水無瀬駅前に七夕飾り揺れて
(2006年7月1日 土曜日)
駅前のクリスマスのイルミネーションはすっかりお馴染みですが、今日からお目見えした七夕飾りも、短い期間ながら人びとを和ませてくれる夏の風物詩です。駅前広場は道路との位置づけですから飾り物の制約もあるのでしょうが、もう少し大小取り混ぜて笹の葉が揺れても賑やかでよいのではと思っています(ストレートに言うと寂しい・・・予算の問題がありますでしょうね)。
しかし子どもたちが一生懸命書いたと思われる短冊のお願いごとには時代を反映しつつも、やっぱり子どもが持つ無邪気さやほほえましさが伺えてうれしいものです。足を止めて見入る親子連れの姿もいいものです。こんな経験が一杯一杯重なって、幼い日の記憶は大人になっても心のともし火として残っていくのではないでしょうか。このところ家族、特に親を殺める事件が連続して起きています。何がどうなったのか軽々に言うことはできませんが、悲しくてやり切れません。何気ない日常のひと時を親と子が共有することの意味が、今改めて問われていると思います。
短冊を吊るす笹竹は町内には困るほど(?)たくさんあります。もちろん竹林所有者の協力が必要ですが、実力派の「島本竹工房」さんもいます。若者たちの力も借りて、島本“特産”竹を使ったイベントが七夕飾りの下で繰り広げられれば楽しいでしょうね!暑い時期ですから夜の駅広開放がいいでしょう。2年後(H20年春)に開業予定のJR新駅駅前広場の住民への開放も視野に入れて、これからの官民協力体制が問われます。町財政は厳しいですが、たくさんの住民に還元できる催しには、多少の援助があってもよいのではないかと私は考えています。
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私の一般質問通告内容です
(2006年7月2日 日曜日)
6月末で閉会予定の定例議会ですが、一日延びました。私の一般質問は10人中最後ですから、3日(月曜日)の午後になる予定です。どんなことを質問するのかは、予め「通告書」を提出しています。通告書の文章は最初の登壇時に読み上げるもので、理事者も用意した答弁を読みます。従って双方緊張感はありません。答弁を受けて2回目・3回目の自席で行う再質問からが“勝負”です。ここでどれだけ調査に基づいた事実を示す事が出来るか、また新しく理事者の答えをどれだけ引き出せるか議員の力が問われます。だからいつも一般質問はドキドキしています。
一般質問通告書
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南 部 由美子
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1 当町における少子化対策と子育て支援施策のかかわりについて | ||
(1) | 当町における少子化現象への見解を問います。 | |
(2) | 機構改革により「子ども支援課」が誕生しましたが、当課が子育て支援の核になり、少子化対策の要になっているのですか。 | |
(3) | 幼稚園教育行政と学童保育行政もまた子育て支援の核であると考えられますが、これらの施策は少子化対策にどのような効果をもたらしていますか。 | |
(4) | 現行の機構はやはり「縦割り行政」の域から脱していないと考えます。子どもの生命の芽生えから義務教育終了までの業務を一本化する更なる機構改革が必要ではありませんか。 | |
(5) | 「就学前の子どもに関する教育、保育等の総合的な提供の推進に関する法律(幼保一元化法)」が成立し、本年10月から「認定子ども園」の設置が可能となりました。当町における「幼児教育及び保育ワーキングチーム」での検討内容を示してください。 | |
(6) | 町第四次行政改革プランでは「幼保一元化の検討」が示されていますが、民間委託(民営化を含む)と「一元化」を何故関連づけているのですか。 | |
2 収入役の廃止について | ||
(1) | 1年前にも同標題の質問をしましたが、5月末に改正地方自治法が成立し市町村の収入役廃止が決まりました。2007年度当初から施行されますが、当町の収入役は任期切れまで在職をするのですか。 | |
(2) | 法施行後当町の会計に係る事務分掌はどうなるのですか。機構改革の必要性はあるのですか。 | |
(3) | 町長の「退職金は半分にする」は選挙公約ですが、他の三役(教育長を含む)の退職手当について現行よりさらなる減額見直しの考えはありますか。 | |
3 町立プールについて今後の方向性を問う | ||
(1) | 過去10年間の収入と維持管理・補修に関わる支出の内容を示してください。 | |
(2) | 現在のプールの補修について、どのような方策が考えられますか。 | |
(3) | 現在のプールはいつまで使用できますか。プールは水無瀬神宮から借地をして建設していますが、廃止となると土地の返還についての話し合いが必要です。いつから協議に入るのですか。 | |
(4) | プールを新築する考えはありますか。財政上可能な時期とプールの形態は屋外・屋内いずれが考えられますか。 | |
(5) | 水無瀬川緑地公園内の「はらっぱ広場」はプール設置の予定地です。現在「広場」はどのように活用されていますか。いつまで現状のままで放置が続くのでしょうか。新設の可否によって「広場」の方向性も定まるのではないでしょうか。 | |
(6) | 町第四次行政改革プランでは「各小・中学校プールの活用を図り」と示されていますが、具体的にはどのようになるのですか。 | |
4 行方不明の住民について町のかかわりを問う | ||
(1) | 6月5日から帰宅されていない男性年長者に関して、町の関与は遅く・弱いのではありませんか。町として対策を立てる必要は無いのですか。警察・マスコミの対応はどうなのですか。 | |
(2) | 今回のような事象が発生した場合、町がとるべき対策を定めたものはありますか。今後同様の事例が発生した時にどう対応するのですか。 |
「行方不明者の発生をなぜ緊急事態であると解さなかったのか」
(2006年7月3日 月曜日)
とんでもない強引なやり方で進められた議員提案による「委員会条例の一部改正」案件(詳しくは後日の日記に書きます。改正の内容は5人会派の自由民主党クラブと山吹民主クラブから2名の議会運営委員を出させろというもの)提出によって、1日延長を余儀なくされた会期となりました。
私の一般質問は10人の質問者の内最後でしたが、午後2時過ぎに始まりました。今回は最後であることを幸いと思いました。それは前述した条例改正に対して意見を述べることが出来たからです。一般質問の前段として、世界情勢や社会的に影響のある事象・事件について思いを語ることは許されています。
私は登壇して先ずは傍聴者の方々に対し「ご多忙の中わざわざ議会傍聴にお越しくださいましてありがとうございます」とお礼を述べました。続いて以下のような発言をしました(即興で発言するわけですから、何を言い出すか議員も理事者もわかりません。通告がない分聞き取ってくれる効果は高いです)。
『2006年6月定例議会も、もうまもなく閉会いたします。私も通算14年の議員職を与えて頂いておりますが、今会議ほど議事の進めかたについて忘れることの出来ない印象を残す議会はありません。
異常ともいえる強引さで進められた議員提案による条例改正は、全く新しい体験でありました。断じて承服することが出来ません。もとより要件を満たし提出され可決した結果について、いまさら異議を唱えることはいたしませんし出来るものでもありません。
しかし議会運営委員会が機能しなかった、議長の強引過ぎる議事整理権が働いた、これらは傍聴者や理事者から見てもけっして望ましい議事進行ではなかったと思います。議会が醜い情けない姿をさらしたと私は残念でなりません。
今回の事態は今後の議会運営に多大の悪影響を与えていくのではないかと、危惧いたしているところです。』
続いて7月2日の日記に書いた通告書に沿って一般質問を行いました。ただし、それぞれの質問について削除すべき項目が生じたため、登壇しての実際の質問は通告書よりスリム化したものとなりました(内容についてはそう大して変化はありません)。私より前の質問者への答弁を聞いていると、肝心の答え以外で長々と発言される恐れが出てきたので、本会議2日目の終了後複数の理事者に削除の了解を取り付けました。質問は4点ありますが、今日は「行方不明の住民について町の係わりを問う」をお知らせします。質疑応答は3回往復しますが、私の質問の概要です。
Q 「山崎在住の年長者男性が行方不明になられてほぼ1ヶ月を経過しようとしています。島本町住民の中で、その所在が今もって全くわからない方がおられることに心が痛みます。行方不明後の経緯については、6月16日の議員全員協議会において町長の挨拶として述べられています。町として様々な制約があったにせよ、対策は万全であったか?悔いは残らないか?を問いたいと思います。
町長はご家族の初期の申し出により『緊急情報の共有等に関する要綱に沿っての対応は行わず、積極的に関係方面へ働きかけることを控えた』と述べています。しかし、事件発生2日後には家族は警察と協議のうえ役場にビラ(“この人を捜しています”と書かれたビラ)を持参されました。
この時点で町は緊急事態と捉え対応すべきではなかったでしょうか?緊急事態とは、重大な事件・事故の発生のみをさしているのではありません。これらの発生の恐れがあると危惧される、又は予測される場合をも緊急事態であると、町の要綱は位置付けています。
要綱第4条の緊急情報連絡会議は開催したのですか?関係部局間で対策等を協議したのですか?町長・助役は会議に参加したのですか?
今後町としてどのような対応が取れますか?今後このような事件が発生した折に、生かせる教訓はありますか?」
このような内容を3回に渡って質疑しました。それまでは「内々に」と進めてこられたご家族が、意を決して行方不明者を捜すビラを持参された、それを受けて町長は直ちに大々的な捜索体制を整えるべきであったと私は本当に残念でなりません。自治会経由でビラが回覧されたのはずい分後になってからでした。全町上げて、近隣市町にも出向いて駅頭でのビラ配布も可能であったはずです。警察や消防の専門性は無くても議会だって全議員で取り組めることはいくらでもあったはずです。ただ心配をするのみの毎日は私たちも本当に辛いのです。これでよいのかという私の思いが何処まで伝わったのか、答えはあえて書きません。しかし全くと言ってよいほど、事の本質を認識できていない答弁が返ってきたのには茫然としてしまいました。
保育所の園庭開放は大賑わい
(2006年7月4日 火曜日)
梅雨の晴れ間で、今日は快晴です。10時から始まる第四保育所の園庭開放の見学に行きました。予約無しでしたが、所長さんは「一緒に遊んでくださいね」と快く受けてくれました。ドンドン親子連れがやってきます。ヨチヨチ歩きから4歳児まで年齢層も様々な子どもたちが、砂場をメインに遊びます。水遊びもオッケーなので、砂と水で子どもたちが一番大好きな“泥んこ遊び”が始まりました。木陰にはシートが敷かれ、乳児を抱っこしたお母さんたちが輪になって話しています。園が用意した蚊取り線香の気配りがうれしいです。
私もお母さん同士話しが弾んでいる子ども2人を相手に砂遊びをしました。なかなかおもしろくて、プリン型やケーキの型に砂を詰め、ひっくり返して型を抜き「プリンですよー」と言うと、子どもたちが我先に壊しては次々と催促します。「え〜いっ!」と力いっぱいバケツで型ぬきしたデカデカプリンは大好評!忘れていた砂の感触が心地よいのと子どもの笑顔につられて、私はつぎつぎと“大作”を作り出していました。
今日は60組くらいの来園数で、お天気がよいせいか多い方らしいです。中で“黒一点”お父さんがいて、水運びなどの力仕事に大活躍でした。泥んこになった子どもが足洗い場で、真っ裸になってホースの水を浴びています。着替え一式を持って、オムツを持って、お茶を持って子どもを連れて出て来るのは一仕事です。それでもやって来るのは、やっぱり何か良いことがあるに違いありません。
園庭開放は第二保育所でも山崎保育園でもやっています。「3つの保育所をハシゴしている」と言うお母さんの声もありました。園庭開放は子育て支援の中でもシンプルな事業ですが、気軽に大勢の親子が係れるサービスのひとつです。これからも充実していって欲しい事業だと思いました。(写真は保護者の了解を頂いて撮ったものです)
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第四保育所
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私たちの救命救急センターは偉い!
(2006年7月5日 水曜日)
議員研修(前期)で大阪府三島救命救急センターを訪れました。「大阪府」と付いてはいますが、運営母体は財団法人です。島本町と高槻市がお金を出して設立した謂わば第三セクターの救命救急センターです。開設22年を迎えましたが年間約1,500人の最重症患者を受け入れ、全国192のセンターの中でも非常に高い評価を受けています。近くにあると案外気付かずにきましたが、運営面もさることながら救命救急医療機関として誇り得る機能を有しています。
その1つは救急に携わる医師は全て専門医であること。循環器及び心臓血管外科・脳神経外科・整形外科・麻酔科の医師が深夜、休日でも患者搬送後1時間〜1時間半で手術が開始できます。
2つ目は医師が複数配置されていること。
3つ目はベッド数41の少数ですが、重症者の受け入れに万全の体制をとっていること。
4つ目は高槻島本夜間休日応急応急診療所と併設しているため、診療所で急変する重篤患者を即刻救命救急センターで受け入れることが可能なこと。
5つ目は消防本部と行う特別救急隊運用事業(ドクターカー)で病院前救急医療体制が取れること。特別救急隊はセンター1階の救急ステーションにあり、高槻消防本部の救急救命士と医師が待機しています。月・水・金曜日は24時間運用を行っており、島本町にも出動しています。
24時間365日どんな重篤患者でも受け入れてもらえるとの安心感は、本当にありがたいものです。センターでは森田所長ほかドクターを交え5名もの方々が丁寧な説明と施設案内をしてくれました。
救急車が到着して直ちに運ばれる所が「救急外来」です。以前からテレビで「ER緊急救命室」というアメリカのテレビ番組が放映されていますが、私はよく観ています。たまたま見学のひと時は静寂でしたが、今にも緊迫感の中で飛び交う医師や消防士の声が聞えてきそうな気がしたスペースでした。手術室・ICU・MRI・CT・血管撮影室等を次々と案内してもらい、大幅に時間オーバーして有意義な研修は終わりました。
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学来年度から「収入役廃止」に法律が改正されました
(2006年7月6日 木曜日)
今議会で私が行った一般質問のうち、今日は「収入役の廃止について」の内容を紹介します。本年5月31日に第28次地方制度調査会の答申を踏まえて、改正地方自治法が成立しました。その中では市町村の収入役の廃止が打ち出されています。施行は2007年4月からです(ただし現職はその任期終了まで在職は可)。ちなみに調査会が示した廃止理由は
とされています。
私は1年前にも同様の質問をしていますが、そのときの助役答弁は「廃止はしない」をうかがわせるものでした。その理由は「収入役は会計事務の執行において、予算の執行機関である町長から独立した権限を有している。会計事務の範囲内においては当町を代表する重要な役割を担っている。平成16年度では205億円の公金管理を行っている」また「仮に収入役を廃止しても部長相当職は置かなければならないため、行革の効果はないのではないか」とも述べました。一方町長は最後に「今後検討していく」との答弁を残しました。
私の質問は「昨年は廃止をしない(できない)との答弁であった。助役はその理由も述べられた。しかし法は廃止せよと今般改正された。島本町はどうするのか?」また「収入役に代わる新たな部長職は必要ない。公金管理が適正に行えるシステムは他にもある」「現収入役の在任期間満了を待つ必要はない。来年当初の廃止を求める」さらには「町長は退職金を半減する公約を掲げている。特別職として同様の収入役も退職金は減額の見直しをするべきである」といった内容です。
当の収入役を目の前にして厳しい質問はやりにくいものですが、仕方がありません。もって回って言うよりは単刀直入ズバッと訊きました。特に失点のない現収入役ですが、率先して改革の範を示すこともその役職が背負う宿命なのではないでしょうか。最後に助役は「地方自治法上の位置づけも含めて理解をして頂きたい」と答弁しましたが、よくわからないです。ズバッと訊いたのだからスキッと答えてもらわなければねぇー。
町長は部長たちをちゃんと叱ることができるのかしら?
(2006年7月7日 金曜日)
結局議会の日程はさらに1日延長して7月3日が最終日となりました。夕方5時前に閉会しましたが、そのあと庁議が開かれています。後日の要点録を見ると、町長は遠慮しいしい部長たちに注意を与えています。「今議会において、理事者として一生懸命にやっていることが、十分理解されなかったのではないかと思う。努力の結果として、誠意が相手に伝わるよう、今後とも適切に対応されたい」との発言です。
文章にするとそんなに柔な感じはしませんが、きっと実際の喋り言葉はもっと遠慮がちであったに違いありません。そりゃーやっと2年生になった町長が30年以上も役場の仕事をしてきた部長たちに厳しい注意はしにくいかもしれないでしょう。また役場の職員、部長クラスといえども“人の子”叱るより誉めて育てるのが基本かも知れません。
しかし今議会において理事者の不十分な答弁内容や資料不足等はかなり目立ち、「まずいな」と思う場面は何回もありました。さらには議案においても3月に起こした公用車の事故が4月の人事異動の際も引き継がれず、また3ヶ月間議会への報告もなく、今議会にいきなり上げられてきたこともあります。このような状況を目の当たりにすると、とても町長が言うように「理事者として一生懸命にやっている」とは思われないのです。
町長は職員の良いところは十二分に誉めてあげればいいと思いますが、良くないところはもっとビシッと注意しなければいけないのではありませんか。明らかに「理事者として一生懸命やっていない」こともあるのです。要点録に書かれた言葉を読んでいると、例え疑問符のつく「理事者の一生懸命」でも、それを「十分に理解しない」議会が悪いと言われているように感じてしまいます。町長は遠慮しないで議会にも住民にももっとわかりやすい、毅然とした態度で職員への指導をするべきだと思います。
後日の話になりますが7月3日に開かれた庁議の資料と要点録が文化情報コーナーにファイルされたのは7月13日でした。会議が終われば直ちに資料だけでも先に綴じることになっているはずですが、どうも決まりが守られません。何度目かの請求でやっと綴じ込みに来た職員は、請求の当の本人(私)が目の前にいるにも係わらず無言でファイルして去って行きました。あの〜、「お待たせしました」か「どうぞご覧下さい」ぐらいのことが言えないのでしょうか?こんなんじゃ町長が言う「誠意が相手に伝わる」わけないですね。
もう「島本町だけは安心」と言い切れない状況に
(2006年7月8日 土曜日)
「島本で女子中学生に暴行容疑の男逮捕」朝刊の見出しが飛び込んできました。1段見出しの小さな記事ですが、単なる声かけや露出狂の類よりは遥かに悪質な犯罪です。昨日午前7時前に広瀬5丁目の路上で、登校中の女子中学生(私学)に男が声をかけ、付きまとい、逃げようとする女性生徒の腕をつかんで口をふさぎました。女生徒の大声で犯人は逃走しましたが、30分後に暴行容疑で逮捕されました。
犯人は25歳、高浜のパチンコ店店員で「わいせつ目的だった」と供述しています。今月に入り町内では従来にもまして頻繁に声かけが発生しているため、警察では余罪を追及していきます。以上が記事の内容ですが、実は本事件の少し前の時刻に第二中学校の女生徒が同じように声をかけられる事案が起きていました。
第二中学校からの通報による警察パトロール開始の中で、二番目の犯行に及んだ犯人は直ちに逮捕されたと言うことです。二中生徒の詳細な犯人像の記憶が警察に伝わっていたからこそ、逃走中の犯人逮捕が容易であったと後日(7月10日)の教育委員会議では報告がありました。新聞には第一の事案は記載されていませんでした。今回の事件で分ったように町内公立学校と私学との連絡網は繋がっておらず、お互いがそれぞれ警察に通報している状況です。
同じ町に住む子どもの安全対策網が全て繋がっていてこそ、十分な機能が発揮できるのですから、今回の連続事件は今後の大きな課題であると思います。
町立プール「あと2〜3年は現状維持でいく」と教育長の答弁
(2006年7月9日 日曜日)
私は5月5日の日記で、シーズンを控えて多量の漏水が止まらないプールを心配し「今年の町立プールは大丈夫?」と書きました。その後、プールの漏水調査報告書をもとに担当課へのヒヤリングや現地調査を行い、6月議会において一般質問の1つとして取り上げました。教育長が答弁した結論は「今年、来年は補修を行い2〜3年はもたせる」でした。
私は何が何でもプールを新設しなさいと言っているわけではありません。むしろ第三次・四次の行革プランで示された小・中学校プールの活用の実現に力を注ぐ方が、小さな島本町の方向性として望ましいと思っています。
新設は屋外プールであっても、緑地公園建設時に試算された金額は4億4千万円でした。(結局プール予定地は「はらっぱ広場」とそれらしい名をつけられたまま放って置かれています)。また財政状況からしてもう手の届かなくなった屋内プール(温水プール)については、町の建設費試算額は8億円(うち補助金が最大1億5千万円つくかも)でした。また屋内プールは屋外に比べ維持費が大きく、使用料を差し引いても年間5千万円を超える支出が試算されています。試算当時から既に7年を経ていますから、今ならもっと大きい金額になるかもしれません。
今年の4月に役場の機構改革があり、社会教育課と生涯学習課を統合して生涯学習課になりました。その時の職員引継書には平成19年度以降はプールの廃止予定が「?」マーク付きながら示されています。つまり現プールをどうするのかを検討する時間は8ヶ月間くらいで、結論を出すのはそう先のことではないということです。
それではいつまで現プールを使用するのか、補修はどの程度までお金をかけるのか、新しいプールを建設するのか、新しいプールは屋外か屋内か、学校プールは町立プール廃止後の受け皿施設としてどのように活用するのか、私はこれらの疑問について再質問しました。出てきた答えが標題の「2〜3年現状維持でいく」です。
う〜ん、それならその間に住民参画で抜本的な検討を行う必要があります。しかし最後の最後に教育長の答弁「教育委員会としては温水プールを願っている(が厳しい)」が出ました。こんなことを議会の答弁として行うから、またややこしくなります。教育予算は町長部局が握っているのだから、町長から「温水プールも検討せよ」との指示が出ているのか、本気で温水プール実現に向って努力していくのか、それとも住民への単なるリップサービスなのか、或いは温水プールを求めてきたスポーツ団体等に気を使っているポーズなのか・・・全くよく解かりません。
今回は町長に最後の詰めをする時間がありませんでした。9月の決算に対する会派代表質疑は私が行いますので,その時に確認したいと考えています。
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大プール | 中プール | |
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プール休憩所 | はらっぱ広場(水無瀬川緑地公園) |
写真は7月10日朝一番にプールを訪れて撮ったものです。平日ですが第二小学校が創立記念日で、何人かの子どもたちがすでに歓声をあげていました。大・中・小のプール、更衣室・トイレ、シャワー等々見て回りましたが、やはり老朽化は随所に感じました。
監視員さんにも話を訊きましたが、漏水は激しく毎日相当量の水を補充しなければならないようでした。
教育委員さんは議案の下調べをしている?していない?
(2006年7月10日 月曜日)
9時半から始まった教育委員会議を傍聴しました。本日は5名の委員が全員出席です。私は会議の傍聴をずっと続けていますが、いつも不思議に思っていることがあります。それは委員方の質疑の少なさです。この会議は教育委員会の議決機関です。大事なことはすべてここで決まります。また様々な報告も案件に挙がってきます。それなのに議論の深まりが殆どといってありません。質疑がある場合でも、失礼ながら「それは前もって調べておいてね」というような中身が多いです。
委員の中で一番よく発言しているのは教育長です。教育長は教育委員でありますが、教育委員会から事務の委任を受けている教育委員会事務局の統括者でもあります(事務局のトップは教育次長ですが)。従って質疑を受ける事務局の答弁を解かりながら質していることになります。まあ、なんと言うか“やらせ”みたいな感じがして可笑しいです。教育長も他の委員方が質疑してくれれば、知っているのに知らない振りをして訊かずに済むのにと思っているのかもしれませんが・・・。
例え本町教育委員会事務局がパーフェクトな事業展開をし問題点が無かったとして(そんなことは先ずありえませんが)、具体の議案に対する質疑が必要ないとしても、教育委員は会議の席で広く教育全般に係る問題について自論を展開されるべきだと思います。私は10数年間会議を傍聴してきましたが、魂を揺さぶられるような教育論議を聴いたことはありません。これは採決の際に述べる「討論」が全くないことにも関係しているのでしょう。
失礼を承知で私の感想を述べましたが、本日の会議はそこそこ質疑が出てほっとしました。案件のひとつに「2007年度の小・中学校教科用図書の採択について」がありましたが、「実際に使用している教師の意見を聴かずして、認めるのはいかがなものか?本日結論を出す必要があるのか。教師の意見を収集すべきである」との厳しい質疑が出されました。
オッ!こんな質問は大歓迎です。教育次長は「教科書における問題点は、学年ごと・教科ごとに学校の教育研究会に集約される。研究会の会長は校長であり、校長から教育委員会に報告されている。従って教師の発言の場が保障される体制は整っている」としっかりした答弁をしました。質問と答えがきちんと合っていて、聞いていて安心しました。
その他の案件は「夏休みの指導について」がありました。教育推進課参事は説明の中で、中学1年生の不登校が多いことに触れました。「新1年生の1学期は緊張の中で終えるが夏休みの生活習慣の中で緊張が解け、2学期登校時になっても回復せず不登校になる場合、また登校はしたが2学期の数多い行事に馴染めないで学校に行けなくなってしまう場合が多い。中学1年生の夏休みは注意が必要である」と述べました。
昼食は役場の途中にある「テクテク」(写真)で美味しいランチ(650円)を頂きました。
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午後からは6月分の文書処理簿を頑張って全部閲覧しました。
役場からの帰り道、役場の元職員2人に続けて出会いました。お2人とも議会事務局職員で、私も長い間お世話になった方々です。どちらも足を止めて自転車を止めて近況を尋ねてくださり、暫く話をしました。ちゃんと挨拶が出来ない職員がいると日頃嘆いている私には、職を離れているにも係わらず礼儀正しいお二人が素敵に感じられました。
全く同内容の意見書に以前は反対で今回は賛成、なんのこっちゃ?
(2006年7月11日 火曜日)
7月3日の本会議で私の一般質問が終わってから、久しぶりの意見書(案)が上程されました。意見書の標題は長いので端折りますが、要するに「消費者金融等の高金利を引き下げなさい」という内容です。意見書の背景には経済的理由による自殺者やホームレス・家庭崩壊・犯罪などの社会問題の増加があります。
意見書は政府や国会、関係機関に島本町議会の意思として送付されます。意見書上程のハードルは高く議員の4分の3の賛成があって、初めて日の目を見ます。今まで殆どの意見書(案)は消えていきました。今回は緑風純政会の4名と共産党の2名計6名が提出者となっています。私の会派「人びとの新しい歩み」2名は「保留」をしました。結局賛成は13名で意見書は可決されました。
「保留」の理由は意見書の中身については頷けるものですが、私の質疑に対する提案者の答弁が余りにも準備不足でお粗末であったこと、またわずか3ヶ月前の3月議会に共産党が提出した意見書と全く同内容にも係わらず、前回は反対し上程を阻んだ議員たちへの不信感です。結局この人たちは意見書の中身ではなくて「誰が出した、何処が出した」で判断するに過ぎないのです。
こんなことは判りきっていたことですが、私は一字一句変わらない2つの意見書を前にして「恥ずかしくないのかしら」と改めてため息をつきました。これからは以前にもまして、数を盾に“何でもあり”の議員たちが大手を振って通るのだろうと思うと、気持ちが重たくなりました。
「社会を明るくする運動」集いの講師は話が上手!安全マップもすごい!
(2006年7月12日 水曜日)
百人近く入る会場の第四学習室はほぼ満員でした。運動の主旨からいうと保護司・民生委員の方々が力を注いでくださった「集い」だと思いますが、他にも顔見知りの方が多く参加していました。町長からは挨拶があり教育長や職員も出席していました。ただ議員は私しかいなかったようでしたが・・・。あぁ、主催者側に野村議員がいました。野村さんは保護司の立場で司会を担当していましたが、なかなか軽妙な司会でした。
講演は「地域安全はコミュニティから」と題して八尾市自治推進課辻村課長補佐が話しました。辻村さんの話はとてもわかりやすく適度にユーモアがあって、なによりも“お役所仕事”じゃない、子どもの安全を守るための情熱が強く感じられました。島本町の職員が他自治体に出向いて講師を務めることが、どれくらいの頻度であるのかはわかりませんが、辻村さんのような講演が出来そうな課長・参事・係長クラスの職員の顔を思い浮かべて指折ってみましたら・・・ちょっと寂しい結果になってしまいました。
「安全マップ」作りは何処の自治体でも行われていますが、当町でもつい先ごろ全小学校校区をあわせた(つまりは全町)安全マップが議員にも配布されたところです。そのマップと辻村さんが持参された「○○地区地域安全マップ」を比べてみると、その差は歴然!残念ながら当町のお粗末さが目立ちます。また、当町の教育委員会による学校関係者のみで作成したマップと八尾市の市長部局(自治推進課)がコーディネイトをし、地区福祉委員会と子供の安全見守り隊(ボランティアグループ)と小学校児童の実働で生まれたマップは情報の丁寧さが違います。何よりも子どもが実地検分した危険箇所・危険内容や写真が表示されていることで、地に足がついた情報・安全マップになっています。
当町のマップも総務文教常任委員会として議員たちが関係者と危険箇所を点検しています。また教育委員会と話し合いもして意見も出したということですが、それも反映されていないとすれば問題です。いずれにしても当事者である子どもが安全マップ作りにどう関わったかが、信頼できるマップとなる分かれ目であることは間違いなさそうです。八尾市に負けない当町の安全マップ第2弾を待ちたいと思います。一から始めるのではなく、もうすでに土台は出来ているのですから、今度は子どもたちの視点を丁寧に地図に落としていけばいいのではないでしょうか?
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講師の辻村氏 | 八尾市の安全マップ |
後日辻村さんの役職名を聞くために八尾市役所に電話をしましたが、待っている間の音楽が河内音頭で思わず笑みがこぼれました。何となく楽しそうなお役所だと感じさせてくれましたが、悲しいことや腹立たしいことで電話をしてきた人にはどうなのでしょうか?多分そんなこんなの検討もしたに違いないと思いますが、それでも「河内音頭やで!」なのでしょうね。私は良いと思いました。
資料のない「歴史文化資料館」ではお話しになりません
(2006年7月13日 木曜日)
歴史文化資料館懇話会(以下懇話会と称します)を傍聴します。資料館はJR新駅東駅前広場に位置し2008年春には、新駅開業と同時に本格オープンを予定しています。本日の会議で教育委員会は資料館の基本構想を示しましたが、懇話会の委員から出た意見の多くが、「構想」以前の問題として資料館における現有資料の乏しさを指摘する声でした。
問題は資料が余りにも少ないことです。「これで資料館が成り立つのか心配だ」との意見には切実感が滲み出ていました。先ずは「資料ありき」で収集に着手しなければなりませんが、どんな目的でどういう資料を、どのようにして集めるのかが明確でなく、何処に何があるのか調査すらもされていない・・・この状況で他市町村の資料館が20年掛けてやってきたことを当町は開館までの1年半でやらなければならないのです。
担当の館長も「悩んでいる」と正直な気持ちを吐露していましたが、イマイチ情熱が伝わってきません。職員の先見の明・実践への気迫が余りにも薄いと評しては酷でしょうか?予算や職員の手当て等一担当が越えられない壁があるとは思いますが、それならなお更のこと、住民の代表で参加している懇話会の皆さんを頷かせ味方につけるだけのパワーが必要です。ほどほどやそこそこで資料館の問題は解決できないことを町長や教育長は肝に銘じるべきです。お金がなければないぶん知恵を働かせ、汗をかかなければならないのです。
委員からはたくさんの意見が出ました。
* 先ずは収集にかかわる時間や予算(人の手当ても含めて)がどれだけ必要か調べよう。
* 住民に資料提供の呼びかけをしよう。繰り返しアピールしよう。住民が所有している資料の相談に乗ってあげよう(所有者はごみか資料か悩んでいます)。
* 庶民の暮しや祭りにかかわる資料はあるはずだ。民族資料と歴史資料に絞って収集してはどうか。
* テーマを決めてテーマに沿った資料を集めてはどうか。
* 具体的な取り組みをしよう。農家や旧家を尋ねて回ってみてはどうか。
* 各種団体にサポートしてもらおう。
font size="+1" color="#330000">* 駅前の利点を生かしてリピーターになってもらえる資料館になろう。そのためには3世代が、触れて学んで創造できるアクティブな“体験資料館”を目指そう。住民の自由な研究発表の場を提供しよう。
そして出てきたのが郷土玩具資料館元「伏偶舎」Oさんの資料です。当資料についてはこの日記でも、また3月議会の一般質問でも取り上げたほど私はその流失を惜しみ町の対応を質してきました。○○委員の意見は「高槻市に既に寄付されてしまった伏見人形等については仕方がない。しかし今まさに高槻市に出て行こうとしている予定の寄贈品については、せめて島本町に関係があるもの(たとえば楠公焼の品々)は残せないのか。もし残すことができれば、他の迷える寄贈者の気持ちも動くのではないか。島本町なら寄付した資料を大切に残してくれるとの評価が生まれるはずだ」と言う内容でした。
私はまだまだ伏見人形を諦め切れませんが、上記の委員の意見はもっともだと思いました。また懇話会がやっと「伏偶舎」の資料寄贈問題について認識され、その上で新たな課題を供されたことについて少し胸のつかえが取れました。しかし資料館館長は「元伏偶舎の〇氏が収集された資料については、改めて教育委員会として正式にお願いしたことは無い」と答えました。私は「せめてまだ手元においておられる資料は流失をくい止めるべきだ。早急に対策をとってほしい」と強く願いました(傍聴なので心の中で叫んでいました)。懇話会会長の「教育委員会事務局と相談をして、どういう手法が取れるのかを検討したい」の言葉で終わりましたが、今後も継続的な確認が必要だと私は思いました。
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整備が進む駅東広場、正面が歴史文化資料館 | 右手の木立は史跡公園:桜井の駅跡 |
Fさんの周りにはいつも涼やかな風が吹いているようでした
(2006年7月14日 金曜日)
80余年の命を終えて旅立たれたFさんのお葬式に参列しました。参列者は思いがけずFさんからのお手紙を頂きました。私は延命治療を拒否された証のカードや自作の絵画が飾られたロビーでそっとお便りを拝見しました。Fさんの辞世の手紙、悲しくて読めないかも泣いてしまうかもと思いましたが、Fさんの知性はもちろん、所々顔をのぞかせる茶目っ気までもが感じられる文面でした。
むしろ送る私たちが励まされ、安心して優しい気持ちになってFさんの旅立ちを受け入れことが出来るように書かれた手紙のように感じました。いつも周りの人たちをそれとなく導き、大事なことに気づかせてくれる本物の紳士でした。Fさんの周りにはいつも気持ちよい涼やかな風が吹いていた、私はお手紙を読みながら確かにその風を感じたような気がしました。
私の選挙や議員活動にも随分エールを送ってくださいました。また町長選挙に破れ、ヘルパーをしながら細々と市民活動をしていた時も静かで温かい励ましを頂きました。JR新駅計画により西側の田園破壊を心配した私たち市民の対案計画を、Fさんは大変評価してくださいました。同窓の京都大学名誉教授の先生にも計画の冊子を送ってくださり「いつでも紹介しますよ」とも言われました。
私とは20歳と少し離れていたFさんです。反戦の思いも自然界の不思議さも島本町の変遷も、もっともっとお話しを聞かせてもらっておくべきでした。でも「そんなにバタバタしなくていいですよ」とFさんの声が聞えるような気もします。「あるがままでいいですよ、あなたのままでいいですよ」駅前での街宣時に、そう伝えてくださった言葉が今も鮮やかに甦ってきます。
一点の曇もなく町有地の売却が運びますように
(2006年7月15日 土曜日)
2002年度に町は不動産の寄付を受けました。場所は高槻市昭和台町二丁目294番1です。当町第三小学校に勤務していた教諭が亡くなられて、その相続人の方から150.45平方メートルの土地と98.94平方メートルの家屋(1980年築)を頂きました。「これらを売却し教育に活用して欲しい」とのご遺志に基づき、今般町は一般競争入札による売却をすることとなりました。
詳細は町広報紙・ホームページに掲載されていますが、私は当たり前のことながら、公明正大な売却が行われなければならないと思っています。入札事務等がスムースに進行することはもちろんですが、住民から見ても納得のいく一点の曇も無い売却でなければなりません。町が売り主であるということは住民の厳しい視線が注がれて当然です。痛くも無い腹をさぐられるようなことは微塵もあってはなりません。
売却は広い範囲に機会を供し、より競争の原理が働くように一般競争入札が行われます。入札参加資格に適合すれば、法令上は地方自治法施行令第67条の4(一般競争入札の参加者の資格)で示している「契約締結能力を有しない者、破産者で復権をえない者等は参加できない」でない限り可能です。
町の入札要領にも参加できない人の条件が列記されています。最後の所に「島本町職員」とありますが、これは地方自治法第238条の3「職員の行為の制限」が該当するもので「公有財産に関する事務に従事する職員は、その取り扱いに係る公有財産を譲り受け、又は自己の所有物と交換することができない」と定められていますから当然です。
私はこれを見たときに「町職員」だけでなく「職員の近しい家族」も「議会議員」も入れるべきだと思いました。その観点で私は当町が参考にした茨木市(「ああ、島本町から訊きに来られましたよ」と言っていましたが)にも大阪府にも問い合わせましたが、結局は両方とも地方自治法や地方公務員法で制限を課しているものとし「職員」は入札参加不可の文言を入れてもいませんでした。
むしろ島本町のほうが慎重で、あえて明記していることがわかりました。また職員の家族については職員本人に守秘義務が課せられているため、入札情報が流出することが無いとされて挙げていないという説明でした。(公務員の守秘義務は対象を限っているものでなく全てを対象としているということになってはいますが・・・どうなんでしょう?)
なお当該物件についての不動産鑑定はすでに取っており、予定価格は定められています(これこそは秘密情報なので、当然黒塗りで公開されました)。従って最高入札額が予定価格に達していない場合は入札をやり直し、不調に終わる場合もあるかもしれません。
今回入札参加は広く門戸を開けていますが、入札保証金の用意も必要で一般の入札者はなかなか大変です。いずれにしても寄付をしてくださった方のご遺志に添う、公平透明な正しい入札が行われるよう私も注視していきたいと思っています。なお希望されていた「教育への活用を」の中身については、教育次長も総務部次長も「まだ全く検討していません」とのことでした。
田植え後1ヶ月で緑の絨毯に
(2006年7月16日 木曜日)
6月6日は第四小学校の田植えを、そして6月16日には第三小学校の田植えを見学しました。1ヶ月前には泥の田んぼの中に華奢な稲の苗が、ショボショボと心細そうに風に揺れそれでも精一杯行儀よくならんで植わっていました。
今町内の田んぼでは、ひょろりとしていた苗が見事に株を太らせて緑の絨毯になりました。三小と四小の田んぼを散歩がてら見に行ってきました。しっかり元気に育っています。立派になった稲に比べて四小の「学習田」の看板が、古くて朽ちそうで気になりました(新しい堂々とした看板がほしいなぁ)。三小の田植え終了後、子どもたちが大阪府の職員にした質問をいくつか紹介します。
* ひとつの稲穂に何つぶの米が出来るの?・・・ 5千〜6千つぶです
* 米はなぜ白いの?・・・・・・・・・・・・・ 白いでんぷんの袋に包まれているからです
* 米の花はいつ咲くの?どんな花?・・・・・・ 8月ごろ咲きます。どんな花かは自分で確かめてみましょう。
* この苗はどこで生まれたの?・・・・・・・・ 高槻の農協です。
* 大阪で一番多い米の品種は?・・・・・・・・ ?(答えを聞き漏らしました・・ごめんなさい)
今年も2校の稲は、たくさんの人々の協力でスクスクと大きく成長していました。これから稲刈りまで、農家のみなさんにはまだまだお世話になることでしょうね。
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三小学習田 | 四小学習田(手前) | こんなに成長しました |
汗びっしょりのトイレ掃除・・・私もそうだった
(2006年7月17日 月曜日)
役場で働く人々は町の職員だけではありません。庁舎の機械設備管理・警備・案内(電話交換手やフロアーパーソン)・清掃・売店・バスの運行・銀行・コンピューター維持管理等の業務が派遣や請負の形で日々行われています。実にたくさんの人たちが“縁の下の力持ち”的存在で役場の業務を支えていることが判ります。これらの仕事に携わる人びととは、私も毎日ではありませんがよく顔をあわせます。
特に3階の議会フロアーで清掃を担当している女性たちとは、トイレでばったり出会うことが多いです。「ただいま清掃中」の看板が入り口においてあるにも係わらず、私はよく掃除の邪魔をしているので申し訳ないなーと思っています。挨拶を交わすほかに、いつも一言二言話をしています。
早春から秋が深まる間まで、ずっと彼女たちの額には汗が吹き出ています。特にこの暑い季節は、作業着がびっしょりと濡れて背中に張り付いています。どんなに暑いことか、頭のてっぺんから足の先まで熱気に包まれて、まるで火の玉を抱きながら便器を磨いている状態だと察します。
トイレ掃除に汗している彼女たちの姿は、3年と少し前の私と重なって見えます。認知症のお年よりをお世話するヘルパーの仕事でしたが、朝のトイレ掃除は入居者の朝食中に済ませておかなければならず、時間に追われるキツイ作業のひとつでした。個室9部屋のトイレはそれぞれ一夜明けるとそれこそ“見事な状態”になっていて、通りいっぺんの掃除ではかないませんでした。排泄物の“落し物”が何処にあるやも知れず、トイレからたどってタンスの引き出しやベッドの中から見つけることもしばしばでした。
しかし掃除をし清潔な状態に居室を整える作業にも増して大事なことは、排泄物やトイレ部屋の状況からお年よりひとり一人の体調と心の状態を見て取ることでした。心が落ち着いていて安らかな睡眠が取れていればトイレも何事もなく朝を迎えているし、そうでない時は引きちぎられた紙おむつや便の手形が所構わずペタペタとといった具合です。もちろん夜勤者が詰めてはいますが、アクシデントはヘルパーの隙を突いて起きる(起こす?)のです。
「キツイ仕事やったなー」、今一度ヘルパーの仕事に戻れるかと自問してみますが答えはなかなか出ません。私のようなわずかばかりの介護の仕事であれこれ言える立場ではありませんが、でもあの経験がなければ今の私はないし頑張る源も見出せなかったと思います。ありがたい仕事だったと、心からそう思えます。役場のトイレを清掃している人たちは、どんな思いで仕事に励んでくれているのでしょうか・・・。
第二小学校新校舎建設が進行しています
(2006年7月18日 火曜日)
今年12月の完成を目指して工事が進んでいます。学校教育課と建設産業課に頼んで現場を見学させてもらいました。鉄筋を吊り上げる大きなクレーンが稼動し、現在1・2階の配筋工事(鉄筋の枠組み)が終わり3階部分に取り掛かっていました。1階ずつ配筋が修了する度に大阪府の検査が入ります。この工程が済むとコンクリートが流し込まれます。
私は現場には立ち入れないので、工事事務所の2階から見学しました。一応ヘルメットを被らせてもらい、工事監理の責任者と建設課の担当職員に説明をしてもらいました。もう夏休みが目前ですが、休みに入ると工事はピッチを上げます。しかし学童保育の子どもたちは変わらず登校してくるため、気を抜かないよう安全対策を万全にとお願いしました。
今日は現存の校舎と新校舎を繋ぐ渡り廊下の枠組みもまだ造られていなかったため、新校舎のイメージが掴めるような段階ではありませんでした。しかし5ヵ月後には堂々の完成なのですね。思えば談合情報による2度の入札トラブルでスタートから躓き、当初は夏休み中の完成が随分遅れてしまいました。
秋には運動会等学校行事も行われるため、事故のないよう無事乗り切って欲しいと要望しておきました。ちなみに運動会の時にはグランド拡大のために、今の工事用スペースはグッと狭くするそうです。つまり工事のフェンスを設置し直すとか・・・余分な工事費が必要なのかどうかは訊き忘れました。建物が建ちあがった頃にもう一度見学することをお願いして二小を後にしました。今回は産業建設課の職員に労をとってもらい感謝しています。
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激しい長雨が続きます
(2006年7月19日 水曜日)
数日前からの雨に加えて、未明から激しい降雨となりました。役場には町内5ヶ所の時間降雨量を観測し自動送信されてくる機器が設置されています。午前2時35分「向谷」で146mm・3時44分「尺代」で146mm・4時35分「若山台」で150mmいずれも避難基準を超える雨量が観測されています。6時42分北大阪地域に大雨・洪水警報が発表され、役場は事前配備体制に入り職員に招集がかけられました。
8時台には職員が道路・河川等と急傾斜地をそれぞれ3ルートに分れて点検、いずれも「異常なし」の報告がされています。9時20分には防災対策会議が開かれましたが、この日はその後雨も収まり10時前には事前配備が解かれました。しかしこの後20日 ・21日と再び降雨量は増し、急傾斜地点検が3回行われています。多くの職員が住民の安全のために働いてくれていたことが分り、うれしくありがたく思いました。
私は臨時議会に提出される国民健康保険の議案説明を受けるため、11時に間に合うようにまだ激しく降る雨の中を役場に向いました。お昼に終わり、昨日から帰宅している(所沢に転勤して5ヶ月ぶり初めての里帰りです)次男を送りがてら京都へ出ます。途中JR山崎駅の手前、関戸明神の所で西谷川水路の水量の状況を見ておきます。
6月18日の日記で書いている大阪水上隣保館を通る水路の機能が心配されていますが、激しい雨に耐えうるのかを下流のこの箇所で見分しておきたいと思ったからです。水が溢れ出している状況ではありませんが、相当の水量で流れも随分速くなっています(平時との比較を写真で見比べてください)。
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6月18日 A | 7月19日 A | 7月19日 Aの下流 |
京都では丁度観たかった藤田嗣治展に直行しました。すごい人で頭越しに有名な「カフェにて」等を観賞(と言うより見た!って感じ)しました。その後冷やかしに入った平安神宮参道沿いの骨董屋さんで、蘊蓄関係無しで気に入った江戸時代後期の鉢に出会ってしまいました。諦めのつくお値段ならよかったのですが、ちょっと無理すると手が届きそうなのが運のつき、え〜いっ!と清水の舞台から飛び降りてしまいました。次男を送りに行った京都、えらい高こうついてしまいました。
急な臨時議会の知らせ
(2006年7月20日 木曜日)
14日にいきなり「7月27日臨時議会開催」のファクスが届きました。今日の議員全員協議会はその議案説明の為に開かれました。いつもは会派ごとの説明があるのですが、議案が3件と少ないのと議会開会までに日にちが無いためと思われます。
議員は何があっても公務優先ですし、ましてや本会議出席は最優先ですから文句は言えません。しかし本当に急な召集のため何事かと思いました。私自身は既に予定を入れていた視覚障がいを持つ人への朗読テープ作り(吹込み本番)を欠席しなければならなくなりました。
私は常々「議会を招集する暇がないために専決処分を行いました」という理事者のやり方に異議を唱えてきた方です。専決処分は議会の意思決定を経ずして事業執行がされるため、議員は事後の報告に対して謂わば抜け殻の質疑・採決を行うに過ぎません。従って「済んでしまったこと」を元に戻すことが出来ない専決処分は、悪用されれば首長の暴走に繋がりかねないわけで行わないに越したことはないのです。
また地方自治法の改正により、従来の専決処分理由「議会招集の暇がない」は通らなくなりました。法第179条第1項で「理由を明確にしなければならない」となったからです。さらには今回議案として上げられている「国民健康保険法」改正に係る当町の条例改正及び補正予算は、国保の本算定日を8月1日としているため、それまでに議会に諮るための日程設定は何ら異議を唱えるものではありません。
ところが話を聞いていると、民生部ではどうやらもっと早い時期から改正の必要性を承知していたにも係わらず「専決処分をして次期の9月議会に報告すればいい」と判断していたらしいのです。それを知った助役の“鶴の一声”(かどうかは分りませんが、怒ったらしい?)で、急遽の臨時議会となったと聞いています。助役は“理詰めの人”でその主張は正しい(ことも多い)ですから、建前上は私も「それ(臨時議会開催)でよし」と頷かざるを得ません。
従ってむしろ招集を受けた議長側に、当たり前のもうひと働きがあってしかるべきだったと私は思っています。「会派代表者会議を開きなさい」とまでは言いませんが、臨時議会の日程をいきなり送ってくる前に、せめて会派の代表者に電話連絡ぐらいはしても当然ではないでしょうか。私は近頃何かにつけ、議長の“荒っぽい”進め方が気になっていますが、私一人の思いすごしであればと願っています・・・。
なお7月27日の臨時議会には、公共下水道会計の補正予算も上げられます。中身は少しでも公債費の軽減を図るために、利息の安い公営企業金融公庫債に3,920万円を借り換える補正です。これで約450万円の節減になりますから、その努力は評価したいと思います。
いつ何処で決まったの?防災訓練の中止
(2006年7月21日 金曜日)
毎年8月か9月に行われている町の防災訓練中止を知らせるファックスが送信されてきました。中止の理由は「今年度は9月24日に茨木市で開かれる大阪府・三島地区合同防災訓練に参加するため」と書かれています。合同訓練は大規模であり、それなりの意義ある訓練だとは思います。一方町の訓練もややマンネリ感が無きにしも非ずなので、1回くらいは中止しても構わないかなと私は思いました。
しかし、これって誰がいつ決めたんでしょう?7月14日の庁議でも出ていないし、昨日は議員が全員集まる会議があったのに町長は何も報告していません。町防災訓練の中止をその理由や経緯を書かないファックス1枚で、議会に説明責任を果たしているとはとても思えません。
議会は3月の当初予算で2つの訓練の予算を認めたのですから、しっかりした報告くらいはしてもらって当たり前です。なんだかこの頃「忘れてた」とかサラリと言いながら、理事者側の議会軽視がボロボロ出てきているような感じがしてなりません。私は担当職員や町長にも直接訊いてみましたが、よくわかりません。とにかく27日に開会の臨時議会で報告せよと伝えておきました。
ちなみに摂津市・茨木市は当町同様独自の防災訓練を中止し、合同訓練にドッキングします。高槻市は2つの訓練を行うと聞いています。
変わらぬ元気印の辻元さん・小沢さん
(2006年7月22日 土曜日)
1週間雨が続きました。各地で大きな被害が出ています。今日も午前中は降っていましたので、水無瀬川ウォッチングは中止です。もし晴れていても川は増水しているし、流れも早くて危険でしょう。準備をしてきた生活環境課の職員はさぞガッカリしていると思います。それとも、「助かった!」と内心ホッとしているかも・・・。
お昼にはやっと雨が上がりました。現金なもので陽が差し始めると、蝉が一斉に鳴き出しました。ミ〜ンミ〜ンなんて生易しいものではありません。耳から入る音というよりは金属音が容赦なく体中に叩きつけられるような、そんな音です。うるさくて暑さが余計に増します。
夜の7時から同じメゾンに住む知人宅で、辻元清美衆議院議員の国政報告会がありました。会場のお宅には30人近い人びとが集まっていました。久しぶりにお会いする顔もあってうれしかったです。小沢福子大阪府議会議員がゲスト参加していました。辻元さん・小沢さん共に変わらぬ元気印、会場は大いに盛り上がりました。
政治の話を楽しく開放的に語って聴かせてくれるのは、やっぱり辻元さん!ピカイチですね。国会での駆け引き・裏話もポンポン飛び出し、あっと言う間の2時間でした。冊子にした私の日記も、皆さんに配ってもらってありがたかったです。辻元さん・小沢さんには「今度は私の所でも報告会をどうぞ」と伝えて分かれました。
島本合唱フェスティバルでこころ涼やかに
(2006年7月23日 日曜日)
また雨の一日に戻ってしまいましたが、午後からはコーラスを聴きにケリヤホールへ出かけます。11回目を迎えた合唱フェスタは、もうすっかりお馴染みの催しです。町内のコーラスグループが一堂に会するため、お客さんも多く殆ど満席の状態でした。
出演の7グループはそれぞれ個性的で、素敵なハーモニーを披露されました。写真は時折撮ったので全てのグループを写していませんが、少しでも舞台の雰囲気をお届けできるのではと掲載しました。
合唱も良かったのですが、司会者もまた明るくて優しい声でとても上手でした。同じメゾンに住んでいてよく知っている方だったので、うれしい驚きでした。フィナーレは全員で「夏の思い出」を歌いました。「夏が来れば 思い出す はるかな尾瀬 遠い空〜」美しい歌詞が会場一杯に響き渡って、清々しいひとときを頂いた満足感でみんなの顔が輝いていました。
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やまぶき園のアスベストは、封じ込め塗装では大丈夫じゃありません
(2006年7月24日 月曜日)
急遽バタバタと開かれる27日の臨時会のための議会運営委員会がもたれました。今議会の議案は高額の医療費に係る国民健康保険条例の改正とそれに伴う国保の補正予算、及び公共下水道会計における町債の借り換え(低利息の公営企業債に借り換え公債費の削減を図る)に伴う補正予算の3件です。
私は議案のほかに町長の行政報告として、町防災訓練の中止・及び長く降り続いた雨の影響による水路等点検・急傾斜地調査結果を述べるべきだと提起しました。私が言い出しっぺなのに、珍しく議運の委員全員が賛成しました。議長から町長に伝え、後は町長の判断にゆだねられます。
結局議会当日、防災訓練の中止は冒頭の町長挨拶の中で述べられました。南部にせっつかれて行政報告とし、議事日程に組み込むのはケッタクソ悪いのか「挨拶」にトーンダウンさせてしまいました。
午後からは町立の知的障害者通所授産施設「やまぶき園」を訪ねました。やまぶき園には今年の4月に指定管理者制度が導入されました。指定管理者には、やまぶき園が町直営でなくなった時から一貫して受託してきた四天王寺福祉事業団があたっています(町は事業団以外には募集をかけなかったから、そうなりました)。
従ってスタッフも変わらず、障害をもつ人は急激な変化を感じることなく通っているようです。むしろ施設長の悩みは障害者自立支援法による経営の厳しさと、園生の費用負担増を実感する苦しさにあることが言葉の端々に現れていました。
やまぶき園の第三委員による評価結果が出ていました。3人の評価委員は非常に良い評価を与えていますが、多分に甘い点数がつけられているようにも感じます。委員の増員や年齢層・職業等も種々変えて見てはどうでしょうか。また専門性のある視点でのチェックも必要ではないでしょうか。別途園生ひとり一人の様子も町に報告されていますが、記録の中身はなかなか生々しいものでスタッフの苦労が伺えました。
さて、私が今日やまぶき園を訪ねたのは天井裏の配管に吹き付けられたアスベストの処置を確認する事が第一の目的です。昨年実地検分に訪れた時は、モコモコの石綿がまさししく“綿”のような状況で存在していました。1階の厨房倉庫・2階の相談室と研修室の天井には有孔ボードが使用されており、アスベストは天井ボードの孔(穴)を通って建物全体を汚染している恐れがありました。ちなみに園のアスベスト値は町内施設でも庁舎機械室に次ぐ高い値で、白石綿8.9パーセントを含有しています。
今年の3月の計画ではやまぶき園の除去工事は、2006年2月末から2007年5月末にかけて行われる予定になっていました。概算工事費は約5千50万円とされています。それがなぜ除去ではなくて封じ込めの簡易工事になってしまったのでしょうか。
封じ込めの工事はボードの上から塗料をぬって穴を塞いだのですが、写真のように雨漏りによる剥離が早くも現れてきています(私の指摘も重なって翌日応急工事が施されました)。工事費はわずか50万円弱でした。この時まで除去工事が行われるとばかり思っていたので、私は大変心外で厳しく理事者を問い詰めたことはまだ記憶に残っています。
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やまぶき園 | 塗装した天井 | 再補修が必要 |
町は除去工事となると建物を封鎖するので、やまぶき園の仮施設が必要となりますが代替施設が見つからないこと、またそもそも施設の老朽化が激しく、多額の投資をする必要性があるや無しやの検討も必要と助役は答えました。当然そのことも含めての計画ではなかったのではないでしょうか?仮施設とする建物が見つからないから諦めるのでしょうか?町は代替施設を捜すために、どのような努力を現実的に行っているのでしょうか?
「園生と職員の健康と命をどう考え、どう守るか」町が基本的に求められるこの責務は放棄できないのです。抜本的な施設整備のあり方が問われています。有孔ボードの塗り込めでアスベスト対策をとったつもりでも、それはあくまでも暫定措置に過ぎないのです。
「町長席」への来訪内容、みなさんも情報共有できますよ
(2006年7月25日 火曜日)
川口町長の本音と建前は私には判りませんが、何とか前町長との違いを打ち出して「住民と近い町長」をアピールしたがっていることはわかります。月曜日の朝1時間だけですが「町長席にどうぞいらっしゃい」というささやかな試みも、町長のいわばパフォーマンス的発想から始めたものだと思われますが、すでにほぼ定着して毎週行われています。
職員や議員の間で未だにアレコレ言う人もいますが、まあ「継続は力なり」との格言どおり“やったもん勝ち”で始まった新しい試みも、続けていくことによってそれなりに庁舎内外に認知度を深めつつあります。6月議会において○議員が「町長一人で来客に対応するのはいかがなものか。また来客の話の内容は町長だけが承知すべきことでもないはずだ」等の一般質問を行ったのは、それなりに「町長席」を意識しているからこそ行った投げかけだと思います。
彼の会派は多分まだ町長選挙のしこりを引きずっていると思われますから「町長席」に声援を送る立場ではなく、むしろ“イチャモン的要素”が多分に含まれた質問だと私は感じました。でも反対に言うと、それだけ気になっているってことの証ではないでしょうか。
S議員の本音がそれこそ何処にあったのかはわかりませんが、当の質問によって「町長席来訪者カード」が作成されました。もちろん情報公開の対象になりますから、誰でも「町長席」の内容がわかりますし、回答を要するものについてはその経過や結果も知ることができます。私も早速情報を入手して「フムフム」と頷いたり「ヘ〜っ?」と首を傾げたりしながら、後追いで「町長席」に参加している気分でいます。
いいじゃないですか!新しくお金もかからない「町長席」の実施によって、住民の方々がダイレクトに声を届けてくださる場が一つでも増えたし、町の回答によっては町政への理解も深めて頂けることだってあるのですから・・・(まっ、その反対もありえるかも!?)。
会費を払っているのに総会に出席できないのはなぜ?
(2006年7月26日 水曜日)
住民の方から標題のような電話を頂きました。「総会」と言うのは地域人権協会の総会です。「広く住民へ配布されている地域人権協会のチラシを見て会員になった。ところが総会に出て意見を述べることはできないと言われた。会費を払って会員になっているのに、発言できる場がないのはおかしいと思う」と言われました。
う〜ん?確かに、普通「総会」と言うと一般会員の発言が保障されていますよね。私は地域人権協会の会員ではないので「詳しくはちょっと調べてみます」と電話を切りました。当協会は単なる町の補助金団体ではなく、町行政と密接な連携を持ちつつ活動をしている団体です。行政関係者が充職で理事や評議員として参画もしています。
そこで役場の人権推進課に訊いてみました。課長は「確かに一般会員の総会参加については課題として存在しています。ただ協会の場合は総会が評議委員会となっていますから・・・」と答えました。課長から協会の規約をもらって読んでみると、え〜っ!普通私たちが想定している「総会」は存在しないの?規約には、たった18名の評議員会が(総会)だと括弧書きされています。
確かに規約を読めば電話の方の疑問に対する答えは書かれているのですが、人権推進課長がいみじくも言ったようにこれは「課題」、というより「問題」だと会員でない私でも思いました。協会の規約には「目的」として「本会は、島本町における同和問題をはじめとするさまざまな人権問題のすみやかな解決を図り、差別のない人権尊重のコミュニティの実現に寄与することを目的とする」とも書かれています。
上記に示した協会の「目的」にそう活動は評議員会という一部の役員の声で決められるのではなく、会員に広く声を求めることを保障してこそ成り立つのではないでしょうか。人権尊重を目的とする団体が、ひとり一人の会員の権利(人権)を無視している現実は、やはりおかしいと思います。
電話の方には規約の内容と私の見解を伝えました。加えて「お知り合いの評議員がおられないなら、役場の職員も理事や評議員になっていますので、役場に声を届けられてはどうでしょうか」といいました。「いえ、そんなめんどくさいことする気はありません。次の会員募集に応じなければ、会員をやめることができますから」との答えが返ってきました。なんだか残念で申し訳ない思いでいっぱいです。充職の行政関係者の皆さんには、評議員会でぜひ問題提起を行って頂きたいとお願いしておきます。
質疑ができなかった後味の悪い臨時議会でした
(2006年7月27日 木曜日)
バタバタと急な臨時議会が開会しました。議案は3件のみで、国民健康保険(以下国保と言います)条例の一部改正と当条例改正に伴う補正予算、そして公共下水道事業特別会計の補正予算です。
国保に係っては、私たち(被保険者)が同じ月に同じ病院で使った費用が、今までは70万円を超えた額の60%相当額が島本町(保険者)に返ってきました(70万円を越える医療費を高額医療費と言います)。このたびの改正で70万円の限度が80万円に引き上げられ、町に返ってくる率も59%に引き下げられました。一方、本改正内容で2009年度までの延長が図られることになっています。
この制度を国保の高額医療費共同事業といい、大阪府内の市町村がお互いに拠出金を出し合って府の国保連合会に集めたのち、それぞれの市町村の高額医療費額に応じて交付されます。いわば「保険(国保)の保険」といった機能を果しているのが当共同事業といえます。ちなみに高額医療費に関しての負担は国・府が4分の1づつ、共同事業からの交付金が2分の1の割合になっています。
なお今回10万円の引き下げによる国保会計の歳入・歳出はともに約1千万円の同額減となり、新たな収入・支出を伴うものではありません。従って私たちの保険料に影響はありませんが、今後の推移は「分らない」との答弁でした。高槻市等では70万円から80万円の引き上げにより影響を受ける被保険者には、一定の減免措置が設けられたと聞きます。当町では「その考えはない」との答弁がありました。
国の医療制度改革が進む中、私たちに新たな負担を強いる改悪が次々と実施されています。今後益々住民への早急なる周知や、減免等の補完策も立てなければならない事態も起こってきます。そのためには国保会計担当課の情報収集・検討能力アップが必要で、ことが迅速に行えないと議会への議案上程も今回のようにタイミングがずれることになります。
すでに早や2ヶ月先の10月1日施行を目前にした新たな制度(30〜80万円未満の医療費に対する共同事業「保険財政共同安定化事業」の創設)に向けて、担当課は9月当初から始まる議会に向けて事務を進めていかなくてはなりません。
当課の超過勤務は4人の職員で4月から6月までの3ヶ月で490時間です。単純に1人1日あたりの残業時間を出せば2時間となります。毎日2時間、あるいは隔日なら1日4時間の超過勤務です。決して尋常な状況ではありません。現行の職員体制で大丈夫か?或は職員が適正配置されていないのか?ここから先は町長・助役の判断が求められます。
私は国保関係の2つの議案については国の政省令改正に係るものであり、厳しい職員体制のもと事務の進め方に不備があっても仕方がないか・・・とも思いましたが、やはり今後国保会計に不安定さを生じかねない現高額医療費共同事業や新共同事業の行方も定かでないこと、また「賛成」の表決によって国保会計を含め民生部の福祉・保険業務に対する職員配置の問題点を有耶無耶にしたくない・・・このような思いから敢えて「保留」の意思を示しました。
3つ目の議案は逼迫した下水道会計に少しでもプラスになる、下水道債の借り換えによる補正予算ですから賛成をしました。本案件に関する質疑はわずか2名でした。私をはじめ2、3名は質疑があったのですが、議長の素早すぎる「質疑終結」で機会を失ってしまいました。
議長は議事進行・整理権の強い権力を有しています。それがゆえに慎重に丁寧に議場における全議員の状況を把握しておかなければなりません。「(質疑)な〜し」の不規則発言は、頻繁に発語されています。そんなものに惑わされないで、しっかりと議員たちを見る目を持っていたら、一瞬のタイミングのずれで「議長」の声と挙手が遅れたとしても、質疑の続行は容易に判断できたはずです。実質的に議員の発言権を封じておいて、サッサと議事を終結する「それがよき議長」だと思っているのなら、大間違いだと私は思っています。私たちの議長はやっぱり「正しい良い議長」であって欲しいから、苦言を呈しています。
ついに認めましたか、挨拶しない職員に助役の苦言
(2006年7月28日 金曜日)
私は常々、職員のマナーや仕事振り(特に接遇にかんすること)についてクレームを呈しています。この日記でもぼやいたことは何度もあります。口うるさい議員、或はあら捜し人間と敬遠されている向きもあります。けれど私は「その接客姿勢いいな」とか、感心したマナーに接した時には出来るだけ自分の気持ちを相手の職員に伝えるようにしています。
「忙しいところお手数をおかけしました」「ありがとうございました」「とてもよく解りました」「大変気持ちよい対応でうれしかったです」等々、心からの言葉を口にする場合も少なくありません。特に新人の職員や日頃余り接することがない職員に対しては、何となく気恥ずかしいようですがキチンと口に出して伝えています。相手がたとえ内心「気色悪ぅ〜」と思ったとしても、私は大事なこと必要なことだと思っています。
先日、庁議(町長をはじめ助役・収入役・教育長と部長級の職員が定例で月2回開いている会議)の記録を見ていたら、ついに切れたか?!助役の「〜職員に緊張感がない。ここ数年に入った職員は、挨拶もしない者がいる。住民への接遇も含め、留意されたい」という発言が載っていました。
「ふぅ〜ん、やっと気がついたかな」と思いましたが、「ここ数年に入った職員」にとっては“ご指名”されると気分良くないですよね。私はむしろ「もう何年も職員でありながら」と言い換えた方が実態に即しているのではないかと思っています。まあ、新しい職員のマナーは確かに粗いと感じる面があります。
学校や家庭(大きくなるほどちゃんとした挨拶を毛嫌いする傾向があります)の挨拶不在の慣れを引きずっている新人職員は、公務員に限らず何処の職場でも頭痛の種ですが、それもこれも含めての新人教育であり、むしろ人事担当課や上司の指導のあり方に熱意や工夫が求められると思われます。新しい職員はまだ言えば解る、教えれば解る発展途上にある人たちです。
私は一時“ご挨拶エンマ帳”と名付けて手帳の裏に、こちらから挨拶をしたのに返さない職員をメモしていました。もとより公表するものではありませんが、チラチラエンマ帳の存在を口にしていると、管理職は殆ど挨拶を返せるようになりました。まっ、中には“確信犯”で金輪際挨拶しない職員が今もいますが、彼らには“無挨拶御三家“と名付けて、私も無駄な挨拶はしないように気を使って(?)います。
庁舎内で最高の会議において「挨拶しませんな〜ぁ」と嘆いているのも何だかおかしくて切ない話ですが、いいんじゃないですか。やっと職員のトップに立つ助役がことの重大さに気がついたのですから・・・。いずれにしても好むと好まざるにかかわらず挨拶は大事な仕事のうち給料のうち、その基本を抑えた上でそれぞれがより良いマナーに磨きを掛けてもらいたいと心から願っています。年度末に「島本町職員年間“マナー大賞”」授与なんてどうですか・・・?
保育サポーター交流会に参加
(2006年7月29日 土曜日)
本日の講師は来町2回目の籠島由美さんです。籠島さんは枚方・交野・寝屋川の3市をエリアとする保育サポーターグループ「マミーズHAND」を創った人です。サポーターの経験は6年余に及びます。前回とても良いお話しをしてくださったのでリクエストが多く、私も再びの講演を楽しみにしていました。会場には保育を頼もうかな〜と考えている人たちが子ども連れで参加していました(もちろん別の部屋で保育も行われていました)。
籠島さんは自身の子育ての中で求めてきた支援を、事業に反映するサポートをしてこられたので講演は身近で温かい話が一杯です。サポーターになったのは「お母さんが子どもを預けることに罪悪感をもたないですむ保育をしたい」「お金を払ってでも気兼ねなく安心して子どもを預けたい」とその理由を話してくれました。
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保育サポーター交流会 | 平和フェスティバル展示 |
また親たちへのアドバイスは「預ける時には嘘をつかないこと」「保育が終わって迎える時には子どもに“ごめんね”ではなく“ありがとう”を伝えてください」と、小さな子どもたちの精一杯親の思いを受け止めようとしていることを語ってくれました。
交流会が終わって、同じふれあいセンターの4階で開かれている「反核・平和・人権フェスティバル」の展示を拝見しました。今年も頑張った友人の力作がうれしかったです。
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今回は諦めた香港旅行
(2006年7月30日 日曜日)
認知症のお年寄りを介護していたヘルパー時代の仲間が、今年は香港旅行を計画してくれました。みんな仕事を持っていますからお互い日程の調整が大変ですが、1年に1回くらいは近くでいいから(遠くへ行くほど休みが取れない)プチ海外旅行を楽しみましょうと約束しています。昨年はソウルの街だけを4日間ぶらぶらと歩いてきました。
彼女たちとなら全く気を使わない気ままな旅ができるので、私は今年もとても楽しみにしていました。ところが今回の日程が丁度9月議会(9月議会は長い会期なのでどこかに引っかかってしまう)に重なってしまい、私は残念ながらパスすることにしました。前回も私一人の為にキャンセルをさせて、新しい旅程に組み直してもらいましたから、もう我がままは言うまいと辞退を伝えました。
それではお昼ご飯を一緒にしながら久しぶりに会いましょうということになって高槻へ出ます。昨年は大病後の回復に努めていたKさんは、再び元の職場でヘルパーとして働いています。彼女は私の大先輩、介護職のベテランですから復帰は喜ばしいことですが、職場のグループホームでは殆どすべての方が身体介護も必要なためヘルパーの労働は心身ともに非常にキツイです。私は彼女の体を心配していましたが、元気そうなので安心しました。と同時に再度厳しい仕事に戻る選択をし、自分を甘やかさない彼女の生き方に心を打たれました。
「次はちょっと遠いけれどハワイだよ!私の知人宅にホームスティするから、最低1週間の休みが取れるように、今から良く働いておいてね」とYさんが来年の“お楽しみ”をみんなに伝えてくれた後、散会しました。う〜ん、ハワイ旅行までに少しは減量しておかなくちゃ。でも体重調整の方が日程調整より遥かに難しいような気がしないでもありませんが・・・。
7月分の日記もやっと終了しました
(2006年7月31日 月曜日)
この日記を打っている本日の日付は、8月20日です。溜まりに溜まり遅れに遅れた6・7月分の日記を同時進行で書いていき、一昨日に6月分を今日は7月分をやっとアップすることが出来ました。「日」を追いかけてアクセスしてくださっていた方には、度重なる“空振り”の連続で本当に申し訳ありませんでした。
ちっとも追いつけないで「あぁ、もういややなー」と何度もパソコンをオフにしたままグズグズしていた数日間もありました。しかし、初めてのひとり暮らしで半年の次男が「毎晩帰ってから、日記見るのんを楽しみにしてるねんで」と言っていたことを頭の隅で思い出してもいました。
また電車で乗り合わせた友人が「私ら町や議会の広報紙と同じことを知りたいとは思てへんわ。南部さんが捉えた・感じたことを知らせてくれるのが大事やと思う。南部さんのニュースや日記は面白いよ、隅から隅まで全部見てるから」と伝えてくれました。もう20数年来の友人ですから遠慮なく「だから頑張って、サッサとやりや」ときっと喉まで出掛かっていたかもしれません。でもグッと我慢したんだなと思うと、その心遣いに私は頷くばかりでした。
そしてエールの中の極めつけは、私たち(「たち」と言うのは私と夫)のパソコンの“師匠”でした。夫が7月中旬に海外旅行している間、私は“お師匠さん”と直接やり取りしていたのですが、ある日「私のような出来の悪いライターで・・・」とメールしたところ「出来が悪いとか言うことはありません。6・7月分の日記それぞれ27日までで、南部さんは58,166文字を書いていますよ。これは原稿用紙145枚分にあたります。この2ヶ月間の膨大な南部さんのエネルギーがこれらの文字に込められています。さらにこれらのことを、南部さんは2004年の12月から休まず続けているのですよ」と励ましてくれました。
私はうれしかったし、また驚きもしました。今まで何文字書いたかなんて思いもしませんでしたから。“お師匠さん”らしい根拠を示しての励ましは、とても説得力に満ちたものでした。そして何となく自尊感情が湧いてくるのが感じられました。ほんまに!ありがたいことです。みなさんまさに“叱るより誉めよ”で私を引っ張り上げてくださっているのだと、しみじみと感謝の気持ちが湧いてきます。
さて、やっとこさ6・7月分の日記が終わりました。今回変則的に1日分の日記に6・7月の同じ日付2日分の日記を入れていましたが、それぞれ1ヶ月分づつをまとめて日記の見出しボックスに収めました。日記のトップページに「年」と「月」を書いた表(見出しボックス)がありますので、見落としの日がありましたら表の「月」→「日」をクリックしてご覧ください。
次に遅ればせながらの訂正です。7月18日の日記で第二小学校の新築校舎建設現場を見に行ったことを書いていますが、その中で「配筋検査は大阪府が行う」と書きました。検査は府ではなく「(株)国際確認検査センター」が行います。お詫びして訂正いたします。
8月の日記に入る前に、気分一新部屋の模様替えをしました。何も大したことではなく掃除を少々念入りにした程度ですが、余りにも暑い今夏をちょっとでも涼しく感じられるように植物繊維で編んだ椅子をおいてみました。合わせたテーブル掛けはタイシルクの大判スカーフなのですが、写真では椅子と似た感じであまりよく映っていませんね。ここでの冷たいハーブティータイムは私のお気に入りのひと時です。
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