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秋本番の10月、桜井のコスモス畑も今日から開放

(2006年10月1日 日曜日)

 コスモスと同時にひまわり畑も開放なのですが、陽の光も暑さもまだまだ夏の名残が強く、いずれの花もチラホラ咲いている程度です。10月の中頃以降が見ごろのようです。

 桜井西側一帯の田畑は山並みを背景に、季節ごとの楽しみやくつろぎを私たちにもたらしてくれます。春の菜の花・レンゲ畑、夏の青田、秋のコスモス・ひまわり畑・黄金の稲穂と、どの景観ものびやかで美しくこれからも大切にしていきたい“島本の原風景”です。

 JR新駅の西側にあるこの地域が、駅の開業後どうなるのか心配です。今のところは市街化調整区域(民家が存在している一部は市街化区域への線引き見直しがありました)ですが、以前には土地区画整理事業の計画案(あの計画は今も生きているのかしら?)も出ていましたから、要注意です。

写真を撮った日付はもう少し先ですが、コスモスをどうぞご覧下さい。

この辺りがJR西口   ひまわり
背景の建物はふれあいセンター
 

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やれやれ!9月定例議会が終わりました

(2006年10月2日 月曜日)

 9月5日から始まった定例議会がやっと終わりました。閉会にあたり町長の挨拶がありました。いつもは簡単に済ます川口町長も、さすがに今議会の一般会計決算が全員に否決されたことへの反省は述べなければと思ったのでしょう。「〜今後このような誤りを繰り返さないようチェック体制を強化すると共に、公金を取り扱う意味、重さ、公務員としての自覚、誇りを全庁的に再確認・再認識してまいります〜」と謝罪しました。私は町長の謝罪を否定はしませんが、その前にちゃんと行政報告として議事日程に載せた形をとるべきであったと、残念でもあリ怒りも感じています。

 「このような誤り」とは、何度も日記に書いていますが「島本人権協会への地域就労支援事業に係る委託料の払い過ぎ、及び同事業に関係する2つの会議における委員報酬分の補助金を大阪府から“騙し”とっていた」ことを指します。最初は「事務執行上の小さなミス」といっていた町長ですが、とんでもない!調査の中で新たなミスが発覚してしまいました。そこで前述のクダクダしたお詫びにをせざるを得なくなりました。

 しかししかし、これで済んだとは全く甘かった!この後大阪府の立ち入り調査によって、三たびの不正会計(2004年度分が新たに発覚)がまたゾロ出てくるのです。まあ今日10月2日現在では分らなかったことかもしれませんが、はっきり言って怠慢!町は最初の不適切事務処理発覚の段階で「前の年はどうだったのか?」と事業の始まりに遡って調べるのは当たり前なのです。

 さて町長のお詫びには、あと1つありました。それは私が行った決算に対する大綱質疑の答弁でした。詳しくは9月7日付けの日記に書いていますので、またご覧ください。町長の答弁用に書かれた原稿を、何故か総合政策部長が読んでしまい、主語が不正確で意味不明な発言になってしまったことに対する謝罪でした。私は答弁を訂正しなければ議事録の署名議員にはならないと怒りましたが、最後の最後にたった一言申し訳程度の言葉を添えたことで終わらせてしまいました。

 議場での発言は重いもので、その訂正(削除を含めて)は簡単には出来ません。発言者自らが議長に申し出をし、議長が全議員に諮って異議が無ければ受け入れられます。勝手に後で修正しておいてとはいかないのです。しかも訂正が可能なのは当該議会開会中にのみ有効です。町長が部長の発言の誤りを認めたのなら、最後の挨拶なんかで済ませるようなことではありません。約1ヶ月間議会は開かれていたのですから、ちゃんと発言者の総合政策部長から手続きを踏んだ訂正をさせるべきでした。

 こんなことも出来ないところが川口町政の弱さ、指導力の欠如を物語っています。いずれの謝罪も事態の改善を図る努力をしてから、それでもなお「申し訳なかった」との言葉が重ねられるべきなのです。住民は確かに今までの町長には感じなかったソフトで親しみやすい川口町長を選んだのですが、2年足らずを経てどうもその指導力にピシッと厳しい筋が通っていないように、私は感じ始めています。庁内でも議会にも今だ“抵抗勢力”は根強いと思いますが、住民は“お役所・お役人”の論理を盾にしない川口町長に期待をしたことを忘れてもらっては困ります。

 

 


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委員会の視察先は皆で案を出し合って決めなくちゃ

(2006年10月3日 火曜日)

 3つの常任委員会では、それぞれが年に一度調査研修に出かけます。大抵は一泊の宿泊を伴い2ヶ所の自治体を視察します。9月議会終了後から12月議会までの間に実施することが多いです。随分前は「何を勉強するのか」よりも「何処へ行くか」で視察先を決めていたのが実態で、議員になりたての頃は大変驚きました。調査よりも“物見遊山”や“懇親”が目的の議員たちもいたような・・・。

 しかし議員の不正出張問題が全国各地で大きな問題となり、以降は概ねあるべき姿に正されたと思います。一人年間7万円の費用を税金から支出していただくのですから、先ずは委員会の所管事項を良く精査し最大の効果が上がる視察テーマを探さなければなりません。行く先はテーマの後からついてくるものなのです。

 私は今任期中は建設水道常任委員会に所属していますが、リーダーシップに優れたS委員長に甘えて?ひとり一人が真剣に視察テーマや視察先を考えていないように感じました。お任せのムードが支配する中でしたが、やっぱり皆集まって話し合って決めなければならないと思いました。私は委員長に全員が案を持ち寄り、検討して決めようと提案しました。

 出てこない委員(この委員は視察にも参加しない人でしたが)もいましたが、各自資料を出し合い考えてきた調査事項を説明しました。結局は委員長が出した視察先に決まりましたが、キチンとルールに沿えたことでホッとしました。

 


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中学校の体育祭は迫力あります

(2006年10月4日 水曜日)

 第一中学校は息子2人が通った学校です。校門がメゾン水無瀬(自宅)の目の前にあるため、今日のように行事の時はふらっと立ち寄りやすく、暫くの間体育祭を見学させてもらいました。先日第四小学校の運動会を見たばかりでしたから、余計に中学生の迫力を感じたのかもしれません。目の前をドドッと集団で駆け抜けていく生徒たちは皆いい顔をしていて、私も思わず「がんばれー!」と大声を出していました。

   

 私は長男が高校2年生、次男が一中2年生の時に議員になりました。保護者であり議員であることで、学校内外の情報を入手するのにそう苦労はありませんでした。子どもとの会話の中で、或いは保護者同士の井戸端会議の中で「へ〜っ?調べてみよう」と思う糸口は結構ありました。しかし今思えば様々な事象を“我がこととして”熱く捉え過ぎていたきらいもあったかな〜と、20年を経て初めて気付いたような気もします。

プールの壁画

 無意識に我が子(とその周りの子や親に限った)のフィルターのみを通して見たり感じたりしていた頃は、現役(の保護者)であるがゆえの思い込みや正義“の勇み足”があったかもしれません。年月を経て直接かかわる利害や恐れや不安から解放された今、以前にも増して子どもたちや学校が見えてきたと思うのは・・・思い上がりなのでしょうかしら(実は何にもわかっていないのに、自分だけがそう思っているだけかもしれませんね)。

 子どもたちや学校等のボランティアとして、子育ての現役を終えた人びとが大きな視点で関われる意味を少し実感しつつあるこの頃です。

 


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たくさんの人々に送られて旅立たれた粟辻典子元議員

(2006年10月5日 木曜日)

 粟辻典子さんの告別式に参列しました。葬儀の会場はたくさんの人で溢れ、盛大なお葬式でした。有給休暇をとって手伝いにきている議会事務局の職員から、昨夜のお通夜も大勢の人が訪れられていたと聞きました。現職の川口町長を初め村田さん・豊田さんと3代の町長が顔を揃えていましたし、生涯現役で連盟役員を務めておられたアマチュアバレーボールの関係者が各地から駆けつけてこられていました。

 私は議員の3期(12年間)を共に過ごしましたが、粟辻さんにとって私は全く可愛げのない新人議員で、しかも皆が遠慮していた意見もズバズバ口にするしで御しがたい後輩だったと思います。反面私は議場の粟辻さんの不規則発言(野次のことですが)で、いつも悩まされました。お互い政治スタンスも目指す目標も違い、水と油のような存在でした。でもいろんな面で「凄い人やなぁ」「かなわないなぁー」と頷かざるを得ないところは多くありましたし、非常に存在感がある人でした。

 島本町議会の歴史の中では印象的な、やはりひときわ輝いていた議員ではなかったかと思います。大きな手術を何度も乗り越えその度に元気を増しておられたので、「今度も大丈夫」と思っていた矢先になんだかあっけなく逝ってしまわれました。6月議会の折議会事務局でお会いし、のっけからやっぱりお小言を頂いて「はあ、はい・・・」と私は曖昧に挨拶していましたが、それがお会いした最後となりました。

 午後からは交通バリアフリー基本構想策定委員会の傍聴をしました。会長を大阪大学大学院工学研究科の新田保次教授が務めてくださいます。新田さんは肩書きを意識させない気さくな方で、委員の意見を引き出す術に優れた会長さんです。意見は活発に出ました。何よりも日常的に交通のバリアを肌で感じている障がい者の方々の意見は貴重でした。

 盲導犬を連れて参加しているA委員は「音の信号機に変えて欲しい。以前から要求しているが、実現しない」と訴えました。本日公安委員会からの委員が欠席のため、警察の回答は得られませんでしたが「必ず警察に要望するよう」、会長の強い念押しがありました。

 後日事務局を務める産業建設課に、A委員への会議資料が点訳されているのかを確認しました。基本構想策定を委託しているコンサルタントに、点訳資料作成を含めて委託しているため全く不都合は生じないはずとの答えでした。また緊急に提出する資料で点訳が間に合わない時は、職員が吹き込んだ音訳テープを事前に渡しているとのことでした。ただ地図のような図面だけは困難で、今後の課題でもあるといいます。

 公募委員(1名)を含む多くの委員から出た意見に「基本構想で示される重点設定地区は阪急水無瀬駅とJR新駅から各々半径500メートルの範囲だけだが、JR山崎駅を起点とした地域も含めるべきである」という内容のものでした。地元地域の委員からは「府境の住民は長年何もされていない。また後回しなのかとならないように」との要望も出ました。

 重点設定地域は次回に決定を持ち越すことになりましたが、会長も大阪府の委員も「大山崎町との連携で基本構想が定められればよいのだが」と発言しました。町は「大山崎町へは当町から声を掛けていきたいが、先ずは水無瀬駅を中心とした基本構想をお願いしたい」と返していました。そのほかJR新駅の内容(案外知られていないです)についても質問が出ました。

 


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おじさんパワーの迫力にたじたじですが・・・

(2006年10月6日 金曜日)

 行政や議会のチェックをパワフルに続けておられる男性方は、私が知るだけでも少なからずおられます。殆どの方が定年退職後初めて我が暮しと町政のつながりを意識される中で、役場に出向いたり議会傍聴に来られています。

 皆さんバリバリと第一線で働いていた経験から町政に向ける視線も大変厳しく、町職員や議員の能力・マナー等々についても鋭く観察しておられます。大抵の地域では断然女性のほうが活き活きと活動していると思いますが、いやいや!近頃の“おじさんパワー”はなかなか大したものです。

 それぞれ施策の評価や事業の分析にも熱心で、職員に説明を求めたり資料を閲覧したりしている姿を見かけることが多いです。時には町長・助役との面談もいとわず、納得できるまで追求する姿勢には頭が下がります。町職員や私たち議員に頂く種々の指摘は苦言が殆どですが、大変ありがたいことだと思います。

 しかし“おじさんパワー”もヒートアップすると、稀には職員への声を荒げた叱責となって現れたりします。話しの中身は大方はおっしゃっていることが正しいのですが、他のお客さんが見たり聞いたりしていることもあわせ考えると、正直あまり良い印象は受けません。

 私の経験からしても殆どは、ノラリクラリの役場の対応に対し怒りのボルテージが増してくるのだろうと察するのですが、「住民側ももう少しスマートに表現した方がいいのになぁ」と残念に思うことはあります。また職員側はこんな時こそ部長や次長が速やかに出て行って応対し、担当者の“窮地”を引き受けてやるべきです。上司の見てみぬ振りが多いぞ!と感じているのは私だけではないと思います。

 私もよく怒っている方で自分のことは棚に上げてと言われそうですが、こんな私でも努めて“人の振り見て我が振り直し”ています・・・よね?誰でも責(攻)めている時はついつい“完膚なきまで”となりがちです。しかし一呼吸二呼吸分をとどめておいた方が、目指す改善や目的達成に結びつきやすいと思うのですが、どうでしょうか?

 こんな生意気を面と向って言う勇気は到底ありませんが、今日はそんな“おじさんパワー全開”のお一人からご指名を受けてお会いすることとなりました。求められた資料も用意して、お話しも2時間お聴きしました。おっしゃっていることはもっともで、私なりに理解もできました。

 しかし洪水のように押し寄せる話の合間に、慎重に選んで返した言葉や共感の相槌を含め私からの話しは余り聴いて下さっていないなと感じ、少々むなしく思いました。ここらあたりが“おじさんパワー”の弱点なんだなぁ〜と妙に納得した面談でした。

 


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サンシンなくても辻元さん参加で盛り上がった集い

(2006年10月7日 土曜日)

 同じメゾン水無瀬に住まうMさんは幅広い交友関係を持っている方で、私も毎週末に開かれる“サロン”に時々お邪魔しています。リビングには東南アジアの旅行時に買い求めた民芸品や雑貨類、昔から集めている骨董の食器等が所狭しとディスプレイされています。またMさんはイギリスの園芸家の“お免状”(正式名称は忘れましたが)も持っていて、庭も家の中も素晴らしい観葉植物で覆われています。

 そのMさん宅で、今年も恒例の沖縄民謡を楽しむ集いが開かれました。会費○千円でワインを始め沖縄のお酒や手づくりの美味しいお料理が並びます。30人くらいの人たちがサンシンの調べを待っていましたが、なんとなんと!全国を駈けている出演者の乗った飛行機が到着していないことが判明。一同ガッカリでしたが、遅れてやって来た辻元清美さん登場でみな元気回復です。辻元さんは勿論プライベートで沖縄民謡を楽しみに訪れたのですが、やっぱり即興の「国会報告会」を行わざるを得なくなりました。

辻元清美衆議院議員

 Mさんのピンチを救った辻元さん、辻元さんにサンシン演奏と同じくらいの元気を貰った私たち、私たち住民からの信頼度や好感度を一層増し得た辻元さん、結局は誰も困らず悲しまずサロンは散会となりました。これもMさんの人柄と、日頃培ってきた人脈の豊かさが効を奏したのでしょう。「私にはとても真似できないなぁ〜」と呟きながら帰りました。

 翌日玄関ポストに庭の草花で作った小さなブーケが入っていました。「昨夜はごめんなさい、そしてありがとう」のカードが添えられています。おお!Mさん完璧のご挨拶です・・・まいりました。

 


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最後までハラハラドキドキの町民スポーツ祭

(2006年10月8日 日曜日)

 風は強いですが、快晴のスポーツ日和です。折角の「体育の日」ですから、会場の水無瀬川緑地公園まで歩きで行きます。島本町内はちょっと頑張れば、徒歩でどこへでも行くことができ“小さな町”の良さを実感します。公園のグラウンドには自治会や団体のテントが設営されています。私も先ずはメゾン水無瀬のテントで記名し、自治会役員の皆さんにお世話のお礼を伝えました。

 気のせいかもしれませんが、年々自治会のテントの数が少なくなっているように思うのですが、どうなのでしょうか?高齢者が多くを占める地区が増えて、参加を取りやめる自治会が出ていると聞きましたが、ちょっと寂しい気持ちになりました。一方陸上・空手・サッカー等のスポーツクラブに所属する子どもたちの団体参加が増えて、スポーツ祭を元気に盛り上げてくれていました。

 お昼はJR山崎駅前のカフェでランチを取り、後はサントリー山崎蒸留所をブラブラして去年と同じ散策コースを楽しみました。ウイスキーは飲めなくても蒸留所内外は季節の花々が美しく、いつ来ても心地よいスポットです。役場と私企業との関係は難しいところもありますが、他市町からの来訪者も多い人気の蒸留所は島本町の宣伝媒体として大いに魅力を感じる所です。ちなみにサントリー山崎蒸留所は世界の蒸留所の中でも、リピーターが多く1,2を争うランクにある優れた施設だそうです。

 午後のプログラムを楽しんで、さあ!いよいよお待ちかね「くじ引き」でフィナーレを迎えます。人びとの数も随分多くなっています。景品はお米から始まって電気製品、自転車と続きます。理屈や必然性が立ち入れない“あなた任せのラッキー”は、みんなに「当るわけない」と思わせながらも「もしかして」とハラハラドキドキの一瞬を与えてくれます。「あ〜ぁ」最後の自転車の当りが発表されて、たくさんのため息と共に今年のスポーツ祭も終わりました。

 


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万博公園で汗だくのロハスなフェスタ

(2006年10月9日 月曜日)

 本当はわざわざ万博公園まで出かけて、フリーマーケットって言うのもちょっとめんどうだなぁと思ったのです。しかしまあ、このお天気の素晴らしさと「体育の日」で休日なのと、わが家のリフォーム時にお世話になった建築士さん(とても感じのよい若い女性です)の会社が面白い出展をするらしいと聞いて・・・結局は重い腰を上げ、友人と2人で出かけました。

 わっ!懐かしい。万博公園には何度も来ていますが、久しぶりに間近でみあげる太陽の塔です。たちまち36年前にタイムスリップ、三波春夫唄う「♪〜1970年のこんにちは〜♪」を思わず口ずさみそうになりました。私が結婚した年に開催された大阪万国博覧会。まだ長男も生まれていませんでしたが、私たち家族のスタートは万博と共にありました。みんな暑さや行列や高い食事に不平不満は一杯ありながらも、今まで出会ったこともない大きくて美しくて賑やかでキラキラ輝く大フェスティバルに浮かれていました(今なら「万博はもう結構」って言う感じですが)。

 千里の丘を削り竹やぶを切り開き大規模な自然破壊のもと生まれた万博ですが、跡地利用には当然企業の誘致や宅地化構想が高度成長の波に乗って現れていました。しかし広大な跡地はそっくり公園にして残されました。当初の人工造園も30数年を経るうちに、段々と豊かな環境を取戻した感があります。広々とした園内やうっそうと繁る木々の間を年長者がゆったりと散策し、万博なんてまったく知らない親たちが幼い我が子と遊んでいる姿を見ると、それは価値ある判断だったと今改めて思います。

 万博の開発の何千・何万分の一かもしれませんが、島本町内でも開発は行われつつあります。旧町営住宅跡地の宅地開発がスタートしたことは記憶に新しいところですし(12月には町が住宅会社に約27億円余りで土地を売却しました)、JR新駅の2008年春(何とか間に合いそう)開業に合わせて西側田畑の開発構想も浮上してきそうです。開発業者や地権者の意思は尊重すべきものですが、島本町のまちづくりに対するゆるぎない意思と未来を見据えた視点が本当に大事だと、今日万博跡のこの地に立ってしみじみと感じました。

 万博公園はおそらくこのままでずっと存在していくでしょう。30数年なんてアッと言う間です。その短い間に、こんなに豊かな緑の贈り物(例え出発点は人工的であっても)を残してくれつつあるのです。「50年100年先を見通したまちづくりを」って良く言いますが、実はゴクゴク当り前の“時限”であって、本当はもっともっと先を見つめる必要があるのだと思い至りました。私は後せいぜい20年くらいの人生です。しかし私の周りのこの木々たちは未来への使者として、これから先千年だって生き続けていくのです。

 「ロハスなフェスティバル」と銘打った、つまりはフリーマーケットのお店をたくさん冷やかして、夏のように暑い秋の休日は終わりました。私も友人も環境への優しさを主張する品々をいくつかゲットして満足満足!木陰のカフェでビールも飲んだぞ!疲れたけれどおもしろかった。気の置けない友だちと一緒だから余計に楽しかった。今度は落ち葉が舞う、ひっそりひんやりの落ち着いた万博公園に会いに行きたいと思います。

 

 


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第四小学校の稲刈りを見学

(2006年10月10日 火曜日)

 秋晴れの良い天気が続きます。暑いくらいですが“稲刈り日和”の今日、第四小学校の学習田では5年生が4ヶ月間育てた米を収穫します。まっ「育てた」と言っても、実際子どもたちがどの程度手塩にかけたのかはわかりませんが・・・。6月8日の田植えを見学した(同日付の日記を参考にしてください)私は、収穫の様子も見たかったので、学校には一言お断りをしてから高浜の学習田に急ぎました。農家の方々のお世話によって立派に実った稲穂が、敷き詰められた黄金色の絨毯のように輝いていました。

 田植えの折お世話をしてくださったKさんが、本日の稲刈りも指導してくださいます。Kさんは役場の職員でしたから、私もよく知っています。定年後農業を営みながら、毎年第四小学校の支援をしてくださっている強力な“地域の助っ人”です。

 子どもたちが到着して、Kさんや先生から鎌の使い方の注意を受けます。各自軍手をはめて鎌を持って、いざ!刈り取りです。みんな鎌の使い方が上手です。訊けば4年生から稲刈りの体験があるとかで、なるほどと思いました。時間がたつと、鎌を手にしながらふざける子どもたちが出てきます。私はハラハラしましたが、先生も目ざとく見つけて厳しく注意をしています。

 引率の先生は皆さん若い方でしたが、私が感心したのはお米を無駄にしないよう、“落穂拾い”を子どもたちにしっかりと指導されていたことでした。本日刈り取った稲穂は直ちに脱穀せず、藁で束ねてハサにかけ乾燥させるそうです。稲刈りは結構早く終了し、子どもたちはKさんにお礼を述べて帰っていきました。役目を終えた手づくりの案山子も連れて帰りました。この案山子は子どもたちの力作で大変愛嬌があり、私は高浜の田んぼを通るたびに温かい気持ちになっていました。

 秋が深まる頃には新米の美味しいご飯(お餅かもしれない)を、子どもたちはKさんたちと一緒に頂いたことでしょう。一粒のモミがか細い苗になって、苗は逞しい稲の株に育って、稲の株の一つひとつの穂先にはそれぞれ千粒の米が実る・・・「ご飯を頂くって稲の頑張りのエネルギーをもらっていることなんだなぁ〜」と、私も改めてお茶碗の中の米粒に感謝です。

 


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お客じゃなくても、「さようなら」の挨拶ぐらいできませんか

(2006年10月11日 水曜日)

 私は役場の文化情報コーナーを殆ど毎日利用しています。庁舎の中ではこのコーナーで長時間過ごすことが多いです。それは役場の情報提供文書の殆どはここで閲覧できますし、情報公開請求を行うのも情報開示がされるのもこの文化情報コーナーだからです。文書のコピーもここで取りますし、職員から説明を聞いたりもします(詳しくレクチュアを受けたい時は、議員の控え室にきてもらうこともありますが)。

 文化情報コーナーは、役場の1階にあり「どなたさまもいらしてください」「何でもお尋ねください」と、住民の皆さんにとってはオープンスペースのような場所になっています。ただ自治防災課の執務室もスペースを共有しているので、職員の人たちにはしんどいこともあるかもしれません。いつ行っても職員の皆さんは(臨時の職員さんを含め)良く応対してくれます。

 だから私は文化情報コーナーを辞する時、いつもお礼の意味も込めて「お先に失礼します。さようなら」と大きな声で挨拶をします。課長をはじめ女性職員2人は必ず「お疲れさまでした」とかの挨拶を返してくれます。しかし中には挨拶を返さない職員(時には複数)もいます。この(これらの)職員しかいない時は、私の挨拶は壁にむなしく跳ね返るだけでなんだか悲しいです。彼(彼ら)は電話の対応も適切で丁寧な言葉づかいですし、仕事振りを見ていても優秀だと感じる職員ですから、余計に残念に思います。

 「議員はお客じゃない」というのなら、それは私の感覚と合い通じるところもあります。でも「おはようございます」「こんにちは」「さようなら」くらいの挨拶は、お客さんからでなくても言われれば返すのが当たり前ではないですかねぇ?「挨拶って一瞬のこと。しても返してもなんぼのもんでもないみたいだけれど、本当はとっても大事なことなんだよ」って誰か言ってあげる人はいないのかしらと、私は本気で心配をしています。さぁ〜て、いつか自治防災課職員の全員から「さようなら」「お疲れさま」って言葉がもらえる日がくるかしら・・・?

 蛇足ながら言いますと、自治防災課よりもっとシラーッとしている課(と言うより人ですねぇ)もありますよ。私がたまたま自治防災課と接する場合が多いのと、お客さんへの“よろず窓口”の第一線でもある当課の職員に期待しているからこそ出る苦言なのです。

 

今日の日付は2月14日です。ただでさえ遅れに遅れた日記を、さらに数日間もお届けできなかったことをお詫び致します。実は大変ひどい風邪にやられて、ずっとベッドの中におりました。春のような3連休もオジャンでしたし、役場に出向くことも出来ずにいました。やっと39度の熱も下がりましたが、15日(明日!)の臨時議会の準備もままならず気ばかりあせっています。

 とにかく議会へ出席できる体調にまでは回復しておかなければと、ひたすら養生していましたがウオーミングアップが全く出来ていません。先ずはお風呂に入ることから始めなくては・・・。その前に殆ど出来ていたこの日記の残りを数行試しに打って、現実に戻ろうと思いました。なお臨時議会の議事日程は次の通りです。議場ではまだ完治せず冴えない私がいますが、宜しければ傍聴にお越しください。10時開議ですが、もしかしたら午前中で終わってしまうかもしれませんので、進行状況は議会事務局 電話 962‐6315 へお問合せください。

2007年2月15日 臨時会議事日程(概要です)

行政報告・・・

1 (社)高槻医師会委託の定期予防接種における事故について

1月15日と19日に高槻市内の医療機関で行われたMRワクチン(麻しん風しん混合)に10日で期限が切れているワクチンがあったことが判明。接種を受けた6歳児1人・1歳児2人の3人には健康被害はありませんでしたが、絶対にあってはならない事故でした。今後の再発を防ぐために、町・医療機関・高槻医師会で改善策を検討しており、それらの経緯も含めて事故の内容が報告されます。

2 町立第四保育所における食物アレルギーに係る事故について

1月25日に第四保育所の1歳児が牛乳アレルギーであるにも係わらず、保育士の不注意により配ぜんされた牛乳を一口飲んでしまいました。アレルギー反応が現れたためかかりつけ医→病院に救急搬送され入院に到りました。4日後に退院し回復が確認できましたが、一歩誤れば生命の危機にさらされる重大な事故になる可能性がありました。事故の背景と原因を探り、再発防止策が報告されます。

手数料条例の一部改正について・・・

12月議会で委員会付託の動議が出され、2月2日の総務文教常任委員会に付託されました。委員会審査では可否同数となり委員長採決により可決されました。今議会では委員長の報告を受け、全員が最終の賛否を表します。表決にあたっては「討論」として、その理由を述べます。

今回上程された手数料は住民票や戸籍の騰抄本交付・印鑑登録証明や税に係る証明18種です。殆どが現行200円を300円に値上げをするものです。近隣市町では吹田市の150円を除きすべてが300円になっています。

これだけ見れば「まあ仕方がないか」的に捉えられがちですが、今回の手数料値上げ後、堰を切って値上げが押し寄せる可能性があることです。ですから少なくとも新年度内に値上げを考えているものについては洗いざらい出し、なおかつ具体料金案を伴って、住民参加のもとしかるべき機関(検討委員会等を立ち上げ)にかける必要性があると思うのです。時間をかけた整合性のある受益者負担の説明が行なわれるなら、住民はきっと受け入れてくれると思います。

従って今回の“ごり押し”は止めた方が良いと私は考えています。単に手数料200円が300円になるといった値上げに止まらない恐れがあるからです。

損害賠償の額を定めること及び和解の専決処分について・・・

11月17日に公用車が事故を起こしました。止まっている郵便配達車に追突したのですから、相手方には100%の物損事故の賠償を行わなければなりません。金額は約13万円です(13万円を既に支払ったため、専決処分として議会に報告されます)。別途人身事故に対する賠償も生じてきますが、相手方が加療中のため示談はまだ成立していません。

この事故の直接の原因は携帯電話にあります。着信音を切ろうとした一瞬の不注意が事故に繋がりました。携帯電話の車内持込に際しての「電源を切る」「ドライブモードにする」徹底が守られていなかったことは重大です。

当然相手車・自車(修理に約16万円かかりました)共に保険対応で処理されていますが、公用車事故は当町の信用を大いに傷つけるものですし、事故を起こした職員の士気にもかかわってきます。事故は絶対に起こして欲しくないですね。

教育委員会委員の任命につき同意を求めることについて・・・

5名の教育委員が5ヶ月間も1名欠員できています。9月末に退任したのが教育長である教育委員であったため、今回の人事案件は事実上次期教育長を選ぶと言うことになります(ただし議会が町長の提案に同意をするのは、あくまでも教育委員であって教育長ではありません。教育長は5人の委員の間で選ばれます)。

教育長は収入役と並ぶ待遇で教育委員会事務局を統括し、町にとって重要な役職です。このような要職人事が何故スムースに上程できなかったのか、私には窺い知れない諸々の事情が存在するのでしょうが、それにしても町長の力量のほどが垣間見えてしまいます。

さてやっと上げられた“候補”はつぎのような方です。

森川 正啓さん・1945年7月生まれ・茨木市在住・最終学歴は京都府立大学卒業・茨木市立の中学校で教諭、校長を務める(茨木市教委・大阪府教委にも勤務)どのような方かは私には一切わかりませんので、同意するのに困ってしまいます。

平成18年度一般会計補正予算・・・

歴史文化資料館は1年後の4月を目指して開館準備を進めています。館のトイレ改修について大幅な変更に伴う補正予算(340万円)が必要となりました。当初予算500万円で上もの建設工事と給排水及び電気工事を見込んでいましたが、設計変更し上もの建設費がアップしたにも係わらず、給排水と電気工事を併せて積算し直していなかった事務上のミスです(事前の聞き取りでは、珍しく担当者は平謝りでした)。

設計費用30万円を別にして、結局改修総額は840万円となりました。建設関係は既に入札が執行されており、落合組が440万円で落札済みです。給排水工事330万円と電気工事70万円は、本補正予算が認められれば直ちに入札(電気は随意契約になる可能性あり)を行うと言うことです。

結論はより良いトイレになるのだから「いいとしょうか」と言うことになるのでしょうが、そもそもの不十分な改修計画と変更に伴う杜撰な積算には驚きです。何人ものチェックが入っているはずなのに、何故誰も気がつかなかったのでしょう?

臨時会の案件は以上です。明日の天候は悪いようですが、傍聴にお越しくださればうれしいです。

 


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2007年度議会費の目玉は議場の椅子新調

(2006年10月12日 木曜日)

 2回も雨で延びた幼稚園の運動会がやっと開催です。長い間待っていた子どもたちを応援したくて、朗読ボランティアの会合に行く前に第一幼稚園を覗きました。元気一杯のかけっこや、バルーンを上手に使った演技にみんな拍手喝采です。つくづく子どもはいつだって、大人を元気にさせてくれる天才だなぁと思います。こんなにたくさんの人たちを笑顔に導いてくれるのですから。 

 

 もっと観ていたいなーと残念な気持ちを残しつつ、ふれあいセンターへ向います。10時半から、視覚障がいを持つ人たちへの“テープ雑誌”を作るグループの集まりがあるからです。“雑誌”なんて言うと大げさですが、テレビやラジオでは聴けない身近な島本町の情報・話題を中心に編集・録音しています。もちろん町の広報紙や社会福祉協議会の「やまぶき」の内容とも重ならないように気をつけています。両紙は社協の朗読グループにより“声の広報紙”として届けられているからです。

 私はいつまでたってもヘタなのですが、素敵な仲間とともに活動できることがうれしくて、もう20年以上もみんなにぶら下がり続けています。1週間後には再び集まって吹き込みをしますが、今日は打ち合わせのみなのでお昼前に終了し、後はお楽しみのランチを兼ねたおしゃべりタイムとなります。彼女たちの充実の日々に比べ、私の毎日はただバタバタと仕事に追いかけられているようで気が引けますが、そんな私を皆は「南部さんはそれでいい」と誉めて励ましてくれます。ホンマかなぁ〜?

 午後からは議会の会派代表者会議の傍聴をします。案件は2007年度の議会費についてです。各会派ごとに予算要望を次回までに提出することになりました。ちなみに私が提出した要望は他の会派とは一味違うぞ!新しく予算要求したのは「議会として住民アンケートを行うべし」のただ一点で、あとは減額・削除の緊縮予算です。

 中身は「議員報酬の5%削減」「議長交際費の減額(特に野球やゴルフの議長杯の中止)」「食料費の削除(議員が飲むお茶・コーヒーは私費にすべし)」「本会議場の速記料の削除(録音テープで充足している)」等です。結果的には何ひとつ実りませんでしたが、日頃「経費削減を」と発言している○○党が少年野球への議長杯(メダルだったかな?)は継続すべきと主張したのには驚きました。

 さてかなり後日の話になりますが、結局2007年度の予算要求は「議場の椅子の更新」に絞られていました(「いました」と言うのは絞った経緯がよくわからないのです)。現在の固定式椅子を撤去する費用を含め、支出は約240万円くらいを計上することになります。1脚5〜6万円の椅子が贅沢で高いとは思われませんが、高いか安いかということではなく議会費が昨年より増大することに悔いが残ります。

 確かに議場の椅子は座り心地がよろしくない椅子です。でも私はクッションを背に当てたりして自衛策を取っています。椅子代の代わりに削減するものを出さないのなら、住民の皆さんへの説得力はありません(折角私がアレコレ考え削減項目を提示したのに)。まあ「椅子更新」の要求は、なんせ“大会派”の山吹民主クラブ(5人の中で、最近特に○○議員の態度はデカ〜イ?)が言い出しっぺですから、行政側も頷かざるを得なかったのかもしれませんね。

 


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議会だよりに議員の名前を載せるのは当たり前でしよ!

(2006年10月13日 金曜日)

 議会だより編集委員会を傍聴しました。各会派から選ばれた編集委員は1名で、計5名が会議に出席しています。普段紙面づくりの検討を行っている時には、私も傍聴はしません。しかし本日は前回に引き続き「議会だよりに発言者名を記載するか、しないか」の山場に差し掛かっているようなので、誰がどんなことを言って、氏名公開を渋っているのか確かめなくてはと思いました。

 会議には前回(8月13日)の要点録が、事務局によって作成されていました。氏名記載は意見が分かれる課題でもあり、微妙な問題をも含んでいるといえば含んでいるため記録が作られたと思います。これは余りのわからずや委員たち(と私は呟いていますが)に困り果てた委員長が、今後の論議のためにもしっかり記録をとっておこうと提唱したのでしょう。会議録を残しているのは正解です!思わず笑ってしまうほど時代遅れの、住民乖離の意見がつらつら3人分、山盛りでしっかり残されています。

 「住民要望があるからといって、(他の課題より)先に検討するのはおかしい」「北摂地域は非搭載が多い。地域的な問題もあるので、時期尚早」「氏名記載は原則すべきと思う。しかし、引き続き検討が必要。(議員名が出ることによって)前年度には家族への嫌がらせ行為があったとも聞いている。非搭載にはそれなりの理由がある」「会派内で意見が分かれる。当然であり、会派でまとめて編集委員会で議論しなければいけないとは決して言えない。全員協議会で検討すべきだ」等々。

 「えぇ〜っ!あなた方本気で言うてんのん?」と思わず返したくなります。しかし、これではまだ本音が出ていないと私は思います。多分本音は毎回一般質問を行う私たちの名前だけが掲載されるのは面白くないし、質問頻度が高くない(或いは全く一般質問をしない)自分たちの実態を住民に知られるのもマズイ!と言うところではないでしょうか。

 そうでなければ情報公開・説明責任を果すのが当たり前の時代に、ましてや住民の代表である議会議員がこんなに後ろ向きになるわけがありません。当たり前のことが進まない議会って、なんか変ですね。ちなみに私の会派と共産党の会派は掲載に賛成しています。

 

 

 さて、一週間も「日記」の扉を開けていませんでした。その間も細々とながらアクセス数はカウントされていましたので、申し訳ないことだと思っております。

 ひどい風邪が治りきらないで2月15日の臨時議会を迎えたものですから、そのあともブリブリのブリ返しでダウンです。少しよくなって会議の傍聴に出かけたり、次に控える3月議会(3月5日〜6日)の準備にかからざるを得なかったため、まだ未だにひどい状態です。

 なんか、2月は3度風邪をひいているようなことになってしまいました。もうええかげんにしてぇ〜って叫びたぁ〜い・・・!!

 


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住民基本台帳ネットワークシステム(住基ネットシステム)はホンマに“金食い虫”です

(2006年10月14日 土曜日)

 私たちが知らない間に、ドンドン個人情報が収集されています。個人情報保護法が出来ても、情報を入手したい側は官も民もあの手この手で集めています。本来なら規制をかけてくれなければならない国や地方自治体が、住基ネットシステムの構築で大手を振って私たちの情報を集積しています。

 一方住基ネットシステムに不安を抱き、異議を申し立てる人びとが各地で訴訟を起こしています。私も“ペーパー原告人”ですが、現在高裁判決の行方を期待と心配をしながら見つめている一人です。

 住基ネットシステムの基本的な問題点は「勝手に私に番号を付けて管理したり、私のいろんな情報を集めたり、またその情報を引っ付けたりして利用しないで!」というものですが、もうひとつ気になっている大きな不満点があります。

 それは島本町に限らず全国どこの自治体も同様だと確信できますが、住基ネットシステムが非常に“金食い虫”であるということです。当町もシステムが稼動し始めてから今年で5年目を迎えますが、導入準備期間を含めて皆さんの税金は約6,728万円が投入されています(10月現在)。

 これは住基ネットシステムのコンピュータの借り賃と管理委託料のみの金額です(ウイルス対策費等もわずかながら入っていますが)。住民票発行の事務には当然電算化は必要ですが、住基ネットシステムを導入しなければ(させられなければ)こんなに高くつくはずはありません。

 しかもシステム導入の目玉効果として大々的に打ち出された「住基カード」は、どこも全くの不人気です。カードの発行件数は、当町で155枚(4年間)と微々たるものです。住民の個人情報保護意識と人間に番号をつけることへの拒否反応が健全に働いている証拠でもありますが、税金の無駄づかいのそしりを受けてもいたし方がないと思います。

 住基ネットは個人情報保護の観点からも、またそれ以外でもお金はかかる、おまけに役には立たないと職員までもがため息をつく、三すくみシステムだと思います。止めた方が絶対いいと思う!・・・と昨日住民課より入手した資料を見ながらつくづく感じました。

 


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突然ですが、今書いている日記の日付をビュ〜ンと飛び越えていただきます

(2006年10月15日 日曜日)

 前回分の日記は2006年10月14日と2007年1月9日でした。しかし今日の本当の日付は3月4日で、明日からは3月議会が始まります。そこで議会の中身を少々でもお知らせしておかなくてはならないと思い、標題のように書きました。

3月議会のお知らせ

日 程

 前半議会  ・・・  3月5日(月)〜6日(火)
 委員会  ・・・  総務文教常任委員会 8日(木)〜9日(金)
民生消防常任委員会 13日(火)〜14日(水)
建設水道常任委員会 16日(金)〜19日(月)
 後半議会  ・・・  3月27日(火)〜28日(水)
(尚委員会・後半議会の日程は予定です)

 3月議会は次年度の予算を審議する大事な議会です。予算関連の条例等も議案となりますから、ボリュームたっぷりの中身です。会期日程も3つの常任委員会をはさんで行うため長い議会となります。前半議会では、今年度ほぼ最終の補正予算と町長の新年度施政方針がメインです。施政方針は全文町のホームページにも入っています(私が「早くアップしてください」と催促したからだと思いますよ〜)。

 また2月15日の臨時議会(10月11日付けの日記を開いていただければ、臨時議会の概要をお知らせしています)と同日の教育委員会議において、5ヶ月の空席の末ようやく決まった森川教育長の挨拶にも注目してください。月並みの丁重なだけの文言が並ぶのか、或いは高い教育思想の一端が伺えるか・・・楽しみです。

 それでは以下に新年度予算に対する概要として、私の会派代表大綱質疑の通告文を載せさせていただきます。5会派のうち4番目に行う質問です。みんな目玉の施策については触れますから、私はいかに他の会派との違いを打ち出すかを心がけ、尚且つご大層でないわかりやすい平易な言葉で表現するかに苦心しています。ただでさえ双方共に書いたものを読み上げるセレモニー的な形式の質問になりがちですから、せめて聞いている人が眠たくならないようにと思っています。取り上げる項目は私の独断でチョイスさせて頂いています。

会 派 代 表 大 綱 質 疑

 「人びとの新しい歩み」(会派の名前) 南 部  由美子

 傍聴の皆様へお礼申し上げます。本日はたくさんの方々が、寒い中議会傍聴にお運びいただきまして心より感謝いたします。住民の皆様が議会をチェックされることは、私たち議員にとって大きな励みであります。

 一般質問に入ります前に、先程の某議員の質疑に係り一言発言いたします。「議場に日の丸を」と言う質問ですが、「町長に問うてどうする?」と感じました。町長の答弁は「それは議会が決めることである」というものでした。一定頷ける内容です。議会を構成する議員は住民の代表です。議会が決めるということは、つまりは住民が決めるということです。住民の内心を問うということであり、軽々に町長に求めるものではないと、重ねて申し添えます。

 町長は2005年度の施政方針において、「追いかけられているような1年」だったと初年度の感想を述べられています。そして再び今、施政方針において「慌しく駆け回ったように感じております」と記されています。行政職の経験がなく行政のトップに立つことの厳しさに加え、選挙がもたらした“ねじれ現象”の軋轢があいまった2年間であったことは容易に想像できます。

 「追いかけられている」「忙しい」の言葉は、町長が町政運営の舵取りに今だ困難を極めているとの現れであると思わざるを得ません。しかし、弱音を吐いていただいてはなりません。住民が「暮しがよくなる」「何かが変わる」と新しい期待を込めて川口町長が選らばれたということを忘れられては困ります。

 さて川口町政の折り返し点である2007年度を迎えようとしています。町長公約の進捗状況の検証が必要です。「忙しい」と言っている場合ではありません。「顔の見える行政」「行動する役場」のスローガンは住民サービスに結実しているでしょうか。町長の独りよがりや単なるキャッチフレーズで終わっていないでしょうか。

 残る任期の2年間は町長の持ち味であるフットワークの軽さを保ちながらも、どっしりと腰をすえ住民にしっかりと視点を充てた町政を進めてもらわなければなりません。そのためには行政サービスを提供する職員へのリーダーシップが大切です。職員が果すべき法令遵守の現状はどうでしょうか。事務執行の検証は正しく行われているでしょうか。

 一例をあげれば地域就労支援事業に関する不適切な事務執行の発覚は、記憶に新しいところです。違法な支出に対する事務上の修復は一定図られたと終息を述べておられますが、新年度に臨む町長の姿勢として、大きな不祥事の反省に全く触れられていないのは理解に苦しみます。先ずは本件に対する反省を施政方針に明記した上で、新年度に踏み出すことは当然だと考えます。

 それでは以上強く叱咤激励の意を込めつつ2007年度町長の施政方針に対し、会派「人びとの新しい歩み」を代表して大綱質疑を行います。1点目の質問は「イキイキしていますか 川口町長」と題しています。

「イキイキしていますか 川口町長」

  (1) 施政方針には「憲法」の文字が一度も登場しませんが、なぜですか。地方公共団体も地方公共団体の議会も、憲法第92条・第93条に依拠しています。また主要施策の「恒久平和と基本的人権尊重のまちづくり」に示される内容は、憲法第9条に謳われている精神を具現化しているものと理解しますが、どうでしょうか。

(2) 町長は「顔の見える行政」の実現を目指していると述べられています。町のホームページをもっと活用すべきと思いますが、いかがですか。また町長だけでなく、他自治体のように助役・収入役・教育長・各部長(級)からの発言の掲載はどうでしょうか。

 

 2点目の質問です。

「イキイキしていますか 職員の皆さん」

 役場は島本町の最大の“サービス産業”です。そしてサービスの良し悪しはサービスを提供する職員にかかっています。職員がイキイキと仕事をしているか、またできる状況下にあるかは住民サービスに大きく影響を及ぼします。職員の働きぶりの根幹をなす定員管理に係る職員採用は、2007年度に向けて完全に充足したものではありません。

 新年度に於いては、専門職の社会福祉士・女性消防職員を含め新採用職員に大いに期待したいところですが、すでに採用数に欠員が生じています。追加採用を行わないで、職員への負担増が生じないのか心配です。

  (1) 先ずは職員を統括する副町長に就いて伺います。副町長の仕事の中身は決まりましたか。助役から副町長になることで、住民のためにより活性化した町政運営が行われる保証はありますか。

(2) 随分向上したとおもわれる職員の接客マナーですが、それでもまだまだ住民の皆さんからはご不満を頂くことがあります。不断の努力が求められますが、「接遇指導員」(2006年9月議会における私どもの会派が行った決算大綱質疑で答弁されたものです)の活動内容を示してください。

 

 3点目の質問です。

「イキイキしていますか 町の財政」

 長い不況のトンネルを抜け景気は回復したと盛んに言われていますが、生活者としての実感には到っていません。構造改革がもたらした“負”(マイナスを意味します)の制度は、定率減税の廃止とあいまって住民税への負担感を増す制度と言わざるを得ません。従って住民の皆さんが町財政に向ける眼は、益々厳しいものになっています。日々「入るを図って出を制す」の実践に努めなければなりません。

 先ずは町長初め三役の皆さんの覚悟が示されるべきだと考えます。町長公約でもある退職金の引き下げを早急に実施されるべきだと考えます。第四次行財政改革プランでは「2008年度実施」と出されていますが、少なくとも町長の任期終了に先んじる収入役の退職に間に合う実施を求めるものです。それでは町財政についての質問ですが、小さい項目として4項目あります。

  (1) 三位一体改革による影響がほぼ明確に表れた歳入ですが、今後の「財政の収支見通し」については、経常収支比率を初めとして心配される要因がみられます。2007年度の予算は「当町が夕張市のようにならない」との決意で編成されたと確信してよいのでしょうか。

(2) 財政調整基金から約8億4千万円を当初に繰り入れるのは何故ですか。また減債基金は旧町営住宅跡地の売却費を繰り入れているため、地域総合整備事業債(H8年度)約4億3百万円の一括償還は可能ではありませんか。

(3) 2006年度の入札調書を見ると、同額入札による抽選や辞退者の続出で不調に終わったりしているケースが多くなっています。また、規定を超えた金額での随意契約も行われています。2007年度は入札・契約制度の改善が必要ではありませんか。

(4) 公共下水道事業の資本費平準化債は財政上どのようなメリットがあるのですか。また平準化債での対応や一般会計からの借入金削減により、下水道使用料の値上げは回避できるのではありませんか。

 

 次に4点目の質問です。

「イキイキしていますか 町の施設」

  (1) 歴史文化資料館整備に係る予算は設計業務の260万円のみが計上されています。予算要求書には4,400万円の工事請負費等が示されていますが、予算をつけずに2008年春の正式開館までにどのような整備を行うのですか。

(2) 自転車駐車場は有料化するのですか。駐輪場利用者のアンケートでは70%が「有料化に反対」と回答したのではありませんか。

(3) 水道事業における浄水場のろ過池更新工事は巨額の費用を要し2ヵ年に渡りますが、2007年度は企業債2億8千万円で行われます。ろ過池の現能力低下がどのような状況にあるのか、また工事の費用対効果はどうでしょうか。事業費は水道事業会計への圧迫となり、料金値上げに到る恐れはありませんか。

 

 次に子どもたちにかかわる質問です。昨年ついに教育基本法が改悪されてしまいました。島本町ががんじがらめに法に縛られること無く、子ども・保護者・住民らと共に闊達で個性ある教育活動を展開して欲しいと願っています。さて今回は「就学前の子どもの教育と保育環境の整備に就いて=基本方針=」(以降「基本方針」と言います)に視点を据えて伺います。

 質問の項目に入る前に、私たちは故辻清美先生にお礼と感謝を申し上げなければなりません。辻先生のご意志により寄付を頂いたことで、新年度から「(仮称)辻文庫」が創設されることになりました。子どもたちへの大きなプレゼントです。4つの小学校・2つ中学校・2つ幼稚園の町立施設全てに対し、3年間に渡り総額3千百万円の書籍および書架が贈られることになりました。辻文庫により図書資料の標準数に対する達成率は飛躍的に上昇し、100%に近い本が充足することとなります。本当にありがたく、うれしいことです。

 それでは具体の質問に入ります。

5 「イキイキしていますか 子どもたち」

  (1) ア   「就学前の子どもの教育と保育環境の整備について=基本方針=」は当事者の大多数が、2008年4月に実施することには反対しています。第四次行財政改革プランには2009年度においても「検討→」で示されています。保護者に対し「実施計画」への協議を言う前に、先ずは実施年度をプラン通りに戻すことから、初めなければならないのではありませんか。

「基本方針」が目指すのは、“安上がりの子育て支援”なのですか。「実施計画」には住民の要望が全て取り入れられますか。取捨選択をしなければならないとすれば、何を基準に判断するのですか。

保護者への説明会において「夕張市のようになってもよいのか」「市町村合併をするのか」「児童虐待防止に取り組めなくてもよいのか」を意味する役場側の発言がありましたが、改めて説明を求めます。

 

 次に6点目の質問です。

「イキイキしていますか 障がいをもつ人びと」

 支援費制度がわずか3年で破綻し、替わって定められた障害者自立支援法は「障害者<自殺>支援法」とも囁かれています。改悪により障がい当事者を初めサービス提供者の事業者をも苦しめる制度になっています。町の責務は出来うる限りの負担を担っていくことと考えます。そこで2項目について伺います。

  (1) 障害者自立支援法によるサービス利用の追跡調査を行っていますか。また障がい者のみならず、その家族及び事業者に対する調査及び救済措置は取っていますか。

(2) 障害判定区分審査の進捗状況はどうですか。不利益を被る人はいませんか。知的障がい者・精神的障がい者への独自判定基準はありますか。

 

 3月2日の毎日新聞は「離宮の水」「葦刈の水」「水無瀬の滝」を大きくし紹介しています。かつての町の自慢は、大阪府内でただ一ヶ所の「名水百選」の地下水を頂いていることでした。府営水導入により、私たちの誇りは失われました。

 当時の町長は「水」に替わる自慢を「人」、つまり住民の皆さんであると答えました。その答えは現川口町長にも引き継がれていると思われますが、私たちは新たな自慢を町の自然環境・景観に求めたいと思います。勿論いつの日か地下水100%の飲み水復活を願いながら、次の質問をします。

「イキイキしていますか 町の自然・環境・景観」

  (1) 府道桜井駅跡線沿道の用途地域見直しは、パチンコ店等も可能な「近隣商業地区」を予定しているのですか。都市計画マスタープランの「景観形成の方針」が示す“楠並木の楽しく歩けるプロムナード”との整合は図られるのでしょうか。

(2) 環境基本計画策定について、2007年度はどのように進むのですか。また「島本環境まちづくりセミナー」は計画策定にどう係るのですか。セミナーは誰でも参画できるのですか。

 

 最後に8点目の質問です。

「イキイキしていますか 町の未来」

  (1) ア  JR新駅事業の「自由通路」建設に於ける島本町の負担範囲を決める根拠は何ですか。島本町はJR西日本が負担すべき箇所も分担しているのではありませんか。

イ  西側の田畑一帯は、島本町のシンボルゾーンとして最小限の整備に止め“桜井の里 田園構想”を地権者の皆さんと共に計画してはどうでしょうか。

(2) 「島本町タウンセールス・プロジェクトチーム」に期待しますが、新駅開業に合わせて早く始動をすべきだと思います。また専門家の参画が必要ですが、いかがでしょう。

(3) 「(仮)まちづくり基本条例」の検討は2006年度には「本格的に検討を進めてまいる」と施政方針では述べられています。2007年度では「引き続き検討を進めて参ります」と記されていますが、どのように進んでいるのですか。また住民参加で検討するのではないのですか。

 

 最後に、書面に資料請求をいたしておりますので、よろしくお願いいたします。

以   上

 端折って端折っても30項目になってしまいました。私の持ち時間は答弁も合わせて1時間です。町長の答弁は「そもそも」からはじまって倍ほどの時間を要しているのが常です。時間切れになる恐れがありそうなので、ここから10項目ほど削りました。削った後の新しい通告内容を載せないのは、全て質問の肉付けとして発言をするつもりだからです。ただ答弁を求めないということであって、言いたいことは一言も削るつもりも無いし、その必要性もないからです。今回の私のキーワードは「イキイキしていますか!」です。頑張って先ずは私がイキイキと発言しなければと思いますが・・・どうなりますことやら?

 


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役場に「接遇指導員」がいてはるって知ってました〜ぁ?

(2006年10月16日 月曜日)

 私が常々口酸っぱくして言っているのが、町職員の接客マナーについてです。9月の決算大綱質疑でも質問の一つとして取り上げました。議席で答弁を聞いていたときには注意を払わなかったのですが、議事録の反訳原稿(議場での速記を文字に起こしたもの)が本日上がってきて読んでみると、2年も前から接遇指導員の養成をしているというのです。

 接遇指導員のことは正直「知らんかったわ〜」です。また「そんな役目の人がいてはったら、効果あるはずなのに・・・?」と不思議にも思いました。もっとも総務部長の答弁も「全てが満足いただける状況にはなっていない」と認めていますが・・・。

 接遇指導員は当然ながら、公務の一環として「おおさか市町村職員研修研究センター」で指導員養成講座を受講し「認定」も貰っています。講座終了後さらに役場の部内研修も経て、新入職員への接遇研修講師として活動しているそうです。

 私は約20年弱役場と係わりを持っていますが、接遇については随分とよくなったと思います。でもまだまだ、本音を言うと新人もさることながら“旧人”のほうにマナーを理解していない職員が多いように思います。挨拶を返さない、電話で名乗らない、電話ですご〜く長く待たせる、ため口で答える、わかっていても一歩先は答えない、敬語で上司のことを語る、周囲に聞えるような大声で話す、職員の身分証をつけていない、お客より先に入室しお客の鼻先でドアが閉まっても平気・・・挙げればきりがありませんのでやめますが。

 さてどんな人が指導員で何人いて、職務上どういう位置づけになっているのかはわかりません。しかし少なくとも仕事で行っている、つまり“給料のうち”の接遇指導であるなら、「効果」の検証をもっとシビアに行う必要があるのではないかと思います。まあホンマは指導員なんかいなくても、住民の満足度が高いサービスを提供するのは公務員として当たり前なのですが。

 とある市では「挨拶」「言葉づかい」「身だしなみ」「態度」「説明」「時間」の6項目に就いて、年2回1ヶ月間ずつの「行政サービス評価期間」を設けています。そして期間内に頂いた住民の声を、具体的改善内容と共に公表しています。当町もそっくり真似しなさいとは言いませんが、役場の接遇マナーが単なる精神論や、個々人の資質で片付けられる時代ではないと言うことです。

 “公”の仕事の中で「接遇」が大きな役割を占めていることを、当の公務員が未だに一番気付いていないのではないかしら・・・といった場面は少なからずあります。したがって折角存在する接遇指導員が、今後益々十二分に活動できるような制度や環境作りは大切です。私も一度是非、指導員による接遇指導の場を見学してみたいものだと思っています。

 


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知人が立候補していても、隣町の選挙は気楽です

(2006年10月17日 火曜日)

 大山崎町の町長・町議選挙が始まりました。どなたも応援しないので気が楽です。知っている議員は何人かいますが、“純”な草の根市民派の立候補は無く応援依頼はありません。こういうところは政党に属さない、しがらみの無さの効用と言いましょうか、ありがたいことです。

 もっとも土壇場になって、某国会議員事務所から「はじめて立候補した○○さんが泣きついてきはりまして、応援してあげてくれませんか」と連絡があったことは事実です。しかしこればかりは頼まれても「いいですよ」とはいきません。

 議員に立候補をするということは、大きな決断です。議員として精一杯住民のために働けるのか、その覚悟を決めたことが立候補という行為に表れるはずなのです。候補者の決意はもとより公約の内容も知らずして、ただ知り合いだからと応援を買って出るほど、私もお人よしではありません。

 チラリとかわいそうかなとも思いましたが、それだけの候補者ということです。当節誰でも出来るだけ明るく楽しい選挙スタイルを装いますが、チョイト立候補、軽〜い選挙なんてありません。どんな選挙も中身は真剣勝負です。候補者も選対も地を這う努力をしているのです。

 5日後の日曜日、○○候補者は実に軽〜い得票数で落選しました。お気の毒ですが、まあスタートから甘かったのですから仕方がないと思います。ちなみに町長は共産党推薦の候補者が初当選しました。大山崎町も変わるのかもしれませんね。

 


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疑問です!町の審議会委員等に議員が選出されることと、報酬を受けること

(2006年10月18日 水曜日)

 私は「議会運営等に関する検討委員会」の委員です。昨今の地方自治法の改正により、議会改革もやっとお尻に火がつき始めました。検討委員会の進行についても、従来のようなノンビリムードが通用しなくなってきているのは良いことです。法改正に係る内容は来年6月の施行を目指しています。従って議長からの指示項目を、議会運営委員会と分担しながら前倒しで検討しています。私は議会運営委員会の一員でもあるので、2つの会議に出席する回数はずいぶん多くなりました。

 本日の主な検討事項は標題のとおりで、私(の会派)の提案です。審議会等への議員選出は法律で決められている場合が殆どです。都市計画審議会・農業委員会・民生委員推薦会・青少年問題協議会はそれぞれの法律に基づき選出されています。これらは今のところ動かしようが無いかもしれませんが、国民健康保険運営協議会委員は「公益を代表するもの」とあるだけで、実際議会選出をしていない自治体もあります。また地域医療・保健事業推進協議会は法に基づくものではなく、当町独自の機関です(しかも何故か会長職は議員が務める慣例があります)。

 私の主張は国保及び地域医療の両協議会ヘは議員を送らないこと、また法に基づく議会選出委員であっても全ての議員に委員報酬の支給は必要ない、この2点です。なぜなら議員は議会選出委員として出席している訳ですから、議員報酬の範疇での働きをしているということです。既に得ている議員報酬の上に、更なる委員報酬を得ることは住民から“二重取り”のそしりを受けても当然でしょうし、苦しい町財政の現状からも支給は止めるべきだと思います。

 本件に対する論議は次回の委員会(11月13日)でも行いましたが、結論は私の外はみんな「報酬はもらって当然」と出しました。山吹民主クラブS議員の意見は「報酬については委員として出席している以上、一般の方と同様に受け取るべき」。共産党K議員は「審議会に参加するからには勉強が必要。やったうえでの報酬は必要ではないかと思っている。法外な報酬をもらっているとは思ってはいない」。公明党S議員は「報酬に就いては、専門的な立場から出席する以上は必要だと思っている」。自由民主党クラブN議員は「住民の代表で出ている。代表として意見を述べていると言うことから報酬も必要だと思う」。山吹民主クラブY議員は「議員だから報酬が受け取れないという一般住民との差は何か。報酬が妥当かどうかの検討は必要」。これら圧倒的多数の意見によると現状維持ということになります。

 私たち会派の2人は結局これからも、報酬返上を続けていくしか仕方がありません。私は町の行財政革プランに全面的に賛成はしていません。でも“出を制す”ために議会が協力することは当然だと思っています。行革にもろ手を挙げて賛成し「早くしろ」とせかせている議員たちが、いざ自分の身に降りかかることとなると腰が引けるのはみっともないです。審議会委員の報酬を辞退したからと言って、町財政に占める金額は微々たるものです。しかし議会はこれで行政にも住民にも“足元”を見られてしまいました。「議員なんて言ってることとやってること、違うやん」と。すっごく!かっこ悪いです。

 


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「お久しぶりです」近畿市民派議員の皆さん

(2006年10月19日 木曜日)

 10時からふれあいセンターの音楽室で、朗読ボランティアのテープ作りを始めます。先週それぞれ役割分担した記事を、今日はドキドキの吹き込み本番!です。私は「町内の情報」を担当し、ホットニュースである「去年の決算、議会が否決」と題したオリジナルの記事を朗読しました。読み終えた後、急ぎ高槻に向かいます。高槻市役所で開かれる近畿市民派議員学習会に、久しぶりの出席をするためです。

市民派議員で満員の会場

 午前中の講座「認定子ども園に希望はあるか」は殆ど聴くことが出来ず残念でしたが、最後に質問に答える(社)こども情報研究センター所長の田中文子さん(本日の講師)の話が少し聴けてよかったです。

 島本町でも10月1日から2つの町立幼稚園で預かり保育(通常の保育時間後、有料で16時半まで預かる保育)が始まっていますが、10月議会では「幼保一元化を視野に入れた預かり保育」との答弁もあったところです。ちなみにこの時点では、後日“青天の霹靂”で出てきた「第二保育所の民営化・第一幼稚園の幼保一元化」計画は全く水面下の存在でありました。まあ、知らなかったのは私たちだけだったかもしれませんが・・・。

 田中さんは幼保一元化について「仕組みは良くないし、デメリットはたくさんある。しかし一元化に対する正解もモデルもない中で、作っていくのは市町村である。逃げることなく、それぞれの自治体にあわせた下からの議論が大切」と私たち市民派議員に期待を寄せられました。

 昼食は申し込んだ自然食のお弁当を食べながら交流しました。久しぶりに「なんぶニュース」を手にした淡路島の議員は「手書きは温かくていいですね」と懐かしんでくれました。午後からは「高槻財政物語」と題して、畠中富雄環境部長の話がありました。

よく解った畠中部長の話

 畠中部長は前職の財政部長の経験をもとに、高槻市の財政運営から地方財政の展望を語ってくれました。畠中部長が言う「借金まみれの貧乏自治体・高槻市」が、ついに昨年度の公債費(言わば借金)比率を9.9にまで引き下げました(島本町は何と2倍の18.8!勿論低い方が良いに決まっています)。財政の弾力化を示す経常収支比率は、89.9(島本町は105.8です。数値は低いほど財政のゆとりがあります)。また団塊の世代の大量退職に備えた退職基金は60億円あります(島本町はスッカラカン、基金0円で退職債という新たな借金を重ねなければなりません)。

 伝え聞いた話しですが、財政難の折には事務用品の鉛筆1本に到るまで厳しい制約が掛けられたといいます。激動の高槻市財政を悪戦苦闘し乗り越えてきた畠中部長の話は、迫力に満ちており大変参考になりました。島本町の職員にも聞かせたい内容でしたが、先ずはこれだけ話せる自前(当町)の人材が欲しいよね・・・とため息をついた私です。

 


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発言の邪魔をするだけの野暮な野次はやめなさい!

(2006年10月20日 金曜日)

 9月議会の議事録が、ボチボチと反訳原稿(速記を起こしただけのもので未校正の記録)で上がってきています。反訳原稿は速記会社から議会事務局へメールで送信されてきますが、以前はこんなものまで情報公開請求をしなければならず、15日間待ってやっと手にすることが出来たのでした。またコピー代もバカにならず、1議会につき1〜2千円くらいは支出していました。それでも正式に議事録が出来上がるのは数ヶ月先ですから(委員会記録なら1年くらいかかる!なんで〜?)、少しでも早く記録が欲しい時には手間とお金を惜しむ訳にはいきませんでした。

 しかし、今は反訳原稿の入手に支障はまったくありません。速記会社からの原稿送信を受けた議会事務局は、そっくりそのまま直ちにメールで私に送信してくれます。電子情報の便利さを実感し、またありがたく思います。このように校正前の議事録の入手が可能になったのは、確か私が情報公開請求を行う中で異議申立をしたことにより、情報公開審査会の提言を受けて改善されたからだと思います。

 さて9月議会の議案「清掃工場補修工事の工事請負契約締結」審議を記した反訳原稿が、一般質問の記録と共に送信されてきました。原稿を読みながら、改めて気付いたのは「野次が多いな〜」ということです。中でも今回は○○議員への野次が集中しています。「そこまで何で要るんだ」「そんな無茶苦茶な」「簡単に質問しいや」「何が言いたいんだ」「議案と関係ないだろう」「そんなに(質問を)広げたら、だめですよ」といった野次が、そう長くは無い質問の中で発せられています。

 私もよく野次られる議員のひとりですから、質疑の流れを邪魔する野次にはいやな思いをすることが度々あります。しかし野次もいろいろで、基本的には「不規則発言」でマナー違反なのですが、なかなか奥が深いものなのです。先の質問者と質問内容が重複していたり調査不足のつまらない質問だったりすると飛ぶ野次と、核心をつく質問が出て理事者側を庇う“ヨイショ議員”が発する野次の2通りがあると思います。後者の方だと質問者は手ごたえを感じ、益々鋭い質問内容になりますから、これはシメシメと心の中では歓迎です。

 勝手に飛ばされる野次も、使いようによっては質問者の味方になります。「静かにしなさい」とか「野次るならあなたも質問しなさいよ」とか、意図的に質問の途中でビシッと逆襲することは効果的です。一方自身の質疑内容や質疑方法の軌道修正にも役立てることが出来ます。いずれにしても的を射た質疑には、的を射た野次が飛ぶという当たり前の法則があるということですね。私は滅多に野次は飛ばしませんが、飛ばすならクリーンヒットでやってみたいなぁと思います。“野暮野次”頻発の議会は、住民から笑われていることに気付きましょうよ!

 


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大津までリフォーム宅の見学

(2006年10月22日 日曜日)

 自宅のマンションをリフォームしてくれたリライフ・コーポレーションの案内で、今日ははるばる滋賀県まで足を伸ばしました。本日見学するのは集合住宅ではなく一戸建てですが、事前の紹介から自然材をふんだんに使っていることと、間取りの自由さに「いいなぁ〜」と興味が湧きました。

 特にわが家が再びのリフォームを計画している訳ではありませんが、こんな機会で無いとなかなか他人様の家の中をしげしげと拝見できるものではありません。私は専門知識はまるでありませんが、建築やインテリアの関係に興味があります。買い物に行っても家具やインテリアのお店では、ワクワクして何時間も過ごしてしまいます。いつも気持ちよく暮らせる設えを求める気持ちは一杯ですが・・・夢と現実は一致するものでもありません。

 そこでこのような催しには積極的に出かけて興味を満たし、またひと時の幸せも感じることにしています。伺ったお宅の母屋は100年余を経ているかもと思われる堂々の家屋です。同じ敷地内に元々は工場か倉庫のような建屋があり、その2階に息子さん一家が暮らしていました。今回のお目当てはこの住居の見事な大変身ぶりを実地見分することにありました。

 
薪ストーブが主役のリビング 古材の梁と手作りのダイニングテーブル

 建物の原型からして住居の広さと高さは十二分にあり、ノビノビした開放感溢れる間取りと内装に大変身していました。古材を使った太い梁や珪藻土の壁、無垢材張りの床、曲線を随所に取り入れたコーナーやニッチ、家族の思い出の石や木の枝も大切に扱われ役に立っています。

珪藻土の壁とアンティークのステンドグラス

 家電や建具メーカーのパンフレットからの商品をそのまま据えつけるのではなく、暖かな創意工夫に溢れた個性的な家、まさに“マイホーム”の出現を体感できました。少し遠出でしたが、見学して本当によかったです。今日は議員の仕事とは関係ない私のお楽しみで、1日を潰してしまいました。でもこのうれしい気持ちの余韻は、きっと明日からの私に元気をもたらしてくれると思います。

  

 日記をずっと放っておいてごめんなさい。3月の後半議会(27日〜29日)にアタフタ・バタバタし、議会終了の翌日から府議会選挙候補の応援に連日出ています(今は選挙のことを詳しく書けないので、またの機会にご報告をいたします)。

 それでは昨年の10月21日・1月15日分の日記に戻って再出発いたします。いまさらながら「遅れ遅れですみません」と言っても皆さん白けるばかりでしょうから、とりあえず「まあそう言うことで、アハハ・・・」と笑ってごまかして開き直っております。ただ少しばかりの罪滅ぼしに、新年度がスタートしたことでもありますので、4月の日記をドッキングしていきたいと思います。

 


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やっぱりガラガラ「きょねんの決算」

(2006年10月21日 土曜日)

 「きょねんの決算」の参加者は、私たち議員を入れても20〜30人程度の少人数でした。広いケリヤホールはガラガラで寂しかったです。4月に行われた「ことしの予算」も、宣伝不足が原因と思われる少ない出席者数でした。同じ事態を繰り返さないためには「PRを入念に」と、私は担当職員にも町長にも伝えていました。

 しかしあれほど言ったのに、やっぱり広報版への掲示もなく自治会の回覧板を活用することもせず宣伝カーを出すこともしませんでした。お知らせは町広報「しまもと」と、ホームページ・ケーブルテレビだけでした。私は町長に前日の駅頭ビラ配布くらいは、自らやるべきだと言っていました。それくらいの心意気をみせれば、住民も町長本人が配った案内をむげにすることはないはずです。

 折角始めた町の予算・決算の説明会です。会場が住民の皆さんで溢れんばかりになって欲しいと思います。本来ならふれあいセンター1ヶ所・1日2時間ではまだまだ不十分なのです。少なくとも4つの小学校校区くらいには分けて、各地域へ町長自ら出向くのが当り前の姿です。

 でもとりあえずはケリヤホールでやると言うのなら、せめて会場が半分埋まるような努力をしてごらんなさい!と私は言いたい。川口町長のキャッチフレーズ“顔の見える役場”と“行政の説明責任”を果す試みなら、もっと多様な宣伝媒体を積極的に活用すべきは当然だと思います。

 今回は特に2006年度の決算が、前代未聞!の否決(地域就労支援事業に於けるたび重なる不適切事務に流石の議会も切れました。9月末の議会において全議員が否決しました)という事態を受けて開かれた「きょねんの決算」なのです。反省の意味からも一人でも多くの住民に参加をしてもらい、お詫びと説明をさせて頂く責務が町には課せられていたはずなのです。

 会場からの意見質問およびその回答の要旨は、すでに広報紙やホームページにも掲載されていますので繰り返しはいたしません。質問をされた5人の方々は皆大変良く勉強されていて、答える部長たちはタジタジの感がありありでした。

 また珍しいことに町長・助役に次ぐ三役の一員である収入役に対して直接の質問もありました。収入役からはそれなりの回答が返ってきたのでホッとしました。それにしても質問者の「収入役の仕事とは具体的に何をしているのか?」は通常住民と直接的な係りをもたない収入役への疑問として、言いえて妙の発言でした。しかも2007年度からは収入役の廃止が法的に決まっているのですから、なおさら的を射た質問というように私は感じました。

 
あいさつをする川口町長 空席が目立つ会場
 

 


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三小の稲刈りは“助っ人”が大勢

(2006年10月23日 月曜日)

 6月16日に田植えをした第三小学校の学習田に実りのフィナーレが訪れました(田植えの様子は、同日の日記に写真を載せています)。

 今日はいよいよ稲刈りです。三小の田んぼには力強い“助っ人”が大勢係わり、学習田を支えてくださってきました。桜井実行組合(農家の方々)・第三地域住民委員会・大阪府「北部農と緑の総合事務所」・教育委員会等田植えの折のみなさんが再び勢揃いしました。学校からは校長先生・教頭先生はもちろんPTAの保護者も写真撮影や見学に数人みえています。

 大勢のギャラリーと稲刈りのベテランに囲まれて、5年生の子どもたちが収穫の喜びと重みを鎌に込めて稲刈りの開始です。四小の稲刈り時と異なり、今日は刈り取った稲をその場で脱穀機に掛けます。子どもたちは上手に刈った両手一杯の稲を抱え、脱穀機に運び列を作ります。どんどん脱穀されて、あっと言う間にモミ付きの米粒が袋一杯になっていきました。

 
稲束を抱えて居並ぶ子供たち 指導して下さった地域の方々と脱穀機

 山を間近に望み、コスモスの花が揺れる秋の日差しの中で、地域の大人たちに助けてもらいながら稲刈りをする子どもたちの姿、「いいなあ!島本ってなかなかええ町やん」と私はうれしく思いました。最後までウロチョロと邪魔をしながら見学させてもらいました。みなさんありがとう!楽しかったです。

 稲刈り見学後、来年度の議会費予算についての要望書(私の会派は削減を要望する項目を列挙しました)提出、委員会視察に際しての事前質問書提出をするために役場に向います。午後2時からは自立支援法の説明会に出席し、なんだかバタバタと忙しい一日でした。 

 


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議場のアスベスト除去工事始まる

(2006年10月24日 火曜日)

 議場の天井吹きつけ塗装に2.9%の白石綿が含まれていました。気中濃度の測定値は1.1f/リットルです。空気1リットル中10本以上のアスベスト繊維が含まれていると、基準値を超えるとされています。従って数値的には許容範囲と言えなくもありません。しかしもともとあってはならないアスベストなのですから、やっぱり体に良い訳がありませんし気持ちのよいものではありません。

 9月議会が終了し、いよいよ除去工事が始まりました。天井の塗料を掻き落す訳ですから、議場内全体に大規模な足場が組まれています。工事中はアスベストを漏らさないため議場は密閉されてしまいます。そこでその前に議会事務局に許可を得て、場内を見ておくことにしました。議席もビニールの被いで保護されています。

議場内に組まれた工事の足場

 12月定例会は安全な議場で会議が開かれることになり、アスベスト除去を強く訴えてきた私も一安心です。あと除去工事が残っているのは大藪浄水場と衛生化学処理場ですが、何故かこれらは次年度送りになってしまいました。折角債務負担行為を設定し工事を予定していたにも係わらず、事業執行が出来ないのは仕事の進め方に問題があるということでしょうか?

 


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役場の職員は始業何分前にスタンバイすべきか!?

(2006年10月25日 水曜日)

 役場では午前9時に始業開始をします。始業開始は即ち、実際の住民サービスが起動することを指しています。従ってそれまでには最良のサービスが速やかに提供できる環境整備と、心身のウオーミングアップが各人完了していることが必要です(勿論始業時刻前にも仕事をしている職員はチラホラいますが)。

 毎朝始業前約5分間ですが、各部局ごとにもたれる“朝礼”もまた、住民サービス充実のための大事なアプローチです。朝礼は連絡事項等のほかに、職員の資質向上のために「1分間スピーチ」を順番で行っているとも聞いています(一度朝礼の見学に行きたいと思っています)。

 従ってタイムカードが9時きっかりに押されているのでは、確かに遅刻ではありませんが、仕事への準備は実質不可能と言うことになります。そんなこんなを心配されてか或いはお怒りからか、住民の方が電話を下さいました。

 「始業が目の前に迫っているのに、庁舎と離れた職員駐車場で喋っている。これで始業時間に間に合っているのかと思う。前回のなんぶニュースで窓口カウンターに飾られた季節の花がきれいだとか誉めているが、そんな甘いこと言ってちゃダメだ。ちゃんと調べてみなさい」と厳しいご指摘がありました。

 「調べなさい」に「はい」と答えた手前、私も今日から1週間“職員出勤ウォッチング”のために役場ヘ出勤です。私は8時30分くらいから庁舎ピロティの階段に座り込みを決めました。ここは阪急水無瀬駅から徒歩の職員とマイカー通勤者の駐車場と両方が見渡せ、しかもタイムカード機がある庁舎地下の通行も確認できる絶好の場所です。

 職員は誰もが怪訝そうに私を見ていきます。目があった人とはお互い挨拶をしますが、「議員、何してはりますのん?」と皆続けて訊いてきます。「みなさんが始業時間に間に合うのかチェックしています」とは言いづらいので「チョッと早く来過ぎました・・・モゴモゴ」と言葉を濁していました(まあこれも2日目ぐらいまでで、後は皆「なんか調べてるな?」と胡散臭そうに、私を見て見ぬ振りしていましたが)。

 たったの1週間で何がわかるかと言われればそれまでの話しですが、少なくとも遅刻者はいませんでした。仮に駐車場で喋っていたとしても、職員は間に合っていました。但しあと3分、2分で始業開始という駆け込み職員も1週間で数名はいました。この人たちはタイムカードを押して、ロッカーに私物を入れて、自席にたどり着くともう殆ど余裕はなく、すぐに仕事が始まることになります。勿論朝礼には遅刻ということになるでしょう。

 「仕事がはじまる前のことまで、議員にチェックされたくないわ」は大方の職員の本音でしょう。当然だと私も思います。しかし駐車場での談話状況から「遅刻してるのん違うか」と推測する住民は確かにいるのです。こちらもまた当然だと思います。「職員を見る住民の目は厳しいです。絶えず自覚してくださいね」が、今回ウォッチングの本当の目的です(オッと!この言葉、そっくりそのまま議員に投げ返されそうな気もしますが・・・)。

 

2007年1月19日(金)・・・  「一問一答方式」は導入合意、しかし質問時間の合意は道遠し

 議会運営等検討委員会に出席します。本日で今年度7回目の委員会です。委員は2人会派(人びとの新しい歩み=私の会派・公明党・共産党)から1名、5人会派(山吹民主クラブ・自由民主党クラブ)は2名が出ています。座長には副議長が当っています。

 議会事務局は局長・次長・係長が出席します。私は事務局のサポートには大いに感謝しています。その1つは会議の要点録を毎回作成してくれることです。

 要点録は私が強く求めた経緯もありますが、前会議の内容が文章化されることで、異なった意見も冷静に見ることが可能になりました。お互い問題点が整理しやすくなり、会議が紛糾しても共通の課題に戻れることがスムースに出来るようになりました。

 さて前回の委員会では一般質問の「一問一答方式」導入に就いて全員の合意が得られました。本日は質問時間をどうするのかについて、各会派が具体的に提案していきます。私の会派と共産党は現行の1時間、他の会派は45分を出してきました。

 しかし45分の根拠にはびっくりしました。時間を短縮することで、議員全員の質問権が保障されると言うのです。もとより一議員の発言権(質問権ももちろん含めて)は、法令により保障されています。

 現在1時間を目一杯使って質問している私たちのせいで、自分達が質問をしたくても日程の関係上、控えざるを得ないと言うのです。しかし従来より一般質問に立たない議員は、例え30分・20分に短縮されようとも質問はしないのではないでしょうか。

 まあいずれはどこかで、誰かが折り合わなくては一問一答制そのものが無に帰することになってしまう危険性があります。私が一問一答に拘るのは議会の活性化は言うまでもありませんが、何よりも住民に解りやすい質疑応答が展開されるべきだと望んでいるからです。

 一つ訊かれたことに対して一つきちんと答える、このことが住民に理解してもらいやすい議会への道だと思っています。あれもこれも一緒くたにして答えている現在の方式では、答弁漏れがあったり端折って答えたり、尚且つ質問回数3回と制限されているため、お互い不十分な発言に終わってしまいがちです。

 自らの力量を省みることも必要だとは重々承知していますが、質問している私自身も解りにくく戸惑ってしまうことがよくあります。(頭の中が突然真っ白なんてことも・・・何とか誤魔化していますが)。本人が「?」なのに、聴いている(或いは後日議事録を閲覧する)住民のみなさんが解るわけありませんものね。

 


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ミニハンドブック「ふるさと島本案内」は良く出来ています

(2006年10月26日 木曜日)

 私が時々ランチやお茶を頂くお店のご主人は、「ふるさと島本案内ボランティアの会」で活動しておられます。今日お店のテーブルの一角に「ふるさと島本案内」と題したミニ冊子を見つけました。「このガイドブックはわかりやすいですね。予備があれば頂けだけませんか」と私が問うたことから、ご主人のボランティア活動がわかりました。

 冊子は1年前に作られた様でもう在庫がなく、お店のものを下さいました。A4版2つ折り10ページの冊子は、デジカメで撮った自前の写真をたくさん掲載し、読みやすく温かい手づくりの案内書です。

 ページ数に限りがあるためか、「〜この薬師如来さんには大変面白い話があります。詳しくは案内人にどうぞ」とか「〜このお地蔵さんには大変悲しい話があります。以下は案内人にお聞きください」と記されています。しかしそれが返って面白く、続きが聞いてみたいと思わせてしまいます。

 「ふるさと島本案内ボランティアの会」は、町が3年前に生涯学習事業の一環として講習会を行った、その受講生有志が立ち上げた会です。講習会は継続して毎年実施していますが、会員数は現在約30人と聞いています。毎月定例会も開かれているようですが、メインの活動である「案内ボランティア」のあるべき姿を「今だ模索されているのではないか」とは、生涯学習課の弁です。

 よくわからない私が差し出がましいことを言うべきではありませんが、「町が・・・」「会が・・・」とお互い請求し合っていても、前には進まないのではないかしらと心配しています。折角知識もやる気もあるボランティアに、いかに力を発揮してもらうのが町に問われる姿勢です。先ずは助言・指導を含めた町の“やる気”こそが問われているのではないでしょうか?

 


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この頃、本をあまり読んでいないなぁ〜

(2006年10月27日 金曜日)

 今日は「文字・活字の日」です。昨年「文字活字文化振興法」とやらが施行されて、10月27日が“特別の日”になったのですが、具体的には国民に益のあることって何も無いみたいですね。確かに本(新聞さえも)を読む人が少なくなった今、何らかの歯止めも振興策も必要かとは思います。

 しかし片や「インターネットだ!」「携帯電話だ!」と煽っておいて、「活字に親しみましょう、本を読みましょう」と法律で定めても(まっそれだけではない法律ではありますが)、果して効果はあるのかしら?と疑問です。仕事や勉強で読まなければならない本(大抵いやいや読んでます)以外は、「どんな本を読もうと、好きにさせてほしいわ」と私は思っています。

 読書って凄く個人的な行為だと思います。だから自分がどんな本を読んでいるかなんてことは、人様にお披露目するのはなんだか憚かられません?私は読んでいる本のみならず、どんな本を所有しているかも余りさらけ出したくない性分です。従って私は、本棚の類の家具は持っていません。けれど読みたいと思った本は、図書館で借りないで買います(自分のものにして読みたいから)。本は割合買うほうですから、どんどん溜まってどんどん処分します。

 家が狭くなるのがイヤと言うのもひとつの理由ですが、よそのお宅にお邪魔をした時、リビングなんかに本棚があれば「どんな本(読んではるんやろか)」って、ついつい覗きませんか?それがイヤというか、恥ずかしいというか・・・個人的な“芯の部分”をズラ〜ッと(並べた本で)さらすのは、私にとってどうしても居心地が良くないのです。

 その点、川口町長は偉いなぁ〜!と思います。読んだ本を感想のコメントまで添えて、屈託なく公衆にお披露目されています(これらは町長の個人的なホームページ「晴耕雨読」で見ることが出来ます)。それに町長の読書量が、また凄い!です(最近の私は月に1冊読めるか読めないかになっています)。多分読書が町長のストレス解消法なのでしょう。でも読破された書籍名を眺めていると、う〜ん?私の好みではないことは確かですねぇ。

 


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バリアフリー点検&ワークショップ

(2006年10月28日 土曜日)

 「島本町交通バリアフリー基本構想」を策定するための取り組みが始まりました。既に基本構想策定委員会は10月5日に第一回目の委員会を開いています。当日の会議では障がいを持つ方々から活発な意見が出ていましたし、車椅子使用の傍聴者もあって、委員会の審議に期待が寄せられていることを感じました。

 本日は島本町内のバリアフリー度点検と、点検後皆で意見交換し結果発表を行うワークショップが行われました。約4時間の行動でしたが、大変有意義な試みで大成功した。今回のような大勢の住民参加による試みは島本町では初めてといってもいいと思います。

 また都市環境部長をはじめ町職員も休日出勤をし、良く頑張っていたと嬉しく思いました。中でもナビゲーター役を務めた若い女性職員は、解り易く適切な説明で私たちを導いてくれました。更には基本構想策定の委託先スタッフ(この人も女性)もなかなか優秀で感心しました。

 約20名づつ3つのグループがコース別に点検を開始します。私のグループは阪急水無瀬駅→駅構内→水無瀬病院→コープ横→西国街道→ふれあいセンターの順に回ります。グループには介助が必要な車椅子の人たちも参加しており、私たちが普段気付かないバリアの多さを改めて気付かせてくれました。

 
阪急水無瀬駅前 水無瀬駅の階段を下りる車椅子

 当然のことながら、エレベーターの無い阪急水無瀬駅での車椅子介助は大変でした。男性たちと共に車椅子を抱え長い階段を上り下りしましたが、これは介助者の体への負担も大きいですが、それにもまして危険性の高い行為だと実感し強い危惧を憶えました。まとめの話し合いの中でもエレベーター設置を求める声は、当然のことながら多数ありました。

 
国道の狭い歩道 実地検分結果を発表するワークショップ

 当日の結果等は詳しくまとめられて、役場の文化情報コーナーにおいてあります。誰でも自由に閲覧が可能です。

 

 

 突然ですが、2007年1月21日(日)付けの私の日記に訂正を求められていますので、訂正のお知らせをいたします。1月21日の日記は2006年10月27日の日記から開いてくだされば出てきます。

 訂正を求める文書は2007年5月18日付で「安心できる島本町の保育を考える会」会長名で自宅ポストに入っていました。現在5月上旬の日記を書いていますが、18日分に到達するにはまだ暫くかかります。しかし「会」のご要望には早くお応えしたいと思い、頂いた文章をここで差し挟さみます。会長の個人名と電話番号は個人情報ですから伏せて、文面はそのまま掲載させていただきます(再びの誤解を生じますと拙いですから)。

南部由美子議員

 平素は住民のための議員活動ご苦労さまです。また当「安心できる島本町の保育を考える会」主催の学習会にはいつもご参加いただきありがとうございます。

 さて先日、当会員より議員のホームページに事実と若干異なる記述があるとの情報が寄せられ確認させていただきました。確かに、少し表現を変えていただいた方がよいと思われる部分がございましたので、連絡させていただきます。

 当該箇所は、週間日記2007年1月21日(日)の当会に関する以下の部分です。

>本日21日の学習会は、保護者有志の「考える会」が呼びかけて開かれました。

>あくまでも私見にすぎませんが、「会」には某政党の係りがあるように思いました。

>某政党議員が講師を務めましたし、某政党支持の職員組合員の複数参加もありました。

 以下、「会」の記録を元に正確な情報をお知らせいたします。

* 呼びかけたのは、当時は正式発足前の「保育を考える(仮称)準備会」でした。

* 講師を務めたのは、保護者OBでした。(第一保育所廃止問題の際の保護者として当時の経験を話されました)

* 職員組合員も参加していましたが、非組合員も参加していました。

 以上の事実を元に訂正いただければ幸いです。

 

2007年5月18日
安心できる島本町の保育を考える会
会 長  ○○ ○○
phone/○○○-○○○○

 「会」の会長様、会員の皆様のお申し出を確かにお受けいたしました。差し出がましいようですが、1月21日の日記全文をお読みいただければお分かりのように、当日の学習会を私自身は非常に有意義と受け止めさせていただいております。その気持ちを住民の皆さんに正直にお伝えしたいと思ったが故の文章だと、「会」の皆様には是非ご理解いただきたいと、これだけはお分かりいただきたいと切にお願い申し上げます。

 しかしお申し出を頂いた文章の通りに「会」の皆様が認識しておられるとすれば、それは大変に申し訳ないことです。私といたしましてはいろいろご説明したい所もございますが、ここはおっしゃる通りに無条件の訂正をさせていただきたいと思っております。具体の訂正は、遡って1月21日の日記でさせていただきますのでご了承ください。

 尚当学習会に関しましては3月議会の一般質問でも取り上げさせていただきました。民生消防常任委員会での予算審査において、山吹民主クラブのH議員が当学習会にクレームをつけたことに対し、私が反論し理事者にせまった内容を含んだ一般質問です。このことからも私の「安心できる島本町の保育を考える会」への認識をご推察いただければ幸いです。

 10日間に渡る日記の更新を怠けていましたこと、お詫び致します。言い訳に過ぎないかもしれませんが、私にとっては“一大事”!ドイツの友人(友人の友人を連れて)が3年ぶりに訪れる“大イベント”の幕明けが迫っていたのです。

 友人への対応が大変ということではなく、これを機会に家の中を根本的に整理しようと着手したのが、そもそもの間違いでした。いつかまた必要になるかも知れないと取っておいた資料や書籍や議会関係書類等々が溜まりに溜まって、あらゆる収納場所を占拠していました。ついには納める行き場が無くなった書類はダンボールに押し込まれて、寝室にまで積み上げられていたのです。

 書類ばかりではなく衣類(いつか着るかも)・日用品の類(いつか使うかも)も少しの油断が積み重なると、どんどん溜まっていたのです。客を迎えるのにこれではあんまりだ!それも整理整頓大好き・衣食住の中で住を最も重視するドイツ人がお客なのです。30年来の友には「やっぱりずっと変わらず、南部さんはすっきりと暮らしているね」と誉めて欲しいと思いました。

 ゴールデンウイークの後半から“お掃除大作戦”を開始し、約1週間かかってしまいました。膨大な書類の山から一つひとつの文書に目を通して、捨てるか残すかを判断していくので整理はなかなか進みません。しかも書類は重い!アッチへやりコッチへやりの移動で腰も腕も痛い、ホント疲れ果てました。

 ・・・という状況が連日続きまして、パソコンにたどり着く前にベッドに転がり込んでおりました。まっ日記の遅れは何を言ってもただの言い訳に過ぎませんし、おまけに日頃の整理能力のまずさをさらけ出してしまったことになりました。いずれにしてもカッコ悪いことには違いありませんよね。

 タラタラとした前置きはこのくらいにして、さて日記の再開をしていきますが、本来なら昨年の10月28日分・今年の1月22日分・4月8日分からの再開になるところです。しかしまあこれらの日々は遅れついでということにして、今しばらく置いておいておきます。とりあえず5月1日からの日記をササッと記していきたいと思います。

 


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辻元衆議院議員の永田町航海記

(2006年10月29日 日曜日)

 「辻元清美が語ると政治がわかりやすくなります」と「永田町航海記」の案内文には書かれています。「本当にそうだ!看板に偽りなし」と辻元さんの国会報告を効くたびに実感します。そして同時に私自身も一地方議員として、解り易く自分の言葉で語る姿勢を心がけているかどうかを振り返える機会にしています。

 辻元さんは10月初めから始まった予算委員会の様子から話しました。安倍新政権になって初めての論戦ですが、戦後教育を「自虐史観・断罪史観」と断じてきた安倍首相の発言が微妙に変化してきていることは私たちにもわかります。つまりアジアへの侵略戦争・従軍慰安婦問題等に関して、政府としても個人としても受け入れる考えを表明した変化です。

 しかし辻元さんは、安倍首相の変化を「要注意」と見ています。アジア諸国特に訪中前(この時はまだ中国への訪問前)で刺激をしたくない、また何よりも2007年7月の参議院選挙に対し、不利にならない言動を意識的に行っている、つまりは本音を押し殺しているのではないかと心配していると述べました。

 後日これらの心配は現実のものとなり、雪崩を打って次々と安倍首相の本音・本気が表れていきます。強行採決のもと委員会を突破し、教育基本法の改悪・憲法改悪への道筋をつける国民投票法案を成立させていったのですから。

 私は今日の辻元さんの報告を聴いて、「これはやっぱり憲法調査特別委員会の傍聴に行かなくては」と思いました。そして(既に日記に書いていますように)11月1日その思いを実行しました。

 たった一日私ごときの国会傍聴が「何になる」と言われれば、「なんの力にもなりません」と答えざるを得ません。しかし明らかに私の行動を触発したのは、辻元さんの“生の声“であったのです。ひとり一人の心に届き自発の行為を促す言葉を発することが出来る政治家は、他にも勿論たくさんいると思いますが、やっぱり辻元さんは“ピカイチ”だと改めて思いました。

 


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子育てフーラムの講演に頷くことばかり

(2006年10月30日 月曜日)

 役場の子ども支援課を中心に、様々な子育て機関が係って毎年フォーラムを開いています。核家族化で我が子と向き合うばかりの保護者、特に母親の育児の視点が定まらない状況が生まれ、子どもが犠牲になる悲惨な事件が後をたちません。虐待等の事件性をおびたりしなくても、子育ての揺らぎは誰にでも起こりうること。フォーラムは「お母さん・お父さん!チョット肩の力を抜いて一緒に集いませんか」との呼びかけて始まったと私は理解しています。

 「島本町はのんびりとしたいい所、虐待なんて事象は起こりえないでしょう?」と殆どの人が信じています。確かに重篤な虐待と位置付けられる事例は今の所はありません。しかし放置すれば虐待に繋がりかねない、何らかのフォローが必要な子どもは2006年度で約18件新たに発生しています。また前年度からの未解決事例がその半数くらいあリ、継続中を含めると年度間で20数件に上る事例があると言うことです。

 保育所・幼稚園・学校・民生委員等の専門職と地域の人々の係り、見守りをどう高めていくかが問題解決のための大きな道の一つです。今一つの大きな道は子どもの保護者へのサポートです。本日の講師である金 香百合さん(ホリスティック教育実践研究所所長)は、「子どもの幸せは大人(親)が幸せになって、初めて保証されるもの」と言いました。

 では「お母さんが幸せになるためにはどうすればいい?」の問いには「自分を愛そう、誰かに相談しよう、そして仲間をもとう」と金さんは答えました。自分を愛する感情を「自尊感情」と言います。自尊感情は「自己中(心感情)」とは違います。「私も素敵あなたも素敵」と、人との繋がりの中で「自他尊重」が芽生えることだと金さんは話しました。そして人との繋がりは、「対話から始まるよ」と結びました。金さんの話、お母さんたちに届いたかな?

 お恥ずかしいですが、この4日間分の日記で昨年の10月分が終了しました。皆さんに知られないようにこっそりアップしておこうかなとも思いましたが、まあ“遅れの連鎖”はまだまだ続きそうですから、今回は(も?)開き直りで入れちゃいました。お許しを・・・。

 


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議場のアスベスト除去工事が終了

(2006年10月31日 火曜日)

 役場地下の機械室・第三小学校・住民ホール(現状では除去不可能な箇所を残す)・議場においては、吹付けのアスベストを除去する工事が終了しています。但しやまぶき園については、アスベストを天井裏に残したまま、封じ込めの工事しか行えませんでした。町の施設関係では、あと大藪浄水場と衛生化学処理場が残っていますが、次年度の工事となります。

 今朝役場に行くと、議場の除去工事から出た廃棄物の山を運び出していました。廃棄物は庁舎の中庭で待っているトラックに積み込まれ、最終処分地の埋め立て施設へと搬送されます。今回は確か滋賀県の某施設(聞いたのですが失念してしまいました)に直行搬送されます。

 
議場のアスベスト除去工事廃棄物
廃棄物を積んだトラックは最終処分場までノンストップ

 危険物を運ぶのですから、搬送に寄り道や休憩は許されません。第三小学校の廃棄物を運ぶ際には、教育委員会の職員が処分地まで同行したと聞いています。それくらい慎重な確認が必要だと言うことです。輸送業者はマニフェストに処分地の証明を貰い、町に「確かに運びました」と提出します。これでやっと工事が完了したことになります。

 アスベストは見えない“敵”であり、しかもその影響はすぐには表れません。30年、40年の時を経て、中皮種等の癌を発症させる恐ろしい物質です。アスベスト禍が大きな社会問題となり、全国一斉に除去工事を始め出しましたが、工事の完了と共に住民の関心が遠退いていくことは否めません。島本町の関係者においては、アスベストの影響による病が発症していないことを信じたいですが、尼崎市等の各地においては苦しみを抱えて不安な人びとが大勢おられることを忘れてはならないと思います。

 私はこの間ずっとアスベストの除去に関する質問を続けてきました。また今日のように見学可能な場合は、実地確認を行ってきました。2007年度に工事を残している浄水場と衛生化学処理場については、引き続きウォッチングをしていきたいと思います。

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