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 10日間に渡る日記の更新を怠けていましたこと、お詫び致します。言い訳に過ぎないかもしれませんが、私にとっては“一大事”!ドイツの友人(友人の友人を連れて)が3年ぶりに訪れる“大イベント”の幕明けが迫っていたのです。

 友人への対応が大変ということではなく、これを機会に家の中を根本的に整理しようと着手したのが、そもそもの間違いでした。いつかまた必要になるかも知れないと取っておいた資料や書籍や議会関係書類等々が溜まりに溜まって、あらゆる収納場所を占拠していました。ついには納める行き場が無くなった書類はダンボールに押し込まれて、寝室にまで積み上げられていたのです。

 書類ばかりではなく衣類(いつか着るかも)・日用品の類(いつか使うかも)も少しの油断が積み重なると、どんどん溜まっていたのです。客を迎えるのにこれではあんまりだ!それも整理整頓大好き・衣食住の中で住を最も重視するドイツ人がお客なのです。30年来の友には「やっぱりずっと変わらず、南部さんはすっきりと暮らしているね」と誉めて欲しいと思いました。

 ゴールデンウイークの後半から“お掃除大作戦”を開始し、約1週間かかってしまいました。膨大な書類の山から一つひとつの文書に目を通して、捨てるか残すかを判断していくので整理はなかなか進みません。しかも書類は重い!アッチへやりコッチへやりの移動で腰も腕も痛い、ホント疲れ果てました。

 ・・・という状況が連日続きまして、パソコンにたどり着く前にベッドに転がり込んでおりました。まっ日記の遅れは何を言ってもただの言い訳に過ぎませんし、おまけに日頃の整理能力のまずさをさらけ出してしまったことになりました。いずれにしてもカッコ悪いことには違いありませんよね。

 タラタラとした前置きはこのくらいにして、さて日記の再開をしていきますが、本来なら昨年の10月28日分・今年の1月22日分・4月8日分からの再開になるところです。しかしまあこれらの日々は遅れついでということにして、今しばらく置いておいておきます。とりあえず5月1日からの日記をササッと記していきたいと思います。

 


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爽やか5月の風も戸惑う“ドロドロ役選”

(2007年5月1日 火曜日)

 さぁ〜て、今日から5月です。役場へ向う私の目に、新緑の山が元気よくモコモコと迫ってきます。ここ暫くの間は梅雨の前の爽やかな季節ですが、議会は役員の改選期(4年の任期中、2年で役員を替わります)を迎え、なんとも鬱陶しい日々が続きます。

 4月23日の全員協議会で設置された役員選考委員会は、本日が3回目の開催です。選考委員は各会派から1名が出ています。私の会派「人びとの新しい歩み」からは、交代制で今回は平野議員が委員です。委員長(座長だったかな?)は自由民主党クラブの実沢議員です。傍聴は議員のみが許されています(前回折角傍聴にこられた住民の方には申し訳ないことでした)。

 前回26日の委員会では三役(議長・副議長・監査委員)の自薦他薦の議員名が挙がりました。「へ〜っ?そういうことか!」。まっ、この人たち(自由民主党クラブ・山吹民主クラブ・公明党)が白紙で臨んでいる訳は無いとはわかっていても、合いも変わらずの“談合役選”だと言うことは見え見えです。“談合“なんて良くない表現ですが、委員長自らが一般住民の傍聴を不可とする理由に、「役選は“談合委員会“みたいなものなんだから」とトンデモナイ言葉を発したのは事実です。

 ふ〜ん!議長に山吹民主クラブのH議員、副議長に公明党のO議員、監査に山吹民主クラブのS議員というシナリオですね。山吹民主クラブが三役の内二役を取れば(取るにきまってますが)、前半2年間の自由民主党クラブと全く同様の形となります。私が2年前に猛反対した「同会派から複数の三役を出さない」ことは、何の反省材料にもなっていなかったのですね(期待するほうが愚かなのでしょうか)。

 結局自由民主党クラブと山吹民主クラブの大会派(各々5人で構成)が交代で二役を取る構図が出来ているということなのです。そして三役の残る一役は、二役を取らなかった方の大会派と公明党を交えた中から選ぶのです。つまりは人びとの新しい歩みと共産党には、要職である三役は絶対に渡さない・・・これが彼ら(委員として出ている実沢・藤原・杉本議員)の真の姿です。

 私たち市民派議員は権力志向とは対極にある政治姿勢を貫いていますから、三役欲しさに何処に向っても尻尾を振ることは間違ってもありません。しかし今回私は監査委員への自薦を表明しました。それは監査を経ているにも係わらず、度重なる行政側の不適切な事務執行が発生している事実を目の当たりにしているからです。監査の強化を図るためには、もう行政に甘い会派から選んでいる場合ではないはずです。従って共産党も私を推薦してくれました。

 以上は前回までの状況です。本日も引き続き三役の検討に入り、副議長に公明党のO議員が一瞬全会一致で候補になりかけましたが、人びとの新しい歩みは共産党のK議員に推薦を変更しました。選考委員会は全員の合意が必要ですから、これで副議長も含めて三役全てが、5月14日の臨時議会本会議場での選挙となる公算が大きくなりました。

 続いて常任委員会の所属議員名を挙げていきました。一議員一会派所属の前年までとは全く異なり、一議員の複数委員会所属が可能となった地方自治法の改正に伴い、当町議会も条例改正をしました。ただし、条例では一委員会8名以内と定めたため、希望する全ての議員が願いを叶えられるとはいきません。

 私の会派はどちらもが新しく民生消防常任委員会を希望しました。私は今までの建設水道常任委員会と民生消防常任委員会、平野議員が総務文教常任委員会と民生消防常任委員会です。常任委員会委員については各会派も含めて、調整が非常に難航し翌日の選考委員会に持ち越されました。中でも焦点になったのが、実は私たち会派の民生消防常任委員会所属希望を巡ってでした。

 


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民生消防常任委員会の所属はどちらかが諦めなければならなかった

(2007年5月2日 水曜日)

 午前中は全会派合同の議案説明会が開かれ、5月14日の臨時議会に提出される案件の概要が理事者から示されました。通常この時期の臨時議会は、議長ほかの役員を正式に決めるための“役選議会”になるのですが、今回は報告案件や条例改正・補正予算が上程される予定です。

 報告案件は町の国民保護計画策定を議会に報告するものです。全国津々浦々の自治体が国民保護法に規定された通り、(形だけと言ってもいいような)計画を策定しました。そして法の中では議会への報告を義務付けていることから、これまた形だけの報告が「諸般の報告」として行われます。

 私は報告に対し、せめて質疑が出来るように主張しましたが、北摂各自治体どこもやっていないとの理由で退けられました。国民保護計画は島本町国民保護協議会の審議を経て策定されたのですが、計画はコンサルタント会社が案を作りました。

 そして「計画案」は3回開かれた協議会の、誰一人発言しない会議において認められたのです。しかも住民から寄せられたパブリックコメントを生かしたと言う形跡もなく終了しました。

 私は国民保護法が「日本が戦争をすることを可能にする」ことを前提に定められた法律だと思っています。従ってそのような法律に基づいて作られる国民保護計画は、その存在を拒否する考えでいます。だからせめて議会への報告の際には、一言反論したいと悔しい思いでいます。

 条例改正は町営緑地公園住宅の集会所の使用に係る内容ですが、3月議会で否決され(私の会派のみ賛成、共産党は保留)、内容変更のうえ再提案されてきました。

 あと補正予算がありますが、中身は残土置場の土壌調査に係るものです。残土置場に関しては3月議会の補正予算で、従来の置場のリニューアル工事に係る繰越明許費(その他の工事費も合わせて)が全会一致で否決されてしまいました。

 議会が怒ったのは議会が当初予算で認めていた新しい残土置場の予定地を、一切の説明をせずに元の場所に戻して工事をしていたからです。議会の会期が1日延長され町は再提案を行い、ようやく可決に到ったと言うのが前議会での状況でした。その際議会から要求していたのが、土壌調査の実行でした。

 今臨時議会で、その調査費用が補正予算として出てきたというわけです。アレコレ書いてきましたが、皆さんにはさぞ解りにくい内容だろうと思います。いずれにしても、兎にも角にも信じられないくらい拙い事務事業執行が行われている、それも連続して起きている実態を、少しは感じてもらえたでしょうか。

 午後から役員選考委員会が開かれました。私は傍聴をします。昨日に引き続き、各常任委員会への所属議員を決める話し合いが行われました。私も含めて保育所の民営化問題等から、希望が集中した民生消防常任委員会ですが、私の会派と同じ2名会派で2名共に名乗りを挙げていた共産党も1名に諦めました。

 ここから人びとの新しい歩み(私の会派)へのブーイングが激しさを増してきました。私と平野議員の「どちらかが降りなさい」と自由民主党クラブ・山吹民主クラブ・公明党の強い要求です。私たちの会派のいずれかが譲らなければ、役員選考委員会自体が解散してしまう事態に到っていることが私には解りました。

 平野さんからは意思表示はありません。私は傍聴者でありながら、休憩を取ってもらう様発言しました。平野議員を誘って廊下に出た私は「私が降ります」と告げました。残念で悔しいけれど、どちらも譲らないで済む話ではなかったのです。

 これで難産の常任委員会所属議員が一挙に確定しました。2つの委員会に所属する議員は大変ですが、希望をしても叶えられなかった私のような議員の分まで、しっかりと務めを果してくれるよう願うばかりです。

 


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今年は仲間たちとアピール「9条まもろう」

(2007年5月3日 木曜日)

 5月の空は何処までも青く晴れやかです。今日は憲法記念日。絶好のアピール日和です。昨年は水無瀬駅前でたった一人の街頭演説をしていたところ、辻元清美衆議院議員の応援があって嬉しく、聴衆の皆さんも辻元さんの迫力ある演説に喜んでくださったことを思い出します。

 わずか1年前のことなのに、この間坂道を転げるように憲法改正への道がつけられてきた、この変わり様には恐ろしさを覚えます。憲法改正にはやけに強気な安倍首相のもと、改憲手続法である国民投票法案の国会審議が進んでいます(5月14日、国民投票法は成立してしまいました)。

 「今こそやらねば」と今年は住民の方々と共に、小ぶりながら“生粋島本バージョン”のアピールをすることにしました。地元での憲法街宣「平和憲法を守ろう!憲法9条は捨てるなよ!」の地道な活動が展開できたと思います。

 解り易くて、センスの良い素敵なビラを作ってくれたSaさん、高槻でのピースウオークから駆けつけたSiさん・Hさんを始め、私も含めて一生懸命訴えました。

 特に思春期の多感な時代に戦争体験をしたSiさんの言葉は深く胸を打ちました。年長の方々が町の“語り部”となって平和を繋いでくれているのも、もうあと暫くの間かもしれません。私たちがしっかりと受け継いでいけるよう、憲法記念日の今日改めて誓いました。

 


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ジャズフェスタを気ままに楽しむ

(2007年5月4日 金曜日)

 ドイツの友人を迎えるための“お掃除大作戦”はなかなか進みません。果てしない書類の山に気分が落ち込みます。片づけはチョッとお休みし、連休で帰省している長男の新車で慣らし運転がてら近郊をドライブ。

 帰りに寄った高槻では、ジャズフェスティバルの真っ最中でした。アルプラザ前のイタリアレストランでランチを取りましたが、ジャズの調べが店内にも流れてとても良い感じでした。

 いまやジャズフェスタは、遠方からも人びとが訪れ10万人を超える有名行事に成長しました。全く官の力無しで、民が自力で立ち上げたお祭りは人が人を呼び、ボランティアがボランティアを誘い、地域力・市民力の増強に繋がっていっています。勿論経済効果も生まれているに違いありません。

 島本町で同じことは無理だとしても、タウンセールスプロジェクトチームが取り組むメニューの参考になるのではないでしょうか。ジャズフェスティバルは何よりも演じる人と観る人の距離感が無く、老若男女皆が自由に楽しんでいる様子が判りました。

 


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「子どもの日」子どもを使って高くつき

(2007年5月5日 土曜日)

 ヘタな“川柳”もどきを一句したためましたが、大掃除も長男が帰省中のゴールデンウイーク後半に一気の勝負をかけることにしました。何故長男頼みか?答えは「書類が重いから」です。廃棄するためダンボールに詰めたのはいいけれど、私の力では動かせないし持ち上げられない!長男はブウブウ言いながらも良く手伝ってくれました。

 そこでと言う訳でもありませんが、私よりはるかにお金持ちの長男に、子どもの日にちなみ“お駄賃”を上げることにしました。丁度新車を購入したことでもあるので、ほんの少し補助の気持ちも込めました。長男の車には夫も私も園芸用品を買うときには、コーナンまで乗っけてもらっていますし(なんとささやかなお願いですこと!)、たま〜のドライブに連れて行ってくれることもあります(ちなみに夫はペーパードライバー、私は運転免許証をもっていません)。

 お小遣いの原資は陶器の象(タイで買ったお気に入りの貯金箱)の中に貯めた500円玉です。もうお金が入らないくらい満杯になってしまったので、開けて数えてみることにしました。おおっ!結構溜まっているものです。

 500円玉をジャラジャラと言うよりかはズッシリとビニール袋に入れて上からきれいにラッピングします。リボンも結んで小さなカードをぶら下げました。カードには「祝!新車購入。これからも安全運転でアッシー君を願います!父・母より」と書きました。

 私は家族でもプレゼントをする時は、チヨット気取って贈り物らしく雰囲気を出すようにしています。特にお互い大人同士、親子といえども剥き出しのお金のやり取りは、贈られる方に心理的な負担を生じさせてしまうと私は思っています。「お金はお金、余計な手間はいらんで」と子どもには言われそうですが、そこは私のこだわりです。大げさに言うと私の“日常的美学”とでも言いましょうか・・・。まあ、そんなこんなで標題の“駄作”となった次第です。

桜井のレンゲ畑で、今年も元気に鯉のぼり いつまでも、こうして遊びたいな

 


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町営住宅跡地の住宅開発計画(公園等)に変更が生じるかもしれません

(2007年5月6日 日曜日)

 5月2日の全会派議案説明会で、今臨時議会に提案される議案以外の報告案件が2件あリました。一つは東大寺・山崎地区(旧町営住宅跡地)で開発される計画の変更にかかわる事項です(後一つは阪急水無瀬駅のエレベーター設置にかかわる報告ですが、後日に詳しくお知らせします)。27億円余で当該土地を購入したフジ住宅(株)が、開発の入札コンペにおいて示していた集会所・公園の位置等を変更したいと理由書を提出してきたとの報告がありました。

 集会所・公園については、当初旧第一保育所跡を含む場所が予定され、住宅地の東側エリアが「光の街」をテーマとしていることから、同様のコンセプトで検討されていました。しかし計画を精査している中で、光のイメージから「島本町の地域特性である“水と緑”を活かした町のシンボル的公園、他に誇れる公園として設置したい」と考えを変更したと理由書には述べられています。

 そこで当初案より西側に移動し、近接の滝谷川(水路)と合わせて水をテーマとし、水のせせらぎの聞える位置に変更、かつ土地の高低差を利用した立体的な公園を今回新たに提案してきました。新提案の場所なら2方向の接道が確保でき、災害時の避難所としての有効性があること、公園内には水を使った特殊設備の設置や現状の桜を残す等、いろいろと「変更した方がよろしいですよ」と言っています。

 まあ聞いたところでは特段“下心”もないようですし、この件に限ればあえて「あきません」と言うこともないかと思いますが。しかし町営住宅跡地利用懇話会と言った機関もあることですから、ちゃんと図って検討してもらわなければならないし、さらなる庁内精査も必要です。

 また本理由書は4月の中ごろ町に提出されていますが、議会への報告は本日が初めてです。議員への情報提供が2週間以上を経ているのは、いささか遅いと苦言を呈したいと思います。また変更計画案については、住宅地内で1箇所の公園と集会所が中心地から外れるのは、東地区の住民にとってはより不便になると、私は心配しています。

 


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役員選考委員会「三役は選挙に、その他は無事選考終了」、でもその中身たるや!で?

(2007年5月7日 月曜日)

 10時から最後の役員選考委員会が開かれました。私は傍聴です。本日は議会選出の委員会・審議会等の委員を決めます。私は法律で議会選出が決められている審議会等は仕方がないとしても、それ以外はもう議会から委員を送るのは止めたほうがいいと思っています。

 それは最終的な意思決定機関である議会の一員として、議員がその前段である諮問機関(審議会等)において意見表明をすることの矛盾と、諮問機関等には議員に代わり出来るだけ多くの住民が委員として参画することを望みたいからです。

 また私は例え法令上議員の参画が求められていたとしても、いずれの審議会等でも議員への委員報酬は廃止すべきだと主張しています。議会から選出されていることは、言うまでもなく議員の立場で出席している訳です。議員は議員報酬を頂いていますから、それ以外の報酬は必要ありません。(私自身は委員報酬の受取りを拒否しています)。

 以上のような内容は常々私が主張し、過日の議会運営等検討委員会でも検討課題に上げましたが、大方の会派は「現状維持」を主張し改革はなりませんでした。議員に対する審議会・委員会等の報酬見直しは、町の行財政改革プランにもあげられている項目です。自らの既得権は温存しておいて、行政に「始末して出を制すべし」とお尻を叩いても説得力はありません。

 委員選考とは少々話しがずれましたが、こんなこともしっかり考えて議会選出委員としての役割を果して欲しいと思います。審議会等に出席しても一言も発言せず、委員報酬だけもらって帰る議員のなんと多いこと!・・・嘆かわしいです。

 さて肝心の委員選出は、スイスイと45分くらいで決まってしまいました。自由民主党クラブが出した「1期目議員の一人4役よこせ」は、厚かましさを通り越した噴飯ものでしたが、流石に強欲だと認めざるを得ず調整に応じました。

 議会議員の役職は皆が公平に務めることを大前提にし、その上で経験や日頃の議員活動や行政へのチェック能力等々を加味して選ばれるべきです。会派内での調整はあったとしても、他会派(人びとの新しい歩みや共産党)をないがしろにして“大政翼賛会”的集合を繰り返しているようでは、「民主主義の学校」と言われる地方自治の精神を自らが汚していることに気付くべきです。

 私も通算をすると14年の議員経験がありますが、役選における公平性・透明性は近年急激な下降線を辿っているように思います。つまり近頃の「自公民」には著しい民主度の欠如が見られると言うことです。後日の常任委員会における委員長・副委員長の選出に関しても、今回は私たちと共産党会派は見事に排除されてしまいました(前半任期の2年間は、まだしも人々の新しい歩みと共産党から各1名が副委員長になっていましたが)。

 過去には共産党の副議長(私が知っているだけでも二人)、常任委員会委員長・副委員長は数えられないくらい選出されていました(私自身も民生消防常任委員長を務めたことがあります)。他自治体の議会では、行政に厳しい会派・議員がどんどん要職に就いています。当町議会が社会の情勢にも背を向けているように思え、腹立たしく残念でなりませんが、兎にも角にも役員選考委員会は終了しました。ヤレヤレ、後味悪〜うっ・・・はぁ〜ぁ(とため息です)!

 


 

 突然ですが、2007年1月21日(日)付けの私の日記に訂正を求められていますので、訂正のお知らせをいたします。1月21日の日記は2006年10月27日の日記から開いてくだされば出てきます。

 訂正を求める文書は2007年5月18日付で「安心できる島本町の保育を考える会」会長名で自宅ポストに入っていました。現在5月上旬の日記を書いていますが、18日分に到達するにはまだ暫くかかります。しかし「会」のご要望には早くお応えしたいと思い、頂いた文章をここで差し挟さみます。会長の個人名と電話番号は個人情報ですから伏せて、文面はそのまま掲載させていただきます(再びの誤解を生じますと拙いですから)。

南部由美子議員

 平素は住民のための議員活動ご苦労さまです。また当「安心できる島本町の保育を考える会」主催の学習会にはいつもご参加いただきありがとうございます。

 さて先日、当会員より議員のホームページに事実と若干異なる記述があるとの情報が寄せられ確認させていただきました。確かに、少し表現を変えていただいた方がよいと思われる部分がございましたので、連絡させていただきます。

 当該箇所は、週間日記2007年1月21日(日)の当会に関する以下の部分です。

>本日21日の学習会は、保護者有志の「考える会」が呼びかけて開かれました。

>あくまでも私見にすぎませんが、「会」には某政党の係りがあるように思いました。

>某政党議員が講師を務めましたし、某政党支持の職員組合員の複数参加もありました。

 以下、「会」の記録を元に正確な情報をお知らせいたします。

* 呼びかけたのは、当時は正式発足前の「保育を考える(仮称)準備会」でした。

* 講師を務めたのは、保護者OBでした。(第一保育所廃止問題の際の保護者として当時の経験を話されました)

* 職員組合員も参加していましたが、非組合員も参加していました。

 以上の事実を元に訂正いただければ幸いです。

 

2007年5月18日
安心できる島本町の保育を考える会
会 長  ○○ ○○
phone/○○○-○○○○

 「会」の会長様、会員の皆様のお申し出を確かにお受けいたしました。差し出がましいようですが、1月21日の日記全文をお読みいただければお分かりのように、当日の学習会を私自身は非常に有意義と受け止めさせていただいております。その気持ちを住民の皆さんに正直にお伝えしたいと思ったが故の文章だと、「会」の皆様には是非ご理解いただきたいと、これだけはお分かりいただきたいと切にお願い申し上げます。

 しかしお申し出を頂いた文章の通りに「会」の皆様が認識しておられるとすれば、それは大変に申し訳ないことです。私といたしましてはいろいろご説明したい所もございますが、ここはおっしゃる通りに無条件の訂正をさせていただきたいと思っております。具体の訂正は、遡って1月21日の日記でさせていただきますのでご了承ください。

 尚当学習会に関しましては3月議会の一般質問でも取り上げさせていただきました。民生消防常任委員会での予算審査において、山吹民主クラブのH議員が当学習会にクレームをつけたことに対し、私が反論し理事者にせまった内容を含んだ一般質問です。このことからも私の「安心できる島本町の保育を考える会」への認識をご推察いただければ幸いです。

 


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昨日の続き、幼稚園児のタケノコ堀り

(2007年5月8日 火曜日)

 昨日のことになりますが、役員選考委員会が思いのほか早く終了したため、幼稚園児らのタケノコ堀りを見学に行きました。町立の第一・第二幼稚園では、毎年この時期に山の持ち主のご好意を受けて、タケノコ堀りを園の大事な行事にしています。

子どもたちもタケノコもスクスクと育ったね
タケノコを傷つけないで掘り出す長〜いクワ

 島本高校の南側にある越谷池あたりに、よく手入れされた竹やぶが広がっています。ここには竹炭を焼く越谷窯もあります。私の到着が遅かったせいか、子どもたちがタケノコを掘り出す奮闘ぶりを見るには間に合いませんでした。

これぞタケノコ“山”

 しかし竹篭の中にはタケノコが山盛りでした。靴もお尻も泥だらけにした園児たちは、ハラハラと竹の葉が舞う中(“竹の秋”ですね)、タケノコ山のおじさんにお礼を言って帰っていきました。園長先生の言葉「こんな体験をさせてもらえるところが、島本町のホンマにいいところです」に私も同感しました。

 収穫したタケノコはすぐに幼稚園の大鍋で湯がき、園児がおうちの人へお土産に持って帰るそうです。またべつに煮しめたタケノコを、明日のお弁当時に供するそうです。

 キラキラ光る初夏の緑の中、私は気持ちよく帰っていましたが、後ろからタケノコ山のおじさんが運転する軽トラックが追い越していきました。何と!荷台には見学にきていたI議員が、タケノコと共に乗っているではありませんか。

 「お先に〜」と彼女はニッコリ笑って去っていきましたが、荷台に許可なくして人が乗ってもよかったかしら?もしもルール違反なら、乗っている人も乗せた人も共に議員なので拙いですよ・・・と、ふと思いました(ホントはどうなんだろう?)。

 さて本日8日は議会運営委員会に出席しました。5月14日に開かれる臨時議会の議事日程の確認を行いました。案件については5月2日の日記に概要を書いています(この日記を書いている現在、もう既に議会は終わってしまっていますが)。それにしても今日の議運時には、波乱の臨時議会を想像もしませんでした。

 


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エレベーターは欲しいけれど4億円はきつい!

(2007年5月9日 水曜日)

 5月2日の全会派議案説明会で、報告事項が2件ありました。一つは5月6日の日記でお知らせしましたが、町営住宅跡地の開発計画の中で、公園及び集会所の位置変更を事業者が願い出ていると言う報告でした。

 もう一つの報告は阪急水無瀬駅のエレベーター設置についてでした。阪急電鉄(株)取締役鉄道技術部長名の文書(4月27日付け)が町に届いています。標題は「阪急電鉄水無瀬駅における移動円滑化等施設整備について(協議)」となっていますが、要するに「エレベーター設置について、島本町は同意してくれませんか」と言ってきている訳です。

 現在の水無瀬駅には、あっても無くてもいいくらいのわずか十数段のエスカレーターが付いているのみで、ホームへの長い階段に辛い思いをしている人は多いです。ですから「やっと阪急がその気(エレベーター設置)になってくれたかと、もろ手を挙げて賛成したいところですが、なんとなんと!町に「4億円出して頂戴」が条件の計画なのでした。

 文中には「4億円」の文字は一切出てきてはいませんが、施設整備の実施前提として「貴町(島本町のこと)及び大阪府(府からは2600万円のみの補助しか出ない)より総額の3分の1、かつ国より3分の1の補助を受けられること」と記されています。

 残りの3分の1を阪急が自己負担するわけですが、では一体「総額」っていくらなの?となるわけですが、え〜っ!何と12億円だそうです。だからその3分の1は4億円、いくらなんでも「たっ・・・高い」思わず絶句です。まあ計画はあくまでも「案」であり事業費も概算ではありますが、町財政の現況ではとても出せるお金ではありません。起債が可能と言いますが、ただでさえ多い借金をこれ以上増やすのも怖いことです。

 しかし、しかし多くの住民が待ち望んでいるエレベーター設置に全く背を向けてしまうわけにもいきません。「バリアフリーを手に入れるために、町は4億円出してください」と住民が言うためには、私たちもそれ相当の我慢や痛みを覚悟しなければならないでしょう。とても難しいし、悩ましいことです。私自身も今はまだ回答が出せません。

 では12億円の計画とはどのような内容なのでしょうか?阪急電鉄からの文書には、エレベーターの配置計画(案)の略図も添付されています。図によると、先ずは地上からエレベーターで一方のホームに上がります。上がったホームからもう一方のホームに行くために再びエレベーターに乗り上昇します。エレベーターを降りて両ホームを繋ぐ線路上空の跨線橋を渡り、またエレベーターに乗り下降して反対側のホームにやっと到着します。

 つまり2階建てのエレベータで線路をまたぐと言う訳です。これはあくまでも概案ですから、もっとよい方法があるかもしれないし、そうなると費用も安くなるかもしれません。今回阪急電鉄が町の意思を訊いてきたのは、2008年度の概算要望を国土交通省に出すためです。「何故2008年度なのか?」は策定中の「島本町交通バリアフリー基本構想」に合致させるためだと、阪急は町に自らの責務を振っているようにも思えます。

 「基本構想に阪急水無瀬駅のエレベーター設置を目玉で入れたいなら、町は4億円出してね」「基本構想の整備目標期限は2010年度でしょう?それなら2008年度の事業費概算要望に間に合わなければなりません。そのためには今、エレベーター設置に同意するとの町の意志を決めてもらいたい」と阪急電鉄は言っているのです。

 そして「5月7日までに返事して」とせっついています。わずか10日でこんな大事なことを決められるわけがありません。議会にも5月2日に初めて説明しただけです。さて町がどのような返事をしたのかは、後日の日記に記します。

 


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上牧にお勧めスポット誕生「二十四節記」

(2007年5月10日 木曜日)

 今日は朝からこまごまとした用事が重なります。議員用のファックスが機能停止で、NTTが修理にきます。大山積みのごみをごみ置き場に出して収集車を待ちます。ドイツからの友人(既に8日に到着)に会うため、次男が所沢から帰省します(長男は明朝、三重から戻ってきます)。

 我家の息子たちはドイツ人の友人を母親(私)の友達としてだけではなく、自分たちの成長過程に大きな影響を与えてくれた“大事な人”として接しています。「おばちゃんに会いたい」と、長男も次男も2人揃っての休暇の調整には四苦八苦したようです。

 お昼になるギリギリ手前で、午前中が締め切りの臨時議会用資料請求を提出します(面倒がらずに資料請求をしておいて本当に良かったです。出てきた資料でしっかりと理事者を質すことが出来ましたから)。午後からは明日のランチと夕ご飯パーティーのための買出しに出かけます。

 なんだか落ち着かずバタバタしている間にも、お掃除漏れをチェック・チエック。庭の草花をどっさり摘み取って、彼女が日本を離れるとき記念にくれたピューターの花入れにいけます。思い出のオーナメントも出して花のそばに置きます。がさつな性格に似合わず、こういったことは私のお得意とするところです。

 たとえ気心の知れた友人であっても、お客を迎えるのはいつも緊張感があります。正直面倒だなと思うことも時々はありますが、日常のダラダラからいっときの決別を図る良い機会だと、私は準備そのものを積極的に楽しむことにしています。しかしウサギ小屋もその気になればなかなか手ごわい準備を要しました。ヤレヤレ!

 ひと段落ついて、次男と共に標題の「二十四節記」(お店の名前です)のオープン前“株主様ご招待”パーティーに出かけました。わが家が2度のリフォームをお願いしたリライフコーポレーションが、暮しへのこだわりを形にした店舗(園芸、レストラン、ティールーム、内装材料・雑貨)がパティオ(中庭)を囲むような形に配置されています。リストランテ「コンテ」のイタリア料理が振舞われ、たっぷり頂き楽しみました。

二十四節記の中庭

 「二十四節記」の中庭に植えられた木々がレンガやテラコッタと馴染む頃には、素敵なショップと集いの空間が人びとを惹き付けることでしょう。単なる商売のための店舗ではなく、街の風格をも醸し出すゾーンが生まれると期待されます。

石窯でパンやピッツアを焼きます アンティークの雑貨も充実

 島本町でもJR新駅設置を契機に府道桜井駅跡線(楠公道路)の両側が、商業地域に用途変更の計画がされていますが、くれぐれもグチャグチャ・ゴチャゴチャのメインストリートにだけはしないで欲しいと思います。島本らしいコンセプトをしっかり定めた商業者の登場を望むばかりです。

 町行政も手をこまねいているのではなく、積極的な指導助言を行えるような力をつけなければなりません。その任はタウンセールスプロジェクトチームが担うことになるのでしょうか?いずれにしても町はのんびり構えている場合ではありません。チームが先見の明を示せないようなら、専門家の導入も視野に入れておかなければなりません。土地区画され新しく生まれた上牧の駅前なんぞに負けるなよ!新しい用途地域指定区域ではしっとり・ホッコリ落ち着いた島本の良さを表現してもらいたいです。

 


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ドイツ人には町内ピクニックが大好評

(2007年5月11日 金曜日)

 長男が車で帰ってきました。私は朝5時から作ったお弁当やワインやグラスやお皿を大きな藤のかご2つに入れて、準備万端です。テーブルクロスも水を入れたガラスの空き瓶も用意しました。ガラス瓶はランチのテーブル上に野草をいけるためのものです。

 緑の木々の中でゆっくりとお昼を楽しんでもらいたい、そのためには何が必要かをイメージします。そこには可憐な野の花が是非とも必要だと思いました。そこで水を入れたガラス瓶を持参し、花瓶にするというわけです。

 今日の日を迎える前に子どもたちと随分考えました。「案内するならやっぱり京都やで」と一応意見がまとまって、また折角ドライブするなら京都市内より「貴船の床料理なんかええんとちがう?」と、「予約しよう」まで進んだのです。しかし長旅で疲れ、その上まだ日本の習慣にも慣れない友人の友人(Rさん)のことを考えると、自分のペースを取り戻してもらうためのホッとしたひと時をプレゼントした方が、喜んでもらえるのではと私は思いました。彼女は案外滞在しているこの島本町のことを知らずに、帰国してしまうのかもしれません。

 それはもったいない!コースは町内と大山崎山荘美術館と長岡京市の天神さんまでに止めました。私が先ず最初に案内したのは、淀川の堤防でした。島本の風土も歴史もこの川とこの山に育まれたこと、琵琶湖から京都・大阪へ流れ、やがては海へと注ぐ悠久の流れを一目で感じ取ってもらえるかしらと思ったのです。土手の草花を摘みながら、5月の風に吹かれて少し土の堤防を歩きました(土の感触は、散歩好きのドイツ人に好評でした)。

 次に向ったのは水無瀬神宮です。おみくじの水占いをし、離宮の水も味わいました。サントリーの工場も訪れ、世界でここでしか売っていない山崎蒸留所名のウイスキーをお土産に買いました。

 次は若山神社です。石段をふうふう言いながら登り、がらんがらんと鈴を鳴らして先ずはお参り。日本初体験のRさんは御みこしに興味がありそうです。桜の季節も済み誰もいない静かな境内で、さぁ!ランチタイムです。

若山神社に到着 境内でランチタイム

 神社の大きな床机に空色の更紗模様のクロスを掛けて、花を飾りワインで乾杯しました。紙コップじゃなくて、ちゃんとガラスのコップを持ってきましたよ。お弁当は散らし寿司を初めいろいろ作りました。勿論ドイツの黒パンやハムやチーズ・ウインナー等、彼女たちが食べなれた食材も用意しました。おかずを入れたお正月の重箱をRさんは珍しがっていました。

 若山神社でゆっくりと過ごした後は長岡天満宮と大山崎山荘・美術館に向いました。八条が池の大きな鯉に驚き、山荘では3時のお茶も楽しみました。小さな美術館では、作品が手にとるように至近距離で観賞できると好評でした。

 「ノンビリ緑の中を歩いて、皆で笑いあって、本当に楽しかった。この街と南部ファミリーを忘れない」と、彼女たちは島本を立つ日迄言ってくれていました。我が街案内は大成功のおもてなしだったと自画自賛しています。嬉しいことは遠くにもありますが、私たちの身の回りにも素敵なことが一杯あるんだと、島本町の良さを改めて噛みしめました。

 夕方帰宅しホッと一息入れてからは、今度は晩御飯パーティーです。友人要望の揚げソバがメインディッシュです。ご馳走をと張り切っていた私に、彼女の注文はなんとも“肩すかし〜”でしたが、食べたいものを用意するのが本当のおもてなしと、具は島本のタケノコも入れて作りました。揚げソバも彼女に貰った大きなスエーデン製のお皿に盛り付けると、それはそれは立派なご馳走になりました。

和風でテーブルセッティングしました

 日付けが変わる頃まで歓談して楽しい1日が終りました。朝から夜まで私には少々ハードな1日でしたが、相手の立場にたっておもてなしをすることの原点を再確認できたのは、本当に良かったでした。そして頑張り過ぎないで、さりげない気遣いや笑顔が、実は一番のおもてなしだと今更ながら気づいたことでした。

 また我家の息子たちのマナーが、日頃の私に対する「オカン」発言とは裏腹に、彼女たちに対して完璧であったことも嬉しい発見でした。次男は明日にはもう仕事に戻らなければなりません。所沢に飛んで帰っていきました。「よく会いに帰ってくれたね。有難う!ご苦労様」と何度でも伝えたいと思います。

 


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水無瀬駅エレベーター設置に関する回答

(2007年5月12日 土曜日)

 5月9日の日記に書いていますが、阪急電鉄から「水無瀬駅のエレベーター設置については2010年末に整備を完了したい。ついては町の負担(4億円?)をよろしく」という主旨の文書(4月27日付)が届いています。

 それに対して町長は、阪急が指定した日限通りの5月7日に回答を返しています。ヘタに私が詮索して言い換えるよりも、文面そのままを再現した方が良いと思いますので、以下に記します(前段の挨拶文等は省きます)。

 

1. 本町は、現在作成中の「島本町交通バリアフリー基本構想」の平成19年度(2007年度)中の策定に向けて、鋭意務めることとし、貴社もこれに必要な協力を行う。
 
2. 本町は「島本町交通バリアフリー基本構想」に記載予定の標記施設整備を具体化するため、「鉄道総合改善事業費補助制度」および「交通施設バリアフリー化設備整備費補助金制度」に基づき所定の補助を行うための予算措置について、鋭意務めることとする。但し、次年度からの事業実施を確約するものではない。
 
3. 仮に次年度に事業着手できなかった場合には、平成21年度(2009年度)に事業に着手し、平成22年度(2010年度)に事業が完了できるように、両者で引続き協議、検討を進めることとする。

 

 以上が町の回答内容です。この回答文書は私が5月8日に入手したものです(通常この文書の場合なら、6月の初め頃に文書処理簿でその存在が判ります。そこから情報公開請求をすれば、誰でも6月の20日ごろには手にすることが可能な公文書です)。

 まあ議会関係に係らず、しかるべき所には提供されているかもしれない情報かもしれませんので、なにも私がいち早く入手できたとは思いません。しかし前述のように普通の手続きを踏んでいたら、6月議会には間に合わない情報なのでした。

 私が回答文を手に入れた理由は簡単で、ごく当たり前の要求からでした。それは阪急電鉄が町に対して「5月7日までに回答を」と期限を切って求めていたことが、議員全員にはわかっていたからです。7日を過ぎれば「回答文はどうしましたか?出したのなら、その文書を下さい」と要求すべきは当然です。思いがけず、原課はすんなりと出してくれました。

 しかし私が情報を入手できたから、いいというものでは決してないのです。ここで議会の一員として言いたいのは、これは議員が個々に求めるまでもなく、回答文は町自らが「先日説明した件はこのように回答しました」と議長に提出すべきなのです。

 或いは「水無瀬駅にエレベーター設置云々についての町の意思表明」といった重要な案件についてですから、むしろ町の方から再び説明の場を設定させて欲しいと、議長に要望するのが筋ではありませんか。以上のことはほんの一例ですが、議会と町行政の関係がスムースにいっていない、或いは議会が軽視されていると思わざるを得ません。現況を愁いているのは、私だけの取り越し苦労でしょうか?

 もしかして“議会有力者”のみに「ここだけの話」や「あなただけの話」が横行し、それで事足りると双方が思っているとすれば、それは誠に由々しき事態です。新しい議長の公平な議会運営と、毅然とした対行政への姿勢が問われています。

 阪急電鉄への「回答」文書に端を発して、ふと私の脳裏に浮かんだアレコレです。心配が事実ではないなら、それはそれで私の妄想とお笑いくださって結構ですが・・・。

 


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かつてのヘルパー仲間と久しぶりの観劇

(2007年5月13日 日曜日)

 劇団四季の「ジキルとハイド」を観るために、梅田に行く待ち合わせをしましたが、水無瀬駅には誰もこない。おかしいなと思いつつ待っていましたが、流石に私の時間間違いだと気付いて電車に飛び乗りました。友人が折角事前に送ってくれたメールを、勘違いしていた私のミスでした。

 大丈夫、大丈夫、観劇の前に昼食をとる店の名前がわかっていたので、お店目指して走りました。ほ〜ら、美味しい物はちゃんと私を待ってくれているのです。勿論皆も待ってくれていました。デザートの素晴らしいマンゴープリンに免じて、遅刻を許してもらいました。

 お芝居は本日が関西公演の最終日で熱気ムンムン。幕が下りると満員のお客はスタンディングオベーションでアンコールを求め続けました。99%が女性客ですが、このパワーは「凄い!」とどこかで醒めた私がつぶやいていました。

 割合よく知っている物語ですから、筋を追うのに苦労はせず舞台を楽しみましたが、私には“謳う台詞”がどうも馴染めませんでした。言葉のもつ鋭さが、曲に乗ると削がれてしまうように感じました。特に苦悩や悲しみや迷いの台詞は、役者が絞り出す言葉以外には何の助けも要らないと感じました。

 でもやっぱり久しぶりの“生”の感動は大きく刺激的でした。テレビをはじめとする映像(パソコンや携帯電話の画面だってそうですね)に慣らされている生活に気づきなさい!と生の舞台は叫んでいるように思いました。

 明日は臨時議会というのに、観劇なんぞしている場合ではありませんが、何ヶ月も前に苦労して席を取ってもらっているのでキャンセルはもったいない。それにも増して、ヘルパー時代の同僚たちとの絆は大事にしたい(だって厳しい仕事を助け合ってきた仲間ですもの)。そんなこんなで、議案書のおさらいは深夜になってしまいました。

 


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選挙をしても結果が判っている役員改選

(2007年5月14日 月曜日)

 臨時議会が開かれました。ドイツ人の友人も傍聴に来てくれました。友人の友人(Lさん・・RさんではなくLが正しい頭文字です)は日本語が解らないので、お留守番となりました。

 議長・副議長・監査委員のいわゆる三役は役員選考委員会で決まらず、議場での選挙(監査委員は全員協議会で選挙)となりました。まっ、選挙と言っても形だけで結果は判っているのですが・・・。つまり自由民主党クラブと山吹民主クラブと公明党が“仲良く”選んだ三役です。

 議長の選挙結果は平井議員(山吹民主クラブ)11票・千頭議員(自由民主党クラブ)4票・菅議員(山吹民主)1票でした。私は千頭議員に票を入れました。ここで解らないのが菅議員への1票です。仲良し3会派の誰かが“造反”したのか、菅議員が自分に入れたのか・・どうでもいいけれど謎です。

 次は副議長の選挙です。開票結果は岡田議員(公明党)15票・おおっ!南部が2票・河野議員(共産党)が1票・そして白票が1でした。無効票となった白票は、この役員選挙に抗議の意を込めて投じた私の票です。しかし私に2票頂くのが判っていたら、自分に入れてせめて3票にしておけばよかったなあと、チラリとさもしいことを考えてしまいました。

 議長と副議長の就任の挨拶は、紋切り型の面白くない中身でした。おかしかったのは岡田議員が予め用意していた原稿を読み上げたことです。例え見え見えの選挙でも、選挙をするということは、結果が判らないことが建前なのです。しかし岡田議員が挨拶文を用意してきたことで、団子三兄弟ならぬ三会派の結束を“正直”にさらけ出してくれました。

 監査委員は町長が提案する議案なので、議会からは町長に「○○議員を推薦する」という形になります。従って選挙は全員協議会で行います。監査委員は「菅議員に決まり」が選挙の前から判っていましたが、菅議員12票・南部4票の結果でした。監査委員には行政に甘くない議員があたるべきだと、この役職に限って私は自薦していましたから、結果はやはり残念でした。

 あ〜あ、これで大会派の山吹民主クラブと自由民主党クラブに公明党が加わった“鉄のトライアングル”で、議会の三役をまわしていくことが益々強固なものになりました。御しやすい議会に、行政はきっと喜んでいることでしょう。しかし住民にとって、ホンマにこんな役選でええんでしょうかしらね?

 三役の後はその他の役職(組合議会や審議会・委員会の議会選出委員)及び議会運営委員、常任委員会委員を決めました。議運・常任委員会の委員長・副委員長も実に見事に“鉄のトライアングル”が占めました。わたしの会派(人びとの新しい歩み)と共産党は、ひとつの“要職”にもつくことが叶いませんでした。これってやっぱり異常です。

 通常5月の臨時議会は役員をきめるだけの議会ですが、今議会は“問題あり”の補正予算があげられています。本日は一部質疑に入りましたが終りそうもなく、結局明日1日の会期延長となりました。

役 員 名
氏       名
議 長  平井 均
副議長  岡田 初惠
監査委員  菅 俊勝
議会運営委員会

◎清水 照光 ○藤原 靖彦  南部由美子  杉本 敦義

 山口 博好  伊集院春美  河野 恵子

総務文教

◎藤原 靖彦 ○杉本 敦義  南部由美子  山口 博好

 千頭八重子  伊集院春美  野村 行良  冨永 千広
民生消防

◎菅  俊勝 ○伊集院春美  平野かおる  岡田 初惠

 藤原 靖彦  野村 行良  河野 恵子
建設水道

◎実沢 正夫 ○山口 博好  平野かおる  杉本 敦義

 千頭八重子  河野 恵子  原野 完二  清水 照光
安威川、淀川右岸流域 

下水道組合議会議員

 藤原 靖彦  清水 照光
淀川右岸水防事務組合

議会議員

 実沢 正夫
島本町都市計画審議会委員 

 南部由美子  杉本 敦義  菅  俊勝

 千頭八重子  河野 恵子
島本町総合計画審議会委員

 岡田 初惠  山口 博好  伊集院春美

 原野 完二  清水 照光
島本町農業委員会委員  南部由美子  冨永 千広
民生委員推薦会委員  山口 博好
島本町国民健康保険

運営協議会委員

 藤原 靖彦  野村 行良  河野 恵子
島本町地域医療・保健

事業推進協議会委員

 平野かおる  伊集院春美
島本町青少年問題協議会

委員

 野村 行良  冨永 千広
議会だより編集委員会委員

 南部由美子  岡田 初惠  山口 博好

 伊集院春美  冨永 千広

平成19年5月14日 現在      ◎委員長  ○副委員長

 


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町営住宅管理条例改正の議案は再提案で3会派の顔を立てた?

(2007年5月15日 火曜日)

 私は町営緑地公園住宅の集会所使用に関しては、これまでにも幾度となく質問し、一貫して条例改正による是正を求めてきました。新しく広くバリアフリーの町有施設を、もっと住民の方々に活用してもらいたいと思っていたからです。それは利用の際の申込手続きが不便で、使用料金(町営住宅自治会の内規で定められていた)も大変高かったからです。

 一方町は町有施設である集会所に係る使用料を、何の法的契約も交わしていない自治会が徴収し、自治会の収入にあげることを認めてきた経緯があります。このことは大阪府からも「違法性の疑いあり、是正すべし」と指摘を受けていました。更には私の度重なる追及により、ついには町も条例改正に踏み切らざるを得なくなりました(と私は思っています)。

 そしてやっと先の3月議会に条例改正案が提案されたのですが、自由民主党クラブ・山吹民主クラブ・公明党の3会派は反対、共産党は保留、私の会派のみが賛成で条例改正の第一弾は否決されてしまいました。通常、否決されるような条例改正は出してきませんし、この類の条例が否決されることはまずありません。

 3会派の反対理由は「休所日が多い・入居者と入居以外の者の使用料金差が2倍は大きすぎる・葬儀の使用が入居者以外に認められていない」等でした。共産党は「ふれあいセンターと同様の減免を行うべし」の理由で保留しました(保留は退席して採決に加わりません)。確かに3会派の主張は正しいし、私も同様の質疑をしました。反対理由が示す通りに改正された条例の方が良いに決まっています。

 それでは何故3月議会において、町は最初から良い方の改正案を提案しなかったのか?わずか2ヵ月後の5月議会で盛り込める内容なら、当然3月議会でも可能だったのです。何よりも町にとっては大事な3会派の意見を町は予め拝聴し、可決してもらえる内容で提案しているはずなのですから。

 もしかすると3会派は「私たちが3月議会で反対したからこそ、5月は良い条例に改正されたのですよ」と住民にアピールしたいのかもしれません。町は町で3会派に「要求通りに改正させていただきました」とゴマをすっている(?)のかもしれません。

 とにもかくにも二者共に「南部の主張が実って条例改正に繋がった」とだけはさせたくない!と思ったのではないでしょうか?「そんなの自惚れ過ぎだよ」と言われそうですが、本当にそうとしか考えられない経緯を辿った今回の条例改正再提案です。そうは思いたくありませんが、もしも“ケッタクソ悪い”と言うような理由で議案への政治的判断が働くとすれば、全くとんでもないことです。

 さて改正された条例の施行日は7月1日です。条例の中身は町のホームページで確認できます。また6月15日号の町広報紙には利用の案内が掲載されるはずです。したがってわかりきった事にあまりページを割きたくありません。むしろ「日記」でお伝えすべきは、私の“あんなこんなの気持ち”を優先し、公開していくことかしらと思っていますから。

 本日は臨時議会の2日目です。目玉案件は前述の町営住宅管理条例の改正案と、後一つ残土置場の土壌調査費用を計上した補正予算があります。残土置場の件もまた、ズルズルと引きずっている“問題あり”の内容です。後日お伝えすることに致します。

集会所外観、後ろは11階建ての町営住宅 集会所のロビー、展示設備あり
集会室100人収容、2室に分割可能、机・椅子・映像機器あり 厨房、コンロ・流し台・電子レンジ4基・冷蔵庫等設置
6月15日号広報に「お知らせ」が掲載されますが、使用申込等のお問合せは、
ふれあいセンター(961−1010)へどうぞ

 


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もう心底怒ったゎ!残土置場整備に係る町の姿勢

(2007年5月16日 水曜日)

 町の残土置場は若山台一丁目にあります。近くには調整池を挟んで消防庁舎があり、老人保健施設若山荘は目と鼻の先にあります。残土置場は水路等の浚渫土や草刈り・伐採した草木を乾燥させるために設けられている施設です(施設といっても、周りを塀で囲んだだけのものですが)。

 今までは近くに若山荘以外の施設は無かったのですが、昨年残土置場を囲むような形で周辺に14戸の住宅が建ちました。残土置場の老朽化も進んでいたこともあり、また新しい住宅の住民にとっても歓迎されない施設であることから、町は2006年の3月議会で移転の予算を計上しました。移転先は若山台二丁目、若山台第一住宅27棟から町道を挟んで400mの場所を予定していました。議会はこの内容で2006年度の予算を認めたのです。

 そして昨年の夏に町は若山台自治会に計画の説明に入りましたが、今年の1月になり自治会より「断固反対」の意思表示がなされました。そこで町は現存(若山台一丁目)の残土置場をリニューアルするという計画変更を行いました。しかし計画の変更は議会には知らされず、また14戸の住民の皆さんにも工事の通知をビラ一枚で行っただけで説明はされませんでした。

 議会が認めた予算内容と異なる計画変更には、さすがにいつも“行政に甘い”会派も怒り、事業を繰り越すために上げた補正予算は否決されました。3月28日の議場では誰一人賛成の起立をしない光景が展開されてしまいました。地域就労支援事業に係る“不適切な事務執行”に対する全会一致の否決からまだ間もないというのに、またまた川口町政の脆弱さが露呈する羽目になりました。

 しかし現実は工事が94パーセント済んでいることもあって、工事請負業者への支払いが発生しています。議会が予算を認めなければ支出の執行は不可ですから、町は翌日の3月29日に町長謝罪と共に新しく補正予算を提出してきました。元の場所で改修をほぼ終えようとしている残土置場について、隣接居住住民の安心のためにも、せめて土壌調査を求めるという要求を付した会派を含めて、出しなおし補正予算は成立しました。私・河野・冨永議員が保留し、3人以外の議員は賛成しました。

 ア〜ァしかし、これで1件落着とはならなかったのです。5月の臨時議会ではもっと由々しき事態が発覚したのです。5月14・15日に開かれた臨時議会で、3月議会の出し直し“土壇場議案”で求められた残土置場の土壌調査に係る補正予算があがりました。私も調査を強く求めた一人でしたから、何の問題もない予算だと思っていましたが、土壌調査の裏に隠された新しい事実と理事者の答弁に、ひっくり返るくらいの驚きと怒りを覚えた議案審議となりました。

 「リニューアル」と言った聞えの良い言葉に包んで、議会にも住民にも知らせずに残土置場をアッチやりコッチやりした町のダメさ加減が、ここまで極まっていたのかと翌日15日の議場で私は暗澹たる気持ちに陥ったのです。標題の日記の日付的にはここからが本番なのですが、日記が少々長くなってきましたので続きは翌日に回します。

残土置場の塀と接近している住宅 残土置場の内部

 


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隠していた残土置場実施設計報告書と当報告書の都合の良い解釈と、そして開き直り

(2007年5月17日 木曜日)

 昨日の日記の続きです。今議会でリニューアルした残土置場(若山台一丁目つまり元からの場所)の土壌調査費用が補正予算に上げられました。私は議案に係る資料要求をしていましたが、その中には当然、当初移転を予定していた場所(若山第二丁目)の工事に係る「実施設計報告書」を含めていました。

 この実施設計報告書で述べられている内容から、そもそも移転を計画した町の認識が大きな間違いであったことがわかりました。報告書では当該地は「残土置場として利用した場合、(土石流の)二次災害を引き起こす危惧があり、公的機関の開発行為としては問題があるため採用しないものとした」と記されています。

 町の言い分としては報告書が出来たのは2006年の12月であるから、移転の予算を審議する2006年3月の議会では、移転先が「適さない場所」だとはわからなかったというのでしょうか。しかし報告書の元になった2001年3月に調査報告書が出ている「淀川水系越谷川外土石流危険渓流調査カルテ」には、まさに当該地を特定しての調査所見が述べられています。「〜山腹の崩壊発生時には下流の施設を越流して土砂が氾濫する恐れもあり、道路上方への建物等の建設は危険である。〜」と。

 このカルテは大阪府茨木土木事務所が調査したものですが、当然町が所有している情報でもあるはずです。したがって危険な地域に移転しようとしていることはわかっていたはずです。百歩譲って2006年3月の当初予算計上時にこの内容を失念していたとしても、12月には前述の実施設計報告書が上がってきたわけです。また今年の1月には若山台自治会の反対意向書が寄せられ、外に適切な土地もないまま、やはり元の場所に戻すしかないと判断しているのです。

 それなら議会を初め、若山台自治会にも残土置場が存続する14戸の住民にも、「残土置場を危険な所に移転する訳にはいかない。しかし外に適当な地を捜したが見つからない。申し訳ないが施設を改修することで、今の場所で続けさせてもらいたい」と何故意を尽くした説明ができなかったのでしょうか。若山台自治会の反対のみを理由に、全てを隠したまま事業を進めた“傲慢さ”には言葉もありません。

 私が指摘した土石流の危険についても、報告書文中の都合の良い所だけを抜き出して答弁する姿勢を崩しませんでした。ついには私の「災害の危険性を知らされていない若山台自治会は環境面が心配で反対されたが、もしも反対がなければ町は移転を実行していたのか?」との問いに「自治会の反対がなければ、事業は当初どおりに移転して実施する」と答えました(いずれもこの通り発言したわけではありませんが、意味するところはこういうことです)。

 これはとんでもない答えです。担当部長は「災害が起こって住民が被災してもかまわない」と、住民の命と生活を平然と軽視した答弁を返したも同然です。驚くべき問題発言を町長も副町長も黙って聞いていました。土石流危険地域で施設の設置をしてはならないとの報告内容を承知しているにも係わらず、こんな答弁で居直るなんて!・・・驚きを通り越して悲しみが襲ってきました。

 トップは「今後は報告・連絡・相談を密にする。つまり“ほう・れん・そう”の実施に務める」とか何とか、モソモソと謝っていたけれど、違う!違う!そんなこっちゃないんです!住民の命と行政の事業ゴリ押しとを秤にかけて、住民の安全よりも行政の都合を優先した答弁があったのです。「何を間違ったことを言っているのか、謝罪して取り消せ」と飛んで行っていさめる町長・副町長であるべきです。

 おかしいよ島本町行政!なんだか肝心要のところが病んでいるようで、ショックです。泣きたい気分です。私は隣接して住宅が建てられた現在の残土置場を、住民が少しでも安心し受け入れてくださるためには土壌調査も必要と主張してきました。今補正はその調査費を認めるか認めないかの表決です。従って賛成することにやぶさかでありません。しかし前述のような住民無視の意識が職員の根底にある限り到底認めるわけにはいかないと、私は「反対」しました。

残土置場のそばの竹やぶの囲い付近に、木苺発見!熟れているのは結構甘くておいしいです。

 


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JR新駅の名称は「島本駅」でほぼ決まり?

(2007年5月18日 金曜日)

 「今年の2月に皆さんから募集した新駅の名称は、庁内検討を経て『島本駅』となりましたのでJR西日本に伝えます」という文書が町長から議長に来ました。正式には町からの要望を受けたJR西日本が、秋頃には駅名の決定をします。JRとしても「島本駅」とすることには、特段クレームをつける理由は無いでしょうから、ほぼこれで決まりと言えます。

ふれあいセンターから眺める工事の全景
駅西口付近とナスビ畑

 42人の住民の方々からは、実に多様な80件の名前を寄せていただきました。以前の日記にも書きましたが、「島本駅・しまもと駅」が8件で最も多い名称でした。当たり前と言えば当たり前、平凡と言えば平凡な駅名ですが、あんまり凝った名前をつけてもねぇ〜と私は思っています。これから一生懸命「島本町」のタウンセールスをしていくのなら、「島本駅」の方が混乱しなくていいかもしれないですし・・・。

杭打ちのクレーン車
工事現場を通過する列車

 さて新駅開業に向けて様々な工事が進んでいますが、担当職員に訊くとまだ「H20年春以降開業」の「以降」を取れない状況下にあると言います。それは駅西側の桜井西側の土地買収が、いまだ完全には終了していない状況だからです。駅西口の工事は地権者の方々の同意により借地で工事が進んでいますが、西口に取り付くアクセス道路用の土地を売っていただけなければ、駅西口からの利用はできないのです。

 アクセス道路は450mのうち200mが買収済みですが、残っている方が多く担当職員はやっぱり頭を抱えています。このまま行くと東口と西口を繋ぐ自由道路は、西口を閉鎖したままで開業を迎える可能性が高いそうです。従って町が土地収用法を適用する強権発動の恐れも、まだ残っているので要注意です。

 


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休職中の職員が競馬場へ・・・これって「どう?」

(2007年5月19日 土曜日)

 役場の文書処理簿を見ていたら、「休職処分中の職員の不適切な行動に対する指導メモ」と標題がつけられた文書がありました。情報公開請求をして、その内容がわかりました。3ヶ月の病気休暇に引き続いて休職(処分)していた職員が、遊技場や競馬場に行っていたことがわかりました。(こういうことって案外見つかってしまうものですね。またマメに役場に連絡する人もいるんだ!)

 少し前には他の自治体で、何年間の間に勤務で登庁したのは数日といった悪質(を通り越して犯罪)な“確信犯”がいて、世間のヒンシュクと怒りを買っていたような事例がアチコチで表面化していました。これら事件の影響もあってか、当該職員に対し所管の管理職たちは割合丁寧な指導を行っていることが、文書からは読み取れます。

 公文書としてきちんと記録がされていることに安心しました。今までは個人の資質に係る、特に今回のような指導記録は存在が確認できても非公開部分が多いとか、或いは記録そのものを取らないで済ましてきたことが少なからずあったように思います。考えてみれば町の職員の給料を支払っている雇い主は住民なのですから、住民が解る納得できる記録を残しておくのは当然のことなのです。

 文書の中で私がチョット引っかかった所がありました。標題の「不適切な行為」を行った日、つまり競馬場へ行き馬券を購入した日の曜日は「土曜日」だったのです。休職中であれ本人の主張通り「勤務の無い日」なのだから、行動の自由はあるんじゃないの?と私も思いました。気になったので人事課に確認しました。このような事例の場合何処まで拘束できるのか、果して拘束する法令は存在するのか?また「指導」の行為も法令に定めがあるのかどうか?といった点について訊きました。

 答えはどちらも「法的根拠はありません」でした。従って休職中(の休日?)に競馬に行ってはいけない法令も、今回管理職が行った指導も法令に基づくものではありません。人事課は行き過ぎた指導がなかったことを管理職に確認した上で、当該職員の行為が「不法」ではなく「不適切」だと指導したのだから問題は無いと説明しました。

 しかしまあ「法に反していないのだから何をしてもいいでしょ」とはなりませんよということです。管理職が起案した文書には「通常休日は仕事をしている職員にとってのものである。住民の立場からすれば、休職中の職員については道義的に不適切と看做される恐れがある」と指導した内容が記されていますが、私は納得できる内容だと思いました。

「役場3階の議員控え室から撮影。いつもこの景色を見ながら仕事をしています」
手前「役場駐車場」、
右「関西電力寮」、
左「マンション ジオ水無瀬」
「関電のグランド」、
右下「商工会館」、
後方の山「淀川対岸の八幡市男山」
「水無瀬駅への都計道路(高架)」

 


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職員がお手本を示してくれなくちゃ・・・下水道未接続問題

(2007年5月20日 日曜日)

 住民の“匿名さん”よりお葉書を頂きました。文面は「議会活動ごくろうさまです。今、下水道のみせっち問題があるようですが、役場の職員でもおります。○○(地域名)です。私もその人をよく知っていますが、何故職員が許されるのですか。工事の人があわてて工事をやるとのことですので何かあるのかなあと言っておられました。よくしらべてください。よろしくおねがいします」と書かれていました(仮名の文字は漢字に変換せず原文のままです)。

 実は大分以前からこのことは議会の中でも問題になっていました。未接続の職員は複数います。文面からするとやっと工事をする職員もいるようですので、匿名さんはその他の職員のことをいっておられるのだと思いますが、人数に関係なくやはり法令に反している職員がいることは拙いことです。

 ところが町当局の姿勢はなんとも生ぬるいのです。私も今まで何度も担当職員に問合せをしています。もちろんこの匿名さんの葉書のことも伝えて質しましたが、その返答からは「まず足元(町職員自ら)から改善していかなければ」との熱意はあまり感じられませんでした。住民の皆さんに求めている「公共下水道供用開始後、3年以内に接続し水洗化をする」ことに対して、肝心の町職員に厳しい指導をしてこなかった当局には大いなる責任があると思います。

 当該職員達にしてみれば「役場の仕事では法令遵守を求められて当然でも、家に帰れば自分達も一住民だ。未接続の他の住民は外にもいる。同じように猶予を与えてもらって当然だ」ということなのでしょうか。彼らは「お金が無い」「家を建替えるつもりなので、その時に」等の理由をつけていますが、ずっとその状態が続いているのもおかしな話です。これでは彼らに対して、何か甘くしなければならない特別の理由が存在するのではないかと思われても仕方がありません。

 そんなこんなも影響してか町は3月議会において、下水道条例の改正案「水洗便所への改造義務の明文化」等を提案しました。併せて本条例案に連動した「廃棄物の減量化及び適正処理等の推進に関する条例」の条例改正も出しました。その中身は「下水道処理区域で公示された下水の処理が開始される日から、3年を経過した地域の処理手数料を10月1日から2倍にする」というものです。

 私は「未接続世帯の状況をよく調査し、実のある聴聞制度の活用を行うこと」等の意見を付して賛成しました。反対は3議員で2つの条例案は可決しました。施行日までに丁寧な周知を行い、対象住民の皆さんに納得して頂くことが必要です。さて、前述の未接続職員はどうするのでしょうか?

ドイツの友人たちと昨日は嵐山へ、うなぎに釣られて長男も同行
鐘をつく友人たち(嵐山 大悲閣) 祇園 白川
梅の井 うな重(上) 梅の井 う巻(切り分ける前)

 


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教育委員会議傍聴と農業委員会出席

(2007年5月21日 月曜日)

 9時30分の教育委員会議を傍聴するために教育センターに急ぎます。今年度からセンターの所長は、前第二小学校の校長先生が勤めています。ご本人の希望と教育委員会の人事に異議申し立てするつもりは毛頭ありません。しかしセンターの所長職が、代々退職校長等管理職の受け皿的ポストとして用意されているようではよろしくないと私は思っています。変な表現ですが、なんだか“血が濃い”人事はセンターの運営に硬化をもたらせるように感じてなりません。

 さて教育委員会議の中身は、特段注目する案件はありませんでした。気になったのは、委員方が委員長に発言の許可を求めないで勝手に喋っていることです。また余計なことかもしれませんが、資料のページを繰るのにいちいち指をなめる委員がいます。ご本人は無意識でしょうが、公的会議での仕草は案外よく目に立つこともお忘れなく。そしてそして職員のこんなミスはまったく頂けません。「団塊(だんかい)の世代」と言うべきところを「だんこんの世代」と言った職員に、おもわず「・・・!」の一同でした。

 一つだけ気になった報告事項がありましたが、それは「子ども読書活動推進計画」の策定に関連して、「図書の利用者数・貸し出し件数の減少が目立っている」との図書館館長の発言でした。利用の飽和状態が起きているのか図書館の魅力にかげりが生じているのか、まだ原因の追求はしていないようですが、他市町村の中でも高い水準を誇ってきた町立図書館の前途が少々心配されるところです

 午後からは農業委員会に委員として初めて出席します。会長が「今回は議会よりの強力な委員に参加をしてもらって・・・」と挨拶されました。議会選出の委員は私と冨永議員ですが、双方とも農業委員は初めてですからお互い顔を見合わせて「どっちのこと?」と思いました。

 案件は広瀬地域の農地を駐車場に転用したいとの申請に対し、農業委員会に許可を問うものでした。提出書類の様式が整い地区農業委員が「確認をしました」と言っているのに、あれこれ詮索は出来ませんが、私は現地確認を行った範囲で数点の質問をしました。みなさん長い農業経験の中で、口には出さなくとも「阿吽」の呼吸で委員会に参画してこられたという雰囲気は、鈍い私にもよく解りました。

 でも私は素人は素人なりに疑問点は口に出し、教えを請うていこうと思っています。しょっぱなから呑まれて、自粛するようでは何のために住民の代表として選出されたか解りません。会長を初め委員の皆さん方も、私の質問に温かく耳を傾けてくださり、農業委員会デビューは無事に少々の成果も実感しつつ終了しました。

梅雨の季節も間近です。果物好きな私にはこれからが待ち遠しいです。
佐藤錦にはなかなか手が届きませんが、さくらんぼは見るのも食べるのも大好き
メゾン水無瀬の庭先で実るびわ。美味しそうだけれど他所のお庭。いつも暫し見つめています。

 


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四保の赤ちゃん教室・介護者家族の会総会・お別れパーティー

(2007年5月22日 火曜日)

 第四保育所の園庭開放と赤ちゃん教室を見学しました。今日は良いお天気で参加者が多いです。私は第二保育所の園庭開放も何度か見学していますが、2つの町立保育所共にいつも盛況です。親子の間を子育て支援の保育士さんが行き来し、さりげないアドバイスをしていました。「あ〜大丈夫、大丈夫!そんなことってよくありますよ」の言葉に、お母さんの顔がパ〜ッと明るくなっていました。

園庭開放 お砂場遊び 赤ちゃん教室

 今日は2階のホールで赤ちゃん教室も行われており、こちらも快く見学させてもらいました。準備期から完了期まで5段階の離乳食が用意され、10数組くらいの母子が試食しています。4月から子ども支援課で仕事をしているという新任の栄養士さんも来て、赤ちゃんたちの“食欲”を確かめていました。

 所長さんは職員と参加の親子に私の見学を伝え、写真撮影の許可を皆さんに諮ってくれました。温かい配慮に感謝です。赤ちゃん教室では離乳食の進め方・調理の仕方や試食に加え、1対1の育児相談にも対応している様子がよく解りました。保育所は地域の親子を大らかに受け入れることで、地域で頼られる存在になってきたと思います。大変意義のあることですし、また嬉しいことです。

完了期の離乳食 介護者家族の会 軽体操

 赤ちゃんたちが本当に可愛らしいので、ついつい長居をしてしまいました。慌てて次の予定、介護者家族の会総会に急ぎます。学ばせていただくばかりで、会にとっては何にも役に立たない協力会員ですが、今年度の会費を納めてほっとしました。総会の案件はすべて承認され、その後は軽く体と頭の体操をしました。

 脳の命令がゆっくりなのか、思い込みが強いのか、単に不器用なのかわかりませんが、動きがちぐはぐでオタオタしてしまいました。体操の後の会食は遠慮して(今年は実費を頂くので、心配なさらずにとお誘いくださったのですが)私は役場ヘ戻りました。町長は最後までお付き合いしたようで、良いことだと思います。

 役場での仕事を大急ぎで済ませて家に帰り、今夜のパーティー(なんて大げさですが、気分はチョット張り切って)の準備に取り掛かります。いよいよドイツの友人たちは明日帰ります。今夜はお別れパーティーなのです。ご希望メニューはカレーです。ちなみに日本のカレーライスは外国の人に人気があります。メインのカレーは昨日大鍋に仕込んでいますから、後はグリーンサラダと豆腐のサラダ、デザートは杏仁豆腐を作りました。

 「ワインもビールもいくらでもいけますよ」と言う彼女たちも、今夜は明朝の早い出発を控えて「アルコールは一切お断り」です。楽しくて少し寂しいカレーパーティーは、私たちのよき思い出となって残っていくことと思います。「今度は南部さんがドイツに来る番、待っているから」と嬉しい念押しをされ、12年前に訪れたドイツの情景が一気に甦ってきました。さて実現の日はいつになるのでしょうか?

 


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歴史文化資料館懇話会傍聴

(2007年5月23日 水曜日)

 ドイツからのお客さんたちは、早朝帰国の途につきました。本当は関空まで送りたかったのですが、今日は傍聴したい2つの会議があるので諦めました。お互い「さようなら」の代わりに、「じゃまたね」を意味する「チュース」という言葉を交わして別れました。

 彼女たちの来訪を待ち望んでいた間は長かったのですが、滞在中の楽しい日々はあっという間に過ぎ去ってしまいました。あれもこれもしてあげたかったなと心残りもありますが、事故も病気もなく元気で送り出せて、ホッと一安心も正直な気持ちです。

 さてさて気持ちを切り替えて、10時からの歴史文化資料館懇話会(以下、懇話会)の傍聴に出かけます。資料館の開館まであと1年もありませんが、館内外の補修等ハード面での整備を初め、展示計画等のソフト面での取り組みも数ヶ月の間にこなさなければならない大事な時期を迎えました。

 M委員の「こんな資料の少ない資料館もないと思う。通常なら館は作れない。しかし館はオープンする。将来への予算化の計画が必要だ」との意見に、「う〜ん、これは前途多難!」と心配になりました。しかしM委員も他の委員も、以下のように積極的な関わりの意思を示されたので、私は少し胸をなでおろしました。

 「展示計画にもっと関わりたい。事務局内部の打合せにも参加したい」「館の展示や運営には、細分化した分科会が必要ではないか」「JR新駅に隣接した資料館は全国に門戸を開いている館である。資料館から全国に呼びかける企画を立てたい」「補修工事はされるが、館の耐震性はどうなのか」等々意気込みがうかがえる意見が出ました。

 補修工事については現在実施設計が進行中ですが、9月議会には約3千万円の工事費補正が出てきます。建築工事(屋根瓦葺き替え・プレハブ倉庫)、土木工事(塀・門扉・舗装・駐車駐輪場等)、照明工事、音響工事の工事が予定されています。

 私は工事概要を見て、とても気になったことがありました。概要には植栽計画が示されていないのです。後刻担当職員に確かめたところ、「植栽計画はない」に続けて「今ある樹木も全部伐採する」と言うのです。私は何とか数少なくなった高木の一部(2、3本)は残して欲しいと思っています。資料館を立派に見せるのもみすぼらしく見せるのも、館と共に生きてきた背景の樹木の有り無しにかかっています。

館西側の大木。
ここにはプレハブ倉庫建設予定されています
館南側の樹木。
ここは駐車場予定地です

 既に駅広場や駐輪場の建設に際してたくさんの木々が切り倒されました。これらの施設では設計上やむを得ないところもありましたが、資料館では倉庫の位置等を少しずらせば存続は可能だと思います。歴史文化資料館の歴史を物語る資料は展示品の数々だけではありません。何よりも館の建物自体が歴史的メッセージを伝える最も大きな役目を果していますし、館と共に歩んだ樹木の一本一本も同じ役目を背負ってきたと思います。

 午後からは水無瀬川緑地公園運営協議会の傍聴をしましたが、日記は後日に回します。協議会の傍聴を終って庁舎3階の議員控え室窓からぼんやりと外を見ていたら、○○課長が交通ルールに反している姿が見えました。信号機が目と鼻の先にあるにも係わらず、庁舎向かいの歩道から道路を渡っていました。以前と比べ職員も議員もみな信号機に従い、横断歩道を渡るようになっているのに・・・。「コレコレ、よろしくないぞ!」と、私は職員の頭上で呟いていました。

 


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住民福祉審議会、真摯な審議姿勢がヒシヒシと・・・保育所の民営化・幼稚園の幼保一元化

(2007年5月24日 木曜日)

 夜7時から開かれる第2回住民福祉審議会の傍聴をするため、ふれあいセンターには30分前に到着しました。今回は「出来るだけ多くの傍聴者を受け入れるように」との審議委員方の意見を受けて、傍聴者人数は大幅に増員されました。それでも前回はくじ引きに当らず悔しい思いをしたので、やっぱり早くきてしまいました。多分一番乗りだったと思います。結局傍聴者は全員受け入れてもらうことが出来て、45人の傍聴者が入室できました。

 住民福祉審議会では「就学前の子どもの教育と保育環境の整備について=基本方針」が審議の緒に着こうとしています。「基本方針」の中身は第二保育所の民営化と第一幼稚園の幼保一元化、そして第四保育所を核とした在宅子育て支援の充実であり、前回町長は審議会に諮問を行いました。

 第1回目の初っ端から「基本方針は審議会で審議すべきものではない、いや審議してもらうべきもの」といった町側の二転三転あやふやな態度が露呈し、2回目の本日も入り口論で長引いていました。これは保護者を初め関係者に十分な説明が行われていないため「行政と保護者の不信感、疑心暗鬼の状態」(委員の発言より)を、多くの委員方が心配された当然の結果であろうと思われます。

 会長の強い要請で「基本方針の審議」に入りましたが、皆さん民営化への表層的な意見を述べるに止まりました。私は審議会員方の慎重な姿勢を確認できてホッとすると同時に、「審議会が時として、行政に“隠れ蓑”的に使われるのではないか」との懸念を抱いていたことに反省の念しきりでした。

 例え焦った行政が審議会をせっついたとしても、審議会の使命を十二分に全うしていただきたいと思います。くれぐれも来年4月からの施行へ安直に走らないでいただきたいと、祈る気持ちで慎重審議を願っています。様々なデータや事例の検証も必要でしょうし、保育・幼児教育の専門家を参考人に招致し審議の参考にしていただく試みも是非やって欲しいです。そして何よりも保護者や保育所・幼稚園で働く職員の声を出来るだけたくさん聞いて欲しいと思います。

 民営化に対する委員の意見は、大多数が「必ずしも民営化に反対するものではない」と言うものでした。保護者の委員も「何が何でも民営化反対ではない」と発言していました。しかし同時に「安易な民営化は反対だ」「民営化の方向性がはっきり見えないから、住民が不安になっている」「ただただ民営化が全てよいとは思わない」と揺れる気持ちが述べられています。一方きっぱりと「日本を背負う子どもたちに財源をつぎ込むべきだ」と民営化反対の委員も、反対に「民営化やぶさかでない」と賛成の委員も各々1名づつ存在します。

 以上審議会の意見のほんの一端を紹介しました。実はこの日記は標題の日付け1ヵ月後に書いていますので(ごめんなさい!)、既に町は審議会の要点録を作成しています。その記録と私のノートのメモをつき合わせましたから、例え内容の一部であっても間違いは無いと思います。住民福祉審議会は町のホームページ「住民福祉審議会」でアクセスできますから、皆さんもどうぞ読んでみてください。

 私は6月7日付で「なんぶニュース 106号」を発行していますが、表紙のメイン記事に今日(5月24日)の審議会の様子も数行載せています。その中で「〜時間を頂きたい。(審議は)時期尚早である。〜」とメモしていた一委員の発言を引用しましたが、町が作成した要点録には欠落していました。何故なのかしらと思いますが、「時間が無い」と審議会を急がせたい町にとっては載せたくない言葉だったのかもしれません。

 審議会の最後に、第一幼稚園の保護者から出ておられる委員の発言を町の要点録から紹介します。「民営化と幼保一元化は別にして考えて欲しい。(ここは私のメモでは“共倒れにしないで欲しい”と書いています。断然“共倒れ”の方が切迫感がありますよね)民営化しないなら幼保一元化もしないと聞いた。それならなぜ幼保一元化をするのか、働きながら幼児教育を受けさせられるとの考えがあるのなら、民営化とは別な所で話をして欲しい。預かり保育がうまくいっているから、幼保一元化も上手くいくとは限らない〜」。

 私たちは今まだどうしても、保育所問題に比重が傾きがちです。しかし就労支援型幼稚園として幼保一元化を図る問題を、保育所と同じように重要視していかなくてはなりません。様々な課題に直面している幼稚園児保護者の発言を、これからも心して聴かなければならないと、私は反省を込めて受け止めました。

傍聴を待っている人々

 


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水無瀬川緑地公園をもっとパワーアップしたいですね

(2007年5月25日 金曜日)

 一昨日の23日午後に傍聴した水無瀬川緑地公園運営協議会のことについて書きます。今年度初めての協議会なので、町長の出席があるのかなと思っていました。町長は出てきておらず、部長・次長が出席していました。しかし2人とも挨拶が済むと、そそくさと退席しました。多分外に用事があったのでしょうが、なんだか協議会を軽く見ている様で失礼な感じがしました。

 協議会の委員には報酬はありません。皆さんボランティアで務めてくださっている訳です。「有難うございます」の気持ちがあれば、やっぱり部長か次長のいずれかは残っておくべきではないでしょうか。さらにはトップが会議の内容をよく知っておくことは、単に礼儀上の問題よりももっと大事な意味があると思います。

 今回は当協議会のことに限って言いますが、会長が力を発揮し過ぎる会議の運営に、私は時々違和感を憶えています。傍聴していて、協議会の本来の役割からそれていると感じる場面があります。私は協議会が本来果すべき役目は「公園をどう有効に活用していくのか」を、一住民や団体の立場で町に意見具申していくことだと思います。

 その大きな目標があってこそ、委員方で頑張っておられるパトロール活動も公園設備の整備・改修も生きてくるのだと思います。今日は流石に委員のお一人から、同内容の問題提起がありました。しかし会長はいつものように軽く流されたように思いました。協議会の軌道修正が必要な場合、時には部長なりがその役目を負うべきでしょう。課長や若い職員では会長にずばり指摘を行うのは、なかなか難しいことだと思います。

 また本日の会議には公園のメイン設備である「スポーツ広場」を所管している生涯学習課、つまり教育委員会からは誰も出席していませんでした。水無瀬川運動緑地公園は巨額のお金を費やして設けた、大きく立派な町自慢の公園です。ちゃんと価値ある運営をしていかなくては、本当にもったいないです。みんなの知恵を寄せるには、関連部局も会議に出席すべきではないでしょうか。

 今日の会議でも出ましたが、「ちびっこ広場」の活用も協議会で真剣に話し合う時期にきているのではないかと思います。「ちびっこ広場」と言う名前を付けてはいますが、今は公園内のただの空き地にすぎません。町営プールを建設するスペースとして位置付けられてはいますが、現財政状況ではとても実現しそうにありません。

 ちびっこ広場の周辺には楠の大木が移植されています。JR新駅設置による府道(楠公道路)の拡幅により、街路樹の楠が9本移されました。しかし楠は2,3本を除いて、殆どが根付くことなく枯れた巨木の姿をさらしています。枯れた楠は大阪府の費用で撤去される様ですが、残った楠は町が維持管理をしていきます。

 広場は犬の散歩にも利用されるため、クレームも出ています。協議会は糞公害に憤慨するだけでなく、先ずはこのちびっこ広場の当面の活用を考えてみてはどうでしょうか。私はここを子どもたちの冒険遊びの場、つまり「プレーパーク」にすればいいなあと思います。

 まっそれは理想で、プレーパークはプレーリーダーがいなければお話しにならないですから、実現化は困難でしょうか?でも昔ガキ大将・お転婆さんだったみなさんが、冒険遊びのリーダーに名乗りを上げてくれれば・・・可能性無きにしも非ずではないと、私は夢を捨て切れません。

 とりあえずは実現可能なところで、食い意地の張った私の第2案は「果樹園」ですが、どうでしょうか?“マイ・フルーツ・ツリー”を買ってもらって、持ち主の住民が楽しみながら育てると言うプランです。広場は金網なんかでガチッと囲まないでオープンにして・・・さくらんぼの実る木の下を、だれでもが散策できるようなフルーツガーデンはいかがでしょう?

 フルーツは食べごろに失敬される恐れがあるというなら、お花畑はどうですか。桜井の田畑で実行されて好評なコスモス・ひまわり畑の“緑地公園版”です。ハーブを取り入れてもいいですね。これもまたオーナーの住民が花摘みを楽しめる方式にすれば、希望者はあるのではないかしら?

 そんなこんなも面倒と言うなら、枝豆畑やジャガイモ畑・サツマイモ畑で収穫のミニ体験はいかがですか?これは確実に幼稚園や保育園のお客様が見込まれます。サツマイモは貸し農園“脱落者”の私が最後に行きついた作物で、そこそこ収穫できたことからもお勧めです(サツマイモさんごめんなさい!)。

 まあいろいろ並べてみましたが、要するに水無瀬川運動緑地公園にもっと住民が親しめるような仕掛けが必要ではないですかと、私は思っているのです。それもお金を掛けない仕掛けをです。行政は新しいことを考える時、責任や慎重と言う名の“引き算”からスタートします。引いて引いて結局何も残らず、時にはマイナスの答えが出ると、それでプランはポシャリます。

 でもそこで終らず住民に主体を委ねてみてはどうでしょう?役場は「皆さん!このスペースを使っていいですから、アイデアを競ってみませんか」と仕掛けてくれればよいのです。それでも乗ってくる住民がいなければ、それは住民にパワーがないということ、諦めもつきます。

 行政に対し「住民へのアプローチをしっかりやりなさい」とお尻を叩けるのは、この水無瀬川運動緑地公園運営協議会なのです。とても大事な役目を担っている協議会なのです。本来なら「町長出てらっしゃい!」と言うべき会議なのだと、傍聴の私はいつも思っています。

ほとんど枯れてしまった(移植)楠

 


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水無瀬駅のエレベーター設置について、町長に質問書を出します

(2007年5月26日 土曜日)

 5月9日の日記でお知らせしましたが、阪急水無瀬駅のエレベーター設置については疑問点がたくさんあります。通り一遍の議会への説明だけでは、到底納得できるものではありません。そこで私は町長に対して「質問書」を出すことにしました。以下がその内容です。回答は6月11日に出ましたが、中身は大したことは書かれていませんでした。そのため6月議会の一般質問で質すことにしました。従って回答の内容は後日議会の報告の中に含めたいと思います。

島本町長 川口 裕 様

島本町水無瀬2−2−1−114

南部 由美子(962−4148)

阪急水無瀬駅のエレベーター設置等に係る質問書

 川口町長におかれましては、町政へのご尽力誠にご苦労様でございます。

 さて、阪急水無瀬駅のエレベーターの設置につきましては、長年に渡り多くの住民の皆様より要望をお聞きしているところです。また町におかれましても、水無瀬駅のエレベーター設置を含む「島本町交通バリアフリー基本構想」の策定に向け、努力をされておられることは承知いたしております。

 このような中、さる4月27日に阪急電鉄株式会社(以下「阪急電鉄」と称します)都市交通事業本部鉄道技術部の職員方が来庁され、「阪急電鉄水無瀬駅における移動円滑化等施設整備について(協議)」の文書(以下「協議文書」と称します)を提出されたことは、5月2日に議会としても報告を受けたところです。

 協議文書を受けて、町は「島都産第258号」(2007年5月7日付け)の回答書を出しています。回答書には「次年度からの事業実施を確約するものではない」とは述べられていますが、「仮に次年度に事業着手できなかった場合には、2009年度に事業に着手し、2010年度に事業が完成できるように、両者で引き続き協議・検討を進めることとする」とも記されています。

 つまり島本町は「2010年度に水無瀬駅のエレベーター設置をしたい」と、意思表明していることになります。5月2日の議会(全会派説明会)への報告からわずか5日後に、このような重大な内容の回答をされていることに驚きを感じると共に大いなる心配も抱いています。

 いうまでもなく島本町の財政状況は大変厳しいものです。財政収支見通しで示される経常収支比率は、2006年度より100%を超え、少なくとも2012年度まで110%に近い比率で推移することが判っています。このような状況下で、町が示した島本町の負担は4億円(総事業費12億円)に上ります。

 例え超概算であったとしても、4億円もの新しい財源をどのように捻出するのでしょうか。心配でなりません。阪急電鉄への回答にいたる過程で、財政問題を含めてどのような庁内検討をされたのか甚だ疑問です。

 また議会の意思も確認することなく、さらには「島本町交通バリアフリー基本構想策定委員会」の開催も滞っている状況下での拙速な回答は、前述しました経緯においても、またなによりもその内容においても到底理解できるものではありません。

 以上のような観点から以下の質問及び要望を致します。

1 4月27日に阪急電鉄が協議文書を持参した際の記録を提出してください。尚記録は起案されていると思いますので、起案文書も含めて出してください。もしも起案がなされていない場合は、その理由と面談内容の詳細な説明をお願いいたします。

2 町では回答書を出すに当って、どのような庁内検討・調査等を行いましたか。検討の経過等がわかる起案文書の提出を願います。

3 バリアフリー基本構想策定委員会が、長い間開催されていない理由を示してください。阪急電鉄の協議文書の内容を、委員会に図る必要はなかったのですか。基本構想の作成委託業務の工期はいつまでですか。今後の委員会開催の予定日程についてもお知らせください。

4 回答文の「1」中にありますが、基本構想の策定に向けて阪急電鉄の「必要な協力」とはどういうことですか。

5 同じく回答文の「2」中にあります「鉄道駅総合改善事業費補助制度」および「交通バリアフリー化設備整備費補助金制度」の説明を願います。

6 4月27日付け協議文書には「整備目標期限である2010年度(平成22年度末)に整備を完了するためには、2008年度(平成20年度)に事業着手する必要があると考えられます」と記されています。一方5月7日付けで町が回答した文書中には「仮に次年度に事業着手できなかった場合には、平成21年度(2009年度)に事業に着手し、平成22年度(2010年度)に事業が完了できるように、両社で引き続き協議、検討をすすめることとする」と記されています。事業着手年度が1年遅れても事業完了年度は2010年度で変わらないと言うことでしょうか。つまり阪急電鉄の国土交通省への概算要望提出は、2008年度に2009年度分の概算要望を行っても、2010年度の事業完了には支障とならないわけですね。

7 全会派議案説明会(5月2日)において報告された「当整備に係っては、本年(2007年)9月を目途に方向性を示す必要がある」は、前質問項目「6」の内容を受けますと、当町が方向性を示すのは1年遅れの2008年9月まで猶予があるということになりますか。

8 前質問項目「7」中にも示しましたが、「本年9月を目途に方向性を示す必要がある」の「方向性」とは具体的にはどのようなことですか。

9 同じく5月2日の報告では総事業費「12億円」、島本町からの補助は事業費の3分の1の「4億円」になると示されました。「当町負担3分の1」の根拠を示してください。また「4億円のうち2千6百万円は大阪府の補助であり、残りの3億7千4百万円は起債での財源手当てを行う」とも説明がありました。概算額だとしても巨額の事業費であり、当町が補助を行う約4億円は一体どのような財政見通しのもと、可能だと判断されているのか具体にお示しください。また事業実施をされた場合には、第四次行財政改革プランへの影響はどうなのでしょうか。

10 協議文書の参考資料「水無瀬駅への移動円滑化施設配置について、現段階でのエレベーター(EV)配置計画(案)略図」については理解が困難です。「今後の検討に伴い、変更の可能性があります」とコメントされていますが、エレベーターにエレベーターを重ね、空中高く跨線橋で両ホームを繋ぐ配置計画を、島本町はどのように分析していますか。たとえ「案」であっても、複数案においてあらゆる検討をつくした経過がわかるような資料の提出を求めるべきではありませんか。

11 いずれにしても現状の資料(阪急電鉄からの協議文書・島本町の回答文書)のみでは「水無瀬駅のエレベーター設置」について「進めるのか」、「見送るのか」の判断材料にはなりません。住民の皆さんへの説明責任を果すためにも、精度の高い資料提出を求めます。

12 長い間住民の皆さんが求めてこられた水無瀬駅のエレベータ設置ですが、多額の財政負担を伴うことは確実です。自治体も企業も法制化に背を向けることは出来ませんし、「バリアフリーのまちづくり」から後退することもあってはなりません。しかし町財政が逼迫度を増し、将来的にも不安要因が継続していく財政見通しを鑑みる時、十分な情報提供のもと説明責任を果す役割が、改めて島本町に求められるのではないでしょうか。住民へのニーズ調査・意思確認を行う必要があると考えますが、町長のご見解をお示しください。私は当事業に関しては「住民投票」を行うべきだと思いますが、町長自ら提案をする意思はありますか。

 質問事項は以上ですが、回答は一括を避けていただき、1項目ごとに回答を頂きますようお願いいたします。また回答文は遅滞なきように、更には回答文を踏まえての面談をお願いいたします。どうぞよろしくお願い申し上げます。

 


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罰せられても輝いている先生を、子どもたちはちゃんと見ている

(2007年5月27日 日曜日)

 「改悪教育基本法の具体化を許さない全国集会」が京都で開かれ、参加しました。私は昨秋東京での全国集会にも参加しましたが、その直後教育基本法は改悪されてしまいました。今回の集会は「基本法は改悪されてしまったけれど、具体の関連3法案ストップにはまだ頑張れるよ!」という目的で開かれました。

 関連3法案とは(1)「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」、(2)「学校教育法」、(3)「教育職員免許法及び教育公務員特例法」を指しています。ここではそれぞれ詳しくは述べませんが、(1)については教育委員会の責任体制の明確化や体制の充実、教育における地方分権の推進、国の責任の果し方(これって地方分権と相反すると思うけれど・・・)等について改めると言っています。

 (2)については改正教育基本法を踏まえ、義務教育の目標に規定する事項が示されています。この規定の中には「〜わが国と郷土を愛する態度〜」つまり“愛国心”が位置付けられています。また副校長の設置や主幹教諭・指導教諭の職を置き、教員組織を“ピラミッド型”に転換させようとしています。さらには「学校評価及び情報提供に関する規定」を整備することも盛り込まれています。4月に当町でも行われた全国一斉学力テストは、すでに学校教育法改悪の先鞭をつけているものと考えられ、とても容認できるものではありません。

 (3)は教育職員の免許状に更新性を導入し、指導が不適切な教員の人事管理を厳格化すること等に改める内容になっています。教員免許の更新以外は概ね来年4月からの施行となっています。いずれも様々な問題を含んでいる関連3法案の改正ですが、実は本日の集会後1ヶ月を経ずして、これらの関連法案は6月20日成立してしまいました。

 “教育再生”、“戦後レジームからの脱却”を掲げた安倍首相は首相の指導力を強調する一つとして、強引になおかつ性急に教育の根幹に手を入れ始めたと言えます。彼らの言葉を借りれば「国家百年の計である教育」の根幹は、わずか2ヶ月でつくった3法案を、衆参あわせて112時間の審議で強行突破するほど軽い中身なのでしょうか?

 全国集会に参加しているひとり一人が、納得が行かない気持ちと焦る気持ちを同時に抱えてやってきたと思います。集会の報告者は皆、これら人びとの気持ちを具体に解き明らかにしてくれる話しをしてくれました。中でも私が震えるほどの共感を覚えた人がいます。「君が代不起立」の根津公子さんです。根津さんは東京都の中学校(家庭科)教員です。2003年10月23日文部科学省の「君が代強制の通達」以降、都教委は君が代斉唱時に起立しなかった教員に重い処分を課しています。根津さんは不起立で停職3ヶ月の処分を受けている間、配属された学校には一歩も入れなかったのですが、毎日校門への“出勤”を続けた人です。

 標題の文言は全国集会の午前の部で行われた映画「君が代不起立」(私はビデオ版も持っていますので貸し出しします。ご連絡ください)と、根津さん自身の話から思った言葉です。映画は国家主義の台頭あらわな石原都政に抵抗する人々の姿と、戸惑いながらも根津さんに向き合う子どもたちの姿が淡々と描かれています。

 「根津先生が校門に通い続けている姿を見せてくれることで、私たちには初めて解ったこと見えてきたものがある」とキッパリと話した女生徒の言葉に、会場は深い感動に包まれました。「従う」ほうが楽で得な生きかたなのに、やっぱりそれでも「おかしいことには従えません」と、校門脇に座り続ける根津先生。その姿から子どもたちが受け取った贈り物は、途方もなく大きいと思いました。安倍首相!“教育の根幹”って、振りかざす権力のなかになんてありません。教育の根っこは根津先生を見つめる生徒と、生徒に語りかける根津先生、ここにあるのではないですか!

全国から集まった人々で満員の会場
根津公子さん
非処分者の会(東京)の教職員

 


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6月議会から一問一答方式を試行・・・議運での最終確認

(2007年5月28日 月曜日)

 6月20日から始まる定例議会から、いよいよ一問一答方式が導入されます。結構長い間スッタモンダしました。検討が長引いたのは、一問一答方式と質疑答弁時間のせめぎ合いによるものでした。自由民主党クラブ・山吹民主クラブ・公明党の各会派は従来の質疑答弁時間(1時間)を縮めることを条件にしてきました。

 わたしの会派(人びとの新しい歩み)と共産党が譲歩し、10分短縮して50分の質疑答弁時間となりました。時には譲歩しなくては、議会改革も前に進まないと、私たちとしては苦渋の選択でした。 質問をする場所も、議席の空席を活用して(公明党2議員の引越しを要しましたが)最前列中央に質問席を設けることになりました。後は残り時間を示す時計の用意ですが、議場には1つしか時計はありません。

 9月議会まで補正予算は組めないので、とりあえず今ある時計は総時間数の50分から残り時間を表示していく時計とし、議員の持ち時間20分の残り時間は議長が知らせるアナログ方式となりました。後刻の議会では各自が購入したストップウオッチをカチャカチャ。チャイムが鳴り、「後5分」のプラカードが示され、「○○議員後1分です」「30秒です」との議長のコメントが入る面白い進行となりました。私はこれはこれでなかなか人間味があって良いと思いました。

 私は会議の最後に、一問一答方式導入に当り理事者の答弁書を求めることを要求しました。私たちは最初の質問を通告(文書)していますが、一問目の答えがわからないことには次の質問を展開できないため、これは是非とも必要だと思いました。私が言い出しっぺのことは殆ど邪魔が入るのですが、今回は実現しました。

 また折角時間短縮までして導入する新制度の一問一答ですから、「全員が質問を行うくらいの心意気で臨みましょう」とも檄を飛ばしました。そのかいあってでしょうか、11人の質問者が出ました。良かったと思います。

 そしてさらには正確な「一答」を求め続けられる理事者側の心構えと、実施へのシミュレーションを万全にと発言しました。質問に対し打てば響くような答えが返ってこなくては、一問一答の値打ちがありません。私たちは「うまくいくか」「どうなるか」と結構心配していますが、理事者にも同様の緊張感を持って臨んで欲しいと願っています。ハラハラ・ドキドキ、ガチンコ勝負の議場でなくちゃ、住民はつまらなくてそっぽ向いちゃいますよね。

 


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「議会だよりを無くしては?」の意見にビックリ

(2007年5月29日 火曜日)

 2007年度の議会だより編集委員会がスタートしました。私の会派では交代で編集委員を務めることにしています。任期の後半、これからの2年間は私が委員となります。委員会は各会派1名づつ、5名で構成されています。委員長にはO議員が選ばれました。委員長の選考に際して、私は真っ先に「私以外誰が選ばれてもよい」と発言しました。結局は私の発言があろうがなかろうが、3会派から推薦のO議員が選ばれることになっていたのですが。

 ちなみに「私以外」と言ったのは、私は今期の役員選挙のあり方に全く賛意を覚えないからです。この状況は住民の皆さんに知ってもらいたいし、今後の役員選考のあり方に警鐘を鳴らすものとしなければならないとも思いました。そのためにも自由民主党クラブ・山吹民主クラブ・公明党の3会派で、見事なまでに全ての「長」を“かっさらった”この実態を完璧にしておく必要がありました。議会だより編集委員長(程度・・・といっては失礼か?)の役職で、仲良し3会派から外れた「人びとの新しい歩み」や「共産党」の会派にも、「長」をあげましたとは言われたくなかったのです。

 しかしよく考えるまでもなくO議員は副議長であり、充て職で議会運営等検討委員会の座長にも就かなくてはなりません。自ら健康面の不安を訴えられることもあるO議員に、更なる役職をお願いしたのは果してどうだったのかしらと、後になって心配になってきました。まあご本人がスンナリ受けたからには大丈夫なのだろうと思いますが・・・。

 O議員もただ「長」と言う肩書きを得ることのみに意欲を示したとは思いませんが、議会だより“存亡の時”到来とも言える今、よほど委員長がしっかりとしなくては、後世に悔いを残す事態になるやも知れません。それは今日の編集委員会で自由民主クラブのI議員が「議会だよりの発行をやめ、町広報紙に吸収させては」と発言したからです。

 私はビックリしました。議会だよりは今後益々、住民にとってわかりやすく親しみのある紙面づくりを期待されていると思っていました。一方実際の編集作業が、議会事務局におんぶに抱っこの現状を改めなければならないこともわかっていました。また議会だよりをA版の冊子タイプにするとか、写真を多く使って見やすい紙面を工夫するとか、先ずは発言者名を記載すること等を含めて、より高い水準の紙面づくりに挑戦することが今期の議会だより編集委員会の使命だと私は思っていました。

 兎にも角にも議会だよりの存続は当たり前のこととして、編集委員の皆さん!頑張っていきましょうよ。

 


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百合の香り満ちて

(2007年5月30日 水曜日)

 今日は特段出かける用事もなく、家の中でゴソゴソ・ゴロゴロしていました。同じメゾンに住む友人から頂いた百合の香りが、益々の癒しとなって心を解きほぐしてくれます。

 どちらかというと私の好きな花は小さくて淡い野の花ですが、たまには百合のように気高く芳しく自己主張の強い花もいいなあ〜と、うっとり眺めています。

 早朝陽が昇る前、カーテンごしの薄明かりの中で凛とした百合もいいし、夕方ランプに照らされ、少しおしとやかな百合もまた素敵です。写真で見ると余り変わらないようですが、“貴婦人“の二面性が感じられて少しドキドキしました。ドラマチックな花です・・・。

朝の百合
夕の百合

  


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山崎保育園なかよしランド見学

(2007年5月31日 木曜日)

 9時30分に町営緑地公園住宅の集会所に行きます。6月議会の議案にあがっている集会所の利用拡大について、現地見分と町の職員に説明をしてもらうためです(この内容については既に日記に書いています)。用事が済んで水無瀬川運動緑地公園内を散策していると、山崎保育園の横にあるわんぱく広場で幼児たちが遊んでいるのが見えました。

 あんまり可愛いので、付き添いの保育士さんに「写真をとっていいですか」と訊ねました。「園長の許可をもらっていただけませんか」と、個人情報保護に配慮したしっかりした答えが返ってきました。当然です。保育所に園長先生を訪ねると、「写真は結構ですが、まあどうぞ上ってください。子どもたちが楽しい催しをしていますので、一緒に遊んでください。それに今日はなかよしランド(地域子育て支援センターの事業)もありますから見学していかれませんか」と嬉しいお誘いを頂きました。

 「それでは」と言った後は、もうすっかり楽しい雰囲気につられて結局は2時間もおじゃましてしまいました。先ずは2階の5歳児クラスで、子どもたちの歓迎を受けました。カードを貰って遊びのコーナーを回ります。紙で作った魚の釣り堀やビーズの指輪が当ったアテモンもうれしかったです。いきなり飛び込んできたオバサン(私ならおばあさんになりますか?)にも子どもたちはとても親切に接してくれました。 なかよしランドは町が山崎保育園に委託している地域子育てセンターの事業です。1階のホール一杯に親子連れが集まりました。

 なかよしランドはクラスわけをして集まっているので、顔なじみの親子で和やかな雰囲気です。母親一人で抱えがちな育児の悩みが、仲間の母親と話し合うことで随分緩和されるだろうと納得できました。またセンターに配置されている保育士は、専門的な見地から子育ての悩みを解決に導く役割を担っています。

 歌を唄ったり紙芝居をしたり親子体操をしたりと、子どもたちが飽きないように2人の保育士はリードしていきます。今日の工作は時の記念日にちなんで、紙のお皿で時計を作りました。終わりには保育士が着けているたくさんポケットがついたエプロンに、子どもたちがひとり一人自分のネームプレートを入れていきます。エプロンのポッケにはクラスのキャラクター(動物)がアップリケされていて、小さな子どもたちでも間違わないように工夫されていました。

 なかよしランド終了後も、三々五々お母さんたちの話の輪が出来ていました。私は園長先生にお茶と美味しいお饅頭までご馳走になって、帰りました。私は第二・第四の町立保育所へは、民営化問題が浮上してからよくおじゃまをしていますが、民間保育所の実態もよく知っておかなくてはと改めて思ったことでした。

山崎保育園 保育園祭(5歳児)
 
なかよしランド(保育士の紙しばい) なかよしランド(紙皿で時計を作る)

  

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