らかにして反省・検討に値するほどのことだと私は思っています。「ハハハ盛況で結構」で済む話じゃありませんよ!

 ちなみに今回の映画上映費は35万円だったそうです。観客一人487円で鑑賞できた計算になります。もしも担当者の計算どおり100人の参加者だと、一人3,500円の映画代です。費用対効果を考えても、100人の予想数はあんまりだと思わなければおかしいですよ。

 


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お粗末過ぎる事務処理で学童保育料徴収漏れ

(2007年7月8日 日曜日)

 なんでこんな信じられないようなミスが起こるのでしょうか?さらにはそのミスが1年も2年も分らなかったなんて!今回明るみに出た学童保育料の徴収漏れ(請求漏れ)事務については、どんな弁解も通用しません。教育委員会事務局次長(学校教育課長を兼務)が、事態の発覚に接し「血の気が引いた」と言うほどの重大なミスなのです。私もあきれて言葉が出ませんでした。

 5月23日に行われた2006年度下半期の定例監査において、監査委員は幼稚園及び学童保育室保育料の収入未済額の増加を指摘しました。所管の教育委員会学校教育課は調査に着手しましたが、その結果は思いもかけない深刻な事態を明らかにすることとなりました。

 まず2006年度の幼稚園保育料においては、2件の減免漏れが判りました。つまり保育料をもらい過ぎていたことが明らかになり、島本町は保護者に対する返還の責務が生じました。次に判明したのが、2006年度の学童保育料の未請求に起因する収入未済です。保育料の口座引き落としデータが打ち込まれていないことによって、通常保育料44件と延長保育料33件分の170万円が徴収漏れになっていました。

 保育料徴収の流れを簡単に言いますと、先ず保護者の前年所得額により保育料が決定します。学校教育課は保育料の決定通知書を保護者に送付する際に、口座引き落とし申請用紙を同封します。しかし今回の事態はこの口座引き落とし用紙を入れ忘れた、まことに単純なミスによって引き起こされたのです。

 通常ならここから先は、保護者から戻ってきた口座引き落とし承諾書がデータに打ち込まれ、そのデータに基づいて徴収が始まります。ところが口座引き落とし用紙を入れ忘れたことによって、保育料の徴収事務上は学童保育室に在籍しない児童が多数発生してしまいました。

 でも普通はこのようなミスにすぐに気がつくはずなのです。学童保育の全児童数は約200人余です。たった200人の中で30人も40人もの保育料が未収というのは、おかしいと誰だって気がつくはずです。おかしいと思わなかったのは毎月の保育料の徴収状況はおろか、年間を通しても全くチェックしていなかったとしか言いようがありません。しかも一担当者のミスを組織内の誰一人として気づかなかった、学校教育課のチェック機能不全が明らかになりました。問題の根の深さにため息が出てしまいます。

 監査委員の指摘により学校教育課では5年間遡り、各学童保育室に保管された児童の個表をもとに、保育日数の確認や保育料の算定チェックを行いました。その結果新たに追加徴収が生じる世帯も出てきました。また2005年度においても5件の未請求が発覚し、滞納継続分も合わせると結局270万円に上る徴収漏れが明らかになりました。

 これらの実態は7月2日と7月11日の随時監査において報告が行われます。また議会への報告・説明は7月31日の議員全員協議会で行われる予定です。

 今後の教育委員会の対応ですが、謝罪とお願いの戸別訪問を8月1日から10日間くらいの日程で行いたいとしています。訪問では徴収漏れの経緯を説明し、今後の支払い方法を相談します。保護者宛にたった1枚の口座引き落とし用紙を入れ忘れたミスが、点検や確認を行わないまま時を経て、深く大きな問題に拡大してしまいました。町内外に島本町及び教育委員会の信用を地に落としてしまった責任は、一体誰がどのようにして取るつもりなのでしょうか?

 


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教育委員会議を傍聴しながら思っていたこと

(2007年7月9日 月曜日)

 今朝は9時半から教育センターで開かれる教育委員会議を傍聴します。久しぶりにHさんSさんと私の3人が揃って傍聴しました。長い間一緒に活動してきた私たちは、その折々で立場は違っても情報を共有し、共感できる仲間として活動してきたと思っています。3人揃って(プラス仲間が増えればもっと良いのですが)議会に登場できる日への挑戦を再びと、私はずっと願っています。

 今任期の折り返し点を過ぎた今「次期選挙で一人でも多くの市民派議員を送り出す」、この夢の実現に向かって私自身がなすべきこと、また私が微力ながらサポートできることはなんだろうと思いを巡らせています。あと2年足らずの日々は、すぐに過ぎ去っていくに違いありません。私自身を省みることが先決ですが、今現職議員でないSさんの頑張りを期待し、私は祈る思いで見つめています。

 申し遅れましたが、教育委員会議の中身は特段注意を引くような内容ではありませんでした。小・中学校の教科用図書は来年度も現行の教科書を使用することが決まりました。また夏休みを控えての注意事項の報告案件がありました。本日の案件はこれら2件のみでしたが、会議開会に当たり述べられた教育委員長の挨拶が、私には印象に残りました。7日に開かれた「人権と平和の集い」で上映された「硫黄島からの手紙」の感想を、委員長は次のような言葉で締め括くくられました。「二度と戦争を起こさない決意で、これからの人生を歩んでいきたい・・・」と。私も心からの共感を覚えた良き挨拶でありました。

 


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職場のゴミ箱が溢れそうでも気にならないの?

(2007年7月10日 火曜日)

 10時からの個人情報保護運営審議会の傍聴をします。審議会の案件等については7月3日の日記に書いていますので繰り返しませんが、本日は審議を願い出ている高齢福祉課が文書での論点整理を行い、完璧準備で臨みました。従って委員方の質疑も殆どなく、スムースに終了しました。

 高齢福祉課長は前回の審議会での厳しい質問を浴びた後、直ちに大阪府へ確認に出かけています。「何で最初からできないの?」と言いたくもなりますが、今回のことをこれからの教訓にしっかり生かしてもらえれば、まあいいとしましょうか。

 午後からは6月分の文書処理簿の閲覧に取り掛かります。全部の課のファイルを見るには2,3日はかかります。閲覧後は興味や疑問を持った文書について、原課にその内容を問い合わせます。問い合わせに対する説明を聞いて、それ以上のことが知りたい場合は当該文書の情報公開請求をします。ちなみにお目当ての文書が公開されるのは15日後ですから、結構忍耐を要する作業です。毎月毎月、毎年毎年繰り返してきた作業ですが、ここから得られる情報が私の活動をサポートしてくれているのです。

 さて問い合わせに訪れた○○部では、職員の足元ではなく通路の真ん中に鎮座しているゴミ箱(それも複数)が気になりました。“箱”ではなくてゴミ“缶”ですが、相当の年季が入った汚れたゴミ缶に、これまた相当の量のゴミがテンコモリです。ゴミ箱はゴミを入れてこそ、その価値があるのですから「なんか文句ある?」と言われれば、「・・・」と答えに詰まります。

 しかし私は見苦しいと思いました。私が見ている場所には、住民の方も業者さんも立つのです。ゴミ箱は明らかにお客さんの視野に入っているのです。まあ見られていようがいまいが、ゴミ箱は山盛りになる前に空にするのが当たり前ですよね。ゴミの種類を見ると、仕事上の急なゴミが捨てられたようでもありません。お菓子の包み紙やパッケージがテンコモリの頂上に乗っかっていますもの。

 「細かいこと言うなよ」と嫌われることを承知で呟いていますが、ゴミ箱がこんな状態にある所のカウンターはというと、これまた間違いなくグチャグチャに散らかっています。「忙しくてそんなのかまってられない、仕事ができればいいんだから」と内心反発している職員もいるでしょう。でも職場(庁舎)はあなたのお部屋ではありません。住民が不快に感じるような使い方を、あなたに許しているわけでもありません。

 以前に比べれば庁舎内の整理整頓はずいぶん良くなっているのですが、今日はゴミ箱についムラムラと・・・。そしてついでと言っては何ですが,この際庁舎内の全ゴミ箱ウオッチングをしておきました。テンコモリはどこもありませんでした。しかしゴミ箱はみなくたびれた様子でした。ボコボコの缶あり、薄汚れたプラスチック製あり、ダンボール箱の代用品ありで、その慎ましさにはちょっと泣きそうになりました。

 


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議長の独断はよろしくないです

(2007年7月11日 水曜日)

 6月の中頃に「天皇陛下奉迎大阪実行委員会」という団体から、議長宛に文書が来ました。内容は「8月25日に開かれる世界陸上大阪大会開会式に出席される天皇・皇后陛下を歓迎するための、“奉迎行事”実行委員会の相談役に就任してください」というものです。

 天皇・皇后が世界的な行事の式典に参加することについては、別に異を唱えるものではありません。またお二人を歓迎したい人たちのことをとやかく言うつもりもありません。そして歓迎主催側が、広く自治体の長や議長職にある人たちに誘いをかけることも、また常套の手法だと思っています。

 しかし今回送られてきた実行委員会の結成「趣意書」には、思わずのけ反ってしまいました。趣意書は他者への賛同を得るために呼びかけて書かれますから、その文章はうそ偽りのない真実が吐露されているはずです。そうであるならば今回の趣意書は、戦前戦中にタイムスリップしたような怖さがあります。

 奉迎行事を盛大に行うことによって「万世一系の皇室の伝統と天皇陛下の御聖徳を広く府民に伝え、皇室を中心とするわが国のすばらしさを語り継ぎたいと存じます。」と述べられています。また「改めて両陛下に生かされている国民のありがたさを感じる」であるとか、奉迎行事が来年の即位20年を祝う運動の先駆けとなるよう「皇室尊崇の機運を盛り上げていきたい」とも言っています。止めは「この機会に府下の公教育でも皇室への敬愛の念を育む教育内容になるよう教育委員会や学校現場に働きかけていくことも計画しております」の一節です。

 議長は「議長宛に来た文書だ。奉迎実行委員会が求めている相談役は私が判断して承知した。何が悪いと」と言わんばかりですが、趣意書の文面を読めば、独断で返答するのは町議会の代表としてはマズイと思わなかったのでしょうか?議会の中には様々な考えがあり、当然イデオロギーの相違もあります。議長がこのことを踏まえていれば、今回の件は少なくとも会派代表者会議にはかけるべきでした。

 会派代表者会議においては、当然全会一致は無理でしょう。しかし意見を出し合って、その上での議長判断なら「しょうがない」も含めて、一定の理解は得られたはずです。百歩譲って事後承諾であれば、まだしもギリギリ許せます。私が議会の文書受発簿(文書処理簿)を閲覧していなければ、これら一連の文書も見つからないままでした。議長は面倒が生じそうと(おそらくはそんなことも思い到らなかったことでしょうが)、そそくさと4日後には奉迎実行委員会の相談役を「承知します」と回答しています。

 実は同様の文書は町長宛にも届いていました。首長の場合は「参与」の就任願いとなっていますが、少なくとも20日間以上返事を保留していました。結果的には近隣市町村の状況を見て「承諾します」と回答したのですが、検討を行っていた事実はあるので許せます。

 いずれにしても民主主義を真っ向から否定するような主張に、唯々諾々と応じるような議会人になってはいけないと、つくづく思っています。

 


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「エンジョイクラブ」って知っていますか

(2007年7月12日 木曜日)

 「エンジョイクラブ」は島本町の精神障がい者グループワーク事業の通称です。町は精神に障がいを持っている人が社会参加や仲間づくりを進めるために、当事者が集える場の提供とレクリェーションや社会見学活動等の事業を行っています。2002年12月から、毎月2回(8月は1回)第2・第4水曜日の午後に実施しています。事業は現在NPO法人フェルマータに委託しています(かつては医療法人光愛会への委託、また町直営でも実施していました)。ちなみに私はフェルマータを訪問したことがありますし、私の「日記」でも2回書いています。また友人がヘルパーとして関りを持っているなどで、これまでも少々気にかけているNPOです。

 私自身は知的障がい者との長い係りに比べ、精神に障害を持つ人との係りは直接的には殆どありません。年に1〜2回行われる町の「こころの健康講座」で,参加者の一人として皆さんにお会いする程度です。地域では特定の方から頻繁にお電話を頂くことはありますが、この方にしても一方的なアプローチを受けているのみの状況です。従って「エンジョイクラブ」の内容までは正直言ってあまり知りませんでした。

 当町で精神障がいの手帳を所持している人は91人です。一方手帳を申請していなくても、通院医療費助成を受けられる対象者は町内に260人おられます(手帳の交付者と重複しますが)。そして現在エンジョイクラブの開催案内を出しているのは21人です。以上の数字を踏まえると、クラブへの参加者が1回あたり1人から最大7人という実績は、果たして事業効果が十二分に果たせているのかどうかは問われるところです。

 今回クラブに関心を持ったのは、前年度の事業委託料が予算より減額の執行となり、精算の戻し入れが行われていることからです。もともとの委託料は48万円であり、そんなに大きな金額ではありませんが、指導委託料の約15パーセントもが不執行なのはなぜなのかしらと思いました。フェルマータからのスタッフは、ほぼ常時指導者1名とピアカウンセラー1〜2名があたっています。これらスタッフの指導料の一部不要となった原因が、クラブへの参加者が当初見込みを下回ったと言うものなら、少々困ったものだと思っています。

 とは言うものの当事者の参加は必ずしも保証されるものでもなく、デリケートな意思の揺らぎはおそらく当人にも解らない事態なのでしょう。従って本来は事業実績を問題にすべきではないかもしれません。私も本当に確認すべきは、グループワーク委託事業「エンジョイクラブ」を一つの媒体として、島本町が精神障がい者施策をどのように現状認識し、将来展望をもっているかを明らかにすべきことだと思っています。

 蛇足ですが、私はグループワーク事業に携わり情報公開請求を行った資料をもとに、役場への電話による問い合わせをしました。担当職員の誠実さは十分に感じられました。しかしごく簡単な書類の確認で回答ができる私の質問に対し、開口一番「私は出かけますので・・・。夕方6時頃まで帰ってきません」と最初にバリアを張った職員がいました。「ダメです。私は6時まで待ちません。なぜならあなたが答えなくても、誰でも答えられる内容だと思うからです。時間がないのなら誰かに振っても結構ですから、折り返し電話をください」と私は返しました。

 まあ、その後当人が答えの電話を掛けてきましたからいいようなものですが・・・何というか私が言いたいのは、このような認識が事業の全体像や詰めの甘さを招いているのではないですか?ということなのです・・・。う〜ん、皆さん!私のこの気持ちわかってくださいますか?

 


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交通バリアフリー基本構想策定委員会を傍聴しました

(2007年7月13日 金曜日)

 何日も雨が降り続き、今日は台風が近づいている予報も出ています。実際16時45分には町の災害対策本部が設置されたため、委員会に出ていた役場の部長たちは急遽対策会議の方へ行ってしまいました。当委員会に出席される皆さんも大変ですが、悪天候を押して車椅子で来られた傍聴者には本当に頭が下がります。議員の皆さんも見習って欲しいものだと思います(いつも私とH議員しか傍聴していません)。

 さて本日の会議では、当委員会の使命でもある「島本町交通バリアフリー基本構想」の事務局原案が提出されました。また基本構想の中で具体の“目玉”となる阪急水無瀬駅のエレベータ設置については、阪急電鉄から参画している委員が構想を発表しました。構想とは言うものの過日議会に示された“空中渡り廊下”の概略図と同じもので進展はなく、私はがっかりしました。

 委員会ではもうひとつ新しい提案がされました。「自転車等駐車対策部会」の専門部会設置についてです。すぐに承認され、委員会に続けて第1回目の部会が開かれました。JR新駅開業に合わせて、駅東広場の北側に有料の新駐輪場が設置されることになっています。これに伴い専門部会では、自転車等の放置禁止区域の再設定と路上放置規制の強化を伴う条例化を目指して検討することになります。コンサルタント会社が作成した説明資料には、全駐輪場の有料化や放置し撤去された自転車の引き取り時に返還料を支払うなど、住民にとっては厳しい内容(現在は無料)が示されています。

 今後の予定は2回の委員会と1回の部会を開き、パブリックコメントの意見を検討し、今年度中にはバリアフリー基本構想が策定されます。次回の部会開催は8月24日午後2時からです。皆さん一度傍聴してみませんか。また会議に供された資料は、全て役場の文化情報コーナーにファイルされますので閲覧が可能です。

 この際ついでに言っておきますが、このファイリングがなぜかキチンとできない課が多いです。会議が終了すれば直ちに行わなければならないことが、徹底されていないのです。私は今日も催促の電話を情報コーナーからかけています。催促しても数日は放ったらかしという事態もよくあったので、最近は「今すぐ綴じてください。ここで待っていますから」と伝えます。さすがに待たれていては仕方がないと思うのか、100パーセントの確立でファイルは完了します。待ち受けていた私は、資料を持ってやってきた職員に感謝の言葉を述べますが、でもこんなことって本当は言われなくても、できていて当然なんだけれどね・・・と心の中でぼやいています。

降り続く雨で水量が増し、滝のように流れ落ちる中谷川水路
(画像右下には高川水路の流れも見えます)

 


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加國哲二画伯は“和ませ名人”

(2007年7月14日 土曜日)

 台風が近づいているようです。時折強い雨が走りますが、第一小学校の多目的ホールには大勢の人々が集まりました。一小応援団「和(なごみ)」が主催する洋画家加國哲二さんの講演を聴く会が始まります。3階のホールに入ると窓一杯に、緑滴る山が眼に飛び込んできました。一小は街中にある学校というイメージが強かったので、窓からの風景はうれしい発見でした。

 私が加國さんの絵に始めて出会ったのは、数年前の町文化祭の特別展示においてでした。会場で遠くからお見かけした加國さんは黒いスーツに身を包み、少々近寄りがたい雰囲気を漂わせていました。20年間もフランスに住み、数々の賞を得ている画家との情報が先行したのでしょうか。しかし私の第一印象はどうやら間違いであったと、今日の公演を聴いて反省しています。

 加國さんは1960年生まれ、まだ若い!けれどすでに十分な功績を挙げて、ふるさと島本に錦を飾って帰ってこられました。少々“お天狗”になっても当然なのですが、加國さんの時折やんちゃ坊主の面影をうかがわせる表情や大阪弁の語り口には、偉らぶったところなど微塵もなく、私は改めて素敵な人だとうれしくなりました。

 

 講演のテーマは「パリの風☆ふるさと島本の空」と題されていましたが、大上段の芸術論ではなく市井の人びとの眼差しからフランスを日本を、そして世界を見つめたお話であったと思います。「島本って素敵な街ですよ。あなたの五感で感じ取ったものが一つひとつ地域に根付いていけば、子どもたちへの大きなプレゼントになるのではないでしょうか」との意を込められた締めくくりのメッセージは(実際にこのように話されたわけではありませんが)、まさに一小応援団「和(なごみ)」が目指している目標と合致したのではないかと思いました。

 講師の加國さんに感謝、「和(なごみ)」お世話役の友人に感謝、地域の方々・第一小学校の先生方に感謝、そして窓にパノラマを展開している島本の山と空に感謝のよき講演会でした。

 


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もらった情報(マンション建設)、何で返すのん?

(2007年7月15日 日曜日)

 江川2丁目のスーパー堤防上、民間工場(もともとは住友特殊金属山崎製作所と言った方が分かりやすいかも。その後企業名は変更になったはずですが)の敷地を買い取り「ライオンズ水無瀬ローレルコート」が建設中です。そして今また同マンションの大阪寄り、同じくスーパー堤防上に(地域は高浜になります)またまた新しいマンション建設の計画が出ています。

 敷地面積2万5千平方メートル、15階建て(ちなみに町の消防梯子車は届きません)5棟の計画ですから、ローレルコートの敷地7千平方メートル(169戸)に比べると随分大規模な集合住宅が出現しそうです。7月7日・8日に地元説明会が開かれています。翌9日には地元自治会長が来庁し、産業建設課に説明会の資料を提供しました。私はその場を見ていましたので、即資料を情報公開請求しました。

 大京・近鉄不動産が地域住民に渡した公然の説明会資料ですから、私はごく当たり前に公開されるものと思っていました。しかし15日後に届いたのは「情報不存在通知書」です。通知書には「平成19年7月9日付で請求のあった情報の公開については、対象となる情報を所持または管理しておりませんので、その旨通知いたします。」と記されていました。

 「ちょっとちょっと!貰ったものが何でないのですか?」「貰ったけれど翌日すぐに返しました」「あっそう!ないというもん出せと言うわけには行きませんわね。でもそれなら何故情報公開請求書を受理したん?『返してしまいましたから情報はありません』って、請求書を私に返さないとあかんのんと違いますか?たとえ時間差で資料を返した後の請求だったとしても、一言の連絡もなく何で十数日間も黙っていたのですか?」「・・・」「そもそもいったん入手した情報をなんで返さなあかんのん?役場としても住宅開発の情報は必要なんと違いますか?返したからないと言うてるのは、私に情報を渡したくないからなんですか?そんなに秘密にせなあかん情報とちがうでしょ!」「・・・」

 以上が私と担当課長のやり取りです。ほんと!嫌がらせとしか考えられへんわ・・・ったく頭にきました。担当課としては「文句があるなら異議申し立てして頂戴」ということかもしれませんが、こんな状態では説明責任を果たしているとはいえません。異議申し立てをすれば情報公開審査会を開かなければならず、審査会委員の報酬も生じます。何より「忙しい、忙しい」と言っているあなた方職員の時間も割かれるのですよ。こんなことで役場も私もわざわざ面倒でしんどい目することないでしょ、というのが私の正直な気持ちです。私は課長に対して「自治会からでも住宅の開発業者からでもいいから、改めて資料を入手し私に連絡しなさい」と告げて埒の明かない話を打ち切りました。その後1ヶ月以上経ちましたが、何の連絡もありません。まあ“想定内”のことではありますが、ホントお粗末でため息が出る話です。

 


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生徒の背中を蹴った先生

(2007年7月16日 月曜日)

 6月11日付の日記で「教師の不適切な指導事案」を書きました。日を置かずして、今日は○○中学校で7月12日に起きた「教師の体罰事案」をお知らせすることになってしまいました。あってはならない教師の行為が続く事態は、誠に由々しきことと言わざるを得ません。今回暴力行為を受けた子どもと親御さんは、容易には消し去ることができない大きな痛み(体も心も)と怒りを覚えておられることでしょう。 

 本件に関しては当然のことながら、当該教諭からの「生徒指導についての報告」が提出されています。報告書には生徒と保護者に謝罪をしたことと、「今後二度とこのような暴力的行為は繰り返さず、根気よく話をして、指導していきたい」との反省が述べられています。報告書を目にして私が大変気になった文言があります。標題の「報告書」は「反省文」ではないだろうか?「暴力行為」なのに、なぜ「暴力的行為」と言っているのだろう?「体罰」であるにも係らず、なぜ「行き過ぎた行為」と表現しているのだろう?等々です。

 ことの発端は、清掃指導に従わない生徒の肩をつかんで教室に引っ張っていった担任教諭に対し、生徒が「さわるな、きしょい」と言葉を発したことにあります。これにカッとなった担任が、生徒の背中を蹴ってしまったのです。この事態を多数の生徒が目撃しており、教諭は子どもたちから「先生、暴力やで」との指摘も受けています。教師側がどのように反論しようとも、そうこれは暴力、体罰なのです。後日校長が教育長に提出した「教員の体罰についての報告書」にも「体罰を許さない、体罰は犯罪である」と明確に記されています。

 体罰は勿論許されざる行為です。しかも今回はその上に、校長への報告の遅れ(4日後)と謝罪に対する誠意が欠落していました。前の週の木曜日に起こしたことが次の週の火曜日に初めて校長から本人に確認できた点、また生徒と保護者に対しても同様の日数を経て初めて謝罪を行った点等々、ことの重大性を受け止める能力の弱体化は、学校現場で相当進んでいると思わざるを得ません。

 本件の生徒がそうだとは言いませんが、キレる生徒たちの言動は大きな社会問題です。しかし子どもと張り合って、大人までがキレてどうする?それも教育の場で・・・と、私は残念でなりません。校長が示した教諭への指導について「〜体罰をしないセルフコントロールと指導力の向上を、職をかけた課題とさせたい」の一文があります。「職をかけた」という決意は重いものだと、私も胸に響いた言葉でありました。

 
ふれあいセンターで接写

  


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特別支援委員会の傍聴は最初で最後なのです

(2007年7月17日 火曜日)

 「最初で最後」と言ったのは、当会議における2回目以降の審議が個別の子どもを対象とする内容になるため、個人情報保護の観点からも実質非公開となってしまうからです。従って第1回目の会議も、新委員長の挨拶や委員の紹介、今後の予定程度で終了してしまいました。なんだかあっけなく終ってしまい、物足りなく思いました。それでも熱心な住民の方(一人)の傍聴がありました。住民の方の手前(わずか一人でも)、議員である私の傍聴は議会としての体裁を少しは繕えたと思います。

 特別支援教育制度は本年4月より全国的にスタートしました。当町でも本制度に係り、先の6月議会において第3小学校に開設する「通級指導教室」の関連予算が僅かですが上がりました。この教室では、LD(学習障害)・ADHD(多動性注意欠陥症)・高機能自閉症等のいわゆる特別に支援を必要とする子どもたちに対応をしていきます(当面は三小と二小から通ってくる子どもを対象とします)。一方先の議会ではこれらの子どもたちに対しては、あくまでも原級での「通常指導教育」を主張する意見もありました。

 私は島本町の障害児教育・保育における統合教育には、一定の実績があると思っています。従って新しく「通級指導教室」がスタートしたとしても、特別に支援を要する子どもたちを当「教室」に縛るものではなく、今まで以上に原級担任や子どもたちとの結びつきがスムースに運ぶことを信じています。そのためにも本日傍聴をした特別支援委員会が核になり、就学前の子どもと小学校・小学校と中学校・医療関係機関・保護者等の連携をいかに図っていくかが問われていると思います。

我が家のクールビューティー、朝の顔です
 

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第二幼稚園、来年は車椅子のお友達と仲良しにね

(2007年7月18日 水曜日)

 来春第二幼稚園には、障がいを持つ子どもが入園の予定です。7月の初めから教育委員会(教育推進課・学校教育課=幼稚園担当者・園長及び教頭)は本人・保護者と面談し、子どもをしっかりと迎え入れるために十分な検討を行うための調整会を持っています。

 当町の幼稚園入園資格は「保護者と共に町内に居住している」ことだけが条件ですから、入園に際して障がいを持っているかいないかは全く問われるものではありません。親御さんは「子どもが生活する地区で幼稚園教育をうけ、たくさんの子どもたちと共に遊び健全な心身の基礎を培い、そして地域の小学校へ」と望んでおられます。

 子どもの障がい名をはじめ詳しいことはプライバシーに係ることでもあり、ここで記す必要はありませんので伏せます。ただ園での生活においては、全面的な介護が欠かせません。従って車椅子での保育が必要となります。教育委員会では次年度の予算要求時には、介護員の配置費用の計上と園児用の椅子(テーブル付き)や車椅子等の備品購入費を予定しています。

 物的整備を整えるのは簡単ですが、本当に大事なことは現場の先生たちの十分な受け入れ態勢と、ゆとりを持った溢れる温かい気持ちです。先生たちの言動は当該園児のみならず、他の多くの園児たちにも大きな影響を与えます。先生方、どうか頑張ってほしいと心から願っています。当町の幼稚園が障がいを持つ子どもを受け入れてから、実は随分な年月が経っています。30年以上も前のことではなかったでしょうか?ですから余計に慎重で万全の受け入れ準備をと、私は老婆心ながら言わせてもらっています。

水無瀬川のカモたち…仲良しですよ

 

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