10日間に渡る日記の更新を怠けていましたこと、お詫び致します。言い訳に過ぎないかもしれませんが、私にとっては“一大事”!ドイツの友人(友人の友人を連れて)が3年ぶりに訪れる“大イベント”の幕明けが迫っていたのです。
友人への対応が大変ということではなく、これを機会に家の中を根本的に整理しようと着手したのが、そもそもの間違いでした。いつかまた必要になるかも知れないと取っておいた資料や書籍や議会関係書類等々が溜まりに溜まって、あらゆる収納場所を占拠していました。ついには納める行き場が無くなった書類はダンボールに押し込まれて、寝室にまで積み上げられていたのです。
書類ばかりではなく衣類(いつか着るかも)・日用品の類(いつか使うかも)も少しの油断が積み重なると、どんどん溜まっていたのです。客を迎えるのにこれではあんまりだ!それも整理整頓大好き・衣食住の中で住を最も重視するドイツ人がお客なのです。30年来の友には「やっぱりずっと変わらず、南部さんはすっきりと暮らしているね」と誉めて欲しいと思いました。
ゴールデンウイークの後半から“お掃除大作戦”を開始し、約1週間かかってしまいました。膨大な書類の山から一つひとつの文書に目を通して、捨てるか残すかを判断していくので整理はなかなか進みません。しかも書類は重い!アッチへやりコッチへやりの移動で腰も腕も痛い、ホント疲れ果てました。
・・・という状況が連日続きまして、パソコンにたどり着く前にベッドに転がり込んでおりました。まっ日記の遅れは何を言ってもただの言い訳に過ぎませんし、おまけに日頃の整理能力のまずさをさらけ出してしまったことになりました。いずれにしてもカッコ悪いことには違いありませんよね。
タラタラとした前置きはこのくらいにして、さて日記の再開をしていきますが、本来なら昨年の10月28日分・今年の1月22日分・4月8日分からの再開になるところです。しかしまあこれらの日々は遅れついでということにして、今しばらく置いておいておきます。とりあえず5月1日からの日記をササッと記していきたいと思います。
さぁ〜て、今日から5月です。役場へ向う私の目に、新緑の山が元気よくモコモコと迫ってきます。ここ暫くの間は梅雨の前の爽やかな季節ですが、議会は役員の改選期(4年の任期中、2年で役員を替わります)を迎え、なんとも鬱陶しい日々が続きます。
4月23日の全員協議会で設置された役員選考委員会は、本日が3回目の開催です。選考委員は各会派から1名が出ています。私の会派「人びとの新しい歩み」からは、交代制で今回は平野議員が委員です。委員長(座長だったかな?)は自由民主党クラブの実沢議員です。傍聴は議員のみが許されています(前回折角傍聴にこられた住民の方には申し訳ないことでした)。
前回26日の委員会では三役(議長・副議長・監査委員)の自薦他薦の議員名が挙がりました。「へ〜っ?そういうことか!」。まっ、この人たち(自由民主党クラブ・山吹民主クラブ・公明党)が白紙で臨んでいる訳は無いとはわかっていても、合いも変わらずの“談合役選”だと言うことは見え見えです。“談合“なんて良くない表現ですが、委員長自らが一般住民の傍聴を不可とする理由に、「役選は“談合委員会“みたいなものなんだから」とトンデモナイ言葉を発したのは事実です。
ふ〜ん!議長に山吹民主クラブのH議員、副議長に公明党のO議員、監査に山吹民主クラブのS議員というシナリオですね。山吹民主クラブが三役の内二役を取れば(取るにきまってますが)、前半2年間の自由民主党クラブと全く同様の形となります。私が2年前に猛反対した「同会派から複数の三役を出さない」ことは、何の反省材料にもなっていなかったのですね(期待するほうが愚かなのでしょうか)。
結局自由民主党クラブと山吹民主クラブの大会派(各々5人で構成)が交代で二役を取る構図が出来ているということなのです。そして三役の残る一役は、二役を取らなかった方の大会派と公明党を交えた中から選ぶのです。つまりは人びとの新しい歩みと共産党には、要職である三役は絶対に渡さない・・・これが彼ら(委員として出ている実沢・藤原・杉本議員)の真の姿です。
私たち市民派議員は権力志向とは対極にある政治姿勢を貫いていますから、三役欲しさに何処に向っても尻尾を振ることは間違ってもありません。しかし今回私は監査委員への自薦を表明しました。それは監査を経ているにも係わらず、度重なる行政側の不適切な事務執行が発生している事実を目の当たりにしているからです。監査の強化を図るためには、もう行政に甘い会派から選んでいる場合ではないはずです。従って共産党も私を推薦してくれました。
以上は前回までの状況です。本日も引き続き三役の検討に入り、副議長に公明党のO議員が一瞬全会一致で候補になりかけましたが、人びとの新しい歩みは共産党のK議員に推薦を変更しました。選考委員会は全員の合意が必要ですから、これで副議長も含めて三役全てが、5月14日の臨時議会本会議場での選挙となる公算が大きくなりました。
続いて常任委員会の所属議員名を挙げていきました。一議員一会派所属の前年までとは全く異なり、一議員の複数委員会所属が可能となった地方自治法の改正に伴い、当町議会も条例改正をしました。ただし、条例では一委員会8名以内と定めたため、希望する全ての議員が願いを叶えられるとはいきません。
私の会派はどちらもが新しく民生消防常任委員会を希望しました。私は今までの建設水道常任委員会と民生消防常任委員会、平野議員が総務文教常任委員会と民生消防常任委員会です。常任委員会委員については各会派も含めて、調整が非常に難航し翌日の選考委員会に持ち越されました。中でも焦点になったのが、実は私たち会派の民生消防常任委員会所属希望を巡ってでした。
民生消防常任委員会の所属はどちらかが諦めなければならなかった
(2007年5月2日 水曜日)
午前中は全会派合同の議案説明会が開かれ、5月14日の臨時議会に提出される案件の概要が理事者から示されました。通常この時期の臨時議会は、議長ほかの役員を正式に決めるための“役選議会”になるのですが、今回は報告案件や条例改正・補正予算が上程される予定です。
報告案件は町の国民保護計画策定を議会に報告するものです。全国津々浦々の自治体が国民保護法に規定された通り、(形だけと言ってもいいような)計画を策定しました。そして法の中では議会への報告を義務付けていることから、これまた形だけの報告が「諸般の報告」として行われます。
私は報告に対し、せめて質疑が出来るように主張しましたが、北摂各自治体どこもやっていないとの理由で退けられました。国民保護計画は島本町国民保護協議会の審議を経て策定されたのですが、計画はコンサルタント会社が案を作りました。
そして「計画案」は3回開かれた協議会の、誰一人発言しない会議において認められたのです。しかも住民から寄せられたパブリックコメントを生かしたと言う形跡もなく終了しました。
私は国民保護法が「日本が戦争をすることを可能にする」ことを前提に定められた法律だと思っています。従ってそのような法律に基づいて作られる国民保護計画は、その存在を拒否する考えでいます。だからせめて議会への報告の際には、一言反論したいと悔しい思いでいます。
条例改正は町営緑地公園住宅の集会所の使用に係る内容ですが、3月議会で否決され(私の会派のみ賛成、共産党は保留)、内容変更のうえ再提案されてきました。
あと補正予算がありますが、中身は残土置場の土壌調査に係るものです。残土置場に関しては3月議会の補正予算で、従来の置場のリニューアル工事に係る繰越明許費(その他の工事費も合わせて)が全会一致で否決されてしまいました。
議会が怒ったのは議会が当初予算で認めていた新しい残土置場の予定地を、一切の説明をせずに元の場所に戻して工事をしていたからです。議会の会期が1日延長され町は再提案を行い、ようやく可決に到ったと言うのが前議会での状況でした。その際議会から要求していたのが、土壌調査の実行でした。
今臨時議会で、その調査費用が補正予算として出てきたというわけです。アレコレ書いてきましたが、皆さんにはさぞ解りにくい内容だろうと思います。いずれにしても、兎にも角にも信じられないくらい拙い事務事業執行が行われている、それも連続して起きている実態を、少しは感じてもらえたでしょうか。
午後から役員選考委員会が開かれました。私は傍聴をします。昨日に引き続き、各常任委員会への所属議員を決める話し合いが行われました。私も含めて保育所の民営化問題等から、希望が集中した民生消防常任委員会ですが、私の会派と同じ2名会派で2名共に名乗りを挙げていた共産党も1名に諦めました。
ここから人びとの新しい歩み(私の会派)へのブーイングが激しさを増してきました。私と平野議員の「どちらかが降りなさい」と自由民主党クラブ・山吹民主クラブ・公明党の強い要求です。私たちの会派のいずれかが譲らなければ、役員選考委員会自体が解散してしまう事態に到っていることが私には解りました。
平野さんからは意思表示はありません。私は傍聴者でありながら、休憩を取ってもらう様発言しました。平野議員を誘って廊下に出た私は「私が降ります」と告げました。残念で悔しいけれど、どちらも譲らないで済む話ではなかったのです。
これで難産の常任委員会所属議員が一挙に確定しました。2つの委員会に所属する議員は大変ですが、希望をしても叶えられなかった私のような議員の分まで、しっかりと務めを果してくれるよう願うばかりです。
今年は仲間たちとアピール「9条まもろう」
(2007年5月3日 木曜日)
5月の空は何処までも青く晴れやかです。今日は憲法記念日。絶好のアピール日和です。昨年は水無瀬駅前でたった一人の街頭演説をしていたところ、辻元清美衆議院議員の応援があって嬉しく、聴衆の皆さんも辻元さんの迫力ある演説に喜んでくださったことを思い出します。
わずか1年前のことなのに、この間坂道を転げるように憲法改正への道がつけられてきた、この変わり様には恐ろしさを覚えます。憲法改正にはやけに強気な安倍首相のもと、改憲手続法である国民投票法案の国会審議が進んでいます(5月14日、国民投票法は成立してしまいました)。
「今こそやらねば」と今年は住民の方々と共に、小ぶりながら“生粋島本バージョン”のアピールをすることにしました。地元での憲法街宣「平和憲法を守ろう!憲法9条は捨てるなよ!」の地道な活動が展開できたと思います。
解り易くて、センスの良い素敵なビラを作ってくれたSaさん、高槻でのピースウオークから駆けつけたSiさん・Hさんを始め、私も含めて一生懸命訴えました。
特に思春期の多感な時代に戦争体験をしたSiさんの言葉は深く胸を打ちました。年長の方々が町の“語り部”となって平和を繋いでくれているのも、もうあと暫くの間かもしれません。私たちがしっかりと受け継いでいけるよう、憲法記念日の今日改めて誓いました。
ジャズフェスタを気ままに楽しむ
(2007年5月4日 金曜日)
ドイツの友人を迎えるための“お掃除大作戦”はなかなか進みません。果てしない書類の山に気分が落ち込みます。片づけはチョッとお休みし、連休で帰省している長男の新車で慣らし運転がてら近郊をドライブ。
帰りに寄った高槻では、ジャズフェスティバルの真っ最中でした。アルプラザ前のイタリアレストランでランチを取りましたが、ジャズの調べが店内にも流れてとても良い感じでした。
いまやジャズフェスタは、遠方からも人びとが訪れ10万人を超える有名行事に成長しました。全く官の力無しで、民が自力で立ち上げたお祭りは人が人を呼び、ボランティアがボランティアを誘い、地域力・市民力の増強に繋がっていっています。勿論経済効果も生まれているに違いありません。
島本町で同じことは無理だとしても、タウンセールスプロジェクトチームが取り組むメニューの参考になるのではないでしょうか。ジャズフェスティバルは何よりも演じる人と観る人の距離感が無く、老若男女皆が自由に楽しんでいる様子が判りました。
「子どもの日」子どもを使って高くつき
(2007年5月5日 土曜日)
ヘタな“川柳”もどきを一句したためましたが、大掃除も長男が帰省中のゴールデンウイーク後半に一気の勝負をかけることにしました。何故長男頼みか?答えは「書類が重いから」です。廃棄するためダンボールに詰めたのはいいけれど、私の力では動かせないし持ち上げられない!長男はブウブウ言いながらも良く手伝ってくれました。
そこでと言う訳でもありませんが、私よりはるかにお金持ちの長男に、子どもの日にちなみ“お駄賃”を上げることにしました。丁度新車を購入したことでもあるので、ほんの少し補助の気持ちも込めました。長男の車には夫も私も園芸用品を買うときには、コーナンまで乗っけてもらっていますし(なんとささやかなお願いですこと!)、たま〜のドライブに連れて行ってくれることもあります(ちなみに夫はペーパードライバー、私は運転免許証をもっていません)。
お小遣いの原資は陶器の象(タイで買ったお気に入りの貯金箱)の中に貯めた500円玉です。もうお金が入らないくらい満杯になってしまったので、開けて数えてみることにしました。おおっ!結構溜まっているものです。
500円玉をジャラジャラと言うよりかはズッシリとビニール袋に入れて上からきれいにラッピングします。リボンも結んで小さなカードをぶら下げました。カードには「祝!新車購入。これからも安全運転でアッシー君を願います!父・母より」と書きました。
私は家族でもプレゼントをする時は、チヨット気取って贈り物らしく雰囲気を出すようにしています。特にお互い大人同士、親子といえども剥き出しのお金のやり取りは、贈られる方に心理的な負担を生じさせてしまうと私は思っています。「お金はお金、余計な手間はいらんで」と子どもには言われそうですが、そこは私のこだわりです。大げさに言うと私の“日常的美学”とでも言いましょうか・・・。まあ、そんなこんなで標題の“駄作”となった次第です。
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桜井のレンゲ畑で、今年も元気に鯉のぼり | いつまでも、こうして遊びたいな |
町営住宅跡地の住宅開発計画(公園等)に変更が生じるかもしれません
(2007年5月6日 日曜日)
5月2日の全会派議案説明会で、今臨時議会に提案される議案以外の報告案件が2件あリました。一つは東大寺・山崎地区(旧町営住宅跡地)で開発される計画の変更にかかわる事項です(後一つは阪急水無瀬駅のエレベーター設置にかかわる報告ですが、後日に詳しくお知らせします)。27億円余で当該土地を購入したフジ住宅(株)が、開発の入札コンペにおいて示していた集会所・公園の位置等を変更したいと理由書を提出してきたとの報告がありました。
集会所・公園については、当初旧第一保育所跡を含む場所が予定され、住宅地の東側エリアが「光の街」をテーマとしていることから、同様のコンセプトで検討されていました。しかし計画を精査している中で、光のイメージから「島本町の地域特性である“水と緑”を活かした町のシンボル的公園、他に誇れる公園として設置したい」と考えを変更したと理由書には述べられています。
そこで当初案より西側に移動し、近接の滝谷川(水路)と合わせて水をテーマとし、水のせせらぎの聞える位置に変更、かつ土地の高低差を利用した立体的な公園を今回新たに提案してきました。新提案の場所なら2方向の接道が確保でき、災害時の避難所としての有効性があること、公園内には水を使った特殊設備の設置や現状の桜を残す等、いろいろと「変更した方がよろしいですよ」と言っています。
まあ聞いたところでは特段“下心”もないようですし、この件に限ればあえて「あきません」と言うこともないかと思いますが。しかし町営住宅跡地利用懇話会と言った機関もあることですから、ちゃんと図って検討してもらわなければならないし、さらなる庁内精査も必要です。
また本理由書は4月の中ごろ町に提出されていますが、議会への報告は本日が初めてです。議員への情報提供が2週間以上を経ているのは、いささか遅いと苦言を呈したいと思います。また変更計画案については、住宅地内で1箇所の公園と集会所が中心地から外れるのは、東地区の住民にとってはより不便になると、私は心配しています。
役員選考委員会「三役は選挙に、その他は無事選考終了」、でもその中身たるや!で?
(2007年5月7日 月曜日)
10時から最後の役員選考委員会が開かれました。私は傍聴です。本日は議会選出の委員会・審議会等の委員を決めます。私は法律で議会選出が決められている審議会等は仕方がないとしても、それ以外はもう議会から委員を送るのは止めたほうがいいと思っています。
それは最終的な意思決定機関である議会の一員として、議員がその前段である諮問機関(審議会等)において意見表明をすることの矛盾と、諮問機関等には議員に代わり出来るだけ多くの住民が委員として参画することを望みたいからです。
また私は例え法令上議員の参画が求められていたとしても、いずれの審議会等でも議員への委員報酬は廃止すべきだと主張しています。議会から選出されていることは、言うまでもなく議員の立場で出席している訳です。議員は議員報酬を頂いていますから、それ以外の報酬は必要ありません。(私自身は委員報酬の受取りを拒否しています)。
以上のような内容は常々私が主張し、過日の議会運営等検討委員会でも検討課題に上げましたが、大方の会派は「現状維持」を主張し改革はなりませんでした。議員に対する審議会・委員会等の報酬見直しは、町の行財政改革プランにもあげられている項目です。自らの既得権は温存しておいて、行政に「始末して出を制すべし」とお尻を叩いても説得力はありません。
委員選考とは少々話しがずれましたが、こんなこともしっかり考えて議会選出委員としての役割を果して欲しいと思います。審議会等に出席しても一言も発言せず、委員報酬だけもらって帰る議員のなんと多いこと!・・・嘆かわしいです。
さて肝心の委員選出は、スイスイと45分くらいで決まってしまいました。自由民主党クラブが出した「1期目議員の一人4役よこせ」は、厚かましさを通り越した噴飯ものでしたが、流石に強欲だと認めざるを得ず調整に応じました。
議会議員の役職は皆が公平に務めることを大前提にし、その上で経験や日頃の議員活動や行政へのチェック能力等々を加味して選ばれるべきです。会派内での調整はあったとしても、他会派(人びとの新しい歩みや共産党)をないがしろにして“大政翼賛会”的集合を繰り返しているようでは、「民主主義の学校」と言われる地方自治の精神を自らが汚していることに気付くべきです。
私も通算をすると14年の議員経験がありますが、役選における公平性・透明性は近年急激な下降線を辿っているように思います。つまり近頃の「自公民」には著しい民主度の欠如が見られると言うことです。後日の常任委員会における委員長・副委員長の選出に関しても、今回は私たちと共産党会派は見事に排除されてしまいました(前半任期の2年間は、まだしも人々の新しい歩みと共産党から各1名が副委員長になっていましたが)。
過去には共産党の副議長(私が知っているだけでも二人)、常任委員会委員長・副委員長は数えられないくらい選出されていました(私自身も民生消防常任委員長を務めたことがあります)。他自治体の議会では、行政に厳しい会派・議員がどんどん要職に就いています。当町議会が社会の情勢にも背を向けているように思え、腹立たしく残念でなりませんが、兎にも角にも役員選考委員会は終了しました。ヤレヤレ、後味悪〜うっ・・・はぁ〜ぁ(とため息です)!
突然ですが、2007年1月21日(日)付けの私の日記に訂正を求められていますので、訂正のお知らせをいたします。1月21日の日記は2006年10月27日の日記から開いてくだされば出てきます。
訂正を求める文書は2007年5月18日付で「安心できる島本町の保育を考える会」会長名で自宅ポストに入っていました。現在5月上旬の日記を書いていますが、18日分に到達するにはまだ暫くかかります。しかし「会」のご要望には早くお応えしたいと思い、頂いた文章をここで差し挟さみます。会長の個人名と電話番号は個人情報ですから伏せて、文面はそのまま掲載させていただきます(再びの誤解を生じますと拙いですから)。
南部由美子議員
平素は住民のための議員活動ご苦労さまです。また当「安心できる島本町の保育を考える会」主催の学習会にはいつもご参加いただきありがとうございます。
さて先日、当会員より議員のホームページに事実と若干異なる記述があるとの情報が寄せられ確認させていただきました。確かに、少し表現を変えていただいた方がよいと思われる部分がございましたので、連絡させていただきます。
当該箇所は、週間日記2007年1月21日(日)の当会に関する以下の部分です。
>本日21日の学習会は、保護者有志の「考える会」が呼びかけて開かれました。
>あくまでも私見にすぎませんが、「会」には某政党の係りがあるように思いました。
>某政党議員が講師を務めましたし、某政党支持の職員組合員の複数参加もありました。
以下、「会」の記録を元に正確な情報をお知らせいたします。
* 呼びかけたのは、当時は正式発足前の「保育を考える(仮称)準備会」でした。
* 講師を務めたのは、保護者OBでした。(第一保育所廃止問題の際の保護者として当時の経験を話されました)
* 職員組合員も参加していましたが、非組合員も参加していました。
以上の事実を元に訂正いただければ幸いです。
2007年5月18日 |
安心できる島本町の保育を考える会 |
会 長 ○○ ○○ |
phone/○○○-○○○○ |
「会」の会長様、会員の皆様のお申し出を確かにお受けいたしました。差し出がましいようですが、1月21日の日記全文をお読みいただければお分かりのように、当日の学習会を私自身は非常に有意義と受け止めさせていただいております。その気持ちを住民の皆さんに正直にお伝えしたいと思ったが故の文章だと、「会」の皆様には是非ご理解いただきたいと、これだけはお分かりいただきたいと切にお願い申し上げます。
しかしお申し出を頂いた文章の通りに「会」の皆様が認識しておられるとすれば、それは大変に申し訳ないことです。私といたしましてはいろいろご説明したい所もございますが、ここはおっしゃる通りに無条件の訂正をさせていただきたいと思っております。具体の訂正は、遡って1月21日の日記でさせていただきますのでご了承ください。
尚当学習会に関しましては3月議会の一般質問でも取り上げさせていただきました。民生消防常任委員会での予算審査において、山吹民主クラブのH議員が当学習会にクレームをつけたことに対し、私が反論し理事者にせまった内容を含んだ一般質問です。このことからも私の「安心できる島本町の保育を考える会」への認識をご推察いただければ幸いです。
昨日の続き、幼稚園児のタケノコ堀り
(2007年5月8日 火曜日)
昨日のことになりますが、役員選考委員会が思いのほか早く終了したため、幼稚園児らのタケノコ堀りを見学に行きました。町立の第一・第二幼稚園では、毎年この時期に山の持ち主のご好意を受けて、タケノコ堀りを園の大事な行事にしています。
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子どもたちもタケノコもスクスクと育ったね
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タケノコを傷つけないで掘り出す長〜いクワ
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島本高校の南側にある越谷池あたりに、よく手入れされた竹やぶが広がっています。ここには竹炭を焼く越谷窯もあります。私の到着が遅かったせいか、子どもたちがタケノコを掘り出す奮闘ぶりを見るには間に合いませんでした。
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これぞタケノコ“山”
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しかし竹篭の中にはタケノコが山盛りでした。靴もお尻も泥だらけにした園児たちは、ハラハラと竹の葉が舞う中(“竹の秋”ですね)、タケノコ山のおじさんにお礼を言って帰っていきました。園長先生の言葉「こんな体験をさせてもらえるところが、島本町のホンマにいいところです」に私も同感しました。
収穫したタケノコはすぐに幼稚園の大鍋で湯がき、園児がおうちの人へお土産に持って帰るそうです。またべつに煮しめたタケノコを、明日のお弁当時に供するそうです。
キラキラ光る初夏の緑の中、私は気持ちよく帰っていましたが、後ろからタケノコ山のおじさんが運転する軽トラックが追い越していきました。何と!荷台には見学にきていたI議員が、タケノコと共に乗っているではありませんか。