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年末年始のタイランド家族旅行

(2006年12月29日〜2007年1月4日 金〜木曜日)

 さて、本日の本当の日付は2007年1月4日です。遅ればせながらのご挨拶をお許し頂いて「みなさま明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします」。

 4日の午後から恒例の新年互礼会に出席します。ただ深夜から早朝にかけての飛行機でしたから、寝不足でボ〜ッとした顔を、新年早々たくさんの人々にさらしてしまう羽目になりました。町長と議長の挨拶を聞いただけで、あとは役場ヘ行きます。

 互礼会に出ている“偉い”職員より、私は課長・係長ほか一般の職員に「今年も頑張ってくださいね」と課内を回りました。また、機械警備員・フロアーパーソン・電話交換手・運転手・屋外警備員・清掃員等委託の職員方にも挨拶に行きます。

 2時半からは教育委員会議を傍聴しました。早くも2007年度の予算案が議決されました。興味深い予算も付けられていますが、詳細は後日に回します。

 ところで昨年最終の日記は9月24日から、(すっ飛びの番外編)12月28日分で終わっていました。兎にも角にもみなさまへ2006年のご挨拶だけはして、私は恒例のタイランド家族旅行へ出かけました。おかげさまで、1週間の楽しい家族旅行をさせていただきました。

 ただバンコクで31日に起こった爆破テロは、政変クーデターの影響を改めて思い起こさせる事件でした。しかしお国柄でしょうか、繁華街の警備兵や警察官もどこかノンビリとしたさまに感じました。私たち外国人もデパート入り口での手荷物検査も受けましたが、そう厳しいものではありませんでした。

 唯一残念だったのは、恒例のカウントダウンを経て、新年を迎える路上でのお祭騒ぎのイベントが中止になったことです。息子たち曰く、羽目を外してビールを掛け合い新年を祝う群集の中に身を置く開放感は、やはり日本では味わえないハッピーな気分だそうです。

 素晴らしい新国際空港、年々きれいになる街中、整備される交通網と開発が進むバンコクですが、30度近い気温と相変わらずデコボコの歩道(都心とは信じられないほどのひどい舗装状態)、路上の屋台から流れる唐辛子やパクチイーの匂いが瞬く間に「タイにきた!」実感を呼び起こしてくれました。

狭い船上で巧みに調理する女性たち 世界で最も高い仏塔(プラ・パトム・チェディ)
金の巨大涅槃像(ワット・ポー) オリエンタルホテルのポップデコレーションケーキ
ブルー・エレファントの創作タイ料理 ペニンシュラホテルの飲茶デザート

 


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(2007年1月5日 金曜日)

 12月29日から1月4日まではタイランドに行っていましたので、その間の日記は12月分に入っています。ただ12月の日記を日付ごとに検索できる整理がまだできていません。出来るだけ早く日記の目次から本文が引き出せるようにしたいと思います。

 さて昨日から始まった新年の役場の業務ですが、また明日から3連休になるので、庁舎内は何となくゆる〜っとした気分が漂っています。私もまだいつものペースに戻れない気分ですが、昨年情報公開請求していた文書が次々と公開されてきます。それらの情報を目にしていると、私たちが知らない間にもいろんなことが動いているとわかります。

 9月議会において2005年度決算が否決されるという、いまだかつて無かった事態が起きました。その原因は2004・2005年度の2ヵ年わたり、町が地域就労支援事業に係る事務を後述のように不適切に行っていたことが判明したからです。

 町は大阪府を“騙した”形で、同事業の補助金を余計に貰っていました。また町から同事業の委託を受けた地域人権協会(会長○○氏)への委託料の過払いと○○コーディネーターや○○支援員への報償費を重複払いしていました。

 今日公開された情報は、町から大阪府へ返したお金と町が地域人権協会及び2名の個人から返してもらうお金との内容が記載された文書でした。これらのことは遅まきながら、恥ずかしながらであっても当たり前の事務処理です。

 従ってことさらこの日記で知らせることでもないのです。しかし私が敢えてここで言わなければならないのは、これらの文書には3人の個人名が公開されている点です。余計にお金を受け取った人たちだから名前を出して“お仕置き”ですか?まさかそんなことはありえません。個人情報保護に関して、余りにも雑で無神経な公開がされていることに驚きました。

 当然今回の氏名は非公開とされるべきもので、言ってみれば単純な“黒塗り”のし忘れです。私はこれまで何度も「見なかったことにするから」と文書の差し替えをこちらから言ってあげていました。しかし今回は言いません。なぜなら地域就労支援事業の不適切な事務を本当に反省しているなら、少なくともこれら一連の事後処理については、もうどんなミスも許されないと決意して当然なのです。

 文書を起案した産業建設課も情報公開の窓口である自治防災課も、そのいいかげんさに呆れてしまいます。普通は隠してある情報を出しなさいと異議申立をするのですが、今回は出している情報を隠しなさいと異議を唱えなければならないのでしょうか。

 まあそれよりも前に私が持っている文書を回収し、正しく情報公開した文書を発行し直すことが先決でしょう。役場の職員がもしもこの日記を読んでくれていたなら、私に対して謝罪とお願いの公文書を早急に送ってくるべきだと思うのですが・・・。

 


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早々と駐輪場の有料化を打ち出していますが・・・

(2007年1月6日 土曜日)

 昨年11月14日に町は5箇所の駐輪場でアンケート調査を行いました。調査結果が昨年末に報告されています。この調査はJR新駅の開業に伴い、今後の「島本町自転車等駐車場整備計画」を作成するために実施されたものです。情報公開請求していた文書が出てきましたので、その概要をお知らせします。

 当日の駐輪場最大利用台数は1,923台でした。うち1,590台に調査票を配布し、回収は655票(41.4%)ですから本調査の信頼度は95%以上の高い精度であると言えます。これは調査を受けた人の70%が、毎日駐輪場を利用している人々であったことから“我がこととして”真摯に協力くださったからにほかなりません。ありがたいことです。

 町は調査結果をなんとか「駐輪場の有料化」に結び付けたいと考えていますが、7割の人がずばり「有料化はすべきでない」と答えています。ただし有料化しても「利用する」は30%、「施設が改善されれば利用する」が24%です。明確に「他の手段を選択する」とした人は17%ですが、「その他」の人びとが29%と多くを占めているので、皆さんの本音のところは定かにはなっていません。

 さて「有料でも利用する」の人びと(54パーセント)は、どれくらいの「料金」が適正だと思っているのでしょうか。8割の人が1回当り「100円まで」と答えています。また1ヶ月当りでは「1,000円まで」が37%、「2,000円まで」が28%で上位を占めています。

 私はこのような結果だけで、即「有料化」は打ち出せないと思います。なぜなら有料化を肯定した人びとも「出来るだけ低い利用料金の設定」とともに「駐輪場の整備グレードの向上」「防犯性能の強化」を求めているからです。町はJR新駅の駐輪場開業に合わせて全町的に有料化を図りたいのですが、整地が進む新駅東側駐輪場は“野ざらし”置場の計画です。これではとても「整備グレード」や「防犯」機能が増すとは思われません。

 調査結果には2005年度の駐輪場にかかった費用も示されています。総額で約910万円です(町費負担は7割の方が知っていました)。新駅駐輪場の取得・整備には(例え野ざらしであっても)2億円を超えるお金がかかっていますし、今後は管理運営費も支出していかねばなりません。財源を求めるために、例えば駐輪場使用料1台1ヶ月1,000円を頂くとすると1,900台なら年間2,280万です。2,000円なら4,560万円になります。町の財政上は大きな金額と言えます。

 しかし行政サービスは財政上の足し算引き算だけで、住民にその対価を求めるべきものではありません。長期的視野に立つことや、或いは敢えて“無料化”という問題点を投げかけることで、住民意識の喚起を図る“損して得取る”施策もあるのではないかと思うのです。

 駐輪場使用料金の具体的な金額を自ら出した後では言いにくいのですが、例えば島本町が何処よりも“環境に優しい街として持続していく”意思を示すのなら、その証のひとつとして自転車利用を推進していく立場を打ち出し、駐輪場は「無料です」と誇らしく宣言することはありえます。「日本一自転車マナーが良い街」「日本一自転車が似合う街」も素敵だなと思いませんか。

 ちなみに私は視察で行った金沢市の駐輪場無料化精神に共感・触発されたのですが、一方「なんでも無料化はよろしくない」と同行した部長は復命書の中で強調しています。ことほど左様に意見は様々なのです。

 いろいろな意見を織り込み精査されるべき冒頭の自転車駐車場整備計画は来年度(H19年度)に完成予定で、コンサルタントに委託されていますが、計画素案は公募委員を交えた機関で検討をされるはずです。今回の駐輪場実態調査結果を十二分に分析・活用してもらいたいし、必要なら項目を絞った再調査も行ったうえで、住民の皆さんが納得してくださる方向性を出してもらいたいと願っています。

 今日の日付は2月14日です。ただでさえ遅れに遅れた日記を、さらに数日間もお届けできなかったことをお詫び致します。実は大変ひどい風邪にやられて、ずっとベッドの中におりました。春のような3連休もオジャンでしたし、役場に出向くことも出来ずにいました。やっと39度の熱も下がりましたが、15日(明日!)の臨時議会の準備もままならず気ばかりあせっています

 とにかく議会へ出席できる体調にまでは回復しておかなければと、ひたすら養生していましたがウオーミングアップが全く出来ていません。先ずはお風呂に入ることから始めなくては・・・。その前に殆ど出来ていたこの日記の残りを数行試しに打って、現実に戻ろうと思いました。なお臨時議会の議事日程は次の通りです。議場ではまだ完治せず冴えない私がいますが、宜しければ傍聴にお越しください。10時開議ですが、もしかしたら午前中で終わってしまうかもしれませんので、進行状況は議会事務局 電話 962−6315 へお問合せください。

 2007年2月15日 臨時会議事日程(概要です)

 行政報告・・・

1 (社)高槻医師会委託の定期予防接種における事故について

 1月15日と19日に高槻市内の医療機関で行われたMRワクチン(麻しん風しん混合)に10日で期限が切れているワクチンがあったことが判明。接種を受けた6歳児1人・1歳児2人の3人には健康被害はありませんでしたが、絶対にあってはならない事故でした。今後の再発を防ぐために、町・医療機関・高槻医師会で改善策を検討しており、それらの経緯も含めて事故の内容が報告されます。

2 町立第四保育所における食物アレルギーに係る事故について

 1月25日に第四保育所の1歳児が牛乳アレルギーであるにも係わらず、保育士の不注意により配ぜんされた牛乳を一口飲んでしまいました。アレルギー反応が現れたためかかりつけ医→病院に救急搬送され入院に到りました。4日後に退院し回復が確認できましたが、一歩誤れば生命の危機にさらされる重大な事故になる可能性がありました。事故の背景と原因を探り、再発防止策が報告されます。

 手数料条例の一部改正について・・・

 12月議会で委員会付託の動議が出され、2月2日の総務文教常任委員会に付託されました。委員会審査では可否同数となり委員長採決により可決されました。今議会では委員長の報告を受け、全員が最終の賛否を表します。表決にあたっては「討論」として、その理由を述べます。

 今回上程された手数料は住民票や戸籍の騰抄本交付・印鑑登録証明や税に係る証明18種です。殆どが現行200円を300円に値上げをするものです。近隣市町では吹田市の150円を除きすべてが300円になっています。

 これだけ見れば「まあ仕方がないか」的に捉えられがちですが、今回の手数料値上げ後、堰を切って値上げが押し寄せる可能性があることです。ですから少なくとも新年度内に値上げを考えているものについては洗いざらい出し、なおかつ具体料金案を伴って、住民参加のもとしかるべき機関(検討委員会等を立ち上げ)にかける必要性があると思うのです。時間をかけた整合性のある受益者負担の説明が行なわれるなら、住民はきっと受け入れてくれると思います。

 従って今回の“ごり押し”は止めた方が良いと私は考えています。単に手数料200円が300円になるといった値上げに止まらない恐れがあるからです。

 損害賠償の額を定めること及び和解の専決処分について・・・

 11月17日に公用車が事故を起こしました。止まっている郵便配達車に追突したのですから、相手方には100%の物損事故の賠償を行わなければなりません。金額は約13万円です(13万円を既に支払ったため、専決処分として議会に報告されます)。別途人身事故に対する賠償も生じてきますが、相手方が加療中のため示談はまだ成立していません。

 この事故の直接の原因は携帯電話にあります。着信音を切ろうとした一瞬の不注意が事故に繋がりました。携帯電話の車内持込に際しての「電源を切る」「ドライブモードにする」徹底が守られていなかったことは重大です。

 当然相手車・自車(修理に約16万円かかりました)共に保険対応で処理されていますが、公用車事故は当町の信用を大いに傷つけるものですし、事故を起こした職員の士気にもかかわってきます。事故は絶対に起こして欲しくないですね。

 教育委員会委員の任命につき同意を求めることについて・・・

 5名の教育委員が5ヶ月間も1名欠員できています。9月末に退任したのが教育長である教育委員であったため、今回の人事案件は事実上次期教育長を選ぶと言うことになります(ただし議会が町長の提案に同意をするのは、あくまでも教育委員であって教育長ではありません。教育長は5人の委員の間で選ばれます)。

 教育長は収入役と並ぶ待遇で教育委員会事務局を統括し、町にとって重要な役職です。このような要職人事が何故スムースに上程できなかったのか、私には窺い知れない諸々の事情が存在するのでしょうが、それにしても町長の力量のほどが垣間見えてしまいます。

 さてやっと上げられた“候補”はつぎのような方です。

 森川 正啓さん・1945年7月生まれ・茨木市在住・最終学歴は京都府立大学卒業・茨木市立の中学校で教諭、校長を務める(茨木市教委・大阪府教委にも勤務)どのような方かは私には一切わかりませんので、同意するのに困ってしまいます。

 平成18年度一般会計補正予算・・・

 歴史文化資料館は1年後の4月を目指して開館準備を進めています。館のトイレ改修について大幅な変更に伴う補正予算(340万円)が必要となりました。当初予算500万円で上もの建設工事と給排水及び電気工事を見込んでいましたが、設計変更し上もの建設費がアップしたにも係わらず、給排水と電気工事を併せて積算し直していなかった事務上のミスです(事前の聞き取りでは、珍しく担当者は平謝りでした)。

 設計費用30万円を別にして、結局改修総額は840万円となりました。建設関係は既に入札が執行されており、落合組が440万円で落札済みです。給排水工事330万円と電気工事70万円は、本補正予算が認められれば直ちに入札(電気は随意契約になる可能性あり)を行うと言うことです。

 結論はより良いトイレになるのだから「いいとしょうか」と言うことになるのでしょうが、そもそもの不十分な改修計画と変更に伴う杜撰な積算には驚きです。何人ものチェックが入っているはずなのに、何故誰も気がつかなかったのでしょう?

 臨時会の案件は以上です。明日の天候は悪いようですが、傍聴にお越しくださればうれしいです。

 


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3億5千万にも上る支出を伴うJR新駅東側駐輪場

(2007年1月7日 日曜日)

 暖冬が続く中、珍しく雪が舞いました。「保育所問題」で保護者の方に会うため出かけた若山台は、薄っすら雪化粧できれいでした。この日以降はまた益々のポカポカ陽気に戻り、二度と雪にはお目にかかれなくなりました(正確にはこの日記を書いている本日の2月21日までは)。

 昨日の日記に掲載したJR新駅東側の駐輪場について、訂正・補足があります。町は「財団法人自転車駐車場整備センター」(以下「整備センター」と言います)から2006年11月付けの計画書(案)を受け取っていることが情報公開請求でわかりました。

 本計画書はあくまでも「案」であり、駐輪場については新駅分のみならず既設の自転車置場を含めて、全町的な考察が必要なことは言うまでもありません(町は「(仮称)駐輪対策意見交換会」の立ち上げを計画していますが)。

 しかし「整備センター」はJR山崎駅でも実施している通り、各自治体の駐輪場の建設・運営を行っている財団ですから、当町も“お任せ”することは大いにありえます。従って計画書(案)はかなり“本気”だということでしょう。

 そこで「訂正」なのですが、先の日記では“野ざらしの駐輪場”で防犯対策が取られないように書きました。“野ざらし”ではありません。建屋の中に駐輪するのではありませんが、屋根だけは設けられています。また防犯上は管理室が設けられます。ただし駐輪場の利用は出来ますが管理人が不在となる時間帯もあり、また終電から始発までは閉鎖し利用は不可となります。まあ「案」の段階では、こういった一応の対策が示されていますので、訂正をさせていただきました。

 ちなみに自転車1,284台とミニバイク220台を収容し、屋根をつけ、スライドラックを設置し、管理室建屋そのほか諸々含めて約1億4千7百万円を要します。当然管理運営費は別途必要です。また駐輪場の用地買収費と土地の整備費には既に約2億円を支出しています。う〜ん!凄いお金がかかりますねぇ。

 


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成人祭は個々人のお祝い事ではないですか?

(2007年1月8日 月曜日)

 住民ホールで成人祭が開かれます。今年の新成人は342人です。会場内は少々ざわめきがありましたが、羽目を外すような人はいませんでした。式も来賓を特別扱いしないシンプルな形で進められました。

 選挙権を得た若者たちに顔と名前を売っておきたい議員たちは、きっとアテが外れたことでしょう。国会から町議会議員にいたるまで、特に春の選挙を控えている府会議員は全員本人が出席していたようですから、内心面白くなかったかもしれません。これで「よしよし!」です。

 しかし私の究極の思いは、成人祭における若者のお行儀云々の悩みよりも「もう自治体が旧態ぜんとした成人祭をするのは、やめたら?」というものです。「成人」という言葉もよく考えてみれば引っかかってしまいますが、要するに20歳になったということはそれだけのこと、ひたすらプライベートな問題だと私は言いたいのです。

 毎年迎える誕生日のように、それぞれの家族や友人たちで祝いあったほうがいいと思います。それまで築いてきた人間関係の中で、自分が社会的に認められ責任を背負うことを、身近な人びと特に父や母からしっかりと伝えてもらうことが一番のプレゼントではないでしょうか。

 着飾って心ここにあらずで一斉の“大同窓会“に出席するような形ばかりの成人祭は、「大人のスタート台に立つ」という意識を返って削いでいるように思えてなりません。セレモニーを全て否定する気はありませんし、きれいに装うこともウキウキする気持ちも大事なことですが、それも一人ひとりが思いっきり楽しんで弾けてこそ生きるものではないでしょうか。

 楽しいことはもともとプライベートなことなのです。個人的な楽しみを集団でパブリックの場でやりましょうと言っていることに、成人祭の無理があるように感じています。ただこう言っている私の言葉にも無理があるような気もしていますが・・・。

 式典の中ほどの「特別ゲスト紹介」(小・中学校の先生たち)までは居ましたが、あとは2つの保育所の保護者が話し合う場に参加するため退席をしました。

 


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町立第二保育所の園庭開放を見学しました

(2007年1月9日 火曜日)

 10時から始まる園庭開放の見学をするため、広瀬5丁目にある第二保育所(以降「二保」と言います。)を訪ねます。園庭に関しては昨年7月4日の日記に、第四保育所のことを書いています。お暇ならページをクリックしてみてください。

 園庭開放は、在宅で保育をしている保護者と子どもを支援する「子育て支援事業」の一つで、大変人気がある事業です。各園毎月2回ずつ開いていますし、町が子育て支援センターをお願いしている私立の山崎保育園でも開いています。2005年度の参加者は約4,800人に上っています(町の子育て支援は園庭開放以外にも様々あり、どれも参加者は多いです)。

 二保は水無瀬駅から5,6分、広瀬5丁目の静かな住宅街の中にあります。定員は120人ですが、実員は131人います(昨年10月1日現在)。所長と保育士さんに玄関で挨拶をしていると、3〜4人ずつ大きな箱型の乳母車に乗った子どもたちがお散歩に出かけるところでした。みんな赤いホッペをしてとても可愛らしい!

 園庭にはまだチラホラしか親子の姿は見えないので、先に5歳児の保育室を覗いてみました。突然でしたが保育士さんは快く参観させてくれ、寒いからと足元に敷物まで持ってきてくれました。子どもたちは丸く輪になり、一人ずつお正月の思い出を発表していました。保育士さんはなぜか?3人(多分2人は臨時職員)もいましたが、密度の高い保育態勢で結構なことです。

 いつの間にか園庭は30組くらいの親子で賑わい、砂遊び・三輪車等・折り紙にも挑戦しています。開放は11時30分で終了です。おしまいの合図は音楽に乗って、みんなで長〜い汽車になりグランドを走り回ります。最後にはこの遊びで盛り上がって、子どもたちがちゃんと“お帰りモード”に切り替わるようになっています。子育て支援担当の保育士さんをはじめボランティアの方々の協力に感謝です。例え短時間でも在宅子育て中の親子が心と体を幾分でも楽にすることができて、その上親子同士の交流も増えれば、この事業を行っている甲斐があります。

 二保を辞する頃にはできたてホヤホヤ本日のお昼ご飯が、玄関のガラスケースの中に置かれました。赤ちゃんの離乳食から5歳児まで、いく通りもの食事が並んでいます。勿論この他に、アレルギーを持つ子どものための除去食も作られます。保育所における現状のきめ細かい給食が、今後町の保育所形態が変化することで、どのように変わっていくのか本当に心配です。

 実は私が今日二保を訪問したのは昨年末(議会には12月初め、非公式の議員全員協議会で)に突然発表された、二保の民営化を含む「就学前の子どもの教育と保育環境の整備について(基本方針)」に係る調査(と言うほど大げさなものではありませんが)を始めなくてはと思ったからです。

 議会での質疑や予算・決算書等紙に書かれた机上の数字ではない“生”の保育所を、例え短時間でも肌で感じることが何よりも必要だと考えたからです。日々の保育は子どもたちと保護者と保育士がそれぞれの立場で、それぞれの思いを持ちながら一帯となって懸命に作り上げていっているのです。私自身その一端でも感じさせてもらわなければ「保育所問題」を語る資格はないだろうと思っています。

 保育所の皆さん!これからも度々“おじゃま虫”になりますが、どうぞよろしくお願いいたします。

 


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歴史文化資料館の大木もバッサリ切られてしまいました

(2007年1月10日 水曜日)

 JR新駅に係る周辺整備がドンドン進んでいます。府道西京高槻線の道路拡幅も歴史文化資料館側で少し広がります。工事のために資料館内の楠木の大木が何本も切り倒されました。樟脳の香りが切り口から立ち上って、楠木が生きていた最後の証を訴えているように感じました。

 役場の投書箱にも「切らないで」と訴えがありました。私も本当に残念に思いますが、資料館敷地内の整備と府道の拡幅のためには仕方がないようです。また資料館から少し北に進んだ所、新駅の自転車置場になる土地でも大木が伐採され始めています。

 新駅設置事業のために、もう随分な木々が切られてしまいました。国の史跡である桜井の駅跡だけは免れていますが、資料館(元は麗天館と言いました)から駐輪場予定地の一帯は史跡を挟んで緑の豊かさが感じられ、町のグレードを高めゆとりを醸し出す貴重なスポットでした。

 「どうかこれ以上の緑を奪わないで」と祈る気持ちで、毎日進む開発を眺めながら役場ヘ通っています。私は「島本の新駅はそこらの街中にある駅じゃないよ」と思っています。駅東側は市街地にありながら緑豊かな史跡と歴史的な日本建築の館とに囲まれ、駅西側は山を背景にのどかな田園地帯が広がる、そのような特色ある新駅を自慢にしたいと思っています。

 新駅を商売の対象としてだけに捉えるようなことは止めなければなりません。駅が出来ても利便性が増すだけではツマラナイです。街の品格が高まり、住民が益々わが町を誇りに思い駅周辺に楽しく集う、・・・そんな街の核として新駅とその周辺を整備して欲しいと思います。

 


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補助金の精算は当たり前です

(2007年1月11日 木曜日)

 1月9日に補助金交付規則の改正に係る法規審査の依頼が起案されています。現在町が団体等(直接個人に補助されるものもあります・・・町規格葬儀や私立幼稚園就園補助等がある)に補助している項目は57件あります。

 大は山崎保育園への助成金約5760万円や社会福祉協議会の約2990万円から、小は保護司会への3万6千円まで金額は様々です。また補助金の性格も団体の運営補助となるもの、或いは事業委託をするためのものと種々あります。

 これらの補助金制度に係る規則の見直しが、本日手にしたこの法規審査の文書です。法令等の改廃については、原課(今回は財政課)が総務課に改廃法令条文の審査依頼をします。総務は委託契約をしている専門の業者に条文のチェックをかけます。万全の審査が終了して、やっと新しい法令が生まれたり改正されたりします。条例の場合は、ここから先さらに議会の議決を得なければなりません。

 さて改正された補助金交付規則ですが、大きく変わったところは精算方式(補助金精算報告書の提出)が明記されたことです。今までも全ての補助金が丸々貰いっぱなしではありませんでしたが(事業委託の性格を持つ助成は精算されていました)、このたびの大きな不祥事の要因となった地域人権協会への補助金のあり方に端を発して、改善を余儀なくされたものと思われます。

 まあ使わなかったお金は返してもらうようにするのが当然なのですが、補助金そのものの必要性について根本的に検討しなければならないと私は思っています。古いものでは「昭和39年以前」、40数年前から交付されている補助金もあります。

 社会情勢の変化に沿わない既得権化を見逃している補助は、打ち切って当然です。「町財政が苦しい苦しい」と言いながら、漫然と継続していることは改めるべきでしょう。

 先ずはバラマキ助成(私立の幼稚園保護者に一律1ヶ月2千円の就園奨励金(年間2万4千円、子どもが2人ならその倍額がもらえる)や、サークル的団体への補助をなくするべきです。例えばある協会もある協議会も同好の士の集まりなのですから、当節もうポケットマネーで賄っていただきましょう。さて、川口町長どうします!

 それとこの規則の改正は是非とも議会に報告すべきと思いますが、どうですか?規則・要綱の類は議会での審議は必要とされてはいませんが、2005年度決算を否決に追い込んだ要因の一つが当規則にあるのです。従って反省を込めて改善点を議会へ知らせるのは、当たり前だと思うのですが・・・川口町長これもまたどうします!

 結果はどうもしませんでした。後日談ですが3月議会の委員会審査において、訊かれてはじめて答えていましたっけ。こんなんでいいのでしょうかね?

 


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お客さんのためにもあなた(職員)のためにもなったのだから、私はうれしかったのですが・・・

(2007年1月12日 金曜日)

 ○○課にいた時、住民からの電話を受けていた職員が答えに詰まっています。「調べてみます」と一端電話を切ったので、その間に私は議会事務局へすっ飛んでいきました。電話の端々から検討をつけることが出来たので、お目当ての記録を借りに走ったのです。

 記録を抱えて、私はオズオズと申し出ました。「差し出がましいですが、今の問い合わせの件は、12月議会の記録の中に載っています。ただし正式の議事録はまだありませんので、反訳原稿での確認になりますが。よろしかったら見てください」と反訳原稿を差し出しました。

 間違いなかったです。住民が訊いてこられたのは、保育所問題に係る国の審議機関の名称と審議内容でした。折り返し正しい返事を返すことができて、本当に良かったでした。けれど、その後がさみしかった!議会の反訳原稿を思いつかなければ、絶対と言ってもよいくらいすぐに答えが返せない問い合わせに、私は助け舟を出したつもりでした。

 しかし・・・それで終わりです。一言もありません。別に私も仕事のうちですから感謝を強いるつもりはありませんし、知らん顔をしていれば済んでいた話しです。でも折角訊いてこられた住民の方に、何とか答えを知らせてあげたいと思うじゃないですか。「いゃ〜、わかりません」と素っ気無く返すのと、颯爽と正しい答えを返すのとでは、住民の役場に対する信頼は天と地ほどの差が出ます。

 今回は私も協力できてうれしかったのです。言葉は無くてもお互いホッとして「よかったね」とちょっと微笑みたかったな。職員さんには何気ない心配り・気遣いの小さな積み重ねが、本当に大切だと気付いて欲しいとつくづく思いました。

 


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お義母さんの三回忌

(2007年1月13日 土曜日)

 早いもので三回忌を迎えました。法事はお昼前からですが、早朝から掃除をしたり花をいけたりバタバタしていると、アッと言う間にお坊さんが到着です。夫の兄弟たちと義母の従妹たちと私たち家族の少人数が集いました。

 お経が済んで昼食を取りながら、二人の従妹からお義母さんの昔話を聞かせてもらいました。二人とも80歳近い年齢ですが、とてもお洒落で快活で知識欲旺盛。初対面の私を圧倒しつつ、“元気長寿”のパワーを残していきました。

 後日談になりますが、従妹の一人が友人と話していて私のことを聞かされたと、わざわざ手紙をくれました。法事の一週間後、私は川西市の男女共同参画センターで講師を務めたのですが、出席者の中に従妹の友人がいたというのです。

 従妹は「南部」姓ではないので、講座のどんな話題から私のことが出てきたのかはわかりません。願わくは「この間出席した講座はよかったわ。講師は『南部』さんと言ったかな?」と従妹が聞かされていたなら、うれしいのですがどうでしょうか?う〜ん!それにしても、世の中狭いとつくづく思いました。

 


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新しき年の2つの行事

(2007年1月14日 日曜日)

 午前中は消防出初式に午後からは桜井のどんど焼きの見学にと、新春恒例の行事に参加しました。朝から穏やかで温かいお天気だったからか、いずれも子ども連れの家族参加が例年にも増して多かったように感じました。うれしいことです。

 私も毎年楽しみにしている2つの催しですが、隠れた楽しみは出初式の豚汁とどんど焼きのおもちです。もちろんどの行事も開催の根拠と歴史があるわけですし、特に出初式は町の公式行事ですから“食い気”だけで参加しているわけでは決してありません・・・。

 出初式はいつものように国旗掲揚・国歌斉唱時には、ちょっと姿をくらましてその時をやり過ごします。式には多くの来賓と共に議員も招かれるのですが、私は日の丸も君が代にも(ましてや、歌えと強要されると)違和感がありますので来賓席には座りません。ちなみに来賓の辻元清美衆議院議員と小沢福子府議会議員はどうしていたのかしら?ちょっと気になります。

 見学者の中に私を見つけた男性が話し掛けてきました。消防団の装いをしているので、何事かしらと思いましたら「私は保護者ですけど、第二保育所の民営化はして欲しくないですねん」と小声で話されます。彼はすぐに所属の消防団に戻っていきましたが、このような場でも訴えずにはいられない切羽詰った気持ちが私には痛いほどわかりました。

 午後からの桜井どんど焼きも、大勢の人々が手に手に正月飾りを持って集まりました。数年前に再開された伝統行事はもうすっかり地域に定着し、皆さん楽しみにやって来られます。

 どんどへの火入れセレモニーも町長・助役・収入役・教育次長(教育長はまだ決まらない)と役場の4役が揃い踏みです。他にも関係部局の管理職たちが顔を出しています。ちょっと大げさで白けちゃいそうですが、それだけ役場が桜井地域の関係者・団体等を大事にしている証でしょうね。うらやましいと言うか、何と言うか・・・。

 どんど焼きの簡単な報告は9月30日付の日記に本日分をドッキングさせています。写真も4枚(中でもふっくらお餅が可愛いです)は入れていますので、どうぞ遡ってご覧下されば幸いです。

 


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パソコンの師匠にあわす顔がありません

(2007年1月15日 月曜日)

 年末年始のタイランド旅行では、無理をして一家4人が揃いました。それから日を経ずして再び今日家族が集まることができました。とても珍しいことです。息子たちはいずれも遠方に勤務していますから、そろって顔を合わす機会はなかなかありません。

 特に次男は販売業なので人が休む時こそが稼ぎ時、カレンダーの休日とは逆行の勤務状態です。彼の貴重な休日と、(私と夫の)パソコンの師匠とお会いする日がたまたま重なりました。日帰りが可能な長男も加わって、今夜は一家で“師匠”と歓談です。

 師匠は夫の後輩ですが、夫が退職後も良くしてくださいます。パソコンに堪能な方で、私のホームページの立ち上げにも協力をしてくださいました。以来無理やり“管理人”を押し付けている状態ですが、遅れ遅れの日記にも見放すことなくお付き合いくださっています。

 ありがたいことだと思います。少しでもお返しをしなければバチが当るような気がしますが、ニコニコと優しい笑顔に接すると、またまた日記の日付が遠退いていってしまうのです。

 いくらなんでも今日は師匠から苦言を呈せられるのかと、本当はドキドキでお会いしたのですが・・・叱られることはありませんでした!ということで、私は美味しい料理をお腹一杯楽しく頂くことができました。満足、満足!

 


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カメの歩みでも、これは議会改革の前進?

(2007年1月16日 火曜日)

 議会運営委員会(議運)が開かれました。議会の改革については議運と議会運営等検討委員会(検討委員会)の2本立てで検討協議しています。本日の議運では常任委員会に係る2点の検討項目に、少し光が見えてきた状況が生まれてきました。

 1つは委員会会議録に氏名を掲載するに当り「各議員の発言時間(持ち時間)を厳守すべし」と主張してきた会派が、「厳守」を「遵守」に変えてもいいと提起してきたことです。

 私は「厳守」には拘束力があり、「罰則」が伴う恐れがあること。また基本的に議員の発言については権利が保障されていることから、会議規則を超える「厳守」には承服しかねるといい続けてきました。

 従って折り合う条件は、ゆるやかにお互いが決まりを守ることを意味する文言じゃないとダメだと、“持ち時間”派にボールを投げ返していました。これらを経て会議のはじまる前に、山吹民主クラブのS議員から「厳守」は取り下げ「遵守」で行くとの意思が示されました。

 「オオッ!やっと譲ったか」と思いました。“大会派”がごり押しを避けたことには大いなる評価をしたいと思います。しかしですね、そもそも会議録への氏名搭載は“持ち時間制“などという条件と引き換えに実現されるものではないのです。無条件に発言者名が記載されるのが当たり前なのです。

 でも正論を押し通し事の成就を逃すよりも、先ずは住民の要望「誰が喋ってんのかわかるようにして」を叶えるのが、議員のやるべきことと私は合意をしました。

 ヤレヤレ、これで3月議会の常任委員会記録から議員の氏名・職員の役職名が明記されることになる下地が整いました。全くもう!当たり前のことに、時間も精力も随分使いました。良くも悪くも、これが議会改革の姿ですかねぇ・・・。

 後一つの議会改革は地方自治法の改正によるものです。今までは一人の議員は一つの常任委員会しか所属できなかったのですが、法改正により複数の委員会への所属が可能になりました。

 そこで島本町議会はどうするのかを論議していくことになりました。本日の会議で私は、現行の3常任委員会を4委員会に増やして、希望する全ての議員は複数所属できる条例改正をすべきと提起しました。

 これは法の趣旨である「地方議会の活性化」を活かすためには、可能な限り広い門戸を開いておく必要があると判断したからです。「2つ3つの常任委員会に所属できる能力を、議員なら持ちましょう」と発言したのですが、まあちょっと看板倒れになりそうかな?の予感はあります。

 後日談になりますが検討の結果3月議会において、3つの常任委員会の「定数をそれぞれ8人以内に増やす」の議員提案条例改正が通りました。現状は1委員会5人ですから、それぞれ3人の増員です。15人(議長を除く)の議員の中で9人は複数所属すると言うことです。

 会派ごとの人数割り当てになるのか、希望者で調整するのかまだわかりませんが、私は後者の手法が良いと思っています。5月の役員選出臨時議会までに、まだまだ乗り越えなくてはならない課題は山積しています。

 


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阪神淡路大震災のメモリアルデーに島本の竹灯ろうが役に立っています

(2007年1月17日 水曜日)

 大震災から12年を迎えました。今朝は寝過ごしてしまい、毎年せめてもと行っている5時46分の黙祷に間に合いませんでした。「あかんなぁ〜」と自分を戒めながらも、記憶を保っておくことや危機感に対する希薄さが増していくことに我ながら自己嫌悪しきりです。繰り返し繰り返し“あの日”を思い出し見つめ直す、たゆまぬ努力が必要だと実感しました。

 自戒しながら役場へ出向いた私は、庁舎1階のギャラリーに展示されている写真に出会いました。ギャラリーとは少し大げさですが、エレベーターに通じる廊下の壁面にピクチアーレールが設けてあって、一定の手続きを経れば一般住民の方も利用できるスペースです。(担当は総務課)。

 ここに「1.17」のメモリアルキャンドルサービスの写真が展示されていたのです。キャンドルの器には、なんと!島本の竹で作った竹灯ろうが使われています。しかも神戸の人々に「島本町の竹は素晴らしい」と評価されたそうですよ。

 写真は「島本竹工房」さんが出展されたものでした。「竹工房」の皆さんが竹灯ろう100本を現地まで運んで、メモリアルセレモニーに参加されたのです。写真の中には、知ったお顔も見えます。

 この島本でもあの日を忘れないで、現地に赴いて励ましを続けておられる人びとがいることを知って、私は本当に誇らしく思いました。「竹工房」の皆さんは、今後も継続していきたいと抱負を述べておられると聞きました。うれしいです!ありがたいことです!

 


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女性交流室の理想と現実

(2007年1月18日 木曜日)

 私は使用申込が要らない女性交流室(ふれあいセンター3F)をよく利用しています。今日は視覚障がい者への朗読テープ作りの打ち合わせに使いました。交流室の使用は無料ですから、他の人との同室が支障にならない場合は大変使いやすくありがたい場所です。

 しかし一方女性交流室設置の本来の目的からすると現状は大きく乖離し、言ってみればただのフリースペースに終わっているように思います。交流室を核として男女共同参画の推進を図る当初の主旨とは、残念ながら程遠い利用状況であるといわざるを得ません。

 交流室には女性の問題に係る書籍やパンフレット・視聴覚資料・府内各自治体の情報ファイル等も置かれていますが、余り利用はされていません(従って資料も充実しません)。もったいないなぁと思いますが、正直私もこれらを活用することは稀です。

 そもそもたったの1室で、しかも常駐スタッフも置かない(置けない)女性交流室に、理想を求める方が間違っているのか、悩ましい問題です。隣の席で楽しげに手も口も動かし、パッチワークに励む皆さんを見ていると、「これでいいのかな」と思えたりもして・・・。

 


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「一問一答方式」は導入合意、しかし質問時間の合意は道遠し

(2007年1月19日 金曜日)

 議会運営等検討委員会に出席します。本日で今年度7回目の委員会です。委員は2人会派(人びとの新しい歩み=私の会派・公明党・共産党)から1名、5人会派(山吹民主クラブ・自由民主党クラブ)は2名が出ています。座長には副議長が当っています。

 議会事務局は局長・次長・係長が出席します。私は事務局のサポートには大いに感謝しています。その1つは会議の要点録を毎回作成してくれることです。

 要点録は私が強く求めた経緯もありますが、前会議の内容が文章化されることで、異なった意見も冷静に見ることが可能になりました。お互い問題点が整理しやすくなり、会議が紛糾しても共通の課題に戻れることがスムースに出来るようになりました。

 さて前回の委員会では一般質問の「一問一答方式」導入に就いて全員の合意が得られました。本日は質問時間をどうするのかについて、各会派が具体的に提案していきます。私の会派と共産党は現行の1時間、他の会派は45分を出してきました。

 しかし45分の根拠にはびっくりしました。時間を短縮することで、議員全員の質問権が保障されると言うのです。もとより一議員の発言権(質問権ももちろん含めて)は、法令により保障されています。

 現在1時間を目一杯使って質問している私たちのせいで、自分達が質問をしたくても日程の関係上、控えざるを得ないと言うのです。しかし従来より一般質問に立たない議員は、例え30分・20分に短縮されようとも質問はしないのではないでしょうか。

 まあいずれはどこかで、誰かが折り合わなくては一問一答制そのものが無に帰することになってしまう危険性があります。私が一問一答に拘るのは議会の活性化は言うまでもありませんが、何よりも住民に解りやすい質疑応答が展開されるべきだと望んでいるからです。

 一つ訊かれたことに対して一つきちんと答える、このことが住民に理解してもらいやすい議会への道だと思っています。あれもこれも一緒くたにして答えている現在の方式では、答弁漏れがあったり端折って答えたり、尚且つ質問回数3回と制限されているため、お互い不十分な発言に終わってしまいがちです。

 自らの力量を省みることも必要だとは重々承知していますが、質問している私自身も解りにくく戸惑ってしまうことがよくあります。(頭の中が突然真っ白なんてことも・・・何とか誤魔化していますが)。本人が「?」なのに、聴いている(或いは後日議事録を閲覧する)住民のみなさんが解るわけありませんものね。

 


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川西市男女共同参画センターで講師を務めました

(2007年1月20日 土曜日)

 川西市市民参画室の男女共同参画課から講師の依頼があったのは、昨年の秋でした。まだ3ヶ月余りもあると油断している間に日が過ぎ、ここ数日は下調べや資料の発送で大忙しでした。

 川西市は以前にも数回訪れていますが、いずれも市民グループからの招きであったため、むしろ交流を深めたい気持ちで気軽に参加していました。しかし今回は、川西市から謝礼を頂く公的な講師の位置づけで招かれるのです。従って準備もそれなりにしましたし、当日は少々緊張しつつ会場を訪れました。

 会場の「パレットかわにし」(以下「パレット」と言います)に入ると、明るくて親しみやすいフロァーの雰囲気がホッと気持ちを和らげてくれました。パレットは男女共同参画センター・市民活動センター・パートバンク・高年齢者職業相談室が入っている複合施設です。喫茶スペースもありコーヒーの良い香りが漂っていました。

 本日私に与えられたテーマは「女性と政治」の中の「女性が議員になって何が変わるか」です。こう言ったテーマは、女性議員の比率が高い議会にはよく投げかけられる“お題”です。

 島本町議会は定数16人の内、女性議員は6人で37.5%、大阪府内ではトップの比率です(ちなみに前期は44.4%で一時は全国1位になりましたが、その後神奈川県大磯町、今回の統一地方選でも50%の○○議会(すみません。議会名を失念しました。また調べておきます)が誕生しています)。

 島本町議会はまだ女性議員比率が半数には達ししていませんが、長年に渡り全国的にも高い比率であることは事実です。しかし私も14年間議会に籍を置いていますが、本音のところは女性議員が増えて「だからどうなん?」と言った経験は嫌と言うほど味わってきました。

 まあだからこそ言えるという点もありますが、男女平等の思想を根底に据え、具体に施策に反映させようと努力してきた女性議員ばかりでは・・・決してないということです。従って私の本音は「女性やったら、誰でもええってもんでもありません」といつも呟いています。

 しかししかし、全国津々浦々の議会ではまだまだ圧倒的に女性議員の数が少ないのも事実です。本人に志はあっても、住民の意識が女性を政治参画の場に押し出さない自治体も多くあります。

 これらの人びとに向っての発信においては、私の本音は引っ込めざるを得ません。たとえ「絵に描いた餅」であろうとも、とにかく餅を絵に描くことが先決なのです。

 川西市の女性議員の比率(20%)が特別低いと言う訳ではありませんから、講座のテーマは女性議員の“量(数)”のみを求めるものではなく、議員としての“質(資質)”にも触れる必要があると私は判断し、敢えて自身の体験や前述の「女性やったら・・・」の言葉も投げかけました。

 講座の参加者は男性も含めて30数人でした。私は一応レジュメを用意していきましたが、前述の本音も悪戦苦闘の議場内外の姿も含めて、とにかく生の一女性議員の姿を見てもらいたいと思いました。従って原稿からは大幅に脱線し、“本音トーク”で喋らせてもらいました(喋りまくった!と言う感じ)。

 質問も活発に出て「話はおもしろかったし、南部さんがとても元気なのにうれしくなりました」と感想も頂き気をよくして帰ってきましたが、落ち着いて考えてみると「元気」の前に「年の割に」が付いていたのかも?と気付きました。

 講座が終了し「お茶でも飲みながら交流の時間を」とのお誘いを受けましたが、残念ながら午後から開かれる保育所の民営化・幼稚園の幼保一元化問題に係る説明会の傍聴を外す訳には行きません。大急ぎで島本に帰ってきました。

 同行してくれた前議員のSさんありがとうございました。講師の機会を与えてくださった川西市及び男女共同参画センターのみなさん、そして何よりも私の話しを聴いて下さった市民の皆さん、本当に有難うございました。皆さんにお話しをすることが、私自身の成長の糧になったとしみじみと実感しています。

 少し補足しますと、当町で昨年4月から施行された「男女共同参画推進条例」は川西市ではまだ制定されていません。ちなみに当町では議会で否決され廃案になりましたが、次の議会では町の修正が盛り込まれて、やっと可決されました。

 川西市の皆さんも数年に渡り条例制定を求めておられるため、島本町の“産みの苦しみ”を経た条例制定の経緯を熱心に聞いてくださいました(オッホン!私は大いに胸を張りましたよ)。

 


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保育所の民営化を考える「学習会」に参加しました

(2007年1月21日 日曜日)

 昨年12月に町が示した「就学前の子どもの教育と保育環境の整備について=基本方針」を巡って、保護者を始め関係者からの疑問の声が高まっています。町が開いた保護者への説明会は20日が3回目でした。昨日初めて出席した町長・助役でしたが、切実な思いを訴える保護者の声を受け止める姿勢は確認できませんでした。ただ「話し合いは続ける」との助役答弁はありました(昨日20日の説明会の内容は、後日に掲載予定です)。

 本日21日の学習会は、「保育を考える会(仮称)準備会」が呼びかけて開かれました。講師を務めたのは保護者のOBで、第一保育所廃止問題の際の保護者として当時の経験を話されました。議員は全員が案内を貰いましたが、出席は某政党議員たちのほかは私とH議員のみでした。

 私は「基本方針」に取り組む議員の姿勢は“何処が、誰が”のくくりに縛られてはならないと考えています。第二保育所の民営化・第一幼稚園の幼保一元化に対して、「賛成」或いは「反対」にかかわらず情報収集は議員の仕事です。さらには当事者である保護者の“生の声”を聴かずして、真の議員活動といえるのかとも思います。いたずらに避けることなく他方向から見据える複眼の視点が、今こそ私たち議員に求められているのではないでしょうか。

 「基本方針」を政争の具にしてはなりません。行政と議会の駆け引きや、貸し借りや勢力争いに使ってはなりません。働きながら毎日綱渡りで子育てをしている保護者の苦労を、私が代わることは出来ません。議員も誰一人代わることは出来ません。それならせめて保護者の心の叫びを聴く姿勢は、住民の代表である議会議員として当たり前のことではないでしょうか。  さらには声に出せない悲しみや不安を胸いっぱい込めた子どもたちの様子を、たとえ映像からであっても共有する感性は、政治に携わる議員の基本中の基本ではないでしょうか。学習会では大東市上三箇保育所のビデオが公開されました。民営化に伴うお別れ会の映像は、子どもたち・保護者・保育所職員の別離の様子を余すところなく伝えていました。観ている私たちも、皆泣きました。  講師の一人として出席くださった同市保護者の言葉「行政の都合で、子どもに辛い思いをさせてはならない。大東市は土地・建物・子ども付きで、保育所を“売り飛ばした”」は深く私の胸に突き刺さりました。

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