* やっと8月分の日記をアップしました。言い訳の種も尽きて、ただただごめんなさい!明日から9月分に取り掛かります。9月は10日まで書いていますので、11日からのスタートとなります。呆れつつでも引き続き、ダメ元でご訪問くださればうれしいです

 


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第三小学校のアスベスト除去工事事前見学

(2006年8月1日 火曜日)

 今日から三小の除去工事が始まります。工事開始に先立って大阪府・アドバイザーの内藤建築事務所・工事請負業者・町の学校教育課職員及び産業建設課アスベスト対策会議担当職員による工事現場の確認が行われました.なお本工事は3つの階段(304平方メートル)のアスベスト除去を約1,950万円で辻本工務店が落札しています(今回応札の業者はすべて町内業者です)。

 アスベストの除去に係っては万全の工事態勢がとられていなければなりません。工事が始まると、作業員以外の立入は不可能になります。従って工事が完全に行われるかどうかは、本日の大阪府による事前チェックと後は除去工事前・工事中・工事後の気中濃度測定によってしか確認する方法はありません。

 私は三小にアスベストの存在が疑われた時と、存在が判明し階段裏をビニールで密封した時も共に訪問し見分しています。従って「本日の見学もお願い」と担当職員に申し出たところ、快く受けてもらえました。

 全員9時30分に集合です。私はヘルメットだけでしたが、みなさん写真のように防塵マスクをつけます。先ず3つ連結したセキュリティボックスを通って階段室に入ります。工事が始まると、ボックス内では作業着の着脱や付着したアスベストの集塵を行います。階段には鉄パイプで足場が組まれており、狭いスペースでの困難な作業が想像されます。

 
アスベスト除去作業着 セキュリティボックス

 工事請負業者の作業員が、実際に除去作業をするときの作業着を着て見せてくれました。作業着はすべて使い捨ての不織布で出来ています。マスク装着のため息苦しく(今は暑さも加わって)1回の作業時間は1時間が限度なので、この作業着を狭いセキュリティボックスで1日5〜6回着脱しなければならないことになります。

  
アスベスト除去足場 アスベスト廃棄袋

 また写真の作業員が持っている黄色い袋は廃棄物を入れるために使用します。アスベストを作業現場の外に出さないため、ほとんど全ての物が廃棄処分されます。廃棄物は大量に出て、尚且つ危険です。最終処分は奈良方面の埋立地に直行で搬送されますが、ちゃんと運ばれるか確認のため学校教育課の職員がすべて同乗するそうです。

 今日私が現場を見たからといって、工事には何の役にも立ちません。しかし今回は初めての町内業者による工事であり、議会が心配も注目もしていることを関係者に少しはわかってもらえたと思うし、私もまたアスベスト除去工事の大変さを肌で感じることが出来たと思っています。

 ちなみに町アスベスト対策会議のアドバイザーである内藤建築事務所は「実績があるところに発注する方がベター。町内業者でアスベスト取り扱い特別教育の講習を修了した作業員を何人も確保できるのかが疑問」と対策会議で発言をしています。

 私は辻本工務店の責任者に聞いてみました。「議会では経験のない所に工事を任せるのは不安との声もありますが・・・」との問いかけに対して「経験はありますよ。今までも下請けで入っているから」と返ってきました。それなら少しは安心してもいいのかもしれませんが、作業経験の実績は指名業者の選考を行う町審査会で把握し、公表が出来るような形にしておくべきでしょうね。

 


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○○課はこんなに傲慢でいいのでしょうか?

(2006年8月2日 水曜日)

 情報公開請求に係り条例に反した事務執行が行われたため、私は是正のための「申し入れ書」を提出していました。通常15日間で回答がくるのですが「待てど暮らせど回答がこない」と過日の日記で書きました。

 ところが偶然かもしれませんが、日記の2日後に回答がきました(今までにも日記に書くと効き目が現れることが度々ありましたが・・・)。なんとこの回答は私が6月13日に申し入れて、41日目にやっと出されました。たった一言「大変遅くなりましたが」と書いてはありますが、それにしても遅すぎる!

 回答の中身はわずか8行のみでごく簡単なものです。私は申し入れ書でもちゃんと書いておいたのですが、回答時には話し合いの場を設けてもらうよう求めていました。ですからたった8行の中身でも面談で説明をしてもらえると期待していたのですが、未だになしのつぶてです。

 催促をしなければ説明に応じないなんて、役場ってそんなにご大層な所ですか?「申し入れ書」の受付事務をしている自治防災課が、わざわざ○○課に対して「回答は15日以内、面談についてもよろしく」と文書で伝えているにも係わらず無視しています。

 さて肝心の回答の内容ですが、気になる表現がありました。「今回の件は自治防災課と当課との意思の疎通が十分でなかったことが原因」との一文です。え〜っ!役場の課同士の内輪もめで条例に抵触するような事務が行われたり、40日間も住民に返事をしなかったりするのですか・・・ええ加減にして欲しいわ!

 これはちょっと承知できません。私は直ちに「回答文が出てきた経緯が判る情報」の請求を行いました。自治防災課は情報提供で応じてくれ、すぐに40日間の経過が入手できました。

 ○○課の次長(正確には部の次長)と課長の文章を読んで、なんと傲慢な意見なのだろうと驚きました。2人とも全く非を認めていません。私のことはケチョンケチョンですし、自治防災課には「回答を作成するのはうちじゃない、そっちだ」と責任転嫁をしています。さらには「自治防災課の職務の怠慢だ」と決め付けてもいます。

 さらにさらに情報公開制度で大迷惑、本来の事務執行にも支障をきたしていると言っています。また本制度があるがゆえに“特定の個人”(私は確実にそうなのでしょうね)に町の予算を多大に支出しており、公平性に著しい問題があるとも述べています。ついには情報公開請求の件数の制限・情報の特定の方法・手数料の徴収等の改革にまで言及しています。

 私は驚きを通り越して寒々しい気持ちになりました。自ら蒔いた種(事務執行の不備)を刈り取ることなく、他課を責めたり制度のせいにしたり、果てには条例に定められた制度を活用した住民(私)をなじったり・・・筋違いの八つ当たりも甚だしいです。こんなんありですか?!誰もいさめる者はいないのですか?

 助役のコメントも「今回の最大の原因は情報検索システムが確立していないことにある」とか何とか、やけに弱々しい理由をつけています。まあ、それもあるかもしれない、しかし“最大の原因”は情報公開条例の理念を理解せず制度運用を誤り、なおかつそれでも「正しい」と強弁している、“この人たち”こそが問題なのです。

 町の重要なプロジェクトに取り組んでいる“この人たち”は、日夜頑張って仕事をしている人たちです。この事業がこけたら、島本町の存在すら危うくなります。それほど大きな仕事への誇りが、今回のような“傲慢さ”となって現れているのだとすれば由々しき事態です。どんなに大きな仕事をしていても、事務の粗さや誤りが許されるわけはありません。

 


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夏バテでしょうか、お腹の調子が悪い

(2006年8月3日 木曜日)

 長雨が止んだと喜んでいたら、そのあとがうだる暑さです。体温を超える温度計が憎らしくなるほどです。我慢できずに長時間かけたクーラーにやられたか、昨日からお腹がご機嫌斜めです。従って“個室”を占拠している時間が長〜いです。

 寝込むほどではありませんから、家から役場へ電話で情報収集です。産業建設課の職員「青葉水無瀬1号幹線の補修工事のこと?担当は休みでわかりませんね」私「はあ、そうですか。あり(がとうというつもり)・・・」でガチャと電話が切れました。電話はお客が切ってから受話器を置くものですよ。

 また同課の所管事項で法定外公共物(水路や里道)に関する問題が大阪水上隣保館内で明らかになりつつありますが(6月18日の日記参照)、予め隣保館から情報を得ていたから切り返せたものの、私の電話問い合わせについて不誠実な答えを返しました。

 つまり、当法定外公共物に関係する島本町・大山崎町・隣保館の3者は協議をしていたにも係わらず、そのことを町の担当者自らは一切口に出す姿勢はありませんでした。しびれをきらせた私が「○月○月話し合いをしましたね」と問うまで黙っていたのです。

 こんなことはこの課に限らずよくあることで腹を立てていたら身が持ちませんが、問い合せをした側にとっては決して良い気持ちではありません。情報は可能な限りオープンにして、時には議会の知恵も借りてはどうでしょうか?今回の場合は既に隣保館の方が協議をしていることを明らかにしているくらいですから、私に話しても何も問題はないはずです。

 


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町が売りに出している高槻の物件を見に行きました

(2006年8月4日 金曜日)

 当物件については7月15日の日記で書いています。寄付を受けた土地約150平方メートルと家屋約99平方メートルを一般競争入札により売却するための事務手続きが進んでいます。入札申込書配布期限の7月28日までに、役場ヘ受取りにきた件数は5件です。「少ないかなぁー」と思いますが、ホームページからのダウンロードも可能ですから総数はわかりません。

 日記でも主張していますが土地等の売買に関しては、とかく“良くない噂”が飛びがちです。「痛くもない腹を探られることのないよう」町は公正透明な売却に徹するべしと、私は言い続けています。しかし私自身当物件も確認しないで「ちゃんとせなあかんよ」と言うばかりでは、いささか恥ずかしいなとの思いもありました。

 そこで先の日曜日、現地見分に出かけたのですが「高槻市昭和台町二丁目294番1」は地番だと気付いたのが遅かった!地番は住居表示されていません。静かな住宅街の中、汗をかきかきウロウロしたけれど「二丁目」も結構広いです。住所を聞くにも役場は休みでお手上げ、ドジな私は出直すしか仕方がありませんでした。

 役場の担当職員には住所を確認したついでに「住所も併記をしておくべきでは」とアドバイスをしておきました。そして本日2度目の見分に行きました。場所は阪急総持寺駅から私の足で5〜6分です。玄関先の庭には雑草が生い茂っていましたが、なかなか立派な物件です。8月25日が入札参加申込締め切り、9月4日には入札参加者に対する現地説明会、14日には入札が行われます。ご寄付を下さった方の遺志にそう売却の成果が上がればと願っています。

 


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夏は、なんたってお祭りだ!打ち水作戦もドッキング!

(2006年8月5日 土曜日)

 ひぃ〜っ!なんて暑いんでしょう。枚方市で38.2度を記録したこの日、島本町では35.4度が最高気温でした(ちなみに町内の今夏最高気温は、8月15日午後2時の37.3度)。枚方に比べれば「我慢がまん」なのかもしれませんが、それでも暑い!

 この暑さの中、水無瀬駅前山側広場では「北大阪打ち水大作戦」イベントの準備が行われています。午後3時から(まだ一番暑い時刻)島本竹工房さんの協力で、打ち水に使う竹のひしゃく作りが始まりました。ひしゃくだけでなく竹の風鈴もキットが用意されていて、組み方を教えてくださいます。大勢の子どもたちが竹のクラフトに挑戦していました。

 我家は子どもではないのですが、帰省していた長男が「おもしろいやん」と夫を誘って、それぞれがひしゃくと風鈴を作りました。ひしゃくは少々重いですが、青竹の風情があります。庭の小さな手水鉢に添えて、まさしく打ち水に活用しています。竹風鈴もベランダの軒先で鳴っています。鉄やガラスの風鈴とはまた一味違ったカランコロ・カラと優しげな音色は、ゆったりとした気分にしてくれます。

 まだまだ陽射しがきつい5時から、いよいよ「打ち水作戦」開始です。お祭りとジョイントしたからでしょうか、浴衣姿の少女たちは華やかで幼児も微笑ましく、“作戦”を盛り立ててくれました。

 昔は行水の残り湯等を撒いて、当たり前に行われていた打ち水でした。子どものころクーラーもなくテレビもない夏の夜は、打ち水をした家々の前に床机を出して花火をしたり、怖〜いお化けの話をしてもらったりしました。時々カキ氷やスイカが出てくると、それはもううれしいものでした。知らず知らずのうちに、毎夜家族ぐるみのご近所付き合いが展開されていたのですね。50年以上も前の懐かしい思い出です。

 

 大成功の「打ち水大作戦」の後は、島本夏祭りです。年々お祭りの人出が多くなっているように思いますがどうでしょうか?個人の価値観の多様化や若者の無関心さが進行している中、なぜお祭りに人が集まるのか不思議な気もします。

 「不思議?」と思いながら私もぐるっと会場を一周します。第一中学校PTAのカキ氷屋さんは機械が動かないとガッカリしています。川口町長は打ち水のウチワを使いながら各模擬店を激励です(昨年は町長に成り立て4ヶ月で、まだ借りてきた猫のような感じもしていましたが・・・すみません)。町の職員も金魚すくいならぬスーパーボールすくいで、群がる子ども相手に頑張っています。

 私はかつて勤務していたグループホームのお年寄の皆さんに出会えて、とても懐かしかったです。自力歩行だった方が車椅子を使用されていたり、認知症が随分進行している方もいたりして胸が詰まりましたが、それでもこうしてお祭り見物に出てこられるのですからうれしいことです。介助には同期のヘルパーさんもいて話が弾みました。お祭りの魅力の一つは懐かしい顔に出会えること・・・これですね。間違いなくこれが“お祭りの不思議”の答えでしょう。

   

 


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“ヒロシマの日”爆心地で祈る

(2006年8月6日 日曜日)

 お昼過ぎにJR高槻駅前で辻元清美衆議院議員の“平和街宣”を聴いた後、そのまま広島へ直行しました。高槻駅の改札口から2時間弱で到着です。早い!と思うと同時にJRの駅が存在することに拠って、目的地へのアクセスがいとも気軽にできることも体感しました。

   
原爆の子の像

 2008年春にJR新駅が開業すると、ヒョイと電車に飛び乗って全国津々浦々へ出かける人が増えそうな気がします(私もその一人かも)。実際の時間や距離は変わらなくても、心理的には随分近くに感じるものだと思いました。我家の玄関から「北海道も九州も見える」というと大げさですが(実際は飛行機利用でしょうね)、今回の広島行きにはそんなことも感じました。

 6年ぶりの広島です。前回は早朝に出かけ、カンカン照りのもと平和祈念式典に参加しました。当時新装なった原爆資料館も長蛇の列で、見学には苦労したことを思い出します。今回は元安川で精霊流しをしたいと、これもまた長い列に並びました。結局は日没後まで滞在できなくて、ろうそくの灯にゆらめきながら海に散っていく私の行灯を追うことは出来ませんでした。

 元安川の両岸には市民と日本・世界の各地から集まった人々がぎっしりと詰めかけ、親水護岸は再び夜の祈りの時を待っていました。きっと私の行灯も多くの人びとの精霊流しに混じって、鎮魂の役目を果してくれたことと思います。

 夕暮れが迫る平和公園の中ではあちこちに人の輪が出来ていました。日中とはまた趣が異なる静かな語りや祈りの姿が印象的でした。コンサートや紙芝居を通して被爆された語り部の、或いは高齢の被爆者たちの意思を継いだ若者の集いが開かれていました。

   
韓国人原爆犠牲者慰霊碑

 ただひとつ残念だったのは、10年前に世界遺産と認められた原爆ドームを見下ろす形でマンションが建設されていたことです。ドームの東南約100m先、遺産のバッファーゾーン(緩衝地帯)に建つ14階建ての高層建築物です。原爆ドームは国立オヒシフィエンチム博物館(アウシュビッツ強制連行収容所)とともに世界でただ2ヶ所、戦争関連施設として世界遺産に登録されています。ドームは世界初の核兵器が投下された“歴史の証人”として存在しています。ドームは原子爆弾で奪われた14万人の命と、その後永きにわたり後遺症に苦しんでいる人々の“苦悶の証人”でもあります。

原爆ドーム後方が建設中のマンション

 私は核兵器廃絶のシンボルが、行政の弱腰や不動産業者の金儲け主義に敗れた現実を目の当たりにして愕然としました。今後は同様の愚を繰り返すことのないよう、広島市は早急なる高さ規制を設けるべきでしょう。かつてドイツのケルン大聖堂が周辺の高層ビル計画によって、世界遺産抹消の前提となる「危機遺産」に陥ったことがあります。その後計画は再検討され大聖堂の世界遺産復活がなったといわれています。

 「世界遺産がなんぼのもん」と言われればそうかもしれません。しかし1996年アメリカの反対と中国の採決不参加によって揺らぎはしましたが、残る全19カ国の賛同を得た“世界の証人”が原爆ドームなのです。被爆者が命に代えて世界の人々に送っているメッセージが原爆ドームなのだと思いを馳せれば、やはり遮るもののない大空がその背景にはふさわしいと思わずにはいられません。

 


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文化推進委員会傍聴・・・「あなたのお宝登録してください」

(2006年8月7日 月曜日)

 9時半からの教育委員会議には遅れそうなので、10時からの文化推進委員会を傍聴することにします。何で同じ時間帯で教育委員会関係の会議を行うのか不思議です。委員会事務局のトップである教育次長は当然教育委員会議に出席します。しかし、まだ“新米”なのですから文化推進委員会も場を重ねることが大事です。多分教育次長は真面目で熱心な人ですから、残念に思っていたに違いありません。

 私は以前から言っているのですが、文化推進委員会も歴史文化資料館懇話会も“味”のある会議だと思っています。もちろん議決を要するような会議ではありませんし、委員さんの話も正直言って“脱線”が多いです。しかし、歴史や文化の話を紐解くと言うことはもともと非効率的なものだと思いながら拝聴していると、なかなか面白いのです。

 傍聴は私一人でしたが、本日の会議も興味深く聴かせてもらいました。椎尾神社の総代であるHさんは「山崎の公民館で小さい仏さんが見つかってますねん。聖武天皇が西観音寺に納めた仏さんらしいけど、教育委員会の受け入れ態勢が乏しおまっしゃろ、そのままになってますけど、こうやって現にモノは出てきてまっせ」と発言しました。資料館の館長は慌てて「“お宝”に登録してもらいます」と答えていました。

 “お宝”登録とは家に眠っていて、それなりの年月を経ていると思われる「物」を歴史文化資料館に登録してもらう試みです。貴重なものかどうかは、持ち主が「大事なもの」と思えば“お宝”だということです。「お宅へ取りに伺いますし鑑定の紹介もしますので、どうぞ登録に応募してください」と10月15日号広報で募集をするとの紹介がありました。

 まあマンション暮しの私には縁のない話しですが、教育委員会もやっと重い腰を上げたかとホッとしました。これも文化推進委員会や歴史文化資料館懇話会の皆さんの“お尻たたき”があったればこそと、ずっと傍聴を続けてきた私には判ります。

 また東大寺地区の委員からは「築170年くらいの民家が長年無人で傷みが激しい。瓦には130年前の銘がうたれている物もある。持ち主は再建の意思はないが、このまま朽ちるのは惜しい気がする」との意見も出ました。こんな例は今までにもたくさんあったのだろうと思われます。島本の古い民家は西国街道沿いでも、もう殆ど見られなくなりました。東大寺の民家についての見解は教育委員会から返ってきませんでしたが、また担当者に訊いておきましょう。

 最後に「歴史文化資料館」の名称に対して「新しい文化の香りがするネーミングの公募はどうか」、さらに「単に古い物が置いてある館として存在するのではなく、新しい試みを“発信”していく館であって欲しい」との意見も出ました。付け加えて「山形県の駅では季節の“いも煮”会を催して、地産地消の伝統食を振舞う試みもあると聞く。新駅や資料館付近で島本独自の試みができれば、元気な情報の発信が可能だと思う」と発言されました。

 う〜ん、食べ物を媒体にした発信はいい!効果的です。大賛成!と、私の頭の中には早くも四季折々の“島本メニュー”が浮かんでくるのでした。

 
伏見・山崎道の道標 右は柳谷観音への道標(1871年)
(1867年建立) 左は水無瀬神宮の道標(1939年)
 
当日の文化推進委員会で箕面市郷土資料館の「西国街道の道標展」の案内がありました。当町では写真の3道標が拓本で展示されています。道標展は11月26日まで開催されています。

 


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府営水増量に気付いた人はいたのかしら?

(2006年8月8日 火曜日)

 私が住んでいるメゾン水無瀬の敷地内にある町水道施設「溝田曝気塔」で原水循環ポンプが故障しました。このポンプから、3箇所の水源で汲み上げた曝気後の地下水を大藪浄水場へ送っています。

 8月4日の午後10時前に発生したポンプ停止は7日昼前まで続きました。この間汲み上げる地下水が不足するため、いつもより府営水を多く送ってもらっています。府営水は毎日約千トン、10%にあたる量が自己水の地下水に混ぜられて配水されていますが、5日〜7日の間はその割合が17〜24%に跳ね上がりました。

 今回議会には早い報告がありました。報告文書に「住民からの苦情は特になし」と記されていたのでホッとしましたが、一方府営水が4分の1混合されても気付かないんだなぁと、自分自身も含めてちょっとガッカリしました。なお府営水の増量分は年間契約料の中で調整されるそうです。ちなみに2005年度の府営水受水費は3千150万円です(10年間で3億円余り・・・大きい金額です)。

 多くの住民の反対があったにも係わらず、府営水が導入されて8年になります。私は今でも地下水100%の水道水を復活して欲しいと思っています。しかし今回のような突発事態に際して、たった5分で(前段の連絡を含めても40分間で)府営水が2.5倍増量して送水されてくると「緊急対応」の点から言えば、正直地下水復活派としては苦しい立場です。

 水道部に訊いてみました。「溝田のポンプ故障による(各家庭への)配水量不足に対し、府営水増量により迅速な対応をとったことは一つの選択肢だと思う。しかし、先ずは他の井戸の汲み上げ量を増やしてカバーしょうとするのが筋ではないか。揚水量限界まで汲み上げている井戸が多いことも、短時間で各井戸の揚水量を変更することが困難なことも推察できるが、実際どのような検討を行ったのかが知りたい。そうでなければ、安易な“府営水頼み”が今後行われていく可能性もある」との問いに対して、答えは「既存の井戸での対応は無理と判断した」としか返ってきませんでした。

 いずれにせよ水道に係る事故対応は待ったなしです。今回も8月4日の夜10時から翌5日(は土曜日でしたが)の正午まで、担当職員は14時間の仕事が続きました。週があけて月曜日のポンプの取替えが終了した午後1時でやっと平常に戻り、職員もやれやれの感があったのではないかと思います。仕事とはいえ「ご苦労様でした」と伝えたいです。月曜日の朝は水道部長も現地に来て、ポンプ取り替えの際メゾン内道路に噴出した泥水を洗浄する作業に携わっていました。

溝田曝気塔

 


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農業委員会開催を知らずに、大山崎山荘美術館へ

(2006年8月9日 水曜日)

 昨日は午後から農業委員会が開かれていたのを知らないで、久しぶりの山荘美術館でのんびりと時を過ごしておりました。知っていたらもちろん委員会の傍聴をしていました。農業委員には議会選出の委員も2名いますので、議会からの傍聴は大事な役目だと私は思っています。

 通常委員会等の開催は町のホームページと庁舎内の文化情報コーナーに掲示されます。農業委員会日程のお知らせが「あったか」「なかったか」だけでいうと、確かに今回も2つの方法でお知らせはありました。ありましたが、わずか半日間のお知らせでした。

 農業委員会を所管する産業建設課は8月8日の開催通知を7日の午後、つまり半日前になって広報担当者に持参しています。会議に出席する委員方には、通常10日から1週間前に案内を送ります。その後直ちに住民へのお知らせを、ホームページと広報ボードで行うことになっているはずです。ちなみに今回は7月26日に農業委員各位に案内文書を送付しています。

 わずか半日の間、委員会の開催チェックを怠った私が怠惰であったのでしょうか?そうではないと思います。また例え事後でも役場でウロチョロしている私だから、農業委員会が開催されたことが判ったわけです。住民のみなさんに対しては、今回の情報提供のあり方では全く知らせなかったも同然です。

 今日産業建設課の職員は「失念していました」と詫びましたが、こんなこと1度や2度ではありません(だから私は怒っています)。「会議の日程を何でわざわざ知らせないとあかんのか」との意識が少しでもある限り、このような失敗は繰り返します。「住民への情報提供は何のために行うのか」を、今一度しっかりと勉強し直してもらいたいと思います。

 さて大山崎山荘美術館では「舩木倭帆 ガラスの器展」が開かれています。舩木さんの器からは、吹きガラスのぬくもりが伝わってきます。舩木さんは、私たちがよく使う生活の器を作り続けていることを誇りにしています。私は町内の「花染」さん(5月6日の日記で触れています)で舩木さんの作品に出会い、少しずつ求めたグラス類を日常使いで楽しんでいます。我家の食器棚にあるのと同じ器が、美術館のケースの中すまし顔で輝いているのを見て、なんだかとてもうれしかったです。

 
大山崎山荘美術館 テラスと睡蓮池
 
踊場のステンドグラス 作品によるテーブルセッティング

 


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またぞろ合併のお勧めですか・・・大きなお世話って感じです

(2006年8月10日 木曜日)

 朝一番の9時から次期議会の議案説明を会派で受けます。9月議会は盛りだくさんの案件ですが、私たちの次の予定が迫っているため、駆け足の1時間半で終わってもらいました。今日の説明には全部長と、必要に応じて次長・課長・係長が出席した部局もありました。実務を担っている職員が出てくるのは大いに歓迎、良いことだと思います。

 案件については8月23日の議会運営委員会で本決まりとなります(議運での議事日程は次の通りです。個々の議案についてはピックアップしながら、またボチボチとお知らせをしていきたいと思います)。

平成18年第5回島本町議会定例会議事日程
議事日程第1号
平成18年9月5日(火)午前10時開議
日程第1 会議録署名議員の指名
日程第2 会期の決定
日程第3 諸般の報告
日程第4 第52号議案 公平委員会委員の選任につき同意を求めることについて
日程第5 第53号議案 町道路線の認定について
日程第6 第54号議案 島本町障害者自立支援法に基づく地域生活支援事業利用者負担等に関する条例の制定について
日程第7 第55号議案 職員の分限に関する手続及び効果に関する条例の一部改正について
日程第8 第56号議案 島本町議会の議員その他非常勤の職員の公務災害補償等に関する条例の一部改正について
日程第9 第57号議案 島本町ひとり親家庭の医療費の助成に関する条例等の一部改正について
日程第10 第58号議案 島本町知的障害者通所授産施設設置条例の一部改正について
日程第11 第59号議案 島本町消防本部の設置等に関する条例等の一部改正について
日程第12 第60号議案 一般職の職員の給与に関する条例の一部改正について
第61号議案 島本町立幼稚園設置条例の一部改正について
第62号議案 島本町国民健康保険条例の一部改正について
第63号議案 平成18年度島本町一般会計補正予算(第2号)
第64号議案 平成18年度島本町国民健康保険事業特別会計補正予算(第2号)
第65号議案 平成18年度島本町老人保健特別会計補正予算(第1号)
第66号議案 平成18年度島本町介護保険事業特別会計補正予算(第2号)
第67号議案 平成18年度島本町公共下水道事業特別会計補正予算(第2号)
第68号議案 平成18年度島本町水道事業会計補正予算(第1号)
日程第13 第1号認定 平成17年度島本町一般会計歳入歳出決算
第2号認定 平成17年度島本町土地取得事業特別会計歳入歳出決算
第3号認定 平成17年度島本町国民健康保険事業特別会計歳入歳出決算
第4号認定 平成17年度島本町老人保健特別会計歳入歳出決算
第5号認定 平成17年度島本町介護保険事業特別会計歳入歳出決算
第6号認定 平成17年度島本町交通傷害補償特別会計歳入歳出決算
第7号認定 平成17年度島本町大沢地区特設水道施設事業特別会計歳入歳出決算
第8号認定 平成17年度島本町公共下水道事業特別会計歳入歳出決算
第9号認定 平成17年度島本町大字山崎財産区特別会計歳入歳出決算
第10号認定 平成17年度島本町大字広瀬財産区特別会計歳入歳出決算
第11号認定 平成17年度島本町大字桜井財産区特別会計歳入歳出決算
第12号認定 平成17年度島本町大字東大寺財産区特別会計歳入歳出決算
第13号認定 平成17年度島本町大字大沢財産区特別会計歳入歳出決算
第14号認定 平成17年度島本町水道事業会計決算

 10時半ギリギリに終わって、大急ぎで町村議員セミナー会場へ向う町のバスに飛び乗ります。大阪府内9町1村の議員が年に一度集まって“勉強”するセミナーですが、わずか1時間半程度講師の話を聞くといった程度のもので、効果のほどはいつも疑問に思っています。

 しかし今回は「市町村合併」の話で、しかも偉い学者さんが隔靴掻痒の話をするのではなく、大阪府の市町村課長が講師なので“生”の合併情報を期待しつつ参加しました。

 今回の合併新法(2005年4月1日から2010年3月31日迄の時限立法)では都道府県に“強権”が託されているので(合併協議会の設置を勧告できます)府の動向には要注意です。講師の中野課長は46歳、京大法学部を卒業後大阪府に勤務。“霞ヶ関”に出向した後、忠岡町助役も務めているなかなか優れ者の職員と見受けました。

 3年前の夏は島本町にも“平成の大合併“の推進波が押し寄せ、高槻市に吸収合併との話が起こりました。住民発議の合併協議会発足には到らずホッとしたと同時に、多くの住民の意思が時の町長(前町長)に「島本町は単独で行く」と決断をさせ、合併は見送られました。

 現川口町長もまた、今年度の施政方針において「小さな自治体の良さを生かし、住民自治に根ざしたまちづくりをめざして〜」と述べ合併の意思はないことを表しています。

 さて昨年の3月31日をもって終結した合併特例法ですが、結果は全国3,232の市町村が1,820になる大幅な減少をしました。ただ府内では堺市と美原町が合併したにとどまり、大阪府は国から渋い顔をされているのかもしれません。府の実績作りに踊らされてはなりません。合併論議はタブーではありませんが「前アカンかったから今度は」と言う流れには要注意です。

 本日供された資料の中には大阪府市町村合併推進審議会が出した「自主的な市町村の合併の推進に関する構想」(中間まとめ)がありました。中身はこれからしっかりと読んで行かなければならないと思っていますが、「将来見通しの厳しさ」については審議会として共通認識をもっていることが書かれています。

 しかし少子・高齢化、人口減、財政不安等々を挙げて再び合併へのレールを敷く“脅し”には直ちに屈することは出来ません。これら当然島本町も抱える不安要因をどう減少させ、どう克服していくか・・・。町行政・議会が、そして住民の皆さんも本気でこれらの課題に向き合い、一緒に問題解決への努力に挑戦していきましょう。

 


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地域包括支援センターは上手く歩み出しているかしら?

(2006年8月11日 金曜日)

 2時から4時過ぎまで地域包括支援センター運営協議会と地域密着型支援運営協議会の会議を傍聴しました。どちらも長い名前です。こんなの一度で憶えられないですね。保険や福祉に係る事業の名前は皆似たり寄ったりで、オマケに制度が変わるたびに次々新しく出てくるので混乱してしまいます(センターにも愛称があれば良いのにと思いませんか?)。

 地域包括支援センターは介護保険制度の改正によって、今年の4月からふれあいセンター2階に開設されました。町は頑張って直営で運営しています。介護保険制度の利用がどんどん膨らみ、パンクしそうな状況をくい止めなければならなくなったのが本音だと思いますが、そこで新しく作られたのが地域包括支援センターです。

 センターでは介護度が上がらないよう“新予防給付”や“地域支援事業”の支援を行います。“給付”や“地域支援”なんて言うのも、また馴染みがない言葉ですみません。介護認定で「要支援1」または「2」の人は、一度ぜひセンターを訪れてみてください。「介護予防プラン」を作ってもらえます。

 また介護認定外の高齢者でも、家族の人でも様々な相談にのってもらえます(総合相談支援・権利擁護=成年後見制度や虐待等への対応)。さらには地域に出向いて「いきいき百歳体操」にも係っています。とにかく高齢のみなさんの福祉や医療や介護についてぜ〜んぶ支えましょう、手伝いましょうというのが地域包括支援センターです。

 と、センターのチラシは宣伝しています。意気盛んにスタートして4ヶ月、実績はどうかな?運営はうまくいっているのかしら?に応えて本日の会議がもたれました。「相談・訪問」件数は延200件、「ケアマネジメント支援」は延14件(いずれも4月〜6月分)です。また「介護予防ケアプラン」作成は51件(〜7月分)となっています。報告の後「いきいき百歳体操」のビデオも紹介されました。

 運営協議会の委員は医師会・関係事業所・保健所・住民の団体等から出ています。なおセンターの職員は、専門職の保健師(町職員)と法人からの派遣職員の主任ケアマネジャーと社会福祉士が各1名ずつ、及び事務補助の臨時職員1名の計4名でしたが、ケアプラン作成増のために新たに2名臨時職員がケアマネジャーとして加わり、現在は6名の職員体制となりました。ちなみに2006年度の予算は2千6百53万8千円です(うち約半額弱が、職員1名の給与を含んで一般会計から繰り入れられています)。

 4時過ぎに傍聴が終わって、その足で「やまぶき園」の納涼会に参加しました。30代が殆どの園利用者は、小学校の子どものころから知っている人が多く懐かしかったです。職員や保護者の皆さんが、頑張って用意された模擬店の品々はどれもおいしく、たくさん頂いてしまいました。

 

 


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朽ちるのをただ見ているだけ?歴史を重ねてきたわが町の民家

(2006年8月12日 土曜日)

 私たち家族が島本町に越してきて、もう32年になります。子どもが小さい間は尺代・大沢へよくハイキングに行きました。次男が幼稚園に行く頃には若山神社から天王山に入り、少し足を伸ばして長岡京市の小倉神社に出てから、西国街道を島本まで歩いて帰ってくるコースがお決まりでした。

 私のお気に入りは神社に到るまでの竹林で、空気まで青く染めているような竹の清々しさをいつも胸いっぱい吸い込みました。小倉神社を過ぎると田んぼのあぜ道に立つ大きな柿の木に出会います。秋には農作業をしている人に声をかけると、快く「何ぼでももっていき」とたくさんの柿を頂いていました。そして空になったお弁当の代わりに、リュックにはずっしり柿を詰めて西国街道を戻りました。

 ちょっと昔を懐かしんでしまいましたが、お伝えしたいのはその頃はまだ街道沿いに昔の民家がチラホラではありましたが残っていたことです。中でも立派なI医院の門構えと門前の水路に咲く菖蒲の花は、絵葉書に切り取りたい風情がありました。西国街道は自動車に気をつけながらも、昔の島本町を偲ばせる楽しみがある“道”でした。

 また大山崎との境に建つM邸は連歌師の山崎宗鑑が滞在した旧家です。「宗鑑井戸」が土間にあって、長男が小学校の自由研究で「西国街道」をテーマにした時には、親子で見学に伺ったことがあります。余談ですが十数年を経て私が議員になった折、大先輩議員として在任していたのが井戸を見せてくださったM議員でした。

 8月7日の日記では、文化推進委員会で出された東大寺地区の古い民家のことに少し触れています。教育委員会が現地見分に訪れるのは、他市に居住する所有者が来町される1ヶ月先になるとのことです。「このまま朽ちるのはもったいない」と心配した推進委員さんが紹介された事例なので、私も外観だけでもと見に行ってきました。

 場所は西国街道ではありませんが、東大寺公会堂の府道柳谷島本線から少し奥まった所です。写真では判りづらいかもしれませんが、築170年の旧家は雑草の中、堂々の面影を今に残していました。教育委員会では家の中の“お宝”も期待しているようですが、どうでしょうか?

 今年4月に町の「文化推進計画」が作成されましたが、計画の骨組み止まりで文化財の保護、ましてや家屋の保存に係る有効な手段が肉付けされているものではありません。「文化財保護条例がありませんのでねぇー」と担当職員は嘆いていましたが、頑張って条例を作るのはあなた方なのですよと私は思いました。「人も金」もないのでと言っている間にも、消えていくわが町の“お宝”を思うと気が焦ります・・・。

 


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JR新駅西側道路用地の買収はどうなっているのでしょうか

(2006年8月13日 日曜日)

 9月議会の議案に「町道路線の認定について」が上がります。JRの軌道西側、桜井踏み切りから青葉のマンボまで450mを町道「桜井50号線」に認定するという議案です。ここは現在農道ですが、幅4mの町道に拡幅して新駅西口へのアクセス道路とする計画があります。

 しかし計画はなかなか進みません。用地買収が難航しているからです。新駅の開業が当初の計画より1年遅れのH20年春(以降になるかも)に変更されたのは、当土地の任意買収が進まないことが大きな原因となっています。ついには「最終的には土地収用法の適用をも視野に入れて」と町が意思表示をしたことからも、この道路の計画着手はJR新駅事業の大きな課題でした。

   
拡幅予定の西側アクセス道路(現農道) 軌道擁壁(青葉ハイツ側) 工事の遅れで雑草がはびこる駅前東側広場

 今回の議案により用地買収がどのような形で行われるのか、つまり土地収用法の強権発動をすることなく平和裏に解決が出来るのか、この点が明らかになると私は期待していました。ところが町は、道路法第8条第2項(町長が町道を認定するには議会の議決が必要)に基づく認定のみなのだからと用地買収の状況については明言を避けました。

 では何故肝心な点を明らかにしないで町道認定の議案を出してきたかと言うと、公共事業による土地売却収入に対しては税控除が受けられるからです。すでに売却に応じている地権者は最高5千万円を限度としての特別控除が受けられますが、そのためには町道の認定がされていることが要件になるというわけです。

 (9月5日の本会議で私はこの議案には反対しました。駅西口へのアクセス道路は必要だと思っていますが、町が用地買収の状況を議会にちゃんと説明していないことは大いに問題であると考えています。また町道の路線認定をするための「決まり」、つまり町の規定・要綱・基準等がないことも良くないと思いました)

 


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初めてマジマジと見つめた稲の花

(2006年8月14日 月曜日)

 この日記を打っている今日は9月15日です(超リアルタイムじゃなくてごめんなさい!)。やっと涼しくなりました。体温を超えた今夏の暑さもいつの間にかサ〜ッと引いて、涼やかな風が田んぼの稲穂を揺らしています。

 6月に三小・四小の学習田での田植えウオッチングをしたからか、私はその後も田んぼの側を通ると稲の様子が気にかかります。田植えの際「お米の花はどんな花?」と質問した子どもがいました。答えた大阪府の職員は「稲の花はお盆くらいから8月の終わりぐらいまでに咲きます。朝日がさして2時間くらいでしぼんじゃうけど、どんな花かは自分で確かめてください」と答えていました。

 花が咲くから実を結び、お米が出来るということは解っていますが、稲の花は(恥ずかしながら)知らなかったです。意識してちゃんと見たことがなかったのです。「確かめて」と言われた言葉が忘れられなくて、お盆を待っていました。ここ数日間、夫は長男と短い海外旅行に出かけているので朝ごはんは後回しして“稲の花”観察に出かけます。三小の学習田ではまだ花は咲いていませんでした。では三小より10日早く田植えをした四小の田んぼはどうかしら?と桜井から高浜へ回ります。

 咲いていました!穂先に白い花がポチポチと連なっています。ホントに可憐で素朴「これって花?」って思うくらい目立たない存在です。この年になっても“確かめられた”ことのうれしさは変わらなくて「まるで子どもだよね」と心の中で苦笑しながらも、私は大満足でした。また早起きのご褒美は、ご近所農家の無人朝市“採れ採れ野菜”が手に入ったオマケもつきました。

 ここで遅まきながらの訂正とお詫びを・・・7月16日の日記に書きましたが、6月16日に行った田植え時に四小の子どもたちの質問に対する大阪府職員の答えを一部間違ってお伝えしていました(後日府の「北部農と緑の総合事務所」に確かめました)。

* 「お米は何粒くらいできるの?」の答えは「1粒のモミから千粒の米ができる」でした。

* 「大阪で一番多い米の品種は?」の答えは「ヒノヒカリ」(「コシヒカリ」の血を引いている品種)です。この他には「祭り晴」「キヌヒカリ」「日本晴」があるそうです。

 


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母を想って、のんびり一人の誕生日

(2006年8月15日 火曜日)

 62年前、戦争が終わる1年前の夏はどんな暑さだったのかしら?といつもこの日がくると思います。自分が誕生したことの実感は、当然赤ん坊の私がもてるはずがありません。しかし出産の記憶は30数年前のことであっても、2人の我が子の出産を経て十分に心に止めている記憶です。至れり尽せりの我がまま出産でも大変だった、その後の子育てはもっと大変だった(特に長男は生まれたものの、生きるか死ぬかの1ヶ月間を病院で過ごしていましたから)と昨日のことのように思い出します。

 我が身を振り返っても思わず深い溜息が出そうな思いに囚われますが、私を産む母の苦労はその比ではなかっただろうと思います。父は戦地に赴き不在のなか、いよいよ空襲が激しくなってきた敗戦1年前の1944年、当時の母は私の姉・兄を連れお腹の私を庇いながら逃げ惑い、毎日満足な食事も睡眠も摂れずにいたと思います。

 このような状況下で、しかも暑い最中の出産がどんなに大変だったかと・・・私はこんな状況下で産んでもらった、「ありがとう」としみじみと母に感謝の想いが募ります。母が逝って20年にもなりますが、いつの頃からか私の誕生日は母に想いを馳せながら平和を願う日となっています。

 夫も長男も旅行で留守、次男は遠い勤務地でお盆休みもない仕事に就いています。早朝出勤前の次男が「誕生日おめでとう」と電話をくれてうれしく思いましたが、暫くしてテレビが伝える小泉首相の靖国神社参拝のニュースにがっかりしました。「靖国参拝は心の問題、外からとやかく言われることはない」と言うのなら、首相をもうすぐ止めるのだから「とやかく言われない」私人に戻ってから好きにすればいいと思います(しかしこれでは靖国問題の根本的な解決には到っていませんが)。私は怒りが引き起こす余計の暑さと、この国に漂う圧迫感を感じながら一人テレビに向って愚痴っておりました。

 しかし、この日うれしいこともありましたよ!友人のAさんが、メッセージを添えたバースディケーキを届けてくれました。ろうそくを立てて「フ〜ッ」とはしませんでしたが、やっぱりいくつになってもお祝いのケーキはうれしい!元気をもらったので、午後からは役場へ出かけました。夏期休暇をお盆休みにあてた職員が多いので、空席が目立つ庁舎内です。

 職員に問い合わせたのは「○○小学校学童保育室での指導員と児童の間でギクシャク感が生じている」と報告されている文書の中身の確認でした。担当は「改善の方向で進んでいる」と説明しましたので、深くは追求せず引き上げます。でも頭の引き出しにはしっかりとしまっておくことにしました。引き出しの中身は、いつか思いがけず役立つことがありますから。

 


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環境基本計画に4千7百万円は高すぎる!島本らしい手づくりの計画をめざしては?

(2006年8月16日 水曜日)

 情報公開請求をしていた9月議会の補正予算要求書を入手しました。この中で実際には予算に計上されなかったのが、環境基本計画策定業務委託費です。3年間の債務負担行為を設け、先ずは9月補正で初年度の1千5百75万円を要求しています。予算要求書には1社だけですがAセンターの見積書がつけられ、4千7百万円の積算も示されています。しかし当予算要求は退けられ、結局日の目を見ませんでした。

 私は今回はこれで“正解”だと思います。金額が大きすぎると言うこともありますが、残念ながらまだ計画に着手する体制が整っていないと思うからです。自治体の環境基本計画は13年前に制定された国の環境基本法のもと各地で策定されてきていますが、役所がコンサルタント会社に委託した成果品を、ホイと住民に与える計画であってはなりません。

 基本法自らが「市民・事業者・行政の各主体が環境保全に対して担うべき役割及び行動を理解し、公平な分担の下で自主的・積極的に行動することが必要だ」と示しています。そのためには「地域の状況をよく理解したうえで」みんなで計画を定めなさいと言っています。島本町においては、行政職員の意識も熱意もまだまだ住民を“その気”にさせるまでには到達していません。また住民側も潜在している力は大いにあるとは思いますが、現実的には「どうやればいい?」の域を出ないのではないでしょうか。

 さて環境基本計画は、町の憲法とも言われる総合計画に策定を位置付けられています。総合計画自体が10年スパンの折り返し点にきているところから、町長は今年度の施政方針の中で「環境基本計画策定に着手する」と述べています。川口町長としては前町長との差異を示したい思いもあったからか、また環境問題に理解が深いリーダーとしてアピールしたいからか、はたまた島本町が歩むべき道しるべに欠くべからざる計画のひとつとして、真摯に環境基本計画が必要だと決意しているのか、そこのところはどうもよくわかりませんが、任期中には仕上げたい仕事のひとつなのでしょう。

 現在町では環境保全審議会が開かれていますが、当審議会は環境基本計画の布石となるような中身で幅広い意見の交換が行われています。この日記にも何度か書いていますが、出される意見は有意義で面白く活気の有る審議会だと、私は毎回傍聴を楽しみにしています。しかし、当審議会がそっくりそのまま環境基本計画策定のための機関になるのかというと、ちょっと違うんじゃない?と思います。

 審議会には公募委員は若干名いますが、基本計画が「住民みんなで作る計画」なら参画する住民の数はこんなもんじゃないでしょう。まあ、部会やワーキンググループが出来るのかとも思いますが、いずれにしてもまだまだ体制作りの緒にも着いていないことは確かです。焦ることはないけれど住民が主人公で丁寧に進めていくためには、それなりの時間が必要だということも町長はじめ担当職員は心しておくべきだと思います。時間切れで、慌ててコンサルに丸投げすることだけはしないでほしいです。

 


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宿泊研修をしてきました・・・今回は学者さんの話ばっかり

(2006年8月17〜18日 木〜金曜日)

 全国市町村国際文化研究所(大津市)で行われた町村議員対象の研修会に出席しました。ここは4月にも一人で来ていますが、今回は島本町議会から私のほかに杉本野村・伊集院・山口議員が参加していました。お3人はどうか知りませんが、私は「こんにちは」と「おはよう」の挨拶をしただけで、“群れる”ことなく自由に気ままに勉強してきました。今回もゾロゾロと連れ立って行動している他町の議員たちを見ると、行楽に来ている訳でもないのに何故同じテーブルで食事をしたがるのか、何故講義の席でさえも隣接していないといけないのか・・・「子どもでもあるまいし」といつも不思議に感じます。

 さて研修の中身ですが、言ってみれば大学の先生の話を聴くだけなのですが、それぞれ出されている資料がなかなか面白くて復習・予習がてら夜更かしして読みました。研究所には立派な図書館(室?)もあって、私は朝夕立ち寄っていました(ほかにすることないと言うのが本音ですが)。講師陣は一橋大学の辻琢也氏(新しい公共空間の形成と自治体経営の刷新)・東京学芸大学の山田昌弘氏(格差社会の進展と地域格差問題)・関西学院大学の小西砂千夫氏(小泉構造改革路線の下での地方財政改革とこれから)・京都大学の中西寛氏(これからの日本の外交政策)でした。

 各教授のテーマを聞いただけで“満腹”って感じですが、“満足”感にはいたらなかったなぁと我が身の理解力を棚に上げてチョッピリ不満を呟いています。私の隣に座った奈良から来た議員も、そんな感想を漏らしていました。前回の研修会で聴いた議会改革のために「これでもか、これでもか」と奮闘した議会議長の苦労話なんかに比べると、いかにも“上品あっさり系”です。今回は“こってり系”の話ではないとわかっているのですが、やっぱり物足りない感じがしました。

 まあそれでも「そう、そう」と思わず相槌を打つような所もあり、中でも山田氏の「格差」の話は興味深く聴きました。山田氏は最初に少子化問題に触れ、現代の少子化が格差つまり“家族の格差”を伴って進行していることが怖いと言いました。年金を受けている祖父母が孫の年金の掛け金を支払っている、そんな家族が増えていると言います。また結婚しないで親と同居し、生活にかかわる全ての費用を面倒みてもらうパラサイトシングル現象はさらに進み、現在は中年(35〜45歳)パラサイトシングルが急上昇で増加しているそうです。

 初期のパラサイトシングルが“独身貴族”的イメージで語られ、裕福な親に生活費を依存し自らの収入は全て自己消費に当てているそんなシングルを指していたのが、大きく変化してきたのは“格差問題”が影響していると山田氏は言います。日本の少子化は収入が低くて結婚できない男性と非正規雇用が多い女性の問題に起因しているといっても過言ではなく、これらの男女が家庭を持っても少子化への歯止めが解消するわけではないとも述べました。

 まあしかしそう言ってしまえば実も蓋もないわけで、講演の最後に「これらの解消に努めることが、あなた方政治に携わる人の責務ですよ」と山田氏は言おうとしたと思います。山田氏は「仕事の格差拡大、家族の格差拡大が不可避なら、それが生涯格差や希望格差に結びつかない政策をとるべきだ」、そのためには「新しい希望のある労働・生活の支援が必要で、就職期・子育て期・高齢期における自立支援と子どもの教育訓練の保障及びリスク社会に適合した社会保障制度の構築が早急に迫られている」と結びました。我家の独身息子たちは、何とかパラサイトせずに遠方で生活していますが“家族の格差”は、なんとも身に詰まされる話でありました。

   

 


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熱帯夜に“かぐや姫”舞い降りる

(2006年8月19日 土曜日)

 今年も「かぐや姫の夕べ」の催しが開かれました。夕闇に包まれるふれあいセンターには、美しい調べと涼やかな夜風を求めてたくさんの人たちが集いました。残念ながら記録的な今夏の暑さは、日が落ちても衰えることなくムシムシとしていました。私は毎年楽しみに出かけていますが、今夜は“土日パラサイト”(ご飯を食べに週末名張市から帰省する)の長男を誘って、散歩がてらセンターに出かけました。

 巧みに竹を使った舞台の設えや竹灯ろうは年々見事にレイアウトされて、まずは聴衆の目を楽しませてくれます。準備に奔走された「夕べ」の実行委員会・竹工房のみなさんのご苦労が偲ばれます。今年の演目は昨年好評のヴァイオリンを中心としたコンサートと毎年来てくださる乙訓のみなさんの雅楽演奏でした。雅楽の調べは笙やひちりきが奏でる地味な響きですが、「かぐや姫の夕べ」にふさわしい音色に皆さん静かに聴き入っていました。今回は巫女さんの美しい舞が加わって、幽玄の世界を一層深く味わうことが出来ました。

 初めて「夕べ」に参加した長男は「島本町の人たちもなかなか粋な催しをしてるんや。夜、野外で楽しむスペースがあるふれあいセンターは新しい発見やね。なんかお洒落で軽い食べ物と飲み物が楽しめるともっと集客できるような気がするけど・・・と自分の好みを言っていました。私の望みを言わせて貰うともう少し涼しくなってから、それこそ“お月見”の頃が“かぐや姫”にはふさわしいのではないかしらと思っています。

 

 


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汗だくで幼稚園の先生たちが園児募集のPR、ただし高槻市の話

(2006年8月20日 日曜日)

 久しぶりに高槻で映画を観ます。映画は「花田少年史」です。以前に観た「三丁目の夕日」の子役、須賀健太君が余りに上手で強く印象に残っていました。その須賀君が花田少年役で再びスクリーンに登場することと、「三丁目」と同じ昭和30年代を背景とした物語は、やはり懐かしく上映を楽しみにしていました。以前は水曜日のレディスデーのみが千円の料金になりましたが、2年前からは私も年長者割引でいつでも千円で入場できうれしいです(800円も安くなるのですから)。

 映画の中身がマアマアだったのは、当り前のことながら須賀君が成長していて「三丁目」の時の痛々しいほどの健気さが失せていたせいかも知れません。時代背景もレトロブームの“はやり”をねらった感じがしたのは、意地悪な見方でしょうか。しかし今日高槻に出てきた収穫はありました。ただし得るものは映画館を出たところにありました。

 アルプラザの前で2人の女性がビラを配っていました。ビラには「来年度から高槻市立の2つの幼稚園で長時間保育が始まります」という園児募集の内容が書かれていました。朝の8時から夜の6時迄、土曜日も夏・冬・春休みも預かり、通常の幼稚園保育の時間を含めて一日10時間の保育を行います。殆ど保育所と変わりない時間数になりますが、長時間保育の狙いは親の就労支援にあります。高槻市では保育所の待機児童が出ていることから、幼稚園での就労支援型預かり保育はそれなりに意味のあることかもしれません。ちなみに保育料は、4歳5歳児共に19,800円(月〜金曜日)と23,000円(月〜土曜日)でおやつ代を含みますが、昼食は弁当持参で給食が供される保育所とは異なります。

 前述した“収穫”とは、このビラを幼稚園の先生達がアルプラザをはじめ駅やデパート前で分担し配布していたことです。暑い中通行人に丁寧な声かけや説明を行いながら、懸命に新しい事業の宣伝をしている姿に私は心を惹かれました。通常行政が行う事業について(イベント等は別にして)このようにPRしている姿は余りお目にかかりません。広報紙や広報板、ケーブルテレビでのお知らせをして終わりということが殆どです。あとは定員に満たなくても「誰のせいでもありません」と言ってはばかりません。それは島本町とて同様です。

 後日の9月議会では、当町の2園において始まる(10月1日から)預かり保育事業(午後4時半までの延長保育のみ)が全員の賛成で可決しました。島本では預かり保育のPRを、幼稚園教諭自らが行うのかしら?せめて定員に満たない場合は、高槻市のように関係職員自らも汗をかいて欲しいものだと思いました。

 


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ウ〜ン、悪気は無いけれど礼儀を知らない町職員

(2006年8月21日 月曜日)

 ○○について問合せをするために、役場の窓口に行きました。係りの職員は一人が接客中で、もう一人は電話に出ています。後からきた者が先客か電話が終わるのを待つのは当然ですから、私は少し離れて立っていました。どちらの職員も私のほうに顔を向けていますから、私の姿は目に入っているはずです。

 しかし2人とも「少しお待ちくださいね」との意を込めた眼差しを送るでも無し、ましてや会釈や声かけなんぞ望むべくも無く、まるで無機質のものを見ているような視線を私に向けていました。目の前の接客に集中していることは、何も間違ったことではありません。ただ周囲の状況への目配り気配りも、さりげなく同時進行できなくては一人前の接遇とは言えないと思います。

 先客が立った席に私が座りました。職員は開口一番に要件を尋ねましたが、私は言いました。「何か忘れてはいませんか?」「エッ!はあ?」キョトンとしている職員に私は「お待たせしましたは無いのですか」と少し皮肉を込めて求めましたが、何を言われているのか理解できないようで全く通じません。結局「お待たせしました」は無く職員は説明を始めました。

 説明は丁寧でよく解りましたが、ごくごく基本の“挨拶”言葉が欠落していることにはガッカリしました。なんかいつ迄こんなことぼやいていないといけないのかと、少々悲しくなりました。“無邪気に無作法”はたとえ仲間内では許されても、お客さんには通用しませんよ。

 


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町国民保護協議会の初会議、物々しいわりにはあっけなく終了

(2006年8月22日 火曜日)

 加害と被害の悲惨な戦争体験から、もう二度と戦争をしないと誓ったわが国のはずなのに“国民保護”の名のもと、またぞろ戦争を仕掛けられても仕掛けても大丈夫な備えをと「国民保護法」が制定されました。この法律により、都道府県はもちろん全ての市町村が「国民保護計画」を策定しなければならなくなりました。わが町なら「島本町国民保護計画」となるわけです。

 「国民保護計画」はもちろん大自然災害や大事故に対応するものでもあるわけですから、まったく「いらない」と言えるものではないとする意見もあります。しかし、全ての自治体は既に大地震や大洪水等ごとに何度も修正をかけながら、住民の安全安心のために「地域防災計画」を定めているのです。「国民保護法」が求める市町村への責務は、大きくは住民の避難・誘導・保護であり情報の入手・伝達です。

 これら責務への備えは「地域防災計画」で十分網羅されているのです。ですから「保護計画」が示している“武力事態類型”が「着上陸侵攻・ゲリラや特殊部隊の攻撃・弾道ミサイル攻撃・航空攻撃」等であったとしても、現実的にわが島本町が出来るのは、先に示した避難・誘導・保護・情報収集の類です。これ以上のことは基礎自治体が負い切れるものではありません。

 まあそれでも着々と「国民保護計画」をつくる道筋は付けられてきています。3月議会での条例制定をスタートにして、計画策定等の予算計上(何処も似たような計画なのに、コンサルタントへの委託料は何と約834万円!)、そして今回の国民保護協議会の開催です(委員報酬が出ます)。

 会議は何の中身もありませんでした。町の関係機関を網羅した組織や団体からの充て職が選出されてきているのですから、「国民保護とは何ぞや?」と問う委員も無く「島本町の地域特性と保護計画の実効性」を確認する委員もいませんでした。ズラ〜ッと並んだ委員方は一言も発言することなく、「保護計画(案)」の説明を聞いていただけでした。次回からは活発な意見を期待したいと思いますが・・・。

 傍聴者は私を含めて4名(うち3人は議員)でしたが、いずれもそもそもの「国民保護法」自体に疑問を呈する立場から、3月の町議会における条例に対しても「反対」の表決を行っています。私達は本日の会議の内容にガッカリしましたが、これに懲りずに今後の会議を注視していくことにしています。

 


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新教育長の人選が出来ないのは何で?

(2006年8月23日 水曜日)

 9月議会に向けての議会運営委員会が開かれました。9月議会は昨年度の決算を3つの常任委員会で審査するため、前半議会〜委員会〜後半議会と約1ヶ月間の長い会期で開かれます。前半議会の案件は8月10日の日記に書いた通りですが、いつもより多い議案で「しんどいなぁ〜」が正直なところです。おまけに今回私は、決算に対する会派代表大綱質疑を行うので「ふ〜っ」と大きなため息をついています。

 会派説明時には人選が出来ていなかった教育長の人事案件は、2週間を経ても実らなかったようで後半議会に先送りされることとなりました(後日談ですが後半議会でも議案が上げられず、日高教育長の任期が切れる10月1日から教育長の不在が続く由々しき事態に陥ることとなります)。教育長人事にイチャモンをつけたのは、誰とは言いませんが議会関係者であることを理事者は言外に匂わせました。

 議題に供したからには否決はされたくない人事案件なので、提案する町長もビビルのでしょうか?正々堂々議場で勝負をかけても良いのにと、私は思いますがそうはいかないのでしょうね。それにしても議会の町長への足引っ張りも、全く大概にして欲しいものです。

 午後からは議会だより編集委員会を傍聴します。議会だよりの紙面において、質問議員の名前を「載せる」「載せない」が検討されています。私は議員名の公開は当たり前のことだと思っていますから、反対している会派の発言には頷けません。理由は「会派内で意見が分かれているから」というのですが、内輪の話をこの会議の席で言われても困ります。会派を代表しての編集委員なのだから、意思統一して出ていらっしゃいと思わず言いそうになりました。全く埒のあかない人たちなんだから・・・困ったもんです!

 


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社会教育委員さんの個人情報は公表していいのかしら?

(2006年8月24日 木曜日)

 9月議会の議案書を受け取りに午後から役場ヘ。決算書・事務事業報告書等々合わせて10cmにもなる厚みです。昨年度1年間の行財政内容を再確認するためには、先ずはサァ〜ッとでもこれらの資料全部に目を通さなければ決算に対する大綱質疑は書けません。さらに加えて日頃シコシコと情報公開請求で入手してきた事前の情報をチェックするための時間が必要です。う〜っ、これからはかなり厳しい日々になりそうです。

 役場に行けば、議会関係のほかに必ず立ち寄る所が1階の文化情報コーナーです。むしろ私はここで半日、一日過ごすことのほうが多いかもしれません。今日も、過日に傍聴した会議(出来なかった会議ももちろん)の資料綴りを見ておきます。当たり前のことながら行政が開く会議は公開されています。また会議出席者と同じ資料が傍聴者にも供されています。ただし何故か持ち帰ることは出来ません。そこで会議終了後直ちに文化情報コーナーにファイルされる(されているはずの)資料を再度閲覧し、必要があればコピーを取ります。

 ところが「即ファイリング」の仕事を怠る職員が後をたちません。大半が催促をしなければ、いつまでたっても資料の綴じ込みができていません。この作業が“仕事”であるとの認識が欠けている職員が実に多いと思います。こんな簡単なことを何時もいつも催促される状況は恥ずかしいと気付いて欲しいので、私は性懲りも無く担当者へ連絡をしています。

 しかし最近は「すみませんが・・・」の前置きを言わず「すぐに入れてくださいね。ここで待っていま〜す」と言葉を変えています。そうじゃないと一度の催促で効果を発揮することなく、後日何度も確認しなければならないからです。本日の未ファイルは地域包括支援センター事業関係・運動緑地公園関係・国民保護協議会関係の会議分でした。

 会議の綴りを閲覧していて、目にとまった1枚の資料がありました。社会教育委員の一覧表ですが、個人の住所・電話番号・生年月日の全てが明らかなまま綴じ込んでありました。今までこんな例は無く気になりましたが、これは敢えてそのままにしておくことにします。いつも私が指摘しなくても常時閲覧している人たちが少なからずいますから、人を変えての気付きも職員の意識喚起には有効だと思ったからです。まあ、それにしてもファイルを開いて「完璧!」と言える日は何時くるのでしょうか・・・?

 


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住民ホールのアスベスト除去工事が始まりました

(2006年8月25日 金曜日)

 朝9時に役場に行きます。アスベストが漏れずに工事が出来るか、除去工事に携る作業員の安全が確保されているかの現場確認が行われるからです。第三小学校の時は大阪府・労働基準監督署職員と共に立ち合わせてもらいましたが、今回は正式の検証開始前に総務部次長ほか関係職員の案内でホールの舞台から見渡しました。

 

 住民ホールに吹き付けられたアスベストは大きく2ヶ所に分けられ、最初に取り掛かる工事は舞台の左右袖下の照明室を囲む壁・天井部分です。三連のセキュリティボックスが設けられているのは当たり前の光景ですが、排気用にビニールで作った筒が長く舞台上に延びて屋外の集塵機に繋がっている光景には、ちょっと驚きました。またビニールのつなぎ目はガムテープでペタペタと止めてあります。

 工事終了後には全ての設備・着衣等は埋め立ての最終廃棄処分となるために、できるだけ嵩張らない安全装備を施すことにしているとの説明がありました。しかしそれにしても以外にチャチイ(!?)です。ビニールの筒なんぞ針の先でちょっと突っつけばアスベストを含有した空気が拡散してしまうので、素人ながら細心の注意が必要だと思いました。足場を組んでいるのは客席の上で、不安定でこれからの作業の苦労が偲ばれます。

 工事を請け負ったのは(株)島本建設ですが、工事責任者は「しっかりやりまっさかい、工事完了後には南部議員のニュースにちゃんと書いてくださいよ」と冗談交じりで言っていました。しかし、後日(9月末)談になりますが、住民ホールのアスベスト除去工事は当初の計画通りに完了することなく、凍結せざるを得ない事態に陥ってしまいます。

 島本建設の名誉のために言っておきますが、請負業者の責任では毛頭ありません。役場もアドバイザーの設計事務所も誰のせいとはもいえない、しかし工事は続行できずに途中で“封印”となったのが現実です(この間の事情は「なんぶニュース104号」・・・ホームページにもアップ済み・・・に簡単に書いています)。

 工事中断の深刻な事態に到ったのは、作業第2弾の2階ホワイエ天井に吹きけられたアスベストの除去工事です。私が心配もし、けしからぬとも思っているのは飛散拡散の対応策を講じることが出来ずに残りのアスベストを放置したまま、つまりはアスベストの存在を黙認した形で住民ホールの使用を住民に認めていることです。しかも使用再開にあたり、正確な情報を住民に周知していないことです。私は町が直ちになすべきことは、的確な説明と住民ホールの貸館中止しかないと考えています。皆が不利益を被りますが、住民の安全安心のためには必要な措置ではないでしょうか?

 本件についての記事は、後日また新しい情報とともにお届けいたします。

 


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ほ〜っ!10年後には役場職員が随分若返るんだ

(2006年8月26日 土曜日)

 8月の初めに「島本町職員採用5カ年計画」(改正版)が作成されています。その内容によると今後10年間の定年退職者数は137人となり、現在の職員(258人)の半分以上、つまり団塊の世代の職員たちがごっそり退職します。従って退職者補充の新規採用を計画的に行う必要が生じてきました。来年度から5年間は年度ごとに10人程度を、続く5年間では1年度あたり12人くらいずつを採用していきます。そして10年後には現在53パーセントを占める50歳以上の職員が、なんと!H27年度には13パーセントに激減します。

 若返りと人員削減(計画では現258人が10年後は240人に)が住民サービスの充実に寄与するものでなければなりませんが・・・どうでしょうか?私は今の若い職員方をみていると、大丈夫!だと思っています。ただし適材適所で人員配置を誤ることなく、また過重な超過勤務で職員を潰さないような人事を行うことは当たり前のことですが。

 さて今の私はまだ福祉的なサービスを受ける立場ではありませんが、10年後には元気であってもそれなりのサービス活用をするかもしれません。そう考えると現在の若い職員とこれから採用されるもっと若い職員が、我が身の老後を託するに足る力量を備えているのかどうか、はたまた備える努力を怠らない人たちかどうかは誠に大きな問題だといえます。

 いずれにしても現在に至るいびつな年齢構成は採用計画による是正が必要ですが、計画の“真の目的”はやはり人件費の抑制を目指しています。同年代職員を定期的に採用することにより、互いに競い合い刺激しあう士気高揚を期待するとしています。そして更なる士気高揚のためにと、勤務評定制度の実施を位置付けています。私は公正で透明で正当な評価は職員にとっても必要だと思っています。しかし勤務評定制度云々に係らず、「職員採用計画」の“真の目的”が住民の幸せや満足度に直結するものであるべきは言うまでもありません。

 蛇足ですが島本町の職員数を類似団体別職員数の比較で見ると、類似団体273人に対して当町は234人であり39人少ない職員数となっています。従って住民間に根強くある「役場の職員は多すぎる」と言った批判は、統計上は当っていないということになります。部門別では「福祉」部門の「−7人」は、現状の多忙さを思うと気になるところです。数値上からも改善の必要性が裏付けられています。反対に「議会」部門の「+1人」と「総務」部門の「+4人」は、他の部門がすべてマイナスを示している中での数値です。これでは職員の適正配置が行われているかどうか、疑問が生じ“過剰人員”とも取られかねません。両部門については厳しい精査が必要だと思います。

* 類似団体別職員数・・・ 人口と産業構造を基準にグループ分けされた団体(市町村)の中で、グループごとに普通会計部門の平均職員数を算出したもの。

 


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町長として答えたアンケートの情報が「ない」のはおかしい!

(2006年8月27日 日曜日)

 8月10日の日記に書きましたが、市町村合併第2弾の動きが起きています。今回、国は都道府県の指導に大きな力を持たせています。大阪府においても既に「大阪府市町村合併推進審議会」が設置されており、審議会は過日府内の市町村長及び議員にアンケート調査を行いました(実際のアンケート調査表収集は9月の終わりでしたので、本日の日記の日付とは合いません。私が日記を滞らせていることによるもので、誠に申し訳ありませんが日付は無視してお読みください)。当然島本町長にもアンケート調査表が送られてきました。

 アンケートの回答内容を知るために、私は情報公開請求を行いました。しかし、返ってきたのは「情報不存在通知書」です。不存在の理由は「町長個人に対するアンケート調査であり、職員が組織的に用いるものとして管理している情報として存在しないため。」と述べられています。こんな理由には全く頷くことが出来ません。“公人”である「島本町長川口裕」として答えたアンケートの回答は、単なる「“個人”川口裕」の回答ではありません。また「職員が組織的」に用いようが用いまいが、そのことと情報の存在の有無とは何の関係もありません。

 確かに市町村合併について首長がどのように考えているのかということは、デリケートな問題です。明らかに出来ない内容は当然あると思います。その場合は部分公開の方法もあるわけですから、町自らが情報公開条例にそむいてまで「情報がない」と嘘をつく必要はありません。従って、今回は本当に回答の控えを残していないのでしょう。このように「ないものはない」と開き直られればしょうがない訳ですが、そんなことで正しい事務のあり方といえますか?また今まででも町長へのアンケート調査は数々あったはずですが、このような処理はないのではないでしょうか。

 私の気持ちが良くないのは事務の不手際か或いは意図的かいずれかはわかりませんが、情報を保存しなかったことに対する町の反省の無さです。通らない屁理屈を記述するよりも「ごめんなさい、事務に誤りがありました」と何故言えないのでしょうか?

 


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青少年問題協議会ってなんのために開いているの?

(2006年8月28日 月曜日)

 島本町青少年問題協議会(以下「青問協」と言います)を傍聴しました。青問協委員は高槻警察署・少年補導協助員・学校等の専門的分野からと関係団体の充て職及び議会議員の計20名(以内)で構成されています。会長は町長、副会長は助役が務めています。1年間に2回開催される会議は、昨今の青少年に起因する激しい事件や事件に現れないまでも深刻な状況下にある子どもたちに係る問題を、サラリとなぞるに過ぎない会議内容となっているような気がしてなりません。

 地方青少年問題協議会法に基づき町の条例で設置をされ、青少年問題のエキスパートが一堂に会する当会議の場がもっと有効に機能して、それぞれの現場における実効ある働きに繋げて欲しいと願っているのは私だけではないと思います。同じ思いは例え一部の人であっても、きっと委員方の中にもあるのではないでしょうか?本日の会議の内容も青少年対策事務概要のH17年度実績及び18年度事業計画を、担当の生涯学習課長が延々と一方的に読み上げただけでした。

 しかも資料は当日配布され、わずかに出た委員の質問にも即答できませんでした。これで新「島本町青少年健全育成計画」は大丈夫?と思いつつ、「なんかもったいなぁ〜、じれったいなぁ〜」と私は少々イライラしてしまいました。青問協は町長に対して意見・提言具申も可能な機関です。行政から一方通行の説明を聞いて終わりで済まされる状況ではないはずです。青問協というお墨付きをフルに生かし行政のお尻も十分に叩き、侃侃諤諤の議論が交わされる会議の姿に接してみたいものだと私は願っています。

 行政からの説明が終了し、その後少年補導協助員であり青問協の委員である小橋洋さんの講演がありました。小橋さんは市立尼崎高校の教諭として長年勤めましたが、その間に全く経験のなかった野球部顧問を引き受けました。野球部における子どもたちとの強い絆はついに甲子園出場を果すまでになりましたが、これらの体験を先ごろ出版された本「ゼロから始めた甲子園〜教師としての38年〜」に基づいて話されました。

 講演の内容に興味のある方は本を読んでいただくとして端折りますが、果して青問協の会議の中で講演頂くことなのかしら?青少年問題の取り組みに必要な内容なら、もっと一般住民を対象とした企画にしても良かったのではないかと思いました。小橋さんの輝かしい実績と並大抵でない苦労に対して大いなる敬意を払うものですが、正直言うと私は“スポーツ根性もん”は余り好みではありませんし、小橋さんが話の中で子どもたちに対して「オマエ」を連発されていることに、とても大きな違和感を感じていたのが正直なところです。

 ところで委員からの質問に窮した担当課職員は、その後どのようにして答えを返しているのでしょうか?だって次回の会議は、通常ならはるか何ヶ月も先に開催されるのですよ・・・。

 


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国会へ行ってきました・・・ただし11月9日の話

(2006年8月29日 火曜日)

 日記上のカレンダーの日付は、いまだ8月の終わりをさまよっており申し訳ないことです。しかし後追いの日記であってもあまり手を抜きたくない性分が災いしてか、相変わらず遅々として進みません。まあ何ヶ月先に記録を振り返った時、それはそれなりに“なんぶ由美子・日々の軌跡”としての微々たる証となり得るのではないかと、無理な理屈をつけて言い訳しております。

 さてそうは言っても皆さんにとっては「おサボリもあんまりや〜」という事態ですので、ここでご機嫌直しに“とれとれピチピチ”の11月9日付け「国会へ行ってきました」を、急遽押し込むことにいたしました。「国会へ何しに行ったん?」と問われれば、実態はたった一人のオノボリさん状態でしかなかったのですが、秘めたる決意は憲法調査特別委員会での審議内容をこの身で確かめることと、「10日或は14日に強行採決か?!」との正念場に立つ教育基本法改正(これは絶対改悪です!)の行方を少しでも見極めたいと思ったからです。

 今週は月・火曜日と金沢へ建設水道常任委員会の調査研修が入り(この視察の帰りが悪天候のため、列車が運休してひどい目に合い疲れが倍増)、翌日は国民保護協議会の傍聴ほかで役場に一日いました。そして木曜日朝一番(憲法調査特別委員会が9時から始まるため)の新幹線で国会へとやって来ました。もちろん傍聴は国会議員の紹介が無ければ叶いませんので、辻元清美衆議院議員の事務所にお願いはしておきました。前日の夜に大阪事務所から東京事務所に繋いでもらいましたが、さすが辻元事務所!フットワークの軽さが身上で、急な飛び込み・駆け込みの要求にも直ちにオッケーでした。

 国会の傍聴に行くのは2度目です。前回は1999年7月、国旗・国歌法案が衆議院内閣委員会で採決される場面を目の当たりにしました。あれから7年、国政は右に右に舵を切り続け社会経済状況はさらなる格差を増幅させてきました。なんだか息苦しい、生き辛い世の中が進んでいるように思えてなりません。そしてとどめを刺すかのように憲法改正・教育基本法改正の審議が国会で進められています。私はもう二度と戦争をしないと誓った現憲法は絶対に守らなければならないし、この“平和憲法“によって立つ教育基本法もまた不変の理念を掲げた法であり、改正の必要性は全くないと思っています。

 国会議事堂周辺では来週には衆議院での特別委員会採決が強行されるかもしれないと、まさに“天王山”の教育基本法改悪に反対する市民の訴えが行われていました。残念ながら、国会の中で行われていることに直接市民の力が及ぶことはありません。もどかしい思いを募らせながら、細々でも皆が何かせずにはおられない気持ちでいます。だから私も今日ここ国会に来ているし、私が出張中の週初めには島本の仲間が自発的に駅前での街頭宣伝をやってくれていました。

 さて衆議院面会所で辻元議員の秘書さんと待ち合わせた私は、先ずは予定通り憲法調査特別委員会の傍聴を行いました。手荷物やボディチエックは以前より厳しくて、空港と同様の機器が導入されていました。筆記用具以外はロッカーに預けてから、角々に立つ衛視さんに訊きつつ長い廊下を折れて曲がってエレベーターを乗り継いで、やっと委員会室に到着です。憲法調査特別委員会は50人の委員がいるはずですが、今日の出席者は3分の2くらいで空席が目立ちます。本日女性議員は辻元さんのみでした(ほかには田中真紀子議員らも所属しているらしいです)。また折角出席しているのに、最初っから最後まで居眠りしていた議員もいました。辻元さんは私を見つけてニッコリしていました。

 辻元さんの発言は2回あり、それぞれ約20分間意見を述べ質疑を行いました。身びいきではありませんが、辻元さんの発言は誰よりも明瞭で判りやすかったです。発言内容は辻元さんのブログで確認して頂ければよいと思います。本日の議題「メディア規制と国民への広報」について、私の走り書きメモよりゴクゴク簡単に辻元さんの発言を後述しますが、憲法調査会事務局では委員会の翌日には、概要ですが審議の中身がわかる二ユースを出しています。当然辻元さん以外の議員の発言も掲載されていますから、興味のある方はインターネットで検索してみてください。それにしても翌日とは速い!さすがに国会ですね。

 いま調査特別委員会で審議しているのは、憲法の条文の中身ではありません。委員会に付されているのは憲法改正の手続きに関する法案(自由民主党提出)と改正発議の手続き及び国民投票に関する法案(民主党提出)の2案件です。具体的には国民投票運動・罰則規定の問題やメディアにかかわる広報協議会設置について、現在論議がなされている状況です。もっと細かく言えば協議会委員数の配分をどうするか、「国会内の基準をあてはめた議席配分ではどうか」「いやそれは良くない、憲法改正反対・賛成いずれからも同数の協議会委員を出すべきだ(辻元さんの主張)」云々・・・の議論が交わされています。

 いわば改憲派にとっては憲法改正への道筋をいかに支障なく整えるかを探り、反対に護憲派にとっては憲法改正を不可能にする手続きにどうもっていくかを探り、互いの駆け引きが行われていると私の目には映りました。そのような中で辻元さんは「メディアの規制について、表現の自由は守られるべきであるがお金を出せばいくらでも広告できるようなことにしてはならない。国民投票にかかわる政党CMは、通常の商業コマーシャルとは異なり何らかの自主規制が必要である。少数意見の反映が担保されるよう、資金力の有無に係らず等しく広告できることでなければならない。さらに言えば市民団体や市民個人も政党と同様の広告が可能とすべきである。要は中立・公正なメディア媒体により国民が客観的な判断ができることが求められる」と発言しました(私にはこのように聞えました)。

 
議員会館内辻元事務所
 
衆議院の赤絨毯

 11時30分過ぎに委員会は終了しました。その後衆議院第2議員会館内の辻元さんの部屋(東京事務所)を訪れました。昼食は国会内の議員食堂を利用(一般人は許可が必要です)しました。オッ!テレビでよく見かける議員とすれ違います。田中真紀子・鈴木宗男・加藤紘一・羽田孜議員等々、私はすっかりオノボリさんになっていました。午後から衆議院本会議を傍聴、崖の上から見下ろしているような議場でも映像でお馴染みの議員がたくさんいます(本会議なんだから当たり前か)。

 
中庭(昔は馬車溜まり)
議員食堂

 憲法調査特別委員会と同時に開かれていた教育基本法に関する特別委員会は、午前中で散会となってしまい傍聴が叶わず残念でした。もっとも当委員会は教職員組合等からの団体傍聴者が多数で入れ替え制をとっていたため、果して傍聴のタイミングが合ったかどうかはわかりません。これで私が今日国会にやって来た目的は達成しました。親切な秘書さんは多忙にも係らず、この後も国会内を丁寧に案内してくれました。重厚な国会議事堂内の写真は照明が暗くてよく写りませんでしたが、国政の歴史を改めて感じさせる大した建築物だと改めて感じました。建物に負けぬ、議事堂を揺るがすような徹底議論を尽くすのが国会議員の仕事です。姑息な審議打ち切りや強行採決はもってのほかだと肝に銘じてもらいたい、私は心からそう願い国会議事堂を後にしました。

 


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再び東京へ、教育基本法改正反対大集会とデモに参加・・・ただし11月12日の話

(2006年8月30日 水曜日)

 昨日29日の日記は、日付をダ〜ッとひとっ飛びして11月10日の「国会へ行きました」の話を書きました。ホームページを開いてくださる皆さんには混乱させて申し訳ありませんが、本日も引き続きのパターンでお届けいたします。

 日付通りだと8月30日は障害者施策推進協議会が開かれています。私も傍聴しましたが特記事項はありません。ただ当会議の進行に係り強いて言わせてもらうと、各委員の発言が極端に少ない会議です。なぜかと考えてみると、協議会会長の質問とそれに答える事務局と、2者のみのやりとりが会議の大部分を占めているからだと思います。的確で鋭い質問をされる会長は大変立派な方ですが、会議の進行には再考頂くことが必要ではないかと思います。(スミマセン、失礼を承知で言っています)。折角の公募委員も交えた委員方は発言しないのではなく、出来ないのではないでしょうか?事務局はどう感じているのかわかりませんが、口をつぐみながら憮然とした表情の委員たちがいることに気付いていますか?

 さてそれでは、11月12日の“再び東京行き”の日記を書きます。一昨日東京に行ったにも係わらず、またもや新幹線に飛び乗ったのは、やっぱり教育基本法改悪にいても立ってもいられなかった・・・が本音です。しかし体の疲れと“お財布の疲れ”は相当なもので、正直なところ「トホホ」状態が続いています。幸い共に声を上げてくれる友人に、地元島本でのアピールは任せてすっ飛んで行けたのはうれしいことでした。“市民派”市民・議員もお互い役割分担が必要だと実感しています。

 「教育基本法の改悪をとめよう!11.12全国集会」会場の日比谷野外音楽堂には、組織や団体の枠を超えて全国から同様の想いを抱いて集まった8千人の人びとで埋め尽くされました。8千分の1の私にどんな力が出せるのか?一体何ができるというのか?との疑念は、音楽堂を揺るがす拍手や共感の歓声の中で次第に薄れていきました。自己満足ではない温かい勇気を、今確かに受け止めていると私は感じました。

 「現行教育基本法こそが“平和の砦”であり、人びとを育てる力であり、再び戦争をしないと言い切れる力となりうる法律なんだ!」頭では十分にわかっていたことですが、やっぱりこの場に来て胸の奥の奥までグイグイと迫ってきました。集会ではたくさんのアピールがありましたが、私が一番胸を打たれたのは大分県から来た農業をしている男性の言葉でした。過疎化が進む村で小学校は数名規模の学校が複数存在し、たった一つの中学校は生徒数が20人ほど。昔とさほど替わらない村の状況ですが、男性が成人式を迎えたうん十年前には、記念品に日本国憲法と教育基本法の小さな冊子が手渡されたといいます。

 初めて身近に接した2つの法は、以降折につけ人生の道しるべになってきたと話しました。教育基本法の改悪がなされれば我が村の数少ない子どもたちが手にするものは一体何なのだろう?この子たちに現憲法と現教育基本法をしっかりと手渡していくのが自分の役目だと思う・・・とトツトツと話しました。私は思わず涙ぐんでしまいました。こぶしを振り上げることなく、声高に論じるのでもない、語る人のやさしさや温もりに満ちた決意が参加者にさざ波のように伝わっていきました。みんながこの運動の“原点”を再認識することが出来た素晴らしいアピールでした。

 夕方4時前、時折強く吹く風が日比谷公園に黄金色の落ち葉を舞い散らします。その下を市民グループを先頭にデモ行進が始まりました。高槻市で毎夜街宣活動をしているグループのメンバーにも会いました。私も会場で始めて会った女性の車椅子を時々押しながら行進に参加しました。日曜日の宵、有楽町・銀座に集う多くの人びとは戸惑いながらも不快の念を示す人は見られませんでした。むしろ大音響の騒音を流し続ける右翼の街宣車に、眉をひそめている様がありありでした。最近の世論調査でも教育基本法改正に賛成はわずか10%であり、反対は40%・どちらとも言えないが同じく40%余・残りが判らないとなっており、圧倒的多数の人びとが改悪の必要性を認めてはいません。各地で開かれた公聴会での“やらせ発言”発覚や、連続して起きているいじめによる子供たちの自殺・・・これらに目を背けたままで、何のための教育改革、誰のための教育基本法改正なのでしょうか?

 今週11月16日の衆議院「教育基本法に関する特別委員会」での強行採決が危惧されています。私たちのささやかでもめげないしなやかな力を信じたい・・・ひたすら思い念じています。

 


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図書館懇話会に「子ども読書活動推進計画(案)」が出されました

(2006年8月31日 木曜日)

 図書館懇話会(以下「懇話会」と言います)を傍聴しました。本日の資料の中に、うれしい新聞記事が入っていました。それは懇話会委員の岸田典久さんが、長崎県のコスモス文学新人賞を得られたお目出度い記事でした(作品名を失念してしまいすみません。ペンネームは「平 利朝」です。)岸田さんは島本高校の校長先生をしておられた頃から、懇話会の委員も引き受けてくださっています。残念なのは、島本町の広報で紹介がなかったことです。この日以降、私は楽しみに広報「しまもと」を開いていたのですが・・・。よいことは町民にも知らせて欲しいなと思います。

 懇話会の会議は町職員を入れても、全部で十数名にも満たないこじんまりした人数で行われます。会長の村上さんは町図書館の前館長で、ふれあいセンターに図書館が移転した時も要になって働いてくださった人です。以降島本町の図書館が全国的にもレベルの高いサービスを継続し評価されているのは、まさに村上さんの蒔いた種が現図書館職員にしっかりと引き継がれているからだと思います。村上会長は委員全員の意見を強制的でなく引き出していかれるので、会議の中身は何時も充実しています。つられて(?)職員もよい意見を出してくれます。従って会議は、みんなで話し合っている和気あいあいの雰囲気が感じられます。

 2005年度の図書館事務事業報告の後に、標題の「推進計画」案が示されました。計画は「子どもの読書」に限っていますが「少子化や核家族化によるコミュニケーション不足の中で、子どもたちが読書を通して生きる力を身につけていって欲しいと願っています。そのためにこれまで以上に私たち大人(行政機関も含めて)が、豊かな読書活動推進のための環境づくりに取り組みましょう」との提唱をし、「乳幼児期」「学校図書館」「公共図書館」における各々の読書活動の推進及び「家庭‐地域?学校?図書館の連携」の各章では具体の取り組みが述べられています。

 計画案は現在役場内の関係部局で検討中です。今後は図書館内で来館者からの意見をもらい、計画案の修正を経て成案とし、再び懇話会にかけます。もちろん社会教育委員会にも諮られ、計画策定は2006年度末の予定です。図書館を活用し、関心を持っている住民は大勢いると思います。ですから私は、来館者だけでなく全町的なパブリックコメントも頂いた方が良いと思います。中でも特に「子ども」の声はしっかりとつかんで欲しいと願っています。

 委員のお一人は「情報(もちろん本を含めて)は民主主義の通貨であると言われています。格差が拡大している昨今の社会で、図書館の果す役割は大きいものがあります。町の図書館が50年先、100年先を展望したいものです」と発言されました。おお凄い、壮大な未来を見据えておられるんだ!一体100年先の図書館ってどんなでしょう?そもそも島本町はどんな形で存在しているのかなあ・・・?

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