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町内の“芸術散歩”

(2007年6月1日 金曜日)

 青葉のアトリエ・ラピスを訪ねました。ここは洋画家松井さんのアトリエです。個展の案内をいただいたので、私は楽しみにしていました。マンションの1室をワンフロアーに改造したアトリエは、広々としてステキなインテリアが目を引きます。お目当ての作品たちは、十分な壁面の余白を生かした中に展示されていました。おいしいコーヒーを頂きながら、作品の解説に耳を傾けゆっくりと過ごさせてもらいました。

 個展といえば、時たま訪れる都心の画廊では少々気を張って鑑賞している私です。会場に作家がいると、なおさら緊張してしまいます。よく判らないのに判ったふりをしている自分を悟られまいと、無意識に過剰反応しているのでしょうね。松井さんには私の“芸術的”レベルがバレバレなので、気が楽です。私は好きな作品は「好き」と言うし、自分の好みに合わなければ「パスします」と正直になれます。

 芸術に“ええかっこしい”は反則だと思います。今日は素直に喜び謙虚に自分を見つめ直すことができそうな、そんな素敵な小作品に出会うことが出来ました。個展が終われば我家にやって来ることになり、とても楽しみです。作品が一番輝くようにチェストの上をすっきり片付けて待っています。

 アトリエを出て桜井の田んぼのあぜ道を通り、新駅西側の工事の状況を見に行きました。駅の東西を結ぶ自由通路西口側に橋脚を降ろす工事は地権者の同意を得ましたが、当該地及びアクセス道路の一部買収については未だ交渉に応じてもらえず、町は苦慮しています。このまま買収ができないで駅の開業を迎えると、西口からの乗降は不可能となります。これでは町が工事費の全額を支出する8億円弱の自由通路は機能を果さないことになり、川口町政の大きな失態となるのは必至です。

 桜井村踏切に至る手前の無人野菜売り場で、完熟トマトを買います。安くて新鮮!私はよく利用しています。隣の畑から朝取りで並ぶきゅうりやなすび、たまねぎそしてトマトが旬です。散歩の途中で野菜をゲットできるのも、島本の魅力ですね。

 踏切を渡り水無瀬鶴ヶ池線の跨線橋付近にある「テクテク」でお昼を頂くことにしました。本日のランチメニューにはオムライスがあったからです。評判のカレーは定番でいつでも食べることが出来るので、今日は何たってオムライスです。自家野菜のサラダがついて650円です。食後のコーヒーを頼めば千円です。お手製のミニケーキがついています。

 お店の人に「絵を見に行ってきました」と話すと、「写真の個展はいかが?ここから直ぐです。ひと月の1・2・3日しか開いていないので、今日は拝見できますよ」と新しい情報を貰い、訪ることにしました。広瀬1丁目の住宅街に「妹尾豊孝 フォトギャラリー」はありました。妹尾さんはプロの写真家です。町の図書館にも写真集があります。

 絵画も写真もよく判らない私の鑑賞姿勢は、「好き」か「好きでない」かの単純な判断に基づいています。初めて鑑賞した妹尾さんの写真を私は「好き」になりました。ただ作家と1対1で少しオドオドしてしまいました.多分的外れな感想を一言二言呟いたとは思いますが、妹尾さんは意に介した様子もなく、家の中も案内してくださいました。ここのギャラリーはもちろん写真がメインなのですが、お連れ合い(奥様)が大学で建築関係の授業を行っておられるため、家中が生きた教科書というわけです。キッチン・バスルーム・トイレ等々興味は尽きませんでした。妹尾さんは「また来てください」と私を送り出してくださいました。

 今日は絵画展と写真展、二つの芸術に触れることが出来た贅沢な一日でした。そして思い巡らしたのは、松井さんや妹尾さんの様な芸術家はこの町にもっといらっしゃるということです。私が知っているだけでも洋画家の加國さん、同じく角野さん、書家の乾さんがおられます。音楽家も多数在住されています。島本町のセールスポイントは水や緑、昔の歴史だけではないのです。庁舎内のタウンセールス・プロジェクトチーム職員のみなさん!町の“宝”、今を生きる芸術家の皆さんにも是非かかわっていただいてはいかがでしょうか。

 

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面白いアイデアはいっぱいですが・・・

(2007年6月2日 土曜日)

 島本町をいかにして認知してもらうか、さらにはいかにして訪れてもらうか、そして究極はいかにして「住もう」と決心してもらえるか、これらを目指して島本タウンセールス・プロジェクトががんばっています。昨日の会議ですでに3回を終えています。8月の中旬には、最終プロジェクト案を町長以下部長級の職員で構成する庁議でプレゼンテーションする予定です(もうあんまり日がないけれど、大丈夫かなあ〜)。

 プロジェクトチームには課長が1名参加していますが、メンバーのほとんどが若手職員です。私は毎回会議の記録を見ています。横文字多用が少々気になりますが、プロジェクトの進め方はなかなかしっかりしていると感じています。しかし意地悪を言うようですが、進行はマニュアル通りで完璧でも、中身(つまりアイデアの内容)が肝心です。

 今回の会議録を見ると、100近いアイデアがカテゴライズシート集計表(このカテ・・何とかという言葉を使わんとあかんのですかね)に掲載されています。アイデアの一つひとつに感心したり、プッと噴出したり、首をひねったりですが、興味深く目を通しました。

 集客のための催し物はあくまでも一過性のイベントであり、他所からの転入・定住を図る効果がどれほどあるのかはわかりません。私はイベントにあまり深い期待はしませんが、みんなが楽しい気持ちになれることはよいことだと思っています。そこで寄せられたアイデアの中から「面白い」と、私が感じたものを1つだけご紹介します。

 “バトンの代わりにタケノコを持って走るマラソンをしましよう。「タケノコ駅伝(杯)」の中継ポイントは町内の名所とし、レース後はタケノコご飯と名水のサービスを竹筒でいかが?駅伝のマスコットにはタケノコマンも登場!”がその中身です。

 このアイデアのキーポイントは、タケノコを持って走るところにあります。そこでここから先は私の思いつきですが、ラストスパートの手前に大小のタケノコバトンを用意しておきます。勿論どんなバトンが当たるのかはわからないようにします。ほっそりと小ぶりなタケノコバトンなら走りに影響はありませんが、でっかいタケノコは困りますよね。ちゃんと走れません。よって走る能力にかかわらず、勝敗は選んだタケノコが左右するとうわけです。・・・おもしろくないですか?

 まあタケノコ駅伝はともかくとしても、結局「この町に住もうかな」と思ってもらえるセールスポイントとしては、新駅も緑も水も勿論大切です。しかし充実した温かい住民サービスが隅々までいきわたってこそ、「住んでみたい町」として選ばれるのではないかと、私は思っています。

 
水無瀬鶴ヶ池線高架下のアジサイ

 


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新規採用職員の皆さん!「初心忘るべからず」ですが、先は長いですよ

(2007年6月3日 日曜日)

 今年採用された12人(ほかに2人の消防職員が新規採用されています)の皆さん!役場の仕事には慣れましたか?意地悪な先輩や上司はいませんか(おっと、議員もいませんか?)。私?私は温かい“母のような眼差し”で新人諸君を見守っていますよ。ちょっとオタオタしている接客も電話の応対も、今のところは許しております。一生懸命なのが十分に伝わってくるからです。

 12人の新規採用職員は4月18日から8日間の研修を受けましたが、私はその報告書を情報公開請求していました。(実際に公開されたのは本日より20日ほど経ってからでしたが)皆さんしっかりとしたリポートを提出しています。なかなか読み応えのある内容で、中でも冒頭に1942年のイギリス社会保障審議会報告を引用した報告書は「凄い!」と思いました。私は2回読み直しました(正直言うと、難しかったのです)。

 私がマーカーで線を引いたのは、上記の報告書だけではありません。一人ひとりの文章を引用して、ここで紹介したい気持ちになりますが、取りあえずは私の“お宝”ということで大切にとっておきましょう。残念なのは彼らの報告書を見たのが彼らの所属部長・次長・課長・係長と、研修担当部局の総務部長・次長・人事課長・人事課職員のみであることです。私は全職員が読んでみればいいのになあ、特に町長をはじめ庁議のメンバーはぜひとも読むべきだと思いました。

 あってはならないことですが職員の中には年月を経るうちに、いつの間にか慣れによる怠惰が忍び寄り、報告や連絡を怠りがちになる人もいます。はたまた相談もしないで独断で事務を進め・・・挙句の果てにポカをしでかす恐れが十分にありそうな職員もいます。(昨今現実にそういった事態が続いて起こっています)。

 これらを防ぐためには様々な対策が考えられますが、緊張感に満ちた初心に帰ることも、ひとつ有効な方法だと思うのです。新規採用職員のリポートには、真剣でピカピカの“初心”がいっぱい詰まっています。新人職員は先輩職員から学びますが、先輩職員もまた新人職員から学ぶものは多くあると思います。だから先ず研修報告書に目を通してほしいと、私は願っています。

 ところで研修項目の中でほぼ全員が「役に立った」と述べているのは、「住民満足度向上のための接遇」の研修でした。私は常々職員の接客態度については、機会あるごとに意見を言ってきましたから、新人職員たちの感想をうれしく思いました。講師を務めたのは、新人職員たちより少し先輩の“接遇指導員”に認められた職員(主査)です。

 研修報告書の中に、接遇研修の根幹は「“一人ひとりが、島本町役場の代表である”という認識を持って住民対応に勤める〜」ことと記された感想がありました。この認識があればモタモタしてもドギマギしても大丈夫!大丈夫!お客さん(ちなみに報告書の中で、ハナマルをあげたい「お客様」との言葉を使っていた職員もいました)は、あなたがたを温かくちゃんと見てくれている人が殆どですから。

 接遇研修で「頭の中が真っ白になってしまった」人も、「非常に苦しかった」人も含めて、皆さんの1年先2年先が楽しみです。だって今回講師を務め、お手本を示してくれた職員の多くは、皆さんよりほんの一足先にいる先輩たちなのですから(私は正直、もっとズ〜ッと先の先輩たちの方が心配です)。みなさんすぐに追いつきますよ、そして先輩たちを遠慮なく追い越していきましょう!

 議会の中にも、こんな風に皆さんにエールを送っている者がいることを知ってくださればうれしいです。今回の研修では、みなさんの議会傍聴がなくてちょっと寂しかったです。ではまた・・・。

 みなさ〜ん、今日も一日お仕事がんばってくださいね!

 
体育館の片隅で、毎年精一杯の花をつけるガクアジサイ

 


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6月議会の議案説明会が開かれました

(2007年6月4日 月曜日)

 6月21日から始まる定例議会の議案を説明する全会派対象の説明会が開かれました。3年前に川口町長が誕生して、議会へのアプローチが「今までとは少し変わったな」と私は歓迎していました。変化の一つがこの議案説明の持ち方でした。

 私は豊田町長・村田町長・川口町長を見てきましたが、以前は会派への議案説明なんて一切ありませんでした。議会運営委員会が開かれて、私はそこで初めて議案内容を知るといった状況でした。この頃になると町長室横の会議室で、私たちの会派「人びとの新しい歩み」と共産党の会派を除いた与党会派が集まっていました。

 議会事務局に聞いても「何で集まっておられるのか知りません」と言うばかりでしたし、当の与党議員たちも「べつに・・・」と言葉を濁していました。私は議案内容の説明を受けていると思っていました。なぜかと言うと説明会で理事者が与党議員に対して“因果を含め”ていなければ、おっと失礼!“ご理解をいただく説明”をしていなければ、議場で殆ど質疑もせず何でも賛成で通してきたかつての与党議員たちのありようは説明がつかなかったのです。

 そして3年前の選挙で大方の予想を覆し川口町政が誕生したのですが、従来あった与党・野党の枠組みも曖昧になり、私たち市民派議員以外の議員(会派)と町長の間では、町長選のねじれや軋みが結構尾を引いていたと私は感じていました。そのような中で町長は、初めて一会派ごと平等に議案説明を行う形に移行したのです。

 10年あまりの議員活動のなかで、私にとっては初めての経験でした。なんだかこれでやっと、自分自身をも縛っていた与党・野党の概念から少しは解き放たれた気がしたものです。少なくとも議案説明のスタートラインに関しては議員間での不平等は生じない、後は自分の努力でどこまで議案内容に肉薄できるかと思うと楽しみでもありました。

 ところが会派ごとの説明会がいつの間にか行われなくなり、本日のような全会派に対する説明会の形になってしまいました。しかし説明会では不思議なことに理事者に対する質問は、私の会派と共産党の会派以外からは殆ど出ません。会派が一堂に会しての説明会なら、本来は5会派分の質問が噴出して当然なのです。3会派からの質問が殆どないと言うことは、3つの会派にはすでに前もっての説明がなされているのでしょうか?

 これは川口町長が再びの与党・野党の枠組みに迎合した証と考えてもよいのではないでしょうか。まあ私たちの知らないところで議会と理事者の駆け引きは当然あるだろうし、理事者たちも一枚岩ではないだろうし、会派や議員間でも“権力闘争”はあるだろうし、またそれが現実だとすれば私の思いなんぞ“ゴマメの歯軋り”に過ぎないと言うこともわかっています。

 しかし忘れてはならないのは3年前の町長選挙で物言わぬ、いや物言えぬ多くの“ゴマメたち”が開かれた町政を求めて、ようやく一斉の“歯軋り”をしたという事実です。開かれた町政にとって、先ず議会との開かれた関係が求められることは言うまでもありません。1期目の折り返し点にきて、早くも後ずさりをする川口町長の姿は正直言って“カッコ悪〜い”ぞ!(ちなみに今「カッコ悪い」と言うのは古臭いそうです。「ダサイ」もイケてないそうですから、“ウザ〜イ”と言うべきなのでしょうか?)

 今日の日記では、肝心の6月議会の議案内容はお知らせできませんでした。この日記を打っている今、ぼちぼちと議会の記録が上がってきていますので、主な議案についてはその結果とともに後日の日記でお知らせしていきたいと思います。

 


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高浜地区の不審火、大事に至らずですが怖い!

(2007年6月5日 火曜日)

 今年の1月6日から6月の3日までで、次のような4件の不審火が発生しています。場所はいずれも高浜1丁目地内です(6月2日は正確には江川2丁目ですが、高浜1丁目に隣接しています)。

 * 1月 6日(土) 15時35分頃  使用していない犬小屋
 * 5月24日(木)  9時30分頃  裏庭の枯れた立ち木
 * 6月 2日(土) 16時   頃  枯葉
 * 6月 3日(日) 17時55分頃  倉庫

 議会には発生した火災4件が不審火と判断した以降、ファックスによる報告がされています。私は気になったので情報公開請求をしましたが、通報内容や火災の概要、原因等の部分は黒塗りで非公開となっていました。

 従って詳細な内容はわかりませんでしたが、それでも消防団や自治会・地域住民が不審火に対して取った努力の一端が判りました。いずれの火災も近隣住民・第一発見者・通報者によって消火活動がされており、火災の拡大には至りませんでした。

 幸い6月3日以降は不審火の発生もなく経過していますが、これは自治会による啓発文書の配布と消防団との週3回の巡回や、消防署による日中・夜間の巡回(2週間毎日)等が効を奏していると思われます。

 通常市街地において自然発火による火災は先ずありえません。不審火は放火に起因する犯罪性が大です。警察や消防の活動は大事ですが、犯罪の抑止力はやはり地域の眼、人との関わりが基礎となるのではないでしょうか。

 


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議員の皆さん、要綱集の入手は私のおかげですよ

(2007年6月6日 水曜日)

 やっと私の手元に島本町の全要綱(要項・要領・規定・基準・指針等を含む)集が揃いました。言うまでもなく島本町行政は条例・規則(議会も会議規則があります)に則り行われ、これらの条文は「島本町例規集」に記されています。例規集の内容は町のホームページで公開されていますし、役場の情報コーナーや図書館にも備え付けられています。しかし「要綱集」は公開されていません。

 ところで役場の実務が条例・規則だけで行われているかと言うと、そうではありません。「要綱行政」といった言葉を聞かれたことがあると思いますが、委員会等を設けるための「○○委員会設置要綱」・補助金を出すための「○○補助金支給要綱」・施設やシステム管理するための「○○管理要綱」等々、実にたくさんの要綱があります。

 ちなみに要綱からもはみ出した「手引き」と称する、行政の内々の判断基準を示すものもあります。「情報公開制度の解説と手引き」はその一例です。このように役場の仕事は、要綱等により行われていると言っても過言ではありません。

 しかし言ってみれば、住民サービスに直結している“大事な決まりごと”である要綱等の存在は公にはなっていません。またその整備状況も実にいい加減であることが、今回ようやく出されてきた全ての要綱を目の前にしてわかりました。私は情報公開請求した要綱集を電子情報で入手しましたが、全てをプリントアウトしてみました(両面刷りで1000枚に上りました)。

 ページを繰っていくと、改正後の要綱が改正前の要綱と併記されていたり、「案」をつけたままの要綱があったり、赤の文字が混じっていたりで驚きました。なぜキチンと整備され集約された最新の要綱集(電子情報であっても)でないのでしょう?要綱集を入手できてもこんな有様ではトホホの気分です。それぞれの要綱を使って所管の事務執行をしている原課も原課ですが、要綱はもちろん法令等に関わる仕事をしている総務部の責任も大いにあると思います。

 さて表題の文言ですが、私への情報公開と同時に総務部(たぶん総務部から情報を受けた議会事務局の判断も加わっていると思いますが)は、全議員(取りあえずは電子メール対応が可能な議員に対して送信。そのほかの議員へは提供の方法を検討中とか)に私が入手したと同様の要綱集を提供しました。私は他の議員への情報提供に異議を唱えるものではありませんが、正直言うと面白くありません。何度も何度も「提供してください」と求め続けて、それでも出してこない情報だから仕方なく、条例に定める情報公開請求を行ったのです。

 本来要綱集は条例に則った請求行為なんかしなくても、提供して当然の情報なのです。それなのに私はずいぶんな労力を費やしたし、CD−R代(たとえ何十円であっても)を支払って損したし、気分悪〜い!タナボタで情報を得た議員の皆さん、だから私にちょっとは感謝してくださいね。

 申し添えておきますが、議会事務局は当然私のパソコンにも他の議員と同様に要綱集のデータを送ってきました。平等の視点から言うと、それは間違ってはいないけれど、私がすでに情報を得ていることを知っていたのなら、同じものを送ってくるその神経にはちょっとムカついてしまいます。

 要綱等の策定や改正や廃止は、条例のように議会の審議も必要ありません(規則は議会の議決を要しませんが例規集で公になります)。まあ言ってみれば、行政の都合でこっそりと変えることも可能なのです。今回なんだかんだありましたが、やっと手に入れた要綱集です。これからもしっかりと活用して、議員活動に役立てていきたいと思います。

 また町のホームページで誰もが見られるようにすること、及び要綱集をしかるべき場所に置くことを町に求めていきます。

 


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議会運営委員会が開かれました

(2007年6月7日 木曜日)

 本日の議会運営委員会は、6月21日から開かれる定例議会の議事日程及び会議の運営に係る確認を行います。6月議会の議案で主なものは次の通りです。

* 前年度の予算で計上したけれど、事業が完了せず今年度に繰り越したもの

1) 交通バリアフリー基本構想策定業務・・・475万円
本構想を策定するための委員会は昨年の12月から中断しています。理由は基本構想の目玉である阪急水無瀬駅のエレベーター設置計画の提案が遅れたため。
2) JR新駅自転車駐車場整備工事・・・2千万円
新駅東側の駐輪場造成工事中に不明管が見つかり、作業が遅れたため。
3) 門ノ内水路改修工事・・・272万円
町有水路が民地内にあり、地権者との協議に時間を要したため。
4) 介護保険システム改修・・・735万円
後期高齢者医療保険制度に対応するため改修を行いますが、本制度は2008年度より開始されます。従って今回の繰越明許は、財源である国庫補助金を計上するための会計処置です。
なお(2)(3)の工事は今年度の4月末までに完了しています。(1)については、コンサルから基本構想が収められるのは9月の末になります。

* 前年度の予算で計上し支払いの準備(支出負担行為)もしていたけれど、予想外のこと(事故)で今年度に繰越したもの

(1) 国民保護計画策定業務・・・164万8千5百円
地方自治法の改正に伴う事項を計画に反映させる修正作業で、コンサルからの納期が遅れため。
(2) JR新駅西側道路用地取得・・・2911万320円
用地の売買契約が年度末となり、所有権移転の登記が新年度になってしまったため。
後日の日記で、(2)についての私の質疑を少し詳しく述べたいと思います。

* 新駅東駅前広場の公衆トイレ設置に係り、JRとの協定書変更するもの公衆トイレは町の予算で設置をしますが、工事はJR西日本に委託することになっています。そこで既にJRと協定している自由通路設置工事費に公衆トイレ分3255万円を増額させる議案が提出されました。 

* 補正予算(増額)の主なもの  

(1) 議員の調査研修費用・・・56万円
今年度より2つの常任委員会に所属可能となり、延べ委員数が8名増加しました。(敢えて注釈:会派代表者会議では賛成3、反対2で全会一致ではないにもかかわらず、議長判断で安易に議会費の増額補正に走りました。宿泊研修を日帰りにする等の節減を図り、増員分研修費の捻出をしなくては「経費削減!」と理事者には迫れません。“お手盛り視察旅行費用増”と住民から批判を受けても返す言葉がないのではないですか)
(2) 庁舎に隣接する鶴ヶ池の防護柵改修費用・・・407万3千円
設置後35年を経過し、一部欠落が生じているため改修を行います。
 
鶴ヶ池の老朽化した防護柵(ちなみに役場庁舎は池を埋め立てて建てられました)
(3) 新駅柵内トイレ設置に係る町の負担費用・・・2117万1千円
前述の公衆トイレに近接して駅構内にも同規模のトイレを設置するために、その費用の2分の1をJR西日本に支払うもの(敢えて注釈:町は駅舎建設費用の折半分9億円を負担することとなっていますが、今回の柵内トイレ設置により、9億円を超える負担の可能性が高まりました・・・こんなふうに“後出しジャンケン”的に費用負担が増嵩するのはよろしくない!)。
(4) 町営緑地公園住宅集会所の点検業務委託料・・・31万2千円
7月1日から集会所の利用対象が拡大されることにより、使用後の点検業務等を新たに委託する必要が生じたもの。
(5) 通級指導教室の開設に係る学校管理備品費用・・・50万円
通常の学級に在籍していますがLD(学習障がい)・ADHD(多動性注意欠陥)・高機能自閉症で、特別な支援が必要な子どもを対象にした教室が開設されます。カーテン・パーティション等必要最小限の備品を購入するもの。通組教室は当面第三小学校に開設し、二小児童も対象とされます。

* 一般質問・・・11人が行います。

 今議会から初めて「一問一答」方式が導入されます。質問内容については従来どおり通告書を提出し、質問項目の1問目は通告書に沿った内容で発言します。2問目以降は1問目の答弁により質問の内容を組み立てますから、どうしても理事者の答弁書が必要です。かねてより私が求めていた答弁書を出すことが、本日の議会運営委員会で明らかになりました。ホ〜ッ、よかった!やれやれです。また会期日程2日の予定も、当初より3日に設定しておくことを要求し、これもまた通りました。

 


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「桐ヶ原」の現況はこんな状態です

(2007年6月8日 金曜日)

 通称「桐ヶ原」は大字尺代3他38筆の地番に位置しています。もともとは尺代集落に居住する住民が所有する、いわゆる“里山”でありました。右手に若山台団地を見て町道尺代若山台幹線を行くと、尺代の集落が一望できる所の少し手前右に小高い「桐ヶ原」があります。

 桐ヶ原に対する民間業者の土地取得は1988年ごろから始まり、この間再三にわたる住宅開発の申し出がありました。しかし島本町の総合計画・都市計画マスタープランとの整合性もなく、町は相手にしていませんでした。ちなみに私が議員になったのが1989年ですから、これらの経緯は記憶に残っています。

 ところが1991年に突如ゴルフの練習場を建設する計画が出てきます。当町としては前述の両計画における土地利用に合致していると判断し、93年には大阪府の開発許可も下りました。若山台団地の自治会を始め反対の声が上がる中、桐ヶ原の樹木伐採が始まり瞬く間に頂上付近一帯は殆ど禿山になってしまいました。私は「ゴルフ練習場の芝生を緑の保全と位置づける」と答弁した当時の理事者に対し、議場で激しく異議を唱えたことを覚えています。

 しかしゴルフ場も途中で中断され、1997年には採石法による土石の採取許可が下りました。実際に採石の営業を行っていたのかどうかは定かではありませんが、以降2年ごとの許認可が更新されて今日に到り、H21年までの採石許可が有効となっています。

 採石行政は大阪府が直接係り、毎年梅雨前期に現地の立ち入り調査を行っています。桐ヶ原に対しても5月22日に大阪府・島本町・高槻警察署が調査を行いましたが、肝心の採石業者「暁」が出席しませんでした。従って大阪府の「採石立ち入り検査指示書」(報告書)の作成が遅れ、私がその内容を知ったのはずいぶん後になってしまいました。

 指示書の中身は例年と特段変化がなく、以下のように簡単な内容です。

指示事項1 
梅雨期に備え、災害の防止体制の確立を図り災害の未然防止に万全を期すること
指示事項2 
場内水路及び仮設沈砂池の維持管理に勤めること

 私は大阪府及び町の環境課・産業建設課へのヒアリングと情報公開請求を行いましたが、中でも立ち入り調査当日の映像は現地の状況を一目瞭然に伝えていてよく分りました。

 民間の所有地には議員といえども立ち入りは困難です。今回もそのような説明を受けましたが、しかしどんな場合でもその後のフォローは行っておかなくてはなりません。電子情報で公開された数多くの映像は、現地に足を踏み入れられなかった住民への情報の一助になるものと考えます(ここで紹介できる写真の枚数は限りがありますので、必要な方にはデータを送付させていただきます。どうぞお申し付けください)。

 
仮沈砂池

 桐ヶ原の最新情報は実はここから先が本題になります。その内容は今回私が6月議会の一般質問で取り上げますので、後日の日記に記したいと思います。

 


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遠くまで蛍を捕りに行ったのはなぜ?

(2007年6月9日 土曜日)

 5月31日の夜に公用車の事故がありました。環境課の職員が運転する車が、第三小学校向かいの歩道に設置してある鉄製のポール(タケノコ型)に接触しました。職員に怪我はありませんでしたが、公用車には傷がつき修理代は約19万6千円かかりました(保険対応で支払われましたが)。

 事故の翌日には職員の「顛末書」が出され、反省の弁が述べられています。また環境課職員全員で事故の検討会議を行っています。従って事故そのものを隠そうとか、一部の職員だけで処理しようといった様子は一切ありません。情報公開請求で入手した文書は、町長決済までいき事務手続きはちゃんと行われていました。

 でもなんだか引っかかります。それは事故の起きた時刻と顛末書に書かれた職員の行き先と目的です。時刻は「午後9時30分」、行っていたのは「兵庫県丹波町」、なぜ丹波町に行っていたかは「ホタルの採取」のためでした。遠方の行く先にも係らず、同乗者はいません(記録には書かれていない)。

 そもそもなぜホタルを捕獲する必要があったのでしょうか。上司は出張と時間外勤務の許可を与えているはずですが、「丹波までホタルを探しに行きなさい」「帰路は夜遅くになるが一人で行きなさい」と命令したのでしょうか?事故を起こした職員の過失は明らかですが、こんな出張命令を出した管理職にも首を傾げます。

 後日知ったのですが事故の10日後には、第三小学校の「ホタルの夕べ」が予定されていました。もしかしてそのために無理をしたのでしょうか?「ホタルの夕べ」はあくまでも私の想像です。しかしいずれにせよ、事故があろうとなかろうと島本のホタルの現状を曲げて取り繕うのは、どんな場合でも私は賛成できません。

 今のところ情報公開で出された文書からは、何のためにホタルが必要だったかはうかがい知ることはできません。私は事故の当事者からも話を聞きましたが、曖昧に終始して分かりませんでした。職員の皆さんには、無理してでも頑張ってもらわなくてはならない場合が殆どですが、今回は果たしてどうだったのでしょうか?

 


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転入思案者向けに“定住お勧め情報パック”を用意しませんか?

(2007年6月10日 日曜日)

 私は役場の文化情報コーナーにいることが多いのですが、近頃町外からのお客さんがコーナーを訪ねて来られることが増えているのではないかと感じています。旧町営住宅跡地の戸建て住宅開発や江川・高浜地区のマンション建設の情報を得られた町外の人々が、興味を持って「島本町って一体どんな街?」と役場に来られているのだと思います。

 そんなお客さんをコーナーに案内してくるフロアーパーソンさんも、私と同様に感じていることが分かりました。お客さんはコーナーに備え付けの町広報紙や「あなたの島本」等を持ち帰られます。私はこれらの“お知らせ情報”だけでは、当町を売り込むのには弱いといつも残念に思っています。

 町外の人たちにとって“未知の島本町”を判りやすく、かつ街の魅力を最大限アピールした宣伝物が別途必要ではないかと思います。私たち議員が他自治体への視察の際に持参する町の紹介パンフレット(冊子といってもいい立派なものですが)までとはいかなくても、情感溢れる自然や歴史の足跡、きれいな街中の様子や元気な子どもたちの姿、活発な住民活動の様子等々を掲載した“誘惑”の情報パンフをぜひ作って欲しいと願っています。このパンフをメインにし、そのほか実用的な案内情報もセットして、転入思案者向けの“定住お勧め情報パック”を作ってみてはどうでしょうか?

 今の状況では転入の可能性があるお客さんを逃してしまうようで、私はヤキモキしています。職員はみな親切に求められた各種情報を渡していますが、もう一押しもう一声と共に美しい魅力溢れるパンフレットを手渡しできれば、転入・定住効果は間違いなしですよ!

 こんなの民間なら朝飯前のサービスでしょう?「お気に召したら住んでください」と従来どおりの受身の姿勢では、お客は逃してしまいます。「絶対お気に召しますよ!島本町はこんなに素敵な街なのですから」と打って出ましょう!タウンセールスプロジェクトのみなさん、いい考えだとは思いませんか。8月に予定されている庁議へのプレゼンテーションのヒントになりませんか?そして住民へのプレゼンテーションも実現していただけると、とってもうれしいのですが・・・。

 


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深刻です!教師の“不適切な指導事案”

(2007年6月11日 月曜日)

 5月の14日○○小学校○学年○組で起きた事象は、子どもの命に係る大きな問題を含んでいます。牛乳に対してアレルギーを持つ児童が、給食時に牛乳を(たとえ少量であっても)“飲ん(だかもしれない)でしまった”という事態が起きました。“飲んでしまった”と表現したのは、確かに児童が牛乳瓶を自らの手に持って口に運んだからなのですが、その行為に至らしめたのは、担任教諭ではないかと思わざるを得ない状況が文書に記されています。

 保護者の話によると、当児童は牛乳が肌についてもアレルギー反応を引き起こすほどで、今も家庭には呼吸困難時に備えて吸引機を常備していると言います。従って当然、学校給食においても除去食の対応が取られてきています。担任教諭は学年の引継ぎ、4月の家庭訪問においてもそのことは確認しています。それなのに何故?児童が牛乳を口にする事態が起きたのか・・・大きな疑問であると共に、私の心に芽生えた一筋の凍る想いも拭い去ることはできません。

 本件については学校長からの報告(保護者との話し合い、児童からの聞き取りを含む)・当教諭の「顛末書」・教育次長による本人及び校長への数回に渡る聞き取りの記録は、詳細に公文書として残されています。一歩間違えば“事件”になったかも分からない今回の事象ですが、私が最も重大に感じたのは牛乳を口に運ぶに到った聞き取りの箇所です。児童の発言と教諭の発言が全く相反しているのです。

 教諭は「本児から『残っている牛乳を欲しい』と言う申し出がありました。『あなたは飲まないはず』と断ったが、本児が強く欲しがったので仕方なく半分だけ牛乳をコップに注ぎました。そのあと、本児は牛乳を少し口に含んだ様子だが、すぐにコップの牛乳をバケツに流して、自分の給食を食べていました。」と聞き取りの際に述べています。

 一方児童は「○○(同クラスの児童名)がお休みだったので、牛乳があまっていた。先生が、その牛乳を自分の机に持って行き、あけて、少しだけにして『のんでみるか』といった。どうしょうかちょっと考えたけれど、ちょっと飲んでみたくなったので、口に入れた。味がなかったので、のまなかった。びんは先生にかえした。自分は飲みたいと言っていない。」と答えています。

 ここで私が、どちらの発言が正しいかというような判断を下すべきではないと思います。しかし双方の発言の相違に係らず、教諭は児童がビンに口をつけることを、絶対にさせてはならなかったのです。子どもの命にかかわることはどんな事態であろうと、体を張ってでも阻止しなくてはならないはずです。

 保護者の「あれだけ先生にお願いしていたのに裏切られた。大切に育ててきたことが先生の一言で崩れてしまっている。もし、健康被害や命にかかわることであれば、取り返しがつかないこととなる。そうなればどう責任が取れるのか。」との言葉には、どれほどの怒りと無念と失望が込められていることでしょう。

 6月19日には教育長名による処分が行われています。学校長には「注意」、担任教諭には「厳重注意」、いずれも口頭の処分です。教諭に対しては「あなたの行為は、教育公務員として、その職の信用を著しく失墜させる不適切な指導と言わざるを得ない。」との一文が入っています。しかし余程の覚悟で信用回復に努めなければ、以前の文書訓告処分(本件に関しては私の一般質問でも取り上げましたが、ここでは敢えて言及しません)を受けた反省をも含めて、処分の効果は全く生かされていないことになってしまいます。

 今回の事象は誠に深刻な問題を抱えており、私はため息をつくばかりです。

 
栗の花が実になりました(ふれあいセンター付近)

 


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文化推進委員会で文化財保護条例(素案)が示されました

(2007年6月12日 火曜日)

 10時から文化推進委員会を傍聴しました。この会議ではいつも傍聴者用に机が用意されていて、本当にありがたいです。閲覧用の資料は持ち帰りができませんから、私は資料の概要や会議の内容をノートに記録しています。ですから机があると助かります。部屋のスペースがない場合は仕方がありませんが、余裕がある場合でもわざわざ机を横にのけて、椅子だけの傍聴席を設けているイジワルな会議もあります。

 さて本日の会議に、初めて文化財保護条例の案が出てきました。私は2006年の3月議会及び12月議会で、文化財保護条例の必要性を求めてきました。3月議会では町内の貴重な郷土玩具が高槻市に寄贈されてしまったこと、12月議会では古民家の見学会が盛況だったことを踏まえて、一般質問に取り上げました。

 今年度の町長施政方針には文化財保護条例の文言が盛り込まれていましたから、べつに私の質問が効果をもたらしたとは言いません。しかし本日の文化推進委員会からいよいよ条例制定に向けての一歩を踏み出したかと、少々うれしく思いました。また条例素案と共に文化財保護の対象となるであろう候補リストの案も出されました。

 委員方からは「町文化財としての指定は住民が納得できるものにして欲しい」また「何でもかんでもありでなく、当町の特色を出すべきだ」という意見がありました。また教育委員会が候補リストにあげている登録予定の文化財(ただし古文書については今のところリストに入っていません)については、皆さんの関心も高く様々な指摘が出されました。

 担当者は「今後は委員方からどんどん候補を挙げて欲しい」とお願いをしていましたが、文化財の保有者皆さんの理解を得るには大変な努力が必要となるでしょう。勿論保護のための予算付けも求められるわけで、こちらのほうは財政厳しき折、大した補助(金)は出せそうにもありません。お金を始末しながら文化財を守っていく方法を、英知を集め知恵を絞って考えなくてはなりません。

 条例では文化財保護の要である審議会の設置をあげていますが、人員は5名以内で大阪府の指導も得ながら選出するそうです。これに対し委員からは「文化財の指定は主観のみでは不可能、審議会には専門家が必要だ」との意見が返されました。私も実のある審議会委員の人選を望みたいと思いました。担当者は「専門家は別途、特別委員として参画していただく」と答えましたが、どうなのでしょう?他市町の状況も調べて見なくては・・・。

 会議の最後は、現在歴史文化資料館懇話会で検討されている展示内容と資料館の整備工事計画案の報告がありました。また「その他」として、待宵小侍従の墓と顕彰碑が建つ土地(名神の法面、御所が池近く)が西日本高速道路から無償譲渡されるとの報告もありました。これらについては、また日記でお知らせしていきたいと思います。

 


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住民ホールのアスベスト、今のところは大丈夫ですが・・・

(2007年6月13日 水曜日)

 以前の日記にも書いていますが、住民ホールのアスベスト除去は完結せず終了しています。未除去の箇所は客席場内2階出入り口付近の通路天井と、同じく2階ホワイエの場内出入り口付近天井部分です。これらの天井には換気装置が設置されていますが、換気口内に飛散したアスベストの存在があるものと考えられます。町の説明では排気経路の設計上、除去を行うならば住民ホールの建屋を解体しなければならないほどの工事になってしまうということです。

 そこで先の工事では1階客席内の天井部分2箇所のみを除去した後ホールを使用していますが、安全性を確認するために年2回の濃度測定をすることとしています。今回除去工事後初めての気中検査が行われました。本日は5箇所の測定地点で試料の採取が行われました。採取場所は舞台・舞台周り・客席中央・2階通路・2階廊下です。2階通路・2階廊下部分が除去できなかった場所に近い位置となりますが、アスベストは空気中を浮遊するため、場所の特定は大した意味を持たないかもしれません。

 測定結果はわずか3日後の6月19日付で環境計測株式会社から出されています。全国各地でいっせいに除去工事が行われ、殺到した測定依頼で数ヶ月近く待たされていた頃に比べると、嘘のような迅速さで報告書が出ました。「住民ホール大気中浮遊アスベスト濃度測定(期中検査結果報告書)」には、5箇所全てが規定値以下を示しています。これ以上は危険とされる指針値は10f/L(1立方メートル中にアスベスト繊維が10本存在すると言う意味)ですが、住民ホールの測定値は0.5f/Lでした。ひとまずは安心としても良い結果でしょう。

 私は除去工事の中止に伴い、今後ホールを供用していくなら最低限守ることとして「アスベストの測定を定期的に行い、安全性を確認すること」「測定結果を住民に公表すること」を求めていました。さらには2階の天井部分は、棒や傘などを使うと容易にアスベスト吹きつけ塗料を掻き落とすことができるため、効果は万全でなくても「覆いをつけるべき」と主張しています(残念ながらこの対策工事については、今のところ無視されています)。

 住民ホールを閉鎖してしまえば安全度は増しますが、住民の利用があるからと町は使用を許しています。現実的には仕方がないのかもしれませんが、アスベストを抱えたこのような状況で漫然と開館を続けていってよいものかと私は心が痛みます。せめて住民の皆さんがこれら事実を認識された上で使用されるよう、町はしっかりとした情報提供を行うべきです。

 


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「町は本気ですか?尺代桐ヶ原の住宅開発」

(2007年6月14日 木曜日)

 標題の文言は本日私が提出した(議場での質問は6月25日に行っています)一般質問の通告題名です。桐ヶ原については6月8日の日記において、現況画像と共に紹介しています。日記の最後に「桐か原の最新情報はこの先が本題で、中身については6月議会の一般質問で取り上げます」と記しました。そこで今日は“本題”についての概要をお知らせしたいと思います。

 桐ヶ原の開発に係っては、約20年前に土地を取得した開発業者から再三にわたり住宅開発の申し出がありました。しかし町は総合計画や都市計画マスタープランとの整合性がないことから、当然のことながら認めてはきませんでした。その後はゴルフの練習場として開発の許可を得たものの頓挫し、現在は採石法による許認可の更新のみが行われている状況です。

 現場では実際に採石業を行っている様子もなく、桐ヶ原の実態は6月8日の日記で示した画像の通りです。頂上部は広大な禿山のまま放置され、土砂災害等防災上の危険も心配されるところです。このような状況下にある桐ヶ原に、またぞろ住宅開発を望む計画が出てきました。

 なんと今回は、地元尺代の自治会より要望書が出されてきたのです。要望書に対し町は「〜貴自治会ご要望の点につきましても、JR新駅の開業に合わせ、総合計画の見直しの検討を進めてまいりたい〜」と回答しました。

 自治会はこの回答に非常な歓迎の意を示しました。「当自治会の置かれている社会的苦境についてご理解を賜ると共に、現総合計画の見直し検討について確約をいただき、当自治会積年の問題解決に燭光が見え、随喜に耐えません」とまで述べています。しかも尺代地区開発委員会を発足させ、尺代地区地区計画提案書を作成し町に提出するに至っています。

 ここまで自治会を喜ばせる回答をした町の真意を質す必要から、私は一般質問を組み立てました。桐ヶ原における住宅開発の是非はともかくとしても、開発の大前提である総合計画の見直しを本当に確約したのか?確約をしていないと言うのなら、自治会の“ぬか喜び”は解いておくべきだと迫りました。また地区計画の提案書の内容を明らかにすることも求めました。

 総合政策部長の答弁を要約すれば「総合計画の見直しをするとは確約していない。しかし今後総合計画の見直しをするとすれば、要望の趣旨を十分踏まえて検討したい」というものでした。地区計画提案書については「町では地区計画に関係する条例整備もできていないため、提案書はあくまでも地元自治会の案でしかない」ので明らかにはできませんということです。

 私の前にS議員が対象とするところは違えども、土地利用について総合計画の早期の見直しを迫りました。対する答弁は「総合計画の見直しに着手してまいりたい」と発言しています。従って私から見れば「本気なん?」と思うような桐ヶ原の住宅開発だって、どうなるか分かりません。私は質問の最後に、私の願いを次のように述べました。

 「〜桐ヶ原は住宅開発には適していないと思います。住宅開発は緑豊かな若山台、尺代地域の自然環境を破壊していく道をつけるとしか考えられません。開発にも、これからは発想の転換が必要だと思います。桐ヶ原の剥ぎ取られた頂上部に子どもたちや住民による植樹を再び行い、里山の回復を図る試みがあってもよいと思います。尺代の皆さんのご指導、ご協力をこういうところに頂き、市街地に近い野外活動の場として活用していくような開発が可能になれば、桐ヶ原も生き返ると思います〜」。 

 ただどんな計画も、滞納されている桐ヶ原の税金が完納されての話です。現時点では4億8千万円余りの特別土地保有税(本税が1億7600万円、延滞金が3億6800万円)が滞納しており、町の差し押さえが入っている土地です。尺代自治会はここのところをどのように考えておられるのでしょうか?お聞きしてみたいと思っています。私が情報公開請求を行った地区計画提案書も町は非公開にしましたから、何も分かりません。自治会も広く理解を求めたいのなら、自ら住民に提案書の公開をするくらいの気構えがあってもよいのではないかと思うのですが・・・。

 


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待宵小侍従の墓(伝承地)・顕彰碑は土地付き施設整備付きで町に移管

(2007年6月15日 金曜日)

 町は西日本高速道路株式会社(以下「高速道路」といいます)より、標題の内容で移管を受けることになりました(底地約388平方メートルは7月1日に移管予定)。約1年前から始まった協議は庁内検討も含めて、20回以上に上りました。高速道路との協議をはじめ大阪府教育委員会の助言を得るなどしながら、最終的には約数百万円相当の整備を高速道路に約束させ決着をみました(案内板・道標・ベンチ・倉庫の整備完了は今年度末までに完成)。これらの内容を記した文書が本日付で起案されました。

 さて待宵小侍従のプロフィールですが、本当の名前は分かりません。石清水八幡宮別当大僧都の娘ですからかなり“いいところの娘さん”です。夫の藤原伊実(太政大臣の息子であったから、こちらもなかなかの位です)亡き後、二条天皇に仕えました。天皇没後は小侍従として皇太后に仕え、平安末期〜鎌倉初期の女流歌人として確かな地位を占めました。「待宵」の呼び名は、新古今和歌集に収められた「待つ宵の ふけ行く鐘の こゑきけば あかね別れの 鳥はものかは」(訪い来ぬ人を待ち明かす苦しみを詠んだ歌)に由来しているとか。晩年は出家し、桜井に真如院を開基して隠遁したと伝えられています。

 小侍従の墓(伝承地)の傍には顕彰碑が建てられていますが、この碑は1650年に高槻城主の永井日向守直清が建立したものです(碑銘は林羅山の筆によるもの)。墓もすごいですが、碑も文化的価値の高いものです。江戸時代に時の藩主が顕彰のために建てたのですから。いずれも文化財としては未指定ですが、条例素案も出ている町文化財保護条例が制定されれば指定第一号となると言われています。

 墓と顕彰碑は名神高速道路の拡幅により、もとあった場所(今はなくなった桜井サービスエリア)から名神の下り法面(御所ヶ池に隣接する北側の地)に移されました。そして今度は日本道路公団の民営化(西日本高速道路株式会社)に伴い、会社は「管理を民間会社が行うのは適切でない。無償譲渡で引き取ってくれ」と役場に押し付けてきました。町教育委員会はかねてより地元自治会の「町として管理をして欲しい」との度重なる申し出を、「墓は宗教的な施設、町の管理は無理」断ってきた手前、高速道路には「移管は受けられない」との意思を示しました。高速道路は「受けないなら、伝承地には出入りできないように封鎖する」と通告してきました。

 「哀れ!小侍従さんの遺跡も今後は日の目を見ず朽ち果てるのか」といった瀬戸際で、副町長(当時は助役)の指示により府教委のアドバイスを得ることができました。府教委は「町が墓を含めて、顕彰碑を文化的に価値があると認めるなら、譲渡を受けて町が文化財として管理することに問題はない」と言いました。ヤッタ!これでひとまず“小侍従さん安泰”です。勢いに乗った(?)庁議では「町が半永久的に維持管理を負うことになるため、史跡案内板等の設置も高速道路に持ってもらいましょう」と言った意見が出て、結局数百万円の整備を条件に移管を承諾しました。

 “小侍従さん”に限らず文化財を守っていくのは並大抵のことではありませんが、これからは町と住民が協働し合って維持管理を行い、次の世代に伝えていかなければなりません。成熟した町の営みには、「文化」のメニューを外すわけにはいかないですもの。

   
待宵小侍従の墓(伝承地)
待宵小侍従の顕彰碑
すでに立派な石段と手すりが
出来ています

  


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曖昧です!健診時の採血凝固に関する報告書

(2007年6月16日 土曜日)

 6月4日に行われた住民集団健康診断(レディース健診)で、採血した血液が凝固していた検体がありました。まれに受診者の体質や体調により凝固する場合もあるそうですが、今までの健診においては一度も発生したことがありませんし、今回は同時に3名の方の血液が凝固したという異常な事態が起きました。

 当然町は健診を委託している「船員保険大阪健康管理センター」に原因究明を求めました。健診の翌日には、センターが来庁し口頭の報告を行っています。受診者に起因する原因以外では、血液検査採取に使用したスピッツ(検査用の検体=血液や尿等を入れるための試験管)の不良、または採血後の看護士のスピッツ攪拌不足が考えられると言うことでした。

 追って6月14日付けのセンター報告書も提出されていますが、お詫びは述べられてはいるものの、原因については口頭報告と変わるところはありません。「独自に調査をした」と言い、「採血スピッツの不良や使用期限切れなどは見つかっていない」と記されています。報告書を受け取った町は「原因については特定できていないが、今後の再発防止策として検体採取容器の品質管理と採血後の攪拌作業の徹底を指示した」との文書を起案しています。

 結局は原因が分からずに終結してしまったのですが、私は町の対応を甘いと思っています。私は原因が分からないことを責めているわけではありません。採血スピッツのロットナンバーを示さずして、何故使用期限が切れていないと言えるのか。また使用期限切れでなくても不良品である場合があります。スピッツ製造会社(テルモ)への品質確認調査結果等を含め、行ったとされる調査のデータが一切示されていません。そんな報告書で一件落着は「おかしいのんと違いますか?」と、私は思っています。

 3名の受診者はその後再びの採血に応じてくださいましたが、不安感を持たれたかもしれませんし、なによりもご面倒をおかけしてしまいました。

   


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淀川堤防沿いに新しい町並み次々と

(2007年6月17日 日曜日)

 長男は土曜日に、勤務地の名張市から栄養補給のパラサイト里帰りをします。そして日曜日の早朝には慌しく戻っていきますが、今朝は7時に私を江川府営住宅で、ニュースと共に“落として”くれました。私はここ数日「なんぶニュース」の配布に掛かりきりですが、後4日で議会が始まるため気が焦っていました。本当は長男に江川地区も少し手伝ってもらいたかったのですが、昨日土曜日は島本の3大高地(尺代・桜井台・向陽ヶ丘)への配布を付き合ってくれたので、まあそれだけでも「ありがたい」と思わなくてはならないでしょう。

 私は江川住宅に来た時は、必ず堤防に出て思い切り深呼吸をします。広々とした緑の河川敷と淀川の流れと対岸の八幡市の町並みを見ていると、とてもよい気分になりますが、この見晴らしをセールスポイントにしたスーパー堤防に接する住宅建設が今急ピッチで進んでいます。来年の2月から入居が始まる「ライオンズ水無瀬ローレルコート」は総戸数170(すでに残戸数わずかとか)、隣接の戸建て住宅(約40戸)も次々完成しています。

淀川河川敷と対岸の八幡市

 仮に新しい住宅が200戸として、1世帯3人とすると約600人の人びとが新たに江川地区の住人となるわけです。このうち町外から転入する人の割合は、どれくらいになるのでしょう?島本町は町内で転居する世帯が多いです。みなさんそれだけ住みよいと、愛着を感じてくださっていると言うことでもありますが、人口の伸びは一向に上昇しません。町の計画では3万2千人を目指していますが、3万人を数百人も割って久しいです。転入者数が600人の半数は無理としても、せめて3分の1でもあればと思います。

 
建設進むマンション(国道側から)
戸建て住宅(堤防側から)

 また先日の日記でも書きましたが、江川のスーパー堤防から高浜に到る地域に大規模なマンション建設の計画があります。完成は3年くらい先のようですが、これで人口3万人に近づくのではないかしらと期待していますが、どうでしょうか?私はメリハリのない開発が進みすぎ、人口が急増することのみが望ましい島本町の姿だとは決して思っていません。しかし住民サービスを支える財政基盤の強化には、せめて人口3万人への回復を先ずは目指すべきだと思います。

 この日記を書いた後ちょっと気になって、新しく計画されているマンションの予定地に行って見ました。いつの間にか掲示板が立てられており、私は情報の遅れをお詫びしなくてはなりません。掲示内容からは、私の想像を超えた大規模なマンション(メゾン水無瀬とほぼ同戸数)だと言うことが分かりました。以下にごく概略をお示しいたします。それにしてもこのような大規模開発は、当町の街づくりに大きな影響があるのは必至です。既に建設予定地で掲示がされているのだから、一言議会に報告があっても当然ではないかと思いますが、どうなのでしょうね?

* 敷地面積・・・・23,658平方メートル
* 延べ面積・・・・58,325平方メートル
* 建物の高さ・・・約44m(地上15階・地下1階建て)
* 総戸数・・・・・574戸
* 工事期間・・・・H20年8月〜H23年1月末
* 建築主・・・・・大京、近鉄不動産、住金興産、長谷工コーポレーション
* 工事施行者・・・長谷工コーポレーション
スーパー堤防より予定地の一部を撮る

 


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知らんかったわ!清掃工場にリサイクル工房(炭焼き小屋)出現

(2007年6月18日 月曜日)

 リサイクル工房建設のことは、この日記の日付よりずっと後になって知りました。ただ工房の建設に係る各種の届け(大阪府への建築確認申請・近郊緑地保全区域内行為届出・砂防指定地域内行為届出)は2007年度当初に町が行っています。建築確認申請書では5月末から工事に入り6月15日には完了する計画になっています(8月末に清掃工場を訪問したときには、既に建屋は勿論立派な炭焼き窯が築かれていました)。

 
リサイクル工房の立派な屋根組み
立派な炭焼き窯

 

 リサイクル工房は清掃工場入り口付近の敷地に、約43平米の建屋(炭焼き窯を覆う屋根と支柱の構造)が設置されています。ちなみに炭焼き窯は、某ボランティアクラブの皆さんが手作りで頑張られたと聞いています。工房の建屋は建築確認申請を要したとは言うものの、まあ簡単な構築物です。予定建設費は300万円と書類には書かれていますが、費用は某クラブが大阪府からの助成金で手当てされたようです。

 一方工房敷地等の維持管理については、勿論公有地ですから町は某クラブと覚書を交わしています。ちなみに当敷地を含む土地等については、町は(財)大阪みどりのトラスト協会と「みどりの日制定記念の森保全活動用土地及び施設の使用」に関しての賃貸契約書を結んでいます(ただし賃貸料は無料)。従って実際に炭焼き小屋を使用する某クラブは、町と直接の土地賃貸借契約を交わしているわけではありませんが、トラスト協会の一員であり「記念の森」において定期的な作業及び事業を展開されていることから、私としてもまったく異議を申し立てるつもりはありません。むしろ日ごろの森林保全活動に対しては、大いなる賛意を表したいと思います。

 しかしなんだか引っかかるのです。それはリサイクル工房の建築確認申請等一連の手続きと、建屋の設計及び建設工事の監理業務委託が、建築主として町長名で行われていることです。ところがこれらの業務委託に関しては、お金の動きがまったく生じていません。委託を受けたコンサルタントは町の仕事をタダで行ったのでしょうか?百歩譲って町が手続き的なことに係り某クラブの代行を務めたとしても、コンサルへの支払いはいずれかで発生するはずです。

 よく「タダより高いものはない」と言いますが、そういうことになってはいないかと心配しています。工事手続等の委託先である(株)環境工学コンサルタントは毎年清掃工場補修工事(約7〜8千万円、1億円を超える年もあります)の実施設計等に係っている業者です。これはあくまでも私の想像に過ぎませんが、巨額の補修工事費の中に、今回のリサイクル工房建設のような本来の目的以外の工事費等を紛れ込ませても解らないのではないかと思ってしまいます。いや、そう思われてもしようがないのではないかと・・・私はモヤモヤが晴れません。

 

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