全員協議会が開かれました
(2005年11月1日 火曜日 晴)
今日の議員全員協議会は案件が4件あり、その中には継続している重要な2つの報告も上げられていました。1つは「JR駅前整備事業に係る事故対応について」、もう1つは「山崎保育園の保育士配置状況について」です。どのような結論がでたのか大変気にかかる内容です。これらについては1件ずつ日を変えて日記に書きたいと思います。明日は“事故対応(スプレー缶爆発飛び込み事件)”を、明後日は“山崎保育園”の件をお伝えします。本日は新しい他の2案件を先ずお知らせします。
他の案件1つ目は、滞っている淀川右岸流域下水道高槻島本雨水幹線の整備に係る報告を、本日異動したてホヤホヤの水道部長が行いました。中身は工事の同意をもらえていない一部の地元に対し、安威川淀川右岸流域下水道組合管理者(高槻市長)より“早く工事をさせて”の通知文を送ったと言うものです。高槻市の井尻2丁目から前島ポンプ場の間2.5kmで地上権設定行為ができないため工事が遅れています。雨水幹線の終着点である前島ポンプ場の工事が3年半後には完成予定ですから、何とかそれまでに全管の布設工事を完成させなければとお尻に火がついているようです。
他の案件2つ目は、11月28日に臨時議会を開く予定との報告です。8月の人事院勧告を受けて現在国会で給与法が審議中です(10月末に既に可決成立)。給与法が通れば自治体も国家公務員に準じる改定率にするため、条例改正を行う必要があり、12月のボーナス期が迫っているので臨時議会を早急に開かなければなりません。ちなみに、今年度の給与改定は給料表の月額引き下げ(0.3%を4月に遡りカットする)、配偶者扶養手当の引き下げ(500円)、期末勤勉手当の引き上げ(0.05%)となっています。町の職員組合は2つありますが、交渉経過はよく解かりません。それぞれ“お抱え?”の議員がいるようですが、2つの内の1組合はニュースすら議員に配布しない状況です。これでは議会に理解を求める姿勢とは言い難いと感じています。
あと専決を行った補正予算の報告も臨時会で予定されています。中身は弁護士費用の55万5千円とアスベスト除去工事の1千5百万円です。後者については私がず〜っと訴えてきた役場庁舎地下の機械室壁面のアスベストを取り除く工事費です。私はモロモロに劣化した石綿に囲まれている委託職員を思うと、身を切られる思いが続いています。やっと工事に取り掛かってくれるのかとホッとしますし、町にとっても大金である1千5百万円の予算をよくぞ付けてくれたと評価もします。しかし、それでも今までの長年に渡る影響がどのようなものであるかは判からず心配でなりません。衛生化学処理場のアスベストもひどい状況です。早く、1日でも早く、これらの施設で働く(働いていた)職員の検診を前倒しで行うことを切に要望します。
こんな甘い結論で本当にいいのん?・・スプレー缶爆発・幼稚園飛び込み“事件”
(2005年11月2日 水曜日 晴)
昨日の議員全員協議会で、事件の終結を表明する報告が行われました。9月30日JR駅前整備事業第1期工事の最終日、不法に産業廃棄物を野焼きし、しかもスプレー缶を混在させていたため缶が爆発し、45メートルも離れた第一幼稚園に塀を越えて飛び込みました。これは事故なんかじゃなくて“事件”ですよと、私はずっと言っています。
何故なのかはこの日記の10月2日、5日、24日にも書いていますが、命を損なう恐れのある事象が不法行為のもと引き起こされたからです。しかも知らずにやった事ではなかったからです。たまたま幸運にも、人に当らなかっただけであって、この罪深い業者の行為を島本町が工事の発注者としてどのように捉え、具体的な改善に生かすのかが町長の肩にかかっていました。
前回10月4日の全員協議会では、町長は私の追及に対して最後には「当業者の指名停止も含めて検討している」と発言しました。しかし結局、町は形だけの「改善命令」を出し、業者から形だけの「工事改善書」を受けたに過ぎません。「改善」の中身は「社員教育の徹底に務め、法令を遵守し、安全管理の改善に努める」等ありきたりの文言の羅列に過ぎません。「だからこうする」との具体策は何一つ示されていません。
町長の「法律の専門家に相談したが、今回は指名停止に該当しないと判断した。今後指名停止基準の見直しを行う」にはガッカリしました。現実的な痛みが伴わないことには業者の真の反省も、他業者に対しての忠告にもなりません。今後の工事指名において、町の賢明なる判断(つまり当業者を指名しない選択)を期待するしかないというのは、なんとも歯がゆいことです。尚、本工事では約217万円の増額工事の契約変更がなされています(私たちには知らされず、予算残額を充てています)。
本事件により工期の延長が生じ、町は損害金を請求すると言います。少し期待をもちましたが、聞いてビックリ「はぁ〜っ!?」損害金はなんと「338円也」。あほらしくて物言う元気も失せましたが、最後に吼えずにいられませんでした。「工事費の増額はするは、法律違反の野焼きはするは、スプレー缶は飛ばすは、工期の延長はするは・・・それで338円ですか!」。我ながら頭に血が上ったのを意識はしましたが「ほんま、こんなんでええのん?」。
「文化の日」町の文化祭を楽しみました。<山崎保育園の報告も載せています>
(2005年11月3日 木曜日 曇)
開会セレモニーには間に合わずでしたが、お昼過ぎまでゆっくりと皆さんの文化活動を楽しみました。なんと言っても圧巻は、一番最初に訪れた特別企画の「早川佳子 陶展」でした。陶芸について何も知らないので語る資格もないですが、お皿や鉢物を想像していた私は,その大作に先ず驚きました。「こんなん重いやろうな、どうやって創りはるんやろ」なんてしょうむないことが先ず頭に浮かびました。釉薬を掛けない土の肌があったかくて、丸みを帯びた造形も心地よく感じられます。私は「星座」と題した作品が好きになりました。作家の早川さんも会場におられましたが、緊張せずにゆったりと楽しむことが出来ました。
会場のふれあいセンターを4階から順に降りていき、各階の展示を観ます。バザーも冷やかして、少し疲れたのでおいしいハーブティーで一休みした後は、またさまざまな作品に出会いながら「へぇー」「ほーっ」「凄いなー」と感嘆しきりです。驚いたのは実にたくさんの知人が出展していたことです。日本画、油絵、書道(私も昔々は文化祭に出していたのですよ、ホント)、アートフラワー(これも出展してました)、陶芸、生け花、絵手紙、籐芸、パッチワーク等々頑張っているご本人もいて、作品の前で話が弾みました。
ヘルシーコーナーで血圧測定かた栄養相談をと思い行きましたが、大盛況で待っている人が多く諦めました。防火祭りもぐるりと回り、お昼ご飯は学童保育の指導員さんが作るカレーにしました。友人と出会ったので、カフェ風に野外に設えた模擬店でコーヒーとおしゃべりを。半日楽しく過ごした文化祭でした。今年も籐の籠を買って帰りました。
さて、一昨日の議員全員協議会の報告です。9月の常任委員会で「山崎保育園の保育士配置は、町立保育所と同じ基準(国基準より手厚い)であるはずなのに異なっている」との質疑がありました。1ヶ月半を経た本日の会議に、やっと調査報告書が山崎保育園からの資料等と共に出されました。
結論は「町基準と異なる配置基準で山崎保育園が運営されている状況ではなかった」としていますので安心しましたが、一方町は「不明確な部分もある」とも指摘しています。今後町基準での配置を明確にするために、山崎保育園は毎月1日付けの保育士配置状況を町に報告し、一方町は年間5千6百万余円(今年度)もの運営助成を行う要綱に町基準の配置を明文化するとしています。これらは至極当たり前のことで、やられていなかった事がおかしいのです。町のミスであると私は思います。
今回やっと山崎保育園の職員体制を記録したものが提出されました。9月までは1歳児と5歳児において、確かに1名ずつが他クラスや時間外の保育士から担任として当てられているので、完全に望ましい体制とは言えないかもしれません。しかし保育士の配置数としては町基準に合致しているのです。
後日私は町の担当を通して大阪府の見解を聞きましたが、府は山崎保育園の状況は問題にならないと判断しています。保育士の配置基準は、ここ数年柔軟な対応がされクラス担任の位置づけは緩やかになっているようです。しかし町立保育所では担任は固定していますから、私立保育所においても一層の努力をしてもらいたいのです。町と山崎保育園は今後協議を進めるとしていますから、注視していきたいと思います。
議会運営委員会は来年度の宿泊視察はしません
(2005年11月4日 金曜日 晴)
10時から議会運営委員会(議運と省略)に出席します。議運は法のもとに位置付けられた委員会です。各会派から1名が出て、予定される本会議の議事日程等について協議します。全会一致の意思のもと、議会運営に係る殆ど全てを決める大事な委員会です。実際の議場では議長が進行していきますが、何か問題が発生すれば直ちに議運が開かれるのが常です。
今日の議運は本会議を控えた会議ではなく、来年度予算についての話し合いが主たるテーマです。議運の調査研修費は例年1人7万円で宿泊が可能な予算が組まれています。私は、議会費に係らず経費の削減を常々主張していますから、冒頭から「例年どおりの予算は削除すべし」を提案しました。
緑風純政会のみが「2年に1度の視察は必要」との意見でしたが、最終的には合意を示し割合すんなりと削減が決まりました。議員と議会事務局職員分の支出42万円がこれで節減できることになりますが、研修自体については大いに必要性があるので、お金を掛けない方法で実行していくことを確認しあいました。
その他の案件に移り、私は議場天井の吹付けアスベストらしき内装材が定性定量分析調査に掛けられている事を示し、報告を求めました。既に広報された8箇所の施設のほかに、1千万円の調査費執行により、今のところ議場を含め6ヶ所の分析調査が必要な施設が新たに出てきています。何故議会事務局は自発的に報告しないのか、本件に限らず、私はずっと感じています。さらには、先の議会で求められた清掃工場の補修工事履歴を示す資料が、未だに提出されていない事に対する催促も伝えておきました。言わなきゃドンドン放ったらかし状態が続くなんて、議員も甘く見られたものです。
来年4月から第二小学校と第二中学校の分教室がスタートします
(2005年11月5日 土曜日 晴)
大阪水上隣保館(山崎)に総合児童館が完成しました。その中で新しい施設が来春からスタートします。以前にご紹介しましたが、児童心理療育施設(法律上は情緒障害児短期治療施設と言います)です。定員は50人、男子30人、女子20人です。当施設で生活する子どもたちの学校は二小・二中です。しかし個々の子どもに合わせた授業が必要な場合は、施設内に作られた分教室で二小・二中から配属された先生が授業を行います。
ところで、児童心理療育施設とはどんな施設でどんな生活をするのでしょうか。私が教育委員会指導課に求めた情報で、解かりやすく書かれている説明より抜粋します。「友達と上手く付き合いたいができない」「何時も不安」「ひとつのことに継続して取り組めない」「学校に行かなくてはならないと思うが行けない」「怒ってはダメだと思ってもすぐに怒ってしまう」等々、このような状態が続いて、どうしてよいかわからない子どもたちの心や生活の援助をする施設です。
この施設で生活するひとり一人が普通の生活をしながら、できるだけ無理がなく安心して自分らしくいられることを目指します。そのためにいろんな大人の人がいて、話を聞いたり一緒に考えてくれます。セラピストやケアワーカーやお医者さんが、1対1で子どもをサポートします。学校は前述したように二小・二中に通学する子もいれば施設内の分教室に通う子もいます。
しかし、これらのことが今のところ一般の保護者や住民には全く知らされていません(PTA役員には話されているようです)。5ヵ月後には確実に始まる事業であり、少なくとも両校の子どもと保護者には直接係りのある事柄です。また広い視野で子どもの育ちを見つめている住民もたくさんいます。情報の提供はタイミングもありますが、できるだけ広く、できるだけ早く、できるだけ丁寧に、できるだけ解かりやすく伝えるのが理解を得るための正攻法です。
児童心理療育施設の子どもは、来年春からこの島本で生活し学んでいきます。遥学園の子で移行したり、また遠くからも入所したりする子もいるでしょうが、ともに私たち島本の仲間として暮らしていくのです。大人の社会の歪みを背負った子どもたちが多いと聞きます。彼らがこの地で喜びや悲しみや時には厳しさを惜しみなく享受し、やがては薄紙をはぐように癒されて、社会の一員として巣立っていくことが出来るようにと私は心から願っています。だから皆さんにも児童心理療育施設のことを知って欲しいと思うのです。島本町を初め関係機関はどのように考えているのでしょうか。「まだわからない」という状況に,少しあせる気持ちが芽生えてきています。
お詫びと訂正・・・ 11月1日の日記の中で「大阪府北部流域下水道組合長(高槻市長)」と書いていますが、「安威川淀川右岸流域下水道組合管理者(高槻市長) 」の誤りです。お詫びし訂正いたします。
地方議員年金制度の廃止は当然でしょう
(2005年11月6日 日曜日 晴)
地方議員年金制度は1961年に国会議員の年金制度に準じて発足しました。国会議員年金については来年の通常国会に法案が出され、廃止することが明らかです。両年金制度の財政事情は、国会議員よりもむしろ地方議員年金制度の方が火の車で、町村議会共済会は昨年度で78億円の赤字が出ています。積立金を取り崩していますが、3年後には底をつき年金制度は破綻します。
「そこで」と言うべきか「今ごろ」と言うべきか、9月に「地方議会議員年金制度に関する研究会」がまとめた報告書が出されました。私たちはつい最近その内容を知りました。私が捉えた報告書の結論は「年金制度の存続であり、持続のための延命措置を提起した」内容にほかなりません。私は、もう議員年金制度は廃止しなければならないと考えています。積立金が0になる前に、せめて自身が掛けた掛金と公費負担分(ともに一部に過ぎないかもしれませんが)の返還があれば良しとして、ここで断ち切らなければならないと思います。
私は今までで約500万円くらいの共済金を“強制的”に差し引かれてきました。議員を辞めれば、月約9万円の年金受給を受けることが出来る予定です。それも死ぬまで!(何ぼなんでも死ぬまではやめた方がいいです)それらがなくなるとすれば「うぅ〜っ!痛ったぁー!」と思わないと言えば嘘になります。しかし議員が自己の保身や利益に汲々となるべきではありません。どこかで断ち切らなくてはならないのなら、それも急がれる事なら、今現職にある私たちが、先ず自ら身を切る覚悟を示さなければならないと思います。
建設水道常任委員会の調査研修で長崎へ・・・一日目は諫早湾干拓事業調査
(2005年11月7日 月曜日 晴)
4年ぶりの視察出張です。諫早湾干拓事業と諫早市の水道事業民間委託についての調査が今回のテーマです。いずれのテーマにも私はもろ手を上げて賛同するものではありません。水道事業の民間委託については町当局、一部議員にもその方向性がなきにしもあらずですから要注意ですが、民営化賛成、反対、わからないそれぞれの立場で導入の自治体を調査する事はやぶさかではありません。2年前の委員会も広島県三次市に同様の事項で調査に行っています。
調査テーマを決める前に、当然のことながら委員会で意見を出しあっています。私は新駅西側の農地保存の理想を求めての調査と旧町営住宅跡地の良好なまちづくりの具体を求める調査の2つのテーマを提案しました。それぞれの主張がまとまらず、最終的には委員長一任との形になりましたが、視察直前に突如出てきたのが前述の2つのテーマでした。解からないのは諫早湾干拓事業の視察です。本事業に反対している私の個人的な思いは退けるにせよ、広大な干拓、国家的公共事業と島本町の何が関係するのかが全く理解できませんでした。
兎にも角にも委員長主導で進めてもらった私たちがいけなかったとも反省していますが、私も共産党の冨永委員も意義を申立て、干拓地の調整池に下水が流入している事もあり、急遽下水道事業に係る調査項目が入れられました。まあ、それにしても何で長崎くんだりまで出かけなくてはならないのかしらと、溜息混じりの出発です。
実は溜息は出発前から大きく何度もついていました。とにかく議会事務局からの資料提出がない。諫早市のプロフィールもなく、催促の結果出てきたのがなんと合併前の資料です。(4月に合併しています)今回事務局は何故か?アテにはならないとあきらめて、自分でせっせとインターネットに頼る資料集めをしました。
飛行機で長崎までひとっ飛び、午後から現地の長崎県諫早湾干拓室で説明を受けたあと、7キロメートルに渡る潮受堤防と中央干拓地の長崎県総合農林試験干拓科を視察します。ひとくちに干拓事業を言うならば「なにから何まで広い、大きい。これだけ(公称2,533億円)のお金を使ってやる必要な事業なのかなー?それにしても失ったもんは、もっと大きいんと違うかしら?海も海の生物も、そして海で働く人々の生活も心も」が私の感想です。
干拓事業は1986年に開始し後2年先の2007年で完了します。当初の土地改良に基づく農地造成の事業計画は2002年に2分の1に縮小され、以降事業の目的は防災機能の強化に置き換えられています。しかし高潮・洪水対策であればこれだけの海の埋め立ては必要がなく、また潮受堤防の水門開閉は平時と災害時とで自在に対応すべきです。堤防の内側の広大な調整池はそのために機能すべきであり、現状のような死の池である事を人々は望んではいません。途中で計画の目的が変わろうとも工事は一旦決めたが最後進んでいく。国営公共工事の進められ方の正体を見た思いでした。
宿泊はなかなかよいビジネスホテルでした。勿論個室ですから夕食後は、煩わされる事なく明日の諫早市水道事業の予習ができました。
以前の日記の訂正とお詫びを
* 11月1日の「給与法が審議中」は間違いです。10月末に既に可決成立しています。
* 11月4日の議会運営委員会の調査研修費全員は49万円ではなく、42万円です。
委員会視察2日目は諫早市の水道事業民間委託を調査研修
(2005年11月8日 火曜日 晴)
市役所はホテルから歩いて5分もかからないのに、わざわざ議会事務局の職員さんが迎えに来ました。諫早市は今年の3月に周辺の5町と合併し、長崎県下で3番目の規模の市になりました(昨日の日記では4月と書いていますが、間違いです)。人口は8万5千人から14万4千人になっています。旧5町とは従来より消防・環境行政及び介護保険等の共同事務を行ってきた為、合併はスムースに進んだようです。
旧諫早市の水道は80%が28ヶ所の井戸から汲み上げる地下水で、あとの20%はダムの河川水です。周辺の旧町は井戸からの取水・簡易水道で浄水場を有しておらず、合併後も水道事業の大きな変化はありません。民間委託の導入は合併の1年前、2004年4月から行っています。水道施設の運転業務や監視・点検・整備・残留塩素測定・各取水井の水位、水量測定・沈殿地の洗浄・水質異常、停電、故障、災害時の緊急対応等の包括委託をしています(担当職員は部分委託と強調していましたが、“部分”じゃないですよね)。
2002年の改正水道法により浄水場の民間委託が可能となり、諫早市では大手業者と地元の業者による共同企業体に、5年間で2億2千万円の業務委託をしています。委託先の選定は技術力を重視する為、公募型のプロポーザル方式を採用しました。委託の効果としては、5年間で約1億9千5百万円の経費削減が図られる予定です。削減の殆どが14人から8人になった職員の人件費です。その他の効果としては、職員の宿直・休日勤務が廃止できた事や事務の迅速化が図れたこと事等があげられます(島本町は夜間・休日は既に民間委託しています)。
旧諫早市における水道会計の経営はそう悪い現状ではなかったのですが、施設が多数あることから職員数も全国レベルに比し多かったことと、浄水場の機能診断をした結果、今後数十億円の支出を見込まなくてはならないことがわかりました。財源を水道料金の値上げに頼るのではなく、経営の合理化を図るための民間委託を選択したとの説明でした。
これらの事を、1998年から庁内プロジェクトチームを組んで検討し、1年後には「浄水場管理体制研究報告書」を出し民間委託を含む提言が報告されました。2003年度にはメインの浄水場に1億5千万円で集中監視システムを導入(他の浄水場は無人化にした)、但し中央監視盤本体は既存盤を使用しています。監視システムの導入なしに民間委託は不可能と諫早市は明言しています。諫早市ではこのように数年間を掛けて民間委託導入に到りました。
ちなみに、島本町でも大藪浄水場を核とした他施設とのネットワーク化のために数億円を掛けた中央監視盤更新の計画が実施設計まで進んでいます。更新計画は現在凍結した形になっていますが、諫早市の説明にもあったように「浄水場委託ありき」の監視盤更新である事は間違いありません。
安全・安心・おいしくて安価・安定的な供給は水道事業の使命であり、直営であろうと民間委託であろうと変わるものではありません。しかし、私たち島本町住民にとって“水”は事業者の使命を越えた、住民のアイデンティティとして人々の心に存在しています。“名水”への誇りを切って捨てるような合理化論なら、住民の賛意は得られません。スムースに民間委託導入が出来た諫早市においても6年の歳月を費やしています。
ましてや、当町においては住民にまだ何も投げかけられてはいません。企業の意を受けたような民間委託推進派の議員が先走り、水面下でことが進むようなことがあるとするならば、ゆゆしき事だと私は思っています。経営のスリム化には勿論努力しつつ、今知恵と力(お金も伴った)を注ぐべきは水の源である森林保護や雨水の涵養や節水や、より美味しい水を目指す試み等の本気の取り組みであると思います。
浄水場の民間委託化という“単眼”で突っ走るのではなく新しい町長、新しい水道部長の下、島本の水に対する住民の誇りや想いが後世に伝えられていく、その価値を含めた“複眼”の視点で私たち住民に投げかけをして欲しいと望んでいます。
スッタモンダの個人情報保護運営審議会
(2005年11月9日 水曜日 晴)
9時10分からの個人情報保護運営審議会を傍聴するため役場へ急ぎます。9月21日の日記にも書きましたが、前回の会議で結論が出ず、継続審議になった「緊急情報メール配信システム」に係る案件については、なんと再びの継続となってしまいました。殆どの委員は、メ−ル配信によって子どもの安全対策の選択肢が一つでも増えることには賛意を表しています。
しかし委員の「個人情報の管理を委託先が行うのではないか」「個人情報を公衆回線で通すのか」「迷惑メールが意図的に操作されることはないか」「緊急と言うなら1年365日か」等々の心配に対して担当者の答えは、やはり力不足・説明不足との感は否めませんでした。論点整理をし、次回11月24日に再々審議することとなりました。
続いて新しく審議に供されたのは「重度障害者等の安否確認実施の登録について」です。2001年に策定された島本町障害者計画には、災害発生時に自力避難が困難な重度障がい者への迅速な安否確認と、安全適切な避難・支援の確保が示されています。これらを実施するにあたり町地域防災計画中に重度障がい者の安否確認実施マニュアルを位置付ける事が決まりました。
そのために重度障がい者等の個人情報の収集を行い、登録者名簿の作成をする必要があり、事前に今日の審議会に掛けられたものです。これら収集された個人情報は予め民生委員児童委員に渡され、民生委員は災害時の安否確認時にのみ名簿を使用し、平時は封印しておくそうです(如何にも建前論で笑ってしまいますが)。本案件は情報の管理に十分なる注意を行うことを付記して、認めることが決まりました。会議が終了したのは12時過ぎ、なんと3時間もの審議会で傍聴の私も疲れました。
会派代表者会議傍聴と議会運営委員会出席
(2005年11月10日 木曜日 晴)
2006年度の議会費予算について会派代表者会議での検討が行われています。調査研修費について議会運営委員会は来年度ゼロ予算です。議会だより編集委員会は一応予算付けはしておくようです。予算の中で一番多く議論されているのが、議員のファックス機器の更新費用です(議会事務局の“親”機器を含む)。現在使用している機器は10年を経過し、耐用年数5年を過ぎてなお使っている代物です。
調子が良くない機器が多く発生してきており、次の方法を考えなければならない時期にはきています。しかし私のファックスであれば紙面は少々ごまを撒き散らしたようなインクの跡が出ますが、判読に特段支障はありません。全ての機器を調査し、どうしてもと言う機器は更新も仕方がありません。一斉に何もかも新しくすると、5年間のリース料は500万円を超える金額になります。
議会が自ら率先して支出の削減に努めなければならない時、年間100万円の予算5年分は承知できません。それは、一斉更新以外にいくらでも代替の方法があるからです。第一に1台20万円以上の高い機器が必要か否かです。間断なく受信している訳ではありませんから、家庭用の機器で十分なはずです。また手持ちの自宅機器の使用をしても良いわけです。さらには今メールでの交信は通常の手段となっていますから、自己のパソコンで受信も可能です。
私は新しいファックスは要りません。メールでも自宅のファックスにでも、どちらでもいいと申告するつもりです。事務局が通常の送信をしたにもかかわらず、万一トラブルが発生したならば、そのリスクは私が負います。多分このような形で決着するのではないかと期待しています。
午後からは議会運営委員会に委員として出席します。今年度の調査研修のテーマ等を決めます。前期の議員が付けた一人7万円の満額予算ですが、今期の私たちが執行するのですから、やはり宿泊を伴わない研修をすべきだと私は主張しました。一例として、本会議での一問一答形式の導入を目指して、大阪府に学んでも良いのではないかとの意見を出しました。おおむね賛同があったため、その他日帰り可能な自治体議会の例を事務局に調べてもらうことになりました。
次に継続して議論を重ねている議会運営委員会の委員数について意見を出し合いました。山吹民主クラブ・緑風純政会はそれぞれ5名で会派を構成していることから、1会派につき委員は2名出させるべきと主張しています。公明党は2名の会派ですが賛成しています。私の会派人びとの新しい歩みと共産党は反対しています。複数を求める会派は「不公平だ」と言うのですが、会派を代表する委員なのだから1会派1名で当然です。
今だからまだかろうじて会派の平等性は保たれていますが、つまり少数意見の切り捨ては出来ませんが、彼らの委員数が多くなれば結果は推して知るべしでしょう。まあ、何によらず意見を出し合うのは良いことですから「議論は大いにやりましょう」と思いますが、平行線を辿って交わることはありません。
8施設で新たな吹付けアスベストの疑いが出ています
(2005年11月11日 金曜日 曇のち雨)
島本町ではアスベスト対策として、専門業者による全施設の調査を1千万円の予算で行なっています。一部その結果が出てきています。いずれも成分分析のためのサンプリングをし、結果は11月末にわかるようです。11月4日の議会運営委員会で、私が議場を含む新たなアスベストの有無を質問したから、仕方なく渋々出してきたような感じです。
とりあえず近くの施設から実地見分です。先ずは議場へ。事務局職員同行で鍵を開けてもらい、天井を仰ぎます。毎日居る所ではありませんが、もしアスベストならと思うと、やっぱり気分はよくありません。
次は住民ホールです。総務部次長と庶務課の職員が案内してくれました。客席の天井、2階ホワイエ廊下の天井、1階のサロンと称している会議室天井です。ホワイエの天井は低いので、イタズラの跡が所々目にとまります。もしこれが吹き付けアスベストなら、イタズラは天井をかき落としているので飛散は間違いありません。庁舎(民生部がある方)の玄関ホール天井も見ておきます。
続いて消防庁舎を訪ねます。1階から屋上に到る階段裏に吹き付けられていました。帰宅途中に町立体育館に立ち寄って、今日の見分は終わりにします。体育館はアリーナのギャラリー下部、柔道場の天井にアスベストらしき吹き付けが存在します。今日見た施設は天井に多くが吹き付けられています。いずれも広範囲で、もしアスベストが含有していれば、封じ込めをするにしても除去するにしても、その対応は大変です。
驚いた!錆び錆びのタンクが綺麗になっていました
(2005年11月12日 土曜日 晴)
オーッ!うれしい発見と驚きです。なんと役場庁舎西側にある廃設備のうち、特にデカイ2基のタンクがピカピカに光り輝いているではありませんか!これらの外構機器は役目を終えた後、長い間捨て置かれていたため、塗装は剥げ錆びがひどい状態のまま放置されてきました。
私は見るたびに気になっていましたので、9月議会で一般質問の1項目に入れました(10月6日の日記に書いています)。撤去には多額の費用を要するとのことでしたから「とりあえずは周囲の草を刈ってサッパリとし、お金を掛けない良い方法を考えて」と求めておきました。「検討する」との総務部長の答弁でしたが、私は内心「草刈り止まりかな」と思っていました。
ところが標題のように、一番汚れが目立つタンクが銀色の塗装で見違えるように綺麗になっていました。私が気付くのが遅かったのですが、多分文化祭の前には塗られていたのではないかと思います。業者に発注したのか?いいえ、ペンキ代わずか7千余円で職員が頑張ったそうです。勤務中ならどんな作業でも仕事のうちと言えば、そうかもしれません。しかし、あのタンクのペンキ塗りは業者でもない職員の手には、なかなか大変だったと思います。
それだけに答弁の約束どおり、しかも早い取り組みに私は感心して感謝しています。小さな事でも一つひとつ誠実に着実に応える、役場の姿勢はこうでなくちゃ!欲を言えばあと一息頑張って欲しいな。塗装部分もまだ残っているし、花木などを配置するスペースも空いています。まだまだ工夫して、見苦しさから解放された景観からさらに一歩進んで、廃設備が存在していても好ましい美しいスペースに作り上げる事は可能だと思います。実現すれば小さな取り組みながら景観法の精神にも添っているし、行政の文化化を実践することでもあると思います。
一人暮らし年長者宅防火診断に保健師同行
(2005年11月13日 日曜日 晴)
午前中は居住マンション(メゾン水無瀬)での草刈りと防災訓練に参加しました。防災訓練は避難誘導訓練、高所救助訓練、消火器訓練、AEDによる心肺蘇生法の講習と盛りだくさんの内容でした。消防職員たちのわかりやすい親切な説明と指導で有意義な訓練だったと思います。ただもしも本当に火災が起きたら、きっとパニックに陥るだろうと思います。その時に「落ち着いて!」と自分自身に言い聞かせることが出来る心の余裕は、やはり訓練の機会を一度でも多く経ることでしか生まれないのだろうと改めて感じました。
11月9日から15日の間、秋の火災予防運動が展開されています。町の消防本部でも運動期間中に様々な行事を行っていますが、本日のメゾンの訓練もその一環だと思います。行事の中で私が注目したのは「一人暮らし年長者宅防火診断」です。この訪問に保健師が同行しているというので私は興味を持ちました。今年春の同行訪問では2日間で11人のお年寄りの方々が保健師による血圧測定や、相談・指導を受けていることがわかります。保健師の記録は服薬状況等を含め詳細に書かれていて感心しました。
消防行政と福祉行政の連携が、お年寄りの安全安心を少しでも支えることが出来るなら、とても良いことだと思います。1年前の火災予防運動期間中から始まったようですが、消防からの協力要請に福祉が応えて実現しました。横断的な行政のあり方を示す一つの形としても評価したいと思いますが、保健師の立場からは必ずしも肯定的な報告が出されているわけではないので、少し気にかかります。
学校のアスベスト有?無?「疑わしきは対策を」
(2005年11月14日 月曜日 曇)
11日の日記で、アスベストの使用が疑われる新たな施設を見分したことをお知らせしました。役場庁舎(議場・玄関ホール天井)、住民ホール(客席天井・2階ホワイエ廊下天井・サロン天井)、消防本部庁舎(塔屋階段裏)、町立体育館(アリーナギャラリー下面・柔道場天井)については町から通知のあったその日に確認済みです。
続いて残る4施設を見て回ります。やまぶき園(天井裏)、第四小学校(2つの階段裏1〜3階まで)、教育センター(視聴覚室横小部屋の天井)、第一小学校(3階多目的ホール・4階理科室プラネタリュウム壁面)の順に訪れました。
やまぶき園では天井裏が見えるように開けておいてくれました。わざわざ役場から係長も駆けつけて申し訳なかったです。此処のアスベスト(かもしれない)は、如何にもアスベストらしいモコモコ綿状の吹き付けです。建物の全天井裏に張り巡らされていて、なんらかの設備を覆うために吹き付けてあるようです。天井裏は見えないけれど、頭の上に危険なものが存在していて、常時空気に混じって浮遊しているとすれば大変な事です。
四小は校長先生に断って自由に見せてもらいました。全ての階段裏(下の階段の頭上)がヒル石吹きつけ仕上げをされているようです。手で撫でたぐらいでは剥がれない硬質の吹き付けですが、イタズラで故意に削り取った跡があったり、落書きが彫ってあったりして子どもたちの手が容易に届くことを示していました。退出時に校長先生と少し話をしましたが、子どもたちへは「さわらないように」の注意が口頭でされているようです。しかし分析結果が出なければ応急の対策も含めて、今のところは何の対応も取れない(取らない)ようです。
続いて教育センターを訪れました。教育委員会に連絡を入れていたので、事務の職員が案内してくれました。先生たちがコンピューター研修に使用する視聴覚室の横に小さな準備室があります。此処は以前銀行だった時には宿直室だったようで、火気対策にアスベスト?を吹き付けたと思われます。
最後は第一小学校でした。殆ど使用していない釜がビニールシートで覆われています。「えーっと、陶芸釜ってリストに上がっていたっけ?」と考えましたが、教頭先生の勘違いらしかったです。でも教室の中に釜があるなんて知らなかったです。立派な排気設備もあリます。それでいて使用していないとすれば、これって税金の無駄遣い?ちょっとアスベストから外れましたが、機会があれば調べてみましょう。多目的ホールを見るため3階へ。天井一面が硬質の吹き付けで施工されています。次に4階の理科室へ。プラネタリュウムのドームの壁面に同様の吹き付けがされています。
以上既にアスベスト使用の有無を調査中の8施設に加えて、新たに6施設が調査に掛けられています。これらは11月4日現在の状況ですから、こうしている間も調査対象の施設は増え続けているかもしれません。町は調査がぜ〜んぶ終わってから対策を立てるとしていますが、私は是非とも優先順位をつけるべきだと思います。何よりも先ず子どもたちへの影響を考え、学校施設へは先手先手の対応が求められます。
階段裏のヒル石吹きつけは一・三・四小学校と二中に施工されています。アスベストを含有しないヒル石なら問題ないわけですが、もしも含有しているなら事前の対応も問題となり、取り返しがつきません。私は無駄でもいいから、少なくとも学校施設は手厚い、出来うる限りの対策を実行しておくべきだと思っています。
ふれあいスポーツ大会見学〜心の健康地域講座受講
(2005年11月15日 火曜日 晴)
町内の障害を持つ人たちがそれぞれ自分流でスポーツを楽しみながら、個人戦や団体戦を繰り広げる催しが町立体育館で開かれました。やまぶき園や作業所「わくわく」の人たちが参加しています。私は彼ら、彼女らの殆どの人とは顔見知りなので(もっとも彼らの方で覚えてくれている人は少ないと思いますが)とても気楽に過ごせました。
もう20年以上も前になりますが、障害をもつ我が子のためにお母さんたちが体操教室を始めました。彼らのもちつき会やハイキング等の行事に親子で参加していた私は誘われて、友人と2人で体操教室のボランティアとして係ることになりました。2年は続いたでしょうか。毎週水曜日この体育館に、私は長男と次男を連れて参加していました。
あの頃大きなトランポリンがあってセットするのが重くて大変だったけれど、子どもたちはみんな大喜びで飛び跳ねていました。同じような年齢の子どもたちは、障害のあるなしにかかわらず、ふざけたりケンカしたりしながら団子になって遊んでいましたっけ。振り返ればあの頃の体験が私たち親子にとって、本当に大きな価値あるものだったと改めて感じています。
その頃の子どもたちも30歳をゆうに超えました。今、私の目の前でスポーツに興じている彼らは青年からすでに壮年期に入っています。でも不思議なことに、私にはふた昔前の情景がまざまざと甦ってくるのです。子どもたちの笑い声も、叫び声も、泣き声も聞こえてきそうな気がしました。タイムスリップしたみたいで、なんだかなつかしく切ないような気持ちになってしまいました。次の講座が始まるので、そんな気持ちを吹っ切って退出しなければならないのは、ちょっと悲しかったです。
心の健康地域講座は茨木保健所と島本町が2回に渡り開催します。今日は「認知症の理解について」と題して、光愛病院の大西医師のお話しです。私は今春、再び議員の職を与えていただく前にわずか2年余りですが、認知症のお年寄りの方々をお世話するヘルパーとして働いていました。従って大西先生のお話は本当によく解かり「そうそう」と頷くことしきりでした。
最後に話された「お仕着せの健康は、不幸な人をつくっているのではないか。高齢者の健康が“介護予防”と言う国の施策で画一的に語られてはいないだろうか?」との問題提起には、来春始まる介護保険の新メニューと重なって深く受け止めました。結局は「その人なりの幸せ」探しに周りの者がどのように係るかが問われていることなのだと思います。
役場1階に町長が降りてきます
(2005年11月16日 水曜日 晴)
町長名のファックスがきました。「12月5日の月曜日から週に1度、庁舎の入り口すぐ右手にある部屋(普段は民生部関係の相談室として使用)に町長席を設けます」とのお知らせです。町長選挙の時の公約でしたが、やっと実行に到るお膳立てが整ったのでしょう。週1回、それも9時から10時迄のたった1時間で、果たして効果の程はどうなのかしら?と思いますが、やらないよりは例えわずかな一歩でも前に進むのですから、暫くは温かく見守っていきたいと思います。
町長は「住民と役場の距離を近づけるため」「お互い顔の見える行政を実現するため」等立派な“志”を持って1階に降りてくるのですから、皆さんも大いに町長との対話を活用されてはいかがでしょうか。手持ち無沙汰だと町長もがっかりでしょう。初日はマスコミが来るかもしれません。オープンな町長席なんて今時ありふれた事のように思われますが、まだやはり実行に移す首長は少ないです。多分首長本人の意思よりも、議員も含んでいるかもしれない周りの人たちの意見が後ろ向きな場合が多いのではないかと思います。
まあ良いこと、新しいことはドンドンやってください。それに未だわが町の町長が誰なのか、わかってもらっていない事が先日も判明しちゃいました。11月11日に行われた戦没者慰霊祭での出来事です。式典は厳粛に進行していき、ご遺族の方が町長にお礼の言葉を述べられました。切々と胸を打つよきご挨拶でしたのに、なんと!最後に「町長豊田雅様」と締めくくられました。向かい合って謝辞を受けていた川口町長の顔が見たかったですが、仰天したことでしょうね。しかも豊田さんは前の前の町長で、前の町長村田さんをも飛び越えての間違いなのです。思いも寄らないこんな事もあるのですから、川口町長は新しい町長席でもっと名前と顔を覚えてもらわなければなりませんね。
東側からJR新駅工事が本格的に始まります
(2005年11月17日 木曜日 晴のち曇)
新駅東側には青葉ハイツ、コーポ水無瀬そして町立第一幼稚園が隣接して建っています。軌道(線路)をこれらの建物の方に5m振るので、騒音や振動の環境悪化を心配する声が両自治会から出ていました。約半年をかけた説明会・話し合い・騒音測定等を経て、10月末日に関係者(自治会・JR西日本・工事業者・島本町)が確認書を交わすまでに至りました。住民の心配はもっともなことです。JR側の歩みよりも見られましたが、自治会としてよくまとめてくださったと私はありがたく思っています。
確認事項が詳細に定められていますが、近隣住民に負担をかけないで安全に工事が進むことを願っています。幼稚園の園児・保護者に工事関係者が与えた危険な行為、ノコギリ落下と無断侵入・パネル落下・野焼きによるスプレー缶爆発飛来事件は、今も苦々しく記憶に残っています。工事過程でもしも人命が損なわれる事にでもなれば、例え新駅が出来上がっても全く祝福されない悲しい駅になってしまいます。
いよいよこれから工事が本格化していき、ダンプカーの往来や夜間の工事も長く続きます。例えば路盤に盛土を行う工事では、10トンダンプが1日30台往復します。また軌道内での工事は夜間にならざるを得ず、下り内線の新設及び電気工事では1ヶ月に10〜15回も夜間工事が続きます。しかもその状態が工程表を見ると5ヶ月以上は続くと思われます。「思われます」と言いましたのは、なんと工程表は来年の9月までしか書かれていないのです。新駅開業までの工程を全部示してくれなくちゃ、どれだけの期間我慢すればいいのか、住民は解からず心配です。
統合失調症とともに歩む人びとの話を聞きました
(2005年11月18日 金曜日 晴のち曇)
15日に続き「こころの健康講座」を受講します。今日は「精神障害について〜本人の思い・家族の思い」と題したテーマで、当事者の生の声を聞きくことができる貴重な機会です。Aさんは40歳半ばの方で男性、発病は30歳頃です。家庭を持ち音楽関係の仕事をしていましたが、ある日を境に洪水のように様々な症状が現れます。身の回りの全ての音が押し寄せ、妄想に苦しめられます。時には支配妄想による人への危害も発生しました。当時は「まるで神になったような昂ぶりの日々」と表現しました。
病識を早期に持つことができ入院します。退院後閉じこもり状態になりましたが、造園の仕事につきます。造園と言っても朝から夜まで、日当3千円の公園の草むしりです。それを10年間続けました。きつい仕事の永年の積み重ねが、その後の生き方を自らつくり上げる基礎になったと言います。仲間たちの「大丈夫か?」の一言で気持ちを落ち着かせることが出来たし「病気になったからと言って、失うものばかりではない。得たものも多い」と思えるようになりました。
その後ケースワーカーとの出会いがあり、現在は当事者が運営する喫茶店で夜のバアーを自主担当しています。この仕事は統合失調症には不向きな仕事でリスクもあるけれど、人間関係を築く力にはなる仕事だと思っているとのことです。公園の仕事を辞めたあと暫くディケアセンターにも通っていましたが、センターでは日々のプログラムがあり絶えず「〜しましょう」での声かけを受けていました。彼は今の仕事や人びととのかかわりを「アドリブがきく日常」と表現しました。そして今の状態を「納得し、安らぎを得ている」と肯定しました。
最後に「妄想に苦しめられることは当然だけれど、封じ込める必要はない。むしろもっと自由に妄想してもいいとの思いを、本人も回りも持ってはどうか」とアドバイスをしました。そして当事者同士のふんわりした関係の社会をつくる中で、一般社会との垣根をなくしていくことに当事者の一人として力を注いでいきたいと話を終えました。
このあと当事者のBさんと家族のCさんの話が続きます。ともにAさん同様心揺さぶられる話でした。後日の日記で紹介させていただきます。
夜は大阪で開かれた「憲法を守ろう〜近畿の集い」に次男と共に参加しました。評論家の佐高信さん・元衆議院議長の土井たか子さん・辻元清美さんの話を聴きました。次男はどちらかと言うと憲法9条の2項について私と相反する意見を持つこともありますが「今日話を聴いてよかったわ。目からウロコや」と言い、夕ご飯をご馳走してくれました。本日は一石二鳥、良い日でした。
パキスタン地震チャリティーコンサート
(2005年11月19日 土曜日 晴)
被災地支援コンサートに参加しました。私の友人の澤嶋さんのそのまた友人の横山裕子さんが素敵な筝の演奏をきかせてくださいました。金子みすずや与謝野晶子の詩を筝の調べに乗せた朗読や歌に心が揺さぶられました。遠く海外の被災地を我がこととして支援に立ち上がった澤嶋さんと横山さんの健闘に拍手です。
それにしても阪神淡路大震災以降、国内外で本当に大きな地震が発生しています。度重なる災害に心塞がれる想いを抱きますが、一方そのつど被災地支援の輪も沸き起こります。しかし実は私は今回の支援に係っていません。せいぜい今日のような催しに参加する程度です。「なんで今回、南部さんは支援活動をせえへんの?」との声を聞いたこともあります。
私は阪神淡路大震災で自分自身の限界を超える支援を数年間に渡り行ったと思っています。永年に渡り物心ともの支援ができたことは、私の人生におけるささやかな誇りです。だから、変な言い方ですが「十分に納得の支援はやった、もうこれ以上は無理。後は心の支援で勘弁して」が本音です。誰かがバトンを引き継いで欲しいと願っていましたが、うれしいことに今夜のコンサートで、その願いが実現しそうな予感がしました。
今年も新鮮地場野菜に得々気分の農業祭
(2005年11月20日 日曜日 晴)
農業祭は役場の行事の中で1、2を争う人気の催し物です。園芸用の土や藁や球根など無料でいただける物がたくさんありますし、何よりも町内の畑から引き抜き、直行して並べられている大根や白菜やねぎや蕪等々、また自家製のタケノコの瓶詰めや干ししいたけも安く手に入ります。毎年私も大きな袋とバスケットを下げて参加します。バスケットには花の苗を入れます。何もかも一緒に袋に放り込むと、小さな花苗は丸々太った大根やさつまいもに押されてかわいそうだからです。
模擬店も出ていて、社協のきつねうどんを10時のおやつ代わりに、甘酒はデザートにと頂いてお腹も“豊作”になりました。今年は竹工房の竹炭脱臭袋がより素敵なラッピングに衣替えをしています。生成りの木綿地に素朴で可愛らしい手刺繍がしてあります。思わず手にしてしまいました。冷蔵庫用に2つ買いました。今日は日頃ご無沙汰の方々にもたくさん出会えてよかったよかった!農家の皆さんをはじめ準備に奮闘された関係者の皆さんへ感謝をしつつ、今夜は野菜たっぷり、ヘルシーな夕食となりました。
「サロンdeフェルマータ富田店」のメキシカンピラフは味わい深いです
(2005年11月21日 月曜日 晴)
18日の日記に書きましたが、統合失調症と付き合いながらあるお店で夜のバーを“自主制作”(このように表現されています)している人の話が心に残っていました。「いつか訪れてみようか」と友人とも話していましたが、たまたま今日は富田の駅に近いケーキ屋さんに立ち寄ったついでに、ふと「近くやなぁー、行ってみようか」と思いました。駅から5分も離れていない住宅地の一角に「サロンdeフェルマータ富田店」はありました。日中は喫茶店で、お昼には簡単な食事が出来るようです。店の前には可愛らしい草花が植えられていて親しみを感じさせるしつらえです。
昼休みが終わっていたせいか店内にはお客は誰もいませんでした。3人の働く女性がいましたが、どの人が当事者なのかはわかりません。もっともそんな事を詮索しにお店に入った訳ではなく、私はランチとコーヒーを頂くために来たお客なのだと気持ちの軌道修正を図ります。サラダにドレッシングはかけないでください、お箸もください、コーヒーはブレンドだけですか?等々私の注文に誠実に対応してくれている人が当事者だと自然にわかってはきましたが。
暫くして常連客らしい女性が入ってきました。私にサービスしてくれていた彼女の表情がパッと輝いて、友人同士の会話が始まりました。百均で買ったと言うマフラーが話題になり、私もついつい「洗濯してもシャンとしてますね。お買い得じゃないですか」と口をはさんでしまいました。彼女が丁寧に丁寧に入れた(それだけ時間もかかりました)コーヒーをゆっくりと楽しんでお店を出ました。巷にはこの店よりも綺麗でお洒落で、ランチももっと安くて美味しくてボリュームもあって等々優れているお店は一杯あります。
けれど此処じゃないと心が休まらない人、此処じゃないとノビノビ働けない人、別に何という効果も無いけれどフラッと此処に立ち寄ってみたい人・・・そんな人たちが選べるお店があっていいと思います。しかし、そんなお店が普通に地域に存在し活用されて、当たり前に経営が成り立っていくにはまだまだハードルが高いです。
サロンdeフェルマータ富田店は街角の小さな喫茶店にすぎません。はっきり言って冴えない喫茶店かもしれません。でもその背景には精神障がい者が自立し地域で暮らしていく営みがかかっている、そんな大きな使命や夢が一杯のコーヒーや一皿のメキシカンピラフに込められています。お硬く言えば、精神障がい者の社会適応訓練事業として就労支援プログラムを含む事業展開が図られているということです。フェルマータ富田店を通過した当事者は利用者を含め数百人に上り、地域資源としての大きな役割を果たしていることは明らかです。
翻って我が島本町の現状は、まだまだ道遠しの感があります。精神障がい者へのサービス事業展開はホームヘルプ・ガイドヘルプ等ごく基本的なサービスに限られています。喫茶店とは限りませんが、いつの日かサービスを受ける主体の精神障がい者自らが、地域にサービスを提供する、そんな拠点ができることを夢見ています。お楽しみやお情けの域を越えた、一杯のコーヒーに一皿のランチに“勝負”を掛けた当事者のムーブメントに期待しますが、そのためには私に何ができるのかと問うていかなければなりません。
サロンdeフェルマータ富田店は「特定非営利活動(NPO)法人フェルマータ」が運営しています。当NPO法人は3年前に法人格を取っていますが、その前身の「障害者の街の暮しをつくる会」は、此処富田店から発足しています。2003年には「こころのサポートセンター・ステーションよすみ」が誕生し、街で暮らすためのトータルなサービスが展開されています。今度は「ステーションよすみ」(高槻市東五百住町)に行ってみようと思います。ご一緒にいかがですか。ちなみにフェルマータとはイタリヤ語の音楽用語で休止・停止等の意味があります。(全力疾走ばかりが人生じゃない。ちょっと休んでみようかということでしょうか。)
ピアヘルパーBさんの精神障がい当事者の話
(2005年11月22日 火曜日 晴)
11月18日「こころの健康地域講座」でのBさんの話を報告します。Bさんは約10年前、30歳半ばで発病しました。当時Bさんは新幹線のぞみの列車設計等に携わる超エリート技術者でした。他人に傍聴されている、殺されるの妄想から入院します。9ヵ月後に退院・就職しますが、仕事は1週間でだめになります。障がい者作業所にも通所しましたが、1ヵ月後手にした賃金はなんと800円!
そこで社会に戻るステップからやり直そうと、障がい者枠で職業訓練校の入校手続きまでしましたが、人の目が気になり電車に乗れませんでした。Bさんは常々溜め込んでいた睡眠薬で自殺を図ります。1週間意識不明の状態でしたが1ヵ月後に退院。父の死、妻からの離婚が待っていました。閉じこもり、テレビで大事件の報道がされるたびに、犯人にされている妄想にとりつかれてしまいます。
その後保健所のグループワークにかかわる中で、精神福祉相談員からヘルパーの仕事を勧められ、K病院のピアヘルパーとして働くことになりました。人間関係に対しいかに不器用な人が多いのかを目の当たりにし、彼らと接する中で「自分でも人の役に立てる、だから生きていていいんだ」と自信を取戻すことが出来るようになりました。
Bさんはヘルパーとして生活の一部に係わりを持たせてもらっていることの幸せを実感しながら、これからは“心のヘルパー”になり「声なき声を拾いたい」と言います。Bさんは島本町でもヘルパーの仕事をしていますが、水も美味しいし、のどかで良い所と島本を誉めてくれます。しかし続いて、町には精神障がい者に適した社会資源が少ないことを指摘しました。約70人が手帳を持っているのに、自由に集まったり誰でもノンビリと過ごせる場がないと言います。Bさんは精神障がい者が暮らしやすい島本町になって欲しいと話を終えました。
私のつたない報告文で、Bさんの話を伝える事はとても出来ません。私は何度も胸がつまり涙しました。でも「大変でしたね、辛かったでしたね」の共感よりも、Bさんに“人の力の素晴らしさ”を見た、その感動が私を揺さぶったのだと思います。そしてBさん自身の力は、実はBさんと同じ病に苦しむ人びとへのピアヘルパーの係りの中から育まれたものであると気付かされたのです。此処には援助する人、される人の垣根は存在しません。助けているつもりが助けられていた、こんな当たり前のことに気付かず日々を流していっている私への警鐘とも受け止めたBさんの話でした。
再びの永田町航海記、うれしかったです
(2005年11月23日 水曜日 晴)
久しぶりの辻元清美国会報告会です。ふれあいセンターの会場は満員でした。遠くから駆けつけてきた人もたくさんいました。私の隣の女性は群馬から来たそうです。辻元さんは、以前よりぐっと落ち着いた感じがしました。彼女自身も「じっくりとやっていきたい。テレビの為と言うような仕事はなるべくセーブする」と言っていました。
衆議院選挙が終わってまだ40日ぐらいしか経っていないのに、障害者自立支援法に代表されるような弱いものを切り捨てていく悪法が次々と通っていきました。まさに小泉首相の勝ち組み政治が雪崩を打ってやってきた感があります。更には憲法に対する危機感が高まる中、早々と憲法調査特別委員会ががむしゃらに動き出しました。委員会は自民党を中心に“変える”ことを前提として発足、進行されているようです。
辻元さんは、今期の第一の使命は憲法9条を守り育てることにあると明言しました。委員会の50人中48人は9条を変えたい派です。残る2人が共産党と社民党の辻元さんです。辻元さんは発言権すら危うい中で、憲法“改悪”のための手続き法である国民投票法成立をさせない「見張り番」として頑張っています。委員会は毎週木曜日朝9時から夕方5時までガンガン開かれているそうで、傍聴可能です。委員席は半分空席で、出席していても居眠りしている議員が3分の1もいるそうです。(一度確かめに行かなくちゃ)
過日出された自民党の新憲法草案について辻元さんは「民衆を闇討ちにする悪魔の法案」と評しました。草案中には「法律の定めるところ」の文言が多発しており、これは時の政権によって拡大曲解の解釈が可能となリ、危険だと辻元さんは指摘しました。憲法は主権者である私たちのものであり、権力側に守らせるものなのです。草案の最大ポイントは9条2項で「自衛軍」の文言が書かれている点です。自衛軍は草案の前文にある「国を守る責務」とに関係付けて、やがては“徴兵制”に繋がる道を開くことになるのではないでしょうか。
以前にも増して解かりやすい臨場感溢れる辻元さんの国会報告でした。惜しみない拍手が皆さんの辻元さんへの満足感。期待感を表していました。私は「辻元さんは国会議員になる為に生まれてきたような人やなー」と思いました。そして改めて「島本にお帰りなさい。いろいろあったことも、これからの辻元さんの活動にきっとプラスになっていきますよ」と心の中でつぶやきました。
個人情報保護運営審議会「緊急メール配信」実施を認める
(2005年11月24日 木曜日 晴)
9時10分に始まる会議は当審議会だけで、審議会委員の皆さんは早朝より本当にご苦労様だと思います。傍聴の私も遅れないように慌しく家を出ます。今日は2回に渡り継続審議になっている「緊急情報メール配信システムに係るメールアドレス登録」についての結論が出されます(本システムの概要については10月21日の日記を参照してください)。もっとも町長に回答する正式の文章は後刻事務局がまとめることになります。会議には配信を委託するインターネットデータセンター(IDC)の職員も出席していました。
審議会は回答にあたり、意見を付して認めることで合意を得ました。メールアドレスが個人情報であることを踏まえたうえで、子どもの安全に関する身近な緊急情報の入手に効果が期待されるされることから「早期に実施を望む」との結論を出すとともに次の条件を出しました。
役場とIDCのコンピューターは公衆回線での接続となるため、種々の保護体制をとることを条件としています。「庁内LANとの結合はしない。操作職員を限定する。操作履歴を残す。個人情報であるメールアドレスの送受信をしない。通信の暗号化処理をする」等及び役場とIDCの契約条項の中に個人情報保護に必要な事項を盛り込みます。会議は通常2時間程度ですが、今日はお昼のチャイムが鳴っても続き、少々疲れました。
昨今、小学生が下校中に痛ましい事件に遭遇することが続発しています。保護者をはじめ関係者の藁にもすがる気持ちが、様々な手段を求めることに解からない訳ではありません。今回のメール配信もその一つでしょう。しかし私は子どもを守る原点に立ち返れば、やはり子どもの姿を絶えず視野に入れた大人の存在があることだと思います。大人は親のみをさすのではありません。地域の大人である私たちひとり一人が、犯罪を防ぐ“存在”になり得るのだと自覚するところから始めなければならないと思います。
精神障がいを持つ人の親の話
(2005年11月25日 金曜日 晴時々時雨)
11月18日に参加した「心の健康地域講座」については、18日と22日の日記で精神障がい当事者お二人の話を聴いた感想をお届けしています。今日は家族の方の話について書きます。当事者お二人は、言わばカミングアウトをした上での話であったため、私も聴いたままの内容を書くことが出来ました。本日の当事者は親御さんの口を通して語られるため、ご本人の了解は得られていません。従って本人特定に結びつくような事柄は避けています。
家族の話で登場したCさんは、私がよく知っている人なので少し驚きました。人生を楽しむことに積極的で、いつ会っても生き生きとしているCさんがしんどい経験をしてきたとは全く伺えませんでしたから。
子どもさんは中学生で発症しました。10年間入退院を繰り返します。在宅時期に役場から他市の援護寮に併設された支援センターを紹介され、ショートスティ等を経ながら数年間で自立することが出来ました。1級の障害者手帳を持ち生活保護を受けながら、現在一人暮しをしていますが、まもなく2年を迎えようとしています。ごみ出しのようなささやかな事から始まって、地域住民としての意識がめばえ社会性も身に付きました。
「振り返ってみると大変だったなーと思う」とCさんは語ります。脳の気質に起因する病気で親の責任ではないとわかっていても子どもに責められる辛さ、その度に「親も一生この病気と生きていかなければならない」と思いました。家族の理解が乏しいことも、心の重荷になりました。
Cさんはここ数年、我が子が人として成長していっていると感じ始めると共に「私がこの子をみていかなければならない」との思いが変化してきた、その変化は子どもにも表れてきたと言います。まだまだ病気と普通の生活との境界線は定かでないし、精神科にかかっていることで周囲の白い眼の存在はあります。しかし親が先ず地に足をつけて、自分でしっかりと立つこと、「これから先は私は自分の人生を考える。何とかなる、何とかやっていける」と思えるようになりました。
このような着地点を見つけられたのは家族会(保健所が組織している「家族教室」)に入会した影響が大きいとCさんは語ります。ただ居住する島本町で当事者の集まり「島本グループワーク」の存在はありますが、家族間のネットワークはまだ前述の保健所管轄のもとでしかありません。
Cさんは最後にこう語りました。「最近生活がしやすくなりました。子どもの事はちっとも恥ずかしいことではないと思えるようになりました。親亡き後の我が子の自立に心配はありますが、周りのいろんな想い、それが例え差別感から発したものであったとしても受け止め、私も子どももお互いに良い人生を送ろうと思い合っています」。「すごい!Cさん清々しいねっ!」と私は心からの大きな拍手で称えました。
図書館ブックフェアでお気に入り古本ゲット
(2005年11月26日 土曜日 晴)
充実した催しが連日行われていた町の図書館フェアも最終日になりました。長男が出張先から帰ってきていたので、“アッシー君”の命を出し車でふれあいセンター(ケリヤホール)の古本市を訪れました。渋々ついてきた長男の方が目を輝かせて、小説やCDのコンテナから選び出しています。私は少し古いですが、買えば高い旅の本やインテリヤの雑誌を10冊いただきました。
そういえば最近本を読まなくなっているなあと、反省しているところです。仕事に関係する資料を読む事に追われて、じっくり物語の世界に入り込めないでいます。年末年始のお休みには1、2冊気になっている本を携えて、1週間の旅行に出かけたいと思っていますが、食いしん坊の私のこと、美味しいものに目がくらんで食べ歩きに徹しているかもしれません。ところで川口町長のホームページ「晴耕雨読」を拝見すると、実に良く本を読んでおられる事がわかります。首長職は相当な激務であるはずですが・・・今度その極意を聞いて見ましょう。
リサイクル市はいつも好評で住民は得々気分、一方廃棄本に悩む図書館にとっても効果があり相方ハッピーな解決策です。ただ重い本の移動は大変で、多くのボランティアが支えて下さっています。有難いことと感謝の気持ちで一杯です。夕方に開かれる図書館コンサートは心残りでしたが見送りです。長男が夕食をご馳走してくれるとのことで、滅多に無いチャンスは逃せないと出かけます。
青少年健全育成大会
(2005年11月27日 日曜日 晴)
今年の講演は「夢」と題したサッカーの元日本代表 田坂和昭さんの話しでした。会場の住民ホールは島本高校生から小学生にいたるサッカー少年たちが瞳を輝かせていましたが、空席が目立っていました。私は用事があって見ることが出来なかったのですが、前段の舞台発表の方がダンスありバンドあり吹奏樂ありで、若者のパワーも観客の声援も賑やかだったかもしれません。いずれにしても青少年とスポーツの関係は密接ではありますが、経年の講師選びを見ると、やや安易にと言うか無難に結びつける傾向があるように思うのは私一人でしょうか。
田坂さんの講演の中身は、パソコンの映像を駆使したりして視覚にも訴えながら、わかりやすく話されていました。少年の頃からのサッカー選手になる夢を見事叶えた田坂さんのメッセージは「努力」の言葉でありました。奇跡のような一瞬のパスもシュートも偶然ではなく、積み重ねられた努力がもたらすものだと、ごく当たり前の話しでしたが夢をかなえた人の口から発せられると頷かされる力がありました。
34歳の田坂さんは頭がお坊さんのように綺麗にツルツルです。 「剃っているのではありません。3歳くらいの時から髪の毛が生えない病気です」と言いました。長い間帽子をかぶって隠してきましたが、ありのままの自分を恥ずかしいと思う気持ちが間違っていることに気付きます。100%の自分を出しきってこそ努力も生き夢の実現が叶うと、会場の子どもたちに伝えるために田坂さんは手でクリクリ頭を撫でました。サッカーのエリートたるゆえんはこんな所に存在していたのだと思うと、なんだか田坂さんがとても身近な存在に思えてきました。子ども達はどう受け止めたことでしょうか?
JR新駅開業に遅れ明らか・・・全協で示される
(2005年11月28日 月曜日 晴)
予定では本日臨時議会が開かれることになっていましたが、職員の給与改定における実施日が来年1月1日になった為、15日から始まる本会議で間に合うと臨時議会は取りやめになりました。このように川口町長になってから、ドタキャンが何度か起きるようになりました。まあ一度決めたら、何が何でもゴリ押ししてしまうというよりかはましだと思いますが、少々弱体町政とみられる向きもあります。私は「良い方に向うのなら、ええやん」と思っていますが。
さて本日の議員全員協議会では、アッと驚く困った事態が報告されました。JR新駅の開業が当初の平成19年春から1年は延びるとの報告です。しかも20年の春と断言も出来ない、つまり1年以上延びる可能性も無きにしもあらずです。これは町にとって誠に重大な変更です。下手をすれば町長の座を危うくするほどの大きな変更となるやも知れません。
遅れる原因は騒音・振動等の調査を近隣住民の要望に沿った内容にするため少々手間取ったこともありますが、西側(桜井の田んぼの側)の用地買収に係るスタートが切れない所にあります。つまり一部地権者の理解がもらえない事が主たる原因です。新駅は東側と西側からのアクセスを確保しなければ、7億円を掛ける東西を繋ぐ自由通路はまったく無意味なものになってしまいますし、駅西側からアクセスする若山台・百山・桜井方面の人びとと自転車に対して著しく利便性を欠いたものになってしまいます。
また今年度の新駅事業は国のまちづくり交付金3億5千万円を受けていますが、この補助金は平成20年度末(2008年3月末日)で有効期限が切れます。今、西側のアクセス道路用地取得が困難で、駅舎内に設ける自由通路建設も見込めないため、これらの事業費を駅東側に設ける自転車駐車場の用地買収(大阪府より)と建設に振り替えるとしています。
西側地権者の同意が得られない場合は、東側のみで暫定的な開業もあり得るとした上で、東西の工事が分割されれば、工事費の増高は避けられないとの予測も示しました。西側の用地買収については相手のある事で担当者も頭を痛めていますが、諦めずに町長自らの真摯なお願い、説得を昼夜をついで行うことも必要です。
続いての案件2件は時間の関係からを理由に、事実の報告のみにとどめられました。1つは第二小学校の新校舎建設工事に係る入札です。2回の入札で共に談合情報が寄せられました。最初の入札は無効になり、2回目は調査を経て有効と判断し約2億9千万円で(株)榎並工務店が落札しました。これら談合情報によって実際に不利益をこうむるのは、二小の児童である事を思うと本当に怒りを禁じえません。
あと1つは山崎保育園の保育士配置が町基準に合致していない事に対する改善が報告されました。町は配置基準を補助金交付要綱に明確に記す事と、山崎保育園は毎月町に対して保育士の配置状況を報告する義務を負うことで改善を図ります。つまり担任保育士の固定化を図り、空いている保育士がスライドして日替わりで担任するような事の無いようにするというものです。「今頃何言うてんのん!?」ですが、是正をしなければならない事実が存在してきたのです。
夕方には理事者から私たちの会派に対して12月議会の議案説明が行われました。この説明の内容と実際の議案書の中身が異なっている点がありましたが、後日の日記でお知らせします。本日の日記の最初に書いたようなドタキャンがまたも起こったと言う訳です。あぁ、ドタキャンなんて言うと聞こえがよくないですね。熟慮の上の「見直し」と言い直しておきましょう。
議会運営等検討委員会が始まりました
(2005年11月29日 火曜日 晴)
町議会は会議規則に基づいて運営されますが、実際の運営に際しては多様な事態が発生します。そこで「申し合わせ事項」を定めて細部に渡る共通の認識の補完としています。これらが社会の情勢や政治改革のありように取り残されていないか、一方島本町住民が町議会に求めているものは何なのか、開かれた議会の住民サービスとは何だろうか等々を踏まえながら、議会改革を進める為に当委員会は開かれるべきと私は考えています。
議会運営に係る検討課題の洗い出しには、私は議員定数・議員報酬のような大きな問題から議員の湯茶はセルフサービスでというような小さな問題まで殆ど全ての課題を提起できたと思っています。他会派からの提案課題には私と全く正反対の中身もあり、これからの議論に“闘志”が湧きます。5名会派の山吹民主クラブと緑風純正会はそれぞれ委員を2名出しており、私の会派人びとの新しい歩み・共産党・公明党の2人会派は1名ずつ委員を出しています。全会一致が原則なので、大会派の良いようにのみとはならないと思いますが、数の力で負けないようにしっかりと議論していかなければなりません。
委員会の座長は副議長が務めます。本日第1回目は会議の進め方を話し合いました。実は過去の検討委員会において決められ、実施に到った事項は本当に少ないのです。これは全会一致でないものを実行に移さないことの表れでもあり、評価すべきことでもありますが、私は3月議会に向けてひとつでも改革・実行していくとの目標を持ち、課題を選択し議論をすべきと主張しました。まあ、そう言っても月にたった1回のペースでは時間切れが目に見えてはいますが・・・。次回には週に1回くらいの開催を申出てみようと思います。
午後からは地域医療・保健事業推進協議会の傍聴をしました。時節柄インフルエンザについてのお医者さんの意見が興味深かったです
介護保険料は4千円ぐらいになるかも・・・住民福祉審議会傍聴
(2005年11月30日 水曜日 晴)
介護保険制度の見直しが進められています。最も気になる保険料(基準の3号の人の月額)は現行3,270円が4,000円ぐらいに上がりそうです。町では国が定める5段階の保険料を6段階にして、1・2号の人の保険料の負担を緩和していますが、さらにきめ細かい段階を設ける事も可とされます。
また改正の目玉として登場する地域包括支援センターにより、現在宅介護支援センター(弥栄の郷と若山荘にあります)は来年度から国の補助が無くなり廃止の方向性大です。在宅介護支援センターは24時間対応可能でしたが、包括支援センターはそうではありません。どのような影響が生じるのかは予測されていません。
ちなみに当町における地域包括支援センターの準備も進められていますが、委託をする自治体が多い中、町の直営でやっていく心意気は結構な事だと思っています。場所はふれあいセンターの2階になります。センターの職員は(1)社会福祉士(2)主任ケアマネージャー(3)保健師の設置が義務付けられます。(1)と(2)は若山荘・弥栄の郷からの派遣職員で(3)は町の保健師を充てます。民間法人からの派遣については、センターの公正・中立さから見るとどうなのかと不安の声がなきにしもあらずですが、どうなのでしょうか?
改正により介護保険制度にのらない福祉事業は地域支援事業に転換しますが、様々な事業が影響を受ける事になります。前述の介護支援センターを初め給食(配食)サービスは補助金が無くなり地域支援事業に移行できなくなります。財政的にはしんどい状況ですが、町単独で継続するしかないと担当は発言しました。緊急通報装置の交付税算入もなくなるようです。いずれにしても地域支援事業に係る国の要綱がまだ示されていないので、来年度予算要求の中身が定まらない状況にあると職員は溜息混じりの説明をしていました。