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町営住宅の跡地売却がより良いまちづくりとより良い歳入に繋がりますように

(2006年9月1日 金曜日)

 東大寺・山崎地域には町営滝谷・鈴谷・半坂・岸ノ下住宅がありました。また桜井のふれあいセンター横には町営鶴が池住宅もありました。いずれも木造住宅の耐用年数をはるかに超えていたため、町は水無瀬川緑地公園内に高層住宅の建替えを行い、H15年秋には40年間住み慣れた5ヶ所の住宅地から皆さん転居されてこられました。住宅が撤去され更地となった広大な約25,689平方メートルの土地は、新しい土地活用を模索しながら3年間放置された状態で時を経ました。なお、鶴が池住宅跡地は行政目的の利用をする予定とされ今回の売却対象には入っていません。

   
緑地公園町営住宅 旧町営住宅跡地.

 さて9月1日から、これら町営住宅跡地の売却と跡地を良好な住まいに整備するまちづくりに向けての事業が開始します。土地の最低譲渡価格は12億円です。当町の財政規模からして12億円を上回る収入は後にも先にも無いと思います(ただし内9億円はJR新駅事業の財源となり使い道が決まっています)。しかも単に土地を高く売るだけではなく、土地を購入した開発事業者が行う“まちづくりの提案”をも含めて決定しなければならない大、大事業なのです。跡地には次代に誇りを持って受け継いでもらえる、島本の理想のまちづくりが展開されなければなりません。JR新駅事業と並ぶ川口町政のビッグプロジェクトがいよいよ姿を現します。(住民には見えませんが、すでに当事業については3年の間も継続して進められてはいました)。

 早くも2ヵ月後の11月上旬には、買収価格を含めた「島本町町営住宅跡地戸建住宅開発事業」の最優秀提案者の発表が行われます。審査は「選定審査委員会」が行いますが、ここが全ての鍵を握るといっても過言ではありません。利害が絡む委員の選出があってはなりませんし、全ての委員が高い見識とまちづくりへの専門性を有していることが担保されなければなりません。これらのことを住民に保障するためには委員会が密室で行われること無く、応募作品の住民公開をも含めたプレゼンテーション等への住民傍聴を是非とも願いたいものです。

 この事業を透明公正に進め、1円でも高く土地を売却し、他市町にも誇れる「地域コミュニティとの調和と環境に配慮した良好な住まいとまちづくり」(本事業のテーマ)が実現すれば、町の未来に希望が見えるに違いありません。つまり「こんな街に住みたい!」と島本町を選んでくださる人が増えれば、素晴らしいことだと思うのです。それでこそ住みなれた旧町営住宅のスムースな明渡しに応じられた入居者の方々や、旧町営住宅に隣接し開発への不安を克服された近隣のみなさんへの誠意に応える“まちづくり”が実現できたと言えるのではないでしょうか。

 ところで土地の売却価格ですが、最低の12億円で売ると平方メートル単価46,712円です。敷地内のインフラ整備や土地の切り盛りも一切合財を事業者もちとしても、安い単価設定ではないかと思います。当然土地の鑑定評価をとっていますが、「りそな銀行」(当町のメーンバンク)1社に随意契約で委託しているのは疑問です。いずれにしても11月下旬には土地売買契約の締結がなされ、最低2億4千万円の収入があります。そして年内には全ての代金が納付されることになっています。

 


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またしても前代未聞!昨年度決算が否決されました

(2006年9月2日 土曜日)

 本日の本当の日付は10月3日です。昨日やっと9月議会が閉会しました。今議会も標題のようなサプライズが発生しましたので、今日の日記は昨日のこと、つまり10月2日の報告にひとっ飛びしてしまいます。あぁ、これじゃもう日にちがグチャグチャで、行きつ戻りつややこしくてごめんなさい!まっ、日付は無視して中身だけをご覧下さればよいかも・・・。なんか議会が終わるとドッと疲れが出ます。別に大したことしている訳でもありませんが、会期中は全力投球で重圧の日々から抜けられない状況なのです。何年も議員の経験があるのに、未だに毎議会新人のように緊張しています。

 さて議会で決算が否決されても、法的には別に何の影響もありません(予算の場合は議会が認めなければ、執行することは出来ません。今年度当初の下水道会計がその例で3月議会で否決、6月議会まで施策(事業)予算を組むことが出来ませんでした)。ただ大変拙いことです。いってみれば1年目の川口町政は「ダメでした」と烙印を押されたようなものだからです。しかも個別の事情が存在する可能性のある特別会計等ではなく、町政の屋台骨である一般会計が否決されたのですから・・・これは大ごとです。朝日や毎日新聞にも恥ずかしい事態が掲載されてしまいました。

 町長は閉会の挨拶の中で、今回否決される直接の原因となった公金取り扱いの事務執行上の誤りについて「深く、重く、真摯に受け止めて今後に生かしていく」と述べました。私は町内外に恥じをさらしたけれど、議会の表決はこれで当たり前だと思っています。前町長体制のもとでは異議を表明するのは私たち“市民派”議員か共産党の議員だけでした。多数与党が何でも町長の言う通り賛成してきたのです。

 未だに存在する町長選挙のねじれ現象が、図らずも一般会計決算の否決と言う結果を導き出したとしてもそれはそれ、ギリギリで議会は良識を保つことが出来ました(監査委員のC議員が表決を明らかにせず“保留”で退席した以外は、すべての議員が反対をしました)。起立をする議員が誰一人いない議場は、まさに前代未聞!の光景、私は島本町議会の歴史的な一場面だと心に刻みました。

 一体何が原因で賛成しょうと思っていた議員たちも反対したのかですが、詳しくは今後の日記に記すとして、一言でいうとやっていない会議をやったことにして決算を打ったのです。しかも大阪府の補助金を受けている事業のため実績報告をしているのですが、とどのつまりは「虚偽の報告」であったわけです。しかもこの事象が発覚したのは、そもそもは上記の関連施策に係る事業で(各々の事業自体は別立てで行われていますが)町の補助金団体であるC協会に委託した事業の決算残金が町に返金されていないことが発端でした。調査の過程で新たな“誤り”が発覚したことで、議会の怒りと不信感は一挙に跳ね上がったと言えます。

 ちなみに私はこれらの事象以外に、既に町営住宅の家賃に係り徴収の不適切な事務執行を追及していましたので、決算の不認定ははじめから決めていました。このことについては、また日を改めて書くことにいたします。わかりにくい説明で申し訳ありませんでしたが、いずれにしてもあってはならないこと、やってはならないことの事実は認めるわけにはいきません。

 


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秋の気配がそこかしこに・・・気分を一新、ぼちぼち日記を再開せんと

(2006年9月3日 日曜日)

 今日の本当の日付は9月24日です。20・21日の建設水道常任委員会は私が所管する委員会のため、開催日前後は日記を全くお届けすることが出来ませんでした。何度もアクセスして下さった皆さんには本当に申し訳ありませんでした。ただでさえ遅れに遅れて、日記はただ今8月中旬と9月初旬あたりを漂っておりますが、プチ再開にあたり気分一新!デジカメ版“小さい秋見つけた”をお届けします。怠惰のきまり悪さを写真に押し付けていることを、百も承知でご覧下さる皆さんの優しさに感謝、感謝です。

ふれあいセンターのすすきと柿
 
彼岸花咲く桜井の田 四小学習田のかかし

 まあ下手な写真だけでは愛想もないことですので、この間の記憶をたどって箇条的に何件かのお知らせをオマケに書いておきます(大体今までに日記でお知らせしていることの結末だけを短くお知らせします。日付はアッチコッチ飛び交っていますが)

* 草を刈ってきれいになったJR新駅東広場

 8月13日の日記にも写真を載せていますが、工事中とはいえ雑草がはびこり見苦しく気になっていました。ずっとそのままなので先日の建水委員会で苦言を呈したところ、なんと!翌日には見事に草刈りが行われていました。「ありがとう」と電話をすると、課長以下3名の都市整備課職員で作業したとのことでした。素早い対応に感心しました。

* 築170年、東大寺の旧家には立派な「かまど」がありました

 8月12日の日記で書いた江戸時代の旧家ですが、教育委員会が9月19日に見学したので、話を聞かせとお願いしました。デジカメの映像も見せてもらいましたが、ひときわ目を引いたのは土間に瓦を積み重ねてその上に土を盛って設えたかまどです。いくつもの釜がかけられる大きなかまどで、改造されずに昔のままの姿を止めているとのことでした。他の“お宝”の有無に係らず一度住民にも公開してもらえればうれしいのですが、どうでしょうか?

* 高槻市昭和台町の土地・家屋は結構高く売却できました

 8月4日の日記に書いていますが、当物件は町が寄付を受けたものです。「教育の充実に役立てて欲しい」と寄付をくださったご意思を生かすために、9月14日に4者が応札した一般競争入札が行われました。町の予定価格は約2千6百万円でしたが、落札価格は3千1百2万円で予定価格を5百万円上回りました。私が想像していたより高かったので良かったと思いました。落札者は京都の住宅会社です。

* 教育委員の人事案件が出せないのは何故でしょうか?

 9月22日の会派説明会(後半議会の議案を会派ごとに説明を受ける)で判りました。任期切れの委員とは現教育長のことだから事はおおごとです(5人の教育委員のうち、教育長もその1人)。9月30日までが任期ですが、健康上の理由で日高教育長の辞意は固いそうです。

 教育行政のトップである教育長の空席は町始まって以来、前代未聞の出来事になるのではないでしょうか?推測では新教育長の人選が、議会関係で「よし」の了解が得られなかったためとも伺えました。と言うことは、教育長人事が水面下での根回しを経ていることは明らかだとわかります。いずれにせよ、これは由々しき事態です。

* 9月議会後半の日程

 9月29日(金曜日)と10月2日(月曜日)の予定です。委員会に付託されていた条例案と昨年度決算の表決を行います。新しく上程される議案は1件のみで「清掃工場ごみ処理施設補修工事」の工事請負に係る案件です。本工事は毎年巨額の費用を伴う補修工事ですが、なかなか素人目には判りにくく私も核心に迫ることが難しくて、正直いつも消化不良気味でこなしてしまっています。

 契約金額は約1億1千万円・請負者はユニチカ(株)環境事業本部です(指名競争入札というものの、当初のプラントメーカーであるユニチカが10数年間ずっと落札しています)。

 あとは一般質問が行われます。質問者が何人いるかはまだ判りませんが、私は当然質問に立ちます。質問内容は通告書提出期限の26日ぎりぎりまで四苦八苦して考えています。

 


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役場の職員は、こんなに残業して大丈夫?

(2006年9月4日 月曜日)

 私は町職員の超過勤務状況については大きな関心を寄せています。多すぎる残業の是正を求める発言は、これまでにも絶えず行ってきました。残業代が嵩むといったことではなく、職員の心身への負担や家族団欒を犠牲にしなければならないことを心配しています。殆ど毎夜時間外にこなさなければならない仕事が発生していることは、職員配置のあり方に問題があるとしか考えられません。特に民生部における福祉・保険関係は恒常的な超過勤務が行われています。

 民生部の窓口は住民が一番多く訪れる所です。日中はお客さんの対応に追われていますので、閉庁後に残務処理的な事務にとどまらない仕事もやっている様子が見て取れます。“見て取れる”と言うのは、私は情報公開請求で2005年度1年間分と2006年度3ヶ月分の「超過勤務実施時間集計報告書」を閲覧したからです(結構な文書量でした)。特に民生部に関しては、個々の職員が提出した「報告書」もチェックしました(職員名は非公開です)。

 ちなみに民生部における今年4月から6月の残業の状況で、1ヶ月平均30時間を超えた職員は以下のとおりです。なお30時間は国が示す超勤時間における一定の範囲とされています。つまり「30時間を超えちゃいけないよ」と言っているのです。

* 住民課(10人)中4人、それぞれ207時間40分・166時間40分・105時間10分・96時間20分

* 保険福祉課(15人)中5人、それぞれ188時間1分・184時間・160時間20分・157時間4分・96時間30分

* 高齢福祉課(5人)中3人、それぞれ193時間8分・114時間・97時間45分

* 健康福祉事業室(6人)中1人、96時間30分

となっています。個人別で見てみても、6月にA職員が超過勤務をしていない日は土日を除くとわずか3日間しかありません。ある週では4日間連続で、5時間から6時間30分の長時間残業を行っています。6時間30分の超過勤務を終えると退庁時刻は午前0時になります。つまり家に帰り着くのは日付が変わってからということです。これではきつい!体が持ちません。家族団欒、我が子と顔を合わす時間もありません。

 このような状況でも、町長は私の決算大綱質疑に対して「単純に人員を増やせば超過勤務が解消できるものでもないと考えております」と答えたので私は怒りすら覚えました。もとより超過勤務は勝手に出来ません。「超過勤務手当支給規則」に決められた手続きを経なければならないのです。先ず各課の課長は前月の20日までに「勤務時間数予定表」を総務部長に提出します。総務部長(実務は人事課が行うようです)は予定表に基づき時間数の配分を行います。そして実際に各職員が残業を行う時には、所属の課長に各人が超勤の「伺い」を出して認められなければなりません。

 超勤の後は翌日に課長の承認をもらいます。各課の課長は1か月分の時間集計表と超過勤務表を翌月の3日までに総務部長に提出します。最終的に人事課がチェックします。そして翌月の給与に超過勤務手当を含めて各人に支給されるというわけです。一連の手続きはむやみな残業を許さず支出を抑制すると同時に、職員の健康や労働意欲を阻害しないために定められているはずです。しかし現状をチェックしてみると、部局によってはもう歯止めが効いていないような、つまりは形だけの手続きになっているような気がしてなりません。

 私は職員が働きすぎでつぶれてしまう前に(働きすぎかどうかは私には判りませんが、現に心身の故障で休職する職員は増えています)、小手先の対処療法ではなく抜本的な職員数・配置の問題解決を図らなければ、とんでもないことになっていくような気がしてなりません。「人材育成基本方針」を策定してからと町長は言いますが、必要な「方針」と解っているなら一日でも早く作るべきです。他市町では既に作成済みの所もあります。そして2つの組合も、本腰を入れて超勤問題に取り組んで欲しいと思います。

 一方臨時職員を置いといて「お先に」とサッサと帰っちゃう職員や、終業3分前に歯磨きをして身支度を整えている職員もいます。残業の有る無しは職務の内容にも左右されますが、こんな現場を見てしまうと「やっぱり変!なんとかして!」と思わざるを得ません。

 最後にお知らせするのは、実は2005年度最も残業が多かったのは民生部ではありません。1番は人事課でした。なんとダントツの1人月平均66時間強にも上っています。残業を抑制する役目の人事課が「何で」と思いましたが、分析の暇がないうちに2006年度には1名増員となったようです。

 


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町の職員には厳しい給与改正ですが、私は賛成しました

(2006年9月5日 火曜日)

 2005年に人事院が出した給与構造改革は50年ぶりともいわれる大幅な改革であり、2006年度4月から施行されることになっています。島本町の職員にとっても当然人事院勧告(人勧)に沿った給与改定を行うと、町は9月議会に条例改正の議案を上げてきました。今までも給与に係る条例改正はされてきましたが、今回は職員にとって非常に厳しい中身であり、職員組合との交渉も長期に渡りました。

 2つの職員組合のうち島本町職員労働組合については合意を得られず、“見切り発車”の条例上程となりました。これは決して望ましいことではありませんが、当初4月実施予定の「地域手当」については半年先に延ばした町当局の譲歩も認めざるを得ないと思います。

 (従来は給料・管理職手当・扶養手当の10%にあたる「調整手当」がついていましたが、人勧の改定で地域差がつけられました。調整手当が地域手当になり、当町は3%の地域手当該当地とされてしまいました。隣の高槻市は人勧では12%(条例で実質10%に引き下げ)で、生活圏が変わらない当町との差は何なのかとの疑問も正直生じますが・・・)

 今回の条例の中身を極々概略でお伝えします。

(1) 給与月額を4.8%引き下げる
(2) 昇給は勤務成績に応じる
(3) 給料表の枠外昇給(「ワタリ」制度)をしない
(4) 地域手当を3%にする(ただし激減緩和措置あり。H18年度末までは8%、19年度末までは6%)

 これらは職員には厳しい改正となりますが、見方によっては現状より改善されたと思われる以下の内容もあります。

(1) 55歳以上の職員も昇給が可能(ただし勤務成績に応じる)
(2) 現給が保障される(新給料表への切り替えに伴い、旧給料月額に達しない職員はその差額を支給する)
(3) 臨時職員・非常勤職員の給与規定を明確化する
(4) 休職者に給与を支給する範囲を拡大する(学術に係る研修等による休職や災害により生死不明で「分限」処分を受けたものに夫々7割及び10割の支給をする)

 これらの条例改正が職員に与える影響は、交渉決裂の組合ニュースが伝えるところによりますと「多大」であるといわざるを得ません。「地域手当が3%になるH20年度からは、職員1人あたり年間45万円の減額となる」また「若い職員は生涯賃金が3200万円も減少する」と見出し文字は訴えています。これらの差額については理事者も議場で認めていますから、計算上は真実の数字なのでしょう。

 しかし地方公務員の給与は人勧に基づく国家公務員の給与に準拠せざるを得ないのも事実です。人勧は民間企業の規模を100人から50人に引き下げた比較も行っていますが、私はそれでもまだ“甘い”ところがあると思っています。一部大企業や突出して業績の良い企業は別として、大半の民間企業で働く人びとは島本町職員より多額の給与を貰っているとは思われません。少し景気が上昇してきたような報道もありますが、諸々の勤務条件は公務員からは想像できない厳しさがあると思います。「給料引き下げます」「もう会社にこなくていいです」「明日から違う仕事をしてもらいます」等々枚挙に事欠きません。

 公務員の消費力が世の中の景気を引き上げる要因でもあり、労働者の賃金水準を一定保持している役目があることからも「安けりゃいい」というものでないことは良く判っているつもりです。でも、現状から「ビタ一文の引き下げもまかりならぬ」との主張には頷けません。「生涯賃金3200万円の減額」があくまでも現状維持の比較においてなされている差額であるならば、説得力に欠けると言わざるを得ません。ここには良くも悪くも世の中の“動き”を加味された試算が示されてはいないのではないでしょうか。

 公務員の賃金は住民サービスの対価として支払われています。何かを製造して販売し(物だけでなく通信・技術も含めて)、その利潤を分配した糧を賃金として受け取っているわけではありません。だからこそ一定の水準保持は住民の共通認識であると思います。しかし民間を超える給与の整合性を口にする時、何を判断基準にして“雇用主”である住民の皆さんに訴えるのでしょうか?私にはその答えが見つかりませんでした。

 だから厳しい給与改定だけれど、職員は受け入れて欲しいと思いました。働いても働いてもしんどいけれど、でも島本町職員であるあなたの給料を支払い続けてくれている住民の方々のことを思って欲しいと望みました。私は条例の賛否を決する際の討論で「どうか、痛みを分かち合って欲しい」と結びました。

 


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幼稚園の「預かり保育」に全員賛成しました

(2006年9月6日 水曜日)

 10月1日から町立幼稚園(第一・第二)で預かり保育が始まります。今議会に幼稚園条例の一部改正が提案され、全員賛成で可決されました。月〜金曜日の毎日、通常の保育が終了後16時30分までの保育を新たに実施します。保育料は月・火・木・金曜日は14時からで300円、水曜日のみ11時30分からで600円になります(減免措置もあります)。

 本格実施に先立ち、今年の1月〜2月に第二幼稚園で試行の保育が行われましたが、園児・保護者には大変好評でした。私も試行の保育を見学させてもらい、その成果を実感しました(1月14日の日記に書いています)。試行は無料でしたが、1日平均23人、最高で35人の利用がありました。保育所と異なり利用の理由は限定されません。

 ただ申し込み方法等については試行後の保護者アンケートにも様々な意見があがりました。「保育の受け入れが1週間前くらいに保障されていないと予定を立てにくい(試行では前日に抽選で決定)」また反対に「保護者の突発的な予定にも対応し、当日の受け入れにも応じて欲しい」の声もありました。議会では16時30分を超えた保育への対応を問う質疑もありました。いずれにせよ、条例には網羅できない細部に渡る取り決めが必要となります。

 また預かり保育が「幼保一元化」、つまり国が進める「認定子ども園」を目指すものかとの質問も出ました。助役・教育次長は「幼保一元化を視野に入れて進める」と答弁しましたが、私は「認定子ども園」構想にはまだまだ問題があると思っています。町が進めようとしている町立の幼稚園・保育所の民営化に拍車を掛けるような方向に繋げるなら要注意です。

 今般の預かり保育が、幼稚園の定員割れと保育所の過密化を同時に補完したいとの行政の目的があるにせよ、サービスを受ける主体の子ども(や保護者)にとって最も良い方法を第一義に考えて実施していくべきは言うまでもありません。

 私は子どもにとって安全安心の保育内容を思うと、教育委員会が考える保育者の人員には少々危惧をおぼえています。各園定員は35人で、保育者は臨時職員1名と幼稚園教諭1名があたります。教諭は通常の保育終了後に預かり保育に移行する“掛け持ち”と聞いていますから、教諭・臨時職員双方に大きな負担がかかるのではないかと心配です。

 特に通常保育と比べると、日替わりで年長・年少の子どもが混在しテンデバラバラに行動するのですから、クラス単位の運営とは異なり負担は非常に大きいのではないかと思います。しかし予算の計上は、子どもの数を20人と想定して積算しています。積算根拠は無料の試行時が平均23人だったからというのですが、施行後の一番の問題点は「しんどい」保育者体制にあったことを忘れてはなりません。みんな預かり保育の制度には拍手を送っているのですから、子どもにも保護者にも喜んでもらえる内容にしなければなりません。それには安全・安心を十分に配慮した保育体制がとれる予算の裏付けが必要です。10月1日からの利用者数をみながらになりますが、新たな人件費の心づもりも必要かと思います。

 05年に人事院が出した給与構造改革は50年ぶりともいわれる大幅な改革であり、2006年度4月から施行されることになっています。島本町の職員にとっても当然人事院勧告(人勧)に沿った給与改定を行うと、町は9月議会に条例改正の議案を上げてきました。今までも給与に係る条例改正はされてきましたが、今回は職員にとって非常に厳しい中身であり、職員組合との交渉も長期に渡りました。

 2つの職員組合のうち島本町職員労働組合については合意を得られず、“見切り発車”の条例上程となりました。これは決して望ましいことではありませんが、当初4月実施予定の「地域手当」については半年先に延ばした町当局の譲歩も認めざるを得ないと思います。

 (従来は給料・管理職手当・扶養手当の10%にあたる「調整手当」がついていましたが、人勧の改定で地域差がつけられました。調整手当が地域手当になり、当町は3%の地域手当該当地とされてしまいました。隣の高槻市は人勧では12%(条例で実質10%に引き下げ)で、生活圏が変わらない当町との差は何なのかとの疑問も正直生じますが・・・)

 今回の条例の中身を極々概略でお伝えします。

(1) 給与月額を4.8%引き下げる
(2) 昇給は勤務成績に応じる
(3) 給料表の枠外昇給(「ワタリ」制度)をしない
(4) 地域手当を3%にする(ただし激減緩和措置あり。H18年度末までは8%、19年度末までは6%)

 これらは職員には厳しい改正となりますが、見方によっては現状より改善されたと思われる以下の内容もあります。

(1) 55歳以上の職員も昇給が可能(ただし勤務成績に応じる)
(2) 現給が保障される(新給料表への切り替えに伴い、旧給料月額に達しない職員はその差額を支給する)
(3) 臨時職員・非常勤職員の給与規定を明確化する
(4) 休職者に給与を支給する範囲を拡大する(学術に係る研修等による休職や災害により生死不明で「分限」処分を受けたものに夫々7割及び10割の支給をする)

 これらの条例改正が職員に与える影響は、交渉決裂の組合ニュースが伝えるところによりますと「多大」であるといわざるを得ません。「地域手当が3%になるH20年度からは、職員1人あたり年間45万円の減額となる」また「若い職員は生涯賃金が3200万円も減少する」と見出し文字は訴えています。これらの差額については理事者も議場で認めていますから、計算上は真実の数字なのでしょう。

 しかし地方公務員の給与は人勧に基づく国家公務員の給与に準拠せざるを得ないのも事実です。人勧は民間企業の規模を100人から50人に引き下げた比較も行っていますが、私はそれでもまだ“甘い”ところがあると思っています。一部大企業や突出して業績の良い企業は別として、大半の民間企業で働く人びとは島本町職員より多額の給与を貰っているとは思われません。少し景気が上昇してきたような報道もありますが、諸々の勤務条件は公務員からは想像できない厳しさがあると思います。「給料引き下げます」「もう会社にこなくていいです」「明日から違う仕事をしてもらいます」等々枚挙に事欠きません。

 公務員の消費力が世の中の景気を引き上げる要因でもあり、労働者の賃金水準を一定保持している役目があることからも「安けりゃいい」というものでないことは良く判っているつもりです。でも、現状から「ビタ一文の引き下げもまかりならぬ」との主張には頷けません。「生涯賃金3200万円の減額」があくまでも現状維持の比較においてなされている差額であるならば、説得力に欠けると言わざるを得ません。ここには良くも悪くも世の中の“動き”を加味された試算が示されてはいないのではないでしょうか。

 公務員の賃金は住民サービスの対価として支払われています。何かを製造して販売し(物だけでなく通信・技術も含めて)、その利潤を分配した糧を賃金として受け取っているわけではありません。だからこそ一定の水準保持は住民の共通認識であると思います。しかし民間を超える給与の整合性を口にする時、何を判断基準にして“雇用主”である住民の皆さんに訴えるのでしょうか?私にはその答えが見つかりませんでした。

 だから厳しい給与改定だけれど、職員は受け入れて欲しいと思いました。働いても働いてもしんどいけれど、でも島本町職員であるあなたの給料を支払い続けてくれている住民の方々のことを思って欲しいと望みました。私は条例の賛否を決する際の討論で「どうか、痛みを分かち合って欲しい」と結びました。

 


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あまりにもお粗末な答弁に怒ってしまいました

(2006年9月7日 木曜日)

 9月の定例議会前半の日程は1日延長して3日目に入りました。今議会は昨年度の各会計決算について認定を求める議案が上げられています。昨年4月、殆どの予想を覆し現職を破って川口新町長が誕生しました。選挙戦のねじれやひずみは未だに尾を引いていると思いますし、実際揺れ動いた施策もあって、2005年度の決算は町政運営の激動・混迷を示しているとも言えます。

 まあでも、こんなのは小さい島本町役場の中での出来事、いわばコップの中の嵐ではあります。しかし「だから大したことじゃない」と甘く見ていると、気がつけばいつの間にか町政はガタガタといったことになってしまうかもしれません。国の“骨太の改革”は地方自治体に“骨細り”の結果をもたらしています。そして「いよいよダメ」になる前に再びの「市町村合併」をと、今度は都道府県の力を前面に押し出して強制してきそうです。従って議場では、私たち議員も理事者も今後益々の真剣勝負が求められてきます。

 今回の大綱質疑は会派「人びとの新しい歩み」を代表して私が行いました。決算質疑は、それはそれなりに大変です。いくらカットしても重要施策は沢山あって、どうしても総花的になってしまいますし、他会派との重複も避けられません。私の質問は3人目ですから二番煎じの答弁はハナから覚悟をしつつ、1年間分の記録をひっくり返して努力を費やした質問をしたつもりです。つもりですが、私が本当に質したかったのは「町政運営のスムースな進行を妨げている要因は何なのか」という点です。

 予算に対する大綱質疑には町長が答えます。これは町長の施政方針の下に予算編成がされていることから、トツプの意思が問われているからです。また予算は議会が認めなければ執行することはできません。一方今議会の決算は執行済みの各事業を問うことがほとんどであるため、各担当部長が答弁します。また決算は万が一認められなくても、執行した事業に対して責を問われるものでもありません。

 さて肝心の“お粗末な答弁”とはどういうことかをお知らせしなければなりません。町長本人が自ら「私は・・・」と意思表示している答弁書を、そのまま担当部長が読み上げてしまったのです。私は「部長!“私”って誰のことですか?今の答弁なら、あなたは町長になったことになりますよ」また町長には「あなたのことを問うているのに、なぜ答弁しないのですか。“私”という言葉で部長に答弁させるなら、代弁の断りを一言付さなければ意味不明で辻褄が合わない答弁になりませんか」と質しました。

 町長は誰が聞いてもおかしな答弁なのに、「訂正します」とも「補足します」とも答えないで「ご意見お伺いいたしました」とボソボソと返してきました。議会で言うこの言葉は「まあ、勝手に言うといて」がその真意ですから、私は怒りのボルテージが一挙に上昇・・・。しかし、ここで残念ながら質疑の持ち時間修了のブザーが鳴ってしまいました。町長・部長にもがっかりしたけれど、議場では一番力がある議長が調整を果さなかったのが最も問題です。また議長の横にいてアドバイスを行わなかった議会事務局も変です。傍聴席から見ていた友人は、町長を補佐する助役も下を向いていたままの姿だったことを目撃しています。一方議員たちは休憩の控え室で、いつも私にはよく野次を飛ばすような人たちまでもが「今のん絶対おかしいで」と言っていたほどでした。

 私は後刻町長にも部長にも事実確認をしましたが、どうやら町長は直接答えるつもりであったらしいのです。何故そうなったのかはわかりませんが、答弁直前になり担当部長がバトンタッチをしたようです。

 発言のおかしい所は訂正が必要です。幸い9月議会は会期が長く、後半議会は10月2日が最終日の予定となっています。会期が終了後の文言訂正は不可能になりますので、議長・町長のしっかりとした対応を待っています。私は今議会の議事録署名議員のひとりです。今回の訂正が議場で申し出がなされ、認められなければ、署名に応じることはしないつもりです。

 いずれにしても、ドンドン厳しくなる自治体運営の中で、こんなことで「ああだこうだ」と言わせないで欲しいとつくづく思います。後味の悪い大綱質疑で、ドッと疲れました。

 


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「地域生活支援事業の利用料負担」に係る条例審議を、手話通訳で傍聴してくださいました

(2006年9月8日 金曜日)

 9月議会が5日から始まっています。今議会の傍聴席には手話通訳者が入りました。私の記憶ではずっと以前にも(多分ボランティアを同席して)あったような気がしているのですが、議会事務局は初めてと言うので多分それが正しいのでしょう。いずれにしても町の事業である「手話通訳者派遣事業」を使われての議会傍聴は、最初の試みになります。

 今議会で障がい当事者へのサービスに大きく係る、新しい条例制定の議案が出てきました。今年度当初の「障害者自立支援法」施行に伴い、市町村は10月から「地域生活支援事業」を実施することと定められました。当条例で事業のメニューとそれぞれの利用者負担料を決めることになります。なお条例を制定するのは島本町がいち早く(先行した他市町は法的根拠が劣る「要綱」設置が多いです)、この点は町の努力を評価したいと思います。

 「地域生活支援事業」の根拠法である「障害者自立支援法」については、サービス料の原則1割負担や重度障がいを有する人ほど費用が増す応益負担のあり方等々において、障がい当事者をはじめとする反対の声が渦巻いています。私も本法律の改廃は必要だと強く思いますし、地方議会が声を上げていくことも大事だと思います。

 そこで今回の条例内容がこれら法への評価を十二分に検証し念頭において上程されてきたかというと、それは「そうでない」と大いに不満に思う人もいることでしょう。考え方としては「もっとサービスのメニューも広げて、全てのサービスを無料に」との選択肢もあるわけですから・・・。

 しかし私は島本町が「従来無料のサービスはそのままでいく」また「減免制度の適用もあり」と判断したことが、一文の価値にも値しないとは思いませんでした。そもそもの根拠法がけしからぬからと、本条例案を一刀両断に切って捨ててしまってよいものか、「反対」をすることで障がい者へのサービスが提供できない事態を招いてもよいのかどうか・・・。私は「賛成」の判断に到るまでにとても悩みました。

 誤解を恐れずに言いますと、私は理念の追求と今目の前にある現実の展開とは、ある程度の乖離を生じても仕方が無いと思っています。日常を生きる中で誰だって、特にハンディキャップをもつ人は不利益を避けたいし少ない方が良いに決まっています。その不利益つまりは理想と現実との乖離が、どれほどの深さを伴っているのかで判断していく他すべがないと私は考えています。議会ではただただ「賛成、賛成」と言っていれば良い議員や「反対、反対」と言っていれば済む議員なんていないと思います。私もいつも苦渋の選択を迫られていますが、出した結論については「私の全力を注ぎ込んだ表決です」と、胸を張って皆さんに訴えたいと思っています。

 さて手話通訳を活用された聴覚障がい者の方は、議会の議論をどのように受け止められたのか大いに気にかかりますが、傍聴をしていただいたことは全ての議員にとって、また職員にとっても大変な励みになりました。手話通訳者の方々にも、通訳しにくい発声や発語があったかもしれずご迷惑をかけたかもしれません。傍聴は条例提案され大綱質疑を行った前半議会、条例の内容を審査した民生消防常任委員会そして採決にいたる討論を述べた後半議会と、本条例に係るほとんど全ての審議・討論内容にわたりました。本当にお疲れさまでした。

 最後に忘れてはならないのは、それこそ「仕事だから当たり前でしょ」と切って捨てるわけにいかないのが、手話通訳者派遣事業の実施に際しきめ細かい配慮のもと進めてきた福祉保健課と議会事務局の職員たちです。当事者の方や大阪ろうあ会館との度重なる連絡、また当事者の席や手話通訳者の位置確認等打合せにも誠実な仕事振りがうかがえて、私は頼もしくうれしく思いました。

 障がい当事者の傍聴が議会や行政に与えた影響は、とても大きな成果をもたらしました。ありがたい議会でありました。これからもドンドン傍聴してくださる方が増えればいいですね。

 


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選挙って何が起こるかわからない・・・綾部市議選の結果

(2006年9月9日 土曜日)

 綾部市議会議員選挙の開票日は、2週間前の日曜日でした。私は現職佐々木幹夫さんの当選を全く信じて疑わなかったので、随分日が経った今頃になってノンビリと選挙結果の検索をしていました。ところが「おかしいいな、何で名前が出てこないの?」と思いながらカーソルを選挙結果一覧表の下方に移動させてみると、矢印が指したのは「次点」という文字でした。

 えーっ!?あの“カリスマ議員”、あの“ミスター議会改革”の佐々木さんが落選していたのです。本当に驚きました。票差はわずか16票、つくづく選挙って怖いと思いました。綾部市議会では今期より定数削減(20人→18人)をしましたが、佐々木さんは下位で当選するような議員ではないと思っていましたから、まさかの落選にはご本人が一番のショックではなかったでしょうか。

 佐々木さんのホームページでは、日々の議員活動を詳細に記しその充実ぶりを伝えていましたし、後援会の催し等もマメに行ってきていた様です。当たり前のことながら、決して議会の中でだけ奮闘していた訳ではありません。とにかく精力的に、表現はどうかと思いますが“どぶ板”で住民ニーズにも応えてきた議員であると、私は思っていました。

 綾部市議会の改革については、私の日記(2月10日と3月12日)にも載せていますが、島本町だけでなく全国の議会から視察が相次ぐほどの先進的な取り組みを展開されてきました。佐々木さんが議会改革特別委員会の委員長として、改革への大きな推進者・実践者となって先頭を切ってきたことは、私たち島本町の議会運営委員会視察の席上でも十二分に証明されています。佐々木さんの自信に満ちたとうとうたる説明の姿に接して、私は思わず「カリスマ・・・」「ミスター・・・」と呟いたほどでした。

 まっ一度の挫折でへこたれるような佐々木さんではないと思いますし、綾部市民の選択視点が議会改革を選ばなかったと軽々に決め付けるわけにはいかないとも思います。ただ残念なのは、綾部市の選挙が済んだら佐々木さんを講師に招き議員研修を行うとの私たち(希望をしていた他議員もいました)の願いが頓挫してしまったことです。

 いずれにしても選挙は怖い!蓋を開けるまでは何が起こるか判りません。私ごときが外から綾部市議会を垣間見ただけで、アレコレ言うのは避けなければなりませんが、選挙における“理想と現実”の乖離の溝は以外に深いものだと改めてしみじみと思ったことでした。

 


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竹林ハイキングはリフレッシュ効果絶大!でした

(2006年9月10日 日曜日)

 夕べの残りのおかずをお弁当に詰め、いそいそと集合場所のふれあいセンターに向います。ハイキングは映画よりも久しぶりです。途中で息があがるのではとか、転んじゃってぶざまな姿をさらすのではとか・・・いろいろ思いましたが、ゲストの今森光彦さん(写真家で作家で自然と仲良しな人)と「竹のことならお任せ」の島本竹工房の皆さんが案内をしてくださる、この魅力に惹かれて参加を決めました。

バンダナの人が今森さん

 議会の会期中で来週からは委員会が始まるこの時期に、遊んでいる場合ではありませんが「リフレッシュ、リフレッシュ」と唱え、いざ出発です。子どもたちが大勢参加していて、賑やかで楽しいです。第三小学校の教頭先生はじめ保育所の先生方の顔も見えました。今森さんと竹工房の皆さんは、子どもたちの質問攻めに丁寧に答えています。竹林は今が“竹の秋”で、青々としています。私は竹林から立ち上るような“青い空気”が大好き!

 新池から水上池へ巡りながら、桜井台住宅の裏手(山側)を登ります。急な登りの後に開けたのは、小休止が出来る空地です。竹工房の方々が切り開いたスペースだそうで、土留めには竹材が利用されていました。「森林公園化構想」の実現に向って整備をしていきたいとのお話しでした。凄い住民パワーだと感心しながらも、一方では行政の力が行き届いていないことも実感しました。竹林本体も手入れの行き届いた所と荒れた竹林が混在しています。全体的には、やはり竹の繁茂に手が回らない状況だと感じました。

 島本高校の裏手から竹工房さんの竹炭窯のある場所に出ます。立派な手づくり炭焼き窯があって、竹の炭をつくる工程を説明してもらいました(説明役は竹工房の一員である町議会の清水議長でした)。本日の主催者である「島本お話しの会」の代表さんはお弁当も食べずにビデオを撮ったり説明をしたりで、ひと時も休まず大変です。とてもうれしい今日の催しですが、主催者の陰の努力があってこそ参加者の笑顔だなぁ〜と、本当にしみじみと感謝です。

 
島本竹工房の竹炭窯 炭焼きの説明

 昼食後は御所が池に出て、三小横から桜井西の田んぼに沿ってふれあいセンターに帰ります。田の畦でジャコウアゲハの食草であるウマノスズクサを発見。今森さんは「このような所に植生しているのは珍しいです。残して欲しいですね」と言っていました(何日か後に写真をとっておこうと行ってみると、畦の草刈りが行われた後で、あ〜ぁ!消えていました)。

 午後の部、今森さんの「ふんころがし」の話もとても楽しみにしていたのですが、一度家に帰ったのが拙かった。シャワーを浴びてホッとすると、再び出かけていく元気がなくなってしまいました。でも十分に楽しい半日でした。また参加したいです。皆さん、本当にありがとう!

 


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総務文教常任委員会を傍聴・・・助役の答弁に食い下がったK議員

(2006年9月11〜12日 月、火曜日)

 本日分(もはや“本日”が何時を指すのか私にも判らなくなりました)より9月の日記になります。「楽あれば苦あり」のことわざが身にしみながら、やっと8月分を抜け出しました。9月1日から10日分の日記はアップ済みですから、少し“得”をしたような気分でいますが、この気の緩みこそが“ズルズル”の最たる要因なのですね。ハイッ!よくわかっております。

 では一気に9月末に向ってダッシュできるかというと、そうもいかなくなってきました。12月議会が9日間前倒しになって、それにつれて議会運営委員会をはじめ様々な会議の日程も立て込んできました。何よりも私自身の資料収集や調査を行う時間が短縮されそうなので困っています。

 さらにさらに、動かしがたいプライベートな予定を既に入れていますので、益々身動き取れなくなってきそうです。かといって折角やりくりして決心した中国西安への旅(かの兵馬俑を見るだけの旅行)をキャンセルしたくもな〜いっ!と言うわけで、結局はまたまた「楽あれば・・・」に陥りそうな予感がしています。

 ちなみに12月議会の予定は ・・・ 12月12日(火)〜13日(水)に変更されました。

(議案等が明らかになれば、この日記でもお知らせいたします)。

 あらら、またいつものように前置き(言い訳)が長くなってしまいました。では昨年度の決算審査を行う3つの常任委員会中、トップバッターである総務文教常任委員会の質疑から、私が選んだK議員と助役等の答弁をごくごく簡単にお知らせいたします。この質疑は結果的には、調査の過程で芋づる式に出てきた不正な会計執行を明らかにし、議会始まって以来の全会一致による一般会計決算の否決を導き出すこととなりました。

 新聞各紙にも大々的に報道されてしまう事態に到った訳ですが(この記事を掲載したなんぶニュース104号もホームページにアップしています)、この時点ではまだ質問するK議員も答弁する助役も、先の展開は予想だにしていなかったと思います。

 後半議会における決算の採決前日、町が地域就労支援事業を受託している地域人権協会に対して、相談事業実施日の1日分を水増しした金額1万2千円を多く支払っていたことや、開いていない会議を開いたことにして大阪府が2分の1補助する補助金(補助額5万6千円)を町が不正に受け取っていたことを、議員全員協議会で明らかにしました。これらのことがなければK議員の委員会での追求も、「今後正しい会計処理にいたします」で済んでいたかもしれません。

 つまり町が委託している事業の委託料は収支報告書に基づき年度ごとに精算し残金は返金、受託団体の会計に入れることはまかりならないという、うまくいっても極当たり前の会計処理に是正される方向が関の山だった思われます。

 助役や部長は新聞種になった“芋づる”の存在を、この時点では判らなかったからか、強気の答弁を返しています。「〜委託金が必ずイコール(町の委託料と実際の事業収支が同じという意味でしょう)になるということは限らない。〜体育祭のスポーツ実行委員会も事業委託しているが、残金が生じた場合は翌年度で調整する。そういうケースもあるので、精査をしてみなくてはわからない」「地域人権協会は規約に則り理事会、総会(評議委員会)等で会計監査監事の意見も付して(決算書を)承認されている」(我々としては決算報告の提出を受けたということに過ぎない・・・と町は言っているのでしょうね)。

 K議員がここで「ああそうですか」と納めてしまえば、多少の事務改善がなされたとしてもこれで終っていたことでしょう。K議員が粘り強く食い下がり「〜後日地域人権協会に内容を確認し、仮に誤りがあれば、適切に対応していく。〜」と助役に答弁させたことが、今回の不正な処理を明るみに出しました。今回のK議員の攻勢は花も実もある、傍聴していても聴き応えのある質疑でした。私も学ぶところ大でありました。

 総務文教常任委員会の1日目のハイライトはこれくらいで、2日目の教育費の審査も特記すべき質疑はさしてなく、16時前には委員会を閉じました(こんなに早く終了するのはめずらしいです)。

 


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住民からの指摘なら、なおさら素早い訂正をすべきです

(2006年9月13日 水曜日)

 住民の方から頂く電話は大切なものです。私は常に丁重かつ慎重に応対しているつもりですが、何故か残念ながらピンポン球が弾んで、ラリーが続くような対話は成立しないことが多いです。ほとんどが一方的に怒涛のごとく“熱き思い”を語られます。はっきり言って、時々口をはさむ私の意見や共感の相槌は聞いておられません。またその内容は町政へのお怒りお叱り・お説教(ご指導というべきか)が、半数以上を占めています。それでも16人の議員の中からわざわざ私を選んで掛けてくださるのですから、大変ありがたいことだと思います。

 しかし時にはタイミングが悪く「あいにく出かける時間が迫っています。続きは後刻に・・・」と遠慮がちに切り出しても「あぁそうですか、わかりました」と返しつつ、再び延々と話しを続ける方もいらっしゃいます。住民の皆さんの声を聴くのが議員の第一の使命と重々承知の上でも、こんな時はさすがの私もゲンナリです。大の大人がマナー違反だよ!また私に特段差し迫った用事が無くても、「ちょっといいですか?」と話し始められて、「ちょっと」が1時間をゆうに越える電話・・・これもマナー違反だよ!

 さて、本日の電話は上記のような事態には全く当らない正しいマナーと中身でありました。電話の方は日頃から、住民の視点で怠りなく町政チェックを続けておられます。従って2005年度決算の資料も、いち早く役場の文化情報コーナーで閲覧されていました。その上で様々な質問と共に、決算書の誤りを具体的に担当職員のトップ(今回は町三役の一人)に指摘しておいた旨を私に話されました。

 私も気付かず見逃していた内容でしたから、ありがたかったです。金額の表記において「千円」の単位を付けなければならないのに、脱落しているため「円」で読まざるを得ない内容になっていました。つまり1億円が10万円にしか読めないわけです。決算書におけるこの誤りは重大です。従って役場はあわを食って、訂正の作業に着手していると私は思っていました。議案に係る誤りは「無い」のが当り前ですが、人が係ることにおいてミスが生じるのもこれまた現実です。従って早く発見して速やかに修正されれば、私は許容しています。

 しかし住民の指摘を受けながら、本日一日役場からは何の連絡も無く過ぎました。後刻の話しになりますが翌日は民生消防常任委員会が開かれ多くの議員が役場に来ていました。が、まだ何の動きも見られません。私は頭にきました!通常議員の指摘や自らの発見でミスが明らかになった時は、修正に際して過剰とも感じる“平身低頭”(時には自宅にまで修正にやって来ます)でアタフタ対応しているにも係らず、一住民の指摘に対するこの反応の鈍さ・・・まったくよろしくないです!

 なによりも先ず本件に係る三役中の担当者が、委員会の冒頭自発的に謝罪と訂正を申出るべきでした。住民からの指摘だからこそありがたく、より一層の丁寧・迅速な対応が当然ではないですか?また庁内に限っても、こんなことじゃ一般職員に示しが付かないのではありませんか?夕方まで待ちましたが自浄努力が見られないので、私は仕方なく議会事務局の局長を通じて至急に訂正を行うよう申し入れました。いうまでもなく翌朝には訂正のシールを持った職員が待ち構えていて、やっと修正が終わりました。しかし、トップの謝罪はありませんでした。

 


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民生消防常任委員会の決算審査傍聴

(2006年9月14〜15日 木〜金曜日)

 先ずは今委員会審査の目玉である条例審査が行われました。付託された条例は、本年4月に施行された障害者自立支援法(以下「自立支援法」と言います)の第77条に定める「地域生活支援事業利用者負担等に関する条例」です。地域生活支援事業は市町村が担う事業で、当町も8事業を10月から行います。

 8事業の内、相談支援、コミュニケーション支援、身体障害児・者訪問入浴及び地域活動支援センターの各事業は、今まで通り「無料」で利用が可能です。日常生活用具の給付等・移動支援・日中一時支援と障害者デイサービスの事業については「1割負担」をしなくてはなりませんが、負担額には各々生活保護世帯(仮にAとします)・市町村民税非課税世帯(B)・同課税世帯(C)ごとに上限が設けられています。また当然のことながら災害等に係る減免規定も設けられています。

 以上が本条例に関する簡単な中身ですが、障がい当事者を初め私たちが最も気にかかるのは、今後負担が益々増大していくのではないかという不安です。4月からの自立支援法で応能負担から原則1割の応益負担になり、ただでさえしんどいのに10月からはどうなんだろう・・・一般論ではなく障がい者個々人が「“私”の負担はどうなるのだろう?」との心配、このことに町は答なければなりません。

 町は利用者個人の負担に関する変化についての資料を出しました。説明後の結論は「当町では負担が増える方もいるが、一方で上限設定により負担減となっている人もいる。全体的には4月以降の負担に比べ、若干軽減されてきたのではないかと考える」との答弁がありました。当町の現状が必ずしも全国或いは大阪府レベルでの調査結果と合致するものでもありませんが、障がい者団体の大阪府内に置ける市町村実態調査では、自立支援法に移行後すべてのサービス利用の減少が明らかになっています。また民間の通所・入所施設の報酬減収も加速していることもわかります。

 「一体どっちの言うことを信じたらええのん?」と思いますが、10月から市町村が新しい支援事業の取り組みを余儀なくされるのは待ったなしです(もっとも議会が条例を否決すれば事情は変わりますが)。私は当町の状況が府内市町村に比べ、まだしも緩やかなのだろうと思います。しかし、障がい者の自立支援を真に促進するのが法の趣旨また支援事業の目的なら、町は一歩進めて“島本町独自”の負担軽減策を率先して打ち出すべきではなかったかと思います。委員会審査においても議員からの提言は全くなかったので、余計に残念に思いました。

 民生費の決算は非常に多岐に渡る事業・事務執行に係る審査を行わなくてはなりません。また国民健康保険特別会計等も含めて私たち住民の一生に係る、それも“人の一生の幸せ”に重大な影響を及ぼす施策・事業を展開していることから、町職員も議員も委員会での論議は真剣勝負であって欲しいと願っています。消防費とて住民の命と財産を守る要の決算です。今委員会では新しい議員もよく頑張って質疑していたと思いますが、全体的に優しい印象を受けました。

 決算審査は、調査に基づいた“事実で勝負”が基本です。「これはなんですか?」「これは鉛筆です」調では理事者に鋭く迫ることが出来ません。また答弁に対して「ありがとうございます」を連発するのは止めた方がいいです。答えて当たり前、本当にお礼を言わなくてはならない答弁なんて、千に一つもありません。ごめんなさい!私も新人といえば新人ですのに、出すぎた感想を言ってしまいました。

 


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「緑に囲まれた山崎幼稚園新設園舎にして欲しい」

(2006年9月16日 土曜日)

  水上隣保館内の水路・里道問題及び山崎幼稚園園舎建替えに係り、3回目の住民説明会が開かれました。説明会第1回目(6月18日)の日記にも書いていますが、館内を通る西谷川水路と里道の改修・付け替えについては、近隣住民から非常に厳しい意見が出されていました。長年にわたり隣保館が水路の不法占拠を行ってきたこと・改修しても下流地域に溢水の不安があること等から、住民のみなさんは「これらの問題を解決せずして、幼稚園建替え同意は論外」と発言されていました。

 8月の第2回目の説明会や大山崎町・島本町との協議を経ながら、隣保館側としてもやっとコンプライアンス(法令遵守)の方向性をとり始めたことが今日の説明会で確認できました。従って住民からの質問も殆ど無く、ましてや追求の論調もうかがえませんでした。館としては「ほっ!」とし、幼稚園建替え計画の説明に移ったのかもしれませんが、住民への安全安心を保証する水路・里道の改修には、万全を期す覚悟で当ってもらわなければとの思いは変わりません。

 山崎幼稚園の新しい園舎は従来3つの建物に分かれていた12の保育室を、1つの建物に集約する設計になっています。2階建で1,500平方メートルの広さです。近隣対策として、建物の高さを10m低くし園児の声等の騒音防止にも配慮するとのことでした。住民からの意見で印象に残ったのは、標題の「緑に覆われた園舎」を望む声でした。

 後日役場で建築確認申請のための事前協議確認書を見ましたが、計画園舎は大阪府自然環境保全条例に基づく「緑化計画書」の提出が必要ですから、緑化を求めた住民の要望は一定叶えられるのではないかと思いますが・・・どうでしょうか?

 さて9月16日分の日記は以上ですが、本日の本当の日付は「12月1日」です。ついに今年も最後の1ヶ月を迎えてしまいました。例え何とご批判を受けようとも、遅れた日記はこれからもボチボチと続けていきますが、あまりにも“鮮度”が落ちているのは・・・やっぱり拙い!そこで本日から正真正銘“今日の出来事”の骨(概略)だけでも数行箇条的にお知らせすることにいたします。

 


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福祉大会大賑わい

(2006年9月17日 日曜日)

 先ずはケリヤホールでのセレモニーに出席します。福祉大会では来賓紹介で未だに、議員ひとり一人の名前を呼ぶ紹介をしています。私は福祉大会だけでなく、どの催しも議員ではない一住民として参加しています。それは町の行事において、議員が余りにもチヤホヤ“お客さん”扱いされすぎているように感じていたからです。町行政と議会は別機関ですから招かれても別におかしくはないのですが、本当のお客さんは住民おひとりお一人だと思います。従って長々続く議員の紹介は止めたほうがいいです。時間の無駄ですし、会場の皆さんも退屈でつまらなそうにしています。これは最前列の来賓席に座っていては、見えないし感じられないことです。

 
歯の健康展 私たちが作った介護用品

 十数年前に私が議員になるまでは、殆どのセレモニーでどの議員も胸にリボンの花を付けてもらって来賓席に座り、スポットライトを浴びて紹介されるのが当たり前だったのです。しかし「議員の特別扱いはやめたほうがいい」と一般の住民席に座り、紹介を断る議員(私)が出てきたことで、その後は議員の紹介をしないセレモニーが殆どになりました。それにつれて数多い関係団体等からの来賓の紹介も省略されていきました。私は式典がいい方向に簡素化されてきたと思います。福祉大会の式典も、もういいかげん脱皮を図って欲しいと思うのですが・・・どうでしょうか?

 
町内中学生の屋外コンサート 心肺蘇生指導

 セレモニーの最後に大会の宣言文を読み上げたのは、障がい者の作業所に通う2人の女性でした。私は彼女たちを小学生の頃から知っていますので、堂々とした朗読に感激しました。式典のあとは年長者の方々の作品展を堪能し、お目当てのバザーでも気に入った品が見つかり、模擬店でお腹も大満足!久しぶりにお会いできた人たちも多く、思い切りしゃべって笑ってうれしい福祉大会でした。

 夕方は辻元清美衆議院議員の国会報告会に出席しました。高浜の個人宅で開かれた報告会は多数の参加者で、辻元さんともゲストの小沢福子府議会議員とも文字通りの膝つき合わせての親近感溢れる良い集会でした。“辻元節・小沢節”ともに絶好調、思わず「そうそう」と相槌が出ます。丁度帰省していた長男も参加したのですが「よう解って面白いわー」と満足していました。

辻元さん国会報告会

 


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なんと!82歳でマクドのスタッフ

(2006年9月18日 月曜日)

 今日は敬老の日。マクドナルドで働く82歳の女性店員を、テレビが「お年寄りの日特集」で紹介していました。72歳で求人に応募したその人も、採用したマクドナルドも偉い!年齢制限を廃止する会社はボチボチ出てきていますが、こんな例は珍しいです。彼女はお客さん(特に常連さん)からの評判もすこぶる良く、私までうれしい気持ちになりました。でもとても真似は出来ないなぁ〜。

 さて、本日の本当の日付は12月17日です。ひぇ〜っ!日記は3ヶ月前を漂っていることとなりました。一言だけ言い訳を・・・タダでさえ遅れていた上に「なんぶニュース」の発行と本会議が始まったことで、全くパソコンに向う時間がありませんでした。それでも毎日アクセスしてくださる方々がいらっしゃったことが記録で分ります。申し訳なくて、顔をあげることが出来ません。これからの日記は端折って、端折ってメモ程度で走り飛ばします。

 


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明日の委員会を控え、いまさらのジタバタ

(2006年9月19日 火曜日)

 明日あさっては私が所管する建設水道常任委員会が開かれます。請求していた情報公開文書がギリギリ間に合って、閲覧のために役場に行きます。委員会前日にウロウロしたくはないのですが、資料に基づかない机上の空論では実のある質疑は出来ません。

 文化情報コーナーに高槻市昭和台町の不動産売却入札結果が出ていました。最低価格を5百万円上回る3千1百2万円で(株)信和住宅が落札しています。土地・建物を町に寄付くださったTさんにも、ご遺族の方々にも納得いただける価格ではないでしょうか。私は当初よりこの売却方法等には関心がありましたので、高く売却できてよかったです。そして一般競争入札を進めてきた担当職員の労を評価したいと思います。後はTさんの遺志にそう「教育関係の事業」とは何かを丁寧に探していかなければなりません。

 


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委員会も未だに結構緊張します

(2006年9月20〜21日 水〜木曜日)

 私が所属する建設水道常任委員会が開かれました。2005年度の決算を審査します。決算は“終わったこと”についてアレコレ質疑しますから新鮮味がないと言えばないわけで、職員のほうもノラリクラリ言い逃れて(こちらは)悔しいけれどおしまいってことが多いです。

 従って行政に対し「いいえ終わってはいませんよ」と切り込むための情報を持っているか否かが、委員会を面白くできる鍵なのです。この点今委員会、共産党の冨永議員と私はそれぞれの鍵をガチャガチャ言わせることが出来たかなと思います(冨永議員の質疑は、この後自らが引き出した不正会計処理問題ではありませんが、町が調査を行うきっかけをつくり大きな問題に発展することとなりました)。

 私は町営緑地公園住宅・同御茶屋住宅(以下合わせて「町営住宅」と言います)全142戸の“家賃貰い不足”が発生しているにも係わらず、その事態を2005年度中に(今年度もすでに下半期に入っていますのに)是正出来なかったことを質しました。あわせて集会所の使用にかかわる一般住民へのサービス度の低さと使用料金の収入先(集会所は町が所有しているにも係わらず、お金は自治会に入っていた)を問題にしました。

 これらは(特に前段については)役場でも限られた職員の間でしかやりとりしていなくて、議員の中でも私しか知らないことでした。公金の収入についての不備・事務の怠慢等は決算審査において最も重要な審査事項ですから、まあなかなかの質疑ではなかったかと自負しています。ちなみに私しか知らなかったというのは、これらの情報が正式に存在していなかったからです。私が知りえたのは05年度から06年度への担当職員の引継書に、たった一行「町営住宅の追徴金について」の文字があったことによります。そこから情報公開請求・職員へのヒヤリングを経て、委員会での質疑に到ったという訳です。

 少しは理事者を「グウ〜」と言わせることが出来たかなと手ごたえを感じました。トップが言い訳できずに「グ〜ゥッ」と詰まって、初めて改善への歯車が前を向いて回り出すというのが“役場(お役人)の法則”だと私も経験上わかっていますから、ヤレヤレこれで一件落着かしら?実際後日の12月議会では再三の駄目押しにより、条例整備を初め具体の改善が図られることになりました。私の質疑も無駄ではなかったでしたね。

 


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委員会が終わってホッと一息もつかの間、後半議会の会派説明

(2006年9月22日 金曜日)

 9月議会の後半は、委員会審査を終えた新制定条例や去年の各会計決算について最終の採決をします。従って新しい議案は、清掃工場のごみ処理施設補修工事に係る工事請負契約の締結案件のみです。1億円近い工事費は建替えがきかない清掃工場の延命のためには仕方がないと言われています。私は創業時のプラントメーカーであるユニチカの落札が揺るがない状況で推移していることに、なんとも割り切れない思いで毎年の審議を繰り返しています。

 今回の補修工事も1億円を超えますが、わずか2社のみで競った指名競争入札は大いに疑問です。1社は当然ユニチカ環境事業本部であり、後の1社は失礼ながらユニチカに太刀打ちできそうもない会社が指名されています。当初5社を指名したにも係わらず、うち(ユニチカと同ランクの大手)3社が辞退したことに、何の対策もとらず入札を決行したのはいかにも不可解です。議案の中身については27日に清掃工場の現地視察を行っていますのでその折に記します。

 さて9月30日で任期を終える日高教育長の後任人事案件が、本後半議会になっても出されてこないということがわかりました。法的に役目を終えたと言われている収入役を、まだ2年もある任期満了までその地位を保証しようとする一方で、これほど教育の問題点・課題が噴出している昨今において教育行政のトップを空席にし続ける理由は何なのでしょうか?

 教育長の不在は(結局12月議会にも上程が出来ず)人事の怪奇さと町長の力不足を浮き彫りにしています。しかしまあ何時になるか分りませんが、一体どんな人が教育長になるのでしょうか?これだけもめて延ばしているのだから、よほど“素晴らしい人”を当てないと私も含めて住民の納得は得られないですね。それにしても3月議会までまだまだお預けですか?全く住民を馬鹿にした話です。異常事態を意に介さずシラ〜ッとしている理事者に、思わずため息が出ました

 


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教え子の活躍は教師冥利に尽きることでしょうね

(2006年9月23日 土曜日)

 第一中学校の文化祭(演劇の部)を覗いてみようと、住民ホールに行きます。土曜日なので保護者の参加も多く座席はびっしりと埋まっていました。舞台はほんの少ししか観賞できなかったのですが、演技のレベルの高さに驚いてしまいます。私に演劇の何が分るかと言うと何も分らないのですが、人の心を揺さぶることって早々容易く出来ないと思います。

 ややもすれば無気力・無関心・無感動・無作法等々“今どきの中学生は”と揶揄される子どもたち像を、十二分に打ち砕く素晴らしい舞台でした。先に用事を済ませてから行ったため、少ししか観賞できなかったのが残念でした。

 ホールのロビーではPTA保護者によるカフェも開かれていました。白いテーブルクロスの机には花が飾られ、手づくりケーキとコーヒー等でくつろげる場が作られていました。準備も当日の運営もいろいろと大変ですが、とても良い試みだと私は大歓迎!どんな催しでもお茶を頂く場があるとホッとするし、客席では出来ない会話を楽しめる交流のスペースを作り出してくれます。

 カフェの奥のサロン(といっても普通の部屋ですが)に、本日のお目当ての“第2弾”「加國画伯の絵画展」が開かれていました。加國哲二さんの作品に初めて接したのは、何年か前の町文化祭の特別展でした。その時にフランスで活躍されている画伯が島本町の出身で、中学時代には山崎校長先生(既に退職されていますが)に美術の授業を受けた生徒さんだと知りました。

 
PTAのカフェ 加國画伯の絵画展

 演劇同様絵画についても何の観賞眼も持ち合わせていない私ですから、ただ加國さんの絵が好きという気持ちが先行しつつ観ていました。会場には町長や教育次長の姿もあって、わがまちの・我が教え子の活躍ぶりにうれしそうな様子でした。学校の文化祭に絵画展の企画をセッティングしたのは素晴らしい試みでしたね。これからも様々な取り組みが生まれることを期待したいと思います。

 


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合同防災訓練に参加しました

(2006年9月24日 日曜日)

 大阪府・吹田市・高槻市・茨木市・摂津市・島本町が合同で行う防災訓練が茨木市で開かれました。今回の合同訓練に伴い、町は毎年単独で行っている訓練は取り止めました。私が役場でいつも利用している文化情報コーナーには自治防災課がおかれているので、この間の訓練準備等状況は私にも良くわかり、「大掛かりな合同訓練は随分大変なんだなー」と感じていました。

 

 もう二度と起こって欲しくないですが、阪神・淡路大震災級の大規模地震を想定した本訓練は実践的な官民一体の合同防災訓練として行うことを目的にしています。中でも特に住民の自主的な防災力の向上を目指すことに力点がおかれています。参加機関は61団体1300人で、これだけの人びとが主催者の立場で活動します。ここに私たちのような住民が4市1町から参加するので、数ヶ所に分散した各会場は大勢の人、人で一杯でした。子どもたちの姿も多く、今訓練のテーマ「家族で参加する体験型防災訓練」に合致した情景があちこちで見られました。

 
島本町の消防職員と車両 消火器訓練

 ただ茨木市以外の家族連れがどれだけ参加したかというと、はっきり言って少ないと思います。子どものみならず大人だって、動員をかけられた人以外は殆ど参加していません。島本町でも水無瀬駅から現地までのシャトルバスを運行しましたが、残念ながらガラガラの状態であったようです。

 
ペットの避難訓練 車椅子体験

 「備えあれば憂いなし」とは言いますが、今回の訓練に限らずなかなか一朝一夕の「備え」にまで至らないのが現実なのかもしれません。これからは各人が意識を持ち、継続して防災訓練に「参加したい」と決心させる行政側の意識喚起“術”が必要ですね。恥ずかしいことに、私が大震災後枕もとに非常用バッグを置いて就寝していたのはせいぜい半年間でした。そしてバッグ中の非常用物品の入れ替えは11年間で2回おこなったのみです。「これではあかんなー」と反省しきりです。

 


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清掃工場内の整理整頓は見事です

(2006年9月25日 月曜日)

 清掃工場へごみを持ち込みました。文書の類が溜まりに溜まって、1年に2度くらいは直接搬入します。数年前にはいろいろと問題が噴出した清掃工場でしたが、思い出すとやはり仕事の“乱れ”は場内の美化を大いに削いでいたことが、今ようやく分ったような気がします。本日訪れ一見しただけで整理整頓が行き届き、隅々まで清掃がされていることに安心しました。

 9月議会後半には約1億円以上をかける清掃工場補修工事に係る議案が出されます。従って数日の間には、もう一度清掃工場を訪れて職員の説明を受ける必要があります。私的ごみ処理に便乗して、見学とレクチャーの依頼もしておきます。「はい、実は今日の午後からも議員お一人の見学が入っています。ですからいつでもどうぞ来てください」と気持ちのよい承諾の返事を貰いました。

 2日後清掃工場職員から「すみませんが(某政党)の議員お二人と共に案内をさせて貰ってもいいでしょうか?」との連絡を受けました。勿論「いいですよ」と答えましたが、当日職員の熱心な汗にまみれた(清掃工場は焼却熱で大変暑い!)説明から、他議員との合同見学は正解だったと思いました。日常業務のほかに議員の案内が入るのは、職員にとってしんどいことです。従って重複する見学に対して、職員の負担軽減への努力は議員として当たり前のことだと改めて感じました。

 


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取り下げて正解だった一般質問通告の中身

(2006年9月26日 火曜日)

 午前中が締め切りの一般質問通告書を提出するために議会事務局に急ぎます。いつも締め切りギリギリで駆け込むことが多い私ですが、本日はまだ10時前です。しかし既に2名の議員が通告を済ませていました。しかも一議員とは全く重なっている内容の「環境基本計画」に係る質問項目がありました。質問の標題は同じでも質問の方向が異なる場合は、重複しても勿論構わない訳ですが・・・やはり後からやって来た者にそれなりの配慮が必要だと考え、私は思い切って削除することにしました(結果的には求める答弁が得られる進捗状況ではなかったため、私にとっては取り下げてよかったでした)。

 さて幸いまだ締め切りまでは時間があるので、大急ぎで頭の中をフル回転し新しい質問項目「文化財保護条例の制定が必要ではありませんか」を通告しました。ホッとしつつ、つくづく思ったことは“手持ち”の独自課題を持っていることの大切さでした。しかし、ただ漠然と課題を認識しているだけでは、今回のように一般質問の項目を組み立てるには到りません。文化推進委員会・歴史文化資料館懇話会の傍聴を怠らず、その会議内容から得た情報を、ちゃんと実地見分していたからこそ(今回は古民家)緊急の質問の組み立てが可能だったと思います。

 そしてこの質問は、さらに12月議会で一般質問を重ねることによって「(新年度より)文化財保護条例制定に向けて進めていく」との答弁を引き出す成果をもたらしました。う〜ん!偶然か必然か良くわかりませんが、結果は望ましい方向を目指したと言えます。同じ質問でつまらないガチンコ勝負を展開するよりは、「よかった、よかった」。いつでも「行け行け」を押し通すのではなく、時には一歩引く度量も必要と「またひとつ勉強をした」思いの私です。

 


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「資料館の展示は、身の丈にあった島本らしいあり方がいい」

(2006年9月27日 水曜日)

 10時から歴史文化資料館懇話会を傍聴します。あら珍しい、Y議員が初めて傍聴します(よいことです)。本日の主な案件は、11月1日〜15日の間に開かれる特別展のための「あなたのお宝募集」についてです。これは町広報紙を通して、皆さんのお宅に眠っている民具や文化財(価値の有る無しにかかわらず)の提供を呼びかける初めての試みです。

 「器(資料館)は出来たが、中に入れるもの(展示品)がない」というのが私も気ががりでしたが、やっと広く住民に向けて収集への発信を始めたことに安堵しました。しかしどんな物がどの程度集まるのかは全くの未知数です。それでも委員方からは、標題の意見をはじめ次のような温かい発言が続きました。「お宝募集の呼びかけで、住民との関わりが始まることを喜びたい」「展示の内容については、最初は恥をかくかもしれない。しかし先ず動き出して、それから理想に追いついていけばいい」。

 また見る展示品だけでなく、民具を使っての縄なえ体験コーナーの設置も明らかになりました。縄の材料になる藁の提供と指導は即、懇話会会長から協力の申出がありました。なお縄なえ体験は後日の入館者アンケートで、好評を示す感想が多く寄せられていました。

 午後からは清掃工場を見学します。9月後半議会に提案される工事の議案に係り、補修箇所の実地見分を行いました。工場の職員は隅から隅まで大変丁寧に案内してくれました。私は他会派の2議員と共に、機械設備が入り組んでいる広い場内を、あちらこちら上ったり下りたり汗だくで必死に回りました。

清掃工場 集中管理室
 
分別資源ごみ搬出 焼却灰を押し出す装置

 清掃工場は稼動後15年を経ています。そろそろ耐用年数もこようかという年月ですが、現行法のもとでは当町の工場規模では建替えは出来ません。従って町の言い分では、「1年でも延命を図るべく」毎年1億円近い補修工事費が支出されています。指名競争入札を行って入るものの後日の議会では、今回もまたユニチカ環境事業本部(プラントメーカー)がランク下位?の、しかもわずか1社を相手に落札しました。

 また今年度はプラント補修には直接関係のない工場外壁塗り替え工事3千5百万円余もユニチカに発注する計画です。外壁塗装は後年に回すことも可能ですし、分離発注も出来たはずです。いずれにしても「始めにユニチカありき」の感じをいつも抱かざるを得ません。これらの疑問は議場の質疑において、私をはじめ複数の議員が質しています。

 


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「まるで詐欺やんか」と言われても反論でけへんなぁ・・・地域就労支援事業補助金の不正処理

(2006年9月28日 木曜日)

 9月定例会の後半議会を明日に控えた本日、急な議員全員協議会が開かれました。「明日の準備もあるのに」とブツブツ言いながら出席した席で私たちが報告を受けたのは、ビックリ仰天!標題が示す通りの事態でした。内容については、この日記の「9月2日付け(実際の日付は10月3日)分」または日記と同じホームページ上の「なんぶニュース104号・105号」でも紹介していますのでご覧ください。

 まあ、新聞種(9月30日付け各紙に掲載)になるくらいひどい事態ですから、さすがの自民・民主・公明党の各議員からも、いつものように行政を庇う発言は出ませんでした。更に更に、本件はこれで終わりとはいきませんでした。

 多くの議員が求めた「徹底的に調査せよ」の声と後日大阪府の検査も入った結果は商工会に委託したパソコン教室問題にまで及び、またぞろ“芋づる状態”の不適切事務執行を明らかにすることとなりました。ちなみにパソコン教室にかかわる問題とは、商工会の責任ではありません。島本町が受講生のテキスト自費負担を、あたかも町が支出したかのような積算で大阪府に補助を求めていた実態、つまりは町の不正受給が大問題なのです。

 大甘ながらも12月議会において、町長(1ヶ月間給料1割削減)から事業担当職員(同じ)まで処分は受けましたが、これで幕引きとしてはなりません。体裁を変えてはいるものの、実態は“同和行政の温存”になりかねない地域人権協会への地域就労支援事業の委託は考え直さなければなりません。

 また就労支援に当る「協会」所属の相談コーディネーターが、町職員や府教委職員の“天下り的”雇用になってはしないか等々、日常の適正な事務執行と共に根本的な大改革が求められます。町長・助役がこれらのことに手を付けない限り、同じ事態がまた起こりうる可能性は否定できません。

 地域人権協会が行政にとって特別な団体であってはなりません。あくまでも他団体と同様、任意の一補助金団体にすぎません。理事や評議員を役場の課長・部長たちが充て職で務めるのは止めましょう。補助金における決算内容・余剰金のありかたも、この機に住民理解が得られるような厳しい決まりを作るべきです。

 地域人権協会の一住民会員は会費を支払いながらも、協会の総会(わずか18人の評議会が総会)すらない中で「わたしの意見を何処に言えばよいのか」と怒り、今回の不正発覚で「もう会員は止める」と決心したと言われます。広く人権問題を考え、核になるべき地域人権協会の改革もまた求められていることは言うまでもありません。

 


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決算不認定は「川口町政あきません」と突きつけられたこと、町長はこたえているのかな〜ぁ?

(2006年9月29日 金曜日)

 9月議会の後半日程が始まりました。今議会は委員会付託されていた各会計決算の(最終)採決と、清掃工場の補修工事議案および一般質問の議事日程となっています。標題は2005年度一般会計決算が全員否決したことを示しています(C議員は退席し表決に加わりませんでした)。このことは今までに何度か書いてきましたので(一例は9月2日の日記=実際は10月3日付の内容の日記)省略しますが、町議会の長い歴史の中でも特筆すべき大きな出来事です。

 誰一人起立(賛成)しない議場は、私も初めてで本当にショックでした。しかし反面前町長時代のように何があっても、結局は賛成していた与党体制の揺らぎが表面化したと思えば、これでやっと“普通”の判断が出来る議会になったとも言えます。そりゃそうですよね!前日の議員全員協議会では、決算に係る地域就労支援事業の府補助金不正受給の実態が明らかになり、その報告も受けたのですから「不認定」は当たり前の結果でした。

 決算(それも一般会計)の否決は町長を拘束するものではありませんが、非常に恥ずかしいことで重大に捉えてもらわなければなりません。しかし川口町長のキャラでしょうか?議場が休憩になったとたんに、ケロリ(と見えます)として笑顔で声高に話しています。これは議員から見るとイヤ〜な感じがしますし、反省の言葉もうつろに響きます。

 結局2005年度の決算にたいする私の表決は、前述の一般会計及び公共下水道事業特別会計に対して否決、他の会計は賛成しました。また障がいをもつ人への地域生活支援事業利用者負担を決める条例(9月8日・9月14日の日記で書いています)には苦渋の選択で賛成、清掃工場の補修工事は保留(入札指名業者の選出に疑義ありで採決に加わらず)とし、各々勿論討論を行い態度を表明しました。

 後半議会一日目の最後に、明日で退職する日高教育長の挨拶がありました。退職は健康上の理由ですから仕方がありませんが、後任の教育長人事がこれほど長く空白を続けるとは(なんと!年が明けても決まっていません)、この日の私には想像も出来ませんでした。35年間の務めを終える教育長の挨拶は妻への感謝に言及し、人間味に溢れた良い内容でした。「陰日なたに支えてくれました妻に対しまして、お詫びの印に温泉旅行などにも〜」との言葉もあって、私は紋切り型でない日高教育長の最後の発言に大きな拍手を送りました。

 


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第四小学校の運動会見学

(2006年9月30日 土曜日)

 月曜日は本会議の2日目で私も一般質問をしますが、良い天気に誘われて校区内の第四小学校運動会を見に行きました。今年3月まで保育サポーターをしていた子どもの元気に活躍する姿が見られてうれしかったです。彼女の弟が誕生して、お母さんはただ今育児休業中です。従って私のサポートも一旦終了しました。久しぶりに名前を呼ぶと、チラチラと私のほうを気にしながら、知らん振りをしているのがおかしかったです。

 子どもの数より確実に大人の数の方が多くなった小学校の運動会ですが、保護者のみならず地域で子どもたちを見守ってくださっている人々の参加が目に付きました。通学の安全ボランティアさんや民生委員・児童委員さん地域住民委員会の子育てサロンボランティアの皆さんの中に、知ったお顔をたくさん見つけました。子育てをとうに卒業した人たちが、孫の世代と(その親たちを含めて)新しい係わりをドンドン育んでいます。“地域の子育て・子育ち”が復活しつつあるのではないかしら?と大いに希望を抱いた小学校の運動会でした。

 午後はコーナンで花の苗を買って、猫の額の庭に秋植えのガーデニングを楽しみました。何のかのとユルユルした時間を過ごしてしまい、まだ夏の気配が濃厚な秋の日は暮れていきました。明日からは10月です。秋たけなわの季節に入りますが、参加したい行事も目白押しで相変わらずバタバタと忙しい日々になりそうです。

 ふ〜っ!誠に恥ずかしながら、やっとやっと昨年の9月分の日記を脱出しました。

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