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新駅の名前は島本町住民につけさせて欲しいですね

(2006年5月1日 月曜日)

 JR新駅の開業が当初の予定より1年延びて2008年(平成20年)春になることは、この日記でも何度かお知らせしていますが、主な要因は駅西側の道路用地買収が難航していることにあります。町では任意買収を行うべく全力をあげると決意を示していますが、一方では土地収用法の適応も視野に入れて事務を進めなければならないとも表明しています。

 同法の適用のためには、その前段として事業認可の取得が必要です。現在町は認可取得が得られやすいように、西側道路拡幅整備の延長計画や当該道路付近の自然環境影響調査を開始しています。いずれも不必要な事業と言い切ってしまうことはできませんが、結果的には用地取得のための“強権発動”を促すための事業と言えますし、さらには多額の新たな支出を伴う現実を併せ考えると気持ちは複雑です。

 しかし土地収用法を適応してもなお、西側道路の整備が完了し駅の東西口利用が可能になるのは、早くても2009年(平成21年)3月末になる見込みだと町は言っています。私たちが一番初めに知らされた新駅計画からは、とうとう2年も遅れることになりました。

 さて新駅の名前ですが、今は仮称「島本駅」とされています。駅名は原則としてJR西日本が決めることになっていると町の担当職員は言いますが、私は住民の意見も聞いて欲しい、聞いて当然だと思います。町はJRに対して「駅名は島本町で決めます」と言って欲しいです。私自身は「島本駅」に違和感はありませんが、熱心に考えておられる住民も少なからずいらっしゃいます。

 町に要望書を出された方の推薦駅名は「水無瀬川駅」で、私にお手紙を下さった方は「新水無瀬」との駅名です。いずれも詳しい資料をつけて推挙の根拠を示してくださっています。また提案文中には「住民からの公募とか住民投票で決定するなど、駅名に住民が参加できる可能性はないのでしょうか?」とあります。私も全くその通りだと思います。駅開業が遅れる分時間ができたのですから、町も公募等の労をとりやすくなったと思いますが、どうでしょうか?

 


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若山台団地の配布、最後はヨロヨロ足がもつれます

(2006年5月2日 火曜日)

 「なんぶニュース」配布の集合住宅分は本日の若山台団地で終わります。約1,300世帯を一人で配布すると3時間を要し結構きついです。しんどい所を後回しにしてきましたが、今日は「エイヤッ!」と気合を入れて緑豊かな団地の中へ。ホーホケキョとウグイスが応援してくれますが、2時間を過ぎると足取りがだんだん重くなります。

 ロータリーのスーパーマーケットでトイレを借り、お茶とおやつも買って公園のベンチで一息つきます。う〜ん、17年前のニュース配布は団地内を一気に走り回って配布を完了できていたのになあ〜と、年月のもたらす残酷さ?を実感してチヨット落ち込んでしまいます。それにしても若山台団地に空家の数が増えているように思います。特に賃貸住宅は、家賃を支払うより購入してローンの返済をしたほうが有利と考える人が増えているのか、居住者の氏名を消した郵便ボックスが転出の状況を物語っています。

 20数年前に若山台団地を開発した都市整備機構(当時の日本住宅公団)は所有している団地周辺の緑地や調整池を新たな開発対象とはせず、島本町に移管を予定しています(もう間もなく変更協定の事務手続きが完了します)。ということは現状以上の団地の活性化は進まないと捉えざるを得ないでしょう。自然環境に恵まれ、バスを使えば阪急水無瀬駅も数分(JR新駅はもう少し近くなる)ですから良い団地なのですが、高齢社会に突入して5階建てにエレベーターが設置されていないのは致命的です。足腰不自由ない高齢者でも毎日の上り下りとなると2階がせいぜいです。

 心配なのはエレベーターがない団地は他にもあるという現実です。島本町の集合住宅が住みづらくて、他市町への転出が進むことになりかねないかと危惧されます。何処まで町が関与することができるのか私もわかりませんが、まちづくりの再構築が必要になってきているのではないかと思います。ゴーストタウンのようになった団地は考えすぎだとはわかりますが、ニュースを配っていてアレコレ思いを巡らせてしまいました。

 


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憲法記念日、水無瀬駅前で辻元清美衆議院議員と共に

(2006年5月3日 水曜日)

 澤嶋さんも平野さんも高槻の集会に参加すると言うので、私は地元島本で誰もアピールしないのは寂しいと思いました。せめて私一人でも駅前街宣するつもりで、明け方までかかって配布のチラシも作りました。朝9時30分からマイクを持って「改憲の目的は憲法9条を改悪して、戦争ができる国にしようとしていることに気付いてください」と訴えました。

 10時前に辻元衆議院議員が来て、何時もの明晰でパンチの効いた話をしてくれました。さすが辻元さん、いつのまにか人垣ができています。私はこの間にビラを配ります。ビラに書いた「南部」の名前を見て「知っていますよ、頑張ってね」と笑顔を返してくださった高齢の女の人がいました。「私たち、あの戦争で本当に苦しみました。もう二度と嫌ですものね」と言われました。私は涙が出そうになって、強く頷きただ頭を下げるのみでした。

 本日は予定が目白押しの辻元さんでしたが、私の街宣に合わせて駆けつけてくれました。目一杯の30分間を島本町民に解かりやすく訴えてくれたこと、本当に感謝しています。辻元さんが次の目的地へと去ると“現金”なものでさ〜っと人垣は引きましたが、私はそのまま島本町内のことを話し続けました。3月議会で町の国民保護計画を作る協議会の条例等が可決してしまったこと、町立小・中学校、幼稚園の卒業式・入学式での「日の丸」掲揚と「君が代」斉唱が益々逃れようもなく実施されていることなどについて報告しました。そしてこれらの事象が戦争ができる国への数ある一歩であることを知って欲しいと話しました。

 

 私が作って、当日みなさんにお配りしたビラの内容は次の通りです。

あなたの平和憲法を知っていますか?

日本国憲法は“未来からの贈り物”・・・だから憲法第9条は放さない

 日本国憲法は第2次世界大戦の深い反省の中から生まれました。私たちは二度と戦争を起こさないために戦争を放棄する第9条を定めました。この60余年間、直接戦争に巻き込まれず、戦争と言う名のもとに人を殺すことを国民の誰もが強いられなかったのは、第9条があったからなのです。オハイオ大学のチャールズ・オーバービー博士は「(平和憲法)第9条は、全人類への未来からの贈りものである」と言われました。

 日本国憲法の三原則である平和主義・主権在民・基本的人権の尊重は、戦後半世紀を経た今も全く色あせることなく息づいています。戦中の明治憲法では、国益を守るため人権は全く無視され、権力が暴走し人びとの自由や人権を奪いました。現平和憲法は政府が再び暴走して戦争をしないように、悲惨な社会をつくらないように、私たちのために制定されたのです。憲法により権力を制限することで、私たちの権利・自由・安全などが確保されるのです。憲法は私たちのものであり、私たちは憲法によって守られています。

 さて、今年は憲法の改正に向けて政府が大きな動きを見せています。改憲の焦点は「戦争の放棄」を定めた第9条ですが、9条が改定されると「戦争を放棄して、戦争をしない国」から「戦争ができる国」になってしまいます。9条改憲によって、集団的自衛権が容認されると、同盟国(アメリカ)と共に戦争ができるのです。

 戦争をするための憲法に改悪したい人たちは、国家への忠誠心と戦争を肯定する考え方を一人ひとりに植え付けなければならないのです。さらにはそのような家族をつくることも必要です。そのために、第24条を変え個人の尊厳や男女平等を取り払い、家族や国家を優先させます。さらには教育基本法を変え、子どもたちに“愛国心”をうえつける必要があります。日の丸・君が代の学校現場への強制と厳しい処分がこのことを物語っています。

 2006年5月3日  南部 由美子

 


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完成冊子にミスプリあり・・・トホホです

(2006年5月4日 木曜日)

 4月30日の日記で“日記冊子版”を作ることを書きました。印刷屋さんも頑張ってくれて本日納品、予定より早い出来上がりで私は大いに喜びました。さぁ〜て!と手にとって、ゆっくりページを繰っていきます。とあるページで「あれっ?えぇ〜っ!違う写真がはいっているやん!」。見事なミスプリ発見です。完成の喜びがたちまち半減です。印刷屋さんが飛んできて平謝り。修正は記事と整合した正しい写真のシールを作って張ることになりました(シールは私がせっせと張りました)。

 数日を要しましたが完璧な修正ができました。冊子をご覧下さった方で気付かれた方は多分皆無だと思います。もちろん印刷代は大幅におまけしてもらいました。まあ杓子定規に考えれば印刷屋さんの一方的なミスなので、いちからの刷りなおしを求めることもできたかもしれませんが、そこは双方我慢の限界を出し合って平和的に解決しました。でも多分印刷屋さんの儲けは殆どなくなったことでしょう。

 どんな仕事も人間がすること、ミスが発生することはありえます。今回のようなミスなら即儲けに跳ね返り、印刷屋さんは減収となってしまいました。ミスをしたら代償が生じるのは当然なのです。こじつけるつもりはありませんが、その点役場のミスは殆どが「甘いなぁ〜」と住民が感じる処置に終わってしまうことが多いと思います。

 


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今年の町立プールは大丈夫?

(2006年5月5日 金曜日)

 寒かった冬、長雨だった春を経てやっと五月晴れの初夏の陽光に接する日々がやってきたとうれしく思いますが、季節と暦がドンドンかけ離れていく感は毎年強くなっていきます。ゴールデンウイークまっただ中ですが、私は戸建て地域へのニュース配布に取り掛かっています。一戸建の住宅地はひたすら歩け歩けの配布ですから、この陽気が恨めしくなるほど汗が噴出します。水が恋しい〜っ!

 

ニュース配布中に、第一幼稚園で見つけたペットボトルのふきながしです。

 さて“水”と言えばまだ2ヶ月以上ある町立プールの開始ですが、教育委員会はそろそろ開業に向けての準備に入っていると思われます。町のプールは水無瀬神宮から隣接の土地を借りて「築造時期が不明」と教委が言うほど“昔”につくられた屋外プールです。随分前から老朽化による補修費も嵩み、水無瀬川緑地公園建設時にプール新設も計画に位置付けられました。 

 当時私は「どうせ造るなら夏場だけの屋外プールはやめて、高齢者等の体力づくりにも寄与する屋内温水プールはどうか」と質問した記憶があります。答えは「先ず屋外用をつくる。その後体育館の移設新築に合わせて屋内プールを考える」と言うものでした。現体育館の耐用年数は当時で20年以上あり、現実的には屋内プール構想は絵に描いた餅のまま消滅しています。まあ、町の財政状況の現状・今後を思うと温水プールは年間を通した維持管理費が多額で、私も「造りなさい」とはもう言いづらい状況になってきました。

 ただ現実として水が“だだ漏れ”のプールをどうするのか、との問題は目の前から消え去ってはくれません。教育委員会も昨年2回の調査を行っています。結果は「部分補修で完全止水をすることは不可能」「したがって、部分補修を行い少量の漏水は容認して2〜3年間の使用を行う」「多額の補修費をかけても今後数十年の耐用は不確定であり、新築を含めた検討を行うべきである」がコンサルタントの出した結論です。なお町立プールは前述の通り借地ですから、更地にして返還するには約1,800万円の解体費が必要となります。

 一方「夏季休業中の学校プールを一般開放すればどうか」との考えも教育委員会にはあるようです。先の見えた多額の補修費を町立プールにつぎ込むよりも、学校プールの施設設備を改善して開放に到るほうが建設的との考えだと思います。運営は精力的に活動し始めた総合スポーツクラブ等に委託を視野に入れると、可能性がない話ではありません。何が何でも新築を目指さずとも、学校施設という社会資本活用への努力は、案外住民の理解が得られるかもしれないと思います。

 いずれにしても安全で楽しくて、健康づくりにも役立つ身近な“町民プール”実現に向けてのオープンな話し合いが必要な時期に来ていることは確かです。私も6月議会では一般質問で取り上げ、議場での論議を深めたいと思っています。

 


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“前倒し”母の日に銅製鍋のプレゼント

(2006年5月6日 土曜日)

 連休で帰省中の長男が思いがけないプレゼントを母の日に先立って贈ってくれました。ひとつはニュース配布の手伝いです。今回は目的地で私を“落す”だけでなく、尺代・桜井台・向陽が丘、つまり上り下りのきつい地形の地域を一緒に配ってくれました。ゼイゼイと息のあがった母親の姿に哀れをもよおしたのか、私よりは1.5倍の長さの脚でスタスタと坂を登っていきます。感謝、感謝のプレゼント「その1」でした。

 プレゼント「その2」は見事な手打ちの銅の大鍋です。鍋を求めた「花染」さんは時々立ち寄るお店です。「花染」についてはまた紹介する機会もあるかと思いますが、島本でピカイチのお店であることは間違いありません。女主人の美意識と専門知識と経験は店内に並ぶ一つひとつの品に見て取れますが、押し付けることなく出過ぎることなくお客の心を自由に遊ばせてくれる心地よさがあります。私もよく「今日は目のお正月だけ」と言ってフラっと立ち寄っています。

 さて我が家にやってきた大鍋は、普段使っているお鍋ならゆうに10個以上は買える値段でした。落ち着いた赤銅色に輝くその鍋は、あえて作家を名乗らない職人が一枚の銅版を叩いて叩いて生み出した名人技の結晶です。私より絶対長生きするずっしりと重い鍋を抱えて、これからどれだけ使いこなせるかはわかりませんが、鍋が「参った!」というまで使い込みたいと思いました。うれしかったのはピンからキリまである日常の道具や雑貨の類に対しても、美意識や価値観が通じるところを長男に見つけたことです。

 


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久しぶりのケーキづくり

(2006年5月7日 日曜日)

 午後からふれあいセンターの調理室を借りて、1週間後に開く「ボチボチサロン」のバザーで売るケーキを焼きます。サロンは私の仕事場所(メゾン水無瀬4−202)で私の議会活動報告を兼ねたおしゃべりの集いです。毎回500円の会費を貰っておにぎり等の軽食つきです。今回はミニミニバザーをコーナーに設けることにしたので、私のバザーには付き物の“ナッツたっぷりドイツケーキ”も出すことにしました。

 澤嶋さんも誘い2人で必死になって、パウンド型40本を焼き上げました。ナッツ類をたっぷり使うので材料費がかなりかかりますし、調理室の貸し室料が9千円もして全部売れても多分赤字です。でも結果じゃなくて、こうして友人とケーキを作ることが楽しいし「久しぶりのお馴染みケーキやね」と喜んでくれそうな知人もいそうで、想像するとうれしい気持ちになる、そのことが私は好きなのです。手前味噌でワンパターンのケーキでも、お菓子作りってなぜか楽しい魔法に掛ってしまうものなのですね。

 6時間の奮闘は夜の7時に終了しました。ケーキの熱が取れたら明日はリボンをかけてラッピングをします。その前にもちろん出来たてホヤホヤをほおばって、2人は「うん、うまい!」と同時に言いました。このケーキは日を経るほうが美味しいので、本番の「ボチボチサロン」バザー当日には文句なしでしょう!

 


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多数派の言いなりに道を開くことはできない・・・議会運営等検討委員会

(2006年5月8日 月曜日)

 ちっともゴールドでないゴールデンウィークが終わりました。遊びに行くこともなく、ひたすらニュースの配布に費やした日々でした。今朝は議会運営等検討委員会があります。検討委員会では「議員の数をどうする?」「政務調査費必要?不必要?」のような大きな項目から「湯茶の接待を事務局にさせる?させない?」の細かい項目にいたるまで、多種多様の検討課題があります。

 どの委員も真摯に臨んでいるとは思うのですが、結果は“実り”の少ない会議が続き実際の議会運営に活かされることが殆どありません。それは会議が全会一致を基本にしているからです。今しきりと「全員賛同の縛りがあるからなにも決まらない。だから議会改革が進まないんだ」と多数決で決めるやり方に変えようとする意見が自由民主党クラブ(元緑風純政会)・山吹民主クラブ・公明党から出ています。

 私はこの日記でも常々言っていますように、議会改革を最も求めている立場の議員だと自負しています。委員会への検討事項も誰よりも多く提出してきました。1つでも2つでもできることからやっていこうと口を酸っぱくして毎委員会ごと檄を飛ばしてもいます。従って実効ある検討結果が一向に出てこないことに対しては、誰にもまして残念で悔しい思いでいます。こんな状態が続けば、議会は早晩住民から呆れられそっぽを向かれてしまいます。よその議会はどんどん進んでいます。住民が望む開かれた議会改革、同時に議員自らを厳しく律する議会改革はもう当たり前に行われているのです。

 しかし私の会派「人びとの新しい歩み」と「共産党」の他は、前述したように「改革したいのであれば、多数決を導入しよう」と駆け引きを前面に押し出してきます。私は「多数決」には乗れません。何故なら彼らが多数決のもと行いたいのは、自らの会派勢力の拡大と政務調査費をよこせという実質報酬アップと質問形態の軽減・短縮化をはかる、要するに“威張って、たくさん貰って、楽したい”を「議会改革」の衣にくるんでいるに過ぎないからです。おまけに「議場に国旗を揚げろ」なんという、個々人の内心の自由を侵すような重大なことまでも多数決で決めろと言い出すに違いありません。以上のことが私の創作でないことは、現に多数会派から提出された検討項目が示しています。

 この現実を踏まえた上で、それでもめげることなく、いつかは住民の方々から「議会が一歩私たちに近づいたね」と言ってもらえるような議会運営の中身にしたいと、私は切実な思いで毎回の会議に臨んでいます。検討委員会は傍聴可能です。一人でも多くの住民の方に、多数決を唱える委員の本音を実際にチェックしていただくことが、実は改革への一番の早道かもしれません。しかし会議の日程を広くお知らせ出来ていません(本来なら議会のホームページに掲載すべきものだと思います)。私は一度住民の皆さんに広く呼びかける公開検討委員会を議会自らが開き、住民の方々の生の声を頂く場を持つことを提案したいと考えています。

 


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住民にはわからないで定められる町の“決まり”

(2006年5月9日 火曜日)

 役場の仕組みや仕事の根本は各々が条例・規則で定められています。これらの“決まり”は公にされていますから誰でも知ることが出来ます。しかし実際の仕事は要綱・要領・内規・基準・○○マニュアル・申し送り等々で進められていることが多いのです。ところがこちらの方の“決まり”は役場に求めなければ手にすることが出来ません。私は新しく作られた要綱・要領は議会に知らせるべきと常々言っていますが、未だに実現しません。行政から議会への情報提供は十分でないと思っています。

 新年度早々に新しい2つの要綱が定められ、すでに施行もされています。「島本町における法令遵守の推進に関する要綱」と「島本町不当行為等対策要綱」です。私はこれらの要綱が作られたことを知りませんでした。もっとも町長の施政方針で述べられていましたから別に降って湧いて出てきた要綱ではないかもしれませんし、2つの要綱に適合する事象がそう頻発するわけでもないと思います。しかしだからと言って役場の上の人たちだけで、議会や住民が知らない間に作られ、その存在も知らされず使われていくのは疑問です。

 他市ではこれらの要綱を条例制定しているところもあります。新しく条例を作るときは、もちろん議会の議決を要しますから議員は複数回の意見・意思を示すことができます。条例案が上程された時の本会議場での大綱質疑、付託された委員会での質疑と討論、最終採決時の本会議での討論を発言することが可能なのです。何度もチェックを掛けられ可決した条例は、町の“法律”として公になり効力を発生するのです。条例は改正の場合も廃止する場合もやはり議会の議決を必要とします。

 私は今回の要綱の中身を云々しているわけではありません。前述したように条例設置をしている自治体もあるくらいですから、おおもとは地方公務員法或いは新しく出来た公益通報者保護法に定めてあったとしても“法令遵守”の要綱は「職員の行動規範の確立とその制度保障」(要綱の第1条「目的」にかかれています)のためには大事な内容なのです。この要綱の目玉は「公益通報」に係ることです。公益通報とは、公益を守るために職員の違法行為(違法性が高い行為も含めて)を知った時「島本町法令遵守推進委員会」に通報することです。

 委員会の構成は助役を委員長とし収入役が副委員長で、ほかには教育長・総合政策部長・上下水道部長・消防長の役場職員が委員です。あと有識者の記述もありますが、なぜかまだ決まっていません。職員ばかりでどうなん?私は外からの視点が必要だと思いますが・・・。条例設置の他自治体では弁護士等の法律専門家・行政運営に関する学識経験者・法令遵守に関して識見を有する町住民に加えて、町職員としているところもあります。

 もうひとつの要綱“不当要求行為対策”の方ですが、これは読んで字の如しで“職員等が脅し等の不当な行為を受けた時に、身の安全を守り仕事がちゃんと出来るようにすること”を目的として作られました。行為の具体も示されていますが「入札」にかかわる問題は過去当町において無きにしも非ずで、今後も対応を迫られる場合がないともいえません。本要綱中にも「島本町不当要求行為等対策委員会」が設置されています。役場の構成員及び委員長・副委員長は法令遵守の要綱と同様ですが、ここには民間人は入っていません。

 また驚いたことに、この2つの要綱は島本町で働く全ての職員に直接係ることでありながら、職員に知らされていないのです。町長始め3役・部長クラス職員で開く庁議や課長会議でも報告されていません。議会・住民には言わずもがなです。私の問合せに対し担当課長は「7月の広報掲載」をやっと示しました。要綱に書かれている事態はいつ発生するかわからないのです。特に職員に対し2ヶ月半のだんまりは全く解せません。要するに国から作れといわれたから作りましたという程度のもんですか?とにかく早急に役場内で働く職員(指定管理者制度上の職員も含まれる)へ周知を図ることを求めます。別に内緒にしておく必要はないでしょう?

 


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JR新駅西側の田んぼには絶滅危惧種は生息していませんでした

(2006年5月10日 水曜日)

 町は駅西側の自転車歩行者道路新設のために、自然環境影響調査の第1弾を3月22日に行っています。今日、先ず42万円の随意契約で調査したその報告書を見ました。両生類では大阪府レッドデータブックの重要種にも該当しないヌマガエルの2死体が見つかったのみでした。また爬虫類の確認はされていません。他にはドブネズミの死体が1個体とアライグマとイタチの足跡が確認されています。これらの結果からは絶滅危惧種に指定され、当町域の文献調査記載種であるヤマアカガエルやカスミサンショウウオの生息は「無し」と判断されます。

 調査の目的はいうまでもなく貴重な生物の生息状況を確認するためですが、何故今後も380万円をかけて生物調査(これは指名競争入札をしています)をするのかは、もうひとつの目的(こちらの方が本命かも)が存在しています。それは5月1日の日記にも書いていますが、駅西側の道路用地取得が進まず、町が土地収用法の適用を視野に入れているからです。法の適用の前段として事業認定を取得する必要がありますが、そのためには希少生物の確認をしておいたほうが認定を取得しやすいらしいです。調査は引き続き5〜6月・9月にも行われ、植物・両性爬虫類・昆虫類・貝類・魚類の確認記録をします。

 土地収用法適用に係る事業認定に関する調査費は、前述の自然環境調査420万円と交通量調査(推計含む)830万円及び事業認定申請業務500万円を合わせると約1,800万円になり、任意買収が出来ない場合のひずみは大きな支出にもなって現れてきます。

 


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住民を“その気”にさせる職員の有無・・・歴史文化資料館懇話会を傍聴しました

(2006年5月11日 木曜日)

 ずっと傍聴をしている懇話会ですが、新年度に委員の改選があり教育委員会の職員も異動があって、私も新鮮な気持ちで傍聴に臨みました。「20年ぶりに教育委員会に戻った」と挨拶をした新教育次長は「島本町が文化面で花開くことを期待する」とも述べました。これは委員方への激励とお願いを込めた言葉と受け取っていいと思います。

 しかし私は時折文化推進委員会の傍聴でも感じていますが、どうも町の文化振興への視点と住民である委員方の思いがすれ違っているように感じることが間々あります。本日の会議の冒頭にも町への苦言や指摘が少々ありました。例え一部の発言であったとしても、これらの意見を頂けることは本当にありがたいことだと私は思っています。

* 歴史文化資料館は文化・地域情報の発信基地と言いながら町はPRがヘタ。職員の外に向っての話がヘタ。だから町内外で島本町のことを知らない人が多い。

* 町は人材の確保がヘタ。町内で活動して欲しい優秀な人も町外へ流出している。

* 町は報道機関の使い方がヘタ。メディアの力も地元にとってはジレンマだ。

 私の注釈をつけるとすれば宣伝してもらうのはありがたいが、マスコミの影響力は大き過ぎて痛し痒しの場合があるということです。例えば桜井の菜の花摘みは新聞報道されるやいなや、町外からも多くの人が来て瞬く間に菜の花は消失してしまった例があります。農家の側は広報「しまもと」で知った町内の人びとが訪れ、その人たちがまた口コミで伝えることで三々五々楽しんでもらいたいとの願いがあったようです。要するに「“打ち上げ花火”のようなPRが大々的に必要な場合もあるが、地域の意思を汲んだ地道なPRが求められる場合もある。むしろこちらの方が大事だよ」と言うことではないでしょうか。私は「ヘタ」の意味する所は深いと思って聴いていました。

 さて、資料館の正式オープンはJR新駅開業と合わせてH19年春のはずでしたが、駅が1年遅れることが確実になって資料館はどうなるのかな?と改めて思いました。本日の会議で資料館のリーフレット案が出されていましたが、今回は開館までの2年分で駅開業時には内容刷新のリーフレットを作成すると説明がありました(ということは資料館の正式な開館も20年春ですね)。

島本町立歴史文化資料館(旧麗天館)は築70年余りを経ています。新駅(東駅前広場)のすぐ側に、このような古い木造建築の資料館があることは印象的で素敵ですね。

 そこで次の質問がありました。

* 資料の燻蒸処理のあり方をどう考えるのかを含めて保存・展示出来るようになるのか?

 文化財保存で最も大切な事は燻蒸処理だと発言の委員は述べました。環境面から従来の薬品は使用できなくなり、本年から代替の薬剤を捜さなくてはならないことを心配しての意見でした。もとより当資料館に本格的な博物館機能を求めることは無理がありますが、折角出来た資料館です。より充実した中身を期待するのは全ての住民の願いです。担当の答えは「正式オープン時でも無理だと考えている」でした。

 私は質問に答えた担当者は、あるべき資料館の姿をちゃんと描いていないとがっかりしました。厳しい予算の問題はもちろんありますが、実現するしないの結果は別として先ずは担当者がしっかりした思想を持つべきでしょう。まあ、これは一担当者を責めるのは酷な話かもしれません。教育委員会の文化行政のあり方の反映でありましょうし、町長部局がどれだけの思想を持っているかにかかっているのですから。

 私は文化行政に町財政のバランスを崩してまでお金をつぎ込めと言っているのではありません。担当職員が新しい事業に向って進む強い意思や弾む希望を持ち、住民を触発し、共感させ巻き込むパワーを自らが発信しなければ“明日のパン”ではない文化行政の充実・発展は到底望めないと言っているのです。担当には夢を抱いて欲しいし、奮起をお願いしたい。当懇話会や文化推進委員会・社会教育委員会・教育委員会議を見聞し続けてきて、私にも見えてきたものがあるように感じた今日の傍聴でした。

 


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この人たちが目指す議会改革って一体何でしょうか?

(2006年5月12日 金曜日)

 議会運営委員会(議運)が開かれました。案件は「議会運営等に関する検討委員会(検討委)」で合意が得られた検討結果を議運に諮るためです。わずか1項目ですが新しい検討委が初めて全員合意を得た検討課題です。昨年から開いている検討委ですが、既に数項目の改革事項が賛否両論のもとに日の目を見ないで消えていきました。検討事項の殆どは私(の会派名で提出)が提起しているもので、今回は多数の残念な思いの中でやっと実った1項目です。

 議運に送ったその内容は、極々当たり前のことです。議場での報告事項に議会だより編集委員会の調査・研修報告を追加するものです。私は1つでも2つでも出来ることから実践していこうとも提起していましたから、今回検討委の座長(副議長)が速やかに議長に報告し、議長もまた議運の委員長に諮ったこの流れには感謝をしていました(仮にどこかで意図的に滞りを生じさせることも可能ですから)。

 ところが本日の議運では「えぇ〜っ!!」とのけぞるほどの的外れな反対意見が複数あって議運の統一見解は出せず、議員全員協議会ヘ最終の結論を委ねることとなりました。のけぞった第1は、会派からそれぞれ選出し、自身が全権を委任したはずの検討委員が出した結論をいともたやすく否定したことです。

 この期に及んで「会派でも違う考えがあって当然だ」と言うのはルール違反です。アナタ個人がどう考えようとそれは自由。しかしその“自由な意見”を同会派の検討委員に伝えておかないのはルール違反。伝えていればアナタ方の会派の検討委員は賛同しなかったはずです。つまりは検討委の段階でポシャっていた項目です。議運にまで上げられてくる必要は無かったのです。次に出てくるアナタ方の主張「時間がもったいない」を、ホントそっくりそのままお返ししたい気分です。

 のけぞりの第2は“違う考え”の根拠のお粗末さです。「議会だより編集委員会の報告が新しく追加されると本会議の時間が長引く」からとの反対理由です。従来常任委員会委員長が行っている調査研修の概要報告に倣えば、わずか数分のことです。「時間がかかる」はまったく理由にはなりえません。

 アナタ方が何故これほどまでに理屈の合わないことを言っているかです。「多数決で決めればこんなゴタゴタは起らへんで」と言いたいのでしょう。私は反対にそんなアナタ方が主張する“多数決”だからこそ危ない!と思っています。議論の打ち切りや,議員の発言を制限したり・・・その恐れは多分にあると私は思っています。それにしてもアナタ方の目指す議会改革って一体どのようなものなのでしょう?

 


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バザーはミニでも準備に深夜まで

(2006年5月13日 土曜日)

 「なんぶニュース」に明日14日の「ボチボチサロン」はミニバザーを併設しますなんて書いてしまったものですから、なんとしてもやらなくてはなりません。いろんな所でずっとバザーを開いてきた私ですが“バザー美学”の蘊蓄(うんちく)もあったりして、自宅で開く小さいバザーであっても、自分が要らない不用品をただ並べるようなことは“バザー道”にはずれるとのこだわりがあります。

 バザーに出す品物は「まだ愛着があっておしいな」と迷うほどの物でなければなりません。バザーの品物につける値段は10円・100円(○万円で買った新品の場合千円2千円の高値?をつけることも稀にありますが)の安い金額にします。バザーのお客さんの喜びはなんと言っても「安く手に入れた」の一言につきるのですから。後は品物のレイアウトを、いかに見やすくきれいに並べるかの工夫です。

   

 今回は自宅で行うバザーでスペースもこじんまりしていますし、メインはあくまでも「サロン」と言う名の一応は議会活動報告会なのですから、それぞれの雰囲気が図れる演出をしたいと思いました。リビングのソファを動かして、仕事部屋の資料を全部箱にしまいこんで、その箱の上に布を掛け品物を並べます。大きな仕事机も品物置き台にします。小物は籐の籠に入れ、箱に入ったタオルはばらしてクルクル巻いてリボンを掛けます。昼前から初めて夜中の2時までかかりました。最後に前もって焼いておいたケーキを飾って準備完了です。

 何時もは大勢で係ってきたバザーです。ミニとはいえやはり一人の準備は大変でした。とっても疲れて、ちょっとホッとしていたらそのままウトウトと品物のそばで転がってしまっていて・・・。いつの間にかもううっすらと夜が明けていました。

 


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少人数の「サロン」でしたが、すごく盛り上がりました

(2006年5月14日 日曜日)

 午前中は保育サポーター連絡協議会の総会に参加します。役員さん方の頑張りには本当に頭が下がります。日常の連絡や月1回の「おしゃべりサロン」の開催、保育の問い合わせ等々良く活動されていることにただただ感謝です。総会が終わり、午後からは忙しくなるので大急ぎで帰ります。

 バザーは日中にご近所の方々が三々五々覗いてくださいました。小さな子どもたちはミッフィーグッズ(13日の写真のうさ子ちゃんがキャラクターの商品)に大喜びで、ご機嫌で遊んでくれました。夕方6時からは恒例“議会よもやま話”の「ボチボチサロン」です。今夜は6人のささやかな集いでしたが、初めての方もすぐに打ち解けて、人数の割りには賑やかで笑い声と話は尽きることがありませんでした。

 500円の会費でも、差し入れの一品も加わるとテーブルの上は賑やかになりました。私はペンネとサラミソーセージ、なすびと赤カブの浅漬け、グリーンサラダ、生協で安売りになった和田八のてんぷらを用意しました(写真では豪華に見えるでしょう?)。

 府議の小沢さんからは「共謀罪法(案)」の恐ろしさを聴きました。小沢さんは「1万人で国会を取り囲めるねんて、みんなで行けへん?」と意気盛んです。小沢さんの話はいつも面白くパワーに溢れています。私も見習いたいと思いますがなかなか追いつくことができません。

 私からは下水道料金値上げの是非と新駅の駅名についてみんなの意見を訊いてみました。値上げは「根拠がわからん」で否定的、駅名は「別に島本駅でええのんと違う?」の人が多かったです(といってもたったの数名ですが)。

 今回はみなさんバザーの方に関心があって、話もそこそこにとっ替えひっ替え洋服の試着です。「似合う」「いや似合わない」と飛び交って、もう楽しくて面白くて・・・久しぶりに大笑いしました。ケーキもたくさん買ってもらって、売上げはまずまずでした。今日以降も暫くの間バザーはセットしたままにおいて、気軽に覗いてもらおうかなと思っています。

 後日最終的には3万円を超える収益がありました。今回も長い付き合いの阪神淡路大震災被災地の障がい者団体にカンパしようと思っています。バザーと「サロン」に来てくださった皆さん、本当にありがとうございました。

 


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夫は15日間のトルコ共和国旅行へ出発

(2006年5月16日 火曜日)

 昨年のエジプト旅行に続いて今年はトルコ旅行です(来年はきっとペルーですよ)。ゴールデンウィークが終わり安くなったツアーを見つけています。夫はアメリカやヨーロッパよりも文明発祥の地を訪ねるのが好みのようです。南米もインドも中国もギリシャもまだまだ訪れる国々は残っていますよ。体力・気力がある間に頑張って、夢を全部実現して欲しいと思います。

 夫が感心なのは全て自分で準備(旅行後の片付けも)するので、私はお土産を待つのみという点です。おまけに私は15日間の食事作りから解放されるのですから・・・ラッキー!です。

 溢れる情報はいつでも何処でも世界中の旅に誘ってくれはするけれど、緑の匂いも河の冷たさも身を焦がす熱風も遺跡の石の感触も体感させてくれる情報はありません。そしてなにより握手をした現地の人びとの手の温もりは旅した自分だけのもの。どんな旅でも旅は旅した人のもの、かの地に立った人だけのものです。

 だから私は夫や子どもたちが旅(というより旅行ですが)に出ることを歓迎しています。長いようで短い人生、心の片隅にどれだけ“自分だけのもの”を積み重ねていくかは自分が決めること、自分が歩を進めることからしか道は開けないと思うのです。

 まあ何のかの言っておりますが、要するに「うらやまし〜っ!」が私の本音です。

 


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さすがに疲れて、一日家でゴロゴロ

(2006年5月15日 月曜日)

 昨夜「ボチボチサロン」をお開きにした後、残った友人と話していたらナント!午前2時になっていました。それから片づけをして午前3時、6時迄グ〜ッと一気に眠って7時過ぎに保育サポートに出かけます。さすがに二晩続きの睡眠不足はこたえます。今日は一日家にいて、ゴロゴロを決め込むことにしました。幸いというか梅雨のようなお天気で万物静か、セカセカ感から解き放たれてボ〜ッとしているには打ってつけの日です。

 お昼には写真のような美味しい飲茶をいく皿か頂き(と言いたいところですが)にまたタイや香港に行ってみたいと思いつつ、棚の上のミニオーナメントを写してみました。本物のように見えるでしょう?デジカメを買い換えたので、試しにそこらへんにあるものをズームでパシャパシャ撮って遊んでいます。古い方は次男に貰われていくことになりました。

 
本物そっくり飲茶ミニチュア Myお茶セット
ほっと一息コーナー 水遣りに最適錫のミニやかん

 


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雨の中の駅頭街宣、マイクの電池切れでトホホ・・・

(2006年5月17日 水曜日)

 9時からのミニ人間ドックを受けにふれあいセンターへ急ぎます。ヘルパーの仕事を辞め職場での健康診査が受けられなくなってからは、町の健診を受けています。誕生月の受診なら忘れなくて良いと思い8月にしていましたが、暑い最中12時間以上の“水断ち”はなんとも辛く、今年は気候の良い時期を選んで申込みました。基本健康診査の他に胃がん・大腸がん・肺がん検診も受けておきますが、国民健康保険に加入しているので費用は無料です。約1ヵ月後に結果表が郵送されてきます。各種健診事業は広報「しまもと」の毎月1日号に案内が載ります。申し込みはセンターでの窓口及び電話・ファックスでもできます。

 検診業務は委託(今年は船員保険大阪健康管理センター)されていますが、長年ボランティアをしてくださっている女性団体の皆さん(私も随分以前に同じボランティアをしていました)の誘導でスムースに進みました。健診の最後は町の保健師さんが待っていて、健康手帳の記載と健診結果後の健康相談の案内等がありました。ちなみに当町の保健師さんたちは住民の高い評価を受けています。町政に辛口の意見を下さる方々からも褒めていただくことが度々あり、私も常々同様に感じていますのでうれしく受け止めています。

 夕方は澤嶋さん・平野さんと共に水無瀬駅に立って街頭演説とビラ配りをします。今国会6月下旬の会期末と9月の小泉政権任期切れを目前にして、きな臭い法案等を急ぎ制定・改定しようとのゴリ押しが進んでいます。私たちは教育基本法の改悪・共謀罪法・憲法改悪のための手続法である国民投票法への反対・危惧を訴えています。お二人は30分ほどで高槻でのアピールのため駅前を離れました。私は引き続き6時半までハンドマイクで訴えをしましたが、雨は強くなってくるし、途中でマイクの電池が無くなりコンビニに走るはで、ビチョビチョになりカッコの悪い街宣でした。これから毎水曜日は出来るだけ町内での街頭宣伝に立とうと思っています。マイクの声が届いていましたら、チョット聴いてみてくださいね。

 


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2回目の下水道会計勉強会をしました

(2006年5月18日 木曜日)

 建設水道常任委員会(以下、建水委といいます)が何故勉強会をしているかというと、3月議会で公共下水道事業特別会計(以下、下水道会計といいます)の当初予算が否決されたからです(これは町議会始まって以来とか)。否決に際し自由民主党クラブを除く皆が言ったのは「値上げを表明しているのに、必要な資料を出さないのはトンデモナイ!」との怒りの発言でした。議会閉会後遅ればせながら資料が出来ました。6月議会で再びの予算審査をする建水委としては、先ず資料に基づいて理解を深めようと勉強会をもったわけです(4月21日の日記にも少し事情を書いていますので参考にして下さい)。

 議会が予算を認めなければ、会計は執行不可能になってしまいます。しかしそうはいってもお金の動きはあるわけで、3ヶ月間の暫定予算を組み議会に諮らない専決処分という処置で、6月議会まで“仮り”の会計を続けています。6月議会ではこの暫定予算を含めた仕切り直しの2006年度下水道会計当初予算が提出されます。これに先立つ暫定予算ももちろん報告を受けた後、質疑・討論・採決をします。暫定予算には施策的な予算は入っておらず、職員の給与とか光熱水等の必要経費が歳出の主なものです。歳入にはもちろん皆さんから頂いている下水道使用料等もあります。

 まあこんなことをお伝えしても余りおもしろくありませんが、要するに議会が予算を認めないということは、やっぱり大変なことなんだとチョットお知らせしておきたかったのです。このような中でも我関せずと、建水委の一員でありながら勉強会にも出てこない○○議員には驚きです。勉強会どころか3月議会の際は最終日の委員会にも欠席していました。これじゃ、理事者に建水委が軽く見られてしまいます。今回は特に議員同士意見は異なっても、力を合わせて鋭く迫らなければならない委員会なのです。

 さて本日出てきた資料は、下水道会計が一般会計から繰入れている「繰入金」の基準3パターンに係る資料と、それぞれのパターンで出した5年間の会計収支見通し、またそれぞれの収支見通しに職員を1名減すればどのようになるのかを示したものでした。H19年度より3つのパターンによる繰入金は(1)普通会計財政収支見通しの額にした場合=6億1千万円(H22年には5億8千万円)(2)基準内繰入額にした場合=3億5千万円(3)交付税基準財政需要額にした場合=4億7千2百万円と示されています。

 現行は一般会計からの繰出金(下水道会計からみると繰入金)は(2)の基準内繰出金に基準外繰出金2億6千万円を加えた(1)のパターンをとっています。理事者が言いたいのは「3つのパターンの内最高額の繰入れを行ってもH21年には5千7百万円の支出超過になる。約6千万円の赤字は料金値上げによるほか他に道は無い」さらには「職員1名減でも9百万円の削減しかできない」ということなのでしょう。

 しかし他に取りうる収入増・支出減の道はないのでしょうか。企業の排水量と料金は整合しているか、未収金はないか、水洗化の達成率は上がっているか(下水道管の布設をしても水洗化をして排水をしてもらってはじめて収入に繋がる)、工事や委託業務の落札価格は抑えられているか、工事のコスト削減、事務の効率を図っているか等々・・・徹底した見直しはまだされていないのではないでしょうか。値上げに走る前にすることあるのではないでしょうか?

 ちなみに当町の下水道料金は1立方メートルあたり110円です。110円の使用料を頂くのに183円の経費がかかっています。経費回収率は60.1%です。これは全国平均64.9%に比べ結構低い割合です。理事者は料金を上げて経費回収率をアップしようと言い出しているのですが、私は経費を低く抑えることで高回収率にしなければなりませんよと主張したいのです。だって経費を抑える努力の具体策をまだ出してもらっていませんもの。

 


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マンモグラフィーによる乳がん健診・・・今回も大丈夫でありますように

(2006年5月19日 金曜日)

 この頃は梅雨のようなお天気が続いています。今朝もかなり激しい雨が降っていますが、申込みをしている乳がん健診に向います。一昨日は同じふれあいセンターでミニ人間ドックの健康診査を済ませたばかりですが、保健所の事業が町で出来なかった頃(センターが出来る前に)はこんなに気軽に健診に行かなかったように思います。

 10年位前は住民センターに中央公民館スペースがあって、高槻の保健所に行かなくてもできる健診は今の教育委員会や地下の部屋で行われていました。衣服の着脱もオープンだったり待っている人に他人の個人情報が聞こえたりで、その頃のことを思い出すと今は本当に良くなりました。ふれあいセンター1階の健康福祉事業諸室で設備・プライバシーの保護共に配慮された検診を受けることが可能になりました。でも私が一番よくなったと感じているのは、お医者さんや保健師さんが優しく説明責任を果すようになったことです。昔の保健師さん(その頃は保健婦さん)は恐かったと思いませんか?みんな良く怒られていたように私は記憶しています。

 乳がん健診はマンモグラフィーによる検査です。検診車に入る前に待っているスペースがありますが、ホントここだけは殺風景だなーと前々から感じています。壁に明るい絵画を掛けたり、鉢植えのひとつでも飾るとどんなに雰囲気が良くなることでしょう。また雑誌等があれば待っている時間も苦にならないと思います。素敵な保健師さんたちの一工夫を待っていまーす。

 ところでマンモグラフィーによる検診は1年おきにしか受けられません。待っている間「毎年受けることが出来れば安心なのに、なんでかしら?」という話になりました。私は放射線の暴露の影響を考えて連続撮影を避けているのかと思っていましたので、すぐに確認しに行きました。すると「暴露量は関係しない。国の指針によるもの。あくまでも乳がんの初期発見を目的としているので、受診の機会を広げるため2年目は遠慮してもらう。その間は自己診断またはレディス健診を受けてください」が健康福祉事業室室長の答えでした。ちなみに町では国民健康保険の加入者は無料ですが、有料の自治体もあるようにも聞きました。早速聞いたことを皆さんにお伝えしました。

 検診車はできたてホヤホヤの立派な新車のバス(写真)でした。バスの中は脱衣して待っている所も個室になっていて気を使わずに済みます。さらに最も改善されたのは、撮影した映像データが直ちに車内の医師に送信され、受診者も映像を見ながら説明を受けることが可能になった点です。私は「映像でみる限り大丈夫ですね」と言われホッとしました。

 本日担当の女医さんは保健師による検診前の説明にも会場に出てきて、自己紹介と簡潔な指導・助言を行いました。以前は医師によるこのような話はなかったと思います。これで受診者の気持ちがとても和みましたし、安心感も湧きました。「立派な良いお医者さんだなー」と私はうれしく思いました。乳がん健診の結果は1ヵ月くらい後に通知されます。

 検診が終わって11時から始まっている「介護者家族の会」の総会に出席しました。毎回盛りだくさんの内容を掲載した会報「ゆうゆう」の発行や「介護ほっと一息サロン」の毎月開催、そして交流を兼ねた施設見学も年に数回開かれ、その活動力には脱帽です。介護OBの会員が介護まっだだ中の会員たちに惜しみない手助けをし、リフレッシュの仲間にもなっておられます。途中で会員の小沢府議も駆けつけました。なんと小沢さん、先日の我家のバザーで買ったベストをさっそく着てくれています。とてもよく似合っていました。

 今回の総会はゲストによる講演の代わりに、マジックショー(写真)がありました。かなり渋めの(年長者という意味です)男性による、かなりのどかな(目のさめるようなマジックではないかな?という意味)それだけに味のある“手品”を観賞しました。関係の行政職員も町長も観客の一員になっていました。お昼のお弁当は辞退して、役場ヘ行きパンを買いました。

 2時から教育センターで開かれる社会教育委員会議の傍聴に出かけます。教育次長も欠席しており、会議は取り立てて問題も無く終了しました。センター1階ホールに子どもたちが描いたタケノコの絵(写真)が面白かったので、写真を撮りました。

 再び役場に戻ります。年間を通じて請求している「要望・苦情」(「私の声」の投書を含む)の情報が公開されましたので、閲覧とコピーを取りました。終了はギリギリ5時30分の閉庁時間に間に合いました。別に何をしたというわけでもありませんが、今日は忙しい気分の一日でした。

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サントリー“山崎”の売り込みは上手だなー

(2006年5月20日 土曜日)

 “山崎”って誰もが知っているウイスキーの銘柄ですが、サントリーは自社のお酒のみをさしているのではないと思わせる、上手いイメージの刷り込みを進めていると思います。テレビのコマーシャルで流される山崎蒸留所のあのイメージです。きれいで美味しい水、その水を育てる森の緑、その緑の中にある山崎蒸留所・・・「“山崎”にいらっしゃい」と誘っています。「お酒を買って!」と叫ぶだけの宣伝なら、今日ここにこれだけの行列はできないよねと感心しながら、またも私と長男は蒸留所にやってきています。そして長〜い列のお尻に並んでいます。「150食限定」にあぶれないかとハラハラしながら・・・。

 私はお酒は弱いです。ウィスキーなんて舐めてみても美味しいと思いません。なのに何故サントリー山崎蒸留所にやってくるのか。それはまさしく“山崎”のイメージに誘われているからなのです。今回はウェスティンホテル大阪の総料理長がコーディネイトしたオードブルが売りの催しです。その名も「一流シェフのレシピとシングルモルトのマリアージュ」と仰々しくついています。ええっと「マリアージュ」ってなんだっけ?程度の私ですが、一流シェフのオードブル4品がついて千円は魅力です。もちろん「山崎12年」と「山崎18年」のウイスキーがグラスに15ミリリットルずつつきます(私はウイスキーをペロッとなめるだけですが)。

 オードブルはお皿に可愛く上品に、けれど凝った装いで現れました。どれも重々しく長い名前がついていて美味しかったですが、私は「西京味噌漬のフォアグラのポアレ」が気に入りました。初夏の夕暮れ花に囲まれたテラスで、軽くお酒とオードブルと会話を楽しむって、ちょっとお洒落で誰だっていい気分です。サントリーはこの“いい気分”にさせる演出が本当に上手です。私はこの演出がここ“山崎”私たちの町島本で展開され、人気を博していることに行政も気付くべきだと思っています。いろいろと参考になるヒントがありそうですが・・・どうでしょうか町長?

  

 


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今回はお客で、汗をかきかき楽しんだふれあいマーケット

(2006年5月21日 日曜日)

 町が主催する消費者まつりと共催して毎年開かれているフリーマーケット「ふれあいマーケット」は消費者懇談会の主催です。懇談会は私も随分前に会員でした。廃油の回収や勉強会や味噌作りなど共に活動していた方々が、今日もお世話役で頑張っておられました。ただ懇談会は今も昔も住民からは見えにくい存在ではないかと私は残念に思っています。

 ふれあいマーケットには私もスタート当時から10年間くらいは友人と一緒に参加していましたが、今年は出展を見送りました。一週間前に自宅でのミニバザーを終えたところでしたし、毎年カンカン照りの熱さに閉口していたのも止めた理由のひとつです。まったく影が無い役場の駐車場ですがテントの設営もありません。ビーチパラソルでは強い陽ざしはとても防ぎきれず、皆熱中症の一歩手前状態です。

 

 これからもマーケットを続けていくのなら、どこかもう少し涼しい所に変更した方がいいと思います。例えば庁舎の前・ピロティー・中庭あたりを一体とした会場だと、影があってまだしもマシです。お店の人の体力消耗も防げるし、お客さんもゆっくり買い物ができます。今年は出店がやや少ない気がしましたが、知人のお店もいくつかあって随分おまけしてもらいました。もちろん消費者まつりの地場野菜・花苗、そして役場担当課の職員が奮闘していた焼き鳥も買って帰りました。

 


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犬も猫も命を見とどけてやる覚悟が無ければ飼ってはいけない

(2006年5月22日 月曜日)

 若山台団地に住む知人が怒り嘆いています。自然が多く人目につきにくい団地近辺に捨て犬・捨て猫をしていく人が多いらしいのです。動物愛護の気持ちが人一倍強い彼女は自費で餌を与え、避妊手術の費用も出しています。町内には彼女のような人たちが少なからずいるようです。しかし彼女たちの善意だけでは心無い飼い主の根本的な意識の欠如をカバーできるはずはありません。結局殆どの犬・猫は行政に取り扱いを委ねるしか仕方がありません。鑑札をしている犬や迷子札をつけている猫で、ごく一部のラッキーな者たちは飼い主の所に戻ったり新しい飼い主に出会うことができます。

 昨年度役場に持ち込まれた犬は2頭、猫は30匹でした。もちろんこの中には愛犬愛猫の処分を承知の上で、捨てて迷惑を掛けるよりはとやって来る住民もいます。生後91日以上なら一頭(匹)1,400円を支払って“安楽死”を依頼するわけです。迷い犬の場合は、鑑札を手がかりに飼い主を捜す時間が1〜2日ほど与えられます。役場が預かった犬・猫は庁舎西側にある“小屋”(写真)に1日だけいます。自力摂取が可能な犬・猫には水や餌を与えていると役場は答えていますが・・・「どうかしら?」と知人は心配しています。

 私も小屋の中を見たことが無かったので、担当職員に鍵を開けてもらいました。今日は犬も猫もいませんでした。6平方メートルくらいの内部は暗く、一頭ずつ入れるゲージがいくつかありました。掃除はされていて汚物もなく異臭はしませんでした。ここに1日だけ収容されるのですが、コンクリートブロックを積んで屋根を乗せただけの小屋は窓も無く、明かりや外気が入ることはありません。役場は鳴き声などがもれると近隣の迷惑になるからと反論しますが、動物愛護の気持ちが反映しているスペースとは言いがたいと感じました。知人は「せめて窓を開けて」と要望書に書きましたが駄目だったようです。よその町がどうなのか、また調べてみたいと思います。

 犬・猫にかかわり役場が行っている仕事は、狂犬病の予防注射以外は大阪府の仕事の委託を受けてやっています。そうだからなのかはわかりませんが、最初職員の説明は私も理解ができにくかったです。多分愛護の気持ちを下敷きにして話していた知人には、職員の説明や回答に強い拒否感を感じてしまう結果をもたらしたのではと思います。役場の職員は、住民が訴えている気持ちに先ずは共感の意を示さなければなりません。「あなたのおっしゃりたい事はこういうことですね」の前置きもなく、「だめです」「できません」を声高に先制パンチを放つから拗れる場合もあるのです。知人は2度も要望書を「私の声」に投函しなければならない事態になってしまいました。

 いずれにしてもこの小屋から先に待っている運命はほぼ100%の死です。毎週木曜日の朝業者が引取りに来て、犬は茨木保健所に猫は三島府民センターに搬送されます。その翌日犬も猫も大阪府犬管理指導所箕面分室に送られ、その命を終えます。だからこそ知人は「せめても島本で少しの光と風と水を与えてやってくれませんか」と訴えたかったのだと思います。ただ仕事だからやっているというのではなく、か弱き命に対する感性を私も職員に求めたいと切に感じました。

 


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新しい校舎のせいで転校を余儀なくさせられるとは・・・

(2006年5月23日 火曜日)

 第二小学校では新しい校舎の建設が進んでいます。12月の完成を目指して本格的に建材等の搬入も始まります。みんなが待ち望んで見守っている中、日に日に不安を募らせている児童とその保護者がおられたことを初めて知りました。教育委員会関係の情報を公開請求してわかりました。

 新校舎建設という万人に良いと思われる事象が、反対に命の危険さえ招きかねない大変なリスクを背負わされることに繋がる子どもがいる、そのことに全く思い至らなかった自分を恥じています。保護者からの申立書が出されて、当然のことですが卒業までの学校指定の変更が許可されました。

 化学物質過敏症(シックハウス症候群)の疑いを有する児童の保護者は、当初工事予定や使用化学物質の連絡を受けることで回避を考えていましたが、限界もあり何よりも校舎完成後の入室に伴う危険性は避けられないと判断されました。やはり子どもの安全のためには「危険性のある化学物質を身の回りから遠ざけて接触を避ける」道しか選択肢はありませんでした。

 今後も転校先においても子どものプライバシー(体に係ること)は守られなければなりませんが、周囲が気づかずに危険な目に遭わせないよう先生方の特段の認識が求められます。学校を初め教育委員会事務局はこれまでにも、特に人権に係る問題については優れた取り組みをされてきています。当該の子どもの安心・安全な学校生活もしっかりと保障していってもらいたいと念じています。

 いずれにしても第二小学校の建材が法をクリヤーしているとはいえ、学校で使用する資材に化学物質の含有は少ないに越したことはありません。今一度チェック体制の強化を図ってもらいたいと思います。

 


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街頭演説は「ポイントを短く」とアドバイスを頂きました

(2006年5月24日 水曜日)

 夕方5時からの水無瀬駅前街宣に出かけます。澤嶋さんと平野さんが配布用のビラを印刷してもってきてくれるので(残念ながら受取りはイマイチなのですが)、私は街宣のハンドマイクを担いでいきます。これまでの教育基本法改正(悪です)・共謀罪法制定反対に加えて、今日からは国会の本会議に上程間近とされる国民投票法案に対する反対のアピールも行います。

 憲法を変えるためには、衆・参議員の3分の2以上と国民の過半数の賛成が必要です。そのために憲法第96条では特別の国民投票を行うことを定めています(正確には「国民投票又は国会の定める選挙の際行われる投票において」となっています)。改憲派の意図はいうまでもなく第9条の第2項において「集団的自衛権の行使」が行えるように“改悪”することです。

 第9条が象徴する平和憲法の“平和”を捨てて「戦争ができる、戦争で人を殺せる」憲法にするための第一歩が国民投票法案です。改憲のための単なる“手続き法案”ではありません。自らが投票権を持つことの錯覚で“フェア”な制度だと思っている人もいますが、投票に到るまでに国民を洗脳できる金と権力が改憲派にはあることを知ったうえなのでしょうか。

 改憲派はどんなことでもしてくるでしょう。既に共謀罪法というとんでもない悪法で国民を互いに監視させ萎縮させ、一方教育基本法を改悪することで権力に逆らわず物言わぬ若者に仕立て上げるもくろみが着々と進んでいるのです。6月18日の国会会期末までにこれらの法が成立しなくても、9月には再び姿を表します。だから私たちは例え“ゴマメの歯軋り”と笑われようとも無視されようとも訴えなければならないと、今日も駅前に立っています。

 街宣を終えた時、ベンチに腰掛けていた男性が一人寄って来られました。「うるさくてすみませんでした」と頭を下げると「聞かせてもらいました。3人のどなたの話がどうとは言いませんが、解かりにくかったです。話はポイントをついて短くした方がいいですよ」とアドバイスを下さいました。全くその通りで、わかっているのについつい自己の思いと法案の説明と国会等の状況報告がごちゃ混ぜになってしまいます。

 大抵の訴えは、その内容に関心を持たない人にとっては耳に心地よいものではありません。だからこそ聴いてもらう工夫が必要です。演説が下手でも内容を整理して短いセンテンスで述べることを、改めて再認識させてくださった方に心からのお礼を申し上げます。ビラの受取りを避ける方は多いし、時には捨て台詞を浴びせていったりする人もいて憤慨したり落ち込んだりもしますが、今日の男性のような言葉をもらうと、また勇気が湧いてきます。本当にありがとうございました。

 


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天王山周辺森林整備推進協議会を傍聴しました

(2006年5月25日 木曜日)

 いつもはサントリー山崎蒸留所で開いている会議らしいので、傍聴したことはありませんでした。今日は役場での開催を偶然知りましたので急遽傍聴をします。協議会は大阪府・京都府・島本町・大山崎町・サントリー山崎工場・両町の関係団体・神社等で構成されています。会長は京都大学フィールド科学教育研究センター助教授の徳地直子氏です。女性は会長ただ一人で、おそらく年齢も一番若いのではないかと思います。丁寧でやさしい会議の進め方は、森林整備の何たるかもよくわからない私にはありがたかったです。

 「天王山周辺森林整備構想」は昨年の10月に策定されました。この折には島本町の住民ホールで大々的なシンポジュームも開かれ、私も参加しました。整備構想の地域は島本町と大山崎町にまたがる地域の天王山山頂付近と周辺約250haです。この一帯を所有者・地域住民・企業・NPO団体・行政が府境界を越え・立場を越えて、10年を掛けて整備しようとの計画です。

 一帯には荒れた竹林・竹が侵入している森林・多様な樹種が育成できない雑木林等がみられます。これらを手入れすることで水源の涵養をはかり、歴史や文化に恵まれた背景を生かしつつ美しい里山景観を創り出そうというのが大きな目的です。協議会は「みんなで協力して放って置かれていた山に入り、あるべき自然環境を再生しよう」と呼びかけ活動し始めています。

 島本からは椎尾神社氏子代表・山崎自治会会長・「島本森のクラブ」・「島本竹工房」の代表者と役場の産業建設課長が参加しています。町域で言うとサントリーも入るかと思います。サントリーは自社の森を当該地に所有しています。企業が人も金も出して直接利潤に結びつかない環境保全に力を注ぐのはめずらしいことではありませんが、やっぱりサントリーらしいと思います。

 2006年度の森林整備予定経費は両町合わせて1,500万円ですが、サントリーは単独で同額の支出をします。また伐採した竹材をペレット加工して、工場のストーブの燃料に使用するそうです。私は別にサントリーの肩を持つつもりはありませんが、先日の日記でも書きましたようにサントリーのアピールの仕方は環境問題にとどまらず多方面にわたり効果的なやり方であるし、また洗練されていると感じます。多分“損して得とっている”のじゃないかしらと思いますが・・・。少し脱線しましたが、今後の島本町の力の入れ方や担当職員の意識等にも期待しつつ、なかなか面白い傍聴を終えました。

 


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「会議の公開を知らせなくて何が悪い?」の居直り態度は許せん!

(2006年5月26日 金曜日)

 昨日の日記に「天王山周辺森林整備推進協議会」の開催は偶然知ったと書きました。私は「生活環境美化推進連絡会」を傍聴するつもりで地下の会議室に下りたところ、隣り合う部屋で「協議会」が同時刻で開かれることを知りました。迷いましたが、今まで傍聴の機会がなかった「協議会」の方を選びました。従って「連絡会」の会議傍聴が叶わなかったと文句をいう筋合いのものではありません。

 しかし問題なのは「連絡会」開催のお知らせが、役場の会議公開に関する“決まり”に従って行われていなかったことです。文化情報コーナー前の掲示板にもホームページの会議案内にもありませんでした。私が「連絡会」を知ったのは「町長の予定表」を見たからです。「連絡会」を所管している環境課にも住民への広報を担当している自治防災課にも、今後のことを思い注意をしました。

 ところがどちらも「なんで?」というような反応で「すみませんでした」の一言もありません。それどころか「わざわざ(余計な)サービスで会議の開催を教えてやっているけれど、こんなの本来の私たちの仕事じゃありません。だから忘れて抜け落ちたりしてもええでしょうが」と言わんばかりの態度です。私は呆れてしまいました。「あなた方が会議の公開や周知について内心どう思おうと私は知りません。しかし気に入ろうが入るまいが、それはあなた方の仕事です。仕事のミスは繰り返さないように以後注意してください」何で私が“初歩の初”を言わんとあかんのん!?と溜息が出ました。

 私は数年前に会議の公開を求めて、一つひとつの会議に出かけては傍聴を申し出てきました。その成果は特別な会議を除いて殆ど全て公開される町の方針に繋がったと自負しています。町も会議公開の「要綱」等を定め、開かれた町づくりの姿勢を示しました。しかし実態は本当のところ、上記のようなことはほんの一例に過ぎず、いまだ役場のあちこちにゴロゴロところがっております。

 


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美味しいイタリア料理店を見つけました

(2006年5月27日 土曜日)

 土・日曜日には長男が勤務先の名張市から帰宅しています。トルコを旅行中の夫はあと3日で帰国です。食事作りももうまもなく再開しなくてはなりませんので、今夜は長男のご馳走でイタリア料理をいただきに、新しいお店の“開拓”もかねて南茨木へ出かけます。

 「普段着で気軽に、それでいてチョット気の利いた大人のイタリアンがいいね」と意見が一致して、私は「北摂の美味しいお店101軒」というガイドブックで、前から気になっていた「ポルポ」を選びました。

 「ポルポ」は阪急の南茨木駅から3分、昼も夜も静かなマンション群の中にあるお店です。オープンして20年以上ですから関西でも先駆けのイタリアンレストランになるでしょうか。素朴で伝統的な家庭料理のレシピを生かしつつ、お洒落な演出がお皿の上で息づいているお料理でした。特にデザートはきれいで美味しくて、たっぷりで安く(500円くらい)うれしい!ワインを少々頂きすぎて、ふ〜っ!赤い顔で電車に乗るのはチョット恥ずかしかったです。

   

 


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草取りで手も口も良く動きました

(2006年5月28日 日曜日)

 私が居住するメゾン水無瀬は今年で32年を迎え、私たち家族もまた同じ年月をこの団地で暮らしています。当時3歳の長男も入居1年後に生まれた次男も、今は共に島本を離れていますがここがふるさとです。私は駅から近いという利便性だけでなく、メゾンは住みやすいところだと思ってきました。入居当初から住み続けている世帯も案外多く、今日の団地内草取りのような行事には懐かしいお顔に多く出会います。

 子育てをしていた頃は毎日のように顔を会わせ賑やかに過ごしていたお知り合いも、めったにお会いする機会がなくなりました。けれど出会えばやはり昨日の続きのように話が弾む不思議さがあります。草取りは数人が集まってこなしていくと効果的なので自然とグループの輪ができ、その中でせわしく草を引く手が動きそれに負けないくらいにみんなの口が動きます。

 「お元気でした?」から始まって、瞬く間に30年がタイムスリップします。お互い子どもたちが小さかった頃、つまりは私たちがまだ若かった頃のひとコマひとコマの映像を懐かしく追いながら笑い声が絶えない2時間でした。長い間の“ご近所さん”は理屈じゃなく打算じゃなく温ったかくていいものだとしみじみと感じました。「じゃ、またね」の一言で解散していくその清々しさはお互いそれだけ年月を重ねてきた信頼の証なのかもしれないと、私はとても安らかな気持ちになっていました。

30年間で木々も大きくなりました

 午後からは管理組合の総会がありました。メゾンは法人格を持つ組合なので、いつものように長時間にわたる会議となりました。今日は一日中メゾン水無瀬の住人であることを意識した日となりました。

 


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常任委員会の会議録には議員の氏名と職員の役職名を載せるのが当たり前です

(2006年5月29日 月曜日)

 10時からの議会運営等検討委員会に出席します。本日は私が(私の会派が)提起している標題の件について検討しました。私は数年前に大阪府内の全議会に電話を掛けて実態を調べたことがあります。その当時でも殆どの会議録が氏名・役職名を明記していました。そりゃー当たり前のことでしょう。法制化された常任委員会の席で議員も理事者も公の発言をしているのですから、誰の発言かわからないほうがおかしいのです。問合せをしたとある議会事務局に「へぇ〜っ?」とあきれられたことからも、わが町議会の閉鎖ぶりが伺えました。

 氏名明記を渋る議員たちの言い分は終始一貫変わりません。変わらないから正しいのか?とんでもない!全く理由にならない、噴飯ものです。いろいろ言い繕いますが、本音は「ようけ喋る議員が目立って、おもしろない」ということにほかなりません。チョットしか喋らんのが恥ずかしいのなら、あなた方も市民派議員の私たちや共産党の議員たちに負けないだけの発言をすればいいのです。

 しかしですね、いつも長く喋っている私が言うのもなんですが、長けりゃいいって言うもんでもないのです。私も含めての“長話派”の反省点もあるのです。不必要な前置きや・同じ内容の繰り返しや・他議員と同一の質疑を重ねるとか・・・いろいろあります。まれには「黙っている方がマシやったな」と思われる発言もあります。これらは「氏名を公開しなさい」と主張している私たちの恥ずかしい点になるのです。従って住民から「この議員ようけ喋ってこの中身か!恥ずかしいやんか」と評される恐れも十二分にあるのです。

 でもだからといって私は名前を隠しておこうなんて絶対思いません。議会に求められる正確な記録に、個々人の思いや屁理屈(?)は通用しないのです。住民に公開され後世に残る委員会の記録で、誰が質問して誰が答えたのか判からないと言うのではお話しになりません。正確さを欠く会議録は、議会が住民に対して説明責任を果していないことにほかなりません。

 と、まあ私が少々熱く訴えたのが効を奏したのか、最後までグズグズ言っていたS議員も折れました。ここから先は検討委員会座長(副議長)が委員会の総意として議長に報告し、さらに議員全員協議会に諮り全員の賛成で実現することになります。理屈上は検討委員会には各会派から代表を出していますので(しかも5人会派は2名づつ)、議員全員に賛否を問うたとしても結果は検討委員会の結論と同一で揺るがないはずなのです。

 しかしなんとなんと(後日談になりますが)検討委員会で賛成していた5人会派の中から「反対」者が出て常任委員会の会議録に議員の氏名・職員の役職名を記載することは見送られました。あ〜あ!この人たちにつける薬はもはやありません。島本町住民からも他市町村議会からも、さらには当町職員にも馬鹿にされる情けないわが町議会になってしまいました。

 午後からは6月議会の案件説明を会派として受けました。3月議会の折り、会派説明時に行った内容と実際に上程された予算の内容とが異なっていて、予算委員会で助役と民生部長の答弁が全く相反することが生じました。当たり前のことながら今後十分に理事者間の調整を行うよう私は強く求めておきましたので、今日の会派説明にはいつものメンバー(町長・助役・総合政策部長・総務部長)のほか他部局からも部・次・課長が出席していました。しかし都市環境部と教育委員会からの出席はありませんでした(補正予算に関係事案があったにも係わらず)。

 


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トルコのお土産ナンバーワンはやっぱりトプカピ宮殿の本

(2006年5月30日 火曜日)

 夫が15日間のトルコ旅行から帰ってきました。年金生活者の観光旅行ですからお土産もそれなりにつつましいものでありました。ナザール・ボンジューの飾り物・ブレスレット(トルコでは邪視を防ぐお守りとして、あらゆるものにこのブルーの目ん玉状の飾りが付いています)、アロマ用のオリーブオイル、カッパドキヤのアバノス焼きデミタスカップ(少々高かったようですが、私の好みのブルーの絵付けでトルコが原産のチューリップをデフォルメしたデザインです)、ナッツ・ドライフルーツ類と本が私へのお土産です。

 私の旅の鉄則は「もって帰るのは思い出だけ」ですから、別に何も無くても一向に構いません。折に触れて旅の思い出を一言二言聞くことができれば、家族の者は「ああ良い旅行だったんだなー」と感じることができるし、それでよいと思います。

 しかし本は別。一人になってゆっくりページを開いていくと、さっき聞いた夫のちょっとした土産話が何倍にも膨らんできます。そして私をまだ見ぬ彼の地へといざなってくれます。重くてけっこう高い本を数冊もらいましたが、中でもトプカピ宮殿を紹介した内容には目を奪われました。大きいエメラルドが数個飾られた短剣は有名ですが、私も見入ってしまいました。

 42年も昔に「トプカピ」と題した映画を観たことを思い出しました。メリナ・メルクーリ扮する泥棒たちが宮殿の床に張り巡らされたセンサーを避けるため天窓から中吊りになって短剣を奪うのですが、窓から1羽の鳩が舞い込んだのに気付かず、大成功という所で鳩が床に降り立ってしまいセンサーの音響が鳴り渡り失敗してしまう・・・そんな映画でした。

 昔はみんなよく映画を観たものでした。私も映画通ではありませんでしたが、両親がよく洋画に連れて行ってくれたので、小さい時からよく映画を観ていました。たくさんの映画の中でも「トプカピ」のこのシーンは、今でもそのドキドキ感が甦ってくる気がします。映画でワクワク・ハラハラしていた19歳の私は、おもえば単純だったということでしょうかしら?トプカピ宮殿の写真集が思いがけず遥か昔を甦らせてくれて、お土産が2倍の値打ちになった夜でした。(折角撮ってきた写真なので数枚紹介させてやってください)

   
世界遺産カッパドキアの奇岩 世界文化遺産サフランボルの子供 世界文化遺産サフランボルノ子供
トルコ共和国の父アタチュルクの霊廟の子供 リゾート地アンタルヤのドネル・ケバブ(回転焼肉)屋 トプカピ宮殿の入口


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匿名様ご注意ありがとうございました

(2006年5月31日 水曜日)

 夕方の駅前街宣から帰ると次のようなメールが届いていました。

『 匿名で失礼します。毎週のように、水無瀬駅前での拡声器による街頭演説。もう少しボリュームを下げて頂けないでしょうか。ご自身ではお判りにならないかも知れませんがかなりうるさいのです。演説内容に関して国政に対して言いたい事もあると思いますがほかに大切な事があるのではないでしょうか?島本町議会で行われる様々な改革や懸案。小さな町の足元でおこる様々な問題をより知りたいと思うのではないでしょうか?国政に付いては、何も演説を聴かなくても判り自分で判断できますので結構です。駅を利用される方は大半が地元の方達だと思います。これからも演説をされるのであればどうぞボリュームは下げてください。失礼致しました。』

 私は慌てて以下のお詫びの文章を返信したのですが、送信不能でした。匿名様がもしもこの日記を見てくださっているならと思い掲載することに致します。

『 匿名様

 駅頭街宣のマイクボリュームについてご指摘ありがとうございます。今後は音量を下げるよう注意いたします。ご不快をお与えしましたこと深くお詫びいたします。本当に申し訳ございませんでした。次回直っていませんでしたら、ご面倒をおかけいたしますが再びのご注意をお願いいたします。

 後段のご指摘につきまして「当町の課題を知らせることを優先すべし」は私も大いに共感いたすものですが、この間の共謀罪法制定・教育基本法改正については強行採決の可能性が大いにあり、危機感が優先し街宣行動を続けております。

 お言葉を返すようで恐縮ですが、国政が地方政治・住民に与える影響は少なからず存在すると思っていますので、私は今回の街宣が全く無意味なものだとは思っておりません。

 ただおっしゃる通り、国政の事象より我が町の町政の状況をご説明する街宣を頻繁に行っていればご指摘は無かったやも知れず、これもまた大いに反省すべき事だとお詫び申し上げます。

 私は政党・組織に属さない“市民派”議員として一生懸命務めようと努力しておりますが、空回りをしたり今回のように迷惑をおかけしたりと、至らぬ点は数限りなくあると思います。

 自分自身の気付きが第一ではありますが、匿名様のような温かいお叱りもまた議員を育てていただく大きな力だと心に沁みております。どうぞこれからもお気付きのことをご指摘くださいますようお願いいたします。

 お詫びとお礼を込めて。   南部由美子 』

 今日の街宣でも人びとの受け止め方は様々で、拒否を示す人は恐いくらい強くビラを跳ね除け「みんな死ね殺したらええねん」と凍りつくような言葉を投げつけていく人もいました。一方私に近寄ってきて「私は80歳、戦争にも行った。再び戦争に繋がるようなことには反対や」と伝えてくれる人もいます私たちの街宣の未熟さが皆さんの耳をふさぎ心を閉ざすことのないように、一層の精進を重ねなければとご忠告を改めて重く受け止めています。

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